2016年12月31日

3127話 コーヒーが旨い


 今朝のコーヒーは旨い。これは胃の調子が良いのだろうと高峯は思った。暇なのだ。そんなことに気付くのは。しかし、普段でも気付いているのだが、味や香りなどは気にしないことがある。他に気にしないといけないことが多々あるため。しかし、そんなときでも内なる世界からのメッセージは聞こえる。世界というほど大層なものではないが、身体だ。ただ、コーヒーが旨い日は胃腸の調子が良い日とは限らない。今朝は味はいいが、香りがしない。
 その喫茶店は専門店なので、毎回味が違う。同じ豆でも違いが出るのだろう。そして、胃の調子が良いからコーヒーが旨いと解釈するのは高峯の判断。ではなぜそのように感じるかというと、朝食も旨かったため。食が進み、もう少しご飯が欲しいほど。そして便も正常。そういう押し出しがあって、コーヒーが美味しいときは胃の調子が良い、となる。味だけでは決してそこまで判断しない。これを内なる世界というのは、高峯にしか分からない感覚のためだろう。
 その感覚とは、身体的な感覚で、肉体的な反応だ。
 では胃の調子か腸の調子か、その他の臓器の調子かは分からないが、コーヒーが不味いときがある。全部飲めないほど。これは、それまで何杯も飲んでいると、そうなることもあるが、朝食後の喫茶店の場合、これが最初の一杯。
 胃腸の調子が悪いときは、唇が荒れたり、舌が荒れたりする。今朝はそれがない。もし、それがあれば、コーヒーも不味く感じるだろう。
 この内なる世界は、身体がメインだが、当然精神的な世界もある。身体と精神という昔から論じられてきた問題だ。幽霊が飛び出したり、宇宙そのものが頭の中の存在だったりするような展開もある。個人の頭の中なので、狭いはずなのだが、この頭とは身体のことだ。しかし、頭の中だけで考えたり思ったりしているわけではない。
 そして、朝のコーヒーが旨いとどうなるのかというと、どうもならない。それだけのこと。不味ければ、胃の調子が悪い程度なら、翌日直っていたりする。悪い物でも食べたのか、胃に悪い出来事でもあったかだ。
 そして煙草も旨いとなると、絶好調だろう。
 個人の、この内科的な内なる世界。それはただの体調なのだが、この影響が結構他の事柄でも出る。主義主張や、自分の流儀さえ変えてしまうほどの。
 これはただ単にコンディションが悪いという程度の問題なのだが、これが結構効いたりする。
 今朝のコーヒーが旨いので、高峯は、その日は大事な用件に取りかかったが、結果は散々。
 調子の良い日はろくなことがない、という経験がそのまま出た。内なる世界と外の世界とは繋がっているのだが、都合のいいようには繋がっていないようだ。
 逆にコーヒーが不味い日にやった仕事のほうがかなり良かったりする。不思議なものだ。
 
   了

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2016年12月30日

3126話 花巻へ向かえ


 友田が引っ越した町は郊外にあり、まだ田畑が残っている。ベッドタウンとしてはもの凄く奥にある。そのため、家賃が安いのだろう。都会に出ることが希なのは、家で仕事をしているため、ネット上だけでできる仕事で、これは昔なら電話と郵便だけでもできることなので、辺鄙な場所でも問題はない。
 それで、引っ越してから近辺を探索していると、村がまだ残っているので、驚く。その一帯の平野部は村で区切られているのがよく分かる。
 夏場からその探索を始めたのだが、寒くなってからは行かなくなった。すると、村が消えた。
 村巡りをしているときには村はあった。今もあるだろうが、視界から消えた。実際には友田のアパートも一つの村の中にあるのだが、住宅地のため、村らしい趣はない。
 秋祭りの頃、神輿が練り歩いているのを最後に、村を感じることはなかった。正月も近いので、その頃には村の神社へ初詣に行く人もいるだろうが、その神社は離れた場所にあるので、これも見る機会もないが、それ以前に年末年始は実家に帰っている。
 村が消えたというのは、単に友田が村回りの散策に出掛けなくなったため、村のことなどすっかり忘れていた。
 そこへアパートの家主がやってきた。この人は土地の人だ。
「一揆じゃ」
 宴会で一気飲みでもするのかと勘違いするほど、時代が錯誤する言葉だ。
「百姓一揆?」
「いや、土一揆だ。玉出の衆も集まっている。みんな花巻に集合するらしい。わしら大峰の衆も向かっておる。あんたも用意しなさい」
 玉出は隣村。花巻はこの一帯で一番大きな村。
 家主は鎌を手にしている。
 友田は適当な武器がないので、伸ばすと長くなる突っ張り棒を竹槍代わりに持ち出す。伸ばすと二メートルほどある。
 外に出るとアパートの住人が既に中庭に出ている。むしろ旗を作っている人もいる。この近くの町にある銀行員だ。
 そして通りに出ると、人の動きが慌ただしい。花巻へ向かっているのだ。
「おらー花巻から来ただ」と、叫ぶ青年がいる。伝令のようだ。
「作戦変更で、土蔵を落とす前に城代家老邸を襲うことになった」
 友田は訳の分からないまま、その人津波のような中を泳いだ。城代家老の屋敷など、何処にあるのかと思いながら。
 当然、これは夢の中の話で、長く村探索をしていなかったので、それが原因だろう。
 普段、意識からは消えていても、たまに夢の中で湧き出てくるのかもしれない。
 
   了


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2016年12月29日

3125話 勢いのあるとき


「勢いのあるときって、どんなときですか」
「ときねえ」
「どんなときですか」
「諦めたときだな」
「諦めたときが、勢いのあるときですか」
「何を諦めたかだ」
「何でしょう」
「怠けるのを」
「はあ」
「または、好きなことをやっているのを中断すること。この決断だね。諦めたくはないが、やらないといけないものがあるのに、遊んでいるわけにはいかない」
「じゃ、諦めて頭を切り換えるわけですね」
「切り替えたくはない」
「たとえば?」
「私のことじゃないよ。しかし良い例が思い浮かばないので言うが、連続テレビドラマを録画していてねえ。それがまとまった量、ある。それを見始めると、どっぷりその世界に浸りっきりとなる。この現実を忘れて、向こうの現実にね。これは途中で辞められないよ。しかし、用事があるときは無念だが諦めないといけない」
「あなたの体験ですね」
「疑似体験だ。そういう人を知っている」
「はい」
「それで用件でも仕事でも何でもいい。それをやり出す」
「そのとき、もの凄く勢いが強いのですね」
「やけくそ」
「はあ」
「仕方がないのでやっている。だから荒っぽい。そのかわり勢いがある。それだけだ」
「荒っぽいのですか」
「もう投げやりだ」
「それでも勢いはあると」
「勢いだけはね。早く片付けて、ドラマの続きが見たい」
「ゲームでもいいのですね」
「そうだね」
「調子づいて勢いが強いんじゃないのですね」
「無駄に勢いのあるときは、そんなときだ」
「じゃ、勢いを出すときは、投げやりで、荒っぽく、急いでやるわけですね」
「まあ、そんな勢いは長くは続かないよ。しばらくやっていると、諦めたことも忘れ、それに集中し出す。するといけない。勢いがなくなり、迷いが出る。きっとそれは丁寧にやり始めたからだよ」
「はあ」
「物事はなかなか諦めきれるものではない。嫌々ながら諦めるんだ。だから機嫌が悪い。そんなときは逆に勢いがある。それだけのことだ。分かったかね」
「いいえ」
「あ、そう」
 
   了


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2016年12月28日

3124話 不


 危機感や不安感が人を動かす場合が多い。個々の理由ではなく、その感覚だ。これは感じる程度のことで、あとはその人の論理になる。だからストーリーは人様々だが、似たようなパターンだ。
 さらに不満感や不快感が人を動かす場合もある。不安とか不快とか、結構動物的で、犬や猫でもやっていそうな世界。しかし人も意外とこれがベースになっており、その意味では似たようなもの。
 不幸が人を動かすこともある。共通して言えることは「不」なのだ。ふっと思い浮かべてしまうものや、ふっと脳裏をかすめるもの、論理以前の段階で、それが来る。また論理的なものでも、その最中に、それが来る。
 要するに人は不安定な生き物なので、この「不」がベースではないかと思える。意識というのも動物的な本能に近いレベルでは安定している。動物があまり物思いに耽らないのも、そこへ気が向かないのかもしれない。赤ちゃんが将来のことを考えるようなことはしないだろう。
 この「不」はあらゆるところに付いてまわる。どんなに恵まれた人でも、どんなに上手く行っている人でも。それで完全ということはないし、たとえそれがほぼ完璧でも、今はそうでも先は分からない。不安のタネは尽きない。当然より良いものを望み出すと、今の状態が不満に思えたりする。傍目には非常に良い状態でも。
 住めば都という言葉がある。つまり、どんな状態でも、あまり変わらないということかもしれないが、見るからに苦しそうな場所もあるし、状況もある。これは普通の不幸ではないので別格だろう。奴隷の頃の方が楽だったというのもあるが、これは奴隷根性として、あまり評価は高くない。奴隷でなくても、何かに隷属しているだろう。
 幸福があるから不幸があるわけではないが、幸せではないと思うところの「不」が先立つ。
 それら全てを煩悩とも言うが、「不」を何とかしようとするところからそれは始まるのだが、犬や猫にでも、その煩悩はあるのだろう。ただ、除夜の鐘をついている犬や猫は見たことはないが。
 
   了


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2016年12月27日

3123話 鷺宮


 鷺宮から先は、未知の領域。しかし、そこは市街地で人跡未踏の地ではない。ただ都島にとり、立ち入ったことのない場所。会社が鷺宮南にあり、地下鉄も鷺宮南にあるが、鷺宮ではない。南が付いているか、いないかの違いだが、鷺宮の町の南にあるのが、鷺宮南。どちらかというと、鷺宮口といった方がよい。駅がある場所が町の入り口なのは、延長に次ぐ延長で延びた路線で、結構町外れを貫通しているのだ。この地方ではJRは比較的古い町に駅があり、私鉄は新しくできた町が多い。
 都島が働いている会社は、この鷺宮南にあり、そこから北側へは行ったことがない。徐々に郊外になり、山を越えると他府県に出てしまう。この地下鉄は市営なので、そこまでは繋がっていない。わざわざ地下を掘ってまで通す必要はない。ただ、鷺宮は既に市外にあり、別の市に属しているが、いずれも衛星都市のようなものなので、街並みも似ているし、住んでいる人も、市内と市外とでは変わらなかったりする。
 さて、鷺宮だが都島がそこに踏み込んだのは珍しく定時で帰れた日で、いつものように鷺宮南の駅の階段に差し掛かったとき。地下鉄は大きな道の真下を通っている。そのため、その道ではなく、角を曲がったところから続く北へ向かう道が鷺宮に繋がっている。鷺宮南も鷺宮なのだが、鷺宮の外れだ。
 いつも通っている鷺宮なのだが、この町の本当の姿は知らない。遠くに見えているのだが、鷺宮南駅前の風景とあまり変わらない。少しビルの数が減り、高い建物も減っている程度。逆に遠くに煙突が見えたりする。
 鷺宮なので、鷺が多く飛来していた場所かもしれない。しかし、そんな昔の風景ではなく、今の鷺宮を見たい。
 なぜ、そんな気になったのかというと、詐欺事件が起こり、都島の事業所もそれに欺されたのだ。幸い被害は出なかったが、その詐欺が気になる。
 鷺宮にいながら、本当の鷺宮の町を知らないというのも、理由の一つだが、詐欺が鷺を呼んだようなもの。
 そして、鷺宮の中心部に足を進めたのだが、特に何ということはない。瓦葺きの民家が増え始め、スーパーとか市場とか、商店街が沿道に入り出した。下町なのだ。鷺宮には駅はなく、以前の最寄り駅はJRの駅なので、結構遠い。だから一番近いのが、鷺宮南ということになる。
 中心部をあっという間に通過し、もう別の町になっている。北上するほど山が近く見える。この道は昔の街道だったのではないかと思えるが、そうではなく、それに並行するように走っている新道だろう。結構大きな幹線道路だが、車は少ない。
 やがて、田んぼや溜池が視界に入り込み、ぱらぱらと新しそうな家が見え出す。ベッドタウン化が遅れているのは、近くに鉄道がないためだろう。
 道から溜池が見えるので、覗いてみると、白い鳥がいる。結構大きい。鶴だ。
 しかし、ここは鷺宮、きっと白鷺だろう。鶴よりも小さい。しかし、見た感じ、鶴に似ている。
 ああ、鷺の名は、あの詐欺から来たのか、と都島は独り合点した。
 
   了

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2016年12月26日

3122話 破局のボーナス


 年の瀬に破格なボーナスを貰った大石は落ち着かない。このボーナスの多さは納得できる。それだけの仕事をしたためではなく、「黙っておれよ」ということだ。会社の不正を知っていた。それで膨大な利益を得ていたはず。社長に罪悪感があるのだろうか。しかしそんな人が不正をするとは思えない。これは会長が仕込んだことだろう。社長はお飾りのようなものだが、ボーナスを最終的に決めるのは、この社長。これは会長に対してのイヤミかもしれない。
 それよりも、破格のボーナスというのは、予定になかった。この年末に買おうとしていたものを変更しないといけない。一つ上のものが買えるどころか、複数のものが買える。しかし、これはあぶく銭のようなもので、不正がばれて来年の夏のボーナスなどなかったりしそうだ。そのため、残しておいた方が賢明だが、どちらにしても独り身なので、ボーナスは遊びで使っている。
 既にこの冬に買うものは決めていたのだが、予算内で収めるため、高いものではない。本当に欲しい物はもっと高く、所謂高嶺の花。その高嶺など簡単に乗り越えられるほどの額がある。急にこの高嶺が低い山に見えてきた。
 大石は浮き足だった。高嶺まで飛んでいきそうだ。しかし、足が地に着いていない。ここで一人バブルをするようなもので、これはその反動が怖い。一瞬のあぶく銭なのだ。
 身に余るものを買う。分不相応なものを買う。これは夢だ。いつかそういうものを買うときがあるだろうという希望。それが実現しそうなのだが、夢の一つが消えてしまう。
 仕事は苦しくはないが、辛いときやお金がなくて買えないときの楽しみなのだ。そしてそれが励みになる。
 大石は物を得ることで幸せになれるタイプで、人生の諸問題はあまり気にしていない。幸せは金では買えないが、幸福感が違うのだろう。その底に流れているのは人生は不幸なものという考えで、不幸で普通。ここはどう弄っても何ともならない。心がけを変えても、その反動がすぐに出てしまう。
 それで小遣い銭程度で買えるものを得て、しばしの間、幸せな気分になる。これはすぐに終わるのだが、一種のイベントのようなもの。
 しかし、今回は困った。身に余る小遣いを得たようなものだ。
 そしてそこから大石のバブル極楽がスタートするのだが、案の定、春を待たないで、会社は倒産した。社長はそれが分かっていたのだろう。
 雇われ社長だったその人は小さな会社を興した。大石は付いていった。
 
   了


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2016年12月25日

3121話 平常心


 目覚めたとき、田口は一日が予感できる。毎朝起きたとき、気分が違う。それだけのことだが、ここが大事なようだ。一日の起動は目覚めから、まず意識が起動する必要がある。これがないとまずい。まだ寝ている場合もあるが、そのときはシーンが違う。いきなり何かをしている夢で、布団の中で目を開けたところからは始まらない。これで見分けが付く。それに夢の中での意識というのは曖昧なもので、その意識そのものも夢だったりする。しかし、明らかに自分が乗っている意識もある。これは眠りが浅いのかもしれない。
 さて、目覚めでの一日の予感だが、目覚めの善し悪しでも分かる。これは体調にもよるが、起きたタイミングにもよる。妙な目の覚め方をしたとき、目覚めがよくないこともあるし、また飛び起きるように起きてしまうタイミングもある。これは元気すぎるのか、またはそういうタイミングで起きてしまったためだ。では、何がきっかけで目が覚めるのだろう。音がするとか、妙な寝返りを打ってしまったとか、様々なことが考えられるが、スーと目が覚めることがある。これは前日起きた時間帯に多い。体内に目覚まし時計があるように。
 田口の場合、ほとんどこのタイプの起き方をしているが、その状態でも一日が予感できる。
 これは予報のようなもので、天気予報に近い。いやな用事がある場合は雨。楽しいことがある場合は晴れ。つまりスケジュールを一瞬にして思い出し、いろいろな気分になるだけの話。この一瞬は目を覚ました一瞬に入ってくる。当然その日の用事や、その日からの用事や、今日とは限らないが、この先、やらないといけないことができて、その心づもりとか。
 これは予感でも予想でも何でもなく、昨日までの記憶が動き出しているのだろう。未知なる未来は前日までの状況で導き出される。
 そういう具体的なものとは別に、目覚めが素晴らしいこともある。めくるめく未来が開けてくるような。この場合、特に楽しいことがその先あるわけではない。
 そんな気分のときは、いやなことがある日でもあまり気にならない。それ自体を飲み込んでしまったように。
 これはただ単に活力がみなぎり、元気なためだろう。昨夜食べたものが影響しているわけではないが。
 田口が一番好きな目覚めは、何となく目が覚め、何となく一日を始めることだ。そんなときは面倒な問題や楽しいことでも、何となくやっている。これを平常心と呼んでいるが、なかなかその平常レベルに至ることは希で、上がりすぎたり、下りすぎたりする。そのため、平常が一番難しい。
 
   了


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2016年12月24日

3120話 田治見家の惨劇


 田治見の町は忌まわしい事件が起こった場所で、田治見家の遺産相続事件なのだが、その相続人達が次々と殺されていった。連続殺人事件だが、これは小説の中の話。あまり有名な小説ではないので、テレビドラマ化も映画化もされていない。昔の探偵小説家が書いたもので、トリックの破綻があり、評価されないまま終わっている。当然、その探偵小説家は無名のまま。単行本にもなっておらず、三流探偵雑誌に連載されていただけ。
 高橋はその雑誌を集めており、それで田治見家の惨劇を読んだ。当時の有名作家のコピーのような内容で、それのし損ない。連載ものなので、上手くまとめられなかったのだろう。たとえ破綻のないトリックに仕上げていても、何といういうこともない内容なので、美味しい作品ではない。ただ、この新人作家、ここで躓いたのか、そこで終わっている。
 高橋はその田治見町へやって来た。長編連載猟奇探偵小説「田治見家の惨劇」のためではなく、偶然降り立った盆地内にある地方の町。昔からある大きな街道が走っており、交通の便は良い。
 盆地は擂り鉢状だが、突き出た丘陵があり、そこに城があったようだが、今は石垣だけ。これも聞いたことのない領主や城主のもので、今一つパッとしない。田治見家はその城下にある大きな商家。領主に金を貸すほどの大きな家で、小説に出て来る昭和初期には製薬会社になっている。その創業者が亡くなる前に起きた事件なのだが、当然それはフィクション。それが分かった上で高橋は田治見の町を探索した。
 それらしい旧家が残っているので、田治見の本家も、こんな家ではないかと想像しながら、庭の松に逆さ吊りされた長女の遺体を思い出す。これは挿絵になっていたので、一番印象に残った。
 そのため、古い家の庭に松の木があると、気になって仕方がない。また、大屋根に上げられて、そこで大の字になってなくなっていた人もいる。どうして屋根に上げたのかが謎のままで、かなり無理があった。百キロを超える次男だ。
 そのため、屋根を見るたびに、その上げ方を考えたりする。ロープで引き上げるにしても、重すぎるし、足場も悪い。それに一人では無理。ところが犯人は創業者の母親で、老婆だ。そして共犯者はいないことになっている。
 創業者の母親には隠し子がおり、その子に継がすため、相続人の兄弟姉妹を次々に殺していったのだが、動機が弱い。その老婆がどんな気持ちで思い立ったのか、その心理が分かりにくい。
 それにこのとき、まだ創業者は生きている。亡くなるのはそれから数ヶ月後。遺言を残せるほど頭もしっかりしていた。
 田治見本家を囲む堀の中に三男が土左衛門状態で浮いていた。確かにこの町には掘りのある家もある。早朝、ウロウロしていた浮浪者が発見し、通報している。惨劇の朝は霧が出ていた。と、ナレーションのようなのが書かれている。都合七連続殺人事件で、田治見の町でそれらが起こっている。だから、見所豊富。
 高橋はフィクションだとは分かっていても、それを重ね合わせながら田治見の町を歩いていると、それなりに楽しめた。これは聖地巡りのようなもの。
 そして最後に、昔からある村の墓場へ寄ると、そこにこの作家の墓が残っている。普通なら何々家の墓として、そこに入るのだが、しっかりとフルネーム。しかしよく見ると、名前の下の上等兵となっていた。
 
   了

 
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2016年12月23日

3119話 有力者


 多くの利権や人脈を持つ、この地の有力者だが、最近方向性が変わった。利権の一つを手放し、繁華街近くに残っている古民家へ引っ越した。当然、買い取った。それまでは高台の別荘に住んでいた。見晴らしがよく、城の天守からの眺めに近い。岡が高いため、高層ビルも下に見える。晴れた日には海が見え、その先の島まで見えた。一方の窓からは朝日、一方からは夕日も見えた。その天守のようなところから降り、下界へ下ったわけではない。
 古民家は繁華街の裏にあるが、もともとはその屋敷前がこの町のメイン通り。昔は町屋が並んでいた。
 繁華街は歓楽街でもあり、この有力者は、その一部の利権も握っている。それは手放していない。
 この動きをもう一人の有力者が注意深く見守っていたのだが、その謎が解けない。どういうつもりなのかと。
「引っ越した理由ですか」
「そうです」
「いや、欲が変わりました」
「欲?」
「もう十分私欲は果たしましたが、この私欲、別のものを望むようになりましてね。まあ、引退したと受け取ってもいい」
「はあ」
「引退したいという欲が出ましてねえ」
「それで引っ越しを」
「あの岡の坂はきつい。住むにはふさわしくない」
「運転手がいるでしょ」
「車ばかりに乗っていると、足腰が弱る」
「でも、ゴルフとか」
「もう振る力も弱まり、やっていて楽しくない」
「じゃ、ゲートボールでも」
「それはない」
「失礼しました」
「あなたと争わないで済んだのは、覇気が薄れてきたからですよ」
「いろいろなものを譲ってもらいました」
「おかげで楽になりましたよ。あなたはこれからそれを背負わないといけません。しかし、それは望んでのことでしょ。欲しかったものが棚から落ちてきたのですから」
「恩に着ています」
「しかし、いずれその欲が変わります」
「え」
「欲を捨てるという欲が出てきます」
「はあ」
「まあ、心配しないで受け取ってください。おかげでこんないい古民家に住めるようになったし、ほんの数歩で賑やかな場所に出られる。岡の散歩より、繁華街の散歩の方が私は好きだ。見るものが多いのでね」
 結局、この有力者は引退するつもりだと、ナンバーツー
は確信した。それこそ、争わないで、タナボタで手に入れたようなもの。
 その後、ナンバーツーは、有力者にとって代わり、この地の有力者になったのだが、すぐに無力者になった。
 その詳細は分からないが、有力者が手放さなかった小さな利権があり、これがないと大きな利権が稼働しないらしい。いずれにしても、歓楽街裏に引っ越した有力者の罠にはまったのだ。
 年を取ると権力欲が落ちるとは限らない。
 
   了


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2016年12月22日

3118話 冬の暖かい日


 冬の暖かい日、木下は遠出しようと考えた。これはいつも思っているのだが、なかなか実行できない。晴れていても風が強いと、それを理由に出かけない。また、出かけるだけの用事はなく、ただの行楽のようなもの。行くことを楽しむ。それだけのことだが、風が強いと楽しめない。当然、雨が降っていると、行く気は全く消える。雨天決行はありえない。
 当然寒い日もダメ。冬なので寒くて当たり前なので、ほとんどの日は中止、風雨など気にしないほど、いいものがあるのならいいが、木下の行楽は所謂行楽地と呼ばれるような観光地に限られる。それ以外の場所へはめったに行かないのは、見るべきものが保証されていないため。ただ、観光地でも大したものはなかったりするのだが。
 しかし、その日は晴れており、風もなく、冬にしては暖かい。絶好の行楽日和。これでは取りやめる理由はない。しかし、何となく気が進まない。このままいつも通りの日常を淡々と過ごす方が楽なような気がする。それに行き先が決まっていない。ここへ行きたい、あそこへ行きたいというのが、出てこない。行けばそれなりのものはあるのだが、今一つインパクトがなく、押し出しが弱い。
 しかし、この日、出ないと、次のチャンスは遠いだろう。木下は隠居さんなので、土日や平日は関係がないが、できれば人の多い日がいい。そのほうが華やいでいる。そして今日は月曜日。
 人出が少ないので、取りやめる……というのを理由にするには弱い。問題は気がすぐれないためだ。出かけようとする気力がない。すると、これは体調の問題ではないかと、そちらへ振る。確かに風邪っぽい。これは冬場ならそんな感じが多いため、その程度のことは理由にはならない。
 そこまで考えると、出かけないほうが楽しいのではないか。いつもの日常よりも楽しくなければ、出かける理由にならない。しかし、毎回そんなことを思いながらも出かけることになり、そして出かければ出かけたなりに楽しい。だから出かけたい。だが、日常の結界のようなものがあるのか、それを突破できない。ここは目をつむって出ればいいのだが、それでは物にぶつかる。
 結局その日はぐずぐずし、出かけなかった。こういう日が何度かある。今年の冬はこれで二回目だ。三回目か四回目でやっと出ることになる。何度も中止すると春になってしまいそうだ。
 そして前回出かけた日を思い出すと、何も決めないで、いつもの日常コースの途中から、さっと旅立った。急激に何かが沸騰したようなもので、その蒸気が強いうちに出たのだ。
 日常から出る。これは計画性が高いほど出にくくなる。何も考えないで、さっと日常の軌道から抜け出すことが大事。
 その日は出かけなかったが、足首まで隠れる靴を買った。準備するだけなら楽な話のため。
 
   了

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2016年12月21日

3117話 至福のとき


 前衛芸術家では食えないが、榊原は一パーセント以下の確立に恵まれたようで、何となく売れてしまった。そんなとき、同じ芸大友達の竹中を訪れる。これは自慢したいがため、差を見せつけたいがためではない。
 竹中は前衛ではなく、日本画だ。当然そんなものでは食べていけないが、前衛よりはまし。それで、普段は働いているが、フリーターのようなもので、バイトを転々としている。
 そのため学生時代の下宿屋は取り壊されたが、それに近い安アパートの一室で暮らしている。旅行が好きで、バイト代はこれで飛んでしまうが、風景を見るのが好きなのだ。これは水彩画にも役立つので、竹中にとり、それは仕事のうち。ただ、一円にもならない。
 榊原が訪ねたとき、竹中は休みなのか、部屋にいた。そして砥石でペン先を磨いている。水彩画だが、ペン画に色をつける軽い彩色のイラスト風なものを描くためだ。これは日本画では食っていけないので、イラストレーターとして何とかしたいがため。
「どうしてペン先を磨いているんだい」
「ペン先は細いからねえ、太くするためさ」
「そうなの」
「うまく磨かないとトゲトゲになるから、角度を変えてまろやかに磨くんだ」
「ほう」
 下宿時代は四畳半だったが、それが六畳になり、板の間が一畳ほどあり、そこに流し台が付いている。野菜類が段ボールに入っているが、量が多いことから貰ってきたのだろうか。一度に大根を三本も買う人はいない。沢庵でも漬けるのなら別だが。
 鍋などは汚れて真っ黒。さすがにテレビはブラウン管式ではないが、十インチほどの小さな液晶テレビ。万年床の横には錆びたような扇風機と背の低い衝立式の電気ストーブが同居している。押し入れがもう満杯なのだ。液晶テレビだけは買ったようだが、他は拾ってきたものに違いない。貧乏画学生の頃と四十を超えた今と、それほど変わっていない暮らしぶり。実はそれを見るために榊原は来ている。
 榊原は有り余るほどの財をなしたわけではないが、よほど高いものではない限り、何でも買える。急に売れ出したとき、今まで欲しかったものを全部買っている。しかも高い目のやつを。
 しかし、不思議と満足はない。何かもう一枚足りないのだ。
 その点、竹中は事足りればいいという感じで、使えるものなら何でも使っている。買えない値段のものは最初から無理なので、無視し、この世にないものとして計算している。
「今日は何?」
「近くまで来たのでね」
「あ、そう、で、絵は描いてる」
「ああ」
 その絵はもう画学生時代の前衛画ではなく、またイラスト風でもない。実はもう絵の仕事ではなく、別の仕事をしている。
「ペンはいいんだけどねえ。インクが油性でないと、色を塗ると滲むんだ。それで油性か耐水性のあるサインペンに変えようと思うんだけど、やはり線はペンではなく、絵の具じゃなく、墨汁で筆で引いた方がいいかもしれない。最近の安い墨汁、あれは固まるんだ。だから乾燥すると、耐水性になる。しかし、ペンもいい。同じ線でも勢いが違う」
「あ、そう」
 話しながらペン先を磨いていたためか、インクをつけて引くと太くなりすぎたようだ。
「いっそのこと、水彩絵の具とペンの組み合わせでやるかなあ」
「あ、そうなの」
 帰り際、榊原はレジ袋を竹中に渡す。
「あ、差し入れかい」
 中にポテトチップスが入っている。これをかじりながら絵を描いているときが、至福のときらしい。
 
   了


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2016年12月20日

3116話 別世界


 旧街道を通っていると、いつの間にか、その時代に入り込んでしまった……というようなことを思う人は何人ぐらいいるだろうか。それ以前にその道が旧街道で、昔は遠くと遠くを結ぶ、幹線道路だったことを知らない場合もある。鉄道も飛行機もなかった時代、船以外ではここを移動するしかない。そのため、多くの人たちがその道を歩いていたはず。大名行列もあったはずだし、地方官が任地へ赴いたり、また戦闘のため、鎧武者の一団が移動したかもしれない。
 そういう思いがなければ、ただの道。少し狭いだけの道で、何も起こらない。
 ではそれを知っていると起こるのかというと、そんなことはありえない。過去へワープするようなものだが、頭の中だけでは飛んでいける。しかし、その必要性は何もなく、過去に思いをはせる程度。
 もし、その道が旧街道だと知らない人が、鎧武者の一団が駆けていくのを見たとすれば、これは頭の中の想像上の出来事ではないが、そんなことが日常的に起こっている話など、とんと聞かない。よくある話ではなく、まずはないだろうと言えるような話。
 そういうことが起こる可能性を考えたとしても、うまく説明できない。しかし、この説明も、騎馬武者などを見た人がいての話。
 風景の記憶というのを想定すれば、興味深い答えが出てきたりする。人に記憶があるように、風景にもあったとすれば、の話だ、この場合、風景とは空間だろう。つまり、空間の記憶、燃えカスのようなものだと思えば、何とかなる。
 しかし、時間と空間はセットものだとすれば、同じ空間で別の時間が介入することは、考えにくい。ただ、同じ空間で複数の世界は存在するかもしれない。パラレルワールドだ。
 ファンタジーとは、強引にこじつけた遊びかもしれないが、人が想像したことは、実証されなくても、その人分限りで存在する。これは妄想に近い。
 しかし、そこまで凄い世界ではなくても、ちょっとした勘違いで道に迷ったり、知っている場所なのに知らない街角に見えたりすることはある。決して異次元へは飛ばないが、それに近い体験はあるだろう。こちらが原型になっているのかもしれない。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

3115話 簡略化


 重々しいもの、小難しく、時間のかかるものが敬遠される。現代人はやることが多い。しかし、昔の人は暇だったのかというとそうでもなさそうだ。暇をもてあましているような人でも多くの書を残している。手紙などもそうだ。そんなものを書く時間がどこにあったのかと思えるほど。
 だから忙しさに違いはないのかもしれないが、差が出るとすれば、今の方が手が抜けるということだろう。これはいろいろなものが進歩し、早くやってしまえるため。その代わり、さらにやることが増えたりするのは、空き時間ができるため。それを無視すれば、結構時間のゆとりが生まれる。そのため、今の人の方が、ものすごく忙しい人と、ものすごく暇な人の差があるのかもしれない。手の抜き方を覚えたためだ。しかし、それはまっとうな抜き方で、わざわざ手間のかかることをやる必要がなく、他の人も、似たような感じだと、なおさらだ。つまり普通の人が普通にやるような感じ。
 簡単にできるようになると、面倒なことはしたくなくなる。それを素早く簡潔にできる機械や道具やシステムがあればの話だが。
 朝刊を何紙も取っている人なら昼頃まで時間がかかるだろう。しかし全部読んでいるわけではない。必要な記事程度。たまには興味のない記事も読むが、これは世間のことを少しでも知っておいた方が良いからだ。何かのときに役立つかもしれない。しかし、朝から昼までそれを読んでいたとすれば、半日はインプットで終わってしまう。これが学生が勉強をしているのならいいが。
 つまり、簡略化されたものに取り囲まれていると、昔ながらの時間のかかるようなことはしたくない。これが趣味で、それが楽しいのなら、問題はないが。
 また、知識を必要としない、ただの段取りを覚えるだけで、できることもある。その仕掛けの中身など全く知らなくても。
 そういう風潮は昔からあったような気がする。たとえば神事や祭り、仏事でもいい。本来ならもっといろいろな過程が入るのに、簡略化されている。やはり昔でも、時間や日がかかりすぎるので、短い目にしたのだろう。そして完全に中を抜いたりする。
 風潮というのは一人で作れるものではない。これはマイブームだ。そうではなく、社会全体の風潮は、他の人もやるようになったため、安心してできる。やはりそれなりの理由があり、御所大事にしていたものも、必要性を感じなくなった人が増えたため、自然と省略されたり、消えたりする。
 こういうのは誰かの思想ではなく、地面から湧き出るような何かだろう。誰が沸かしているのかは分からないが、数が徐々に増えていくのだろうか。
 しかし、共鳴する人が少ないと、そうならない。何かが伝染するような同時多発的な共時性が起こらないと。
 それは気がつけば、既に起こっていたりする。
 良い時代なのか悪い時代なのかは分からないが、そういう時代にしかならないような風が吹いている。そして、それに対して警笛を鳴らす人も、いつも通りいるが、それもまたオプションのようなものとして、聞き流す人も多い。
 これも、昔からそんなパターンが繰り返し繰り返し続ているためだろう。
 
   了


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2016年12月18日

3114話 薄曇り


 薄曇りの日は、頭も薄曇りになる。このときの方がものがよく見えるようで、ぼんやりとした頭のときの方が、大把握しやすいようだ。鋭利な頭のときは一カ所だけを鋭く見ている感じ。
 晴れていると日が当たっている箇所と日陰とのコントラストが強すぎて、暗く沈みすぎたり、明るくて飛んでしまったりする。人の目にはそれだけの明暗比を一度に見ることができないため、交互に見たりする。
 薄曇りのときは風景はさえないが、フラットながらも全体のタッチがよく見える。頭が薄曇りの場合もそうで、ピントは合っているのだが、鮮明ではない。
 頭が薄曇りの人を薄ら馬鹿と呼んだりするが、この薄さにもメリットがある。感度は低いのだが、階調は豊か。良い意味でのんびりとした人なのだ。
 普段からそういう人でも、いざ何かあったとき、ぐんと精度を上げ、明快な判断を下すかもしれない。ずっと薄曇りで休んでいたので、溜が大きい。つまり常に集中力を働かせている人より、久しぶりなので鮮やかに見える。
 ただ、のんびりとしている人は、沈着冷静なわけではなく、単に感受性を抑えているだけのこと。この見分け方が難しい。
 のんびりとした暮らしを望むのなら、感受性のレベルを下げることだ。ただ、それはどちらかというと頭で判断するようなことで、動物的な面では、それを抑えきれないだろう。のんきで、穏やかな人でも、蛇と遭遇すると、ものすごく騒ぐとか。
 頭を常に薄曇り状態にしておこうとしても、これは意識してできることではない。たまに頭が休憩している時期、この薄曇り状態になり、それなりに快かったりする。ただ、単にぼんやりとしているだけのことかもしれないが。
 
   了

 
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2016年12月17日

3113話 雨の日の二人


「雨ですなあ」
「昨日は寒いですねえ、でしたね」
「はい、今日は雨ですが、寒くはありません。冬の雨ですからねえ。本当に寒いと雪になる。不思議と雨の日は暖かい。しかし、雨は雨。雨の降る日は天気が悪い」
「いや、天気に良いも悪いもないでしょ」
「晴れていると天気が良いでしょ」
「まあそうですが」
「天の機嫌が良い。だから晴れ」
「そういうのは人の感情を反映させているだけでしょ」
「反映」
「人の感覚と重ねてみているだけです」
「まあ、そうなんですがね。冬の雨は冷たい。濡れると嫌です。だから、外に出たくない」
「出て来たじゃないですか」
「ここに来るのは日課ですからね」
「昨日は確か寒くて籠もりがちだと言ってましたが、やはり来てましたねえ、ここに」
「日課ですから」
「ここで天気の話をするのが日課ですか」
「あなたもでしょ」
「そうです」
「天気以外の話になると、揉めます。揉めなくても、意見が合わなければ不快だ」
「いえいえ、そういうものでしょ」
「それにあなたのことは好きではない。だから天気の話しかしません」
「まあ、そう言わないで、この喫茶店での朝会、メンバーはもうこの二人しか残っていないのです」
「作田さんも亡くなられたのですか」
「生きていますが、最近出て来られない。年でしょ。それに雨の日、あの人は来ない」
「馬田さんは」
「馬田さんは神経痛で足が痛いようです。寒くなってからは来られない。春まで来ないでしょ」
「もっといたでしょ」
「いましたが、今はもう二人です」
「じゃ、もうこの会は解散ですか」
「いえいえ、私が決めるわけには」
「私もです」
「ところで、あなた、明日来ます?」
「はい、あなたは?」
「来ます」
「じゃ、存続ですねえ」
「しかし、相性の悪い二人が残りましたなあ」
「じゃ、もう辞めますか」
「いえいえ」
「やはり来ると」
「はい」
「どうして」
「日課ですから」
「ああ、同じだ。そこでは意見が合う」
「はい」
 
   了


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2016年12月16日

3112話 冬場の幽霊


「寒くなってきましたなあ」
「引き籠もりがちですよ」
「でも、今日は出てこられた」
「出るのは年中出ていますよ」
「じゃ、引き籠もりがちとは」
「余計なことでは外に出ない程度です」
「たとえば?」
「煙草やコーヒーが切れたとき、コンビニへ行きます。それだけの用事で行くことが多いのですが、まとめ買いします。すると出なくてもいい」
「外に出るというのはコンビニへ行くということも含まれているのですな」
「そうです。一日に何度か外に出ます。その回数を極力減らしています」
「それは冬場ですね」
「いや、真夏も減らしています」
「暑いからですか」
「寒いよりも夏の暑さの方がこたえますよ。こちらの方が実は外に出たくない。夜ならいいのですがね。昼間は冬よりも厳しい。まあ、暗くなってから涼みがてらコンビニへ行くこともありますので、結局出ています。数えたわけではありませんが、冬の方が外に出る回数は少ない。そのため、これを引き籠もりがちと言っているだけです」
「はいはい。分かりました」
「あなたは?」
「私は夏はいいのですが、寒くなると外に出るのは半分以下。三分の一ほどになりますよ」
「そうでしょうねえ」
「暖かいところから寒いところに行きたくない。これは部屋を出る前から分かっていますからね。まあ、用事があれば別ですが」
「朝の散歩とかは」
「しません。冬場は風邪を引いたり、身体を冷やしたりしますので、逆に健康によくない」
「こういうのは幽霊になってもそうなんでしょうかねえ」
「はあ?」
「身体がないので、暑くも寒くもないはず」
「いや、雪が降っていれば寒いと感じるでしょ」
「身体がなくても」
「そうですよ」
「寒い国に出る幽霊は厚着でしょ」
「あれは、普段着ているようなものを着て出るためでしょ」
「どこから出るのでしょうねえ」
「さあ」
「いきなり出るのでしょうかねえ」
「さあ、外に出る幽霊は、その辺りにいるんでしょ。最初から屋外に。通り道とか、野原でも、山でも川でも構いませんがね」
「まあ、幽霊も昔のように、幽霊っぽい姿じゃ出ないのでしょう」
「はあ?」
「時代によって幽霊の姿や出方も変わってきたように思います。たとえば経帷子で、三角の布を頭に当てたような姿が定番でしたが、逆にリアリティーがない。それに、あれは土葬時代ならいいのですが、今は全部燃やしてしまいますからねえ。だから、今の幽霊は普通の服装で出るようですよ。見たわけじゃありませんが。そして、それが幽霊かどうかが分からない」
「バーチャルではなく、リアルになっているのですね」
「まあ、それは見る側の都合でしょ。見る側が幽霊の姿を変えていったのです」
「あなた幽霊博士ですか」
「ちがいます」
「どちらにしても寒くなると出るのが億劫になります」
「その話でしたね。幽霊も寒いと引き籠もりがちになったりしそうですよ」
「はいはい」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:56| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月15日

3111話 狐谷の変


 狐谷は里山にあり、町からも近い。里からなだらかな山が続いており、その取っつきの山と山の間にある。山を縫って、他国へ出られるため、山道もしっかりあるが、狐谷はその街道ではなく、ただの山と山との隙間。いつもじめっとしており、山道に水が流れていることもある。谷の途中に庵がある。別荘だが、よほどの趣味人でもなければ、こんなところに建てない。その人が亡くなってからかなり立つためか、今は廃屋。
 狐谷の変がここで起きている。襲撃事件だ。狐狩りではないが、それに近い。
 幕末の頃で、ここは外様大名の藩領のはずれ。狐谷はその境界線で、その先は山また山の天領。
 幕末時代というのは南北朝時代に戻ったのではないかと思えるほど、各藩は面倒なことに巻き込まれることになる。
 どの藩も、立場を決めないといけない。それで、大事な藩の将来を話し合う密議があった。それがこの別荘跡だ。ただ、ここに集まったのは薩長側。藩としては表向き幕府側にこれまで通り仕えるつもりなので、これは許せない。本当はどちらも良いのだが、幕府に知られるとまずと思い、薩長側を一網打尽にするため、襲撃したのだ。しかし、重臣たちの中には、心配する人もいた。藩の方針はまだ決まっていないのだ。これでは幕府に付くことを決めたも同然。
 その重臣、止めに入ろうとしたが、時遅し。
 襲撃に向かった藩士たちは、まさに藩兵。殿様から強引に藩命を取り、先祖代々の鎧を身に付け出陣した。
 狐谷は里山なので、登り口はいくらでもある。三方から狐谷へ向かうのだが、夜ということもあって、そのうち二隊は道に迷った。普段からこんな谷に入ったことがないためだ。
 狐谷に入れたのは一隊で十人ほど。庵程度の建物だが、土塀があり、敷地は結構広い。藩士たちは土塀を乗り越え、一気に別荘の戸を破り、殴り込んだ。
 しかし、誰もいない。密議がここでおこなれているというのは確かな情報のはず。その証拠に、その夜、薩長側の藩士宅を見張っていた藩士が、こっそりと出掛けるのを見ている。
 気付かれたのかと思い、別荘から引き上げようとしたとき、斬り込まれる。数が多い。逆に襲撃を受けたようなもので、暗闇での斬り合いとなる。
 結局は同士討ちで、別の隊が仲間とは知らず、襲撃したことになる。幸い鉄砲などはなく、刀剣での斬り合い。しかも暗いため、手傷程度で済んだ。
 これをこの藩では狐谷の変とし、極秘扱いにした。別に政変というわけではなく、狐に化かされたような事件のためだ。
 そしてこの藩、最後の最後まで立場が決まらず、戊辰戦争のときにも、兵を出さなかった。
 
   了


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2016年12月14日

3110話 メリーさんの幽霊


 洋館で幽霊が出たと、また伝法老人から連絡が入った。妖怪博士のお得意様で、数ヶ月に一度は出るらしい。そのたびに出掛けている。妖怪博士はお寺さんではないが、伝法家は檀家のようなもの。
 伝法家は今は大したことはないが、昔は羽振りがよかった。元薩摩藩士で、明治政府の官僚。海外に出ることも多く、その影響からか、自宅は洋式。官僚は世襲ではないので、その子孫は普通の会社員になったのだが、洋館を何軒も建てた。決して建築家ではない。そのほとんどはもうないが、大正時代に建てた一軒だけが残っている。伝法家の分家筋だが、その洋館に幽霊が始終出るらしい。そのたびに妖怪博士が鎮めに行く。
 妖怪博士は妖怪が専門なのだが、伝法老人に気に入られ、妖怪より幽霊の方が簡単だろうということで、その関係が続いている。
 妖怪は存在しないが、幽霊は存在するかもしれない。だから幽霊の方が簡単ではないのだが、伝法老人にとっては似たような怪だ。つまり、何らかの怪異が起こる程度で、もろに半透明の幽霊が出るわけではない。
「失礼します」
 勝手知ったる檀家を月参りで訪れる坊主のように、妖怪博士は玄関脇にある小さな応接室のソファーに着いた。いつもそこで話を伺うことになる。
 洋館といっても規模は小さく、下に四間、二階に二間ある程度だが、各部屋は結構広い。そして二階建てなのに、三階建てほどの高さがある。当然屋根裏部屋もある。建物に比べ庭は狭い。伝法家が残した洋館の中で、一番小さなもの。役人だった頃の三男坊の子孫が建てたらしい。
「メリーがまた来ました」
「メリーさんですか」
「麗しのメリーなのだが、幽霊ではのう」
「今度は何を」
「その窓に」
「窓に出ますか」
「ネッカチーフが」
「はあ」
「白いネッカチーフが窓からのぞいておる」
「分かりました」
 妖怪博士は窓の下に水の入ったコップを置き、何やら呪文を唱えた。これはお経ではない。知り合いの占い婆さんから習った祝詞だ。そのため神式。これが西洋人のメリーさんに通じるかどうかは分からない。
 妖怪博士はメリーさんの写真を何度も見せてもらった。先代の奥さんの妹さん。まだ娘のまま日本に遊びに来たとき亡くなったらしい。伝法さんとは血が繋がっている。明治時代の写真だが、まるで西洋人形。この写真は複製だが、分家の伝法家にもあり、古いアルバムに残っていた。伝法老人は小さな頃からこの写真を知っている。
 怪異が続いた頃。すぐにメリーさんだと、察したようだ。
 呪文を唱え終えた妖怪博士は、入れ直したもらった紅茶を飲みながら「これでしばらくは出ないでしょう」と断言する。この断言が大事なようだ。
 伝法老人はさっと席を立ち、封筒を持ってきた。お布施だ。
 妖怪博士は大相撲で勝った力士のように手刀のようなものを切り、それを受け取った。
「ではまた」
「ありがとうございました妖怪博士」
「いえいえ」
 これが妖怪博士の定収入だが、檀家は少ない。
 
   了

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2016年12月13日

3109話 女装社員


 それは違うのではないかと高村は思ったが、異議を挟めない。上司のためだ。人それぞれ意見はあるのだが、それを言い出すとスムースに動かない。よく話し合えば互いに納得できる問題かもしれないが、どうしても「それは違う」と思えることがある。そのため、黙って従うしかない。意見を求められれば別だが、下手に口を挟むと怖い顔をされる。これが怖い。その怖さが来るだけで、何も解決しない。
 ただ、このとき、高村は思うのだが、自分の意見とは何だったのかと。
 その多くは上司の意見に従えば、自分の用事が増える。結構面倒くさいことをやらされる。それを回避するためにでっち上げた意見もある。
 どうせ採用されないような意見なら、最初から言わなければいいのだが、少しだけ抵抗する。これで面倒な仕事を振られずにすむわけではないが、抵抗すれば、振りにくくなるだろう。その程度のこと。
 しかし、今回は違う。「それはない」と思えることを言い出した。これは止めないといけない。意見云々ではなく、誰が見てもおかしなことをやり始めたのだ。
 上司は新規開拓の会社へ女装して行くと言い出した。だから上司はおばさんになり、高村は若い娘になる。ただ、仕事で行くので、スーツ姿だが。
 なぜそんな変なことをするのかと聞くと、面白がらせるためだという。先方が大受けし、大きな注文が取れ、それこそ大受けするかもしれない。
 しかし、そんな奇抜な、奇策に出ると信用を失うのではないかと高村は忠告した。これは意見ではない。女装趣味に釘を刺すため。
 このときの上司の怒りはいつもの倍以上、殺されるのではないかと思えるほど叱られた。
 そして、当日、高村と上司は女装した。上司は上機嫌。
 当然そんな奇策は通じるはずもなく、高村が想像した通りの結果になった。
 帰り道、上司の機嫌は悪くない。
 上司曰く、最初からだめなことが分かっていたので、一度やってみたかったことをしただけと。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

3108話 山の上のお暗


 山の上のお暗と呼ばれる隠者がいる。そんな山上に住んでいるのだから、用事があっても出掛けにくい。ただ、お暗山は深くなく、人里に近い。高い山ではなく、小さな山がいくつもぽつんぽつんとある中の一つ。里からも見えている。
 その隠者お暗は暗い。本当の名は別にあるのだが、里ではお暗さんと呼んでいる。そのお暗さんが住んでいる山なので、お暗山となった。これも昔からある山の名があるのだが、滅多に使うことはない。特別な山ではなく、またわざわざお暗山へ行く用事もない。山菜採りに行くには遠すぎる。
 隠者といっても里との交流はある。買い出しに始終里へ下りてきている。酒やさなかを買いに来る。米や野菜は里に下りてきたときに、もらえる。
 隠者とはいえ、元々は僧侶。ただ怪しげな勧進坊主のようなもの。そのため、里を一回りすれば、食べるものや金銭までもらえたりする。しかし酒は別のようで、これは貰えない。
 お暗さんと呼ばれるようになったのは話が暗いため。一応説法はするが、どの話も結末が暗い。話そのものも苦しいほど暗い。では人気がないのかというとそうではない。逆に暗い話を聞きたがっているのだ。それも非常に不幸な話を。
 そういった微妙なバランスで、この里がお暗さんを養っているようなもの。里には寺もあるが、そこの住職とは仲が悪い。
 お暗さんは出家だが、どの寺や宗派にも属しておらず、勝手に坊主になった人で、元来怠け者なので、出家。つまり、家を出た。貧しい農家の四男坊で、ただの無駄飯食い。働き手が多くても、それだけの農地がない。上の兄は商家に丁稚に行くし、一人は養子になった。
 里のお寺さんと仲が悪いことは、意外と里の人は歓迎している。
 山の上のお暗には粗末ながら家がある。門もある。自分の家を建てるために勧進で回っていたようなものだ。
 怠け者だが、歌を数多く残しているが、歌人としての評価は低い。歌が暗すぎるためだ。
 その歌は今では童歌として、この地方に残っているが、誰が作った歌なのかは不詳のまま。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:12| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする