2020年01月20日

3637話 連判状


「元気でされてますか」
「何を」
「だから、元気で、色々と日々成されていますか」
「別に何もしておらんが」
「何かされているでしょ」
「寝て起きてだ」
「だから、その間、何かされているでしょ」
「ご飯は食べる。そんなこといちいち言う必要はなかろう」
「じゃ、お元気でお過ごしで」
「風邪っぽい」
「あ、それはいけませんなあ」
「だから、元気で過ごしておらん」
「寝ていなくても大丈夫ですか」
「軽いのでいいが、怠い」
「それは安静にしておられるのがよろしいかと」
「そうだな」
「ところで」
「来たな」
「まだ、まだ何も言ってませんが」
「何か言いに来たのだろ」
「仰る通り、少し頼み事がありまして」
「風邪っぽい」
「はいはい」
「聞いておらなんだのか」
「聞いていました」
「そんなとき頼み事をするか」
「軽い風邪なら、軽い頼み事程度なら、できると思いまして」
「しかし、安静にしておいた方がよかろうと先ほど言ったではないか。安静状態でもできることか」
「はい、ここに連名を」
「連名」
「何の」
「連判状です」
「それなら名前を書くだけではすまんだろ。血判もいるだろう」
「恐れながら」
「傷口から何か入ればどうなる」
「軽く、ちょっと」
「抵抗力が落ちておる」
「じゃ、血判はいりません」
「いらぬのなら、最初から言うな」
「では、この連判状の最後に、御名前を」
「全員血判を押しておるではないか」
「締めの人はよろしいかと」
「最後に名を連ねる人のことか」
「そうです。この連判状を見て、了解したという程度で結構ですので」
「参加せずともいいのか」
「はい、これで、連判状の締めになります。あなたしか、この締め役はいません」
「分かった。それで、何の連判状だ」
「それは言えません」
「物騒な。何か事を起こすのであろう。失敗すればわしも連座したとみなされ、処罰されるかもしれん」
「いえ、これは脅しの連判状なので、実際には何かをするわけではありません」
「事は起こさぬとな」
「はい」
「それで、その連判状、何処で使う」
「これは仲間内で確認するもので、誰かに見せたりするものではありません」
「連帯のための、連判状か」
「はい」
「少し見てもいいか。誰の名があるのか、見たい」
「当然です。確認して下さい。同志です」
「花村もいるのか」
「はい」
「人選は確かか」
「はい」
「花村がいるのは何かおかしい」
「誰でもいいのです」
「そうなのか」
「木下もおるぞ。あれも参加しておるのか」
「はい」
「それもまた誰でもいいということでか」
「さようで」
「要するに、あまりいいやつはおらんのう」
「はい」
「まあ、いい」
「はい」
「しかし、この連判状。目的が書かれておらん」
「汎用性を考えまして」
「まあいい」
 この連判状、結局使われることなく、長い眠りに入った。
 その眠りを覚ますようにある旧家から出てきたのだが、一人だけ血印らしきあとがないものが確認された。
 血判を押し忘れたのではないかと、解釈された。価値としては低いし、歴史にも関わらないが、実在する連判状としての値打ちはある。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:03| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月19日

3636話 日常の世界


 日々の過ごし方が数日違うと、少し新鮮だ。これはこれで楽しめるのは、ずっとではないため。少し立てばまたもとの過ごし方に戻る。もしそうでなければ、受け止め方が違うだろう。
 もとの日々の暮らし方に戻るには相当日数がかかるとなると、これは決心がいる。さらに、もう戻れず、一時的なものではないと分かると、さらに決心がいる。それが必要なことならいいのだが、そうなってしまったような場合は、やや下向きだ。
 がらりと生活パターンが変わるのは引っ越しだろう。近い場所に引っ越したとしても、立ち回り先が少し違う。僅かだが遠くなる場所と近くになる場所ができ、近くの方へ行くようになる。
 引っ越しはよりいいところへならいいが、一つランクを下げた場所となると、下げざるを得ない状況の方が深刻なので、都落ちのようなものになる。その場所は新鮮だろうが、気持ちはそうならなかったりする。
 安定した暮らしぶりとは慣れだろう。住めば都になる。もうあまり決め事をしなくてもいい。そして決め事を意識しなくてもできるようになる。決め事が習慣になれば、普通にやるだろう。
 安定した暮らしぶりがあってこそ変化が楽しめる。安定しすぎていると、退屈し、飽きてくる場合もあるが、何も考えずできるので、これはいいことだ。ただ、変化も望んでいる。だが、大きな変化ではなく、安定感を壊さない程度の。
 この安定感の中に食い込めば食い込むほど変化の効率は高いが、下手をすると屋台骨を壊してしまう。
 山田が散歩に出るのはいっとき日常から外れることが目的。しかし散歩なので、すぐに戻ってこられるので、大した外れ方ではない。これが何かの用事での移動なら、同じ道筋でも日常の中。決まり事の世界なので、通る道も最短を選ぶだろう。
 枝道に無闇に入らない。闇が待っているためだ。これは散歩のときの心情で、普段の心情ではない。
 ただ、散歩も日常事になる場合がある。日常業務のように同じ場所を同じ時間に出ていると、そうなってしまう。散歩も安定感を望むときはそれでいい。冒険しないで。あるべき風景があるべき様に見えるような。同じものを敢えて見る。
 日常の中にあるちょとした変化。それは散歩には丁度いいスケールだ。
 散歩コースというのは領地のようなもので、自分の土地のようなもの。しかし散歩人同士での縄張り争いはない。犬の散歩ならあるかもしれないが、好きな場所を犬がうろつけるわけではないので、これも少ないだろう。ただ、その意識はあるはず。
 散歩コースが自分の領土。これは始終そこを通らないと駄目で、行かなくなれば人に取られるわけではないが風景がよそよそしくなる。そして他人の領地に踏み込んだようにも。
 日常化されると自分のものになる。慣れた者勝ちだが、領内コースを別の人がいたとしても、取り合うわけではない。どちらも領主。ただ一方は領民になる。そのため、しばらく行かないと領主から領民になる。
 人には世界があるとはこのことで、その人が持っている世界だ。それは架空のものではない。
 世の中には色々な世界がある。個人の暮らしぶりも、一種の世界で、誰もが世界を持っている。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月18日

3635話 源平藤橘


 橘通りというのがあるのだが、その道と交差しているだけで、通り過ぎるだけ。よく通るその道は急いでいるときが多い。仕事で寄る場所なので、約束通りの時間までに行く必要があるためだ。近所を自転車でウロウロするようなわけにはいかない。
 橘通りと交差しているが、北側にはない。十字に交差していないでT字。だからここから始まり、南側の何処かに行くのだろう。それほど広い道ではない。だが、一方通行ほどには細くはない。
 ある日、その橘通りを左に見ながら信号を渡り、仕事先で用事を済ませた。そのあと、もう一つ用事があり、そちらに寄ってから帰路につくのだが、その日はその用がなくなったようなので、もと来た道を戻ることにした。これは滅多にない。いつも二つ回るため。
 だから戻り道も違うので、橘通りの前を通ることはなかった。
 戻ってからの用事はないので、少しゆっくりできる。それで田中は気になっていた橘通りに寄ることにした。何の意味もない。そこを下れば海側に出る。下町が続いている。それだけのこと。
 しかし橘というのが気になる。立花ではなく橘。
 源平藤橘の一つ。奈良の昔から有名な四氏だがその中でも橘氏の印象は田中にはない。地味だ。名が出てくるようなことが少ないためだろうか。藤原氏のように別の名前で活躍しているのだろうか。むしろ源さんとか平さんなどは希だろう。別の系譜かもしれないし。
 今、源平藤橘が問題になるようなことは普通の人にはない。しかし、道の名として使われている。
 その通りのある場所は奈良時代は海だったはず。陸になったのは江戸時代で、長い年月を掛けて海を陸にしていったはず。だから江戸以前のものはそこにはない。橘氏が活躍していた時代、ここは海なのだから、ゆかりのものもないだろう。
 そんなことを思いながら、田中は橘通りに踏み込んだ。住宅と店屋が少しある程度だが、さらに進むと、歩道横が商店街になるが、軽い屋根が上にあるだけで、トンネル形ではない。そのため、向こう側の歩道もそんな感じで、傘を差した道のようなもの。ほとんどの店はシャッターを閉めている。もうよく見かける最近の光景で、特に意外だとは思わない。
 さらに進むと、少しくたびれた家が見え始め、下町らしさが出てくる。気取った家などなく、ギリギリ雨露を凌ぎ、傷んだところを補強している程度。その中には新築されたのか、今風な住宅もある。ごそっと大きな災害でもあれば、ほとんど建て替えられるはずだが、その難を逃れ、生き延びているのだろう。戦前からあるような家もある。
 その向こうは潮の匂いがしてきそうだが、実際には工場地帯で、別の匂いがする。つまり、このあたりの住宅は、それらの工場で働いている人や家族が主に住んでいたのだろう。
 橘通りは海岸まで続くが、その手前が工場のため、海までは行けない。そこで途切れる。
 そして、町名を見ると、潮崎となっており、海と関係する土地だとは分かる。潮崎の地名があったのは江戸時代前からだとすると、ここではなく、上の方だろう。海だったのだから。だから、元々あった漁村の潮崎が海まで伸びたことになる。
 そして橘という名は何処にもない。
 それなら潮崎通りでいいのではないか。
 古そうなパン屋があるので、そこで聞いたことのないようなメーカーのパンを買い、店番の老婆に聞くと、ミカンだという。紀伊国屋文左衛門ではないが、ミカンで儲けた人でも出たのだろうか。
 この老婆はそれ以上知らないようだが、もう一つ立花通りというのがあるらしい。それと区別するため、立花通りとは別の漢字にしたとか。ただ、この通り道の名、最近のものらしい。これは食パンを二斤買いにきたおばさんが言った。顔がまるで食パン。
 だから、市役所が一寸格のありそうないい名を選んで付けたのではないかという話。
 立花通りのある立花町は大きい。そして、潮崎と似たような場所にある。
 だから、もう一つの立花通りとして、橘通りと名付けたのかもしれない。
 パン屋の婆さんは橘通りという名に馴染みなどないらしい。
 田中にとり、この通りに何か特別なことでもあるわけではないし、大きな謎もないので、それぐらいで探索を打ち切った。
 ただ、今も橘通りと交差する場所を通るとき、やはり気になる。
 源氏や平家は分かるし、藤原氏も分かる。しかし橘になると、一寸影が薄い。
 それで、ネットで調べると、橘通りの突き当たりにある大工場、明治の創業者が橘さんだったらしい。
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 12:59| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月17日

3634話 お宝道


 近藤は昼を食べたあと散歩に出るのが日課になっていた。しかも長い。二時間ほどの昼の休憩。自宅で仕事をしているので、何時間でも休めるが、あくまでも休憩時間。この時間、一日の中で一番楽しみにしている。ただ、毎日なので、大喜びするようなことはないが、この長い間合いが好きだ。何もしなくてもいいので。
 自転車で飛び出し、さて何処へ行くかとなると、決まっていない。既に家の周りは走り倒しているので、目的とする場所がない。余程遠くまで出ないと。
 ただ一時間で行け、一時間で戻ってこられる場所に限られる。
 その日は久しぶりに北西へ向かった。この方角はあまり行かない。西でも北でもなく、北西。斜めに貫いている道で、昔の村道のようなものだろうか。
 その先はお寺のある大きな村に出るのだが、今はそんな面影はない。このあたりも実はよく行っている場所。西への道を選べば、その守備範囲に入るし、北への道を選んでも、その守備範囲に入る。だから北東への道を選ばなくても、似たようなものなのだ。
 近藤は決まり事を作っており、東西南北の道を順繰りに選んでいる。しかし北西というのはその中には入っていない。
 それを思い出した近藤は、久しぶりにその北西コースを取った。これは新鮮だ。いつもとは違う道筋になるため、沿道の風景も新鮮に見える。
 まずは文化住宅があったのだが、消えており、できたばかりらしい介護施設のようなのが建っていた。モダンな家だと思い、最初見ていたのだが、個人の家にしては大きい。店屋にしては場所が良くない。住宅地の中だ。
 文化住宅地の敷地は結構広かったようだ。ここに友達が住んでいたのを思い出した。それほど親しくなく、もう縁は切れているが、昔のことを思い出した。きっとその友人も引っ越したはず。それ以前に既に住んでいなかったのかもしれない。
 その先は大きな道と交差しており、信号は常に赤の点滅。隙あらばサッと渡る感じで、渡り方は決まっていない。車が来なければ渡ればいいだけ。だが、間に合う程度の車の接近なら、少し迷うが。
 この信号も以前とは変わっていないが、LEDのうすっぺたいのになっている。
 その角にある煙草屋が当然消えている。だが、看板は出ているし、窓には煙草と切手という文字も残っている。以前は塩と書かれたものがぶら下がっていたが、流石にそれはない。
 その頃、ここでよく煙草を買ったような気がする。家から一番近い煙草屋のためだろう。自販機はまだなかったような時代。
 さらに進むと、川沿いになるが、ここは暗渠となっており、水の流れなどは見えない。二メートルもないような川幅だが、昔は草の中を流れていた。春の小川の、あの景色のようなものだ。魚がおり、それを掬いにここまで来たことがある。当然、今はそんなことをする気はないし、また暗渠ではできない。
 お寺のある村は、さらに先にあるのだが、その途中にファミレスがある。できたときは田んぼの中にぽつりとあったのだが、今はステーキハウスになってしまった。深夜でもやっていたので、夜中、たまに来たことがある。当然ステーキではなくファミレス時代の安いドリンクバーだが。
 そして寺へと続くのだが、結構思い出が詰まっている道だ。それらが沸き上がってくる。
 こういうのは、毎日通っていると、そんな過去の思いなど沸き上がらず、乾燥してしまう。だから、たまに通るのでいいのだろう。
 それで近藤は、この北西へ斜め切りする道はお宝道として残しておくことにした。滅多に行かないように。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月16日

3633話 元重鎮の仕事


「毎日毎日同じことばかり繰り返していると飽きませんか」
「いやいや、なかなかそうはいかないのですよ。同じにならないことが結構ありましてね。たとえば立ち回り先の店が閉店したりしますとね、これは昨日と同じにならない。長い間そこへ判を押したように行ってましが、それが押せない。そういうのは毎日起こりませんが、たまにあります。たとえばリニューアル工事中とかで一週間ほど休みとか。一週間後また戻りますが、内装が変わっていて、決して同じじゃない。それに慣れるまでしばらくかかるでしょう」
「でもやっていることは同じでしょ」
「やり方を変えざるを得なかったりします。そういう変化は望みませんがね。これはベースでして、変えたいと思うのは別にあります。変わるものと変わらないもの、これが上手くバランスよくいっているときは調子が良いのです」
「それは、また細かい話ですねえ。でも全体は似たようなものでしょ」
「日々の暮らしぶりは似ていますが、十年前とではかなり違います。徐々に変わっていくのでしょうねえ」
「でも相変わらずでしょ」
「相も変わらず、これはいいじゃないですか。抜群の安定感ですよ。でもそれはなかなか維持できるものではありません。変えたくはないが変えざるを得ない状況もありますしね」
「さぞや退屈されていると思い、伺ったのですが」
「それが変化です」
「え、何がです」
「あなたが来たことが」
「変化というほどじゃないでしょ」
「この時間、私は外に出るのです。まだ少し間がありますが、その間やるべきことがあります。日々やっていることです。しかし、あなたが来たので、それができない。調子が狂います」
「お邪魔でしたか」
「邪魔というほどでもありません。あなたとは久しぶりなので、合っておくのも悪くはありませんしね。それで、あなたはどうなのです。お元気でしたか」
「それが、なかなか」
「悪いのですか」
「身体は別段問題はないのですが、少し困ったことが起こりましてねえ」
「私は困っていませんが」
「いえいえ、先輩を困らせることになりそうなので」
「じゃ、いい話じゃない」
「先輩しかいません。これを打開できるのは」
「私はもう引退していますのでね」
「いやいやまだまだ先輩の影響力は強い。少しだけ動いてもらえませんか」
「そんなことだろうと思っていましたよ。滅多に来ない人が来ると、これだ」
「はい」
「私はこのあとスーパーで夕食の食材を買いに行く」
「その前に、引き受けてくれませんか」
「ポテトサラダを作る。ハムと卵を入れる」
「まあ、そうおっしゃらず」
「で、何をすればいいんだ」
「はい、簡単です。白川さんを訪ねて下さい」
「白川か」
「はい、あなたの子飼いの部下だった人です」
「それだけでいいんだな」
「はい、訪ねるだけ」
「訪ねてどうする」
「訪ねるだけで、結構です。それで白川は分かると思います」
「白川は何処にいる」
「今は所長です」
「じゃ、行くだけでいいんだな」
「引き受けてもらえますね」
「散歩がてら行ってみる」
「これで、解決します」
「私にはそんな力はないが」
「いえ、まだまだ影響力があります」
 この業界の元重鎮がその白川を訪ねた。
 そして面会しただけで、お茶を飲んで帰った。
 これで、この業界の乱が治まったのだが、この元重鎮にとって、もうどうでもいいことだった。
 帰りに百貨店の食料売り売り場へ寄り、非常に豪華で見栄えのするポテトサラダセットを買った。海老も入っていた。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:29| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月15日

3632話 吹雪の山荘密室殺人事件


「吹雪いていますなあ」
「まさに吹雪の山荘」
「いい感じですよ」
「見知らぬ客が数名」
「十人ほどですか」
「偶然私とあたなはこうしてお近づきになれた」
「そうですなあ」
「他の八人のことは知らない」
「まあ、着いたばかりなので、そのうち親しくなれるでしょう」
「まあ、親しくなるかどうかは、問題ではないのですが」
「山荘の人もいますよ」
「歯の抜けた老人がいましたねえ」
「ここの管理人でしょ。入れ歯を入れればいいのにねえ」
「合わなかったのでしょう。食べにくいし」
「いや、歯がなければ噛めないでしょ」
「歯茎や唇で、何とかなります」
「私は一寸いい差し歯に変えたのですが、それができるまで豆腐ばかり食べていました」
「うどんも何とかなりますよ。ただし蕎麦は固いのがあるので、今一つですが」
「まあ、うどんや蕎麦なんて流し込めばいいんですよ」
「それよりも、この吹雪」
「はい」
「かなり積もるでしょ」
「ということは」
「よくあることです。閉じ込められます」
「はあ」
「密室です」
「山荘そのものが密室なんですな」
「そうです。そして色々な事情でここに来た人達、キャラはまだ分かりませんが、揃うものが揃うでしょう」
「あとの八人は、どんな人でしょう」
「同じようなタイプの人、八人では駄目でしょ」
「そうですねえ」
「女性陣も大事です」
「山荘の人もでしょ」
「そうです。山荘の内部に詳しい。どんな部屋があるのか、全部知っている。床下から天井裏まで。そして山荘周辺の地理にも詳しい」
「八人の中に刑事がいたり」
「犯人もいますよ」
「医者も」
「そうです」
「それと謎の美女」
「必要でしょ」
「そして起こるべきものが起こる」
「山荘殺人事件」
「犯人はその中にいます」
「どうなんでしょう」
「いや、そのお膳立てが揃っています」
「整っていますか」
「そのときは私が探偵をやるでしょう」
「じゃ、僕は犯人だったり」
「でも冗談を言っていると、本当に起こるかもしれませんよ」
「被害者は一人ですか」
「全員殺されるかもしれませんよ」
「じゃ、犯人も殺される」
「そして誰もいなくなった」
「定番ですなあ」
「誰か呼びに来ましたねえ」
「歯抜けの管理人ですよ」
「晩餐でしょ」
「じゃ、食卓のある大広間へ行きましょう」
「あとの八人、楽しみです」
「はいはい」
 
   了





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2020年01月14日

3631話 探梅


 世の中には暇な人がいる。まだ真冬前のことだが、梅を探して歩く人がいる。探梅家と言われている。家が付くが専門家ではない。また家が付くがそれで食べている人でもない。
 探梅でどうやって食べていけるのか。これが俳人で、探梅を楽しむ人なら分かるが、それでも俳句で食べていける人など限られているだろう。
 梅原という人がその探梅家だが、早咲きの梅はいいのだが、僅かな期間だ。梅が咲けば桜が咲き出す。寒梅系はよく見かける梅ではない。また、花びらだけでは分からない。それが梅なのかどうかも。
 寒梅家がいたとしても極めて短い期間しか活躍しないだろう。
 梅原氏は暇ではないのだが、紅葉狩りの次は寒椿、そして寒梅へと進む。だから季節ごとに違うので、そのことだけの人ではない。そのため、専門性は低い。これが寒梅だけを目当てにしているのなら、いいのだが。
 梅原氏が早咲きの梅に注目したのは、探梅という言い方による。これは探検、探索だ。探偵になって梅を探し歩く。ここに、何か浮き世離れした境地を見たのだ。そんな浮き世離れネタなら探せばいくらでもあるだろうが、桜よりも梅の好きな梅原氏は、そちらに走った。それに桜よりも早く咲くため。
 この寒梅を探しに野山に行くのではなく、住宅地を歩き回っている。意外と人の家の庭に咲いているたりするものだ。
 これは庭木趣味のある人がよくやる手で、珍しいのを植えるため。まあ、展示品を見ているようなもの。また自然豊かな野山へ行くよりも、花の種類は住宅地の方が多い。もの凄い種類がある。だから寒梅も見付けやすい。
 さらに住宅地の庭ではなく、一寸した施設の植え込みとか、神社の境内の裏側の繁みとかにも変わったものが咲いている。これも自然に生えたものではなく、植えたものだが。
 探梅は難しくない。ウロウロしておれば偶然見付かる。昨年見付けたものもあるので、これはバックナンバーを見るような感じで、とりあえず発見することはできるが、やはり新しく探し当てたものを見たときの感動の方が大きいので、探し回る。
 趣味は趣味を呼ぶ。まあ、おまけのようなものだが、梅を探して入り込んだ町で偶然見付けた神社とか、祠とか。また非常に凝った造りの喫茶店とか、妙な建て方の前衛的な家とか、草の塊のような家とか。また、子供相手の安いお好み焼き屋とかもあり、言い出すときりがない。梅など何処かへいってしまうほど。
 要するに梅が目的なのだが、そういったものを見ることで、梅が見付からなくても、それなりの探索、散策になる。まあ、散歩だが。
 ある寒い頃、偶然入った潰れがけの市場の中で生き残っていた肉屋で食べた揚げたてのコロッケ。唇が火傷しそうだが、胃の中に入った瞬間、冷えた体がほっとした。
 これはこれで探梅家としての冒険談でもある。別にアツアツのコロッケを食べたのが冒険ではないが、そういう市場を見付けて、薄暗いアーケードの中に入り込む勇気が冒険のようなもの。人跡未踏に近い洞窟なので。
 それで、肝心の早咲きの梅だが、見付からない年もある。しかし、探梅という目的がなければ、見知らぬ町をうろつくことはないはず。それができるのは探梅があるため。
 当然だが、早咲きの梅を見ても、特に凄いことがあるわけではない。
 だが、水を差すようだが、花屋へ行けば売っていたりする。花道や茶道で使われるためだろう。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月13日

3630話 名家


 松上領は二つの勢力と接している。囲まれていると言ってもいい。小さな勢力で、簡単に踏み潰せるはずだが、そうはいかない。同盟というのがあり、どちらかが攻めれば、もう一つの勢力が援軍に来るはず。だから、下手に手出しはできないのだが、その後、いろいろと調べていると、この松上領、何処とも同盟関係はない。しかし、いざ攻めてみると、いきなりもう一つの勢力が介入してくるかもしれない。これがあるので、面倒。
 さらに小国とは言え、かなり強い。そして攻め口が一つしかなく、大兵を活かせない。
 だから、まともに攻めても、面倒臭い相手で、相当の被害を出すはず。さらにこの松上領を手にしても、それほど実入りがよくない。
 ただ、すぐ近くに、取れるはずの領地が転がっているのに、取れないというのもしゃく。
 当然吸収することも考えた。松上家を家来にしてしまうことだが、これは承知しない。家格も松上家が上。頭を下げる気はない。取るなら取って見よという感じ。
 これにムカッとし、一気に攻めようとしたのだが、やはり初っぱなから抵抗に遭う。抵抗は松上家だけではなく、家中からも出た。別に松上家と敵対しているわけではないし、松上家が攻めてくるわけでもなし、また松上家の背後に大きな勢力もない。そのままにしておいた方が無難だと言うことだ。そして、松上家の代も変わるはずで、その頃には君臣の礼を取りに来るだろう。さらに、急いでやるようなことではない。
 それで、放置していたのだが、もう一つの勢力が松上攻めを始めた。先を越されたのだ。その勢力と今は戦いたくない。
 そのうち、援軍を送ってくれと、頼みに来るだろうと、高みの見物をしていたのだが、それもない。やがて、攻撃がやんだようで、その勢力は引き上げた。やはり手強いのだ。
 二つの大きな勢力がずっと狙っていた松上領だが、松上家の代が変わった頃、その二つの勢力も消えていた。より大きな勢力が滅ぼしたのだ。そのとき、松上領も攻め滅ぼすはずだったが、その勢力の総大将は礼を尽くして松上家を迎え入れた。総大将が頭を下げたのだ。
 これで松上家はその大勢力の傘下に入った。形だけは家臣となったが、それは形だけの話。
 松上家が由緒ある公家の血筋であったことも大きい。
 戦国期、公家の領地である荘園が、次々に奪われていった。それで地方にある荘園を守るため、そこへ引っ越した公家もいたのだ。松上家はその系譜で、朝廷との縁も深い。
 まあ、名家だったということだろう。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月12日

3629話 寒参り


 正月の初詣に行かなかった高島だが、これはまだ冬の序の口、もう少し寒くなった真冬の寒参りを目論んでいる。これも初詣だ。今年初めて参るのだから。
 ハードルをかなり上げ、寒く厳しい中を参る。これは効くだろう。身体だけに効いたりしそうだが。応えてくれるのは神ではなく、身体に応えたりする。
 さらに大きな神社は平地にあり、街中だったりする。そうではなく高く寒い場所。気温はさらに下がるだろう。山の中の神社。しかし、これはあまりない。
 そこで高い場所、つまり山の中にある神社は難しいが寺ならある。山門というほど山とは縁がある。しかし、神様ではなく、仏様。お寺参りになるのだが、伏岡神社というのが山寺にある。実際には寺の奥の院があるような場所で、寺のお堂ではなく、どう見てもお宮さんだ。つまり神殿がある。
 これは公式にはあまり宣伝されていない。昔は寺も神社が一緒だった名残だが、少し遠慮して、見えないところに移している。
 山寺の奥の院は深い箇所にある。背にしている山の中腹辺りにあり、一応階段は付いているが、遠い。寺の普通の境内からは当然見えない。だから、隠したのだ。
 この伏岡神社、正式な名ではない。ここに移転してからの通称で、伏している。つまり身を低くかがめての隠れん坊のように。
 さらに御神体はよく分からない。忘れたのだろう。明治のある時期、寺に神社があることが問題だった。どちらかに決めよという感じだろうか。
 それで、御神体も敢えて伏せた。伏せすぎて分からなくなったわけではない。
 高島はそこまで調べ、いいものを見付けたと喜んだ。寒参りにふさわしい。ありふれた神社へ行けば、遅れ参りのようになる。それを寒参りとし、しかも伏され続けている神社。非常にいい感じだ。
 これは大寒の日に行くべきだろう。大寒と気温の関係は明快ではない。暖かい大寒の日もあるが、これはあとで語るとき、大寒の日に寒参りと言えば、通りやすい。いかにも寒そうな日のように思われるため。
 その山寺まではバスを乗り継いで行った。観光の寺ではないのは、辺鄙なため。元々は修行のための寺だったようで、里との関係は必要ではないというより、遠ざけている方が好ましかったのだろう。
 西洋で言えば、修道院のようなものだろうか。
 二台目のバスから降りた高島は、さらにそこから山道を登り、やっと山門まで辿り着いたのだが、その道中も、結構人がいる。
 山門から境内を見ると、地面が見えないほど。
 寒いので、着ぶくれした人ばかりで、これだけ人が多いとストーブはいらないのではないかと思える。押しくら饅頭状態なのだ。
 しかし、少しだけ人が動いている。境内の左側、本堂の横から人が出てくる。出た分、境内の押しくら饅頭も少し変化する。
 出てきた人だけ入るのだろう。しかし、本堂ではない。本堂には人はいない。
 高島はその群れの一人になり、順番を待つ。
 もうここで悪い予感がしていたのだが、それが的中した。
 境内から裏門へ向かう行列ができており、そこを抜けると山道となり、奥へ向かう。つまり伏岡神社だ。
 この人数、全部寒参りなのだ。
 こういう穴場ほど、知れ渡りすぎて、穴ではなくなっており、どっと人が押し寄せていたのだ。
 誰も来ないような伏したような山中の神社、そのイメージがガタリと壊れた。
 高島は、伏していないではないかと呟きながら、後戻りもできず、巨大ムカデの足の一本にもなったような感じで、石段に足をかけた。
 
   了
 




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2020年01月11日

3628話 幽霊博士講座


 感性の強い人は、人には感じにくいようなことでも、瞬時に感じることができる。感性はほぼ瞬時だろう。考える以前に来ている。そして何に関しての感性かにもよる。ある特別のことだけに関しては、感性が強いとか鋭いが、他のことでは鈍いか普通。だから、感性の鋭い人は全ての感性が鋭く、強いわけでもなさそうだ。
 感性とは感だ。感じる力。だから感受性。これはデバイスのようなもので、接続できるのだ。しかし、接続したものには具体性がない。あくまでもそう感じられる程度のもの。
 また、過敏に反応することもある。反応なので、見ているだけ、感じているだけではすまないで、実際の動きを取ったりする。これは普通のことでも過敏に反応しすぎるだけなので、感性の強い人ではない。バランスが悪いのだ。
 幽霊が見える人と見えない人、その違いは受け皿である感受性から来ている。感じられる人と感じられない人がいる程度。しかし、それはあくまでも感じでしかすぎない。
 妖怪博士は久しぶりに友人の幽霊博士の講演を聴いていた。小さなライブハウスで、オーナーがこの手の話が好きなので、幽霊講座を開いたのだが、来た人は十人少し。二十人も入れば満席になるので、まずまずだ。
 そして講座だが高座のような感じで、売れない落語家の前に登場する前座ほどの客しか来ていなかったので、終わった後、そのまま客との雑談となっていた。最初からそうすればいいほど、客が少ない。
 来ている客の半数ほどは幽霊を見ているらしい。幽霊博士の話では、感受性の問題程度とか。
 だから、感性の鋭い人が集まっているようなもの。ただし妖怪博士は意外と鈍く、幽霊など見たことがない。
 客との雑談も終わり、残ったのはオーナーと妖怪博士。
「つまり感性の問題程度ということですかな幽霊博士」
「はいそうです。錯覚も感性が成せることでして、その一つです」
「幽霊を見たと思い込むような」
「そうです」
 この幽霊博士はまだ若い。しかし目の下にクマができ、目の縁が暗い。メイクではなく、そうなってしまったようだ。
「独自の感性というのがあるでしょ」
「はいあります。妖怪博士」
「それも錯覚のようなものですかな」
「そこが紛らわしいのです」
「ほう」
「初対面の人で、情報も何もない相手、当然風貌から推し量ることはできますが、容姿からではなく直接怖い人だと感じる人がいます。怖い顔をしている人が怖い人だと感じるのは普通でしょ。この場合、見たままなので、特別な感性ではありません」
「怖い?」
「はい、ゾクッとするような感じを受けたのでしょうねえ。特に怖がるような風貌ではありませんが、それが分かるのですよ。それが独自の感性です。あまり、いません」
「誤解だったりして」
「大いに有り得ますが、勘が鋭いということでしょ」
「第六感のようなものですかな」
「そうです。しっかりとした具体的なものは何も発していないのですが、そう感じてしまうわけです」
「その話、それ自体が怖いですなあ」
「ああ、はいはい」
「それと同じように幽霊が見える人とか感じることができる人がいるわけですな。ところで幽霊博士は幽霊は如何ですか」
「はい、僕は見えたような、感じたような、その程度です。しっかりと結像した状態の幽霊など見たことはまだありません」
「幽霊は何処にいるのでしょうなあ」
「ああそれは、幽霊スポットです。しかし僕も何カ所か回りましたが、出くわしませんでした」
「身の回りで出る幽霊もいるでしょ」
「いると思います」
「出ていても、誰も見ていない、または感じていなければ、出ていても出ていないのと同じですなあ」
「まあ、そうです」
「始終出ているのに、誰にも分からない。これじゃ幽霊も出甲斐がないでしょう」
「そういう呑気な話ならいいのです。怖いのは祟りなのです」
「怨霊ですか」
「そうです。これは攻撃しかけてきます」
「幽霊のような頼りなさそうなタイプじゃないのですな」
「しかし、見た人と絡まないような幽霊でも、見られたことで、見たなーとなることもあります。または、見て欲しいので出てくる場合もありまして、存在に気付いて欲しいということです」
「それで、幽霊博士」
「はい」
「まだ幽霊の研究を続けられますか」
「まあ」
「私は何度もやめるように忠告しましたが」
「はい、聞いています」
「幽霊ではなく、幽霊でも見えてしまう感性の方が大事なのです。だから幽霊など見ないで、その感性を活かした方がいいと思いますがな」
「僕はまだ感じる程度で、見えません。霊能者レベルは低いです」
「幽霊の研究ではなく、感性の研究をしなさい。人には見えない直感についての」
「はあ」
「幽霊を見る力よりも、人を見抜く力、物事を見抜く力の方が大事ですぞ」
「はあ」
「いやいや、折角の講義だったのに、余計なことを言ってしまいました」
「いえいえ、来て下さって嬉しいです。色々と参考になりました」
「ご無礼した。許して下され」
 そのとき、動くものがある。
 横にもう一人いたのだ。話に加わらないで、じっと座っていたオーナーだった。二人はそれに気付いたとき、ゾクッとした。
 オーナーは黙って、そのまま奥へ引っ込んだ。
「トイレでしょ」
「僕も」
「私もだ」
 出るものが出るのだろう。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 11:54| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする