2012年05月25日

1464話 秘湯


 秘湯中の秘湯があり、車で、そこに到達するだけでも大変な場所で、ほとんどの観光客は道に迷う。山中の林道で、未舗装の上、細い。さらに林道のため、枝道が無数にある。秘湯への案内板のようなものは何もない。
 秘湯なので、一応温泉は沸いている。露天風呂だ。そして宿泊所があり、四十ほどの部屋がある。建てる場所が限られているため、秘湯は少し離れた場所にある。
 ここに泊まりに来た秘湯マニアの中で、消息を絶った人やグループが出ている。一種の遭難だ。
 ある噂によると、秘湯のある村に忌まわしい神社のようなものがあり、その神に捧げる生け贄にされたとか。
 村は秘湯や宿泊所からさらに離れた場所に点在している。村の人口は四十世帯、百人ほどが暮らしている。
 職業は林業で、耕作地はないにひとしい。だが、山林は放置され、山仕事をする若者もいない。また、木を切り、それを売ったとしても赤字になる。
 それなのに百人もの村人が暮らしているのだから、妙だ。秘湯観光だけでは四十世帯は食べていけない。
 家々は山間のあちらこちらにあり、その中央部のやや面積の広い場所に神社がある。ただ、村の鎮守の神様ではなく、どの系譜にも属していない。これを神社と呼んでいいのかどうかは分からない。そして、問題なのは生け贄を必要とする神のようで、それはもう神ではないのかもしれない。
 秘湯のための宿泊所に外部から観光客が来る。だから、これは神様の餌箱なのだ。露天風呂に入った客を品定めし、よければ、その場でひっさらう。
 では、この村は何で食べているのだろう。村人がおり、儀式を執り行う行事もある。本来なら、廃村となるところだ。宿泊施設だけで食べていける世帯を残して。
 その生け贄の儀式を目撃した人の話によると、村人総出で参加しているようで、お年寄りから乳飲み子まで、加わっているとか。
 その神様関係で、お金が入る何かがあるのかもしれないが、売り物になるものが、あるのかどうかは疑問だ。もしかすると、生け贄の儀式で、村人が食べていけるだけの何かを産するのか。そのあたりは分からない。
 それで、秘湯に詳しい人が、その正体を明かしている。それによると、そこは秘湯ではなく秘境で、どちらかというと魔境らしい。
 つまり、秘湯までの道がわかりにくい。それで、目的地の秘湯ではなく、あらぬ方の秘湯へ入ったのではないかと。
 昔から、山にはそういった場があり、木こりや猟師が妙な場所へ迷い込む話がある。それではないかというわけだ。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 16:49| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

1463話 立花の蕎麦世界

立花の蕎麦世界
 立花は最近立ち食いそば屋へ行っていない。自分で和蕎麦と出汁の素を買い、それを部屋で作って食べている。経済的にはその方が好ましい。
 立ち食い蕎麦屋が立花の世界から消えた。立花行きつけの道沿いにその蕎麦屋は見えているが、途中で曲がるため、その前までは行かない。その曲がり口から蕎麦屋は見えるのだが、かなり遠いし、意識しないと目に入らない。
 立花の行動範囲内から立ち食い蕎麦屋は消えたが、蕎麦屋そのものが消えたわけではない。だから、その気になれば、蕎麦屋へは行ける。
 それと同じように消えた人間が多くいる。決して死亡したわけではなく、生きているはずだ。ただ消息を知らない場合、生死不明だが、よほどのことがない限り限り、生きているだろう。
 この場合も、立花の世界から消えただけで、対象が消滅したわけではない。
 立花はある日、蕎麦を作りながら、そんなことを考えた。同じ蕎麦なのだが、うどんではなく、蕎麦というだけのことで、あの立ち食い蕎麦屋の蕎麦ではないし出汁ではない。本当に食べたいのか、自分で作った蕎麦ではないような気がしてきた。
 確かに自分で作ったものと、作ってもらったものとでは違いがある。どのように作ったのかが分かっているようで、分からないからだ。
 立ち食い蕎麦屋では、目の前で作っているところが見られる。蕎麦をさっと熱湯の中に入れ、さっと出し、どんぶりに入れ、その上にさっと出汁をかける。単純な方法だ。特別な作り方ではない。
 しかし、同じ和蕎麦ではない。その蕎麦はスーパーで袋に入った湯がいた蕎麦と同じだが、立ち食い蕎麦屋の蕎麦は市販されていない。出汁もそうだ。あれと同じ味を作ろうと思うと難しい。
 そうなると、立花は蕎麦一般が食べたいのではなく、あの店の蕎麦が食べたいのだ。
 安っぽい立ち食い蕎麦屋の蕎麦なので、それほど贅をこらしたものではないはずだ。きっと小麦含有率も多い蕎麦だろう。出汁も化学調味料が入っているかもしれない。安物の蕎麦なのだ。
 しかし、それと同じものは作れない。
 立花の世界から立ち食い蕎麦屋は消えたが、立ち寄れば、いつでも立花世界に組み込める。
 それができないのは、経済的な問題だ。決して高い蕎麦ではない。だが、自分で作った方が安い。
 ここに立花の葛藤がある。
 上流、中流、下流と、確かに世界がある。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 16:21| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

1462話 うたた寝


 上田は横になった。疲れたからだ。
 布団の中なので、そのまま眠ってしまいそうだ。問題は何もないはずだ。しかし、これは昼寝になる可能性が高い。問題があるとすれば、そのことだ。ここで昼寝をすると、夜、眠れなくなる。眠れるのだが、寝るのが遅くなる。ここで昼寝をした分、眠くなる時間がずれるはずだ。
 しかし、このまま起きてられないほど疲れている。体は睡眠を欲している。無理に起きていても、眠いだけ。
 そこで上田は決心をした。昼寝ではなく、このまま思う存分寝ようと。つまり、夜に寝る睡眠時間と同じ時間を寝る。ただ、決心などしなくても、そのまま目を閉じれば、その状態になるだろう。決心の必要はないが、今なら何とかなる。
 睡眠不足で眠いのではない。疲れているのか体調が悪いのか、やたらと眠い。もしこれが体調の悪さからきているとすれば、寝るのが一番の薬。
 そして、自然な流れで、うたた寝にとなる。これは何の努力も必要ではない。
 眠りに落ちる寸前に、耳障りな音がしていた。寝かかったところで、その音で戻される。
 誰かが甲高い声で喋っている。複数の人間がなにやら騒いでいる。これはもう夢の中に入ったのかと上田は思ったのだが、こんなうるさい夢はない。眠りを妨げる大きな声なのだ。しかも非常にはしゃいでいる。特に女性の甲高い声が耳障りで、その声が耳に入ると、ぐっと眠りから遠ざかる。
 半分夢の中に入っているのなら、映像があるはずだ。確かに絵は出ていた。昔、ハイキングに行った山中での思い出が夢の中に出たり引っ込んだりしている。水筒の水を飲むか、飲むまいかと悩んでいる夢。それが人の声でかき消える。
 軽く目を開けると、眩しい。蛍光灯を消していなかった。それで、すぐに目を閉じる。
 人の声、男女の声が聞こえる。何人かは分からない。
 キャーと、悲鳴が聞こえた。
 上田は驚いて、目を開けた。目が覚めてしまった。
 原因は何でもないことだった。テレビをつけていたのだ。
 テレビは自動的にスイッチが入ったのではなく、消し忘れだ。しかし、テレビがついていれば、すぐに分かることだ。
 気が付かなかったのは、画面に絵が映っていなかったためだ。最近買ったこの液晶テレビは、人を認識するらしい。そして、テレビ前に人がいなければ、省エネモードに入り、画面が消えるようだ。
 テレビより布団の方が低い。またはセンサーを傷害するテーブルがあったのだろう。だから、人物が関知できないので、誰もいないと判定し、切れたのだろう。そして、布団から上体を起こすと、テレビがついた。液晶モニターだけがオンオフするが、音声は自動的に切れないようだ。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 16:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

1461話 土管


 城山が嬉しそうな声で叫んでいる。
「土管が発見されたんだ」と。
 それを聞いた奥田は、意味が分からない。
 城山と奥田は幼なじみだ。もう二人とも白髪のお爺さんだが。
 奥田は土管の意味を探ろうとした。城山と土管との関係だ。
 城山との会話の中で、土管に関するものを探した。十年。二十年。全く記憶にない。
「あの土管だよ。あの土管が見つかったのだよ」
 城山はさらに続ける。
 奥田は話を合わせるためにも、意味を知る必要がある。だが、もしかすると城山だけが知っていて、奥田には関係のない話なのかもしれない。共有していない話なのではないか。
「あの土管だよ。あの」
 どうも二人とも知っている土管である可能性が高くなった。
「どの土管だよ。土管にもいろいろあるだろ」奥田は本当に分からないので、問うてみた。
「幻の土管だよ。夢の跡だよ」
「それが見つかったのかい」
「ああ、工事中にね。あの土地は田中さんの牧場だったんだな」
 町中に牧場があったのは、かなり前の話だ。おかげで年代が分かった。その土管の話の。
「ほら、よくみんなで隠れ家にしたじゃないか。原っぱの土管だよ」
 奥田はやっと思いだした。隠れ家、基地。家出して逃げ込んだ場所。ルンペンが二ヶ月ほど住んでいたこと。等々。
「見に行って来いよ。思ってたより細いんだ。よくあんなところに入っていたなあ」
「ああ、あとで、また見ておくよ」
「早くしないと、壊すそうだよ。もうひびが入ってるし、かけてるところもあるし、土色になって、別物だよ。埋まっていたんだから土管本来の居場所で年を重ねたのかもしれないけどね」
 原っぱに土管。もうかなり前からその組み合わせは見かけなくなった。
 まさに幻の土管だ。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 17:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

1460話 不審者カード


 富田は住宅地を自転車で走っているとき、前方の男に呼び止められた。無視してもかまわないと最初思った。見知らぬ人で、服装も怪しい。その男の横には自転車がある。ふつうのママチャリだ。
 富田は関わってはいけない相手だと思い、気が付かない振りをし、通り過ぎようとした。
「ああ、ちょっと」
 男はかなり大きな声で停止するよう命じた。
 富田は特に急ぐ用事もないので、ブレーキを引いた。
「あんた登録しましたか?」
 自転車の防犯登録だと思ったが、相手は警察官ではない。だからそんなことを聞くのはおかしい。
「不審者登録ですよ」
「えっ」
「あなた、最近よく、このあたりで見かけます。不審者登録しないと、危ないですよ。転ばぬ先の杖。あなたのためです」
「それはどこの機関ですか」
「不審者協会B地区支部です」
「B地区?」
「B地区は、御園町の五番地まで、芦原町全体。桑原町三丁目と四丁目です」
「はあ」
「登録すると、安心して散歩できますよ」
「はあ?」
「安心して不審者をやってもいいのです」
「あなた、誰です?」
「支部長補佐です」
「ああ」
 富田は不審がった。
「不審者カードを発行します。登録されればね。無料です。それを見せれば、まあ、通行手形のようなもので、証明証になります。身元が保証されるということです。だから、誰に呼び止められても、安心です」
「何が証明されるのですか」
「不審者だということをです。このカードで、しっかり不審者だと証明されるので、あなたはもう不審な人物じゃなく、不審者になれるのです。誰が見ても怪しい人物であることを示すことで、曖昧さから解放されます。確定が得られるわけですよ」
「でも、僕、ふつうの生活者で、この先のF町に家もあります。だから、不審者じゃないのですよ」
「いやいや、その状態が不審なのです。どちらか分からない。怪しいのか怪しくないのかが分からない。これが一番世間が嫌うのです。だから、不審者のレッテルを安心して与えたいわけです。このカードが、それを証明してくれます。その結果、お互いに安心を得られるわけです」
「いらないです」
 富田はその場を離れた。
 不審者の意味が今一つ理解できなかったからだ。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 14:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

1459話 四谷のお岩


「四谷のお岩ですが」
 玄関先で彼女はそう名乗った。
 妖怪博士は土間にある椅子を指さした。座れという意味だ。
 四谷怪談のお岩と違うところは日本髪ではなく、長い髪をだらりと垂らしている。和服ではなく、腕が二本ほど入りそうな袖のゆったりとした長いワンピースだ。草履ではなく、浅い靴を履いている。
 このお岩さんなら、町中を歩けるだろう。左目に眼帯をかけている。
 土間の椅子にお岩は座る。妖怪博士は廊下に座布団を敷き、尻だけをそこに乗せ、土間に足を置いている。縁側に座っているような感じだ。危ない客が多いので、訪問者は、ここで迎え入れている。
「お岩稲荷では成仏できません。納得できません。それで、こうしてさまよっています。でも、お岩稲荷に願を掛けた人には、祟るようなことはしません。しかし、毒薬を飲まされ、髪の毛が抜け、生え際が後退し、眼が腫れた状態を見ると、恨ましく思います」
「恨ましく思うのは、夫の田宮伊右衛門をか」
「いいえ、私を演じている役者さんや、それを作っている人たちです。監督やカメラマンに対してです。でもお岩稲荷に来て、安全祈願をされているので、約束を反故にできません」
「それは分かったが、どうしてここに」
「成仏したいのです」
「しかし私は妖怪博士で、心霊関係の専門ではない。それなら、お祓いしてもらうのがよろしいかと」
「何度もしてもらいました。しかし効きません。もう私は人間ではなく、幽霊でもなく、妖怪になってしまったのです。だから、あなたを訪ねて、ここに来ました。どうか私を成仏、いえ、仏になろうというのではありません。この世に出て来れないように、上げてください」
「上げる?」
「極楽でも地獄でもかまいません。上げられなければ、落としてください、地の底に。もう疲れました。何百年もこの世にとどまっているのですから。それに最近、四谷のお岩と名乗っても、知名度も落ち、それは誰だと聞かれたりします」
「そうですか」
「私はもう人の霊ではなく、妖怪変化になっております。妖怪退治は、あなたの専門でしょう。それで、自首しにきました。どうか退治を」
「ご自身では立ち去れないのですかな」
「はい。消えることができません。それがもう辛くて辛くて」
「だが、私は妖怪研究家で、術者ではない。だから、相談に乗れる程度です」
「では、どうすればいいのですか」
「この世への恨みはまだありますかな」
「いいえ、もうそんなものは忘れました」
「未練がなければ、姿を現す必要はない。なのに、こうして出てきておる。それが苦しいのですな」
「はい、江戸の昔から、明治大正、そして昭和までは、まだ恨み辛みはありました。しかし、平成のこの時代、もうどうでもよくなったのです」
 妖怪博士はお岩をじっと見ている。
「その眼帯は」
「腫れているものですから」
「それは災難でしたなあ」
「はい」
「それで、今のお住まいは」
「ありません。四谷周辺にはもう住めません」
「住むといっても、霊なのですから、衣食住の心配はないと思いますが」
「そうです。でも、この世に出てくるときは、それなりの服装をします」
「はい、了解いたしました」
「長い、霊生活、疲れ果てました」
「少し、話してもいいですかな」
「はい」
「お岩さんなどいなかったのです」
「はあ?」
「田宮伊右衛門に毒を盛られた女性など、実在しなかったということです」
「はあ……でも夫の指図で按摩の宅悦が、毒を」
「だから、お引き取りください」
「いえ、お岩様は有名な幽霊で」
「お気持ちは分かりますが、存在しない架空人物の霊は、根本的なところで間違っているのです」
「間違いでしたか」
「はい」
「それは、失礼しました」
「よく聞き分けられた。これで、あなたは成仏するでしょう」
 妖怪博士は玄関戸を指さした。お帰りくださいという意味だ。
 お岩は、立ち上がった。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 17:39| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

1458話 小道

小道
「そこは危険だよ」
 深夜、歩道を散歩していた岩田は、そう声をかけられた。登山でも行くのかと思うような重装備の老人だ。靴も運動靴ではなく、靴底が分厚く、そして重そうな登山靴だ。初夏だが分厚いチョッキを着ている。年齢は分からないが、若者ではない。
 岩田が立っている場所は四つ角で、街路樹の多い小道と交差している。その小道へ足を踏み入れようとした矢先、声をかけられたのだ。
 要するに、その街路樹の多い小道に入り込んでは危険だと知らせてくれたわけだ。
 岩田は引っ越して間もないため、近所のことはあまり知らない。町内のすべての道を把握しているわけではない。その用事もないためだ。
 岩田が深夜の歩道を歩いていたのは、食パンが切れたため。その歩道は幹線道路脇にあり、少し行けばコンビニがある。
 深夜、食パンを買いに行く岩田も妙だが、昼頃起きてくるため、岩田の時間帯では決して深夜ではない。深夜とは眠っている時間を指している。
 岩田の行動も説明が必要だが、この登山服の男はもっと説明が必要だろう。リュックを背負っていないのも不思議だ。だから、朝から山登りに行く人ではない。それに近くにそんな大層な山はない。
「この時間、出るから注意が必要なのです」
 いきなり説明を始めた。ガイドのように。
「あなたは知るか知らぬかは知らねども、その小道は散歩者の多い場所でして、この時間は出るのです」
「出るって、不審者?」
「幽霊です」
 意外な球を投げられ、岩田は受けられない。球を受け損なった。
「そこは、この近辺の人たちが散歩するコースでしてね。道は狭いが不思議と街路樹で並木ができている。防風林でもあり、日除けでもある。狭いので、車は滅多に入ってこない。だから、常連さんが散歩コースにしている。歩いたり、走ったりと、それは様々だ。そして、そのほとんどがお年寄りだ」
 ここまで聞いて、幽霊との結びつきを、岩田は何となく分かった。みなまで聞かなくても想像できた。
「去年まで歩いていたお年寄りが、今年は姿が見えない。去年の初夏、青葉茂れるころ、すいすい歩いていた若作りのお年寄りの姿がない」
 やはりそのことかと岩田は確信した。
「常連だった人々は消えた。散歩コースからだけではなく、ご自宅からもね。町から消えたのですよ。毎年何人かが来られなくなる。来たくても来られない」
「はい。分かりました」
 岩田はそこで話を切ろうとした。
「だが、この時間になると、それらを見ることができます。彼ら彼女らは来ているのです。この時間にね。だから、そのお邪魔をしてはならない。この道を十メートルほど中にはいると、その列が見えてきます。行列です。歩いています。軽く走っている人もいます。その邪魔をしてはなりません」
「ちょっと、急ぎの用があるので、これで」
 岩田は、そういうなり、男の横をすり抜け、コンビニへ向かった。
「聞いてくださって、ありがとう」
 岩田は、その言葉を背中で聞いた。
 当然、振り返れば、もういないことは分かっている。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 14:46| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

1457話 ピント


「体の調子が悪いのですか?」
 路上で高橋は老人から声をかけられた。
 高橋は自転車を止め、足を着き、体を捻り、下を向いていた。
 老人は、高橋が身体に異常を起こし、力んでいるように見えたのだ。ふつうの止まり方ではなかったからだ。
 実はなかなかピントが合わなくて、何度もシャッターボタンを半押し、合わせようとしていたのだ。
 田畑が広がっている。その畑に野菜が花を付けていた。観賞用ではない。その花びらが真っ白なため、望遠でアップで狙うと、コントラストのない白い面となるため、ピントが合いにくいのだ。それに超望遠レンズでは、ピント精度がやや甘くなる。
 ピントは合っているのだが、ファインダー上ではぼけている。そのまま写してもピンぼけになるのは分かり切っている。しかし、合っているのかもしれない。ではなぜファインダーでしっかりと合っている状態の絵がこないのかだ。
 これは視度補正のダイヤルを回してしまい、度の合わない眼鏡で見ている状態と同じことになっているのではないかと考えた。その忙しいときに、老人から声をかけられたのだ。
「大丈夫?」
「はい」
「どこか悪いのなら、何とかするから」
「いえいえ、写真を写しているだけです」
「写真」
 老人はカメラが見えなかったようだ。高橋の後頭部に話しかけているため、顔に当てているカメラが見えないのだろう。
「写真」
 そう呟きながら、高橋の顔が見えるところまで移動した。
「ああ、写真を」
「はい」
「いいカメラだね」
「ありがとうございます」
 老人は納得できたようで、立ち去った。きっとこの近所の人で、散歩中なのだ。手ぶらだ。
 高橋は結局撮影を中断し、カメラを鞄に戻した。
 そして、両手をハンドルにかけ、移動しようとすると、今度は犬を連れた老人がにやにやしながら近付いてきた。先ほどの様子を見ていたのだろう。
 老人と交差するとき、顔をもう一度見ると、まだ口を開けて笑っている。ただ笑い声はない。だから、にやにやしている程度だが、結構派手な喜びようだ。さっきのやりとりがよほど気に入ったのか、受けたのだろうか。
 しかし、そのことで笑っているにしては、長すぎる。
 そして、頭の小さな犬を引っ張っている。老犬なのか、後ろからゆっくり追従する感じだ。
 その犬の顔を見る。
 何となく笑っているように見えた。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 16:56| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月17日

1456話 人の心が分かる人


「人の心が分からないやつだと言われました」
「誰に?」
「上司に」
「それで」
「人の心が分かるとはどういうことでしょうか。そして、僕は人の心が分かる人間になりたい。そうでないと首です。将来がありません」
「職種は」
「キャラクターデザインです」
「あ、そう」
「人の心が分からない人間に優れたデザインはできないし、そのキャラクタ展開もできない。応用もできないと言われて」
「人の心は誰もが読めるが、誰もが読めない」
「はあ」
「君は人の心を読めたじゃないか」
「え」
「その上司の心を読んで悩んでいるのでしょ」
「読んだからじゃなく、言われたからです」
「いや、読んでおる」
「どこを」
「君を首にするかどうか、上司がどう考えているのかを読もうとしている」
「そうじゃなく、上司が言うのはおそらく人間味が分かる人ということじゃないかと思うのです」
「ほら、読んでおるではないか」
「そうですねえ」
「しかし、それは誰でもできることで、特別なことじゃない」
「はい」
「人の心が読めれば、もうおしまいだ」
「え」
「読心術があると仮定し、人の心を読むことができれば、怖くて何もできないでしょ。だから、そこで言う人の心を読むとは、想像する程度のことだ。察することだが、それは想像でな。本当はどんな心持ちでいるのかまでは分からん。そして、それを知ってしまうと、いい面でも悪い面でもいたたまれなくなる」
「人の心分かるとは、想像することでしょ。理解することでしょ。僕はそれが下手なのかもしれません」
「それとキャラクターデザインとはどう関係するのかね」
「先輩は、いえ社長は、大ヒット作を作りました。犬のキャラです。子供から大人まで、みんなあの犬のぬいぐるみやグッズを持っているでしょ。かわいい子犬のデザインの」
「あれは、人の心が分かるから作ったものとは思えない」
「でも、大ヒットしました」
「偶然でしょ。だから、二匹目のドジョウは出ない。運がよかったのですよ」
「でも、人の心が分かる人が作ったキャラなので、ヒットしたんじゃないのですか」
「その上司、君にそんな怖いことを言ったのだよ。人の心が読めない、分からない人間だと、君に言った。それを言われた君は、ここに相談に来た。パニックになったのでしょ。将来がないと、君は思ったのでしょ。その気持ちを上司はどうして分からないのでしょうね。人の心が分かる人なら、そんな言い方はしないでしょ。従って、その人が、その上司こそ人の心が分からない人なのです。そして、その人が作ったキャラクタは、人の心が分からないからこそ作れたのです。逆ですよ」
「じゃ、僕は人の心が読めない人でもいいのですね」
「誰でも人の心は読める。そして、誰も読めない」
「読めるのに読めない。分かるのに分からないのですか」
「推測だからね。当たっていないことが多い。だから、下手に人の心が分かったつもりでいる人間のほうが危ない」
「僕はどうすればいいのでしょうか」
「キャラデザインなど偶然の産物だと思うよ。だから、その先輩、社長さんだったか、その後ヒットはないでしょ。だから焦っているのですよ。そして、その方法は分からない。そして考えたのが、ヒューマン路線だ。人の心がどうのとご託の言い出す。これは末期だ」
「僕はどうすればいいのですか」
「言わしておけばいい。簡単には首にできない。解雇理由が、人の心が読めないやつでは通らないよ」
「何か心が楽になりました」
「本当かね」
「いえ、せっかくお話を伺ったので、お礼のつもりです」
「私の心を、読んでおるではないか」
「あ、はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 21:00| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

1455話 暇坊


 非常に広い喫茶店で、二百席ほどある。喫煙席と禁煙席はガラスで仕切られているため、両方から見通せる。セルフサービスの店で、店員が一人しかいない日もある。土日に混むようで、これはショッピング街のためだ。
 ある平日。誰も客がいない瞬間がある。台風や大雨で客足が少ないのではない。
 村田は不審を感じたが、それはコーヒーとお冷やを盆に乗せ、それをテーブルまで運んだときだ。そのときは気付いていない。実はほぼ毎日来ているので、変化のないものには目がいかないようだ。そのため、店内をよく見ていない。
 端っこのテーブルに付き、棒状のシュガー袋を破り、サラリと入れようとしたとき、それに気づいた。
 客がいないことを。
 休みではない。定休日はこの店にはない。ショッピング街も休みの日はない。それにここまで来るフロアには客がいたし、店も開いている。
 すると、この喫茶店だけ工事中なのか。それも考えられない。なぜなら、レジでコーヒーを注文し、確かに店員が作り、それを盆で受け取っている。営業していないのなら、これらのアクションは、全くないだろう。だから、普段通りの営業なのだ。
 しかし、いつもは十人以上の客がいる。一人もいない日はあり得ないが、客席に客がいない瞬間は確かにある。ただし、それは閉店間際に入ったときだ。ショッピング街も閉まるので、ぎりぎりまで喫茶店内にいる客は少ない。
 では、ここだけ、偶然その日、その時間帯、人が来ていないだけなのか。それはあり得ることだ。常連客は何人かいつも見かけるが、同じ日、同じ時間帯に来ているわけではない。三日に一度見かける人もいれば、週に一度もいるし、毎日見る人もいる。それらの常連客は申し合わせて出席しているわけではない。何かの都合で来れなくなる日や時間があるだろう。
 だから、その常連客が偶然重ならなかったのだ。そして、一般の客も、偶然、その時間帯に来なかった。それだけのことかもしれない。この偶然は五年に一度起こる現象かもしれない。確率的には、そんなものだろう。
 村田はその偶然の重なりの中に、偶然今いるわけだ。
 決しておかしな空間に入り込んだわけではない。
 と、そのことで、思い出したことがある。
 それは暇坊という坊主だ。文字通り暇な坊主だが僧侶ではない。スキンヘッドの男で、後ろ姿しか見ることができない。場所は映画館で、これは昔の話で、映画館から客が減りだし、がら空きか、一人も客が来ない日があった。映画館そのものは、映画全盛時代の大きな劇場だ。常に満員になり、立ち見が出るほどだった。
 暇坊は、客が誰もいない映画館に出現する。客がいないと、実際にはフィルムは回さない。だが、映写技師は客がいると思って、回すのだ。見ている客とはその暇坊だ。
 二人目の客が入ったとき、フィルムは回っている。その客はスクリーンと一緒に暇坊の頭を見る。ふつうの丸坊主の男の頭なので、当然人間だ。別に不信感はない。ただ、客が少ないとき、いつも、この暇坊を目撃すると、ちょっと気持ち悪くなる。
 また、暇坊が出ているときは、それを目撃した客のみで、もう一人客が入って来ると、暇坊は消えている。暗いし、またすぐにスクリーンに目がいくので、前列席で頭だけが見えている客など、意識して見ていない。だから、消えたことも気付いていない。
 という話を村田は思いだした。
「もしかすると」
 しかし、明るい店内には暇坊の姿はない。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする