2016年11月10日

3076話 楽しいこと


 楽しいもの、楽しみにしているものが先にあり、それがすぐにできること、可能なことなら先にやってしまう。楽しみは取っておいた方がいいのは、苦しいことをやったあとでの褒美のようなもの。馬の鼻先のニンジンのようなもの。
 では苦しいことを後回しにして、楽しいことを先にやるとどうなるのか。次は当然苦しいことをする番。それをやっても次の楽しみは遠い。だから逆に純粋に苦しいことをすることになり、かえって集中してできるのではないかと思える。ニンジンがあると、早くそれを食べようと苦しい事柄に長くとどまりたくないので、手を抜いたり、省略したりする。早く上げて楽しいことをしたいためだ。
 楽しいことが先にあり、それを楽しみに苦しいことをやり遂げたあと、その楽しいことが色あせたりする。もう欲しくなくなったわけではないが、苦しいことを成し遂げて、それで充実感に浸っているため、結構満足してしまうとかだ。
 お金がないとき、欲しい欲しいと思っていた品も。いざお金が入るともったいなくて買えなかったりする。それよりも、いつでも買える状態の方がよかったりする。本当に必要なものなら別だが、これは楽しいというより、普通だろう。あって当然のようなものなので。
 では苦しいことを後回しにする方がいいのかというと、そうなると、楽しいことをしていても、それが終われば苦しいことをしないと思うため、あまり楽しくないかもしれない。手放しでは。
 そのかわり、楽しいことはそこまでで、諦めて苦しいことに集中できるので、逆にいいのかもしれない。
 楽しいことで時間を潰す。これは何もしていないのと同じようなものかもしれない。生産ではなく消費になるためだ。
 お金の消費だけではなく、時間も消費する。体力気力も、そこで消費しているようなものだろう。
 苦しいことは有益なことが多い。だからそれを成し遂げれば充実感を得られる。達成感だ。これが何よりの御馳走で、別に楽しいことをしなくても、満足の質が違うので、充実する。
 苦しいものは苦しい。ただ、少しだけ楽な過程があると、これが楽しい。苦しくないため、楽しいということだろう。全ての過程が苦しいのではなく、少し気を抜いてもいい過程が必ずある。
 逆に楽しいことは曲者で、すぐに苦しくなる。楽しいはずのものが、何処か様子が違っていたりして、思っていた通りの楽しさにならなかったりする。むしろそれで苦しんだりする。
 苦しいことといっても気の問題が多い。苦しいことだと決めつけているのだ。実際にそれは厳しいものだが、大袈裟に言えば地獄の中にも極楽がある。そういうのを探しながら苦しいことをやるのも、一興だろう。
 
   了

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2016年11月09日

3076話 自称町内警備員


 その人は不審者ではないが、どう見ても怪しい。その町内に住んでいる人で、自称町内警備員。自治会にそんな役はない。当番もいない。年末、火の用心で回る程度。
 大下というその初老の男は大きな屋敷に住んでいる。そこの主が亡くなり、住む人がいなくなったので、大下が住むことになった。一応血縁関係者。主とは伯父甥の関係で、亡くなる前までは同居していた。屋敷は広くはないが、一人暮らしの老人にとってはかえって物騒だ。そこで大下が居候のように住むことになり、そこから警備を始めている。最初は自宅警備で、敷地内だけ。これがすこぶる気に入ったらしく、時間が来れば何度も敷地内を見回るようになる。別に道具は持っていない。よくあるジャージの普段着。
 自宅警備が気に入ったのか、伯父が亡くなると、今度は敷地から出た。そこから町内警備になるのだが、頼まれたわけではない。
 大下屋敷の甥なのだが、住みだしたのは最近のため、町内で見知った人もいない。昼間も夜中も町内をウロウロしているため、どう見ても不審者だ。しかし、彼はそう思われていることなど知らない。自分が不審者を見付け出し、通報したり、場合によっては警告を与えたりする側だと勘違いしている。
 だが、不審者がこの町内に入り込み、何か悪さをしたということなど一度もない。ただ、得体のしれない人間がたまに入り込んでいるが、徒歩ではなく、自転車が多い。
「警備車が必要だ」
 大下は中古の自転車を買い、それを警備車として乗り回した。ただし、パトロール中とかのパネルは付けてない。
 屋敷内の巡回が終わると、町内巡回に出るのだが、少し走っては止まり、何やら確認し、場合によっては指でサインを送ったり、出発進行と、電車の運転手のような合図をする。路地の入り口に来ると、必ず止まり、奥に異変がないかどうかをチェックする。当然すれ違う人に対し、鋭い目付きで見詰め、しばらく視線を外さない。その殆どはこの町内の人だ。
 こんな自称警備員を野放しにしておいてもいいのかどうかと、町内の出しゃばりが言いだし、何とか説得することにした。しかし名分がない。悪いことをしているわけではなく、むしろ町内の治安を守るために活躍しているのだ。
 世話人達が大勢で大下に、その行為を辞めるように、説得に行く前夜、大下はこそ泥を捕まえた。
 当然警察から表彰され、地方紙に小さく記事が載った。これでは止めに入るわけにはいかなくなった。
 
   了


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2016年11月08日

3075話 のんびりとした暮らし


 年末の忙しい時期、島田は師匠の近所まで雑用で来たので、寄ってみることにした。ただでさえ忙しいのに用事を増やすようなものだが、一つぐらい増えても大した違いはない。それで、駅前で師匠の好きな饅頭を買い、訪ねることにした。
 師匠といっても、昔のことで、今はその師匠も引退しており、老後を静かに暮らしている。
 チャイムを鳴らすと、かなり経ってから師匠が玄関戸を開けた。昼寝をしていたのか目やにが付いている。髪の毛は少ないが、後頭部に残っており、髪の毛が耳のあたりから飛び出していた。
 菓子箱を出すと、包装で分かるのか、師匠好みのアンコロ饅頭だと分かり、二三度頷いた。早速食べると言い、お茶を入れた。
「最近どうですか」
「慌ただしいねえ」
「忙しいのですか」
「何かとね。ただ、雑用だがね。あまりやっても楽しくない。まあ、メンテナンス系だよ。修理とか、更新とか、そんな感じだ。そんなことをやっていても、特にいいことはない。放置していると、悪いことが起こるからやっているだけでね。まあ、悪いことと言っても大したことじゃない。少し面倒になるだけ」
「はい、それでお忙しいと」
「年末だし、気ぜわしいねえ」
「でも、そこの川や池で釣りをされているのをよく見ますが」
「それは外せない。山歩きもね。そして昼寝もね」
「じゃ、ゆっくりとされているんじゃないですか」
「いや、近場じゃなく、渓谷釣りや海釣りもしたい。大きな湖でもいいねえ。忙しいときはそんな暇がない。山歩きも近くの山じゃなく、知らない山へ行きたいねえ」
「はい」
「それに最近は」
「まだありますか。忙しいことが」
「妖怪探しで忙しくてねえ」
「はあ」
「まあ、しなくてもいいことなんだけど」
「そうですよ」
「しかし、実際に必要なことになると、さっぱりだ。督促状が来て、直接振り込まないといけないとかね。面倒だねえ」
「のんびりとお過ごしのようで安心しました」
「あ、そう」
 
   了


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2016年11月07日

3074話 小まめな人


 小豆と大豆がある。これは豆だ。しかし、小まめと書くと、まめに動く人だ。まめな人だと言われる。その人が豆ではない。人だ。小まめに動く人はいるが、大まめに動く人とはあまり言わない。大まめではないが、大まかな人がいる。
 これは動きのテンポや、処理能力の素早さや、何度も何度も繰り返してアタックするとかではなく、態度の問題だろうか。大まめな人は小さな動きを細々とまめにやっている人ではなく、まとめてやるような人だろうか。豆の大きさで比べれば、そんな感じだが、大まめに動いている人とは言わないので、小豆と大豆があるとすれば、ただの豆の話になる。また、小さな豆のことを「こまめ」とは言わないで「あずき」と言う。妖怪小豆洗いが川縁で洗っているあの小豆だ。アンコになる。
 しかし、何となく「こまめな人と」「大まかな人」はいるようだが、それは全ての事柄ではなく、小まめになったり、大まかになったりする。これはやる気の問題かもしれない。
 細々とした用事を、小まめにこなしていない人は、あるときまとめてやることになる。それが面倒なので、早い目にやるのが好ましいのだが。溜めると苦しくなる。毎日掃除をしないで、ある日、一気にまとめてやるようなタイプもいる。いずれも性格だろうか。
 人はどういうことで動いているのかは、分かっているようでも分からない。ある原則があるように見えても、その原則の原則のようなものがあり、窺い知れないところまで行ってしまいそうだ。ただ、それでは分かりにくいので、単純化しているのだろう。
「小まめ」から「め」を取ると、「こま」になる。これは小さな間。小間だ。一寸した空き間時間、隙間時間のようなものだし、実際に家の中にも小間もある。茶道では四畳半以下の茶室を小間と言うらしい。
 小まめに細かいこと、小さい用事なら、それこそ小間使にやらせればいい。小まめな人は、この小間使のようなことを労を厭わず、雑用でもやるのだろう。それこそ小まめに。
 ここで出てくる「間」というのが曲者で「間の悪い人」とか「今は間が悪い」や「それは間に合ってます」などと、結構使われている。
 最近では「空気を読む」というのが、昔の「間」に近いかもしれない。「息が合う」というのも「間」が合っているためだろう。
「間を置く」などもある。「距離を置く」でも「時間を置く」でもいい。見えるものもあるし、見えないものもある。「距離を置く」でも、物理的に離れる必要はない。接触を減らす程度。
「小まめな人」もこの「間」とも関係する。もう豆を離れて、テンポの間が短いとか。
 そして、そういった間合いは、常に同じではなく、色々な条件で、間の取り方を変えていくようだ。
 
   了


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2016年11月06日

3073話 野外イベントスタッフ


 いつもはがらんとしている朝のファストフード店。珍しく客席に人の塊が見える。しかも団体さんらしく、テーブルを二つ占領し、さらに横のテーブルも取っている。何かの流れで休憩に来たわけではなく、これから出発するようだ。つまり、野外イベントがあるらしく、その設置に向かう人達だ。全員若くて二十歳代。しかし、一人だけ中年過ぎの親父がいる。この人が先に店に来て、スタッフが来るのを待っていたようだ。
 野外、おそらく公園だろう。広場のようなもので、そこでコンサートや屋台、また、フリーマーケットなども出るようだ。
 このイベントは若い人達がメインで、実行委員会も全員若い。今年で二年目だろうか。経験不足から、色々と不都合が起きたりしていたのだが、大きなクレームが出るようなものではない。当然去年も反省会があり、段取りの悪さや、人の配置なども再考された。しかし、それ以前に若い人達にとり、そういう組み立てやばらしなどの設置が楽しいようで、何もない広場に一夜城のようにテントが張られたり、屋台が出る。一瞬のうちにお祭り広場になる。それをみんなで作るところが楽しいのだろう。当然入場料を取るわけでもなく、利益などない。手弁当で組み立てごっこや、イベントごっこをやっているようなものだ。
 さて、そこに現れたのが中年過ぎのその親父。こういうことに関しては経験豊富なようで、若いスタッフが連れてきたのだが、これがいけなかった。
 去年もその店に集まり、現場へ向かったのだが、実に和やかなものだ。学園祭の乗りで、役割分担もあるのかないのか分からない状態だが、集合場所のファストフード店から苦情が出るほど盛り上がっていた。イベント前の歓談で、特に打ち合わせなどはない。
 ところが今年はその親父がでんと座り、一人で喋っている。そのほとんどがイベントに関しての注意事項で、その準備から終わりまでの色々なことを語り出している。その声は怒り声で、今どきの工事の現場監督でもそんな臭い声は出さないだろう。
 若いスタッフの一人が呼んできたのだが、困ったときに知恵を借りる程度。しかし、その程度を越えており、すっかり頭領になっていた。リーダーだ。
 今まで、色々なところで、そんなイベントの設置や運営に関わってきた人だけに、黙って聞いているしかない。
 その親父、それで食べていた人ではなく、ただの素人だ。年を取り、経験を積んでいるだけ。しかし、その親父、美味しい餌にありついたことになる。
 若いスタッフ達は、これではいけないと思うものの、手伝ってもらわなくても結構ですとは言えない。
 そして、遅れて到着したスタッフも、最初の笑顔はすぐに消え、その親父の演説を一方的に聞くことになる。何か様子が違うとは思うものの、呼んだ相手が悪かったのだ。
 確かに有益な話を親父は語っているのだが、転ばぬ先の杖ではなく、やってみなければ分からない。転ばぬ先の杖も折れるかもしれないし、いらないかもしれない。また、予測できないトラブルが起こるかもしれない。そう言うことを含めて、みんなで向かいたいのだ。
 結局現地に先に到着していた実行委員長の若者が、うまくその親父に、清掃スタッフを頼んだ。設置は殆ど力仕事なので、楽な役を振ったのだ。そして当日は整理係兼ゴミ係。
 この若い委員長、特に優れた人ではないが、全てを取り仕切る権限を与えられていたので、それを実行しただけ。
 それで親父は片隅に追いやられ、その後、イベントに関する蘊蓄を語りだすと、はいはいはいと交わされたようだ。
 
   了

 
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2016年11月05日

3072話 誰も渡らない陸橋


 国道が交差する幹線道路をまたぐために高架になる。そのまま渡らないで左折する車もあるので、ただでさえ車線の多い国道が、さらに幅の広いものになる。もし車が一台も通っていなければ野球やサッカーができるほど。
 その高架手前に非常に長い歩行者用の陸橋がある。交差点まで出ると二段式の信号だが、そちらへ出た方が渡りやすい。陸橋から近いところに地下歩道がある。陸橋から交差点までの距離と似たようなものだが、方角が違う。
 地元の人は信号の切れ目で、その広い国道をサッと渡ったりする。それが危険なので地下歩道や陸橋を付けたのだが、陸橋を渡る人は殆どいない。
 長すぎることと、揺れたりするし、空気も悪い。それだけの理由ではなく、階段の上り下りが大変だ。地下歩道は自転車でも通れるが、その陸橋は古いためか、そんな仕掛けはない。
 それで、ますます渡る人がいなくなる。それ以前にそこを渡る用事のある人が少ないのだ。
 さらに老朽化しており、車が通ると振動が強い。それに下からの音も不気味だ。
 当然そういうところには都市伝説が付きものだが、何か異変が起こったので都市伝説となったのではなく、この陸橋の雰囲気だけで、都市伝説ができる。つまり、こんな陸橋なら怪しい話があるだろうと。
 同じ陸橋に複数の都市伝説ができている。いずれもその種のことが好きな人が作ったものだが、どれもヒットしなかった。だから、都市伝説の卵で、伝説化しないまま終わっている。
 そして物好きがその陸橋を渡る。陸橋を渡るのが好きなのではなく、都市伝説を作るために、体験のために渡るのだ。
 だから、この陸橋は都市伝説作者しか渡らなくなったようなものだ。
 この陸橋で亡くなった人はいない。交通事故も起こっていない。しかし、もっと古い時代なら、かなりの人が亡くなっている。一寸した戦闘があった場所で、南北朝時代だ。普通の戦ではなく、暗殺に近いものだった。しかし、都市伝説のネタとしては古すぎる。
 雨の日、傘を差した小学生が陸橋の横を渡っているのなら、今風だ。横といっても道路ではない。陸橋と同じ高さの空中を歩いている。しかし、見た目は綱渡りのように見える。
 また消える陸橋の話もある。実際に渡っている人がいるのだが、そのとき陸橋だけが消えるので、宙を歩いているように見えるとか。
 そんな都市伝説がいくつも作られたのだが、どれも定着しなかったようだ。
 しかし、陸橋そのものが消えたり現れたりする、まるで虹のような陸橋だと、少しはヒットするかもしれない。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:04| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

3071話 不思議な階段


 ショッピングモール内にある喫茶店にはトイレがない。豊島は緊張していた。それで尿意を催したのだろう。特に重大なことで緊張していたわけではないが、色々と決め事をしないといけなかったり、その先、少し状況が変わったりするので、それを考えると身の締まる思いとなり、常に緊張感が押し寄せていた。考えなければ呑気なものだが、そうはいかない。
 その野暮用で出たついでに喫茶店で休憩していた。トイレがある場所は分かっているので、飲みかけの珈琲やノートパソコンなどはテーブルに置いたまま、鞄だけ持ってトイレへ向かった。鞄の中には実印とか、色々と大事なものが入っている。置き引きに遭い、なくすともっと面倒なことになる。
 何度か来た場所なので、トイレは分かった。モール内の本館で高い建物だ。その一階のエレベーターの奥に小さなトイレがある。あまり目立たないためか、利用する人は少ないようだ。トイレの多いモールのため、広くて綺麗な方へ行くのだろうか。たとえば濡れた手をかざせばすぐに渇かしてくれる乾燥機があったりする。それに狭いため、待たないといけないこともあるだろう。
 エレベーターの横を突き抜けると、非常ドアがあり、そこはいつも開いている。そして非常階段があるが、使われていない。トイレはその階段の下。
 しかし、よく見ると、その階段、非常階段というより、デパートなどにあるようなゆったりとした階段だ。ところがその上り口に緊急時以外立ち入り禁止となっている。軽くロープが張られているだけなので、簡単にまたいだり、潜れるが。
 トイレへはその階段横を通る。だから嫌でも階段が目に入る。豊島はふと気になった。そちらより尿意の方が先だが、この上に何があるのだろう。ここは一階だが、二階はどうなっているのかは見たことはないが、テナントが入っているはず。しかし、使われていない部屋や、昔デパートだった時代の事務所などがあったと聞いている。今はどうなっているのかは分からないが、この建物の中で、この階段だけが上れない。しかし、緩い柵なので、厳重に閉じているわけではないので、大したものはないのだろう。隠すような。
 それでも気になり、ロープを張っている杭を少しだけ動かし、その隙間から一歩階段に足を乗せた。
 その後のことは分からない。
 気が付けば床と靴を見ている。そして先ほどの喫茶店にいる。鞄もあるし、ノートパソコンも開きっぱなし。
 ああ、トイレなどへは行っていなかったのか、そう解釈するしかない。しかし居眠りをしたわけでもない。そして尿意は消えている。股に手を当てるが濡れていない。
 実に不思議な体験だ。
 
   了


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2016年11月03日

3070話 霊気の走る突端


 川と川とが交差するところは船の先端のように見える。その尖っているところに人がいる。先端は地図で見ると針のように尖っており、刺さりそうだが、実際にはコンクリートで丸く縁取られている。その先端部の美味しいところは河川の一部になっているためか、私有地ではないため、一寸した公園になっている。そこは川岸と遮断され、柵が張られているが、乗り越えれば、川岸まで降りられる。人がいるのはそこだ。
 土手伝いに、そこまで自転車で来た川西は、二つの川が合流するところにやっと訪ねることができた。大した用事ではない。しかし二つの川が海の近くで合流し、さらにもう一つの川とも合流することを知っている。だから、まだ、この先でも合流するのだが、それは後日の楽しみとして取ってある。とりあえずは、この先端を見たかったのだ。
 その川は元々一つの川で、途中で二つに分かれた。所謂暴れ川で、上流は同じ。昔は三つにも四つにも分かれ、別れた川もまた氾濫で子を産むように別れたのだろう。だから、この辺りは湿地地帯に近い。今は二つの川として流れているのがその名残。だから、二つの川の間は中州で島のようなもの。それがかなり広いため、島とは思えないが、多少は不便なところがある。橋がないと渡れないためだ。複数の幹線道路には橋が架かっているのだが、それでも川の土手で行き止まりになる小径が多い、抜けられないというより突き当たりだ。
 川西は上流側の先端は何度か踏んでいる。しかし下流は始めてだった。このネタを使うと、散歩ネタが一つ減るので、取っておいた。
 さて、先端部の人。公園の柵を乗り越え、川岸に降りている人だが、緩い傾斜のため、それほど危険ではないのだろう。また川もそれほど深くはないが、流れはある。
 川西は恐る恐る降りてみると、髪の長い女性で、黒いワンピースの下に黒いスラックス。光り物の首輪やネックレス。
「危なくありませんか」
「大丈夫であります」
 遠くからだと若いと思っていたが、喋り出すとものすごいシワができ、年が分かる。
「ここが先端ですねえ」
「そうです。集まります」
 来たな、と川西は心得た。
「霊の通り道ですか」
「違います。龍道です」
「龍道?」
「王道です」
「例の王道ですか」
「国王、帝王、君主かもしれません。そういう気が流れている場所です」
「はあ」
「それに当たっているのですか」
「そうです。浴びています」
「じゃ、女王にでもなるおつもりで」
「浴びるだけです。王道を極めるためです」
「王様への道ですか」
「君主の気風が身につきます」
 この人は魔道でも極めるつもりかと川西は思った。
 そこへまた、ややこしい人が降りてきた。袴をスカートのように履いている。
 来たな、と川西はまた思った。
 さらに真っ白な髭を胸まで垂らした人や、妙な魔法使いのような大きな帽子をかぶり、眼帯を付けた人や、ややこしい人が次々と降りてきた。
 ここは霊的なものが集まる場所ではなく、そういうややこしい人々が集まるところだったのだ。
 
   了


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2016年11月02日

3069話 生存確認


 いつも見かける友人が、最近見かけない。始終見かけるわけではないので、いつもではないが、数日に一度ほどは姿を見る。向こうが先に見付けても、こちらが先に見付けても、そのままやり過ごす。目が合ったときは近付き、ひと言二言交わす程度。昔からの疋田の友人なのだが、それほど親しくはない。それに最近は互いに用事がないため、挨拶程度。いずれも偶然道で行き合っただけなので、そこでイベントが発生してもいいのだが、別のイベントへ向かう途中が多い。または、帰路を急いでいるときや、戻ってからも特に何もなかっても、予定が狂うためか、何処かへ誘ったりするようなことはない。
 その友人を最近見かけない。住んでいる場所も知っている。何度か訪ねたこともある。
 何かあったに違いないと、最初思うのだが、立ち回り先が変わったのかもしれないし、時間帯を変えてきたのかもしれないし、または引っ越したのかもしれない。しかし、真っ先に思い浮かぶのは、相手の体調だ。
 一週間や二週間は気付かないが、数ヶ月ほど経過すると、あの友人のことを思い出したとき、最近見かけない、となる。これが用件でもあればすぐに分かる。それがないので、風景でも見ているのと変わらなくなる。
 疋田は心配というより、どうなったのかが知りたいと思い、友人の住むマンションへ行った。中に入るのではなく、暗くなってから窓明かりを見るためだ。部屋は三階にあり、それが見える場所がある。明かりがあれば大丈夫。
 マンションの裏側にその窓があり、西日の差し込みが強いのか簾をかけている。それが目印。他の部屋の窓は普通のカーテンだけ。
 そして三階の窓を見ると明かりがあるので安心したが、簾がない。この簾は年中ある。それがない。カーテンが閉まっているが、色までは覚えていない。簾でカーテンが隠れているためだ。
 簾を引っ込めたのだろうか。その友人はここに引っ越してからずっと簾をかけている。
 引っ越したのかもしれない。
 念のため疋田は三階まで上がり、ドアを見る。友人がサインペンで書いた表札がある。
 引っ越していない。
 疋田はチャイムを鳴らす。
 すると奥から物音が聞こえ、ロックを外すカチッという音と共に、ドアが開く。
「どうしたの、疋田君」
「あ」
 事情を聞くと、膝が痛いので、最近は車で移動しているとか。それでいつも自転車ですれ違うのだが、気付かなかったようだ。しかし友人は車の中から疋田をよく見かけているらしい。
 簾を外したのは、この前の台風でばらけたためのようだ。

   了


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2016年11月01日

3068話 普段のこと


 同じことをしていても、アタックの仕方を変えると、変化がある。同じことができる道具があるとすれば、道具を変えると、そのときは新鮮だ。しばらく使っているうちに、やはり以前の道具の方が良かったとなることもあり、新しい道具を捨てたりする。もったいない話だが、それだけ、前の道具に価値が上乗せされる。以前使っていた道具の方がやはり良かったのだと得心がいく。それでやっていることは同じで、道具の変化はそれほどなかったりするので、相変わらずの作業を続けているだけ。
 また作業工程を変えることで、翌日からは新鮮な気分になったりする。これも道具と同じで、やはり前のやり方の方が上手く行くことが分かると、以前に戻すのだが、余計なことをしたことになるが、いつもの段取りが如何に理にかなっていたのかが分かる。理だけではなく、良い段取りだったと。
 しかし、何十年も前の道具や段取りでやっているわけではなく、何処かで変わっていく。これはやっていることの内容は同じでも、その時期の状況にもよるのだろう。急がないといけなかったり、また、もうあまりやる気がなく、簡潔にやろうとか。
 そういうことは仕事以外の日常的な事柄でも似たようなもので、同じことを百年一昔のようにやっているわけでもないし、またそれができなくなる状況もある。いつものことをいつも通りにやる方が安定しているのだが、たまに飽きたり、やる気を失ったり、または身体が思う通りに動かなくなったりすると、重い道具よりも軽い道具。手間が掛かりすぎる段取りから簡潔なものに変える。
 何も語らず、何も主義主張がない人でも、ここではもの凄く語っているし、主張したりする。そしてそれは誰かに語るものではない。
 たとえば思想的なことでも、そういった過程の中に含まれている。この場合、思想ほどには飛び跳ねてなく、ただの性格の表れだったするが、それには根が付いているため、その人にとってはリアルティーがある。
 この真理、ただの心理現象だけのことかもしれないが、好みや気分というのは、それらに先立っている。こちらの方が実は強い。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 10:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする