2016年10月31日

3067話 新しいものほど古い

新しいものほど古い
 新しい物好きな三好なのだが、最近、その理由が分かってきた。それは新製品などを見ていると、昔に似たようなものがあっため。当然それは今の技術で作られているのだが、そのシンの部分、本質は昔にもあった。ただそれは未完成のまま終わってしまったものも多い。特に画期的な新発明のようなものは、発明は良いが、実現性が乏しかったりする。その中にペン先のない万年筆がある。これは三好がまだ子供の頃のもので、少年雑誌にその広告があり、通販で買っている。
 ペン先がないのに、どうやって文字や絵を書くのか、それが不思議だが、広告の写真では針のようなものが出ている。だからこれがペン先なのだ。そのため、ペン先のない万年筆は誤りで、ペン先はある。ただ、従来のペンとは違う形。注射針のようなものではないかと、三好は想像した。それが当たっているかどうかを楽しみに待った。そして一週間後に届いた封筒に、解答が入っていた。その一週間は楽しかった。いつ届くのかは分からないのだが、一週間以内となっていた。だから、ぎりぎり届いたのだ。支払いは価格分の切手を封筒で送った。
 その間、色々と想像したが、やはり注射針で、先は針のように尖っていないが、管だった。つまりペン先がないというのは、万年筆のペン先を飛ばして、インクを送り込む管をそのまま使っていた。付けペンではないので、万年筆にはインクタンクのようなものが軸にある。そこからインクを送り込んでいる。その管で書いているようなものだ。万年筆を分解してインクの流れを見たわけではないので、仕掛けは分からないが。
 これは根詰まりが多く、かすれまくった。インクは出ないが紙に文字の形は刻まれた。実用性はなかったが、後にそれは製図ペンとして商品化される。仕掛けは同じだ。ただ、インクの出は良くなった。それで実用化できたのだろう。そのため、製図ペン、ロットリングとも言われているが、それを見たときも、ああ、あれかとすぐに仕掛けが分かった。昔、あったためだ。
 三好はその後も様々な新製品が出るたびに興味を示したが、最近では、懐かしさに秘密があるような気がしてきた。昔は子供の玩具程度で、実用性がなかったものが、出てきている。だからその懐かしさに惹かれて買うことも多い。
 その少年雑誌の広告の中にロボットがあった。十センチほどの人形で、鉄の塊。これはただの置物ではないかと思い、流石にそれは買わなかった。人型で二足歩行。そんなものが、そんな昔にできるわけがない。せいぜい巨大な下駄を履いたロボットだ。ゼンマイで一応は歩く。しかも光線を発しながら。しかし、広告で見たロボットは非常にシンプルで足も細い。これは謎のまま。小さすぎるのだ。テーブルを叩くと振動で動くのかもしれない。紙相撲のようなものだ。
 当然普通の家電にも興味を持っているが、いずれも原理は同じ。つまり、昔、未完成で、そこで終わったものや、またどうしても物理的に無理なものが可能になった商品。いずれも原型があり、新製品というより、懐かしい品のように見える。
 画期的な新製品ほど古かったりする。色々な問題が解決し、復活したようなものだ。ただ電気掃除機はなくても、箒があれば掃除はできるので、その程度のものだが。
 流石に箒の形をした電気掃除機が出れば買うだろう。箒と同じほどの大きさで、重さであることが大事で、しかも箒の形をしていることも。
 しかし、箒そっくりの電気箒なら、普通の箒として使った方が早いかもしれない。吸い取るより、履いたり、また指でゴミを摘まんだ方が早かったりする。
 新しいものほど懐かしい。これが三好が辿り着いた法則だが、あまり範囲は広くないようだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:35| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月30日

3066話 眠りの便


「夜にかかってくる重要な電話はいやなですなあ」
「寝る前とかね」
「そうそう、くつろいでいるときね。そろそろ寝る時間なので、フェードアウトするようなときですよ。刺激物を避けてね。ところがその電話がすごい刺激物で、これは効きます」
「眠りにくいですねえ」
「あとは寝るだけ、布団の中に入るだけ、しばしこの世とおさらばのときですよ。現実世界に戻される。しかもデッドヒート状態の直中に」
「迷惑ですねえ。朝とか昼間とか、せいぜい夕方まででしょ」
「そうなんです。用件を聞くと、それほど急ぎじゃない。しかし、すごいことが起こる嵐の前らしい。夜半にかけてくるような電話じゃない」
「きっとその人、それで寝付けないので、電話してきたんじゃありませんか」
「じゃ、道連れにしたようなものだ」
「気になって眠れないので、電話をしたのでしょうねえ。それで少しは気が静まったんじゃないですか」
「おかげでその電話を取ってから頭が冴えて眠れない。いつもならとっくに寝ている時間なのに」
「では寝不足ですか」
「少しね」
「じゃ、結局眠られたのですね」
「まあ、寝たことは寝たねえ」
「どのあたりで眠りに入られました」
「え」
「どんな順序で、眠りに就かれたのですか」
「そんなこと、覚えていないよ。布団に入ってから、その用件のことで頭がぐるぐる回ってねえ。いろいろなシーンが出てきましたよ。ですから、ますます眠れない」
「はい」
「いろいろな想像をしました。しかし、体の方がそろそろ疲れてきたのでしょうかねえ、介入がありました」
「介入」
「別のことが取って代わりだしたのです」
「はい」
「旅行に出ようと思っていましてねえ。十年前に行った場所なのですが、そこが良かった。もう一度行ってみたい。そのときの思い出などが浮かび始めました」
「それが介入ですか」
「そうです。たまに例の用件もちらつきましたが、旅行ネタの方が引力が強いのか、そちらへすーと入っていった瞬間までは覚えているのですが、そのあとは分かりません。気が付けば朝でした」
「僕なら鎮静剤代わりに風邪薬を飲んで寝ますが。明日仕事なら、寝ないといけませんからね」
「それは私には逆効果でして。押し引きが激しく。起きたまま悪夢を見たりします」
「そうなんですか」
「だから、眠れなくてもじっとしておれば、眠りへ誘う便がきます」
「便」
「そうです」
「便意」
「違います。乗り物のようなものです」
「先ほどの介入と同じですね」
「そうそう。この夢の世界への便を待つことです。そのうち来ますす」
「それで夢を見られましたか」
「見ませんでした」
「じゃ、熟睡できたのですね」
「しかし、いつもより睡眠時間が短かったので、今日はだるいです」
「はい
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:59| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月29日

3065話 妖怪夜太郎


 ある夜、うろうろしていたためか、吉田は風邪を引いたようだ。秋が深まり、冬のような冷たい風が吹いていた。要するに体が冷えたのだ。よくあることなので問題はないが、風邪が腹に来たようで、調子がおかしい。あとはくしゃみが出る程度で、これも問題が出るレベルではない。真冬なら始終あること。
 それよりも、うろうとしていたことに問題がある。不審者と間違われることはないが、意味もなく夜の町内を自転車で走っていた。これはたまにあるが、始終ではない。ちょっと外の空気が吸いたいと思い、出ることもある。また、良いことでも悪いことででも興奮し、じっとしていられないときがある。そういうときも外に出る。
 では昨夜、外に出たのはどれに該当するのかと考えると、原因がない。何かに煮詰まったわけでもない。ふっと出たくなった。本来なら夕食後、のんびりと過ごしている時間で、この時間からの用事はないため、外に出ることもない。
 その夜、出たには出たが行くところがない。目的がないためだ。それで小一時間ほど自転車で町内を一周した程度で戻ってきた。このとき冷えたのだろう。風が強かったことを覚えている。
 翌日腹具合が悪いし、鼻水が出放題。これでは部屋でじっとしてるしかないが、寝込むほどでもない。
 誰かが誘ったのか、呼び出したのではないかと吉田は考えた。どうしてそんな考えになったのかが問題だが、外に出た理由が分からないままのためだろう。
「そういう妖怪はいませんか」吉田はよりによって近所に住む妖怪博士を訪ねた。これは相談するような内容ではない。仮にそうだったとしても、なぜ妖怪博士なのか。
「夜に呼ばれたのでしょう」
「何という妖怪ですか」
「夜」
「夜という妖怪ですか」
 夜と絡ませた名の妖怪を思いだそうとしたが、出てこないので、夜だけで切れた。そのあと、何かを加えればいい。
「夜という妖怪がいるのですか」
「夜太郎です」妖怪博士は、やっと適当な名が出たので、それを使う。どうせ、この場だけで終わる妖怪のためだ。しかし、自分ながらシンプルで良い名だと感心した。
「夜が呼んだのでしょう」
「その夜太郎とはどんな妖怪ですか」
「暗くなってから外に出そうとする妖怪です」
「外に出す?」
「夜の世界へおびき出す妖怪です」
「しかし、普通のいつもの町内で、別に夜の世界じゃなかったですよ」
「そうではなく、暗くなってから外をうろつかせることが目的なのじゃ」
「確かにその夜は目的も何もなく出ました」
「だから、あなたは夜太郎に呼ばれたのです」
「夜太郎の目的は何ですか」
「だから、外に出すこと」
「外って、家の外でしょ」
「それで、うろうろしていたのでしょ」
「しました」
「それで終わり」
「え」
「それだけの妖怪で、外に呼び出しただけで、それ以外何もしない。夜太郎の目的は、夜中にうろうろさせるだけじゃ」
「しかし、寒かったので、風邪を引きました」
「風邪と夜太郎との因果関係はありません。だから当然引かない人もいます。夜太郎は夜の世界へ誘うだけで、それで終わり」
 どちらにしても、ふっと夜に外に出てしまった理由が分からないので、夜太郎のせいにすることで、吉田は納得した。
 妖怪博士はとっさの思い付きで、妖怪夜太郎を創作したが、本当にいそうだ。
 
   了


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2016年10月28日

3064話 冷蔵庫の音


「昔の思い出なのですが、まあ、思い出とは全て過去のこと。しかし、昔となりますと、少し古い。十年一昔と申しますが、それよりも古い思い出です」
「はい」
「その場合でも私の思い出ではないのです」
「どういうことですか」
「実体験の話ではないということです」
「昔、見た夢とか」
「それも実体験かどうかは曖昧です。実際に起こったことじゃありませんが、私が体験しないと、その夢も分からないまま。まあ、覚えていたらの話ですがね」
「夢の話ですね。昔見た」
「夢ではなく、漫画です」
「漫画」
「そうです。妙な漫画でしてねえ。別にどうということのない話で、普通の人の普通の日常なのですが、絵が少し個性があり、同じ現実なのに、違った世界に見えるのですよ」
「別世界の話ですか」
「いえ、勤め人の話で、休日なので、家で一人でいる話です」
「それが何か」
「画かれている絵は、普通の庶民的な家で、畳の間があり、キッチンがあり、冷蔵庫があるような」
「はい」
「その中年の勤め人は朝寝をしています。平日ですが、休みのようです。それで寝坊を目一杯してるのですが、そんなに眠れるわけがありません。寝過ぎたのか、目を覚ましますが、まだ寝床の中。すると、妙な音が聞こえるのです。昼前でしょうか。外からの騒音も結構入ってきますが、それかな、と最初思ったようです」
「幻聴もの」
「違います。冷蔵庫の音だったのです。今までそんな音がすることなど知らなかったようでした」
「はい」
「それだけです」
「え」
「これは漫画ですが、不思議な印象が残り、何度もそれを読み返しましたよ。丁度私も中年にさしかかる頃でした。しかし、中年の入り口の思い出として、この漫画の方が印象深く残っているのです」
「その漫画はそこで終わったのですか。そんなはずはないと思いますが」
「そのあとも、話は続きますが、この冷蔵庫の音だけで十分です。その中年の勤め人、寝間着のまま、しばらく蒲団の上で座っているのです。そして何かを考えているようです」
「変な漫画ですねえ。日常を描いた心理ドラマですか」
「まあ、そんなところですが、別に何も起こっていません。しかし男は眉間に皺を寄せ、怖い顔で座っているのです」
「はい」
「そして何かを思い出したのか、冷蔵庫に向かい、そして開けます」
「そこに何か」
「奥さんが出掛ける前に、冷蔵庫の中におかずがあるから、それを温めて食べるようにと、言って出たようなのです。それを思い出したのでしょう」
「はあ」
「そして、ラップで包んだものをテーブルに置きます」
「どんなおかずですか」
「絵なので、よく分かりませんが、カボチャと蛸を煮たようなものでした」
「はい」
「男は、じっとそれを見ているだけで、食べようともしません。茶碗も出していません。だから食べる気がないのでしょう」
「はあ」
「そして、そのまま寝床に戻り、また座り込みます」
「何ですか、その漫画」
「このあとも、ずっとこんな感じなので、お話しとしては何もありません」
「はあ」
「そして最後にひと言だけ、セリフを吐きます」
「はい」
「それは声を出しての独り言です」
「どんな」
「私をなめるんじゃないなめるんじゃないと何度も呟きます」
「誰に対してですか」
「分かりません」
「はあ」
「話はそれで終わりです。まあ、こんな話なので、最後まで話しても仕方がなかったのですがね」
「それが昔の思い出として、ずっと残っているのですか」
「そうです。私が体験したわけではありません。ただ読書体験のようなものでも思い出として残るようです。しかも、その年代のことはあまり覚えていませんが、その頃読んだ、この漫画だけは印象深く覚えているのですよ」
「現実ではなく、架空の方が印象深かったわけですね」
「そういうことです」
 
   了


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2016年10月27日

3063話 古きを訪ねて


 古いものに馴染みを感じるのは、自分が古くなったためだろう。古きに新しきを見出すのはまだ若い。古きを求めているのではなく、新しきを求めているため。
 もうあまり進歩もしないようなもの、終わってしまったまま未だに残っているものに親しみを覚え出すと、それはもう未来を見据えていないことになる。古いものを活かして何とかしようとかではない。
 老い先短い三田老人は古寺巡礼などをしている。これは十年前も百年前もそれほど変化はない。古寺が外装まで鉄筋コンクリートになれば、観光客は来ないだろう。求めているのは様変わりの少ないもの。それなら原生林にでも入れば見た目の変化は四季によっては違うが、千年も二千年も前と似たようなものだろう。よく見ると、消えてしまった種目があるかもしれないし、下草や灌木も違っていたりするが、そうではなく人工物が見たいのだ。これは道具でもいいし、機械でもいい。
 それが高じると骨董品になるが、手に取って見たり感じたりするものではなく、その中に入りたい。だから、建物や場所が好ましい。
 三田老人はそれで古寺巡礼、これは神社でも名所でもいい。それを続けている。若い頃にもそういう趣味があったが、それは新鮮だったため。自分の日常とは全く違う別世界の空間がそこにあった。だから違うものを体験するという感じで、決してそれに馴染んだり同調したりはしなかった。
 年を取ると仏像になるわけではないが、その差が少しだけ縮まっている。最後は仏像にはならないが、その気配に近いものがある。気配とは雰囲気的なものだろう。
 三田老人はそういうものに触れて、何かを見出したり、生きる知恵を得たり、役立てようとするわけではない。もうそんな用事は殆ど残っていないし、人格を磨いても、もう遅い。当然知識欲もない。得ても使う機会がなかったりする。
 同じように寺社参り、名所旧跡参りをしている友人がいるが、彼は運動のためにやっているらしい。ただの行楽だが、まだウロウロできるだけでも満足なようだ。
 当然そういう年寄りだけではなく、若い人も訪れる。これは異空間に一度入ることで、何かが浄化されるように感じるためだろうか。映画の世界ではなく、主人公は自分だ。これは実体験でないと駄目なようだ。ただ、映画や音楽と違い、自分が主人公なので、大したドラマ性はなく、ただ単に歩いたり、眺めたりしているだけ。
 まあ、昔からずっと続いている見世物興行のようなものかもしれない。
 
   了

 
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2016年10月26日

3062話 天神堂


 幸里村はこの地方の中心部にあり、近隣の村々の人達もよく来ている。一寸した町屋もあるためだ。狭い盆地だが、山沿いに寺社も多い。
 その山沿いの神社の裏側に天神堂がある。今は小さなお堂がぽつりとあるが、昔は一寸した建物があったらしい。お寺で言えば宿坊。
 その天神堂は所謂菅原道真を祭った天満宮ではない。文字通り天の神、つまり天つ神だが、意味が少し違う。祭られているのは天神さんで、これは女性。神になったわけではないが、人気のあった遊女だ。若くして亡くなったので贔屓の旦那衆が半ば洒落で天神堂を建てた。供養のつもりだ。この天神さん、祟りはない。
 天神さんと呼ばれていたのは遊女の位から来ている。一番上が太夫。その次が天神なのだ。小吉野という遊女で、まるで天女の如しと、その頃のカタログのようなものに書かれている。
 遊郭は神社裏の谷にあるが、今は当然跡形もない。残っているのはこの天神堂だけ。土地の人も、もう謂われを気にしなくなったのか普通の天神さんとして参る人もいる。賽銭箱もあるし、ガラガラもあるので、神社と間違える人がいる。しかし、このお堂、実は納骨堂で、神社ではないことが、これで分かる。
 旦那衆達が建てたのは実は天神堂ではなく納骨堂だった。ただし、遊女の小吉野天神の骨だけなので、いつの間にか天神堂と呼ばれるようになった。
 骨は納骨堂の下にある。お堂と言うより、墓に近い。この謂われを知っている人は結構多い。旦那衆達の子孫は全員知っているし、近在の人も知っている。
 江戸時代にできたお堂だが、明治に入ってから補修され、脇に牛を置いた。天満宮のように見せるためだ。それ以来、普通の天神さんになり、太夫の次に偉い天神と入れ替わった。 いちいち解説はないので、参りに来た善男善女は見ず知らずの遊女の骨を拝んでいることになる。
 
   了

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2016年10月25日

3061話 稲賀谷の巫女


「さて、どこまで話しましたかな」
「適当に聞いていたので、忘れました」
「印象にも残っていないと」
「すみません」
「まあ、つまらんよくある話なので、適当に聞き流していたのでしょ」
「いえ、そのときは聞いていました」
「しかし、記憶にない」
「はい、度忘れです」
「稲賀谷の魔法使いについての話ですよ」
「ああ、思い出しました」
「そうでしょ。魔法使いの話なので、これは目立つでしょ。印象に残るでしょ」
「いえ、そのときはしっかりと聞いていましたが、度忘れというのがあるでしょ。それです。完璧にその話、記憶しています」
「思い出してくれましたか」
「はい」
「じゃ、続きを」
「え、あのお話しはあれで終わったのではないのですか」
「稲賀谷の魔法使いは高齢で後継者に若い巫女を選んだ」
「それでお話しは終わったと」
「ところがこれが相性が悪かった。若い巫女には魔法使いの才能どころか、その方面での力は全くなかったのですよ。稲賀谷の魔法使いは巫女ならその力があると思ったのが間違い。稲賀谷に祈祷師が一人いますが、これは彼より年上の老婆、これでは跡を託しても短い。その稲賀谷の祈祷師も、若い巫女を後継者にしたいと思っていたので、稲賀谷の魔法使いと祈祷師との対決になった」
「でもその巫女には能力がないのでしょ」
「いや、稲賀谷の魔法使いにも祈祷師にも実はそんな能力などない。だから巫女ならいけると思ったのだろうねえ」
「その魔法使いと祈祷師との戦いはどうなりました」
「爺さんの方が体格もでかく、力もあるし、杖という凶器を持っているので、小柄な祈祷師の老婆など簡単に片付けた。いや、戦う前に老婆は降参した」
「魔法と祈祷との対決ではなかったのですね」
「残念ながら」
「それで、魔法使いのお爺さんは若い巫女を弟子にしたのですか」
「そこまではよかったが、才能が無い。素質がない」
「その若い巫女は稲賀谷の何処にいたのですか」
「稲賀谷西側にある小さな村だ」
「そうではなく、巫女をしていた場所です」
「単独だ」
「じゃ、魔法使いのお爺さんも、祈祷師のお婆さんも、若い巫女も、結局何処にも所属しないフリーの人だったのですね。そして普通の人」
「普通じゃないが、その種の能力はなかったようだ」
「それで、どうなりました」
「若い巫女は一応弟子になり、魔法使いのお爺さんから魔術を学んだ」
「でも二人とも超能力はないのでしょ」
「魔術というのは、術で、これはテクニック。誰でもできる」
「そうなんですか」
「だから、若い巫女はそのテクニックを学んだことになる。長い間磨いてきた魔法使いの魔術なので、これは結構参考になったようだ」
「それからどうなりました」
「魔法使いの爺さんが亡くなると、今度は若い巫女は祈祷師のお婆さんの弟子になった。婆さんは大歓迎で、祈祷術を継がせた」
「はい」
「そして、その婆さんも亡くなったので、稲賀谷でややこしいことをしているのは若い巫女だけになった」
「あの有名な西方の巫女とは彼女のことですか」
「それは後の話。若い巫女は魔法使いの弟子なので、魔術師でも良かったし、祈祷師の弟子でもあるので、祈祷師でも良かった。しかし、巫女が好きだったのだろうなあ。最後は巫女として活躍した」
「西方の巫女と言えば、全国至る所に現れ、大活躍していますよ。もの凄く有名な巫女です」
「しかし、巫女としての能力は何もなかったのだよ。そういう巫女ほど有名になるものだ」
「そういう結末の話でしたか」
「次は、その若い巫女が年取ってからの話になる。今度は忘れないようにな」
「はい、分かりました」
 しかし、次回もまた忘れてしまったようだ。
 
   了

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2016年10月24日

3060話 小人物


 大きなことより小さなこと、些細なことばかりに気を取られ、大きなことができない人もいる。大物は大きなことをする。しかし最初から大物ではない。小物だ。そのためいきなり大きなことはできない。小さなことから始めることになるのだが、スケールの問題ではなく、それが何処に繋がっていくのかを考えると、小さなことでも、なかなか実行できなかったりする。大きなこともできないが小さなこともできない。小さなことでも実際には大きなことと変わらないからだ。見た目は小さくても、それが徐々に大きくなっていくと、手に負えなくなったりする。それが予測されるため、小さなことでも慎重だ。だから大きなことができない人は小さなこともできないわけではないが、小さいままなら何とかなるだろう。最初から小さく、どこまでいっても小さいなら、安心してできる。
「それで大きなこともできなし、小さなこともできないわけですか」
「ヒヨコもそのままだと可愛いですが、すぐにニワトリになり、そのときは可愛くありません」
「そんなことは最初から分かっているでしょ」
「ヒヨコが好きなのであって、ニワトリが好きなわけではありません。それを考えると、ヒヨコが欲しくても先のことを考えると、飼えません」
「ニワトリも可愛いですよ」
「いや、あれは小さく黄色いからいいのです」
「万事がそうですか」
「はい」
「では成長したものや、成熟したものは嫌いだと」
「そうなります」
「それは悪い趣味というか、性癖かもしれませんよ」
「え」
「幼いものが好きとか」
「それは喩えです。将来の夢を言っているのです。将来何になろうかと」
「仕事ですか」
「そうです」
「それで、小さな仕事が好きだと」
「そうです。ずっと小さいままの仕事がいいのです」
「いくらでもありますよ。そんな職種は」
「仕事内容は小さいままでも、ベテランになると、また違ってくるでしょう」
「古参兵のようなものでしょ」
「その状態が嫌なのです」
「じゃ、個人で、コツコツと小さな仕事に励むことですねえ」「そうです。成長したくないのです」
「そのタイプ、結構普遍性があって、結構いますよ」
「そうなんですか」
「まあ、大人になっても未成熟なままなので、周囲に迷惑を掛けたりしますよ」
「それは困ります」
「だから小さな仕事とか、大きな仕事など考えないで、やればいいのですよ」
「しかし、小さな仕事でも、それが大きな仕事になっていきます」
「心配しなくてもいいです」
「どうしてですか」
「それほど伸びないで、小さなままの人が殆どですから」
「はあ」
「大物になるのはほんの僅か。だから安心ですよ」
「だったら安心して小人物になれるのですね」
「そうです」
「安心しました」
「参考になりましたか」
「なりました」
 
   了

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2016年10月23日

3059話 空の財布


 昔から空の財布を拾うと貧乏になるという都市伝説がある。これは江戸時代からあり、その頃は巾着だろうか。お金を入れる袋だ。ただ巾着はお金を入れるだけではないので、江戸時代なら紙入れだろうか。こちらもお金だけではないので財布とは言えないが、似たようなものだ。
 貧乏になるというのは、空の財布ではなく、底にゴミや綿ぶくなどが残っている。その綿ぶくの中に、埃だらけの小さな貧乏神がいるのだ。全ての空の財布に棲息しているわけではないが。
 運悪く貧乏神付きの空の財布を拾うと、貧乏になる。単純な話だ。なぜ貧乏になるのかというと、貧乏神を持ち帰るためだ。貧乏神がいると貧乏になる。直接の原因ではないが、貧乏の風が吹き、いつの間にか貧乏になってしまう。直接の原因は様々だが、結果的には貧乏人の仲間に入ってしまう。景気の良い人でも、水を掛けられたように静まりかえり、大人しくなる。お金がなくなり動けなくなるためだ。
 竹中は空の蝦蟇口を拾った。かなり大きく、本当に蝦蟇ほどある口をしていた。それを閉める口金のバネがきつく、パンチと閉めるとき、指が振動で痺れるほど。そして中身はなかった。所謂空の財布。
「貧乏封じですかな」
 竹中は妖怪博士に助けを求めた。これは空の財布を拾うと貧乏神が入っており、貧乏になることを知っていたからだ。
「捨てればよろしいかと」
「だから、その捨て場が問題でして。下手なところに捨てると、貧乏神が仲間を連れて戻って来るとか」
「戻る?」
「はい、拾ったとはいえ私が蝦蟇口の持ち主、だから、蝦蟇口から抜け出して、貧乏神が私の元に戻って来るとか」
「その蝦蟇口に貧乏神が入っているかどうかは確率の問題でしょう。余程運の悪い人です。貧乏神入り財布を拾う人などね」
「では、この蝦蟇口に貧乏神がいるかどうか、見てもらえますか。鑑定をお願いします」
 そう言われても妖怪博士にはそんな能力はない。しかし、ぱかっと開けて、中を一応覗いた。暗いので照明の下で見たのだが、貧乏神は見えるほど大きくはない。綿ぶくの中にいるのだから、目で分かるはずがない。
 妖怪博士は蝦蟇口を逆さにして振ってみた。すると、綿ぶくやゴミが目で分かる大きさで下に落ちた。一部は宙に舞って、消えた。
 妖怪博士は「あっ」と声を出したが、もう遅い。
「いましたか、貧乏神は」
「いや」
「お願いします。どうかこの財布を安全なところに奉納するなり、祟らないような場所へ持って行って下さい」
 竹中は、まくし立てるように言い、さっと封筒を差し出した。お礼と書かれている。そして、逃げるように立ち去った。
 妖怪博士はその封筒を開けると、札が数枚。鑑定料と財布の処分代らしい。
 要するに竹中は貧乏神入り蝦蟇口の捨て場を妖怪博士宅にしたようなものだ。
 
 というような話を妖怪博士付きの編集者が来たときに話した。
「その後どうなりました。貧乏になりましたか」
「変わらん」
「それはよかったですねえ。空の財布に貧乏神が入っているとは限らないですから」
 妖怪博士も編集者も、それ以上のことは分からない。見えない世界の出来事のため。
 さて、その世界が実際に見えたとすれば、その事情が分かる。
 それは妖怪博士が蝦蟇口を逆さにしたとき、貧乏神は綿ぶくにしがみつきながら畳に落ちた。その瞬間、部屋の片隅の綿ぶくの中からかなり大きな貧乏神が出て来て、襲いかかったのだ。縄張り荒らしと見たのだろう。貧乏神が貧乏神を追い出したことになる。
 そしてその大貧乏神は、妖怪博士宅に居続けている。だから、その後、様子はあまり変わっていないのだ。
 
   了

 
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2016年10月22日

3058話 土民とのり弁


 下村はその日も昼寝し、起きるとコンビニへ、前日と同じように弁当を買いに行った。昼は弁当を食べる。これが癖になり、習慣となり、日課になってしまったが、昼寝をしない日はその限りではない。昼寝とコンビニ弁当がセットになっている。そして弁当は昼しか買わない。弁当が欲しいと思っても朝や夕方や夜では買いに行かない。そして弁当はコンビニと限っている。それ以外では買わない。一つの規則ができており、そのため規則正しい生活を過ごしているわけではない。しっかりとした食事をするのなら、しっかりとした食材で自分で作る方が良い。それに弁当では野菜がない。殆どない。幕の内弁当などには野菜類が入っているが、量が少ない。そして下村が買うのはのり弁に限られている。白身の魚のフライとちくわの天麩羅、野菜は桜漬けかゴボウ程度。しかし海苔弁なので、海苔が乗っている。その下には塩昆布。海の野菜だ。しかし、それでは足りない。
 下村はコンビニまでの道を歩いているとき、前日の村祭りのお神輿を思い出した。もう太鼓の音は聞こえない。年に一度、一日だけの行事なのだ。それらを担いでいる人や世話人が土民のように見えたことを思い出す。もう土民達も現代人に戻ったのか、消えてしまった。そして土民達の住処へ行っても土民らしくはないだろう。
 コンビニまでのその道、以前は田圃の中にある畦道程度の細い道だったことを近所の人から聞いたことがある。その人はお爺さんで、もう亡くなられたが、そのお爺さんの子供時代は、そんな田園風景が拡がっていたらしい。その時代なら、このお爺さんも土民だったに違いない。
 年に一度しか姿を現さない土民達だが、存在感がある。昨日今日でできるものでは当然なく、数十年でも無理。何百年もの背景がある。その重みだ。今は今風の町の下敷きになってしまったが、これが年に一度出てくる。そして、毎年毎年。
 村時代には村時代の慣わしがあったのだろう。お神輿を倉庫から出すときや、飾り付けや、その担ぎ方や順路など。昔からの仕来りのようなものをそれなりに受け継いでいるに違いない。
 下村は村の秩序というものを考えてみた。色々と決まり事が慣習化していたはず。丁度下村が昼寝後にコンビニへのり弁を買いに行くように。
 戻ってから、そんなことを思いながらのり弁を食べた。しかし、のり弁の味はのり弁の味で、ただの弁当以外のものは感じなかった。
 
   了

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2016年10月21日

3057話 土民を見た


 秋になるとドンドンと音が聞こえてくる。太鼓の音だ。下村はまだ土民が騒いでいると感じる。地元の人が秋祭りで太鼓を叩いているだけだが、その太鼓はお神輿に仕込まれている。既に周囲の田圃は減り続け、本当に農家をやっている人は数えるほど。秋祭りの多くは実りに関する行事のようなもので、神様にお礼を言ったり、一緒に食べたりする。そしてお神輿は神殿の出前のようなもので、村を練り歩く。その道筋に農家があり、提灯などが飾られている。お神輿は村を隈無く回るのだが、今はもう担ぎ手がいないため、ボランティアが多い。地から生えた根だけでは足りない。
 太鼓の音がうるさいので、昼寝から目が覚めた下村だが、この時期、毎年毎年、これだけは続いていることに気付く。それはお隣の村も同じで、神社の境内にお神輿が出され、飾り付けされ、夜間用のライトアップまである。
 下村は昼を食べないで、昼寝をしたため、コンビニへ弁当を買いに行った。丁度その道をお神輿が移動している。ドーンドンと空き腹に響く。その担ぎ手や世話人を見ていると、土民に見えてくる。実際にはボランティアの会社員だったりする。この旧村での秋祭りは平凡なものだが、これをしないと気持ちが悪いのか、戦中は知らないが、担ぎ手がいる限り、途切れたことはない。
 町の景色は随分と変わったはずなのだが、秋の祭りだけは、誰にでもできるものではない。先ず神社がいる。氏子がいなくても、世話人がいる。そして、昔からここに住んでいる家々がある。多くは農家だが、そういう人が土民のようにいるのだ。
 コンビニに入ると、それと分かる担ぎ手や年配の世話人がいる。その中の一人は代表らしく、裃袴で腰には小刀まで差している。名字帯刀が許された大百姓の子孫かもしれない。
 時代がどんどん変わり、何もかも様変わりしている中、おそらく江戸時代から続いているような土壌がこの日に隆起する。もうそんな地面はないのだが、その辺を掘り起こせば、そこが田圃のあとだったことは分かるはず。
 稲刈りあとの農道を神輿が巡行していた時代とは背景が違うが、道は昔と変わっていない。
 下村は弁当を温めてもらい、レジ袋を水平に持ちながら、まるでお神輿のようにぶら下げた。傾けると、ご飯やおかずが端に寄ってしまい、量が少なくなったように見えるためだ。
 お神輿はもう何処かへ行ったのか、太鼓の音だけは遠くで鳴っている。
 
   了


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2016年10月20日

3056話 狼狽


「人にはウロウロしているタイプと、じっとしているタイプがあるのですよ」
「何かの印象ですか」
「休日のつぶし方などを見ていると、そう思います」
「余暇時間の過ごし方ですね」
「そうです。じっとしている人は、家にいることが多く、ウロウロしている人は、当然家の中でもウロウロしますが、多くは外に出ています。まあ、外出、お出掛けが多い」
「はい」
「しかし」
「はい」
「ウロウロしている人の方が実は少ない。家の中や建物の中にいる人の方が多い。もし半数以上の人が外に出ているとなると、ものすごい数になり、街や道は人でごった返すでしょう」
「そうなんですか」
「大きな災害があったとき、外に出ることがあります。避難のようなものです。これだけの人が何処にいたのかと思うほど、家から沸いて出ます」
「人口密度の高い町ですね」
「まあ、そうなんですが」
「それで」
「行楽日和、外に出ます。人が多い。これを人出が多いと言いますね。出ている人が多いという意味です。だから出ていない人も結構いるわけですが、実はそんな日でも、家にいる人の方が実際には多いような気がします」
「それで、その二つのタイプなのですが」
「はい、ウロウロする人と、じっとしている人ですね」
「遊牧民と定着民の違いでしょうか」
「難しいことは分かりませんが、気性のようなものもあるのでしょうねえ」
「気性」
「見て回るのが好きなんでしょう」
「それは何でしょう」
「好奇心かもしれませんし、ただの体質かもしれません」
「はい」
「毎日が日曜のような暇な人はかえって何処にも出掛けなかったりします。その気になればいつでも行けるからです。朝、一寸決心すれば出掛けられます」
「はい」
「今日、出掛けなければ次に出掛けられるのは二週間後だとなると、出るでしょ」
「はい」
「それでも出掛けない人もいます。じっとしているタイプです」
「それは外ではなく、内が充実しているからですか」
「いや、外に出るのが嫌なのですよ。用事があれば別ですがね」
「ウロウロしている人の方が元気そうですが」
「家にいるときに比べ、色々と身構えますからね」
「どちらの方が良いのでしょう」
「そりゃ、ウロウロしている人の方がチャンスがありますが、リスクもあります」
「狩人のようなものですね」
「ただ」
「何ですか」
「ただただ、やたらとウロウロウロウロと、うろついている人もいます。まあ、ウロウロとはうろたえるようなものですからね。単に迷っているだけ、何も判断が付かず、狼狽してているだけ。しかし、実際にウロウロしている人は、うろたえているわけではありません。目的があってしっかりと動いていますから」
「狼狽って、狼が関係しますか」
「さあ、狼に出合って、うろたえているような状態でしょうか」
「じゃ、ウロウロしている人は、逆に狩人には向いていませんねえ」
「本来じっといているタイプの人の方が、うろつくようです」

   了

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2016年10月19日

3055話 異変


 平凡な日常生活の中で異変が訪れる。そして異変はいきなりが多い。予測されていたものもあるが、時期が分からないし、来ないかもしれない。または予測不可能な突然の異変もある。異変なので、何か変だなあ程度のものではない。生活を脅かされたり、生存にも関わったりする。またその異変が起こると、その後、嫌なことが続き、平穏には暮らせない。
 来るものが来た場合も、このタイミングでか……などと時期が問題だったりする。悪いときには悪いことが重なるが、良いことが重なっているときでも、来るものは来る。
 ただ異変、悪いことばかりではない。災難のように思いがちだが、どうせ何処かで果たさないといけない事柄だったりする。
 異変は日常のリズムとは相容れない別の調子、調べだ。異音、不調和音のようなものだが、異なった音色なので目立つ。飛び出す。
 この異変も時間が経つと静まっていくのだが、解決したわけではない。慣れたわけでもないが、日常の中に浸透していくのか、いずれ日常に組み込まれる。すぐに終わるような異変なら、一時のイベントのように、台風一過で済む。
 平穏な暮らしとは文字通り、波風の立たない暮らし。平穏さの中にも、たまにさざ波は立つが、日常範囲内。
 異変が起こると先々のことが不安になる。今日と同じような明日ではなくなるが、それが長期に及ぶ場合、やはり慣れになるのか日常化する。これは異変を特別扱いしていると辛いからだ。身が持たない。場合によっては取り込んでしまう。日常の中に入れてしまうのだ。
 人は慣れることで何とかなることもある。ただ異なったもの、違うものは追い出そうとするだろう。これは肉体がそうだ。棘が刺さっても、そのうち抜けたりする。中から押し出しているのだ。
 異変に対する反応、それは人まちまち。因果関係もあるが、因果の外のこともある。原因は本人には一切ないのだが、遠いところであるのかもしれない。偶然は有り得ないという説で、その偶然が起こるだけの理由があったりする。本人が気付かないだけ。
 日々、どうでもいいようなことで気を揉んだり、残念がったり、喜んだりしているのは、もの凄く平穏な証拠。呑気でいられるというのは本当はもの凄いことなのかもしれない。
 
   了



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2016年10月18日

3054話 今宵も月は出ぬそうな


 希望していたような、予定していたような未来はなかなか来ないようだ。未だ来ないので未来というのだろう。その未来は何等かの世界だ。未来世界と言うほどスケールの大きなものではなく、個人レベルでの話。
 その希望、欲深いものが多い。良く言えば理想的なもの。望んでいたもの。それがささやかなものであっても、逆に難しいかもしれない。
 夢と希望。似ている。しかし夢は希望ほどの現実性はないかもしれない。
 思っていたようにならないと、予定されていたものが消える。予定通り、予測通りに行かないことは日常的に経験している。思い描いていた未来とは違ってしまう。しかし、夢とか希望とかは変更できる。それで別のものを求めに行ったりする。未来世界が複数あるようなもので、それは個人の頭の中にある世界のため、切り替えることができる。個人の数だけ世界がある。
 そして、希望したようにはならなかった場合、その先の世界が途切れてしまうのだが、それを踏まえた上で、新たな希望を抱く。
 未来はどんな感じで来るのかというと、なし崩し的に来たりする。ある日、突然別の未来へ行くことになるようなことは希にあるが、それは余程のことが起こったためだろう。大災害や大病とか。
 これは過去を振り返るとよく分かる。昔やろうとしていたことなど痕跡さえなかったりする。それでも未来はやって来て、今がある。
 そして今の状況、資源のようなものだが、それを踏まえての希望をまた抱く。希望を抱かないと言うことも、また希望だ。本人が描かなくても人が与えてくれたりする。
 未来はなし崩し的にやってくる。何か色々と崩れ、壊れているのだが、新たに手に入るものもある。
 
   了


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2016年10月17日

3053話 永代供養村


 その村には村長が多い。実際には一人だが、村長代理、村長代行。これで三人。副村長が三人。村長代行代理が二人おり、その人数に加え、村長心得とかがそれぞれ付く。心得とは何か。これは役はないが、身分は同じと見なすこと。しかし小さな村なので、一般村民とのバランスが悪い。
 村長代行や代理までが偉いさんで、その下にさらに役職がある。ただ、本当に役場を動かしているのは、それらの人達ではない。所謂事務方、助役。村長以下は選挙で選ばれるが、村役場に勤めている人は、ずっといる。しかし、村長はずっと同じ家柄の人が選ばれているため、選挙で別の家系の人が選ばれることは先ずない。当然助役も、その一族だ。
 この村長一族、村を食い物にしているのだが、それほど食べるところがない。もう殆ど食べてしまったのだが、この一族は中央に顔が聞き、補助金などをかなりもらっている。また、辺鄙な場所にあるのに、公立の施設などが建っている。
 そのため、こんな小さな村など、赤字になるはずなのだが、合併もしないでやっていける。もし選挙で別の人を村長にすれば、村は壊滅する。
 歴代の村長は政治家ではない。中央官僚の何処かと繋がっているのだが、そのカラクリや繋がりはよく分からない。また、その村長一族は何等かの団体に加わっていたり、作ったりもしていない。長閑な村で優雅に暮らしている。たまに四畳半ほどの外車が入ってくることがあるし、村長代行代理がたまに上京している。それ以外目立った動きはない。
 中央と何世代にもわたって繋がりを持っている。中央の人事も変わるはずなので、余程の繋がりがあるのだろう。
 その起こりは明治維新あたりから始まっている。この一族はこの村のただの百姓で、維新時、有力者ではない。だから維新前に活躍した人がいたのだろう。表ではなく、裏で。
 ある省庁の事務方トップが変わるとき、申し送りというのが裏である。これは秘中の秘だ。その中に、この村に関しての記載があるらしい。これは余程のことなのだ。中央官庁が小さな村のことについて触れるのは有り得ない。
 何等かの秘密結社のような組織があるのではないかと思われるのだが、そのタイプではないようだ。
 村ではなく、村長一族を永代供養でもするように面倒を見ているのだ。また、疎かにできないような理由があるのだろう。
 
   了

 
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2016年10月16日

3052話 宅配便は二度ベルを鳴らす


 室戸が昼寝をしているとき、宅配便が来た。すぐに起き、受け取った。時間指定ではないので、いつ届くか分からない。そういうときに限って留守のときがある。ほんの一時間か二時間、外に出ただけだが、留守は留守。今回は大事な品が届くことと、すぐに現物を見たいので、寝待ちした。午前中は来なかったので午後からだ。お昼頃、宅配便の車をよく見かけるし、いつも受け取るのも昼前後が多い。そのため、昼食後寝待ちを決め込んだ。
 その寝待ちが図に当たったのか、無事に受け取った。すぐに開封し、買った商品を見る。ただのケースだ。宝箱のようなケースで、これが欲しかったのだ。宝石を入れるわけではない。
 それで安心し、もう一度寝た。中に何を入れるのかを考えながら。
 昼寝の二度寝から起きると食べ残しのおかずがある。まだ寒い季節ではないので、急いで冷蔵庫に入れた。そこでチャイム。
 出てみると先ほどの宅配便。同じ人だ。そして、同じような箱を持っている。室戸はサインし、それを受け取った。
 開けると先ほどと同じ宝箱。これはどうなっているのだ。二つ買った覚えはない。それなら一緒に配達するだろう。
 何かの間違いかもしれないが、気になるのは同じ人が来たこと。サインをするとき、その箱の上に伝票を置き、配達員のボールペンで書くのだが、配達員が動かないように手で押さえるポーズも似ている。
 最初に来た配達員は何だったのか、いや、次に来た配達員の方が怪しかったりする。どちらかの配達員は実体がないように思えた。時間軸がおかしくなり、一度が二度になったように見えるのだろうか。
 しかし事実はどうあれ、宝箱が二つ手に入ったことになる。そして、伝票や段ボールの形を比べようと、自室に戻ったのだが、ない。自室が消えたのではなく、宝箱だ。また、取り出してすぐに寝たので、段ボールもそのままあるはずだが、ない。
 宅配業者が怪しい存在ではなく、最初に来た宅配は夢だったのだろう。そしてそれを開ける夢を見て、もう一度寝た。
 夢の中で手に入れた宝箱は持ち帰れない。最初から分かっているようなよくある話だ。
 
   了


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2016年10月15日

3051話 秋の物思い


「寒くなりましたなあ」
「秋を飛ばして冬のようなものですよ」
「じゃ、秋は」
「また戻るでしょう」
「秋らしい日は希ですなあ。秋なのに夏のように暑かったかと思うと、急に冬のように寒くなる。寒くなったので電気ストーブを出すと、また真夏のように暑くなり、扇風機を出したり。扇風機がヒーターになればいいのですがね。出したり仕舞ったりと面倒ですよ」
「秋や春は中間なんです」
「ああ、夏と冬の間だってことですか」
「そうです。だから気候も中途半端。丁度真ん中の気候なら申し分ないのですが、どちらかに傾いています。夏寄りの秋か、冬寄りの秋に」
「中間があるようで、ないのですな」
「中間は幅が広い。ど真ん中の秋なんて希です。滅多にそんな偶然はありません」
「今年も秋の長雨でしたなあ」
「それで余計に秋がない。おそらくその頃夏が終わり、秋になっていたはずなのですが、雨では様子が分からない。晴れないと秋らしくありませんしね」
「女心と秋の空って言いますねえ」
「気が変わりやすいってことで、天気も変わりやすく、不安定なのでしょ。夏寄りになったと思えば冬寄りになる」
「今日はどうですか」
「秋のど真ん中でしょ。暦の上では。しかし、ちょいと冬に傾き過ぎていますなあ。そして今後夏に傾くより、冬に傾く方が多くなります。秋らしい日があるとすれば、夏側へ少し傾いたときです。もう夏の気配はしませんが、このときやっと秋らしくなる。そういう日がたまにありますが、冬への傾き加減の方が大きいので、滅多にそんな日はありませんがね」
「そうですなあ。夏は暑い日がずっと続いていましたしね。来る日も来る日も同じような暑い日。冬もそうです。毎日毎日寒い日ばかり、それも似たような寒さですし」
「安定した暑さ、安定した寒さですよ」
「早く冬になった方が良かったりします」
「秋や春に考えたことは、気が変わりやすい。天気と同じです。しかし、読書の秋と言うぐらいですから、物思いに耽るには丁度いいかもしれませんねえ。夏では無理ですが。そして物思いというのは不安定な状態ですよ」
「冬ではどうですか、物思い」
「やはり冬の影響が出るでしょ。秋は春のような中間の方が物思いするにはいいのです。バランス的にね」
「はい、有り難うございました」
「勉強になりましたか」
「なりません」
 
   了


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2016年10月14日

3050話 古き良き時代


 新しいものほどよくなっているとは限らないことはたまに経験する。バスから車掌が消えたような話だ。バスに乗るとまずは席に着く。そのうち車掌が切符を売りにくるので、買えばいい。満員だと大変だが、その時間帯はほぼ定期券だ。たとえ切符が必要な客がいたとしても、車掌は降り口で待っている。
 この時代の方がよかったのだが、今はバスに乗ってもがらすきで、ワンマンバスでも十分だったりする。それ以前に市バスに乗る機会が減った。マイカーが増えた。そのため、バスはすいているが、生活道路にまで車が入り込み、道で遊べなくなった。
 少し昔のことだが、あの頃の方が良かったのではないかと思えることが多々ある。当然良くないことも多かったのだが、それと引き替えに、良いものも消えたりする。
 また良いものも、より良いものになり、さらにもっと良いものになったため、良いものになり過ぎ、これはこれで行き過ぎたりする。帯に短し、襷に長し。
 それ以前に早くできる過ぎると、愛想も糞もない。両方ない。良い面もないが悪い面もない。この場合の良さは人により違うが。
 今ある便利なものは、昔にはなかったが、別の方法があったし、また時代が新しくなってから生まれた用事もある。
 夏場、蚊が出るので、蚊帳を吊る。単に蚊のために張る。それ以外に使いようがない。魚を捕るときの網になるかもしれないが。
 夏向けに建てられた地方の家は戸が多い。それをすべて網戸にするとなると、大変だ。それに冷房はないので、網戸も暑苦しい。全部開けた方が風の通りが良い。蚊が入ってきても蚊帳の中なら大丈夫。結構無防備な状態で寝ていたことになる。
 蚊取り線香が電気を使ったヒーター式になったり、吊すだけで煙が出ないタイプもある。何か訳の分からない気体でも出ているのか、正体が分からない。
「昔の良かったものを、今、蘇らせる。これです。これ。復活です。ルネサンスです」
「いますねえ、そういう人が、いつの時代も」
「だめですか」
「手が込み、時間がかかるでしょ。趣味ものならいけますがね。だからどうでもいいようなことでならいいでしょう」
「はい」
「昔は良かったと思うのは、今、思うからでしょ。当時はそれが普通だったので、そんな思いはなかったかもしれませんよ。それにその良い頃にも、それ以前の良い頃を思っていた人もいるはずです。さらにもっと昔に。さらにはもう体験したことのないさらなる昔も」
「そうですねえ、石器時代まで遡ると、違うものになり過ぎですが、自然の中に放たれると、そういう記憶がどこかに残っているのか、何かが蘇ります」
「何が」
「ですから野生の本能のようなものです。猫や犬がいろいろなものを警戒しながら動いているように」
「だから人というのは猿よりも弱い動物だったのかもしれませんねえ」
「それでいろいろと道具を使ったりとか」
「そうそう、素手や歯では、野獣には勝てないですから」
「だから人はツールやアイテムに頼るのですね」
「そうでしょうねえ」
 
   了
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2016年10月13日

3049話 螺旋の回転


 平田氏は今夜も震えている。肌寒い季節になっても着るものがなく、当然エアコンもない、というわけではない。立派な洋館に住んでいる。寒さで震えるようなことはない。その原因はドア。平田氏はこれを螺旋の回転と呼んでいる。ドアノブがたまに回る。一人暮らしではなく、夫人と孫娘がいる。夫人は寝たり起きたりで、足も悪いので二階にある平田氏の部屋までは車椅子では上がれない。大きな洋館ではないので、階段が緩やかではない。しかし踊り場があり、窓があり、そこからの眺めを夫人は気に入っていた。今はそんなことを思う頭もないようだ。その踊り場の窓から別館が見える。
 孫はその別館に住んでいる。家出してきたまま、ここで暮らしている。平田氏の孫なので、もう結構な年の女性だ。
 孫の手というのがある。ドアノブが動くのは孫の手かもしれない。しかし、引き籠もりがちな孫が、呼ばれもしないで二階まで来ない。だが、この孫、料理ができる。そのため平田老夫婦は重宝している。しかし、当てにならないので、家政婦を頼んでいる。この人は夕食後帰る。
 では誰がドアを開けようとしているのか。
 その解答は既に平田氏は知っている。以前ここに住んでいた人達だ。不動産屋は何も言わないが、その人達がいるのを小耳に挟んでいる。
 平田氏には主治医がいる。その方面は今回関係しないと、彼自身が判断した。つまり、幻覚や幻聴ではないと。
 そしてこの方面での主治医ではないが、出入りの神秘家がいる。平田氏好みの紳士で、年齢も近い。その彼、妖怪博士を呼ぶことにした。
「ノブが回るのですかな」
「そうです。螺旋を回転させているような、嫌な軋み音と金属性を含んだ音です」
「見られましたかな」
「見ました。回るのを」
「ほう。それで、ドアは」
「ロックしてあるので、開きません」
「じゃ、入ってこれないと」
「そうです」
「先ほどお伺いしましたが、この洋館に以前住んでいた人の幽霊ではないかということですね」
「そうです」
「じゃ、その幽霊は物理的な壁は越えられない」
「はあ」
「だから、人でしょ」
「違います。その証拠に、その幽霊は見えません」
「はい。続けて下さい」
「この家にまだ居続けているのです。ノブを回す以外はその気配さえありません。また、階段は古いのできしみます。上がってくれば音がするはずです。それがありません」
「じゃ、物理的な存在ではないと」
「そうです。だから妖怪博士、あなたをお呼びしたのです」
「私は物理的な存在ですよ」
「それは分かっています」
 平田夫人は車椅子では階段を上がれない。まさかロープや滑車を使ってまで来ないだろう。問題は孫だ。しかし、階段はきしむので、音がする。ただ、鶯張りのようなものだが、端っこなら音はしないらしい。しかし、その孫にはそんなことをする理由がない。
 妖怪博士は見当が付かないので、この家を知っている近所の人を訪ねた。平田氏がいう以前住んでいた人達。これは平田氏が不動産屋に聞いたことがあるらしいが、知らないととぼけられたようだ。
 妖怪博士は探偵博士になり、先住者の噂を聞きだした。長くこの辺りに住んでいる情報通で、お喋りのお婆さんだ。
 それによると、痴情関係の縺れがあったらしく、それはもう随分と昔の話で、もう何十年も前の話。住み込みの家政婦が消えたらしい。辞めさせられたのだが、その老婆とは親しい関係だった。連絡が取れなくなっている。
 老婆によると、殺されたのではないかということだ。主人とできていたのだ。
 洋館の二階の一間を今は平田氏が書斎として使っているが、隣の部屋にはベッドもある。
 これで話はできた。その家政婦の幽霊が、夜な夜な主人の部屋に訪ねて来ているのだ。しかし、今は平田氏が住んでいる。
 老婆の話からは、その線が出て来るのだが、妖怪博士はその筋には乗らなかったが、一応そう言うこととして、平田氏に話した。
「家政婦の幽霊」
「はい」
「いや、たとえそうだとしても、部屋に入って来ない。だからそれは何かを知らせようと、ノブを回しているのです」
 平田氏の考えももっともだ。しかし、何を知らせようとしているのかが分からない。
「平田さん。その節ですと、何等かの存在を示すため、ノブを回しているのでしょう。私のことを忘れないでくれとか」
「しかし、それは私ではない。何十年も前の、この館の持ち主でしょ」
「だから、それを教えて上げればいいのです」
「どのように」
 妖怪博士は常に持ち歩いている御札の裏に、平田氏の名前を筆ペンで書き、それをドアに貼り付けた。
「これで分かるでしょ」
「なるほど」
 その後、ノブの回転はなかった。
 妖怪博士はかなりの礼金をもらい、満足を得た。
 
「それは何だったのですか」
 ある日、訪ねて来た妖怪博士付きの編集者が聞いた。
「平田夫人でしょうなあ。犯人は」
「でも足が悪いし」
「車椅子では無理じゃが、はってならあの階段は上がれる」
「じゃ、何のためにドアを開けようと」
「開ける気はないのでしょ。ドアノブが少し回る音がするだけで」
「幽霊と同じ合図のようなものですか」
「そうだろうねえ」
「何のために」
「夫婦の事情は分からんよ。聞いても話さないだろうし。それと別館の孫。本当に孫娘だろうか」
「それと、御札を貼ると、止まったのは」
「平田氏が私を呼び出したので、ゴソゴソ調べられるのが嫌で、螺旋の回転をやめたのだろうねえ」
 
   了


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2016年10月12日

3048話 隠されていない神秘


 高橋は白萩の町でポツンと立ち止まってしまった。彼の趣味は怪しいものや神秘的なものの探索。しかし、もうどぶ板をめくっても、何も出てこないほどネタが切れていた。これは探し方に問題があるのかもしれないが、そうなると危険度も増す。また、少し妙なもの、変わったものを見付けても、それはパターン化しており、慣れたものに接しているのと変わらなくなる。
 というようなことを今回の探索地、白萩町で考えた。その結果、ぽつんと立っている。前方斜め右にこんもりとした繁みがあり、神社だろうとは思うが、行っても驚くような物件とは遭遇しないことを、これまでの経験で知っている。ありふれたよくある神様が祭られ、その横にお稲荷さんがある程度だろう。
 それで、立ち止まったのだ。あまり行きたくない。白萩町へ来たのは、町名が気に入ったから。しかし町は平凡な郊外によくあるようなパターンで、これといったものはない。
 しかし、高橋は見落としている。そこは一寸した市街地で、村の氏神さんがあるような場所ではない。ただ、元々は村だった所なら、神社の一つや二つはあるだろう。または村規模ではなく、その土地とは関係のない神社かもしれない。これはたまにある。
 このまま引き返すのはもったいない。電車賃ももったいない。たまにはスカの日もあるのだ。そう思い直し、繁みのある方向へ向かった。
 途中から石灯篭が並んでいることから、そこは参道だろう。結構長いが、まるで廊下のようで、周囲は家々の裏側になっている。ビルの裏側や、マンションの裏側で、あまり神聖さはない。
 鳥居を潜ると紅い花。萩だろうか。ここで一寸高橋は気を持ち直した。地名は白萩町。だから萩が関係している。しかし神社の萩は紅い。白い萩ではない。まあ、萩ぐらい何処にでもあるのだろうから、関係がないかもしれないが、一寸した繋がりだけで、風景も変わるものだ。
 神社は天神さんで、境内横にツルツルの牛がいる。玉垣を見ると、村人らしい氏名ばかり。だからやはり村の天神さんだ。
 パネルはあるが読む前から何が書かれているのかが分かる。緑地地帯に指定されており、木を大切に、などと書かれている。神社の縁起や由来は何もない。
 参道が長いわりには境内は狭く、最近建て替えられたのか、土台がコンクリートだ。
 やはりスカだったのかと、高橋は落胆する。
 しかし流石の高橋も見逃していたのがある。それは古木の裏側がうつろになっており、そこに小さな石仏が祭られていたのだ。社殿の裏側のため、分かりにくい。それに木がある程度にしか見えなかったのだろう。
 白萩ではないが、白面明神と書かれている。何かの信仰だろうか。高橋が探している怪しいものにどんぴしゃりなのだが、それを知らないまま、立ち去った。
 テンションが下がると、見つかるものでも見つからない。
 
   了


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