2024年08月05日

5287 是非


「何とも言えんなあ」
「半々ですか」
「決め手がない。どちらとも取れる」
「判断はこちら次第ですか」
「どうだろう。稲垣に敵意があるなら非と取る。好意があれば是と取る。これでは判断ではなく、好み、好き嫌いをいっているだけのこと」
「でも曖昧でして、どちらにでも受け取れることができるのが怖いです」
「おぬしはどうじゃ」
「稲垣様に関しては何も思っていません」
「好きでもないし、嫌いでもないか」
「だから判断が難しいかと」
「それなら簡単かもしれんぞ」
「どのように」
「どちらにでも判断できるのじゃから、それもしなくても良いのじゃ」
「じゃ、中途半端なままで」
「それが稲垣の解答だろうよ」
「しかし、白黒付けないといけませんので」
「白黒は付けるなと稲垣はいっているのだ」
「そうでしょうか」
「わしならそう判断する」
「本当はどうなのでしょ」
「稲垣の本心か」
「はい」
「どちらかに傾いておるだろう。だが、それを隠しておる。それは出してはいけないと」
「稲垣様の本心、何とか見抜けませんか」
「何となく分かる。雰囲気でな」
「それが判断材料になりますねえ」
「しかし、その判断。稲垣は望んでおらんよう。だからどちらでも言えるような言い方に徹しておる」
「では稲垣様の本意はそこに」
「どちらでもいいことなので、どちらでもいいと言うことだ」
「えっ」
「どちらを選んでも良いという事じゃよ」
「しかし、私見が入ります。稲垣様に好意的な人なら是と取り、逆だと否と取る」
「それでも構わんだろう。どちらでもいいのだから」
「判断基準がないと、難しいですねえ」
「それが手かもしれん」
「その本意は」
「面倒なので、投げたのだろう」
「あ、はい」
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:30| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月04日

5286 嘘と真


 嘘であり、それは作り話。しかし、それが入ることでよりリアルになり、しっくりといくし、説得力もある。さりありなんという感じで話が分かりやすい。
 そうあって当然で、そうでないと嘘になる。これが本当のことなら嘘ではなく、実際にはそうなっていたのだが、それではギクシャクし、スムーズに流れない。
 嘘、大げさ、盛りすぎ、誇大解釈のしすぎ。しかし、それの方が耳には良い。本当のことも耳で聞くのだがそれは話として聞く。実際に見たわけでも聞いたわけでもない。又聞きのようなもの。
 古い時代の話ならそれしか知る方法はない。また最近のことでも、直接関わっていない限り、話として聞くしかない。といって直接耳にしたことでも、その範囲は狭く、生々しいのだが、全体までは把握しにくい。
 その時間、いなかったとか、別のものを見ていたとかになるので。
 すると実際にあったことを直接見たといっても、その一部なのだ。しかし、起こっていないことは起こらないまま。それが現実とは違うことが起きていたとするあたりからが嘘。これは作り話。尾びれ背びれがつき、ヘビに足まで書き加えられる。
 もう実際の魚とは違うし、ヘビとは違う。場合によっては飛び出す。
 しかし、そちらの嘘の方を歓迎する節もある。勝負でも普通の勝ち方ではなく、とんでもない勝ち方とかに。
 これはもっとやれ、もっと盛れとリクエストされているようなもの。受けると強い。
 それで盛り上げるだけ盛り上げておき、あるとき、実はそうではなかったと落とすことがある。良いところに釣り上げて、現実は本当はこうだったと、その落差を今度は味わうのだ。
 実際に凄い体験をした人は黙して語らないこともあるという。思い出したくないこともあるだろうが、説明しても分かってもらえないためもある。
 嘘は多く語れるが、実際の事は少ししか語れない。
 また、実際にあったことでも気付かないうちに嘘が混ざっていたりする。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月03日

5285 日常


 日常から少し離れたくなるのは、またすぐに戻ってこれるためだ。
 今までの日常よりも快適だと良いのだが、条件が多くなり、たまになら行けるが始終行けるものではない。旅行などもそうだ。たまだから良い。久しぶりなので良い。それに旅費も掛かるので、始終行けないのはいうまでもない。
 そこが快適な場所であり、そこを日常の場にしたとしても、いろいろと問題が出てきたりする。
 日常の場ではこなせる程度の困りごとになる。つまり日常というのは安定している。こなしやすく作り上げているためだろう。
 だから日常とは常日頃のことで、ここは安心感がある。慣れているためだろう。この安心感が日常の良さ。取り柄だ。
 何事もなく日々繰り返されて行く日常。しかし、そうとばかりは言えない。非日常な突発的なことが起こるし、思ってもいないことにも遭遇する。
 これは見方によれば変化があるのだ。平穏無事ばかりの日々が続くわけがないので、それとなく分かっていたりするが。
 日常はベースであり、ホームポジションのようもの。ここが基準になっているのかもしれない。だから戻れる場所だ。
 日常が狂うと不安定になる。その日常、良いものではなくても安定感がある。
 その人にだけに該当するシステムのようなもの。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 11:55| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月02日

5284 暑い日


「今日は暑い。一段上がりましたねえ」
「暑さのレベルですか」
「自転車のシート、座ると焼け尻。昨日までの夏はまだそのレベルじゃない。今日からです。一段上がったのは」
「しかし、気温は昨日とそれほど違いませんよ」
「日差しです。これがきつい」
「それで気温も上がるのでは」
「どうなんでしょ。そこまで見てませんが、部屋の寒暖計で見る限り、それほど違いはありませんでした。それと風はあるのですが、熱風。涼しい風が来ません」
「じゃ、空気そのものが熱いのでしょう」
「そうだと思います。こんな日は猫の子一匹出ていない」
「暑いのに猫の子は出ますか? 涼しいところに入って動かないのでは」
「人通りもまばら、時にはゴーストタウンのように人っ子一人出ていない」
「まあ、暑い日は外に出ない方がいいですよ」
「分かっているのですがね。日課なので。あなたもでしょ。暑いぐらいじゃ欠席しない」
「出席しても大したことをやるわけではありませんので、来なくても良いのですがね」
「この暑さなら、あなたは来ていないだろうと思っていました」
「それはお互い様」
「来ているかどうかを確認に来ているようなものですかな」
「それもありますねえ」
「しかしそれで暑い中、倒れでもすれば面倒ですよ。毎日毎日来ることはない。無理をしないことですよ」
「でも、あなたは毎日来ている」
「あなたもですよ」
「無理っぽい日もあるでしょ」
「ありますが」
「そういう日は休みましょう」
「あなたも休みますか」
「はい、休みます」
「休んでいるかどうかを確認に来ちゃあ駄目ですよ」
「はいはい。お互いに」
 しかし、どんなに暑い日でも二人の姿はそこにあった。
 姿だけかもしれないが。
 
   了
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2024年08月01日

5283 一線越え


 予測が当たることがある。おそらくこうなっておれば良いだろう程度で、その線を越えてくれると有り難い。その線はさほど高くはないが、それ以上を望むと期待外れになる。
 そのある線とは境界線を越えているかどうかで、これは簡単に越えられるもので、それほど難しい問題ではないし、問題になるような一線越えではない。
 ただ、この一線、曖昧なことがあり、越えているのかいないのかがはっきりとしないことがある。見た目は越えているのだが、本当は違っていたりする。
 越えていない状態で越えているように見せているだけ。だから確たる証拠が欲しいところ。その一端でも分かれば正真正銘の一線越え。
 ただし、これは珍しいことではないのだがものによっては越えたことが凄いことだと言える場合もある。
 高梨はその情報なり噂なりを探していたのだが、実際のものを見た人の話はまだ聞かないまま。だから勝手な想像をしている状態が長かった。
 これは過去からの流れから推定する。その中には一線を越えたであろうという話も伝えられている。その証拠はないが、状況証拠。間接的な証拠があるので、おそらくそうだろうという感じ。しかし、曖昧。そして越えて欲しいという希望や期待もあるので、そうだろうと信じるしかない。
 ただ、もっと以前の情報によると、これは越えているように見せているだろうというのもある。だから今回もそれがある可能性もある。
 しかし、その前は越えたであろうということが前提となっていた。そういう話を前回高梨は聞いたので、もう一線越えが普通になっているものと思っていた。
 そして今回はどうだろうと、噂を待ったが、なかなか聞こえてこない。
 まるで口を閉じたように。触れるのを控えるかのように。ただ、それはすぐに分かったのだが、噂になるのが遅かっただけで、特に事情はなかった。
 そして、その噂によると、一線を越えたかどうかは今回は推測ではなく、見れば分かるとなっていた。
 高梨は心配した。越えたことがはっきりと分かることになるはずなのだが、やはり越えていなかったということも分かる。
 一線を越えたような見せ方をしていたことが分かるのか、本当に越えていた証拠のようなもので分かるのか、どちらかだ。
 当然高梨は証拠ありを期待している。何処が証拠になったのか、そこが知りたい。
 しかし、高梨はしばらくの間、それが気になり、ずっと想像だけだったが、どうやら期待通りになっていることが分かった。しかし、それも噂から得た話なので、本当のところは分からないが、何とかそれで収まったような感じだ。
 一線を確実に越えていたとなると、その後の展開を想像すると、これは一線越えをさらに越えたところまで行くはず。つまり先々、まだ期待できるということだ。
 高梨が知る限り、そういう例は珍しい。勢いが徐々に落ちていくことが多いのだ。そのため新たな展開が望めないので、そのうち飽きてくる。そして離れる。
 目先を変えて誤魔化しても、本質的なところが伸びていないと、下降に近くなる。
 ただ、そういうのを見ながら、高梨自身はどうなのかと、考えてしまった。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:29| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月31日

5283 蝉丸


「蝉丸」
「はっ」
「そちが死んでおるぞ」
「ほんに」
「この前、鳴き出したのに、もう落ちたか」
「ちと早うございますなあ」
「そちはどうじゃ」
「蝉丸ではございますが、蝉ではございません」
「なぜ、蝉丸なのじゃ」
「生まれたとき蝉が丁度鳴き出したとかで」
「それは風雅でいい」
「花鳥風月ですか。蝉は何でしょう。鳥ですか」
「虫じゃ」
「では私は虫なのですね」
「蠅の大きなのと変わらぬ」
「じゃ、便所バエよりも大きなのが蝉ですか」
「さあ、それは分からぬ。蠅はいつ生まれ、いつ消えていくのか見たことがない」
「その点、蝉は目立ちますねえ」
「忍びのものとしては目立っては拙いのだがな」
「私は陽動型なので」
「堂々と姿を現す忍びの者か」
「世を騙し忍んでおります」
「忍び切る方が蝉丸らしいぞ」
「いつもは僧侶姿です」
「今日は違うのう」
「逆に坊主姿ではここでは目立ちます」
「他にどんな姿をとる」
「琵琶法師」
「琵琶法師の蝉丸。なにかそのままじゃな」
「歌も作れます」
「そこまでできる忍びは希」
「しかし、元々は歌人なのです。それが本職。訳けあって間者をやっておるだけ」
「歌の家の出か」
「はい」
「では、都育ち」
「いえ、田舎育ちでございます」
「歌人の家が都落ちしたか」
「都では食っていけなくなりましたので」
「それにしては忍びとはまた落ちたものよ」
「この蝉のように早く落ちました」
「この仕事、終われば、わしに歌を教えてくれぬか」
「はい、喜んで」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月30日

5282 不機嫌


 機嫌の良いときと不機嫌なときがある。また機嫌を感じないときもあるのだが、これが一番良いのかもしれない。
 上機嫌ではないが、機嫌は悪くない感じ。だから機嫌としては良いのかもしれないが、ニュートラルに入っているのだろう。
 しかし、どちらかに一寸ぐらいは傾いているが、それさえ感じない状態が好ましい。ただ、機嫌の良さを感じるときの方がいいに決まっている。
 ただし、いつまでも続かないので、その良い機嫌が途切れると不機嫌になりかねない。機嫌が良すぎるときほど不機嫌を感じやすくなるのだろうか。愉快と不愉快のように。
 宮田はその朝、寝起きから機嫌が良い。というより、このところ不機嫌だったので、それが抜けているので、機嫌が良いと思ったのだろうか。
 機嫌の悪い日には理由がある。その前日は、それまでの影響で、その波を受けているためだ。それが何であるのかは知っている。あれがあれなのであれだと。
 しかし、その朝は機嫌が直っていることの理由が分からない。同じような波をかぶっているのだが、あまり影響しない。
 それで機嫌が悪くなったり、気を害したり、気になったり、心配したりとかが減っているのだ。消えたわけではないが、機嫌が悪くなほどのことではなくなっている。
 何かが解決したわけでもない。懸案ならその問題はそのまま残っている。では何だろう。
 これは体調ではないかと宮田は考えた。他に思い当たるものがない。今日は寝起きから体調が良い。元気だ。これが原因だとすれば、懸案とか、不機嫌とかはいい加減なものだ。身体の調子が良いと機嫌が良く、逆に調子が悪いと、いろいろと不機嫌なことが浮かび上がるのだろうか。
 いや、それも言いすぎだろう。宮田は何処かでターニングポイントがあったように考える。何処かで不機嫌さを回避する方針なりを決めたためではないかと。
 そういえば昨夜、今までやっていた妙な問題を解決していたのだ。これは完全ではない。ただ安全な方法。安定した方法に切り替えたのが大きい。
 まあ、妥当な方法に戻しただけだが、それなりのリスクもある。これがあるのでなかなか切り替えられなかった。
 妙な手ではなく、まっとうな手。これは安定感や安心感がある。不機嫌さも良くあるような不機嫌さで特別な、特殊な、例外的な不機嫌さではない。
 だから不機嫌という風船が上がらなかったようなもの。不機嫌さは残るが、普通の不機嫌さ。これなら何とかなるので、むっつり顔になる必要はない。なったとしても眉間の皺は浅い。
 しかし、そんな機嫌の良さとか悪さとかの喜怒哀楽はあった方がいい。
 
   了

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2024年07月29日

5281 神はサイコロを振らない


 朝、あるものをチラッと見たのだが、ああ、これもあったかと思いつつ、そのままにしていた。
 その後すぐに、またそのものが飛び出してきた。いろいろなものが無作為と思えるように出てくるのだが、朝見たものがそこにある。関連するものだ。
 この出方には理由があるのだが、日下の意志とは関係なく、不規則に出る仕掛け。誰もコントロールしていない。
 だから偶然とも言えるのが、サイコロを誰かが振っているわけではない。
 繁華街での人の流れと同じようなもので、そこを通るには一人一人理由があるだろう。ただのエキストラではない。そのタイプも仕掛人はいない。
 朝見たものが昼にも現れた。朝、見ていたので、すぐに分かった。
 もし、朝見ていなければ、それほど注目しなかったはず。つまり偶然の連続性。最初の偶然は良くあるのだが、二回続くと、偶然に意味を感じたりするもの。たまたまの重なり、連続が起こる確率はそれなりにあり、そこに意味などないのかもしれないが。
 ただ、日下が朝、それを見たとき、少しひっかかった。忘れていたようなもので、これもあったのかと意識はしている。
 しかし、それ以上ではない。ところが昼にまた遭遇すると、その意識が強まった。これで夜、また偶然同じものを見たのなら、決定的だろう。三連続は流石に少ない。
 これは早く気付けとのお告げではないかと錯覚してもいい。せっかくそんなサイコロの目を見せてくれたのだから。その労に報いたい。だが、それは誰の労だろう。つまりサイコロを振った人。
 ただ、神はサイコロは振らないだろう。それに神はサイコロを持ち歩いているのか、またよく使っているのか。まあ、本物のサイコロではないが。
 そして、それが出たのは連続しただけで、三連続はなかった。
 その翌日。そのあるものが何だったのかを忘れてしまった。昨日の朝見たものだ。そして昼間もまた見たもの。それを忘れている。あれは何だったのかさえ。
 ただ、連続したことだけは覚えている。それでは何が連続したのかまでは分からない。意味をすくい取ろうとしても掴むものがない。
 神がせっかくヒントを投げかけてきてくれたのに、受け取り損ねたことになるが、それほど重要なことではなかったのだろう。
 啓示、神託を忘れてしまった巫女は、作り話で誤魔化したりしそうだ。忘れたことを知られないように。
 
   了
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2024年07月28日

5280 錬金術


「何もないようなところから何かを見出す。これが極意でございます」
「ただの水から砂金が得られるか」
「そのようなことは起こりませぬ」
「では条件があるのだな」
「何もないと思われているところに何かがあります」
「それは先ほど聞いた」
「ないはずのところにある」
「条件付きでな」
「はい」
「ありふれたものの中にも凄いものがあるのか」
「ございます。それこそ、何でもないようなものの中に何かが入っているようなものです」
「何が」
「だから、何かが」
「その何かとは何だ」
「あなた様が求めているもの一般です」
「しかし、わしが求めているものは探さなくてもあるぞ。そんな曲がりくどいことをしなくても。ただし、手に入れるのは困難。たとえば人の持ち物だったりするのでな。求めておるものは見えておる。ありかも分かる」
「それを手に入れたときはどうなりますかな」
「良いものを手に入れたと喜ぶじゃろう。それだけだがな」
「それで終わりですかな」
「また違うものを手に入れればいい。ただ、もう見つからなければ無理だが、見つかるまで待つしか仕方があるまい。探しに行っても場所さえ分からん。それにあるかないかもはっきりせん」
「手に入れなくても、その喜びが得られたとすればどうでしょうか」
「え、何を言っておる」
「欲しいのは喜びでございましょう」
「それを実際に手にしたときの喜びじゃ」
「喜びだけを得られれば、苦労はいりませんよ」
「何もないのに喜べるか」
「そうですなあ」
「であろう」
「しかし、そういう気になることもあるでしょ」
「それは手に入れた時を想像して嬉しくなることもある。手には入れていないがな」
「それでよいのでは」
「よくない」
「はいはい」
「もういい、下がっておれ」
「何もないところから何かを見出す。この極意お忘れなく」
「話が繋がらん」
「是非お繋げくだされ」
「分かった分かった。もう下がってもいいぞ」
「ははー」
 
   了
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2024年07月27日

5279 鳥獣戯画


「今年も暑いですねえ」
「梅雨も明け、真夏ですからね」
「頭がボーとしますよ」
「気をつけてください。あまり気持ちがいいと危険ですよ。そのままいってしまいますからね」
「熱中症のようなものですか」
「まあ、身体に熱がこもり、ややこしくなるのでしょ」
「ボーとしているとき、あらぬものを見ます」
「あらぬとは」
「あり得ないようなものを」
「それは珍しい。幻想とか幻覚というやつですね」
「そんなものいないのですがね」
「何がいるのです」
「庭に出るのです」
「広い庭をお持ちだった」
「枯山水を模していたのですが、無理なので、草原にしています。一寸した岡がある程度」
「自然の野山のような」
「まあ、そんな感じです。草が伸びないようにしています。伸びる草は抜いています。まあ、芝生のようなのが一番いいのですがね」
「じゃ、ゴルフ場のような」
「まあ、石も置いてますから、これは岩山」
「ほう。それは一度見たいですね」
「その話じゃなく、そこで見たのですよ」
「それそれ、それをお聞きしたかった。何でしょう」
「カエルです」
「カエルなどいないでしょ。アマガエルさえ」
「そうです。水田や畦の川にはいたのですが、もう子供時代の話ですよ」
「そのカエルがいたと」
「そうなんです。それが走り回っているんです。蛙跳びじゃなく二本足で歩いたり走ったりと」
「鳥獣戯画ですな」
「高僧の袈裟を付けたカエルもいますよ。何やら他の裸のカエルに説法していたり」
「ウサギは」
「いません。寸法が違うでしょ。カエルに比べればウサギはモンスターですよ」
「じゃ、カエルだけの鳥獣戯画」
「いや、ブイブイとかの虫もいますよ。その辺は幻覚じゃなく、実物かもしれませんがね。カエルと戯れています。だからやはり、これも本物じゃない」
「じゃ、立体的な動く3Dジオラマ」
「そういうのを見たのですよ」
「じゃ、今、見に行けばいますか。見られますか」
「それは無理でしょ。ずっとカエルが走ったりはしゃいでいるわけじゃなく、そっと庭を見たとき、何やら動くものがある程度。始終じゃありません」
「良いものをご覧に」
「出るときと出ないときがありますよ。夏の終わり頃、盆頃からでは流石に暑気も引いて減りますなあ」
「じゃ、今が見頃」
「はい、その通り」
「まっ、御達者で」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:42| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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