2016年09月10日

3016話 絵描き屋


 古びた商店街。それほど古くはなく、この前そんな店屋の通りが出来たと思っていたら、いつに間にかシャッター通りとなっていた。そのため親の代からの客のような馴染みが付かないまま終わっている。建物は粗末なものだが、それなりに新しい。築二十年は経過していない。その一軒に画家が店を開いている。これも不思議な現象だが、住居付きのテナントを画家が借りたのだろう。こんなところにアトリエを借りる人は珍しい。
 きっと前衛画家か変なパフォーマンスをやっているのだろうと、近所の人は思った。既に潰れた豆腐屋がお隣で、主人はただの住宅として使っている。しかし水回りだけは贅沢で、店内の水槽は風呂として使えそうだ。豆腐と違い絵はコンビニやスーパーでは売っていない。
 画家が借りたのだから、テナントの壁に絵でも飾ってあるのかと思いしや、何もない。以前は洋服屋で、マネキンが一体とショーケース程度は残っている。店を閉めるとき、持ち出すのを忘れたのだろう。引っ越しの車に乗せきれなかったのかもしれない。夜逃げだろうか。
 さて、その画家、レジ台のあったところで絵を画いている。表がよく見える場所だ。
 店先に看板を出したが、画家なのに文字だけの看板。絵描き屋となっている。豆腐屋が豆腐を売るように絵描きなので、絵を売っているのだが、完成した絵ではなく、これから画くということだ。
 これに似たもので似顔絵屋がいる。土日だけショッピングセンターなどで椅子とテーブルだけで仕事をしている。
 しかし、それなら似顔絵屋と看板にあるはず。それがない。ただ単に絵描き屋とだけ。
 シャッター通りとはいえ、通る人は結構多い。車が入り込まないためだろう。何だろうと、興味を示す人もいる。その中の一人だろうが、「絵を画いてください」と子供がやってきた。当然後ろに親がいる。
 画家は適当に絵を画いた。似顔絵ではなく、松と海と富士山が入った絵だ。絵はがきのような絵ではなく、もっと簡単な絵で、軽く彩色されていた。十分もかからなかっただろう。
 画家はドライヤーで乾かし、くるくるっと巻いてゴムで止め、子供に渡した。値段はそれなりに高かったが、とんでもない値段ではない。
 次に来た老人はリクエストをしてきた。麦畑の中に立つ兵隊で、後ろは夕日。死んだ父親の満州時代のストーリーがあるらしい。
 その兵隊の階級だけ聞き、数日後、完成した。流石にそらで軍服は画けなかったようだ。
 子供にせがまれて親が絵を画く、それに近い。
 この絵描き屋の画家、無名で、さらにあまりうまくない。ただ、頼まれた絵はできるだけ依頼者のイメージに近いものを上げてくるので、客は大概満足したらしい。
 要するにオーダーメードの洋服屋のようなものだ。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 09:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月09日

3015話 福助のいる酒屋


 村はずれに一軒だけ、ぼつりと農家がある。この辺りでは農家は農家だけが集まった場所があり、所謂集落だ。家を建てる場所がないためではなく、周囲は平野。村はずれにあるため、村から外れた一家かもしれないが、昔からそこに建っていたわけではなく、最近だ。もう村八分がどうのの時代ではない。
 その農家は酒屋でもある。酒屋が先かもしれない。店舗兼住居だが、その住居部が農家なのだ。この辺りでよく見かける大きな農家と同じ建て方。そのため、ここの主は昔から住んでいる農家の人だろう。同じ家を建てるのなら、馴染みのある農家風に。そのため、旅館のように大きい。周囲は普通の住宅地になっているが、その酒屋は群を抜いて大きい。これが農家が集まっている場所では、それほど目立たないが。
 木下は、この農家のような母屋のある酒屋を思い出したのは、コンビニで荷物を送ろうとして失敗した。事情があるが大したことではない。そのコンビニでは扱っていないらしい。業者が違うためだ。その荷物は着払いの伝票が付いている。これで送り返してくれということで、つまらない用事だ。故障した部品を送り返すだけのこと。
「郵パックか」で、思い出したのが、この酒屋だ。そこに郵パックの幟が立っていたのを見た。郵便局よりも近い距離にあり、その前は毎日通っている。
 木下はなぜこんなところに酒屋があるのか、不思議だったが、場所としてはここしかなかったのだろう。他の酒屋と程良い距離にある。そこにまだ少しだけ田畑がある。申し訳程度だ。この村の一番端だろうか。町名などが変わったが、村内であることに変わりはない。木下が住むアパートはこの村の田圃だった場所で、今ではそちらの家の方が多い。昔から住んでいる人は殆どが農家だ。だから家を見れば分かる。
 ぽつりと一軒だけそこにあるのは、酒屋をするためだろう。実は村の中心部にも酒屋がある。競合するため距離を置いた。その酒屋は既に潰れ、パソコン教室になっているが、それも最近閉まっている。こちらも母屋は農家。この家は昔から農業ではなく、酒屋をやっていたのだろう。雑貨屋のようなものだろうが、村に一軒だけある店屋だ。
 非常に長い前振りだが、実際には木下が郵パックを出した程度の話。しかし妙な雰囲気が立ち籠めていた。
 酒屋は旧村時代の細い農道沿いにある。おそらくこの酒屋は農家の人で、その土地は自分の土地だったに違いない。すぐ横に棟割長屋のような借家が建っている。二階建ての長屋のようなものだろう。酒屋の庭と、この長屋がくっついていることから、家主はこの酒屋。さらにすぐマンション横にある。このオーナーかもしれない。つまり田畑を売って、酒屋を始め、さらに借家やマンションを建てたのだろうか。規模は小さいが。
 木下はいつも通る道で、いつもよく見ている酒屋だが入ったことはない。煙草も売っており、窓売りもしているが、買う人は少ないだろう。その横に自販機があるためだ。また飲み物の自販機も並んでいる。
 木下は自転車を止めようとするが、道が狭いのでクルマが来ると邪魔になると思い、敷地内に入れる。ここは店の脇にあるガレージだろうか。車はない。そこにガラガラと開くガラス戸がある。正面にもあるので、どちらから入ってもいいのだろう。
 アルミサッシのガラス戸を開けながら、すみませーんと声を掛ける。何か音が聞こえているが、テレビだろう。店内は流石に酒屋だけあって色々な瓶が並んでいる。ワインやウイスキーの瓶は並べると結構綺麗だ。
 店内は広く、長椅子のようなものが店内にある。客が休憩できそうだ。また知り合いが訪ねて来たとき、そこに座ってもらうのだろうか。
 返事は奥から聞こえてきた。
「郵パックお願いします」と木下が言うと、大きな老婆がさっと出てきて、眼鏡を掛け、伝票を見ている。最初、古い伝票だと思ったようだ。いつもの伝票と色が違うためだろう。
「計らなくてもいいんですがね」と、巻き尺を当てる。
「機械が故障しまして、それを送り返すのです」
 木下は余計なことを言っている。これがコンビニや郵便局では言わないだろう。毎日通ってる場所で、部屋からも近い。だから、少し愛想よくしたのか、または決して怪しい者ではありません、近所の者です、程度のことだろう。
 話はこれで終わるのだが、テレビだ。誰が見ていたのかだ。もう一人いたのだ。店の奥でじっとテレビを見ているお爺さんがいる。この人は何度か見た覚えがある。背は低いが小太りで、頑丈な身体をしている。酒屋なので当然だろう。重いものを毎日扱っているので。しかし、もう配達はしていないようだ。木下が見たのはその頃の主人だろう。今はお爺さん。だから、店売りだけでやっているのだ。しかし酒屋などしなくても、借家などで十分食べていけるはず。
 店番をしているはずの主人が出て来ないで、すぐに大きなお婆さんが出てきた。主人は無反応。
 そう言うことなのかと、木下はすぐに分かった。大きな頭で、下膨れの顔。福助を連想したのは、福助が無数にいたからだ。つまり、煙草の陳列ケースの中に、福助ばかりが、ずらりと並んでいる。福助のコレクターかもしれない。自分に似ているので、愛着が湧いたのか。
 福助は縁起物の人形で、丁髷を結い、裃袴で座っている。商家にあってもおかしくはないが、一つでいい。
 控えの伝票をもらうとき、もう一度奥を見ると、福助は相変わらず無反応。
 本当の福助になりつつあるようだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:19| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月08日

3014話 祭りの準備


 少し大きい目の目的を果たすには、それなりの準備が必要だ。種を蒔いたり、水をまいたりと。
 その準備は何段階もあり、揃うものが揃わないとできないため、目的とは関係のなさそうなこともやる。目的からかけ離れているのだが、それをすることで、先へ進むことができ、より目的に近い準備を進められる。何をするにも身体を使う。だから、目が悪いとか老眼だと、眼鏡から買うことになる。これは目的とはかなり離れているが、よく見えないと、準備もできないだろう。
 しかし、かけ離れすぎていると、最初の目的が何だったのかを忘れてしまう。そこへ向かう一歩には違いないのだが、他の目的でも使える。
 さて、その大きな目的だが、準備が遠大すぎて、なかなかフィニッシュを掛けられなかったりする。赤穂浪士なら討ち入りがフィニッシュに近い。一番分かりやすい。いよいよ決行したと。
 一年二年で済む話ならいいが、十年も二十年もかかる目的もある。これはそのうち忘れてしまうかもしれない。また年数が経ちすぎると、初期の目的に、もう魅力を感じなくなっている可能性もある。
 人は何等かの目的を持つと、計画を立てたり、そうなるように歩を進める。これは一種の企画だ。ただ、目的は色々あったりする。小さな目的もあれば中ぐらいもあるだろう。簡単なものもある。だから、ここでは大きな目的に限っての話だ。その人の生き方に関わるような。本命中の本命の。
 難しい言い方をすれば投企。これは自分の存在と関わる。目的が自分の存在なのだ。これはややこしい。これは投資に似ている。自分のために投資する。何をするための投資なのかは分かりにくい。将来儲かるように投資するとかなら分かる。自分を磨くために投資するとなると目的がしっかりしない。だから投企では自分になりたいのだろう。その自分になるために、色々と未来に投げる。または投企し続けていないと自分の存在が見えてこない。これはややこしい。
 この切り口はいいのだが、具体的な絵が見えない。何か精神的な細さを感じる。うどんのように太くない。
 そして自分の存在とは何かになると、これはもう迷宮だ。そちら側へ行くと何をしているのか分からなくなる。だから、普通よくあるような目的を題目にしている方が健全だろう。具体的な何かになりたいとか、何かを手に入れたいとか。またはこういう状態の人になりたいとか。
 抽象的なものは何とでもある。精神的なものも。人は結構、物で落ち、色と欲で落ちる。
 さて、大きい目の目的を果たすための準備だが、遠大すぎるほど持ちがよかったりする。ただ準備中にこれは無理だと分かると、引くだろう。
 しかし、コツコツと準備をし、赤穂浪士の討ち入りのように、雪の降る夜、松坂町で一気に目的を達成するのは気持ちがいいだろう。そのあと、あまりいいものは待っていないが。
 我慢した分、気持ちがいいことが得られる。これは一種の快感だ。そんな難しい話ではない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:43| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月07日

3013話 精神の安定


「安定した時間というのはありますか」
「え、安定」
「安心して過ごせるような時間帯です」
「それなら寝ているときだろうねえ。安心も心配もなかったりする。意識はあってもないようなもの、頭もお休みだ。しかし、何処かがまだ起きているんだろう。見張り番のように。だから大きな音がすると起きる。静かだと朝まで寝ているよ。この時間が一番安定しているね」
「起きているときでは」
「好きでも嫌いでもないような、昨日と同じ様なことを繰り返しているときかな。安定はしているが、面白くも何ともない。仕方なくやっていることもあるしね。しかし、分かりきったことをやっているので、安心感はある。だから安定していると言える」
「精神的な安定を得るためには」
「え」
「安定した精神状態で常にいられるようになりたいとは思いませんか」
「だから、今、言ったでしょ。寝ているときは、それが得られていますよ。起きているときは、昨日と同じ様なことをしていると、結構安定してますよ。嫌々ながらやることもありますがね。これ、さっきも言いましたね。聞いてなかったのですか」
「そうじゃなく、精神が穏やかになり、心は波立たず」
「いや、波は立つでしょ。じっとしていても。その波や風があってこそ穏やかなときがある。最初からそんな状態なら、それはもうボケているのですよ」
「え」
「まあ、一瞬の安定もいいねえ。精神的にもいい。しかし一瞬」
「どんな状態でしょうか」
「何かが達成される見通しが付いたときだ。ただ、すんなりといくようなことじゃ、見通しも糞もないがね。苦海を泳いでこそ浄海がある。浄海だけじゃ、つまらんでしょ。変化がない」
「お説は分かりますが、精神の安定を求められる場合は、是非私にご相談ください」
「そんなもの求めておらんので、用はない。さ、帰った帰った」
「サンプルの安定剤を置いて帰ります。精神の安定に効く薬草を詰め合わせた飲みやすい糖衣錠です」
「下痢を起こしそうだが、あんた、そんな薬を進めて、精神の安定があるの」
「はい、飲んでますから」
「そのようには見えないよ。何か目がメダカのようだ。この薬を飲むと、そんなメダカの目になるんだね」
「いえいえ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

3012話 古代史の謎


「ほう、古代史がお好きで」
「いえいえ、ちょいと囓っている程度で」
「古代史も広いですが、どの時代ですか」
「古ければ何でもいいのです」
「それはどうしてでしょうか」
「起源が分かります」
「ほう、起源、我が国の起こりとか」
「歴史を覆すような仮説もあります」
「これまで習ってきた歴史とは違うと」
「そうです。消された歴史などが分かってきたりしますとね。しかしこれは推測です」
「それだけですか」
「え、何がですか」
「古代に興味を示されるのは」
「実を言いますとね、大宇宙でもいいのです」
「どういうことですか」
「古代の歴史が覆されても、私達の日常の暮らしには何の関係もありません」
「まあそうですが」
「それよりも」
「はい」
「現実逃避です」
「え、古代へ逃げるのですか」
「そうです。そこは別世界です」
「所謂古代ロマンの世界ですね」
「もうファンタジーです」
「はいはい」
「趣味というのはそういうものですよ。別世界を持つことです。それはかけ離れていても構いません。宇宙を調べるのも、古代を調べるのも、似たようなものです。私にとってはね。その間、旅立てます。煩わしい現実から離れられます。そのため、現実が上手く行っているときは、旅立たなくてもいいのです」
「そうですねえ、趣味とか娯楽とかは、そんなものですよね」
「そうでしょ」
「それで、古代ロマンは如何ですか。何か謎が解けましたか。新しい発見がありましたか」
「ありましたが、私の将来とは何の関係もしない。給料も増えない。それより減っています。このままじゃ立ちゆかない。まあ、そんな現実を見るのがいやで、古代史へ逃げ込んでいるのですがね」
「何か面白い話はありませんか」
「だから古代史が面白いです」
「古代史の中で、これはと言う面白い話とか」
「ああ、話してもいいのですが、長くなります。歴史にはまた歴史があり、その歴史にはさらに歴史があります。それらを知った上でないと、説明不足になります。だから面白さも伝わりにくいのです」
「聞きましょう」
「この国は古代ムー大陸から来た人々により……」
「ああ、もう結構です」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:08| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月05日

3011話 予定外


 予定は変わる。将来への思惑も予定通り行かないことが多い。一歩二歩、三歩四歩目で実現するようなことでも、二歩目か三歩目で躓き、目的を果たせないままフェードアウトすることもある。これは先々の夢や希望だけではなく、嫌なこと、悪いことも思っていたほどには悪くならなかったりする。台風が来ると思っていたが、来なかったというようなことだろうか。
 思わぬことで予定が狂い、計画が狂うのだから、妙な希望は抱かない方がいいのだろうが、それがあるとないとでは日々が違う。しかし、その日の予定でも狂うのだから、さらに先のことになると、危ない話だ。
 予定が狂うのはよくあることなので、問題はないのだが、予定を立てた人に、問題があるのかもしれない。これは希望や期待が強すぎるとか、思い込みが強すぎるとかだ。そしてしっかりとレールが敷かれているように錯覚してしまう。
 どうなるのか分からない。そのときになってみなければ。
 これが正解かもしれないが、予定通り行くことも結構あるので、それなりに準備しておくことも大事だろう。
 だから、結局はよく分からないということになる。そのよく分からないことはよく分かる。
 また予定や計画に拘っていると、予定外、計画外、予想外、想定外のことが起こっていても、無視してしまいやすい。
 しかし、突然沸いたいい話、ラッキーな流れ、美味しい話だと、手を出していいものかどうかで迷う。また予定とは違うものを得に行くことになるからだ。最初予定していたものよりも、より魅力があり、価値あるものなら、乗り換えるだろう。しかし、予定になかっただけに、その先の展開が狂う。予定が達成されれば、その次の予定が来るのだが、方角や路線が違ってしまったりする。
 これはラッキーな話だが、その逆の話になると悲惨だ。予定にない事が起こり、その先へ行くどころか、違う世界に投げ込まれてしまう。
 そういうことは、結構日常的に起こっている。大した被害はなく、大したことにはならない些細事なら、いくらでもあるだろう。
 こういう小さなモデルが日常内には転がっており、実際に体験しているはずだ。夕食のおかずを買いに出て、最初計画していたものではなく、特価で安いのがあったので、それを買って帰ったとかだ。しかし、家にある残りのおかずとの相性が悪い。その程度ならいいのだが、さあ食べようかと思うと、あるはずのご飯がない。昼に食べきっていたことを忘れていたのだ。
 このご飯やおかずなどは大きな問題にはならないが、これは雛形で、より重大な事柄においても、ご飯がなかったとかに近い事柄が起こる。
 問題は思惑なのだ。思惑通りに事を運ぼうとするためだろう。これは誰でもそうだが、思い入れや、思い込み、思惑が強すぎると、横へのスライド行為が辛くなる。これは頭の柔軟性とは少し違い、性格的な問題もある。硬い人は硬いまま行くしかない。
 これに対しての名言はないが、近いのは「いい加減」だろうか。「いいかげんにしろ」「いい加減なことを言うな」のいい加減だが、本当は良い加減、善い加減だろう。程良い加減なのだ。つまり加えたり減らしたりが巧みな人。「いい湯加減」に持って行こうとすれば、結構あやふやな方がよかったりする。
 予定は微妙に変えてもいいのだ。軸がぶれないというのは有り得ない話だろう。これこそ、いいかげんな話だと言える。
 軸がぶれない人は、本当は始終ブレ続けている。それで真っ直ぐに直し続けているのだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:10| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月04日

3010話 文殊衆と呼ばれた村人


 諸国を隈無く歩き回る行商の村人と、村内を隈無く歩き回っている村人と、殆ど家に籠もっている村人の三人がおり、いずれも竹馬の友で、仲がいい。
 世の中をよく知ってるのは行商だが、実用的なことでは村の散歩人。一番の知者は籠もっている学者。この中で一番現実性の高いことを言うのは散歩者。行商は世間を知っているが、荒っぽい。一歩踏み込んでいないためだろう。その点、村の散歩者は他人の家まで上がり込み、常に観察し続けているため、実情に詳しい。ただ、一つの小さな村内だけの話なので、限界はある。
 閉じこもりの学者肌の村人は、お寺程度には行き、そこで本を借りて読んでいる。そのため世慣れた行商以上のことを知っているのだが、話がかなり古い。本が古いためだ。お経になると、もう哲学だ。
 村の散歩者が回れる場所や、家々や人々は限られているように、行商も限られており、学者も、読む本が限られている。
 しかし、三人はそれぞれの視点から世の中を把握している。三人寄れば文殊の知恵と言われるが、いい思い付きが出ないとき、三人集まれば、いい考えが出ることもある程度だ。意外とこの三人、知恵を出し合ったり、互いを補完し合ったりしない。流儀が違うためかもしれないし、また知恵程度では解決しないのが世の中だ。これは村の散歩人も、そんな実情を見てきたし、行商人なども、もっとスケールの大きな実情を見ている。学者風な村人も、知識や知恵を戒める本も読んでいる。
 行商に出た村人が年に何度か村に帰ってくる。その度に三人の竹馬の友は集まるが、そこでミーティングなどはしない。
 未だに仲がいいのは、タイプが違うためだろう。学者は論争好きだが、他の二人は相手にしない。
 三人集まって、何をするのかというと、リーダー格の行商の話を聞く会のようなものだ。それに対し、散歩人と学者はコメントを入れる。また、この二人の反応を聞くのが行商は好きなようだ。そのため、大嘘を言うこともある。
 聞いている二人は、何かを確かめるように聞き入っている。
 行商が話を面白くするため、言いすぎると、散歩人がすぐに見破る。学者は本に書いていることや、自分で想像している世界と、世間との差をこのとき確かめる。
 この三人長じて村の重鎮になるわけではなく、行商は年老いても未だに諸国を回っているし、学者は寺にあった本を全部読んでしまったため、物思いの日々を送っている。村の散歩人は相変わらず村内をめぐり、村の世話役のようなことをしているが、顔が広いだけで、大した力はない。農地が狭いこともある。
 三人はそれぞれ長生きしたようだが、名を上げ、何か事を起こすようなこともなかった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:31| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

3009話 一瞬の景気


「誰か教えてあげないと」
 田端砦は山腹にあり、急斜面。ここに大軍が押し寄せていた。そこを登りきれば峰に出る。そして山寺がある。峰の向こう側は山また山。大軍が通れるような場所ではない。
「教えてはいけないよ」
 父親が娘を諭す。峰の向こう側から来た農夫親子で、山寺に野菜や肉を運んでいた。これで景気がいい。その山寺から砦へと食べ物が運ばれる。当然米も。
 攻め手は狭い谷から砦のある崖に取りかかっているのだが、鉄砲などがなかった時代、山城を落とすのは大変だった。しかし、ここは砦程度で、しかも急ごしらえ。それで甘く見たのか、一斉に取りかかったのだが、どの兵も坂からズリ落とされた。狭いため大軍の意味がないのだ。
 砦の主は豪族程度の武将だが、ある貴種を旗頭にしていた。位の高い人の血筋だ。その人を守っているのだ。
「教えてあげればいいのに」娘がまた言う。
 つまり、裏はスカスカで開いているのだ。しかし正面から砦を見ると、山の中腹にあり、その左右は峰が長々と続いている。だから、峰の向こう側へ出るためには、かなり回り込まないといけない。そこは山岳部だ。
 峰への登り口には村があり、そこが本陣で、大軍はそこに陣取っている。この大軍は寄せ集めで、一応参加しているだけの部隊も多い。そのため、麓の村から出ようとしない。
 あまり気勢が上がらないのは、その砦を落としても、大した手柄にならないため。
 半年以上の籠城戦に絶えてきたのは、裏が開いていたからだ。そこから兵糧その他のものが持ち込まれた。この時代、一番使っていた武器は弓矢。そのため矢も大量に運ばれている。逆に攻め手の大軍の方が矢が不足し、所謂拾い矢をして凌いだ。大軍は遠方から来ており、荷が間に合わなかったり、襲われたりした。当然食べるものも不足していたため、早く済ませようと、無理攻めに無理攻めを重ねていた。
「教えるわけにはいかんだろ、間道を。そんなことをすれば半日で御館方様の砦は落ちるわい」
 この峰への登り口、実は多数ある。表からでも四箇所以上あるが、大軍が来る前に塞いでしまった。登り口が分からないように。しかし裏側はそのままだ。
 大軍の中の誰一人、峰の向こう側へ出て様子を探ろうとする者はいなかった。余計なことをしたくなったことと、大軍の総大将にその頭がなかった。それに馬から下りて足軽や悪党の真似はしたくなった。そんなことをしなくても、すぐに落ちると思っていたためだろう。
 農夫親子は寺に荷を運び、銭を沢山もらった。
「だから教えちゃだめなんだよ」
 一方。山の表側には市が立った。日用雑貨品から色小屋まで。そして、誰も登り口を教えなかったのは言うまでもない。
 この戦い後、倉が建つ農家もあったが、その後の戦いで、全部強奪されてしまった。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 09:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月02日

3008話 とどめの雨


「雨が降ってますなあ」
「この雨が夏のとどめを刺す雨でしょう」
「ほう」
「朝夕涼しくなり始めた頃に、この雨。ぐんと気温も下がりました。これがだめ押しでしょ。この雨が上がれば秋です」
「晴れて暑かったりすれば」
「それもあります。しつこい奴です」
「長い残暑が秋頃まで続いたりしますよ。それじゃ秋じゃなく、夏が続いている」
「予報とはそういうものです。これは過去の経験でものを言っているので、天気予報とは違いますがね」
「そちらの方が当たるのでは」
「いや、最近の気象は計り知れません。昔からのパターンが通じなかったりします」
「じゃ、科学的な天気予報の方が良いと」
「これも一種のパターンを利用しているのでしょうねえ。例年の、またはこの時期の傾向を。だから似ていなくはない」
「はい」
「この雨がとどめの雨であるかどうかは本当は私にも分からないが、例年ならそうです。特に台風一過で、一気に秋になるケースが」
「今回もそうでしょ」
「ほぼそうなんですが、外れることもあります。その確率もあるのです。そんな年もありました。しかし、多くの年はそれに当てはまった。だから、とどめの雨の確率の方が高い。それだけのことです」
「とどめの雨にならなかった年は、どんな感じでした」
「あれは六年ほど前の夏の終わりでしたなあ。とどめの雨が降りました。しかしやむともっと暑くなりました。これは別の要因が発生したのです。涼しくなるはずの上空の寒気が北へ逃げました。西から高気圧が張りだしてきたからです。これは季節風です。それを予測できなかった。その季節風、進路が少し違っていましてねえ。それが読めなかったのです」
「誰かが団扇で扇いだとか」
「え」
「だから、大きな団扇で」
「誰が」
「団扇を上空で扇ぐと言えば、天狗でしょ」
「そんな天狗の団扇程度じゃ、季節風の向きを変えられませんよ」
「だから、大天狗です」
「ほう」
「夏の入道雲のように身の丈が何キロもあるような大きな天狗です」
「それは」
「いや、私は見ました」
「え」
「雨が降る前、西の空に大天狗が浮かび出て、団扇で扇いでいるのを」
「何と言うことを」
「冗談ですよ」
「そうですよね。そうですよね」
「夏のとどめを刺すとは、その入道雲にとどめを刺すと言うことでしょうねえ」
「そうです。あまり背の高い入道雲だと、上空の寒気という天井に頭を打って、雨になります。暖かい空気と冷たい空気がぶつかりますからね」
「しかし、あの入道雲を見ていると、ゴジラなど虫ほどの小ささです」
「ははは」
「ですが、あの入道雲がもう見られないとなると、少し寂しいですなあ」
「そうですねえ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

3007話 暗闇の夏太郎

暗闇の夏太郎
 夏の闇から抜け出た夏太郎は秋太郎に変身していた。夏の闇に比べ、秋の闇は浅い。そのため、秋太郎の闇も薄くなり、光が差し込んできた。これが冬になると、さらに闇は消え、非常に明るい冬太郎になる。夏の闇が深いのは太陽が明るすぎるためだ。明るければ明るいほどその影は濃くなる。だから冬よりも暗い。
 秋太郎の暗さは日の出前と似ている。これから夜になる黄昏時ではない。本来なら秋は黄昏が似合っている。これは晩秋だろう。冬という暗いとこへ行く前の。しかし冬の闇は明るいため、これは曙に近い。秋太郎が冬太郎になり、春太郎になると、また暗くなる。春の暗さだ。つまり闇の濃さは季節の逆をゆく。
 さて秋太郎になった夏太郎は暗闇から脱したため、物事がよく見えるようになった。冬ほどではないが、真っ黒けの頭に光が入ってきたのだ。黄泉の洞窟から出て来たようなもので、暗くなっていた頭も明るくなった。これがいけない。冬眠ではなく夏眠から起きてきたようなものだ。余計な用事が見えてくる。世間が見えてくる。世の中が視界に入り、暗闇で閉じ籠もっていた頃に比べ、刺激物が多くなる。
 秋太郎はもう一度夏太郎に戻りたいが、それはできない。しかし、季節は巡るため、また夏太郎になれる。それまでの辛抱だ。
 そして明るさに慣れてきた秋太郎は、もうすっかりそのペースに乗ってしまい、夏太郎の闇時代など忘れていた。慣れというのは恐ろしい。数日で夏太郎の衣を脱ぎ、秋太郎になったのだ。実際には衣を着たことになるのだが。
 秋になってもまだ夏太郎をやっている常夏の友達がいる。夏場は思い出せなかったのだが、急に会いたくなり、訪ねてみた。この万年夏太郎は真冬でも夏太郎をやっている。少し光の射している秋太郎は、これは忠告しないといけないと思ったのだ。
「相変わらずかい夏太郎」
「夏太郎」
「まだ夏の闇をやっているようだな」
「何のこと」
 どうやら、夏太郎がどうの秋太郎がどうのとかは、今の秋太郎が作った造語のため、その友達に言っても通じないようだ。
「夏太郎をやめて秋太郎になるんだ」
「何を言ってるの、君」
「ああ、もういい。夏太郎にこんな話をしても分からないのは無理ないこと」
「相変わらず、訳の分からないことばかり言ってるね、君は」
「そ、そうか」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする