2020年12月04日

3953話 イライラ波


 その年の夏から異変が始まり、初冬になってもまだ収まらない。異変の正体、理由が分からないどころか、異変そのものが分かりにくい。ただ、人々はイライラしている。分かりにくいからではなく、イライラする異変なのだ。
 くどいが、異変が苛立たせるのではない。苛立ちという異変だ。
 世相が悪い、政治が悪いと言っている人だけではなく、まったく無関心な人まで苛立っている。原因が何処にあるのかは分からない。気象庁は天気が原因だとは考えにくいと思われると記者会見で述べた。もし天気が原因なら全ての生き物、植物にまで影響するだろう。石にも。
 しかし、イライラしているペットはいないようで、飼い主のイライラの影響で、猫まで苛つくようになることもあるが、野良猫はいつも通り。だから自然界そのものには異変はない。人間だけ。
 では赤ん坊はどうか。これは苛立たない。不満があると苛立つのが仕事なので。
 いつもぼんやりとしているような人はどうか。これはやはりぼんやりのままで、イライラしたぼんやりさんは見かけない。アホは風邪を引かないようなものだろうか。
 この異変は苛つきだけではなく、短絡的行為というのを促すようだ。苛立つためだろう。しかし分別のある人は、その手前で食い止める。
 実際の被害はそれほどない。パニックにもなっていない。少し苛立つ程度なので。
 ある人は低周波ではないかと言っている。その周波はまだ観測されていないが、その恐れが高いと。
 冬が始まり、クリスマスが近付いている。夏からもうかなり経つ。
 それで、人々はこの異変に振り回されているわけではない。夏から続いているが、それ以上の影響がないため。
 これが長いと見るか短いと見るかは前例がないので分からない。
 まあ、多少イラッとする程度で、普段でもその程度の苛つきはある。それが増えた程度。そのうち慣れてきたのだろう。
 低周波説を唱える人の中に、巨大な貧乏神が貧乏揺すりをして、その振動が伝わっているのだと発表した。
 人々はここぞとばかり苛立った。
 
   了



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2020年12月03日

3952話 日常のチャプター


 日常は複数のチャプターで成り立っている。その順番、並びはほぼ同じ。朝起きて、夕食は食べないが、夕方に起きてくれば、それが夕食になるが、起きたとき食べるのはやはり朝ご飯だろう。夕食は晩ご飯で、一日が終わろうとしている頃。日が沈み、暗くなってから。しかし、そのシーンは朝食でも夕食でも変わらなかったりする。照明が違うかもしれないが。
 日常は区切られているが、流れがある。順番があり、それが一つの筋。しかも毎日似たような暮らしぶりだと、昨日のシーンと今日のシーンはほぼ同じだが、これも天気により明るさが違うかもしれないが、ビジュアル的には、似たようなもの。ただ、お膳の上のおかずが違うはず。同じ茶碗と箸や皿でも、盛ってあるものが違う。
 また、茶碗ではなく、弁当だったりするし、パック入りのお好み焼きだったりする。シーンとしての意味は同じだが、一回としてそっくりなシーンは存在しない。
 当然、それを食べている人の服装も違うだろう。いつも着ている部屋着でも、四季を通じて同じではない。
 そしてほとんどチャプターの数は同じ。それが日々繰り返されているのだが、当然本人は今日と昨日の違いは分かっている。絵としては同じようなものだが。
 チャプターの数は同じ、チャプターの中味も同じ。これは自然にその数や並びになっている。結構完成されたもの。一つ欠けたぐらいでは問題はないし、また少し増えても問題はない。全体は似たようなものなので。
 ただ、チャプター内での変化はある。これは演出だろう。やっていることはほぼ同じなので、変えるのは難しいが、演出は変えられる。
 山田は、そういうことを思いながら、似たような日々を過ごしていた。昨日やっていたことを今日もやる。そして順番も同じ。それらのチャプターをこなしていかないと、一日が終わらないわけではないが、決まり事の段取り。山田が決めた段取りだが、いつの間にかそうなっていた。
 演出を変える。それは気分を変えることだろうか。山田はそれに気付き、もしこれを映像で撮られていたとすれば、キャラクタの動きも大事になる。箸の使い方や、歩き方とか、仕草や動き。
 繰り返されるチャプター。それらの筋は決まっており、流れも決まっているのだが、当然山田はそんなことを意識しながら一日を過ごすわけではない。あとで思うと、同じシーンを毎回やっていると分かる程度。
 たまにそれらのチャプター数が減ったり、増えたり、今までになかったチャプターが入ることもある。
 
   了
 


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2020年12月02日

3951話 場末の古本屋


 草加は久しぶりに人で賑わう繁華街にやってきた。普段の用事は近場で済むし、ネットでも買えたりするが、電車に乗ってまで繁華街に出てきたのは人を見るため。人を見て買うわけではない。
 世の中がどうなっているのかを見に来たのだ。しかし近場も世の中、その近場にいるような人が大きな繁華街にもいる。しかし繁華街用の人のように見えたりする。つまり繁華街族のように。だが、深夜前に繁華街の人出も閉店後は引くだろう。やはり草加と同じようなところから遊びや仕事で来ただけで、繁華街人ではない。
 ところがその繁華街人がいる。実はその人の顔を見に行くのが目的の一つ。繁華街の人。遊び人ではない。夜の帝王でもない。ただの古書店の主人。
 田中といい、間口の狭い店の二階に住んでいる。倉庫だったところだが、居間兼寝床にした。古本も売れなくなり、店は開いているが、そこを開けないと出入りできないので、開けているだけ。店内は実は玄関のようなもの。土間のようなもの。しかし、本は一応並んでいるが、歯の抜けた棚もある。もう買い入れも、仕入れもしていない。
 草加はネオン街を通りに抜けている。人通りはそれなりにあり、以前とは変わらないが、店屋がコロコロと変わっていく。全部入れ替わったのではないかと思えるほど。
 世の移り変わりだろうが、数年前にも通ったので、それほどの驚きはないが、その頃から見ても、また変わっている。
 そこを抜けると所謂場末。田中の古本屋はさらに枝道に入ったところにある。もう店屋はほとんどなく、通行人もいない。
 季節はクリスマス前。まだ遠いが、それなりに寒くなってきた。草加は作業着のようなジャンパーを着ており、あまり繁華街では似合わない。遊び着が欲しいところだが、懐が寒い。
 古書店は開いているが、誰もいない。奥にレジがあるが、田中はいない。
 レジの横に便所の戸と階段がある。そこから田中を呼ぶと、階段を降りる音。
 別のものが上から降りてきたのかと思うほど、姿がおかしい。田中かどうか分からないほど。まさか、こんなところにモンスターが出現するわけがない。
 田中は蒲団を被って降りてきた。寒いようだ。電気を切られたのだろうか。しかし、店の蛍光灯は点いている。
「風邪かい」
「いや、蒲団がいいので」
「蒲団が」
「暖房要らずだ。蒲団だと」
「しかし、蒲団を被って店番できないだろ」
「客なんて来ない」
「来たらどうするの」
「流石に蒲団は外す」
「ストーブとか置けばいいのに」
「そうだね」
「顔を見に来ただけなので、これで帰るよ」
「そうかい。僕は元気だから、心配なく」
「また顔を出すよ」
 本当に顔だけだ。
「ああ、分かった、またね」
 世間を見に来たのだが、もの凄くローカルすぎるほどローカルな例外的な世間を見てしまった。しかし、それもまた世間の内だろう。
 
   了



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2020年12月01日

3950話 老画家


 旧友。それは昔、付き合っていたが今は付き合っていない友も差すが、岸和田の旧友は古くから付き合っている現役の友人。その老画家の音沙汰が消えて久しい。岸和田はただの老人。年々友人が減っていくのは亡くなるからではなく、付き合いがなくなるため。その老画家とは不思議と馬が合い、長く付き合っている。岸和田は絵には興味はない。そのため、老画家は滅多に絵の話はしないが、個展などがあると必ずハガキが来るし、また電話もかかってくる。在廊の日に来て欲しいと。
 絵を見てもらいたいのではなく、そのあと飲みに行くのが目的。岸和田相手だと絵の話から離れるので、それがいいのだろう。
 その老画家の個展がここ二年ほど途絶えている。多いときは年に何回もあるが、全国各地なので、ハガキが来ても行かないことが多い。それと電話だ。これがないと行かない。絵を見るのが目的ではなく、友達に合いに行くため。
 岸和田と老画家とは比較的近いところに住んでいる。電車で数駅だが、その駅で降りることは滅多にないので、ついでに寄るということも希。
 消息が途絶えたようなものだが、個展をしなくなったためだろうか。
 それで岸和田は暇なので、見に行くことにした。しかし、老画家の家にはあまり行きたくない。妙な建築家が設計した奇妙な家のため、居心地が悪い。その箱の中に入っている老画家が別人のように見える。
 だが、音沙汰がないので、気になる。少しだけ顔を見て、帰ればいい。しかし、いるかどうかは分からない。電話をすればいいのだが、そんな関係ではない。つまり、いきなり押し掛けてもいい関係。アポなしで合える。それほど大層な画家ではないのだが、いつも通り、いきなり行くのがいい。
 閑静な住宅地の中に、一軒だけ妙な建物。これは目立つ。まるで山賊の砦のようで、むき出しの丸太の塀。それも不揃い。
 老画家は雑誌にコラムを連載している。今月号にも載っていたのだが、これはかなり書きためたものがあるらしい。
 丸太の隙間に入口があり、ここが勝手口。裏口だろうか。岸和田は勝手知った勝手口からいつも入る。鍵がかかっており、ロックされているが、これは仕掛けもので、順番通り引いたり押したりすると開く。その手順を覚えているので、簡単に開く。三段階だ。
 そこを潜ると、庭に出る。ここには何もない。芝生だけ。庭木を植えると手入れが面倒とかで、植えていない。それと原っぱを再現させたいのだろう。
 その原っぱを突き抜けると母屋の裏側に出る。数部屋の窓が見え、その一つには縁側がある。老画家の居間。だから縁側からの訪問になる。これは近所の人や馴染みの人向けの設計だろうか。
 箕田君。と、岸和田は声をかけた。
 しばらくして、物音がした。
 そして人影が現れ、近付いて来た。
 人影はガラス戸を開ける。
「ああ、岸和田君か、久しぶりだね」
 老画家は生きていたようだ。
 
   了

 
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2020年11月30日

3949話 立ち話


「下田はいかん。あれは辞任すべきだ」
「交通機関の発達が、果たして人々に仕合わせをもたらしたろうか。利便性が必ずしもいいわけではない」
「下田の経歴を見たか。あれは嘘だ。それが分かっていながら、誰も何とも言わん。それを追求すると、おのれも追求されるからだ」
「私は歩いて旅する。これがいい。しかし、昔は伊勢参りなど歩いて行ったものだ。お参りよりもその道中の方が学ぶところが多いと言える」
 左側から来た人と、右側から来た人が神社前でばったり出合ったのか、立ち止まったまま立ち話をしている。神社が目的なのではなく、通過している最中。
「誰も正しいことを言わん。絵に描いた餅のような正論は言うがな。しかし、正論だけでは世の中、立ちゆかん。だが主義主張のあるいっぱしの人間なら、もう少しましなことが言えるはず」
「この前、近くを散歩したんだが、足が重い。歩いて旅するには鍛えんといかん。昔の人は運動目的で歩いたわけではなかろう。日常的によく歩いていたに違いない。しかし、どの程度のスピードで歩くのだろう。それは人それぞれ」
 二人は向かい合って話しているのだが、どちらも相手の目など見ていない。
「倉橋先生に出てきてもらうのが好ましい。まだ引退するような年じゃない。あの人の時代は良かった。言っていることが痛快だった。やっていることは同じでも言い方を変えると、説得力がある」
「牛に引かれて善光寺参り。年をとるとそれだな。しかし牛を飼わないといけない。昔は農家でも牛を飼っていた。その牛に引っ張ってもらうのも手だが、果たしてそれで合っているのかな。荷運びの牛は見かけるはず。そして荷は私だ。それなら行ける。だが、この時代、そんな牛に引っ張られながら道路に出ておる人などおらんだろ。だから無理だな」
「一人一人がもっと認識を持つこと。これが大事で、世の中のことをしっかりとチェックすることだ。私は毎日新聞を読んでいるが。それは信用できんので深読み、または裏読みする」
 二人は歩きだした。左から来た人は右へ。右から来た人は左へ。
 二人とも、一人でブツクサ言いながら歩いている辻説法系の散歩者だろう。
 
   了


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2020年11月29日

3948話 限界越え


 限界を超えると、そこで終わってしまう。いつもは限界内でやっていたのだが、その限界内にもレベルがあり、非常に高い限界内もあれば、それほどでもない限界内もある。その場合、限界など考えなくてもいい。限界を超える必要がないため。
 限界内での戦いがあり、競い合いがあるし、自分自身に対しても挑戦する良さもあるが、いずれも限界内での話。
 限界を超えるのは実は簡単なことで、一つの歯止めを外せばいい。これは誰にでもできる。限界内から見ると、それは反則。禁じ手。御法度だ。
 要するに御法度の裏街道を行くようなものだが、裏とは限らない。堂々と表街道も歩けるが、御法度破りにはかわりはないので、限界内の人から見ると、これは本来のものではないと感じるだろう。
 限界内だけでは不足で、また不満な場合もある。限界すれすれの箇所はほとんど限界を越えたところと変わらなかったりする。しかし限界内。戦いはそこが主戦場だったりする。
「その戦いに疲れました」
「それで第一線から引くのかね」
「ゆとりがありません。余裕も」
「しかし、すれすれのところが良いんだ」
「別にすれすれでなくてもいいんじゃありませんか」
「じゃ、大人しくなるよ」
「はい、もう大人しいのでいいのです」
「君がそう望むのなら、そうしなさい」
「有り難うございます。これでほっとしました」
 しかし、似たような人が大勢いて、大人しいところも満員だった。ここはここで競い合っていた。大人しさ加減ではなく、かなりのセンスが必要だったためだろう。だから、事情は変わらない。何処にいても、人がおり、それなりに競い合っている。
「多いです」
「大人しくはないか」
「はい、それで、もう一段下げたいと思うのですが」
「それを望むのなら、そうしなさい」
「はい。有り難うございます」
 さらに大人しく、地味なところにも大勢の人がいた。そこでは何を競い合っているのかは分からないが、決してのんびりできる場所ではなかった。
「駄目でした」
「じゃ、限界を超えるか」
「それは」
「その方がすっきりする」
「でも御法度破りになります」
「そうだね。そうなると、君ともおさらばだ」
「はい」
「じゃ、どうする」
「さらに下げてみます」
「同じことだと思うが」
「下げすぎるほど下げます。そちらへ向かっての挑戦です」
「君がそれを望むのなら、やってみなさい」
「有り難うございました」
 しかし、そこはずぶの素人の世界だった。
 下げすぎたようだ。
 
   了
 



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2020年11月28日

3947話 用事の話


「一つ用事を減らすと楽ですね」
「あ、そう」
「このところ忙しくなりましてねえ。色々と用事を増やすからでしょうねえ。それで一つ減らしました。すると楽になった」
「その用事、しなくて大丈夫ですか」
「大丈夫だったようです。しなくてもいいような用事でして、習慣になっていただけ」
「無駄を省くというやつですね」
「いや、最初から無駄なことをやっていたので」
「あ、そう」
「それで時間にゆとりができ、他の用事や用件もゆっくりやれます。いつも急いでやるものだから、それに比べると楽です」
「他の用事も必要なものですか」
「必要じゃありません」
「じゃ、もっと減らせますねえ。さらに楽になるんじゃないのですか」
「減らしすぎると退屈します。やることがないとね」
「でも減らせるんでしょ」
「しなくてもいいことですから、いくらでも減らせますが、先ほど言ったように用事が減るとやることがなくなる。やることがないので、やることを増やしたので」
「それで増やしすぎて忙しくなったと」
「そうです。それで一つ減らすと楽になった。それだけの話です」
「暇潰しの用事じゃなく、本当にやらないといけない用事もあるでしょ」
「あります。でも、やりたくありません」
「それはいけない」
「それで、本当にやらなければいけない用事がかなり溜まっています」
「じゃ、それをやれば退屈しないでしょ。やることが一杯できる」
「気が進まない」
「あ、そう」
「やらなくてもいいことの方がやりやすいのです」
「それじゃ絶対にやらなければいけない用事はいつやるのですか」
「差し迫ってからです」
「なるほど」
「あなたはどうです」
「そんなこと、考えたこともありませんが、普通の用事だけでも結構ありますから、退屈はしませんよ。わざわざ用事を作りませんがね」
「それで普通なんでしょうねえ」
「そうですよ」
「私はつまらん用事をやるのが好きなんです。しなくてもいいような。これは娯楽なんです。本当の用事はそうじゃないでしょ。仕事のようなものでしょ。やる義務があるような。責任がかかっているような」
「そうですね」
「それよりも無駄なことを一杯やりたい。まあ、それでやり過ぎて忙しくなり、のんびりできなくなりましたので、一つ減らしたわけです」
「呑気な話ですねえ」
「そうですねえ」
 
   了


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2020年11月27日

3946話 闇の中の走馬灯


 闇の中を彷徨っていた。二吉はやっとその先に光を見て、出口を見付けた。そこは明るい世界。現実の世界。きっと昼なので、明るいのだろう。
「ほう、闇の中を彷徨っていたと」
「そうです。でも、そちらの方がよかったかもしれません」
「闇では何も見えんじゃろ」
「明るくても実は何も見ていなかったりします」
「ほう、それは奥深い」
「それに何も見えませんが色々なものが見えていました」
「頭に浮かぶものかな」
「そうです。見飽きるほどありました。まるで録画したままの動画のように、全部見るには一生では足りないかもしれません」
「何テラ分じゃ」
「そういう話ではありません」
「録画はどうした」
「自動的に録画できます」
「しかしハードディスクが足りんだろ」
「だから、そういう話ではなく、これまで生きてきたシーンが走馬灯のように頭に浮かび、流れていたのです。それを見ていると、もう十分でした」
「走馬灯。しばし、見たことがない」
「だから、そういうたとえです」
「あ、そう」
「光を見付け、出てきましたが、この現実、相変わらずですねえ」
「まあな」
「またあの闇に行きたいです」
「飯はどうした」
「時間がないのです」
「あ、そう」
「先ほど居眠りしていたでしょ」
「ああ、していたなあ」
「あの間です」
「じゃ、短い」
「そうでしょ。闇の世界ではうんとうんと長い時間でした」
「それは単に夢を見ていただけのことじゃないのかね」
「いや、夢ではありません」
「わしも行けるか、その闇の世界へ」
「さあ。私は偶然入り込みましたが」
「どこから」
「夢の中からです」
「何じゃ、やはり夢ではないか」
「夢の中に入口がありまして、そこに入ると、もう夢じゃないのです」
「ううむ」
「その中で、走馬灯をやったのです」
「幻灯会のようなものかな」
「幻灯はスライドで静止画ですが、動画でした」
「それがよかったのか」
「昔の思い出とかが浮かび上がり、それが、また長い長い物語で」
「死にかかっていたんじゃないのか」
「いいえ」
「そうだな」
「あの闇の世界は私の故郷といいますか、私そのものでした」
「独演会じゃな」
「はい、私だけが主人公でした」
「わしは出てきたか」
「はい」
「どんな感じで」
「それは言えません」
「あ、そう」
「また、あの闇の世界に行ってみたいです」
「夢を見ていただけじゃと思うがなあ」
「そうですねえ」
 
   了



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2020年11月26日

3945話 馬鹿になる薬

馬鹿になる薬
「機嫌良く暮らしておられますかな」
「良いときもあれば悪いときもあります。連日機嫌が良いのがいいのですが、そうはいきません。それに楽しいことが毎日続くと身体も気力も持ちませんよ。そのうち麻痺してしまい。楽しいはずのことなのにそれほどでもなくなってしまいがちです」
「長い説明有り難うございます。ただの挨拶なんですがね」
「そうなんですか、で、あなたはどうなのですかな」
「私ですか。私のことはいいのです」
「悪いのですか」
「いえいえ」
「じゃ、毎日楽しいと」
「そこまではいきませんが、まあ、どうでもいいことです」
「そんなどうでもいいことを私に聞いたのですかな」
「だから、ただの挨拶です」
「ああ、ご機嫌ようご機嫌ようの」
「そうです」
「機嫌が良い方がいいのですがね。機嫌が悪いときもありますよ。だからずっと機嫌が良いわけじゃないし、また機嫌がずっと悪いわけじゃない」
「それは先ほど聞きました」
「それで、あなたは」
「それも答えました」
「そうでしたな。で、用件は」
「機嫌がよくなる薬を持ってきたのです」
「ほう、機嫌が良くなる。それはいいですなあ。飲めば機嫌が良くなりますか」
「はい、なります。効能が切れれば戻りますが」
「原因は何です」
「え、何の」
「だから機嫌が良くなる原因」
「神経でしょ」
「何か良いことがあって、それで機嫌が良くなるんじゃないのですな」
「そうです。何もなくても機嫌が良くなります。気分も良くなり、良い気持ちになれます」
「しかし、理由もなく機嫌が良いって、馬鹿でしょ」
「そうです。馬鹿になれば機嫌が良くなります」
「じゃ、馬鹿になる薬ですなあ」
「そうです」
「私は馬鹿ですが、機嫌がずっと良いわけじゃない」
「この薬なら大馬鹿になれます」
「大きな馬鹿ですか」
「小馬鹿じゃありません」
「じゃ、私は馬鹿じゃなく、アホです」
「阿呆ですか」
「さあ、馬鹿と阿呆、どちらが強いのかは分かりませんが、似たようなものでしょ」
「そうですなあ」
「で、薬なんですが、どうしましょう」
「機嫌が悪い日でも寝れば治りますので、必要ないです」
「なるほど」
「分かりましたか」
「はい」
 
   了





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2020年11月25日

3944話 銀杏蛾


 イチョウの葉が黄色い。多くの葉は散って地面を真っ黄色にしているが、まだ枝に葉は豊富にある。いったい何枚あるのか勘定したくなるが、一円にもならない。この葉が小判に変わるわけがないので。
 そんなことを思いながら、上田はすぐ目の前の枝にある葉を見ていた。それらの黄色い葉もすぐに落ちるだろう。
 イチョウの黄色い葉を見るのは今のうち。もう来年の今頃まで見られない。繰り返される四季、折々の変化。上田はそれに関心があるわけではないが、数日限りの黄色い葉だと思うと、意識して見てしまう。それを見たことを来年の今頃、思い出すかもしれない。それには印象深い見方が好ましいが、そんな見方があるのだろうか。
 イチョウの葉に対して何かしたとか、一寸した物語性がいる。印象に残るほど思い出しやすい。
 そして、一枚一枚の葉を見ていたのだが、一枚だけ水平な葉があり、面を向けている。他の葉は全部傾いているのに。まさにイチョウの葉の形をしている。葉の肩が上に来ている。これは印象深いが、探せばいくらでもあるが、そういう角度で見える葉は少なかったりする。げんに他の葉を見ても斜めを向いていたり、横向きになっていたりする。
 それらの中で、いま上田の目の前にある葉は、しっかりと正面を見ている。そして何かの形に似ていると思ったとき、「気が付いたか」と来た。
「蛾じゃよ」
 黄色い葉っぱが喋った。何処に声帯があるのだろうか。葉を笛のように鳴らす人もいるが、葉だけでは鳴らない。ただ風を受けると鳴るが、「蛾じゃよ」とまで、しっかりとした言葉の音色にはならないだろう。
「やはり蛾でしたか」上田は何かに似ていると思っていたものが蛾だと分かり、当たっていたことで喜んだ。しかしそんな問題ではないだろう。擬態した蛾が話しかけてきたのだ。これはもう蛾ではないはず。
「こんなところで何をしているのですか」
「葉が落ちる前に姿を出す」
「じゃ、他のイチョウの葉の中にも、そんな蛾がいるのですか」
「さあ、仲間など見たことはないが、いるだろうねえ」
「どうして姿を出すのですか」
「出しても分からんだろ。見抜く奴などおらん。しかし君は見抜いた。葉ではない何かだと」
「はい、何かに似ていると思った程度ですが」
「その程度でも十分鋭い」
「それで、何をされているわけですか」
「このまま落ちる」
「蛾でしょ。飛べないのですか」
「飛べない」
「はい」
「あまり長く話すと、疲れて枯れ落ちるので、もう行きなさい。妙なものに関わるとろくなことにはならんからね」
 上田はイチョウの木から離れた。
 その夜、風が強く、さらに雨も降った。
 翌朝、上田はその前を通ったが、まだ残っている葉もあったが、あのイチョウの葉に似た蛾はいなかった。下に落ちたようだが、探しても、見付からない。
 少し印象に残りすぎたようだ。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:50| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする