2018年06月19日

3660話 世界


 行く機会が減った場所は、もう自分の世界から消えてしまいそうになる。二度と行くようなこともなければ、世界から消えたも同然。ただ普段からその場所のことを考えたり思っていると別。実際には行っていないのだが、自分の世界の中ではまだ存在している。
 行ったり行かなかったりの場所。これは中途半端な場所で、消えたり顕れたりする。
 全くの新しい場所は世界に組み込まれるかどうかはまだ未定だが、実際にそこに立っているときは確実に自分の世界の中にある。それが消えてしまうものなのか、または世界としてあり続けるのかはまだ未確定。
 こういうことは勝手にやっていることで、珍しいことではない。しかし、世界を作る動きもある。最初からそこにある世界ではなく、自分で作ったり、見いだした世界。これは地理的な場所とは違う世界だが、重なっていることもある。
 世界を生み出す。これは作為的なことで、簡単には手に入らないし、行けない。ただ、その手前程度なら行けるかもしれない。途中程度なら。
 個人の持つ世界観は個々バラバラなのだが、当然共通することも多い。一人一人に世界があるのは組み合わせ方や感じ方が違うためだろう。しかしその個人の世界、何でもないようなものかもしれない。
 病気などで伏せっていたり、外に出るのが厳しいときや、また他の用事で、最近ご無沙汰となっている場所、当然人もそうだが、近所の道沿いもそう。毎日通っていたところへ行かなくなると、もう自分の世界からは消えている。しかし完全に消えたわけではなく、まだまだ残っているのだが、行けない事情があると、当分、そこの世界はお休み。しかし単なる通路であり、道なのだから、そんなものは大して意味はない。そして行けるようになったとき、風景も戻る。それは自分の風景。
 自分が持っている風景なら見渡す限りの土地を所有していないといけないが、そうではなく、自分に付着していた風景。
 この風景の戻りは、自分の世界に戻れたような気になる。なくした世界を取り戻したような。
 風景を見る。これは何でもないこと。大きな意味はない。特に日常風景がそうだ。しかし意外と日常風景、いつもの風景が消えることは、何かがあったのだろう。まあ、引っ越せばそんなものだが、毎日見ていたようなものとはもう簡単には出合えない。その代わり新規の風景が開くのだが。
 風景そのもの、ある世界そのものはあまり変化しない。いつも見ている山など、毎年形を変えるわけではない。ただ、子供の頃に見ていた山と大人になってから見る山とでは山の感じは違うだろう。山だけを純粋に見るのなら別だが。
 そして大人になれば近所の山などあまり見ていない。既知のものしてあるため、それ以上興味がいかない。
 さて、世界だが、これは風景だけではなく、出来事などが加わるし、一番大きいのは存在という問題だろう。
 そして一般的に言われている世界観とは一寸違う。なし崩し的に世界が消えたり顕れたりもする。
 
   了



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2018年06月18日

3659話 帝王切開


 何事にも寛容で、懐も広い人だが深さがない。こういう人が議長になっていた。ある団体の作戦会議室のようなものだが、そんな部屋があるわけではない。大事な取り決めなどがあった場合、集まるところ。
 その議長が大宇陀。しかし、寛容すぎるのか、物事を自分で決めるタイプではない。みんなの意見を広く聞く。ただ聞くだけで、それをとりまとめた上で自分の意見を言うわけではない。意見らしきものがあったとしても、言わない。
 大宇陀が議長をしているのは、他の人では意見が最初から偏るため。つまり大宇陀は中間派。だが、中間派とはどっち付かずで曖昧。
 この団体の方針を本当に決めているのは、この会議室ではなく、この団体の代表者の外戚。つまり会長の奥さんの里。
 だから会議などなくてもいいのだが、一応みんなで決めたというアリバイのようなものが欲しい。皆で集まって決めたじゃないかと。
 そのため、議長の質など問題にならない。何も決められない人なのではなく、勝手に決められないため。それに外戚の意見と違っていてはまずい。それに合わせるためにすりあわせるのが大宇陀の役目。
 そのことは、会議のメンバーは既に知っている。この会議そのものが茶番だということも。
 外戚に逆らうことは会長にはできない。その奥さんと結婚したときからそれは分かっている。またそのために結婚したようなもの。だからこの団体の主は会長ではなく、この女王。その父は帝王。
 この関係はまだまだ数年続くはず。帝王は元気で、弱るような年ではない。
「帝王切開ですか」
「そうです。帝王を切りたい」
「大宇陀さんにしては珍しい寝言ですなあ」
「ああ、私が言えば全部寝言に聞こえるかもしれませんがね」
「それで、どうなさるのです」
「いつも会長から内案を頂いています」
「内案?」
「こういう風に決めよとの内意です」
「それは知っていましたが」
「その内案は女王経由で帝王から来ています」
「そうですねえ」
「そして女王に命じているのは帝王です。だから結局は帝王の指令なのです。内案の出所はね」
「だから帝王を切ると」
「そんなことはできませんが、決め事は会議室で行うのが筋です」
「いやいや、だからそれは最初から出来レースでしょ。それを引っ張っているのは大宇陀さん自身じゃありませんか」
「会議室で決めたことがこの団体の方針となります。だから会議室なのですよ」
「それは分かっていますが、大宇陀さんがいるかぎり、それはできないでしょ。またあなたがいなくなっても同じことです。どうせ次の議長も内意通りに引っ張る」
「内案は内案。まあ考慮しましょう」
「それはあなたの立場上できないでしょ。首になりますよ」
「一度やってみましょう」
「どのように」
「普通に会議をし、意見を戦わせ、そこで決めます。最後は私が落としどころを見つけて決めます。多数決じゃなく」
「それが本来ですがね。無理ですよ」
「いや、私ももう年だ。最後の最後は、イタッチぺをかまして終わらせたい」
「おやめになる覚悟で」
「最後ぐらい、自分の意見を言って終わらせたい」
「分かりました。盛大な送別会になるでしょう」
 そして、次の会議での帝王からの内案が届いた。
 大宇陀をそれを読んだ。
 自分の意見と同じだった。
 
   了


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2018年06月17日

3658話 一人弁当


 岸和田は自分より劣っている者を見て馬鹿にするよりも同情する。これは気持ちが分かるため。結局人はどこか劣っている箇所がある。それが目立たない箇所だったり、メイン箇所でなければ、問題はない。劣っている箇所がない人などいない。
 岸和田が一番同情するのは小学校の遠足などで一人で弁当を食べている人だ。人というより子供だが、将来が楽しみだろう。まだ若い、それ以前にまだ世に出る前の子供時代から苦労している。
 これは一緒に食べてくれるグループや相手が一人もいないため。だが、そうではないかもしれない。母親が作ってくれた弁当が寂しい物なので、それを見せたくないとか。
 そういうのを見ると岸和田は嬉しいものを見たような気になる。決してうれしがるようなものではないのだが。
 しかし、一人で弁当を食べる子は、そんな感じではなく、若い頃、といってまだ子供だが、孤独を愛しているのかもしれない。この時代から孤高の人。何が孤高なのかは分からないが、雰囲気だけは先取りしている。
 一緒に食べてくれる相手がいたとしても、無視し、離れたところで食べている。山なら岩の上だ。誰とも食べてくれなかった子は岩の裏。一人で食べているのが見つかると恥ずかしいため。
 しかし、その岩陰にもう一人の子が入ってきた。同類だ。ここで生まれた連帯感は大きい。特に親しくしたくもない相手であっても、選択肢はないのだ。これにより遠足で一人で弁当を食べたという事実から解放される。決して詭弁ではない。
 弁当解散というのがある。食べるために散ること。一人弁当タイプの子は安全地帯のない場所をさまようようなもの。どこへ向かえばいいのかも分からない。めぼしいグループや相手はいない。そういうときはそこで弁当を広げるのではなく、その辺を探る。とどまると一番目立つ中原で弁当をひろげるようなもの。そしてそこには先生がいたりする。
 先生が一緒に食べようか、などと誘うと、これは論外。もっとも厳しい刑になる。地獄にもそんな刑はないほどきつい。
 まずは人が少ないところへ向かうか、隣のクラスのいる場所へ紛れ込む。中には入れないので、その近くの曖昧な箇所。そこは国境の辺境。
 人目のつかない場所へ行くには、弁当の前に、その辺りを見学している振りをして、岩陰がなければ茂みの中に身を隠す。すると、先に逃げ込んだ子がいたりするが、このときも、目と目が合えば互いの事情は痛いほど分かっているだけに、何も言わない。
 こういう子たちは社会に出ればもっと苦労するだろう。しかし、子供時代から磨いた回避の方法を身につけている。それは解決策にはならないし、通じないことも多いが。
 しかし、学校では教えてくれないものを自習する。そしてそういう経験が大人になったとき、ものすごい社交上手になり、一番日の当たる場所にいる人気者なる、ということは残念ながら岸和田は思っていない。
 一人の世界。これは共有された世界より、当然広い。
 
   了



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2018年06月16日

3657話 術中に填まる


 浮世離れした暮らしぶりの村田だが、浮世にいる限り、浮世からは離れられない。この世は全て浮世。浮いているのだ。見るからに浮いた暮らしぶりの人もいれば、地に足を付けた地道な人もいるが、どちらもまた浮世。浮かれないようにしているのだが、完全ではない。浮世が入り込んでくる。
 世間から離れたところに暮らしていると、そこは世間から遠いだけに、そこまでやって来る人は地道な人ではなく、浮いた人が多い。つまり、普通の人ではなく、一寸特殊な人が訪ねて来る。これはわざわざ探してまで会いに来るのだろう。
「隠れ住む策士とはあなたですね」
「そんないいものではない。ただの世捨て人」
 世捨て人に近付いて来るのは普通の人は少ない。普通の人は世捨て人など相手にしないし、用もない。
「先生ほどの方が、こんなところで埋もれていらっしゃるとは」
「それほど大した人間じゃないから、山に捨て捨てられたのじゃ」
「是非当家にお越し下さい」
「私をそういう風に見てくれるのは有り難いのですがな、実は見かけ倒し」
「ご謙遜を。また、たとえそうであってもかまいません」
「そうであってもか」
「はい」
 村田は世に知られた策士。この策士というのは嫌われている。村田も嫌われるのがいやなので、策士をやめ、山中で暮らしていた。しかし、それは表向きではないかと浮世の人は見ていた。これこそ、この策士の策。分かりにくいところに暮らし、見つけてもらうまで待っているような。あるいはその痕跡を残し、探されやすいように仕掛けていたのではないかという疑いがある。
 これが策士村田が作った罠なら、三度断り、四度目に引き受けるはずだが、五度も六度も断った。
「やはり村田先生は本物でしょ」
「でもどうして断るのでしょうなあ」
「当家が気に入らないとか」
「私はまがい物と見ております」
「偽物」
「そうです。偽策士」
「偽物なら、引き受けるでしょ」
 七度目に訪ねたときは、現生を持って行った。現金だ。
 村田は断らなかった。
 しかし、準備が遅れてか、なかなか山から下りて来ない。
 心配し、見に行くと、もぬけの殻。
「流石策士、まんまとやられましたなあ」
「欲しいのう。あの村田いう男」
「はい、また探すことにいたします」
「そうしてくれ」
 
   了



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2018年06月15日

3656話 プレッシャー城


 広田は一日少しだけ仕事をしている。ほんの少し、小一時間ほど。もう隠居さんなので仕事はしなくてもいい。そこから先、何かをするとすれば隠居仕事になる。これは好きなことをすればいいのだが、そういうものは広田にはない。
 仕事とは与えられたものをすることで、頼まれないとできないし、命じられないとできない。そのため自分で勝手に作った仕事は広田の中にはない。自分のためにやるような仕事など、仕事ではないと思っているし、そういうものも思いつかないので、隠居仕事もない。
 それでも毎日小一時間ほどやっている。これは頼まれた仕事のため。しかしバイトのようなもの。バイトは広田の辞書では仕事と言わない。時間給としては悪くないが、一時間以上続ける根気がなくなっているので、それ以上時間をとれない。時間はいくらでもあるのだが、無理のないところで小一時間と決めている。
 しかし、これも長いようで、実際にはその半分ほどの二十分程度が限界。がんばれば小一時間は続けられるが、集中力がなくなるので、仕事が粗くなる。単純作業なら何時間でもできるが、判断が難しく、しかも曖昧で、解答がないような仕事なので、無難にこなすだけでも難しい。
「たまには休むか」
 仕事は夕方前にだけやっている。それが決まり。毎日医者へ通っているよなもの。その夕方が近づくと気が重くなる。広田にとり、それが一日の中の関門。これを毎日通らないといけない。結構プレッシャーになっている。その時間帯でなくてもいいのだが、朝から気の重いことをしたくないので、時間をずらしていくうちに夕方前になった。夕食後になると、腹が張るので頭も回転しなくなるし、夕食後はくつろぎたい。
 だから夕食前にすませることにしている。ここをはずすと、もうしない。しかしそんなことは一度もなく、やることが決まっている日は必ずやっていた。
「たまには休むか」と思ったのは、このプレッシャーから解放された日を作りたかったため。しかし、別に毎日やらなくてもかまわない内容で、毎日やっているのは癖のようなもの。そういう決まりだと思えば、少しは楽になる。辞書にはないが仕事なのだからと。
「休むと後がしんどい」
 これは仕事がたまるからではなく、一日置くと次の日の立ち上がりがしんどい。プレッシャーが倍ほどかかる。また「毎日やっていること」にはならない。昨日はやっていなかったのだから。
「たまにはいいか」と思ったのは、うれしいことがその日あり、それに夢中になりたかったため。夕方前の関所があると、安心して喜べない。それで、その日、関所を取り払った。
 関所がないので、すらすらと夕食前を通過し、食事も終わり、くつろいでいたとき。何か違和感がある。夢中になれるほどいいことはすでに終わっている。そのために休んだのだが、休んだことがどうも気になる。楽しいことは確かに果たしたのだが、果たし終えると、それほどのことでもなかった。逆に期待していたものとは違っており、少しがっかりした。満足度が低かったのだろう。
 その日は土曜。翌日は日曜。
「土日なら世間並みに休んでもよかろう」と、関所のない日を増やすことを考えた。
 そして翌日の日曜、関所はなく、特に何かをしたわけではないが、一日が楽だった。
 二日休んだことになる。
 すると月曜になると、遠くに見える夕方前の関所が一段と高くなっているのが見えた。プレッシャーの敷居が数段上がっているのだ。これはもう近づきたくない高さ。大阪の陣の真田丸のように要塞に見える。これを落とすとなると苦労しそうだ。
 いつもの関所は、それほど高くない。しかし二日分の休みが効いており、行く手を大きく塞いでいる。
「休むとこれがある」
 広田はそれが分かっていたのだが、こんなに高いものかと改めて感じた。
 この鉄壁の関所。越える気がしなくなり、その日は休んだ。これで三日だ。
 四日目、その関所を朝に見ると、ほとんどタワー。遠くからでもよく見える。いつもなら夕方が近づかなければ見えないのに。
「あれは幻、幻覚、幻術じゃ」と言い聞かせ、夕方前の関所へ目をつむって飛び込んだ。
 
   了



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2018年06月14日

3655話 無心


「つい昨日のように思うのですが、あれから長い年月が立ったのですね」
「はい、あの頃はまだ若き青年。前途悠々とまではいきませんが、夢がありましたなあ。いや、夢が見られたのでしょう」
「あなたはその夢を果たされたはずです。私たちの中では最も世に出た人だ」
「それもこれも昔の話。今じゃただの凡人。平凡な人間です」
「そうは見えませんがな。まあ、あなたの良い時代を知っているので、そう思うのでしょうかねえ」
「そうですよ。一時は成功しましたが、長くは続きませんでした。今は振り出しに戻ったようなもの。一からやり直す感じですが、もう時間がない。若い頃の一年は詰まっていますが、年をとるとスカスカです。密度が違います」
「それでいいんじゃありませんか。あなたほどの成功者なら、もう思い残すこともないでしょ。やることは全部おやりになったと思いますがね。少なくとも私たちの何十倍ものことを」
「しかし、結果が悪い」
「いや、いい結果をお出しになった」
「ですが、今はそれとは関係のないところにいます。全て失ったようなものですから」
「何も残っていないのですかな」
「そうです。だからあなたが羨ましい」
「それだけのことを言いに来られたのですか。他に用事があったはずですが」
「久しぶりに若い頃の仲間の顔が見たくなっただけです」
「そうですねえ、だから随分会っていない。あなたの消息はよく耳にしましたが、もう私たちとは別の世界に行ってしまわれた。だから縁が切れたようなものでしたよ」
「しかし、立花君、君は一度私を訪ねて来たと聞きましたが」
「ああ、あの頃一度だけね。でもお会いできなかった」
「それは失礼しました」
「いえいえ、もう昔のことなので、そんなことがあったことさえ忘れていたほどですよ。確かに行きました。大磯君、君を訪ねてね」
「どんな用件だったのでしょう」
「おそらく」
「おそらく?」
「はい、おそらく、今日あなたが訪ねてき来たのと同じ内容だと思われます」
「そうお思いか」
「違いますか?」
「おそらく、あっております」
「しかし、私どもはごらんの通りの暮らしぶり、何ともなりません」
「そうですか」
「私があなたを訪ねたとき、あなたは何とかなったはず。しかし会うことさえできませんでした。あのとき、非常に困っていたので、恥を忍んで、行ったのですよ」
「失礼しました。当時は忙しくて」
「もし」
「はい、何ですか」
「私にその余裕があったとしても」
「しても?」
「絶対にお貸ししません」
 大磯は少し怖い顔をしたが、すぐに苦笑いし、立ち去った。
 
   了


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2018年06月13日

3654話 サツキの次はアジサイ


 一寸したことで人が動き、現実が動いてしまうことがある。
「どうですか、体調は」
「体調かね、そうだね。悪くはないが良くもない」
「じゃ、お元気ですね」
「元気はない」
「でも、ご無事で」
「達者なようでもそうではない」
「奥歯に物が挟まっていますか」
「奥歯はない」
「あ、はい」
「良くないのは、欲がないからじゃ」
「そうなんですか」
「欲があると、体調など気にせん。欲に目がくらんでな」
「そうなんですか」
「君は若いから色々と欲があるじゃろ」
「世間並み、人並みにある程度です。特に欲張りじゃありません」
「欲をかくのは良いことじゃ。わしなど欲が欠けてしまった」
「いえいえ、そうとは思えませんが」
「ほう」
「見れば分かります」
「もう目の黒さもなくなり、ねずみ色」
「目医者へ行かれましたか」
「行っておらん。別に困らん」
「はい。でも最近の動きは随分とお達者なようで」
「達者じゃない」
「分かっております」
「君に何が分かる」
「先生の動きは分かっております」
「ほう」
「最近、また仕掛けられましたね」
「ん」
「青山をそそのかしたのは先生じゃありませんか」
「さあ」
「青山の動きが妙なのです。これは一波乱起きます」
「そうなのか」
「青山を使い、何をされようとしておられるのですか」
「青山はこの前、来たが、雑談しただけ」
「いえ、騒乱の種を植え込まれた。どんなお話をされました」
「青山が来たことは覚えているが、雑談じゃ。つつじが咲けば次はあじさいだな、というような話かな」
「それです」
「たわいのない話じゃないか。季節の話なのに、問題でも」
「筑紫さんの次は紫陽さん」
「何じゃそれは」
「紫陽さんとは高峯さんのことでしょ。高峯さんの俳名が紫陽」
「こじつけじゃ」
「筑紫さんは会長です。そろそろ交代だと青山に伝えた。いや指示した。そのように動けと。青山はあなたの懐刀」
「君はどうかしている」
「その証拠に築紫さん周辺がおかしくなっています」
「あ、そう」
「築紫さんに不満があるのですね」
「そんなことはない」
「あなたを引退に追い込んだのは築紫さんですから」
「いや、おかげでのんびりできるようになった。礼を言いたいほどだよ」
「本当ですか」
「ああ本当だよ。そして欲はもうない。だから体調も良くない」
「しかし、青山が」
「青山が勘違いしたのじゃろ。つつじの次はあじさい。雑談じゃないか」
「もしそうなら、それを本気で受け止め、先生の命令だと思い、動き出しているわけですから、止めてください」
「あ、そう」
「このままでは高見さんが会長になってしまいます。それはまずいでしょ。先生も望んでいないはず」
「そうだね」
「分かって頂けましたか」
「分かるも何も、わしゃ、何もしておらんがな」
 
   了




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2018年06月12日

3653話 閻魔飛び


 古ぼけた閻魔堂がある。板は腐り、隙間ができ、地面に近いところは苔で緑色になっている。お堂の形をしているが扉はない。最初からない。数段の階段は石段だが、中は土間。奥にベンチにしては高い台があり、そこに閻魔さんが座っていたはずだが、今はいない。空き家のような閻魔堂で、それを示す額のようなものもない。ただ地元の人はここが閻魔堂だとは分かっているのだが、中の具がないのだから、お参りもできない。保存するにしてもガワしか残っていない。
 場所は旧村時代の村の入り口の辻。今は宅地化が進み、農家とは関係のない建売住宅が建ち並んでいるのだが、それらも古くなっている。当然昔から住んでいる農家の人も、ここにはまだいる。寺や神社も村時代のまま残っているし、田んぼはないが大きな農家は残っている。建て替えるとき、以前と同じ形を残す家もあれば、今風の家にする家もある。だから一見して農家だとは分からないが、元農家だった人も多く住んでいる。
 辻にあるが、尖ったところ。道が二つに分かれているのだが、その角度が鋭いため、先端が三角。そこに閻魔堂がある。放置されているのは誰のものなのかがはっきりとしないため。実際には村のもの。何人かからなる共有地。全員の同意がなければ弄れない。その中には遠方へ引っ越した人もいるし、絶えた家もある。
 意外と村人だった人は閻魔堂など無視しているが、引っ越して来た人の中に神秘家でもいるのか、この手のものが好きな人がおり、よそ者がお参りに来ている。しかし、具はない。中は空き家だが閻魔堂だったことは耳にしているので、そのつもりでお参りに来るようだ。
 閻魔さんの別の顔は実は地蔵菩薩。逆に言えばお地蔵さんの別の顔が閻魔さん。この地蔵というのは将棋で言えば飛車角のように大胆な飛び方ができる。菩薩の中でも地蔵は機動力が高い。六道を行き来できるのはこの地蔵だけ。
 あの世とこの世、極楽も地獄へも行ける。
 そういうことを知った人が、この閻魔堂に来て閻魔さんが座っていた場所に座る。ベンチにしては高いので、台の上でベタ座りで目をつむる。座禅でも組んでいるような感じだが、足はフラットで適当。
 この人は修行僧でも行者でもない。またヨガや瞑想家でもない。どちらかというと神秘愛好者。これは悪い趣味。
 悟りを開くため座っているわけでもなく、お参りでもない。実はあっちへ飛んでいるのだ。
「衣笠さんでしたかな」
 閻魔の台座に座っているところを見られて、衣笠は驚くどころか、歓迎するかのような笑顔。声をかけたのは妖怪博士。
「ここですかな、ワープポイントとは」
「はい、なかなか飛べませんが、飛びそうになることが何度もありました」
「バチがあたらんようにな」
「はい、お参りはしませんが、挨拶だけはしっかりとして、ここに座らせていただいております」
「飛びかけたと?」
「はい、空気が変わり始め、身体がゆらゆらし始めて」
「まあ、ずっと座っていると、そんなものでしょ」
「そうですか」
「地蔵飛び、または閻魔飛びと言われていますが」
「そうです。ワープ術です」
「他に変化は」
「はい、座っておりますと、あらぬものが見えたり、聞こえたり、また何者かが近付いてきて、じっと私を見ていることも」
「目は閉じられているのでしょ」
「たまに開けます」
「地蔵飛びは目を閉じますが、閻魔飛びは目を開けたままです」
「そうでしたね」
「瞬きをしてはなりません。開けっ放し。すぐに涙が出てきますが、流るるがまま。やがて出なくなり、かっと見開いたままになりますが、今度は痛くなったり、かゆくなる」
「それ、苦手なので、目を閉じる地蔵飛びにしていますが、これもたまに開けます。そのとき、誰かがいたりします。子供だったり、動物のようなものだったりとか」
「閻魔飛びをしているときは妖怪がたかってきます。それでしょ」
「魔ですか」
「そうです。まあ、それが出てきたらやめることでしょうなあ。徳が足りないからです」
「はい、ありがとうございます。妖怪博士。わざわざ来て頂いて」
「いやいや、こういう空き家のお堂にはややこしいものが住み着くようなので、閻魔飛びも程々に。それにあの世、地獄、極楽にも飛べるようですが、レベルが低いと戻れなくなりますからね」
「はい、往路も課題の一つに加えます。色々とありがとうございました」
 
   了



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2018年06月11日

3652話 ポテトチップス


 梅雨時のじめじめした頃、下村は何かからっとしたことはないかと考えた。唐揚げを買って食べればいいのかもしれないが、それではない。しかし最初に思い付いたのは唐揚げ。これはコンビニで売っている。
 だが、一つだけ買うのは買いにくい。他にないかと考えるとポテトチップスがある。これもからっとしている。だが、そういうことではないので、そこから離れないといけない。
 からっとしたこと。晴れ晴れしいことだろう。そんなものは時期が来ないとやって来ないし、そういう状態になるまでの準備も手間暇もかかるだろう。唐揚げを買いに行くような簡単なものではないが、唐揚げだけを買いに行くのは意外と簡単ではない。それならポテトチップスの方が買いやすい。
 晴れ晴れしいこと。これはイベントへ行けばあるかもしれない。だが、それを見たり聞いたりして晴れ晴れしく感じるものでないと無理。そういうイベントが見当たらない。
 気持ちがからっと晴れるようなこと。それは何だろうかと、また下村は探し始めた。しかし、探さないと見つからないものなら心当たりもないのだろう。無理に見つけても強引すぎる。
 やはりポテトチップスでも買って食べる方が安上がり。これでからっとするかどうかは分からないが、するような気がする。ただポテトチップス程度では晴れ晴れしい気にはなれないだろう。
 コンビニで唐揚げだけを買うのも買いにくいが、ポテトチップスを買う場合も似たようなもの。それにコンビニは近くにあり、よく行っているので、もう顔を覚えられている。子供がおやつを買いに行くようなもの。それならば、と思い付いたのは、自転車でないと行けないが百均がある。ここなら買いやすいし、コンビニよりも安い。百円なのだから。
 それで湿気の強い中、自転車で百均まで行くが、いい大人がそれだけのために自転車を走らせるだろうか。おやつが食べたいのではない。からっとしたいのだ。しかしポテトチップスでからっとなる保証は何もない。下村がそう感じているだけの話。
 百均の駄菓子コーナーに行くと、手前に特価台があり、二つで百円セールをやっていた。その中に目的とするポテトチップスがあった。聞いたことのないメーカーで、しかも少し小さいがミニ袋ではない。やや小さい程度。これ二つで百円なら大袋分に匹敵するだろう。
 下村はすぐにカゴに入れ、レジへと向かった。このとき、少し晴れがましい気になった。目指していたポテトチップスが特価台にあったためだ。他のおやつではなく、目的とするものがそこにあった偶然性。これは効く。だから、ほんの少しだが晴れた。
 そして戻ってすぐにポテトチップスをボリボリかじりだした。確かにからっとしている。欲しかったもの、望んでいるものを得たことになるが、二袋目になると、歯茎を痛めた。ポテトチップスは意外と尖った箇所があり、それが歯と歯茎の間にガラスの破片のように突き刺さったのだ。これはたまにある。しばらくは痛い。痛いが食べ続けたい。そのうち収まるので。
 そして二袋分片付けてしまう。口の中が荒れ、油と塩気で少しぐったりきた。
 しかし、その後、からっとしたものが欲しいとか、気の晴れることをしたいとは望まなくなった。それ自体が雑念のようなものだろう。晴れるときは晴れる。晴れないときは晴れない。
 そう悟ったのだが、寝る前になって歯茎が今度は腫れだした。
 
   了

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2018年06月10日

3651話 たっぷりの朝食


 朝から眠い。
 岸和田は毎朝食事を作っている。自分で決めた朝定食で、豆腐入り味噌汁、大根下ろしとチリメンジャコ、目玉焼き、野菜の煮物。これだけのものを作って食べているのだが、野菜の煮物は作り置きがある。
 小さく低い膳があり、時代劇や旅館のようだが、そこに乗せて食べる。足の付いたお盆のようなものだが、動かさない。小さなテーブルといってもいい。それだけに皿が多いと置く場所がなくなるが、いつもの朝定食ならいける。
 それをいつもののように食べているとき、ふと思い出した。一人で黙々と食べているときなど、ふと思うことがある。思い出しやすいのだろうか。厠のように。しかし過去の思い出とかではない。以前のことだが夕べのこと。
 夕食に惣菜を買って食べた。コロッケやマカロニサラダなど。スーパーの総菜売り場で声を掛けられた。半額にしますと。見るとスーパーのオバサン。すぐ横に作った物を売っているのだ。だからパックを手にすると温かい。コロッケもそうだった。
 そのオバサンが半額にしますと売り込んできた。何かと思うと焼きそば。弁当コーナーに焼きそばやお好み焼きが並んでいるのは知っていた。しかし、その日はご飯はあるのでおかずが欲しかった。しかし、半額にしますが効いた。時間が来れば半額になる店だが、まだそれには早い。それを早くしてあげるから買いませんかとセールス。
 ここの焼きそばは元々安いのは盛りが少ないことで、フルサイズの焼きそばではないらしい。
 そのとき岸和田はマカロニを買うところだった。コロッケだけでは何なので、もう一つ加えようとしていたのだ。しかし焼きそば半額につられた。
 買われるのなら今すぐ半額にしますと言われ、頷いてしまう。
 どれにしますか。と聞いてくる。そのため、焼きそばが置いてある台まで行く。そこで半額シールを貼るので、好きな焼きそばを言ってくださいと。選ぶも何もない。焼きそばパックが四つほど並び、どれも百円引きとなっている。時間帯的に見て百円引きではまだ客は手を出さない。半額シールが貼られるとさっと出す。しかし、それが貼られる時間は客も少なくなる。だから売れ残りを心配して誘ったのだろう。そのオバサンが横の厨房で作ったものに違いない。今日はこの売れ方では捨てないといけないと察したのか。自分が作ったものを自分で捨てるのは忍びない。捨てるために作ったようなもの。買われ、食べられてこそ作る喜びもある。それほど大層な焼きそばではなく、ありふれたものだが、しっかりと豚肉も入っている。
 そのエピソードのようなものを思い出したのではない。コロッケは二つ買ったが一つ残っていた。マカロニサラダは半分ほど。焼きそばを買ったのだから、マカロニは必要なかった。つまり余計なものを買ったので、食べ残した。
 それを思い出し、コロッケとマカロニを冷蔵庫から出してきた。すっかり忘れていたのだ。
 小さなお膳。あと二つは無理なので、マカロニのパックの中にコロッケを同居させることで、膳からはみ出すが、何とか乗った。
 いつもの朝メニューだけでも食べるのが一杯一杯なほど量がある。その上コロッケとマカロニが加わった。
 岸和田は全て食べた。
 それで朝から眠い。
 
   了



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