2017年05月31日

3276話 悪魔のいる村


 世の中で起こっている不思議な神秘現象は、錯覚や思い違い、また幻覚だったりする場合が多いが、これは多いのであって、本当の神秘現象がないわけではない。神秘研究家は本当の神秘現象を探しているのだが、理由が分からないものの中にそれがあるのだが、分からないので、それ以上何ともしがたい。世の中には不思議なことがあるものだ程度で終わり、その不思議ごとがどのようにして発生したのかまでは解明できないまま。
 妖怪を研究する妖怪博士は妖怪を追っているのだが、そのほとんどは実在しない。これは神秘ごと一般の中でも一番作り事が多いジャンルで、そのため、本当の妖怪にまでたどり着くことは、まずないのだが、それでも正体が分からないタイプも、たまにはある。所謂科学的に解明できないのだ。そのため、見間違いや心的な理由で幻覚とするしかない。
 ただ、幽霊や妖怪や、不思議な因果とかは、そういった怪奇現象だけに起こるのではなく、種も仕掛けもある現実世界でも起こっている。そのため、その業界で長く生き続けた人を妖怪と呼んだりする。誰が見てもそれは妖怪ではなく人間なのだが、それを妖怪呼ばわりするところに、妖怪の正体があるのかもしれない。
 長い前置きだが、今回遭遇した妖怪は、その家では悪魔と呼んでいる。これは郊外にある裕福な旧家にいる。悪魔という言葉が使われ出したのは、それほど古くはないだろう。だからそれまで、この地方では「マラ」と呼んでいた。魔羅だ。悪魔がキリスト教と関係するように、魔羅は仏教と関係するが、これは修行の妨げになる邪悪なもの程度だろうか。そのため、普通の人には関係がない。
 それがいつの時代からか、悪魔という言葉に変わった。だから最近のことだろう。
 その旧家は農家で、これは悪魔とは合わない。妖怪博士が不審がったのは、まずそれだった。
 悪魔は封印されて三階箇所に相当する屋根部屋にいる。ここは物置で、家具を利用した階段はあるものの、普段は使っていない。悪魔はそこにいるらしく、それを見たのはうんと昔の先代で、その後、封じ込めたので、その子孫は誰も見ていない。開かずの部屋、封鎖した階だ。先代は物置だった場所を整理し、祭壇のようなものを作り、そこに悪魔を祭っていたようだ。しかし、誰もそんなものなどお参りには上らないのだが、少し前までは食事のとき、上を見て手を合わせていたようだが、今はご先祖様との相性が悪いといいだし、それは止めている。
 最近になって、その子孫に当たる人たちが、神秘現象を体験するようになった。悪魔を封じ込んでいるということは知っていたためか、悪魔の声や、悪魔の足音などがするらしい。屋根部屋を歩いているのだ。そういうのはネズミか何かが入り込んでいるのだろうが、そうとは受け取らなかったようだ。やはり悪魔がいることを知っていたので、それに結びつけた。
 その噂は結構広がった。日本の何処にでもあるような山沿いの農家。特に変わった土地ではないが、戦国時代、この一帯を治めていた領主がキリシタンになった。所謂キリシタン大名だ。因縁があるとすれば、ここしかない。キリスト教が来たのだから、悪魔の概念も、ここにはあったのだろう。魔羅ではなく、悪魔。
 この村は進んでキリシタンになった。その方が年貢が安く付くからだ。また足軽などで取られることも少なくなったらしい。それで数ヶ村かはキリシタン村となったが、すぐに、それは禁制になり、その後、隠れキリシタンの村として、一村だけが残ったが、悪魔を封印した村ではない。
 信仰を続けた村ではなく、あっさりと転んだ村が、その旧家の村だ。悪魔がいることが、それで何となく結びつくのだが、なぜ悪魔がいるのかの理由は分からない。
 どちらにしても三階部に相当する開かずの間に悪魔を封印していることは家の者なら誰でも知っている。その影響で、あらぬものを感じたりするのだろう。
 妖怪博士は、常識的にそう判断したが、家の者は承知しない。要するに見てくれということだ。屋根部屋に上がって悪魔を。
 つまり、何度か襲った地震で、封印が外れていたり、ずれているのではないかと。その役を妖怪博士に頼んだのだ。
 それは高いものにつきますよと妖怪博士はふっかけたが、大した金額ではない。妖怪博士にしては罪悪感のある金額を請求したのだが、この家にとってははした金らしい。家が古いだけではなく、土地持ちで、さらに山まで持っている。この辺りは檜の植林で知られている。
 そして、妖怪博士対悪魔との戦いになる。呪文のいくつかは知っているが、数珠やお経で、キリスト圏の悪魔が聞き分けてくれるとは思えない。しかし、封印してある蓋のようなものがずれている程度なら、それを戻せばいいだけの話で、子供にでもできるだろう。
 悪魔を封印し直したのは三回か四回目らしい。最後に封印したのは百年近く前。何度か家を建て替えているためだ。そのときは最初から封印するために屋根部屋を作ったようなもの。それから百年近くなる。その間、誰もその部屋に入っていない。つまりこの家はかなり昔の家の間取りで立て替え続けられていたことになる。だから箪笥階段もあるのだ。
「それでどうなりました、先生」
 妖怪博士付きの編集者が続きを聞く。
「二階に古い家具がある。箪笥が並んでいた。高さの違う箪笥で天井まで続いておる。これを上るのが怖かった。脚立でも三段以上は怖い」
「続きを」
「天井がそこだけはめ込みになっており、すんなりと上る。天井戸だ。中を覗くと蜘蛛の巣だらけで、ほこりだらけの板の間。明かり窓があるので以外と明るい。そして」
「悪魔は」
「真っ白になって、もうよく分からんが祭殿らしきものがあり、蜘蛛の巣やほこりを払うと、厨子があり、それを開くとぐるぐる巻きの人形が出てきた。悪魔のミイラのような」
「じゃ、悪魔はもう死んでいるのですね」
「悪魔像だ」
「はあ」
「キリシタン時代、持ち込まれたのだろうか。金属製じゃ。触覚のようなものは針金だろう」
「悪魔がいるというのは、悪魔像がいると言うことだったのですね」
「そういうことじゃ」
「どんな悪魔でした」
「昆虫に似ておった。蜂のような顔じゃ」
「その悪魔、どうされました」
「包み直して厨子に入れ直した。鍵はない」
「悪魔が出ませんでしたか」
「既に出ておる」
「それは悪魔像でしょ」
「悪魔像が悪魔だったのじゃ」
「しかし、それは値打ちのある悪魔像じゃないのですか。国宝級ですよ。戦国時代のものでしょ」
「フランシスコザビエルを描いた絵も、この近くの村で発見されておる。それより値打ちがあるやもしれんが、悪魔ではのう」
「はい」
「それで、その家族は納得したのですか」
「いや、悪魔がいたと報告した。そして、誰も、それを見てはいけないと伝えた」
「秘仏のようなものですね」
「秘魔じゃ。これは公表してはならん。そして見たのは私だけ」
「隠れキリシタンじゃなく、隠れ悪魔信仰だったのですね」
「いや、信仰ではなく、もてあまして、封印し、隠しただけじゃろう」
「これは発表できませんねえ」
「うむ」
 
   了

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2017年05月30日

3275話 気が付けばそこにいた


 気が付けばそこにいた。失神していたのだろうか。それともいつもとは違うところで目覚めたのだろうか。
「ここは何処だろう」と、三島は見回した。部屋のようだが、病院ではない。知らない家にいるようだが、ベッドがあり、家具もある。本棚もあり、ポスターも貼ってある。三島の部屋だろう。だから、見知らぬ場所ではなく、一番よく知っている場所のはず。
 それなら、いつもの目覚めと同じではないか。しばらくすると「ここは何処だろう」が消え、いつもの三島に戻った。
 眠っている間に長い旅にでも出たのだろう。少なくても十年以上は別のところで暮らしていたような。きっとそれは深い夢を見たためだろうが、その記憶がない。夢を見た記憶がないのだ。
 そういう体験は過去にもある。熱にうなされながら眠りに落ち、起きたときの感覚だ。しかし、三島は熱を出していない。そして、昨夜のこと、昨日のこと、などを思い出しても、特に変わったところがない。いつもの日常が続いていただけ。
 カーテンを開け、外を見ると隣の家が見える。変わったところはない。三島の部屋に変化がないのだから、外もないだろう。
 隣の部屋を見に行くと、そこは足場もないほど散らかっている。三島がトイレへ行くときの隙間が空いている程度。これはトイレ道でもあるし、台所や風呂や玄関に出るときの道だ。これもいつもと変わらない。
 結局いつもの時間に単に起きただけで、その後仕事へ向かった。
 見慣れた道を歩いているのだが、少しだけ様子が違う。具体的な変化はないのだが、コピーのような風景なのだ。そのコピー元はいつもの現実だが、その現実をコピーしたもののように見えてしまう。それは具体的には分からないのだが、どうもコピー臭いのだ。
 そして三島自身も、コピーのような気がしてきた。目覚めたときの違和感は、できたてのコピーだったためかもしれない。
 ある日、何処かでこの現実と、少しだけ違う世界に入ってしまったのだろうか。しかし、よくできたコピーのため、何の不都合もない。しかし、コピー元に戻らないと、そちら側の現実を放置したままになる。
 しかし、コピー元の現実そのものもコピーだった可能性もある。
 それからしばらくすると、もうそんなことなど忘れて、普通の日常を三島は過ごしている。
 しかし、あの日の目覚めで「ここは何処だろう」と思ったのは、見てはいけない繋ぎ目を見てしまっのだろうか。
 
   了


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2017年05月29日

3274話 怪しき雨音


「言葉を発しておるとな」
「はい」
「ただの雨音だろ」
「それならわざわざ話したりしません」
「どんな雨音だ」
「同じ言葉を発したり、ときには歌い出します」
「何かに当たっておるのだろ」
「あしたくる。とか」
「明日来る?」
「はっきりと言葉になっています」
「うむ」
「言葉が聞き取れないときは、歌になります。演奏のようなもので、曲だけが流れています。オーケストラのように。それが途切れたとき、また言葉が」
「明日来る以外にかね」
「はい、しらがねをふんで……とか」
「白銀を踏んで?」
「雨なので、雪ではありません」
「白い銀という意味か」
「はい」
「他には」
「くろうはここまで」
「苦労はここまで?」
「そう聞こえます」
「明日来る。白銀を踏んで。苦労はここまで」
「はい」
「他には」
「聞き取れる言葉は、その程度です。順番は決まっていません」
「繰り返し、何度も語りかけているわけか」
「はい」
「まあ、そう聞こえるだけだろ」
「そうだと思いますが」
「それで、話はそれだけかな」
「これはどういう意味でしょうか」
「雨の降る日は聞こえるのじゃな」
「はい」
「明日来るの明日になっても、また明日来るのか」
「はい」
「やはり、そういう風に聞こえるだけじゃろう」
「気味が悪いです」
「家の者も聞いたのか」
「聞こえるのは私だけです」
「耳医へ行きなさい」
「はい」
 
   了


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2017年05月28日

3273話 悪魔の正体


 妖怪博士は妖怪の研究家だが、妖怪だけはネタはすぐになくなってしまう。そこで最近は悪魔の研究をやっている。こちらの方が迫力があり、その正体がよく分からない。
 人には専門がある。しかし意外と専門分野より、別の分野をよそ見している方が楽しい。それは新鮮なためだろう。世の中にはジャンルの違うもの同士が一緒になって一つのことをし、今までとは違うものを作り出すというのもあるが、これは退屈しているためだろう。
「悪魔博士になるつもりですか」
 妖怪博士付きの編集者がからかう。
「妖怪も悪魔も似たようなものでな」
「何か分かりましたか」
「その正体が分かったが、そこで終わりだ」
「悪魔の正体が分かったのですか」
「分かったが、それまでのこと。そこから先はつまらんので、もう研究は止める」
「悪魔の正体は何だったのですか」
「これは思いつきじゃ。だから、そこで終わってしまうが」
「聞かせてください。悪魔の正体を」
「猿だ」
「はあ」
「人類の祖先まで遡るが、旧人類のことじゃ」
「ジャワ原人とか」
「それが悪魔じゃ」
「簡潔ですねえ」
「人類にも色々な種類があった。滅びた原人の方が多いだろう」
「神との対比で悪魔がいるのではないのですか」
「神とは生き残った側の人類だ。その間、他の人類とも交わっておるが、今いる人とは違う人がいた」
「今、地球に住む人の最初の母はアフリカにいた女性だと言うでしょ」
「そのアフリカにいた女性のようにジャワにもいたし、中国にもいた。ヨーロッパにもいた。悪魔が多いのは、そういう原人がいた場所と比例する」
「絶滅した別の人類が悪魔の系譜なのですか」
「アフリカでも、もっと色々いただろう。猿から人になりかけの状態の種がな。だからアフリカが一番悪魔が多い」
「はい」
「なぜ絶命したと思う」
「さあ、その後、対応しなかったとか、食べるものが違っていたとか。場所が悪かったとか」
「殺されたのだろう」
「はあ」
「それが悪魔の始まりじゃ」
「ものすごく眉毛に唾ものですねえ」
「こういうものには神秘ごとはない。リアルな何かがあったのだ」
「悪魔って、ちょっと獣的ですねえ」
「猿に近いからじゃ」
「はい」
「人は猿まねがうまい。猿が人のまねをするよりもな。なぜなら、人も猿なので、うまいも何も、そのままじゃ。今いるその辺の人々を見れば分かる。猿だと思えば、猿に見えるはず」
「猿が悪魔なのですね」
「猿から人になりかけ、そこで果てた原人に近いものほど強い獣性がある」
「しかし、一般の悪魔じゃないでしょ。今、言われているような悪魔じゃ」
「悪魔は霊じゃ」
「旧人類のままでは、今、生きていけないですからね」
「だから、霊体で生きておる」
「一般性がありませんが」
「だから霊長類という」
「終わりましたね」
「うむ」
 
   了


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2017年05月27日

3272話 傘念仏


「傘です。傘」
「傘が何か」
「これは効きます」
「雨に濡れぬくいとか、丈夫とか。軽いとか」
「傘一般です。傘なら何でもよろしい」
「傘の話ではないのですか」
「自分の傘ではありません。その場合もありますが、これは対象外」
「人が持っている傘ですか」
「もう、持っていません」
「え」
「だから持ち主が分からないか、忘れたかですが、忘れ物傘は対象には入りません」
「では」
「破れ傘、壊れた傘。それはできるだけ新仏の方がよろしいかと」
「傘の新仏」
「道ばたに、たまに落ちているでしょ」
「風であおられて、骨が折れたりして、そのまま捨ててしまったりとか、そういう傘ですか」
「理由は分かりませんが、野ざらしになった傘です。そのため、立てかけられているタイプは効果が薄い。また、ゴミの日に出ている傘は対象外」
「忘れ物傘や、ゴミの日に出した傘じゃだめなんですね」
「ゴミの日に出した傘でも、そのまま誰かが移動させて、どこかに捨てたものはかまいません。要は傘があるような場所にはないことです。川の中で浮いていたり、引っかかっているものでもよろしい。野末で野ざらしがいいのですが、そういう場所はもう少ない」
「その傘がどうかするのですか。傘の化け物でも生まれるとか」
「いやそんなものが発生すれば、面倒でしょ」
「じゃ、何を」
「念仏を唱えるのです。これが効きます」
「傘供養ですか」
「それに近いですが、別に傘の霊云々の話ではなく、これはただの対象物です。まあ、仏像のようなものです」
「野ざらしの傘に対して念仏を唱えるのですか」
「これを傘念仏と言います。これが効きます」
「どんな念仏です」
「適当なものでよろしい。ただ、この念仏の中に望みを入れるのです」
「たとえば」
「南無何々が叶いますようにとかです」
「その場合の念仏はナムだけですね」
「何でもいいのです。念じれば」
「はい」
「流れ星に願いを……というのと同じです」
「はあ」
「簡単でしょ」
「変わってますねえ」
「だから野ざらしの傘を発見次第、そこで傘念仏を唱えるのです。そういうのを見かけるチャンスなどそれほどありませんが、そればかり探しながら歩いていると、結構見つかります。川なんかによく落ちていますからね。また強い風雨の後など、歩道に骨だけになった傘が落ちています。これは上物です。骨だけですからね」
「じゃ、布だけになった傘とか、ビニール箇所だけの傘じゃだめですか」
「骨が少しでも付いていればオーケイです。要は傘というよりも骨が大事なのです」
「傘念仏で願いは叶いますか」
「まあ、願いを言う程度で、これは希望や目標を一応お知らせする程度です。後は蓄積です」
「蓄積」
「数多くの傘を拝むことです。功徳を積むことになります。それがポイントのように貯まると、ご利益を受け取れます」
「傘信仰ですか」
「傘というより、骨信仰です」
「骨折り損のくたびれ儲けになりそうですが」
「それほど骨の折れることでも、疲れる行為ではありませんから、やってみなさい」
「はい」
「最後に」
「まだありますか」
「骨の折れた傘は効果大です。ポイントが三倍から四倍加算されます」
「はいはい」
 
   了

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2017年05月26日

3271話 正夢


「昨夜、妙な夢を見ましてねえ」
「結構です」
「そうなんです結構な夢です」
「夢の話は結構です」
「結構?」
「しなくてもいいということです。私は聞きません」
「興味深い夢ですぞ」
「夢はお一人様専用」
「あああ、はいはい、そうですね。見たのは私だけだし、同じものを他の人は見ることができませんからね」
「だから、メディアとしては」
「夢がメディアなのですか」
「情報媒体です。それを受け取る手段のようなものです」
「でもテレビでも雑誌でも、読んだり見たりするのは一人でしょ。ラジオなんてそうですよ」
「昔は家族揃ってラジオを聞いていたりしましたから一人専用ではありません。その気になれば、同じものを大勢で見たり聞いたり読んだりします。ところが夢は自分しか見ることができません」
「夢を記憶する装置があればできるでしょ」
「それは記憶です。夢を覚えておればいいのですが、これは不正確。今、あなたが語ろうとしている夢もそうでしょ。しっかりとは覚えていないでしょ。印象に残ったところ程度。それに夢の中に出て来る人の顔が分からなかったりします。しかし、誰だか分かっている。当然服装もそうでしょ。どんな形の服装かまでは覚えていても、色柄や、アクセサリー類までは無理でしょ。実際には目では見ていないわけですからね」
「昨夜見た夢なんですが」
「だから、結構です」
「そう仰らずに聞いて下さい。これは正夢かもしれません」
「ほう」
「宝物が隠されている洞窟があるのですが、その地図を夢で見ました。しっかりと記憶しています。簡単な絵図ですので」
「それこそ夢のような話でしょ」
「夢ですから。そのままです」
「で、場所は」
「この近くです。地形的に合っています。城峰山がおそらくその宝の山で、その洞窟の入り口は、位置だけ記されています。山の北西です。そこは少し入り組んでいるところで、一番懐が深い場所でしてね。沢です。滝があります。そこから推測して、滝の裏側にポッカリと洞窟の入り口が」
「あ、そう」
「私は足腰が悪いので、そこまで行けませんから、あなた、見てきてくれませんか」
「見た夢は地図だけですか」
「そうです。宝の在処を示す地図の夢を見ただけです。それをここに書き写しました」
「しかし、入り口は分かっても、その洞窟の何処に隠されているかでしょ」
「そうなんです」
「じゃ、自分で探さないといけない」
「はい」
「洞窟内の地図はないのですか」
「今度見ます」
「え」
「続編を」
「おそらく小さな洞窟なのでしょ。だからすぐに分かるような場所にあるはず。正夢だとすれば、その洞窟に入ればすぐに見付かるようなね」
「そうですなあ」
「じゃ、行ってくる」
「その気になりましたか」
「半分半分でよろしいですね」
「はいはい。情報の提供者に半分ですね」
「そうです」
「じゃ、お気を付けて」
「はい」
 
   了

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2017年05月25日

3270話 砕けた夢


 砕け散った夢や希望の残骸を見ながら吉岡はさらなるものを思い浮かべていた。失敗に終わったものより、さらに高い目標を立てようとしていたのだが、ある段階に達しないと、次のレベルには上がれない。だから、目標を変えるべきで、どちらかというと下げた方が好ましい。
 そうすると、夢や希望が貧弱になり、覇気がなくなる。達成してもそれほど素晴らしいことではないからだ。それで、さらなる高みを目標とした。
 つまりここに来て、実現不可能に近い夢を抱いたのだ。夢なのだから、何でもかまわないのだが、可能性がなければ無駄な努力となる。しかし、夢とは本来そういうもので、夢のような話なのだから、実現する可能性は殆どない。また無理な話を夢のような話とも言う。
 しかし、実現しなくてもかまわないフリーな夢を思い浮かべようとしたのだが出てこない。前回失敗した夢は不可能ではなかった。だから、再挑戦すればいいのだが、これは何度もトライしている。今回で何度目かの失敗だ。このあたりが引き時だろう。やるだけのことはしたのだから。
「次の夢は何ですか」
「ああ、だからさらなる高みを」
「じゃ、純粋な夢になりますねえ」
「そうだねえ」
「まあ、夢は見ているだけで十分でしょ」
「そうだよ」
「それで、何か見付かりましたか」
「それが」
「見付からない?」
「そう」
「夢なんですから、何でもかまわないでしょ。好き放題、言いたい放題で」
「やはりリアリティーがないとねえ」
「実現可能な夢の方がいいわけですね」
「そうじゃないと、変化がない」
「具体性が欲しいと」
「そうです」
「それよりも、私なんてもう夢見る力もなくなりましたよ」
「ほう」
「まだ、夢を探しているだけでもましです」
「つまり、夢がないと」
「見たい夢がね」
「私はまだ探そうとしています」
「良い事です。まだお元気だ」
「それで、最近思い付いたのですが」
「ほう、見付かりましたか」
「夢のあるものを見ることです」
「何ですか」
「だから、夢のあるものを見ることです」
「夢のあるものに触れるとかですか」
「そうです」
「それはフィクションでしょ。そして他人の作った夢のような話でしょ」
「どうやら、それがお話しの始まりらしいのです」
「それは知りませんでした」
「その場合、本当に見た夢。夜に見た夢ですが、それを人に語るのです。夢で見た話なので、有り得ないような話になるので、結構受けたようです」
「荒唐無稽な話でしょ」
「何を見るのかは、本人にも分かりませんが、作り話ではありません。夜中に勝手に創作されているのですから」
「しかし、それは聞くだけの夢でしょ。本人とは関係のない」
「そうですねえ」
「だから、実現できる現実的な夢が好ましいですよ」
「探してみます」
「夢見る力とは、探す力ですよ」
「はい」
 
   了
 
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2017年05月24日

3269話 疑い続ける


 田所氏には下心や野心があると疑われていた。本人にはその気はない。ただ、置かれている状態がそう思わせるだけの条件が揃っているのだろう。
 田所氏は忠臣とまではいかないが、それなりに仕えている。地味な人だが有力者なのは確かで、その縁者もいい地位にいる。事を起こせば一気に……というパターンが当てはまる。
 田所氏もそれを意識しており、二心なきことを丁寧に説明し続けていた。しかし、疑心を抱く人にとっては、そんなことでは説明にはならないらしい。そして田所氏を応援する人が結構いる。こちらの方が数が多い。下手をすると、その神輿に乗せられる。そのため、田所派と呼ばれる人達を遠ざけた。
 それでも田所氏を疑う連中は、今にも謀反を起こすのではないかと警戒し続け、少しでも怪しい動きがあると、大袈裟に取り沙汰した。場合によっては釈明を求められた。
 あるとき、些細なことで追求された。菩提寺を建て替えたときの山門名が誤解を受けたようだ。こじつけだ。
 あまりにも疑い続けられるため、ついに田所氏は堪忍袋の緒を切った。そんなに疑うのなら、疑われているようなことをやって差し上げようと。
 田所氏が決心さえすれば、あとは周囲が勝手に動き出し、謀反が起こった。
 危険視されていただけに、勢力があり、あっという間に政権を奪った。
 下心も野心も田所氏には最初からなかったのだが、あまりにも疑われすぎ、それで火が付いたようなものだ。
 もし、そんな疑惑を抱くような人が周囲にいなければ、田所氏は温和な重臣として、仕え続けただろ。
 皮肉にも疑いの目で見ていた人達の期待にこたえることになってしまった。
 
   了

 
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2017年05月23日

3268話 地獄のボイラーマン


 湯屋の裏口に小鬼が訪ねてきた。雇って欲しいという。よく見ると小さな年寄りだ。丁度釜焚きの家に不幸があり、国へ帰っている。他にも釜焚きはいるが、遊び人で当てにならない。湯屋の主は雇うことにしたが、経験を問う。つまりボイラーマンとしてそれなりに経験が無いと、すぐには間に合わない。
 小鬼は地獄で釜焚きだったが、年を取り定年退職したようなもので、職を失った。若い頃から地獄の釜湯を焚いているので、ボイラーマンとしての経験は十分。しかし、湯加減が問題だ。
 地獄の釜は盆だけ火が消える。だからほぼ年中無休で働いていたことになる。この湯屋は休みが多く、週休二日だ。
 老いた小鬼は身体は小さいが力持ちで、娑婆の風呂焚き程度なら問題は何もない。地獄の釜湯と違い、薪を使っているのが新鮮なようで、地獄では今で言う石炭を使っていた。燃える石だ。
 そのためか、全身が黒い。スス焼けしたのだろう。だから、この湯屋では黒鬼どんと呼ばれることになった。
 地獄の釜湯を焚いていただけに、その仕事ぶりは素晴らしかったのだが、湯加減を知らない。
 つまり、この風呂焚きに変えてからもの凄く湯が熱くなった。それを好む客と、熱くて入れないという客もいたが、当時は直接湯に入るのではなく、湯気だけで良かったので、それほど問題にはならなかった。
 また、湯屋で喧嘩などがあったとき、この黒鬼どんが活躍した。そこは鬼だけあって身体は小さく老いてもものすごい力がある。黒鬼どんに敵う客がいない。
 湯女と悶着を起こした関取りを投げ飛ばしたことで、角界へ来ないかと、この関取に誘われた。
 しかし、この黒鬼どん、ボイラーマン一筋のためか、釜焚きがよほど好きなようで、それには乗らなかった。
 黒鬼どんは湯女にも人気があり、地獄で煮え湯に入って鳴き叫んでいる人間ばかり見てきたので、ここはまるで極楽だ。
 黒鬼どんを雇った主人が亡くなり、その息子からさらに孫の代になったが、まだ黒鬼どんはいる。かなり長寿だったらしいが、墓はなく、いつあの世へ行ったのかは分からないが、あの世とは生まれ故郷の地獄なので、単に帰っただけのことだろう。
 
   了


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2017年05月22日

3267話 地獄行きの切符


「あなたがもし、駅の自動券売機で、目的地までの切符を買うため、お金を入れると、切符が出てきた。さて、どうしますか」
「はあ」
「だから、どうしますか」
「そのままでしょ。そのまま改札を通れば」
「あ」
「何か」
「言い忘れました」
「何ですか」
「出てきた切符に、地獄行きと印字されています」
「それはないです」
「だから、もし、と言ったでしょ」
「地獄行きの電車なんてないでしょ。どの駅で降りればいいのです。乗り換えるとしても、何処で」
「はい」
「行き先は地獄でも、その駅までどうやって行くのですか」
「はい」
「教えてください。どうやって地獄へ行くのです。乗り換え案内で調べても、ないでしょ」
「そのまま改札を抜け……」
「通れますか」
「通れます。裏が黒いので」
「じゃ、どの電車に乗ればいいのです」
「ホームで待っていれば来ます」
「地獄行きがですか」
「そうです」
「地獄と書かれているのですね」
「そうです」
「普通の車両ですか」
「少し古いです」
「しかし、私はいつもの町まで出るために切符を買ったのです。地獄行きは買っていません。だから払い戻してもらいます。地獄に用事はないし、また行く予定もありません」
「はい」
「それに地獄行きの電車が来たとしても、それに乗って地獄へ行った後、何をするわけですか。行って戻って来るだけですか。また、地獄へ行く用意もできていません。夕方までに戻って来ないといけない用事もありますし」
「分かりました」
「何が」
「要するに、暇じゃないと地獄へは行かないと」
「そうですよ」
「でもせっかく当たった地獄行きの切符ですよ」
「これは、クジですか」
「そうです。せっかくのチャンスです。滅多に行けるものじゃないはず」
「でも、面倒なので、行きません。それに」
「それに?」
「券売機から地獄行きが出たとしての仮定でしょ」
「そうです」
「出るわけがない」
「だから、もし、です」
「有り得ない、もし、については考えないようにしています」
「はい、分かりました」
 
   了

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2017年05月21日

3266話 入らずの町


 古義の町があり、古義駅があることは知られているが、よく知られた町ではない。観光地でもなく、何かあるような町ではない。しかし、このローカル線沿いの町としては大きく古い。町としての固まりがしっかりとある。駅舎は古く、町の規模並みの格式がある。他の駅は建て替えられているのに古義駅だけは取り残されたかのように眠っている。
 多くのは人は古義には興味はない。通過するだけの駅。古義の町も知っているが、それだけのこと。
 古義の町には学校も病院もあることから、町の中だけで用が足せたりする。だからというわけではないが、他の町で古義の人を見る機会はない。また、古義から他の町に出掛ける人も少ないようだ。
 古義の駅で乗り降りする人は古義の人ではなく、外から来た人。そのため、そのローカル線で古義の人を見かけることも希。
 ある旅行者、これはローカル線の旅を楽しむ人だが、古義の駅に降りた。そのときの三島氏の日誌が今も残っている。
 古い街並みが続き、観光地にしてもいいほど、よく保存され、木造の古い小学校や図書館も残っている。
 三島氏が町を訪れたとき、その臍のような場所を探すのに長けていた。町で一番賑やかな場所ではなく、その町を象徴するような場所だ。
 それがどうやら細く入り組んだ坂道の多い場所にあることが分かった。地形的には城でもあったような場所。殆ど山の斜面にかかっている。しかし家並みは続いており、奥へ行くほど古い。寺か神社にでも出るのだろうと思っていると、そうではなく、教会か、修道院のようなレンガ造りの塔が見える。十字架はない。
 ここがおそらく臍だろうと、三島氏、もうここでは探検家だ。
 その入り組んで階段の多い細い道、意外と人通りが多い。あの建物に用があるのだろう。
 こんな場所まで来る余所者はいないのか、町の人達は目を合わさない。無視している。それがかえって意識されていることになる。
 かーん、かーんと鐘が鳴る。寺の釣り鐘ではない。もっと甲高く軽い。あの建物からだろう。
 塔が近くに見えてきたとき、今までにない視線を感じた。何十人もの人間が建物の中から覗いているのだ。その姿は見えないが、フラッとなるほどの視線の集中砲火浴びている。
 三島氏は足が止まった。それ以上行けないのだ。
 そして横の枝道に入ると、視線攻撃は緩んだ。さらに下へ向かうと、楽になった。
 駅までの道で、多くの町の人とすれ違うが、誰も目を合わさない。
 そして振り返ると、また鐘の音。旅行者は町に押し出されるように駅に入った。ものすごい圧力を受けたのだ。しかし、誰かから何かをされたわけではない。
 降りては行けない駅、入っては行けない町だったようだ。
 この日誌が残っているだけで、三島氏のその後は分からない。日誌はそこで終わっている。
 
   了

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2017年05月20日

3265話 大魔神


 魔界は日常の中にポカリと開いているのだが、気付かなければ幸いだ。魔界を知っている人は、それに気付いた人。これは不幸かもしれないが、敢えて不幸な世界に入り込むこともある。しかし、そこから出てこれるだろうという暗黙の了解がある。誰に対しての了解かは分からないが、その領海に入り込むと、宝船でも浮かんでいるのか、または日常では得られないものがあるのか、それは分からないが、その殆どは怖くなって戻ってくるだろう。
 魔界はその人が見出す領域で、これは地図には載っていない。地図にない世界なので、その風景は普通の世界と変わらないが、普通の世界が実は魔界だとすれば、何とも言いようがない。
 そうなると魔界が普通の世界になってしまう。普通なので、それは魔界とは言えないだろう。
「人は全て魔界に住んでおる」
「はあ」
「全てが魔界じゃ」
「はい、ご苦労様でした。また今度」
「話を聞け」
「昨日も聞きました」
「わしの話が妙に聞こえるか」
「はい」
「それは困った」
「きっとあなたが魔界に足を突っ込んでおられるからでしょう」
「そうか」
「だから、全部の人が魔界にいると言い張るのです」
「気付いておらぬだけじゃ」
「気付けば、何か良いことがありますか」
「ない」
「じゃ、無視して構わないわけでしょ」
「そうなんじゃが」
「じゃ、今日は、これで……」
「もっと、しっかりと私の話を聞いた方がいいと思うがなあ。大事なものを取り逃がすことになる」
「あなたはそれで、取り落としたのではありませんか」
「全ての人間が取り落としておる」
「はいはい」
「人類は魔界に住む魔人じゃ」
「それじゃ、魔人だらけではないですか」
「その中の親玉が大魔神」
「神ですか」
「そう、魔界の神様じゃ」
「その人の役目は?」
「この神には下々のような役目はない。存在そのものが役目と言えるがな」
「それであなたは大魔神になろうとされているのですね」
「そうじゃ」
「じゃ、魔界も普通の世界も似たようなものじゃないですか」
「だから、この世は魔界だと言っている」
「もう、そんな面倒臭い話は」
「嫌いか」
「はい」
「だから、魔界が見えぬのじゃ」
「はいはい。お大事に」
 
   了


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2017年05月19日

3264話 見知らぬ駅


 最終電車が出たあと、間に合わなかった客が走り行く電車を見ていた。そしてホームから改札へ向かっているとき、もう一本停まっている。乗り遅れた客はそれに乗る。しかし、それは回送か、または始発まで、そこにいるのだろう。しかし、ドアは開いている。
 最終が出たのだから、この電車が出るわけがないが、同じように最終、あと一歩で間に合わなかった客が数人乗っている。
 このターミナル駅での最終は超満員。そこから考えると、一箱には一人か二人しか座っていない。酔っ払って横になっている人もいる。
 まさかホテル代わりに使う電車ではないはず。
 いつ発車するのか分からないというより、発車しないだろう。別の方法で帰る方法を考える必要がある。タクシーを奮発してもいい。朝までやっている店やカプセルホテルでもいい。友人に電話し、車で駅まで迎えに来てもらのもいいが、そんな親しい友人はいない。
 発車の合図もアナウンスもなくドアが閉まる。そして静かに動き出す。こんな便があるのなら、最終電車の意味がない。回送なら人を出してから出すだろう。
 電車は次の駅で止まる。誰も降りないし、誰も乗ってこない。次の駅でも同じだ。しかし、しっかりと停車している。まるで普通の各駅停車の電車のように。ただし無音。ドアがシューと開く程度。
 何駅か通過し、その客が降りる駅が近い。アナウンスがないので、自分の目で確認しないといけないが、外は暗く、今、何処を走っているのか、目印になるようなネオンとかがないと、分からない。
 駅が近いのか、スピードが緩くなった。あと二駅ほど先で降りるのだが、確認するため、外を見る。
 ホームに入ったとき、駅名が分かった。
 しかし、見たことのない駅名。毎日乗っているので、新駅ならできる前から分かっているはずだ。暗くて読み違えたのだろう。もう一度駅名が書かれものがあるので、それで確認すると、やはり見知らぬ駅名。
 何だろうと思い、その客は降りてしまった。いつもの駅の一つか二つ手前のはずなので、歩いてでも帰れるためだ。
 駅は無人。終電が出てしばらく立つためだろうか。しかし明かりは残っている。
 そして自動改札も動いているのか、すっと開いた。
 そして見知らぬ町が待っていた。
 
   了

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2017年05月18日

3263話 私が鳴こう雨蛙


 雨蛙が鳴いている。これは虫の知らせだ。雨が降る前に鳴くとされている。そのため、長期予報は無理だが、今すぐの変化を知らせてくれる。しかし、その程度の近さなら、人でも分かるだろう。
「雨蛙が鳴いております」
「異変が近いか」
「政変が起こるかと」
「どの蛙が鳴いておる」
「複数です。雨蛙の多さから察しますと、これは大きな政変が起こるかと」
「鳴かぬようにはできぬのか」
「さあ」
「ここで異変が起こると困る」
「はい」
「鳴きやめるように働きかけなさい」
「はい、なだめてみましょう」
「うむ」
 しかし、雨蛙は鳴き止まず、異変が起こり出した。
「申し訳ありません。何匹かは止めたのですが、数が多く」
「その中で鳴かぬ蛙もいただろう」
「はい、最初から鳴かない蛙がいました」
「それが救いじゃ」
「鳴かぬ蛙の方が多いかと」
「そうなのか」
「鳴いているのは一部です」
「そうか」
「その一部が、少しだけ多いので、目立つだけです」
「わしも鳴いた方がいいか」
「あなた様が鳴けば、蛙の大将になりましょう」
「そうか」
「鳴いているのは小さな雨蛙だけ」
「うむ」
「殿様蛙のようなあなた様が鳴けば大将になれます」
「他の殿様蛙は?」
「今のところ、あなた様の位に匹敵する人はいません」
「池田氏はどうじゃ」
「鳴く気はないかと」
「前田氏は」
「その気は最初からありません」
「同輩が誰も鳴かぬのなら……」
「鳴かぬなら」
「私が鳴こう雨蛙」
 しかし、この政変。鳴いただけで終わり、ただただ五月蠅いだけだった。
 
   了

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2017年05月17日

3262話 逸した話


 真意を隠すため、逆のことをする。よくあることだ。しかし逆のことをやり過ぎると、本意とするものが遠ざかったりする。逆に真意ではない反対側のことに成功してしまうとどうなるのか。成功したのだから、それでいいのではないか。
 悪意を隠すため、善意を示し続け、良き仲間となり、成功を収めたとき、最初の悪意はまだ残っている。たとえば、悪意を抱きながら友好的に協力し、上手く行った後、どうなるか。悪意はそのままなら、その相手を蹴り落とす作戦に出るかもしれない。
 この場合は、それほど問題はないが、真意を隠し、逆のことをして上手く行ってしまったときは、これは困るだろう。上手く行くとまずいのだ。目的はその反対側にあるのだから、目的が達成できなかったどころか、最悪の状態になったようなもの。
 真意を隠し続けていると、いつかは化けの皮が剥がれる。それは何処かでカムフラージュを外し、本性を露わにしたためだ。
「私が失敗したのは偽装し続けたためです。ライバル側はそれですっかり信用し、もう疑わなくなっていました。その油断に付け込んで、一気に、と思ったのですが、そのタイミングを逸しました」
「しかし、今では功労者の一人として」
「いや、私が天下を取るはずだったのですよ。その他大勢の一人じゃなくね」
「それは残念でしたねえ」
「おかげで化けの皮を剥がされなくて済みましたが、私の本意ではありません。彼らとは真逆のことをやりたかったのに、いつの間にかずるずるといっしょになってやってしまいました」
「あなたの功績は大きいです」
「今度異変があれば、そのときはしくじらないようにします」
「実は私もあなたと同じなのです」
「え、そうなのですか」
「実は私も狸をやっていました。あなたと同じ作戦でした」
「ほう、それは驚いた」
「いえ、他の人達も、実は」
「え、じゃ、誰も本意では無いことをやってしまったわけですか」
「全員じゃないですがね」
「困ったでしょ。別の結果になって」
「まあ、今となっては、何ともなりませんからね」
「そうですねえ」
「しかし、あなたと同じ目的だった人が殆どでしたよ」
「え」
「だから、あなたが本性をむき出して、裏切れば、大勢の人があなたに従ったはずです。そして成功していたでしょう」
「そうでしたか」
「逸しました」
「はい、逸しました」
 
   了


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2017年05月16日

3261話 雨の土曜日


 梅雨の肌寒い雨の土曜日。休みなのだが高田は出掛ける気がしない。いつもより遅い目に起きてきたというより、寝たいだけ寝て、自然に目が覚めたときに起きた。これができるのは休みの日だけ。土日が休みなので、起床時間はこの二日だけ違い。二日続けると、三日目は前日と同じ時間にならないと起きられなくなる。それが月曜日の苦しみなのだが、今朝はまだ土曜日。明日のことなど気にしなくてもいい。
 朝、食べるために買っていたパンも、土曜の分はない。急いでかじって出掛ける必要がないためだ。
 しかし腹が減ってきたので、近所の喫茶店でモーニングを食べることにした。近いので雨でも何とかなる。
 だが、その喫茶店のトーストはパサパサで、しかも硬い。コッペパンをかじっている方がましだ。それで、もう一つ先にある喫茶店まで行くことにした。予定では友人が開いている個展へ行くつもりだったが、少し遠いし、雨では気合いが入らない。駅からも遠い。郊外にある町にできた画廊だ。そんなものはすぐに消えてしまうはずだが、やっていけるのは道楽のためだろうか。
 高田も趣味で絵を画いていたのだが、その仲間の中で一人だけ頑張っているのが、その友人。
 家が裕福なのだ。それで遊んでいても問題はないらしい。いくら裕福でも、遊んでいてもかまわないという親ばかりではないが、その親たちも遊んでいるようなもの。資産家一家なのだ。
 もう一つ先の喫茶店に高田はいる。雨はきつくなってきており、しばらく歩いたので靴が濡れてしまった。ズボンの裾も色が変わっている。
 そこでふんわりとしたソフトタイプのトーストを食べる。今日は出掛けるつもりはないので、これが今日のメインだ。休みの日、何をしたのかを忘れるほど印象に残りにくいが、いつか何処かであの雨の日曜日、少し遠いところにある喫茶店まで行き、柔らかいトーストを食べたことを思い出すかもしれない。この喫茶店でこれを食べるのは二回目。だから日常化していない。
 特にこれということもなく、喫茶店を出て、また雨の中を戻っていたとき、見た覚えのある後ろ姿。長身で長髪で猫背。彼に違いない。こんなところにいるわけがない。今頃画廊にいるはず。人違いだと思いながら、じっと見詰めながら歩いていると、前方の男が振り返った。彼だ。そしてそのまま早足で歩き去った。
 何だろうと思ったのだが、その前に、彼は傘を差していなかったのだ。
 高田はすぐに電話をかけると、彼の声。そして画廊で待っているとのこと。
 やはり人違いだったようだ。
 
   了

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2017年05月15日

3260話 虫男


 世の中には虫の知らせがある。この場合の虫で多いのは蝶々だろうか。結構曖昧な飛び方をし、花がそこになかっても、飛んでいたり、また人に付いてきたりする。しかし、一年中飛んでいるわけではないので、冬場は虫の知らせが少ないということになるが、その頃は別の虫でもいい。虫というのは小さな生き物で、蛇程度までは虫の内。子犬ほどになると、もう虫とは言えない。昆虫でもいいし、爬虫類でも両生類でもいい。大きさが問題なのだ。そして、人前に出てきたりすること。さらに不自然と思える動きをすること。目立たなければ虫の知らせは成立しない。
 ここに虫の知らせだらけの人がいる。虫男と呼ばれ、重宝がられている。虫男に聞けば何が起こるのかが分かるためだ。
 虫男は最初は虫を専門にしていたが、風でも、雲でも良いし、揺れる梢でも良いし、川の流れでも良いし、また、人の動きでも良くなっている。そのため、非常にレベルの高い予言士だ。気象予報士のようなものだが、その範囲は広い。人の天気まで見てとれる。
 ただ、虫男にはそれを見る力はない。虫の知らせで分かるだけなので、未来を見る目ではなく、虫の知らせを見る力がある程度。
 虫の知らせはその人にしか分からない。他の人が同じものを見たり、感じたりしても、ピンとこないだろう。だから虫の知らせは本人専用。
 ところがこの虫男は、他人のことまで分かる。それは依頼者をじっくりと見る。依頼者の中に虫の知らせが含まれているのだ。それは衣服や動作などに、ピンとくるものが出るらしい。衣服の形や色などだ。
 要するにこじつけなのだ。しかし、虫男から見ると、それが閃きとして分かるらしい。因果の外の話になってしまうのだが、これが結構当たるようだ。
 そのため、本来の虫の知らせというものからかけ離れ、ただの予言士になってしまった。そして、その殆どの予言はでまかせなのだが、本人はそのつもりはない。見たまま語っている。予言者自身は本当のことを言っていると信じている。ここがミソで、そのため後ろめたさがない。ただの虚言なのだが。
 その虚言を聞きに、依頼者がやってくる。これも実際には嘘だと分かっているのだ。しかし、虫の知らせを待っていても来ないので、それに代わって、虫男から虫の知らせを聞きに来る。
 当然、それらは眉唾物で、適当に言っていることは分かっている。ただ、虫男は相手を欺す気はない。非常に神妙に虚言を真摯に吐き続けている。
 その虚言だが、その中の一つがたまに当たることがある。確率的に、有り得ることだろう。
 
   了

 
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2017年05月14日

3259話 ある集まり


 垂水はある面倒な集まりに行くことになり、それがプレッシャーとなっていた。特に何かが起こるわけではなく、命が狙われているわけでもなく、悪いことが起こるわけなどない一種の親睦団体。人数は数人。人情的には行きたくないが、義理があるので顔を出す必要がある。行ったというだけで目的を果たせる程度なので、簡単な話だ。ややこしい交渉事や決め事をするわけではない。
 垂水が面倒がるのは集まる人が全て年上のためだろう。それで気を遣う。これが面倒なのだ。
 約束の日が近付いて来るに従い、落ち着かなくなる。だから当日まで忘れていた方が良いのだが、それでは行けなくなる。何処か頭の隅っこに仕舞っておけば良いのだが、目立たないところがいい。その集まりのことを思っただけでも鬱陶しい気になる。
 それは一ヶ月前に決まったことだが、一ヶ月間、ずっと気になっていたわけではない。一週間後に迫った頃に射程距離内に入った。そろそろその日が近いことを思い出したからだ。片隅からそれが起動したようなもので、まったく忘れてしまっていれば、思い出しもしないだろう。それは日にちを覚えていたからだ。そのため数週間は圏外で、先のことなので、気にならなかった。
 これが一年前に決まった話なら、その月が来たとき、気付くだろう。今回は一月前に決まったことなので、その週に入る手前で思い出した。
 頭の片隅からの起動。よく覚えていたものだ。だから片隅で覚えていたのだろう。楽しいことなら、何度もそれを思い出すが、嫌事の場合、できるだけ奥の方に引っ込めている。
 一週間後はまだ余裕がある。まだ先だ。そして二日後に迫ったとき、平和なのは今日だけで、明日になるとその翌日が当日になる。二日前なら、明日はまだ無事だ。だから、ここは安全地帯。普段通りに過ごせる。
 そして前日になった。集まりは昼頃。そして前日の昼頃になったとき、明日の今頃は、となる。かなり迫ってきている。
 そして当日。朝起きてすぐに集まりがあるわけではなく、昼頃なので、午前中はまだ安全地帯。寝起き行く散歩はまだまだ日常の延長。いつも通り過ごせばいい。
 そして午前中の用事をしているときも、まだ大丈夫だ。集まりのある場所への到着時間を計算に入れると、まだ二時間ほどある。一時間前までは、まだ安全地帯で、自分の世界。
 そして出掛ける一時間前になった。まだ一時間あるが、このときから崩れ始める。もう至近距離に入っているのだ。
 そして家を出る。しかし、駅までの道は、まだまだ自分のペース。圏内ではあるが、最中ではない。行く途中で、まだ現場には到着していないのだから。
 車内の中で、少し居眠りをする。何事も起こっていない。最後の安らぎの場だ。
 しかし、駅から降りて、集まる場所までの道も、まだ大丈夫。しかし殴り込みにでも行くような顔になっている。あと数分で、本番が始まるようなものだ。
 そして、集まりは無事終わり、思ったより早く解散した。
 垂水が恐れていたことなどは起こらなかった。集まった人々は垂水には友好的で、和やかなうちに終わった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:33| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

3258話 知者の果て


 印象や感想などは、それまでの経験から浮かび上がることがある。海を知らない人がいきなり海を見たときの感想と、何度か見た人とでは違うだろう。知っているためだ。知覚は対象だけでは決まらないということだろう。いつも近くで見ているものを遠くから見ると、少し新鮮だ。しかし、まったく知らないものではないため、小さく見えるというスケールが加わる。最初から遠くからでしか見えないものとは、また違う。
 また、ただの知覚の履歴だけではなく、それにまつわる経験が加わる。そして好悪も加わるのは、経験の違いかもしれない。多くを知り、多くを経験すれば、良いというわけではなく、何等かのフィルターが被さることもある。知らなければすっと行けるところでも、下手に知っていると行けなかったりする。
 しかし、そういう単純な経験だけで人は生きているわけではなく、そういうことも分かった上で判断する。色々と差し引いたり加えたりするわけだ。
「経験が足を引っ張るわけですかな」
「そういう面もあるでしょ。年寄りほど慎重になるのはそのためかと」
「若い方が怖いもの知らずで無鉄砲なことができると」
「それは私の経験から言っていることで、誰にでも当てはまることではありませんがね」
「物を知ることで馬鹿になるとか」
「物知りほど馬鹿だったりしますね」
「それは手厳しい」
「人をよく知る人ほど人を知らない」
「よく知っているはずでしょ。色々な人達を見てきているので」
「それだけではだめなんでしょうねえ。ものすごい数の人と接している人が、人を見る目があるとは限りません」
「では、どうすればいいのでしょう」
「そういうことを自分で考えることです」
「はあ」
「それが一番」
「それも含めて、経験豊富な人もいるでしょ」
「頭を真っ白にはできませんから、白紙の状態で考えることも無理です」
「その場で考えるというのも無理ですか」
「何かに片寄っているはずです」
「困りましたなあ。では、どうすればいいのですか。あ、これは自分で考えなさいということでしたね。では、他の方法は」
「成り行きとか、たまたまが、結構効きます」
「偶然ですか」
「そうです」
「それは何ですか」
「カンのようなものかもしれませんが、違うかもしれません。カンも何等かの引力で引っ張られていますからね」
「最終的には何でしょう」
「何でしょうねえ。それを決めないことですかね」
「何を」
「だから、方法をです」
「自分なりの方法というか、考えですね」
「そうです。それが先ず臭い」
「臭い」
「臭いものにずっと引っ張られています。自分自身の結界のようなものでしょう」
「じゃ、神頼りで、おみくじでも引けばいいんですか」
「どう判断するかが分かっていれば、つまらんですよ」
「はあ」
「よく分からないから、いいのです」
「あなたのお話もよく分からないですが、あまりよくはなかったです」
「あ、そう」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

3257話 阿弥陀道


 里山から少し入った所に阿弥陀道がある。そこに阿弥陀如来がいるとされているが、如来がいるのか、如来像がいるのかは曖昧だ。仏像が仏なのか、仏が仏像なのか、それはさておき、この道はハイキングコースにもなっている。鬱蒼と茂る雑木林が続き、小径が何筋も出ている。同じ樹木だけが何本も並んでいる植林とは違う。
 元々はお寺の土地だったらしく、寺の本尊が阿弥陀如来。廃寺になってから年月が経つためか、寺があった頃の石垣が残っている程度。
 阿弥陀道を抜けると高い峰が見えてくる。そこから先はハイキングではなく、登山になる。峰の頂上を目指すのも良いが、帰りがきつい。それに峰の向こうはさらにまた別の山並みが続き、それが海岸まで続いている。海に出たとしても寒村がある程度で、鉄道も走っていない。
 阿弥陀堂があるのは、この大きな半島の中央部だろうか。
 阿弥陀道は幾筋にも分かれ、さらに枝分かれしている。何のために、こんな小径が多いのかは分からない。湧き水で削られた道がメインの道で、これは自然にできたようなものだが、その他の道は人が通したものだろうが、多すぎる。
 ハイカー達は、それで迷ってしまうのだが、よく考えると、阿弥陀道なのだから、これは阿弥陀籤なのだ。つまり、廃寺の広い森がそのまま阿弥陀籤の面になっているようなもの。それ以外にこの道の説明が付かない。
 当時はよく分からなかったのだが、航空写真を見ると、阿弥陀籤そのもの。しかし、阿弥陀籤と違い、複数の線が下へ下り、その間を横の線が不規則に入るのではなく、直角にはなっていない。
 本尊の阿弥陀堂があった場所が、この阿弥陀籤の大当たりだろうか。この場所にはなかなか到達しないように作られている。
 阿弥陀籤の目的は阿弥陀堂へ出ること。ただ、そんなプレーをする人などはおらず、阿弥陀道の端にある崖まで行くのが目的。そこから半島では最高峰の峰が見える。ベンチもあり、土日には茶店も開く。
 寺の謂われは残っていないが、とある貴族の私寺だったらしい。菩提寺のようなものだが、没落し、寺も放置されたようだ。
 里山の奥にある山寺。ある意味、その貴族の別荘のようなものだったようだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする