2017年03月31日

3215話 失楽園


 何か一つか二つ好きなことがあると、楽しみが増える。しかし、好きなものだけに、苦痛も多い。味合わなくてもいいような不快感。これは好きなものだけに、好みではないものを手に入れたとき、言いようのない不満足感を覚える。
 快と不快は裏表で、コロリと快が不快に転んだりする。当然その逆もある。しかし、好きなものがあるのとないのとでは違ってくる。
 要するにやることがあるのとないのとの違い程度だが、これは好きでやりたいと思えるものがある方が好ましい程度。それは趣味でもいいし、道楽でもいいし、また実用性のある用事でもいい。ただ、好きか嫌いかがはっきりしないが、何となくやっていることもある。これもしなくてもかまわないことなら、趣味の領域だろう。
 つまり、趣味がある方が楽しいということだが、どこからが趣味なのかは分かりにくい。
「趣味を仕事にですか?」
「そうです。楽しいことを仕事にしたいのです」
「それはやめた方がよろしいですよ、仕事になると楽しくなくなるとよく言うでしょ」
「知ってます」
「だから、せっかく楽しいことなのに、楽しくないものになりますよ」
「でも、そのことは楽しいはずです」
「遊んで暮らしているのにお金になる。そういうことですか」
「それは贅沢すぎますし、そんな条件はないでしょ。さすがにそこまで欲張っていません」
「楽を得るには苦も背負わなければいけません」
「楽だけ背負いたいのですが」
「虫のいい」
「そういう虫のいい話はありませんか」
「瞬間的にはあるでしょ。しかし、長くは続かない。やはり人は地道に暮らすのが一番です」
「その地道が辛くて辛くて」
「楽しいことなど一瞬だと言いますよ。しかし、その一瞬があるから満足できるのです。毎日満足などしていては、満足にも飽きますよ」
「だめなようですねえ」
「好きなことがあるのなら、仕事とは別に、それをやることです。これは楽園でしょ」
「そうです。でも仕事がきつくて、その楽園で遊ぶ暇がありません。また、その楽園からも少しは収穫があります。それで食べていけないものかと」
「それを職にすると失楽園になります」
「じゃ、苦海を泳げと」
「この世はすべて苦海です」
「しかし、楽しいこともあるじゃないですか。全部じゃないですよ」
「まあ、そうなんですが、すべてが苦海だと思えば、諦めもつくでしょ」
「はい」
「楽しいこともやがて苦海になります」
「しかし、楽しめるときは楽しまないと」
「それも、まあ、そうなのですがね。それは特別な日に限ります。毎日が祭りではだめです。普段は地味に暮らすのが一番。すると楽しいことがポツンポツンと来ます」
「何処から」
「苦海からです」
「ほう」
「地道に畑を耕し続ければ、やがて実るでしょ」
「それは分かっているのですがね」
「それを煩悩と言います」
「しかし、楽しいことも苦海に繋がるのだとしますと、楽しいことは苦行に近いのじゃありませんか」
「え」
「楽しいことは実は苦海で、地味なことなのです」
「ほう」
「だから、楽しいことをやっていると言うことは苦行をしているようなものです。苦しんでいるようなものです。これで、行けませんか」
「何処へ」
「いや、ですから、楽しいことは苦だと思えばいいのです」
「少し時間を」
「好きなことをしているときは、苦しいことをしているのと同等なのです。地味なことをコツコツとやっているようなものなのです」
「それは一寸」
「これで行きます」
「何処へ」
「楽園ではなく、失楽園へ」
「あ、そう」
 
   了

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2017年03月30日

3214話 引っ張る男


 矢島は溜まっていた用事を終えたのでホッとしていた。一段落も二段落も済み、もう忙しい思いをしなくてもいい。しかしその間も、好きなことはやっていた。用事の合間だが、その合間が長いどころか、本当の用事はさっと済ませていたので、時間的には好きなことをしていた方が長かった。
 その用事は複数あるのだが、さっとやれば、さっと終わるようなことだったが、それなりに時間はかかる。そこ間が嫌だったので、分散させていた。その為、長い期間に渡り、嫌なことをし続けることになる。一週間で済むことを二ヶ月もかけた。
 嫌なことを一日中やるのが嫌だったのだろうが、逆に嫌なことを引っ張り続けたことになる。これは好きなことを分散させるのとは逆。
 そのため、好きなことをやっていても、それほど楽しめなかった。しかし嫌なことを分散させたので、ものすごく嫌な目には合わなかった。反面、手放しで好きなことを楽しめなかったが。
「どちらがいい」
「何が」
「分散させるか一気にやるか」
「さあ」
「分からない?」
「そんなこと考えたこと、ないから」
「あ、そう」
「それが何か?」
「いや、いい。思い当たらないのなら」
「時間の使い方の話かな」
「ああ、そのカテゴリーだ」
「時間というより、スケジュールの立て方かな」
「嫌なことを分散させることで軽くなる」
「でも、嫌な期間が長くなるでしょ」
「それそれ、さっきからそのことを言ってるんだ」
「僕なら嫌なことは一気にやってしまうけど」
「それは一般的すぎて、当たり前すぎる」
「そうなの」
「それでは嫌なことの緩和にはならない」
「緩和?」
「嫌なことは可能な限りしたくない。そしてどうしてもやらないといけないときは、軽減策を考える。その一つが分散化だ」
「他には? 残りの三つか四つは」
「それはまだ発見していない。君に何か良案があるかもしれないと思い、聞いてみたんだ」
「そんなのないよ。やるだけのことだよ」
「あっそう」
 矢島はやっと嫌な用事から解放されたのだが、数日も立たないうちに次の嫌な用事が入ってきた。だから安心して好きなことができたのは僅かな間だった。引っ張りすぎたのだ。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 10:47| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

3213話 東屋


 曇ってきたのか下川原は体調が悪くなった。気象の変化に敏感なようだ。他に気にすることがないのかもしれない。ぽつりぽつりと雨が降り出しているが、傘を差すまでもない。それよりも傘など持って来なかった。ちょと気晴らしで外に出たのだが、雨では気も晴れない。
 まずは元気が失せてきた。低気圧に弱いようだ。それと注意力が散漫になり出し、これでは外に出たかいがないので、戻ろうとした。だが、その先の休憩所の方が近いし、東屋があり、そこで雨は凌げる。いつもなら、その東屋が左に見えてきた辺りで目的地の半分ほど。目的地は商店街で、そこをぶらつくのが趣味。高いので、買い物はしない。
 東屋は公園の中にあるが、長細い。道沿いの余地のような。
 子供の遊技器などはなく、花壇と東屋があるだけ。どこが管理している公園なのかは分からないが、町内の自治体によくある児童公園ではない。下川原は初めてそこに入ることにしたが、入り口が遠いので、柵をまたいだ。
 この東屋は通るたびに見ているのだが、人が座っている姿を見た覚えがない。それ以前に公園に人がいた記憶がない。
 ポタリポタリの雨が強くなってきており、傘が必要。丁度のタイミングで東屋で座れたようなものだ。屋根が意外と深いためか、腰をかける場所まで吹き込まない。風があり、横殴りの雨なら別だろうが。
 下川原は煙草を吸いながら、いつも通る道を見ている。歩道の街路樹は桜。蕾がそろそろ膨らみ出している。
 そこを右から歩いて来る人がいる。見覚えはあるが、知人ではない。同じ時間帯にこの道を通る人で、後になったり先になったりする。今日は下川原の方が早かったようだ。
 下川原より少し老けた男で、急ぎ足。彼も傘を持って来なかったのだろう。行き先は商店街だと分かっているが、そこから先、何処へ毎日のように立ち寄るのかまでは知らない。商店街でたまにすれ違うこともある。
 男は下川原を見たのか、東屋を見たのか、近付いて来た。状況から察して雨宿りだろう。しかし俄雨ではなく、本降りになる雨のはず。天気予報で低気圧の接近を言っていたが、早くなったようだ。だから、こんなところで雨宿りなどせず、商店街に入った方がいいはず。
 東屋の椅子は四方を向いている。だから四つのベンチが四方にある。男はその一面に腰を下ろした。商店街を向いているベンチだ。
 お互い一寸首を曲げないと見えない角度。そして、そのまま二人とも雨を見ている。
 男はすぐに立ち上がり、傘を差し、商店街の方へ向かった。傘を持っているのだ。鞄の中に入っていたのだろうか。
 それなら降り出したとき、その場で出せばいいのだが、折りたたみ傘を鞄の中に入れていることを忘れていたのだろうか。
 東屋で休憩するにしても、短すぎる。さっき座ったばかり。角度的に見えなかったが、鞄の中を探していたのかもしれない。何かの下敷きになり、折りたたみ傘が見付けにくかったとかも考えられる。または本当に休憩だったのかも。
 しかし、その男がここで休憩している姿を見たことがない。たまに前を行く姿を、この東屋付近で見るが、そのまま商店街へ向かっている。
 春雨じゃ、濡れて行こう。ではないが、それほど雨脚は強くならないシトシト降り。十分休憩したので、下川原は戻ることにした。商店街散歩をする元気は、この雨でなくなっているので、真っ直ぐ家まで早足で歩いた。
 その途中、またあの男について考えてみた。下川原がいたので、東屋へ立ち寄ったのではないかと。
 
   了

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2017年03月28日

3212話 春うらら


 春うららで、頭もうららになりそうな高田だが、最近用事が多く、のんびりとしてられない。去年の今頃を思い出すと、頭はうららだった。その前の年も似たようなもので、うららかな日々を春だけではなく年中過ごしていたように思う。
 忙しくなったのはうららかすぎるためだろうか。やるべき用事を溜め込んでしまったわけではなく、酔生夢死状態から妙な世界に入ることができたため。そこへ行きだしてから用事が増えた。当然それは現実のリアルな場所ではない。ここと重なるようにしてある町だ。また町の規模は分からないが、木造の家が地平線の彼方まで見えている。山もなく、瓦屋根が続いているだけ。その二階屋から下を見ても、限りなく家々が続いている。こんな広い場所は江戸の町でも京の都でもないだろう。山が見えないのだから。
 それらの家々はほぼ無人。誰も住んでいないが、廃屋ではない。偶然家の者が出掛けて留守程度。
 これだけ家があるのだから、人がいるはずだと思い高田は一軒一軒見て回った。その中に一軒の庭先に人がいた。高田より年寄りだが、服装は少しだけ違う。何十年か前に流行ったようデザインだが、今もそれを着ている人が多い。デザインの基本は何十年前とはあまり変わらないのだろう。定番の服かもしれない。これが時代劇に出てくるような着物なら、少し引いてしまうが、それほど遠くはなさそうだ。
 高田が忙しくなったのは、その老人から用事を頼まれるため。珍しい上着や、軽い靴などが欲しいとか。
 この町に服屋はないのかと聞くと、あるにはあるが、古着屋だという。他に店屋とか住んでいる人はいないのかと重ねると、いたりいなかったりするらしい。そして殆どの家々には人が住んでいるが、高田が見た限り、いなかったので、それも重ねて聞くと、そういうものだという返事。説明にも何もなっていない。
 高田は来た方角へ歩いて行くと、自然に元の世界に戻れる。戻ったときも歩いており、それは近所の道だったり、少し離れた商店街の外れただったり、公園の横の道だったりする。
 用事は、あの老人からの頼み事だけではなく、その他の人々からも色々と依頼される。どこそこの町のどこそこの家の人達は今どうなっているのか、見て来て欲しいとか。
 これはきっと高田の頭がうららかになりすぎて、そういう世界に行けるようになったのだろう。
 だから、最近の高田は忙しい。
 
   了


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2017年03月27日

3211話 街道をゆく


 市街地の中を斜めに走っている細い道がある。大きな道路と交差するとところは尖った三角になっていたりする。古い道に多いのだが、由緒正しい街道だったりする。ただ、その街道はもう使われておらず、ただの便利な裏道としての機能しかない。街道時代の建物などは既にない。
 そこに道標があり、街道名が書かれているが、馴染みのない地名。この時代になってからはそこへ行く人など滅多にいないのだろう。その地名が街道名になっている。その街道の終点、行き先だ。当然そこからもまた街道が出ているのだろうが。
 その街道名になった場所に神社がある。地名にもなっているが、そんな大きな町ではない。
 黒田がその小さな道標を見て、そこへ行ってみたいと思い、街道に沿って進むが、すぐに途切れてしまった。もうズタズタに切れている。工場の敷地になっていたりするのだが、そこを飛び越えれば、まだ続いているはず。しかし、回り込むのが面倒なので、そこで探索を止めた。
 そして、また次の日、暇に任せて道標のあるところに来た。道標なので交差点。つまり、迷わないように標されているのだろう。真っ直ぐ行けばその神社のある町。左右を走っているのは別の街道らしいが、その行き先は全く分からない地名。もう消えた地名だ。
「あなたも、こういうのがお好きですか」
 いきなり真っ白な髭だが髪の毛が一本もない長身の老人が杖を手に立っている。持ち手の上に曲がった瘤が付いており、足が悪いからついている杖ではなさそうだ。その瘤が凶器になりそうで、致命傷を与える鈍器。
「昼間はいいが夜になると、ここを通る人がいる」
「はい」
「しかし、昼間でも実は通っているのですよ」
「な、何が」
「田代神社へ行く人達です」
「しかし、途切れていますよ。この道」
「工場が二つと、後は何かの施設がありますねえ。その中をこの道は貫通しています。だから、工場内で、それらの人達が通っているのを見た人もいるらしい。夜間なら見えやすいのでしょうねえ。昼間でもかすかに私は見えるのですが、これは調子のいいときです」
「その人達とは?」
「参拝客ですよ。今はそれほどでもありませんが、昔は参拝客が多かった。今は田代町という村程度の町ですが、昔は賑やかな町だったようですよ」
「伊勢参りや、善光寺参りのようにですか」
「規模は小さいが、この辺りでは人気があったらしいのです。だから、そのための道なのです」
「しかし、今も参られている人がいるというのは」
「さあ、何でしょうねえ。その正体は分かりませんが、往時の賑わいがまだ残滓のように残っているのかもしれません」
「残滓」
「まあ、残り香のようなものでしょ。だから薄い」
「今も見えますか」
「こう明るいと見えません」
「ありがとうございました」
「いえいえ」
 老人は立ち去った。
 そんなものなど見えるはずがないと、すぐに黒田は否定したのだが、立ち去った老人の後ろ姿がない。横に曲がったのだろう。
 それからしばらくして、今度は夜に来てみたのだが、そのようなものは何も見えなかった。
 あの瘤付きの杖を持った老人はこの時代の人だろうか。しかし、工場のことを言っていたので、街道全盛時代の人ではなさそうだ。
 その数日後、下田は電車とバスを乗り継いで、田代神社へ行ってみた。結構大きな敷地の神社で、広々としている。ただの村の氏神様ではない。敷地は広いが静まりかえっている。その周囲は宅地が押し寄せている。
 結構古い神社なのだが、全国区にはならなかったようだ。
 
   了


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2017年03月26日

3210話 物の怪の基本


「人形の話ですが」
「人形」
「はい」
 妖怪博士付きの編集者が、魂の入った人形について話し出した。職人が魂を込めて作った人形ではなく、機械的に型抜きされた人形だ。その髪の毛が伸びたり、見る日により、表情が違っていたりするらしい。ときには置いた場所とは違う場所にあったりとか。
 妖怪博士はその例はよく知っているので、適当に答えておいた。
「よくある話なのですか」
「そうじゃ」
「移動するのですよ」
「置き忘れたのだろう」
「表情が変わるとか」
「光線具合だろ」
「髪の毛が伸びるとか」
「たとえば、ショートカットの髪が腰まで伸びたかね。伸びるのなら、そこまで伸びるはず」
「はい。じゃ、人形に何かの魂が入るとか、何かが乗り移っているとか、またはその人形自身の魂が」
「人形に限らず万物にはそういうことが起こっているように思える。あらゆるものにな。石でも茶碗でも、畳でも。襖でも」
「はあ、それは」
「特に人形に注目しておるだけで、他のものも、その気になってみると、似たようなもの」
「それは何でしょう」
「神は万物に宿る」
「それは神でしょ」
「それを妖怪とか、何かの魂とか、それと置き換えればよろしい」
「しかし、鉛筆にも宿りますかね」
「形あるものには宿りやすく、見えやすい」
「じゃ、鉛筆がどのような変化を」
「ある鉛筆だけを使っていて、以前の鉛筆を放置していたとしよう」
「はい」
「たまにその鉛筆を持ったとき、少し妙な気がする。久しぶりなので、そんなものだが。その鉛筆で絵を書くと、何かが乗り移ったかのように、スラスラと書ける」
「それは」
「その鉛筆に何か入っておるように感じるのじゃ」
「あらゆるものにですか」
「そうじゃな。ただし」
「ただし、何ですか」
「人がいないと成立せん」
「人」
「人と、それとの関係で現れるからじゃ」
「はあ」
「だから、鉛筆だけが野原に落ちていても、怪は起こらない。それを誰かが見付けたときに起こる」
「じゃ、怪は人が起こしていると」
「そうじゃな。人形の髪の毛は本当に伸びたのかもしれない。しかし、観察者がいての話だ」
「それ、基本ですねえ」
「何の」
「物の怪の」
「そうじゃな、妖怪発生の基本」
「じゃ、もの凄く基本的な話なのですね」
「だから、人形にだけに注目せず、他のものでも、そんなことが起こっておるから、注意深く見ることじゃ。特にずっと使ってきた道具類や、衣服もそうじゃな。家具もそうじゃ。その物はその物単体で存在しているわけではない」
「観察者が関与していると」
「だから、同じ人形でも、どの人形もこの世に二つとない。人形と、その持ち主などとの関係で成立する世界があるのじゃ」
「はい」
「また、それを場所まで広げることができるが、今日はここまでじゃ」
「今日は博士らしかったです」
「そ、そうか」
 
   了


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2017年03月25日

3209話 犬吠


 その神社は安産の神様で、これは民間信仰のようなもので、ただの石像だった。子安地蔵のようなものだが、もっと昔からあり、その系譜なのだが、ものは古い。太古からあったのかどうかは分からないが、人にとっては必要なものだろう。
 その石像は人ではない。何かの動物の顔だが、身体は人。何の動物か分からなかったが、ある頃から犬ではないかという人が出てきた。犬のお産が軽いためだが、そんな話が出てきた頃だろう。狐かもしれないし、狼かもしれないし、狸かもしれない。イタチかもしれないが、犬とした。
 その神社は一般の神社ではないので、その系列には入っていないが、鳥居などを立て、掘っ立て小屋のようなところに石像を置いた。
 さらに掘っ立て小屋の四方を完全に囲み、屋根を乗せて祠としたが、そのあと、もう一回り大きな神殿のようなものを建てた。お宮さんだ。人が入れるほどの。だから、普通の神社に近付いた。
 しかし、氏子のような人は一時いた程度で、その負担が大変なのか、あまり弄らなくなった。そのため、放置されたお宮さんになり、やがて、この地を襲った地震で倒壊し、今はあとかたもないのだが、場所は分かっている。村が住宅地となり、そこに家が建った。
 宅地にするとき、もう石像も行方不明で、安産の守り神だったことも忘れられてしまった。しかし、昔からここに住む旧家はそれを知っている。そんなことが遠い時代にあったことを。
 ある旧家が、その石像を画いた絵を持っていた。倉の奥に眠っていたのだが、家の者でも存在が分からなかったのだが、たまたま怪しいことに興味のある女性が、この家に来た。息子の結婚相手だ。
 この女性が、こういうことが好きなようで、倉の中からそれを発見した。他にも色々と興味深いものもあったが、石像の絵が一番インパクトがあったようだ。それは化け物だったため。
 画かれた当時は犬だろうと言われていたので、犬に似せて画かれてあるが、完全には犬ではない。それなりに忠実に書かれている。
「あなた、これ悪魔よ」
「え」
「お父さんに訊いてみて」
 息子は父親に訊くが、興味がないらしいが、祖父は少しは興味があったようだ。
「これが正体だったか」
「心当たりがあるのですね。お爺さん」
「ああ、余所者のあなたに聞かせたくはないが、当家の一員になったのだから、この土地の話を知るのも悪くはない」
「はい、お爺さん」
「わしが聞いた話では安産の神様だったが、お宮は地震で壊れ、再建しようとしたが、時代が悪くてなあ。そんな金が村の誰にもなかったのじゃ。それに若い者は戦に駆り出されておらん。その時代だからこそ子が多く欲しかったので、安産の神様が必要なのにな」
「はい」
「唐突だが、犬吠えの正体は、これだったんだ」
「犬の遠吠えですか」
「まあ、それに近いが、ここらは犬吠えが聞こえる場所でな。それを犬と言っているが、何かのケダモノだろう」
「悪魔ですね」
「ほう、それに近い。そこの三丁目にある家、あの下に神社があった。建売住宅だが、すぐに売り払っているだろ」
「そうなんですか」
「あの下にいるんだ」
「悪魔がですね」
「おそらく石像がそこに埋まっておるんだ」
「それで犬吠え」
「唸り声だ」
「悪魔のですね」
「さあ、何かは知らぬが魔物だろう」
「はい」
「昔の人はそれを知っていて、祭ったのじゃ。神社でもないのに、神社のようなものを建ててな」
「じゃ、何とかしないと」
「まあ、犬吠え程度なら、いいだろう」
「でも、人が居着かない家になっているのでしょ」
「だから、その程度で済んでおるのなら、弄らん方がいい」
「私にできることはありませんか」
「家のことを、もう少しやってもらえんかな」
「はい、お爺ちゃん」
 
   了


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2017年03月24日

3208話 寒桜


 寒桜が咲く頃、上田は春を感じる。寒桜は名の通り、まだ寒い頃に咲く。早咲きの桜なのだが、それよりもまだ早い時期に咲く桜もある。これは咲いていても桜だとは気付かないだろう。その頃は梅も咲いているので、見間違えたりする。一本だけだと白っぽい梅と混ざってしまう。
 上田が寒桜を知ったのはこの春先から。それまでもその木や花は見ていたのだが梅桜だと勝手に名前を付けていた。上田だけに分かる呼び方だ。梅のような桜という意味。しかし、どちらかといえば桜に近い。しかし桜だとは断定しにくい。それはまだ寒いため。だから梅なら納得がいくが、花びらや幹の形が違うし、それに大きい。そのため桜のような梅、梅のような桜に見えるので梅桜。
 梅では上田はまだ春を感じない。目は感じても体が拒否する。寒いからだ。しかし、そろそろ梅も終わり、ほんの少し暖かくなってきた頃、この梅桜こと寒桜が咲く。春先だと受け入れてもいい時期だ。
 そして寒桜という名を知ったのは何でもないことだ。単に幹を見ただけ。そこに書かれていた。これはいつできたのかは分からない。ずっとその名札はあったのかもしれない。上田が見ていないだけで。
 その理由は、普段からそんな木は視界に入っていてもしっかりとは見ていない。木がある程度。花が咲いてやっと注目する。いつもと違う変化があるからだ。人は変化したものだけを見ているのかもしれない。
 ただ、見ているときでも花を見ており、根本近くの幹など見ていない。名札、これは花札だろうか。それはそこにあったのだ。
 そして寒桜という文字を見てやっと納得できた。寒くても咲いている桜だと。
 これを知ってからは安心して春を感じることができるようになった。普通のソメイヨシノが咲く頃は、もう初春がだれきっているので、春が来たという意識は落ちるようだ。
 
   了


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2017年03月23日

3207話 世界最速


 世の中には便利なものがある。既にその時代の便利なものを使っているのだが、より便利なものがある。ものによっては別物ほどの違いがあり、これは違いのレベルを超えているかもしれない。そのため、比べられない。だから比べてはいけない。
 また、より便利なものは、見なければ、知らなければ問題はない。この世には存在しないのに等しいため。知ると手に入れたくなるだろう。自分のものにしたいと。
 より良いものを手に入れても、さらにより良いものが現れると、また欲しくなり、これは際限がない。
 それが道具類のような単純なものなら、かなり昔のものでもあまり変化はない。
「また新製品に手を出しますか」
「凄いのが出ました」
「その差は」
「約半割」
「五パーセントですか。たったの」
「その差は大きい」
「そうなんですか」
「そうなのです川北さん。これは世界最速です」
「でも、ほとんど差はないでしょう」
「そうなのですが、僕のはそれより遅い」
「でも問題のないレベルでしょ」
「そうなんですが川北さん、これはイメージの問題です。この新製品が出たので、僕のはその次に速いに落ちました。それにもう世界最速を持っているとは言えなくなりました。これが痛い」
「実際には違いはないのでしょ」
「ありません。そのスピードに僕の頭や体がついて行けないほどですから」
「つまり、ものすごい最高速が出せる車でも、そんなスピードを出す機会がないのと同じですか」
「それは違います。加速で差が出ますから普通に走っているときでも役立ちます」
「まあ、そうなんでしょうがね」
「そうなんです川北さん」
「じゃ、それを手に入れられては」
「この前、やっと世界最速に買い替えたばかりなので貯金を使い果たしました」
「私などはあなたの持っておられるものの何十年も前のを使っているのですよ。それこそ世界何万位以下でしょう。もう売っていませんし」
「しかし川北さんの仕事は僕よりも速い。どういうことですか」
「道具より、腕を磨いたからです」
「勉強になりました」
「あなた、勉強ばかりしてますねえ」
「あ、はい」
 
   了


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2017年03月22日

3206話 無駄な領域


 古い慣わしがなくなりスッキリとしたのだが、高田はどうも物足りない。いつもならもっと時間がかかるはずで、その時間を過ごすのが面倒だったのだが、最近はそうとも言えないと思うようになった。
 意味のない、もったいぶった時間や手間にも意味があることに気付いた。これは勝手なもので、ないものねだりの物足りなさかもしれないが、その無駄が妙に懐かしい。昔は良かったという話ではなく、無駄が良かったのだ。
 無駄なスペース。無意味なもの、ただの飾りや装飾。それらのものは無意味なものではなく、深い意味があるのだが、機能性がなかったりする。それらのものがなくてもやっていけるためだ。
 これは機能美とは違う。機能していないのだから、ただの美。だから美だけがそこにある。アートがなくても実用上困るようなことはない。
 しかし、あったほうが雰囲気が出る。またアートには指し示している方向性がある。サインやシンボルだ。だから目印になる。そこはどんなシーンなのかの概略のような。
 高田が物足りなさを感じるのはそこだが、それとは別に無駄な動きがしにくくなるのが気に入らない。早くて適確なのはいいのだが、もう少し曖昧なスペースがあってもいい。テンポが早いと忙しい。じっくりと噛みしめながら進むわけにはいかない。さっさと進めばいいのだが、それでは味気ない。噛むことで味が出る。
「ほう、高田さんも無用の用に目覚めましたか」
「はい、無用ノ助です」
「無用の助けですな」
「そうです」
「無駄にも効用があると」
「無駄話がそうです」
「無駄なのに」
「いえ、無駄話をしているときに、相手のことが何となく分かります。どういう勢いの人とか、どんな進め方をする人とか」
「では、無駄は」
「無駄なことなど、世の中にはないとか言いますが、これはまだ断定し切れません」
「断定」
「その効果が本当に出ているのかどうかを確認していないからです。無駄だと思いたくないだけかもしれませんし」
「しかし、無駄なことがあるから、その後が違ってくるはずですよ」
「たとえば?」
「無駄働きをしたとき、それは一文の得にもなりませんし、また無駄な動きなので、時間も頭も体力も無駄遣いしたことになりますが、無駄ではないことをしたとき、値打ちが違ってきます」
「はあ?」
「悪いことばかり続いたあと、良いことがあると、もの凄く光るでしょ。そういうことです」
「じゃ、やはり無駄は無駄なのですね」
「そうです。しかし、無駄の効用もあるということですよ」
「無駄に人生を過ごしてきた、とかはどうですか」
「本人にとっては無駄だと思っているかもしれませんが、その人の無駄な行為が、誰かを助けているかもしれませんよ」
「捨て石のような」
「さあ、色々なパターンがあるでしょう。まあ、無駄は遊びです。それがないと建物も倒れます」
「しかし」
「はい」
「この話も含めて、これも無駄話なのですよ」
「そ、そうでしたね」
 
   了

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2017年03月21日

3205話 プレッシャー

 
 プレッシャーがあるとき、それを避けようとして、余計にプレッシャーを増やしたりする。またそれから逃げれば逃げるほど、引力が強くなるのか、より大きな存在になる。
 しかし、現実は変わっていない。これは精神的なプレッシャーの場合で、具体的、物理的なプレッシャーでも似たようなもの。意識がある限り、意識するだろう。
 プレシャーを避けて別の方法を取ったとしても、余計な用事を増やすことになる。その方法で上手く行けば別だが、その確信がないときはヒヤヒヤものだ。プレッシャーが効いているのだ。
 プレッシャーは気の問題で、気にならなければ消えてなくなる。またプレッシャーの根元を直接叩いた場合、大したことはなかったりする。勘違いだったとか、思い過ごしだったとか。
 またプレッシャー回避で、別の方法で攻めた場合、そちらの方が手強かったりする。だから余計なことなどせず、ストレートに行った方がシンプルでいいのだが、やはりプレッシャーがかかると、回避や迂回したがるのが人情。それに大きな感情を使いたくない。これは迫力がありすぎて、刺激が大きすぎるためだろう。非常に嫌な目に遭う恐れもある。そのため、それに向かうには気合いがいる。躊躇なく、すっとできる人はよほどの達人か、肝の据わった人だ。凡人でもそれはできるが、一種の開き直りだろう。しかし、それを開くにはエネルギーがいる。開き直る決心をする気合いがいる。これは魔法のようなもので、すぐに解けてしまう。
 達人は静かに、すんなりと箸でご飯を食べるようにできるのだが、これはイメージで、言い過ぎだろう。逆に喜怒哀楽がなかったりする。苦しいこともないが、楽しいこともない。苦しみがあるから楽しみがある。そして平常心でいられるのは、平常なことをやっているためだろう。
 誰かにとり、それはものすごくプレッシャーのかかることでも、ある人にとっては何でもないことがある。それこそ平常心でできる内容。ここを誤解して見てしまうのだろう。
 慣れた世界、よく知っていることに関してはプレッシャーは少ない。しかしすべてを知っている人はいない。
 プレッシャー回避で、逆に思わぬ副作用を受けることもあるが、副産物を得られることもある。その意味で寄り道も悪くはない。
 すべてが悪くないと思えば悪くない。だからプレッシャーも悪くはないのだろう。
 
   了

 
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2017年03月20日

3204話 雑草畑


 毎日休みのような日々を過ごしている竹本だが、急に本職が忙しくなった。良い事だ。しかし、日々暇を持て余しているわけではない。仕事はしていないが、色々と忙しい。仕事時間を他のものが占領しているため、仕事をする時間を作らないといけない。
 では、仕事以外の何をして暇を埋めているのか。これは何もしていない。が、何かしている。それなりにやることができてしまい、それが日課になっている。その中身はしなくてもいいようなもので、やめても何処からも苦情は出ない。
 要するにのんびりと過ごしていたのだが、その過ごし方が上手かったのだろう。時間が足りないほどだ。
 普通に仕事をしていたときは、一日のスケジュールは仕事中心で回る。一番良い時間帯を占有し、しかも長い。余暇時間は僅か。
 今は一番いい時間帯は昼寝をしている。そこを先ず解放しないといけない。昼寝なので、あまり移動できない。夕方前の昼寝は無理だし、午前中だと起きたばかりなので、体調でも良くない限り、寝られるものではない。
 ビジネス畑に雑草が生えたようなもので、今はその雑草がメインだ。そのため、雑草畑からビジネス畑に変えないといけないのだが、久しぶりの仕事は短期で、何日もかからない。だからせっかく上手く行っている雑草を抜くのは惜しい。どうせすぐに雑草畑に戻るのだから。
 しかし、本職は辞めるわけにはいかないし、断る理由はない。当然収入になる。これは良いことだ。
 しかし、一度呑気な暮らしをやると、なかなか頭が切り替わらない。そんなときに限って仕事が方々から舞い込む。当然引き受けているので、ますます苦しくなる。
 早速催促電話がかかってくるのだが、それがいいスタートになる。そして、そこから仕事を始めることになり、広い大地は仕事畑になってしまった。
 それからは忙しい日々が続いたのだが、それをやりながら、あの長閑な雑草畑に思いが行く。取るに足りないことをやっていた頃が一番良かった。遊んでいるようなものなので、当然だが。
 短期で終わると思った仕事が長期化し、すぐに雑草畑に戻せると思ったのだが、当分は無理なようだ。
 そして無機的な仕事をしながら、竹本は雑草畑に思いを馳せる。
 
   了

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2017年03月19日

3203話 バケモノ達


 さてどうするか。村田は起きると先ずそれを思う。それは気になっていることの続きをどうするかを考えることになるのだが、やることがあっての話だ。ない日はぬっと起き上がる。
 一年の計は元旦にあり、一日の計は朝にある。朝といっても長い。だから目覚めた直前。
「ない」
 村田は特にないようだ。平和でいい。その日に特にやることがない。好きなことをして過ごせばいい。
 その好きなことのネタが切れていた。そのため平穏だが退屈な一日になる。この退屈は貯金のように溜まる。満期のある定期預金ではないので、いつでも出せる。そのタイミングが来たとき、楽しげなことをし始めるのだが、溜が大きいほど長続きする。前回の溜の退屈貯金は使ったのだが、溜がまだ少なかったのか、二日ほどで終わってしまった。ネタが小さすぎたのだ。さらに展開するような継続性もなかった。
 それが終わったばかりなので、好きなことはもうやったので、当分退屈なままの日々になるはず。
 しかし好きではないネタは豊富にあるが、それは見たくもないし思いたくも考えたくもない。
 それらは一日の計から最初から外している。それでは計の意味がない。本当に考えなければいけないのはそこにあるのに。
 そのため村田は多くの用事を溜め込んでいるが、消えてなくなるのもある。下手にいじらないほうが良かったりする。放置も悪くはない。
 村田が平穏なのは上辺だけで、水面下はグチャグチャだったりする。
 その水面下から、たまにバケモノが頭を出すことがある。今朝は出ていないようだ。村田は安心する。
 それが出ていないことを確認し「さて、今日はどうするか」となる。
 しかし、たまにはバケモノ退治をしないと朝から何匹も頭を出す。そのため一日が平穏ではなくなる。
 そんな日々が続いた頃があり、かなり退治した。狩りすぎて退治しなくてもいいものまで狩ってしまい、それが新たなバケモノになり、逆に数を増やしてしまうこともあった。
 しかし、それらのバケモノ達、村田がバケモノだと思わなければバケモノではないのかもしれない。
 
   了


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2017年03月18日

3203話 信濃のうつけ者


 信濃の当主の従兄弟新三郎が上洛した。信濃とは信濃家のことで、この王国での第三勢力。
「これは事が起こる」
「そうでしょうか。ボケの信三郎と聞いていますが」
 ボケとは、アホ、バカのことだ。
「うつけ者のふりをしておるだけ。世間を欺く芝居」
「そうなんでしょうか」
 信濃家の本拠地、信濃城下に忍ばせている間者からの報告だ。
「しかし、アホの信三郎が都に来たことがどうして問題なのでしょうか」
「あれは隠し球。おそらくは信濃家の中では一番の切れ者。時節到来で上京させたのじゃ」
「しかし、信濃家は大したことはもうできますまい」
 当時、第一戦力がぐらついており、そろそろ交代の時期になっている。当然それを狙うのは第二勢力。その隙間を狙って第三勢力の信濃家が動き出していると判断していた。良いチャンスのためだ。それで隠し球、切り札の信三郎を送り出した。
「信三郎を上洛させるとは、信濃家は本気だ」
「しかし、そんなうつけ者では、何ともなりますまい。都見物に来たのでしょ」
「いや、王城の護衛官になっておる。しかも王の親衛軍、直轄部隊だ」
「しかし親衛軍の数など知れております」
「いや、王城周辺の警備もかねておる。だから、良い位置にいる。さすが知恵者、信三郎らしい」
「何か策は」
 この二人は第四勢力と第五勢力で、高見の見学をしながら、折良くばどちらかに味方し、恩を売りたい。だから、以前から有力勢力の動きを事細かく調べていた。
 信三郎が動く時、信濃家が大きな動きをする時。そして、その時が来ていると判断した。これは第二勢力より、第三勢力の信濃家が勝つというような話ではなく、もし信三郎の動き如何で、王家そのものがぐらつくほどの内乱になる。
 そしてその時、歴史が動いた。王国を牛耳っていた第一勢力の鳩首が老衰で亡くなった。
 間者たちは親衛軍の信濃信三郎の動きに注目した。第三勢力とはいえ、コネは多い。親衛軍の小隊長ぐらいの地位は簡単に得られる。
 夜半、信濃信三郎小隊が城下を静かに移動している。そこは有力家臣の屋敷がある一帯。
 しかし、馬上にいる信三郎は芸子の着るような小袖。
「まだ、うつけの振りのままですなあ」
 その報を聞いた例の二人は、信三郎の用心深さに驚いた。そのまま第二勢力の屋敷を襲うはず。最後の最後まで、うつけ者の振り。
 次の間者からの報告では、城下を見回った後、非番になるのか、信三郎は遊郭へと向かったらしい。
 まだその時ではないのか、はたまた本当にアホなのか、最後の最後まで分からなかった。
 そして信三郎が暗躍したのかどうかは分からないが、信濃家が天下を取った。ただし、第四勢力以下の、小勢力と合体して。
 信濃家が王国の最高位の家臣になった後、信三郎の姿はない。故郷の信濃に帰ったらしい。
 彼が一体何をしたのか、一切分かっていない。
 
   了



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2017年03月17日

3202話 オテフリ


「悪いものを見た。見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。いや、そうではなく、そんなものが見えるのがおかしい」
「どうかされましたか」
「どうかしたので相談に来た」
「何を見られたのですか」
「私はもう年寄りで、何処にも行かない人になってしまった」
「はあ」
「町に出る用事がなくなったのです」
「外出の機会が少ないと」
「外には出ますよ。だが、近所だ」
「それよりも何を見られたのですか」
「夕日が町を染める頃、西日が真横から照らすためか、良い角度で光が当たり、それが暖かい色目でよく映える。木々も家々もな」
「それを見られたのですか」
「違います。そういうのを見ながら、いつもの散歩コースを歩いていました。踏切がありましてな。小さな支線ですが、そこから町に出られる。さらに本線に乗り換えれば、大都会まで行けます。私は若い頃からずっと毎日それに乗っていましたよ。仕事でも遊びでも。しかし、もうそんな用事はなくなった。今、大都会へ出れば浦島太郎です。その手前の町に出ても、似たようなもの。その支線の終点の小さな町ですが、この辺りじゃ一番賑やかな場所。そこへ行く用事も滅多にないので、その電車に乗る機会もない。鉄道は走っておりますが、渡るだけ」
「それで何を見られたのですか」
「踏切がカランコロン鳴ってまして、閉まっています。そこへ西日を受けた電車が来ます。反射して輝いて見えます。それが踏切を通過するとき」
「見られたのですね。何かを」
「これはまずいものを見たと、今も思っております」
「で、何を見られたのですか」
「満員」
「はあ」
「この時間帯、ラッシュにはまだ早い。それに町へ向かう電車なのでね。そちらはすいているはず。いつもガラガラです」
「満員電車を見られたのですか」
「それだけでも何かと思いますが、乗っている人たちが全員年寄り。しかもかなりの年寄り。私より上の人が多いでしょう。それらの老人がどの車両にもびっしり詰め込まれています。寿司詰めです。箱寿司でしょうなあ。バッテラとか」
「寿司の話はいいのですが、どうしてそんなに大勢のお年寄りが」
「だから、有り得ないものを見たわけです」
「霊柩車両じゃないでしょうねえ」
「そんな車両はないでしょ」
「そうですねえ」
「これは何だと思われます」
「そういう幻覚をご覧になられたので、心配されておられるのですね」
「やはり幻覚ですか」
「幻視です」
「そうでしょうねえ。有り得ませんものねえ」
「有り得ません」
「そして、最後尾の車両の窓から誰かが手を振っているのです。ドアの窓です。振るというより、窓に手のひらを当てているのでしょうか。押されたとき踏ん張れるように。しかし、明らかに手のひらだけですが、私に向けて振っているのです」
「はい」
「その老人は、私でした」
「あ、そう」
「これは何でしょう」
「あ、そうですか。はいはい」
「何か心当たりでも」
「オテフリという妖怪の仕業です」
「はあ」
「その満員電車も妖怪の術です」
「あなた、おかしいんじゃないですか」
「え」
「病院で見てもらいなさい」
「あ、はい」
 
   了


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2017年03月16日

3201話 龍の目覚


 何かよく分からないまま日々を過ごしている立花だが、ぼけたわけではない。まだ中年に差し掛かったばかり。
 しかし若い頃からボーとした性格で、意思が薄い。意志薄弱という症状ではないが、自意識が低いのだろう。それで何となく中年まで来てしまった。性格は大人しく、従順。
 しかし、ここにきて龍が目覚めたのか豹変した。龍ではなく豹だ。つまり人変わりした。まだ人だが獣、ケモノ、ウロコモノに近い。
 霊獣、聖獣ならいいのだが、そのレベルではない。立花はそれに気付いたのだが、目立った症状はない。毛が増えたとか、ウロコが付いたとかもない。ただ、自覚がある。それがなければ気付かないだろう。
 その自覚とはためらわずに前に出る気が生まれたことだ。そして突き進む強靭な意志があることも。いつもなら優柔不断で、何かよくわからないまま流されるように生きていたのだが、今はしっかりとした意志がある。この違いは大きい。ためらわず突き進む。躊躇しないで食いつく。
「何か悪い薬、飲んだ」
「飲んでない」
「自覚だけがある?」
「そう」
「実行は」
「ない」
「お茶とコーヒー、どっちにする」
「えーと」
「じゃ、お茶にする」
「うん」
「龍は出ていないようだね」
「自覚だけはあるけど」
「龍が出てくるようなゲームとか、していない」
「していない」
「あ、そう」
「春先だからね」
「花粉症のようなもの」
「えっ」
「季節の変わり目だと、そんなことがあるのかもしれないよ」
「そっ、そうか。そうだったのか」
 龍は目覚めたが、起きあがらなかったようだ。
 
   了

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2017年03月15日

3200話 卒業式


 吉田は卒業式の夢をよく見る。もう何十年も前の卒業式だ。式の夢ではなく、式に行かなかった夢。だから、卒業式の絵はない。想像はできるが、夢の中には出てこない。
 それは学校の卒業式なのだが、小さな専門学校。二年で終了で、吉田が行ったのは二年の中頃まで、夏休み後、秋が深まる頃に行かなくなった。卒業する見込みがなかったためだ。それは一年の終わりには分かっていた。成績が悪く、進級できなかったのだが、補習を受けることで上がれた。仮進級だ。だから同級生と一緒に過ごせた。これは学校側としては授業料が欲しかったのだろうか。落第もあり、もう一年やり直すこともできたが、その前例はなかったようだ。辞めているのだ。
 夢の中では卒業式が近付く頃、休むようになる。みんなと一緒に卒業式には出られないためだ。
 吉田はその二年間、遊んで暮らしていた。授業には出ていたし、テストも受けたが、レポートや、課題を出していたのは一年の初め頃まで。だから、居場所が欲しかったのだろう。また学校へ行っているという名分が。
 そして夢の中での卒業式は映像がないのだが、現実とは違い毎日学校へ行っている。同級生の誰もが吉田も卒業すると思っている。夢の中では卒業式がいつなのかを知らない。
 小さな学校なので、三十人ほどの卒業式だろうか。そのとき初めて吉田が来ていないことが分かる。そして卒業できなかったことも。
 夢はそこでは終わらない。吉田はまた願書を出し、一年からやり直す。不思議と入学試験にはパスする。当然また入学金や、余計な教材を買わされる。そしてまた前回と同じパターになる。
 夢ではさらに、また入学する。そのときはもう結構な年になっている。
 この夢を吉田は定期的に見る。数年に一度だろうか。皆からはぐれてしまった自分がそこにいる。
 そして夢ではなく、現実はどうなったのかだ。当然また入学し直すようなことはなかったが、同級生の誰とも相見えることもなかったようだ。その専門学校の就職先と、吉田の仕事とがかけ離れているためだろう。また、特に親しい友人がいなかったことも理由だろうか。
 その後、吉田は専門は違うが、専門学校の講師をしばらくしていた。そのとき、吉田のような学生がいた。これは直感で分かった。去り際をどうするのだろうかと、余計な心配をしたものだ。
 そして、その学校での卒業式で講師の席から卒業生を見ていたのだが、あの学生の姿はやはりなかった。
 
   了

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2017年03月14日

3199話 疋田の四連勝


 疋田は最近調子が良い。三連勝か四連勝している。別に勝負事をしているわけではないが、偶然のようなものだろう。その目は毎回違う。どの目が出るかは当日でなければ分からず、また予測できない。しかし土日や祭日は良い目が出やすく、勝つことがある。ただ、その確率が高いだけで、良い日でも負けが続くことがある。
 疋田は今朝、気付いたのだが四連勝ではないかと思える。これは新記録だ。二連勝も滅多にないのだから。それに土日にかかっていない日に出ている。これは奇跡だ。
 それは信号のない大きな道を渡るときの話で、止まらなくても、すっと渡れる。左右に信号が見えるが、左側の信号が近いので、見やすい。だからその信号が赤なら渡りやすいのだが、右折や左折してくる車が、その赤のときは青なので、渡れないときもある。
 ところが最近は続けてサッと渡ってしまえる。当然左を見ると赤。その赤信号まで右から来る車もいない。
 見晴らしの悪い交差点で、交差点に鼻を出さないと、車の様子は分からないのだが、疋田は毎朝通っているため、近付くとき、何となく分かる。細い道には自転車や歩行者がいるが、非常に少ない。だから静かなのだ。気配で分かるのではなく、音で分かる。車の気配がないことが分かると疋田はペダルを強く踏む。今なら渡れると。その勝負に四連勝していた。左が赤なので、車は途切れているので、さっと渡れるが、曲がって来た車が急に左側から現れ、遮られることがある。これはいきなり現れるようなもので、それを警戒しながら、渡る。
 また、左側が赤でも、渡るとき青になると、取り消しだ。もう車が青なので一気に来る。これは残念賞だ。
 疋田は決まった時間にそこを通るのではない。三十分から一時間の幅がある。だから交差点前に差さしかかる時間は偶然。当然信号は時間通りに切り替わるのだが、そんな時刻表はないし、また、二十四時間の間でずれるだろう。切り替わる時間と一日の時間とは関係なさそうなので。単位が違う。丁度割り切れればいいのだが。
 四連勝したので、疋田は調子が良い。しかし、その調子、何処にも属していない。この交差点と疋田だけの話で、疋田の調子が良いわけではない。
 しかし、調子よく行くと、弾みが出るようで、何となく良い調子で一日が過ごせたり、良い事でも起こりそうな気になる。そのため、そこだけの話だとは思えない、何か良い運気に入ったかのような。
 
   了

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2017年03月13日

3198話 黒金の復讐手帳


 黒金はいつもひどい目に遭っている。しかし、性格が大人しいのか、されるがまま。このままでは黒金の精神状態が悪くなると思い、同僚の竹中が同情し、見舞いに行った。黒金はひどい目に遭いすぎたため、寝込んでいたのだ。しかし実際には風邪が長引き、悪化したようだ。
「復習手帳とかはつけているの」
「つけていない」
「じゃあ、復習覚え書きとか、怨念帳とか」
「ない」
「普通の日記は」
「ない」
「それは困った」
「どうして」
「いつか溜まりに溜まった怨みが何処かで出る」
「そうなの、でも復讐しようとか、怨みに思っているとかはないよ」
「それが逆に怖い」
「病気になるから?」
「そうじゃなく、知らないうちに念を送っているんだ」
「誰に」
「君にひどいことをした人達にだ」
「沢山いるから」
「その中に僕は入っていないだろうねえ」
「ああ、どうだったか」
「こうして君に同情して、心配して来ているんだから、僕は入っていないだろ」
「そうだね」
「君に怨まれるようなことなんて、していないからね。それに大勢って、誰と誰のこと」
「さあ、多くの人だ」
「復讐人別帳はないの。ランク付けをしたり」
「そんなの作っていないよ」
「とりあえず、危険な真似をしないように」
「どんな」
「復讐に決まってるだろ」
「そんな気はないよ」
「ある方がいいんだ。ないほうが怖いんだよ」
「どうして」
「知らないうちに式神を飛ばしているからだよ」
「式神」
「まあ、念を送るようなものかな」
「念」
「恨みの念を、その相手に送るんだ」
「そんなことしないよ」
「だから、無自覚のうちにやってしまうから、怖いといってる」
「じゃ、どうすればいいの」
「復讐日記を書くんだ。それだけでもかなり緩和されるから」
「恨みが消えるの」
「消えないけど、意識的に怨んでいる方がいいんだ」
「どうして」
「式神の目を逸らすためだよ」
「ふーん」
「式神は君が気付いていないときに飛ぶ。復讐手帳を付けていると、気付いているからね、意識しているから、式神の出番はなくなる。だから、大いに復讐手帳に復讐日記を書くこと。分かったね」
「分かった」
 それからしばらくして、竹中は体調を崩した。それが少し回復した頃、黒金を訪ねた。式神を飛ばされたからだ。
 竹中は黒金の復讐手帳を見せてもらったが、竹中の名前はない。
「どういうこと、なぜ僕に」
「怨んでいないよ。竹中さんだけはいつも親切だし心配してくれているし。そんなの飛ばすはずがないよ」
 意識に上らないが受け続けている恨みもあるのだろう。
 式神はそれを見付け、竹中を襲ったようだ。
 それ以前に黒金は、鉄の鎧でも着ているのか、結構タフな精神の持ち主だった。
 
   了

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2017年03月12日

3197話 怖い顔


 自室で自営している山下は夕食を済ますとリタイアする。朝から仕事をし、夕方に定時で仕事を終えれば、そんなものだが、起きている間はずっと仕事をしていた。急ぎの仕事が多いのではなく、安い仕事なので数をこなさないといけないため。
 だが、起きている間、ずっと仕事ばかりをしているわけではない。自営業だが、自炊もする。買い物にも行く。昼寝さえする。しかし、必要最小限のことを終えると、ずっと仕事ばかり。遊びに行くこともあるが、働いた分、それでお金が減るのが惜しいので、気晴らしで自転車に乗る程度。
 そのため、寝る前まで仕事をしていたのだが、最近は夕食を食べると、そこで終わってしまう。もう何もする気がしなくなるためだ。これを山下はリタイアと言っている。正しい使い方ではないだろう。
 それは体調を崩してから、そうなった。一日中仕事をし過ぎたためかどうかは分からない。上司も部下もいないため、自分のペースでできる。だから飛ばし過ぎたのだろう。
 体調を崩してからはペースが半分になり、今は体調は戻ったが、夕食までで、それ以降は集中力がなくなり、何もできなくなる。
 しかし、仕事関係での集中力はなくなるが、他のことでは別のようだ。これはやる気の問題だろう。別の食べ物なら入るようなものだ。別腹というやつ。
 夕食後にダウンしてしまうのは胸やけに近い。食べ過ぎるためだろう。
 しかし、あっさりとしたものを軽く食べても、夕食後だるくなる。これはもう年だろうと諦めた。だから、これをリタイアと呼んでいる。退職したわけではないが、夕食から寝るまでの時間、仕事をしていないので、収入が減った。
 リタイアと呼んでいるが、早退のようなもので、後はプライベートな時間を過ごすようなものだ。特に変わったことをしているわけではない。早い目に仕事を切り上げただけ。
 初めの頃は食べた後、横になっていた。そのまま寝るにはまだ早いのか、うたたねをしてもすぐに起きてしまう。
 山下はテレビもラジオも興味はなく、音楽も聞かない。仕事で使っている三つのパソコンがあり、その一つでネットを見る程度。これがあればテレビやラジオはいらない。しかし、最近はそれにも飽き、本を読むようにした。決して読書家ではないので、読みたい本が山と積まれているわけではない。無料でダウンロードしてきた電書を端末で読む程度。
 余暇時間の過ごし方としては悪くないだろう。また、夕食後、横になった状態でできることといえば、本を読む程度になる。布団の中に入り、枕を高くして、電書を読む程度の体力は残っている。寝転がっているのだから、楽なものだ。ただ、首が痛くなるが。
 しかし、あまり読み慣れていないのか、三十分も持たない。それで集中力がなくなるし、目も痛くなるので、寝るまでの間の時間を埋めるには足りない。
 実際には何もしなくてもいいのだが、やる気が起こらないときは、何もできない。しかし別腹を期待して、またネットを見る。何かこれはというような刺激物はないかと。
 しかし普段から面白そうなサイトなどをブックマークしていない。
 体力も気力もなくなっているが、少しは残っている。この僅かなエネルギーでできることはないものかと、考えることにした。
 それで、思いついたのが落書きだった。パソコンのお絵かきソフトで、適当なものを書きなぐるのだ。山下は絵描きではないので、しっかりとは書けない。だから落書きだ。
 それで太い線で模様のようなものを書いているうちに、何かの形に見えてきた。一本の線を適当に渦巻きのように引き、その上からまた違う軌跡の線を重ねると、妙な形が出てくる。それが面白くなり、夢中になった。
 偶然できたような模様だが、人の顔に見えたり、何かをしているポーズに見えたりする。
 やっといいことを見つけたと、夕食後、この落書きで遊ぶことにした。
 それは万華鏡のように、振れば毎回違う模様になるようなものなので、できるだけ複雑な線をむちゃくちゃに引き、またむちゃくちゃな線をそれに重ね。さらに別の線を重ねた。
 そのうち、妙なものが見えだした。それは怖い顔した人が出てくることだ。模様の中から出てくる。そう見えなくもないという程度だが、じっと見ていると、動き出しそうだ。これは同じものを見続けると、目の位置が少しは動くため、動いているように見えるのだろ。
 悪魔。魔物。そういうのが次々と出てくる。以前書いたものを見ると、やはり怖いものがいる。そのときは気付かなかったのだ。
 しかし、その魔物の顔に襲われることはないし、それがモニターから飛び出てくることもない。これはいったい何だろう。
 その後も夕食後、落書きを続けているが、ほほえましい顔が出てくることもある。仏顔や。可愛い動物も。
 さらに続けているうちに、何となく法則が分かってきた。最初に引く線はお筆先の神秘ではないものの、意識的な線ではない。その上からまた意識的ではない線を引き重ねると、交差したところに面ができる。このとき初めて形らしきものが現れる。
 山下の隠れたるリアルタイムな意識が現れているのかもしれない。
 
   了


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