2017年06月30日

3306話 超常現象


 語られている怪談よりも、それを語っている語り部の方が怪しい場合がある。なぜなら、大きな嘘をついていたり、また話に矛盾があるためだ。怖いのは怪談ではなく、語る側にある。
 そのため、怪しげな人が語ると、全て怪異談になったりする。話そのものが怪異談で怖い話でなくても怖い。それは現実には有り得ない話になっているためだ。これは単に語り手がうっかりしているだけのこともある。事実関係を間違ったとか、後先があべこべになっていたとかだ。ここは本来怖くはない箇所だ。
 話そのものが怪談で、内容が怪談ではない。語り方が怪しいので、怪談となる。これは別の怖さがある。本来持っている怪談の怖さではなく、有り得ない話になっているためだ。有り得ない話をするのが怪談だが、普通の話でも有り得ないことが起こっている。
 たとえば三人の人物が部屋にいるとされているのだが、三人目の人に触れないまま終わる。実は三人目の人について語るのを忘れていたのだ。そして三人目の人は怪談とは関係しない。いなくてもいい人物だ。それなのに、部屋に三人いるとなっている。そして怪異が起こるが、その怪異よりも、最後まで触れられていない三人目の人物の存在が怖かったりする。
 また登場人物の言葉が男性から女性に始終変わっていたりとかも。これは語る側のミスなのだが、こちらの方が本筋よりも怖かったりする。
 怪談に限らず、普通の話でも、そういったおかしなことが起こっている。ある現場へある人が駆けつけるのだが、距離と時間、交通機関などを考えれば、無理なことがある。そこまでどうやって来たのか。これはものすごい乗り物を使ったのか、ワープでもしたのだろうか。
 またヒロインが曲者に襲われる直前、間一髪で手裏剣を投げて助ける人がいる。用心棒のようなものだが、常にヒロインを遠くから守っているのだが、これは尾行に等しい。しかも四六時中。そうでないと間に合わないだろう。さらに誰からも気付かれないように護衛するわけなので、これはものすごい労力だけではなく、技術もいる。
 当然、偶然の同時多発。これはもうホラーよりも凄い現象が起こっているに等しい。超常現象を見る思いだ。
 世の中には不思議なことが多いが、普通の話でも不思議なことが起きている。
 
   了

 
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2017年06月29日

3305話 廃寺の怪


 その地に寺院跡があるのだが、廃寺ではない。建たなかったのだ。この地の有力者が誇示するために建てようとした寺で、それは今で言えば城ほどの規模があった。権力の象徴のようなものだ。その有力者は没落し、歴史から消えた。歴史は勝利者のためにあるため、この有力者のことは軽く触れられる程度。
 しかし基礎工事程度はできていたらしい。その途中で政変が起こり、永遠に中止となる。だから寺の名さえない。建てる前にそれらしい呼び方があったのだが、そういった文書類は残されていない。きっと燃やされたのだろう。しかし、どんな寺を建てようとしていたのか、生き残った子孫達が書き残している。ただ、その原文はなく、写しだ。
 その敷地跡は今も残っている。山際の雑木林で、里山のような場所。農村時代も、不思議とそこは家を建てなかったし、畑にもならなかった。平らな場所だが入山権が絡む共有地で、個人のものではない。
 それは言い伝えがあるためだ。つまり、ここは弄ってはいけない場所とされていた。
 歴史家も、その意味が分からない。ただ、寺の建造物に詳しい人がおり、ある噂を聞いている。例の古文書から漏れてきた噂だろう。その写しが残っていたのだが、それもなくなり、口伝となった。
 建立時期、流行ったものがあったらしい。流儀のようなものだ。それは基礎工事のときに行われる。地鎮祭のようなものだが、独自のもので、今はもう廃れて、寺院建立のマニュアルにはない。神社ではなく、寺に限られるようだ。
 それは埋め仏と呼ばれるもので、柱の中に填め込まれるタイプではなく、土中に埋める。その流れから、これは人柱に近い。人ではなく、もったいなくも仏様を埋める。だから埋め仏とは仏柱のようなものだ。人身御供、生け贄だ。それが人ではなく仏像というのが変わっている。
 この場所に埋められているらしく、そのため弄ってはいけない土地になったらしい。
 実際に共有地のため、権利関係が難しく、そのまま放置されているため、手付かずなだけ。よくある裏山の芝刈り山だ。
 もし個人の山だったとすれば、とっくの昔に宅地化されていただろう。または大きな施設程度は建てられるだけの平地もある。
 仏像を土中に埋める。そういう儀式があったのだろうが、これもあまり流行らなかったらしいが、土中から地蔵が出てくる話は結構ある。
 この場所、掘れば寺院の規模などが分かるはずで、塔か金堂の下に、仏像が埋まっているかもしれないが、掘り返すと仏罰を受けるとされ、口にする人はいない。それ以前に、そんな言い伝えを知っている人も少なくなった。
 
   了

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2017年06月28日

3304話 傘妖怪


「雨ですなあ」
「久しぶりです」
「土砂降りの雨のとき、旅館の二階にいました。そこから下の通りを見ていましたよ」
「旅行も台無しですなあ。雨じゃ」
「旅行ではなく、人と待ち合わせていました」
「旅館でしょ。だから観光地ですか」
「そうです。海辺にある名所で、旅館や土産物屋が軒をつられていますが、結構寂れていましてねえ。半分以上は廃業ですよ。平日だったので、土産物屋も殆ど閉まっています。旅館にも土産物は売っていますから、問題はないのですがね」
「旅先で待ち合わせですか」
「少し込み入った話がありましてね。こういった静かな場所がふさわしいので、ここで会うことにしたのです。話も長くなるので、ゆっくりとできる場所。だから旅館なら丁度でしょ」
「そうですなあ。一体どんな方とお会いになられたのですか」
「あるものを調べてもらったのです。その報告を、ここで聞こうと」
「はあ、趣向を凝らしすぎじゃありませんか」
「いや、この土地に関係する話でしてね」
「何を依頼されたのですか」
「おばけです」
「おばけ」
「はい」
「それはまた」
「化け物の正体をじっくりと聞きたいと思いましね」
「あなたも、その調査の人もこの土地の人じゃないのでしょ」
「そうです。しかし、どうもこの土地と関係するらしいので、いっそのこと、ここで報告を聞こうということになったのです」
「はい」
「寂れた雨の旅館街に人はいません。誰も歩いていません。そこを骨の折れたような破れ傘が歩いてきました。上からでは傘しか見えませんが、きっとあの人だろうと確信しました。約束の時間とピタリ合いますしね。きっと彼だろうと」
「はい」
「そして軒下に消えました。この旅館の軒下なので、やはりそうだったと確信しましたよ。しかし、いつまで立っても案内が来ない。客が訪ねてきたと旅館の者が言ってくるはずなのにね」
「別の人だったのかもしれませんねえ」
「それで、帳場へ降りて聞いてみると、誰も来なかったと」
「それだけで、もう十分怪談でしょ」
「そうなんです」
「会わずじまいになったのですか? しかし、それらしい人がその時間に来たのでしょ」
「そうなんです。消えたのです」
「雨宿りをしていただけじゃないのですか。あなたが上から見た傘の人は」
「傘があるので、雨宿りの必要はないでしょ。傘がなければ別ですが」
「きつい降りなら傘があっても雨宿りしたくなりますよ」
「しかし、彼でした」
「じゃ、会われたのですね」
「電話しました」
「はい」
「すると、約束の時間に来たらしいのです」
「でも上がってこなかったのでしょ」
「実は」
「その実は……を聞きたいです」
「旅館で私のことを言ったようですが、そんな人は泊まっていないと言われたらしいのです」
「別の旅館に入ったのでは」
「いや、この旅館です。入ってくるのを見たのですから」
「じゃ、その人は何処で電話を受けたのですかな」
「近くの土産物屋です」
「じゃ、近くにいるのでしょ」
「それで、もう一度宿屋の名前をしっかり伝えたのです」
「懸命です」
「窓から下を見ておりますと、またあの骨の折れた傘の人がやってきて、軒下に吸い込まれていきました」
「今度は間違いありませんね」
「しかし、宿の者が知らせに来ないのです。それでまた帳場に降りて聞いても、誰も来なかったとか」
「あなた」
「え」
「あなたが待ち合わせた相手というのは、幽霊では」
「はい、それはあとで分かりました」
「どんな幽霊ですか」
「幽霊ではありません。お化けです。だからそれを調べて欲しいと依頼したのですが」
「じゃ、来たのは誰なのです」
「傘です」
「傘」
「傘のお化けですよ。上からじゃ傘しか見えなかった」
「しかし、電話したら出たのでしょ。調査員が」
「はい」
「じゃ、傘のバケモノと、調査員とは別人でしょ」
「そこが曖昧で」
「この地に昔から出るとされる番傘の妖怪らしいのですが、今は蝙蝠傘に変わったようです」
「しかし、電話に出た人はどうなりました」
「やはり土産物屋にいたようです」
「その人に話を聞けば早いじゃないですか。その調査報告で来ているわけですから」
「そうです」
「それで、会われましたか」
「会えました。ただし今度は私から土産物屋まで出向きました」
「それは懸命でした」
「雨はもうやんでいました」
「それでどんな報告でした」
「よく分からないとか、言ってました」
「頼りない調査員ですねえ」
「怪現象専門の有名な博士です」
「なんていう名です」
「妖怪博士」
「じゃ、調査員が妖怪だったのですね」
「博士によりますと、その傘妖怪は、傘だけでは怪しまれるので、人に差してもらうとか」
「一本足じゃ、目立ちすぎるからですか」
「そうです」
 
   了

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2017年06月27日

3303話 神秘家の果て


 神秘事というのは、その人がそう感じないと起こらない。従って起こっていても、気付かない。神秘事を気にしていると、神秘事が起こりやすい。神秘家は神秘事ばかり気にしているので、起こりっぱなしだ。
 世の中には不思議な出来事がある。それを不思議だと感じなければ、不思議なことも起こらない。しかし、本当に不思議なことが起こっているかもしれないが、そういう組み立て方をしないため、スルーするだろう。
 これは不思議だと思うには、それなりの事情を把握していないと無理で、不思議ではないことを多く知っている必要がある。知っていれば不思議なことでも、それはもう謎ではない。
 神秘事も不思議なことも、それを受け取る側の問題で、これにはその人の時期のようなものがあるのだろう。この時期とは結構精神的な時期で、不思議なものに対する感度が上がっている。精神生活上に何か亀裂でも生じているのか、普段なら切れ目のない事象でも、繋ぎ目のようなものを見てしまうためだろうか。これは裂け目のようなもので、神秘事が発生するクレパス。
 精神的なもので、全てのことを説明するには無理があるが、不思議なことを大袈裟に言い過ぎる時期と、そうでない時期がある。
 山村は昔は神秘事が大好きだったが、今はノーマルになっている。その頭があまり働かなくなった。要するにそのモードに入らないのだ。精神的な問題ではなく、飽きたのだろう。
「神秘家としては失格ですなあ、山村さん」
「そうなんです。困った話です。怪談を聞いていても乗りが悪く、しらけてしまうようになりました」
「それはもう素質が剥がれたのでしょう」
「剥がれた」
「使いすぎたのです」
「神秘力をですか」
「そうです。謎だったものを解き明かしすぎたのでしょう。謎を謎のままにしておけば長持ちしたのにね」
「神秘心を薄くなり、淋しい思いをしています。ものすごい御馳走が目の前にあるのに、食欲がないときのようです」
「しかし、山村さん」
「はい」
「山村さんがどう感じようと、神秘事は起こっています」
「そうなんでしょうなあ。それに食いつけた頃が懐かしいです」
「しかし、本物の神秘事、怪現象に遭遇しなくて良かったですねえ」
「はい、幸いでした」
 
   了

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2017年06月26日

3302話 風情


「さみだれをご存じですか」
「五月雨ですな」
「そうです」
「五月に降る雨ですか」
「そうです」
「それが何か」
「六月雨とは言いません」
「それが何か」
「だから、五月雨とは梅雨時に降る雨」
「ああ、旧暦ですからなあ」
「五月雨は実は六月雨なのです。今の時代では」
「それが何か」
「しかし、雨が降らない。今年は空梅雨のようです」
「それが何か」
「あなた、さみだれって、言いますか」
「言いません」
「じゃ、使うことはないと」
「はい。だから、五月雨も六月雨の違いがあっても、困りません。何月に降ろうと、雨は雨」
「それじゃ、風情がない」
「今は今の風情があるでしょ」
「ほう」
「雨の日のテールランプが綺麗だったりしますよ」
「車の後ろの、あのブレーキのランプですか」
「そうです。それが今の風情ですよ。昔はそんなものはなかった。提灯行列は年中やってないでしょ」
「ネオンなんかそうですねえ」
「あれも今の風情でしょ。しかしなかなかいい言葉ができない」
「自然現象ではないからでしょ」
「ああ、なるほど」
「名を付けたり、別名で言うのは今も昔もあるのですがねえ。風情が」
「いやいや、風情だけを楽しんだりする人ばかりじゃないですから」
「通人が減ったのかもしれませんねえ」
「粋な言い方とかね」
「そうです。しかし、世の中そんな人ばかりじゃない。花より団子の人が結構いる」
「あなた、どちらですか」
「団子」
「ほう」
「しかし、三色団子には風情がありますよ」
「ああ、色目がねえ。和菓子はそういうのが多いですから、あれも風情でしょうねえ」
「三色団子の三色は季節を表しています」
「でも三つでしょ。あとの一つは」
「秋です」
「秋がないのですか」
「聞いた話によりますと、秋がないのは、いくら食べても飽きないと団子屋が引っかけたようです。まあ、四つじゃ縁起が悪いこともありますがね」
「はい」
「まあ、これは古典です。新作が見たいですなあ」
「今のことを言い合わした風情のある言葉ですか」
「そうです」
「昔は流行歌に、いいのが盛られていたのですが、もう流行らないのでしょうなあ」
「風情って何でしょう」
「風景の情感です」
「そのままですなあ。それじゃ風情がない」
 
   了

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2017年06月25日

3301話 深み


「昔の映画は深みがありましたなあ」
「いつの頃の映画ですか」
「私はエノケン世代です」
「それは古い」
「板妻とか」
「今はその息子もすっかり老人で、もう亡くなった人もいますよ」
「その息子の年代です。私は」
「どうしてでしょうねえ。その深みは」
「さあ」
「白黒だったためでしょ」
「いや、総天然色映画でしたよ」
「モノクロ映画なら、意味は分かります。深みがある意味がね」
「どうしてでしょう」
「色が見えない」
「はい」
「隠されているので、深みがある」
「そうなんですか」
「分かっていない箇所があると深く見えます。謎とまではいいませんがね。おそらくこんな色だろうととは想像できますよ。青い空と白い雲。白黒でも青いんだろうなあとは分かりますが、青を見ていない。青空を見ていないが、認識はしています。ただ記憶ですなあ。空は青いと。だから補充して見ているわけですが、実際には青さなどは感じていません。色目などはね。だから夢の中で見た風景のようなものですよ。だから、遠い風景のように見えて、奥深さを感じます」
「深みですか」
「奥深いというか、まあ、見えないので、そう感じるのでしょうねえ。全部見えてしまうと味気ない。隠れているからいいのです」
「でも総天然色やパートカラーの映画でも深みがありましたよ。今のよりも」
「パートカラーって何ですか」
「一部カラーになります」
「あ、そう」
「やはり役者だと思いますよ」
「エノケンがお気に入りだったのですか」
「はい」
「今でもそれ以上の俳優がいるとは思いますが、また違うのですね。深みが」
「そうです。まあ、作り方が違うためでしょうなあ。今じゃ私より年の下の者が作っている映画ですから。孫が作った映画なんて、深みがねえ。底が知れていますよ」
「それが理由かもしれませんねえ」
「それと」
「まだありますか」
「はい」
「何でしょう」
「筋がドタバタして落ち着きがない」
「それは脚本がそうなっているからでしょ」
「それに画面も派手で、落ち着きがない」
「そういう演出なんでしょ。今の人が退屈しないような」
「漫画ものらくろ時代は読みやすかったのにねえ」
「のらくろですか」
「舞台を見ているようで、分かりやすかったです」
「まあ、そういうものは時代に即して変化していくものですよ。今の人は今の人なりに別の深みを見ていると思いますよ」
「そうなんでしょうなあ」
「そうなのです」
「でも深みって、何でしょう」
「闇が見えるかどうかです」
「あ、そう」
 
   了
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2017年06月24日

3300話 線病


 ペンは何か良い響きがある言葉で、内村は昔からペンが好きだ。鉛筆よりもシャープペンが好きなのは、仕掛けがあるためだろう。そして金属や樹脂でできている。精密機械のような仕掛けで、鉛筆もいいのだが、長く使うと短くなり、使い捨てとなる。シャープペンならいつまでもその軸を使える。いつもの使い慣れたペンとして。
 つけペンや万年筆でもいい。ボールペンでもいい。ペンと名が付けば良かったりする。それを使って書くのは絵や文字だが、最近ペンを持つことが減っている。筆記用具をあまり使わなくなったためだ。鞄の中にメモ帳とボールペンを入れているのだが、取り出してメモすることは殆どない。カメラで撮した方が早かったりする。
 またペンを使わなくなったのはパソコンやスマホの時代になったためだ。ペンがキーボードになったようなものだが、書くことには変わりはない。
 内田はペン画が好きなのは、ペンで書かれたものというより線で書かれているためだ。その線をペン先だけで書く。インクの軌跡が線になる。また線と線の間隔や重ね具合で濃淡ができる。世の中は線ではできていない。線など何処にもない。書いた線は存在するが、線の集まりが風景ではない。
 文字も線の集まりで、点もあるが、面はない。しかし書かれた一文字は面的に見える。そこではもう線などは見ていない。線で構成された図柄を見ているようなものだ。よく目にする文字なら見ただけで分かる。そうでないと文章など読めないだろう。
 ところが内田には線病がある。風景が線で見えるわけではないし、何でもかんでも線に置き換えて見えているわけでもない。そうではなく意味をなさない線だけが見えてしまうことがあるためだ。決して異常なことではないが、インクの濃さが気になったり、紙の白さが気になったりする。同じ白い紙でも同じ白さではない。材質が違うと反射が違うのだろう。また、同じ紙を複数重ねて見たとき、後ろ側と前側とでは紙の白さが違う。光線は同じように当たっているのに。
 文字を見ても、インクの盛り具合が気になったりする。余計なものを見ているのだ。
 本質を見ないで枝葉ばかり見るのとはまた違う。ものそのものよりも、その側面ばかりを見ているのともまた違う。もっと無機的なものを見ているのだ。
 内田は人が話していると、その唇を見る。目でも顔でもなく、口だけ。しかも唇だけ。こういう唇ならこういう声になるはずと、思った通りの声や喋り方になっていたりする。唇を見れば、この人はどんなタイプの人なのかも分かったりする。そして話の内容よりも、唇という機能や形ばかりを気にしている。しかし、話を聞いていないわけではない。
 線病は物の輪郭を見るのではなく、線そのものを見ていることになる。線によって表されたものではなく、その線が綺麗とか、一寸ギザッとしているとか、太いとか、細いとか。それを見ている。
 また、一般的な風景も、線画に一度変換して見たりする。内田は絵は得意ではないので、画けないが、頭の中で線画を画いている。
 しかし、線やペンが好きなのだが、文字は汚い。希有な特性だがアーチストにはなっていない。
 だが、文字や絵は下手だが、内田の線は非常に綺麗だ。
 
   了

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2017年06月23日

3299話 式蚊


 妖怪博士のもとに、些細なことで相談に来る人がいる。その人が妖怪に見えたりする。
「耳に蚊です」
「はい」
「寝る前、耳元に蚊が来て、喧しくて」
「空襲ですなあ」
「それで、耳ごとパチリとやってしまい、耳は痛いが、頭も痛い。ふらっとしましたよ。格闘技のようですよ。寝ている人間を上からパンチ、あれは効かないと思っていたら、結構効きます。何せ頭はそれ以上移動できない。後ろは枕ですから。固定されるわけです。パンチをモロに受けてしまいます。しかし、また襲ってきたので、叩き損ねたようです」
「はい」
「それで、納得してもらおうと」
「納得ですか。あなたが」
「いや、蚊です」
「蚊が納得」
「そうです。刺されりゃいいんだ。大した血の量じゃない。血が欲しいのなら持ってけ泥棒で、くれてやりましたよ。すると、もう来なくなりました」
「それはいいことをされましたねえ」
「そうなんですか」
「耳にくる蚊を式蚊と呼んでいます」
「しきか」
「式神のようなものです」
「式神って紙じゃないのですか」
「何でもよろしい。紙でも虫でも」
「はい」
「軽さからいえば式神と蚊は似ています」
「じゃ、式神に襲われたのですね」
「式蚊に襲われたということです」
「何か意味はあるのですか。普通の蚊だったと思いますが」
「見なかったでしょ」
「はい」
「実は、姿がないのです。音だけです」
「はあ」
「じゃ、式蚊は蚊の姿をしてないと」
「音だけが蚊に似ています」
「なぜ私が式蚊に襲われるのでしょう。誰かが式蚊を飛ばしたのですか」
「そうでしょう。恨みを晴らすためにね」
「しかし、大した晴らし方は方じゃないですよ。寝付けない程度です」
「きっと弱い目の式神なんでしょうなあ」
「そうなんですか」
「式神の中で、一番弱いのが式蚊です。蚊に刺された程度のダメージでしょ」
「そうです。しかし、耳たぶが一寸腫れていました」
「じゃ、それで恨みを晴らしたのでしょうなあ」
 
   了

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2017年06月22日

3298話 夏の思い出


「夏の思い出、ですか」
「そうです」
「いくつもの夏を過ごしてきましたので、色々と思い出はあるのですが、暑いほど思い出として残るようです」
「夏の思い出ですからね」
「だから、暑い思いをしたというのを先ず思い出してしまいます。炎天下山道を歩いたとかね。大した意味はありません。バスがあると思っていたのですがないのです。バスはありますよ。しかし昼に一本だけ、それを過ぎていましたから、次は夕方一本。朝一本。これじゃ歩くしかないでしょ。少し山中なのでタクシーを呼ぶわけにもいきません。車も少ない新道でしてね。こんな道路、必要じゃなかったのでしょうねえ」
「そこを歩かれたとか」
「車道はアスファルトの照り返しで暑いですからね。それに日影も少ない。それに車が少ないので、結構飛ばしているんです。カーブが多いのにね。それで、山道に戻りまして、昔からある里へと続く道を進みました」
「はい」
「夏山はもう少し高い山か渓谷でないと涼しくありません」
「思い出とはそれだけですか」
「原っぱに出ましてねえ。もう里山に近いのですが、日影がない。木が近くにないのでね。その白い道が遠くまで延びていました。炎天下、そこを何処までも歩くのかと思うと、もうそれだけでも疲れてしまいましたよ」
「その道を歩かれたのが、夏の思い出ですか。余程印象に残ったのですね」
「いや、暑いだけで、他に何もありません。風が少しでも吹くと気持ちが良かった。瞼から汗が垂れ、目に染みました。滅多にそんなことにはならないので、余程暑かったのでしょうなあ。まあ、単純な話ですが」
「どうしてそれが印象深かったのでしょうか」
「さあね」
「でも、真っ先に思い浮かんだわけでしょ。夏の思い出として」
「なぜでしょうねえ。それを思い出したのですから、仕方ありません。他にも色々とあったはずなんですが」
「それで無事に山から下りてこられたのですね」
「そうです。つまらん話でしょ」
「いえいえ」
 
   了

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2017年06月21日

3297話 貧乏封じ


 大木ヶ原は高原にある村落地帯。山岳部にあるのだが、平らな場所もある。そのはずれに空き家となっている屋敷がある。ここには庄屋屋敷はあるが、武家屋敷はない。郡代屋敷もない。庄屋が請け負っていたためだ。そのため、武士の姿を見るのは希。それなのに武家屋敷が大木ヶ原の外れにある。殿様の隠れ家、別邸のようなものだが、今は誰も住んでいない。ついこの間までは家督を譲った殿様が、しばらく住んでいたが、不便な場所なので、すぐに引っ越した。この当時、治世が悪くなると、さっさと引退したようだ。そのため、まだ若い時期に息子に譲ることが多かった。一時しのぎだが、責任の取り方の一つだろう。領民はそれで納得した。
 さて、その外れにある屋敷だが、これも実際には贅沢ということで、閉めたようなものだ。
 その屋敷を管理しているのは庄屋の執事。その執事の息子がたまに見回る程度。そして、見てしまう。
「何者かが住んでいるようです」
「村のものか」
「違います。老人です」
「御領主の家族では」
「物乞いのような服装でした」
 辺鄙な村だが、物乞いがいないわけではない。この領内ではお構いなしとなっている。つまり、捕らえたりはしない。
「ぼろ布の浴衣で、帯の代わりに縄で」
「山の人達とはまた違うなあ」
「はい」
「一人か」
「はい」
「物乞いの住処になると困る。追い出せ」
「はい、父上」
 屋敷には大広間があり、一段高い場所があり、そこにひなびた老人が寝そべっていた。
 執事の息子がそっと近付き、出ていくように伝えた。
 老人は哀しそうな顔をしながら、出ていった。
 その後、領内の財政が厳しくなり、年貢が上がった。このままでは一揆になる。領主は据え変えたばかりなので、まだ幼い。領主を変えて凌ぐ方法が使えない。
 財政が厳しくなったのは特産品が売れなくなったことが大きいが、それだけではなく、色々と出費が増えたのだ。
 執事は庄屋にあることを伝えた。いうほどのことではないので、あの屋敷にいた老人のことは報告しなかったが、妙に気になるのだ。
 庄屋は執事の話を聞き、城下へ向かった。
「追い出したと申すか」
 家老は意味が分かったようだ。
「探し出して、住んでもらえ」
 庄屋は執事に命じ、執事は息子に命じ、大木ヶ原中を探した。そして、掘っ立て小屋でその老人を見付け、あの屋敷に戻した。
 庄屋が取った行動は、貧乏封じだった。
 あの屋敷に貧乏神を封じていたのに、息子が封を切ったのだ。それで、封印し直した。
 領内の経済が回復しだしたのは、しばらくしてからだ。
 これを貧乏神の裏封じというらしい。
 
   了

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3296話 なつ


 言葉が少し話せるようになった子供が、お婆さんらしい人と一緒に炎天下を歩いている。
「あつくなってる」
「夏だからね」
 久本はそれを聞きながら自転車で追い抜いたのだが、早く日陰に入ろうと、急いだ。
 いつもの木陰で自転車を止め、煙草に火を付けた。しかし何か引っかかった。「夏だからね」が。
 子供はその前から夏というのを知っていたはずだが、ここで念押しされる。「夏」と。この暑さの原因は夏で、暑いのは夏のため。「夏」というのは何処にもない。子供は夏を探しても見付からない。犯人は夏なのだが、正体がない。しかし、ここで子供は「夏」の使い方を自然と覚える。それは何度か聞くためだろう。
 暑いのは夏のため、だから何ともし難い。仕方がないということだ。そのうち「規則」などが出てくる。規則なので従う。夏なので暑いのと同じように、夏は変えられない。しかし規則は変えられるが、大事な規則は滅多に変わらないだろう。当然「冬」だから寒い。寒い原因は「冬」
 子供は「夏」だからで、納得したのかどうかは分からないが、暑くなる現象を「夏」が要約している。詳しい説明をしなくても、「夏」一発で決めてしまえる。
 なぜ夏だから暑いのかを考え出すのは、もう少し先だろう。こういう決め打ちできる言葉は他にも多い。しかし、子供が何度か聞くその「夏」というのは、大人になってから使う「夏」とは少し違うだろう。何か神秘的な呪文のような、得体の知れないもの。つまり夏という妙なものが来ているのだ。だから暑い。
 久本は煙草に火を付けた瞬間、すぐに走り出したのだが、自分もこの手の呪文のような言葉をよく使うことを思い出した。意味をひと言で要約してしまう。慣れてくると呪文のように語呂が良くなる。良い事ではそうだが、悪いことでは嫌な響きになる。
 子供が「夏だからね」で納得させられたようなもの。「夏」で納得したわけではない。「夏」という呪文で納得したのか、または、それが解答のため、それ以上問えなかったのかもしれない。
「お爺ちゃんが悪いからね」では暑さの理由としては難しい。うちのお爺ちゃんが暑くしているのなら、それはものすごい人だろう。具体的すぎるのだ。そのてん「なつ」というのは、概念のようなもので、何らかの現象に対する呼び名だろう。
 お婆さんは孫に「夏」という呪文を掛けて、それで納得させた。その子は、今後も多くの呪文を習うだろう。学ぶわけではないが、自然と耳に入ってくる。
 大人になってしまった久本は、色々な呪文を使い分けている。最近多く使う呪文と、もう使わなくなった呪文がある。そして新しく覚えた呪文もある。
 呪文だけでは、空鳴りのようになり、音だけが聞こえ、意味するところまで込められていないときがある。
 それで最近はもう少し具体的な念仏を唱えることが多くなった。単語や熟語ではなく、少しだけ文節の長い目のものだ。
 あることを念仏のように唱える。やはりこれも空念仏になりやすいことを最近感じるようになる。言葉抜けが起こるのだ。元々言葉の中には何も詰まっていない。違いを指しているだけのことだろう。
 言葉は何かを指している。そして差されているところに行くと、さらにそこでまた何かを差しているものと出合う。差しっぱなしの無限ループに入るのだが、先ほどの子供が聞いた「なつ」という呪文のように、インパクトがある。
 まだ見ぬ世界、まだ聞いたことのない世界。久本は年々それが少なくなってきたので、新たな呪文を探している。
 
   了

 
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2017年06月19日

3295話 フリーな時間


 平日だが、その日、木村は休みだったので、町に出てみた。特に目的はなく、休みの日というフリーな時間を満喫したかったのだろう。部屋でごろ寝をしてもいい。無駄なことで時を過ごすのも自由。何もないというのがありがたい。いつもは何かがある時間帯で過ごしているためだ。勤めていればそんなものだろう。仕事中、フリーな時間も結構あるが、僅かで、あっという間に過ぎてしまう。丸一日、好きなことで過ごすようなわけにはいかない。
 外に出たくなったのは季候が良いため。よく晴れており、冷房も暖房もいらない良い季節のためだろう。
 手ぶらで出掛けてもいいのだが、肩が淋しい。いつものショルダーが肩に掛かっていないと落ち着かない。
 用もないのにウロウロする街歩きに出掛けたことになるのだが、ウロウロするのが用だ。
 いつもの通勤の道ではなく、逆の方角へ向かうことにした。何年かここで住んでいるが、滅多にその方角へは向かわない。駅とは反対側なので、そこを何処までも行けば田舎になる。行きつけの店などは、この町には最初からない。ただのベッドタウンで、寝に帰るだけの町。行きつけの場所は仕事場のある繁華街などだ。そのため、ここに住んでいるが馴染みはない。
 しかし、何もない日はたまに散歩に出掛ける。未踏地が拡がっているようなものだが、休みの日は全てそのために使っているのなら、見飽きてしまうが、滅多にその方角へ行くことはない。
 その平日の休日は珍しく遊びに行くネタがなかっただけ。
 部屋を出てからしばらくすると小さな川にぶつかる。さっと渡ってしまえる程度の橋。小さな川だが、ここで町名が変わるが、同じ市内だ。そのため、木村の住んでいる場所と風景は変わらない。同じ部品を並べているようなもの。
 特に目的はないので、歩きやすそうな川沿いの小径を行く。車が入って来れない土手だ。上流に向かうほど緑が多くなる。住宅地なのだが、昔からあるような農家の屋根が見えるし、神社らしきものもある。
 さらに遡ると川幅が狭くなり、土手道が途切れる。丘陵地に入り込むためだろう。
 ここで遡るのをやめ、土手から降りる。
 確かに自由な時間を自由に使っているのだが、これでいいのだろうかと木村は考えた。具体的な何かがない。休みの日だからこそできるような用事があるはず。それが、こんな散歩でいいのだろうか。そして街歩きといっても、もうそこには店屋もないし、見るべきものもない。川の流れを見たのは久しぶりで、川辺の雑草が目に染み、それはそれなりに結構なことなのだが、地味。まるで年寄りだ。
 休日なのだから、もっと派手な遊びをしたかった。しかし友人達は仕事なので、昼間から誘えない。それに給料日前で小遣いも少ない。だから、ただの街歩きとなったようなもの。
 丘陵に入るのか、少し坂道になる。瓦葺きの古い家が目立ち始める。そして緑も多い。こんなところに住んだ方がよかったのだが、駅から遠い。
 季候はいいが、少し歩いたので、喉が渇いてきた。それは先ほどから感じており、自販機を探しているのだが、見当たらない。見知らぬ人が行き交う市街地ではないためだろうか。しかし、これだけ家が並んでいるのだから、小さなパン屋でもあるはず。そこが廃業していても自販機程度は置いているかもしれないのだが、見当たらない。
 気が付けば丘陵の上まで来ていた。今度は下りになるのか、足が軽い。
 こんな近くに、こんな場所ががあったのだ。
 前方はもう舗装していない茶色い道。雑木林が続いている。
 何か起こりそうな気配がするが、妙なところに入り込んだときは、そんなものだろう。結局道に迷いながら、部屋に戻ってきた。
 自由な時間を自由に使ったのだが、自由さを満喫した気は起こらなかった。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:33| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月18日

3294話 勇退


「このあたりで整理したいと思うのだがね」
「掃除ですか」
「整理だ」
「はあ」
「出掛けるときに持っていく鞄だが、ゆとりのある大きくて丈夫なのを買っていた。もう随分前からだが、非常に気に入っている」
「鞄の中の整理ですね」
「そんなことぐらいで、わざわざ言い出さない。人に言うようなことではない」
「では、どんな整理ですか、まさか人事」
「なぜこんなに大きな鞄にしたのかは分かっておる」
「やはり鞄の話ですね」
「余裕があるからだ。色々と入る。そのため入れすぎた。そして重くなった。その中身は大したものは入っていない。殆ど使わないものも入っている」
「はい」
「大きいと何でもかんでも入れてしまう。鞄が重くなるのはそのため。これを整理する」
「はい」
「それと同時に、色々なことを整理したい」
「人事ですか、事業ですか」
「そうだ」
「それは」
「君は無事なので、心配しなくてもいい。小柄だし体重も軽そうだ」
「はい」
「重役が気に入らん。あれだけの数はいらん。増やしすぎた。今はその規模じゃない。だから整理する。重役が一番重い」
「はい、田中専務は百キロを軽くオーバーしていますし」
「重役をなくす」
「しかし、そんなことをすると謀反が」
「いつの時代の話だ」
「恐れながら社長が今いるのは重役達のおかげです。一人で代表になったわけじゃありません」
「言いにくいことを言うねえ」
「重かったですか」
「いや、君が言うと軽くなるので、まあ、いい」
「はい」
「年寄りが医者に通うときの薬入れ程度の鞄でいい」
「そこまで縮小しますか」
「整理だ」
「それはやり過ぎでは」
「我が社は実質その規模になっているのだ」
「いっそのこと」
「何かね」
「勇退されれば」
「誰を優待させる」
「いえ、お引きになれば」
「それも悪くない」
 しかし、この会社、従業員は十人もいなかった。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:56| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

3293話 やったーと思えること


「最近何か、やったというようなこと、ありませんか」
「え、何かやったことですか。それならいくらでもあります」
「そうではなく、やったと思えるようなものです」
「やったなあ、とですか」
「やったーと、声が出るほどの」
「ひいきチームが逆転勝ちしたときなんて、やったーと思います」
「そうではなく、ご自身のことで」
「え、自分自身のように思っているチームですから、自分のことと同じように喜べましたが」
「あなた自身がやったことで、ありませんか」
「ですから、そんなもの滅多にないので」
「しかし、あなた自身は変わらない。何も成果を出していないし、何も達成していません」
「それでもすかっとしますよ。それよりも、そのやったーと思う頻度はどの程度必要ですか」
「個人差はありますが、たまに必要でしょう」
「そのメリットは」
「すっきりとします。これが大事です」
「じゃ、問題はありません。結構すっきりとしていますよ。しかし、負けたときなどは、辛いです。気も滅入ります。元気がなくなります」
「しかし、それはあなたのことではないのでしょ」
「いえ、僕のことです」
「ですが、あなたに起こったことではありません」
「僕に起こったことですよ。喜んだり悲しんだり、残念がったりしていますからね」
「あなたに起こったことで、ありませんか」
「何がです」
「ですから、やったーと思えることです」
「それ、先ほども言いましたよ」
「あなたの身に起こったことや、あなたが実際に体験したことで」
「さっきから言ってるいるように体験しましたよ」
「それは疑似体験でしょ」
「疑似でも何でも、やったーを感じたことでは同じでしょ」
「しかし、現実は変わりません」
「すっきりします」
「もっと具体的な現実に関わってこないでしょ」
「勝てば、また負けますよ。勝っているときはいいのですが、負け出すと泥沼の暗黒時代が続きます。それに耐えないといけません」
「それは実際にあなたに起こったことじゃないでしょ。何度も繰り返しますが」
「いえ、実際の話なら大変ですよ。勝ったあとが大変ですし。負けてからの暗黒時代も大変です。具体的に来ますからね。だから、疑似でいいのです。しかし、疑似も辛いですよ。暗黒時代が」
「はい。しかしあなたは変わらない」
「考え方がずいぶんと違ってきますよ。我慢を覚えます。そして勝って兜の緒を締めで、そのことも学べます」
「私は何を言いたかったのかを忘れてしまいました」
「たまにはすかっとしたことが必要だということでしょ」
「そうそう。では本題に入ります」
「今のが本題でしょ」
「そうでしたか」
「うまく噛み合いませんねえ」
「そうですねえ」
 
   了

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2017年06月16日

3292話 バーチャルな人


 国木田はバーチャルな人間だが、彼は実在している。住民票もあるし、免許証も持っている。架空の人間ではできない。しかし、その存在はバーチャル。仮想世界に住んでいる。しかし、そんな世界は現実にはなく、たとえあったとして作り物だろう。
 しかし、ここが紛らわしい。人は実際にはバーチャル世界にいるようなもので、幻想を現実だと錯覚しながら生きていたりする。
 人は仮面をかぶって生きているというが、仮想世界もその仮面に近い。仮面を外すと、やっていけなかったりするし、自分の世界が壊れる。壊れても生きては行けるが、そこではないのだろう。
 仮装舞踏会や、コスプレなどは、具体的な仮想現実だろう。現実には違いないが、仮装が付く。
 国木田はコスプレはしないが、最近までは信長だった。その言動を真似していた。これは具体性がない。そういう扮装をするわけではないし、またその時代の建物に住んでいるわけでもない。素のままで信長をやっていた。そして口癖は「……であるか」。しかし、これは滅多に人前では言わない。仮想世界の枠の中だけで使うのだが、たまに漏らしてしまうことがある程度。
 その前までは西郷隆盛。そして口癖は「もうこの辺りでよかでしょ」
 これは西南戦争で城山まで逃げてきた西郷さんが自害するときの言葉。国木田氏はそれが気に入った。
 バーチャル空間にいるわけでも、バーチャルなものを見入り、バーチャル体験をしているわけではなく、頭の中にそれがあるだけなので、人には見えないし、また見せもできない。その代わり持ち運ばなくても、組み立てなくてもいい。頭なのだから。特別な装置や衣装もいらないが、それなら国木田に限らず、誰ででもやっていることだろう。
 バーチャルリアリティー、それは特別なものを使わなくても、昔からやっていたことなのだ。
 人は真似る。場合によっては自分自身をも真似る。もう忘れていたような時代の。人は自分自身を生きているのではなく、他人を生きていることが結構多い。
 
   了

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2017年06月15日

3291話 一休と利休


「人は利で動く、理ではなくな」
「はい」
「商人は利で動く。利益が出んと商売にならぬ。食べてはいけない。しかし利益は理に適ったものじゃ。だから問題はない」
「理とは何でしょう」
「道理に適ったもの」
「はい」
「利に走りすぎると理が弱まる」
「はい」
「しかし、人は利に走るもの」
「そうですねえ。その話は理に適っています」
「まあな」
「はい」
「利に走らずに、休んでおる人がいる」
「はあ」
「しばし、利は休み。利を休んだ商人でその名は利休」
「そのままですねえ」
「休んでおるだけ。だから怖い」
「一休さんもそうですねえ」
「そうじゃ、休んでいる人は怖い」
「どうしてですか」
「もっとえげつない利を隠し持っておるため。懐に刃をな」
「はい」
「一休はしばし休んでおるだけ。ひと休みなのでな。まあ、身体を休めているだけじゃ。休憩」
「これはどういうお話でしょうか」
「まあ、人は私利私欲に走りやすいが、理に適っておれば、それでよろしいということじゃな。しかし、理に適わぬことをして利を得ると問題。という程度で、それ以上の展開はない」
「あくどいことをして儲けたり出世しちゃ駄目程度ですか」
「と思っていても人は利に走る」
「どうしてですか」
「いい話だと乗りやすい。地位も名誉も手に入りそうな話だとな」
「利の囁きですね」
「人は利に乗りやすいので、利で誘うとほとんどの人間は乗るはず。簡単な話じゃ」
「でも利を休んでいる利休は乗らなかったのでしょ」
「真意は知らぬが、うまく付けた名だと感心しておる。利は消せぬが休ませることはできる。隠せばいいが、隠していることを悟られる。だから利はあるが休んでおるように見せる。利のない人などおらんからな」
「しかし、利休は休ませていた利を最後に見せるのでしょ。だから殺された」
「その心境は分からぬが、天下人の秀吉は感じていた」
「何を」
「天下人を見下ろしたと俗説ではある」
「はい」
「理の人は利の人を見下す」
「天声人語みたいですねえ」
「親しまれているのは一休じゃ、利休ではなくな」
「利休ではなく、理休がいいのでは」
「理休か、そんなもの世の中に溢れかえっておるではないか」
「ああ、そうでした」
 
   了

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2017年06月14日

3290話 踏切の怪


 真夜中、急に鳴り出し、踏切が閉まる。私鉄の路線なので、その時間、電車は走っていないのだが、作業用の車両が動いていることがある。
 橋本はそれだろうと思いながら聞いていた。深夜でも起きている人はいるが、この時間、さすがにどの家の窓も暗い。たまに通る車の音がいやに大きく聞こえる。橋本のいる場所から結構離れているのだが、聞こえるのだ。踏切もその距離にある。
 毎晩その時間になると、踏切からカンカンカンと聞こえてくる。点検や工事にしてはいつも同じ時間で、それが一週間も続いている。
 そういった作業車を橋本は何度も見たことがあるが、黒い塊が静かに移動しているのは不気味だ。夜中、小腹がすき、コンビニへ寄ったとき見たが年に一度あるかないかだろう。通っていても気付かないこともある。
 それが一週間ほど続いているため、どんな車両なのかを見たいような気になった。そんなものを見ても、橋本は得にも損にもならない。しかし、真夜中に仕事をしているため、息抜きが必要。単純作業を綿々とやっていると、頭がおかしくなるわけではないが、いつまでもいつまでも同じことをやる病のような状態になる。ずっと走り続けたり、歩き続けるうちに、それが快く感じるようになるのと似ている。
 何も考えなくても自動的にやってしまえるときはその状態になるが、躓いたり、ちょっと考えないといけなくなったとき、そのサイクルから抜けてしまう。意識的にやらないと進めないためだ。
 その夜は、そんな感じのときで、息抜きがしたかったので、カンカン鳴る時間に合わせ、その踏切を見に行った。作業車を見るのが目的ではなく、ちょっと間を置きたかったのだろう。
 そして、いつも鳴る時間前にそこに立つと、カンカンカンカンと驚くほど大きな音がした。寝静まっているためだろう。遮断機がしばらくしてから降り、さらにしばらくはそのままカンカンカンの音だけがけたたましい。
 やがて遮断機が上がりだし、その後、音もやんだ。
 橋本は首をひねった。そしてしばらくそこに棒立ちとなる。
 何も通過しなかったのだ。
 
   了

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2017年06月13日

3289話 妖怪壺


 妖怪博士の友人で幽霊博士がいる。この人はまだ若いのだが老けて見える。目の周辺がいつも黒い。遠くから見ると、それも目に含まれるのか、骸骨の目の部分のようだ。
「まだ幽霊を追っておるのですか」
「はい妖怪博士」
「幽霊は危ない。もうそのくらいにしておきなさい」
「ところで」
「話の続きを聞きなさい」
「それは後にして、異変です」
「また幽霊と接触したのですかなか」
「妖怪です」
「ほう」
「僕は幽霊ですが、博士は妖怪なので」
「まあ、似たようなものじゃが。しかし、現場へは行かぬぞ」
「妖怪なので、大丈夫では」
「幽霊よりもましじゃが」
「そうでしょ」
「幽霊を追っているうちに妖怪と遭遇したのかね」
「そうです」
 ベッドタウンが伸び、山まで駆け上がっているのだが、その中腹に寺がある。寺は住宅地に囲まれ、以前の山門の面影はない。ただ、この寺は貧乏寺で、住職がよく変わった。赤字でやっていけないのだ。
「寺なら、幽霊などいくらでもおるじゃろ。死者と関わる場所なのでな」
「そうなんですが、寺ではなく、その周辺です」
 山のとっかかりにぽつんとあった寺だが守り抜けず、境内や墓地を売ってしまった。
「売った山際の土地が問題なのです」
「ほう」
「古代」
「古い時代まで遡るのかね」
「はい、墓がありました」
「あるじゃろう。寺なんだから。その前の墓と言えば古墳か」
「古墳時代よりも、もっと古い時代です。瓶などに入れて、土中に埋葬したような。そういう蛸壺のような墓がものすごい数、寺内や周辺にはあったのです」
 寺墓まで潰して売ったらしい。ということは、寺の周囲の家々は、墓の上に建っていることになる。
「古い墓なら、もう成仏しておるので、いらんじゃろ」
「そうです。だから出たのは幽霊ではありません」
「妖怪が出たと」
「僕が調べましたところ、古代の蛸壺のような墓があった場所の上に建った家とかです」
「先に解を出しておるではないか」
「え」
「妖怪の正体は、それだな」
「蛸壺が何か」
「蛸ではなく妖怪がその壺に入ったようなもの。妖怪壺じゃ」
 蛸壺とは漁法の一つで、空の壺を海中に置くと、そこに蛸が入ってくるというもの。
「そんな、適当な」
「古代に死んだ人達も、もう遠くへ行っておる。寺にあった墓も、古い墓だろ。もう役目を終えておる」
「縁の下から物音がしたり、ときにはうなり声とか」
「妖怪の仕業なら、その程度で済む。いたずらをやっておる下等な奴らなので、無視すれば収まる」
「本当ですか」
「うむ」
「退治しなくても?」
「新仏ならまだかまって欲しいじゃろうが、妖怪壺は弄るとずに乗る。相手にすると調子づく」
「はい」
「だから、無視すれば、その現象は収まる」
「そんなものですか」
「遊んでもらえないので、いなくなる」
「そうですか、じゃ、そういう風に言っておきます」
「うむ」
「さすがに妖怪博士、壺にはまったお話でした」
 妖怪博士は現場へ行くのがいやで、適当にごまかしたのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:05| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

3288話 化け物屋敷


 お化け屋敷は見世物小屋のようなものだが、化け物屋敷になると、本物が出る可能性があり、幽霊屋敷になると、さらにリアルで、幽霊だけが出る。
 その屋敷は化け物屋敷と呼ばれているため、幽霊屋敷よりも緩い。しかし出るのは幽霊以外のものも含まれるので、結構賑やかだが、お化け屋敷ほどの派手さはない。
 城下の外れにある武家屋敷で、屋敷町から離れた場所にある。それが幸いしてか、市街地の中に入らず、少し郊外になる。こんなところに住んでいた侍は、登城時間がかかっただろう。通勤時間が長いのと同じように。
 その武家屋敷、一見して寺に見える。しかし土塀は高く、庭一面に植わっている木々も高い。森の中にいるようだ。
 長く化け物屋敷として放置されているのは、買い主がいないためだろう。借家としての取引はない。
 明治の文豪がこの静かな武家屋敷を気に入り、買うことにした。この文豪は金持ちの三男。実業家としての才もなく、政界に打って出るだけの器量もない。だから遊んで暮らしているうちに、文学者となった。英語ができるため、英語教師でもよかったのだが、学校へ通うのがいやがった。風流人というには若すぎる。
 さて、化け物屋敷だが、今でいえば事故物件。事故車と同じような扱いのため、安い。ただ、言わなければ分からない。
 文豪はここを巨大な書斎として使うことにした。別荘のようなものだが、化け物が出るので、物騒な場所だ。外ではなく、内にいる。
 その文豪、文は豪快だが、気性も神経も鈍い。鈍くても化け物屋敷といわれているところをわざわざ買わないだろう。そこのところをよく判断できないほど鈍いのだ。
 この文豪、今でいえば嘆美派の先駆け。怪しげで妖しい雰囲気を好んだ。豪快な文体なので、珍しいタイプだ。化け物屋敷が気に入ったのはそのためではないが、寺のような雰囲気のある屋敷に惹かれたのだろう。できれば寺に住みたかったようだ。
 子供はなく、夫婦で一年ほど暮らしているが、化け物などは出ない。ただ、飼っていた犬がここに来てからよく吠える。また書生や小間使いの出入りが激しい。
 当時はまだ文豪とは言われていなかったが、ここに越してから書いたものが当たった。執筆にはいい場所だったのかもしれない。集中できた。
 結局化け物屋敷は嘘だったのだろうか。しかし、その周辺に住む人達は、結構怪しいものを見ている。土塀沿いにややこしいものが通っていたり、伸び放題の庭木の枝に異様なものが止まっていたりした。
 要するに、この二人、夫婦そろって鈍かったようだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:43| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

3287話 閉まりのいい踏切


 その踏切は開いているときの方が多い。十五分に一便ある線路で、上りと下りがあるため、七分に一度は閉まる計算になる。各駅停車しか走っていない。
 その踏切は小さな踏切で、幅が狭いため、車は通れないが、軽自動車なら無理をすれば通れる。そのためか車止めの鉄柱が立っている。バイクなども通行禁止。人と自転車しか通らない。
 奥野は踏切の向こう側にある施設へ毎日出掛けている。その狭い踏切は、狭い小道にある。裏道で車は少ない。
 奥野は不思議でならないのは、いつも踏切が閉まっていることだ。閉まっていない時間の方が長いので、悪い偶然ばかりが重なっているようなもの。
 しかし、さすがに毎回ではない。閉まっている確率の方が高いため、毎回、いつも、と言っているだけ。当然開いているときに渡ることもある。そのときは踏切などは意識してない。
 踏切にさしかかったときに、音がし、閉まり始めることも多い。早く進めば渡れるが、数秒遅れると閉まってしまう。閉まりかけ、そして閉まりきっても手で持ち上げれば通れるのだが、そのときはかなり電車は接近している。まだ大丈夫なのだが、転んだりすると、その限りではなくなる可能性もある。
 いつも閉まっている開かずの踏切ではない。多くて七分に一度だ。そのためよほど運が悪いのだろう。
 家を出るとき、同じ時間に出ているわけではない。家から踏切までの時間が毎回同じなら、毎回踏切は閉まる。だが、家を出る時間は決まっていない。数分のずれがある。最大三十分ほどだ。踏切に引っかかるのは踏切手前までの所要時間とも関係するが、そんなことは気にしたこともない。踏切が開いている時間を計算して家を出る人などいないだろう。開いている方が多いのだから。同じ時間に家を出ても回誤差がある。そこへ行くまでに普通の信号があったり、信号はなくても、道を渡るまで待つ時間などが含まれる。
 そして今日も奥野は踏切で止まることになる。踏切にさしかかったときは開いていたのだが、近付くと音が鳴り始め、手前まで来たときには閉まっていた。
 よく考えると、今日も踏切が閉まっているかもしれないと思ったときに限って閉まるようだ。そして踏切のことなど何も考えない日はすっと渡れるらしい。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 09:55| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする