2023年05月29日
4868話 得道様
「方々を探したのですがね。見当たりません」
「大事なときに、何処に行っておられるのじゃろうなあ」
「村内にはいません」
「東神社の奥宮も探したか」
「あそこは遠いですよ。山の中です」
「近いと奥宮とは言えん。得道様はあそこへもよく行かれるとか」
「はあ、しかし、今から探しに行くとなると」
「そうじゃなあ。村内で行きそうなところは他にないか」
「村を出たのかもしれません」
「用事などなかろう」
「隣村にたまに行くようです」
「清司村か」
「いつもはおるのだろ。いつものところに」
「庵にずっといますが、たまにいなくなります」
「そのへんを散歩されているのではなく、出掛けたと言うことか」
「はい」
「城下へ行ったのかもしれません。あそこまで行かないと手に入らないものがありますから」
「その城下から人が来ておるんだ。探しに行っても無駄だし、見付けても、もう遅い」
「お城からは遠いですからねえ」
「折角来てもらっているのに、留守とは、返事に困る」
「何の用でしょうねえ」
「知らない。しかし、諦めて、帰るだろう」
「もうかなりお待ちですからねえ」
「長居されるのも困る」
「得道様の庵で待てばいいのになあ」
「留守なら誰もおらん」
「しかし、直接得道様の庵へ行かれたらいいのにねえ」
「場所を知らんのじゃ」
「聞けば分かりますよ。私がお教えしましょうか」
「いや、ここで得庵様と会いたいのだろう」
「お殿様もお寄りになる大庄屋邸ですからねえ」
「しかし、城の侍。若いなあ」
「何方様ですか」
「側近だろう」
「接待の必要はないのでしょ」
「茶膳で充分。諦めて、そのうち帰るだろう」
「はい」
そこへ城の侍が呼ぶので、庄屋は客間で話を聞いた。
すると、徳庵という村に居着いている人は学者で、この村には不思議な伝説があり、殿がそれに興味を抱き、村に詳しい徳庵様に聞いてこいとの話らしい。
しかし、待っても戻られんようなので、帰ることにするとか。
村にはそんな伝説はなく、あるとすれば東神社の奥宮程度。何が祭られているのか、分からないらしい。しかし、学者の得道が調べに行っているとは思えない。行っても何も出てこないだろう。
きっと城で、誰かが適当なことを殿様に語り。それを真に受けて、調べるつもりだったのかもしれない。
得道はその日、城下に出ていたようだ。そして久しぶりに酒を飲み、寝てしまったらしい。
了
2023年05月28日
4867話 仲裁
「このままでは争いになります」
「何とか避けねばのう」
「庄屋に動いてもらったのですが、無理でした」
「寺はどうだ。あそこには高僧がいる。仲裁してくれるはず。それにあの寺、どちらの勢力にも付いておらぬゆえ、中立。丁度いいではないか」
「話してみたのですが、関わりたくないと」
「あそこは修行の寺だからのう」
「世俗のことは世俗でと」
「では、間に入って止める者がいないではないか」
「領主様がおられれば、いいのですが」
「わしらが追いだしたではないか」
「そうでしたなあ。困りました。他国に頼るわけにはいきませんし」
「そうじゃ、長老がおる」
「あの人は隠居で、もうそんな力はありません。それに片方の人なので、中立ではありません」
「中立でなくてもいいではないか。あの長老、人格がある。徳がある。人望もある。長老に纏めてもらおう」
「体がきかないようです。寝床まで双方が来てもらえれば、口だけはきけるとか」
「動けぬのか」
「動けますが、出掛けるのは控えたいと」
「じゃ、長老にも掛け合ったのだな」
「一応は」
「それで、もういないというわけか」
「一人いますが。どうなんでしょう」
「いるのか」
「竹原様です」
「竹原家に頼むのか」
「元々はこの一帯は竹原家のもの。それを奪ったのは前の領主です。一応竹原様なら中立」
「争いにならぬ前に、お頼みせよ」
「はい、すぐに」
「どうじゃった」
「無理とか。その力はもうないとか。あるのなら、この地、取り返してやると」
「それは藪蛇じゃ。しかし、竹原家を残しているのは、こういうときのためじゃ。最後の切り札としてな。竹原一族はなに不自由なく暮らせているはず。それを支えているのは我らじゃ。こういうときに、仲裁に入ってもらわんとな」
「でも無理です」
「どうしてじゃ」
「だから、今回の争いを利用して、竹原家は元の鞘に戻りたいのでしょ」
「じゃ、竹原を引き込もう」
「そんなことをすると、本当に戦いになりますぞ。それなら勝てるので」
「分かった。竹原は無視しよう。それにそんな力、もうないはずだしな」
「では、どうしましょう。このままでは戦いに」
「仕方がない。わしが出向くか。相手側にも争いは避けたいと願っておる者がいよう」
「最初から、そうすればいいのに」
「え、まあな」
了
2023年05月27日
4866話 月が出ていた
自分が変われば世界も変わるのなら重宝な話で、これは簡単だ。自分が変わるというのは折れると言うことでも可能で、折り合いが悪いとき、相手に変えてもらうよりも、自分が変わった方が早い。それに相手を変えるのは容易ではない。しかし、自分なら殆ど労はない。一瞬だったりする。
そういうことではなく、吉田は一人ひと宇宙をやっているのだが、これもすぐにぼろが出る。
月がある。吉田が見ているだけで、吉田だけが認識しているとすれば、他の人は月を知らないのだろうか。
おそらく知っているだろう。だから吉田だけの世界での月ではない。ただ、月見る月は月々により違う。満ちかけの話だけではなく、月日が経つと、見え方が違ったりする。やや二重に見えたりするのは目が悪くなったためだろう。だから月の見え方はひと様々だが、月はある。
吉田はまた運命は決まっており、偶然など無く、あらかじめ決まった上を歩いているとなる。しかし、それならシンプルだが、運命は変えられるとも考えている。虫のいい話だ。
これは運命は同じでも、自分が変われば運命感も変わる。要するに受け取り方が違うことを運命は変えられるといっているだけ。
確かに自分が変われば、違った運命のように見えるかもしれないが、具体的には相変わらずだろう。
自分が変わることで、運命も変わるのなら、最初から運命というようなものなどなかったことになる。
吉田は一人ひと宇宙を信じているわけではないが、そう考える方が楽なため。どう考えても一人であるはずがないし、何処かの人の影響を受ける。その人は他の人にも影響を与えるだろう。
吉田だけの世界でのその人なら、吉田だけで終わってしまうが、吉田の知らないところでも、その人は動いている。吉田が知っているその人はほんの一部。普段は何をしているのかまでは分からない。
行き交う人の一人。それも吉田の世界の人だろうか。しかし、その人にも生きてきた色々なことが含まれている。そこまでは知らないだろう。吉田の世界の人でも。
「吉田君、調子のいいことを考えてるねえ」
「いや、一寸した仮説を展開しているだけのことだよ。試しているだけ」
「相変わらず、凝ったことをするねえ。もっと素直にやりなさいな」
「月は見るまではないんだ。見たとき、初めて月として見える」
「え、また訳の分からんことを。でも月を見るとき、どうして月を探すんだ。位置が分からないじゃないか。それに月が出ているとは限らないし」
「まあ、そうだね。言い過ぎた」
「どうしてそんなことを考えるようになったんだい」
「面白そうだし、何か楽そうだから」
「そんなことばかり考えるのも吉田君の運命かもしれんね」
「ああ、早くまともになりたい」
「はいはい、お大事に」
了
2023年05月26日
4865話 期待していなかったもの
期待していなかったものが、よかった場合、期待しない方がいいことになる。期待出来るものは該当する条件を満たしており、あるレベルに達している。これは期待出来る。しかし、蓋を開けてみないと分からないが。
期待出来そうなことがないことを予測出来る場合、期待しない。まずまずのレベルだろう。平凡な。それ以下だと相手にしなかったりする。ただ、義務的に接することはあるが。
期待していなかったのに、いいものだったことになると、予測が間違っていたことになる。
たとえば情報不足とかで。だが、詳細まで分かってしまうと、これはこれで問題。意外性がなくなるため。
おお、そうなるのかという驚きがない。そうなることが分かっているので。
期待しない方がいいこともあるが、期待出来ないことが最初から分かっていると、それも可能だ。最初から大したものではないと踏まえて接するためだろう。
ただ、漠然とした期待はある。これならこの程度のことになるだろうという感じで、敢えて期待とは呼べないもの。
だから、軽く流せばいいようなもの。そういうものに予想されていないものが入っていると、これは二段階分の驚きがある。
期待していたものだと、一段階。そうなるだろうと分かっているので、その通りになってくれればそれでいい。ならないこともあるので、なってくれただけで満足だろう。
しかし、期待していないものだと、期待分が最初からないので、その驚きだけでも充分。さらに思っていたもの以上のものが含まれていることで、二段階分の効果。
だから、如何に期待しないで接するかだ。これはこれで難しい。ついつい期待してしまう。いいふうに予測したりする。実はこれがいけないのだが、自然とそう思うものだ。それだけの情報なりを得ているので、期待出来るものとして最初から立ち上がっている。
それで期待外なこともあるのだから、予測も情報も、それほど確実なものではない。それに予測なのでそんなものだろう。
期待していたものがことごとく駄目。というのもある。過剰な期待をし、増やしてしまうため。
しかし、期待しないで接するというのは、状況に左右されて発生するかもしれない。たとえば、義務的、機械的に接するとかだ。
これは適当に流せばいいことで、期待の期の字も最初からない。この状態なら期待しないで接することができる。そこで期待していたものだったとすると、これは効果的だ。
期待していなかったものの中に期待以上のものが入っているというのは滅多にない。そして、その味を知るとことで、期待しないやり方に期待したりする。この場合、そのものよりも、選び方の手法だろうか。
だが、期待しているものを選ぶのが人情。それに確率も高い。やはりこちらが本道だろう。ただ、それだけではない偶然性のようなものがあるのも確かだ。
了
2023年05月25日
4864話 境地
一つのことを決めると、それをやりたくなくなる。
やることを決めるのだから、そこでもうやることは決まったことになる。もう何も考えなくてもいい。決まったのだから。
しかし、それをやりたくないということが新たに浮上してくる。これはすぐに打ち消されるだろう。決定したのだから、それに従う方がいい。それに自分で決めたのだから、問題が起こりそうなことは一応考えての上。後は実行するのみ。
しかし、そこでとたんにやるのが億劫になる。その決定に疑いが出ることもあるが、その場合は修正すればいい。そうではなく、完璧すぎる決め事ほど手を付けたくない。何故だろう。
「竹田君、またそんな症状になっていますね」
「何故でしょうねえ。やることが決まっているのに、しないとは」
「自分で作った罠にはまりたくないのでしょう」
「罠ですか。計画ですよ。予定ですよ。段取りですよ。それが罠なのですか」
「自分で決めたものって、臭いでしょ」
「臭い。臭いのですか。まあ、そういえば一寸臭いですが」
「インチ臭い気がしませんか」
「その臭いもします。それと、この決め事が果たして正しいのかどうかよりも、決めるとやる気を失うのです」
「じゃ、決めなくてもいいんじゃないですか。そんな臭い決め事など」
「それを聞くと、ほっとしますが。それでは何処へ向かっているのか、分かり難いです。目先のことしか考えないような気が」
「そうじゃないでしょ。かなり先のことも、何となく入っているはずですよ」
「何となくですか」
「言語化しないで、作戦帳にもない」
「先生は作戦帳を作っているのですか」
「まあ、計画書です。それはありますが、頭の中で考えているだけです。明言はしない。何となくです。漠然と思っているだけですよ」
「それで、先生の研究は成果が出ないのですね」
「出そうとは思っていませんからね」
「そこが根本的に違うんだ。しかし、先生はそんな無計画なことを勧めているわけじゃないでしょ」
「計画は必要です。でも、それはダミー」
「そうなんですねえ。だから決め事通りにできないのは、ダミーだったから」
「そういうことです。だから臭いのです」
「じゃ、どうすればいいのでしょう」
「いつも通りの竹田君でいいのですよ。思い付いたらやる。飽きたらやめる。頻繁に目移りする。余所見をする。これでいいのです」
「全部、悪いことじゃないですか」
「そのうち何かを掴むでしょう。偶然ね」
「はあ」
「だから、適当に泳げばいいのですよ」
「先生もそれですか」
「それは言えません」
「先生こそ、凄い研究をして、有名になって下さい。僕はその可能性は限りなくありませんが」
「無名でいいのです。その方が気楽ですよ」
「その境地、なかなかなれません」
「当然だよね」
「あ、はい」
了
2023年05月24日
4863話 馬に念仏
「人の話を聞きなさい。君はちっとも聞かない。自分のことばかり話している」
「はい、聞きます。そして自分のことではないことも喋るようにしますが、それって、ただの噂話になるのですがね。それでもいいのですか」
「そうじゃなく、目の前にいる人間の話を聞きなさい」
「あ、あなたの話ですね」
「そうだ」
「聞いていますよ。耳はあります」
「右から左だ。聞き流しておるだろ」
「でも聞いていますよ。うわの空じゃありません。何を話しているのか、聞いています。だから、こうして会話になっているのでしょ。ちゃんと聞いていますよ」
「運は人が運んでくる。しっかりと聞いていると、その運を掴むことができる」
「悪いセールスマンの話も聞くのですか。悪い運を運んできているかもしれませんよ」
「だから、そういう対応が駄目なんじゃ。それを揚げ足という。私の伝えたいことはそこではない。それを汲み取る力がいるんだ。まあ、素直に聞けば済むことだがね」
「人の話を何でもかんでも聞いていると、忙しくて仕方がないですよ。そこにいい運があっても」
「人の話を鵜呑みにするな」
「聞き流せばいいのでしょ。だから」
「そうじゃない、聞いた話を吟味する」
「誰が」
「君だよ」
「でもそんなことしなくても、これはまずい話だとすぐに分かるでしょ。聞く前から」
「どう伝えればいい」
「どう聞けばいいのでしょう」
「君は排他的だ。だから良い運が来ても受け取らない」
「運ですか。でも運っていきなり来てしまうのでしょ」
「いや、そうじゃない。運を掴む人間は、より多く人の話を聞き、そこから運を見付け、そして掴むものだ」
「聞かなくてもいいんじゃないですか。あ、この人いい運を運んできていると、分かれば、もう話など聞かなくても」
「君は話を聞くのがいやなのかね」
「分かりきった話をくどくどされると、聞きたくなくなります」
「私の話が、そのくどくどと分かりきった話なのかね」
「いえ、有り難いお話しです。一寸話を展開させますがいいですか」
「何かね。展開とは、まあいい。言ってみなさい」
「運てなんですか」
「困ったことを聞くなあ。そこは聞き流してもいいところなんじゃよ。運は運だ」
「運は決まっているのですか」
「また、ややこしいことを聞く」
「運は掴むものだと、あなたは言いたいわけですね」
「縁を作る。縁を増やす。運とは縁なんじゃ」
「縁はどうしてできるのですか」
「作っていく」
「ああ、よい縁組みで式ですね」
「そうじゃ」
「でも縁ができるもできないも、あるもないも運で決まっているんじゃないのですか」
「だから、縁も運も似たようなもの」
「だから人の話をよく聞けば、縁も運も得られるのですか」
「もう聞かなくてもいい」
「え、いいんですか。今回は丁寧にあなたの話を聞きましが」
「馬に念仏じゃ」
「快く、聞いていたりして」
了
2023年05月23日
4862話 程々
程々のところがある。これは気付きにくいが、行きすぎたり、戻りすぎると、気付くことがある。ここではないようだと。
しかし、いつものところでは今一つなので、もう少し遠くへ行ってみる。
さらにその先があり、もういつものところとはものが違っていたりする。そして、その逆側も。
つまり、一度振り切ると、程々のところが見えてくる。ところが、いつものところがどのあたりなのかは曖昧で、決まった場所はない。ただ、このあたりだろうというのは、何となくある。
結構平凡なところで、そうだからこそもっと先へ出てみたく思うのだろう。そして出過ぎると、ここではないことが分かる。
いつものところから少し出たあたりから、行きすぎたり戻りすぎたりしないところにあるのだろうか。
いつものところともっと先のところとでは見るものが違ってくる。注目ポイントはそれほど違わないのだが、そこまで行くと、違うものになり、特別なものになる。
これでは気楽に行けない。それは望んでいたものであったとしても、ちょとやり過ぎで、刺激はあるが落ち着かない。だから普段から行けるようなところではない。
そして、程度の問題ではなく、ものが違ってしまう。そういうのを望んでいない。
その逆もある。後退というか、もっと大人しいものだ。しかし、それでは大人しすぎて、刺激がない。ありすぎても困るが、ないのも難。
いつものものに飽きて旅立ち、そして、そこではなかったと気付き、元来たところに戻る。すると、ほっとする。これは旅行などでもある。我が家が一番と。
その我が家。どんな我が家だろう。我が家の中にいる間は分かり難い。そういうことだが、その一番が徐々にまた一番ではなくなり、また違うところへ行くかもしれない。
中間に留まるのではなく、振り子のように行ったり来たりしている。中間も通り道の一つなのだ。通過駅だったりする。
しかし、中間の何処かの駅がおそらく程々のところなのかもしれない。
落ち着けるところ。それは程々のところだろう。何が程々なのかの程は曖昧で、動いているが。
了
2023年05月22日
4861話 朝会
石清水宏一郎。浪人者だが、身なりはいい。仕官先から追い払われたり、藩が潰れたわけでない。郷士なので藩士とは言いにくい面がある。
それに嫌気が差し、何とか抜けた。脱藩ではない。隠居ということにし、さらにその跡取りと言っても子がいない独り身。跡取りは適当な縁者に任せた。
それで何とか城務めから解放され、藩からも切り放された。あとは何処へ行こうと自由。主君がいないし所属する藩がないため。個人になったわけだ。
江戸のさる大名家の家老宅で朝会がある。朝食を食べるだけの集まりだが、その家老、用心深い。仲間内の藩士だけだと、これは怪しげなので、敵対する側の人間も誘っている。だから人脈的な繋がりはバラバラ。ここではその家老の私的なこととして、まあ、茶の湯のようなものだが、ただの朝飯会。当然飯を食うのが目的ではない。
「掴めませんなあ」
「何を考えておるのか」
「朝会と言いましても、何やらゴソゴソと」
「しかし、聞こえてしまうだろう。仲間内だけの寄り合いではないのだから」
「先日は石清水宏一郎と名乗る浪人者を引っ張り込んでおります」
「国は何処だ」
「山崎です」
「都の人間か」
「いえ、小藩にいた郷士とか」
「公家との橋か」
「あの家老が、そこに手を伸ばしているとでも」
「係わりのある人間かもしれんぞ。あの家老、朝廷を動かす気か。いや、ただの家老、そこまでのことはできんだろう。しかし、朝廷と親しいとなると、厄介じゃ。そうか、あの家老、そう来たか」
「石清水宏一郎は静かにご飯を食べておりました。始終聞き役で、何のために呼ばれたのかが分からないようです。世間話の一つや二つ、披露してもおかしくはないのですがね」
「別間で密談」
「いえ、我々と一緒に帰りました」
「勘ぐらせるためじゃな」
「はあ」
「憶測が憶測を生む。何もなかってもな」
家老宅を出た石清水宏一郎は、何故誘われたのか、よく分からない。しかし、あの家老の家来に頼まれ、引っ張り込まれた感じ。朝飯を食べるだけだと。
朝飯は宿で食べてこなかったので、ちょうど腹もすきだしていたので、石清水宏一郎は誘いに乗った。
それだけの話だ。
了
2023年05月21日
4860話 道
道の中にも道があり、寄り道の中にも寄り道がある。
道を違える。これは本来の道とは違うところを行くことだが、その本来がそれほど本来らしくなく、仮の本来のようなものであれば、多少違えてもあまり変わりはない。
どちらも間違った道かもしれないし、両方とも合っていたりする。だから本来の道というのは難しい。あるのかないのかさえ分からなかったりするし、見付けても錯覚だったりする。
すると、道を違えた場合、そこが正解の可能性もある。ただ、いつもの道ではないので、違う道だと感じる。
そのいつもの道、どうやって決まったのか。それは成り行きでそうなってしまったようなことが多く、意識的に決めたわけではない。他と比べれば妥当とか。他の道よりもましとか。何となく理にかなっているとか、あるいは好ましいとか、その程度のことで決まっていくようなもの。
判断基準としては弱い。しかし、その道を選んだことになる。これはあの道ではなくこの道と言ったように、合っていそうな雰囲気もあるのだろう。
ただ、それも確証はないし、全部が全部間違っていたりするかもしれないが。
岩田は道を行くとき、そういうことを意識した。何故この通り道なのかと。他にもコースはある。時間的にも似たようなもの。
沿道風景がいいからというのもある。だから好みも入る。また、歩きやすいとかもあるし、陽当たりの問題もある。冬場は陽が当たる道の方がいい。夏は日影が多い道がいい。
それで、岩田は夏は道を変えている。これははっきりとした理由があるので、説得力がある。ただ、日影のある道は全部が全部ではなく、たまに木陰がある程度。そして距離的には長いので、時間が少しかかる。遠回りのようなもの。
日影のない夏の道でも、急げば何とかなる。それにその道の方が通りやすく、さっさと行ける。日影のある道で日差しを受ける時間は似たようなものかもしれない。すると説得力を失う。
暑くても寒くても同じ道を行く。これがいいのかもしれない。しかし、それに拘る必要が果たしてあるのだろうか。勝手に自分で縛っているようなもの。
どの道を行くのか。どれがいいのかと考えていると、どちらもいいし、何でもいいのではないかと岩田は思えてきた。大した差はないのだ。
それよりも何処へ向かう道なのかの方が大事だろう。
了
2023年05月20日
4859話
臍石
平岡の町は平地にあり、高低差はほぼない。ただ、川の土手が高いため、そこは少しだけ坂道。平岡町はその橋を渡ったところにあるのだが、そこからが平岡町ではなく、もう少し先。
周囲には町工場があったり、農家だった家も見受けられるが、ほぼ住宅地。
最寄り駅から離れているため、ここに引っ越すような人は少ない。そのため、マンションは少なく、高いのもない。あとは長屋風の棟が串柿のように連なっている。おそらく農地だったところだろう。
いずれも工場が近くにあるので、そこで働く人にとっては通うのは便利な町。ただ、平岡町はそこではく、もっと内側にある。奥まった場所に。
チマチマとした庭のないような建売住宅などが結構あるが、そこを通り抜けると、少し趣の異なる家が見える。
町並みというほどの風景ではないが、長屋の他に、農家のように大きな家も見える。しかし、農家ではなさそうだ。平岡町が村だった形跡がない。大小の村が周囲にあるが、いずれも村跡で、今は農地さえない。
そこに農家でもない古い家がそれなりに固まっているが、どの道も狭く、町の中央というのもない。神社もない。
狭苦しい場所に、申し訳程度の児童公園と納屋のような集会所がある程度。
だからこの町の特徴がなく、そんな町などがあったのだろうかと思うほど。
狭い道しかない平岡町だが、その道が入り組んでおり、まるで迷路。すぐに行き止まりになるか車両が入れない狭さになる。
しかし、わざわざこの町を通り抜けるような車はいない。近道にならないためだ。そして用事がない。
その狭い道を行くと、行き止まりのはずが、左右に抜けることができる。ここは流石に狭すぎる。自転車のハンドル幅の限界だろう。
そして中に押しいると、塀とか建物の壁が迫るのだが、すぐに抜け、少し広い道に出る。といっても車一台が通れる程度。
さらに進むと、ぐるぐる回っているような感じになってくる。カタツムリのようにぐるぐると。ただ、カクカクとしており、曲線ではないが。
どうも中央があるらしく、その中心部が町の一番奥深いところだろうか。
こういうところに外から来た人が入り込むようなことはない。何かのセールスで来るのなら別だが、用事がなければ、そんな奥の奥の回り込んだ中央部へまで行かないだろう。
そして、中央部には井戸ぐらいの空き地があり、そこに石が置かれている。一人では運べないほどの石。人が加工したような形だが、石仏の作り損ねではない。動物が丸まっているような形だが、最初からそんな形なのかもしれない。
謂れ、言い伝えなどは一切書かれていないし、案内板のようなものもない。場所は四方が家の裏側。塀とか壁で囲まれた狭苦しい一角。
平岡町の横に大きい目の道が走っている。そこから一瞬平岡町が見えるのだが、意識して見ていないと、そういう町があることさえ分からない。
町の結構が、あの石を守るため、できたとすれば、そのわけを聞きたいところだが、説明はないし、その伝承も漏れ聞こえていない。
臍石だろうか。
了
平岡の町は平地にあり、高低差はほぼない。ただ、川の土手が高いため、そこは少しだけ坂道。平岡町はその橋を渡ったところにあるのだが、そこからが平岡町ではなく、もう少し先。
周囲には町工場があったり、農家だった家も見受けられるが、ほぼ住宅地。
最寄り駅から離れているため、ここに引っ越すような人は少ない。そのため、マンションは少なく、高いのもない。あとは長屋風の棟が串柿のように連なっている。おそらく農地だったところだろう。
いずれも工場が近くにあるので、そこで働く人にとっては通うのは便利な町。ただ、平岡町はそこではく、もっと内側にある。奥まった場所に。
チマチマとした庭のないような建売住宅などが結構あるが、そこを通り抜けると、少し趣の異なる家が見える。
町並みというほどの風景ではないが、長屋の他に、農家のように大きな家も見える。しかし、農家ではなさそうだ。平岡町が村だった形跡がない。大小の村が周囲にあるが、いずれも村跡で、今は農地さえない。
そこに農家でもない古い家がそれなりに固まっているが、どの道も狭く、町の中央というのもない。神社もない。
狭苦しい場所に、申し訳程度の児童公園と納屋のような集会所がある程度。
だからこの町の特徴がなく、そんな町などがあったのだろうかと思うほど。
狭い道しかない平岡町だが、その道が入り組んでおり、まるで迷路。すぐに行き止まりになるか車両が入れない狭さになる。
しかし、わざわざこの町を通り抜けるような車はいない。近道にならないためだ。そして用事がない。
その狭い道を行くと、行き止まりのはずが、左右に抜けることができる。ここは流石に狭すぎる。自転車のハンドル幅の限界だろう。
そして中に押しいると、塀とか建物の壁が迫るのだが、すぐに抜け、少し広い道に出る。といっても車一台が通れる程度。
さらに進むと、ぐるぐる回っているような感じになってくる。カタツムリのようにぐるぐると。ただ、カクカクとしており、曲線ではないが。
どうも中央があるらしく、その中心部が町の一番奥深いところだろうか。
こういうところに外から来た人が入り込むようなことはない。何かのセールスで来るのなら別だが、用事がなければ、そんな奥の奥の回り込んだ中央部へまで行かないだろう。
そして、中央部には井戸ぐらいの空き地があり、そこに石が置かれている。一人では運べないほどの石。人が加工したような形だが、石仏の作り損ねではない。動物が丸まっているような形だが、最初からそんな形なのかもしれない。
謂れ、言い伝えなどは一切書かれていないし、案内板のようなものもない。場所は四方が家の裏側。塀とか壁で囲まれた狭苦しい一角。
平岡町の横に大きい目の道が走っている。そこから一瞬平岡町が見えるのだが、意識して見ていないと、そういう町があることさえ分からない。
町の結構が、あの石を守るため、できたとすれば、そのわけを聞きたいところだが、説明はないし、その伝承も漏れ聞こえていない。
臍石だろうか。
了