2018年02月19日

3539話 感動する


「昔ほどの感動ですか」
「ありますか」
「感動ねえ」
「昔に比べ、感動するものが減ったのではありませんか」
「ああ、そりゃ若い頃は感受性も高かったので、感動というより驚いたり、新鮮だったりで、でもそれは感動とは少し違うかもしれませんよ」
「最近感動することはありますか」
「私が思っている通りに進むドラマを見たときなど盛り上がりますなあ」
「体験ではなく」
「はい。こうなって欲しいというような展開になり、思っていたような結末へ向かったときなど、カタルシスを覚えます。スカッとします。まあそれまでは我慢を溜め込まないといけませんが、そのときは見ていても辛い。しかし、主人公なのだから、惨めなまま終わるわけがない。また普通の娯楽作品ですからね、下手にひねったり、不条理なことになったり、哀れな結末で、余韻を残して何かを訴えるとかの臭い手を使わない作品しか見ないようにしています」
「鑑賞方法ですね」
「感動というのは意外性ではなく、上手く行くことですよ」
「そういう作品の話ではなく、あなた自身が感動することで、何かありませんか」
「同じです。先ほど言ったのと。そのパターンに填まったとき、上手くいったぞ、と思う程度で、それが感動なのかどうかは分かりません」
「しかし、若い頃に比べ、そういった感動が減っているのではありませんか」
「だから、それは先ほど言いましたように、単に驚いたり、凄いと感じただけで、感動とはまた違うのです」
「じゃ、感動とは何ですか」
「気持ちが動くことですよ」
「そのままですねえ」
「だから、それを言い出すと、全てが感動になります。その中でも特に動いた場合が、感動でしょう」
「はあ」
「しかし、気持ちは動かない方がよかったりしますよ。しかし、若い頃はよく動く、免疫がないからでしょ。それを感動と勘違いしてはいけない」
「では本当の感動とは」
「私の体験から言いますと、期待していなかったが、もしそうならいいだろうなあ、とは心で思っていることが、実際に起こったときです。これは意外性ではありません。そんなことは起こらないだろうとは思いながらも、あって欲しいような気持ちが何処かにある。だから心の中では浮かんでいるので、これは意外なことではない。だが、現実にはあり得ないだろうということですね。こういう条件を満たすようなことは一生のうちで一度か二度、あるかないかでしょ」
「お話しが難しいのですが」
「感動は貰うものや受けるものではなく、もっと能動性があるものです。受けるだけじゃ、それで終わるでしょ。心が動いただけ。しかし、その後、その動きが続くかどうかでしょう」
「いやいや、そういう話ではなく、最近何か感動したことはありませんか、と聞いているだけなのですが」
「そのタイプの感動ではつまらんでしょ」
「はあ」
「心が動き、体が動き、その後の生き方さえ変えるほどのことでないとね」
「そういう大層な話ではなく、昔は色々感動していたのに、年々感動することが減ったとかの話なのですがね」
「そうなのですか」
「それで、最近感動したことは」
「ありません」
「ないと」
「あったとしても、それは語らないでしょうねえ」
「はあ」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

3538話 国民養生村


 三島は体調が優れないので、養生することにした。国民養生所というのがあり、そこに申し込んで当たった。審査はなく抽選だったようだ。
 南の斜面に建つ施設で、麓まで茶畑が続いている。休暇村のようなものだが、レジャー施設ではない。施設内に目立った建物はなく、廃村をそのまま施設にしている。だから何人かが一つの農家で暮らすのだが、空いている農家の方が多く、一人で来た人は大きな農家で一人暮らしができる。
 その一軒の何世帯も住めそうな大きな農家が本部らしく、そこで食事ができるし、弁当の配達もある。茶畑の丁度真上になり、村時代の畑がそのまま残っている。そこで農作業をしたり、山菜を取りに行ったり、昆虫採集もできる。
 滞在費は無料。
 三島はしばらくして気付いたのだが、若い人が多い。
 養生村なので、養生に来ているのだろう。それはいいのだが、全員公務員。学校の先生が多い。
 三島は中小企業の社員をやめ、仕事を探している最中。そのとき、いろいろと調べているとき、この施設を教えてもらった。仕事先よりも、休める場所がよかったのだ。
 あとで分かったのは、ここは非公開に近いらしい。三島はネットで応募して、当たったので、誰でも申し込めると思っていたのだが、そうではないようだ。この申し込みそのものが隠されていたのだ。
 三島が働いていた会社はIT関係で、そこに友部という青年がいた。彼にアドレスを教えてもらったのだ。
 建て前は国民なら誰でも応募でき、しかも抽選。条件はない。だが、ここに来ている青年の一人に聞くと、誰も応募などしていないし、そんなネット上の申し込みサイトなど知らないという。
 ではここに来ている公務員達は何だろう。どうして入れたのだろう。
 話を聞いていると、ある代議士の名が出てきた。大物だ。その後援会云々と言っている。後援者に対するサービス施設だったのだ。
 同僚だった友部はネットでそこへ潜り込んで、アドレスを得たのだろうか。しかし、簡単に入れた。しかもそれは生きており、メールで丁寧な説明と、ゲストナンバーまで知らせてくれた。
 だから茶畑の上にあるこの村にすんなり入れた。しかしそれまでは全てネット上だけの手続き。
 全員公務員。その中で三島だけが違う。これは何か居心地が悪いが、雨が少なく穏やかな気候の場所だけに、壊していた体調もよくなってきた。
 ここで人を集め、一体何をするのだろう。しかし養生村とあるだけに、あまり元気そうな人はいない。だから看板に偽りなし。
 三島はスマホであのアドレスをもう一度確認すると、アクセスできなくなっていた。ノットファインド。
 もう体調は戻ったのだから、ここから出ることにしたのだが、手続きが複雑で、すぐには済まない。
 引っかかる箇所が何カ所もある。登録番号は分かっているのだが、登録コードというのがもう一つあり、それが分からない。メールにも書いてなかった。
 そのコードがないと、退所の手続きができないらしい。コードを調べる方法があるのだが、それには証明書がいる。それに該当するものがいるのだが、免許証とかでは駄目。
 これでは出られない。
 養生村は怪しくはなく、穏やかな場所で、茶畑の下に港も見えるし、海も見える。平穏そのもの。そして施設といっても村全体がそうなので、囲われているわけではない。
 三島はそんな手続きなどしなくても、簡単に出られると思い、昼の日向に茶畑を下った。
 港は漁港で、バス停がある。来るときもそれに乗ってきた。
 そして無事、帰り着くことができた。
 その後、特に変化はない。
 
   了
 
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2018年02月17日

3537話 反応の人


 深見は名は深いが深く考えない人だった。殆どが反射神経だけで生きているのだが、これは意識的に考えないだけ。動物的な神経に近く、これは生命体としてはもの凄く大事なこと。しかし、人としてはどうなのかとなると、これは問われる問題だ。
 自律神経的に勝手に作用する反応ではなく、少しは考えた上での反応もある。ただ、あくまでも反応なので、浅い。印象だけで決めたり、習慣で自動化されているものを踏み続けた。
 反射的ではなく、反応というのは、少しは間があるし、意識の回路も回転し、色々と問い合わせているはず。得か損か、これをすればその後どうなるか。または周囲が何と言うだろうとか。
 深見の反応はそこまで含まれているので、好き放題の反応とは違う。ただ、単純な反応なので、中身は浅い。が、印象から受ける抽象化で、逆に一を見て百を知るわけではないが、身に合った反応を取るようだ。中身ではなく、印象。だから中間の過程を省略し、いきなり結論を得ているようなものだが、そんな高尚なことではなく、やはりどこまでいっても反応は反応。
 たとえば胡散臭い話をする人の話を聞くとき、その中身ではなく、語り方で分かるようだ。まあ、胡散臭い話とは怪しい話で、それだけでも分かるのだが、ありそうな話、もっともらしい話もある。語っている人も怪しい話としては喋っていない。だから胡散臭いかどうかはそのときは分からない。熟知した人なら、話の中身で大凡のことが分かり、これは胡散臭いぞ。と知るのだが、深見の場合、中身よりも、その人の喋り方や、言葉遣いの中に含まれている単語や、その発音。当然目や顔色や表情から出る臭さを嗅ぎ取る。これはただの反応。しかしもの凄く早い。
 世間には見た感じは教養もあり、知識もあり、当然知恵もある人がいる。それらは反応とは逆側なのだが、この反応だけで生きてきた人は、それなりに巧みな見識ができる。研ぎ澄まされるのだろう。だから、あの馬鹿が、と言われているような人が、意外と上手く生きていたりするものだ。ただそれは解説できないことで、説明もできない。知識はないが愚者ではない。自分のことに関してだけは賢いのだ。
 深く考え、思案する人は、動きが重くなる。そしていつまで経っても結論が出ない。熟考に填まると泥沼になり、抜け出せなくなり、何も決められない。
 その点、深見は答えを出すのが早い。一秒もかからない。これはイエスかノーか、オンかオフ的判断に近い。中身ではないのだ。ただ、それは深見にしか分からない。深見にしか通用しないやり方になる。
 人は結局反応しているだけに過ぎないのかもしれない。それが下等な、低レベルなことと思われたくないので、色々と中身を盛るのだろう。
 
   了

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2018年02月16日

3536話 華の時代


「どんな人にも華の時代がある」
「私にもですか。しかし、そんな時代ありませんでしたよ。もう先はそれほど残っていませんし」
「咲き誇っていた時代があったはず」
「なかったです。だからこの先にあるかもしれませんねえ」
「いや、確率としては若い頃から壮年までの間が多い。よく思いだしてみなさい」
「じゃ、咲いていたことに気付かなかったのでしょうか」
「そうです。だからよく思いだしてみてください。よかった時期があったでしょ」
「よかった時期ですか。あまりなかったような気がします」
「それでも、少しましな時期があったでしょう」
「あれがそうだったのかな」
「ほら、出てきたでしょ」
「ましな程度で、華やかなことではなかったです」
「それでいいのです」
「いいんですか、その程度で。そんなもの普通の人ならいくらでもあることですよ」
「でもあなたにとっては希に見ることだったのでは」
「まあ、一番いい時期といいますか、瞬間ですなあ。時期というほど長くないです」
「そのとき花開いたのでしょ」
「そんな大層なことじゃないのですが、あのときはよかったのかもしれません」
「それです。それがあなたの華の時期、華の時代です」
「一瞬ですよ」
「さっと咲いて、さっと散ったのですね」
「そうですねえ」
「そして大輪の花じゃなく、小さな花」
「そうだったのかもしれません。しかし、自分じゃそれが華だった頃だとはとても思えませんがね。一生のうちに華の時期が何度かあるのでしょ」
「一度の人もいますし、何度も咲かせる人もいますし、長く咲かせ続ける人もいます」
「じゃ、まだしっかりと咲いていないのかもしれません。またはそれが華だったとしても、まだ咲かせることができるわけでしょ。二回も三回も」
「そうです。しかしどんな人にでも必ず一度は華の時期があります。短くてもね」
「瞬間だったりして」
「それもあります」
「はい」
「あなたのように華の時期に気付かなかった方が実はよろしい」
「言われるまで気付かなかったのですから、なかったのかもしれません」
「それはうんと若い頃でしょ」
「そうです」
「一番多いのです。その頃が」
「そうなんですか」
「しかし、あなたはそれに気付かなかった」
「それが何か」
「華の時期は誰にでもあるのです。だから咲かせることが問題なのではなく、華の時代が過ぎてからが大事なのですよ」
「咲いたこと自体分からないのですから、大事も何もないですよ」
「一度華の時代を体験した人は、そこに固守します。ところがあなたは、よかった時代などないとおっしゃっていますね」
「無理に思い出せば、出て来ましたが、大したことじゃなかったですから」
「問題は華の時代を過ぎてからなのです。一度目の華は誰にでも来ますが、二度目はその人次第」
「おっしゃっている意味が分かりません。最初の華も強引に思い出せば、あれではなかったかと思う程度で、もの凄くいい時代じゃなかったですよ。だからそれが過ぎたことも分からなかったのですから、私は華とは無縁です。あなたの言われているのは華の時代があった人のその後の話でしょ」
「そうです」
「一瞬だけ、あのときよかったとは思いますが、それは偶然で、人生規模の華ではありませんでした」
「その頃に引っ張られてませんか」
「忘れていたほどですから、影響なしです」
「華のない人なんだ」
「そうですよ。普通はそうでしょ」
「人生には誰でも一度は華の時期が訪れます」
「じゃ私はまだ訪れていないかもしれません」
「よかった頃のこだわりがあなたにはない。だから、私の話は無駄でした」
「これから咲くかもしれません。花咲爺のように」
「じゃ、花咲か爺後のことは、今までの話を参考にしてください」
「え、何の参考でした」
「だから、花咲爺の頃がよかったと思い、それに固守するのをやめなさいということです」
「いや、だから今後も華なんて咲きませんから、そんな心配は無用ですよ」
 老師は難しそうな顔付きで去っていった。
 老師の話を聞いていたのは団子屋の親父。
 花より団子なのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

3535話 蜘蛛女


 四家町はオフィス街で、そこの古ビルに妖怪が出ると聞き、妖怪博士は見に行った。担当編集者の頼みなので、これは仕事。出不精な博士でも、これは出ないといけないだろう。実際にはそういった場所へ行きたいのだが、きっかけがないだけで、行けばそれなりに楽しめるようだ。
 しかし妖怪が出ているのだから、それは楽しいとか、面白いとかいってられない。だが、出ることが悪いことだとは限らない。出た方がいい妖怪もいる。
 今回は大きな蜘蛛が出るらしい。大きい目の蜘蛛どころの騒ぎではなく、人がしゃがんで両足を広げているほどの大きさ。こんなもの蜘蛛だとは言えない。バケモノ。だから妖怪。
 目撃者は古ビルの管理系の人で、使い込んだ雑巾のような年寄り。巡回中に見たらしいが、特に被害はない。大きな蜘蛛がいるだけだが、廊下の向こうから背の低い人間が近付いて来る。見れば足が長いし、何本もある。通路一杯を使うほど幅があり、これでは狭い場所は通れないだろう。どこから入り込んだのか、それを調べる以前に、そんなものがいること自体がおかしい。
 管理の爺さんの案内で博士は古ビル内を案内してもらった。
「他に見た人はいませんかな」
「いません」
「どの辺りに出ましたかな」
「ここです」
「この三階の廊下ですか」
 左右にいくつもドアが並び、聞いたことのないような事務所が入っている。
「いつ出ます」
「いつといっても色々でして」
「時間は関係しないと」
「はい、昼でも夜でも」
「場所はこの三階の廊下だけですかな」
「いえ、ビル内のあちこちで見ました」
「あ、そう」
「あれはなんでしょう。蜘蛛のバケモノですか」
「はい、昔からそういうものがおります」
「おりますか」
「おります。だから驚かなくてもよろしい」
「はい」
「蜘蛛と遭遇したとき、どうでしたかな」
「向こうから蜘蛛が沢山の足で歩いてくるので、逃げようとしたのですが、足が動きません」
「金縛りのような」
「そうです。足が縛られたように」
「どんなお顔でした」
「そりゃ怖い顔になっていたはず」
「いや、蜘蛛のお顔です」
「女でした。顔よりもむっちりとした太ももが何本も出ていて、股がどうなっているかが気になりました」
「何歳ぐらい」
「ああ、二十歳前後のまだ若い」
「顔だけではなく、胴体までは人のはずですが、どんな服装でしたかな」
「さあ、そこまでは見ていませんが、赤いのを着ていました」
「毛むくじゃらの蜘蛛の体ではなく、衣服を着ていたわけですな」
「そうです」
「和物ですか洋物ですか」
「洋物だと思います」
「化粧は」
「分かりませんが、唇が真っ赤」
「髪型は」
「不規則に飛び出して、逆毛が立ってました」
「はい」
「蜘蛛女でしょ」
「そうですなあ。それで、足がすくみ、動けなくなったあと、どうなりました」
「蜘蛛女も止まり、ずっとわしを見ておりました」
「それから」
「後ずさりました」
「あなたが?」
「いえ、蜘蛛女が後ろ足で去って行きました」
「この廊下でしょ。突き当たりは壁、右側に階段がありますね。そこを下っていったのですかな」
「そこまでは見ていません。蜘蛛女が後退していくのでほっとしたところで、足が動いたので、逃げました」
「そういうことが何度もあったのでしょ」
「廊下でばったり合ったのは一回だけ。あとは階段を上がってくるところを見たり、違う通路にいるのを見たり、屋上の隅っこにいるのを見たり、ときには壁を這い上がろうとしたりとか」
「被害はないのでしょ」
「ありません」
「最近病院へ行きましたか」
「行ってません」
「持病は」
「肝臓が悪いです。飲み過ぎです」
「お薬は」
「飲んでません」
「風邪のときでも?」
「飲んでません」
「蜘蛛女を他で見たことは」
「今回が初めてです」
「挿絵とか、映画とか、写真とかでは」
「ありません。それが蜘蛛だというのに気付いたのは何度か見てからです」
「はい、有り難うございました」
 妖怪博士は聞くだけ聞いて、帰ろうとした。
「あのう」
「何ですかな」
「あなたプロだと聞きましたが、退治とかは」
「それはだめでしょ」
「え」
「ここのヌシでしょ。それほど大きいとね」
「はあ?」
「このビルを守っているのでしょ。退治など以ての外」
「じゃ、今度出合ったときは」
「蜘蛛女は意外と弱いし、臆病です。刺激を与えないようにすれば何もしません」
「でも、どうしてそんなものが出るのでしょう」
「私は蜘蛛女じゃないので、そんなことは分かりませんよ」
「プロでしょ」
「だから私の言う通りにしなさい。古いビルにいると聞きます。しかし少し大きい程度の普通の蜘蛛ですがね。これは普通の民家にもいます。ヤモリとセットものです。だからあなたと同じです」
「私と同じとは」
「警備系です。守っているのです」
「じゃ、仲間か」
「まあ、そんなところですな」
「じゃ、どうしてあんな人間の姿をして、しかも大きい」
「蜘蛛が化けてものでしょ」
「はあ」
「だから、バケモノ。この場合、蟲化けと呼んでますがね」
「どうして私だけに見えるのですか」
「きっとその蜘蛛女、あなたにだけ姿を送ったのでしょ。見えるように」
「ど、どうしてですか」
「あなた、よく見ると整った顔をされている。若い頃、美男子だったんじゃないですかな」
「え」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

3534話 夢は畦道を駆け抜ける


 幾年月かが過ぎていたが、それに気付くようなものがないと分からないようだ。浦上は浪々の身のまま十年以上経つ。今ではそれが当たり前のことだとは思わないものの、日々、思うようなことではなくなっていた。慣れたのだろう。
 浪人であっても武士は武士、武家としての身分はあるが、浪人では何ともならない。それに最近は二本差しの侍を見ることも少なく、接することも殆どない。そのためか、丸腰、つまり刀を差していない。重いだけで役に立たないためだ。
 こういう浪人者が山里に棲み着いても、すぐに出ていくだろうと里の人達は思っていた。今は山裾で畑をつっくっている。田んぼは一人ではできないので、忙しいとき、手伝いに行く程度。村人として認められているわけではないが、もう村人達は違和感がないようだ。これも慣れだろう。大人しい浪人で礼儀もしっかりしており、そこはやはり武家、室町礼法を里人は知らないので、適当に返している。
 大人しいが武術も大人しいようで、つまり弱い。といって学問が得意なわけでもない。
 小さな藩だったが、取り潰されている。藩士は百人もいない。その半分ほどは他藩に仕官した。浦上は秀でたところがないし、名も知られていないので、仕官は無理。最初から諦め、浪人という職を選んだ。そんな職はない。ただの無宿者と変わらない。
 しかし生まれ故郷でもあるその藩内からは出なかった。城があり城下もあったのだが、流石に領主が変わったため、武家屋敷も明け渡すことになり、辺鄙なところに引っ越した。このあたりはまだ藩領だった頃の知り合いもおり、他藩へ流れるよりも、ここの方がまだましだった。ただの浪人ではなく、元藩士という肩書きは、まだ生きている。
 新しく入って来たのは旗本。藩領をもの凄く細かく分割し、複数の幕臣が領主となった。どの領地も代官しか置いていない。所謂旗本領。藩の取り潰しが盛んに行われた時期だ。
 ある日、その中の一人の代官が山里の浦上を訪ねた。
 この代官、ただの請負で、その旗本の家来ではない。
 いきなりの訪問なので、浦上は野良着のまま、腰には大小ではなく、鎌を差していた。
「浦上様ですね」
「そうです」
「初めてお目にかかります。代官の山城屋です」
 この代官、商人なのだ。
「何か御用ですか」
「仕官先を探しておられるでしょ」
「ああ、はい、一応は」
「じゃ、私のところに来ませんか」
「いや、代官所はもう一杯でしょ」
「いえ、私の店へ」
「はあ」
「聞けば勘定方におられたとか」
「あ、はい」
「用心棒ではなく、商いですか」
「いや、帳場だけでよいのです。家柄のしっかりとした信頼できる人が欲しいのです」
「それでわざわざ」
「はい、山城から近江や大和、伊勢方面まで広げようとしておりまして」
「しかし、あなた代官でしょ。ここの」
「それは庄屋に任せておけばいいのです。代官といっても年貢のときに来る程度です」
「はあ」
「承知してもらえますかな」
「でも、どうして私が」
「誰でもいいのですがね。大人しそうで、勘定の達者な人なら」
「私でよろしいのですか」
「はい」
「浦上さん」
 浦上は別の声で呼ばれた。
「浦上さん、そんなところで居眠りしてちゃ、いくら小春日和でも風邪を引きますぞい」
 目を覚ますと、畦作りを手伝いに来ていたことを思いだした。
「あ、はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:58| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

3533話 新製品


 一つのことが新しくなると、他のことも新しくなる。これは時代が進めば当然起こることで、百年前のことを今もそのままやっている人は少ないだろう。ある箇所だけに限れば二千年前と同じことをやっていることもあるが、それはより大きいことか、より小さいことだろう。時代とともに新しくなっていくとすればその中間箇所。これがほとんどを占めている。
 変わらないと何ともならないこともあり、また変える必要はそれほどないのに、新しいものに手を出すこともある。これは能動的。積極的に自分でやるわけだ。
 その場合、一つを新しくすると、他のことも新しいものに変えたくなる。変える必要はないのだが、気分的にそう感じるのだろう。これはバランスが悪いとか、統一感がないとかで、新しいものに全部揃えてしまう。
 新しいものへの要求は、今より快適になるときは、それを楽しむためだけの行為に近い。必要性は統一感とか、そういったものが縄になり、引っ張られる。
 人の動きというのは太古とそれほど変わっていない。感情もそうだ。それらが時代により置き換えられたり、すり替えられたりする。また、まとめられたり、逆に独立させたりとかも。
 その中身ではなく、そういう行為があるということでは太古と今も同じだ。より大きなものは変わっていない。そしてより小さなものも。
「要するに新製品が出たので、それを買うべきかどうかの話ですね」
「今までとは違うわけじゃないけどね。これは思っていたものが出た。理想的だ。新しけりゃいいというものじゃないよ。私が思っている新しさ、それに今回遭遇した」
「でも、今のでもやっていけるのでしょ」
「不満が多い。それらを払拭してくれる商品が出たんだ」
「じゃ、古いのはどうするのです」
「君にあげるよ」
「いくらか払いますよ」
「それは好きにしたまえ。もう使わないので」
 その後しばらくして。
「君に売ったあれねえ、買い戻したいのだけど、いいかね」
「いいですよ。安く譲り受けましたが、使っていないので」
「使っていない?」
「はい」
「やはり、あれじゃ時代遅れだろ。私と同じ理由で使う気が起こらないんだろ」
「そうじゃなく、使う用事がまだないもので」
「あ、そう。じゃ、買い戻すよ」
「いいですよ。それより、どうしました。張り切って新製品を買ったのでしょ。だめだったのですか」
「聞くでない」
「不満だったのですね」
「そうじゃないが、思っていたものとは違っていた」
「じゃ、今は使っていないのですか」
「そうだ。こんなもの使えるか」
「怒ってますねえ。じゃ、僕が買い取りますよ」
「そうかい。じゃ、それも何だから、交換しよう」
「はい」
 それからしばらくして。
「君と交換したあれねえ」
「新製品をもらい受けて大喜びです」
「使っているかね」
「いいえ、まだ用事がないので」
「交換しよう」
「え、でもあれは不満だったのでしょ。思っていた新製品じゃなかったと言ってましたよ」
「誤解だった。よく説明書を読まなかったんだ」
「あ、そうなんですか」
「また、交換しよう」
「いいですよ。どうせ使ってませんから。それに僕が持っているものより、新しいですし。それ以前に使う用がないので、何も困りませんから」
「よし、成立した」
 それからしばらくして。
「交換しよう」
「またですか」
「取扱説明書をさらに読むと、違っていた」
「そうなんですか」
「これで最後だ」
 それからしばらくして。
「他社から新製品が出たんだ。今のはいらない。君に譲る。もうお金はいらない」
「あのう」
「何かね」
「忙しいです」
「何が」
「重いのを持って、往復するのが」
「いい運動になるじゃないか」
「そうですがね。今度は決まりですねえ」
「それは届いてからだ」
「はあ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:38| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

3532話 春待ち妖怪


「梅の蕾が膨らむ頃、真冬の底から抜け出す季節。立春もこのあたりかもしれん」
「年寄りの茶話のようですねえ」
「私も年寄りだからな」
 妖怪博士は寒いのに水を飲みながら担当編集者に言う。彼は自販機でホットミルクティーを二本買って訪問したのだが、博士は飲もうとしない。温かい飲み物が好きではないらしい。
「最近よく水を飲んでいますが」
「ああ、これか」博士は小さなグラスをまた手にする。
「何か意味でも」
「最後はお茶で締めるが、私は水がいい。どんなにいい料理を食べても、最後のお茶が一番旨い。さらに進めると、水になる」
「じゃ、今は水が一番美味しいと」
「茶の境地よりも水」
「はい」
「それよりも何の話をしていたのかを忘れた」
「梅の蕾が、とか言ってましたが」
「季節の話をしておったのではない」
「妖怪ですね」
「あの梅の蕾が妖しい」
「どんな妖怪ですか」
「バイドク」
「梅毒ですか。そのままですよ」
「その梅毒ではない。梅そのものの毒」
「じゃ、梅干しなんて毒の固まりじゃないですか」
「あれは梅の実。蕾ではない。それに毒は薬になる」
「じゃ、梅の花は毒花なのですか」
「梅というのはきついじゃろ」
「うちの婆ちゃんが歯が痛いとき、梅干しの皮を歯茎に付けてました」
「それよりもコメカミじゃろ」
「当然、頭が痛いときは、梅干しの皮を張り付けていました」
「だから、きついものが梅にはある」
「そうですか。しかし何処に妖怪が」
「蕾」
「蕾に?」
「梅の蕾が妖怪ではないぞ。梅の蕾に化けた妖怪がおる。これをバイドクという」
「初めて聞きました。妖怪辞典にもありません」
「これはまやかしでな」
「何の」
「先ほど言っただろ。梅の蕾が膨らむ頃、真冬の底から抜け出す頃だと」
「はい。それが何か」
「早蕾なのじゃ」
「はあ」
「まだその時期ではないのに、蕾が真っ赤になり、ぷっくりと膨らんでおる」
「何か、いやらしいですねえ」
「だからその手の春の妖怪でな。季節の春ではないぞ」
「はい」
「その妖怪を見たものは発情する」
「へー」
「梅の蕾が気になるのは、早く冬が去らないかなと思うから」
「早く春が来て欲しいわけですね」
「すぐには来んが、寒さの底から出るだけでも春を感じるもの。それで注意深く梅の枝を見る。すると、既に赤く膨らんでいるのがある。これが曲者でな。これは違うのだ。梅の蕾ではなく、実は妖怪」
「それがバイドクなのですか」
「梅の毒ではない。妖怪の毒」
「つまり回春妖怪ですね」
「そういうのは子供向きでは無理じゃろ」
「はい」
「じゃ、これ以上話さん」
 妖怪博士はまた水を飲む。
「腹を冷やしますよ。この寒いのに、水では」
「うむ」
「なぜ、水なのです」
「悪いものは水で流すのが一番」
「体毒でもあるのですか」
「そういうわけではないが、最近水が一番美味しく思えるようになった」
「毒は水に弱いということですね」
「そう言うことじゃ。だからこの妖怪バイドク、水に弱い。雨や雪にな。それで消える。そして一度それを見た人は、蕾が消えているのに気付く。誰かが千切ったのかと思う程度じゃが、もっとよく見れば、蕾が膨らんでおるのは、一つだけ。これが本物の蕾と妖怪バイドクの見分け方じゃ」
「しかし回春妖怪なら、いい妖怪じゃないですか」
「それなら、春待ち妖怪に直せばどうじゃ。これなら子供向きでもいけるだろ」
「はい、そうします」
 
   了

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2018年02月11日

3531話 ややこしい町


「最近どうですか、ややこしい町へ行ってますか」
「ややこしい町ねえ、滅多にないですよ」
「そういうのはどうやって探すのですか」
「偶然ですよ。行った町で見付かる。町といっても広い町だと、その町全体がややこしいのではなく、その一部、ピンポイントだけが怪しい。町そのものがややこしいのなら、その町の住人全てがややこしい人ばかりに見えてしまいますがね」
「要するにややこしい人が行けば、ややこしいものが見付かるということですか」
「私はややこしい人間じゃありませんよ」
「そうですかね」
「たまにややこしくなりますが、そのときに行けば、普通の町でもいくらでもややこしいところが見つかるものです」
「ややこしいとは、怪しいとか、面倒臭そうなというような意味ですか」
「面倒臭い人間は確かにいますね。そしてそれを怪しいと思うと、どんどん怪しくなります」
「分かりました。つまり、あなたがややこしい町を捻出させているのですね」
「捻出」
「捻り出しているのです」
「それじゃ妄想でしょ」
「だからです。あなたが書かれたややこしい町を何カ所か訪ねたのですが、少しも怪しくないし、ややこしくもありませんでした。だからそれはあなたにしか見えない町だったのです」
「確かにそうですねえ。精神的にややこしくなったときに行った町が多いような気がします。まともなときには逆に出掛ける気もしませんがね」
「あなたにとってややこしい町とは何でしょう」
「私がややこしいので、町もややこしく見えるだけかもしれませんが、そんなとき、ややこしいものを見るとほっとするのですよ。ああ、ここでもやってるやってると」
「何もやってませんでしたよ」
「いやいや、僕が見た限り、もの凄いことをやってましたよ。この町の住人は全て復讐を誓った一族達が暮らし住んでいたりね」
「はいはい、いつものお話しですね」
「この町は盗人の町で、泥棒だらけの町で、泥棒の家が、別の泥棒の家に泥棒に入り、入られた泥棒の家は、また別の泥棒の家に入り、そこで、自分が泥棒に盗まれたものを見付けたとか」
「だから、そんなややこしいことは有り得ないでしょ」
「気持ちがややこしいときは有り得るのですよ。しかし、それはフィクションだとは私自身も分かっていますがね。そういった嘘の世界が見えるのです」
「じゃ、日本ややこし紀行というあなたの本はフィクションなのですね」
「当然でしょ。全部嘘なのですから」
「でも本当にあったややこしい話として書かれていますよ」
「私の頭の中では本当にあったフィクションだからです」
「え、今ややこしいことを言われましたねえ。実際にはないことだからフィクションでしょ。実際にあるフィクションって、何ですか」
「そこで実際にフィクションを見たからです」
「やはりあなたは面倒な人で、ややこしい人だ」
「大なり小なり、皆さんそうでしょ」
「まあ、そうですがね」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:16| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

3530話 白根峰西へ一里


 白根峰から西へ一里とある。白根峰は高い山塊ではないのだが、雪が積もる。豪雪地帯ではないが、大陸方面からの寒風の通り道なのだろう。まるで日本海側からの風を羽を広げて受け止めているような。それで白根峰と言ったらしいが、実際には白樺の森があり、遠くから見ていると雪のように白いためだとも言われている。標高はそれほどないし、冬場ずっと雪を被っているわけではないので、白樺説が正しいのかもしれない。今は白樺など何処にもない。
 さて、白根峰から西へ一里だが、この峰は先ほど言ったように羽を広げたように長い。そして一里は短いので白樺峰との距離感が微妙。頂上を基点にしても、峰内の何処かになる。
 白樺峰の西は別の山々がずっと続いている。当然名はある。はっきりと分かるくびれがあり、川が境界線となり、別の山だとはっきりと分かる。川向こうの山は武山で低い。
 白根峰の西へ一里なら、この武山の山中となる。その基準を白根峰の端にある川とした場合だ。
 ただ、正しくは武山は西ではなく、南寄りなので、南西だろう。しかし、西にある目立ったものはこの武山だけ。だが、武山も古くから名のある山なので、白根峰の西などと言わず、武山だと記した方が早い。だから、白根峰の西一里は武山ではないことになる。
 一里は約四キロほど。白根山の基点が分からないが、昔の人の視点で立つと、白根山に登り、そこから見て一里なのか、白根山を下から見ながら、そこから見ての一里なのか、どちらかだが、どちらも基点が分からない。麓といっても広いが、西側が見える位置なのかもしれないが、これも分からない。当然この峰には峰道があり、山の頂といっても長い。一番高い場所がそれらしく思えるが、そこから一里では白根峰から出ないことになる。
「分かりましたか、白根峰の西一里にあるもの」
「これは手掛かりがあるようでないですねえ」
「一番高いところから、西へ四キロほどの地点へは行かれましたか」
「はい、斜面です。林道から分け入って、丁度一里のところに行きましたが、目だったものは何もありません」
「この山、殆ど植林でしょ」
「はい、杉の木だらけでした」
「二千年以上前の話ですからねえ。このへんは原生林でしょ」
「白樺とか」
「さあ、白樺が生えだしたのはいつ頃からかは分かりません」
「しかし、二千年前、本当にここに古代王朝があったのでしょか」
「冬場、ここは雪がよく積もります。この近くの山よりもね」
「それが何か」
「風です」
「寒いので風邪」
「そうじゃなく、大陸から一気にここへ渡れる」
「日本海をですか」
「大陸のある種族が、渡ってきてもおかしくはない」
「それで古代王朝を」
「その痕跡を昔の人は見たのでしょうねえ」
「本当ですか」
「この古文書は聞いた話を書き留めたものです。白根峰の西一里に何かあるぞと」
「本当でしょうか」
「想像です」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:02| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする