2016年08月31日

3006話 人面蟋蟀


 夏場は暑くて妖怪もバテるのか、涼しくなると動き出す。蠢き出すと言ってもいい。バッタやカマキリのようなものだろうか。イナゴもそうだ。春に出る虫ではなく、涼しくなってから。
 妖怪博士は妖怪のことばかり考えているので、何を見ても妖怪に見える。実際にはそんなものは見えていないのだが、想像してしまう。その中で、この季節に出るのがコオロギ。漢字で書くと蟋蟀、こちらの方が気味が悪い。
 鈴虫が鳴く頃、このコオロギも鳴いている。庭先や草場ではなく縁の下にいる。蜘蛛と同居していたりする。ヤモリとイモリとカナヘビは区別しにくいが、それらもいるのだろう。蜘蛛は蜘蛛の巣を張るので、いることが分かりやすい。そこに卵などが付いていると、気味が悪いが。
 さてコオロギだがコウモリのように暗い場所にいる。これも漢字で書くと蝙蝠となり、コオロギもコウモリもすぐに書ける人はいないだろう。魑魅魍魎などもそうだ。こちらは虫が鬼になる。
 そのコオロギ、ただのコオロギではなく、顔がある。人面コオロギだ。腰の辺りから蜘蛛になっている蜘蛛女も気色が悪いが、人面コオロギはそれを小さくしたようなものだ。
 このコオロギを秋になると妖怪博士は玄関の三和土で見る。そこに飛び出して来ているのだ。廊下の下に通風の四角い穴が空いており、猫などは入り込めないよう格子が填まっているが、コオロギなら出入り自在。場合によっては廊下を上がり、便所や炊事場、座敷にまで来る奴もいる。
 一番多く見かけるのは便所。床に黒いものがあり、よく見るとコオロギ。そして動かない。下手に動くと目立つためだろう。そしてじっと妖怪博士を見ている。これぐらいの大きさの虫だと人間の存在が分かる。近付くと逃げる。しかし、まだ人が発見していないようなら、そのままじっとしている方が無難なのだろう。見付け次第退治されると最悪だ。だから見付からないように動かない。それに暗い場所にいるので、分かりにくい。色も黒っぽい茶色。闇に紛れられる。
 そのコオロギを見ていると、人間の顔になるらしい。互いに見つめ合っているためだろうか。これはコオロギの妖術にかかったことになる。
 人に見付かった場合、最後の手段で、この術を使うようで、人のようなコオロギは流石に退治しにくいというより、驚いてしまうと同時に金縛りに遭ったような状態になる。その間、バッタ飛びで飛び逃げるのだろう。
 これは妖怪博士が好きな虫系の妖怪だが、ただのコオロギだ。妖術で人面に見えるだけなので、そのコオロギを捕まえても、ただのコオロギだろう。
 妖怪博士の家の縁の下には、まだまだ色々といるようだ。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 09:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

3005話 席取りレース


 中村は決まった時間に喫茶店へ行くのだが、その道での話だ。特に凄い話ではないが、人の動きがある。まあ、外に出ている人は動いているので、珍しくも何ともないが、腑に落ちることがある。ああそうだったのかと。なるほどと、頷けるような。
 中村は同じ時間に行くのだが、多少遅れたりする。そのとき、お気に入りの席が埋まっていることがある。それと道の話が繋がる。
 部屋を出て半分ほど行ったところで背の高い老人を自転車で追い抜く。これは毎朝そうだ。この老人、喫茶店の客で、いつもカウンター席の端に座っている。その老人を追い抜くということは、中村の方が先に店に入ることになる。中村はカウンター席には座らないので、かち合うことはない。
 次に似たような老人だが口髭、これは鼻の下だけコップを洗う細いタワシのようなボリュームのある髭を生やしているのだが、その人とすれ違う。この人は喫茶店とは関係はないが、ほぼ公園前だ。そこに時計があるのだが、いつも同じ時間。だから公園の向こう側ですれ違うと、中村の方が出るのが早かったのだろう。それは滅多にない。その時間だと喫茶店はまだ開いていない。公園の手前ですれ違うと、中村が遅かったことになる。
 その髭老人とすれ違ったところを、今度は青い色の自転車に追い抜かれる。最初は気付かなかったのだが、喫茶店の客なのだ。最近見かけるようになった。自転車置き場にその自転車が先に止まっている。ただ、青い自転車は珍しくない。しかし何度も追い越されると、いつの間にか覚えてしまい、後ろ姿も覚えた。小太りの中年男だ。この男が最近中村が座っている席にいる。一番お気に入りの席に。最近そこに座れないのは、ここで追い抜かれるためだろう。
 また、喫茶店に近付いたとき、その駐車場に車が入ってくる。軽の小さな車だが、そこから老人が出て来るところを見ることもある。この老人、その店で一番の年寄りだろうか。
 つまり、最初の背の高い老人、次は青い自転車の中年男。次は最年長の車。それらを順を追って目撃できる。腑に落ちるというのは、席に落ちることだろうか。それぞれ喫茶店内に着地する。着席だが。
 それに気付いたのは最近のこと。ただの通行人だとしか認識しなかったが、いつも見かける人が、どのような順番で店へ向かっているのかが見えるようになった。
 さて青い自転車に追い抜かれてから、乳母車に犬を二匹乗せ、もう一匹を重そうに引っ張りながらの散歩人や、すぐ近くの家の飼い猫だろうか、足が悪いのか、いつも後ろ足を引っ張りながら散歩している。この猫はこの時間に散歩に出るのだろう。さらに行くと、小さな祠があり、そこに年寄り夫婦が必ずお参りしている。これは散歩のついでだろう。これも一分出るのが遅いとか、早いとかで、見られないこともある。もう祠から離れていたり、祠へ来る途中だったりする。
 他にも色々と行き交う人がおり、定期便のように毎日同じ時間に通過している、その中の三人までが喫茶店内で一緒になるのは珍しい。
 つまり席順は喫茶店までの道で決まってしまう。これはマラソンで一般道路から競技場に戻って来たようなものだ。しかし、ほぼ順位が決まったまま、入ってくるだろう。
 もし喫茶店が広い場合、まだ順位は決まらないことになるが、ドアを先に開けて通過したものが勝ち。喫茶店内には四百メートル走れる余地はない。また店内では一列になるので、追い越せない。
 中村のライバルは青い自転車だが、そのスピードが早い。ここで抜かれると、あの席が取られてしまう。だから部屋を出るのを早くするしかないのだが、そこまでして取りたい席ではないので、譲ることにした。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

3004話 今あるもの


 今あるものは大体昔からある。機能は違っていても、用途は同じとか、目的が同じとかだ。昔は男しかいなかったと言うことはないし、年寄りはいないとか、子供はいなかったと言うこともない。
 写真などなかった時代は絵を画いていた。写真が必要な用途を絵が満たしていた。ただ時間はかかるし、絵描きでないと似せて画けない。ただ、簡単な図などは絵の才が無くても画けた。そういうお手本があったためだ。
 電話がなかった時代は、それほど忙しくなかったのかもしれない。手紙などで間に合うような。または遠方の人でなければ、直接訪ねた方が早かったりする。
 郵便がなかった時代でも手紙を送ることができた。飛脚でなくても、そちらへ行く人に頼めばいい。または伝言のように言付ければいい。文字はいらない。
 これも何日も何週間もかかっただろうが、そんなものだと思っていたし、遠いところとのやり取りはあまりしなかったのかもしれない。
 便利なものが増えると、それだけ用件を早く済ませられるので、用件が増えたりし、昔よりも忙しくなったりする。家電の普及で家事が楽になったかというと、逆にサボれない。例えばたらいなどで手洗いしていた時代、それをやっている時間は長いが、その間、結構のんびりとしていたのかもしれない。ノコギリで木材を切っていた時代、切っている時間は、それなりに安定している。つまり用事をしっかりとしている時間とみなされる。いくら早い人でも、急いでやっても、それなりに時間がかかる。それは安定したひとときだったのかもしれない。さっと電動で切れてしまうと、次のことをしないといけなかったり、切る数が増えてしまう。そのため、早くできるがテンポが早すぎて休めない。
 仕事をしているときが休んでいるようなもの、ということではないが、非常に安定した時間を過ごしていたのではないかと思える。当然単純な作業なら、手先などがもうオート状態になるので、他のことを思いながら、淡々と用事を楽しんでいた可能性もある。いいペースで仕事ができているときに限られるだろうが。
 今、のんびりと手作業で、アナログ的なことをやっていると、非常にペースが遅くなり、逆にサボっているように思われるかもしれない。全体のテンポやペースが上がってしまったので、そう思われてしまうだろう。昔でも遅い職人がいたかもしれないので、何とも言えないが。
 そして、ネット時代。これは昔はそれほど必要ではなかったのだろう。今も必要としない人が結構いる。
 情報がどうのという話になるのだが、本当に必要な情報がネットでどれだけ取り出せ、また調べられるのかは、やや疑問だ。大きな百科事典のようなものに、簡単にアクセスできても、賢くなったとは限らない。多くの情報を知っているからといっても、同じことで、逆に迷ってしまったり、混乱したりする。
 合ったこともない人達と交流するのも、ネットの楽しさだが、それがなかった時代、文通とかがあった。手紙なので短い文章ではない。しかも手書きだ。結構時間がかかる。そういう手紙をしたためているとき、その間、時間もかかるのだが、書きながら相手や自分のことに時間をたっぷり使っていたのだろう。書きながら自分自身を整理しているようなところもあるだろう。ただの情報伝達や、コメントではなく。
 まあ、そんな時間があった時代の話で、今、手紙をじっくりと書くようなことは殆どない。しかし電話やメールやネット系のそう言ったものがなかった時代は、別の方法を使っていたのだ。
 だから、今あることは、昔からある。ものや方法が違っているだけのことだろう。
 そして、今やっている便利な仕掛けも、かなり経過すると、もの凄く古くさいことになり、誰も使っていなかったりする。電報のように。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月28日

3003話 地蔵盆


 地蔵盆の頃、その夕方に提灯がほんのりと灯る時刻、岸和田は川沿いの祠の前を通った。偶然だ。この道を通ることは先ずないのだが、少し枝道に入ったためだろう。それは何かの導きかもしれない。この地方では方々で、地蔵盆が行われている。だから珍しくはないが、それがいつなのかまでは覚えていない。偶然やっているのを見る程度で、今年もそれを見たことになる。
 それほどお地蔵さんを祭った祠が多いのだろう。見に行くつもりはなくても、通りを歩いていると、遭遇する。
 その日は裏道を歩いていた。地蔵盆を見るのは、今年二回目で、それは別の場所。
 しかし、その地蔵盆は不思議と無人。誰もいない。無人と引っかけるわけではないが、無尽講と似ている。これは近所の人同士がお金を融通しあう組織だ。無尽にお金が借りられるわけではないが。これを頼母子講とも言う。
「そこの人」
 無人だと思っていたのだが、提灯で隠れて見えなかったのだろう。老人がいる。
「まあ、参っていってくだされ」
「はいはい」
 この近くに住んでいる人だと思われたようだ。今はこの辺り、昔から住んでいる人より、引っ越して来た人の方が多い。岸和田も少し先のワンルームに住んでいる。たまに古い街並みを見たくて、裏道に入る。
「お地蔵さん、実は閻魔さんの化身なのです」
「あ、そうなんですが、優しくて慈悲深いお地蔵さんと、怖そうな閻魔さんとは水と油なのでは」
「いや、閻魔さんは怖い人じゃないのです。この人が一番公正中立な人です。だから裁判長にはもってこいです。悪事も見破るが、いい事をしたことも分かっていらっしゃる。依怙贔屓しない。先入観でものを見ない。客観的にきっちりと判断される。過去を見る珠がありますからね」
「あ、はい」
「だから、閻魔様の前では嘘はつけない。全てお見通し。しかし、そのお姿が怖い。だからお地蔵さんの姿になって出てくるのです。まあ、出て来ると言うより、閻魔像ではなく地蔵像を人が置くわけですがね。閻魔堂は閻魔堂として、別にありますが、やはり怖い。だから人気がない」
「じゃ、お地蔵さんも実は怖い人なのですね」
「そう露骨には出ないだけですよ。慈悲がある」
「はい」
「貸すときは地蔵顔」
「何ですか」
「お金の貸し借りですよ。それはお困りでしょう。貸して差し上げます、と来る」
「いい人ですねえ。優しいお方だ」
「ところが返さないとなると、閻魔顔になって取り立てに来る」
「はあ」
「地蔵顔と閻魔顔、これはセットものです」
「貸す側だけじゃなく、借りる側もそうですねえ」
「そうそう。借りるときはいい顔をするのに、催促されると嫌な顔をする」
「はい」
「閻魔さんはあの世へ行ったとき、真っ先にお世話になるでしょう。そこで色々と取り調べられる。お地蔵さんもあの世とこの世を繫いでおられる。だから、同じものなのですよ」
「なるほど」
「まあ、ついでだから、拝んでいきなされ、年に一度のご開帳です。普段は格子が入っていて、よく見えないでしょ。それに中は暗い。地蔵盆のときだけ、格子を開け、灯明も入れていますから、お地蔵さんもよく見えます」
 岸和田は言われるままに、小さな石仏を見た。何かで白塗りされており、真っ白なお顔で、そこに子供が画いたような目鼻が付いていた。
「古いので、お顔がもう消えていますのでね、何処が目か鼻か分からないので、画いたのですよ。ただし、これは大人が画くのはだめ。子供でないとね。大人が画くと邪鬼が入ります。それにお地蔵さんは子供がお好きだ。それで無邪気な子供に画かせたのですが、これがまた絵が下手な子でねえ。あれじゃへのへのもへじですよ」
「はい、怖くなくていいです」
 閻魔や地蔵はいないかもしれないが、それらに近いものを世の人は知っているのだろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

3002話 ハマグリの妖怪


 地方都市と言うほどでもないが、それなりに平野部があり、豊かな土地だ。田畑や丘が程良く混ざり合っており、高校野球の名門校などもある。また有名な劇団、これはアングラ系だが、その本拠地もある。さらに大きなショッピングモールもあり、そこだけはこの都市の城下町よりも賑わいだ。土地が広いだけに、敷地もだだっ広く、テニスコートが何枚もあり、広々とした駐車場、それに公園も広い。
 妖怪博士は高校野球も、劇団にも興味はないが、そういう説明の仕方は、この依頼者だけの印象かもしれない。
 ハマグリの妖怪が出るらしい。有り得ない話だが、仕事なので妖怪博士はその田舎町に降り立った。しかし、決して田舎ではなく、都会にあるようなものは殆どあり、それプラス土地の名物なども並んでいる。どうやらここはハマグリで有名なようだ。ハマグリは結構身が大きな貝で、焼きハマグリだと貝殻がそのまま鍋になり、皿になる。そうやって食べやすいようにできてている貝ではないが、大きさが丁度いい。このハマグリの貝殻に絵を書いたり、貝割り遊びや、貝合など、昔から食べること以外でも使われていた。
 さて妖怪だが、海辺や河口に出るわけではない。もっと内陸部の平野の奥だ。農地や丘陵がまだまだ残っているが、少し古い住宅地もある。農家ではない。そこに焼き場があり、その周辺は墓場が拡がっている。当然、ここでの火葬はもう昔のことで、今は焦げ臭そうな四角い煙突と、建物が廃墟のように残っている。妖怪が出るにはもってこいの場所だ。しかし、ここではなく、その周囲にある原っぱに出るらしい。周りは小さな家々が立ち並んでいるので、一寸した空き地だ。田圃はこのあたりにはない。元々は大工場の社宅群だったのではないかと思える。
 妖怪博士が通されたのは、その有名な劇団の稽古場だった。依頼者が実はここの出身者なので、始終遊びに来ているらしい。売り出し中の女優がおり、この子がやがてスターになるだろうと、見ているようだ。
 実は妖怪ハマグリの目撃者は、ここの役者達だった。
 墓場の近くに原っぱがあるのは、土地が売れないためだ。墓に近すぎるためだが、焼き場の建物が不気味で、そんなもの毎日見ながら暮らしにくいだろう。しかも古い。
 稽古場がここにあるのは家賃が安いため。
 さて、ハマグリの妖怪だが、これはもうモンスターだろう。大きすぎる。人が乗れるほどのハマグリが、開いたまま草むらの中にいるようだ。最初から死んでいるのだ。さあ、食べて下さいと、蓋を開けているようなものだが、簡単に開くものではない。流石に焼きは入っていないので、生ハマグリのまま。
 問題は原っぱだ。売れないので更地のまま放置していると、雑草が生え、原っぱになった。そこだけ人の気配はない。
「街中にある淋しい場所は妖怪が出ると同時に、痴漢も出ます」これが結論だ。
 そしてハマグリがいけない。それで、全て分かってしまうだろう。
 原っぱの中にぱかっと開いた巨大なハマグリ。そういう印象を受けるようなものを劇団員達は見たのだろう。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 10:30| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月26日

3001話 俄雨


「急ですねえ」
「俄雨、通り雨だから、足が速い。すぐにやみますよ」
「はい」
「私がこのようにして雨宿りをするのは何年ぶりだろう。三年ぶりかもしれない。いや、四年ぶりだろうか。丁度、この高架下。前回もそうだった。凄い偶然だとは思わないかね。俄雨、こいつはいつ降るか分からない。降り出す気配は分かるかもしれないが、降り出すまでは雨宿りはしない。降っていないのだからね。今日のようによく晴れて暑い日、青空も出ているが、少し黒っぽい雲も浮いている。これは用心に超したことはないが、だからといって降る前から雨宿りはおかしい」
「はい」
「四年前、ここで雨宿りをした。そのときは自転車だったけどね。俄雨にしては長かった。何人かが同じように雨がやむのを待っていたが、少し小雨になったとき、飛び出す奴もいた。しかし、すぐにまた雨脚がきつくなった。あれはフライングだね。そんなことがあったのを思いだしたよ」
 無精髭の中年男が長い話を始めたが、それを聞いている青年は、もしかすると、これは長い独り言ではないかと感じた。そういう人がいる。しかし、まだ判断が付かない。
「この先に支所があるでしょ。市役所の。そこに印鑑証明を取りに行った。それが三年前か四年前の話だ。何に使ったのは忘れてしまった。もしかしていらなかったのかもしれない。何かの書類を出すときに必要だったんだが、それを出さなくてもよくなったのかもしれないねえ」
 青年はまだ判断しかねた。
「支所は年寄りが多い。来る人じゃなく、支所の人だ。昔のように偉そうに役人面する奴はいなくなったが、処理が遅い。新米も多いねえ」
 青年は屋根の樋から溢れる雨水を見ていた。そして相槌を一切打たないことにした。
「私はこう見えても、以前は青年実業家としてならしたものだよ。家も豊中に建てた。芦屋より、豊中だよ、君」
 青年はほぼ確定した。これはモノローグだと。つまり長い独り言なのだ。
「あ、雨がやんだようだね。そろそろ私は行く」
 無精髭の中年男は高架下を出た。
 青年もつられて出ようとしたが、雨はまだ本降りで、飛び出せない。
 雨はやんでいない。
 中年男は濡れ鼠のようになりながら、煙が立ったような雨の中に消えていった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:21| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月25日

3000話 老婆の散歩者


 町内の散歩者が散歩者を発見した。散歩者は散歩者を知る。だから、それが散歩者であることがすぐに分かる。当然相手も。
 町内の散歩者とは、住宅地などを歩いている人で、特に散歩コースとしては良い場所ではない。二人はすぐに合流した。珍しいからだ。二人共この町の人間ではない。
 つまり町内の散歩者の殆どは犬の散歩か健康のため、決まったコースを歩いている人で、犬にとっては散歩というより仕事かもしれないが、飼い主にとっては散歩とは言えない。似たようなものだが、犬は犬なりに行きたいところがあり、飼い主をリードし、引っ張って行く。そして行きたくない場所や方角には行かない。飼い主が引っ張っても、全部の足でブレーキを掛ける。小さい犬なら、そのままソリのない犬ゾリのように引きずられていくが、途中で諦めて、飼い主に従うことが多い。
 健康のため歩いている人も、散歩とは言えなくはないが、運動着を着ている人が多いのと、決まったコースを歩いている。当然町内の人で、近くの人だ。
 そのため、本物の散歩者を見かけることは先ずない。これは不審者扱いになるためで、見かけない人、挙動が怪しい人とされ、不審者情報としてメールを飛ばされたりする。
 さて、この二人、正統派の散歩者なのだが、今の町内ではただの不審者。これは場所がいけない。店があるとか、催し物会場があるとかでないと、目立ってしまう。
 今風な家が建ち並んでいても、そこは村なのだ。
「久しぶりに散歩者を見ましたよ」
「私もです」
「この町内は初めてですか」
「いえ、三度目です。まだ見て歩く場所が残っています」
「それは丁寧なことで」
「いえいえ」
 こういう不審者に近い散歩者も二人集まると強い。そこに場ができる。グループというのは強い。たとえ二人でも。
 この二人が歩み寄ったのは、そのためだ。
「先日女性の散歩者を見かけました」
「ほう。それは珍しい。町内の人じゃないのですか」
「いや、お婆さんですが、結構遠くから来ていました」
「ほう、それは珍しい」
「すぐにそれと分かったのはカメラです」
「カメラ」
「首からカメラをぶら下げていました。観光地でもない、ただの町内です。だから、それだとすぐに分かりましたよ。そしてそのカメラ、小さなミラーレスです」
「少し高いやつですか。コンパクトカメラよりも」
「そうです。レンズを交換できます。そして、そのお婆さんにぴったりなんです。普通のお婆さんじゃなく、散歩者としてのお婆さんのアイテムとしてね」
「そうなんですか」
「程良い軽さと大きさ、しかもレンズにはフードが付いています。これは散歩カメラを分かっている人です、レンズキャップではなく、フードを付けるのが正しいのです」
「はいはい。私もたまにぶら下げます。意味はご存じですよね」
「はい、犬の散歩の犬と同じです。可愛いカメラをぶら下げていると、目的にある人だというバッヂを付けているのと同じです。だから、そのお婆さんも怪しい老婆だと思われないように、首からそれをぶら下げ、両手でぶらぶらしないように保持していました」
「あのう」
「どうかしましたか」
「小柄なお婆さんでまん丸の眼鏡を掛け、ピンク色の帽子をかぶっていませんでしたか」
「はいはい、あなたも見かけましたか」
「いえ、見たことはありませんが雑誌で見ました」
「え」
「有名な写真家ですよ。もう引退されているかもしれませんが」
「ほう」
 本物の散歩者の中には、こういった名士がたまに混ざっている。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 10:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

2999話 真夏の狂気


 寒い国、または冬の思考と暖かい国、または夏の思考とは違う。一人の人間の思考は変わらないが、嗜好は変わる。冬場なら食べられるが、真夏は食べる気がしない料理もある。嗜好は四季により、変わったりする。しかし、思考となると、それほど変わらないが、そのアタックの仕方が多少違う。
 冬の思考は重く深く、論理的。夏場になると暑苦しくなるので、面倒なのか短絡的になる。ショートカットだ。省略していきなり結論を出したりする。その過程がないわけではないが、少ない。これはエンジンや回路が熱だれし、あまりエネルギーを使いたくないのかもしれない。それでなくても脳は省エネが好きなようで、本当は頭など使いたくないのだ。血が頭ばかりに行きすぎると、他が疎かになる。
「夏の発想ですか、竹田君」
「はい、意外と夏場の方がよいのではと」
「ほう、夏は勉強には向きません。だから夏休みがあるのです。暑くて能率が悪いためです」
「冬の闇より夏の闇の方が深いように、思考も深いのです」
「ほう」
「論理的ではないところへいきます」
「それは暑くて辛気くさいことを考えるのが面倒になり、途中で、投げ出しているだけですよ」
「そこですよ。その投げ出してからの世界が、夏の闇です。ここで実はとんでもないことを思い付いたり発見したりするのではないかと思うのです。論理のバリケードを超えて、いきなり到達するような」
「竹田君」
「はい教授」
「今日のように暑い日は、そういう頭になるものです。今のその発想自身、それなんです」
「ああ、そうですねえ」
「だから夏場はオーバーヒートを起こしやすいので、休んでいるのがいいのです。停止させている方が」
「はい」
「それに、そこを強引に押し進みますと野蛮か狂気になります。真夏の狂気です。これは狂ったも同じ」
「ですから先生、その夏の狂気にお宝が」
「え」
「非常に危険な状態だと思いますが、そこに飛び込まないと掴めないような、あるいは論理的に有り得ない選択をし、しかし実際には可能な選択肢へアクセスできたりします」
「危ない危ない竹田君。もう狂っているじゃありませんか。頭、痛くないですか」
「痛くありません」
「それで、どういう世界を垣間見たのですかな」
「はい、理屈で考えるのが暑くてつい面倒になり、刹那的に、適当な試みをしました。すると、その世界はもの凄く拡がっていて、まだまだ奥があり、非常に豊かな世界が、その先にあるように思えたのです。宝の宝庫のような」
「詰めが甘いと言うより、何も詰めていない。それはただの幻想です」
「そうなんですか」
「邪魔臭くてもしっかりと筋道を立ててコツコツと研究を続けなさい」
「あ、はい。しかし頭が朦朧とするほど暑いとき、ふと浮かんだあの世界は何だったのでしょう」
「論理から外れると一瞬自由になれますが、その先は何もないのですよ竹田君。これはお病気です。暑さにやられたのでしょう」
「はい」
「ただの暑気あたりです。大層に言うほどのことじゃない」
「だから、僕の部屋のクーラー、早く直してください。ぜんぜん冷えないのです」
「それを言いたかったのかね」
「かなり遠回りをしました」
「うむ」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:19| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

2998話 お留めさん


「お留めさんが出ました」
「おとめさん?」
「はい」
「お富さんではないのですか。死んだはずだよお富さん」
「いえ、そうではなく、お留めさんです」
「留子さんですか」
「いや、性は分かりません。神様のようなものですから」
「ほう」
 妖怪博士も見当がつかない妖怪だ。しかし神と言っているのだから神聖なものかもしれない。
「そのお留めさんが出たのですかな」
「はい、出ました」
 神なら出たとは言わない。だから化け物が出たのだろうか。
「そのお留めさんは何をする人ですか、いや妖怪ですか」
「妖怪かどうかは分かりません。見えません」
「見えないのに、どうして出たと分かるのですか」
「止められたからです」
「それでお留めさんですか」
「そうです。ある商品を買いに行ったのですが、売り切れていました」
「はあ」
「それで、別の店へ行くと、飾ってあったので、買おうとすると、在庫がないと言われました」
「ほう」
「それで、また別の店へ行くと閉まっていました。その日に限って臨時休業です。滅多に休まない店なので、一応年中無休なのに」
「はい」
「それで、少し遠いですが、そこへ向かおうとしたとき、足の裏が痛み出したのです。これは魚の目です」
「お留めさんの話でしょ」
「今、しています。止めに入られたのです」
「何を」
「ですから、買うのを」
「ほう」
「それを私はお留めさんと呼んでいます。これが出たのですよ」
「でもあなた、それでも買いに行こうとしてたのでしょ」
「はい、最初の店で売り切れたとき、まあ、なくてもいいかと思いました。それほど必要な物ではなく、あれば楽しい程度のものですから。その売り切れが先ず来ました。これは分かりません。次の店で在庫なしで、来たのが分かりました」
「何が」
「ですから、お留めさんの仕業だと」
「ほう」
「魚の目が痛み出したのは、さらに止めに入ったわけでしてね」
「でもあなた、それでも止まらなかったのでしょ」
「はい、一寸びっこを引きながら買いに行きました」
「今度はどうでした」
「店は営業していましたし、在庫もありました。お留めさんも流石に諦めたようでした」
「買って帰られたのですかな」
「いいえ」
「どうして」
「急に欲しくなくなりました。それで、何も買わないで、すっと帰って来ました。戻り道は魚の目も痛くなかったです」
「じゃ、お留めさんではなく、御自身で止められたのですね」
「まあ、お留めさんの顔を立てようと」
「ほう」
「危ないとき、その手前で、このお留めさんの警告で、何度か助かったことがあるのです。無視し続けると、お留めさんが機能しなくなりますからね」
「はい、分かりました。しかし、どうしてそれを私に」
「妖怪博士なら、こういった不思議な話を信じてくれると思いましたので」
「ここへ来る前にお留めさんの警告はなかったのですか」
「はい、ありません」
「きっと、そのお留めさん、あなたを守っているのでしょうなあ」
「そうだと思います」
「またある日のことですが、友人が飲みに誘ってきたので、行こうとすると、お留めさんがまた何かをやり始めたのです」
「一つで十分です。もうお話は伺いました。よかったですねえ、ということで終わりましたよ」
「田舎で法事がありましてねえ、このときも、お留めさんが」
 この人を止めるお留めさんは、このくどくしつこい話をいつ止めにかかるのだろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

2997話 裏盆


 お盆のことを盂蘭盆(うらぼん)という。これは仏教が伝わり、それを広めていった推古時代から宮廷で行われていたらしいが、それ以前からこの季節、精霊や先祖の霊などとの交流のための行事があったらしい。精霊流し、果物や野菜、なすびなどに爪楊枝や割り箸のようなもので足を付けて、それを霊と見なし、あちら側へ送り出すような行事だ。しかし、この季節にやるそういったものを単にお盆といい、盂蘭盆などと大層な言い方は普通の家ではしない。さらに今では正月休みに対しての盆休みとなっている。そのため、お盆のニュースは帰省ラッシュがどうの、戻りのUターンラッシュがどうのとかになり、お盆の行事そのものも盆踊り程度になっている。
「裏盆」
「そうです。裏戎があるように、その翌日にあります。しかしこれは行事ではありません。つまり何等かの行事が終わった翌日に、その裏とも言える行事があるのですが、裏盆は行事ではありません。残留です。残り香です」
「残留」
「送り火で先祖の霊か何かは知りませんが、あちらへ戻られるのですが、その便に乗らなかった霊がいます。まあ、あちらへ行く長距離バスや飛行機があるわけじゃないのですがね。そして乗り遅れたわけではなく、出立を遅らせているだけです。まだ未練と言いますか、やることが残っていたのでしょうねえ。または気になることがあり、それを見てから行くのでしょう」
「どういう世界なのかはさっぱり分かりません」
「目に見える形があります。それがこの裏盆堂です」
「え、ここはただの地蔵盆の祠じゃないのですか」
「地蔵盆も盆、だから相性がいいのでしょう、数日ここで滞在します。まあ宿ですなあ。本来なら子孫達のいる家に滞在するのですが、もう見送りが終わった。見送られたあとなので、引き返せません。ただ、どの地蔵盆の祠でもいいというわけではありません。そこにはお地蔵様がおられますからね。そのため、お地蔵さんがいない祠に集まります。残留部隊がね」
「放置状態の祠とかですね」
「そうそう。空の祠です。そう言うところで裏盆が行われているのですよ。これはですねえ、送る側もまだ未練があり、もう少しいて欲しいと願う人がお参りに来ます。この行事を裏盆と呼んでいます」
「しかし地蔵盆などやる地域は限られているでしょ。京都の町内なんかではよく聞きますが」
「だからそれは田舎の水神様の祠でも何でもいいのです。ただしお稲荷さんはだめなようです。これは相性が悪いのです。ご先祖さんの霊とね。あれは一種の氏族神のようなものですから」
「あ、はい」
「そして、この祠、普段は放置状態です。中に何も入ってません。祭るものがないのです。石でも何でもいいのですがね。近くに信心深いお婆さんがいないわけじゃない。その証拠に裏盆の頃だけは飾り付けされ、お供え物や供花もあります。これが裏盆なのです。祠が急に仏壇になるようなものです。特に山の登り口近くにある祠がよろしいようで、霊の帰り道に当たるようです。そしてあちらへ戻らないで、ここで二三日滞在します。それを知っている人がお参りに来るのです。送り火のあとは淋しいですからねえ。この裏盆は朝からずっとやっています。祭りの後の余韻のようなものでしょうなあ」
「よく分からない行事ですが」
「いやいや、こういうものは当人達が納得できれば、何でもいいのですよ」
「しかし、そんな裏盆、本当にあるのですか」
「何事にも表があれば裏があります」
「はあ」
「あるようでないような、これがいいのですよ。これが」
「ああ、はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:49| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

2996話 土地の神様


「土地の神ですか」
「そうです」
「それを調べておられると」
「そうです」
「土地の神って何でしょう。鎮守の森の神様のことかな」
「村の神様ではなく、村ができる以前からいる神様です」
「ほう」
「しかし、それは誰だか分からない。だから、家を建てるとき、地鎮祭をしても、土地の神様が分からないので、祭るべき神が分からない。それでも必ず地鎮祭はする」
「それで土地の神様を調べておられるのですか」
「その殆どは名がない。土地の神様と言うだけ。名がある方が逆におかしかったりする。その地の神社の御神体が土地の神になることもある」
「なぜ地鎮祭をするのでした」
「ああ、土地の神様は領主のようなものだ。持ち主。元々は神様の土地。そこを自分の土地にしたり、そこに住むとなると、挨拶が必要だろう。挨拶がなければ、怒って、ろくなことにはならない。勝手に人がそこを占領するようなものだからね」
「挨拶だけでいいのですね。それだけで済むのですか」
「ああ、簡単でしょ。特に反対はしないようです。挨拶をしないと、祟ったり怒ったりする。それじゃ住めたものじゃない」
「その土地の神様を調べているのですか」
「ああ、土地の神だけに、土地土地にいるようだが、その範囲が分からない。おそらく地名の一番小さな呼び名ごとにおられるのかもしれないが、曖昧だ。地名のない場所はないが、それは人が付けた地名。これで区切るしかない」
「はい」
「地神とはまた違うのですか」
「地神とは氏神のようなもので、一族単位。土地とは関係はないが、長くその一族が住み続ければ、土地の神と混同しやすくなる。まあ、そのときの地神は大概は村の神、村の氏神様として鎮守の森に祭られておる。土地の神とはそれではない。村ができる前からいる」
「地霊のようなものですか」
「それに近い。地神とは管轄が違う」
「はい」
「土地の神、これを島の神と言い換えれば、分かりやすい。区切りがいいからな」
「はい」
「地神や氏神とは違うのは、同じ村に複数の氏神がいたりする。出自、氏が違うためだ。今なら、もっとばらばら。新興住宅地などがそうだろ。だから村の神様では括れない。また村などなかった場所にできた町も多い。埋め立て地もそうだ。だから、この土地の神様は便利なのだ。地面さえあればそこにいる。海底にもいるかもしれないが、そこは海の神の領域となる」
「では、土地の神とは何でしょう」
「土地によって水が変わる。それに近いかもしれない。君の言うように地霊に近いかもしれないねえ」
「はい」
「形もなく姿もない。名もない。土地の神様とだけでは名前とは言わないだろう。しかし、挨拶をしないと祟る。怒り出す。分かっているのはこれだけ」
「その土地の親分のようなものですねえ」
「神というのは祟る」
「地鎮祭などしないで、掘っ立て小屋を建てて勝手に住んでいる人もいますよ」
「自分の土地ではないだろう。それに野宿に近い」
「ああ、はい」
「その土地の神様、かなり古そうですねえ」
「しかし、今も健在。地面に何かを建てるときは、建物でなくても必ずやっている。ここに日本の神様の秘密があるように思う」
「はい」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

2995話 当たり前のもの


 今まで当たり前のように使っていたものがなくなると、急に不便を感じる。指の先が一寸痛いだけでもそうだろう。普通に物を掴んだりしにくくなる。また普段使っている物がなくなり、それに代わるものがあったとしても、以前よりも不便を感じる。
 そして当たり前のようにしてあったもの、使っていたもの、機能していたものの有り難みを感じるのだが、日々の平和な暮らしと同じで、あまり価値があるようには思えないものだ。なくしてから分かることなのだが、なくさなければ分からない。そしてそんなことは普段想像だにしなかったりする。
 当たり前のようにあるもの、それは数え切れないほどある。そのため、そのいちいちを心配していたのではきりがない。当然他にも考えることがあり、普段は重要だとは思わない。しかし重要なことでも、この基本的なものがないと、身動きできなかったりする。指の先もそうだが、足の裏が痛くなれば、歩くのに往生するだろう。重要な目的場所へ行くにも、足がしんどくなる。
 だからといって普段から当たり前のようにあるものを大事にするというのは、余程の人だ。ただ、そういうのが習慣になっている人もいる。
 部屋で取り出した物を、元に仕舞わないで放置する。いつもの場所にない。仕舞えば良いだけのことで、これは習慣だろう。態度、身のこなし、そういうことでお里が知れるとよく言われた時代もある。今なら、その里など、何処にあるのだろうかと思うのだが。
 飲食店などでおしぼりが出ても、使わない人がいる。使う人も何処まで拭くかだ。さらにそのあとのおしぼりを綺麗に畳む人と、そのままばらけたままの人。畳んだ人はテーブル上での置き場所まで考えている。こういうのは演技でできるが、意識していないとだめだ。また、一人でいるときも、綺麗に畳む人もいるはず。誰も見ていなければ、適当という人も。
 そういう人柄の問題ではなく、当たり前のようにできていたことができなくなると、日常のペースがやや乱れる。一つのことをするのに、倍以上時間がかかり、一日が短くなったりする。
 その当たり前のこと、壊れたものを買い直せば元に戻るような話なら簡単だが、戻らない場合もある。
 年寄りはできることが減っていくが、それは徐々なので、何となく納得できるし、日常のペースが遅くなっても、これも当たり前のようになる。
 そういう重い話ではなく、普段、当たり前のように使っていた物がなくなると、如何にそれが快適なものだったのかと改めて思うだけの話だ。その快適さが普通になっており、当たり前になっていたのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:46| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

2994話 お盆のお婆さん


 坊主と妖怪博士はお盆になると忙しい。師走は師も走る。先生のことだ。先生もこの季節、なぜか走らないといけないほど慌ただしい。先生でも、なので、誰もが忙しい。
 お盆は坊主が走るが、スクーターが多く、足で走っている姿はあまり見かけない。年に一度だけお寺さんを呼び、お経をあげる家がある。月に一度の月参りもある。どちらにしても住宅地の中の狭い道などを移動するので、クルマよりスクーターが好ましい。一応和服なので、オートバイや自転車は避けたいだろう。それに荷物もある。 
 妖怪博士が忙しいのは怪談シーズンのため。お盆と言えば怪談と決まっていた。また、お盆興行の見世物などが出ていた時代もある。
 その日、妖怪博士は寄席に出ていた。芸人のように。場所は画廊で、その展示スペースで落語や講談を定期的にやっていた。当然この季節なのでお題も怪談物になる。そのついでに妖怪博士も呼ばれ、妖怪講座のようなものを開く。その帰り道の話だ。
 一人の坊主が路地から飛び出して来た。何だと聞くと、出たという。
「出たのですかな」
「そうです」
「この季節なので、あれですかな」
「そそそうです。この路地の奥にあるお宅で」
「まあ、お盆なので、ご先祖が帰って来ているのでしょ」
「そんな呑気な話じゃありません」
「呑気」
「そんなの誰も本気で信じていませんよ」
「坊主でも」
「多少は感じるものがありますし、いるものとしてお経を上げていますが、何処にいるのかは分からない。つまり、仏壇を見ていますが、そこじゃなく、その家の座敷にいるのかもしれませんしね。それでふっと振り返ったのですが、そこに」
「いましたか」
「座っていました、お婆さんが。それまで家の人が何人か後ろで一緒に拝んでいたのですが、スーと水が引くように消えたようです。退屈したのでしょうか。しかし、お盆のお経は短い目ですから、すぐなのに。それで、人の気配がないので、後ろを見ると、いるのです。お婆さんが」
「その家のお婆さんでしょ。家族の人でしょ」
「あとで聞くと、その家にはお婆さんはいない」
「はあ」
「それで、慌てて逃げるように飛び出したのです」
「だから、お盆なので帰って来ておるんだから、いても当然でしょ」
「それは一応話ですよ。小さな家なら先祖だらけで足の踏み場もない」
「それは今の話ですかな」
「そうです。今の今。最前です」
「じゃ、戻ってみましょう」
 その家へ坊さんは妖怪博士と一緒にもう一度訪問した。家の者は忘れ物でもしたのかと思ったようだ。
 坊さんは玄関から奥を見て、目を瞑った。
「います」
 妖怪博士はその老人を観察した。
「お坊さん」
「はい」
「あれはお爺さんです」
「え」
「お婆さんはいないけどお爺さんはいたようですな」
 怪談はしばし笑い話になる。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:01| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月18日

2993話 闇のお盆道


「今年のお盆は暑いですなあ」
「そうですねえ。いつもなら、この頃から涼しくなるのですが」
「当分、この暑さは続くようですよ」
「異変でしょうか」
「さあ、とんでもないほど暑い夏じゃなかったけど、長引きそうですよ」
「何が」
「だから暑さが」
「ああ」
「いつもなら、お盆の頃の日差しが好きでしてねえ」
「暑いですよ」
「そりゃまあ、暑いことは暑いですが、日影とのコントラストがいい。濃い闇ができています。日影だけ、まるで夜のように」
「そうは見えませんが」
「いや、お盆の時期だけです。そう見えるのは、盆が過ぎると、その闇も薄くなります」
「ほう」
「これを盆の闇と呼んでいます」
「誰が」
「私がです」
「はい」
「お盆は先祖が帰って来ます。だから、そんな闇ができるのでしょう」
「どうしてですか」
「ご先祖様は昼間、外に出ない。また、帰って来るのも戻るのも夜になってから」
「はいはい」
「それで、昼間帰ってくる霊は日影を歩く。それがただの日影ではまだ明るい。だから夜のような暗さが必要なんです」
「それは何かの言い伝えですか」
「いえ、私が考えました」
「あ、はい」
「迎え火で戻ってきたご先祖さんだが、二泊ほどするのでしょうかねえ。送り火まで間がある。当然昼間も。だから、家の中でじっとしないで、散歩に行く人もいる。そういう人が移動しやすいように日影があるのです。また、この頃、真夏に比べ、影は少し伸びています」
「じゃ、日影のある通りじゃないと、無理なんですか」
「暑いし、眩しいんだろうねえ」
「はい」
「それで、お盆の間だけ日影が闇のように濃くなるということです」
「はい、よく分かりましたが、それより、今年のお盆は暑いです。日影があっても」
「ないよりましでしょ」
「そうですねえ」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:33| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

2992話 隣の客


「隣の客はよく柿食う客だ」
 早口言葉だろうか。それほど難しくはない。しかし、その状況は難しい。非常に難解で、難しい設定ではないが、隣の客がよく柿を食べているという状態を何人の人が体験しただろうか。日常会話にも出てこないし、また物語にもなかったりする。こういうシーンを本当に見た人はいないのではないか。柿をよく食べる人はいる。庭に柿の木があり、それが渋柿でなければ、食べ放題なので、かなり食べるかもしれない。よく柿を食べる人はいるにはいる。それが隣の人だったとしても問題はない。見たのだろう。または聞いたのだろう。
 しかし、問題は、隣の客だ。これはどんなシーンだろう。お隣の家を訪問した客なのか、旅館などの隣の部屋の人なので、客なのか。
 ここで客が出てくるのは柿と引っかけるためで、語呂が先行している。事実よりも。それで難解になる。設定としては非常に難しく、また第三者からの視点なので、どうしてそれを知ったかだ。
 旅館の人の視点だと、隣という言い方がおかしい。隣の宿ならいいが。客同士ならいける。乗り合い馬車に乗り合わせた隣の客などもある。
 これは事実を見て、あるいは何等かの想像で、生まれたシーンではなく、柿なので、客なのだ。それが先ず来る。だから誰も体験したことのないシーンになっている。しかし、有り得ない話ではない。乗り合い馬車やフェリーの座敷の自由席で乗り合わせた客が柿を何個も食べていたりすると、成立する。これも隣の客だ。横の客だが。
 当然映画館や芝居小屋で、隣の客が柿を何個も食べていると、隣の客はよく柿食う客だと思う。一つではなく二つ以上だと。だが、映画館で柿を食べている人は非常に珍しい。ないとはいわないが、滅多にない。乗り物で蜜柑を食べている人はいる。しかし、柿となると柿の葉寿司とか、干し柿ならありそうだ。しかしよく食べるとなると、難しくなる。
 最初に客があり、それに近くて言い違えそうなものを探していると柿が来た。
 言葉というより二つの単語が先にありきだ。そしてこれは言葉遊び。早口言葉用の言葉だが、シーンもの。つまり何等かの行為に対して感想だ。柿を食べるという動きがある。
 この早口言葉、いつの時代にできたのは知らないが、柿を食べると言えば正岡子規だろう。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、あまりにも有名だ。だから、よく柿食う客とは子規のことではないだろうか。奈良で柿ばかり囓っているような印象がある。
 さて、秋が深まり、少し心細い雰囲気のとき、隣の人は何をしているのだろうというのもある。実は柿を食っていた。では雰囲気が出ない。具体的になりすぎるためだ。何をしているのかは分からなくてもいい。
 いつか、隣の客が柿を食べているシーンを見たいものだが、そこまでは難しくない。次の「よく柿食う」が条件的に難しかったりする。どの程度の量なのか。これは誰が見ても食べ過ぎだろうというレベルだろう。
 関ヶ原の敗者、石田三成が刑場に行くとき、柿をすすめられた話があるが、三成は断っている。柿は腹を冷やすので、身体に悪いと。これは最後まで、打倒家康を諦めていないので、後々のため身体を大事にしたということだろう。この場合の柿と、隣の客の客とは大違いだが、呑気でいい。
 短気で知られ、鳴かぬなら殺してしまえホトトギスの信長も、柿の実が自然に落ちるように武田の滅びを待った。柿というのは独自の趣があるようだ。桃でもだめで、梨でもだめ、林檎でもだめ。やはり柿の持つ渋味のようなものがいいのだろう。
 
   了
 
 
posted by 川崎ゆきお at 10:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

2991話 無事


「事なき」ことを無事という。この事とは悪いことだろう。その事は災難のような難でもいい。難儀の難だ。無難にこなすなどは、難儀はなく、難問でもなかったのか、大事にならないで済んだ。難なきを得るというやつだ。難が無い。難に遭えば、難がある。難を得てしまう。そんなもの、欲しくはないが。
「達者でいる」は健康状態が良いと言うより、それほどきつい災難や病気や怪我にも遭わずに、無事に過ごしていることだろう。元気でいるという意味だ。また、達者というのは巧みな、という器用さもあるし、優れているという意味もある。だから無事や無難よりも達者の方が強い。この達者な人でも災難に遭うと無事ではいられなかったりする。
 無事かどうかを聞く前に、何かあったのだろう。それに対しての安否情報のようなものだ。天災もあれば人災もある。
 一難去って、また一難というのは忙しい。だから、そういう事に遭わないように、無難というのがある。これは難を予測することで、ここでの無難は未来にある。その方が無難でしょうというときの無難だ。
 大概の人はこの無難を目標にしている。その中身ではなく、難儀なこと、困ったことにならないように願う。個々の中身は分からない。
 事を起こすと、少し危険が伴うのだろう。自分にとっては良い事だが、相手にとって悪い事になったりする。
 この「事」は結構社会性があり、外への影響が大きい。事件がそうだろう。だから、事は問題があるときに使われたりする。揉め事だ。刑事にも、この事が付く。
 この事とは事柄のことで、物に対して物事があるように、物と事とは使い方が広い。だからそれを纏めて物事と呼ぶ。人や組織が関わるのだろうか。
 そんな大層な話でなくても、日常の中でも難なきを得たり、事なきを得るようなことはいくらでもある。当然、難儀なことになったり、大事になったりすることもある。大きなサイズでなくても、個人の日常内での小さなサイズでも、これは起こっている。それは個人だけで終わることもあるし、拡がりのある事柄もある。
 機嫌良く暮らす。これは大きな望みではないが、結構贅沢な話かもしれない。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 09:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

2990話 消えた麦藁帽


 吉田がもう何年も見ている人がいる。当然吉田も見られているのだが、それほど気にするような人ではない。ただの散歩老人だ。しかし身なりはよい。
 この人を見るのは三時のおやつの時間。真夏だと非常に暑い。吉田はその時間、個人事務所を出る。三時前に仕事を終えるためだ。それ以上仕事はしない。その代わり朝は早い。
 事務所を借りてから五年近くなるが、その帰り道、必ずこの散歩者とすれ違う。電車ほどの精度はないが、路線バス並の精度がある。多少早かったり遅かったりするが、遅くなる方が多い。ただ散歩者なので歩道を歩くため、渋滞に巻き込まれて、などはない。これはこの人の歩くペースに関わるのだろう。
 真冬のコートは長い目で、しかもオレンジ色。それほど派手ではないので、レンガ色、彩度がないので、色目は派手だが、それほどでもない。夏のこの季節、農家のおじさんのように見えるのは大きな麦藁帽子をかぶっているため。それは二年前からで、日差し除けには、それがふさわしいのだろう。ただ安っぽい帽子ではないのは、縁と紐を見れば分かる。
 この散歩老人は姿勢がよく、背筋をしっかりと伸ばし、首を一切動かささず、真正面を見て歩いている。きっと何かのリハビリだろうか。ただただ歩いているだけ。
 その老人、夏の初め頃には見かけたのだが、最近見ない。吉田がそれに気付いたのはかなり経ってからで、夏真っ盛りの頃だ。こんな日、歩くのは大変だろうと、ふとあの老人のことを思い出したのだ。それまで気付かなかった。よく考えると半月ほど見ていない。
 これは暑さにやられたのかもしれない。しかし去年の夏は歩いていたし、その前の年も。だから、暑さではなく、別のことで体調を崩した可能性もある。何のリハビリだったのかは分からないが、それが悪化したのだろうか。
 しかし、これは単純な想像で、引っ越したのかもしれないし、散歩コースを変えたのかもしれない。こればかりは聞いてみないと分からない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:37| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月14日

2989話 駆けつけた豪族


 大きな国が領土拡大を続け、支配地を増やしている最中、まだ未支配地の豪族が動いていた。大国の進軍が近いと知り、味方に駆けつけたのだ。しかし、豪族レベルで、それほどの兵力はない。ただ、その周辺では三大豪族の一つ。ただ、一番小さい。要するに、いつも争っている他の豪族をやっつけるため、大国の威を借りたいのだ。それで三大勢力のトップになる。当然他の豪族は潰す。
 大国にとり、これは悪い話ではないが、その三家とも潰したい。そうすれば家来に領地を分けてやれるし、直轄地にしてもいい。
 この駆けつけた豪族、結局はその大国の家来になるのだが、その三郡は無理でも二群の領主になれる可能性がある。何もしなければ、三郡とも大国のものになる。他の二家二群の豪族は争うつもりなので、当然滅ぼされるだろう。だから同じ滅ぼされるのなら、最初から家来になった方がまし。今よりは高い身分になれることは確かなので、御味方になりましょうと駆けつけた。
 ただ二群では無理だが、三群力を合わせて戦えば、大国もかなり手こずることになる。ここだけに兵を割けないためだ。豪族だけに土地の人間も味方し、雑軍ながら結構な数になるし、他の大国とも繋がりがあり、そこからの援軍も期待できる。
 だから、その駆けつけた豪族、これは一種の賭けだ。
 そしてその賭けが当たる。残る二群の陣営も兵力も、また地形も知り抜いているため、簡単に二群を片付けた。当然駆けつけた豪族が先陣を任され、大国の与力と共に戦った。
 普段からやられっぱなしのこの豪族、それですっきりとした。
 これは今の時代でもあることで、こういう奴は昔からいる。目先が利き、時代を読むのに長けていたが、その性格を逆に読まれてしまう。別に裏切ったわけではないが、狡賢いことを考える男だと。大国もそれを警戒し、他の家来の家来にしてしまった。いつ寝首を掻かれるか、また妙な謀をされるか分かったものではないので家来に与えたのだ。
 その後もこの駆けつけた豪族、かなり活躍し、大きな手柄をいくつも立てたのだが、その中身は謀略。寝返らせたり、欺したりすること。そのためか所領は低いまま。従って、動員できる自分の兵は数百程度。これでは天下を動かせない。
 まだ豪族だった頃、常に戦っていた二群は亡びたが、その家来は生き残っており、大国の家来になった者もいる。その中の一人が運もあるが手柄を立て、かなり出世し、一国を任せられた。
 そして地位も領地も、あの駆けつけた豪族よりも遙かに大きい。
 その豪族の家来、最後の最後まで奮戦し、敵ながらあっぱれと言われた。そのため仕官したと言うより、家来になって欲しいと請われた。しかし三度断り、四度目にやっと承諾した。
 世の中は分からない。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 10:18| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月13日

2988話 ガード下の送迎バス


 大都会の駅近くにあるガード下の道路。上は線路が幾本も走っているため、結構長い地下道のようなもの。当然大きな道が走っている。そこは駅の裏側へ出る近道で、最短距離で抜けられる。駅は駅ビルとなり、何処が駅なのかが分からないほど。これは真っ直ぐ駅向こうへ行くとなるとショッピング内での迷路抜けとなる。しかしガード下のトンネルを使う歩行者は少ない。なぜなら排気ガスが凄いためだ。
 ただ、そのガード下の道路には色々なバスが入り込んでいる。路線バス、長距離バスの停留所はターミナルとして一箇所にあるが、ガード下には観光バスが乗り付けたりする。バスターミナルには入れないのだろう。
 その中には郊外にある大型家具店への送迎バスもある。これは無料だ。家具屋に用事がない限り、乗る人はいない。ただ、偶然その家具屋近くに住んでいる人なら乗りやすい。また、途中の大きな駅で客を拾うので、そこでも止まるが、そこで降りると、タクシー代わりに乗ったことが丸見えになる。
 その他にも放送局へ向かう送迎バスがある。これは結構遠いところにあるため、関係者や業者が乗る。
 ガード下の一車線をバス停のように使っているが、これは一時停止扱いとして、何とかなるのだろう。タクシーのようなものだ。駐禁で止められないということではタクシーなど営業できない。当然止まった瞬間、さっと客を乗せ、さっと出る。待ってくれない。
「本当ですか」
「見たのです」
「ほう」
 あの世への送迎バスではない。どちらかというと、極楽行きだ。
「ここから乗れるのですかな」
「そうです。見ました。まあ、見るなと言っても派手な車というか、車体の絵が目立ちすぎますからねえ。街中であの絵はいけないなあ」
「トラック野郎のような」
「そこまで大きくありません。マイクロバスです」
「時間は分かりませんか」
「さあ、適当でしょうねえ」
「止まっても、すぐに発車するのでしょ」
「そうです」
「時刻表があればいいのですが」
「一度乗れば分かります。また着いた場所でも分かるかも」
「時刻表が書いてあるのでしょうか」
「さあ、乗ったことがありませんから、分かりません」
「ほう」
 彼らが言っている送迎バスとは、ストリップ劇場のもので、もう何年も前の話だ。それを最近見たというのだから、まだ送迎行為をやっているのかもしれない。
 ガード下の共同バス停、何が入ってくるのかは分からない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月12日

2987話 夏がゆく


「この暑い中、ウロウロしていると熱中症になりますよ」
「はい、分かっていますが、私は夏が好きでしてねえ。熱中症手前で引き返しますよ。水分の補給は大事ですが、がぶ飲みするのはよくない。こまめに水分補給を進められても、水を飲むと余計に汗が出ます」
「しかし、暑いのに、何か用事があるのですか」
「日に当たるのが用事です。ここでうんと当たっていると、冬場風邪を引かない。また、この季節、充電にはもってこいです。太陽のエネルギーを十分溜めるのです。チャンスですぞ」
「はあ」
「陽のエネルギー、これが大事です。これでバッテリー満タンにして、冬に向かいます」
「暑苦しいでしょ。体内に熱が籠もり、それこそ熱中症ですよ」
「だから、そうならないところで、やめるのです」
「しかし、暑いので、普通の人は外に出たくないと思うのですがねえ」
「もったいないじゃないですか、このエネルギーを逃しては」
「まあ、人それぞれですが、倒れないようにしてくださいよ」
「私は敢えて陽の当たる、陽射しのあるところを選んで歩いています。日陰に入ると、損です」
「それで、冬場元気なのですか」
「本来なら身体が動かなくなるほど、冬場は凍り付いたようになります。それを防ぐために、夏場のこの補給が大事なのです」
「あなた爬虫類ですか」
「違います。ヒューマンです。体温調節ができる哺乳類です」
「まあ、救急車に運ばれないようにしてくださいよ」
「ところで、あなたも暑い最中、よく歩いておられますが」
「私は夏が好きなだけです。この明るさがなによりの好物です」
「吸血鬼に聞かせてあげたいですなあ」
「太陽がいっぱい。夏をエンジョイしています」
「私とどう違うのでしょう」
「さあ」
「何はともあれ夏好きなので、仲間ですなあ」
「はい、そうだと思います」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:03| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする