2018年12月10日

3832話 出遅れ


「出遅れましたなあ」
「遅いです」
「まだ間に合うが、どうする。急ぐか」
「急ぐのは苦手です。慌ただしいのは」
「急げば間に合いそうなんじゃが」
「差が付きすぎました。これじゃ不利だと思われます」
「じゃ、どうするのじゃ」
「ゆっくり行きましょう。どうせ最後尾、多少前に出てもしれてます」
「そうじゃのう。急いでも急がなくても最後尾。その地位は不動か」
「まあ、のんびりと行きましょう」
「よし、そうしよう」
 向かう戦場はこちらが有利、押している。この主従の部隊は十数人ほど、この作戦に参加した豪族だ。勝つのは分かっている。だから参加したが、主の鎧がほころびていたので、それを直しているうちに出遅れた。家老と言うほどのものではないが、補佐するリーダ格が付いている。まだ若い。
「これでは手柄など望めそうもないのう」
「いえ、参陣したことで、もう十分でしょ」
「そうじゃな」
 敵陣は崩れかかっており、そこへ各部隊が押し掛けていた。
「おや、追いついたのでしょうか、兵がいます」
「手こずっておるのやもしれん」
「お館様、あれはお味方ではありません」
「え」
 敵味方を見分けるため、旗印を付けている。それがない。
「こちらに来ます」
「多いぞ。巻き返されたのかもしれぬ」
「どうします。もう見付かってますよ」
「様子を訊いて参れ」
「はあ」
「早く」
「ひ、一人でですか」
「多いと敵も警戒する。それと兵数を確かめてこい。こちらより多いのは分かっておるが、どの程度か」
「はい」
 補佐の若武者はすぐに戻ってきた。
「どうじゃった」
「敵軍の牧野庄左衛門様の部隊です」
「敵の主力ではないか」
「それで話あると」
「どのような」
「逃げたいので、手伝ってくれと」
「敗走兵か、逆方向だぞ」
「よく突破してきたものです」
「追うのは楽ですが、向かってくる敵は嫌ですからねえ。前を進んでいた部隊、避けたんじゃないですか」
「そりゃそうじゃ、死兵相手は怖い。それに主力なんじゃから強いしな」
「かなり減っておりますし、怪我人も多いようです」
「それで、逃がして欲しいと」
「はい」
「じゃ、逃がそう。というよりも戦っても勝ち目はない」
 補佐の若武者は、合図を送った。
 馬も失ったのか、主力部隊の大将奥野庄左衛門を先頭にやってきた。かなりの高齢だ。
「本国へ戻られますか」
「そうしたいが、攻め込まれておるはずなのでな。他国へ逃げたい」
「赤崎様の御領地がその山の向こうにあります。今回の戦いには参加しておられません。そちらでよろしいですかな」
「そうしてくれると有り難い」
「分かりました」
「名を聞いてよいか」
「はい、多々良郷の多々良宗義でございます」
 多々良宗義は若武者に命じ、里に戻って飯を運ばせた。
 赤崎領への山越えには流石に参加しなかったが、そこには兵などいないし、また敗走兵が敵の奥に入り込んでいるとは誰も思わないだろう。それで、無事、山を越えた。
 肝心の戦いだが、敵の本拠地まで詰め寄ったが、城は堅く、落とすまでには至らなかったが、数村は占領し、一応勝ち戦になった。
 出遅れた多々良宗典は当然手柄などない。逆に内通したことになるのだが、これはバレなかった。
 後年、このときの恩義を奥野庄左衛門は覚えていたらしく、主家は亡びたが、そのまま退避先の赤崎家に仕えたとき、誘ってくれた。
 赤崎家に仕えた方が将来の展望も拡がるのだが、多々良は土地を離れることはなかった。
 今も、この多々良の地に、多々良姓が多く残っているのはそのためだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:39| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

3831話 仲間食い


「式田さんを入れるのですか」
「参加したいと言ってます」
「はい」
「多い方がいいでしょ」
「そうですが」
「小さくても多く集まれば大きな勢力になります。一人でも多い方が好ましい」
「はい」
「何か不満そうですが」
「聞いてませんか? 式田さんの噂を」
「いや」
「仲間喰いです」
「え、どういうことかね」
「仲間を喰らって大きくなったのです」
「まさか人肉を」
「似たようなものです」
「詳しく話しなさい。危険な人なら、入れない」
「はい。私達が今やっている連合。仲間を増やして大手と戦っていますが、式田さんは敵と内通しているのです。敵の攻略ではなく、仲間の攻略がメインなのです」
「敵の力を借りて、仲間を食べてしまうのか」
「敵は大手ではなく、仲間なのです」
「え、分かりにくいねえ」
「ですから、内側に式田さんという敵を抱えていることになります」
「じゃ、大手側の人間かね」
「違います。式田さんの敵は大手です。私達と共通の敵と戦っています」
「大手と戦っているはずなのに、どうして味方を取りに行くのかね」
「その方が大きくなるからです」
「それで仲間喰いか」
「うーむ」
「ターゲットは大手ではなく、仲間なのです」
「面倒なことをする人だねえ」
「大手には勝てません。それが分かっているのでしょ。だったら仲間の一つ一つを奪った方がいい」
「大手の力を借りてかね」
「それはありません。大手とやり合うより、私達のメンバーを奪った方が楽ですから」
「どうしてそんなことになる」
「知りませんよ。しかし、式田さんはこれまでそういうことを何度もやり、ある程度の規模になっています。三つか四つ食べたのでしょうねえ。だから結構大きな勢力です。大手には負けますがね。だから仲間にしたいのです。式田さんが加わることで、私達は大きくなります。大手攻略ができる可能性も高くなります」
「そうだろ」
「しかし、私達が集めた仲間の何処かを囓り出します」
「悪い奴だなあ」
「はい、だから、心配しているのです」
「それは困った」
「下手をすると、私達も喰われてしまいますよ。乗っ取られます」
「それで、式田さんは何をしたいのかね」
「大手をやっつけることです」
「それは嘘だろ」
「そうかもしれません」
「要するに式田さんはやり手、豪腕ということだろ。その噂は聞いている。凄い男だと。だから参加してもらいたい」
「喰われますよ。乗っ取られます」
「まあ、いいか」
「ええええ、どういうことです。何がいいかなんです」
「喰われてみようじゃないか」
「そ、そんな」
「仲間を纏めるのが面倒になってねえ。どうせ勝てない相手と戦うんだし」
「それはいけません」
「じゃ、式田さんを入れないようにするか?」
「その方が平和かと」
「戦う集団が平和では困るだろ」
「あ、そうですが」
「ここは一つ、喰われてみましょう」
「それは、いくらなんでも」
「どうせ喰われるのなら、喰わしてやる方がいい。喰われるにしても余裕がある」
「いやいや、そんなことより、式田さんを入れなければ問題は起こりません」
「だが、式田さんを入れると、大手に勝てるかもしれない。入れないとなると、私達だけでは、無理だ」
「いえ、抵抗するだけの力はあります」
「しかし勝てない」
「はあ」
「式田さんが我々を喰った後、今度は大手を食い出すだろう」
「どんな胃をしているのでしょうねえ」
「さあ」
 
   了


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2018年12月08日

3830話 神守


 喜地家は神守の家柄だが、都も近く古くから拓けた場所とはいえ、田舎くさい山沿いにある。周囲には農家が点在している程度。晩秋の山里は柿が実り、干し柿の産地でもある。
 都があった盆地のためか、その端にも寺院がある。流石にここは遠いので、観光地化されていない。
 喜地家が祭っている神というのには建物がない。そのため、神社はない。
 神守とは神を守る人々だが、喜地家のそれは墓守に近い。つまり神様の墓を守っているのだ。神仏は死なない。神は死んだというのは比喩ではあるが、実際には聞かない。当然神仏の墓など、あるかもしれないが一般的には流行っていない。
 喜地家が守り続けているのは堂。だから村人は堂守と呼んでいる。しかし、そんなお堂はなく、実はお洞。洞窟だ。
 寺社などができる以前は、自然にできた洞穴などがお堂の役目をしていたのではないかと思えるが、喜地家が守る神は、先祖ではない。その神様の系譜ではなく、あくまでも管理人のようなもの。お世話する側。下部だ。しかし、神の墓ではない。
 洞窟内には何もない。穴のある裏山は喜地家の持山。代々この山を守っているが、守りたいのは山ではなく、穴が空いている箇所だけでいい。洞窟は喜地家の裏庭からしか入り込めない。横からでも山側からでも入り込むことはできるが、村人はここには近付かない。それに興味もない。
 しかし長い年月のうちに、喜地家の裏山に洞窟があり、何かを祭っている程度のことは漏れ伝わるもの。
 しかし、屋敷内にお稲荷さんや地蔵さんを祭ってある程度の常識内に収まっている。
 その洞窟内には何もない。祭壇もないし、神具もない。ただの横穴で、奥は流石に暗いが、深くはない。
 喜地家に伝わる言い伝え、これは口伝で、書いたものはない。それによると、その神について触れられている。どうやら動物のようだ。
 その姿も伝わっているが、想像上の動物だろう。ただ、羽根がある。
 だから、鳥だろう。
 言い伝えでは、神守の仕事は待つこと。
 洞窟内に、ある人突然卵が出現するようで、卵を守り、ふ化を見守り、ヒナを育てること。
 歴代の神守喜地家の当主の中には、それは孔雀だという人もいれば、極楽鳥、鳳凰、鶏、等々と想像している。時代により、鳥の形が違うし、また鳥ではないと言い出す当主もいた。
 この言い伝え、この盆地に都ができる以前からある。喜地家はその家系ではないかと思われるが、古い家柄だが、単に古くから土着していた程度だろう。墓守程度の身分なので。
 今は、そういう言い伝えが残っている程度で、喜地家の当主は、神守の仕事をもう辞めている。洞窟はそのまま放置されており、古い時代に作られた入り口の蓋のようなものも、崩れかかっている。これは中が危ないので、補強し、鍵を掛けて、入れないようにしている。
 だから、もう神守はしていない。
 もし卵が降臨した場合、どうするのだろう。
 
   了


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2018年12月07日

3829話 その後


「その後ですか」
「終わった後のことです」
「まだ始めてもいませんが」
「始めると結果が出ますねえ」
「出ないこともありますが」
「結果が出たとしましょう。または結果はさておき始めたとしましょう」
「はい」
「その後です」
「当然、後のことを考えているから、やり出すのですが」
「それでいい結果が出たとしましょう」
「はい」
「その後です」
「その後も良い状態が続くのでは」
「それならいいのですが、そうではなく、期待していたものを得ても、しばらくするとあまり満足感はなかったりします。または思っていたような結果ではなかったとか」
「それは失敗したのでは」
「いや、完璧にやったので、それ以上の結果は出ません。それが何か腑に落ちない場合もあるのです」
「苦労して手に入れたものが、大したことなかったとかですね」
「そうです。それなら最初からやらなくてもよかったのではないかとね」
「それを言い出すと、きりがないですよ」
「確実に結果が予測できる場合でも、その後です」
「後先考えないでやる場合もありますが」
「それです。それがよろしいかと」
「え、そんな無計画な」
「小賢しい計画など立てるよりも、そちらの方がよろしいかと」
「先生」
「何ですか」
「それは指導者としてはふさわしくありませんよ」
「結果に拘る?」
「当然です」
「得た結果は、その後、どうなりました」
「思った通りの結果が出て、それで満足しましたよ」
「満足してからどうなりました」
「え」
「そのうち、それにも不満を抱くようになるでしょ。満足なら満足が不満になる」
「不満に終わる結果よりはいいでしょ」
「どちらも同じ」
「では、どうすればいいのです」
「元気なときは常に何かを求めているもの」
「そうです」
「求めているものを得てからが問題なのです。得られない場合は、もっと続けられます。得てしまうと、もう求めるものがなくなります。ここからです。本当の始まりは」
「そうやって、ひとつ山を越え続けるのが普通でしょ。終わればその後は次の目的へと向かう」
「確かにそうなのですがね。それで何を得られたかでしょう」
「いろいろと得ましたよ」
「次のものを得るために、得ているようなものでしょ。それがその後ということです。その後もまた得ようとして始めるわけです」
「それでいいじゃありませんか、先生」
「そのパターンを見ていると、少し考えてしまいませんか」
「多少はありますよ。得たばかりに苦労することも。それなら得なければよかったと後悔することも」
「だったら、最初からやらなければよかったとは思いませんか」
「それは得てみないと分からないので」
「得ても得なくても同じ」
「じゃ、どうするのですか」
「ダミーを得ることです」
「ダミー」
「偽物、まがい物を得ることです」
「そんな」
「嘘を得続けるのです」
「嘘とは」
「虚」
「それは、先生だからできる境地でしょ」
「そんな境地にはいません。私も、まだまだそのレベルじゃないのでね」
「しかしそんなこと、若い人に教えても」
「そうですなあ。それじゃ指導者らしくない」
「大丈夫ですか先生」
「虚無という深淵を覗いてしまうと、もう何もやる気がしなくなるもの」
「そうですよ。そんなもの覗かないで下さいよ。僕までおかしくなります」
「虚の虚を覗く。これならいけることを発見した」
「夢の夢こそ真というやつですか」
「人は何処までも嘘をつき続けることでしょうなあ」
「あっ」
「どうかしましたか」
「分かりました」
「何を」
「これまでの話、全部嘘でしょ」
「む」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:34| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月06日

3828話 心境の秘境


 人は今、どんな境地にいるのかは外形でも何となく分かるが、その内面がどうなっているのかは聞いてみないと見えてこないかもしれない。地形のようなものなら見えるのだが、同じ地でも、境地になると精神的な地図になる。境地が秘境と言うこともある。境遇がそうさせているのだろうか。
「最近、君が何を考えているのかが分からない。今までは見えていたのですがね」
「そうですか」
「何か心境の変化でもありましたか」
「さあ」
「そうでないと、いつもの雰囲気とは違うことが理解できない」
「いえ、普段通りです」
「しかし、態度が違う。いやに大人しくなった」
「前からですよ」
「以前はもっと鋭い目付きをしていた。今は穏やか」
「そんなことが分かりますか」
「目をあまり見開かないし、妙な顔もしない。素直だ」
「悪いことですか」
「いや、いいことだが、何かあったのかね」
「別に」
「秘しているんだろうねえ。言えないことでしょ」
「そんなことはありません」
「何か環境が変わったとか」
「プライベートは特に変わっていません」
「じゃ、どうして、そんな菩薩のような顔になった」
「さあ」
「心境の変化があったことは分かる」
「さあ、何処にいるんでしょうねえ」
「え」
「いや、何でもありません」
「心ここにあらずかな」
「いえいえ、そんなことはありません」
「それはもしかして仮面」
「肉面です」
「分かった」
「何でしょう」
「体調が悪いんだ」
「多少、それはあります」
「スンと何かが落ちたような顔だよ。しろっぽくてね。すっきりしたような。しかし、苦しくないかね」
「いえ、そこまで調子は悪くありません」
「君はよく眉間に皺を寄せる。だが、最近それがない」
「はあ」
「君の心境を知りたいところだ」
「どうしてですか」
「ほら、いつもなら、角のある聞き方をするのに、それが消えている。何か良いことでもあったのかね」
「別に」
「あやかりたいところだ。私は脂ぎっていてねえ。テカテカなんだ。君のように淡泊になりたい。どうやったらそうなるのか、教えて欲しいんだ」
「そういえば」
「変化の原因が分かったかね」
「はい」
「何だ」
「脂っこいものを最近控えていることでしょうか」
「もういいから仕事に戻りなさい」
「はい」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:09| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月05日

3827話 恐れられた男


 小さな勢力だが、周囲は迂闊に手を出せない。それは一人の人物がいるため。たった一人だ。
 神童と呼ばれ、少し大きくなった頃にはこの国のお家騒動を巧みにさばき、分裂の危機を防いだ。
 四書五経を諳んじ、学者として他国にも名が知られている。丸暗記ではなく、その解釈が巧みで、解説書も出している。さらに仏典にも詳しく、また神道にも明るい。
 この男がいるため、他国は迂闊に攻め込めない。何をされるか分からないためだ。そのため周囲の国々よりも小さいのだが、誰も手を出さなかった。
 しかし、周辺の諸勢力も、さらに大きな勢力の傘下になり、大軍で踏み潰すのは簡単になった。そんな知恵者が一人いようがいまいが、物理的に落とせる。
 それまではこの小国を攻めようとしても、他国が味方になったり、また仲裁に入り、兵を入れることができなかった。だが今や周辺は大国の傘下に入り連合しているため、援軍も来ないし、仲裁する国など近くにはない。
 それでも慎重なのは、あの男がいるためだ。
 大軍で攻め込んだとしても、あの男は何をするかは分からない。おそらくもの凄い被害を被るだろう。それが怖いので、従属を進めることにした。これは仲間になれというのではなく、家来になること。受け入れれば、戦わずに済む。
 さて、その男、既に三十に達していた。それでもまだ若い。
「従属なあ」
「はい、戦えば負けます」
「そうだなあ」
「いくら策を講じても、無理でしょ」
「そうだなあ」
「従いましょう。殿もそのつもりでいます」
「本心ではなかろう」
「そりゃ、そうですが」
「従属が気に入らぬはず」
「当然でございますよ。しかしあなた様でも何ともならないでしょ」
「そうだなあ」
「何か策でも」
「うーん」
 結局、連合軍が恐れていたことにはならなかった。この小国、あっさりと従属してしまった。
 どうやら神童と呼ばれたこの男。三十過ぎあたりで賞味期限が切れたのか、ただの凡人になっていたようだ。
 
   了
 

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2018年12月04日

3826話 バスを待つ


「慣れというのは恐ろしいものですなあ」
「何かありましたか」
「ずっと使い続けていたノートパソコンがありましてね。もう遅いし、重いしで、買い換えたのですよ」
「つまり使い慣れたものを手放して、新しいのに変えたが慣れないので使いにくいという話ですね。はい分かりました。それだけのことです」
「そう言ってしまうと身も蓋もない。話がそこで終わります」
「でも、それ以上の展開はないのでしょ」
「それがあるのです」
「まあ、それはどうでもいいことでしょ」
「そういわず、聞いてください。そうでないと会話になりませんから」
「会話ねえ。別にしなくてもいいでしょ」
「こんなところで、待ち続けていると、退屈です。お相手お願いします」
「しかし、来ませんねえ、バス」
「ここのバス、当てになりません。時刻通り来たためしがない。だから結構待ち時間ができます」
「あ、そう」
「慣れというのは恐ろしいものです」
「時刻通り来ないことに慣れてしまったわけですか」
「いや、パソコンの話です」
「ああ、そっちですか」
「キーボードが手に馴染まないのです。古いのは十インチでしてね。新しいのは十三インチ。キーボードの幅が広いのですよ。それで手に合わない」
「バスが来ましたよ」
「あれはトラックです。バスは緑色」
「あっそう」
「慣れというのは恐ろしいものです」
「またパソコンの話に戻りますか」
「それで古いパソコンに戻したのですが、死んでいるのです。故障などしない元気なノートパソコンなのですがね、急に動かなくなりました。コンセントは差していますよ。それにバッテリーも残っているはずです。しかし電源を入れてもウンともスンとも言わない」
「緑色が来ましたよ」
「似てますがねえ。違うのです。あれは観光バスでしょ。ちょっと大きい」
「よく見分けられますねえ」
「慣れというのは恐ろしいものですよ」
「またパソコンの話ですか」
「今のはバスの話です」
「あっそう」
「この前まで動いていたのに死んでいます」
「パソコンの話ですね」
「そうです。不思議じゃありませんか」
「偶然そのタイミングだったのでしょう」
「捨てられたと思い、悲しんで自害したのかもしれません」
「今度はバスでしょ。緑色です」
「違います形が少しね」
「どこがどのように違うのです」
「屋根のエアコンです。ここのバスにはそれはない」
「でも緑色が二台も続くなんて」
「列なっているのでしょうか。きっとニ号車です」
「じゃ、まだ続くかもしれませんねえ」
「それは何とも言えませんが」
「しかし遅れすぎですよ」
「事故でも起こしたのかも」
「それじゃいくら待っても当分来ない」
「その可能性もあります。こんなに待つのは私も初めてだ」
「駅まで遠いですか」
「歩けば四十五分ほど」
「タクシーの姿も見えないし、歩くしかなさそうですなあ」
「私は待ちます」
「いや、ここのバスはすでに死んでいる」
「そうかもしれません。こんなに遅れるはずがないので」
「じゃ、一緒に歩きましょう。話し相手なら、いくらでもしますよ」
「そりゃ有り難い」
「しかし」
「え」
「あれは、バスじゃないのですか。緑色だし、屋根にクーラーもない」
「おお、そうじゃ」
「よかったですね。歩かなくて」
「はいはい」
 
   了


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2018年12月03日

3825話 神通り


 鳴宮の宿は参拝者で賑わっているわけではない。それほど大きな神社ではないためだろう。それと信仰する人も少ない。土地の人程度。ましてや遠方からわざわざ来る人などいない。
 その宿に一人の逗留客がいる。小さな宿場で、しかも長く居続けるような用事もなさそうだ。大きな街道なのだが、ここで宿を取る人よりも、通過する人の方が多い。しかし宿場があるのは鳴宮神社があったため。
 逗留客は武家のように見えるが大小は差していない。道中差しという護身用の短刀よりは少し長い程度。しかし、それはよく見ると小刀。大刀とペアで差す小刀だ。だが肝心の大刀がない。武家のようにも見えるが道端の占い師のようにも見える。これは髪型だ。髷はなく、肩まで髪を垂らしている。
 そしていつも宿屋の二階から下を見ている。どうやら人を待っているようだ。相手が来ないので、一日、また一日と泊まり続けているのだろう。
 宿場に貸本屋があり、そこで借りた本を一日中読んでいる。難しい本ではない。人情本。
 かれこれ十日になるので、宿の主も心配になり、様子を聞きに来た。そうでないと不審すぎる。
「ここは神通り」
 その言葉で主人はすぐに察したが、まさかそんな伝説を信じている人などいるとは思わなかった。それは街道を挟んで神社が二つある。鳴宮本宮と鳴宮神社。どちらがメインなのかは分からないが、鳴宮神社の方が先で、鳴宮本宮はあとにできたらしい。
 神通りとは神様が通る道。
 二つの神社を行き来する。それがひと季節に一度なので、三ヶ月に一度。ちょうどそれが今月。しかし、日は分からない。それが分かっていても神様が通っていることなど分からないだろう。それにこれは伝説。
 鳴宮の夫婦の神様が引っ越した。それが鳴宮本宮。しかし、二人の間にできた姫は一緒に行かなかった。理由は分からないが、独立したかったのだろう。つまり親と暮らすのが嫌で。
 親はそれを認める代わりに季節ごと、挨拶に来いいう条件。
 それで、姫神が通るところを見ようとしているらしい。比売神とも書く。
 主人は酔狂な人がいるものだと、その逗留客の目を細目で見詰めた。「大丈夫か、この客」というように。
 それはあくまでも伝説で、そんな比売神が通っているところなど見た人は誰もいない。
 神社が二つに分かれたことは、神々の事情ではなく、後ろ盾の問題。有力者が争い。その結果二派に分かれただけ。今はその有力者などとっくにいない。昔の貴族だ。家系は残っていても、もう力はない。
 この逗留客、その貴族の末裔。
 二家の貴族が鳴宮を取り合ったのは、時の勢力関係から来ている。鳴宮を取った方が有利なため。
 今は鳴宮など誰も相手にしない。社領は減り、村の神社ほどの規模になっている。
 主神は異国から来た神様のようだ。二家が争ったのだが、その二家も渡来人で、大陸から技術を伝えるため、呼ばれた。楽器に関係しているらしい。
 しかし、今は村の神社として細々と続いている。もうすっかりこの国の何処にでもある神社にすぎないが、神通り伝説にいにしえの歴史が残されている。
 その怪しい客の話は江戸時代。今は、もうそんな伝説など、誰も知らない。
 
   了


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2018年12月02日

3824話 意味の変化


「どうも最近気が変わってなりません」
「気が変になるのですかな」
「いや、気が変わりやすく」
「気候の変わり目などによくあることです」
「よ、よくあるのですか」
「私の場合ですがね。だから特殊かもしれません」
「僕の場合、落ち着きがないのです。コロコロと考えが変わったりします」
「それもよくあることでしょ。頭の中のことを言わなければ普通でしょ」
「気が次々の変わるので、変になりそうです」
「そんなに変化しますか」
「します。まるで統一した自分というものがないような」
「変化というのは脱皮かもしれませんよ」
「それにしては皮が剥けすぎます。肉まで落ちそうで」
「でも人格が変わったりはしないでしょ」
「それはしません」
「だから変化するもの、変わるものは大したことじゃない。別にあなた自身が変わるわけじゃなく、代理戦争のようなもの」
「代理戦争ですか」
「変化しているものは身代わりのようなものです。あなたに代わって変化しているだけ」
「そうなんですか。でも意見とか好みがコロコロと変わりますが」
「そういうのはうわべです。皮一枚の」
「意見や主義主張もそうなのですか」
「本体から見ればね」
「本体とは私自身のことですね」
「そうです」
「世の中の変化よりも、私の変化の方が大きいのです」
「でも時代の先を行ったり、戻ったりで、それほど移動していないかもしれませんよ」
「それはあります。最先端なことを考えていたと思ったら急に先祖返りしたように、もの凄く古い時代のものに戻ったり」
「それらは全て意味でしょ」
「意味」
「受け止め方のことです」
「どういう意味ですか」
「意味という病でしょう」
「治りますか」
「意味の意味を考えれば治ります」
「意味の意味とは何ですか」
「意味という幻想でしょう」
「意味が幻想」
「意味には意味はないのです」
「余計混乱します。もっと固定したものはありませんか」
「意味を考えるあなたは固定しています。実はほとんど石器時代と変わっていない」
「じゃ、コロコロ、目まぐるしく変化してもいいのですね」
「ほとんど意味のないことなので、大丈夫ですよ」
「安心しました」
「はい、お大事に」
 
   了


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2018年12月01日

3823話 ある人名


 植田聖治朗。誰だろう。音ではなく増田は漢字で覚えている。いつ記憶したのだろう。その記憶がない。一度も声を出して呼んだことがないのか、会ったことがないのか。そのあたりもよく分からない。本の中に出てくる人かもしれない。または何かの名簿。視覚的な記憶。
 増田は同級生の名前を思い出していたとき、いろいろな名が浮かんだ。顔の記憶はあるが名がどうしても出てこない人もいた。そのとき適当な名をいろいろと変えながら繰り出す。「さ」で始まる名を適当に浮かべるとか。
 そのとき音ではなく視覚から出てきたのが植田聖治朗。あるようでないような、ないようであるような名だ。これは調べれば何百人も出て来るかもしれないが。
 同級生にそんな名の記憶はないが、校内で見たのかもしれない。名前が張り出されていたのを。しかしそれを言い出すといくらでも範囲が広がってしまう。何かちょっとしたことでさっと思い出せそうな気がする。そちらのほうが早かったりするが、そのヒントがいつ来るかだ。これは差し迫った間題ではない。これを思い出せないと大変なことになるような状態でもない。だから強引にサルベージする必要もないだろう。しかし増田はどのあたりの人か程度は知りたい。おそらくきっかけとなった同級生の中の一人ではなく、もっと別の方面だと思える。植田聖治朗と同級生がどうも結びつかない。違うことだけは分かる。
 植田聖治朗。この名のイメージから辿ったほうがいいかもしれない。
聖という字が気になる。それと名が古い。治郎は年寄りにありそうな名。だが、なぜ聖と親が名付けたのだろう。今の親ならありうるが、治朗が古すぎる。そんな古い時代に簡単に聖の漢字を当てるとは思えない。これは特別な漢字のためだ。
 すると、本名ではなく、俳優などが使う芸名だろうか。しかし聖治朗では今一つだろう。
 増田はそれでしばらくの間、植田聖治朗探しをしていたのだが、いくら考えても出てこない。こういうものはやはりふっと出る。何かの拍子で。思い出そうとしているときは出てこない。
 そしてそれは急に来た。絵に描いたような偶然がきっかけでポイと出たのではなく、いきなり来た。
 それが出かかる手前で増田は止めた。全部はまだ出ていない。その端っこ、手掛かりが見えただけ。しかし、もうそれだけで押し戻した。
 増田が思い出しかけた植田聖治朗とは自分のこと、つまり松田自身のことだった。これはペンネームなのだ。これは思い出したくない。
 同級生の名を思い出していたときに植田聖治朗が来たのも分かるような気がする。同じ時期に付けたペンネームなので。増田はそのとき何になろうとしていたのかは知っているが、誰にも話したことはない。若い頃というより少年から青年になるあたりの嬉し恥ずかしい記憶。何を企んでいたのかと、いま爪楊枝の先ほどでも思い出すと、赤面するし、またあーと声を出したくなる。
 植田聖治朗。中学生が付けるペンネームとしては地味すぎる。
 増田は出かかった植田聖治朗を奥に押し込み、ゴクンと飲み込んだ。
 もう二度と出て来るなというように。
 
   了


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