2016年12月11日

3107話 風景が違って見える


「違った風景を見たくありませんか」
「違う場所へ行くとか」
「いつもの場所や、通り道でもいいのです」
「はあ」
「いつもの風景が違って見えることがあるでしょ」
「はい、天気の具合で」
「そうではなく、いつもの風景なのに、それが鮮明に見えたり、明るく見えたり、沈んで見えたりするはずです」
「精神的なものが影響しているのですね」
「そういう体験、あるでしょ」
「そうですねえ。歯医者へ行ってまして、その治療が全部終わったとき、これで解放された思い、外に出たとき、風景が違っていました」
「それです」
「小学校の頃、明日から夏休みになる終業式の後、下校するとき、もの凄く風景が元気でした」
「そういうことです」
「それが何か」
「気の持ち方で風景が変わります」
「それが何か」
「ですから、いつもとは違う風景をもっと見たくありませんか」
「ありません」
「え」
「やはりいつもの風景でいいです」
「新鮮に見えたり、鮮明に見えたりしなくても?」
「ずっとそうなら気が変になりますよ。風景が沈んで見えても、また見ていても、見えていなかった、でも構いません」
「ほう」
「風景なんて、背景でしょ。そこはあまり変化しない方が良いのです」
「違った風景を見たくありませんか」
「はい、特に」
「あ、そう」
「はい」
「気の持ち方で、いつもの風景が随分と違うようになるのですがね」
「ですから、歯の治療が終わったとかに生き生きとした風景、見てますから」
「いつも風景が生き生きと見える状態を望まないのですか」
「疲れますよ。それにあまり大した望みじゃないですよ。気の持ち方だけでしょ。それよりも」
「何ですか」
「最近目が悪くなって、あまりよく見えていないのですよ、風景そのものが。だから眼鏡を変えた方が手っ取り早いです」
「あ、そう」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

3106話 画家になった友人


 島村は順調に仕事をこなし、順調に前へ前へと進んでいる。もうそれぐらいでいいだろうというのもあるが、地位も上がり、貯金も貯まった。元々ケチくさい男なので、節約しており、大きなものも買わなかったのだろう。
 そんなとき下田が現れた。貧乏神だ。昔からの友人なのだが、愛想悪くしていると、そのうち音沙汰がなくなった。うまく消えてくれたように思われたが、違っていた。
 この下田に会うと損をする。金がないので、下村のおごりになる。その程度ならいいのだが、物や金を借りに来る。これは島村も悪い。余裕のあるところを見せるためだ。しかし、損ばかりするので、最近は無愛想につとめていたためか、下田もたかりに来なくなった。
 その島田と大きな繁華街で会った。家まで来てもらってもいいのだが、よく物がなくなる。下田が盗んだものなのかどうかは分からないが、盗むような人間は下田ぐらいしかいない。ただ、安いもので、もういらないような物を選んで盗るようだ。それなりに気を遣っているのだろう。
 しかし、後から出てくることがある。下田が犯人ではなかったのだが、うさんくさい男なので、疑われやすい。
 何年ぶりかでの対面になるが、下田は以前よりも貧乏くさくなっている。既に中年過ぎだが、無精ひげを生やし、髪の毛もぼさぼさ。まともなところで働いていないのだろう。
 近況を聞くと画家になるとか。まだ、なったわけではなく、これからなるらしい。島村の知る限り、絵の趣味など、この下田には微塵もなかった。これで、下田が適当なことを言っているのだと、すぐに看破した。
 ところが大きな風呂敷包みを持っており、それを開くと、額に入った絵が出てきた。
「盗ったの」
「違う。書いた」
「下田君がかい」
「そうだ」
「模写」
「違う」
 その絵は抽象画と具象画の間ぐらいで、イラスト風でもなく、べったりとした油絵。
「そんな特技があったの」
「ああ、知らなかったけど」
「本人も気付かなかった?」
「そうそう」
「それで?」
「絵の具代が」
「それはいいけど、この絵、売れるの」
「ああ、画商の人が買うって」
「あ、そう」
 下田はその価格を言った。島村の給料より桁が一つ多い。
「じゃ、すぐに売れば、絵の具代ぐらい出るだろ」
「書き足す」
「え」
「これじゃまだ満足しないから、もう少し修正したい」
 島村は絵画に詳しくはないが、絵で食べていけるような絵描きなど、殆どいないと思っていた。しかし、欲しいという人が中にはいるのだろう。しかも個人ではなく、画商が欲しがるのだから、それをさらに買う画廊や個人がいることになる。
 島村は絵の具代を貸した。
 島村にもう少し絵を見る力があれば、下田が持ってきた絵はゴミの日に落ちていた中学生が画いたような絵。
 下田にとっては、ちょっとしたトリックで、挨拶代わりのようなもの。そんな絵の具代だけでは貧乏暮らしからは抜け出せない。
 島村は金を貸す気は、もうなかったが、今回は芸をしてきたので、その芸代として払ったようなものだろう。
 次回はどんな手を使って来るのか、楽しみにしている。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:34| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

3105話 心が揺らぐ


 心が揺らぐのは何かがあってからだろう。何もないのに、心は揺らがない。その何かとは具体的なもの。腹が減ったとかは気持ちの問題ではない。胃の中が空っぽになったのか、またはご飯を食べる時間になったため。これは時間の経過という具体性がある。また、食べたばかりなのに、またお腹が減るというのもあるが、食べた気がしなかったのかもしれない。その気は胃や口が満足していないと神経が伝えているのだろうか。そのからくりは分からないが、神経の問題としても、神経は具体的なものだ。
 何もないのに不安な気持ちになることもある。しかし何もなくはないはずで、そういう状況が具体的にある。すぐ目の前に不安なものがあるのではなく、先への不安とかだ。これは今が満ち足りているときほど起こったりする。心配の種を探すようなもの。
 その日暮らしで、明日のことさえ知れぬ我が身なら、ものすごく遠い先など射程外。だからそこは心配ではなかったりする。まず、目先だろう。
 そのため、金持ちより貧乏人の方が逆に心配事が少ないのかもしれないが、それはスケールの違いで、やはり心配の量は同じ。質やジャンルがかなり違うかもしれないが。
 たとえば株など持っていない人は、暴落しても関係がない。それよりも天候不順で野菜が高いことの方が気になる。百円か数十円の違いだが、ここが大事になる。
 どちらにしても心が先にあるのではなく、具体的なものが先にある。幽霊でもない限り、身体がなければ心もない。
 精神的な問題は、それが病気ではない限り、具体的なものが変わると、気も変わる。しかし、なかなか具体的な現実は変わらないため、気の持ち方を変えることで対処するのだろう。
 そういうことは教えられなくても普通にやっていることで、それに任せておけばいい。気持ちは天気と同じで、本来変わるもの。
 気持ちや、心のようなものがなければ喜怒哀楽も生まれない。嫌なことも感じないが、嬉しいことも感じなくなる。
 また、心ここにあらずで、色々と具体的な出来事が起こっているのに、頓着しない人もいる。集中して何かをやっているときがそうだろう。
 精神的なものは最新科学で解き明かさなくても、これは人類は長く付き合ってきた問題なので、ほぼ思い当たる精神状態をライブラリー化しているだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:27| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月08日

3104話 旅行の話


「最近どこかへ行かれましたか」
「毎日出かけていますが」
「ああ、それは何よりです。で、どちらへ出かけられました」
「近所です」
「名所があるのですか」
「別に」
「旅行とかは」
「あまりしません」
「近場にはないような珍しいものがあるでしょ」
「ありますねえ」
「そういうのをご覧になりたいとは」
「まあ、いろいろと行きましたから、もういいです」
「でも、行かれていない場所もあるでしょ」
「ありますなあ」
「たとえば」
「たとえばですか、そうですねえ、出雲とか」
「いいですねえ、出雲」
「伊勢は小学校の修学旅行で行ったので、見ましたが、出雲はまだです」
「じゃ、行ってみたいと」
「まあ、出雲に行けば神様がうじゃうじゃ歩いているのなら別ですが」
「それはありません」
「テレビのドキュメンタリー番組で出雲大社をやっておりまして、普通には見られないところまで撮していましたよ。それを見て、行ってもそれを超えられないと思うと、今ひとつです」
「でも旅行というのは途中がいいのですよ。それにテレビと実際とは違うでしょ。意外としょぼかったりしますが、臨場感があります」
「体感ですか」
「そうです。だから旅行へ行くのですよ」
「でも、近所でも」
「やはり日常の見慣れたものから離れて、違う世界をさまよう感じが旅行の良さです」
「万札が惜しい」
「旅費の問題ですか」
「戻って来たとき、お金が減っただけで、何も残りません。土産物を買ってくれば残りますがね」
「思い出が残るでしょ」
「昔に行った場所など、無理に思い出さない限り、沈んでいますよ。聞かれたとき、急いで思い出しますが、もう断片的で、わずかなことしか思い出せない」
「いや、旅行はライブです。旅行中を楽しむのですよ」
「近所ではだめですか」
「近所のお散歩とはスケールが違います。それに一泊か二泊するわけですから、すぐには戻れません」
「それは分かっているのですがね、年を取ると億劫になるものですよ。体調もありますし、疲れやすい。ですから、よほどのことでもない限り、行ってみようとは思わなくなりました」
「よほどのこととは」
「だから、神無月に出雲へ行けば神様がうじゃうじゃいるとかです。まあ、それはあり得ない話ですが。それと」
「何ですか」
「戻らないといけないでしょ」
「帰り道も、また旅行のうちですよ」
「普通の観光地のコースでは今ひとつインパクトがありません。これは見に行かないといけないと思うようなね」
「はい」
「あなた旅行社と関係のある人ですか」
「いえいえ、実は私も旅行が苦手といいますか、出掛けるのが大層な口でして」
「出不精」
「そうです。これじゃいけないと思い、気合いが沸くように、こんな話をしただけです。奮い立つように」
「ああ、そうなんですか」
「逆に、あなたと話していると、出不精でもいいかと思ってしまいました」
「無理に行く必要はないでしょ」
「そうですねえ」
 
   了
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2016年12月07日

3103話 吹野洞窟の妖怪画


 吹野岳の麓を流れる川沿いは切り立っており、ちょっとした渓谷。地図にはないが吹野渓谷とか吹野の谷と土地の人は呼んでいる。一山越えたところに、もう一つ大きな渓谷があり、それと区別するためだろう。市街地からも意外と近いが、交通の便がない。
 妖怪博士は担当編集者の軽自動車に乗せられ、林道を走っている。車でぎりぎり吹野渓谷まで近付くためだ。里からも近いため、渓谷近くまで植林されているので、林道がしっかりとある。ただ、どの林道も行き止まりになる。
 妖怪博士は妖怪の絵を見ている。誰が画いたものかは分からないし、紙の上ではなく、壁画のようなもの。岩肌に画かれているのを写真で撮ったのだろう。それがネット上でアップされたのを、この編集者がプリントアウトした。
「ネタがなくなると、こんな遠くまで出かけんとだめかい」
「いえいえ」
 壁画は渓谷の洞穴に残っていた。数メートルほどしか奥行きはないが、この近くのもう一つの渓谷には鍾乳洞がある。結構深くて長い。こちらは公開され、観光地となっている。まだ発見されていないような穴があるかもしれない。
 林道の途中で、編集者は車を茂みの中に入れた。地図で見ると、ここからが一番近い。後は徒歩になるのだが、ほぼ下り。ハイキングコースにもなっているのか、道はしっかりとしている。渓谷沿いのコースだが、洞穴は少し離れたところにある。当然地図には載っていない。編集者が投稿者に頼み、略図を書いてもらったので、手がかりはある。
「その投稿者のいたずらじゃないのか」
「偶然発見したらしいですよ。春頃、飯ごう炊さんで遊びに来た学生です」
「そうか」
 結構手間取ったが、洞穴は見つかった。
 そして奥に確かに妖怪の絵。懐中電灯で照らさなければ分からないし、奥の突き当たりには水が溜まっており、寄り付きにくい。
 結局誰かのいたずら書き、落書きのようなものに近いが、スプレーではなく、刻み込まれている。ただの岩のヒビや汚れで模様のようにしか見えないが、よく見ると細い溝による線画だ。
 妖怪博士がお茶をかけると、さらに鮮明に見えた。写真で写っているものと同じものが浮かび上がっている。
「何でしょう」
「蜘蛛だな」
「そうですねえ、蜘蛛に似ていますねえ。足がいっぱい。しかし胸から上は人のようですが」
「火星人だろ」
「いえいえ、それならタコです。しかし蜘蛛とタコ、似ていなくもないです」
「足がカクカクと硬い。だから蜘蛛だ」
「はあ」
「こんなのがいると怖いですねえ」
 と、言った瞬間地面が動いた。
 二人は洞穴から飛び出た。
「蜘蛛です」
「そのままじゃな」
 しかし、その蜘蛛は小さく、しかも胸から上も蜘蛛だった。
 この洞窟画、いつ頃刻まれたものか分からないが、この渓谷は蜘蛛が多いようだ。そして大量の蜘蛛と遭遇したため、一匹にまとめて大きく描いたのだろうか。
 吹野渓谷から戻ってから、妖怪博士は、そのことを纏めることになるのだが、わざわざそんな場所まで行ったわりには、良い話にはならなかったようだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:58| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

3102話 橋の上からの風景


 三村は家を出てからしばらくしたところにある橋で一服する。文字通り煙草に火を点ける。住宅地にある細い道なので、車はあまり来ない。川が流れているのだが、広い目の排水溝。そのため、結構深いが水かさは十センチもない。大雨が降ったとき用のものだろう。川幅は短く、車二台分ほどの長さ。橋の両側に道があり、一方は細い畦道程度で、一方は普通の車道だが、これも広くはない。橋側に「止まれ」の白い文字がある。橋を渡ると同時に道も渡るためだろう。川岸の道が優先されている。止まらなくても川岸なので見晴らしはいい。
 三村はここで決まって煙草を取り出すのが習慣になっている。そして上流と下流を見る。空が青いと川面も青い。川には何もいないはずなのに、水鳥がたまに来ている。大きな白サギがじっと立っていたりする。鴨がものすごい勢いで水に潜って、何かを捕っているのだが、獲物が何かは分からない。魚などいないはずなので、虫かもしれない。
 鳥を見かけるのは滅多にない。今日、いるかどうかを見るのを三村は楽しみにしているほどではないが、一寸した変化があると楽しい。
 橋の向こう側に家があり、その庭に犬が三匹いる。小型犬だがよく吠える。それも三匹揃って吠える。金網で仕切られているので、飛び出てくることはなく、また、よほど近くまで寄らないと吠えない。その家の庭に先の尖った柿が成っている。去年も、その前の年も見ている。もっと前の年も見ているはず。
 柿は柿色で目立つので、目に付くのだろう。その先の家の庭に梅の木があり、緑色の小鳥が止まっていたことがある。それは二年前の春先で、見たのは一度。だから柿の実のように毎年見ているわけではない。
 橋の上から真っ直ぐ先を見ると、小学校にぶつかる。そこには門はなく、大きな車道があり、そこにぶつかる。
 毎日見ている橋の上からの風景だが、実は何十年も昔から、その道を見ている。三村はユータウン組で、生まれた町に戻ってきたのだ。そのため、この橋のある道の先にある小学校は六年間、ずっと見ていた道になる。
 しかし、その頃の記憶とはオーバーラップしないのは、沿道の風景が一変、変わりすぎた。だから、あの頃の道とはもう思えなくなっている。
 そしてあの頃は、この橋はなかった。これは運河なのだ。
 そこまで思いながら橋の上で一服しているわけではない。最初の頃はオーバーラップさせようとしていたのだが、それはもう済んだためか、今は今の風景内での変化を楽しんでいる。
 昔、その場所に立ったとすれば、田圃の真ん中だろう。そして小学校と門がポツンと向こうに見える程度。
 風景も変わったが、三村も変わったようだ。
 
   了

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2016年12月05日

3101話 夢から取り出す


 風邪でも入ったのか、鍋島は調子が悪い。いつもの調子が出ないので、今日は静かにしておこうと思ったが、そういう日に限ってきつい用事ができたりする。
 調子というのは低くても高くてもかまわないが、低い調べでも高い調べでも、差し障りはない。ただ、調子が悪いとなると、どの調子も悪い。つまり低い調子も悪く、当然高い調子も悪い。調子そのものが悪いので、何を鳴らしても良い音は出ない。
 しかし、調子の悪さが分かりにくい低い目の調子に持っていくことが多い。だから、静かめに調子を合わせていた。
 この場合、身体の調子が悪いので、動きが悪くなる。微熱もあり、関節が少し痛い。そして腹具合も悪い。風邪が腹に来たのだろう。胃ではなく、腸。腹に来ると、力が入らない。
 それで部屋を暖かくし、お茶をすすっていた。こんなときは生姜湯がいいのだろうが、そんな買い置きはない。飲むと暖まるだろうが、別に悪寒はしないので、買いに行くまでもない。あっさりとした緑茶で十分。これは熱取りの役目も果たしている。それに生姜湯の甘ったるいものを飲むと、胸が悪くなりそうだ。
 鍋島は最近古代史に凝っており、その探索をネットでやっている。別に体力を使わないし、本を読んでいるのと似たようなものだ。
 しかし、ウェブ上の文字を読んでいると、疲れてきた。読みやすいページではなく、背景が黒で、文字が白。しかも横にやたらと長いし、行幅も詰まっており、非常に読みにくい。読んでもらいたくないのだろう。当然フォントも小さい。そういうとき、そのテキスト箇所だけをコピーし、ワープロ側で読んだ方が読みやすい。そういうのを、また別のソフトで整理して保存している。自分だけの歴史資料だが、いずれも素人が書いたものを集めただけ。
 しかし、調子が悪いときは、好奇心も沸きにくいのか、また根気が無くなるのか、疲れてきた。
 そのうち、うつらうつらとなってきたので、ベッドへすぐに移った。寝るにはいいチャンスだ。本当は寝ていた方がいい。
 そして夢の中で古代人が出てきた。ハヤトとかクマソとかが暴れている。
 目を覚ましたとき、部屋の中は真っ暗。もう夜になっていたのだろう。見た夢は覚えているが、断片的で、物語性はない。それはかまわないのだが、惜しいことをした。どんなものを着ていたのかが思い出せない。もしそれを覚えていたなら、貴重な資料になるのだが、どうせ夢なので、覚えていても、知っている範囲内の組み合わせだろう。
 一眠りしたので、調子が戻ったのか、腹具合もよくなっている。それで、すぐにパソコンの前へ行き、隼人と熊襲について調べ始めた。
 
   了


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2016年12月04日

3100話 物を変える人


 下田は普段使うものを始終変えている。たとえば箸や茶碗なども。これは滅多に変えるものではない。しかし変えると気分が変わるのか、割れなくても茶碗を変えている。そのため茶碗が溜まる。これは溜めておく。箸もそうだ。何度も変え続けると古い茶碗が新鮮に見える。以前使っていた茶碗はやや小さい。これが小さすぎるので、大きいのに変える。それでもまだ小さいので、大きいのに変える。するともう少し小さい目がよかったのではないかと思うと、間を飛ばして、かなり小さい目の茶碗にする。この場合、ストックしておいた茶碗から選ぶ。ただ、色目や模様や重さや薄さなどのバリエーションを増やすと、手持ちの茶碗の中にはないため、また買う。買ってから一度しか使わなかった茶碗もあり、買ったことさえ忘れている。そういうのを見つけ出し、また使うこともある。あのとき、どうして使わなかったのか、その理由も忘れている。
 きっと気に入った茶碗を見付けたため、すぐに乗り換えたのだろう。当然その茶碗もすぐに使わなくなるのだが。箸もそうだ。ではテーブルはどうか。これはそのまま。大きいので始終変えるわけにはいかない。使わなくなったテーブルを置く場所がないし、捨てるにしても、面倒だ。そのため、テーブルが気に入らないからとて買い換えることはない。ここは統一性がない。
 下田が変えるのは、小物が多い。要するに使わなくなっても、保存できる程度の大きさに限られる。また、溜まりすぎても、捨てやすい。
 逆に生活態度とか、立ち回り先はほぼ一定で変えようとしない。人付き合いもそうだ。仕事も若い頃からやっている職種をずっと続けている。あまり変えない人なのだ。それなのに茶碗や箸、時計やケータイなどは変え続けている。当然上着や帽子なども。
 人には「変えたい」という欲望があるのだろうか。変化を望んでいるとすれば、それは何でもいいのだ。変化さえあれば満足を得られるのなら、大事なことを変えるよりも、どうでもいいことを変えた方が影響は少ない。ただ、一つ一つの変化は大したことはないので、数をこなすことが大事なようだ。
 
   了

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2016年12月03日

3099話 鬼


 鬼の顔は優しくない。いつも怒っているような顔で、怖い顔をしている。それがデフォルトだとしても、そこからの変化はあるのだろうか。
 鬼の目にも涙というのがある。これは悲しんでいるのか、有り難くて泣けるのか、悔いて泣いているのかは分かりにくいが、そのとき、表情が変わるのかどうかだ。怖い顔をしたまま泣いていたり、喜んでいたりしそうだ。
 鬼にまつわる言い方は多い。鬼の霍乱は、病気などしたことのない人が、風邪を引いたときに使ったりする。弱点もあり、完璧に頑丈で強いわけではなさそうだ。人間のような弱点があり、弱い箇所もあり、感情もあるのだが、それはデフォルトではないので、滅多にお目にかかれない表情だろう。鬼も笑うが、来年のことを言うと笑うような話で、これは喜怒哀楽とは少し違う。笑い方にも色々とある。
 鬼のような顔の人もいる。鬼面、鬼瓦。これは喜怒哀楽に関係なく、そういう顔立ちの人がいる。怖い人とは限らない。
 怖いのは普段は穏和そうな、またはそれほど表情のない人が急に怒りだし、鬼のような怖い顔になる場合だろう。瞬間湯沸かし器のように、いきなり怖い顔になり、怒り出す。普段から怖い顔の人ならいいが、そうではない場合、この変化が怖い。より効果的なのだ。
 心に夜叉を持っている、などはあまり表情には出ない。こちらの方が分かりにくく、巧妙だ。
 人が怒ったときの表情、怖い顔をしたときの表情というのは印象に残るようで、顔だけで威圧感がある。それを見た人は怖いだろうし、いやな気になるだろう。できればそんな表情など見たくはない。
 人が怖い顔になったとき、鬼になるのかもしれない。
 しかし鬼というのは、どのレベル、クラスだろうか。それほど高い身分でもなさそうだ。怖い顔をして脅かしているようなもので、あまり巧妙な手とはいえない。単純明快すぎる。
 鬼のいぬ間の洗濯もあれば、鬼の洗濯場というような岩もある。結構人々の暮らしの中に入り込んでいる。
 鬼の実体は分からない。誰も鬼など見たことはない。ただ、人に近い身体や顔を持っている。そして鬼の象徴は角。これは動物的な怖さからきているのだろうか。
 
   了

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2016年12月02日

3098話 工房の女


 これもよくあることなのだが、滅多にない。似たようなことはあるが、殆どないこともある。それは遅れだ。
 岩本は遅れた。遅れることなど始終あるので、珍しくはないが、その日の遅れは今まで踏み込んだことのない時間帯になっていた。遅れる原因が重なった。二つなので、それほど多くはない。だが、大概は一つが多い。
 最初の遅れは起きるのを遅れたことで、これはよくある。しかも今回はそれほど遅れたわけではなく、よくあること。起きる時間は一定していないが、三十分程度の誤差がある程度。今回はそれをはみ出していたので、遅れたと感じる範囲には入っているが、もの凄く寝過ごしたわけではない。
 岩本は朝の散歩を日課にしており、小一時間で戻ってくる。多少出るのが遅れても、昨日と似たような風景で、出遅れたという感じはない。そういう日もたまにあるためだ。
 そして戻ってから朝食を作るのだが、これもいつもと似たような味噌汁だが、具が多い。一汁主義ではないが、雑煮のように色々と入れる。そのため、器は大きめだ。
 そして、ご飯や味噌汁ができるまで、新聞を読んだりテレビを見たり、ネットを見て過ごす。これが一時間ほど。遅れたことが分かるのはテレビ番組で分かるが、テレビは付けているだけで、殆ど見ていない。だから、見逃したとかの話はない。
 朝食後、ある趣味の集まりへ行く。木彫工房があり、初心者でも簡単な方法で仏像が彫れる教室だ。小さな人形のようなもので、岩本は金剛力士を選んだが、これが結構難しい。そういうキットがあるわけではないが、順番通り作っていけば、誰にでもできるらしい。板に絵が画かれているので、それを見ながら部品を掘り、填めたり、くっつけることにより、完成する。
 さて、ご飯も炊けた頃だと思い、台所へ行くと、炊飯器のランプが消えている。消したのではなく、炊飯のスイッチを入れ忘れたのだ。問題はここだ。炊けるまで一時間。早炊きにしても四十五分ほどだろうか。この遅れが効いた。ご飯を食べないで、味噌汁だけ吸って出ても問題はないし、おやつとして買っていた煎餅があるので、それをかじりながら味噌汁を飲んでもいい。それに、ただの汁ではなく、具がかなり入っているので腹が減ることはないだろう。しかし、白いご飯が食べたい。朝は炊きたてのご飯を食べないと、食べた気がしない。
 寝過ごした時間が三十分ほど、ご飯が炊けるまでの時間が一時間。都合一時間半ほどの遅れ。これは結構遅れている。今まで体験したことのない遅れだ。
 木像工房は夕方までやっているし、また岩本がそこにいる時間は二時間程度。そのため、この遅れはそれほど重要な遅れではない。人と会う約束でもしていれば別だが。
 そして一時間半遅れで岩本は自転車に乗り、山裾の工房まで走った。この時間、その道を走ることは先ずない。
 いつも閉まっている飲み屋も、昼前なのか開いている。定食でも出すのだろう。そのため、初めて開いている店を見たことになる。時間帯が少しだけ違うと、出合うものも少しだけ違う。
 そして工房前の坂道に差し掛かったとき、向こうから女性が降りてきた。きつい坂ではないので、自転車でそのまま上れるが、見覚えのある女性だ。顔まで見たわけではないが、雰囲気で分かる。知っている人だと。
 坂の途中ですれ違い様、その女性は軽く会釈した。岩本も軽く頭を下げた。
 工房で先生の指導を受けていても、上の空。誰だろうと岩本は気になって仕方がない。確かに知っている人なのだ。
 先生に聞くと、岩本と同じ生徒らしい。いつもは夕方前の遅い時間に来るのだが、今日は早い時間に来たとか。
 しかし、岩本は納得できない。もっと昔から知っている人なのだ。
 いつもよりかなり遅れたことで、そういう出合いがある。しかし、その後、その女性を見かけることは二度となかったようだ。
 
   了

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2016年12月01日

3097話 ハンバーグの話


「昨日、何がありましたか」
「昨日ですか」
「昨日のことなので覚えているでしょ」
「そりゃ、まあ」
「で、何がありました」
「特に何もなかったです」
「何もないというのは有り得ないでしょ」
「特に変わったことはなかったです」
「しかし、何かあったはず」
「はあ、別に」
「思い出して下さい。昨日のことです。大事なことなら記憶に残りやすいですが、何でもないようなことは忘れるでしょ。だから、今のうちです。思い出せる賞味期限のようなものです。明日になると、もうすっかり忘れているはず」
「昨日は普通に暮らしていました」
「その普通さの中にも変化があるでしょ」
「そうですが」
「それで、小さな変化とまではいかなくても、一寸印象に残るようなことがあるはずです」
「そうなりますと、話が小さいですが」
「その方がいいのです」
「はい」
「で、気になったことはありませんでしたか。木が紅葉で赤いとか黄色いとかでもいいのです」
「ハンバーグ」
「ハンバーグ?」
「夕食のおかずがなかったのです。それでスーパーへ買いに行くにも雨でして、面倒なので、出掛けたついでに立ち寄れるコンビニに入りました。ご飯はあるのです。おかずがないだけ。まあ、お茶漬けの素があるので、それでもいいのですが、最近素食すぎて、少しはタンパク質といいますか、肉ケが欲しい。まあ、何でもいいのです。適当なもので」
「夕食のおかずをコンビニへ買いに行かれたのですね」
「いえ、その前に飲むものが切れていまして。紙パックの大きなコーヒーなんですが、それがメインでコンビニへ行きました」
「夕食は」
「あ、そのとき、ついでだから夕食になりそうなもので、弁当ではなく、おかずだけを買おうと。しかし、別に弁当でもラーメンでもスパゲティでもよかったのですがね。ですから絶対に買わないといけないものではなかったのですが、それがハンバーグです」
「ハンバーグ?」
「パックに入ったハンバーグじゃなく、マカロニやポテトが入っているタイプです。あとはご飯さえあればハンバーグ定食になります。ハンバーグのソースも小さなコップに入っていて、食べやすそうなので」
「つまり、昨日最大に印象に残ったのはハンバーグですか」
「他にもあったかもしれませんが、すぐに思い出せるのは、このハンバーグです。それが何か」
「そのハンバーグ、美味しかったですか」
「いや、硬くて、肉汁がジューと来るようなタイプじゃなかったです。それで後悔しましたが、おかずにはなりました。だから、失敗したとかではありませんが、多少不満は残りました」
「昨日はハンバーグを食べたかったのですか」
「違います。適当なものを探しているとき、ハンバーグが目に入ったのです。餃子でもよかったのです」
「多少の不満とは何でしょう」
「少し遠いのですが、ファミレスがありまして、そこのハンバーグが実に美味しい。ジューシーですし、鉄板に乗った状態では熱くて口に入れられないほどですし、ナイフやフォークなどなくても箸で崩せるほど柔らかい。そして肉汁がたまらない。ハンバーグが食べたいときは、これです。しかし値段が高いので、滅多に行きませんし、ハンバーグが食べたくなるときなど、そんなに多くはありませんから。肉ケが欲しければ牛丼屋に行きます。しかし牛丼よりも焼きたてのハンバーグがいいのです。これは特別な日限定でして、何かいいことがあった日とかに限られます」
「はい」
「いや、はいじゃないですよ。ハンバーグがどうかしましたか」
「昨日印象に残ったのはハンバーグ。これは何でもいいのです。一寸だけの変化ですね」
「だから何なのです」
「ハンバーグ一つでも、あなたのフレームが見えてきます」
「フレーム」
「あなたとハンバーグとの関係で、あなた自身が浮かび上がってきます」
「ごくありふれたハンバーグとの接し方でしょ。それにハンバーグが問題なのではなく、適当なおかずを探しにコンビニへ行っただけの話ですよ」
「コンビニへ寄らない人もいますよ」
「はあ」
「それにおかずがないといっても、卵とか玉葱とか、そういったものがあるでしょ」
「まあ、ありますが」
「それで済ませてもよかったのでは」
「だから、最初言ったようにお茶漬けで済ませてもよかったのですよ」
「すると、節約する必要はないと」
「いえいえ、ファミレスで美味しいハンバーグを食べに行くのは贅沢なので」
「あなたのフレームはそういうところで出るのです」
「それが何か」
「どんな事柄においても、それを囲み、押し出しているものがあるということです。それがハンバーグになって現れているのです」
「これは何かの分析ですか」
「いえいえ、そうではありませんが、一寸した日常の中に、自分が囚われている檻が見えるのですよ」
「檻? フレームじゃないのですか」
「そのフレームが檻なのです。牢屋です」
「一寸ピンとこない話なので、このへんで」
「日々折々のエピソード。これが大事です」
「はいはい」
「人はフレーム攻撃を常に受けています」
「はい、もう分かりました」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:15| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする