2016年05月31日

2914話 好奇心


 好奇心とは、好ましい気持ちになることだろうか。しかし、それなら「好心」だ。するとこれは色っぽくなり、そちら方面のジャンルになる。色好みということだ。これは色彩関係に興味があるのではない。色にも色々ある。
 問題は「奇」だ。そのまま取ると奇妙なものが好きとなる。変わったものが好きとも。そうなると、これもまたジャンルが絞られたりする。色好みではなく、物好き、いかもの食い、下手物と。
 一般に言われている好奇心とは、もっと幅が広く、色々なことに興味を抱く、関心を抱くタイプの人だろう。まあ、その中に色好み、物好き、物好みも含まれているが、好奇心とはもっと抽象的だろう。
 好奇心旺盛、これはいいことだ。奇妙なものを好むのではなく、自分にとって妙だと思えるものに興味を示す。世間の人なら普通に受け止めていることでも、そう感じないで、奇妙に感じたりする。また、取るに足らぬものにも興味を示す。本人が「あれっ」と興味を示すためだ。
 専門的な僅かな違いに関心を抱く場合もあれば、何も知らないので、単純なことで驚いていることもある。
 そのため好奇心の出所は対象ではなく、本人かもしれない。では本人の中の何処からだろう。
 何でもかんでも関心を示し、物事を楽しめるタイプの人もいる。これは単純に言えば面白がれる人で、悪く言えばただの面白がりだ。
 興味本位、単なる好奇心で聞きますが、となると、下世話な意味合いが出る。
 さて、その一つとして高橋の好奇心について紹介しよう。これは大人しい例だ。
 何かの用事で、ある町を歩いていたとしよう。前方左手にこんもりとした塊がある。神社でもあるのだろう。そういうのが視界に入っていても気にも掛けない人もいる。
 さらに少し行くと今度は右手にも小さな繁みが見える。似たような小さな森。左手にあるのが神社なら、右手にも神社があることになる。これが気になる。一方はお寺だろうか、または公園だろうか。それを知りたい。
 これは好奇心の成せる技なのだが、そんな技術はなく、町の規模や、周辺の様子から神社だと断定するあたりは、それなりの経験があるためだ。
 両方神社だとすると、一方は村の氏神様、鎮守の森だろう。そして一方は別の系譜の神社。もしそうなら、何を祭っている神社なのかを知りたい。しかし、寺や公園ならハズレ。
 その日は用事で寄り道できなかったが、戻ってから地図で確認する。それで、解答が分かる。
 この好奇心も対象が広い。人により範囲がばらばらなのは好みが違うからだろう。
 
   了

 
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2016年05月30日

2913話 選ばれし者


 選ばれし者達が集まってきた。そこは山沿いのドライブインで、それが天守を持つ城になり、しばらく不夜城のように明るかったのだが、そのラブホも消え、今は救済の家として営業していた。この場合、活動だろうか。
 試験はネット上で行われ、それに合格した人達がやって来た。十三人いる。それぞれ個室が与えられた。そういう施設はデフォルトであるため、宿泊には困らない。
 合格者は使徒と呼ばれ、定員は十三人。本当は十二人の使徒なのだが、リーダーは別格で、それを入れると十三人。
 このリーダーは主催者側だが、位は平使徒と同じ。つまり全員同じ身分だ。
 救済の家のスタッフは十人から二十人近くで回している。いずれもドライブインや、ラブホ時代からいる近在の人達だ。それがそのまま救済の家でも働いている。
 だから、主催者込みの十三人よりも、この場所では先輩になる。
 さて、合格した十二人だが、ここで宿泊し、研修となる。つまり合宿だが、各自個室が用意されているが、各部屋に大きな風呂まであるし、三間もあるような間取りの部屋もある。これは豪華すぎる。
 救済の家、それはボランティア、慈善事業。背景には何もない。金満家ががやり始めたことで、まあ、一種の道楽だろう。税金対策だとも言われている。これだけ人を集め、その収入がないのだから、全て赤字。
 そういう汚い話ではなく、リーダーは人々を救うための戦いを始めたのだ。そのためには一人ではできない。ラブホのスタッフではなく、救済者としての使徒が必要だった。
 研修中も工事が行われ、天守閣が改装され、寺院のような形に変わったが、張りぼてのようなもので、中は鉄塔で部屋があるわけではない。
 そして、ドライブイン時代からある大食堂を教室とした。教会とは言えないのは、あがめるものがないためだ。また宗教法人の資格はすぐには取れない。活動した実績、等々が必要なためだろう。
 この大食堂はドライブイン時代はメインの母屋だったが、ラブホ時代は使われていなかった。
 ここまではいい。問題は使徒達だ。
 ネット上での写真と本人の顔がかなり違う。試験は論文のようなもので決めたのだが、どうも理解して書いたのではなく、所謂コピペものだろうか。そのため、カントは神についてどう説明しようとしたか、などと突っ込むと、もう分からない。ヘーゲルの場合はどうか、となると、もうさっぱりだ。
 しかし十二人の使徒達は、純白の長いドレスのような使徒服と、ボーイスカウトのような帽子をかぶっている。それなりに様になるのだが、中身が頼りない。
 選ばれし使徒達、選ばれるまでは特に優れた人達ではなかったようで、結局食い扶持を求めて応募したのだろう。そして、そんな使徒試験などに合格するとは思わなかったので、合格通知をもらったとき、神秘を感じたようだ。つまり、神から選ばれたのだと。
 しかし選ばれたのだが、選ばれていなかった。選ばれし者達だが、教習が始まると、選ばれざる人達であることは誰の目にも明らかになっていった。
 リーダーは落胆した。あまりにも教養が無く、レベルの低い人達のため。
 使徒の一人で、実業家崩れの男がそっと漏らした「選ぶ側にも問題がある」と。
 
   了

 
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2016年05月29日

2912話 過去の記憶


 棟割長屋。坂田はたまにそこへ行く。実家が残っているためだ。土地も建物も坂田家のものだが、取り壊さないで残っている。七軒ほどが繋がっているが、昔で言えば平屋の分譲マンションかもしれない。今は空き屋が半分以上になり、放置状態。そのため、たまに見に来ている。小さいながらも門があり、狭いが庭もある。そこの雑草を抜いたり、挟んであるチラシを取り払ったり、また、雨戸を開け、風も通す。
 この辺りはそういった長屋が多くあり、坂田は小学生まで、ここで育った。
 今はもうお爺さんになってしまったので、遠い記憶で、殆どのことは忘れている。
 その中で、たまに思い出すのが縁側だ。これは近くの長屋の縁側で、お菓子をもらって食べているシーン。犬もいる。近所のオバサンさんの家で、親同士仲がいい。
 当然その家はもうなく、マンションになっている。
 昔の記憶の中に自分がいる。しかし、それは今のお爺さんになった坂田とは、もう世界が違う。縁側でお菓子をもらって食べていた自分は別人だ。同じ坂田であり、記憶は繋がっているのだが、もう別世界。
 当時何を考え、何を思っていたのかは、流石に時間が経ちすぎて分からない。これが昨日の自分なら繋がりがあるどころか、その延長だろう。昨日の夕食、魚を食べたので、今夜は肉、とかのような意識の繋がりだ。魚が続くので、肉。これは関係性がはっきりとしている。昨日と今日との。
 一年前はどうかとなると、それほど変化はないが、もう途切れている。一年前の夕食、何を食べたのかなど覚えている方が怖い。余程珍しいものでも食べたのでもなければ、印象にも残らない。それなりのものを食べていたのだろう。今と極端に違うようなものではなく。
 それが何十年も前の小学生時代になると、これはもう繋がっているのだが、間が長いので、いちいち覚えていない。だから、昨日と同じような自分が今日もいるという感覚ではなく、別人だ。
 その実家も、こんなところで住んでいたのかと、不思議に思うが、空き屋になってから、たまに見に行くようになってからは、認識の仕方、付き合い方も違っている。今の感覚だ。七軒の家が「取り壊す」と決断しないと土地も売れない。もう生まれ育った場所という思い出の世界から離れている。
 家の中は何もなく、いつ取り壊してもいい状態だ。たまに自分が寝起きしていた部屋を見るが、記憶はしっかりとはあるが、こんなところに蒲団を敷いて寝ていたのかと思うと、懐かしいのだが、別の自分のようにも思える。
 つまり、今の感覚で見ているのだ。回想のために見ているのではないためだろう。
 しかし、たまに夜中、目を覚ましたとき、この部屋の間取りになることがある。襖があり、ガラス戸があり、電球がぶら下がっている。小学生の頃、目を覚ましたときの角度で見ているのだ。当然、それらはすぐに消え、今の自分の部屋に戻るのだが、何処かに、まだその記憶が残っているのだろう。
 人は、この今に生きている。過去が人ごとのようには思えないが、その時代の感情が分からなくなっている。当時の感情、それは今の感情からしか導き出せない。
 
   了


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2016年05月28日

2911話 達成感


「達成感とは何でしょう」
「勝負が見えたときでしょう」
「勝負以外では?」
「山を越える、峠を越えられそうだと分かったときです」
「しかし、まだ達成していない」
「時間の問題でしょ。特に邪魔になるもの、遮るようなものがないとき、町内の道を歩く程度で、辿り着けます」
「しかし、まだ達成していないのでしょ」
「そうです」
「達成したときに、達成感に浸るのではないのでしょうか」
「浸る状態は、既に終わった状態です。もうそれはおしまい。もう次のことを思うでしょう」
「しかし、達成していないのに、達成感に浸るのは」
「だから、あとはもう簡単だと思えた時点で終わりですよ」
「町内を歩く程度のことですか、あとは」
「そうそう」
「でも町内でも、何が起こるか分からない」
「それを言い出すと、全てのことがそうです。このあと、私が何かを喋ろうとして、あっと逝ってしまうかもしれません。また身体は丈夫でも吹き矢が飛んできて、それが刺さり、毒が回って、おだぶつに」
「吹き矢など、飛んでこないと思います」
「じゃ、車が突っ込んでくるかも」
「はい」
「また、達成してしまうより、行けそうだと分かったときの方が盛りあがります」
「勝負が付いたときが、達成したときですか」
「勝負が付くと分かったときです」
「はい」
「幸せもそうです」
「はあ」
「幸せになれたときの幸せより、幸せになれるかもしれないと思ったときが、一番幸せですよ」
「はあ」
「大金もそうです。銀行に振り込まれたときよりも、大金が入ると分かったときの方がいいのです」
「でも、まだ入っていないのでしょ」
「ほぼ間違いなく入ると分かったときです」
「しかし、実際には入らないことも」
「まあ、それは余程のことでも起こらないと、起こりませんから、そこまで心配することは」
「そうですねえ。桁数を一つ、少ない目に間違って振り込まれたり、振り込み忘れがあったり」
「だから、それはまあ、考えなくてもいいのです」
「しかし、私は達成してみるまでは安心できません」
「だから、達成する見込みが付いたのなら、もうそこに大して力を入れる必要はないのです」
「意味は分かりますが」
「はいはい、それはお好きにどうぞ」
「私は勝つことが分かっていなければ、勝負しません」
「負けるかもしれないと思うから、達成感も出る。そういうことです」
「逆です。私は勝てることしかしません。達成感が欲しいからです」
「はい、お好きにどうぞ」
「こういう話、お嫌いですか」
「お好きです」
 
   了



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2016年05月27日

2910話 ゾンビを見た


「ゾンビを見たわ」留子が言う。
「え、ゾンビ」この嫁はたまに妙のことを言う。
「夜中、廊下を歩いていた」
「じゃ、お爺さんが便所へ行ったんだろう」
「違う、あればゾンビよ」
「足が悪いんだ。だからゆっくり歩いているだけ」
「庭でも見たの」
「何を」
「だからゾンビ」
「お爺さんが庭に出ただけだろ」
「違う。もっと背の低い人で、太っていた」
「え」
「ゾンビよ」
「じゃ、曾爺さんの弟さんかもしれない。離れを使っているはずだ。親父が言ってた」
「女ゾンビも出たわ」
「え、お婆さんは施設に入ってるからねえ、誰だろう」
「長い髪の毛の」
「ああ、出戻りのお糸さんだ。大叔母の娘だ。離れの二階にいるはず」
「そんなものがまだいるの」
「他に大叔父の義理の弟とかが倉暮らししているよ。そこで引き籠もっている」
「夜中怖いわ」
「身体が悪いので、ゆっくり歩いているだけで、ゾンビなんて言い方、失礼だよ」
「でも、あれはゾンビよ。屋敷の外でも、ゾンビが出たって噂あったから」
「年寄りが散歩していたんだろ」
「調べてくる」
「何を」
「だから、ゾンビを」
「家の中に、そんなゾンビはいない」
「ウジャウジャいるかもしれないじゃない、一人見かけたら二十人はいると聞いたわ。あとの十九人は隠れているのよ」
「じゃ、うちはゾンビだらけじゃないか」
「心配だから、見てくる」
「離れに入っちゃだめだ」
「離れじゃなく、町の様子を見るの」
「町」
「この近所じゃ分からないから、バスターミナルで様子を見てくる」
 留子は町へ出た。
 賑やかなはずの店屋街の雨戸は閉まっており、ぽつりぽつりと人がいる。よく見ると歩いている。
「ゾンビだわ。町はゾンビに占領されたんだわ」
 留子は急いで屋敷に戻り、報告する。
「そうか」
「屋敷内のゾンビ、早く心臓に杭を打って殺さないと」
「そこが難しい」
「どうして」
「だって、家内の人達、そういう動き方をするから」
「あれはゾンビの歩き方だわ」
「だから、その判断が難しいと言ってる。爺さんは足が悪いからゾンビ歩きしているだけだよ」
「紛らわしいわねえ」
「襲ってきたら、ゾンビだと認めよう」
 しかし、この一帯でのゾンビ騒ぎはなかった。
 留子がゴーストタンのように見えた店屋街は、定休日だった。
「紛らわしいわねえ」
 
   了



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2016年05月26日

2909話 地球防衛隊


 住の洞は住道の向こうにある。住道は市街地で住の洞は山間部に少し入った場所だが、谷はそこで行き止まり、その先はない。住道はベッドタウンで、この辺りの山は中腹まで宅地となっているが、住の洞は渓谷なので、何ともならなかったらしい。そのため、昔のままの地形を保っている。
 昔は住道がベッドタウンの端だったが、今は山を越え、そこにニュータウンができている。山を削り取り、大きな道を通したためだ。また、山の中腹にトンネルが掘られ、山向こうへも出られるので、ベッドタウンが拡がった。
 要するに住の洞は市街地のすぐ近くにある。住の川の源流だが、この川は平野部に流れ込み、すぐに大きな川と合流するため、住の川箇所はほんの僅かだ。また市街地に入ると、ただの排水溝規模になる。大雨で増水してもしれているようだ。
 平野部の山沿い、太古から開けた場所なので、当然古代人の墓がある。前方後円墳などができる以前の、カメに入れた程度の墓だ。
 それが山沿いから渓谷にかけて蛸壺のように点在しているため、住の洞と呼ばれている。自然にできた洞窟と、人工的にできた洞窟が混ざり合っている。しかし、特に珍しいものではなく、何の保存もなされていない。
 住の洞の入り口である住道の町に地球防衛隊や宇宙防衛軍など、様々な団体さんが泊まり込んでいる。その数、二十人程度だろうか。宇宙忍者部隊の住道支部があったため、そこの隊員が宿を手配したようだ。
 一方地球征服を企てる悪の星軍も十名程度。これが住の洞に現れ、住道を襲い始めたのだ。地球征服の第一歩として。
 まずはイギリスからサンダーバード一号がすぐにやってきたが、乗っているのは二人だ。
 それでは足りないので、地球防衛系のヤマトとかサクラとかの諸団体で戦うことになる。
 住の洞にはワープ磁場があるらしく、昔から住の洞の洞窟へ入ると、耳鳴りがひどくなると言われている。
 古代人が住んでいたという洞窟は、実は異星人のワープポイントだったのだ。
 それで、住の洞での戦いになるが、悪の星軍は人数的に不利なため、出てはすっこみ、出てはすっこみを繰り返した。その姿は蛸に似ている。
 これで何度目の地球征服だろうか。結局地球側の混成部隊に破れ、またもや撤退した。それらの戦いは住道の市街地ではなく、住の洞の人があまり来ないところでやっていたため、世間の人は地球が征服される戦いがあったことも知らないようだ。
 悪の星軍は住の洞から住道市街を血祭りに上げるのが地球征服の第一歩なのだが、今回もそれができなかったようだ。
 次の地球征服は来月になるとか。
 
   了


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2016年05月25日

2908話 やることがない


「何もない」
「はい」
「何もないわけではないが、やることがない」
「はい」
「やってもいいことはあるが、やる気がしない。だから、あってもない」
「やりたいことがないわけですね」
「いや、やれるようなことでなら、何でもいい」
「はい」
「この何でもないというのが、もの凄く何でもあるわけで、条件が非常に厳しかったりする」
「はい」
「そして年々やることが減る。やることはあるのだがね、やる気が年々減るので、やることも減るということだ」
「できることだけをされると」
「できることねえ。これがなかなかできない。一秒でできることでも、やる気がないとできない。なぜだと思う」
「知りません」
「流れが違うからだよ」
「はあ」
「そして楽しめないこともある」
「楽しいことなら、できると」
「楽しいかどうかはやってみないと分からん。以前、楽しかったので、今回も、と思っても、楽しくなかったりする。これは期待したためだろう。前回楽しかったのは、そんな期待はなかった」
「はい」
「だから、もう年なんだろうねえ。意欲に欠ける。まあ、意欲的にやるようなことがなくなったのかもしれない。意欲より先に、欲がね。年々欲がなくなっていく。それは結果が分かるからだろう。それをやったとしても、それほどの喜びはないとかね」
「はい」
「聞いているのかね」
「はい」
「もう少し反応しなさい」
「その意欲が年々減ってきました」
「君も年だからねえ」
「同い年ですよ」
「そうだったか」
「お互い、反応が鈍くなった」
「それで、何の話でしたか」
「ああ、何だったのかなあ」
「やることがないとか、言ってませんでした」
「ああ、言ってたねえ」
「解決しましたか」
「え、君の反応が鈍いので、いい答えが弾き出せん」
「すみません」
「ところで、君はやることがあるのかね」
「色々あって忙しいです」
「ほう」
「でも大したこと、やってませんよ」
「羨ましい」
「はい」

   了


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2016年05月24日

2907話 老いた農夫


 夏場になると出てくる妖怪がいる。当然そんなものが闊歩するような場所ではない。住宅地だ。場所が良ければ妖怪が出るわけでもないが。
 下田が見た妖怪は、当然人間だ。身元もはっきりしている。しかし妖怪何々と名付けるほどのセンスはないようで、単に妖怪と呼んでいる。呼んでも、それを聞く人はいない。個人的に認識している妖怪。下田はその他の妖怪も知っているが、最近はこの夏になると出る妖怪だけに限られている。
 夏に出る。それは下田が夏にならないと、そこへ行かない。家から半キロも離れていない。そして、滅多にそこは通らない。
 妖怪は道沿いに出る。少しだけ農地が残っており、そこに出る。広い道だが、両側に歩道がある。下田は夏になると、そこを散歩する。時間は決まって夕食後。これは寒いときは出ないので、暖かくなってから。
 しかし春ではまだ日が短く暗いので、実際に出るのは夏になる。そして、妖怪も夏に出るのだが、真冬でも出ているのだろう。
 くの字に腰の曲がった老人が野良に出ている。大きな農家が道の前にあり、そこを横断して、田圃に出る。だから、身元ははっきりしている。
 野良仕事は日が暮れれば暗いので、帰るはずだが、車道や歩道の水銀灯が明るく、ナイターのように田畑を照らしている。それに近くのマンションからの明かりもあり、結構明るい。それで暗くなってからも、この老人がいる。
 夏は日が長いのだが、日があるうちはまだ暑いので、下田の散歩もずれてきている。夕食ではなく、晩ご飯後になっている。涼しくなってから食べるためだ。少し暗いが暑いよりもいい。 その田圃の前を通るとき、何か人がいる気配というか、かさこそと音がする。しかし人の姿はない。実際にはあるのだが、それを人だとは認識できなかったのだろう。しかし音の方角は分かる。畑の中だ。そこはドラム缶とか、農具とか、バケツとかが置かれており、何もない田圃ではない。流石に水田は平らで、何もないが。
 つまり、何かがいるのだが、正体が分からない。それが妖怪の始まりだ。
 実際にはくの字に腰を曲げた姿なので、人だとは認識できなかったのだろう。それが動き出したとき、やっと、あの老人かと下田は納得したのだが、急に物体が人間に変わったので、少しは驚いた。
 老人は道路の向こう側の大きな農家に戻るのか、自転車に農具を積み、動き出した。その先を猫が走る。猫も来ていたのだが野良猫ではない。老人は自転車には乗らないで、押している。これが杖になるのだろう。
 夏に出る妖怪だが、その老人、かなりの高齢で来年は出るかどうかは分からない。出たとしても別のものになっているだろう。
 
   了


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2016年05月23日

2906話 見たことのある自転車


 富田がコンビニに行くのは自炊をサボっているときか、体調が悪いとき。その日はサボっている日で、一寸集中しないといけない仕事ができた。仕事というのは生計を立てるために働くことではない。ただの「すること」「やること」も仕事。何かをしている、ということだろう。それが有為なことか無為かに関係なく。
 その日は後者だった。そちらの方がより熱が入り、集中力も増す。そのため夕食の準備などやってられない。このまま戻ってすぐに始めたいので、コンビニ弁当ですませることにする。できれば作業をしながら食べられるようなもの、従って箸を使わないでいいようなサンドイッチでもいい。もっといえばポテトチップスでもいい。最近食べ過ぎており、夕食を抜いてもかまわないほどだが、やはり口が寂しい。しかしポテトチップでは腹が減ることが分かっているので、カツサンドあたりがいい。それとコロッケパンがあれば何とかなる。そして野菜ジュース。これは飲めば野菜も取った気になれる。
 富田は仕事のきっかけとなった本屋の立ち読みから、コンビニへ寄る。たまにしか入らない店だが、すいているので、レジで並ばなくてもいい。そして自転車をドアの右側に止めた。まだ公衆電話が残っている。その横だ。自転車置き場というか余地はドアの左側の方が広く、そこに何台か止まっているが、道から近いところに止めた。
 そして予定通りのものを掴み、レジに立ったとき、ドアの向こうや窓の向こうが見える。道路が走っている。それではなく妙な自転車が止まっている。それを気にしながら富田は勘定を済ませ、さっとドアを開け、その自転車を見る。
 妙だというのも妙だが、ハンドルの付け根とか、サドルの下などが錆びだらけで、ハンドルグリップの付け根も手垢で黒く、ベルはあるが、引くレバーが取れている。汚い籠にこれも汚いカバーがねじ込まれている。それが妙というのではない。何処かで見た覚えのある自転車なのだ。
 そして富田はレジ袋をぶら下げ、ドアを開け、自分の自転車に向かうが、ない。数台止まっているのが、そこにはない。まさか盗られたのかと思うと、面倒な気になった。歩いて帰らないといけない。これが嫌なのだ。それにせっかく熱中できる仕事を見付けたのに、水を差された。
 しかし、すぐに分かった。ドアの右側に止めたと勘違いしていたのだ。出るときは電話ボックスのある左側になる。また、いつものコンビニならそうしている。
 これで、妙な自転車の正体が判明する。自分はこんな自転車に乗っていたのかと。
 
   了

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2016年05月22日

2905話 何でお前の


 自転車で小学校裏の小径を走っていると、「何でお前の言うことを聞かんといかん」の声。村田は年寄りがいるのかと思い、金網から覗くと、小学生が数人いる。校舎と金網とに挟まれた僅かなスペースだが、非常に長い。車が一台通れる程度だろうか。所謂校舎の裏。ここで生徒を村田は見たことがない。ただ、校舎から聞こえてくる歌や、楽器の音はよく聞く。
 ここに人がいることがある。シルバーセンターの老人が草むしりに来る。しかし電動式なので、あっという間だが、その人達の声だと村田は思った。
 子供はここに立ち入るはずがない。きっと立ち入り禁止の立て札とか、ロープでも張られているのだろう。それを越えてまで裏に来る冒険家がいなかったのだろう。
 しかし村田はその場所を踏んでいる。シルバーセンターでもボランティアでもなく、小学生時代、ここは花壇で、級ごとに割り当てられた土地があった。ただし六年生だけ。
 今のように雑草が生える荒れ地ではなく、既に花壇はできていた。卒業して去った先輩達の花の園が。
 ということは、花壇が復活したのかもしれない。それで生徒の姿があるのか。
 そこで「何でお前の……」となる。その前に「あれをこっちに寄せて?」の声も聞こえていた。それに対して、「何でお前の言うことを聞かないといけない」が来ていたわけだ。
 きっと花壇を作ろうとしているのだろう。それで、廃材のようなものが転がっているので、それを脇にのけてよ、という命令になる。ところが、素直にそれを聞かない仲間がいる。
 これはリーダー争いだろうか。その命令に不満があるわけではなく、その通りでも「お前が指図するな」となる。
 命令した生徒。リーダーではないのに勝手にリーダーだと思い込んでいるのかもしれない。こういう生徒、大して出世はしなかっても、命令口調癖は直らないのだろう。
 村田はそれを聞いていて、花壇作りではなく、リーダー作りのように思えた。
 では村田がここで花壇を作っていた頃はどうか。
 リーダーなどいなかった。みんな勝手にやっていた。参加は自由で、好きな子だけがやっていた。何の手続きもいらない。十センチ四方を勝手に自分の領地にし、そこに種を蒔いたりした。
 しかし、リーダーの話ではなく、これはただ単に、この二人、仲が悪いだけなのかもしれない。
 
   了

 
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2016年05月21日

2904話 下を向いて歩こう


 暗がり先生がいる。当然税務署にそんな名では申告できない。屋号でもない。ただの呼び名、あだ名、ニックネームだ。
 暗闇ではなく、暗がり。だから闇ではない。少し暗い場所程度。地名にも暗がり峠がある。樹木の多い薄暗い場所だろうか。
 暗がり先生の口癖が「下を向いて歩こう」。下向き。決して上向きではないので、発想としては暗い。ただ上が明るく、下が暗いわけではない。陽のある空は明るいが地面も照り返しで、さらに明るかったりする。そして一番明るい太陽は逆にまともに見ることはできないだろう。
 照り返し。太陽の反射だ。それを見ている。間接的に。だから暗がり先生は決して暗いところを見よと言っているのではない。そのものを直接見るのではなく、間接的に見よと。これは影響を受けているものを見よと。
 そうなると本質を見ないで反応のようなものを見ていることになるので、狭く、暗いとなるのだが。
 上を向いて歩くとガードが甘くなる。顎が上がっている。また足元がよく見えない。遠くを見るのはいいのだが、逆にリアリティーがない。
 下を向いて歩いていると、地面すれすれの草花も視界に入る。地面を這う虫も。
 広い世界か、狭い世界かの選択では、暗がり先生は狭い世界になるのだが、そこから広い世界も見えるのだ。また人は狭い世界に生きている。
 しかし、暗がり先生の言はあまり景気が良くない。いつも暗いことばかりを考えているように思われてしまう。実際、そうなのだが、景気は良くないが、低いレベルで安定している。この場合、景気ではなく、覇気だろうか。
 それで、この暗がり先生の弟子は少ない。テンションが低く、地味。
 しかし、この暗がり先生、以前は真上を見て歩いているような人だった。当然足元が見えず。転んでしまった。その反動で足元を特に注意して見るよう、下を向いて歩こうになった。
 当然、下ばかり見て歩いていた人が、頭をぶつけ、その後「上を向いて歩こう」になることもある。
 こんなもの、好きなところを見て歩けばいいのだ。
 
   了


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2016年05月20日

2903話 犬吉


 村で犬吉と呼ばれる男がいる。もう中年を遙かに超えているだろう。村はずれの木々に囲まれた薬畑にいる。ここで薬草を栽培しているのだが、大して効くわけではない。
 漢方医ではないが、村に医者がいないので、診てもらいに行く人もいるが、それは僅かで、そんなことでは収入にはならない。礼として大根などを置いて行かれても、一人では食べ切れなかったりする。
 犬吉という変な名だが、それは呼び名で、屋号のようなもの。犬といえば犬畜生。親が敢えて犬吉と付けるわけがない。犬が付く名は悪くはないのだが、吉がいけない。これでイヌキチとなり、畜生味が増す。しかし犬のお産は軽いらしく、それとも関係がある。
 犬吉が得意なのは腹痛の薬とかそういうものではない。香水のようなもの作っている。匂い袋だ。ただ、あまり良い匂いはしないようだが、これは別のところで効く。
 また、香木なども得意で、焼くと良い匂いのする木を探す。しかし、香木として売り出すほどのものではない。これは違うことで役に立つ。香を焚いていないと、やってられないような。
 要するに遊んで暮らしているようなものだ。犬吉は流浪の人で、この村にいつの間にか棲み着いたが、田畑はなく、住む家も村人の家々から離れたところに建てている。小屋のようなものだが、結構小綺麗。
 さて、この犬吉の本領だが、年老いて亡くなったとき、それが発揮された。
 犬吉の墓として大事にされている。供花や線香の匂いが絶えない。まるで、忠臣蔵の四十七士の墓のように。実際には南総里見八犬伝に近い。
 先にカラクリを言えば、この村の庄屋、また有力者、大きな農家、またその他多数の家々。さらに役人までが犬吉を供養しているのだ。なぜなら父親のため。
 子ができない。そう言うことだ。
 そんなとき、犬吉のところへ行く。香水や香木、良い匂いが必要なのは、そのため。さらに薬草の殆どは、そのためのもの。
 当然跡取りがいない家では養子を取ればいいのだが、やはり実の子に継がせたい。
 犬吉は普通の顔立ちで、何処にでもいそうな顔。これが特徴がありすぎる顔だとまずい。そして性格は大人しい。身長体重も平均的。
 しかし犬吉の種であることは、当然隠している。普通に産んだ夫婦の子として普通に育てられる。知っているのは母親だけ。
 子供ができない女房の場合、当然妾が産むので問題はない。ただ、既に跡取りもいるのに、犬吉の子も混ざっていたりする。
 犬吉が亡くなる前から、見舞いに来る村人が多かった。いずれも犬吉の子なのだ。それは犬吉の子に共通したホクロがあるためだろう。
 だから犬吉の子供だらけ、さらにその子も加えると、犬吉の血筋はものすごい勢力になる。
 そして今も、犬吉の墓として、しかりと残っている。
 
   了


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2016年05月19日

2902話 下克上返し


 その国は山中にあr、小さい。根拠地は二つあり、それなりの城があり、城下もあるが、何しろ山の中、大した規模ではない。
 この国は大国に取り囲まれている。どの国も領土拡大を目的としており、少しでも領土を増やしたい。増やすための兵力や財力を持てば、さらに領土拡大がしやすくなるが、何処かでそれが行き詰まる。大国が中程の国を取るのは簡単だが、大国同士となると、動員兵力も大きくなり、規模が大きくなりすぎる。そして取ったり取られたりで、そこで行き詰まる。
 では、その小国はどうして他の国に取られないで残っているのだろう。大国がその気になれば、すぐにでも取れそうなのに。
 その小国は中立を守っているわけではなく、たまに遠征し、小さな村々を占領し、自分のものにしている。だから他の国と同じことだ。
 大国は当然、奪い返しに行けばいいのに、取られたまま。領土が減るのだが、大した広さではない。それは山国のため、美味しい土地ではないためだ。
 この小国、元はこの辺り一帯の守護大名で、今は小国になっているが、隣接する大国はいずれもこの守護大名の家来だった。そのため、少し遠慮があり、主家に弓引くようなことはできない。また大国の家来衆の中にも、その縁者や元家来衆が多くいるため、村を取られても捨て置いている。
 また心配なのは、この小国を取りに行くと、他の大国が動き出す。小国を守るという名分ができてしまい、さらに元主家を守るという美名分もできる。しかし、できれば大国同士の戦いはしたくない。だから、この小国は意外と生き延びている。
 それら大国よりも、さらに大きな勢力が生まれ、超大国が生まれると、小国の周囲の大国も、それほど大きな国ではなくなり、一気に飲み込まれていった。
 大勢力に刃向かった大国は亡び、見たことも聞いたこともない武将が、その大国の領主になった。飲み込まれた大国は超大国の家来になる。それしか生き延びる道はない。
 そして、あの小さな国は、いつの間にか消えており、ここも別の武将が治めている。
 ただ、小さな領主、元を正せば守護大名なのだが、都で要職に就いている。そのときは小国時代の家来はいない。しかし、山国よりも、都が似合っているのか、機嫌は良いようだ。
 
   了


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2016年05月18日

2901話 動く町


 よくあるような住宅地や市街地などは似たようなもので、これといった特徴を挙げる方が難しい。町名が違う程度。当然そんな町ばかりではなく、様々な伝説があったりもするのだが、それらが形として残っていないと、ただのありふれた街角だ。
 また村のあった場所には神社や寺はあるが、よくあるような神々で、寺もチェーン店のように、宗派が違う程度。神社の形や造りも殆ど同じで、寺もそうだ。
 寺社をカメラで写しても、違いは殆どなく、何処のお寺か神社だか、見分けが付かない。
「何処へ行っても似たような景色ですなあ」
「まあ、そうなんですが、それは動いていないからです」
「え、動く」
「そうです。あなた、通りすがりとか、用事とか、観光とかで、見ているでしょ」
「ああ、そうですが」
「だから動いていない」
「え」
「静止画のようなものです」
「いえいえ、動いていますよ。生のリアルな町なので、人も通れば、車も通る。風も吹けば草木もなびく」
「しかし、滞在時間は少ないでしょ」
「一日中見ていたことも」
「それは長いが、一日でも、まだ動いていない」
「な、何が動くのですか」
「町がです」
「地盤が」
「そこまで行けば地震でしょ」
「はいはい」
「そうではなく、毎日毎日ある通りを見ていなさい。他と同じような場所でも、これが動き出し、独自の動きが起こります」
「静止画が動画に」
「そうです。しかし、一日一コマのようなものですから、動きとしてアニメのように見えるには何日、何ヶ月。何年もかかります」
「はい」
「通常、数年。長い人なら何十年の動きになります。田圃が更地になり、家が建つ。まあ、少し時間がかかるでしょ。いつもすれ違う人が今日はいない。たまに見かけるが、その後、ぱったり姿を現さない。そういう流れを、動いているというのです」
「ああ、時が」
「そうすると、町が立体的になります。毎日見ているので、細かい箇所まで見ている。見かけない子供が三輪車に乗っている。親の姿がない。最近引っ越して来た家族だろうか。先に子供が家を出たのだろうねえ。あとから親がすぐに来るはずだ。近くに公園がある。そこへ遊びに行くのだろうか。そういうのが手に取るように分かる」
「しかし、それはよくある光景でしょ。どの町にもあるような」
「とこが毎日行き交っているような町や通りでは、奥行きが全く違う。詳細さが違う。だから解像力が高い」
「人の流れまで分かるわけですか」
「町には人がいる。それらは何処にでもいそうな人で、ありふれた存在だが、一歩踏み込めば、ありふれてはいるのだが、個々の事情がローカルに回転する。知っているか知っていないかの違いで、話が違ってくる」
「町の事情に通じているということですね」
「そうすると、そこはありふれていない」
「はいはい」
「大きな声で喋りながら歩いている人がいる」
「ああ、スマホで電話しているのでしょ」
「手ぶらだ」
「じゃ、ワイヤレスです」
「そうじゃない、気が触れておるんだ」
「え」
「ずっと家の中にいる人だが、何かの拍子で、外に出たのだろう」
「はい」
「その後、その人は見かけない」
「はあ」
「同級生じゃないが、二つ下の学年だ。四十過ぎからおかしくなったが、子供の頃から妙な子だったよ」
「色々あるんですねえ」
「詳細を知っている。そして経過した時間も知っている。だから静止画の町ではなく、動いている町を見ないと、その町が分からない。まあ、住んでいる人なら、見続けていることなので、特別なことじゃない」
「じゃ、ありふれた町並みでも、実はそうではないのですね」
「事情を知っている程度で、まあ、よくあるようなことしか起こらないがね。お寺の住職が神社の巫女バイトと姿を消した。そういう含みで、その寺を見ると、景色が違うよ」
「あ、はい」
 
   了


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2016年05月17日

2900話 欲望という名の電車

欲望という名の電車
 感性は深いところで発火するのか、浅いところで発火するのか。もし浅いところでなら、もの凄く単純な話になる。つまり深い意味はないと。
 つまり、感情の最前線に、感性があるのかどうかだ。この感情は単純なものなのか、それとも文脈のある感性、その人なりの何かから来ているのか。何処からも来ていません、そのままですでは単純すぎる。実際にはそうなのかもしれないが。
 感情の前に感覚がある。五感のことだ。五感を研ぎ澄ませて物事を観察する。その五感だ。この五感に感情が乗り、さらに奥に感性がある。その感性はオリジナルな文脈、プログラムだろうか。その人独自の癖のようなもの、傾向のようなもので作動していたりする。
 しかし、この感性まではまだ正直な話で、その先か前かは分からないが、理性とかがある。これは理屈だ。ただ理屈で物事を見ているわけではなく、最初は目だろう。耳だろう。これは何のために付いているかというと、鼻もそうだが、動物としての基本で、危険か安全かを見分ける。石があれば避ける。これが基本の使い方。石を避けるための目とか、危険なものが迫って来るような物音、毒気のありそうな匂いの感知、など、動物として最初から備わっているもので、意識しなくてもやっている。多少予測能力もある。危険なものが近付いて来ているが、あの柵があるので、ここまでは来られないだろうとか、当然、動体予測で、来るまでの時間なども何となく分かる。
 それらのことにも感情や感性、理性が加わることもある。それは認識だ。
 なぜ大きな石が道にあるのかを考える。誰が置いたのか、とか、誰が落としたのか、とか、これは花崗岩だろうとか、漬け物石に良さそうだとか、色々な感情が働く。その感情を働かせているのは、そのとき、何処が発火したかだ。理性が動いたのなら、これは、こんなところに石があっては迷惑とか、もし置いた奴がいるとすれば、それはいけない行為だとか、そっちへ飛ぶ。一番単純なのは、躓かないですんだ程度。うまく避けた程度。これは一番動物的で、単純だ。このとき、舞うように避けるとか、必要以上に身のこなし方が綺麗とかになると、作為を感じる。避ければ良いだけなのに。これは別のところが発火したのだろう。身体を動かすのが好きだとか。
 しかし、反射神経的な反応でも、その人なりの身のこなし方がある。これは身体の具合から来ているので、頭とはあまり関係がない。筋肉とか、筋とか、骨の問題だろうか。
 人がロボットにはなれないのは、感情があるからだ。感覚はロボットにもあるが、感情がない。この感情がかなり奥深いところ、複雑なところと繋がっている。意味を見出したり、見出さなかったり、有為なことでも無為と受け止めたり、また、ある意味正しいとか、ある意味正しくないとか、意味を振り分けたり料理するのが好きだが、結構矛盾しており、カオス状態なのかもしれない。
 これは欲というのがあるからだ。これが背後霊のように控えており、それこそ欲望という名の電車に乗っているようなもの。
 人を動かしているもの、それは単純なのか複雑なのか、そういうことの判断でさえ、欲が絡んでいるように思われる。この欲、意外と動物的で単純な話だったりもする。
 
   了

 
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2016年05月16日

2899話 今は昔


 昔話は「今は昔……」で始まる場合が多い。そういう書き出しだ。今のことではなく、昔の話だとの断り。まあ、話というのはいずれも過去のことだが、未来の話もある。ただ、昔話で書かれている未来は「その後、幸せに暮らしました」程度の長さで、何百年も先の未来ではない。もしそうなら素晴らしい読み物になるだろう。西暦千年、平安時代だ。その頃千年先の話を物語にしておれば、これはものすごい検証材料になる。まあ、人の感情などはそれほど変わっていないだろう。そうでないと源氏物語が名作にならない。同じ様なことを今の人もやっているためだろう。
 さて、今は昔だが、今が昔に移動している。それでは本当の今は何処かというと、それを読んでいるときだろう。実際には今の話ではなく、昔の話ですよという断りだけで、この今ではない過去、しかもかなり昔の話程度の使い方。
 決して今のことを話していないと。
 読んでいるときは、その今にワープし、そこがカレントになる。くどく言えば現今、これは使わないが、目下は使う。目下は、目の前でもいい。これは音でも匂いでもいいが、目の方が範囲が広い。遠くの物音や匂いは分からないが、目なら分かる。
 さて、今は昔と、簡単に今が昔へと移動するのだが、それを読んでいる今と、今は昔の今が重なる。これは本だけがそこにあり、その本の中に今は昔の物語が書かれていれば、今は昔の世界だけが存在する。読んでこそ今が二つできてしまうのだが、読んでいる側の今は次々に流れるのだが、その分、今は昔の物語も、その分流れて行く。早く読める人は、今は昔の今の時の流れも早いだろうが、だらだらと説明ばかりの物語では、あまり時間は経過していない。
 昔の今は数十年程度の昔のこともあるし、神代の時代ほど古くて、年代が分からないこともある。それ以前に、そんなことなど現実には起こらなかったこともある。竹取の翁の竹取物語や桃太郎。これはいくら昔でも無理だろう。この今は、何処だろう。時代ではなく、違う世界、異世界だ。
 竹を切ればかぐや姫が出てくるのなら、かぐや姫だらけ。川は桃太郎だらけにになる。
 だから、今は昔で始まる話は「嘘ですよ」ということだろう。しかし、昔のことはよく分からない。そんなことがあったかもしれない。
 同じ今でも、家に帰ったとき、「只今」という。もの凄い言い方だ。
「ただいま戻りました」
「たった今、戻りました」
 しかし、これは少し前に戻ったことになる。家の敷地に入った瞬間が戻ったときだ。しかし、多くは家の中で家族と顔を合わせたとき、只今と発すのだろう。だから少し間がある。
 余談だが「帰り道、大丈夫だったかい」「はい大丈夫」。これが女性でも、大丈夫になる。私は非常に立派で堅固な男ですと、直訳的な言い方だ。女性がいう場合、大丈婦だろうか。
 しかし、今戻りましたを省略して、単に「ただいま」といっている。
 さて、今は昔、これを今の人が、過去の思いを誰かに語るときと同じで、お伽噺が多い。
 
   了


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2016年05月15日

2898話 鉄瓶と薬草


「茶瓶」
「はい」
「茶瓶を売りに来たと」
「はい、クルマで南部から」
「駐車禁止でしょ、この辺りの通り」
「はい」
「何処に止めたの」
「バス停の近くに、一寸スペースがありまして」
「あそこに止めちゃだめだよ。近所の人の親戚などが車で遊びに来たとき、暗黙的に止めても良いことになっているがね、それは顔見知りだけだ。余所者のセールスのクルマは御法度」
「御法度」
「御法度破り、慣習破りだ。もっともこの辺り全部駐禁だから法的にね」
「茶瓶なんですが」
「それだよ、それ、茶瓶の押し売りなんて聞いたことがない」
「良い茶瓶です。南部です」
「鉄か」
「はい」
「確かに私は茶瓶を持っておらん」
「それは何より」
「茶瓶と薬缶の違いは分かるかね」
「茶瓶はお茶を飲むとき、薬缶は薬草を煎じるとき」
「じゃ、君の持ってきたのは茶瓶か」
「そうです。しかし、薬草を長い時間煎じることもできますよ」
「鉄瓶は重い」
「茶瓶がないのに、どうやって湯を沸かすのですか」
「ああ、小さいアルミ鍋だよ。お茶を飲むぐらいなら、これで十分、浅鍋はすぐに湧く。電気湯沸かしは故障するし、あれは押すのに力がかかる。しかし、小さいのは良いねえ。保温はできないけど、あれでもいいんだけで、アルミナ鍋が一番だよ。安くて薄いのが早い。この鍋はそれ以外に使わない」
「鉄鍋はミネラルが出て、身体に良いのです。アルミはだめですよ。あれは」
「しかし、茶瓶売りとは珍しいねえ。茶碗売りも珍しいが」
「お安くしておきます。産地直売です」
「基本的にねえ、君、おかしいよ」
「え」
「茶瓶を売って歩く、それも訪問販売、聞いたことがない。何かマジナイでもあるの」
「良く気付かれました」
「やはりねえ。ミネラル以外に、何か良いことがあるの」
「私どもの茶瓶は分服茶釜と言いまして」
「狸が化けるやつか」
「そうです。で、いくらだ」
「無料です」
「え」
「差し上げます」
「それなら、一つもらおうか」
「薬草の景品です」
「ああ、そう言うことか、じゃ、茶瓶屋でも薬缶屋でもなく薬の押し売りか」
「はい、万能薬です」
「じゃ、最初からそう言えばいい。それで、とんでもない値段だろ。その薬草」
「健康が大事」
「大事でも、高いと買えないだろ」
「では、サンプルを置いていきます」
「ほう」
「それで、効能が分かります」
「で、茶瓶は」
「茶瓶はお薬を買われたお客様だけが、無料です。景品です。というより、薬草に付属しています」
「サンプルには付属せんのかね」
「はい、残念ながら」
「まあ、いいけど、それは無理だろ」
「え」
「それを初めてどれぐらいになる」
「この町内が初めてです」
「それで、そのサンプルの詳細は」
「詳細」
「成分だよ」
「それは極秘です」
「失敗するよ。そのセールス」
「いえ、実際に買われたお客様もいます」
「誰だ」
「沢山さんです」
「あれば、ボケとるんだ」
「いえ、しっかりされてます」
「どちらにしても、そんな得体の知れん薬草など飲めん、いらないよ。それに漢方アレルギーがあるから、私は無理だ。漢方薬を飲むと胸が悪くなって、吐き出す。だから、無理無理」
「そうですか」
「私が欲しいのは南部鉄の茶瓶だ。それなら買ってもいいよ」
「そうなんですか」
「最初から茶瓶だけを売り歩いた方がいいよ。しかし、南部じゃないだろ」
「え」
「だから、偽物の、ただの鉄だろ」
「ああ、はい」
「それでもいいから、買うよ。いくらだ」
「しかし、アルミ鍋があるのでしょ」
「いや、偽南部は急須として使う」
「じゃ、クルマから取ってきます」
「よし」
 その後、男は現れなかった。本当にクルマで来たセールスだったのかどうかも疑わしい。
 
   了


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2016年05月14日

2897話 高難度な職種


 小川はイラストエーターで、漫画家で、画家で、映画監督で、バンドもやっており、さらに音楽評論家でもある。最近は写真家もやっている。この中で、抜けているのは、普通の仕事だ。
 それらを一枚の名刺に肩書きとして並べると、一枚では入りきれないか、または文字が小さくなりすぎる。それにどう見ても、これは信用ならん人物のように思われるだろう。
 しかし、普通の人でもイラストや漫画を画く、普通の絵画も画くだろうし、一寸したストーリーぽい動画も写すだろう。歌ったり演奏することも珍しくない。音楽について、色々語るのも、普通の人でもやっている。だから、実際にはこの肩書きは珍しくも何でもないのだ。
 写真家の次は役者も始めた。これは小劇場、アングラだ。役者であり脚本家でもあり、座長でもある。しかし旗揚げのとき他の劇団などに一升瓶を持っていなかったので、弾き出されたが。
 しかし、ここまで盛りが多いと、あなたは誰ですか、何をしている人ですかと聞かれたとき、小川はどう答えていいか、困るのだが、聞いた人に合わせて、職種を選んでいる。
 しかし、そんな多彩でマルチなことをやっていたのは若い頃で、今は手付かずだった普通の会社で、普通のサラリーマンをしている。実は、これが一番難度が高いようで、いくつも会社を変えている。小川の力がないためで、うまく勤まらない。決して気に入らない仕事や職場なので、自分からやめて、他へ行くのではない。やってられないのではなく、できないのだ。
 会社の仕事がこんなに難しいものかと、多芸多才な小川は自信を失った。一般職より、イラストレーターになる方が難しいはずなのに、これは才能があれば、意外と簡単なのだ。
 何の面白味もないことを、毎日毎日繰り返し、仕事にカタルシスはなく、同僚や上役、そして空気、足並み揃え、飛び出さず、引っ込みすぎずの田植えのようなことが、快適なはずはない。そして朝は眠いのに起きないといけない。起きたくなくても。これは難度が高い。
 それなら、元のイラストレーターとかのアーチストに戻ればいいようなものの、こちらは評価を受け、認められたときがゴールで、そこでやめてしまっている。若いときに短時間のうちに、色々なジャンルで頭角を現したのだが、頭の先を出したところで、引いてしまったのだ。これは魅力が消えたためだろう。情熱の問題だ。
 そして今は難攻不落の普通の勤め人の城を攻め続けている。そろそろ定年が近いのだが、この城は落ちないようだ。
 
   了


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2016年05月13日

2896話 廃町の猟奇王


 青柳屋敷のデカメ石強奪予告を出しただけで、茶を濁した猟奇王だが、この実行されなかった予告状が、落ちるところに落ちた。つまり、沢村探偵や少年探偵団へと。
 しかし、その予告状を実際に落としたのは丁稚の少年探偵久松で、拾ったのは正義の使者、怪傑紅ガラス。これで役者が揃った。
 その張本人の猟奇王は、再び青柳屋敷を目指していた。再挑戦ではなく、前回そこへ行く途中、立ち寄った古びた商店街だ。この寄り道で遅刻し、予告状通りには動けなかったのだが、これは最初から青柳屋敷になど行く気がなかったのかもしれない。それよりも、あの商店街が気になるのか、方角は同じだが、寄り道の続きに出掛けた。
 前回は一軒だけ開いている古本屋へ立ち寄ったので、武者小路実篤のお目出たき人の続きを読んでいた。こういう古本屋で読む日本文学は独自の趣があるようで、書斎で読めば退屈する文章でも、ここではスラスラと読める。
 しかし、いくらスラスラでも、疲れてくる。それで、何気なく奥を見るが、誰もいない。客もいなければ店主もいない。これでは万引きのし放題。そして怪人であり、怪盗でもある猟奇王にとり、何の動作もいらない。これは誰でも可能だが、そんなことをしないのが怪人だ。それではただの泥棒。下等犯罪、しかもレベルが低すぎる。
 強盗よりも予告状を出しての強奪の方がレベルは高い。なぜなら警備しているためだ。しかも日時指定ではさらに高い難度となる。そんな猟奇王が万引きなどするはずがない。これは道徳観でも倫理観でもない。歯応えがなさ過ぎるため。
 この商店街、雨戸やシャッターしかない通りだが、古本屋だけは開いていた。しかし、誰もいない。これは気になる。
 古本屋を出た猟奇王は、商店街のさらなる奥へと進む。こちらは未踏地だ。しかし古本屋は商店街の中程にあったようで、すぐに店屋は途切れ、普通の民家がごみごみと密集している場所に出る。しかし、人通りがない。
 尻尾を下げた野良犬が、前方の路地から出てきて、とぼとぼ横切った。小汚い赤犬だ。山賊のような尻尾をし、毛並みの悪さから、ろくなものは食べていないのだろう。
 さらに進むと、そこは貧民窟らしく、小汚い家が抱き合うようにびっしりと並んでいる。木造モルタル塗り、そしてベニヤやトタン、ブリキなどで剥がれた壁を補強しているのか、町並みが茶色く見える。
 猟奇王は、秘境を見た。
 廃村、限界集落があるように、限界町内、廃町だろうか。
 そこは三方を工場に囲まれている。そのためこれが外界からの目隠しになる。幅の広いどぶ川が流れ、また工場の高い裏塀で逆囲みされた城壁。三方は塞がれているので、工場内を通らなければ、ここへは出入りできない。当然道などない。
 猟奇王が入り込んだのは残る一方からで、それも商店街の細い道でしか通じていない。
 黒く煤けた家がいくつかあるが、これは火事だろう。度重なる放火攻撃に耐えてきたのだ。しかし、建物の老朽化が激しいのか、住む人が減り続け、今では数人かもしれない。
 しかし、人の気配はあり、歩行者や、自転車に乗っている人もいる。無人ではない。
 猟奇王は古本屋に誰も人がいない理由は、これではないかと感じた。あの商店街と、この廃町は同じ繋がりの中にあると。
 後ろからガチャガチャと音が近付いてくる。猟奇王はとっさに横に避ける。もう少しで、その自転車とぶつかるところだった。それはアルミ缶を満載した自転車で、乗っているのは怪傑紅ガラス。
 ここは正義の使者紅ガラスの里ではなく、紅ガラスの巣だった。
 
   了


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2016年05月12日

2895話 あの頃


「最近はあの頃を真似てますよ」
「真似ですか」
「そうです。自分自身をコピーしている」
「あの頃とは?」
「あの頃は色々ありましてね。あの頃、その頃と」
「それは何でしょう」
「色々な頃を通過して、今の私があるのですが」
「立派な地位です」
「いやいや」
「さらに新境地を」
「それなんですがね。もう真似る人がいなくなりましてね。ここ最近」
「え」
「だから、私はずっと誰かを真似てきたのですよ。つまり猿真似。しかし、そういう真似てもいいと思うような魅力のあることがなくなった。最近それで、行き詰まりましてねえ」
「そんな」
「それで、真似る人がいないので、自分を真似ることにした」
「それが、あの頃ですか」
「そうです。誰かを懸命に真似ていた頃の自分をさらに後ろから真似ようとね」
「過去の自分を真似るわけでしょ」
「過去の自分は、誰かを真似ていた自分です」
「はあ。じゃ、前に二人いるわけですか」
「そうです。しかし、一番奥の人は他人です。それを真似ていた過去の自分がターゲットです」
「はいはい」
「その、あの頃は多いのです。色々な人を真似ていました。時期にもよりますがね。その中で、特に印象が強かった頃がありましてねえ。あの頃、どうしてそんなものに興味を持ったのかは今でも分からない。いや、自分のことなので、知ってますが、その感情が消えている。だから、なぜそれがよかったのか、もう感覚的には分からない」
「難しい話です」
「いや、単純な話ですよ。良かった時代の自分に向かうのです」
「はい」
「しかし、何が良かったのか、よく分からない。その頃真似ていた人にはとうてい及ばず、すぐにやめましたので、真似切れないで終わったのですが、あの頃が懐かしい。もの凄く伸び代があるように感じましたねえ。その頃の自分を今真似ようとしています」
「それは何ですか」
「戻れないところへ戻る。もう二度と帰れないところに帰ろうとする。これです。これ」
「はあ」
「これで、もう誰かの真似じゃなくなる。私はずっとそれを気にしていましてねえ。今度は誰の真似でもなく、自分の真似なので、人真似の達人とは言われなくなる」
「複雑な構造ですねえ」
「真似る相手は過去の私だが、それが曖昧でねえ。実体がない。だから、私自身でもない」
「はい」
「だから、別の自分を追いかけているようなものだ」
「やはり、難しいお話しですよ」
「あの頃抱いていた誇大妄想のようなもの、あれにもう一度触れたい」
「要するに、昔やり損ねたことを、今、再チャレンジしようと」
「その方が分かりやすいのなら、そう解釈してもよろしいが、実は違うんだ。あの頃の雰囲気が好きなだけでね。何で、あの頃、そんなに熱中できたのか、今思うと羨ましい限りだよ」
「それは上手く行きますか」
「だめなら、また違うあの頃をやる」
「あの頃が多いのですね」
「あの頃の梯子だ」
「はい」
 
   了


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