2016年11月30日

3096話 鍋と仏像


 浮田の散歩コースの中にお寺がある。お寺にお参りするわけではないが、寺がある通りは古い道が多く、車も少ないので自然とそんなコース取りになる。寺町という地名があるほど寺が集まっている町もある。それに近いのか、寺が三つほど続いている。その前は広場になっており、公園ではなく、避難所のような空きスペースだ。
 そこにフリーマーケットが出ている。これはポスターが貼られていたので、知っているのだが、日にちまでは見ていない。その日は偶然その日に当たるのだろう。もう冬で寒くなってきているが、その日は陽射しもあり、それほど寒くはない。
 お寺前や広場前は駐輪禁止。しかしその日は自転車がずらりと止められている。ここなら止めやすいと思い、浮田は覗いてみることにした。露店は前の道からでも見えるのだが、店の裏側になるようだ。広場の中でやっているためだろう。
 さて、それで覗くと、一般の人の店もあるが、プロの店もある。商品に値札が貼り付けられていたりする。
 店の殆どは女性向けで、古着や鞄や、置物や、小物などのガラクタに近いものがマットを敷いただけの場所に並んでいる。だから非常に低い位置だ。
 流石にプロの店は台があり、正に屋台だ。最初に足を止めたのは雑貨屋で、手巻きの腕時計から炊飯器まで並んでいる。その中に小さな鍋があった。一人用の鍋かもしれない。アルミだが、蓋は丸い木の板。片手鍋ではなく、耳が付いている。ちょうどこれぐらいのサイズの鍋が一つしかないので、浮田はそれを買う。その蓋に「田舎鍋」と書かれていた。新品のようだがビニールなどの袋には入っていないし、箱もない。店番の老人はレジ袋にそれを入れた。その袋には聞いたことのないファミレスの名前。支店が三つある程度の食堂に近い。
 ああ、と浮田はそのとき了解した。そのファミレスが潰れたのだろう。店で出す鍋だろう。それが余っていたに違いない。
 デパートが倒産したとか、家事で水をかぶったとか、そういう手を使って売っているテキ屋が昔いたように記憶している。そのルートかもしれないが、この鍋は本物だろう。
 そこを立ち去ると、昔あったような絵札や、カードなどが美術品のように飾られている。日本髪を結った女性がビール瓶を持っていたり。
 それで半分ほど見て回ったのだが、あとは婦人向けばかりで、古着のガレージセールのようなもの。またその個人の物を個人で売っているのではなく、そういうのを集めて、ボランティアの人が何組か店を出している。売上は募金らしい。
 しかし婦人向けばかりなので、素通りしていると、道具屋があった。これならいける。
 真っ先に目に入ったのは仏像。敷物の上に並んでいるので、輪投げのように見えたのは、あの輪の中に入りそうな大きさのため。
 値段を見ると、二束三文。今のお金でいえばいくらかは分からないが、五百円を切っている。土産物屋にありそうな仏像だが、五百円なら買ってもいいと、すぐに決心が付いた。
 さて、その仏像だが、何様かが分からない。それにかなり傷んでおり、汚れている。木像のようで、かなり軽い。
 散歩から戻った浮田は、鍋は台所に置き、仏像は本箱の上に上げた。始終使うものではないためだ。
 そして、夜になると、その仏像が……ということはない。
 ある日、その鍋で鍋焼きうどんを作り、書斎でそれを食べているとき、ふと本箱の上に目がいった。あの仏像がそこにいる。そんなことは分かっているのだが、鍋を買ったときの仏像なので、これはセットものだ。鍋は焦がしたり、汚れすぎると捨てるかもしれないが、飾り物の仏像は、長くこの家にあるだろう。
 その後、その仏像が、ということはやはりない。きっと何処かの土産物屋が潰れて、そこから回ってきたものだろうが、浮田家では大事にされている。
 
   了

 
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2016年11月29日

3095話 湯豆腐を食べる日


 田村はその夜、湯豆腐を食べた。田村の中では夜豆腐。朝の味噌汁などに入れた場合は、朝豆腐と呼んでいる。いずれも辞書にはないので、普及していない言葉だ。昼豆腐はやっこ。生のまま食べる。冷や奴のことだ。これは夏に限ったことではない。
 その夜、夜豆腐である湯豆腐を作って食べたのだが、ここへ至るまでの精神状態がある。豆腐だけでは頼りないので、ネギを入れたり白菜を入れたりする。しかし、決して油が浮くようなものは入れない。具を入れすぎると水炊きになるし、湯が濁る。
 その精神状態だが、湯豆腐を作って食べる状態は穏やかな状態を意味していた。安いし、あまり御馳走でもない。ただ観光地で食べる湯豆腐は、豆腐しか入っていないのに、ものすごい値段がする。ただ、大衆酒場などでは安い。
 田村はその湯豆腐を食べているとき、やっとこれが食べられる精神状態になったのかと、改めて思った。その日は特に食べたいものはなく、また、特に何も用意していなかったし、食べに行く気も起こらなかった。慌ただしい日々を送っているためか、湯豆腐を作る暇はあっても、もう少し美味しいもの、贅沢なもの、変わったもの、脂っこいものが欲しかったのだ。
 湯豆腐が温まるまでの時間は決まっていない。生でも食べられるし、おでんのように煮込んでもいい。しかし、湯豆腐の美味しさが決まる温め時間がある。それは物の本によると、豆腐がぴくっと動いた瞬間らしい。今まではそんなかったるいことをやっている余裕がなかったのだ。
 特に寒くなり出したこの季節。湯豆腐でも食べて暖まろうということが多いのだが、それは湯豆腐でなくてもかまわない。汁物を飲んだ方が遙かに身体は熱くなる。しかし、アツアツの湯豆腐を飲み込むと、もの凄く熱い。口ではなく、胃の中が。
 湯豆腐を作って食べる心境。これが大事なことを田村は知っていた。これは湯豆腐のように温和な状態なのだ。つまり平穏な証拠で、そういうときに湯豆腐でも食べるか、となる。
 しかし、田村は違和感を感じた。それは木綿ではなく、絹こし豆腐を入れてしまったため。これでも悪くはないのだが、箸で挟むとき、柔らかすぎて分解してしまう。挟むと二つに分かれ、それをさらに挟むと、また二つに割れた。それは塗り箸で挟むためで、こういうときは割り箸、最悪は匙ですくえばいいのだ。そんなことをすっかり忘れてしまうほど、忙しい日々を送っていたのだろう。
 
   了


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2016年11月28日

3094話 普通に歩いている人


 板垣はとんでもないことに遭遇した。それはプライベートな問題で、他人からすれば何でもないような話だが、当事者にとっては厄介なことに巻き込まれるためか、心穏やかではない。早速食欲がなくなり、頭の中はそのことでぐるぐる回転し始めた。板垣は頭の回転が速い人間なので、その回転の速さは尋常ではない。目が回るほど。
 とりあえず落ち着こうと思い、外に出た。そして人混みの中に身をさらした。ここでは他人ばかりで、見知った人はほぼいない。
 そこを足の悪い年寄りが歩いてきた。温和そうな人で、顔に笑顔がある。何かを思い出しながら歩いているのだろうか。杖がいるほどでもなさそうで、少し歩きにくそうなだけ。
 板垣は老人とすれ違うとき、羨ましく感じた。それは他の人を見てもそうだ。後ろ姿だけでも、そう思えた。自分だけがもの凄いことになり、他の人は平和そうに暮らしていると。
 つまり、あの人達は普通に歩いているのに、自分は普通ではない。だから、普通に歩きたい。
 しかし、板垣は普通に歩いている。端から見れば、普通の人が普通に歩いているように見えるだろう。そうではなく、本当は苦しみながら歩いているのだ。
 普通に歩いているように見えても、この先どうなるのだろうかと考えると、足が宙に浮いてしまい、タッチ式の自動ドアにぶつかったり、階段を踏み外しそうになる。これは他のことを考えながら階段を降りているのではなく、段を意識しすぎたのだろう。普段なら階段の段など見ないで上り下りしている。
 その問題が発生するまでは、のんびりしていた。思い悩むようなことは、無理に想像しない限り、ない。また差し迫った問題も当然なかった。
 あの頃のように、といっても昨日までのことだが、その頃のように歩きたい。
 少し想像力を働かせると、周囲を行き交う普通に歩いている人の中に、板垣より厳しい問題を抱えている人がいるかもしれない。そしてその人が板垣を見て、平和そうに歩いていると見ていたりする。
 そして板垣の問題などよくある呑気な話レベルなのかもしれない。
 
   了


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2016年11月27日

3093話 相手を読む


 人は何を考えているのか分からない。しかし、おおよそ想像は付く。この人なら、おそらくこうだろうと。相手のことをよく知っていると、さらに分かりやすい。だが、いつもの反応とは違うことがある。結局よく分からないというのが結論になったりするのだが、想像外の反応というのは、別の因子が入っていたのか、データのない未知なる分野のためかもしれない。いつもの反応というのは、性格から推し量ることが多い。気質だ。しかし、それ一本だけでは無理な場合がある。場合場合により毎回違うとなると、もう推測などできないが。
 あまりにもいつもと違う場合、性格が変わったなどと言う。しかし、変わったのではなく、そういう性格を今まで見せなかっただけかもしれない。
 しかし、人を動かしているのは性格だけではなく、そういうものとはまったく関係のない因子が働いていることもある。これは相手の内部からではなく、外部の影響で、まるで人変わりしたような、というのもそうかもしれない。当然何か病的なものが原因かもしれないが。
「それで読めなくなったのですね」 
「大事なお客さんなので、粗相があってはと思い、これまで上手く合わせてきたつもりなのですが、まるで豹変です。姿形が変貌したわけではありませんが、どうも扱いにくくなりました」
「何か憑いていると」
「それ以外に考えにくいので、こちらへお伺いしたわけです」
「しかし、私は霊札を出す程度で、何もできませんが」
「それで結構です。こういうものは悪いものが憑いたということにした方がよろしいので」
「そんなに重大な客なのですか」
「得意先です。これを失うと、大変なことになります」
「失いそうなのですか」
「そんなことはありませんが、このままでは信用を失い、見捨てられるのではないかと思いまして」
「何かありましたか」
「まだありませんが、客の心が読めなくなったため、先が不安で」
「まだ、何も起こっていないのですね」
「そうです」
「そんな心配をなされるのは早すぎるかもしれません」
「はい、しかし転ばぬ先の杖で」
「分かりました。そのタイプの霊札を差し上げましょう」
「有り難うございます」
 その霊札は憑き物を落とす護符だが、得意先に対してではなく、相談に来たこの人に対してものだった。
 
   了

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2016年11月26日

3092話 運命鑑定家


 路地の奥の、さらに奥の裏側にある運命鑑定家がよく当たるというので、坂上は鑑定して貰いに行った。しかし、人相や手相や、生年月日とか、星の動きや姓名とかではなく、話を聞くだけの人だった。
「最近変わったことはありませんか」
「何か色々とありますが」
「それは大事なことでしょ」
「そうです」
「そうじゃなく、些細なことで、何か変化はありませんか。昨日今日のことが好ましいのですが、思い出してみて下さい。つまらないことの方がいいのです」
「そういえば久しぶりに散歩に出ました」
「散歩」
「近所を少しだけ歩く程度で、散歩というより運動です。それが何か意味がありますか」
「どうして急に散歩に出られたのですかな」
「ああ、昨日は外食に出なかったからです。夕食は外食か弁当か、まあ、そんなところです」
「外食後も、散歩に出ることができるでしょ」
「外食で外に出たばかりだし、弁当もそうです。また出るというのはねえ」
「それで、昨日は自炊された」
「そうです。食べたあと、いつもなら散歩に出るのを思い出したのです。自分で夕食を作って食べるのは久しぶりでしてね。そのときの癖で食べたあとは外に出たくなったのですよ」
「ではどうして自炊されたのですかな。いつもなら外食でしょ」
「外食に飽きたのでしょう。似たようなものばかりですから」
「それだけですか」
「まあ、少し節約した方がいい事情もできましたので」
「それだけですか」
「油ものが多いので、それも気になって。たまに胸焼けします」
「それがあなたの運勢です」
「はあ」
「その流れが、気運です」
「そんな盛り上がりはありませんよ」
「節約と健康。これが今のあなたの流れの始まりです。既に踏み出したようなものなので、今後もその流れに乗られることですなあ」
「何か運命的なものは」
「運命があり、先のことが分かる前に、既にその兆しが些細なところで出ているのです。漏れているのです。それを見逃さないことでしょ」
「じゃ、昨日久しぶりに夕食後の散歩に出たことが、流れの一環だったのですか」
「そして、運命など知らなくても、既にやっておられるのです」
「散歩がですか」
「これを運命の芽と言います」
「芽」
「気付かなければ、それまでのことですが、気付けば、その芽を育てることになります」
「食後の散歩が芽」
「そうです」
「じゃ、育てる意味で散歩用の歩きやすい靴を買います」
「はい、お好きなように。しかし、次の芽が、また気付かないところに出ていますから」
「はい、心得置きます」
 
   了

 
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2016年11月25日

3091話 岸の森の賢者


「岸の森へ行くにはどうすればいいのでしょうか」
 高橋は見知らぬ老人から道を聞かれた。しかし高橋もこの地に遊びに来た人間のため、土地勘はない。この町の地名程度しか知らない。それに周囲に森らしいものはないし、岸の森というのだから、川岸にあるかもしれないが、川が何処にあるのかは分からない。地名になるほどなのだから大きな川だろう。小さな川ならあるが、排水溝程度。または少し広い目の農水路。
 高橋は見知らぬ町を訪ね、何か怪しげなものはないかと物色するのが趣味。この町、吉野原というのだが、まだ少ししか探索していないが、特に変わったものがなく、失敗だったと、戻ろうとしていたときなので、この岸の森の話に乗った。
 岸の森に何があるのかと聞くと、森があるらしい。では森に何があるのかと聞くと、その奥に竹林があり、賢人が庵を結んでいるとか。その庵跡を見に行くらしい。
 しかし森などなく、当然竹林もない。高橋は得意の遠目で繁みとか古そうな建物の屋根を探すが、そんなものはない。繁みはあるが神社。これは先ほど見学した。何でもない氏神様。
 こんもりとした繁みはないものの、少しだけ妙な盛り土を発見する。この一帯は平らで、丘はない。当然坂はない。しかし、こんもりとした膨らみがある。そこは一応木が茂っているが、それも森というほどのボリュームはなく、低い塀のように続いている。臭いのはこれしかないので、調べてみると、土手跡らしい。川筋を変えたのだ。つまり昔はここに川が流れていたが、上流側で切ってしまったようだ。氾濫するため、運河のようなものを掘り、蛇のように曲がっていた川を直線にしたらしい。これで、川岸があったことが分かった。
 次は森だ。土手跡の繁みはあとで植林されたもので、古くからある森ではない。
「岸の森はどうして知ったのですか」
「ものの本に書かれていました」
「じゃ、そういうのがあったということでしょ」
「はい」
「その跡をごらんになりたいだけなのですね」
「そうです」
 土手の周囲は住宅で埋め尽くされ、森の奥の竹林の賢者庵跡があったとしても、もう分からないだろう。
「あ」
 と、老人が声を出した。高橋がタブレットで、地図を見ているときだ。
 老人はそのタブレットを覗きながら「吉野原じゃなく、吉田原でした」
「あ、そう」
 高橋は吉田原を検索すると、他府県で、しかもかなり遠い。
「遠いですよ」
「でも、行ってみます」
 老人は礼を言い、さっさと立ち去った。
 どんな本を見たのかは知らないが、そんなことで見に行くというのは、高橋の趣味に近い。
 だから、この老人、先輩に当たるようだ。
 
   了

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2016年11月24日

3090話 寒神


 倉橋は寒気を感じた。もう冬に入っているが、まだ震えるような寒さではない。しかも暖房の入ったコンビニに入ったときだ。最初はむっとするほどの暑さではないものの、暖かさを感じ、ほっとしたのだが、そのあとすぐに寒くなる。暖房が急に切れたように。
 そしていつもの飲み物の紙パックを手にしたとき、その寒さはなくなった。特に何ということもない暖房の温度だろう。
 コンビニを出たときは、流石に冬の空気で、少し肌寒いが、こんなもの。だが、数歩歩いている間に、また寒気。これは体調が悪いのかもしれないと思うが、そんな感じになったことはない。また冷えればトイレへ行くことが多くなるが、それもない。そして、身体が熱くなったり寒くなったりではなく、一方的に寒くなる。額に手を当てるが熱はない。従って悪寒ではない。
「サムガミですなあ」
「寒がり」
「寒神です」
「何ですかそれは」
 倉橋が相談した相手は医者ではない。しかし、その姿から引退した藪医者のようにも見える妖怪博士。その人が散歩するのを倉橋は何度も見ていたので、きっと医者だと思い、気楽に声をかけた。しかし、妖怪博士では相手が悪い。正しい相談者ではないだろう。いずれにしても妖怪に持ち込むことになる。
「寒神とはなんですか」
「貧乏神のようなものですよ」
「それが憑いていると」
「今はどうですか」
「寒くはありません」
「どの状態で寒くなりますかな」
「ばらばらです。ですから予測できません」
「では、どんな状態でも寒くなるときにはなる」
「はい」
「寒神の悪戯でしょう。そのうち抜けます」
「風邪のようなものですか」
「まあ、そんなものです」
 妖怪博士は白紙の御札に「火」と朱書きしたものを倉橋に渡した。
 その後、寒神が去ったのか、妙な寒気は消えたようだ。
 
   了

 
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2016年11月23日

3089話 そこに気付かない


 大事なものは仕舞い込むと、余計に分からなくなるものだ。何処に仕舞ったのかを忘れても、心当たりのある場所が一応あるので、順番に調べたりする。引き出しなどは簡単に見ることができるが、何処かに挟んだり、別の容器に入れてしまうと、すぐには見付からない。
 大石はハガキほどの大きさの書きものをなくした。仕舞い込んだのかもしれないが、そのまま手元の引き出しに入れたか、またはその近くに置いた記憶がある。目に付きやすい場所に置いたのはすぐに使うため。
 それから一ヶ月後、その書きものが必要になった。番号が書かれている。暗号ではないが、記憶できない。その番号が必要なのだ。コード番号だろう。
 すぐ手元に置いたので、すぐに見付かるはずだが、その上に何かが乗ったのか、すぐには見付からない。当然、最初は手元の引き出しの中を探した。そこは一時置き場ではないものの、一応大事なものの仮置き場にしている。だからそこに入れた確率が一番高い。
 引き出しでなければ、その周辺だが、ハガキほどの大きさなので、ゴミを捨てるとき、一緒に掴んだ可能性もある。
 まずは引き出しを抜き出し、ただの箱にしてじっくりの中を探した。もういらないような書類やカードや、ゴチャゴチャしたものが一杯入っている。当然新しいものほど上に来るが、一ヶ月の間に何度か底の方にあるものを取り出すとき、上のものが入れ替わった。しかし、探せば出てくるはず。
 結局そこではないのか、三回も見直したが、姿を現さない。
 そこで、大事なものを入れる整理棚などを順番に見て回った。もう使わなくなった書類とか、何かを買ったときの保証書とか、取扱説明書などが、入れた順番に入っていたりする。
 思い当たるところは全部探したが、入れた覚え覚えがないので、入れたことを忘れたことに賭けたが、その賭けも外れた。
「それでどうなりましたか」
「いつもの一時置き場の引き出しでした」
「じゃ、その中に」
「いえ、そこは何度も見ました。そこではなく」
「その引き出しの中じゃないのですか」
「引き出しの外です」
「ああ、引き出しが溢れて、向こう側へ落ちたとか」
「それも考えましたので、そこも一応見ました」
「じゃ、何処から出てきたのですか」
「引き出しの本体からです。引き出したあとのガワのような」
「引き出しを全部抜いた状態の、本体ですね」
「そうです」
「じゃ、上の引き出しにくっついていたとか」
「上には引き出しはありませんが、棚があります。従って引き出しの上の板です。流石にそこは見ていません。その引き出しは文机とセットになったものでして、補助用の机の役目も果たします。そこに付いている一箱だけの引き出しです」
「じゃ、何処から出てきたのですか」
「引き出しを抜いた、下でした」
「ほう」
「どうしてそこにあったのか分かりませんが、おそらく引き出しを開けないで、差し込んだのでしょう。それが引き出しの入り口ではなく、間違って、底に差し込んだのです。おそらく引き出しが一杯で、全部開かないので、薄いハガキ程度の紙なので、開けなくても差し込めると思ったのでしょうね。それで別の隙間に入れたわけです」
「しかし、引き出しを抜いたとき、見えるでしょう」
「見えていたでしょうねえ。しかし、抜いてすぐに引き出しの中ばかり見ていましたから、そんな引き出しの底にあるとは思わなかったのです」
「底に気付かなかったわけですね」
「そうです。まあ、出てきたので、よかったです」
「はい」
 
   了


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2016年11月22日

3088話 傘の紐


 沢村はいつものように喫茶店へモーニングを食べに自転車で走っていた。朝から雨だが、出るときには止んでいた。昨夜も出掛けたとき降っており、傘をそのとき使ったまま前籠に引っかけていた。
 傘を差していこうと思っていたのだが、その必要がなくなったので、その傘を自転車の後輪の横に引っかけた。いつものことで、晴れの日でもそのまま差し込んでいることが多い。
 天気も鬱陶しいが、何ともすっきりとしない日々を沢村は送っていた。それが鬱陶しい程度なら問題はないのだが。
 しばらく走っていると、妙な音がした。何だろうかと確かめようと思っているとき、ペダルが重くなる。何かを巻き込んだようだ。何か。それはすぐに分かった。傘を巻いて締めるときの紐だ。後輪の横に差し込むとき、締めていなかったのかもしれない。昨夜、傘を差して戻り、そのままの状態だったようだ。これは何度もあるので、自転車を止め、傘の紐を引っ張り出そうとしたが、あるところで止まった。悪いところに噛んでしまったようだが、フルカバーのチェーンカバーなので、よく見えない。カバーと本体の隙間に入り込んだのか、それさえ分からない。紐は自転車の口の中に入り込み、くわえ込まれたような具合。
 いつもならタイヤを逆側に回したり、紐が切れない程度に引っ張るのだが、何ともならない。
 喫茶店へ行く途中に自転車屋がある。紐がブレーキになって、タイヤが回らなかったのだが、それだけは何とかなった。だから後輪を持ち上げながら歩かなくてもいい。
 その自転車屋の前の道は毎日通っている。寄ったことはないが、どんな人がやっているのかは知っている。かなりの年寄りだ。
 狭い間口の店だが、古くからある自転車屋。新品の自転車が一台だけある。それ以上置けないのだろう。
 自転車の前輪を店の中に入れるとき、ブレーキをかけた。その音で奥から親父が出てきた。
 沢村は傘の紐が食い込んだことを言うと、すぐに沢村がやったように引っ張り出そうとしたが、きついようだ。それで工具でチェーンカバーを外すと、ポロリと紐が垂れた。
 チェーンカバーといっても後ろの小さなカバーで、そこは簡単に外せるようだ。チェーンの一部が見える程度。
 カバーを戻し、それで修理終了。百円だった。
 親父は百円玉を握り、そのまま奥へと歩いていった。
 絡まったもの、引っかかったもの、噛んでしまったもの、傘の紐が自転車から抜けないように、色々とある。
 そして百円で解決することもあれば、ずっと絡んだままの事柄も結構ある。
 そして物事が絡んでいるときは、他のものも絡みやすいのかもしれない。
 自転車の件は無事解決したが、沢村は天下晴れて喜べない。まだまだ絡んだ用件がいくつもあるためだろう。
 
   了

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2016年11月21日

3087話 橋向こうの町


 その橋を渡れば異境へ出るわけではないが、別の県や市に出る。川幅が広いと対岸の家々は遙か彼方。当然橋も長い。町と町が川で区切られている。昔なら村や郡、国境の場合もある。山脈などもそうなので、これも区切りやすい。川のこちら側とあちら側、山のこちら側と山向こう。大きな山脈だと、そんな山になどもう人は住んでいないが、平野部の川沿いなら、田畑や家があり、さらに大都市に近ければ市街地のようになるため、川のこちらと向こうの違いはそれほどない。
 加西は引っ越して来た町に大きな川が流れているのを知っていたが、渡るときはいつも鉄道や車で、あっという間に渡ってしまう。また川を渡るという実感もあまりない。川に差し掛かっていても気付かず、橋を渡るとき、やっと知るのだが、もの凄いことをしているような感じではない。電車なら見もしないだろう。多少音が変わるので、鉄橋を渡っているのだと思う程度。
 ある日、加西はその川を自転車で渡ることにした。川の中を自転車で突っ込んで渡るのではなく、普通の橋を。
 川のある場所へ近付くにつれ、町の中心部から離れるためか、殺伐とした場所に出た。ゴミの処理場や町工場が多くなる。対岸も似たようなものだと思える。川のある場所が互いに辺鄙な場所なのだ。その橋のある場所が偶然そうかもしれないが。
 川には土手がある。堤防だ。そのため、上り坂になる。これが自転車では結構きつい。そして上がりきると、見晴らしがよく、水平線にビルなどが書き割りのように並んでいる。平野部でこれだけ見晴らしの良い場所は少ないだろう。水が流れている水面も広い。さらにその三倍ほどの河原が拡がっており、半ば公園化している。ただ、そこは大雨が降れば浸かってしまう場所なので、器具などはない。
 町と町を区切る緩衝地帯のようなものだ。車や電車ならその感情は湧きにくいが、実際にゆっくりと渡ってみると、非常に幅の広い境界線だと言える。気候も風土もきっと同じはずなのだが、川一本で印象が違ってしまう。こういうのは新幹線で何本も川を渡っていても感じないだろう。山の形などが違ってきて、遠いところを移動しているのが分かる程度。
 そして下田は橋を渡りきったのだが、風景は似たようなもので、やはり殺風景な工場が多い。これは電車で渡るときの橋と違うためだろうか。国道沿いと県道沿いの違いかもしれない。
 渡りきり、さらに進むと普通の生活道路のようなところに出た。工場の次は宅地が続いている。この町の中心部から見て結構ハズレなので、まだ田圃が少しだけ残っていたりする。この風景、川のこちらとあちら、まるで鏡で映したように、同じような展開になっている。
 さらに進むと、また堤防が見えてきた。また川があるのだ。
 加西はその川も渡るが、先ほどと同じような感じだ。この町の中心部は通過しなかったので、辺鄙なところばかり走っていたのだろう。
 そして橋を渡ると、少し見覚えのある建物が見える。
「やったかもしれない」と下田は期待した。つまり、戻って来ているのだ。いつの間にかぐるっと回り込んで、最初に渡った橋に出たのだろうか。
 しかし、自分の町と似ているが、そうではなかった。やはりもう一本、似たような大きな川があったのだ。最初渡った川の支流のようだ。これで期待は外れた。
 結局二本も川を渡り、遠いところまで来てしまったため、帰り道が大変で、疲れ果ててしまった。
 
   了



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2016年11月20日

3086話 魔界の穴


 この世の外の世界。たとえば天国とか地獄とか極楽などがそうだろう。電車でも飛行機でも、ましてや歩いてでは行けない。どの手段でも行けないということは、この世の世界ではないため。
 天界というのは空のことだとしても、これは飛行機で行ける。それ以上はロケットで上がれるが、さらにそれ以上行くと真っ暗な世界になり、空というイメージではなくなる。物理的に行くことはできるが、夜の空になるだろう。
 また、魔界とか魔境などは現実にもありそうな場所だ。少し大袈裟に言ったものかもしれない。
「市場の奥に魔界が?」
「そうです」
「あの伊座市場ですよね」
「そうです、アーケードはまだ残っているでしょ。建物も昔のまま、開いている店はほんの僅か。入り口の立ち食い蕎麦屋は流行っていますが、一歩入り込むともう廃墟」
「いや、まだ全部閉まったわけじゃなく、営業している店もありますよ」
「そうなんですが、ここまで廃れると魔界の蓋が開くのですよ」
「商店街の奥に魔界があるなんて、失礼な話ですよ」
「閑古鳥が飛び回らないだけましです。奥まで行かないと分からない」
「その魔界とは何ですか」
「歯が抜けたようなもので、深い穴が空いたようなものです」
「どのあたりですか」
「市場の中程に一寸した膨らみがあるでしょ。枝分かれというほどでもなく、横へ少しだけ拡張されたところの、その奥です」
「じゃ、肉屋があった場所ですね」
「そうです。壁際の冷蔵庫の奥に穴が開いているのですよ」
「はあ」
「魔界の入り口がポッカリとね」
「中はどうなっているのです」
「そのまま続いています」
「え、何が」
「だから、魔界の道が」
「しかし、肉屋の奥ならそこは公園やマンションですよ。そこへ出るはずですが」
「その道は洞窟です。魔道です。素掘りのトンネルのようなものです」
「じゃ、地下道ですか」
「肉屋の壁から水平に伸びていますが階段もない」
「じゃ場所的には公園やマンションと重なるじゃありませんか」
「だから、魔界なのです。この世のものではありません」
「共有地のような」
「だから、そんな概念はありません。同じ空間じゃないのですから」
「しかし、市場の中に魔界の穴があるって、どういう意味になるのですか」
「意味ねえ。実際には魔物がその穴から出てくる恐れがあります」
「そういえば、この世の者とは思えない人が市場をウロウロしているのを見たことがあります。あれは地獄の小鬼かも」
「それはただの通行人でしょ。それこそ失礼ですよ」
「ああ、はい」
「それで、どうすればいいのですか」
「市場を放置すると、魔界の穴が開く。それだけのことです」
 それを聞いた市場の関係者は肉屋の奥の錆び付いた冷蔵庫を開けて探したが、そんな穴は開いていなかった。
 人はない世界でも作ってしまえるようだ。
 
   了

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2016年11月19日

3085話 ホッチキス


 高岡はホッチキスが必要だと分かっていたので、買いに行った。プリントアウトしたものを綴じるためだ。当たり前の普通の使い方。そのホッチキスがないというのだから普段から書類や資料などを綴じる機会がなかったのだろう。
 百均へ行くと百円である。色々な大きさがあり、どのサイズでも百円なので、一番大きなLサイズにする。そんなに分厚いものを綴じるわけではないし、針も普通のタイプ。その針もいるだろうとホッチキスの下にぶら下がっていた小さな箱を買う。プラスチックだがホルダーまで付いている。確かにホッチキスの弾だが、そんなに持ち歩くようなものではない。ホッチキスで撃ち合うのなら別だが。
 そして早速書類を綴じようとしたが、買ったホッチキスには針が入っていない。こういうのは昔から入っていなかったのかもしれない。シャープペンシルなら芯ぐらい最初から入っているのだが、ホッチキスの場合、そうはいかないのかもしれない。それですぐに先ほどのキーホルダー付きの容器を開けようとしたが、開かない。開け口のようなものが見えているが、こじ開けられない。そして何処をどう触っても手掛かりがない。包み箱に使い方が載っているので、それを見ると、針抜きだった。ホッチキスの針を抜く携帯針抜きだったのだ。そんなものホッチキスの後ろ側に付いているはずだが、百均の商品なので、それは省略していたのかもしれない。しかし、針がなければ綴じられない。最初から弾切れだ。
 高岡がホッチキスを最後に使ったのはいつ頃だろうか。十年以上前かもしれない。それで、昔使っていた小さな机があり、その引き出しを開けた。そこはもう使わなくなったものが色々と入っている。いらない物は捨てればいいのだが、そのまま放置していたが、それが幸いした。金属製の昔のホッチキスが出てきた。流石にこれは捨てなかったのだろう。
 そのため、ホッチキスを買いに行く必要はなかったのだ。錆びていないし、十分使える。そして問題は針。
 その針箱は消しゴムほどの大きさなので、これは探すのが難しいと思ったが、奥の方に紙の小さな箱が出てきた。これも買った覚えがある。その箱の大きさが先ほどの針抜きと同じような大きさ。だから針だと思って買ったのかもしれない。
 針箱にはまだ十分弾は残っていた。殆ど使っていなかったようなものだ。
 高岡は古いホッチキスはそのまま仕舞い、新しいホッチキスに針を入れ、そして書類を綴じた。
 
   了

 
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2016年11月18日

3084話 亀の池伝説


 上ノ池は神の池とも、亀の池とも呼ばれている。今は上ノ池として地図には載っている。上ノ池になったのは下にも池ができたときから。山に向かい二つの池があり、上ノ池は自然にできたもので、下ノ池は溜池で、掘った池。上ノ池と下ノ池は繋がっていない。
 最初は神ノ池、亀の池と呼ばれていたのは、亀が多くいたためで、水神様が祭られている。池の縁近くの浅いところに石組みの祠がある。水位はそれほど上がらないので、水かさが増えても沈まない。逆に干ばつで池の水がなくなるほど。
 水神様のお姿は亀なのだが、御神体ではない。水神様の化身が亀で、亀を祭っているわけではない。亀が多くいるので、水神様と縁があるのだろうという程度。そのため、亀でも蛇でもよかった。流石に蛙は無理かもしれないが。
 この二つの池は、どの川にも流れ込まない。川は遠くにある。だから貴重な水源だったので、水を大事にするということで、水神様が祭られている。
 当然水神様のお姿というのはない。亀や蛇、龍の形かもしれないが、太古の神々には実は姿がない。形もない。あれば俗っぽくなるだろう。
 亀の池時代の伝説が残っているが、あまり良いものではない。悪い話というより、話として、大したことがないためだ。しかし、分かりやすい。
 水神様の化身争いで大亀とカッパとが戦ったらしい。当然大亀が勝つ。これは池のヌシ争いのようなもので、大きなコイやナマズもいたが、予選で敗退している。その決勝戦が大亀とカッパ。カッパは相撲に持ち込もうとする。手足が長いのと腰が使えるので、色々な技が使える。亀は足が短く、首は結構伸びるが、頭突き程度の技しかない。
 大亀が相撲を嫌うのはひっくり返されると、自力では起きられないため。水中戦では亀の体当たりで、カッパは負けそうになったので、池端での戦いに持ち込んだ。
 そのため、大亀はガードに徹した。甲羅の中に入ってしまい戦車のように身構えた。カッパに比べ大亀は大きい。ひっくり返すにしても大きな岩を持ち上げるようなもので、これは無理だ。タイヤのない車をひっくり返すようなもの。しかしカッパは頭が良いので、櫓を持ち出し、それを下に差し込み、テコのようにして、持ち上げようとした。
 防御一方の大亀は、それに飽きたのか、口からドロドロとした黄色い濁った液体をカッパに吐いた。それが非常に臭くて、カッパはそれで逃げ出した。
 伝説としてはあまり上等ではない。これが年を経るうちに洗練された話になっていくのだが、この伝説は更新されないままなので、汚らしい話のまま。
 そして、今もその大亀は池のヌシとしているらしい。亀は万年鶴は千年と言われるほど、亀の長寿にあやかろうと、今でも、その石組みの祠だけは、放置されないで、しっかりと祭られている。
 
   了

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2016年11月17日

3083話 御三家筆頭


 御三家筆頭は凡庸で頼りなさげな人だ。当然他の二家が支えている。これらの家は家老に当たる。主家があり、それに仕えているのだが、主家、つまり殿様は変わっても、家老は変わらない。筆頭家老が凡人でも、それでやっていける。
 あるとき異変が起こり、家中は大変なことになりそうなので、筆頭家老も忙しくなった。当時の殿様は機転がよくきき、頭の良い人だが、まだ若い。筆頭家老がその補佐に当たるのだが、頭だけが大きい人で、鈍い人だった。そして決断が遅い。そこで他の二家老が筆頭家老を補佐し、仕切るようになる。殿様も、そちらの意見に耳を傾け、筆頭家老は役立たずなので、無視された。
 二家の一人が切れ者で、その人が仕切った。もう一人は剛胆な人で、もし戦があったなら、猛将として、この人が兵を率いるだろう。しかし、政治的な頭はあまりないようで、そのため、切れ者の家老が難しい局面を乗り切ろうとした。悪く言えば一番効率のいい方法で。
 しかし、事態はそれではうまく切り抜けられない。芸が浅いというか、根本的な解決策にはならない。それで、剛胆な腹を持つ猛将タイプの家老が仕切り直した。力と勢いで乗り切ろうと。つまり、切れ者の家老は小細工が多く、誤魔化すことがうまかっただけ。
 猛将は直談判に出たが、逆に事態を悪くした。殿様は、これでもう頼れる人がいなくなったので、自分でやるしかないが、それができるのなら、最初からやっている。若いので経験不足のため、事態を甘く見ていたのだ。思っていることと実際とは違う。
 そして行き詰まったとき、やっと登場したのが本来その任にある筆頭家老。凡庸で鈍そうで、地味な人だが、結局この人が着実な手を打ち、多少時間がかかっても、周囲から攻めた。正攻法だ。
 これは凡庸な人だけに、一番汎用性のある方法を選んだだけのことだ。
 地味な人だが、面倒を厭わず、一手一手確実に決めていった。要するに普通に、平凡なことをしただけのことである。
 
   了

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2016年11月16日

3082話 遠い話


 少し昔の話は、もう今とはかけ離れており、別世界のようなものだ。そのため、今との繋がりは殆どない。遠いところでは繋がっているのだが、もう現実的ではない。因果関係もある程度幅があり、その原因を遡れば、どんどん薄くなったりする。縁が切れたわけではないが、たとえば鎌倉幕府の影響が、今何処に出ているのかなどと考えると、もう物語り世界のように、遠いものとなってしまう。平安時代のある貴族が何かをしたとかもそうだろうし、近いところでは徳川時代に行った改革なども、その影響が今も残っているなどとは考えにくい。これも間接的に繋がっているのだろうが、今生きている人達にとっては無関係に近い。その影響がまだ色濃く残っていれば別だが。
 しかし、人がこの土地に住みだしてから、毎日それを見続けている人がいたとすれば、その繋がりがよく分かるかもしれない。だが、数千年も生きている人でも、場所が限られているだろう。
 要するに過去の遠い話は、もう話だけになっており、直接関係しにくいからいいのかもしれない。あのとき、あれがあったので歴史が変わった、などは希なことだろう。そのあれがなかったとしても、変わっていたかもしれないし。
 また、ある人物が活躍したので、世の中が変わり、時代も変わったという場合でも、そのある人物でなくても、他の人がやっていたかもしれない。
「歴史についての話ですか」
「そうです。しかし古い時代の話になりますと、もうお伽噺を聞く思いです」
「実際にあったことでもですか」
「遠いと、もう昔話を聞く思いです」
「たとえば」
「悪い奴がいて、それをやっつける。それでハッピーエンドで終わり、メデタシメデタシ」
「はい」
「しかし、すぐにまた悪い奴が出てきて、悪いことをする。その前に退治したので、平和になっているはずなのに、長くは続かない。そしてまた、それを退治して、世の中が鎮まる。これで終わればいいのですが、また同じことが起こる」
「でもある時期は無事に収まったのでしょ。平和な世の中になったのでしょ」
「しかし、歴史に終わりはありません。世の中が消えない限りね」
「歴史は繰り返されると言うことですか」
「それはもう常識でしょう。だからそうじゃなく、時代が古いほど別世界のように感じ、異次元で遊ぶような、物語世界を楽しむような感じになるのです」
「はあ、少しそのニュアンスが分かりませんが」
「今とは関係しているが、直接の脅威はない。そして遠い関係なので、もう原因とは言えない。だから絵空事の話に接するのと同じようなものになります。だから、気楽でいい」
「でも、もしあのときの戦いと言いますか、先祖の人がそこで怪我をしたため、めぐり巡って私は産まれなかったということもあるでしょ」
「生まれていなかったとしたら、考える本体がないので、それは無視です」
「はい」
「要するに古すぎる話はもう現実離れした次元になりますので、今の話よりも楽しめると言うことですよ」
「何となく分かりますが、それは娯楽の問題ですね」
「まあ、そうだね」
 
   了

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2016年11月15日

3081話 カツが入る


 何かの用事で急に忙しくなり、一日では片付かなく、数日労するようなことで、しかも急がないと間に合わないようなことが起こると、その数日間、結構ハードな日々となる。それがなければ日常のことを淡々とやっているのだが、これは急を要するような用事ではないため、だらだらとやっていたり、放置しているものもある。今、急に何も起こらないためだろう。
 いつも呑気に暮らしている下田は、ある日、降って沸いたような用件で忙しくなった。日頃の用件をやりながらなので、時間が足りない。しかし数日余裕がある。ただ、その日数で片付くかどうかは分からない。そのため、普段の用事はてきぱきと片付けるようになった。また、しなくてもいいものは省略した。テンポが早くなったので、空き時間が増え、いつもは散歩に出たり、昼寝をしたり、何もしないでテレビを見ているのだが、その時間を当てれば、何とかなる。
 しかし、食後の散歩や、昼寝や、無駄な時間が好きで、何もしていない状態に慣れ親しんでいた。
 急ぎの用事で日常生活が崩れたわけではなく、まだその範囲内で何とかなる。ぼんやりとしている時間をそれに当てれば数日で片付く。
 冬の初めだが暖かい日で、こんな日は日向ぼっこがてら散歩に出て、紅葉がどの程度進んでいるのか、街路樹などを見て確認したりする。それこそ、しなくてもいい用事だ。そしてこれは用事でも何でもない。そういうことがここ数日できなくなっているのだが、特に不満はない。なぜならエンジンが掛かり、ギアが入ったため。
 つまり間に合わないかもしれないという緊張感が効いたのだろう。人は追い込まれるとそれなりの力を発揮する以前に、そういう頭になるものだ。描いているイメージが別のものに切り替わり、大袈裟にいえば世界が違ってくる。
 下田の場合、潜在能力が活性化したのではなく、まずまずの力しか発揮できないが、それなりに動きは良くなった。暮らしぶりが編み直されたような感じで、これが少し新鮮だ。そう思えるだけ、まだゆとりがあるし、大した用件ではなかったのかもしれないが、下田にとり、それは緊急事態発生と同等。日常が覆される思いになるほどの。
 しかし、別の日常に切り替えられるようで、かえって溌剌とした日常を過ごせるようになった。
 しかし期限が迫ったとき、残りの日数では間に合わないことが徐々に分かってきた。まだ潜在能力を発揮していないというより、物理的に無理なため、いくら急いでも無駄だった。
 ここ数日、昼寝こそしていないが、夜はしっかりと寝ている。物理的に無理なことが分かったので、睡眠時間を減らして時間を作る必要がある。寝る時間を削ってまで何かをするということはもう何年もないようだ。若い頃なら、こういうときは徹夜をするだろう。しかし、下田のように年取ってからは徹夜の翌日は何ともならない。それで期限に間に合うのならいいが、半日分ほど有利になる程度。
 その前に寝る時間が遅くなった。いつもはある時間になると蒲団に入るのだが、眠くなくても入る。寝付きは良いので、すぐに眠れる。しかし、世界が変わってしまったのか、その時間になっても眠くないし、蒲団に入っても眠れない。やはり気になるのだ。それで少しだけ寝るのが遅くなった。逆に朝は寝過ごす。目が覚めると、忙しい一日が待っていると思うと、もう少し寝ていたい。起きると地獄のような日になるわけではないが。いつもの日常とは違うのだ。
 しかし頭の中が切り替わったのか、起きてしばらくすると、エンジンが掛かりだし、動きが良くなった。
 結局、期限には間に合わないことが分かった瞬間、エンジンが切れた。何とか期限を延ばしてもらうように交渉した。それが終わると、ほっとしたのか、いつもの呑気な下田に戻っていた。交渉のとき、先方が、それほど急ぐようなことはないと言ってくれたためだ。下田の勘違いで、急ぎの用ではなかったのだ。
 その後は、いつもの日常の合間に、その用件を少しずつ片付けている。忙しいというほどのことではない。
 だが、期限に間に合わそうと頭も身体も活性化し、ものすごい勢いで向かっていたことを思い出すと、あの感じもたまにはいいのかもしれないと思った。日常にカツが入ったようなものだ。
 
   了

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2016年11月14日

3080話 日照り雨


 何かの都合でか、晴れているのに雨が降り出している。誰も傘など持ってきていない。その雨は結構長く降っているので、降っている最中に出た人も多いだろうが、それでも傘は差していない。青空が拡がり、雲も白く、当然陽射しもある。
 秋から冬になる季節で、冷たい空気が上空に来ているのかもしれないが、風があるがそれほど寒くはない。やはり陽射しがあるためと、明るいためだろう。
 内田は鞄の中に折りたたみ傘があるので、それを差そうと思ったが、すぐにやみそうなので、開けたファスナーを閉じた。天気予報では晴れ。降水確率はゼロパーセント。この雨は微雨なので、雨量計でもゼロだろう。
 それに衣服も濡れていない。降り出してからまだ数分のためだろうか。それでこの雨は無視することにした。道行く人もそれに近いのではないかと思える。
 所謂日照り雨。天気雨ともいう。お天気が良いのに雨が降っていることだろう。狐の嫁入りともいう。これは欺されないぞ、というよう感じだろうか。晴れているのに雨。どっちだ。
 キツネに化かされたような感じで、これは化かされているのだから、雨が嘘で、晴れが本当。だから、晴れが正解なので、晴れている日と同じと見なす。現に晴れている。陽射しもある。雲も黒くはない。どう見ても晴れだ。だからこの雨だけがおかしい。きっとこれは狐の仕業。化かされないぞ、と思い傘を持っていても差さない。そしてすぐにやむし、差すほどの降りでもない。
 内田の思いと同じなのか、誰一人傘など差さないし、背中に垂れているフードもかぶらない。
 しかし、内田は妙な映像が出てきた。頭の中のイメージだが、狐はいいとしても、嫁入りが気になる。
 昔の嫁入り行列を思い出すが、そんなものは体験したことがないので、時代劇か何かで見たものだろう。馬の背に横座りで花嫁が乗っている。その人の顔が狐だと、狐の嫁入りだが、その狐、何処へ嫁に行くのだろう。新郎も狐だろうか。
 狐は馬に乗れないが、しがみつくことはできるだろう。狐馬というのがあり、狐が馬に乗って走っているようなもの。信憑性のない話に乗るなと言うことだろう。
 狐の嫁入りの狐は顔だけが狐。ではその行列の他の人々はどうか。これも全員狐。または、花嫁だけが狐の映像も出る。しかし角隠しで顔がよく見えないため、狐が乗っていても分かりにくい。だから裃などを着た行列の人達も顔だけが狐の方がインパクトがある。すぐに分かる。
 狡賢い、狡猾な女性を女狐という。どちらにしても狐が出て来る話は胡散臭い。殆どが人を欺す話。
 だから晴れているのに雨は、狐の嫁入りのように、そんなものは存在しないので、欺されたようなものだ。
 内田はそういう晴れているのに雨のとき、必ず狐の花嫁行列を思い浮かべるが、本当に見たら、怖いだろう。
 もし見たなら、何処へ嫁入りへ行くのか、尾行することになりそうだ。
 狐の嫁入りを追いかけて、行方不明になったという話があるかもしれない。
 
   了

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2016年11月13日

3079話 本朝怪異拾遺集


 旅の雲水。雲水は旅をしている坊さんなので、旅をするのは常態で、珍しくも何もないが、たまに疲れて長逗留していることもある。そういう雲水が語る怪異談があり、これが切れるまで滞在を延ばせたりする。つまり、世話になっている家での延長が可能となる。千夜一夜物語のようなもので、面白い話を毎夜することで、殺されなくても済むということだ。ただ、この雲水の場合、別に殺されるようなことはないが。
 千夜となると三年ほど。流石にそこまで延長できないし、怪異談も百話近くになると二番煎じ三番線痔になり、もう出がらし程度の話しか残っていない。そのためか、嘘を語ることがある。見聞した話ではなく、その雲水の創作ものだ。雲水というのは禅僧でもある。あの禅問答や座禅などで有名だ。
 落語の起こりはこの坊さんがお寺でやる話がルーツだともいわれている。分かりやすいように身振り手振りを加えたり、声色を変えて複数の人物を演じたりとか。
 さて、その旅の雲水。旅をしなくなって久しい。することはするが、長逗留できる場所までの移動だ。そして得意は怪異談。その殆どは中国に昔からあるような話が多い。そういう読み物が伝わってきており、それがタネになっている。それも切れてきたので、創作ものを始めたのだ。丁度新作落語のように。
 しかし怪異談というのはパターンが大凡決まっており、それほどのバリエーションはない。それを言い出すと人情ものもそうだし、任侠ものもそうかもしれないが。
 当然この雲水。百物語程度のレパートリーは持っており、それを越えて千話近いオリジナルを持っている。怪異拾遺集と題し、小さなネタでも大きく膨らませたりしている。当然フィクションだとは言わず、実際にあった不思議な話を拾い集めたことにしている。
 これが少しは評判を呼び、その雲水も有名人になった。そのためか、滞在期間中は大勢の観客が来るようになる。これは本意ではなかったようだ。何となく長逗留したいだけなので、そんな大がかりな興業だと、すぐに旅立たないといけない。
 そのため、別の名に変えた。
 その旅先の宿場町で、似たような雲水がおり、この雲水も話がうまい。
 それでその滞在場所で、話を聞いてみると、自分が作った創作ものをそのままやっていた。取られたのだ。
 しかし、聞いたことがない話も混ざっていたので、逆にそれを取った。
 怪異談の取り合いというより、交換だろうか。そういうのも含めてその雲水が晩年に記した本朝怪異拾遺集は大正時代に活版印刷され、今でも古書店でそれなりの値はしている。ただ、文学性に乏しいためか、評価は低い。
 
   了

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2016年11月12日

3078話 型


 型というのがあり、これは便利。鋳型などがそうだ。同じ形のものが作れる。いちいち型どりしてからよりも早い。同じようなものを多く作るときは今も使われているだろう。それがコンピューターになっても、その中に型がある。
 型通りの動きや、挨拶なども便利だ。礼儀正しい人は礼法通りの、型にはまった仕草になる。
 流儀が先なのか、型が先なのかは分かりにくい。繰り返し繰り返しやっているうちに型ができ、それが一流派になるのかもしれない。
 自分の流儀というのがある。これは世間一般では通用しない。その流儀を流行らせれば別だが。この流儀も、型ができる。自分の型だ。相撲取りなどが自分の型を見付けると、相撲に安定感が生まれるようだ。その型は昔からあるのだろう。
 自己流の型も、何処かの型の真似が多いのだが、しっかりと真似きっていなかったり、別の流派のものが混ざっていたりする。
 それとは別に、何となくやっていくうちにできた道筋のような、自分のやり方ができる場合もある。結局このやり方が自分に合っているという感じだ。そこへ至るまで、色々とやってきたはずなので、最初からそんな型があったわけではない。
 また、型破りも型で、型を破り続けるのも型。所謂スタイルだ。しかし、もう破るような型がなくなると、型破りという型もなくなるが。
 自分は変えられないが、型は変えてもいい。別の流儀でやってもいい。しっくりいかなければ、また別の流儀で。型は色々あるので、乗り換えることができる。
 しかし、型と型、流儀や流派がぶつかることがある。同じ流派、流儀の人ばかりではないが、流派というのは、その型を使っている人が複数いる。殆どの人が、ある儀式のときには同じ流儀でやることもある。
 人はできれば型通りにやるほうが便利だ。あまり考えなくてもいい。しかし、それが自分だけに通用するオリジナルすぎる型では、世間では通用しないことがある。流派を生んでいないためだ。所謂普及しておらず、汎用性が難しくなる。だから通用しない。
 自分のやり方、自分の流儀。それはユニークでいいのだが、個性的というのはある意味では悪口なのだ。
 そして自分の流儀や型といっても、所詮は借り物で、コピーであることはバレていたりする。
 しかし、普及している型や流儀が必ずしも効率がいいとは限らない。だから、年々世相に合わせて流儀も更新され、場合によっては消えたりする。
 伝統も守るだけでは消えてしまう。またその伝統の有用性が必要ではなくなった場合、ただの型だけが残ったりする。
 世の中には様々な型がある。そしてその型に対しても、受け取り方が年々変わっていく。さらに新しい型が生まれたりするが、よく見ると、大昔にあったものを引っ張り出してきているだけだったりする。
 
   了

 
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2016年11月11日

3077話 電車でワープ


 柴田の散歩は徒歩だが、近場ではない。メインの散歩は電車。散歩そのものがメインとは言いにくい。メインの用事とは言えないためだろう。しかし、散歩にも色々あり、規模がある。スケールがある。そして得意の散歩がある。これがメインの散歩。
 柴田はワープタイプで、いきなり遠くの町に降り立つ。そこからが散歩で、そこまでは何もない。駅前までの道や車内や乗り換えなどは散歩の中には入らない。通勤風景のようなもので、それに近い。そこは無視というより、散歩者の視線にはならない。殆ど車内では寝ている。本当はいきなりワープしたいのだ。だから居眠りをしていて、目を覚ますと目的駅なのが一番いいが、そんなに運良く目は覚めない。寝ている間に目的駅を通過する恐れもあるので、うとうとも浅め。結構アナウンスは耳に入ってくる程度の居眠り。本当に眠っていなくても、目を閉じているだけで十分。目を開ければ違う世界がいきなり開ける。
 遠い場所まで行くため、車窓風景は参考になる。地理的、地形的にどのようなところを通過し、そこへ至るのかが位置的にも分かりやすいのだが、そういうことはしない。線ではなく、点で見るタイプなのだ。
 目的駅には拘らない。適当。つまり、降りたことのない駅なら、まあ、何処でもいい。しかし優先順位があるようで、地名に釣られたり、駅名に釣られることが多い。しかし、前回行った町や、その方角へは行かない。今まで行った場所を繫ぐということはしない。その近くの駅へ行くことはあってもかなり経ってから。
 何処へ行くかは駅で切符を買うときに決めたり、適当なところで降りたりもしない。しっかりと出る前に決めている。一度決めると、それは変更しない。また、決めてからでないと出掛けられない。目的はその駅に降り立つこと。それを果たせば成功だ。たとえ滞在時間が五分でも。そんなに運良く帰りの電車があることは希だし、少しは歩く。一応ここからが柴田の散歩で、スタート位置。五分ではもったいないし、散歩に出た気分にもなれない。
 駅前からが散歩で、これは散策に近い。何処へ行くのかは考えていないし、調べてもいない。一番緩やかな散歩で、気が向くまま適当な道を行く。そのときは散歩者の目になるため、観察眼も鋭くなる。そして良さそうところが目に入ると、そこへ向かう。下調べをしておれば、その反対側に良い名所があることが分かるので、当然効率よく回れる。しかし、それはしない。見知らぬところを歩きたいだけで、見学は二の次。しかし、駅に降りたとき、それなりの案内板があり、それで分かるのだが、それは見ない。ただ看板が目に入ったり、矢印が出ていたりのリードがあると、それに釣られ、そこへ行くこともある。
 たとえば大きな神社などがある場合、そこへ向かう人が多いし、参道が見えていたりすると、それに引っ張られる。
 それでは観光になり、メインのワープ散歩とはジャンルが違ってくる。それでもかまわないのだが、いきなり降り立った場所を彷徨うのがいいようだ。だから名所が目に入っても寄らないことも多い。
 そして目に付いた本屋には必ず入る。さらに言えば古書店ならさらにいい。そして、ウロウロしたあと、駅前辺りにある喫茶店で一服。このとき、定食があれば食べる。ランチをやっている店に限るが、なければサンドイッチでもいい。食堂ではなく、喫茶店に入るのは、少しゆっくりとしたいため。買った本などがある場合、ここで少しだけ読む。帰りの車内では読まない。相変わらず居眠りを始める。いきなり自分の町の駅に着くのが理想的だが、そうはいかない。
 目覚めるとそこは見知らぬ町だった。もう一度目覚めると近くの駅だった……がいいのだろう。
 
   了


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