2016年04月30日

2883話 心境の変化


 最近の一寸した心境の変化が、全ての行為において、それが現れたりする。物事に対しての捉え方や接し方が違ってきたためだろう。また、一見して同じような動きに見えるのだが、心がけが変わる。
 しかし心境の変化があっても、あまり変わらないものがある。箸だ。箸の上げ下げ。これは流石に心境の変化程度ではそのいちいちにまでには及ばないらしい。ただ、箸に関しての心境の変化があれば別だ。箸について色々考え、そして箸に対しての認識が変わったとき、これは小さな心境の変化。
 だから全てにおいて心境が変わるほどのグローバルな何かでないと、ローカルにまでは及ばないかもしれない。当然ローカルなことが全体を征してしまうこともあるが。ある程度範囲がある。
 箸の使い方、箸の形、箸の長さに拘り、この箸こそが求めていた箸だ、というようなことをやっている人はほぼいないだろう。割り箸で適当に食べている人もいるが、それが竹箸では滑るので、あまり使いたくないと感じる程度。これは心境の変化とはほど遠い。また、箸など買ったことがなく、弁当などについている箸やコンビニでもらう箸を使い回している程度では、箸に対する拘りも生まれない。使いやすいか使いにくい程度の感覚はあるが、箸がメインなのではなく、箸で何をほじくったり、突き刺したり、挟むかだろう。むしろ箸の先にあるものの方が大事で、それが魚だったり肉だったりする。カレーなどになると、箸の出番はない。スプーンだ。
 さらに箸の先にあるものとして健康に気を遣った食べ物とかもある。この場合、健康がテーマなら、食べ物以外にも波及する。だから体調の変化が心境の変化になったのかもしれない。何を食べても平気で、支障がなければ、身体に良い食べ物など敢えて探す必要はない。
 しかし心境の変化は対人関係や、世の中との絡みなどで起こることが多いだろう。自家発電的に変化する人もいるが。
 仕事場などでは仕事ぶりが変わった、などの方が大きい。特に仕事や対人は世の中と対峙する最前線のためだ。ここは敏感だろう。下手をすると贅沢なものが食べられないし、それこそ箸も使えなくなる。
 さて、心境の変化だが、これは全部が変わるほどの変化は、ものすごい状況になってしまわなければ起こらないかもしれない。根こそぎの変化だ。
 普通に暮らしている場合の心境の変化は、何かについての変化で、全部が全部、その心境に塗り替えられるわけではなさそうだ。
 どんなに心境が変化し、別人のような振る舞い方になっても、箸の使い方は相変わらずだったり、食べるときの口の動かし方なども、同じだったりする。心境の変化はそこまで及んでいないのだ。しかし、心境の変化で食欲が落ち、口の動きがゆっくりになるだろうが。
 別の面からいえば、気にしていないことは、ないに等しい。気にして初めて、それに気付いたりする。しかし歩き方、足の出し方などを注目し出すと、歩けなくなる。
 また、人は猿ではないが、猿真似がうまい。だから、心境が変化したような芝居も打てる。
 心境は仙境のようなもので、何処にあるのか分からない。
 
   了


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2016年04月29日

2882話 座敷牢


 一寸郊外に出ると大きな家がある。屋敷といってもいい。敷地が広いため、ゆったりと建てられるのか、または住む人や出入りの人が多いためだろうか。使用人なども一緒に住んでいそうな。
 高橋はいつものように、曰くありげな建物や、場所を探し歩いているのだが、今回は角度を変え、その内部に注目している。それは間取り。
 これは通りからでも雨戸の数や窓から、ある程度の間取りが分かる。また二階がある場合、廊下で振り分けられているのか、あるいは一間が続いているだけか、などと、正面や横から箱を見るように覗き込んでいる。
 塀は屋敷を囲んでいるのだが、ただの壁ではなく、中に構造物、つまり納屋とか、馬小屋のようなものとか、人が住める長屋風のものなのか、それも気にしている。そして、目玉は倉だが、外から見ることができる塀のような倉ではなく、内倉が気になる。これは中庭などにあり、外と面していない。また倉は二階建て程度の高さが多いので平屋の倉は結構怪しい。
 何を嗅ぎ付けようとしているのかというと、座敷牢だ。これはそれなりに大きな屋敷にはあったようだ。今ならドアを外から鍵でかければいいが、普通のドアなら内側から開くはず。だから、南京錠などで、外からしか開けられないようにする。
 座敷牢になると、和室の座敷を牢にする。時代劇に出てきそうな格子で檻を作ったのだろう。座敷牢なので、畳敷きか板敷き。土間では囚人。座敷牢に閉じ込めるのは囚人とは限らない。そこが微妙だ。
 この個人向け座敷牢が禁止されたのは最近のことらしい。
 倉を座敷牢にしてもいいのだが、外に面しているものが多い。これは倉は自慢のためだ。見せびらかしているようなもの。また倉には窓があり、声を立てれば、外に聞こえるだろう。
 だから高橋が臭いと睨んでいるのは内倉。それで、内倉があるかどうかを覗き込むが、滅多にそんなものはない。お稲荷さんを祭る祠がある程度。
 すると座敷牢は何処か。これは母屋の奥深いところにあるのかもしれない。できるだけ一般客が入れないような奥まった場所。これはやはり裏庭に面した部屋を座敷牢化している可能性がある。普通の部屋を座敷牢にできたはず。
 そして座敷牢には、どんな人が入れられていたのかと想像すると、何かおぞましいものが頭をかすめる。
 それは、高橋が子供の頃、悪いことをして、そのお仕置きで納戸に入れられ、出してもらえなかったことがある。大声で泣き出したので、すぐに解放されたが、それは近所まで聞こえるような悲鳴に近い声を出したから。
 それを思い出してから、座敷牢を気にするようになったのだが、そんなもの、日常的に思い巡らせるようなものではない。悪趣味に近い。
 座敷牢があった時代は、座敷童子などが出ていた時代と重なるのかもしれない。家の秘め事のように。
 
   了


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2016年04月28日

2881話 山爺


 妖怪博士が何気なく立ち寄った山際の村の話だが、この「何気なく」がそもそもおかしい。妖怪博士はそういう直感力はなく、何かに誘われてとか、何かの気配を感じて、などはない。
 山際の村、それは何処にでもある。しかし、市街地の外れの下町に住む妖怪博士が、わざわざ郊外まで出掛け、その村に立ち寄ったわけではなく、当然用事があった。
 それは小さなイベントで、幼稚園から呼ばれ、妖怪イベントに参加した。結局園児達が妖怪ダンスをしただけで終わった。妖怪博士はゲストなので、何等かの妖怪談を語るつもりだったが、園児達は聞く耳を持たない。早く妖怪踊りで身体を動かしたいため、むずむずしているのが分かるので、短い目の落語の小咄のようなものでお茶を濁した。
 山際の村、それはその帰路、バスで途中下車して立ち寄った。これは燃焼不足のためだ。このまま戻ったのではただの前座の落語家だ。
 それで、少しはフィールドワークをするつもりで、村に寄った。
 村といっても、都心部からも近い郊外なので、開けている。しかし古い家や神社などが結構残っており、ここだけはまだ昔を偲ぶものがあり、妖怪がいた時代の農村部の匂いもする。これは直感ではなく、そう思えば、そう感じるだろう。屋根屋なら屋根ばかり見るように、妖怪研究家は妖怪ばかり見ているようなもの。屋根と違い、形はないが。
 ただ手掛かりはある。それは石塔や石饅頭や石仏だ。
 それらは田圃を潰したとき、畦道や拡張前の村道脇にあったのだろう。それを一箇所に集めた場所がある。これは村の神社やお寺ではなく、お稲荷さんの祠横に並べられていた。
 そのお稲荷さん、小さな祠があるだけだが世話人がいる。これは寺や村の神社とは違う人だ。
 妖怪博士はその世話人宅で、妖怪はいないかと単純に聞いた。調べるより、聞いた方が早い。
 何代目かの世話人は結構若い人で、酒屋の主人だ。質屋もやっていたが、それは辞めたらしいが、大きな倉がある。
 世話人は淡々と語り出した。妖怪博士の勘が当たっていたのかもしれないが、この人に辿り着いたのは幸いだった。若いが、その種の話が好きなようだ。
 それによると、ヤマジジという妖怪らしい。これはありそうな妖怪で、山親父とか、山姥系だろう。
 お稲荷山横の石饅頭の中に山爺と言われている石塔があり、その名を知っているのは、ほとんどいない。世話人も親父や爺さんから聞いただけ。
 話はかなり厳しい。撲殺のようだ。つまり山賊の頭領を村人達が撲殺した。その死骸は山に捨てたが、村に殺気が残ったため、石塔を建てた。
 これは村の秘密で、外部には一切知られていない。そして、年月を経るうちに山爺という妖怪になっている。山賊がいつに間にか妖怪になっているのだ。
 これは子供達を脅すためのもので、悪いことをするとヤマジジが来るぞ、というパターンだ。当然忌まわしい事件をすり替えられる。
 その山爺も忘れ去られ、今は石塔だけが残っている。
 あの幼稚園、妖怪博士など呼ばなくても、この近くに妖怪がいたのだ。当然、それは語れない話だろうが。
 
   了


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2016年04月27日

2880話 猟奇王が走る日


 小学校の教室。未だに木造だ。生徒達は全員頭にバケツを乗せて座っている。よくこれだけのバケツがあるものだ。校内の全てのバケツを集めてきたのだろうか。バケツの中には水が入っている。
「全員の責任である。クラス全てが責任を負い、反省しなさい」
 袴を履いた和服の教師が竹刀を教壇に叩き付ける。この教師、落語先生と呼ばれている。服装が似ているためだ。
 生徒達が叱られている理由は説明しづらい。そこに普遍的なものを見出しにくいためだ。世の中の現象というのはどれもローカルで、固有で、よくあることも含まれているのだが、今回叱られている理由は、異端過ぎる。
 その異端の発端は生徒の発言から。授業中の私語を注意した落語先生に対し、生徒が口答えした。
 教師に口答えをする。これだけでは罪ではない。生徒はある事柄を言い訳に使った。しかし、その二人の子供は決して誤魔化そうとしたわけではない。
 では何と言ったか、これは言いにくい。
「明日学校休みやで」と言うものだ。これにどれだけの意味があるのか。
 落語先生はその意味を問いただした。
「猟奇王が走るんや」
 その発言に対し、先生はしっかりと聞き取れなかった。毛玉で倍ほどにふくれたセーターを着たその生徒、鼻が悪いのか、いつも青ばなを垂らしており、鼻声で、元々聞き取りにくい。
「猟奇王が今夜デカメ石を狙って青柳屋敷を襲うんだ」
 先生は虚を睨んだ。
「猟奇王が出たら、みんな追いかけるねん。大勢の人が火事のときみたいに。それで、ものすごい人津波になって、町が運動会になるねん。それで町内は壊滅して、学校や会社どころやあらへん。休みになるのは当たり前」
 というような返答をしたため、当然バケツになる。こういう発言をする子供は一人で、そんな発想になったわけではなく、その相棒の久松という丁稚のような服装で五円玉ハゲで頭も悪い友達の影響もあるが、学級全体の連帯責任で全員罰していたのだ。一人の罪は全員の罪。
 理不尽なのは、何の関係もない他の生徒で、これが終われば、主犯の二人はクラス全員から疎まれるだろう。あの二人のせいで、こうなったのだと。
 その当時、怪人猟奇王が出ると町がパニックになる噂が拡がっていた。その根拠はないし、またそれがニュース化されることもなかった。スポーツ新聞も取り上げなかった。
 そして予告の当日、猟奇王は現れず、町もパニックにはならなかった。
 徹夜に近い状態で、猟奇王走るの報を待っていた二人の少年は、当然翌朝遅刻し、今度は運動場十周を言い渡された。しかし、それは二人にとり、猟奇王を追う足の訓練として、丁度よかったようだ。
 
   了


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2879話 老いた農夫


 島田は朝、少し遠いところまで用事で出掛けた。その用事は大したことではない。すぐに終わる。そして戻り道、別の道を通っていたのだが、住宅地の中にまだ畑が残っている。走っている道は昔の農道だろう。一人の農夫が鍬で畑を耕している。畝を鍬で作っているのだ。季節になると水田になるのだろう、田圃一枚分は結構広い。
 その畑、完成すれば、畝がレールのように何本もできるだろう。これを老いた農夫が手作業でやっている。そういう機械を使わないで。
 農夫といっても金持ちだろう。着ているものは粗末な野良着、つまり作業着だが、この畑だけを持っているのではなく、他の田は売ったのだろう。または土地を貸しているかだ。マンションにした農家もあるので、身なりとは逆に金持ちなのだ。
 島田はそんなことを思いながら家に着いた。この家も元は田圃だった場所だろう。
 そして午後も遅く、もう夕方前、また用事ができたので、あの農夫のいた方角へ向かう。そして戻り道、あの農道を通っているとき、まだあの農夫がいる。午前中見た農夫と同じだ。当然同じ畑。そして同じ位置。
 これは何だろうと島田はゾクッとした。特に怖いものを見たわけではないが、同じ位置。捗っていないのだ。畝も朝見たときより増えていない。
 島田はさらに近付き、農夫を見た。朝と同じ位置で鍬で土を均したている。まるで、それだけを繰り返すアニメのように。
 農夫との距離が縮まったとき、島田は自転車から乗り出すように農夫を見た。そして覗き込むように農夫をまじまじと見たため、農夫も気付いて島田を見た。
 農夫は遠くから見ていた顔よりも若々しい。農夫は一瞥しただけで、すぐに畝作りを始めた。しかし同じ場所だ。
 背筋がぞっとした意味は分からない。しかし、あれではないかと島田は察している。そうであるかもしれないし、ないかもしれない。
 翌日、またその農道へ行った。今度は用事はない。昨日の用事など吹っ飛ぶような用件が畑で発生したのだから。
 いつもは帰り道なので、逆側からその農道に入り、農夫がいた畑を見た。方角が違うと、違う場所、違う畑のように見える。
 農夫はいない。畝もそのまま。
 それから二ヶ月後、島田はまたその方面に用事があったので、ついでにあの農道を通る。
 畑は季節になったのか、水田になっていた。
 
   了

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2016年04月25日

2878話 変化


「最近何か変化はありませんか」
「変化ねえ」
「一寸変わったこととか」
「一寸か、それなら僅かなので、変化とは言えないかもしれない」
「何かありましたか」
「いや、言うほどの変化じゃない。昨日よりは暖かいとか、昨日は晴れていたのに今日は雨だとか。こんなこと、いちいち言う必要はないでしょ」
「そうですが」
「つまり、ある変化が重要な意味を持つとか、その種類の変化を聞きたいわけでしょ」
「いえ、挨拶代わりですよ。最近お変わりありませんか程度です」
「犬じゃあるまいし、おかわりねえ」
「はい」
「すると、変化がないことはいいことなんだ」
「そうです」
「しかし、徐々に変化しているのかもしれませんよ。気付かないだけで、じわじわとね」
「はい」
「ある日、その変化に気付く。変化の兆しはあったのに、それに気付かないままね」
「変化する前に、変化の兆しがあるのですか」
「あります。これも変化ですが、変化だとは意識していない。それを取り上げない」
「はい」
「気付かないうちに、ではなく、何となく気付いているのですよ」
「変化の兆候を無視していると」
「気にならないだけですよ」
「はい」
「それよりも、変な化け方というのがありましてね。こちらの方が興味深いですぞ」
「変な化け方」
「見慣れたものが、変な変化をしている」
「変な変化」
「正常な変化もありますからね。まともな状態に変化したのなら、これは変な変化じゃないし、化けたとは言わない。化けたとは、悪い方、あまり芳しくないものや、ややこしい状態に出てしまったとき使うことが多いですなあ」
「その変わった変化とは何ですか」
「予想だにしなかったものに変化している」
「それはいいことですか」
「いいふうに化けることもあるが、大概は妙なものに変化していることが多いですなあ」
「それは化け物の話ですか」
「化け物などいませんが、その行為というか現象はあるでしょう。人が人に化けると、これは化け物じゃない。どちらも人ですからね」
「確かに人も変化します」
「化け物にはならないでしょ」
「はい」
「しかし、おかしな変化の仕方をした人は化け物じみて見える。元を知ってますからね」
「はい」
「変化前のその人のことを知らなければ、化けたかどうかも分からない。最初からそんな人だと思う」
「はい」
「だから、一寸した変化程度が良いのですよ」
「では、あまり変化がないほうが好ましいと」
「そうです。変化しすぎると、化け物になりますからね」
「はあ」
「それは言いすぎですが」
「変化を楽しむというのはどうですか」
「それはありますなあ。やはり何処かで変化を求めているのでしょうなあ」
「度合いの問題だと」
「まあ、変わらぬものの方が価値があったりしますよ。変えなくてもまだ価値があるからです」
「長持ちする価値ですねえ」
「変わらないもの。これは世の中に何一つないのですが、これも程度の問題で、長いか短い程度でしょうなあ」
「はい」
 
   了


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2016年04月24日

2877話 ある予兆


 佐久間は人の動きが活発になったことを感じた。これは感じなくてもスケジュールに加わるため、会う人が多くなったことで分かる。それとは別の感じがある。何かが稼働しているのだと。
 それらの人達は横への繋がりはない。用件も全く違う。その中には久しぶりに出合う旧友もいる。また初めて会う人もいる。その数が普段よりも多いのだ。まるで何かが蠢いているように。
 ある共通のことでそれらの人達と会うのではない。だから偶然会う人が多くなっただけのことだが、実は底で繋がっていたりする。その底とは佐久間の中だ。
 これは活動期に入っているのだろう。ここ数年、人の出入りは少なく、静かだった。それが活発になった。佐久間が仕掛けたり、呼んだりしたものではない。
 これは佐久間の中で何かが起こっているのだ。しかしその実感はない。昨日と似たような今日だし、特に企てはない。実に静かなものだ。しかし何かが起こり始めていることを知らないだけかもしれない。気付いていないのだ。
 では何が起ころうとしているのだろう。
 佐久間は会うことが決まっている人達を分析したが、何も出てこない。実際に何人かと会ったが、目新しい用件ではなく、これといった変化もない。
 やはりこれは会う人が偶然集中して重なっただけのことかもしれないが、それだけではないような気がして仕方がない。それらの人々は後で考えると、伏線だったりする。何等かの役割があったのだ。ある一つのことに関して。
 佐久間は再び分析するが、やはりそれらの人々を有機的に結びつける線がない。
 それらの人達と頻繁に会うようになってから佐久間は変化を感じた。中身ではなく、外だ。
 それは髭を丁寧に剃るようになったり、着るものを少し洒落たものにしたり、新しい帽子や靴、鞄などを変えてみたりした。これはベタベタの変化だ。
 そして、人と会う頻度が増えたためか、雄弁になり、エンジンがかかりだした。ただの空ぶかしではなく、何か新たにやりたい気になってきたのだ。それらは会った人達の影響でも何でもない。他の人を見て刺激を受けたわけでもない。
 佐久間が予測していたように活動期に入り、その後、忙しく立ち回るようになった。
 やはり人の動きが慌ただしくなったとき、そのあと何等かの変化があることを佐久間は確信した。因果関係はないが、何かの予兆なのだ。
 
   了

 
 
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2016年04月23日

2876話 イベントの発生

イベントの発生
 価値あるものでも目減りすることがある。相場があるのだろうか。値が下がり、もう価値あるものではなくなっても、まだそれを後生大事にしている。今では形式だけになり、ただの儀式になってしまった行事もある。
 例えば農地など一つもないところで、豊作を禱る行事などがある。もう作物は作っていないのに。これは辞めよう辞めようとしても、それをしないとひどい年になりそうなので、続けることになる。日照りで水不足になっても、育てているものがないのだから影響はないが、水道が出にくくなったりする。イナゴや鼠も来ないというより、来ても餌がないので、最初から寄り付かない。イナゴはバッタのようなものだが、特に稲を好むので、稲子と書く。鼠は刈り入れた米粒が好きだ。当然害虫は他にもいる。そういうのは虫送りという行事で、他へ行ってもらう。この行事も田圃あっての話だ。
 行事が大事なのではなく、田圃が大事。この田圃で生計を立てている場合、これは死活問題。だから田圃に価値がある。
 田畑がなくなっても、その行事を未だにやっているのは、それをしないと落ち着かないため。しかし田圃のあった場所に家が建ち、そこへ越して来た人達にとり、あまり大事な行事だとは思えないし、村里は町になり、違う共同体になっている。
 さて、形式だけになった行事は個人にもある。もう意味を失ってしまった行為は当然やらなくなるが、形として残っているものは粗末にできない。今は価値はないが、少し前までは大事なことだった。
 しかし中身は変わっても基本的なものは同じかもしれない。田圃が他のものに変わっただけなのだ。これは生きていく上で大事なことで、ここが壊れると、生計が成り立たなくなる。
 個人の場合、価値あるものは分散し、個々ばらばらで、人によりお宝や聖域が違う。家族内でも違う。
 個人の神事、そんなものはないが、これは通信教育のようなもので、一人で学んでいる。だから、たまにはスクーリングで、大勢と一緒に学ぶ授業がある。それなりの共同体というより、共有するものがある。
 通信教育に限らず、多くのイベントが方々であるのは、これは一種のスクーリングで、そこで行事を果たしているのだろう。非常に小さなイベントは正に地蔵盆だ。
 このイベント、祭りのようなものだが、何を祭っているのかははっきりとしない。
 
   了

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2016年04月22日

2875話 流れ


 流れというのは今感じていることだが、その今の流れというのは結構未来を見据えている。流れには気が付いたときに乗っている。その流れに乗ろうとして乗ったのではなく、いつの間にか乗っている。昨日今日の出来事が流れを変えたのだろう。自分で変えたわけではない。これは自分から発したものなら、自分が変えたことになるが、これは過去の流れから来ていたのだろう。
 流れが変わると、今まで普通にやれていたことがやれなくなる。まったくできなくなる場合もあるし、何となく熱意がなくなり、接し方が違ってきたりする。これはそう思ってやっていることではなく、流れによる押し出しだ。
 これは今やっていることが、この先役立つとか、また、将来のことを考えれば、今の流れになるとか、そんな感じで、漠然としている。この流れは現実的で、予測される未来を念頭に置いたものだろう。ただ、それは夢と希望に満ちた未来とは限らず、もっと現実的な妥協点かもしれない。
 それが決まるのは、過去の流れからで、おおよその察しが付く。
 例えば大金が舞い込み、当分左うちわになることが分かった瞬間、貧乏臭いことはしなくなるし、倹約を緩むし、行く場所も変わるし、先々の計画も変わる。いつもの流れではなくなる。
 ただ、昨日と同じ様なことは、今日もするだろうが、大金が入ってくることを知っていると、財布も緩むし、儲からないような仕事なら、熱が入らないだろう。大金が入ることが分かっている前なら、小さな仕事でも大事にやっていたかもしれない。
 また、大きな病があることが分かったときなども、流れが変わる。
 そういったはっきりとした原因が分からないときでも、日々の流れがある。これは毎日続けているうちに、ある日レベルアップでもするのか、または劣化するのか、変化が生じる。これは蓄積もので、貯金が貯まり、満期になるようなものだ。
 増えるものもあれば、減るものもある。いつものハイキング道がしんどくなり、短い目のコースにしたり、靴も軽いものに変えたりする。これも特に何かを仕掛けてそうなったのではなく、いつの間にかそうなっていたものだ。
 流れが変わるとき、人は落ち着きを失ったりする。大変なショックを受けるとかではなくても、何となく気が進まなかったり、熱意が薄らいだりする。
 流れは将来のある地点を仮想的に見ているのかもしれない。そこが終着点ではないが、予定地が変わったりしたことが分かるのだろう。
 将来のために今があるわけではないが、今の流れから推測した将来がある。しかし、それは予想されたもので、決まっているわけではない。そのため、日々未来が変わったりする。予測が今の状況で変わるのだ。
 そして進路が変化したと思っていても、また戻って来たりする。流れというのは分かっているようで分かっていない。見えているようで見えていない。日々変わることもあるし、またそんな流れなど意識していないこともある。
 また、予測通りの流れの到達点に来たとしても、思っていたようなところではなかったりする。当然その逆もある。悪い場所ではなく、結構よかったりする。
 人は結構色々な流れに揉まれながら、ブレ倒しているように思えるが、ただそれは外からは見えなかったりする。
 
   了


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2016年04月21日

2874話 ヘネ


「ヘネだよ」
「ヘネ?」
「ヘネ的事項だよ」
 入社して間もない荒垣は意味が分からない。季候がよくなっていることから、何処かへ皆で遊びに行こうというものだ。これは珍しく偉いさんが言い出した。それに対し、荒垣の主任はヘネだと言っている。
 主任はそれだけ言い、仕事に戻った。
 荒垣は気になり、先輩に聞いた。新入社員は荒垣一人で、同期はいない。
「バーベキューのことかい。部長が言いだした」
「そうです」
「断るわけにはいかないだろう。まあ直接の上司じゃないけど、今後もあるしね。あの部長、やり手なので、将来所長になるだろう。そのことを考えれば、断れない」
 非常に丁寧な説明で、荒垣は満足した。
 そのバーベキューのお誘いが早速荒垣にも来た。幹事が会費を受け取りに来たのだ。
 会費がいるのかと荒垣は、少しだけ違和感を抱いた。これは会社の行事ではなく、部長の私的な行事だったのだ。
 幹事が請求した金額は、かなり高い。訳を聞くと、遠出しての一泊らしい。そこまで郊外に出ないと、自然を満喫しながらバーベキューが食べられないとか。
 荒垣はそれを払えるお金は財布に入っているが、ここで使うと給料日までの最後の一週間が苦しくなる。それで、即答を避けた。
 結局次期社長の、今の部長の取り巻きの一人になるということだ。しかし会費が気になる。それに荒垣は部長がどんな人なのかも知らない。偉い人なので、話したこともないし、その用事もない。
 今の荒垣にとり、主任が親のようなもの。一から全部教えてもらったし、意地悪もされなかった。また失敗しても、荒垣が恥をかかないように、うまく取り繕ってくれた。そして、しくじるようなことはあらかじめ言ってくれた。知らないでやってしまうようなこともない。知るべきことは箇条書きにして、教えてくれた。それでも判断が付かないときは、聞きに来いと。
 荒垣は、今がそのときだ。
 主任は椅子に腰掛け、何やらチェックしていた。邪魔をするのは悪いのだが、荒垣はバーベキュー会について、どうすべきかをまた、聞いた。
「だから、ヘネだよ」
 さっきと同じ答えだ。こんな妙な言い方をするのは主任らしくない。何か持って回ったような説明だ。しかし、その言葉付きからして、やめた方がいいと言っていることは分かる。だから答えをもらったようなものなのだ。しかし、ヘネが気になるので、もう一度聞いてみた。
「ヘネとは何ですか」
「出掛けるより、家で屁をこいて寝ていた方がまし」
 持って回った言い方をするのは、主任らしくなかったが、これは仕事の話ではないためだろう。
 
   了


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2016年04月20日

2873話 高天原


「高天原というのは最近でしょ」
「え」
「天孫降臨も最近ですよ」
「どういうことでしょうか」
「田圃があったし、機織りもあった」
「あ、はい。スサノウノミコトが暴れたのでしょ」
「稲作が始まっていた。だから最近だよ」
「それは古事記とかの神話ですから、その時代にある程度合わせていたのでしょ。それにイメージの問題もあるし」
「そこなんです。まだ田圃などなかった高天原が見たい」
「それはいつの時代でしょう」
「弥生以前、縄文時代」
「それは古い」
「縄文時代や、その更に前の時代の神様はどうだったのか。どんな神様がいたのか」
「動物だったんじゃないですか」
「動物」
「熊とか」
「ほう」
「でも熊は地上の生き物ですからね。高天原は地上じゃないでしょ。降りて来られたわけですから」
「だから、それは高い山からだよ」
「え」
「高い山」
「そのままだ。高山」
「飛騨」
「そう、飛騨高山が高天原だ」
「来ましたねえ」
「何が」
「いつものインチキ臭い話」
「それよりも興味があるのは、稲作以前の神様だよ」
「それは地上ですか」
「そうだ」
「それなら、縄文人の神様でしょ」
「それそれ」
「思い付きません。動物とか山とか川とか、空とか海とか、太陽とか、月とか、星とか、そういった自然界が神様じゃないですかね」
「人型じゃなく」
「もし人型なら、どんなのを着ていたのかでしょうねえ」
「それそれ、素っ裸じゃ猿だし」
「猿でも毛が生えていますから様になりますよ。人も昔はもっと体毛があったでしょうが」
「要するに、神様はイメージだ」
「はい」
「だから、縄文やそれ以前の人達はどんなイメージを持っていたかだ」
「土偶などはどうです」
「誰が土偶と言い出したかだ」
「あれは宇宙服を着たパイロットじゃないのですか」
「すぐに宇宙へ行くのはまずい。もっと地べたにとどまるべきだ」
「地べた」
「人々が暮らしておる世界。そこで発生する神」
「土着の神ですね」
「うむ」
「それなら日本だけではなく、世界を見れば分かるんじゃないですか。その時代、どんな信仰があったのか」
「神イコール信仰か」
「はい、抽象概念ですからね」
「必要になって、生まれたのだろうか」
「さあ、それは分かりませんが、土着じゃなく、ワンクッションが必要なんです」
「ワンクッション」
「地上ではなく、もう一つ違う世界が」
「それが高天原か」
「天国でも、海の彼方でも山の彼方でも、空の彼方でもいいんですが、それは実際には繋がっていません。別世界です。そういう箱を作らないと、神は出てきません」
「箱」
「だから、想像上の空間ですよ。そこに神がいる。だから地上では発生させにくい。別次元じゃないと。これがワンクッションです」
「ほう」
「神様が山の奥から出て来られたのでは、その場所が特定されます。山の頂上でもいいですが、そこが発生場所だと。それでは近すぎるのです。神様の住処を捜し当てられてしまいますからね。だから、山もいいのですが、その頂上へ降りて来られる方がいい」
「何処から」
「ですから、上からです。そこは地上でもないし、空中でもない」
「そんな世界はありえん」
「だから、そういうのを想定しないと、神様は作れない」
「じゃあ、動物の神はどうだ」
「あれは、自然一般の摂理ですよ。それを言っているだけ」
「では神の世界は空想の世界か」
「そうではなく、説明できないのですよ」
「何が」
「ですからそういうフィクションに乗せないと、うまく語れないためです」
「それはどういうことか」
「だから、言語の限界がありますから、言語化できないイメージの世界なんです」
「難しいことを言う」
「まあ、人間の言語能力では捉えきれない世界があるのでしょう。ただ、イメージ的に掴める人もいたのでしょう。イメージといっても映像じゃないですよ。直感のようなものです」
「では高天原もそうか」
「それはワンクッションの箱です。そんな高天原はいくらでもあるでしょう」
「言語化できないのなら、話しても仕方がないのう」
「でも、神の証明は皆さん失敗していますから、言葉では無理なんですよ」
「そうか、しかし、高天原に田圃があったのが気になる。最近の話じゃないか」
「はいはい」
 
   了


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2016年04月19日

2872話 手と命取り


「先日から手が痛くてねえ」
「ほう、手が」
「小指と薬指の付け根あたりなので、特に困らないけど、私のように手先仕事をする者にとっては、気になるところですよ。大した影響はありませんがね。もっと痛いときでも仕事はやっていました」
「はい」
「これは原因がはっきりしているんです」
「ほう」
「傘です」
「傘が原因」
「傘でやられました」
「はい」
「そのときは気付かなかった」
「傘で何かされたのですか。傘で襲われたとき、手でカバーし、痛めたとか」
「それに近いですが、敵は雨と風。実際には突風ですよ」
「ああ、傘が煽られたので、ぐっと強く握ったとか」
「ご名答」
「当たりましたか」
「実は人差し指を痛めていたのですよ。あまりしっかりと握れない。これは仕事のやり過ぎじゃありません。プロとしては力を入れすぎてはいけないのですがね。力みすぎたので、痛めたと思われるのは誤解だ。実はそうではなく、仕事ではなく、傘と同じで、別のことで人差し指を痛めたのですよ。それが長引きましたねえ。それで」
「まだ、続きますか」
「なぜ小指と薬指、そして中指の付け根あたりが痛くなったかといいますと、傘が飛ばないように力を込めたのですが、人差し指は痛いので、傘に軽く当てているだけ、普段でもそうです。人差し指がやることは中指がやってます。傘もそうです。力を込めたとき、中指でも足りなく、薬指、小指まで力んだ。これがいけなかったのでしょうなあ。そのときは気付かなかった。痛いと感じたのは翌日」
「今も痛いのですか」
「最初気付いたのは、寝るとき、掛け布団を引っ張ろうとしたとき、痛みが出た。激痛ではなく、軽く抵抗がある。捻挫をしたときの痛みに近い」
「はい、それだけの話ですね。それで今は」
「捻挫と同じで、しばらくすれば治った」
「それはよかったですねえ」
「そのとき思ったねえ」
「何をですか」
「最初は軽い痛み、こんなもの捻挫と同じで、すぐに治ると思っているが、それがなかなか治らない。これが伸びる」
「え、何が伸びるのですか」
「これが序章でねえ、始まり。本編はこのあと何年も続く。そういう痛みである可能性もあった」
「そうなんですか」
「だって、今までそんなことはなかったからね。その程度のことで、手が痛くなるようなことは。これはまあ、年だろうねえ」
「そうでしょ」
「しかし、傘を変えたんだ。持つところが細いタイプにね。その前の傘は木製の太いやつで、もしあれならもっとうまく握れた。だから、ひねるようなことはなかっただろう」
「はい」
「まあ、それはいい。心配なのは手だ」
「でも、もう治ったのでしょ」
「そうだが、痛いときに、その手のことをずっと考えていた。これがもし悪化すれば、それこそ仕事ができなくなる。だから、自転車などに乗っているときも、ハンドルを握るとき、その手をかばった」
「痛いからですか」
「いや、ひねったり、回転させたりしなければ痛くない」
「はい」
「頭の中はその心配事で一杯。手のことしか考えないで、自転車に乗っていた」
「はい」
「歩道にバス停があってねえ。そこで客が待っている。当然自転車が近付けば避けてくれるが、気付かないようなので、思わず車道に出てしまった」
「よくあることですよ」
「車道に出た瞬間長い長いトラックが追い抜いていった。しかもぎりぎり、ハンドルを少しでも右に切れば、接触する。これは私が車道に出たのがいきなりだったので、飛び出したことになる。トラックなので、それ以上中央よりに寄れないんだろうねえ。ぎりぎりだ」
「はい」
「下手をすれば、かばっていた右手が持って行かれるどころか、身体ごと持って行かれただろうねえ。右手をかばっている場合じゃない。もう何もかばうものがなくなることになりかねなかったねえ」
「危ないですねえ」
「手が悪化し、仕事ができなくなる恐れ、そういう心配事とはまったく別に、突然、いきなり、大本命の命取りが来る。これが私の得た結論だ」
「はあ」
「何か分かったような分からないような」
「人の運命など、分からん」
「はい」
 
   了


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2016年04月18日

2871話 外野の淵


 この道をそのまま走ると何処へ行くのだろうか。というような疑問は友田にはない。確かにその国道を走り抜けると別の国道と繋がり、海に出てしまうだろう。その最果ての町にも友田は行ったことがある。それには夜行バスで一晩かかる。決して散歩の延長では有り得ない。
 友田はその国道の歩道をある程度行ったところで、左折し、違う道で家に戻る。曲がる場所は毎回決まっていないが、一番遠いところは決まっている。それより先は何かの用事がなければ行かない。
 友田は早朝の自転車散歩を日課としており、決まった時間に朝食を食べるため、遠くまでは行かない。朝食に間に合う距離だ。これが友田の結界となっている。家から離れれば離れるほど帰り道も遠くなる。それを計算すれば、折り返し地点も決まる。早い目に折り返すときは調子が悪いとき。そのため、早く帰って来る。
 つまり結界内は内野で、その先は外野。しかし見知らぬ町や風景が続いているわけではない。その先へ行くことは殆どないが、どんな町並みになっているのかは分からない。特にここ二三年、外野に出ることは希だ。そこは郊外の国道沿いのため、車がないと通る機会はない。
 その朝、友田は外野が気になった。これは元気な証拠だ。しかしそれにはリスクが伴う。帰りが遅くなる。一時間以内の遅れなら、それほど問題はない。家に電話をすればいいだけ。しかし、その理由が言いにくい。散歩が長くなるから、でもかまわないのだが、そんなことは今までにはない。途中で何かに巻き込まれたり、用事ができてしまったなどもない。
 さて、外野に出た友田だが、すぐに看板が目に入った。二三年前、ここを通ったときは、そんな店はなかった。新しくできた店は焼き肉屋のようだ。肉と大きな文字看板が目立つ。
 その先に確かファミレスとハンバーグの店があったのだが、両方とも潰れている。昔からたまに寄っていたカー用品の店は無事なようだが、かなり古びてしまい、中古タイヤ店のようになっている。
 さらにその先に大きな自転車屋があり、自転車散歩を楽しむようになってからは何度も来ていた。もう少し軽い自転車に乗り換えたかったので。
 外野といっても、見知った場所。未知なる領域ではない。公団住宅がいやにすっきりとしている。これはもう住んでいないのだろう。洗濯物が一つもない。その下に商店街があったのだが、それも当然廃墟だ。公団住宅と一緒に客も店も消えた。その横で工事が始まっている。きっと超高層公団住宅が建つのだろう。反対運動の看板も見える。
 そういう風景は特に異常ではなく、友田の内野内でもある光景だ。
 その先は大きな川があり、土手へ向かって長い坂が続いている。さすがにその橋を渡ると本当に帰るのが遅くなるため、友田は引き返した。
 内野から少しだけ出た外野、美味しいのはその辺りだろう。それにすぐに戻れる。
 友田はそこからスピードを上げながら引き返したため、思ったより早く帰り、朝食も意外と早い目に食べることができた。
 
   了



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2016年04月17日

2870話 花散らし爺


 小雨降る山寺。その周辺は桜の名所として知られており、この地方では、ここの桜が咲くのが一番遅い。
 その桜、この小雨のためではなく、降り出す前から既に葉桜に近かった。それでも花見客はそれなりにいたのだが、雨では無人。山門前の茶店も閉まっている。
 桜は寺の敷地内だけではなく、その周辺にも咲いている。山門を潜るにはお金がいる。これがもったいないわけではないが、傘を差してじっと花見をしている老人がいる。これがこの老人の花見スタイル、流儀ではない。毎年ここで花見をしていたのだが、今年は出遅れたようだ。
 この老人、花落とし爺、花散らし爺とも業界では呼ばれている。この老人が来ると、真っ盛りの花のように盛り上がっていたイベントなどが一気に盛り下がる。決して邪魔をしに来ているわけではない。しかし、彼が加わると、不思議と咲いている花が散る。
 そして、この花散らし爺が通ったあとは二三年は雑草も生えないと言われている。だから不吉な男だ。その名を知っている者なら、決して参入や、参加はさせない。
 最後にその本領を発揮したのは古都の里だ。古都とは古い都。これは都は都市、里は村だろう。だから古都の里という言い方がそもそもおかしい。この老人が付けた名だ。
 地方には地方銀座があるように、小京都があるが、それなりに大きな町だ。古都の里は田舎にあるが、裕福な農家や商家が残っており、その庭園は一級の日本庭園だ。寺や貴族の別荘ではなく、個人の家の庭。そういう庭が開放され、古都の里として盛りあがっていた。車でさっと通り過ぎれば、そんな里など存在しないほど狭いエリアだが、古い農家はそのまま郷土料理の店になり、名もない寺も、参道だけは立派で、そこに茶店や土産物などが売られている。いずれも地元の人が勝手にやり出したことで、個人単位だ。これは他家と張り合うため、結構私財を投じて、改築したり、茶室や野点、歌会やカルタまでやり始めた。それですっかり人気を呼び、古いだけの村に花が咲いた。そこに現れたのが、例の老人。このタイプの企画ものが得意な人で、まずは個人がばらばらでやっていたものを組織化し、古都の里として、さらに盛り上がるはずだったが盛り下がり、咲いた花も散り、今は枯れてしまった。
 しかしこの老人が来なくても、古都の里のどのオーナーも赤字だった。有り余る私財があったわけではないが、一花咲かせたかったのだろう。要するに村の年寄り達の遊びだったのだ。そのため、いずれは資金が続かず、散る運命にあったが、例の老人がそれを早めた。
 この花散らし爺、自分でもそれを知っているのか、もう散ってしまった雨の中の桜を、じっと見ている。まだ残っている花びらがある間は、花見だと嘯いて。
 
   了
 

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2016年04月16日

2869話 悪しきものの接近


 昼寝から覚めた宗田はいつものように散歩に出た。寝起きが悪い。目覚めが悪いのではなく、起きたとき身体が重い。何となく元気がない。昼寝は小一時間ほどで、半時間のときもある。また、うとっとしただけのこともある。今日はたっぷりと寝たはずだ。そのため、頭も身体もしっかりと回復しているはずなのに、寝る前よりも悪くなっている。何か悪い夢でも見たのではないかと思い出そうとするが、何も出てこない。
 本当にしんどいのなら、もう少し寝ていたいだろう。しかし、すんなりと起きている。昼寝としては完璧で、予定通りの小一時間。こういう昼寝後は調子が良いはずなのだが、そうではない。
 散歩は自転車で近所のお気に入りのコースをゆるりと走る。歩道のタイルの継ぎ目が頭にがつんがつんとくる。
 これは何か近付いて来ていると、宗田は気付いた。前から何かが来ているとか、後ろからそっと近付いて来る何者かではなく、遠方、あるいは別空間からの何かだ。そこに果たして空間があるのかどうかは分からないが、亜空間のようなもの。別次元、異世界からそれが来ている。しかし別世界ではなく、同じこの世の誰かが近付いて来ているとみるほうがよい。きっとそれは人で、知っている人かもしれない。これが何か悪しきことをもたらす。だから、路上の前後左右から近付いてくるものではなく、何処かで接触するのだろう。散歩中なら、この道の何処かで。
 しかし、該当する人はいない。例えば悪しき友とばったり合うとかだ。もしそんなことがあっても、相手にしなければ、問題はないし、そんな友はいない。
 ということは悪しきことを招き入れる未知の人と接触するのだろうか。
 宗田は前方を見る。後ろから来た自転車が追い抜いていき、その先に普通に歩いている人が何人かいる。かなり向こう側まで見るが、ただの人達だ。そんな人達と絡むことは先ずない。用事がないためだ。
 すると歩道に突っ込んできた車両とぶつかるのだろうか。しかし、それでは因果関係があまりしっかりとしていない。目覚めの悪さ、不調さとは関係なさそうだ。もっと運命的な、宿命的な事柄のはず。
 しかし、しばらく走り、いつもの散歩コースの後半まで来たとき、体調は戻っていた。
 やはりただ単に寝起きが悪かっただけのようだ。
 
   了


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2016年04月15日

2868話 青天井


 その昔、景気がよく羽振りもよく、倉も建ち、天井知らずの青天井で、何処までも上がっていくと思っていた義蔵だが、今は本当の青天井になってしまった。天井どころか屋根がない。
 しかし、雨になれば軒下を借りたり、適当な建物に潜り込める。ただ橋の下はだめだ。余程幅の広い橋でない限り、横からの雨では何ともならないし、しぶきがかかる。それに場所が川なので、湿気ており、こんなところで寝るのは身体に悪い。
 義蔵は青天井の勢いは失ったが、青天井を得た。
 こうして没落した人達が集まっている村があると聞き、義蔵もそこへ向かった。同類相哀れむで、類は類を呼び、類は集まる。身の回りにそんな人が多いと、安心する。これは小さな世間で、向こう三軒両隣、似たような境遇の人達なら気楽だろう。
 その村、訳あって廃村になったらしいが、村人がいなくなったのは古い話ではない。まだ建てて間もないような農家も残っている。
 ここで、この青天井の人達は気付くべきだったのだが、大屋根のある大きな家で、しかも畑もあるし、山の幸、川の幸もそれなりにある。
 村人が伐り出した木が、そのまま残っていたりする。しかし、ここは誰かの土地で、無宿者の土地ではない。いつかは追い出されるのだろうが、それまでは安住の地だ。
 それら農家の入り口に何やら書かれているのだが、それはマジナイの御札。どの家もその御札が戸口にある。中には地蔵菩薩などが列を作り、母屋を取り囲んでいたりする。まるでペットボトルで猫を寄せ付けないように。
 これを見れば、青天井の人達も分かるはずなのだが、分かった上で棲み着いた。これ以上落ちようがないためだ。失うものがない。
 どの家も家具類は一切持ちされている。これは引っ越したのだろう。逃げ出したとみるのが当然だ。そして、あの御札。
 青天井の人達が、それなりに落ち着いた頃、それが始まった。
 その中の一人が大きな蛇、これは青大将だろう。それが八の字になって死んでいるのを見て、ぞっとしたようだ。何かに襲われた形跡はない。傷がない。
 御札でも地蔵菩薩でも効かない何かに襲われたのだろう。
 今まで意識して耳に入れていなかったのだが、山鳴りがする。大雨のあとならあるかもしれないが、それが地滑りの前兆ではなく、不気味な山音のような響きなのだ。それは実際空気を振動させている。
 山間の村なら、そういう音がするのかと思っていたのだが、しばらく暮らすうちに、気味の悪い音に聞こえだした。
 村人が逃げ出したのは、この音かもしれない。
 やっと見付けた安住の地だが、村人と同じように彼らも逃げ出した。村そのものが呪われているのだ。
 この村はそれなりに古い。何代もここで暮らしていたはず。だから、この異変は最近のもの。
 数日後、村は無人になった。一人残らず逃げ出した。幸い持ち出すものが少なかったので、素早かった。
 この村、今はあとかたもない。やはり地滑りで土砂の下に埋まったためだ。
 あれはやはり山津波前の山鳴りだったのだ。
 
   了


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2016年04月14日

2867話 ノートのゴミ


 ノートパソコンのモニターの汚れが気になる。このタイプのことは些細事で、そのままにしておいても、別段困らない。文字の上にそのゴミが乗っている場合、多少読みにくいが、ゴミであることが分かっているため、ゴミはないものとして扱っている。これも扱い方が難しいことではない。ただのゴミか埃で、吹けば飛ぶかもしれない。
 ゴミや汚れはモニターの液晶だけではなく、キーボードの谷間にもあるが、これはさらにその隙間にまで入り込んでいるかもしれない。さすがにキーボードの頭にはゴミはないが、汚れがある。特によく使うキーは色が違う。指の油などが付着しているためと、擦りすぎのためだろう。
 拭けば取れるような汚れやゴミ、溝に溜まったゴミも刷毛でかき出すなり、逆さにすれば落ちるかもしれない。
 田村がこのことを気に掛けているのはノートパソコンを開けるたび。だから常に気にしているのだが、何も対処していない。このパソコンを誰かに見せるわけではないため、誰も田村のノートパソコンの汚れを知らない。知っているのは田村だけ。
 田村は充電以外では自分の家ではノートパソコンは一切触らない。出先でしか使わない。その出先でノートパソコンの掃除をする気にはなれない。それよりも急ぎの用件を片付けたりする方が大切で、パソコンが故障しているのなら、色々と触るだろうが、ゴミ程度、汚れ程度なら実用上困らない。
「田村君」
「はい」
 誰も他に見る人がいないはずなのだが、所長が見た。偶然後ろに来て話しかけてきたときだ。ノートパソコンが丸見えになっていた。バックを取られたのだ。これは滅多にない。いや、これまであったかもしれないが、そんなことなど、いちいち覚えていない。
「掃除、したらどう」
「え」
 田村はいきなり所長が何を言い出したのか分からないような間の抜けた声を出したが、ノートパソコンの汚れを言ってるのは承知している。
「一事が万事。そういう人だと思われるよ」
「あ、気が付きませんでした」
 田村はこの自分のノートパソコンでしっかりとした表を作り、しっかりとしたレポートなどを提出している。非の打ち所のない仕事で、その几帳面さは評価されている。しかし、ノートパソコンが几帳面ではない。
「ずっとだ」
「え」
「君のノート、ずっと汚い。買ったときから一度も手入れしていないだろ」
 所長はやはり見ていたのだ。後ろに付いたとき。
「誤解があるといけないから、掃除をしておきなさい。これも仕事だ」
「はい」
 田村はそのあと、すぐに掃除を始めたのだが、少し水を含んだ布で拭いた方が早いので、そうしたのだが、その水が何処かに浸みたのか、パソコンが動かなくなった。
 電源を入れても画面は真っ黒なまま。しかし、実際にはゴミとか埃で、真っ黒ではない。星空でも見ているように、一等星や星雲まで見えたりした。
 
   了

 
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2016年04月13日

2866話 下田の陽動作戦


 スーとやってしまうのが一番だが、このスーはすぐには出ない。何事もやる前にはそれなりに意識的になる。たわいもないなら、たわいないと考え、逆になかなかやり始められないこともある。つまらない用事の場合はなおさらだ。これはその手前で、そう意識するためだろう。それらをスーとやってしまえるのは、意識が止まったわけではなく、意識するほどのことではないため、スーと行くのだろう。
 何事もスーとやって仕舞えたのでは、逆に困ったことになる。良いことも悪いこともスーとやってしまえる。そのため、スーと行かない方が実は好ましい。
 熟考に熟考を重ねたことなら、それが沸点に達し、スーと行くとは限らない。思い続けていたことと全く違うことを、スーとやっていたりする。だから、考えが足りないのではない。
 そのため、本当にやりたいこととは逆のことを考え続け、思い続けておれば、スーと、本当のことに入っていけるかもしれない。これは陽動作戦で、本当にやりたいことは、それ自体を考えれば、なかなか行動できない。熟考すればするほど実現が難しくなったりする。その一歩さえ足が出ないほど。
 これは最初から答えが分かっているのだろう。熟考する必要もないほど。
 下田はこのタイプの人間で、これは誰にでも当てはまらない。いつも賛成に回っている相手を、ある日急に裏切ることがある。本当に応援したい人は、応援できない。嘘臭くなるのと、照れくさいためだろう。だから、普段は応援したくない人を応援し続けている。そして大きな筋目のとき、スーと裏切る。これが実に気持ちがいいようだ。
 ある一つの事柄を考えすぎると、こじれてしまう。大事なものはあまり考えない方がいい。弄らないことだ。下田はそういう方針というより、本心を隠すタイプなのだ。これはたちが悪い。
 そのため、本意ではない人と仲良くする。本当に仲良くしたい人とは接触しない。
「しかし下田君、それじゃ君の信用問題になるが」
「いえ、信用などなくなってもいいのです。逆に負担です」
「ほう」
 下田はこの上司と仲がよい。それだけに、この上司、下田の発想方法を知っているだけに、これは陽動作戦だと見抜いている。しかし、もう長い間、上手く行っている。
 そして、かなりの年数が経ったが変化はない。
 上司は下田の陽動作戦など、嘘ではなかったのかと、最近思うようになった。
 
   了


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2016年04月12日

2865話 足軽


「足軽?」
「足軽がいません」
「足軽って、昔の戦のときの」
「そうです」
「今は戦国時代か」
「違いますが、色々と案があるのですが、足軽がいないので、何ともならないのです」
「案」
「やりたいことです」
「あ、そう」
「足軽とは、足が軽いということです」
「そうなのか」
「最前線で軽快に動く兵です」
「まあ、字面からすればそうだが、軽輩の戦闘員だろうねえ。つまり一番身分の低い侍。いや、侍ではないかもしれない。駆り出された農民が大部分だろう」
「その足軽がいません」
「つまり、手足になって戦ってくれる最前線の部下がいないと」
「必ずしもそうじゃないのです。一人で戦うことが多いので、自分の中の足軽です」
「あ、そう」
「つまり、足が重いのです」
「それで足軽」
「はい、足重なので、足軽がいない」
「それはどういう意味かな」
「侍大将ばかりで実際に動く兵隊がいないのです」
「指揮官だけっていうことだね」
「そうです。指揮官は足軽を指揮します。指揮官自らは戦わない」
「そうなの」
「昔は軽快に動けたのに、今は足が重くて、何もできません」
「ほう」
「足はあるのですが、重いのです。足軽じゃない」
「うむ」
「だからいくら名案が浮かんでも、動けなくなりました」
「それは困ったねえ」
「だから、足軽がいなくなったときが潮時かと」
「ほう」
「どうせ何か作戦が思い浮かんだとしても、実際には動けないわけですから」
「指揮官自らが動けばいいじゃないか」
「実践は足軽の仕事で、指揮官の仕事じゃありません」
「分ける必要はないだろ」
「足が重いので、実際には動けないのです。指揮官も」
「そうか、指揮官は最初から足が重いか」
「足がありません。頭と指揮する腕がある程度、動かしているのは腕と口だけ」
「じゃ、指揮官を辞めて、足軽になればどうだ」
「私が身分の低い足軽にですか」
「そんなものに身分も何もない。立場の違い、仕事の中身の違いだけ」
「そうか、私が足軽になればいいんだ」
「それで行きなさい」
「しかし、元々足が重いので、非常にレベルの低い足軽になりますが」
 彼はそれで足軽になったが、雇ってくれる武将は誰もいなかった。
 
   了


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2016年04月11日

2864話 無用の用


「無用の用というのがあるのですよ」
「ああ、そこに来ますか」
「来ます?」
「ですから、何もされていないので、それがさも有為なことのように解釈したいと」
「まあ、そうですが、ずっと無用では、逆に有用を挟むしかありません」
「そうです。有用なことばかりしている人が、たまに無用を挟む。これは何もないスペースです。空白のようなもの、これで無用の用が生まれますが、最初から無用ばかりの真っ白ではねえ」
「いや、多少は有用なこともやってますよ。これはしないといけないので、最低限のことですがね」
「いずれにしても、有用なことが減ったということでしょ」
「だから、無用を有用に変える術がないものかと」
「何に役立つことですか? 何のための有用ですかな」
「だから、有用が一つでも発生すると、いい感じになりますから」
「無用の中の有用ですか」
「そうです」
「それは逆に面倒ですよ。たまに有用なことをすると疲れますから」
「何かありませんか。無用を有用に変える」
「だから、それは今、注意したばかりでしょ。面倒になると」
「そうではなく、やっていることは無用なことなのに、実際には有用なことだったというようなパターンに持ち込めませんか」
「それならば最初から有用狙いでしょ。確信犯です。それでは真の無用とは言いがたい」
「やはり、無用は無用のままですかな」
「問答無用です」
「それだ」
「え、何か」
「議論の必要なしと言うことですよ」
「それは無用の使い方が違います。無用は有用と対になっているのですよ」
「しかし、問答有用なんてないでしょ」
「だから、それでいいのです。問答に関しては、無用しかない」
「よく分からなくなりました」
「それも含めて無用なことなのです」
「はい」
「無名、無明、無用。この無です。無」
「何かニヒルなイメージですなあ」
「それよりも、用がないということです。それだけです」
「有用の用、どうでしょうか」
「そのままでしょ」
「無為な日々を過ごしていると、これが無用の用にならないものかと期待するのですがね」
「無用のままだから生き延びることもありますが、まあ、それは余程の偶然でしょう」
「はい」
「有用に変化するかどうかは、天の定め」
「遠いですなあ」
「無は限りなく遠い」
「はい」
 
   了


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