2019年08月22日

3487話 八幡の藪屋敷


 八幡の藪屋敷と呼ばれている家がある。屋敷というほどには立派なものではないが、結構大きい。二階はないが屋根は高い。これは屋根裏部屋があるはずだが、明かり窓程度なので物置だろうか。農家ではないが、周辺は農家がまだ残っている。
 村落時代、農家ではない家も混ざっていたのだろう。商家かもしれない。
 八幡の藪屋敷とは、このあたりにある鎮守の森ほどの樹木に囲まれているためだろう。八幡さんが祭られている。ただ、神木とかではなく、雑木林で、高い木はなく、低木が多い。それらが密生した藪。
 だから表からは家が見えないほど。ただ家があることは分かっている。だから藪屋敷と呼ばれている。
 単純にいえば神社のように森に囲まれた中に建っている家。
 藪の手入れはほとんどされていないようで、実際には庭木なのだが、表口もそれで塞がれている。当然母屋は蔓草で覆われているかしょもあるが、そこだけは何とか防いでいるようで、根元から切られた蔓が枯れてロープのように垂れ下がったり、地面を這っていたりする。ただ、電線は宙にあるものだが。
 子供達にとり、そこは絶好の冒険場所。道沿いに土塀はあるが、壊れて切れているところが多い。そこから中に入れそうなものだが、実際には灌木が垣根のように密生しているので、隙間がない。しかも庭は広く、密林も深い。というより分厚い。生け垣の比ではない。
 しかし、冒険者達は何度もアタックし、ときには枝をへし折り、母屋へ出る道を開拓しているようだ。これは遊びとしては面白い。
 当然一日では抜けられないので、道造りで日々を過ごす。まるでトンネルでも掘っているようなもの。
 誰も住んでいないから、そんなことができるのだが、管理している人はいる。村の人で、子供達もたまに顔を見かける農家の人。しかし、その農家の家ではない。
 元々農家ではなかった家なので、毛色の変わった人の家だったようだ。古い農家がまだ残っているような町なので、その時代のものだが、そろそろ建て替えないといけない頃になっている。修繕だけでも大変だろうが、この藪屋敷はそのまま放置されているため、建った当時のまま。
 道沿いに門があるが、当然閉まっている。そして土塀と藪で入る隙間がない。門の隙間から覗くと、石畳が伸びているが、ほとんど雑草で覆われている。そして母屋の玄関口当たりは横から伸びてきた樹木で見えない。また、種が落ちたのか、通路に木が生えている。
 裏口はあるが、隣接する農家との隙間の路地は塞がれており、裏へ回れない。
 藪屋敷の裏側にも当然庭があり、そこはもう一軒隣接する大きな農家の庭と面している。ここからなら藪屋敷の母屋の屋根の一部が見えたりする。
 だが、そこから入り込めないのは、管理しているのがこの農家のためだ。だから子供達はそこからは攻められない。
 母屋まで藪に道を付けていた子供が、ついに縁側が見えるところまで辿り着いた。しかし、縁側より先に、そこに赤いものを見た。
 真っ赤なおべべを着た女の子が座っていたのだ。
 子供は悲鳴を上げながら戻った。
 今も残っている怪談と言えば、これだけで、それ以外には不思議な話は伝わっていない。
 藪に道を付けていたことは確かだが、本当にそこまで辿り着けたのかどうかは怪しい話。
 そして今は、そんな八幡の藪屋敷などは当然、ない。駐車場になっている。
 
   了

 
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2019年08月21日

3486話 オールマイティー


「何でも出来る人は何にもしない」
「出来るのにしないのですか」
「少ししか出来ない。または限られたものしか出来ない人ほど、何でもやろうとする」
「逆ですねえ」
「オールマイティーではやる気が出ないのだよ。どうせ出来ることなのでね」
「はあ」
「ところが限られたことしか出来ないか、または満足に出来ないような感じの人は、それをやろうとする」
「出来ないので、やろうとするわけですか」
「そのようだ」
「どうしてでしょう」
「もし出来れば凄いからだ」
「はあ」
「何でも出来る人は、出来てあたりまえ。だから凄くも何ともない。本人にとってはね」
「はい」
「また何でも出来る人は忙しい。何でも出来るんだからね。きりがない。そして色々なことに手が出せるのだが、人がやることだ。全部は出来ない」
「それで金言なのですが」
「金言」
「教訓です。どのような言葉になりますか」
「さあ」
「今日の話はためになると思うので、金言だと思いますよ」
「いや、アルミ言程度だよ。一円玉ものだ」
「要するに、あまり力のない人ほど懸命にやるということですか」
「解釈は人それぞれ」
「力が無いので、創意工夫したりするので、伸び代があるとか」
「それもあろう」
「はい」
「それとね。出来ない箇所を何かで補おうとする。出来る人なら簡単に使える手が使えない。だから数少ない限られた手だけでやるので、洗練されたものになる」
「それは技巧派ということですか」
「いや、技巧が無いので、単純な技だけで何とかやろうとする」
「その技が素晴らしいのですね」
「技そのものは素晴らしくはない。何でも出来る人の技に比べればね」
「そのへんの境地が今一つピンときません」
「結果は先に言ったでしょ」
「え、何でした」
「何でも出来る人は何もしないと」
「それは極端でしょ。何かするでしょ」
「いや、ほとんど何も出来そうにない人ほどには懸命に何かをやろうとはしていない」
「何でしょう」
「出来れば素晴らしいと、出来てあたりまえの違いだよ」
「はあ」
「じゃ、何も出来ない人の方が色々と出来るわけですね」
「いや、何も出来ない人なので、やはり出来ないがね。出来損ないしか出来ないが、何かをやろうという気だけは大きい」
「まだ、分かりません」
「出来ないからやるんだよ」
「そんな単純なことですか」
「そうだよ」
 
   了


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2019年08月20日

3485話 送り火の夜


「盆が終わるのう」
「もうすぐ送り火です」
「そろそろ帰らないといけないなあ」
「あっちへですか」
「君はどうする。まだ残るのかね」
「去年から残っています」
「それは長居過ぎる。あっちじゃ心配しているじゃろ」
「一度帰る予定ですが」
「じゃ、丁度いい。送り火が焚かれている間に立とう。いいタイミングじゃ。この機を逃すと、立ちにくいぞ」
「そうですねえ。一年も空けていたので、向こうはどうなっているのか、気になりますよ」
「相変わらずだよ、あっちは。こっちほどには変化はない」
「じゃ、立ちましょうか」
「そうしよう」
「しかし、今年、戻ってきた人は少ないようですよ」
「年々減ってる。昔ほど盛大に迎えてくれん」
「何度ほど帰られていたのですか」
「毎年じゃ。もう長い。もうわしのことなど誰も知らんかったりする」
「でも遠いご先祖に当たるわけですから」
「そうじゃな」
「じゃ、行きましょう」
「よし行くか。ところで、君はどちら方面だった」
「戻るところですか」
「そうじゃ」
「毎回適当です」
「そうじゃな、場所などないものなあ」
「そうですよ。郵便も届かないし、宅配便も来ませんよ」
「まあいい。ここを立つだけでいい」
「はい、行きましょう」
 上田は寝ていたとき、そんな会話を聞いた。
 あれは誰だったのか、映像はなく、声だけが聞こえていた。
 
   了




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2019年08月19日

3484話 調子に乗る


「調子は如何ですか」
「まずまずだね」
「それは何より」
「調子が良いわけじゃないし、まあそれは期待できない」
「はい」
「毎度同じことを繰り返しているだけで、さっぱり展開が開けない」
「いえいえ、続けられているだけでもご立派です」
「続けなくてもいいのだがね。これをやめると他にやることがなくなるので、探さないといけない。そちらのほうが厄介だ」
「はい」
「しかし、展望もなく、その先も今と様変わりしないようなことをやるというのは惰性だねえ」
「そうですか」
「だから調子は良くない。これは景気が良くないのと同じだ。ただ、そんな状態でも、さらに調子が良くないときがある。調子が悪いのに、さらに悪い状態になる。最悪だね」
「そうなんですか」
「だから、いつもの調子に戻れるだけでも調子が良いと見るべきだ」
「何か、込み入った話ですねえ」
「調子の悪いことでも調子良くやっていると、調子が良い」
「分かるようで分からないような。結局調子は良いのですか、それとも悪いのですか」
「悪くても調子良く行くことがある。これは何だろう」
「知りません」
「全体的な調子は悪く、不調なのに、調子良くできることがある。まあ、滅多にないがね。それより、調子の悪いまま調子の悪いことをすると苦痛だ」
「はあ」
「いやいや、難しい問題じゃない。よくあることだ」
「調子って、何でしょう」
「気持ちよく進むことだろ」
「もっと、色々とありそうですが」
「基本となるのは気分だろうね。そしてリズムやテンポ。これは内容とは関係がない。調子が悪くても調子良くできるのは、このリズムやテンポに快く乗ったときだ」
「もう分かりません」
「そうかね。まあ、あまり景気のいい話じゃない。そして調子の良い話でもない」
「はい」
「目的とは別に調子だけを楽しむというのもある」
「要するに、お調子乗りですね」
「違う」
 
   了





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2019年08月18日

3483話 浪費の神事


 今年もお盆が来た。武田はこの日、何か特別な買い物をしてもいい日と決めている。たとえば普段は買えないようなもので、迷い悩んだまま実際には諦めたものでも、この日なら買ってもいい。お盆の記念のようなものだろうか。一人でお盆セール、お盆祭りをやるようなもの。
 これは年の瀬の大晦日もそうで、この日は一年を無事過ごせたので、記念で何か買ってもいい日。しかも無条件で。
 これはご先祖様からのプレゼントだと武田は勝手に解釈している。それを自分で買うようなもの。しかし、プレゼントなので、何がもらえるのかは分からない。送る側が決める。しかし、送る側も武田なので、武田自身が欲しい物の中から選んでいることになる。要するに何やかやといいながら、結局買いにくいものを買うチャンス日としているだけだろう。
 ただ、それらは衝動買いに近いので、冒険しすぎて、失敗することもある。
 今年も無事夏を越せそうなので、その意味でのお盆の買い物に走ろうとしたのだが、夏はまだ終わっていないし、暑い日がその後もあり、熱中症などでダウンするかもしれない。それを言えばきりがないが。
 その物も欲しいが、それ以上に、この行事を続けているのは、何かの区切りだろう。そして、そういった自分に対してのプレゼントを買える状態を愛でること。これは目出度いだけかもしれない。
 一年の半分を既に過ぎているが、その過程での給水所のようなもの。
 これは毎年良好なわけではなく、厳しい年もある。それでも何とか過ごせているだけで十分。もっと苦しい状態の人もおり、それに比べれば平和なもの。
 不幸はあるが、普通の不幸なら問題はない。
 さて、それで今年もお盆になったので、武田は何を買うかと物色しているのだが、候補が多い。それら全てを買うわけではないし、買えないものもあるし、必要ではない物もある。いずれもなければ困るようなものではない。
 だからこの年のお盆にふさわしいものを探す。いまの武田を象徴しているようなものがいい。そうなると、ストーリーを作らないといけない。一寸した物語が必要。
 それらはこじつけであってもかまわない。神話とはそんなものだ。
 ということはお盆や大晦日に神事をやっているようなもの。
 だからこれは聖なる行事で、儀式なのだ。
 しかし、この年のお盆、台風が来ており、外に出られない。
 それでも実行はできる。ネットで買えばいいのだ。
 
   了




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2019年08月17日

3482話 お盆の客


 アパートの戸を叩く音がする。またセールかと思いながら、増岡は態度を整えてドアを開けた。セールなら気構えるのをよして、興奮しないで、そっと引き取ってもらう態度になっていた。これは演技なので、少しだけ間が必要。しかしお盆休みにセールスに来る人がいるだろうか。同じアパートの住人かもしれないが、滅多に来ない。また、たまに来る人は戸など叩かないで、声を先に掛けてくる。しかも大声。
 それでドアの前に姿を現したのは、背が高く、ほっそりとしており、年は増岡と似ており、もう年寄りだ。
 長身の男は軽く微笑んだ。
 増岡はすぐにではないが、彼ではないかと、もう一度顔を見た。だが、名前が出てこない。もうしばらく合っていないし、思い出すことなど希な昔の同業者。まだ若い頃上京し、そのまま戻ってこないが増岡が上京したときはよく宿にしていた。
 逆にその上田が帰省したときは増岡の部屋が宿になる。上田はさらにそこから少し行ったところに実家があるので、途中で下りて、わざわざ泊まりに来る。これがお盆の頃毎年続いた。
 しかし、それはもう昔のことで、今はもう消息さえ分からないほど遠い存在。仕事で上京したままそこで家族を持ち、暮らしていると聞いたのが最後の便り。別の仕事に就いたので、もう同業者ではなくなったためか、お盆になっても来なくなった。
 しかし、いつもなら電話があるはず。それで駅まで迎えに行った。いきなり暑苦しい部屋に来てもらうよりも、駅前の喫茶店で歓談し、そのあと遊びに行くのがパターンになっていた。
「ああ、上田君か、元気だった」
「そうでもないけど、まあまあだね」
 確かに上田に間違いはない。話すとき、すこし鼻から口に掛けての皺が大きく伸び縮みし、目は何処を見ているのか、視線を合わさないで話す。
「暑いから喫茶店でも行くか」
「ああ、そうするか」
 増岡は暑いので適当な服装だったので、それなりの夏服に着替えるため、奥に入った。戸口からは見えない程度の奥だが。
 それで、鞄とカメラを持ち、靴を履こうとしたが、上田がいない。先に表に出ているのかと思い、アパートの入口へ行くが、そこにもいない。
 古い友達なので、家電話は何処かにメモっているが、ケータイ系は知らない。
 アパートの前の道を少し探すが、見付からない。
 奥で着替えていたのは一分ほどだ。さっきまで戸口にいたのだ。その証拠に戸は開いたまま。
 アパートに戻り、待つことにした。
 まずは暑いので、上着を脱いでいる、イビキが聞こえる。
 寝室がもう一室あり、そこを開けると、増岡のベッド。しかし、聞こえてくるのはイビキというより、大きい目の寝息だけで、姿がない。
 そして寝息が徐々に聞こえなくなった。
 増岡は猫が死んだとき、買っていた線香を探した。
 
   了



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2019年08月16日

3481話 寒月


「暑いねえ、どこか涼しいところはないのか」
「クーラーを付けないからですよ」
「あれは疲れる。体調に悪い」
「涼しい人がいますよ」
「立ち振る舞いの涼しい人かね」
「それはどうだか分かりませんが、寒月さんです」
「あいつは涼しいと言うより寒い」
「こういう猛暑のときは効きますよ」
「寒々としたやつだ。それだけだろ」
「いえ、久しぶりなので、訪ねてみては如何です。少し山に入った渓谷沿いに住んでいますから、涼しいですし」
「冬に行ったことがあるが、凍えそうだった」
「はい、だから夏場は、過ごしやすいのです」
「じゃ、行くか」
 寒月。これはあだ名で、そんな名前ではない。七人衆の一人だがその末席。その住処が渓谷沿いにある。辺鄙な場所だ。しかし、寒月氏はそこが気に入って長く住んでいる。
 流石に渓谷の中に入ると涼しい。これだけで涼になり、寒月を訪ねるまでもない。
「涼しいでしょ」
「空気が濃い。これだけの繁みと、この木陰と、この谷風を受けているだけで、十分だね」
「その先です。あの尖った崖の上が寒月の住処です」
「趣向を凝らしすぎているんじゃないか」
「そんな感じですが、ある境地を求めると、同じようなものになるのでしょう」
「そうだね」
 寒月氏は浴衣姿で昼寝をしていた。崖の上の家なので、広くはないが、全ての部屋を開け放しているので、大広間のように見える。そして家具はほとんどない。
「どうだね。寒月君、元気だったかね」
「あ、はい。お久しぶりです。顔を出そう出そうと思いながら暑くて暑くて町へ下りづらくて」
「分かるねえ。こんないいところに住んでいると、そうだろう。エアコンもいらない。しかし冬は厳しいだろ」
「冬は蒲団を被っておれば凌げます。しかし暑いのはなにをどうしようと無理ですから」
「そうだね」
「はい」
「しかし、こんなところで、仕事ができるのかね」
「はい、何とか」
「君は末席とはいえ七人衆の一人、しっかり働いてもらわないとね」
「期待されていないと思いますが」
「お見通しか」
「本当は六人衆でしょ」
「だから、君は次席、補欠のようなものだが、実力は六人衆にも勝る面を持っている。だから席を増やし、七人衆としたんだ」
「有り難うございます」
 そのため、この寒月氏は六人衆待遇。
「君はそれほど寒くない」
「そうですか」
「だから、寒月という名は変えた方がいい」
「私が付けた名じゃないので」
「そうだね。我々が呼び方を変えないといけない」
「君が寒いのではなく、ここが寒い」
「そうですね」
「しかし、そういうところにわざわざ住んでおるのだから、君はやはり寒いやつだよ」
「寒さとは関係なしに、ここが善い場所なので」
「そうだね。善い場所だ。しかし、ここじゃ不便で仕事などできんだろ」
「そうですねえ」
「していないのか」
「六人衆がおられますので、私の仕事などありません」
「そうだったか」
「それで、用がないので、ここで暮らしているのです」
「それは何か皮肉かね」
「決してそうではありません」
「まあいい。好きなようにすればいい」
「はい、有り難うございます」
 同行の一人は二人から離れた場所で昼寝をしている。
 そして夕方、少し涼しくなった頃、二人は山を下りた。
 寒月は涼やかな者ではなく、やはりどこか鋭利な冷ややかさを持っていた。
 味方としては寒々しいが、敵に回すと氷の刃となる。だからそっと囲っているのだろう。
 
   了
 



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2019年08月15日

3480話 遠縁


 最初の印象が当たっている場合がある。印象だけ、イメージだけ、雰囲気だけの把握で、詳細を調べたわけではない。だから実態とイメージとは別。またイメージは人によって異なる。絶対的なデータではない。データとして示されているものからもイメージは発生する。データそのものも実体ではないためだ。
 そして調べていくに従い、最初イメージしていたものよりも、よりデータ的に優れているものが浮かび上がってくる。
 ところが、全ての面で優れているものはなく、データをよく見ていくと、劣っている箇所もある。それを劣っていると見るか、当然のこととして見るのかで違ってくる。これは本人との関わり方で変わるのだろう。
 データ的には優れたものでも、実際にはそれほど大した違いはなく、ほとんど変わらなかったりする。
 それで最初印象がよかったもの、イメージがよかったものに、戻ることがある。第一印象でピンときたものが、意外と当たっていたことになるが、これは直感なので、勘違いも多いし、認識不足、知識不足のための誤りであることも多いはずなのだが、射貫いていることもある。
 要するに、最初の印象として、落とし所としてよかったのだろう。本人にとり、それが一番妥当だったことになる。
 直感はオーダーメイドのためだ。その人に沿ったその人だけに当てはまる特殊なディバイスのためだろう。以下省略で、直接言い当てるようなもの。途中の説明や過程は簡単なもので、最初からもう決まっているようなもの。直感で決めるとは、詳細やデータに惑わされないといういい面もある。そして、その人にふさわしい墓穴になるが。
 この直感というのは、そのものに対してだけではなく、もっと遠いところからも繋がっている。それらは印象でありイメージであり、悪く言えば妄想だが、妄想なら妄想だと分かるので、それほど悪いものではない。
 内面の何か、何処かが喜んでいるのだ。これには様々な要因、遠縁があるようだ。だから第一印象と言っても、結構深いところから来ているのだろう。本人にだけ当てはまることだが、似たような思いを懐く人も当然いる。
 ただ、その遠縁は、結構恥ずかしいもので、口には出せなかったりする。
 因果は何処で巡るかは分からない。それらはまったく関係のないところから繋がっていたりする。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:09| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

3479話 狐狸の道


 郊外の町から山へ入る道沿いにはお稲荷さんが多い。狐を祭った動物神だ。犬を祭れば犬神様になるわけではない。本来の犬神信仰とは違う。だから犬が御本尊のになっているような神社は希だろう。南総里見八犬伝の地では、犬を祭っているかもしれないが。
 猫を祭れば猫神様だが、これも探せばあるだろう。単に動物を祭るだけのものなら単純で思い付きやすい。
 さて、その狐の神様を祭った祠などが多い場所なのだが、山道の入口から始まり、電柱一本分間隔である。これは多すぎるのではないか。
 ただ、仕掛けは狐の置物。これはお稲荷さんでよく見かける狐だが、売られているので、手に入りやすい。本来の稲荷信仰とは別物だが、この地では、流行っているらしい。
 これは欺されないようにとか、狐に憑かれないようにとか、そっち方面だ。
 山へ入る道は複数枝分かれしているのはまだ里山なので、林業関係の道だろうか。昔なら木樵道。
 メインの道は狐が多いが、枝道に入ると、狸が多くなる。ここは讃岐道と呼ばれている。狸といえば讃岐だろう。
 ここの狸も市販品で、住宅地でもよく見かける信楽焼。玄関先や飲み屋などでもよく見かける。
 これも狐と同じで、人を化かすので、その魔除けの意味もあり、狐があるのなら、狸もあるだろうというようなもの。カップうどんやそばのようなもの。
 さらに奥へ向かうと、狐と狸の祠が交互に並んでいたり、一緒にあったりする。
 しかし、ここまで数が多いと、異様だ。
 里の人達に聞くと、それだけ多いのは、狐や狸に化かされやすい場所なのだが、既に化かされているという。化かされた人達がそういう祠や置物を並べだしたらしい。
 中には狐の祠のある場所から出ている狭い小径。これは道ではなく、ただの植物の切れ目だが、そこにトンネル状に鳥居が続いている。いずれも小さい。こういうのを作ったこと自体、化かされた証拠だろう。
 ということは、それらの祠が効かなかったことになる。
 讃岐道も同じようなもので、ゴミとして捨てられたような狸の置物を集めてきて、並べたりしている。
 既にこの一帯の山は林業などしていない。だから山に入る人など希。山の手入れ、山仕事などではなく、こういうアトラクションのようなものを作りに来るのだろう。
 しかし、それも含めて、やはり狐狸に欺されているのかもしれない。
 
   了
 

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2019年08月13日

3478話 ミステリーツアー


「何か、このあと予定とかありますか」
「予定は未定です」
「じゃ、これから行きませんか」
「何処へ」
「ミステリーツアーのようなものです」
「この暑いのに」
「涼しくなりますよ」
「じゃ、ミステリーではなく怪談とか」
「まあ、それは私にも分かりません。行ってみなければ」
「いったい何処なんです」
「樫木町です」
「聞いたことはありますが、近いでしょ」
「そうです。この近くです」
「なぜ樫木町なんですか」
「分かりません。偶然樫木町なんでしょうねえ。田中町でもいいし、楠町でもいいし、大河内村でも」
「いったい何があるのです」
「行ってみなければ分かりません」
「危なそうですねえ」
「普通の町ですよ。この近くなので、こことそれほど変わらないと思います。特別な場所じゃなく、平凡なありふれた町だとか」
「誰かに聞かれたのですか」
「又聞きの又聞きですから」
「じゃ、都市伝説のようなものですか。ただの噂」
「しかし、噂の中身がまったく分からないのです。だから伝説化しようがありません」
 二人は駅前のバスターミナルへ行き。そこで幸坂行きに乗った。樫木町はその途中にあるのだが、バス停は弥勒堂前。そこから少し歩けば樫木町。
 昼と夕方の間ぐらいの時間帯で、一番暑い頃かもしれない。
 二人は弥勒堂前で下りた。この時間なので、老人しか乗っていない。何人かそこで下りたので、弥勒堂へ行くのが目的かもしれない。
 弥勒堂はお堂だけがあるような場所で、近くに大きな寺があり、管理は寺がやっているらしいが、常駐ではない。このあたりは聖域で、小さな祠や石地蔵などが点在している。ただ、樫木町はその奥なので、弥勒堂とは関係がない。
 だが、ミステリーツアー的な頭があるので、どうしてもこの弥勒堂や、周辺の祠などが気になる。
「これは結構暑いですよ」
「そうですねえ」
 弥勒堂を抜け、奥へ向かっている二人、猫の子一匹出ていない。住宅地だが、少し古い。
 電柱の番地表示プレートが樫木町に変わっている。だから、既に足を踏み入れているのだが、ありふれた郊外の住宅地だ。
「何もありませんねえ」
 やがて町名が変わり、寿町一丁目となってしまった。樫木町をもう抜けてしまったようだ。
「何も起こりませんでしたねえ」
「樫木町に何かあるというのはやはり噂だったのかなあ。悪いことをしました。暑いのに、歩かせただけ」
「いや、いいですよ。運動不足なので、たまには歩いて汗を流さないと」
「戻りますか」
「そうですねえ」
 二人は来た道を引き返し、弥勒堂前からバスに乗った。
 この中身のない樫木町都市伝説。ミステリーものだが、一人で入り込まないといけなかったらしい。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:29| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする