2022年05月16日

4487話 内なる世界


 悪い状態が続いていても、何処かで流れが変わる。逆に良い状態が続いていても、何処かで流れが変わる。
 この流れは気持ちの問題ではなく、もっと具体的で、現実のもの。物理的な変化があればさらに分かりやすい。
 このままでは何ともならないと思う日が続いており、変化も殆どない。多少はあるが、悪い側での揺れのようなもの。
 しかし、それとは違う質のものが動くことがある。いい兆しのような。悪いことは悪いが、ちょっと今までとは違っていたりする。
 これは判断が難しい。迎え喜びになるので、楽観は許されない。期待しては駄目。
 その逆に良い状態が続いているとき、流れがちょっと妙なことになる。それでも良い状態で、振り幅の中でのことだが、ちょっと流れが違うように感じる。はみ出るような。これは悪い兆しではないかと心配したりする。
 何かが何処かで変わる。その前兆は確かにあるのだが、どう変わるのかは分からない。丁と出るか半と出るか。
 吉村はそんなとき、先へもう少し行ってみないと分からないと思うようになった。まだ、決め付けられないのだ。良いような期待、都合のいい期待をしてしまうため。実際には逆だったりする。
 だから、もう少し進んでみないと分からない。もう少し日が立たないと分からない。どうも確定しそうだと思えるところまで行ってみないと喜べない。
 その逆もあり、心配した前兆が、そうではなかったこともある。いずれにして、来るまで分からないが、来ていても分からなかったりする。
 先のことは読めないが、何とか読み取ることは出来る。しかし、それは想像だ。実際とは違うかもしれないし、予想通りのこともある。そこは曖昧。だから下手な予想や予感も当たっていたりすることがある。
 特に個人的なジンクスのようなもの。これが来るとあれが来るというような感じで、これこそ神妙性は何もないのだが、個人世界の中ではそう言う物語が出来ているのだろう。神秘性だ。
 この内なる物語と、本当の物語がぶつかる。内なる物語は、そこで書き換えられたりするのだが、話はそれなりに続いている。
 個人的な意見。この内なる物語やジンクスめいたものは流石に個人的見解以前のレベルなので、これは黙っているだろう。
 それに、そんなお伽噺のようなのを人に言っても通じなかったりする。
 その個人だけが知っており、理解しており、慣れ親しんでいる内なら物語世界。
 こういうのがその人の本質だとすれば、怖い話だが、幼稚なお伽噺だが、それが指しているものに何かあるのだろう。
 
   了

 
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2022年05月15日

4486話 古着屋の客


「雨ですねえ」
「梅雨ですかねえ」
「それはまだ早いですが」
「梅雨入り、まだでしたね。まだ聞いていない。そうでしたねえ。言ってませんでしたねえ」
「私も聞いていませんから、梅雨入りはまだでしょ」
「じゃ、この雨は何でしょう」
「雨は雨ですよ」
「そうなんですが、梅雨の前の雨ですか」
「時期的にはそうです」
「じゃ、これも梅雨に含めてもいいんじゃないですか」
「いや、まだ降り出してから丸一日経っていない。明日も雨、明後日も雨なら臭いですがね」
「水臭いではなく、雨臭い」
「梅雨時の湿気の匂いかもしれません。かび臭いような」
「このまま梅雨入りしてしまうんじゃないですか」
「この雨が続けばね。しかし、三日ほど続いても、まだこの方面での梅雨入りは早すぎるので」
「そうですねえ。この雨、今日中にやみ、明日からカンカン照りの好天が続くかもしれませんしね」
「そうなってもおかしくない時期です。梅雨まで、まだ早いので」
「ところであなた、この雨を突いてどちらへ」
「ちょっと野暮用で、ついでに、ここに立ち寄りました」
「まあ、商売なので、いつでもどうぞ」
「でも雨じゃ客は少ないですねえ」
「それは分かりきったことなので、何とも思いませんよ。暇なので楽です」
「あ、長話してしまいました。じゃ、行きます」
「ちょっと降りがきつくなってきましたよ。もう少し待ってから立たれては如何ですか。粘ってもかまいませんよ。お茶ぐらい出しますし」
「そうですか。ではお言葉に甘えて」
「どうぞどうぞ」
「でもこんな町外れなのに、どうして呉服屋なのですか」
「古着屋です」
「でも、人通りが少ないでしょ」
「買いに来る人は来ます。こういう場所のほうが買いやすいのですよ」
「儲かりますか」
「ぼちぼちです」
「しかし、これで食べていけるのですから、羨ましい。私も何か店でもやりたいと思っているのですが、素人じゃ、何ともなりませんよ」
 そこに怪しい浪人者が入ってきて、主人に目配せした。主人は分かったとばかり、目で合図し、奥へと導いた。
 客はそれを見て、場違いな人が来ているので、ちょっと驚いた。
 さらに旅のくたびれた坊主が入ってきた。同じように、主人に目配せした。
「私、そろそろ出ます」
「本降りになってますよ」
「いや、いいです」
「じゃ、お気を付けて」
「あ、はい」
 
   了


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2022年05月14日

4485話 奥佐来村岩下の霜蔵


 奥佐来村の岩下に住む霜蔵を訪ねてくる人が多い。佐来村から少し行ったところの山沿いに奥佐来村があり、その中の渓谷沿いにある集落を岩下と呼んでいる。
 奥佐来村そのものも川沿いに出来たコブのような場所で、ここでさえ辺鄙な場所。そこから岩下となると、結構な距離がある。
 しかし、佐来村まで来る人がそれなりにおり、いずれも見知らぬ旅人。こんなところに来るような用事はない。行商は来るが、決まった人なので、馴染みがある。
 しかし、どう見ても旅慣れた人とは思えない商人や武家。僧侶さえもいる。諸国を遍歴しながら、岩下まで来たわけではない。
 佐来村でも霜蔵を訪ねてくる人が多いので、またか、という感じになる。それで、奥佐来村の岩下を教えるが、実際に出合った人からの話は聞かない。
 岩下まで行き、戻ってくる人はいるが、素通りしてしまう。
 中には別の道を取ったのか、佐来村を通らない人もいるようで、行きの姿は見るが、帰りの姿は見ないまま。
 佐来村で道を教えた村人は灯明を灯し、拝み出す。
 奥佐来村内にある岩下。そういう集落が何カ所かあり、その中でも岩下は一番奥まったところにある。当然人は住んでいる。奥佐来村の村人なので、普通の人達だ。
 崖っぷちに近いようなところに家が建っていたりするのだが、田畑はある。そこの人達は霜蔵は知っているし、その家も分かっている。しかし、滅多に見かけないらしい。
 元々は佐来村の人で、わざわざ奥佐来村に引っ越してきた。畑仕事をやるわけではなく、家に閉じこもり、何やら作っているらしい。仏師にでもなるのか、修行中なのか、それはよく分からない。
 人がたまに訪ねてくるのは、仏像と関係しているのだろうと、佐来村や奥佐来村の人達も、そう思っている。
 しかし、行きの荷物と帰りの荷物が同じで、仏像を持ち帰る姿を見たことはない。
 余程小さなものなのかもしれない。
 佐来村出身の霜蔵だが、その実家は既にない。霜蔵の一家は祖父の代に佐来村に来た人で、元々の人ではない。
 その祖父がどこから来たのかは分からない。何をしていた人なのかも。ただ、佐来村ではただの百姓だ。
 その祖父からの縁が、霜蔵にはあるのだろうか。そして村人達は仏師だと言っているが、そうだとは言い切れない不思議さがある。
 なぜなら霜蔵を訪ねてきた人達は、ちょっと異様な雰囲気がある。武家も僧侶も商人もいるが共通しているのは、何やら思い詰めたような人達に見える。
 得体の知れぬ、何かがあるようだ。
 
   了

 
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2022年05月13日

4484話 気楽


 中村という仕事人がいる。単に人に使われ、働いている人。仕事をしている人だが、一人でコツコツとやっていく仕事ではなく、人の中でやる仕事。中村は補佐とか助手とかアシスタントとか秘書とか、そういったことをやっている。メインではない。
 ただ、メインの人も、その上の人の命で動いているので、似たようなものだが。
 中村の同僚は多くいる。この組織の中では一番多い。だから、その中では目立たない。その中でも特に中村は目立たない。存在感が薄い。
 これといった特徴がなく、中村を連れて行けば、こういうメリットがあるとかはない。頭数の一つ。また、横にいるだけで、何もしていないこともある。
 ただ、一人で行くのと二人とでは違うので、そんなとき、中村を連れて行ったり、同席させたりしているのだが、これが結構人気がある。
 その人気は本来の人気ではなく、誰でもいいが誰かを、というとき、中村を思い出す人が多い。それで出番が多い。
 特色らしい特色、また得意なこともなく、それなりのことは出来るが、それほどレベルは高くはない。将来、そちらを伸ばせば、一人前になれるようなこともないはず。
 何処にでもいそうなありふれた人材。しかし、その組織では意外と少ないのだ。特徴とか、個性とか、そちらを発揮させようとする人の方が多い。目立つように。
 しかし、使う側としては、面倒臭いのだ。逆に張り切りすぎる部下は扱いにくい。気を遣ったりする。
 その点、中村なら気を遣わなくてもいい。言われたことはそれなりにこなしてくれるが、最低限に近い。
 言ったことの倍ほどの働きをしてくれた、というようなことはない。少し足りないときがあるほど。これが使いやすいのだ。気兼ねなく使える。
 それに補佐とか、助手とかに任せる仕事はそれほど大したことではないので、多少足りなくても、大きな問題にはならない。それにそこまでは任せないし。
 ある日、中村のそういう面について気付いた人がいる。なぜ使いやすいのか。なぜ同行や同席、またちょっとした手伝いを頼みやすいのかと。
 中村よりもよくできる人の方が多い。そこが嫌なのかもしれない。場合によってはメインよりもサブの方が凄かったりすると、これは使いたくないだろう。その点、中村なら安心。
 中村は地味で、口数も少ない。愛想や世辞なども言わない。任されたことを素直に淡々とこなす。
 平凡なもので、普通すぎるほど普通だが、意外とその組織にはいないのだ。
 そして、今日も中村は忙しい。サブが中村だと気楽なので使い勝手がいいので。
 
   了

 
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2022年05月12日

4483話 低テンション


 天野のテンションは今日は低い、感情の高低が少ない。幅が狭い。
 テンションの高さは良いことでも悪いことでも、調子に勢いがある。感情の上げ下げ、下がったときでもエネルギッシュ。より感情を露骨に出たりする。
 その意味で今日の天野は物静か。だが、見た限りでは単に元気がないような感じ。
 喜ばしいことがあってもそれほど楽しそうにはしないが、逆に悲しいことがあってもそれほど悲しまない。これは得なのか、損なのかは分からないが、楽しいときは損だろう。悲しいときは得かもしれない。
 それで、今日はどうしたのだろうかと、感情の起伏の乏しさの原因を考えてみた。思い当たることはないが、そんな日がたまにある。それで支障を来すわけではなく、天野に変化があるわけではない。それは見た目だが。
 この感情の起伏の幅をもっと縮めれば、無感情になりそうだが、感情はあるだろう。ただ、その反応が小さいだけ。
 しかし、その心持ち、心の持ち方だが、悪くはない。疲れない。
 無感情で無表情ではないものの、何か、しらっとした感じ。物事に白けてしまったときのようなものだろうか。
 しかし、白けているわけではなく、反応が低いだけ。また無気力ではなく、逆に気力はいつもより高いかもしれない。それが底の方にいるのだろう。表に出てこない。感情となって。
「天野君。それは悟りの境地だよ。危険だからすぐに戻しなさい。で、それで、今はどうなの」
「ああ、今は戻っているよ。昨日がそうだっただけ。でも途中から戻った。だから一日中ではないよ。長くそんな気持ちが続いたわけじゃない」
「そうだね。いつもの天野君だ。安心したよ。まさか悟ったのではないかと思い、心配したよ」
「あのまま行けば悟っていたかもしれないけど、元気がないときと同じようなものだったよ」
「そうだよ。気持ちが派手にドタバタするのは生きてる証拠。そのジェットコースターがいいんだよ」
「でも疲れるでしょ」
「その疲れもいいんだ。快い疲労感。そうやって発散することが生きているということなんだからね」
「若いのに、年寄りみたいなことを」
「こんなことはうんと若い青二才のときの方がしっかりしたことを言うものだよ。年寄りの方が青かったりする」
「それは知らないけど、最初から物静かで、大人しい人っているだろ。あれは悟っているのかなあ」
「何を持って悟りというのか知らないけど、天野君がはまり込んでいた状態に近いんじゃないのかな。感情の振り幅が小さく狭いだけで感情の起伏はあるんだ。まあ、生きている限り感情とか感覚から逃れることは出来ないから、生身の人間では悟れないだろうねえ。近付けるが。それでも街中で住んでいると駄目だろう」
「でも感情の起伏が狭い目のときはいい感じだったよ。長く続かなかったけど」
「原因は何?」
「さあ、分からない。あるんだろうけど、思い付かない」
「あ、そう。諦観とか、傍観とかもある。自身に対しても傍観。だから、まあ、適当でいい加減な生き方の方が安全なんだ」
「振り幅が狭くなったら、また振り直せばいいんだね」
「そういう事よ」
 
   了



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2022年05月11日

4482話 愚鈍の嫡子


 戦国の世。親兄弟でも争うような時代だったらしい。実際、そのような戦いが記録されている。これは兄弟ではないか、親子ではないかとすぐに分かるような。
 渡井家の家督争い。よくあることで、嫡子の源五郎よりも次男の徳次郎が有力視されていた。源五郎は愚鈍。つまり頭のキレが鈍い。しかし馬鹿ではない。それに家臣へのウケも悪い。愛想がないというよりも鈍いのだ。
 その逆を行くのが次男の徳次郎。三男もいるが、まだ子供。
 次男の徳次郎が殿様になった方が家臣は何かと都合がいいのだろう。それに他国に対しても愚鈍を殿様にするよりはいい。
 嫡子の源九郎に付いている家老は年寄りが多い。父親が付けたのだ。重臣ばかりだが、もうそれほどの力はない。
 これで、流れは決まったようなもので、急死した領主に代わり、次男が相続することに決まりだしたのだが、その寄り合いで、村岡という家臣が反対した。
 嫡子とは跡取り。それが決まっているのに、次男ではおかしいのではないかと、正論を述べた。これで、決まってしまった。何故なら、誰も逆らえないのだ。
 村岡重蔵、家臣団の中でも勢力が強いだけではなく、戦の時は村岡軍が仕切っている。当然渡井家の主力軍であり、外敵との戦いは、殆ど村岡軍がやっている。
 それだけではなく、内にも睨みをきかせる存在。渡井家がこのあたりを治めているのも、この村岡家の武力なのだ。戦闘集団と言ってもいい。
 だから村岡重蔵には逆らえない。この村岡重蔵が次男に付けば、話は逆になるが、嫡子がいるのに次男ということになれば、これは先代に対する謀反になる。
 しかし、そんな無理をしなくても、次男が良かろうというのは大半の意見。すんなり通る話ではある。
 それで、跡継ぎは嫡子に決まった。決めなくても最初から決まっているのだ。
 それであとを継いだ愚鈍の殿様だが、年寄りの重臣達が先代並みに引き立て、何とかなかった。
 これを決定付けた村岡重蔵は重職には就かず、まつりごとはしなかった。
 余程渡井家に恩があったのだろう。
 
   了

 

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2022年05月10日

4481話 玉葱を見た

玉葱を見た
 今村は通りがかりの小道で、玉葱を見た。道に沿って畑があり、そのひと畝ほどに玉葱。既に収穫できそうな案配。すぐにでも食べられそうな。
 その玉葱を見て、照らし合わせた。記憶と。そこには今まで見た玉葱が記憶されているはずだが、忘れているのもある。その中のどれに近いかを。
 土から玉葱の玉が露出している。当然茎のようなネギのようなのも伸びている。この姿で見る玉葱は店屋で見るものとは違う。玉だけなので。
 だから、そこをカットして、玉箇所だけを見る。
 何をしているのだ。そんなところで。
 しかし、まじまじと見ていたわけではない。見たのは一瞬。数秒。それ以上は見なくてもいいので、その場を去った。
 泥棒でもするつもりか。しかし、玉葱が好物なわけではなく、また持ち去っても大した値段にはならないだろう。それにどこで現金化するかだ。そんな場所は知らないし、やっている行為が丸見えではないか。いかにもの玉葱泥棒。
 そうではなく、玉葱だと認識するのは、それは知っているから。同じものではないし、品種も違うが。
 しかし、一年を通して、今村は玉葱を見ている。スーパーで。
 それでかなりの種類の玉葱を知っている。大きくて高いものから、小さくて安いものまで。球のようなものから、平べったいものまで。だが形はほぼ同じなので、これはそんなに変わった形のものはない。
 むしろ皮の色だ。玉葱の皮。これは有名だ。玉葱は剥き続けると、もう何もなくなることで、よく聞く話だが、皮はせいぜい二枚ぐらい。これを剥いてしまえば、あとは白っぽい肉の箇所だ。実際に食べる場所。そこまでは剥かないだろう。
 それで、玉葱を畑で見たとき、どの玉葱に相当するのかを思い出した。
 するとよくある形でよくある大きさの標準的なもので、これが一番玉葱として思い浮かべたときに出てくる映像だろう。
 だから玉葱があると思っただけで、妙な玉葱とか、変わった玉葱があるとは思わなかった。玉葱一般。
 ただ、玉がまだ青い。そこが違っているが、まだ早いのだろうか。それを差し引けばいい。中には茶色い皮に変わっているのもある。
 これは玉葱を知らない、一度も見たことがない人なら玉葱とは見えないが、知っている人なら誰が見てもそれは玉葱だ。
 玉葱であることが分かればそれでいい。人により見え方が違うなど、細かいことを言い出すと面倒臭いことになる。
 同じ玉葱だが、世の中には二つとして同じ玉葱はない。しかし、そういうのも含めて玉葱といっている。一括りにして。
 本当は自分が知っている玉葱とは少し違うとは言いたい場合でも、ジャガイモと間違わなければ、それでいいのだ。
 それに今村はその程度の関わりしか玉葱にはないので、畑の玉葱を見ても、ああ、玉葱だと思う程度でいいのだろう。
 
   了


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2022年05月09日

4480話 マンネリ病


 同じことばかりしていても飽きないことがある。飽きるから別のことをするのだろう。
 だから飽きないのなら、他のことや別のことをする必要はない。本当に必要なことなら別だが。
 黒橋は以前ならすぐに飽きて、別のことをやり出したり、他のものを物色していたのだが、最近は飽きなくなった。むしろ快い。
 同じことといっても日々変化があり、決して同じではない。それに気付きだしたのだ。以前からそれは分かっていることなので、新発見ではない。
 やっていることは同じなのだが、こなし方が日々違う。それは作ったものではなく、そんな流れになったり、そんな状況になったりするため。
 中身は同じだが、周囲の影響も受けるのだろう。だから変化する。当然黒橋も。
 僅かな揺れだ。これが変化で、それをがあるので飽きなくなった。
「黒橋君、それをマンネリと呼ぶんだ」
「そうかな。マンネリなら飽きるでしょ。でも飽きないのでマンネリじゃない」
「だからマンネリの麻酔を受けているので、飽きないんだ」
「そんな麻酔、受けていないよ」
「マンネリすると、そういう症状になる。本人は気付いていない。同じことばかりやっている。飽きないでね。だから、飽きなくなれば立派なマンネリ」
「でも変化しているし」
「その程度では変化といえんだろ。中身は同じなんだから、中味の変化がないので、同じことを繰り返しているだけ」
「厳しいなあ。楽しいのになあ」
「楽しい?」
「ああ」
「それは重症だ。その無限ループから抜け出さないと進歩はないよ」
「ああ、その進歩。いらないんだ。そのうち進むと思うから。色々とアタックの仕方を考えている。だって毎日変化するので、対応するためにね」
「それは接し方の変化であり、進歩であって、そのものの進歩発展じゃない。拡がりを持たない。それに早く気付くことだ。そうでないと酔生夢死」
「厳しいなあ。そんなに悪いことなの」
「まあ、黒橋君がそれでいいというのなら、何も言わないがね」
「進歩じゃなく、停滞の方が落ち着くんだけど」
「マンネリに罹った人はそういう」
「でもずっとそこに踏みとどまるためにはそれなりの努力をしているよ。工夫とかね。それは毎日やっている」
「一体何をやってるんだ」
「話が細かすぎて、言っても分からないと思うけど、何度も失敗し、上手くいかないこともあるんだ。それを解決したときは気持ちがいいよ」
「分からん世界に入り込んでいるとしか思えん」
「だから、マンネリでしょ。ただの」
「黒橋君」
「何か」
「君とはその話ばかりしているので、もう飽きたよ」
「あ、マンネリ」
「捻りなさい。練りなさい。万と」
「じゃ、万練りですね」
「う」
 
   了


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2022年05月08日

4479話 メインターゲット


 いつも気にしているメインターゲット。ある日、すっと横から入り込んだ新しいもの。新田は最初はそれほどでもなかったが、気になりだした。
 メインターゲットとほぼ同じもの。これは受け止め方で違うのだが、新田が気に入っているものと同じ傾向。
 新しいだけに新鮮。そちらの方が今は気になっている。メインターゲットには慣れ、少しくたびれてきた。それ以上の展開が期待できなくなってきたこともあり、最近は義務のようになっている。安定はしているのだが、小手先だけ。
 それが伸び盛りの頃はよかった。それと同じ状態でどんどん前へ進んでいく新たなターゲットを見付けたとき、そこで世代交代だと感じた。
 新田が接しているその世界。メインも長くは続かない。交代時期が早い。あるところで消えてしまう。もう伸び代がないためだろうか。
 それでも定番中の定番になっているので、まだまだ寿命はある。しかし、実際にはそのあと来た少しだけ世代差のあるタイプが、一気に登ってくる。
 新田はそれを見て、今までのメインターゲットが色あせてきたように感じた。当時は比べるものはほぼなかったのだ。しかし、それも長くは続かない。メインターゲットのナンバーツーやスリーからではなく、もっと下の方からいきなり現れる。
 これは時代もあるのだろう。数年前よりも、より今の状況に合ったものへと洗練され、伸ばすところを心得ている。ツボだろう。つまり、絞り込んできたのだ。
 新田の接しているその世界。これが世界の全てではないし、世の中の風潮でもない。その逆になっているものもあるだろう。また、昔から殆ど変化のないものも。
 また、その世界そのものが、もう消えてしまった場合も。
 多種多様。パターンも一つではない。そこで通用する常識が、他では通じなかったりもする。
 消えてしまった世界、これはジャンルでもいい。カテゴリーでもいい。
 あれほどピラミッド構造のように階層が多かったものが、たった一つになってしまった例もあるだろう。
 また相も変わらず、ずっとあり続けるものでも、そのものは変わらなくても、受け止め方が時代によってどんんどん変わってくる。
 新田は新たなターゲットを発見したとき、そんなことを思った。対象も新田も急激ではなくても、何らかの変化をしていることを。
 しかし、よくある話なので改めて言うほどのことではないが、実体験すると、より実感するものだ。
 その世界が、たわいのないものでも。
 
   了

 

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2022年05月07日

4478話 ささやかなもの


 吉田は弱っているとき、ささやかなものでもいいと思うが、元気になると、もう少しましなものの方がよいと思うようになる。
 何がましなのかは分からないが、ささやかなものよりもいいものだろう。ただ元気がないとそんな欲も沸かない。
 ただ、一度ターゲットにしたものは、弱っていてもまだ覚えており、狙っていることは確か。すぐには無理だが、そのうち、と。
 それで元気というか普通に戻ったとき、ささやかなものなど、もう忘れている。それでは物足りないのだろう。少し背伸びをしたものを狙う。だが、これは背伸びなので、伸ばしても手が届かなかったりする。飛び上がったりすれば別だが。
 それで、上手くいかなくなったとき、弱っているときに思っていたささやかなものを懐かしく思い出す。
 やはりそこが身の丈に合っているのだろうが、よく考えると、ささやかすぎる。だからその気が起きないが、気にはなるものだ。
 弱っているとき、それがよかったのだ。これなら何とかなるだろうというレベルだったが、弱っているだけにまだまだ遠かったのだろうか。
 そして元気になると、それは遙か下。簡単なこと。だから魅力がない。もう欲しいとも思わない。
 すると永遠にささやかなものとは縁がないことになる。ただ、そこに魅力を見出せれば別。
 ささやかなもの。これは意外としぶとく、図太く、手強いものかもしれない。思っているほどささやかではないような気がする。強敵なのだ。ターゲットとしてはかなり上ではないか。
 しかし、見た感じ簡単そうだし、誰にでも出来そうなことなので見くびってしまうのだ。
 吉田はそれに気付いた。ささやかなものの強さのようなもの。
 それを考えると、並大抵なことでは無理な目標のような気がしてきた。深読みしすぎたのだろう。
 そして、それは弱っているときは簡単に見えるのだから、不思議だ。
 
   了




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