2016年09月30日

3036話 隠遁者の町


 須崎の町は下町で、昔の町屋が残っていたりするが、開発が遅れ、隠れ里のようになっている。ボールが飛んでこない内野のようなものだ。まだ古い長屋が残っている。知る人はここを隠遁者の町と呼んでいる。名だたる人達も隠れ住んでいるためだ。既に現役を引退し、何することなく暮らしている。
 隣近所全て隠遁者では、これは多すぎる。ただ隠遁者だけに籠もっていることが多いので互いに顔を合わすことは希だが、まったく閉じ籠もっているのもまた無理な話で、食べに出たり、買い物に出たりする。
 このとき隠遁者同士が遭遇するというより、あるコンビニなど客の全てが隠遁者で、特定の品物がまったく売れないので、置いてなかったりする。
 同じ工場などに勤めている工員の家族が住む長屋は昔からあった。社宅のようなものだ。それらの人達が隠遁者になったわけではない。定年を迎える前に別の町で家を建てたりし、殆ど引っ越している。それで空き屋になった穴を隠遁者が移り住みだし、入れ替わってしまった。
 それらの隠遁者も先はそれほどないので、入れ替わる。また金持ちの隠遁者は普通の中古住宅を買ったり、町屋時代の店を買ったりしている。
 彼らは隠遁者なので、大人しい。静かに暮らしているだけなので、問題は何もないのだが、数が増えると社会ができる。しかも似たような人達なので、互いに意識し合うこともあるだろう。
 ドロップアウト、リタイアしたとはいえ、ついこの間まで社会の中核をなしていた人達だ。その道のベテランも多い。また芸術方面で活躍していた人や、何かの活動家もいる。
 ここを訪れた若者は、町そのものが老人ホームではないかと錯覚する。猫までも老猫。犬も全て老犬というわけではないが。
 また、昔から若年寄とあだ名されていたような若者も早い内から引っ越して来ている。さらにまだ青年なのに、隠遁している人もいる。
 町屋時代からある広場は公園化され、隠遁公園となった。正式な名ではない。
 そういう間の抜けたような町があると楽しいだろう。
 
   了


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2016年09月29日

3035話 用心棒


 浪人者の集団がある。傭兵、私兵のようなものだが、所謂用心棒だ。普段は雇い主やその屋敷の警護、警備だが、ときには襲撃部隊にもなる。
 その雇い主は町の親分で、この用心棒のおかげで、縄張りはしっかりと守られている。ただ、他の縄張りを取りに行くようなことはしない。周囲の親分衆を敵に回すと孤立するからだ。
 そのため、別の仕事をしている。私兵を雇っているのも、実はそれが目的だろう。
 とある旗本の姫を誘拐するという仕事が来た。用心棒達は集団で、その籠を襲うが、助けに入った着流しの武士が強く、歯が立たない。そんな武士が急に現れるとは思ってもいなかったのだ。先ず一人が手傷を負った。籠を襲撃するだけの心づもりだったので、約束が違う。それで数人掛かりでも手に負えないので「引けい」となる。
 そういうことが度重なり、この私兵達は引き衆と呼ばれるようになった。雇い主の親分は不満だが、浪人達からは信頼が厚かった。つまり良い部隊長なのだ。それはすぐに引く命令を出してくれるため。怪我が少ない。
 この親分の屋敷が襲撃されたとき、引き衆は真っ先に逃げた。その逃げ口で少しやり合った程度。中に敵を入れないように防戦したのではなく、自分たちが逃げるためだ。
 親分も何とか逃げ切ったが、当然解雇。役に立たない用心棒のため、見切りを付けた。
 その後、引き衆達は独立し、用心棒派遣組織を作った。そして相変わらず悪人の手下になり、荒仕事に加わったが、危なくなればすぐに「引けい」の号令がかかる。引き衆の癖は直らないようだ。
 
   了


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2016年09月28日

3034話 水の流れ


 志村がいつも止まる場所がある。道が交差し、そこを渡るにはしばらく待たないといけない。信号はない。左右に信号があり、それが赤なら渡れる。信号と信号に挟まれた交差点で、ここに付ける必要はないのだろう。だが左右の信号が青でも渡れることがある。車の流れが偶然切れているのだろう。志村はそれが気に入っており、ここから渡ることにしているのだが、今日はあいにく切れ目がない。左右の信号が変わるまで待たないといけない。すんなりと渡れる確率は少ないので、実際には待つことの方が多い。
 車の流れを確認するため、左右を見るのだが、よく見るのは右側だ。そちらの方が信号が近い。そのついでに下側を見ると小さな川があり、その横に田圃がある。農水路だろう。水量を調整する堰がある。詰め物のような。これは手作りだろうか。堰の隙間が広い目になっているためか、水の流れが多い。いつもより勢いがある。もしかすると堰が壊れたのかもしれない。一部決壊だ。しかし、堤防のように全て塞いでいるわけではない。
 その水は大きな川から取り込んでいる。流れの先もは大きな川で、やがて海へ。この動きは大昔から変わっていないが、水の通り道は結構変わる。ただの土を掘っただけの溝だったのだが、今ではコンクリートになっているとか。しかし水が流れていることには変わりはない。
 その農水路の先は、今は大きな排水溝に繋がり、やがて大きな川に流れ込む。取り込んだ川とは別の川へ行く。だから出発点の川から斜めに下り、別の川と合流するのだろう。その先は海。
 この農水路を辿れば川の源流まで出るだろうが、そこから湧き出す水だけではなく、雨が降ればその川に水が集まる。そしてその水の源は雨。空だ。
 そう考えると、海に帰った水が、再び雲となり、雨となり、戻ってくるのだが、同じ水ではない。
 というようなことを車の流れが切れる間、志村は考えていた。水が多いときもあるし、少ないときもある。濁り具合も違う。当然その水路の周辺も違う。今、横切ろうとしている道も、志村が子供の頃にはなかった。と、思った瞬間、凄いことを思い出した。まだこの農水路が草に囲まれた畦のドブ川だった頃、ここで蛙を大量虐殺したことを。
 今はそんなことなどできないのは、大人になったからではなく、蛙そのものがいなくなったため。
 水の流れと時の流れ、そして志村も流れて行く。
 
   了


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2016年09月27日

3033話 一念岩をも徹す


 一念岩をも徹すと言うが、言いすぎだろうが、その一念とは何だろう。一つの念。一つのことに集中すれば、エネルギーも集中し、貫徹しやすいということだろう。ただし、念だけでは無理で、そう強く念じながら、励むのだろう。
 ただ、これは意識的にならないとできない。念じるというのは意識的で、そう思わないと成立しない。しかし、無意識というのがあるとすれば、そちらの領域の方が広い。見たわけではないし、意識よりも広い地下室があるとしても、それは意識しないと見えない。いや、意識しても見えないだろう。無意識なので。
 無意識は何処にあるのか。その前に意識は何処にあるのかも大事だが、これは頭の中だろう。足の裏ではない。身体のあちらこちら、内蔵まで検討して、頭が一番それららしい。つまり脳みそだ。
 では無意識も脳みそにあるのかというと、これは分からない。体中に分散しているのかもしれないし、身体全部に入っているのかもしれないし、外部と繋がっているかもしれない。この場合の無意識とは、意識に上がらないのだから意識しにくいものだろう。たとえば動物的な何かとか、生物としての何かとか。当然物理的な何かとかも。
 そのため、念じるときの意識はほんの表面的な箇所だとすれば、ほんの偵察兵が前線で動いている程度で、本軍の動きではない。
 また、よく言われる無意識は、意識的には思っていなかったこと、思ってもみなかったこととして出てきたりする。無意識がどうの潜在意識がどうのも、意識的に探り出したものだが、どうやらそういうのが下で動いているらしい。ただそれは意識してやっと出てくる。しなければないに等しい。ただ、意識しなくても、何となくの動きとして出る場合がある。人を本当に動かしている化け物のようなものだろうか。これは自然に近いのかもしれない。
「無意識の中にオカルトを見ました」
「しかし、無意識は意識できないのでしょ」
「そうなんですが、こちらの方が深い。宇宙の原理がそこに入っています」
「まあ、科学の最先端はオカルト的だと言いますからねえ」
「じゃ、最初からオカルトをやっていた方が」
「オカルトというのは神秘主義のようなものでしょ。その神秘主義も大昔はそんな言い方をしなかった。摩訶不思議程度。世の中には人知を越えたことがある程度」
「興味深いです」
「それで無意識の研究ですか」
「そうです」
「海の魚を一匹釣り上げて、これが無意識だと言っているようなものです。魚はもっといる」
「はあ、しかし、これは生き方にも関わりますから」
「ほほう」
「一念岩をも徹すです」
「星一徹ですね」
「そうです」
「しかし疲れそうなので、やめておきなさい」
「なぜですか」
「そんな一徹を意識した状態ではバランスが崩れるような気がしますよ。意識しすぎなので」
「承知しました」
 
   了

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2016年09月26日

3032話 子泣き爺リュック


 古墳か遺跡が発見され、その後しばらくしてから見学会があった。新聞にも少しだけ載っている。大まかな調査が終わったのだろう。結局ありふれた縄文時代の住居跡と古墳とが一緒になっていた。縄文時代と古墳時代とでは年代が離れすぎている。だから、古墳時代の人も、そこに縄文人の家跡があったことなど、もう古すぎて分からないのだろう。
 説明会は最寄り駅からバスか徒歩で向かうことになるのだが、バスの便が少ない。これなら歩いた方が早いとなり、竹村は歩くことにした。同じように電車から降りた見学客が、竹村の前を先に歩いている。見学会へ行く人だとは雰囲気で分かるので、これで地図を広げる必要はない。
 竹村と同じ趣味人だろう。こういう日に着るアウトドア用の服装で身を固めている。竹村はいつも着ているようなラフなものだが、靴だけは高いのを履いている。運動靴だが防水性がある。しかし、夏場は蒸れる。
 竹村の方が背が高いので歩調も早いのか、すぐに横に並んだ。このまま追い越せば地図を開けないといけなくなるので、その人と同行することにした。
「古墳ですか」
「そうです。一時間もかからないでしょう。場所は頭に入っています。それに見晴らしが良いので、分かりやすい。それに周辺を見ることで、理解も深まります。ここは細長い盆地のようで、山の斜面がなだらか」
「はい」
「縄文遺跡と古墳、両方見られてお得です」
「そうですねえ。ところでそのリュック、大きいですねえ」
「ああ、これですか、大は小を兼ねるじゃないが、デザインと生地が気に入りましてねえ。大きさを無視して買いましたよ。サイズ違いはありませんでした」
「重いでしょ」
「何も入っていません。筆記道具程度。スカスカです」
「でも生地が軽そうですから」
「ところがです、あなた。これは子泣き爺リュックなのです。急に重くなります」
「はあ」
「きっと中に子泣き爺が入り込むのでしょうねえ。赤ちゃん程度の大きさのお爺さんです。しかし、赤ちゃんは結構重いですよ。ずっと背負っていると。数キロありますからねえ」
「子泣き爺は有名な妖怪ですねえ」
「似たような妖怪で、背負い地蔵があります。急に背中や腰がきついと思うと、石地蔵を背負っているのですよ」
「はい」
「子泣き爺の場合、たまに足が出てくる。リュックが動かないように腹のところで止める紐があるでしょ。あんな感じで沢庵のような足が伸びてくるのです。袋の中じゃ窮屈で、宙ぶらりんなのでしんどいのでしょ。足を引っかけに来ます。当然手を肩や首に回し出します。そしてその状態で泣き出します。リュックから手足が出ている。亀のように」
「ほう」
「だから、大きい目のリュックで、あまり中に入れないで、スカスカにしていると、子泣き爺が入り込みます。だから、詰め物が必要です。合羽とかセーターとかでもよろしい」
「今日はどうですか」
「今はまだ軽いですが、中がスカスカなので、そのうち重くなりますよ」
「それは楽しみで」
「いえいえ」
 そういう冗談を言っている間に古墳が見えてきた。親切に幟を立ててくれている。
 その手前にバスが止まっている。話に夢中になっている間に追い抜いたのだろう。何人かがバスから降りてくる。まるで貸し切りバスのように。
「バスの方が早かったようですねなあ」子泣き爺リュックの老人が言う。
「いえ、面白い話が聞けて、楽しかったですよ」
「ほんの座興です」
 この人、妖怪に詳しいことから、妖怪博士と言われている。たまに、こういった見学会に混ざっているようだ。
 
   了


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2016年09月25日

3031話 怖い話


 怖い話なのだが、その殆どは何かで見たり聞いたり読んだりしたものが多い。本当に怖い実体験もあるだろうが、それは滅多にない。体験外なら毎日でもある。その怖い話の中身は幽霊を見たりとかではなく、もっとリアルなものだろう。事故に遭いそうになったとか、怖い結果が出たとか。しかし、本当にそんな目に遭っている最中は、怖いかどうかは分からない。後で考えると、もの凄く怖いことをしていたとか。
 怖さが予見される状態。これが怖い。幽霊もそうだ。出そうなときが一番怖い。当然、バーンと幽霊が出たときは、さらに怖いはずなのだが、そのときはショックで分からないかもしれない。少し落ち着いてから、ああ怖かったとなる。まあ、その程度の感想で済めばいいのだが。
 怖いのと、びっくりするや驚くとは違う。そのため、幽霊を見たときは飛び上がるほどびっくりするかもしれない。だから、これは怖さ、恐怖とは少し違う。結果的には恐怖体験として語るのだろうが。
「ですから、想像しているときの方が怖いのです」
「しかし、まだ何も怖い目に遭っていないのでしょ」
「十分、怖いです。これも恐怖体験です」
「想像だけで」
「そうです。たとえばホラーものを見たとき怖いでしょ。まあ、作り物なので、怖く感じない人もいますが」
「そうですね、映像的に驚かされるだけで、怖いのとは、違うのかもしれませんが、それでもやはり怖いですよホラーや怪談は」
「想像で一番怖いのは体験談でしょ。これは作り話じゃない。実際にあったことですからね。地続きですよ」
「そうですねえ。自分も体験するかもしれませんし」
「まあ、世の中、怪談以外にもっと怖いものはいくらでもありますから、ホラーなんて可愛いものですよ」
「そうなんですか」
「人は未来を恐れる」
「あ、はい」
「それがいけないわけじゃないのですが、予知しすぎる。予測しすぎる。それで、色々な防御のための知恵を働かせたり、実際にそうならないように働きかける。転ばぬ先の杖が凶器になる。過剰防衛とは言いませんがね。先読みしすぎなのですよ。そしてその基本となっているのは恐怖なんです。怖いからです」
「恐がりなのですね。人は」
「そうです。臆病な子犬は震えているだけですが、人は何かをする。これが怖い」
「想像するから怖いわけですね」
「そうです。恐怖とは想像力が成せる幻想です。まあ、夢幻なら良いのですが、ありそうな現実です」
「では、想像力がある人ほど恐がりですか」
「そうとも限りません。ただの無知か、神経が細かいかでしょうねえ。こういう人が未来に何かを働きかけると、怖い。鈍い人の方がよかったりします」
「想像力が弱い人ですか」
「いや、あらぬ想像はしないのでしょう。スイッチが入らないのです」
「じゃ、心配性の人の方が危険だと」
「さあ、それはよく分かりません。非常に神経質な人で、敏感な人なのに、ある点に関してはもの凄く鈍かったりしますからね」
「はいはい、います、います」
「ある方面にはもの凄く想像力が働くのに、別の方面では無神経。まあ、殆どの人がそうでしょう。その割合程度の差」
「そういうことも含めて、色々と想像すると怖いですねえ」
「怖い怖い」
 
   了


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2016年09月24日

3030話 台風の日


 雨の日も風の日も毎朝喫茶店へ通う老人がいる。日課になるため外せないのだろう。老人は朝食後、散歩に出るような感じで喫茶店へ行くが、自転車だ。近くに適当な店がないため、徒歩では遠すぎる。その喫茶店は賑やかな場所にあり、店も広く客も多い。当然似たような年代の年寄りも多く来ている。一人もいればグループも。
 ある台風の日、これは雨や風の日より厳しい嵐の日だ。しかも台風は近付いている。予報では老人の住む町をかすめる程度で、暴風圏より弱い強風域の円に、ぎりぎりだが入っていない。そんな予想図など見なくても老人は家を出ただろう。ただの雨の日として。
 出た瞬間雨脚が強くなり、風も少しあるが、そんな日は台風以外でもある。
 隣近所の前を通り過ぎるとき、窓硝子ではなく、雨戸やシャッターを閉めている。横殴りの雨を警戒してのことだろうか。町内の路地を抜けると通りに出るが、郵便配達の赤カブを見ただけで、無人。誰も出ていない。
 この時間、いつも見かける犬の散歩人もいない。犬はじっと我慢しているのだろうか。そういうとき用のトイレがあるのかもしれない。
 風雨が強くなったのは出てから半分の距離までで、そのあと小雨になった。風もましになる。傘を持つ手が楽になった。
 そして、繁華街前の喫茶店に、いつものように辿り着いたのだが、それほどの労ではない。ただ濡れる時間を少しでも短くしようと早く漕いだので息が荒れている。
 いつも満車に近い自転車置き場はガラガラ。そこは喫茶店だけの専用ではないので、普段はもっと多い。
 老人は喫茶店のドアを開けると同時に老人を見た。台風の日でも来ている精鋭部隊だ。しかし一人だけ。この老人とはよく顔を合わす。毎朝来ているためだ。他にも年寄りの常連客は多いのだが、雨の日は来ない人もいるが、来る人は来ている。しかし台風となると、生き残っているのは、この二人の老人だけ。
 二人の老人は目を合わせることなく、確認し合った。しかし、店内を見ると、誰もいない。二人だけ。
 雨の日でもモーニングを食べに来る常連客がいるし、数は減るが年寄りグループもいる。しかし見事に二人だけ。
 確かに台風が来ている。しかもかすめるかもしれないし、現に雨も風もある。通過後ならいいが、来つつあるのだから、さらに荒れると思い込んでいるのだ。これは正しい判断だが、実際に外に出てみれば分かるように、台風でなくてもこれぐらいの空模様の日はいくらでもある。
 広い喫茶店、あとで来た老人は先に来た老人から最も距離の遠い席に座った。
 
   了


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2016年09月23日

3029話 使い魔


 山越えするゴキブリがいる。山を越える。実際の山ではなく、寝ている人間の上を乗り越えるゴキブリ。虫にとり、それは山脈ほどの高さはないが、わざわざ人の山を乗り越える。それも毎晩ある決まった時間に山越えが行われるようだ。
「山越えするゴキブリですかな」
「これは妖怪でしょ」
「まあまあ、それはあることです。それで見ましたか、そのゴキブリ」
「暗いので分かりません」
「では、どうしてゴキブリがあなたの上を歩いて登っているのかが分かったのですか。いやそれ以前にゴキブリは歩いているのか走っているのか、よく分かりませんがね。早足で歩いているのでしょう。歩くと走るとでは違います。足の使い方が」
「毎晩足に触るものがあるからです。これは虫の足です。感触で分かります」
「蒲団は」
「夏場なので掛け布団はしていません。だから腹の上を乗り越えたり、顔の上を乗り越えたりと」
「そのときはどうなさります」
「気が付いた瞬間払います。足なら蹴飛ばすわけにもいきませんから、足を素早く動かして振り払います。腹の場合はシャツを着ているので分からないこともあるのですがこれは手で払います。すると手ではなく腕に逃げ込んだりします」
「あまり良いものじゃありませんねえ。それでゴキブリは一匹ですか」
「そうです。その一匹はよく知っています。たまに見かけます。部屋の中を単独でゴソゴソしています。歩いていたりします。どんな用事があるのかは知りませんが、いつも忙しそうです」
「ゴキブリは一匹見付ければ何匹もいると言われていますが」
「さあ、実際に見るのはその一匹だけです。しかも」
「何ですか」
「台所には出ないで、寝室に出ます。食べるものなどないはずなのですが」
「寝室には他に何かありますか」
「居間のようなものです。寝室と言っても、いつもいる部屋で、テレビを見たりします。食事は台所で取ります」
「お菓子は」
「菓子やパンなどは居間でテレビを見ながら食べることはあります。しっかり掃除はしているので、問題はないかと」
「それがどうして妖怪なのですかな」
「だって、毎晩私を越えていくのですよ」
「懐かれているのでは」
「いや、無視されているのです」
「虫から無視ですな。まあ、横たわって寝ていると、それが人間なのかどうかは分からないからのう」
「じゃ、人間だと見ていない」
「そうです」
「そうですねえ。明るいときに出るゴキブリだと、すぐに逃げます。これは人だと認識しているからですね」
「そうでしょう。寝転んで人間山脈状態では蒲団と変わらない」
「はい。それと」
「何ですかな」
「そのゴキブリ、もう何年もいます」
「それは別のゴキブリでしょ」
「しかし、同じように私を越え続けているのですよ」
「だから、ただのゴキブリじゃないと」
「そうです。そのことを言いたい」
「確かに虫の妖怪はいますが、その殆どは式神か使い魔です」
「使い魔」
「虫の知らせのようなものです」
「そのままですねえ」
「西洋で有名な使い魔はコガネ虫です。黄金虫と書きます」
「コガネ虫は金持ちだの、あの黄金虫ですか」
「また、ヤモリやイモリ、普段見かけない大きな蛾や蜘蛛や蛇などが人前に現れたとき、何をか知らせようとしていると言われています」
「はあ」
「さあ、見てくれというような場所にいます」
「しかし、毎晩何を知らせにあのゴキブリは出るのでしょう」
「だから、それはただのゴキブリじゃ。妖怪や使い魔ではありません」
「どうすればいいのでしょうか」
「懐かれているのですから、害はないかと」
「はあ」
 今回のゴキブリの話、それを答えている妖怪博士、結構楽しそうだった。
 
   了


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2016年09月22日

3028話 尺取虫


 一日の気配がある。これは起きてしばらくすると分かる場合もあるし、起きた瞬間もある。プレッシャーのかかる用事がある朝や、体調が優れない朝があり、天気のようなものだが、体調だけ、気分だけではなく、その全体が気配となって出る。要するに起きたとき元気がどうかだ。冬場なら蒲団離れが早いかどうか。これは心身の問題だろうか。心が悪いときは身も悪くなる。痛いところがあれば、気分も元気ではない。
 また、体調は良いのだが、嫌なことをしなければいけない日は蒲団離れが鈍い。床離れは病気に関係するが、蒲団離れは精神的なものが大きい。しかし本当に体調だけが悪い朝もある。この体調とは身体の調子が少し良くないという程度で、病気と言うほどのものではない。この状態と精神的な状態、つまり面倒なことをしないといけない日などが重なると蒲団離れが遅くなる。それでも普通の人は嫌々起きてきて、嫌々仕事なり、用事をするのだろう。
 また楽しみにしていたことが終わった翌朝なども、何となく淋しい。祭りの後のように。
 しかし、寝込むほどでもなく、医者にかかるほどでもない程度なら平穏無事に過ごしている内だろう。
「最近元気がないようですが」
「いやいや、この状態が一番望ましいのです」
「あ、そう」
「元気なことをすると、あとが偉い」
「それはありますが」
「私は尺取虫のお爺さんになることに決めたのです」
「はあ、変身ですか」
「馬鹿な、人が虫にはならんわい」
「そうですねえ。でもなぜ尺取虫ですか」
「ゆっくりしているからね」
「あれはあれのクラスの虫の中では早い方じゃないのですか。あのバネを活かして飛んだりとか」
「そうなの」
「知りませんが」
「だから、本物の尺取虫ではなく、尺を採りながらゆっくりと一歩一歩進むのです」
「尺取虫に足、ありましたか」
「その問題じゃない」
「でも一尺は三十センチ程です。三十センチの歩幅はそれほど短くないですよ」
「尺取とは定規のようなものじゃ。指定規。つまり親指と人差し指を伸ばす。次は伸ばしきった人差し指のところに親指を持ってきて、そこを起点にまた人差し指を伸ばす。これでこの動作を何回やったからで長さが分かる。その動作が尺取虫が伸び縮みしながら前に進んでいるのと似ているので、尺取をしているように見えるため、尺取虫と名付けた」
「長い解説でした」
「この一定のゆるいリズムが良いのだよ」
「でもあの虫、蛾か蝶の幼虫でしょ。イモムシですよ」
「そうだ」
「じゃ、モスラになるかもしれませんよ」
「そんなに大きくならん」
「でもいずれ蝶か蛾かは分かりませんが、飛びますよ。尺取虫は地味ですが、もの凄く派手なやつだったりしますよ」
「だから、幼虫のままで良いという意味もあるんじゃ」
「はい、好きなものに変身して下さい」
「うむ」
 
   了

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2016年09月21日

3027話 亀ノ下


 亀ノ下下がるところの素人屋に住む占い師がよく当たるだけではなく、厄払いなどもしてくれた。というようなことが書かれた紙切れを高島は見付けた。誰が書いたものなのかは調べれば分かる。先代の誰かだろうが、それほど遠くはなく、明治か江戸時代の人だろう。そういう書き付けが何枚も挟まっていたのだが、誰も整理することなく、そのまま行李に詰め込まれていた。
 そこは旧家の蔵で、家人に聞くと、何代か前の当主の四番目の弟らしい。家を出ないで、ずっと住んでいたようだ。そのため、縁が薄いためか、亡くなったあと、僅かなものだけを行李に詰め込み、整理したらしい。
 高島にとり、ここは本家筋だが、もう他人のように血は薄い。実際には、今の当主と血は繋がっていない。何代か前に跡取りができず、養子をもらっている。だから、本家の四男坊の遺品など見向きもしなかったのだろうが、捨てはしなかった。その蔵はもう使うような用事ものないので、滅多に蔵などを開けることもなかったようだ。
 そんな本家の四男坊よりも、占い師が気になった。亀ノ下下るとあるが、亀ノ下を、下に行ったところ、おそらく南側だろう。
 この亀ノ下はすぐに分かった。地名として残っていないが、路肩に大きな石があり、それが亀に似ていることから亀石。土地の人はそこを亀の下と呼んでいた。下ではなく、亀石周辺を指すのだが、下と呼んでいたのは、元と言うことだろう。
 早速高島は亀の石を発見する。路肩とはいえ、それなりに膨らみがあり、三角形の公園のようになっていた。遊具など置ける場所はないので、亀の石を保存するのが目的だろう。
 そこから南側への道などない。道は東西に走っているので亀ノ下を下るとは南を指すのだがそうではないようだ。この町は結構古いので、道はそのまま明治時代と変わらないだろう。町屋があった通りらしい。古そうな家があり、もう営業はしてない呉服屋などがある。看板だけが残っていたりする。
 南ではないが西側に狭い路地がある。通りから少し行ったところだ。高島はその路地に入るとすぐに下り坂になっている。これだなと合点がいったようだ。確かに亀ノ下から下がるだ。
 路地と言っても車は入れるようで、旅館の看板が見える。昔で言えば商人御宿だろうか。町屋が並んでいる通りの裏側なので、それなりに泊まり客もいたはず。
 さて、亀ノ下を下ることは下ったが、江戸か明治の昔の占い師の家など見付かるはずがない。しかし、高島と血の繋がりのある先代当主の四男坊が、ここを歩いていたことは確かで、その祈祷師か占い師か知らないが、その人と会っていたことも事実。
 事実はそうでも現実には何もない。通りや旅館はその時代からあったはずだが、占い師が住んでいた家まで特定するのはどだい無理な話。
 路地を進むと、さらに横へ伸びるもっと狭い路地があり、丘があるのか上り坂もある。その坂の下に亀井戸と書かれた先が三角の板がある。傾いており、井戸はあるが四角く縁取った石組み程度のものしか残っていない。埋めたのだろう。底はない。
 その先祖への興味よりも、この場所を高島は気に入った。
 亀の占い。これは太古にあった。亀の甲羅を焼いて、そのひび割れの模様で占うものだ。だから、この亀石周辺は占いの町だった可能性もある。偶然占い師が多くいたためかもしれないが。
 当時は有名だったので、その四男坊も物見遊山的に、ここを訪れ、占ってもらったのだろう。そして、当たったので、それを紙切れに書いた。紙切れは束になって出てきたが、それらは殆どが日常的なメモ程度。借用書や証文、念書のようなものも入っていたが、亀ノ下下がるの占い師だけが目立った。
 
   了


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2016年09月20日

3026話 長者の夢


 満足を得られると不満はなくなるが、大きな不満だけではなく、小さな不満も多くあり、全てに満足というような状態は滅多にない。不満なものを思い出さなくなったり、敢えて忘れているためだろ。満足を得られると暇なので、まだ不満だと思えるものを探す。これは際限がない。
 不満に大小があるのかどうかは分からない。今、不満に思っているものが当面の敵のようなもので、これは壁であり、抵抗体であったり、常に不快な状態に連れ込むような状況だろうか。
 満足を得られたとき、一種のカタルシスを覚える。これは溜が大きいほど、カタルシスも大きい。永く上から押さえ付けられていたようなプレッシャーが取れると、すっきりとするだろう。ただ、次のプレッシャーがまたやってくるのだが。
 達成感を味わうには、それなりの不満や不快や、抵抗体や、嫌なことがなければ、それほど効果はない。
 腹一杯に食べることを満腹という。これは満足だろうが、苦しくもある。しかし、それは苦痛ではない。そこで何がなくなるのかというと、食欲だ。もう食べたくない。ハングリー精神とは逆方向だ。充ち満ちた生活は、そんなものだろう。
「満足なのが不満です」
「はいはい」
「不満足な状態のときの方がよかった」
「それは贅沢な話ですよ」
「やることがなくなった」
「ほう」
「以前は満足を得るために色々なことをした」
「でも、満足には限りがないでしょう」
「ですから、その満足が不満なのです。次は、これです」
「そういう幸せな人の話はあまり聞きたくないのですが」
「見た目は幸せですがね。そんなに居心地が良いものじゃない」
「じゃ、今お持ちの全ての物を捨てなさい」
「それは、もったいない。苦労して手に入れてものばかり。それにこの地位や人間関係も」
「所謂あなたは成功者なのです。そして頭打ちになった。これ以上望めないほど目的を果たした。まさか地球征服でも目論んでおられるのなら別ですがね」
「それは無理だ」
「結局あなたは精神的な落としどころを作らなかったのです」
「精神的」
「達成感だけで生きてこられたからです」
「精神的修行もしています」
「じゃ、全ての物を捨てなさい。すると軽くなります。そしてまた無限の満足感が待ってますよ」
「それには」
「寄付です。寄進です」
「寄進」
「それで楽になります。もう満足感がどうのと言うところから抜けられます」
 その長者は、全ての財産を寄進し、ただの旅の雲水になった。
 そこで夢が覚めた。
 その反対の夢はよく見るだろう。ものすごい宝物を持ち帰ったのだが、夢だったというような。
 大した違いはないのかもしれない。
 
   了


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2016年09月19日

3025話 山の怪


「本当にあった学校の怪談と、本当にあった山の怪談の違いは何でしょうか」
 いつもの妖怪博士付きの編集者が来訪後、すぐに切り出す。そんな切羽詰まった問題ではない。そんなことどうでもいいような話なのだが、子供向けの妖怪やミステリーの雑誌を編集しているだけに、この違いが重大なようだ。そんなもの、子供だましで、適当でいい。その適当な解を期待して、妖怪博士に聞きに来たのだろう。
 しかし妖怪博士は博士である以上、適当なことを言うわけにはいかない。
「学校の怪談とは便所の花子のことかな」
「トイレの花子さんは古典です。古いです」
「あ、そう。だから、麓の花子さんや、山腹の花子さんや、峠の花子さんや、山頂の花子さんや、谷間の花子さんのようなものだろう」
「花子さんとは何ですか」
「女の子だろ。トイレに常駐している。私は便所の神様だと思うが、これは糞神では汚い。だから花紙の花子さん」
「花紙って何ですか」
「ちり紙だ」
「はい」
「学校ネタが切れまして、今は山です」
「何がかな」
「ですから怪談です」
「しかし、山は里と違い、人などいないので、幽霊も見せる相手がおらんので、出ぬだろう」
「登山者がいます。目撃者の殆どは山登りの人です。ハイカーです」
「昔なら、木樵とか猟師が山の怪に遭遇していたらしいが、天狗や自然現象に近いもの。いわば妖怪じゃな」
「しかし、赤いリュックの幽霊とか」
「それだな」
「え、分かりません。意味が」
「違いはない。学校の怪談と同じじゃ」
「どういうことですか」
「木樵が目撃者なら、木樵らしい怪異に遭遇する。山伏なら、山伏らしいもの。これは天狗がそうだ。猟師ならケモノ類の怪異。また山に入っている人は、仕事で入っておる。ところがハイカーは遊びで来ておる。その違いはあまりないが、ハイカーはハイカーらしい怪異と遭遇する。それだけの違いじゃな」
「はあ」
「便所の花子は、小学生や中学生の視線。これが老人ばかりが出入りするような便所なら、便所の婆さんが出る」
「つまりニーズに合わせて」
「違いがあるとすれば、目撃者が違うだけで、学校でも山でも変わりはない」
「あ、はい」
「だから、古典的な山の怪など最近誰も体験せんだろう」
「そうですねえ。幽霊や怪異にも子供向けと大人向けがあるんでしょうねえ」
「しかし、子供から年寄りまで共通して見えるものもある」
「はい」
「犬は犬で、また何かを見ている。犬だけが見える何かだ。猫は猫でそうだし、鼠も鼠だけが感じるものを持っておる」
「あのう」
「何かな」
「山小屋の花子さんなんですが」
「そんなものがいるのか」
「使われていない山小屋に出ます」
「便所の花子が山小屋の花子になっただけ。しかもその山小屋、登山者向けだろ。頂上にあったり」
「そうです」
「そんな山頂に小屋など建てるような罰当たりは昔はおらんかったはず」
「はいはい、御山は神様が住んでおられますからねえ」
「そうじゃ」
「つまり、山も都会化してきたのですね」
「だから山小屋の花子が出てもおかしくない。これが山の中の祠や社なら、花子ではなく、別のものが出る」
「山姥とかですね」
「それで赤いリュックの幽霊なのですが」
「ああ、だから昔なら腰の曲がった老婆が籠を背負っている、となる。そんなもの今の人間は見たことがないじゃろ」
「じゃ、違いはない、でいいのですね」
「ああ、怖いものが変わったのだろう」
「でも、猟師や山仕事の人の目撃談もあります」
「そちらの方がオーソドックスな怪異で、聞いていて退屈だろねえ」
「そうですが、死者と山で遭遇する話が」
「死ぬと山に行くという言い伝えがあるからな。海の彼方へ行く言い伝え、天でも良い。要するに遠い彼方へ帰ると言うことだろう」
「しかし、街中の怪談より、山の怪談の方が怖そうです。自然の中での目撃ですから、やはり違いがあるのでは」
「男の幽霊と女の幽霊の違い程度だ」
「海洋の怪異もありますねえ。船乗り達が見る」
「海洋ものは今は寂しいだろう。あまり船に乗る機会はないからな」
「はい」
「でも海のミステリー、空のミステリーは定番がありまして、これは外せません」
「そうか」
「しかし、解答が」
「何の」
「学校の怪談と山の怪談との違いです。同じようなものでは、解答になりません」
「だから、そんなもの、どうでもいい話じゃ」
「そうなんですが、何かいい言葉はありませんか」
「人は用もないのに山に入るな、それだけじゃ」
「それは解ではありません」
「それよりも、死者に会うどころか、わざわざ死者になりに行くハイカーがおるじゃろ、そちらの方が奇っ怪じゃ」
「はい、あとは自分でまとめます」
「君は編集者だろ。それが仕事じゃないか」
「はい」
 
   了


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2016年09月18日

3024話 西方浄土


 たまには日頃とは違うことをした方が、日頃が新鮮に見える。これは旅行に出て、戻って来たとき、日常が懐かしいと言うより、少し見え方が違うのと同じだ。しばらくするとその魔法も切れ、相変わらずの日常に戻るのだが。
「西へ」
「そうです」
「西欧」
「そこまで遠くではありません」
「西日本」
「もう少し近くです」
「何処ですか」
「西野です」
「西の野」
「いえ、あの西野町です」
「え、何処ですか」
「ここから西へ行ったところにある西野ですよ」
「ああ西野村。今は町ですか。ありますねえ。西野行きの市バスなどが出てます。幹線道路が走っているでしょ。たまに通過します」
「その西野へ行くのです」
「わざわざ」
「方角です」
「ああ、方角がいいと」
「そうです」
「それは何ですかな」
「だから、日頃とは違う行為をしたいのです」
「ほう」
「それで、西へ行く。これに決めました。そして丁度西の方角に西野という地名がある。これですよ。これ」
「しかし、どうして西ですか。北でも東でもいいじゃありませんか」
「西が好きなんです。次が南。次が北。東はあまり好きじゃない」
「どうしてですかな」
「仕事先は全部東。あまりいい印象がありません。そちら方面の都会ではなく、その逆側の西の方がいい。西側へ行く方が長閑でいい」
「じゃ、西に何か用事があるわけじゃないのですね」
「ありません。自転車で二十分もかからないでしょ。しかし、行く機会が日頃ない。だから、日頃にないことをするために西野へ行くのです。これは何処でもいいのですがね」
 思い立ったら吉日で、彼は西野へ行き、戻って来た。しかし移動距離も少なく、風景も殆ど変わらないため、日頃内の変化にとどまったようだ。
 西欧とまではいかなくても、もう少し離れないと、日頃とは違うことをやった気にならなかったのだろう。
 
   了


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2016年09月17日

3023話 佐伯社中


 地下鉄下刈谷駅は当然道路の下。幹線道路が走っている下にあるが、この大通りをさらに下へ行くと小汚いビルが並んでいる。そのビルとビルの隙間から鳥越神社へ出られる。参道は最初からない。かやぶき屋根がトタンになってから久しく、その後放置状態。実は普通の神社ではなく、個人が勝手に建てた社。元々はこの辺りの地主の屋敷内にあったのが、市街地となり、今ではビジネス街。普通の民家さえ建っていない。
 きっと大百姓か庄屋の屋敷だったのだろう。当然そんなものは一切消え、小さなビルがひしめき合っている。ところがこの神社だけは残った。残したのだろう。
 その神社の周囲、多少の余地があり、椅子がいくつか並んでいる。事務机や回転式でクッションが頭部まである豪華な椅子もある。いずれもオフィス仕様だろう。そして誰が置いたのか自販機まである。
「働くのが嫌でねえ」
「そうですねえ。やりがいもありませんし」
「また転職ですか」
「はい、転職が天職のようなもの。どの会社へ行っても働く楽しさがない。まあ、仕事はどれも辛いものですが、それなりにやる気も起こるもの。達成感のようなものですか。そう言ったものが最近の会社には微塵もない。まるで社員も会社も自販機のようなものですよ。機械的で人間味がない。これじゃ自販機のような働き方になる。それじゃ面白くない。まあ、仕事に面白さや楽しさを求めちゃいけないのですがね。給料をもらうためだけの働き方になる。しかし細かいことまで管理され、まるで囚人だ」
「はいはい、首から名札をぶら下げるようになってからだめですねえ。これは犬の首輪だ。鑑札。予防注射してあります、のようなね」
「こういう神社のような曖昧なものが恋しいです」
「え」
「だから、この何かありそうな奥行きのあるね」
「ああ、まあ、神様が一応いますからね。何を祭っているのか知りませんが、鏡が置かれていますよ」
「中には入れないものでしょうかねえ」
「鍵がかかっています。無理です。それに見たところ、何もない。それに神社にしては小さいです」
「よくこんなものが残っていますねえ」
「神社と会社は似てますよ。どちらも社が付く」
「また一人来ましたよ」
「ああ、佐伯さんだ。またサボりに来たのでしょ」
「我々で社中を作りませんか」
「社中」
「会社ですよ」
「佐伯さんはベテランのフリーの営業マンです。あの人を頭にして佐伯社中と名付けてはどうですか」
「何をする会社ですか」
「いや、ここで集まるだけですよ」
「あ、そう。それもいいねえ」
 この佐伯社中、人数が増え、お神輿が出るほど発展した、という話はない。
 
   了


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2016年09月16日

3022話 不帰の通路


 下田は雑居ビルのある勤め先から出て、地下鉄へと向かっていた。久しぶりに早く帰れる。定時だ。地下鉄の駅は繁華街のど真ん中にある。実はそちらより反対側にある駅の方が近い。しかし、そこは何もない。あることはあるが賑やかではない。仕事を終えたあとは賑やかなところを通って戻りたい。自由な娑婆の空気の中を。といって寄り道をするようなことは殆どないが、人と会うときはその限りではない。
 今夕は珍しく、賑やかではない側の駅へと向かった。あまり刺激を受けたくなかったのと、できるだけ早く帰りたいため。その差は数分違う程度だが、乗換駅で一本早く乗れる。
 反対側の駅へ向かうほど徐々に地味になってゆく。勤め先の雑居ビルもそのタイプだろう。それがさらにフェードアウトしていき、駅前だけ少しだけ明かりが多くなる。さらにその先の駅になると逆に賑やかになる。私鉄と交差しているためだろう。
 下田は俯き加減で、下ばかり見ながら歩いている。見るべきようなものがないためもあるが、下界の刺激をできるだけ避けたい。これは特別な理由があるわけではなく、自分の世界に入り込みたいため。その世界とは下田独自の何かではなく、ゲームの世界。この前からやっているゲームの続きが気になる。神聖アロパトス帝国の騎士として下田は四人の仲間と共にウルシバ共和国を倒しに行くのだ。その前に聖なる剣を手に入れる必要があるため、クロウドの谷に眠るドラゴンを倒し、聖剣を奪わないといけない。
 というようなことを下を向きながら考えているのだ。他にこれといったことがない。下田の日常は特記すべきようなことはなく、世間でよくあるようなこと程度。もの凄いことが起こったとしても、それもまたありふれたことだったりする。何人もの人が同じように体験したような。
 だからといってドラゴンから聖剣を奪うことが特記すべき事ではない。このゲームをやっている人なら、全員やっているだろう。
 独自性。自分らしい生き方。そういうものを探したこともあるが、大勢の人が既にやっていたりする。
 やがて駅に近付いて来た。もう見えているが、今歩いている場所が一番寂れている。あと数歩進むと盛り返し、明かりが多くなる。そして二歩ほど歩いたとき、自販機の横に細い通路。雑居ビルと工事中のビルとの間。
 これはクロウドの谷かもしれないぞと下田は思い、そこへ入り込んだ。
 その先は誰も体験したことのない特記すべき世界に入り込んだのだが、肝心の下田は不帰の人になったため、どんな世界だったのかは誰も知らない。
 
   了


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2016年09月15日

3021話 煮物と掃除


「一つのことより、二つのことを同時にやっている方が効率が上がります」
「時間を一方に取られて効率が悪いのでは」
「おかずを煮ています」
「え、何を」
「おかず」
「ああ、ご飯の」
「そうです煮物です。これを煮ているとき、実は手は空いている。煮えるのを待つだけ、たまにかき混ぜたりしますし、また焦げ付かないように、そばにいる必要がありますが、そんなにすぐには焦げ付かない。だからこのとき、他のことをするのです」
「私も煮物をしますが、その前で待つのは何なので、茶の間でテレビを見ています」
「見たい番組ですか」
「いえ、待ち時間、暇なので」
「そのとき、洗い物をしたり、部屋にあるゴミを集めたり、または軽く洗濯をしたりするのです」
「いえ、煮えるまで一休みがいいです。テレビを見なくてもいいので、ぼんやりしている方がいいです。掃除は掃除でまたやります」
「しかし、掃除をするときですが」
「え、何ですか」
「掃除をするにはきっかけが必要でしょ。さあ、今から掃除をするぞと」
「そうですねえ。毎日やっていませんので、散らかったりすると、そろそろかなあと思いながら、なかなか実行できません」
「そこです。私の言う二つのことを同時にやるのは」
「はあ」
「煮物のついでに掃除をする。掃除だけではなかなか決行できないのでしょ。しかし、ついでのオマケなら軽い。手を出しやすい。それにメインは煮物、掃除じゃない。ここにトリックがあるのです。掃除をしないといけないという気持ちではなく、何かついでにやることがないかと探していると、掃除が出てきた。しかも煮物の合間です。一寸だけすればいいのです。まずは手を出すこと。一度出すと、流れができます。最初のきっかけ作りが大事なのです」
「ほう」
「掃除をしているときは煮物がサブになります。たまに見に行けばよろしい」
「分かります。やってました」
「たとえば」
「はい、トイレへ行くとき、ゴミなどを拾いながら行くのです」
「それそれ」
「そちらへ行く方向で用事がないかと探します」
「そうなんです、ついでにやる。これが結構いけます」
「それであなたは正義をやりながら悪をやっていたのですね」
「いえ、悪をやりながら正義をやっていたのです」
「相反することを同時に」
「正義だけでは飽きるでしょ。悪だけでも。一方だけをやっているより、効率がいいのです」
「そこまで拡大できません」
「拡大しながら縮小する」
「ほう」
「これは相対性理論です」
「本当ですか。おかずと掃除が相対性理論で」
「嘘です」
「はいはい」
「真実を言いながら嘘も言う」
「難しい人だなあ」
「普通でありながら異端」
「もう結構です。友達、減りますよ」
 
   了

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2016年09月14日

3020話 散歩の話


 これは著名な散文家の話だ。
「散歩人と通行人の違いは何でしょうか」
「それは、もう答えが分かっているのに、聞いているんだね」
「はい」
「散歩人も通行人だが、通行人は通っているだけ」
「同じように見えますが」
「通行人は目的に向かって最短距離になるようなコース取りをする。これは例外もある。通りたくない場所があるときは迂回する。急いでいるときは別だがね」
「はい」
「散歩人にも種類がある。ある場所から散歩人になる散歩人もいる。それまでは通行人。つまり散歩ができそうな場所で散歩する。そこまでは通行人と同じ」
「もう一種類は」
「途中も糞も、全てが散歩コース」
「はい」
「野糞をするわけじゃないよ」
「分かっています」
「犬のようにできればいいんだがね」
「散歩人の話を」
「次の散歩人は何処へ行くか分からない。尾行したり、GPSで追えばとんでもないところを通っている。目的地へ向かう道じゃない。だから何処へ向かうのかが分からない。気の向くまま進む。これは徒歩でも自転車でも同じ。ただ、バイクや自動車はその限りではない。一方通行とかがあるし、狭い場所ならスクーター程度なら入り込めるが、担いで乗り越えないといけない段差などがあると無理だ。階段とかね」
「はい」
「散歩人が怪しまれるのは用がないのに、ウロウロしているためだ。これが商店街や観光地なら問題はない。しかし、ただの住宅地でこれをやると不審者となる。昔のように意味なく外を歩けない御時世だ」
「はい」
「だから通行人が通行しているような感じで散歩をするのがいい」
「それよりも、なぜそんな普通の場所をウロウロするのですか」
「普通の場所が見たいからだよ」
「それは癖のある散歩人で、一般的じゃないですね」
「そうだね。普通の散歩人は公園や遊歩道とか、散歩するにふさわしい場所を行く。決して住宅地の狭い路地などに入り込まない」
「しかし、どうしてそんな場所に入り込むのですか」
「表通りだけでは飽きるからね。それに裏表を見た方が分かりやすい。それよりも」
「はい」
「この道は何処へ繋がっているのかが興味深い。散歩と言っても結局は道を歩いているんだ。その殆どが車道だね。狭い道でも私有でない限り、一般公道だ。そのため、市街地や住宅地での散歩とは道を通ること。森や草原を行くわけじゃない。こちらの方が散歩らしいがね。本来はそうだったのかもしれない。一寸今のことを忘れて自然の中を歩くとかね」
「はい」
「しかし、近場にそんな場所がないので、車道を行くことになる。これはこれで興味深い。道が込み入っていると迷いやすい。障害物は建物だ。それが邪魔をして、全体が見えないからねえ。これを全部更地にしてしまえば、意外と狭い場所になる」
「あ、分かります。家を取り壊して更地にしたとき、こんな狭い場所だったのかと思います」
「家は盛り物。これは乗せ物だね。上物だ。これは変化が激しい。できたり消えたりするが、道は意外と残る」
「廃道なんかはどうですか」
「いいねえ、廃道。しかし、その先が廃坑になって、そこへ行く道も使われなくなったりすると、廃道になるか、または崖崩れとかで、山の形が変わってしまい、通れなくなった道もあるだろうねえ。使われなくなった道は手入れもされていないだろうから、荒れ放題。だから廃道に近い。人や車が通ってこその道だ。ケモノミチというのもあるが、あれは動物が何度も何度も通るから、道のようなものができたのかもしれない。通らなくなると、戻ってしまう」
「もっとお話を伺いたいのですが、少し用事が」
「あ、そう。散歩と同じで、話が散漫になったからねえ」
「いえいえ」
 
   了


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2016年09月13日

3019話 一家言


 一家言というのがある。その家や家族の言い伝えや家訓とは違う。結構個人的なことだ。個人単位ではなく、家単位が基準だった時代にできた言葉だろうか。一族でもいい。しかし今では独自の意見とか、見解を示す人。
「あの人は一家言がある」などが、今の使い方で、たまに耳にする。意見とか見解は誰にでもある。しかし、独自の、となるとぐんと減る。他の人に聞いても似たような意見だが、その一家言ある人に聞くと、誰も思っていなかったような意見を言う。そうでないと、一家言の意味がない。一家言家という職業はないが、評論家などがそうかもしれない。ただ、他の評論家と同じようなことを言っていると一家言ではなくなる。
 正論というのは多くの人が言う。だからここに一家言を求めようとしても、独自性が薄いため、無理。
 お家の事情、家庭の事情、お国の事情、個人の事情にまで下げないと、独自性は出しにくい。また、妙な意見とか珍奇な意見とかでは、家という格がない。一家言なので、まだ家のイメージがあり、これは個人よりも重みがあるし、リアルだ。一家をなすの一家だ。一人前という意味でもある。
 一家言ある人はうるさい人に思われる。ある決め事をするとき、きっと何か言い出すはず。ただの言いたがりかもしれないが。
 独自の意見、他の意見と違っていればそれでいいわけではない。そこに一家言の家が出てくる。家訓や家の慣わしとかだ。その家の、その一族の流儀のようなもの。これは疎かにはできないだろう。個人が勝手に言っているような意見とはまた違う。背景に重みがある。だから一家言のある人は、それなりの重みがないと駄目だろう。
 この家とは背景のようなもので、とってつけたようなものではない。これは良家を指すものではなく、境遇のようなものを指すのだろう。そこで培ってきた何かを持っている。
 そのため、あることばかりをずっとやっている専門家の意見が一家言ありそうだ。その場で思い付いた意見ではなく、裏打ちのようなものがある。
 この専門性のようなものは、専門家でなくてもいいし、職種や事柄とは関係しない。そして本当に一家言のある人は黙っていたりする。
 
   了


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2016年09月12日

3018話 幽霊とウーロン茶


 誰か来ているのかもしれないと、妖怪博士は感じた。いつもいる奥の六畳から廊下に出て、玄関を見ると、誰かがいる。「どなたかな」と聞くと「僕です。幽霊博士です」と返事。チャイムがあるので鳴らせばいいし、玄関戸を叩けばいいものを。
 磨りガラスに冊子の入った玄関戸を開けると、憔悴しきった青年が立っている。これが幽霊博士だ。
「まあ、お上がりください、久しぶりですなあ」
「はい。近くまで幽霊を見に来ましたので、お寄りしました」
 妖怪博士は幽霊博士をいつもの奥の六畳の茶の間に通し、ウーロン茶の冷やしたのを二人の博士は飲んでいる。
「最近このウーロン茶を飲むと腹の具合が悪くなります。あなた、どうもありませんかな」
「いえ、何とも」
 妖怪博士は毎朝ウーロン茶を湯から作っている。濃すぎるのだろう。
「それよりも実験成功です」
「ほう、何ですかな」
「チャイムを鳴らさなくても博士が出てきました」
「ああ、何か気配がしましたのでね」
「分かりましたか。僕の気配を。実は強く念を飛ばしていたのです」
「いや、玄関戸に何か見えてましたから」
「え」
 奥の六畳から廊下の向こう側に玄関戸が僅かに見える。いつもは傘を掛けているのだが、そのシルエットとは別に、何かの一部が動いているのが見えたのだろう。磨りガラスなので、影のようなもの。それが幽霊博士の一部だった。
「そうでしたか。念じゃなかったのですか」
「しかし、玄関の方を、ふと見てしまったのだから、念が通じたのかもしれませんよ」
「ああ、なるほど」
「ところで、体調が悪そうですねえ。目の下が青黒いですよ」
「いつもそんな感じです」
「今日も幽霊関係で」
「はい、幽霊が出たというので、見に行ってきました」
「商売繁盛で結構なこと。それで、いましたか」
「いません」
「あ、そう」
「本人は見たと言っているのですが、何処にもいません」
「何処で出たのですか」
「部屋です。使っていない部屋がありまして。そこを開けると、必ず幽霊が座っているとか」
「それで開けられたのですね」
「はい、開けました」
「しかし、いない」
「はい」
「そこなんです幽霊博士」
「え、何がですか」
「一人を超えられない。つまり二人が同じ幽霊を見るのはもの凄くハードルが高い。一人なら腐るほど幽霊は出ますが、二人で見たとなると、がたんと数が減るどころか、なかったりします」
「でも同じ幽霊を何人もの人が目撃した例はいくらでもありますが」
「別々でしょ。一緒じゃない」
「あ、はい」
「だから、段差があります。もの凄く高い」
「いや、あります。音とか。気配とか」
「一人が先ず聞いたり感じたりして、それが伝染して集団催眠のようになるのでしょうねえ。一人より多数の方が盛り上がりますし。誰か驚いて怖い顔や怖い声を出すと、それが怖い」
「はい」
 一人では主観だが、二人だと客観だという意味だろうか。
「それよりも幽霊博士」
「はい」
「もう幽霊などを追いかけるのはおやめなさい。目の隈がなによりの証拠。そんなものに付き合うと、身体を壊しますぞ」
「そうなんですが、仕事ですから」
「そうですなあ」
「妖怪博士は大丈夫ですか」
「妖怪はいいのです。人じゃありませんから」
「ああ、なるほど」
「しかし、今日は体調が悪い。ここ最近そうです」
「やはり妖怪の祟りでは」
「いや、ここ数日勧められて飲んでいるウーロン茶がよくない。もう飲むのをやめることにします」
 妖怪博士はその後、緑茶に変えた。
 
   了

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2016年09月11日

3017話 夏バテと夏風邪


「まだ暑いですなあ」
「残暑ですねえ」
「真夏の暑さより、秋口のこの残暑の方が暑く感じますよ。ここに来て夏バテです」
「それはいけない」
「いや、もう涼しくなると思っていたので、それとのギャップでしょ。だから、夏は終わったと思い、日差しが強くても、知らぬ顔をしていました。これは残暑で、大したことはない。それに寒暖計を見ても、天気予報を見ても、大して温度は高くない。真夏に比べれば涼しい方ですよ。しかし、これがいけない」
「はい」
「もう暑くないはずだという思い込みがいけない。本当は暑いのです。それは身体が先ずお知らせします。汗です。真夏でもこんなに汗をかいたことがない」
「それで夏バテですか」
「秋口に夏バテとはこれ如何に」
「知りませんよ」
「それを反省し、クーラーを付けて寝ましたよ。もういらないと思っていたのですがね」
「それは賢明です」
「すると身体を冷やしてしまい、風邪です。夏風邪です。腹を冷やしたのがいけない。腹具合が不安定」
「はい」
「夏バテで夏風邪。しかも腹具合も悪い。夏バテなので鰻を食べたくても食欲がない。食べると胃腸に負担がかかりすぎ、余計に不安定になる。こういうときは何も食べない方が賢明です。そのうち腹が減りますから、それを待ちます。しかし二つだけ食べられるものがあります。これは子供の頃からです。いくら食欲がなくても、食べられるのです」
「それは何ですか、是非教えてください」
「チチボウロとビスコです」
「ああ、はい」
「それで、最近はビスコばかり食べています。チチボウロは手に入りにくし、唾が大量に必要なので、喉が渇きやすい」
「はい」
「それとミルクセーキがよろしい。これなら、どんなに体調が悪くても飲めます」
「あ、はいはい」
「あなたにはそういうものがありますか」
「え、何がです」
「だから、ビスコやミルクセーキに匹敵するようなもの」
「ああ、きつねうどんです」
「あ、そう」
「これはどんな状態でも食べられます」
「あ、そう」
「きつねうどんのあの鰹出汁、あれは薬です。腹具合が悪いときでも、いい感じで浄化されるような」
「ほう」
「それと甘い油揚げ、あれで幸せな気分になれ、鼓舞効果もあります。昆布の出汁が効いている場合ですが」
「ああ、そう」
「でも」
「え、何ですか」
「始終食べているとだめですねえ」
「おお、それそれ、ビスコもチチボウロもそうです。だからこれは非常時に残しています。買ってまで残してませんよ。食べたり飲んだりするのを控えています」
「そうです。そうです」
「いやあ、実にいい話だった」
「ところで、夏バテと夏風邪と腹の具合はどうなりました」
「ああ、忘れていた」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:34| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする