2016年10月11日

3047話 道を変える


「少し違ったことがしたければ、違う道を行きなさい」
「いつもとは違うことをしたいのですが、なかなか踏み出せません」
「だから、違う道を行きなさい」
「だから、それがなかなかできなくて」
「簡単でしょ」
「そうなんですが、決心が」
「決心するようなこと、考え込むようなことじゃありません。違う道、別の道を行きなさい」
「どの道がいいのかも、まだはっきりとは」
「そんな深刻な問題でありません。通る道です」
「誰でも通る道ですか」
「そうです。誰でも通れます。私道でなければ、または人様の敷地じゃなければ」
「道って、その道ですか」
「そうです」
「でも、それはいつもとそれほど違ったことにはなりませんが」
「ところがあなた、そうじゃないのです。いつもの通り道、少しだけ変えてみなさい。風景が変わります」
「確かに変わりますが、特に凄い風景では」
「別の風景の中にいるとき、あなたのいつもの道沿いの風景はもうないのです」
「あります」
「しかし、あると思っているからでしょ」
「ありますよ。消えてなくなるはずがありません」
「しかし、別の通りを行くとき、いつもの道はもう見えない」
「まあ、そうですが、それでもありますよ」
「やってごらんなさい。それだけで世界が少し違ってきます。ここが大事なのです」
「そんな簡単なことで変化があるのですか。確かに風景は変化しますが、僕はそれほど変化していません」
「ここからです」
「はあ」
「ここからあなたの世界が変わり出します。まずは新鮮な気持ちになるでしょう。一寸道を変えただけで、新たな体験が待ってます」
「そんな大層なものじゃないです。少しだけ見るものが違うだけで」
「その小さな変化が影響を及ぼすのです」
「その道で何かを発見するとか」
「それもあるでしょうが、それはどうでもいいようなことでしょ」
「そうです。いつもの道とそれほど違わないし」
「通り道を変える。この簡単なことが、あなたに変化をもたらせます」
「しかし、道が変えた程度で」
「しばらくやってみなさい。分かります」
「何が」
「新たなこと、これは何かは知りませんが、始めやすくなります」
「道を変えることと、僕がやりたいこととは別問題でしょ」
「どちらもあなたの世界です。だから共通しています。あなたが関与しているからです」
「それはどういう原理なのですか」
「原理など知らなくてもいいのです。変えるということが大事なのです。これは何でもよろしい。通り道でも、行きつけの店でも、衣服でも」
「まだ、理解できません」
「ずっと同じことばかりして、変化のない人は、服装も変化がないでしょ。そこにヒントがあります」
「何でしょう」
「流れです」
「流れ」
「変える癖が付きます。すると、変えやすくなる。道でも、大事なことでも」
「しかし、大きな変化は望みません」
「その望み方も、変化します」
「分かりました。簡単なことです。一寸違う道を通るだけで済むのなら」
「道を変えたとき、いつもの道は消えます。いつもと違うことをしているわけですからね。それだけでもあなたの世界は違ってきますよ」
「風が吹けば桶屋が儲かるような話ですね」
「まあね」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:53| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

3046話 動物園作文


 道雄は作文の点数が低いので、気になり、担任に聞いてみた。まだ怖いもの知らずの小学校三年生。しかし、そんな積極的な子供ではなく、成績など気にしないのだが、親から聞いてこいと言われた。親が出るような問題ではないので、道雄が代わりに聞きに行った。道雄が知りたかったわけではない。作文の点数など、どうでもよかった。そのため、今回の作文、動物園へ遠足で行ったときのものだが、ただ単に面白かったと書いている。
 担任教師は何でも教える。だから国語が特に得意な先生ではない。白紙で出した生徒もいたが、その場合は点数は付かない。付ける紙がないためだ。良雄は十八点で、下から三番目。一番下は言葉を間違えすぎたり、使い方が無茶苦茶だった。
「どうして点数が低いのですか」
「ああ、良雄君の場合、ただ単に面白いとだけでしょ」
「はい」
「どう面白かったのかを書かないとね」
「はい」
「動物園へ行きました。面白かったです。では良雄君らしい綴り方にはなっていないのです」
「キリンが面白かったです」
「そうそう、そういう風に具体的に見たものを書くと点数を増やします。でもまだ弱い」
「え」
「キリンの何処が面白かったのですか」
「はい、首が長いので、面白かったです」
「まだ、高い点は上げられません」
「どうしてですか」
「キリンの首が長い。これは誰でも書くことです」
「ああ」
「良雄君が観察した、良雄君独自の視点が欲しいところです」
 小学三年生に対して難しい言い方だ。
「キリンを見ているとき」
「何ですか」
「おしっこがしたくて、それどころでは」
「おしっこ」
「はい、動物園に入ったときは、どうもなかったのですが、キリンのところで、したくなったけど、一人でトイレへ行くのは嫌だし、それにどこにあるのか分からないし、列を乱すし、遠いと戻って来られないし、迷うし。それでキリンどころではなかったのです。これを書けばよかったのですか」
「いや、それは動物園の作文じゃなく、おトイレの作文になります。先生が欲しいのは動物を見て、どう感じたかです」
「キリンの首が長かったです」
「それは先ほど言いましたねえ。ありふれていると」
「はい」
「キリンの首が長くて面白かったです、ではだめですか」
「だめじゃないよ。しかし高い点数は与えられません」
「はい」
「他に何か見ましたか」
「シロクマを見ました」
「それは作文には書いていませんでしたね」
「はい」
「何か、感想は」
「尾も白かったです」
「うまい。千点上げよう」
 良雄はこんなことでいいのかなあと、思った。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:31| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月09日

3045話 退屈の虫


 気怠い日々を送っている竹中だが、これは平和でよいと思っている。そういう気怠さに覆われた暮らしは穏やかさの中にあり、決して悪くはない。難事で覆われた世界にいるよりましだろう。だからこの気怠さは有り難いのだが、刺激がない。人は危機感の中にいるときの方が溌剌としている。眠そうな頭ではこなせないため、実力を発揮する。
 しかし、この平穏無事さは退屈という副作用が伴う。ここで刺激を求め、余計なことをすると、とんでもないことになる。
 ただ、そのとんでもないことの入り口辺りを覗いて見たいと思う。当事者ではなく野次馬ならいいだろうとか、見ているだけなら問題はなかろうとか、それなりに安全な刺激を。
 昔から退屈の病があり、一般性はないが、退屈男と呼ばれている。早乙女主水の助ではないが、旗本退屈男だ。退屈の虫が出て、何等かの事件に首を突っ込む。有り余る精気を、そこで発揮する。それほど江戸時代の旗本は、戦で本陣の殿様を守るような本来の仕事などなかったのだろう。当然、江戸城大奥には退屈女もいただろう。
 大勢の人が刺激を求めて同じことをする。同じ所へ行く。これは安全だ。数が多いため。ただ少数というより、殆どそんなことはしないだろうという事に走ると、これは難しいというより、暇人を越えている。悪趣味などがその例だ。
 刺激を求める。それは破局と裏表、一歩間違えば奈落に落ちる。ああ痛かったなあとオロナイン軟膏を塗れば済むような話ではなくなる。
 また、肝試しがある。夜中一人で墓場などへ行くのだが、最近は怖そうな墓地はあまりなく、その程度では怖がらないようだ。
 肝試しとは、肝を試すこと。そのままだが、自分はどの程度の肝なのかを試すのだ。肝が小さいのか大きいのかを。肝は内蔵のことだが、内臓が強い人の意味ではない。これはケツの穴が小さい奴と言われる肛門と同じで、実測ではない。
 自分はどの程度の者なのかを試す。これはチャレンジャーで、非常に前向きだ。しかし下手に試すと器の大きさ、度胸のなさなどが分かってしまい、ガッカリする危険度もある。しかし、それは貴重なデーターで、いいサンプルを得ることにもなる。人は本来恐がりにできている。それで普通だ。
 そういうのとは違い、退屈の虫は必要に迫られないのに、そこをこじ開け、首を突っ込む。わざわざ危険なことをするので、酔狂者とも言われる。変わった人なのだ。
 火事場見学へ行く野次馬達は酔狂ではない。数が多いし危険度はさほどない。そのため、刺激もいうほどない。
 この退屈の虫は病気のようなものなので、たまにガス抜きが必要だ。その方法は各自それぞれ持っているようだ。
 気怠い日々が続くと刺激を求めて、何かをやろうとする。その元気があるうちは大丈夫、ということだろう。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 10:12| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

3044話 蛭田老人噺


 長雨が続き、暑くなったり寒くなったりする。そんなとき体調を崩しやすい。
「風邪かな」
 蛭田老人は隠居さんで、何もしていない。そういう人ほど気候の変化が身体に出る。暇なためだろう。
「暇じゃが、わしはやることが多くて忙しい。一日が短くて足りんほどじゃ」
 その中身を聞くと、大したことはない。所謂隠居仕事のようなもので、結局、プレッシャーが殆どないことをしている。別にやらなくてもいいようなことだ。
 自分に対してプレッシャーを掛ける人がいる。これは相手は自分自身。自己新記録の更新などがそうだろう。ただ、その記録、誰かに見せるのなら別だが、自身が納得するだけのことなら相手は軽いし甘い。自分自身がスポンサーのようなものなので。
 プレッシャーの多くは自己完結的ではなく、相手がいる。しかも非常に大事なことや仕事なら、将来に関わるし、地位や名誉や存在や評判にも関わる。
 だから他人が掛けてくるプレッシャーの方が厳しい。当然の話だが、これを掛けられると言霊を発せられたり、呪いを掛けられたようなものなので、たまったものではないが、気温の変化で体調を崩すようなことはない。
 蛭田老人が感じたのはそれだ。年取ってから気温の変化に影響が受けやすくなったのではなく、大きなプレッシャーが掛かっていたので、それどころではなかったのだ。
 また、風邪を引いても蛭田老人は静かにしていれば治る。その時間は十分ある。だから安心して風邪も引ける。そのため風邪がどんどん入り込む。
 要するに本当に重要なことをしているときは、風邪など引いている暇がない。ところが蛭田老人は、風邪ぐらい引いてもかまわないと思っている。本当は引きたくないが、ガードが甘い。それなりに風邪を引かないような工夫は人一倍しているが、何処か余裕がある。
 そして、縁側でまだ青い柿を眺めていると、台風が近いことを知る。これは体調の変化で、何となく分かる。こうなればもう立派な隠居さんだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:42| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

3043話 更け待ちの月


「更け待ち月って、ご存じですか」
「更け待ち。老けた月ですかな」
「夜が更けてから出る月です」
「え、月は夜でしょ」
「その夜の少し更けたときに出る月です」
「更けるのを待っているのは誰です」
「さあ、月ですか」
「月は待たないでしょ。人でしょ」
「しかし宵待草もありますよ。あれは草が待っている。夜になるのを」
「ああ、なるほど。それより、最近、月、ありますか」
「え」
「月など最近見ていませんなあ」
「ほう」
「月見草も、月など見ていなかったりしますよ」
「月見草と宵待草は似てますねえ。同じかもしれません」
「そうなんですか。しかし昔ほど月は見ていない。子供の頃は部屋から見えてましたよ。田舎ですがね。月明かりが入ってくるような間取りでした。結構当てにしていたんでしょうねえ。まあ、家が今ほどなかったので、窓を開けると隣の家ってこともなかった。夜空もよく見えた。縁側でお月見もしていた。白い小さな団子を供え、ススキを立ててね。今、そんな縁側ありますか。あっても前にどかんとマンションがあると、さっぱりだ」
「いや、マンションからよく見えますよ」
「高いところに住んでおられるからでしょ」
「見晴らしがいいので、月も星もよく見えますよ」
「じゃ、月見も」
「それはしませんがね。それに滅多に月など見たりはしませんよ。しかし、たまに驚くことがあります。窓の向こうに何かいるのです。月が丁度そこにいるんですが、びっくりしますよ。まるで月に覗かれているようで」
「いいですなあ高層マンションは」
「それほど高くはありませんよ。高台に立っているので、見晴らしがいいだけです。それにこのマンション、県営なので安いのです」
「しかし、田舎へ行けば、まだまだ月明かりは必要でしょ」
「いや、それは余程辺鄙な山奥じゃないとね。最近は田舎でも道は明るいですよ。月明かりなどなくても」
「それより、更け待ちの月ですが、それがどうかしましたか」
「ああ、夜更けにならないと出ない月。これを一度見たいと思いましてね。二十日ぐらいだと聞いているのですが、毎回忘れます」
「高い場所だとそういう楽しみがあるのですね」
「あるんですが、あまり風流じゃないです。それより、天体望遠鏡が欲しいです」
「ほう、じゃ、月以外に星も」
「いえ、もっと下を見ます」
「ああ、それはお悪いご趣味だ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:49| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月06日

3042話 赤塚と狐塚


 平坂町。元は平坂村で、赤塚と狐塚が合併して平坂村となり、今は平阪町。赤塚、狐塚は今は地名として残っていない。平坂一丁目から三丁目の一部までが赤塚、六丁目の一部までが狐塚。残りは最初から地名はない。赤塚か狐塚に所属していたのだろう。神社が二つあったが、平坂神社として纏められ、祭っているのはイザナギイザナミ。しかし、これは表の神様で、赤塚と狐塚の氏神様は小さな祠しか与えられていないが、実際にはこちらがメイン。二神の神様の名前がローカルすぎて、よく分からないということもある。偶然かどうかは分からないが、主神も二神だ。これは夫婦。ここに問題がある。
 赤塚は姓で、古墳などの塚とは関係しない。古墳時代からあるような家柄ではなく、室町時代あたりに、この地に根付いた。狐塚は地名と言うより、村内での呼び名。
 初代の赤塚当主は二人の夫人を持つが、二番目の夫人が一番目の夫人を追い出す。第一夫人はすぐ近くに引っ越し、第二夫人や先代に嫌がらせをし続けた。本当の女狐は第二婦人なのだが、その復讐で、第一夫人の方がきつい狐になった。それで、第二夫人が住む場所を狐塚と呼んだ。塚などない。赤塚と対比させるためだ。
 仮に彼女を狐女と呼ぶ。狐女はそこで再婚する。第一夫人の頃は開墾時代から面倒見がよかったので、赤塚村を二分させ、別の村を作ったようなものだ。そういうことは当主が亡くなる頃には狐女の勘気も収まっており、二村で争うようなことはなくなっていた。狐女の復讐は赤塚村の半分を取ったことで、溜飲を下げたのだろう。
 問題は神社だ。赤塚家は出身地の氏神様を祭っており、これはただの先祖崇拝のようなもの。そして狐塚はそれに対抗して実家が祭っていた神様を持ち込んだ。
 狐塚の人々も赤塚家の縁者なので、狐女の実家の神様など縁がない。しかし赤塚神社に対抗して、狐塚神社を建てた。そういう名ではなく、もっと難しい名の神社だが、狐女の神社なので、狐塚神社と呼んでいた。
 しかし、二つの神社とも、ある頃からイザナギイザナミを祭る神社として合体してしまった。所謂合祀だが、本殿の横に、お稲荷さんの祠のように、氏神さんは残っている。
 ちなみに赤塚一族の先祖が祭っていた神は、蜻蛉(トンボ)だった。狐塚神社の御神体は狐ではない。これは第一夫人のことをそう呼んだだけで、その実家の神様は青龍。まあ、背の青い蛇のようなものだ。この二つの神様も適当なもので、適当に家紋を作るようなものだった。
 赤塚村、狐塚村はもうない。外から入り込んだ平坂という豪族が、この辺りを本拠地にしたため、その後、平坂郷となった。しかし、地名だけは残っていたのだが、平阪町になったとき、ただの番地になった。平阪字赤塚や字狐塚の地名では、住宅地として売り出しにくかったのかもしれない。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

3041話 影だけの怪物


 ある日、妖怪博士は一番怖い妖怪について聞かれた。それは妖怪なのか、化け物なのか、モンスターなのか、はたまた別のジャンルのものなのかは分からないが、それは影だ。
 これはきっと妖怪博士だけの想像ではなく、似た現象はあるはず。そしてあくまでも想像で、見た人はいないが、見たかもしれないと思う人はいたはず。
 影。本体ではなく、影だけの人。これは人だと分かるのは、人型をしているため。猿かもしれないが、仕草は人間のもの。
 影だけが歩いている。影だけが走っている。影だけが横切る。当然本体はあるのだが、それは見えない。透明人間のようなものだ。だから影の足あたりから本体があるはずなのだが、見えない本体はそれほど気にならないで、見えている影に注意が行く。
 これは捕まえにくい。影は影なので、本体ではない。だから捕まえられないというより、手応えがないだろう。
 そして影の本体もスカスカなので始末が悪い。つまり影も本体もつかみどころがない。
 影は光があるとできる。だから暗闇では影はできない。しかし、その怪物は薄暗い場所でも現れる。しっかりとした影となって。そうなると光源はどうなっているのかだ。これは本体から発している。つまり影の本体は光なのだ。ただ、本体は見えないので、光も見えない。
 ただ、本体が光源だったとしても、それは光が近すぎる。だから影がうまくできる距離に本体がいることになる。だから、透明人間の奥に本体がいるのか、透明人間の奥に空間があり、そこから光が出ており、本体からの光ではないのかもしれない。
 影だけが動く、これだけも不気味だが、さらに怖いのは、その光が出ている箇所だ。これはもう現実の空間ではなく、現実の中に穴でも空いており、その奥から出ている光だ。そのため、光源よりも、その空洞の方が怖い。
 異空間に映写技師でもおり、丁度映画を映してるように、奥にいるのだ。
 だから、この怪物、ただの影だが、その影を映すにはある程度の空間と仕掛けがいる。
 光がなければ影はできない。そしていい角度からの光源でないと、人影などできない。
 影が怖いのではなく、影を映し出す背景の空間の方が怖い。それは現実の空間ではない。
 夜中、枕元の電気スタンドを付けたとき、その傾きと電球の前の障害物で、妙な影が揺れるのを見て、妖怪博士は、そんなことを思ったようだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:59| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月04日

3040話 八界道


 八界道という道がある。村から出ており、距離は僅か。その道沿いに八界堂や、八界を表す石などがある。村はずれになると、その道は終わる。そこから先は村道で、そのまま進めば街道に出る。さらに進めば八方とは言わないが、三方に分岐する。八界とは八方のことだろう。八方拡がり、末広がりの。東西南北で四方、その中間の北西などを含めると八つになる。
 村内にある八界道は五十メートルもない。非常に短い道だが、丁度飛行場の滑走路に近い。八界道から飛び立つわけではないが、村を出て遠くへ行くとき、その方角用の石があり、それに道中安全を祈る。当然八界堂でもお願いする。八界堂は八角のお堂にはなっていない。そこまで凝らなかったのだろう。そうなると八界堂ではなく夢殿のような八角堂になってしまう。
 石には方角の文字や干支の絵が刻まれていたようだ。その方角の神様かもしれない。
 また旅立った人の無事を家族が願うときも、この八界道に来る。向かった土地と同じ方角の石に、旅の安全を願う。さらに心配な人や、戻って来ない人がいるとき、八界堂に籠もり、その方角に向かい祈祷したりする。このとき、念仏でもなければ祝詞でもない。何か訳の分からない言葉というか音を発している。本人も意味が分からないのだろう。民謡のかけ声にも聞こえる。
 この八界道、土地の人がよく守っており、江戸時代には常夜灯が並んでいた。
 わずか五十メートルほどの道だが、ここを通ると、旅に出た気になる。この八界は地続きの八界で、八つの世界があるわけではない。ただの方角だ。では北北東の場合はどうするのかという話だが、それは略される。おおよその方角でいい。できたときは日本地図などなかったので、北だが、やや西の斜めの方角程度でよいのだろう。
 村人はあまり移動はしていないように見えて、結構他国へ出ている。また、この村は田圃が忙しい時期が終わると出稼ぎや行商に行く人が結構いた。
 子供達も小さい頃から、他国の話などをよく聞いていたので、色々な土地の話を知っている。ただ、旅立つ人の行き先はほぼ決まっており、それほど遠い場所ではない。
 六道の辻というのはよく聞くが、八界道や八界堂は珍しい。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

3039話 村八分村


 玄武谷は村八分になった人達が移り住んでいる。村八分村と呼ばれ、村そのものも近在十二ヶ村から村八分を受けている。玄武谷はもう畑程度しか耕作地はなく、自給自足は難しい。しかし、十二ヶ村の村々の向こう側からはのけ者にされていない。しかし、そこへ出るには十二ヶ村を通らないとだめ。
 そこで里を諦め、山側に注目した。そこから先はもう人が住んでおらず、村もない。しかし山々を行き来している人達がいることは昔から知られている。
 この人達は定住しないので村はない。その山の人達の移動距離はかなり広い。独自の山の道があり、そこを移動しているのだ。
 玄武谷の人達は、そこと交流し、必要な品などを手に入れている。
 玄武谷は村八分になった人達の村として、それなりに上手く行っているのだが、その村にも村八分があり、仕方なく村から追い出された人達が、もっと山奥で村を作った。
 しかし、そこでも村八分が起こり、さらにまた逃げ出した人達が村を作ったが、そこはもう人など入り込まない深山幽谷だった。流石にここでは暮らせないので、山の人達に混ざった。
 山の人達も、それなりに組織があるのだが、山中で行き合う程度。挨拶程度で済んだ。山は広い。そのため互いに出合うことも希だ。
 またこの人達も決まった場所に住んでいる期間がある。相性の悪い仲間がいる場合、棲み分ける。別の場所でキャンプを張るようなもの。山は広い。簡単だ。
 村八分を受けた人達は同じ場所にしがみついているからいけないのだと悟った。ここの人達は何処の誰だか最初から分からない。
 こういう山の人達も、里に下りてきて、村を作れば、同じように村八分をやるのだろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月02日

3038話 村八分


 異なった意見を言いにくいのは村八分を恐れてのことかもしれない。村人根性が残っているように、村八分の根も残っている。
 仲間内で異なった意見を持っている人は、やはり仲間として扱いにくい。そのため、異なっていないように見せていたりする。そこにいたいのなら、それしかない。
 みんな同じ。これがいいのだろう。和が壊れると輪も壊れる。ただ、そういう仲間意識が必要な場は減っているように思えるが、人は個人より団体になったときの方が安全で、しかも強い。個人交渉より団体交渉の方が強いように。つまり、一寸した組織だ。
「ほほう、社内で村八分にされているのですか」
「そうです。僕がいると足並みが揃わないとかで」
「秋は運動会の季節。ムカデ競走か何かで」
「違います。僕なりに意見を言ったのですが、それが気に障ったようです。もの凄く否定するような意見でしたので」
「じゃ、仲間じゃないということで、村八分ですか」
「そうです」
「まあ、社内なら大丈夫でしょ。殺されはしませんよ。せいぜい嫌がらせを受け、退職へ追い込まれる程度」
「どうすればいいのでしょうか」
 この相談員、結構年配の人で、職安に付属している相談室の老人。本人も村八分されたのか、本来の職に戻れず、ボランティアに近い相談員をやっている。
「今の会社でみんなと同じように働きたいのです。皆さん仲がいい。和気藹々としています。なのに僕は入れてもらえません」
「はいはい」
「僕が悪いのでしょうか」
「そうですなあ」
「意見を言うのはだめなんですか」
「意見にもよるでしょう」
「仲間の和を乱すからですか。僕の意見は」
「どんな意見を言われたのですか」
「仕事の段取りを聞いただけです」
「ほう」
「でもそんなことは見て覚えたり、先輩が教えるまで待つらしいのです」
「ほう」
「まずは失敗させておいて、それから教えるのです」
「よくある」
「だからマニュアルはないのですかと聞いたのですが、ないのです。では作って下さいと言ったのが効いたようです」
「効きましたか」
「かんに障ったのでしょうねえ」
「おそらくその職場、それが長年の仕来りで、新参者は先ずその洗礼を受けるのです。この洗礼、儀式です。だからその儀式を受けてこそ仲間になれるのです。それだけですよ。それも仕事の一部。嫌なら辞めることです」
「村八分から抜け出せる方法はないのですか」
「辞めること、これが最善です。全ての前提が消えるでしょ。それにあなた、自分で辞めなくても、じわじわと辞めないといけないような意地悪を受けて、そのうち行く気がなくなります。今ならまだ啖呵の一つでも切って威勢よく辞められますよ」
「辞めると、敵の思う壺、望むところなので、辞めません」
「それはあっぱれですが、そういう態度に出るあなたにも問題があるのです」
「じゃ、僕が悪いのですか」
「この相談室では相談に来た人に問題があるとは言えませんがね。一応あなたの味方をします。まあ、愚痴の聞き役ですから」
「僕の何処が悪いのか、教えて下さい」
「あなたのやり方、何処で習ったのかは知らないけど、ところ構わず意見を言えば、喧嘩になって当然ですよ」
「じゃ、意見を言わない方がいいのですか」
「意見というより、思っていることをそのまま言ってしまうところに問題があるのです。意見は大事です。出し方、使うタイミングです」
「そうですか。村八分の解決方法はないのですね」
「あなたを村八分にしたその職場に、それほど残りたいのですか。その連中と今後仲良くできるとは思いませんよ」
「しゃくに障るので、一泡吹かせてやろうと」
「だから、尻をめくって啖呵でも切って、さっと辞めればいいのですよ」
「あ、はい」
「解決しましたか」
「いいえ」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:46| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

3037話 予備軍


「一休みですね」
 予定到着地点に着いた部隊がある。
「一休さんだなあ」
「ああ、偉い坊さんでしょ。この橋、渡るべからずの橋の中央部を渡る。端は通っていない」
「そうそう、頓知の人です」
「それよりも、休むというのが良い。ただし一休みなので、すぐにまた動かないといけないがね」
 この部隊は予備軍で、後詰め部隊。念のため、救援が必要なとき用で、前線で戦うようなことは先ずない。
 しばらく待機していると、無線が入り、とりあえず前線の後ろ側に付けと言うことだった。戦いは有利に進んでおり、あとは敵が諦めて引き返すのを待つだけだが、この予備軍が加わるとだめ押しになるだろう。
 いつものことなので、気楽に前線方面へ向かったが、敗走兵が隊をなさずに戻ってくる。
 前線で何かあったのだ。
 敗残兵に聞くと全滅らしい。予備軍の部隊長は無線で本営へ問い合わすと、急だったという。どうやら、前線は壊滅。自分たちはどうすればいいのかと聞くと、前線で戦えと言うことだ。
 予備軍は緊張した。しかし、命令なので、行くしかない。
 前線に到着すると、堡塁には誰もいない。もうみんな退却したようだ。前方にも敵はいない。
 倒れている兵に聞くと、敵は人ではないらしい。見たこともない生物がいきなり攻撃してきたらしい。鳥もいたとか。
 敵は堡塁を越えてまでは攻めて来なかったようだ。
 結局化け物が襲ってきたので、驚いて逃げたらしい。
 先ほど一休さんの話をしていた部隊長は、その化け物部隊を分析した。その結果、敵軍の予備軍のように思えた。自分たちが予備軍として駆けつけたように、敵も予備軍を使ったのだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:53| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする