2017年02月28日

3185話 小豆洗いが見える少女


 妖怪小豆洗いが小豆を洗っていると、少女が近付いて来た。草の生い茂る川の縁、そんなところを通る人などいない。
 小豆洗いは少女が用でも足すつもりだろうと思った。たまにそんなことがある。すぐ近くでされると、さすがに小豆洗いの方から避ける。小豆洗いは人からは見えない。川縁で小豆を洗っている妖怪で、こ汚い禿げ頭の小男だ。米ではなく豆を洗うのだが、その音は人には聞こえない。何やらぶつぶつ独り言を言っているが、それも聞こえない。小豆ばかり洗っているので、そればかり繰り返しているため、それをぼやいているのかもしれない。一つことばかりをする妖怪だ。
 少女は近くまで来て小豆洗いを見ている。
 小豆洗いは洗う手を止める。姿が見える人はまずいないのだが、音が聞こえる人はたまにいる。この少女もその口だろうか。しかし少女はまっすぐ、小豆洗いに近付いて来る。見えるのだ。
「どうして小豆を洗ってるの」
「知りたいかい嬢ちゃん」
「うん」
「これは縁起物でね。赤飯用だよ」
「どうして赤飯を炊くの。目出度いから?」
「切り替えのためだよ」
「何を」
「目出度いことがあったことを目で分かるようにね。だから赤い豆を白いご飯に入れると、目立つじゃろ。別に赤いご飯にする必要はない」
「あんこも作れるね」
「好きかい」
「甘いから」
「あんころ餅も滅多に食べないじゃろ。目出度いときだけ。わしはその準備で、まず小豆を洗っておる。こればっかりじゃがな」
「洗った小豆はどうするの」
「煮て食べる」
「じゃ、ご飯は」
「わしは小豆しか食べん」
「甘いでしょ」
「それで歯が全部なくなった」
「ふーん」
「ところで嬢ちゃんはどうしておじさんが見えるのかな」
「知らない」
「そうか、しかし人に言っちゃだめだよ」
「おじさんが捕まるから」
「そうじゃない。嬢ちゃんの身が危なくなる」
「どうして」
「おじさんが見えるからだよ」
「うん、分かった」
 少女はその後、クマイソの巫女として名を馳せた。あのときの縁で、人には見えないが、この小豆洗いがいつも家来のように付き添っている。
 
   了

 
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2017年02月27日

3184話 狸田村


 狸田の村はよくあるような村で、国中至る所にある地形のため、特徴がない。山また山だが、全てが山岳地帯ではなく、僅かながらも平地がある。これは山の斜面に近いのだが、上から見ると広い川底のような膨らみ。当然住んでいる人も少ない。そういう村々が点在する中の一つが狸田村。ここに村ができたときから戸数は百を超えない。それ以上養えないこともある。家ばかりで田んぼがなくなってしまう。田や畑は極限に近いほど山を這い上がっている。棚田というほどの美田ではなく、上の方は果樹園や畑。
 その上は結構高い山塊で、斜面もきつくなる。狸田の由来はその山に住む狸から来ている。
 この村を開拓したのは狸だと言われているが、そんな話は誰も信じていないが、狸が先祖らしい。先祖の神様は誰でもいい。動物でもかまわない。
 御山の狸が沢に降りてきて田畑を耕していいる姿を想像すれば、それはお伽噺。しかし偉い狸だろう。自分で食べるものを作っているのだから。人里に出てきて作物を頂戴するのではなく、自給自足だ。
 狸田村の氏神様は当然狸。狸の田んぼだったのだから、当然だろう。そしてこれがご先祖様になるのだが、狸から人間への進化は難しい。だから所謂アミニズム。狸を先祖にしようと誰かが決めた。戸数が多いときは百戸あったのだから、百家族が住んでいたわけではないが、全て縁者のはず。そうでないと村の氏神様とはならない。
 御狸様に遠慮してか、この村にはお稲荷さんはない。それらしい小さな鳥居や祠はあるが、お稲荷さんではなく狸が祭られている。
 全て親戚のような村なので、本家がある。あとは全て分家の分家。そして本家の屋敷を狸御殿と呼んでいる。実際にはこの本家、直系は何度か絶えているのだが、分家から養子をもらい、何代も続いているが、それほど古い家系ではない。
 狸を祭る神社は他にもあるが、それが先祖だと言い切る神社は滅多にないが、これは言い出さないだけで、蛇でも鳥でも何でもいいのだ。何処かで決めただけのこと。
 その気で、この村を訪ねれば分かるが、村人のどの顔も狸顔。細面の狐顔の人さえ狸に見える。目がまん丸で鼻の低い人が多いためだろう。
 狸を先祖とする一族が、この村を拓いたのではなく、拓いてからしばらくして、村らしくなった頃、先祖を狸と決めたらしい。そのため、この一族の出身地の先祖神ではない。故郷を離れてから先祖神を作ったことになる。
 しかし適当に作ったとしても、何代にも渡って狸を拝んでいると、狸に似てくるのだろうか。動物が飼い主の顔に似るのか、飼い主が動物に似るのか、どちらかは分からないが、それに近いものがある。
 
   了


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2017年02月26日

3183話 休館日


 下田はいつもの道を走っていた。その先にいつもの場所がある。そして通路の入り口が見えたとき、いつもと違う印象を受けた。ここへは年中来ている。毎日欠かさず来ている。台風などで外に出られない日は別だ。そういう日は家からも出られないが、嵐がましになれば出る。
 通用口は屋外にあり、公園の入り口のようなもの。車が入れないようポールが何本も立っている。これは歩行者や自転車、バイクなどは自由に通れる。そこに線のようなものが見えるのだ。毎日見ている場所なので、この変化はすぐに分かった。その線は横に走っている。閉鎖されているのだ。その手前に人が何人かおり。話しながら通り過ぎた。
 下田は近くまで寄って確認する前に謎が解けた。年に一度だけショッピングモールの休館日なのだ。当然建物だけではなく庭や通路など、敷地内一切が閉鎖。通路を入るとすぐにバイク置き場と自転車置き場があり、広々とした庭があり、梅や桜や椿が植えられ、竹もある。ちょっとした庭園だ。そこを抜けると道路に出る。これは駐車場への出入り口だが。本館は川を渡ったところにあるが、その周辺も公園になっており、川沿いにはベンチがあり、施設と施設を繋ぐ高い橋もある。さらに橋の上にも橋がある。建物の二階と二階を重ねて繋いでいるようだ。
 年に一度休館日があることを下田は知っており、その日も知っていたはずなのだが、忘れていた。その日が近いことは分かっていたのだが、今日だとは思っていなかったので、入り口の封鎖に驚いた。予備知識があるので、どういうことなのかは一秒もかからないうちに判明した。
 下田はこのモールの二階にある隠れ家のような喫茶店に通っており、そして、安いパン屋でサンドイッチを買うことを日課にしていた。当然店屋ばかりなので、家電を見たり、服を見たり、何かの出店を覗いたり、煙草を買ったりしている。つまり、その日は商店街が休みのようなものだが、この施設は年中無休。そのため、定休日がない。だが、施設内の総点検などで年に一度だけ休む。その日は決まっていない。毎年冬の寒い頃、一年で一番客が少ない日を選んでいるようだ。
 下田はすぐに別の道に入り、施設を回り込むように、正面側の入り口にある大きな通りに出た。その先に一番近い喫茶店があるためだ。とりあえず休憩したい。
 正面入り口は広く、そして道沿いに長く続いている。自転車屋や中華のチェーン店やファストフード店などが見えるが、いずれも休んでいる。それらテナントが休みになるのは、この日だけかもしれない。そのため定休日がないし、シャッターを閉めている状態も見たことがない。夜中なら見られるかもしれないが。昼間から閉まっているのは年に一度。今日だけ。
 一般道路から間違って施設内に入ろうとする車がいるのか、整理員が出ている。鎖が張られているので、見れば分かるはずだが、歩道を越えないと入れないため、歩道に寄って来る車があるのだろう。
 車道の横に歩道。そして入り口、そして建物。その間のスペースは自転車置き場で、放置された自転車が結構並んでいる。営業時間を過ぎると、鎖が張られ、自転車が出せなくなる。
 下田は何とか入り込めないものかと妙なことを考えた。中は無人ではないはず。空調とか配電関係、そういうメンテナンス、防災関係や非常ベルなどの点検をやっている人がいるはず。
 整理員は駐車場の入り口に一人いるだけ。これは無防備だ。しかし、休みの日のショッピングモールに入り込んでも何も買えない。盗人なら別だが大したものは置いてないだろう。
 下田は施設内に入る方法を知っている。それは猫の道だ。この施設の中央部に小さな川が流れているのだが、その川から入れる。さすがに川は閉じられていない。そんなところを通る人もいないし、道もない。しかし川の中を歩けば通れる。猫が川底の縁を通って施設内の公園まで来ているのを見たことがある。えさをくれる人がいるためだ。
 川から攻めればこの城は落ちる。と下田は考えただけで、さっさとその前を通り、予備の喫茶店へと向かった。
 
   了


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2017年02月25日

3182話 鴉天狗


「夜の物が出る」
「何か香の物みたいですなあ」
「香の物?」
「漬け物ですよ」
「まあ、夜の香りに近いかもしれん」
「その夜の物が何か」
「最近出るようなので、それを伐ってもらいたい」
「夜の物征伐ですか」
「夜の物は伐つに限る」
「誰なのですか」
「妖怪変化に決まっておる」
「どのようなものが出るのですかな」
「大きな鳥のような姿をしておる。翼のある人」
「巨鳥ですなあ」
「黒い」
「その大きさで飛ぶのは大変でしょ」
「高いところから飛び降りる程度と聞いている」
「飛び上がれますか」
「さあ、そこまでは知らん」
「では退治しやすい」
「頼みましたぞ」
 その僧侶は薙刀を持ち、目立たないよう提灯も使わず城下へ出た。この深夜、外に出ている者は一人もいない。
 僧侶姿で薙刀、それは武蔵坊弁慶だ。
 そして橋の上で夜の物と出合った。まるで待ち合わせでもしていたかのように。
「おまえはどうして夜の物と呼ばれておる」
「そのようなことは知らぬ」
「何々鳥とか呼ばれた方がいいのではないか」
「そう呼ばれていたこともある」
「何鳥だ」
「鴉天狗」
「ほう、すると、拙僧と同じ種類」
「まあな」
「しかし、羽が生えておるが、それは付けたのか」
「違う」
「それは珍しい」
「元を正せば遠い南方の悪魔」
「ほう」
「夜を支配する者」
「それで、夜の者か」
「そうじゃ」
「悪いが征伐」
 僧侶は薙刀で横へ払うと、当然のことながら夜の者は上へと羽ばたき、欄干に止まった。
「飛べるのか」
「飛べぬのならこんな羽は無用」
 僧侶は欄干に立つ夜の者を薙刀で突いた。不安定なところに止まっているので、逃げようがなく、そのまま川に落ちかかったが、そこは鴉天狗、ふわっと川面すれすれに飛び去った。
 僧侶は寺に引き上げた。
「逃がしました」
「そうか、夜の者に出合ったのじゃな」
「強い相手ではありませんでした。防戦一方で、逃げるだけ」
「そうか。やはり夜の者がいたのじゃ」
「いましたとも」
 この城下、その夜は真の闇。月も星もない。明かりもなく、よく戦えたもの。それなのに川面を飛ぶ夜の者をしっかりと見ている。
 
   了

 
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2017年02月24日

3181話 物語り


 人は自分の物語の中で生きているので、人それぞれに物語が違う。この物語とは自分自身で語っているのだが、独り言を言っているわけではない。自分自身に聞かせるだけの話なら、声を出さなくてもいいし、書き留める必要もない。それは日記のことだが物語性が低い以前に、その人にそれほど高い物語性がなければ、書く必要もないだろう。
 しかし日常の細々としたものや、事柄や、その日あったことなどにも物語はある。これは私小説のようなものを差すのではなく、その人がやっている役柄のようなもので、いつの間にか設定ができている。これは自分で作った場合もあれば、そうなってしまったことも。
 物語は相手がいての話で、自分で語り、自分で聞くだけなら、語らなくてもかまわない。必要性がないためだ。
 しかし、この物語というのは本当のことではない。事実と反してはいなくても、語り方により、意味が違ってくる。
 要するに都合のいいように語るものだ。それにより、その人の世界が一応できるのだが、あくまでも仮の話で、本人が語ることと、実際とは違うかもしれない。その実際とはリアルな世界で、これは捕らえきれないものだろう。だからリアルを再現させるために物語がある。そのため、物語はリアルなものではない。このリアルとは本当の世界だ。しかし、何が本当なのかは分からない。
 物語と言えば大げさになるが、事情だと思えばいい。人それぞれに事情がある。それが背景にあるため、物事の解釈も違ってくるし、現実に対しての受け止め方も違ってくる。だから、人の数だけ世界がある。その違いはわずかなもので、似たようなものだが、そっくりそのままの人はいない。わずかでも事情が違っていると、認識も違ってくる。
 要するに物語とは嘘だが、嘘の中にも真実がある程度だろう。よくできた話ほど胡散臭い。話ができすぎているためだ。物語の作り方がうまいのだろう。うますぎると、現実離れする。
 現実というのは実際には捕らえられない。それを観察している本人が一番邪魔な存在になるためだ。
 語るに落ちるとは、話に落ちがあることではなく、嘘がばれたときだろうか。言っていることと違っていたりsとか。
 それに近いことを自分自身が自分自身に対して語るときにもある。
 人が何かを語り出したとき、その背景にある構図や構造などを読む場合がある。しかし認めたくない構造もあり、その事情を敢えて無視することもあるだろう。
 人は辻褄合わせをする。それは巧みな物語作者でなくても普通にやっているだろう。そうでないと自分の世界が揺らいでしまう。これは本人が本人のためにつく嘘のようなものだが、物語とは所詮そんなものだろう。そして嘘の中にこそ真実があったりする。
 
   了

 
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2017年02月23日

3180話 一杯の大金


 桜の花も咲こうとする頃、佐久間は真冬の底にいた。長く冬の時代を過ごしているのだが、普通の冬ではない。もっと寒い真冬だ。
 佐久間の冬の時代は後世話題になるようなことではない。単に暗く、寒々とした日々を過ごしているだけ。これが数年続いていることから、いつの間にか例年通り、平年通りとなっている。
 友人の竹下は氷河期と呼んでいる。付き合って長いが、今回の氷河期も長いようだ。しかし、たまに訪ね、様子を見に行く。それは半ば好奇心で、思いやりなど微塵もないが、それは助けてやることができないためだろう。励ますだけでは解決しない問題だ。
 ところが今回訪ねたとき、様子が違っていた。歯が見える。笑っているのだ。これは狂ったなと勘違いしたほど。
 話を聞くと大金が舞い込んだらしい。何処から、と聞いてもこたえない。遺産でも入ったのではないかと想像したが、佐久間にそんな縁者はいない。さらに問いただすと、拾ったらしい。これは盗んだのではないかと思うような幼稚な答えだ。それに盗むほどの元気は佐久間にはないはず。ずっと冬眠しているようなもので、外に出るにしても買い物程度で、しかも近所だろう。
 拾ったとすれば、その道沿いしかない。何処で拾ったのかと聞くと神社の裏だという。安っぽい鞄にびっしりと札束が入っていたらしい。
 それは届けるべきだと竹下は言おうとしたが、それではおいしくない。竹下は冬の時代はやっていないが、生活費が困るほど苦しい。黙ってやる代わりに少し分けてくれと言いたいところだ。
 そして竹下はもう少し読んだ。自分なら黙っていると。
 竹下はその札束を見せてくれないかと頼んだ。
 佐久間は少し考えた後、押し入れから鞄を持ってきた。その鞄、佐久間のものではないことは確か。彼はそんな鞄を買わないだろう。黒い手提げ鞄で、底が広い。彼は手提げが嫌いで、肩掛けの鞄しか持っていない。その黒い鞄を見て、竹下はリアルなものを感じた。
 これですべてが解決した。もう冬の時代は去ったと言わんばかりに、佐久間は高笑いした。
 中を見せてくれと竹下は頼むが、佐久間は首を振る。これは竹下の失敗だ。佐久間の目は笑っていない。しかし、元々そういう目なので、これは読めない。
 警察へ届けるべきだと、竹下は力説した。
 佐久間の答えは、これは悪い金で、届けても持ち主は現れないだろうという。だから一年待って自分のものにするのも、今自分のものにするのも同じだと。
 これ以上佐久間の機嫌を損ねることを言えば、口止め料云々もなくなると思い、大金を得てよかったねえ、程度に抑えた。これで佐久間が立ち直れば、それでいいと。
 佐久間の目は三日月のようになった。
 そして立ち上がり、ドアまでゆっくりと歩いた。そして、ゆっくりとドアノブを回す。かなり間を取ったのだが、後ろから声はかからなかった。
 その後、佐久間に変化はない。相変わらずの暗い暮らしぶりを続けている。
 一杯食わされたのではないかと、竹下はすぐに気付いたのだが、そんなことができるようになったのだから、佐久間も冬の時代から出かかっているのだろう。
 
   了

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2017年02月22日

3179話 噂の老武士


「真冬、この時期の雨は暖かいと申しますが、冷えますなあ」
 旅館に逗留している老いた武士が番頭に言う。他に言うことも話すこともないのだろう。老武士は心配させないように毎日宿銭を払っている。それさえ頂ければ大人しく、いい客だ。
 立つ日が決まっていないようで、番頭の観察では誰かを待っているように見える。昔の話なので、待ち合わせの日は一日か二日ぐらい、長い場合は一週間ほど幅がある。しかし、かれこれひと月。
「ひと雨ごとに暖かくなるらしい。次の雨、さらに次の雨を過ぎると春も近い」
「そうですなあ」
 番頭は一日分の宿銭を受け取り、さっと出て行こうとする。
「春までには立ちたい」
「はい」
 この旅籠には一応宿帳がある。そこには西国浪人となっているが、着ているものは粗末なものではない。それなりに身分の高いお侍さんではないかと思われるのだが、お供はいないし、その用件も分からないので、不気味。まさか仇討ちではあるまい。討つ側か討たれる側かは分からないが。
 旅籠の主人は変装ではないかと言っているが、番頭の見たところ、身のこなしから何から何まで武家そのもの。
 旅籠の女房は神様ではないかと、突拍子もないことを言う。主人が訳を聞くと、春先に降りて来る神だと。それは何の神かと問うと山の神。
 山の神とは農耕の神様のようなもので、そろそろ田んぼを作り出す頃に山から降りて来るらしい。ではそんな神さんがどうして長逗留しているのかと聞くと、早く来てしまったのではないかと。
 人それぞれ見方が違うようだ、長く人を見てきた人でも見抜けないことがある。老武士は訳は言わないものの、それなりの目的があって逗留しているのだろう。
 この宿場町は大きな街道沿いではないが、その向こうに盆地があり、小藩の城下がある。その向こうは山また山。城下から本街道に出るには距離があるため、ここに宿場ができた。そこの藩士でないことは言葉遣いで分かる。もっと西国の言葉のためだ。
 最初は宿場町だけの噂だったが、城下まで広がった。謎の老いた武士がずっと逗留していると。身分も訳もありげな立派なお武家だと。
 それだけではなく、近郊の村々にも噂が広がり、わざわざ見に来る人も出てきた。
 そして藩の役人が来て、様子を探る。何か藩に関わるような人物ではないかと。
 その噂で盛り上がっている頃、老いた武士は旅立った。目的を果たしたのかどうかさえ分からない。誰かが訪ねて来たわけではないし、いつもと同じように、宿場周辺を散歩に出る程度で、これといった動きはしていない。
 旅籠を出るとき、大勢の人が見送った。
 ただちょっと長逗留になっただけのことで、騒がしくなったので、立ち去ったのだろう。
 
   了


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2017年02月21日

3178話 怖いもの知ってる


 怖いもの知らずの人より、怖いものを多く知っている人の方が怖い。当然だろう。より怖いものがあることを知っているので、怖いものだらけになる。つまり「怖いもの知ってる」状態になってからの人間は、怖いものをどう処理するかを考えるようになる。動物は深く考えなくても、常に警戒し、怖いことにならないように気を配っている。ある程度意志のある動物に限られるが。
 しかし、怖いもの封じが過度になると過激になり、怖いものを知ってる人が一番怖い存在になる。
 だからそれに比べ、怖いもの知らずの人は大人しいものだ。
 楽しさに反応するより、恐怖に対しての反応の方が強い。これは生命に関わるだけではなく、暮らしにも、また先々のことにも関係するためだろう。オバケが出た程度の怖さは大人しい。それよりもオバケが出ると思っている人の方が怖い。お化けが出た怖さより、それを見て叫んでいる人の方が怖かったりする。
 世の中には怖い人がいる。そこまで考えているのかと思うほど、恐ろしいことを思っている。その恐れが怖いのではなく、そんなことを想像するその人自身が一番怖い。
 とんでもないことが現実に起こることは滅多にない。特に有り得ないような想像では、まずは起こらないだろう。しかし、それでは思っただけ損ということになるのか、または悪い想像でも、それが当たっていることを確かめたいわけではないが、怖い想像ばかりしている人ほど、悪いことに遭遇しやすかったりする。まさか引っ張り込んでいるわけではないだろうが。
「いますねえ、怖い人」
「そこまで考えるか、という人です」
「不安なんでしょうねえ。心配性」
「まあ、誰だってそんなものですが、それが過度になると、その人自身が怖い存在になる」
「そういう怖い人とは付き合えませんねえ」
「そうです。そこまで行くと過敏すぎる小動物ですよ」
「はい」
「ところで、この案件、どうします」
「色々怖い噂がありますが」
「まあ、大丈夫なんじゃないですか」
「少し心配ですが」
「それを言い出すと、大丈夫なことでも危なさはあるものです。安全なものなど何処にもありませんよ」
「そうですねえ。取り越し苦労かも」
「じゃ、契約成立ですねえ」
「そのように計らいます」
 しかし、いつまで立っても契約は結ばれなかった。
 
   了


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2017年02月20日

3177話 人智の外


 妖怪と遭遇する機会のない妖怪博士だが、常に妖怪のことを考えている。その中に妖怪の発生がある。どのようにして妖怪が発生したり現れたり、出るかだ。
 その日、いつもの担当編集者が来ていたので、その話をするが、彼は興味がないようだ。そのため、聞く耳ののりが悪い。
「妖怪の発生ですか」
「そうじゃ」
「出たものは仕方がないでしょ。それにそんなに始終出ているわけじゃありませんし、目に見えないのでしょ」
「形を与えるのは人じゃ」
「名前もですね」
「そうそう」
「それで妖怪の発生理由が分かりましたか」
「人智を超えた現象があるじゃろ」
「あることはありますが」
「そんな大層なことでなくても、日常の中にもごろごろ転がっておる。知恵でも金でも運でも何ともならんような出来事がな。因果の外からいきなり来たような」
「はい」
「妖怪呼ばわりする場合もそうじゃ。これも常識では考えにくい行動を取るとか」
「ありますねえ。この前までは新人類とか宇宙人とか呼んでましたよ」
「まあ、それは対人のときのもので、人には変わりはない」
「宇宙人も人ですか」
「人と書いてあるから、人じゃろう」
「それで妖怪の発生原因ですが」
「発生理由は多々あるが、その中の一つとして、先ほども言ったような人の力では何ともならんことが起こったとき、それを妖怪として扱う」
「はい」
「解決策がない。手の施しようがない。これは困った現象」
「そうですねえ」
「だから人智の外として扱う」
「平凡な理由ですねえ」
「そうか」
「もっと何か、それは凄いというのはないのですか」
「突拍子もないよう説では妖怪に説得力がない」
「説得力」
「いるかもしれんと思うような平凡で単純な方が受け入れられやすい。だから色々な妖怪が発生した」
「はい」
「妖怪は動物の形をしていることが多い。動物に何か妙な力があるように感じたりする。犬猫の知恵などたかがしれておるが、そこから来るものではなく、目に見えぬものと繋がっておりそうな」
「えさのことを考えているだけでしょ」
「いや、たまに何かを感じておる。これは人には分からん何かじゃ」
「はいはい」
「それを人智の外という。とんでもない災いを受けたとき、その仕業ではないかと思う人は最近はおらぬが、因果の外から来た何かかもしれん。だから人智では手の施しようがない。また解決方法もない。妖怪の仕業なので詮無しとしてな」
「自然災害のようなものですか」
「それもあるだろうが、個々人の暮らしの中にもある」
「それは何でしょう」
「分からん」
「そんな、あっさりと」
「まあ、人智の外とはいえ、因果が巡ってそうなるのじゃろうが、その説明が難しいとき、または原因が本当に分からん場合、これを妖怪の仕業として、妖怪を作るのじゃ」
「はい、では、今日はこれぐらいで」
「早いなあ。まだ三分の一しか話しておらんが」
 編集者は、ぱっとしない話のためか、すぐに退散した。
 
   了


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2017年02月19日

3176話 ガラスのドア


 ドアが三つある。大きな入り口だ。どのドアもガラス張りで、横に並んでいる。谷口は隅、端が好きなので、左端のドアを開ける。引っ張っても開かないので、押すが、それでも開かない。つぶれているのではなく開かないようにしているのだ。そのドアにはステッカーが色々と貼れている。犬のマークに駐車禁止のような赤い丸が取り囲んでいたり、喫煙とか、さらに注意とかもある。これはガラスなので知らないで通ろうとする人がいるのだろう。足下から頭まですべてガラス。天窓もあるが、これは最初から固定。
 そのステッカー類の中に「この扉は閉めさせていただいております」と書かれている。小さな文字だ。ステッカーの方が目立つため、気が付かなかったのだろう。
 ドアは三つある。左端はだめ。すると右端もだめだろう。念のため谷口はそのドアを引く前に注意書きを読む。同じことが記されている。こちらのドアは左端のドアより小さい。雨戸一枚分ほど。左端はその倍。だから取っ手が二つ付いていた。
 そして中央部のドアから入ることにしたのだが、このドアが一番大きい。都合四枚分ある。ここが開くことは知っている。何人もの人が出入りしているため。さらに谷口も左から右へ行くとき、スーと開いたことを知っている。自動ドアで、これがメイン。
 ガラスドアなので、向こう側が見える。廊下が続き、左右には店舗。
 仕方なくというより、端好き、隅好きの谷口としては不本意だが、別に悪いことが起こるわけではない。験担ぎなのだ。それは端から攻める流儀が谷口にあるため。
 真ん中のドアは何もしなくても開き、谷口は中に入った。すると、またドア。先ほどとうり二つ。同じ仕掛けだ。これは空調のためだろう。ドア一枚だけだと開いたとき夏場は熱い空気、冬場は冷たい空気が施設内に入り込む。そのため二度開けになる。最初のドアが開くと同時に閉まる。開いているときはその先のドアは閉まっている。だから続けて人が通らない限り、外気から遮断された状態を保てる。
 その間の空間は何もない部屋。部屋としても使われていないが、正方形に近い。最初のドアが開き、人が通り、それが閉まる頃、次のドアまでその人が来ている。だから距離が短いと、だめ。ある程度の余地がいる。ゆっくりと歩いている人なら問題はないが、走っている人なら二枚とも開いた状態になるかもしれないが、自動ドアにはタイムラグがあり、すぐには反応しない。だから走るスピードで二枚目まで来ても、ドアはまだ開いていない。
 そのドアとドアの隙間の空間。前後はガラスドアだが、左右もガラス。これは店舗との間の壁になっている。そのため、床と天井以外はガラス室になる。ただ、そこは通るだけの部屋なので、廊下と同じだ。
 当然二段目のドアも、一段目のドアと同じ並びで、仕掛けは同じはず。しかし、念のため左端の手動ドアを押してみた。当然開かない。それで引いてみると、開いた。
 谷口はそこでワープしたかどうかは分からない。なぜならガラスドアなので向こう側は最初から見えている。そしてそこに出た。しかし、本当に同じ場所なのかどうかは分からない。
 
   了

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2017年02月18日

3175話 魔人の塔


 魔人の館、あるいは魔人の塔と呼ばれている建物がある。昔は洋館があったのだが、それが消えており、太い煙突のような塔だけが残っている。三階か四階はあるだろう。窓もあることから住むこともできる。当然そこに魔人がいる。だから魔人の塔。
 なぜ塔だけが残ったのかは分からない。景気のいい魔人ではないのだろう。その塔は何のために建っているのかも分からない。魔人のやることなのでそんなもの。
 塔は荒れ野の中にぽつんとある。そのため目立つが、ここに来る人はほとんどいない。荒れ地の向こうは切り立った崖で、海が広がっている。元々荒れ野ではなく、牧場だったようで、魔人の塔も草などを保存する場所。それにしては高すぎる。
 魔人が偽装で牧場らしく見せていたのだろう。母屋の洋館は火事で燃えたようだ。塔はレンガ造りなので、無事だった。
 当然この牧場には持ち主が今もいる。放置家屋に近いが、土地は広い。
 魔人の塔から町へ出るには結構な距離があり、その牧場のためにだけ作られたような道もあるが、今は廃道のように荒れている。廃道手前に普通の道はあるが、町から見ると奥まった場所で、もう牧場と崖しかないので、通る人は希。町に近い場所に別の牧場もあったが、今は養鶏場になっている。魔人はこの養鶏所の縁者らしいが、持ち主も変わっているため、魔人の正体は分からない。
 魔人は一人ではなく、廃墟になった牧場一家を指していた。しかし実際には馬も牛も飼っていない。ただの住居だ。
 その一家をたどれば、その正体が分かるのだが、今は普通の人として都会で暮らしている。その中の一人がたまにこの魔人の塔に来ており、しばらく滞在するようだ。
 黒いマントに黒いフェルト帽。これがこの魔人のスタイルで、荒れ野を自転車で走り回ったり、塔に籠もって、何やら呪文を唱えたりする。これは魔人の儀式らしい。自転車に乗るのは儀式の中にはないので、気晴らしだろう。
 この魔人一家、日本人の顔とは少し違う。荒れ野の崖っぷちから見える海の向こう側から来たらしい。そこは日本海。方角的にはロシア。
 この塔に来ているのは一番異国の顔立ちを残している青年で、何代目かになる魔人だ。それにふさわしい面立ちのため後継者に選ばれた。牧場ができたのは古くはない。それまでは神主をしていた。だから神主一家が牧場を始めたようなものだが、実際にはそれが本職ではない。本職は魔人。
「もうアホなことは辞めんとね」
 都会から魔人の塔へ出かける青年に母親が諭す。
「そんじゃ家系が」
「もうそんな悪習は、あんたで終わりだよ」
「分かってる」
 魔人の家系。その筋の家系なのだが、魔術も魔法も使えない。
 
   了


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2017年02月17日

3174話 駱駝の話


「最近どうですか」
「寒いです」
「冬ですからなあ」
「そうですねえ」
「最近どうですか」
「え」
「最近」
「最近ですか。そうですなあ」
「何かありましたか」
「変わり映えはしませんが、まあ言うほどのことじゃありませんから」
「仰って下さい」
「駱駝のパンツとパッチとシャツ」
「ラクダ」
「茶色っぽい爺シャツですよ」
「久しく聞かない言葉ですねえ」
「言葉じゃなく下着です」
「噂には聞いたことはありますが」
「そうでしょ、ヒートテックスより暖かく、そして身体にもいい」
「え。ヒートテックスは身体に悪いのですか」
「肌に化繊はだめでしょ。しかも仕掛けのあるような。その意味で、天然物の駱駝がいい」
「駱駝って暖かいところにいる動物でしょ」
「月の沙漠に出て来る乗り物です。乾燥したところにいるんでしょうなあ。それはどうでもいいのですが、あれが欲しい。砂漠は暑そうですが夜は寒いですよ」
「売っていませんか」
「売っていますが、高い」
「はあ」
「駱駝のパンツとシャツとパッチ。靴下や手袋も」
「それが何か」
「だから、変わり映えのしない話ですが、そういうのが欲しいなあと思っていたのです」
「どうして? 寒いからですか。それならカイロを仕込むとか、圧手の肌着にするとかもありますよ。ボア入りの分厚いのもありますよ」
「だから、化繊じゃだめなんです」
「アレルギーでも」
「肌着は自然物に限ります」
「はいはい」
「それでなぜ駱駝なのですかな」
「ロバのように聞き耳を立てて聞いたのです」
「誰から」
「世間話をしている隣の年寄り達から」
「どんな」
「駱駝が最強だと」
「そのお年寄りの人達は駱駝の肌着を着けていたのですか」
「それは見えないので分かりませんが」
「ずっと身につける肌着で、一番汚れやすいところですから一セットや二セットじゃだめでしょ」
「そうなんです」
「そのお年寄り達も噂で聞いただけじゃないのですか」
「ロバの耳で聞いたところ、そのうちの一人は持っているらしいのです。ですから体験談です」
「ほう。でも舌切り雀のように一着だけとか」
「着た切り雀ですな」
「ああ洒落でそうとも言いますが」
「それが最近の話です」
「少し固有すぎますねえ」
「だから、言うほどのことじゃないと断ったでしょ」
「はいはい」
「しかし」
「何か展開が」
「いや、そろそろ春の噂も聞きます。もう今頃買っても遅いなあと」
「そうですよ。そういうのは思い付いたら吉日。月日は流れ、年が増すばかり、もたもたしていると終わってしまいます」
「そうなんです。グズグズ考えている間に、駱駝の季節が過ぎようとしています」
「はい」
 
   了

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2017年02月16日

3173話 貧乏くじ


 最高の選択で絶賛される人と、最低の選択だと言われ、芳しい評価を受けなかった人がいる。いずれにしても選択しただけで、何もまだ始まっていない。選択を下しても、それは思っているだけ、考えているだけではまだ内の世界。外とは繋がっていない。これが何かを実行するための選択ボタンを押したのなら事態は動き、そのように展開していくだろう。
 選択した限り、いずれは実行するはずで、そのタイミングは今すぐか、またはそのときになってから。
 最高の選択といっても、何を選択したのかによる。まさか最高級の洗濯機を買い、それで洗濯した話ではないはず。しかし、これも選択だ。
 最高最低に関わらず、何かの事情で、どれを選択しても同じようなものになったとすれば、最高の選択者の方が落胆は大きいだろう。残念な選択、またはいい選択ではなかったと思っている人は、ほっとするかもしれない。どちらを選んでもスカなのだから。
 最高の選択は、そういった先のことまで読んでの選択だったのかもしれないが、現実はそうはいかない。
 最高の選択をした人は周囲も喜ぶ。それを踏まえた上での選択だったりする。その逆の最低の選択は、周囲は眉をひそめ、また軽蔑したり、もう期待をしなかったりと、悪い目に出る。また、その人らしからぬ選択だとかも。
 いい選択ではなかった場合、本人も周囲も期待しない。落胆こそすれ。
 しかし、それも選択肢の一つだ。ただ、普通は踏んではいけない選択なのかもしれない。それを敢えて踏むというのは何だろうと思ってくれる人は少ない。本人も面倒なので、くじでも引くように、適当に選んだのかもしれない。あまりやる気がなく、どうでもいいと思ったのだろうか。そういう人なら最初から誰も期待しないので、これは大丈夫だ。
 世の中はどこで逆転するのか分からないところに可笑しさがある。逆転なのだから、滅多にそんなことは起こらない。それを狙っての選択なども滅多にないだろう。所謂大穴狙い。
 しかし、下手なくじを引いた人の話も聞きたいものだ。決して成功談にはならず、平凡なものだったとしても。
 下手なくじ、これは貧乏くじを引くようなものだが、そういうくじは誰も引きたがらないはず。それにくじの中に「貧乏」と書かれているのかは分からない。おそらくないだろう。
 この貧乏くじ、相場で決まる。そのときは貧乏くじだが、時期が来ると別のものに変身しているかもしれない。
 これを化けるというのだが、化けやすいのは最低の選択をした人の方が確率は高いだろう。化けでもしなければやっていけない。
 
   了

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2017年02月15日

3172話 傘を差す


 朝に降っていた雨が午後から雪になる。この雪は積もらない雪で、さっと溶けてしまう。久住は傘を差さずに出かけたのだが、衣服に付いた瞬間、水に変わるため、傘を広げようとしたが、閉じているスナップがオスメスとも錆びており、それを掴む紐も切れているので、片手では堅くて外せない。強く引っ張れば外れるのだが、爪で引っ張ることになる。手はすでに悴み始めているので、その状態で力を入れるとろくなことはない。麻痺して痛さが分からないほどではないが。
 それで両手で丁寧に皮でもむくようにプッチン式の留め金を外す。非常に細かい話だ。そして傘を差すと雪がやみだす、というのもよくあるが、降りは激しくなってきた。これはいいタイミングで差したので悪くはない。
 この地方で雪が降るのは希で、真冬でも雨が多い。しかも朝の一番寒い頃ではなく、昼の気温が上がる頃に雨から雪に変わっている。そんなことが過去にあったのだろうかと久住は思い出そうとするのだが、ない。そのため、これは初めての体験だが、そんな大げさな話ではなく、人生にも関わらず、また学術的な意味もない。観測史上初めてのことでもないはず。久住が覚えていないだけ、または気付かない場所にいたかだ。
 どちらにしても気にするようなことでもないので、そのまま駅までの道を行く。本来はそこから先の用件を気にすべきなのだが、いつもの用件であり、いつも通りに終わるだろう。特に変わったことやプレッシャーのかかることをしに行くわけではないので、傘の開き方を気にしたのだろう。その傘はレバーを押せば自動的に開く。幸い錆びていないので、途中で引っかからない。これが引っかかり出すと買い換え時だろう。錆びているのはどうやら留め金のスナップだけのようだ。しかし、何カ所かに穴が開いている。雨漏りするわけではないので、問題はないが。
 こういった日常の些細なことが気になるのは平和なときで、逆にとんでもない問題が起こっているとき、目を逸らすため、些細事に走ることもある。久住はそのタイプではないので、平穏な暮らしが続いているようだ。
 しかし久住が平穏でも、それに絡んでくる人が平穏ではない人だとすれば、とんだとばっちりを受けたり、妙なことに巻き込まれ、平穏ではいられなくなる。
 当然、今、歩いている道で、いきなり車が突っ込んでくれば、一瞬で平穏は崩れる。脆いものだ。
 雪は降り続いているが積もらない。全部溶けて水になる。
「溶けて流れりゃみな同じ」と、どこからで聴いたような歌謡曲の歌詞が出る。
 すぐに溶ける雪もあれば、根雪となって長く残る雪もある。確かに溶けてしまえばただの水だが、ひと季節かかるだろう。
 久住は無事、駅に着き、そこから都心へ出て、用件を済ませ、無事に帰ってきた。その頃は雪は雨に変わっている。
 
   了

 
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2017年02月14日

3171話 気分の履歴


 すぐに気移りする人がいる。実は何でもいいのだろう。気の向くままの気は、気分。この気分が曲者で、気分の発生元は分かりにくい。それを突き止めたとしても、当たっていなかったする。
 今の気分は少し前のことから来ている。いきなり今の気分は有り得ないが、急に気分が悪くなることもある。これは気の持ち方ではなく、具体的に起こっていることなので、生理的なものだろう。その生理現象が気分として出る。先に気分があるわけではない。
 その人が綿々と付き合っている気分の履歴がある。気分の変わり様をそれなりに覚えている。これは気分の歴史だ。そういうところから押し出されている場合もあるが、もっと目先のことだろう。
 目先を変えるのは気分を変えることでもあるのだが、その目先を見ていた時期が問題。昨日と今日とではそれほど違わないが、一週間前の目先と一ヶ月前の目先とは違う。それが一年十年になると、同じ人が見ていた目先だとは思えないほど違っていたりする。
 過去があるから今の気分があるのだが、この過去も曲者で、その中身は単純なデータではない。意識の照らしようによっても違ってくる。
 自分史は複数できる。歴史は編者でどうとでもなるためだ。逆になったりする。そのため過去から押し出された今の気分というのも怪しいものだ。
 気分が動くのは過去へではなく、未来に向かってだろう。過去へは戻れないのだから、そこで何かを仕掛けても変わらない。解釈だけは変えられるが。
 気になるのは未来。その未来を見据えた気分となる。こういう未来より、こっちの未来がいいとか。そして気分の良さそうな方を選んだりするが、これも単純な話ではない。敢えて苦しい未来を選んだ場合は、その先のさらなる未来でいいことがあるためだろうか。
 未来学者は世の中の未来を考えるが、未来そのものについて考えるのは、別の学者だ。つまり未来とは何だろうという話になる。未来がどうなるのかの話ではなく。
 それを踏まえた上で、気の変わりやすい人とは、どの未来でも対応できる人かもしれない。または未来よりも、今の気分をどうにかしたいと、目先のことで動いている人。軸がなく、常にぶれている人。成り行き任せで進んでいる人。
 と、悪い面ばかりになるが、実はそうではなく、人の意識はその人でも実はよく分からないのだ。意識を整理しないで正直に実行している人かもしれない。
 また意識に上がらない直感的なもの、匂いのようなもので非論理的に動いているのだろう。
 気の変わりやすい人がいるのは、つぶさに感じているからだ。逆にいえば見せてしまっている。そこを隠すのが下手な人が、気の変わりやすい人となる。
 本当はころころと気が変わり、方針も変わっているのだが、表に出さないだけ。また、どうしても変わり具合が分かってしまうときは、上手くすり替えるのだろう。
 人というのは思っているほど安定していない。これは二本足で立っているため、立ちっぱなしより歩いている方が楽なはず。要するに常にフラフラしているので動くことでバラスを取っている。
 というレポートを竹田は提出した。まだ草案だ。
「また妙なことをひねくり回しているねえ、竹田君」
「草案ですから、思う付くまま」
「いいでしょ、続きを書きなさい」
「いいのすか、こんなので」
「まあね」
 この先生、今日はいいことでもあったのか、気分がいいようだ。
 
   了
 
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2017年02月13日

3170話 心涼やかな


 寒い中、竹中はいつものように自転車で喫茶店へ行く。中に入ると暖房がよく効いているので暖かく、そこでコーヒーを飲むとさらに暖かい。口の中も冷たくなっていたのだろう。熱いのが歯に染む。
 そこでほっとするのだが、最初からそんな寒い中を移動しなければ寒い思いをしなくてすむ。
 喫茶店に入っても特に用事はない。本を読む程度。その近くの小さな本屋があったのだが、消えている。読む本が切れれば、そこで買っていたのだが、最近は電子書籍で読んでいる。すぐに読みたい本が手に入るのだが、外ではネットに繋がらないので、これも自室にいる方が都合がいい。それに暖かい。
 その「敢えて」をなぜしているのだろうか。寒い場所から暖かい場所に入った方が、より暖かく感じられることもあるが、寒暖差がありすぎると、かえって体調に悪い。その証拠に外に出ただけで鼻水が出る。
 心温まる世界とは、心温まらない世界があるから心温かい。では心が寒くなる心寒い世界とは何だろう。これは心細いとはまた違う。普段から心温かいわけではなく、いつもは平温だろう。平熱だ。ほっこりとするのは平熱より少しだけ体温が上がったためだろうか。それは微熱ではないか。熱がある。しかしこの熱は苦しい熱でも、暑苦しい熱でもなく、ほどよい温度だ。
 竹中は暖かさを感じたいがため、寒い場所に出ているのかもしれない。しかし、この寒さは冬なら当たり前の温度だ。
 真夏も竹中はこの喫茶店まで用もないのに来ている。このときは外は暑い。中に入ると冷房で涼しい。これを心温まるとは言わない。心涼やかというべきかもしれない。
 心温まるがいいのか、心涼やかな方がいいのかは分からない。季節により求めているものが違う。
 この季節はそのまま人生の季節とも関係する。年齢だけではなく、置かれている時期にも。
 それで竹中は端末で電書を読んでいたのだが、それは時代劇小説で、その中に「心涼やか美剣士」が出てきた。目元涼やか、立ち振る舞いも涼やか。これも悪くない。「心温かげな美剣士」では弱そうだ。
 涼やかさには冷たいということも含まれる。暑苦しそうな人々がいる中なら、この涼やかさは貴重だろう。
 竹中はどちらがいいのかと考えているとき、暖房が効きすぎているのか、それとも着込みすぎているのか、暑くなってきた。こういうときは涼やかな風が吹いてくれると助かる。
 要するに勝手なものだというのが結論だ。
 
   了

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2017年02月12日

3169話 最高レベル


「あなたのレベルから一つか二つ落としたことをされる方がいいですよ。その方が簡単でしょ。それに無理をしなくてすみます。事柄だけではなく、物や道具類もそうです」
「仕事のレベルもですか」
「そうです」
「しかし一つ落とすも何も、これ以上落とせません」
「はあ?」
「一番下のレベルです。これ以下になると、もう仕事になりません。戦力になりませんから」
「あ、そう。困った人だ」
「困ったから来ているのです」
「その最低のレベルの下は本当にないのですかな」
「超初心者レベルならありますが、これはほとんど素人です」
「じゃ、素人レベルで結構です」
「いやいや、それでは仕事になりません」
「じゃ、どのレベルなら仕事になりますかな」
「私の場合、レベル一です。現場で活躍できるのはレベル五です」
「レベル一から二は無理なんですかな」
「いつもはレベル三のふりをして頑張っています。レベル二もきついです」
「ほう、それなのにレベル三がこなせていたのですかな」
「かなり頑張ればできますが、本当に必要なのはレベル五からなんです。レベル五で一人前の仕事ができます。同僚はレベル四から五が多いです」
「困りましたなあ。下へは行けない」
「はい、素人になりますから。戦力外です」
「困りましたなあ。私の論理が通じない」
「はあ、最初からレベル三ならいいのですがね。レベル二に落としても分かりませんが、本当はレベル5を要求されています。そうでないと足手まといですから」
「下へも行けない。上へも行けない」
「そうです。そんな切り替えるだけの余裕がありません」
「しかし」
「はい」
「レベル一のあなたが、よく勤まっていますねえ」
「はい、ぎりぎり三に見せかけています。二にまで落とせば少しは楽なのですが、実力は一です。一なら普通にできます」
「ということは」
「何でしょう」
「それだけ背伸びができるのは逆に言えばすごい話です」
「だから、それがきついので」
「そうでしょうなあ。きついでしょうなあ。辛いでしょうなあ」
「そうです」
「どうすればいいのでしょう」
「辞めるしかないでしょ」
「辞めないで続ける方法を聞きに来たのです」
「じゃ、いっそのこと最上位者のふりをしなさい」
「最上位はレベル十で、うちにはいません。六が最高です」
「じゃ、レベル十のふりをしなさい」
「それは……」
「誰もレベル十を知らないのですから、分かりませんよ」
「そういえばうちで一番高いレベルの大先輩はあまり仕事をしていません」
「そうでしょ。だからレベル十はのんびりできそうですよ」
「はい、やってみます」
 
   了


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2017年02月11日

3168話 彼を見た


「旧友を見たのですがね、まだ生きていた。それで確かめようと……」
「見られたのでしょ」
「見ましたが自転車で走っている後ろ姿です。彼は車道の左。私は車道の右。車道といっても狭い道でして、車も殆ど通っていません。だから、向こう岸がよく見えます。私を追い抜いて行きました。そのとき横顔を見れば確認が取れたのですがね。後ろ姿を見て、ああ彼だと分かったのです。背格好がそっくり、まあ、似たような人はいっぱいいますからね。それだけでは彼だと特定できない」
「ではどうして、その人だと分かったのですか」
「まずは背の高さ。彼は高い方です。そしてほっそりとしています。これだけじゃ気付きません。次は帽子です。これは丸い縁の円盤形。寒いのでニット帽が多いのに、耳が隠れない普通の帽子です。彼は真冬でもそれをかぶっています。そして耳が大きい。その耳の形、頭の形が彼に似ています。それだけじゃない。着ているものです。安っぽい防寒ジャケット、これは丈が長めのセミコートのような。これも彼はよく着ていた。色も茶色。彼の色です。ズボンはハトロン紙色で、少し薄い。これもよく見ました。そして靴。これは運動靴ではなく、カジュアルな革靴です。さらに決め手は鞄です。茶色の中ぐらいの大きさの横タイプのショルダーバッグ。彼は鞄をよく代えますが、このタイプが多い。リュックとかじゃなく、ポケットの多いダブッとした布の鞄です。なぜならカメラを入れているので、その方が取り出しやすい。さらに自転車の前籠はありますが、後ろ籠がない。これも彼のスタイルです。まあ、前籠は最初から付いていますから、外す必要もないのでしょう。しかし、鞄を前籠に入れないで肩からぶら下げたまま走っています。彼のスタイルです」
「ほう」
「そして前籠を見ると、レジ袋。何か買って戻るところなのか、これから行くところなのかは分かりません。ここが謎でした」
「謎」
「彼の家はもう通過しているのです。だから出掛けるにしても、その方角が謎です。家に戻るのではなく、出掛けるところにしてはレジ袋が解せません。誰かを訪問するのでしょうか」
「知りません」
「彼は入退院を繰り返しています。だから見かけないときがありまして、これは入院中でしょう。最近見かけないので、入院中か、もしかして……と思ったのですが、きっと退院したのでしょうねえ。しかし、何処へ行くのでしょう。それよりも……」
「何でしょう」
「生きているのでしょうか」
「え」
「それが心配になり、急いで向こう岸の歩道側へ移動し、あとを付けました。少し距離が開いてしまいましたが、それほど早くないようなので、すぐに追い付くはず。ちょうど信号がありましてね。そこで信号待ちをしているとき、顔を見よと思いました。信号は青です。しかし、そこへ来た頃には赤になっているはずです。ところが彼はスピードを上げて青のうちに渡ろうとしています。そのスピードがかなり早いので、私は引き離されましたよ。そして彼の前方から人が歩いて来ました。その人はさっと脇に身を寄せ、彼も横に上手く避けました。そして一気に渡りました。これで追跡は失敗です。私が信号待ちをしている間に、彼の姿は遙か彼方です」
「じゃあ、その人だと最後まで確認できなかったわけですね」
「それ以前に、彼は物理的な存在だと確認できました。信号が赤だと、突っ込めば車とぶつかります。また人も上手く避けた。彼が物体だからです。幽霊じゃない。そして、私の錯覚ではない。現実の物理学のルール内です」
「それで終わりですか」
「信号の向こうは見晴らしの良い場所でして。彼は信号を渡り、次の角で左側の川沿いの道を走っていました。建物が邪魔をして、川沿いの道をかなり塞いでいますが、その隙間を行く彼の姿がありました。横顔が見られるはずなのですが、遠いので無理です。私は彼が何処へ向かうのか、それがまだ気になり、青になってから急いで渡り、彼が曲がった道まで出ましたが、川が流れているだけで、彼はもう流れから消えていました」
「はい」
「その川の先に大きな総合病院があります。他にこれといった建物はありません。また、彼にはその方面での知り合いはいないはずです」
「要するに似たような人が買い物をして、家に戻るところだったのでしょ」
「はあ」
「そちらの方が辻褄が合いますよ。川沿いの道で消えたのは、家に入ったのでしょ」
「はあ」
「何か他に?」
「私だけが見える幽霊ではなく、誰にでも見える幽霊だったりして」
「そちらの方が説明がうんとうんと難しくなります」
「そ、そうですねえ」
「まあ、心配なら彼の家を訪ねたらいいのですよ」
「そうですねえ」
 
   了


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2017年02月10日

3167話 遠くへ行きたくない


「遠くへ行きたくないですなあ」
「遠出が苦しいとか」
「それもありますがね。近場だとすぐに戻れる。最近は半日以内で往復できる場所でも遠く感じますよ。まあ、一時間半ほどで行けるところが限界です。できれば一時間。電車に乗ってですよ。歩いたとしても小一時間程度。自転車でも一時間半までなら行けます」
「しかし、自転車で一時間半なら、かなり遠くまで行くことになりますよ」
「そうですねえ。市内から出てしまいますねえ。一つの市の面積なら一時間半もあれば横断できますよ。まあ、横切る場所にもよりますがね」
「でもそれでも遠くまで行っているじゃないですか。電車で一時間でも遠いですよ」
「そうですなあ。市じゃなく県を越えますなあ」
「遠くとはどの辺りですか」
「まあ、日帰りじゃ無理な距離です。これは飛行機に乗れば日帰りできるかもしれませんがね」
「距離の問題じゃないのでしょ」
「え」
「ですから、外出するのが大層になったとか」
「それはありますなあ。昔は遠くへ行きたかった。遠ければ遠いほどいい。景色が違ってきますからね。見るもの全てが珍しいというわけじゃないですが、初めての土地が多いわけですから、それだけでも遠くへ来た意味があります。まあ、近場でも行ったことのない町も多いですが、これはまあ、似たようなものですよ。もっと離れないと」
「じゃ、もう見るべきものは見てしまわれたのでは」
「それもありますが、遠くへ行くのも飽きてきた。それほど始終遠くへ行ってたわけじゃないですよ。旅行なんてたまだし。さらに遠いところへ行けばいいのでしょうが、もうそういう気がなくなっていますよ」
「はい」
「それに若い頃ほどの元気はないので、移動だけでも疲れます。持病もありまして、それが出たときが怖い。近くだと、すぐに戻れますからね」
「要するに気力と体力の問題ですか」
「意識の問題もありますよ」
「意識?」
「意識がもう遠くを望んでいないのでしょうなあ」
「意識が遠のくとか」
「それは気を失いかけているのですよ」
「はいはい」
「そうではなく、遠くの世界です」
「はあ?」
「まあ、自分とかけ離れた世界ですな」
「何でしょう」
「世界が遠いのです」
「はい?」
「自分の世界じゃない」
「何でしょう」
「できるだけ自分から離れた世界は私にとって遠い世界ですよ。分かりやすくいえば、自分らしい世界ほど近い世界です」
「余計に分かりません」
「その遠くに、自分の行くべき場所があり、自分らしいふるさとがあると思っていたのです。若い頃はね」
「何か、詩のようですねえ」
「死じゃないですが、似たようなものでしょ。行き着くところです」
「はい」
「自分の世界といいますか、自分にとっての理想郷のようなものですね。それは常に遠くにあった。そこへ行こうとしていたのですが、これがまた遠い。行っても行っても近付けない。だから、それはもう自分らしい目標ではなかったのでしょうなあ」
「何を差しているのか、混乱してきました」
「遠くへ行きたくないというのは距離じゃない。そして自分探しでもない」
「じゃ、何ですか」
「年ですよ」
「ああ、それは分かりやすいです」
「年を取ると遠くへ行きたくない。それだけの話です」
「最初から、そう言ってくださいよ」
「遠回りしてみました」
 
   了

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2017年02月09日

3166話 さぬきの森戦記


 さぬきの森は自然が豊かで、色々なものが棲息している。季候もいいし、雨もそこそこ降る。さぬきの森の戦いというのがあり、それはこの森を侵しに来た人々との戦いだ。値打ちのあるような鉱物が出るわけではないが、山々に囲まれてはいるが結構広い。ただ、田畑はなく、人も住んでいない。しかし、何かが棲息している。
 そのため森、これは山に近いのだが、そこを侵す者が昔からかなりいる。別に立ち入っても何も起こらないが、森を傷つけると祟りのようなものを受ける。そのため周辺の村落の人達はここでは狩りもしないし、木も切らない。一種の聖域として扱っているのだが、特別な神がいるわけではない。
 しかし、さぬきの森は戦いが多い。里人から見ると森を守るための戦いに見えるのだが、違う見方をする人もいる。村の神社の巫女で、もうお婆さんだが、この人が独自の見解を持っている。
 古い戦いでは、この地方の土豪が森に攻め入った。攻めるも何も、人などいないのだから、無人の森。そして大した資源もないし、奥まった場所にあるため、領地としてのメリットも少ない。
 この戦いの起こりは、その土豪の兵が偵察で森を抜けようとしていたときだ。森を抜けると、隣国の裏側に出る。つまり、裏から攻め入るため、ここに出城を築こうとした。そのとき、訳の分からないものに兵達は襲われた。
 これが戦いの発端で、土豪とはいえ、かなりの兵を持っており、森を攻めた。このときは互角の戦い。相手は人ではない。化け物だ。しかし、それほど強いわけではなく、特殊な攻撃をするわけでもない。
 その戦いは長期に及び。流石にその頃は、その土豪の勢力も衰退していたので、戦いは終わった。
 次の戦いも似たようなものだ。
 里の人達は森の者達が森を守るための戦いだと言っているが、老婆の巫女は違う意見。結構誘い込んでいるらしい。つまり、ただ通過しているだけの人には別に何もしていない。
 歩いているだけ。木の枝などを払いながら進む程度。実っている果実などを食べる程度。森に対して、もの凄いことをしていないためだろう。逆に通り行く兵に先に手を出すのは、この森の棲息者で、襲ってくる。しかもそれほど強くはないので、押し返すことができる。怖くて逃げ出すほどのことでもない。
 つまり引き金はさぬきの森側からで、巫女によれは好戦的な連中らしい。実は戦いが好きなのだ。だから、戦士が入ってくれば大喜び。
 里人はさぬきの森には神々に近いものが住んでいると信じているので、迂闊に近付かない。
 ある時期、周辺の村々が大きな勢力から攻撃を受けた。それら村々の寄親のような領主に力はなく、村人だけで戦わなくてはならない。村人達はさぬきの森に救援を求めた。しかし、相手は人ではない。コミュニケーションが取れないし、それ以前にコンタクトできない。
 例の老婆の巫女の先代に当たる巫女が、その役を引き受けたのだが、森の隅々まで探しても、何者とも遭遇しなかった。
 そして、村々は大きな勢力に一気に占領されたのだが、領主が変わっただけの話。そして勢いに乗った新領主は、大勢でさぬきの森を攻めた。化け物がいるという噂を聞いたからだ。
 このときの戦いは長期に及び、新領主も流石に疲れ果てたようで、撤退した。
 要するに、この化け物達は森で戦うのが好きなのだ。
 これはさぬきの森の昔話で、全て作り話だろう。その証拠に、今もさぬきの森はあるが、里からも近い国有林のため、当然植林され、昔のままの手付かずの森ではなくなっている。
 
   了



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