2020年04月10日

3716話 凡将の罠


「有力部隊が谷に入ります」
 物見からの報告。
「誰だ」
「旗印から畑山かと」
「畑山か」
「はい」
 伝令が去ったあと、本陣で会議が開かれた。
 要するに、予定戦場へ、畑山部隊が谷を通ってやってくるということ。これをどうするかだ。
「明部谷へのこのこ出てきたのか。なぜその道なのだ」
「凡将」
「畑山かが」
「そうです。確かに有力部隊ですが、それを引き連れているのは畑山」
「いや、わざわざ奇襲されやすい明部谷など通るかなあ」
 渓谷は狭く、また伏兵を置く場所には困らないほど、見晴らしが悪い。まるで、待ち伏せしてくださいと言わんばかりだ。
「策があるとみた」
「ですが、畑山には、そこまでの頭は」
「いや、家来に知恵者がいるのかもしれん」
「畑山を渓谷経由で進むよう命じたのは誰でしょう。畑山殿はその命に従っているだけかと」
「敵の本軍は」
「街道から来ています。二手に分かれて」
「では都合三手から来ているのだな」
「はい、その中でも畑山勢は大軍です。主力といってもいいほど」
「渓谷で待ち伏せに遭えば、敵は負けだろ」
「はい」
「それが分かっていながら、明部谷を通らせている。これは罠じゃ」
「では、どうすれば」
「渓谷で畑山を叩くには、それなりの兵がいる。いくらでも待ち伏せできる場所がある。それこそ、こちらも大軍で待ち伏せることになる」
「少数でもよろしいのではありませんか。奇襲なので」
「しかし、それなりの人数を割かねばなるまい。それが敵の狙い」
「そうなんですか」
「そのままでよい」
「しかし、いい機会です。物見が発見するのが早かったので、それを生かせば」
「兵を谷に向かわせれば、予定戦場が弱くなる。敵は二手に分かれてくる。一気に突かれる。だから罠。手を出すな。その手に乗るな」
「しかし、畑山は凡将。そんな知恵はあるとは思えません。谷を通った方が早いので、明部谷へ入ったのでしょ」
「だから、命じられたとすれば、どうだ。畑山の知恵ではない。それに知恵があれば明部谷など通らぬ」
「分かりました」
「敵が迫っておる。予定戦場へ急ごう。まともにぶつかれば、兵はこちらが優勢。小細工してくるのは劣勢の敵側。乗るな乗るな」
「ははー」
 双方予定戦場で対峙したのだが、敵は二手だけで、三手目の畑山隊が来ない。敵の三分の一は欠けている。別に奇襲を受けていない。
「敵は少ないです」
「ただでさえ、劣勢。そのうえ畑山隊がまだ来ておらん。一気に叩け」
「お待ちください。畑山隊には手を出さなかったはず。近道なので、真っ先に来ているはずです。その姿がないというのは」
「ないというのは」
「横か裏に回られたのでは」
「そんな遊軍のようなまねは畑山にはできんはず」
「しかし、姿が見えないのはおかしいです」
「物見はどうした」
「報告がありません」
「では、畑山隊はどこにいるんだ」
「さあ」
「敵が向かってきます」
「待て、迎え撃つな。挟み撃ちにされるぞ」
「え、でも後方に畑山隊の姿はありません」
「罠じゃ。挟まれる。後退じゃ」
「ははー」
 その頃、畑山隊は、明部谷で迷っていた。別に特命を受けたわけではない。予定戦場へ向かっていたのだが道に迷った。
 本来、遅れをとったことで、叱られるところが、遅れたため、戦場に姿がなかったことで誤解され、敵は後退したため、勝ち戦になった。
 罠などなかったのだ。
 
   了




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2020年04月09日

3715話 薄まる


 果たして何を追いかけていたのだろう。以前から追いかけていたものがあるのだが、最近は曖昧になっていた。考えなくても、思わなくても分かっているつもりでいたためだろう。当たり前のターゲット。あえて狙う必要はなく、自然に追いかけていた。しかし、最近はぼやけてきた。何を追い求めていたのかは思い出せるのだが、ただの題目になっているのかもしれない。
 白川はそれを感じたのだが、それさえももうどうでもいいのではないかと思うのだが、これまでの経緯があり、それに向かって突き進んでいたことは、振り返ればすぐに分かる。しっかりとした目標があったのだが、進めば進むほど、徐々に曖昧にになり、ぼやけていった。
 果たしてそれが目標だったのかと思うほど、大したことではなくなっている。これは隣の芝生は青いのと同じで、そこまで足を踏み込み、足下を見ると、地肌も見えており、ハゲていたりする。緑の絨毯ではない。
 目標が目標でなくなってきたのは魅力の問題だろうか。そして引力。引っ張られるような引きつけられるようなもの。それが最近薄れてきた。
 このままでは芯がない、軸がないと思い、ぶれないように、もう一度確認した。
 そして若い頃からの目標だったことを、再確認したのだが、今もそれを続けているにもかかわらず、何か希薄。薄い。そして弱い。
「それはねえ白川君、目標が薄くなったんじゃなく、君が薄くなったんだ。髪の毛もそうだろ。私なんてもうほとんど地肌だ」
「植えたらどうですか」
「高いよ。それに急に本数が増え、密度が濃くなればおかしいでしょ。丸わかりじゃないですか」
「じゃ、ヘルメットタイプのカツラはどうですか。もみあげまで付いているやつ」
「あれは浮くんだ。ピンとね。しかし、そういう話じゃなく、薄まってきたんだよ。白川君」
「そうですねえ。若い頃から見るとメリハリがなくなりました。白か黒、0か1かの明快な判断が、できなくなってきました」
「そんなものだよ」
「その中間とか、多い目とか、少ない目とか、中途半端なところが多くなりました。多いか少ないかだけじゃなく、その中ほどの、こちらよりとか」
「それは経験を積んできたからさ。一概には言えないとかね」
「言えませんねえ。端数が気になります」
「割り切れるものじゃないからね。その方が自然なんだ。今までの君は不自然だったが、まあ明快な方が動きやすかったからでしょ」
「先輩はどうなのです」
「私はもう惰性だね。今までやってきたから、それを続けるだけ。しかし、いつ辞めてもいい」
「僕より進んでいますねえ」
「年の功だよ」
「はい、見習います。でも、もう少し深刻な話をしたかったんですが」
「まだ若いね。それも薄まるよ」
「そんなものですか」
「ああ」
 
   了




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2020年04月08日

3714話 青野へ


「昨日はどちらへ」
「はい、出かけていました」
「晴れていましたが風が強かったでしょ」
「そうですね。冷たい風でした」
「どちらまで」
「いえ、その辺をうろうろと」
「どこへ行かれたのですか」
「少し遠いですが青野辺りでした」
「近場ですが、自転車じゃちょいと遠いですねえ。歩いてじゃ無理だ」
「はい」
「青野のどこへ」
「その辺りです。その周辺をうろうろして戻ってきました」
「何かありましたか。青野に」
「別に何もありません」
「青野といえば焼き物が名物です」
「居酒屋ですか」
「いえ、陶芸です」
「そうなんですか」
「食器じゃなく、置物ですがね。見学、されました?」
「それは知りませんでした」
「あ、そう。目立たないからかなあ」
「青野も広いですから」
「そうだね」
「じゃ、青野へは何をしに」
「別に」
「青野といえば陶芸でしょ」
「知りませんでした」
「まあ、中に入って見学などできませんがね」
「置物なのですか。信楽焼のような」
「そうそう」
「青野物と呼んでます」
「全く知りませんでした。何度か行ったことがあるのですが」
「瀬戸物は瀬戸で作った焼き物。青野で作れば青野物になります」
「陶器と磁器の区別もできてませんので、よく分かりません」
「あ、そう。でも青野焼きはレベルが低い。まあ、土産物でしょ。小さいし。小物ばかり。菓子で言えば駄菓子。青野物の土鈴は有名らしいですがね」
「良い土が出るのでしょうねえ」
「出ません。他から運んできます」
「詳しいですねえ」
「青野に友人がいましてねえ。それを聞いただけです」
「実際に青野へ行った僕よりも、詳しいです」
「そんなものですよ」
「はい」
「しかし、わざわざ青野まで何をしに行かれたのですか」
「いえ、別に」
「目的もなしに」
「あ、はい」
「それで、何を見られました。良いことありましたか」
「別に」
「あ、そう」
「晴れていたので、久しぶりに自転車で走ってみたかっただけです」
「ああ、自転車が好き。サイクリングとか、ポタリングとか」
「いえ、普通のママチャリです。ぶらぶらするのが好きでして」
「あ、そう」
「あ、はい」
 
   了




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2020年04月07日

3713話 陰獣王


 春の良い季候なのに、吉田は体調が悪い。季節の変わり目は過ぎており、既に春本番。
 陽気がいけないのかと思い、陰気なことを考える。陰気な方が吉田は元気。まさに陰獣。
 亀も泥布団から抜け出す季節なのだが、吉田はまだ寒いようで、固まっている。
 何か陰気なことでもすれば、元気になるかもしれないと思うものの、いつも陰気なことをしているので、それ以上陰気なことは考えつかない。いろいろと案はあるが、実際にはできないだろう。それこそ陰獣になって猟奇犯罪でもすれば、陰気な場所に長く入らないといけない。動けないのは困る。自由にどこにでも出かけたい。しかも、陰気に。
 春のこの陽気が吉田にとり天敵なのかもしれない。それで毎年体調が悪い。
 どこがどう悪いというわけではないが、体がだるく、気力もだるい。何をするにも気が重い。部屋の中でのんびり過ごせばいいのだが、元気でないと楽しめない。
 陽気な元気ではなく、陰気な元気。それにふさわしいものを探すが、やはり出てこない。ほとんど使い果たしたためだろう。
 吉田は重い体を動かして、同じ陰獣の谷のアパートを訪ねた。同類相哀れむだ。
 ところが、「陽獣になるべきだろう」と谷が意外な発言をする。
「どうかしたの谷君、陰獣クラスでは数段上の君がそんなことを言うなんて」
「陰獣に飽きた。これからは陽獣だ」
「どちらにしても獣なんだね」
「じゃ陽人だ。太陽の子だ」
「それは似合わないと思うけど」
「陰獣だから、君のように体調が悪いんだ。暗いことばかりやってるから体も陰気になり、病の巣窟になる」
「それは谷君も同じでしょ。もっと重症でしょ」
「だからこそ陽獣へチェンジするんだ」
「それで、どうするわけ」
「簡単だよ。ノーマルな人間になる」
「本当かなあ」
「これは僕が集めたゾンビ系のビデオだ。全部君にあげるよ」
 本棚二つ分ほどある。
「それと、これはダウンロードして落としたものだ」
 小さなハードディスクからコードを外し、それを吉田に手渡した。
「そして陰獣王の称号を君に譲る」
「いや、僕も辞めた方が良いのかな、と思っているところなので」
「後継者は君だ」
 吉田はハードディスクと紙袋に入るだけゾンビビデオを詰め込み、さようならをした。
 谷は本当に陰獣を辞めるつもりなんだ。
 戻ってから、まだ見ていないゾンビものや陰気な映画を続けて見たためか、元気が戻ってきた。陰気が満たされたのだろう。それで、体調も回復した。
 陰獣王だった谷は、その後、病んで入院したらしい。
 
   了




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2020年04月06日

3712話 花見入道


 春爛漫。桜も満開。その名所は人で賑わっている。岸和田も人並みに花見に出た。だが、一人なので、これは純粋な花見だ。見ているだけで、宴会はしないが飲み食いはする。鞄の中にサツマイモをふかしたものが入っている。それとお茶。これも家で作ったもの。最初は熱かったが、今はぬるくなっている。少し歩いたので冷たいお茶が欲しいところだが、それは仕方がない。外の気温より少しだけ温かいお茶。がぶがぶ飲むわけではないが、サツマイモを食べるとき、必要だろう。
 そのサツマイモ、大ざるに盛られいて安い。一本あたり半値だろうか。しかし質が問題。とろけるような柔らかさだったので、今回もそれを買ったのだが、味が変わっている。産地は同じでも栽培した人が違うのだろう。少しゴリが入っている。値段的には妥当なところ。前回が良すぎた。
 桜の名所には大きな神社があり、それが入り口。参拝料はいらない。山中にあるが、神社だと思っていると大きなお堂。これは講堂だろうか。お寺ではないか。釣り鐘堂もある。
 その周辺が見所で、花見客のほとんどはそこに集まっている。
 岸和田はその端っこで、すぐ藪が迫っている。石がゴロゴロしており、岩場が続き、あまりいい場所ではないが、少し高いので、見晴らしはいい。
 そこで例のサツマイモを取り出し、お茶を飲みながら食べていた。塩を忘れたのをそのとき思い出したのだが、もう遅い。決して水くさい芋ではなく、最近の芋なので、甘みが勝っている。だから塩はいらないかもしれない。
「奥へ行かれましたかな」
 岸和田の後ろに、まだ人がいたようだ。そこはもう端の端だ。入道頭の老人。和服か洋服かよく分からないようなのを羽織っている。ズボンも袴かモンペかが分かりにくい。ペルシャ系だろうか。癖があること丸出しの老人だ。
「この奥ですね。知ってます」
「奥の桜が素晴らしい」
「はい、承知しています」
「行かれないのですか」
「はい」
「まあ、少し歩くことになりますし、上り坂ですからねえ。あまり人気はありませんが、下が散っても上はまだ咲いていたりします」
「そうですねえ」
「まあ、今はここが満開、上よりも見応えがありますがね」
「そうですねえ」
「上に行きませんか」
「いえいえ、ここからでも見えていますので」
「そうですなあ。でも上の桜の下まで行くのがよろしいかと」
「どうぞ、お先に」
「そうですか。一人でしょ。暇でしょ。上の桜を見ないと、この地の桜を見たことにはなりませんよ」
「いえいえ、お先にどうぞ」
「そうですか。いいことを教えたのにねえ」
「いえ、知ってます」
「じゃ、行くべきでしょ」
「ここから見ている方がいいかと」
「ほう、いいものが先にあるのに」
「行ってしまえば終わりでしょ」
「終わり」
「もうその先はないのでしょ」
「しかし、このお山の桜を極められます。上の方が古木も多く、本物です」
「だから極めてしまうと終わりでしょ」
「なんと」
「ケツの穴の毛まで見てしまうようなものです。そんなもの見てしまうと終わりでしょ。どれも同じようなもの」
「急に飛躍しますなあ」
「手前がいいのです。見ているだけで、まだ奥があるんだなあと思っている程度が。行こうと思えば行けますよ。でもその余地を残している方がいいのです」
「奥の桜を余地だと」
「そうです」
「それは興味深い。面白い意見じゃな」
「あなた、誰ですか。寺の人ですか」
「寺の者が、こんな藪の中で座る理由がなかろう」
「そうですねえ」
「わしのことより、おまえさん、変わっておる。それはふかし芋じゃろ。もっと花見らしい重箱などは持ってこなかったのか」
「一人ですからねえ。そんなの一人で食べているとものすごく寂しい人になるでしょ」
「サツマイモをかじりながらの花見。これも寂しいぞ」
「あ、これは、昼は最近こればかり食べていまして。習慣です」
「まあいい。集団というのがある」
「急になんですか」
「花見も集団。中央部がよろしい。端は危ない。集団で動くとき、弱いものは中、強いものは外側」
「はい」
「だから花見も同じで、こんな端の藪に近いところは危ない」
「あなたのような人が出現するからでしょ」
「野生のものがな」
「はい」
「まあいい。誘っても乗らん、食えぬ奴。好きなようにすればいい」
 入道頭の老人は藪の奥へ消えていった。
 あとで、妖怪博士に聞くと、花見入道と言うらしい。急に立ち上り、ざっと降り、さっと去って行くと。辻説法系らしい。
 
   了




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2020年04月05日

3711話 不思議な客


「昨日今日の話ではないのですがね」
 男は語り出した。
「不思議なことが起こっているのですよ。これは人に言っても信じてもらえない。だから言わないで、じっと我慢していたのです」
「我慢ですかな」
「そうです」
「我慢はよくありませんなあ」
「そうでしょ。だからその我慢、今日は発散しようと訪ねてきたのです。こんなことを言えるのはあなたしかいない」
「それはいいのか悪いのかは分かりませんがね。まずは聞きましょう」
「はい、よろしくお願いします」
「で、不思議なこととは」
「それが分からないので、不思議なのです」
「はあ」
「正体が分かっておれば、不思議でも何でもない。そうでしょ」
「そうですねえ」
「不思議なことが起こっているのは分かっているのです。昨日今日じゃない。これは先ほど言いましたね。かなり前からです。しかし、そんな大昔からじゃない」
「それ以前にもそんな体験がありましたかな」
「あったかもしれませんが、気付かなかったのでしょうねえ」
「あ、そう」
「以上です」
「はあっ」
「終わりました。これですっきりしました。やっと人に話せて」
「聞きましたが、何かよく分かりません」
「だから不思議なのです」
「何が起こったのかも分からない」
「分かりませんが、何かが起こっていることだけは分かります」
「具体性はないのですね」
「ありません。だから、人に言っても、理解してもらえません。あなたなら大丈夫ですが」
「大丈夫です。でも、その程度のことなら、誰が聞いても、驚かないでしょ。不思議な話には違いありませんが、イメージがわきません。具体性がないので」
「そうですねえ。一人で不安がっているようにとられますが、決して不安とか、怖いとかではありません」
「え、何がですか」
「その不思議な現象の印象です」
「具体性がないのに、分かるのですかな」
「そうです」
「どういった印象です」
「懐かしいような」
「あのう」
「はい」
「それは誰だって感じていることじゃありませんか」
「いえ、違います。原因が分からないのですから」
「その話、お聞きするだけでよろしかったのですかな」
「はい、もう十分です」
「何か解説は必要ですか」
「いえ、不必要です」
「いらない」
「はい。これで、我慢が発散されました。やっと話せて。ありがとうございました博士。これはお礼です」
「いえいえ、私は何もしてませんよ」
「では、失礼します」
 妖怪博士は客を見送った。
 実に不思議な客だ。
 
   了




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2020年04月04日

3710話 夜中の影


 藤田は夜中に一度目を覚ます。トイレだ。疲れてぐっすり眠っている夜は朝まで起きないこともあるが、めったにない。
 また夜中に二回も三回もトイレに行く日がある。これは体調が悪いのだろう。しかし、普段は一回起きる程度。時間もほど決まっている。
 寝床からトイレまではそれなりに遠い。広い家ではないが、寝床は家の端、その角っこで寝ている。トイレも家の端で、角。だから一番長い距離になる。部屋を二つまたいでおり、廊下があり、下駄箱がありトイレがある。途中、他の部屋や炊事場などと繋がっている。二階はない。
 一人で住むには広いし、使っていない部屋の方が多い。だが古いので、安かった。昔は家族が住んでいたのだろう。
 その夜も、目が覚めたのだが、普通のことだ。決まり事ではないが、慣れたもの。枕元のスタンドをつけ、通り道を照らすようにしている。そのとき時計を見る。やはり昨夜と同じ時間。メモをとっているわけではないが、十五分程度の誤差がある程度。長くて三十分だろうか。
 隣の部屋との仕切りは真冬でも開けている。だからスタンドの明かりだけで、すっと通れる。さらに廊下側に明かりがあり、それが漏れる。漏れるように廊下と部屋の仕切りの襖は少しだけ開けている。別に隙間風が入ってきて寒いわけではない。当然夏は開けている。それで、明かりのリレーができている。
 いつも思うのは廊下との仕切りの襖や壁に影が映ること。寝床のスタンドからの下からの明かりだ。それを後ろに受けながら行くので自分の影ができる。腰と足が見える。上半身は遮れているためか、影は映らない。
 腰と足、そして手をだらりと垂らせば、手も見える。
 自分の影なのだが、怪物のようにも見える。だだ、右足を動かせば、影も動くが、影にとっては左足だろう。
 この影絵を毎晩見ているのだが、見え方が日によって違う。枕元のスタンドの角度が変わるためだ。起きているときは邪魔なので動かすし、首を回したりする。布団に入ったときに毎回セットする。光の方向はここで決まる。自分に向けるとまぶしいため、隣の部屋側に向け、間接光にしている。だが、微妙に左右の向き、上下の向きが変わるのか、影の出方が毎晩違う。
 布団からむくっと立ち上がり、まだ目がしっかりと覚めていない状態で、よたよたと歩いている。その姿はやはりモンスター。着ぐるみの怪獣かもしれない。たまにゾンビやミイラ男にでもなったつもりで、より、ぎこちない歩き方をしたりする。
 夜中、目が覚めても見るべきものはないはずだが、これを見るのが楽しい。正体が分かっているので、怖くはない。
 光がなければ影もできない。影そのものが独立してあるわけではない。
 しかし、藤田の動きとは別の動きをやり始めると、怖いだろう。そんなことはあるわけないが。あればトイレへ行くどころではなく、尿意も止まるだろう。
 そこに投影されているのは確かに藤田なのだが、別の生き物のに見えることもある。錯覚だとは思いながらも、何か得体の知れないものが目の前にいるような気がする。
 自分自身なのだが、自分自身が知らない自分のような。
 
   了





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2020年04月03日

3709話 祭りの準備


 準備ができ、お膳立ても済んだ瞬間、妙な間が開いた。吉田はこの間を知っている。何度か体験した間。それはいざ、これからできるという段階になったとき、すくむのだ。そしてもう終わったかのようになる。まだ何もしていないのに。
 これがまた今回口を開いた。間が長いと間の横に口が開く。これはさっと一歩進めば見えない。さっと通過すれば事を始められる。スタートが切れる。
 間が悪い。間が問題なのではなく、間を置いたとき見えてくる。見てはならない西空だ。
 それで、せっかく準備を終えているのに、実行しない。用意はできている。あとはやるだけ。しかし、それは準備ではない。準備だけで、お膳立てだけでは何も起こらない。しかし、スタートすると現実が動く。準備も現実だが、実行は本番。
 本番に弱い。それは吉田の性癖。だからこそ準備はしっかりと、入念にやっている。本番のとき、困らないように。だから準備万端発車オーライ状態。しかし、あまりにもお膳立てがうまくできすぎていると、それが完成品になる。これだけでいいのではないかと、やる前から満足を得る。非常にいい準備だったと。見事な準備、最近では希に見るいい仕事だったと。
 準備ができているのに、やろうとしない。立ち止まってしまう。これはまだ準備が不足しているのではないか、吉田はそう思うのだが、実は逆。準備のしすぎ。過剰なほどのお膳立て。用意しすぎている。原因はこれだ。準備不足もいけないが、ある程度のところで、見切り発車した方がよかったりする。
 そういった準備を終え、発車待ちの列車が何本もホームに止まっているようなもの。
 いずれも実行しないまま、準備だけで終わっている。
 今回も車庫入りになるのかと思いながら、吉田は考え込んでしまった。
「準備なんてやりながらすればいいんだ。その都度。まずは走ってみること。これが大事だよ、吉田君」
 と、友人にいつも言われる。
「準備している時間で、やってしまえたりするしね。また、準備なんていらない場合もあるし」
 これも何度も友人から聞いている。
「完璧なお膳立て、それも悪くはないがね。そのお膳立てが完成品になる。完成度の高いお膳立てだとね。それで満足してしまう」
 これは吉田も知っている。
「問題は、君の準備作業、これだよ。これが問題なんだ。そこを直すべきだね」
 それも吉田は分かっている。だから何度も改良、改善した。それをすればするほど、いいお膳立てになるのだが、完成度が高すぎて、実行前に躊躇し、立ち止まってしまうため、間が開く。このワンテンポの遅れがあるとき、なかなか足が出ない。
 何かいい方法はないかと友人に聞くが、これも何回も聞いている。
「結局本番に弱いのはプレッシャーがかかっているからでしょ。そのプレッシャーは準備のしすぎでのし掛かるんだ。うまくいくはずだと。しかし、うまくいかないかもしれない。準備がいいので、うまくいって当然なのだが、万が一が怖い。そういうことだよ」
 今回も相談したのだが、やはり解決策にはならない。それで、諦めた。
 準備不足もいけないが、準備過剰もいけないようだ。
 
   了




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2020年04月02日

3708話 ある面接


 どうせ駄目だとは思うものの武田は面接を受けることにした。面接は三回あり、その初回。正社員だ。条件は悪いし、好きな仕事ではないが、選んでいる場合ではない。とりあえず会社員になることが目的。そうでないと周囲がうるさい。気に入らなければすぐに辞めればいい。一応就職活動をしているので、その成果をたまに見せないといけない。合格すればいい。これがフィニッシュで、その先はなかってもいい。つまりすぐに辞めてもいい。
 と、思いながら武田は面接会場の多目的ビルの前まで来た。
「面接の方ですね」
「そうです」
「案内します」
 多目的ビルは高層ビルで、しかも二つ連なっている。橋が二カ所架かっている。空中橋だ。ここで仕事をするわけではない。ただの面接会場で、会社が借りているだけ。
 武田は案内の人の後ろを歩いている。これも面接試験の一部かもしれない。立ち振る舞い、身のこなし方の。
 案内されたのは地階で、上ではない。地下も数階あり、駐車場も入っている。飲食店が入っているフロアと同じ場所に、関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアがあり、その中へ入っていった。
 楽屋裏にでも入り込んだような部屋。仕切りがあり、その向こうから年配の人が出てきた。
「月収は五十万です。安いですが、すぐに上がります。いいですか」
 武田はきょとんとした。その意味を考える以前の段階だ。いつもの面接会場の雰囲気とは全く違う。
「自宅勤務になりますが、よろしいですね」
「はい」
「あのう」
「何でしょう」
「あ、いや、なんでもありません」
 人違いのようだ。武田が受ける会社ではない。間違って武田を案内したのだ。
「仕事内容なのですが」
「選べません」
「はあ」
「一応役員です」
「役員」
「会社役員です。聞いてませんでしたか」
「あああ、はい聞きました」
「じゃ、ここに振込先を書いてください」
「ああ、はいはい」
「これで終わりです。何か質問は」
「自宅勤務で、その勤務なのですが、何をするのでしょうか」
「何もしなくても結構です。余計なことは」
「じゃ、自宅待機」
「役員会議のとき、顔を出してもらえばいいのです。月に一回、あるかなしです」
「分かりました」
「じゃ、これで採用というより、我が社に来てもらえると思っていいですね。特に契約書はありません」
 武田は保険はどうなるのか、年金はどうなるのか、などと考えていた。それがないと会社員らしくない。
 それを言うと、当然すぎることなので、苦笑された。退職金の額まで示された。ものすごい金額だ。
 武田は、その楽屋のように散らかった部屋を出て、飲食フロアに戻り、多目的ビルを出た。
 そして最初、案内してくれた人がいる場所まで来た。
 その人はもういない。
 面接は武田一人だった。
 そして、何気なく、ロビーを覗くと、催し物の札がぎっしりと並んでいる中に、武田が受ける会社の名前があった。面接会場は五階の第八会議室と書かれている。
 時計を見た。既に過ぎている。
 武田はぽかんと、その場で立ち尽くした。
 
   了
 



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2020年04月01日

3707話 思川物語


 奥思川。そこは山奥だが、里がある。そこに腕っ節の強い男の子が生まれた。別に異常ではない。異変が起こったわけでもない。よくあることだ。しかし少年になると、同じ世代の子供達の頭になる。山育ちの腕白にすぎない。これもよくあることだ。どの村落にでもあるだろう。
 ただ、青年になると、山を少し下り、川を下り、近くの村まで遠征に出た。ここも思川の村だが、奥思川ほど山奥ではない。奥が取れ、思川村となり、西思川とか東や南などを合わせて思川郡と呼んでいる。
 山育ちの奥思川衆は強い。特に腕っ節の強い三郎という青年が抜きんでており、その家来のような連中もそこそこ強い。それよりも三郎は賢かったのだろう。子供の頃から山を駆け回り、仲間達と狩りをしていた。獲物を追っているうちに、色々と知恵が付いた。これも何処の人間でも、同じだろう。
 しかし、成人になっても、まだ三郎の周囲には家来が付き従っていた。家業を手伝わないで。といっても田畑は僅かで、山仕事や川仕事で食っているような村。自給自足でやっていけるとはいえ、もう少し開けたところに出たい。
 大人達の、そういった望みを三郎が果たし始めた。奥から出てきて、思川に仮小屋を建てる者も現れた。これは奥思川の産物を売る直販所が名目だったが、徐々に思川に関わりだし、一寸した村同士のいざこざが起きたとき、奥思川衆が乗り出した。三郎が引き連れている山男達は武装していた。といっても山斧や山刀や弓程度だが。
 しかし、その集団に匹敵する武装集団は思川の村々にはいない。
 思川にはいくつかの村が点在しており、三郎は全ての村に関わり、やがて有力者の一人になった。というより、三郎しかいないようなものだ。
 その頃から名を思川の三郎と名乗るようになる。思川は広い。山深い場所だが、下ると平野部に出る。そこが本来の思川だ。そして海が近い。
 三郎は川の上流部で力を付けたのだが、その息子の代にはその一帯を支配していた。村人が受け入れたのは征服されたわけではない。その方が村同士のいざこざが減るためだ。
 そして三郎の孫の代に、山間部から平野部へと降りてきた。
 曾孫の時代、思川の平野部に館を構えるほどになり、思川そのものを支配した。
 三河の松平家が、奥三河から出てきて、三河を取り、徳川と名を改め、天下を取ったのに似ているが、そういうことが方々であったのだろう。
 
   了
 

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