2017年07月31日

3337話 浦神


 古川がその村に入ったとき、少し妙な気配を感じた。気配なので、具体性はない。気のせいだろう。しかし、気配を感じさせるもの、そのものがないのだ。つまり静か。
 小さなバイクで山間の村を訪ねるのが古川の趣味で、適当に走り、適当な村に入る。これは探さなくても走っていれば村入りできる。村へ続く道がなかったりすると別だが、それは不便だろう。入るための道がないような村など、それは存在しない村か、または大昔に消えた村だろう。
 古川は村に到着したとき、それを村入りと呼んでいる。その村入りのとき感じた静けさが気になる。特に変化のない村で、その近くの村と様子は同じだが、静けさが違う。きっとそういう時間帯なのだと思いながら、村のメイン通りをスーと通過する。小さな村なので、あっという間に家並みがなくなり、村から出てしまうが、そこもまだ村内で、田畑や雑木林が続いている。
 思った通り、人がいなかった。だから偶然その時間帯、誰も通りに出ておらず、野良にも出ていないのかもしれない。
 農家が集まっている場所へ引き返すと、また妙な気配を感じる。今度は具体性がある。それは表札だ。どの家も浦上となっている。浦上姓の多い村だろう。同じ姓の人が多い村は珍しくない。全員親戚だったりする。
 横道に入っても似たようなもので、誰とも出合わない。まさか一瞬にしてゴーストタウンになったわけではないはず。
 その静けさを破ったのは鈴の音。遠くから聞こえてくる。背後の山に動くものがある。旗だ。幟だろうか。白や青、黄色もある。これは山の中では目立つ。たとえ小さくても。自然の色目ではないためだ。
 古川のバイクはオフロードタイプなので、山道も平気だ。しかし山へ向かう上り坂は舗装されていて、その心配もなさそうだ。きっと村の神社だろう。幟で何となく分かる。
 山にさしかかったとき、鳥居が見えてきたので、これなら音を立てないで、歩いて行ってもいい距離。いきなりよそ者が聖域にバイクで乗り付けると驚くだろ。
 登り口にバイクを止め、坂を上ると、人が大勢いる。幟に書かれた文字を読むと浦神。浦神様という神社だろうか。浦上一族の氏神様かもしれない。
 坂の途中から、境内が見える。大勢の人がいる。子供も赤ちゃんもいる。村中総出で来ていたのだ。
 しかし、その衣装が何ともいえない。ほぼ裸だ。裸祭りだろうか。船の形をした神輿がでんとある。ここはかなり内陸部の村。海と関係しているとは思えないが、浦神の浦は、海辺だろう。
 きっとここの人達は海辺の民だったのかもしれない。
 古川は邪魔をしては悪いと思い、坂を下った。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

3336話 暑中見舞い


 暑いという他ない日々が続いていた。夏なので暑くて当たり前で、特に言う必要はない。夏イコール暑いので、暑いというのは夏と言えば省略してもいい。夏に寒ければニュースになる。しかし、世の中を変えるほどのものではなく、また大惨事でもないので、取り上げられないだろう。せいぜい天気番組で、少し触れる程度。また夏に寒いといっても氷点下になるわけではない。夏の最低気温を更新するほどの寒さでも、これは寒いのではなく、涼しい程度の気温だろう。
 日々平穏に暮らしている田中だが、この暑さだけは平穏なのかどうかは分からない。体温の平熱のように、夏場の平均的な気温なので、平温だろうか。しかし、それでも暑い。そのため、日々のことをしていても、暑さだけが際立つ。一番目立つのが暑さなのだ。そして一日を終えたとき、暑かったことだけを思い返すが、夜になってもまだ暑い場合、まだ回想事項ではない。最中なのだ。
 世間からドロップアウトしてから暑中見舞いの葉書が一枚来る程度。手描きのイラストなので、手間暇かかっているので、大事に保管している。着色されている。もう何十年も届いているので、知り合った頃から来ているのだろう。ありがたい話だが、絵が暑苦しい。
 今年もそれが届いており、まだ生存していることが分かる。そして絵筆をまだ握れることも確認できる。
 この暑中見舞いの葉書、田中は毎年楽しみに待っているわけではないので、来なくても、来ていないことすら気にしないだろう。むしろもう来なくなっても普通なので、未だに来ていることの方が不思議だ。
 これはあとで分かったのだが、その知り合いは年に一枚だけ絵を描くとか。それが、この暑中見舞いのイラストなのだ。そのため、唯一の発表場所らしいとか。特に田中を選んで出しているのではなく、田中なら返事はしないし、会う機会もないため、ごちゃごちゃ言われなくてすむためとか。
 今年届いた分を田中は引き出しにしまう。ここに手描きのイラスト入り暑中見舞いが絵はがきのように溜まっている。しかし最初に来た絵と、今年の絵とはほとんど変わっていない。まるで進歩がないというか、安定した画風なのだ。少しは変化があっても良さそうなものだが、最初から成熟していたのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

3335話 何もない風景


「何もない」
「はい」
「これは問題だ」
「はあ」
「何もないはずはないので私は見つけられなかっただけかもしれない」
「じゃ、何もなかったのでしょ」
「一見してね」
「探してまで見つける必要はないと思いますが」
「いや、何もないと、先へは進めん」
「進みやすいのじゃないのですか。障害物がなくて」
「障害物があるから進む気になる。ところが何もない。これは何かある」
「何もないのでしょ」
「何もないときに何かあるのだ。だから怪しい」
「何かあった方がいいのですか」
「分かりやすい。対処方法を考える暇がある。ところが何もないと不安でねえ」
「何かある方が不安なのじゃないのですか」
「そうなんだが、何もないと逆に不気味だ。その静けさ、その静まり具合。これは罠かもしれない」
「誰が」
「相手はいなくてもいい。単に私自身の油断だったりする。よく見ておけばそれに気付いたはずと、後で後悔しそうなね」
「何かが起こっている方がいいと」
「そうだね」
「何もなければ楽に進めるのですから、あまり深読みされない方がよろしいかと」
「それは分かっているが、何もないというのは逆に問題なのだ。この何気なさが怖い」
「何も見いだせないのでしょ」
「引っかかりがない。これといったものがない」
「困りましたねえ」
「何かあるときの方が困らない。どうすればいいのかが分かるからね。ところが何もないと何もできない」
「それで、立ち止まっておられるのですか」
「そうだ。この風景はいけない。何もなさ過ぎる。つかみ所がない」
「進んでみてはいかがです。きっと何もありませんよ」
「何もないことはできない。何かないと困る」
「じゃ、そうやって立ち止まっていればいいのですよ」
「それも困る」
「何もないはずです。進んでください」
「そのようにすべきか」
「はい」
「じゃ、そうするか」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:02| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

3334話 秘境戻り


 秘境戻りというのがある。秘境から戻ってくる話に近いが、それ以前に最近では秘境がもう秘境ではなくなっているのだろう。秘境と名付けられている場所は、既に大勢人が行っており、その映像を行ったことがない人でも見ることができるため、秘密っぽさがない。秘宝も公開され、どんな形をしているものかは分かっている。ただ、絶対に公開しない秘宝もある。秘境よりも守りやすいためだろう。
 秘伝もそうで、秘伝の料理法などはいくらでも世の中に出回っていたりする。虎の巻が、もう普通になっている。
 さて、秘境だが、これも本当にまずい場所がある。人が入り込むような場所ではないような。だから人知れずそっとそこにあったのだろう。また、秘境の入り口付近で、これは少しまずいと思えるため、それ以上行かなかったりする。危険な場所で、それ以上進むと命が危ないような。
 秘境戻りだが、これは秘境へ行くのではなく、秘境らしからぬ場所。つまり普通に人が住み暮らしているような場所へ戻ることだ。戻らなくても、そこが出発点なので、わざわざ出掛ける必要はないが。
 人が滅多に行かない秘境へ向かっていた場所より、日常の秘境らしからぬところに、秘境を見る。これが秘境戻りだ。秘境にはもう秘境がないわけではないが、身近なところに秘境を見いだすこと。
 たとえば家の中にも秘境があり、部屋の中にもあるし、物置の隅にもあるし、机の引き出しにもあるし、本棚にもある。
 決して何も隠しておらず。秘めたものはないのだが、秘密っぽいものがあるはずだ。
 秘境を秘密っぽい場所と解釈すれば、境とは位置とか場所、もっと言えば立ち位置や、その人の心境や境地の境だ。
 日常の中での身近な秘境は便所の秘密だろう。秘密にしている便所があるのではなく、誰にも明かしたことのない内緒のようなものだろう。それを便所の秘密という。小さい頃なら親と一緒に便所へ入ることもあるが、ある年齢からは一人だ。小なら並んでするが、大は個室になる。秘密の場所に近い。便所の中で考えたことが便所の秘密ではない。その人の秘境に関することで、便所でなくてもいいが、この臭い言葉がよく似合うのだ。つまり秘密とは臭い。
 個人の秘境は見えない。本人は見えているかもしれないが、他人には分からない絵がそこにある。隠された風景だ。
 人々が秘境に興味を持つのは、それが具体的に目の前の風景として展開するからだろ。決してそれは個人の精神状態とは関係するものではないが、何かの代用なのかもしれない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:13| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

3333話 夏風邪の日のゲーム


 朝、田村はいつものように起きたのだが身体が重い。寝起きすぐに分かるものかと思われるが、ぐっと上体を起こしたときの、そのバネが今ひとつ元気がない。これではプロレスごっこで簡単にスリーカウント数えられるだろう。跳ね返す力が弱いのだ。しかし田村はレスラーではないので、その心配はないが。
 寝起きすぐにパソコンを起動し、ウェブを見るのだが、文字が読みにくい。目が疲れたとき、たまにそんなことが起こるし、また寝起きから明快に見えることはまずないのだが、それでも普段よりも霞んでいる。
 気になる記事があったので読む。これは滅多にない。いつもいつも興味のある記事などないからだ。しかしその朝は久しぶりに興味深い記事だったので、熱心に読んでいたのだが、途中でしんどくなってきた。
 朝食を買いに近所のコンビニまで行くが、足が重い。このところ猛暑が続いていたので、バテたのだろう。しかし、今朝は涼しい。疲れが出るのはそんな日だ。そして、くしゃみ。これは太陽を見たとき、出ることもあるが、今朝は曇っている。それで日差しがないので、都合がいいのだが。要するに夏風邪だろう。
 やりかけの仕事もあるが、この夏風邪を理由に、田村は病気モードに入ることにした。安静にしていた方が好ましいのだが、寝込むほどのものではないので、普通なら普通に過ごすだろう。しかし、身体が重く、しんどさがあるので、安静にしておいた方がいい。安静とは何もしないで、静かにしていることだ。
 やりかけの仕事が嫌なので、サボりたかったのだろう。病気の日なので、特別な日となり、美味しいものを食べてもいいし、好きなことをして過ごしてもいい。
 そしてそういう日は楽しいことを思いながら過ごすことにしているのだが、最近、楽しめることが減ったので、探すのが大変だ。
 寝込むほどではないので、ネットで買いたいものを探したりするが、これはというのが出てこない。あっても高すぎたりする。楽しいはずの商品やサービスが、逆に苦しいものになりかねない。
 それで、ウェブゲームなどをして、過ごしていたのだが、どうもノリが悪い。単純に敵をばたばた倒し、経験値を積み、レベルアップし、次のステージへ向かうようなタイプがいいが、無料なのだが、アイテムを買わないと、結構辛くなってきた。それで普通の無料のオンラインゲームをやろうとしたのだが、ダウンロードに手間取り、すぐにはできないし、更新も多い。
 それで大昔やっていたゲームを思い出し、探し出した。慣れたゲームなので、マップもよく分かっており、モンスターとの戦い方も熟知している。
 そのゲームはまだ残っていた。そして面倒なダウンロードをし、インストールをし、やっと最初の画面に入れた。キャラの設定などをし、最初の村で一番弱いモンスターを倒すことになるのだが、村の広場は無人。以前やっていた頃は足の踏み場もないほど人がいたし、物売りも大勢いた。誰もいないゴーストタウンになっていたのだ。
 しかし、武器屋では武器を売っている。まだコインががないので、買えないが。
 魔法屋があり、少し離れた場所だが、そこへ移動する。こういう店屋は同じ場所にあった方が好ましいのだが、何度もやったゲームなので、場所は探さなくても分かる。
 村の通りにも人はいない。ただ、ぽつんと立っている芸子がいる。遊郭が近くにあり、その横に賭場場があるのだ。ここに入ったことはないが、その芸子に声をかければ、中に入ることができるが、コインを払わないといけない。まだ始めたばかりなので無理だが、会話はできる。動いているのだ。
 魔法屋はすぐに見つかった。巻物を売っている。速く走ることができる巻物や呪文書だ。
 懐かしいので、村をウロウロしていると、何かが動いた。誰かが前を横切ったのだ。
 田村はその四つ角まで行き、消えた方角を見ると、後ろ姿が確か見える。田村と同じようなプレイヤーがいるのだ。
 最初のクエストのため、村の門を出て、外に出る。村といっても城壁で囲まれている。外は野っ原で、一番弱いモンスターがちょろちょろしている。それを十匹狩るのがクエスト。
 また倒すとコインやアイテムを落とすので、まずはそれを蓄えとし、そして経験値も上がるので、レベルアップすることだ。
 早速近くにいるモンスターを叩いたが、なかなか倒れない。逆に反撃を受け、HPが一気に半分になる。もう一撃受ければこちらが倒れる。こんな強いはずはない。設定が変わったのだろうか。
 田村は二撃目を受けたが、少しだけHPは残っている。三撃目を受ける前に倒せたのだが、これはもう真剣に戦わないとまずいことになる。そして座ればHPが回復するはずなのに、HPのバーがなかなか上がらない。回復薬もない。これでは十匹倒すのに時間がかかるだろう。
 今度はモンスターが襲ってきた。このモンスターは攻撃してこないタイプなのに、これも設定が変わったのだろうか。HPがまだ少ないので、田村は逃げることにした。ある一定の距離まで逃げると、追いかけてきたモンスターも引き返すはずなのだが、結構長い目に設定されているのか、逃げても逃げても追いかけてくる。こういうとき、馬があればいいのだが。
 かなり逃げたところで、やっとモンスターはある距離に達したのか、引き返した。
 そして、その先を見ると、またモンスターがいる。見つかれば襲ってくるだろう。まだその距離ではないので、モンスターのいない方角へ進んだ。
 どうなっているのだ、このゲームは、約束が違う。
 田村はすっかり熱くなってしまい、夏風邪のことなど忘れた。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:35| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

3332話 嫌いなことをする

嫌いなことをする
「嫌なことは嫌々やる」
「はい」
「なぜ嫌なのかを考え、その理由が分かったとしても、嫌が好きにはならない。もっと嫌になったりする」
「理由は何でしょう」
「楽しくない。苦しい。だから嫌なのだ」
「単純ですねえ」
「なぜ苦しいのかというと、うまくいかないからだ。すんなりといかない。失敗も多い。だから進まない」
「それが理由ですか」
「さらに、そのものが嫌いで、苦手なこともある。これは今までの経験で、苦しんだ思い出が多い。だから最初からやる気がしない」
「じゃ、その嫌ことはやめて、別のことをされては」
「いや、これが本職なのでね」
「じゃ、苦行が本職」
「ずっと苦しいわけじゃないよ。それをやっているときが苦しいだけでね」
「では、嫌いなことを本職に」
「好きなことを本職にするよりいいからだ」
「好きこそものの上手なり、とか言いますし、できれば好きなことで食べていきたいでしょ」
「それは甘い罠でね。その手には乗らなかった」
「でも、苦しいのでしょ」
「我慢できないほどね」
「よく続けられますねえ」
「いつも、もうこんなことはやめようと思っているよ」
「妙な本職ですねえ」
「しかし、苦しさに対する回避方が少しある」
「教えてください」
「嫌いなことは嫌いだと思うこと。これは思わなくても、自然にそう思うはずなので、ここは弄らなくてもいい。どうせ苦しい目に遭う。どうせ嫌な目に遭う。それを覚悟することだ。やるのはそれだけ」
「苦しそうな話ですねえ」
「そして、嫌なことはさっとやる。できるだけ短く。早くすませて、続きは明日。時間を決め、それ以上はしない。一日五分でもいい」
「一日五分の仕事ってないでしょ」
「丸一日休むより、五分でもやった方がいいのだ。すると五分分前進する」
「苦しくても一応前進しているのですね」
「失敗したら、失敗したまま先へ進む。どうせ、全部が失敗のようなものなのでね」
「すさまじいですねえ」
「嫌いなことだけに、少しでも進むと逆に楽しい。それが楽しくて好きにはなれないがね。嫌いなままだよ。ただ、うまく乗り越えたという達成感がある。それだけだ」
「そのことじゃなく、達成感ですか」
「満足感じゃないよ。何とか切り抜けた程度のもの。ほっとする程度」
「はい」
「今日の分を何とかこなしたあと、何でもないことがものすごく楽しい。それほど好きではないことでも、楽しめるようになる」
「苦行が楽しいのではないのですね」
「そんな趣味はない。できればやりたくない。まあ、食わないといけないので、仕方なくやっているんだ」
「ご苦労様です」
「苦労するよ」
「だから」
「何ですか」
「それで得た収入は慰謝料のようなもの」
「はい」
「しかし、嫌いなことでも逃げ方を覚えるようになる。できるだけ苦しくならない方法をね。嫌なことの避け方だよ。避けきれるわけじゃないが、少しは緩和する」
「好きだからこそずっと続けておられるのだと思っていました」
「逆だね」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

3331話 変な人


 世の中にはおかしな人がいる。可笑しいのではない。変なのだ。そういう人とは付き合わない方がいい。一般常識が通じない箇所があるためだ。常識を疑え、という言い方もあるが、それを疑い出すと不便になる。不便というのは便が出ないことではないが、すんなりとこなせなくなる。
 かなり変わった発想の人でも、それ以上に怖いような発想をする人が現れると、常識に頼る。あまり好きではない一般常識をそこで持ち出す。常識とは普通の人が普通にやるようなことで、この普通も特別なことと区別する程度の使い方でいい。何が普通なのかという臭い話は、ここではしない。一般に頼る。それは、よほど変な人相手のためだろう。
 溝口にも武田という妙な友人がいるが、その付き合い方はよく心得ている。話が何処か妙な雰囲気になる手前で何となく分かり、その話には乗らない。さっと聞き流すか、話を変える。すると、武田はつけ込む隙がないため、諦めるようだ。
 これはお互い様で、今度は溝口は妙な話を始めると、武田も同じようにストップをかける。どちらもその関所を持っているのだろう。しかし、それではお互いに話が展開しないので、面白みがなくなり、それほど親しい関係にはならない。
 溝口が考えるところでは、武田の甘えに隙を与えてしまうと増長するようで、これは最初は受けがいいのだが、相手のペースにはまることになる。これは溝口の油断だ。
 自分の考えを通そうとするタイプに、変な人が多い。自分の考えより、他の人はどう考えるだろうかと言うところが欠けていたりする。これも自己主張なのだが赤ん坊のような甘えに近い。子供でも人の目は気にする。人の顔色を見る。これは悪いことのように思われがちだが、その自己主張の発生元が幼稚な動機なら、主張もくそもない。
 変な人でも、変な人を装っている人は罪は軽い。その自覚がなくなったとき、一般とか、普通とかの水平が傾いているのだ。一種の病気だろう。常識の水平、そんなものは実際にはないのだが、とりあえずのお約束ごとがある。これは簡単に破ることができるのだが、そうしないのは、ぎくしゃくしてしまい、本人も不愉快になるためだろう。そして不便になる。不便を覚悟でも通さなければいけないことなど希だ。
 常識というのはいちいち考えなくても分かっていることで、習慣化され、慣習化されている。これを使う方が便利なためだ。交通信号のようなものだ。赤なら進まない。進んでもいいが、事故になるだろう。
 非日常があるように、非常識がある。しかし人が過ごしている世界はほぼ日常。非日常な展開になることもあるが、滅多になく、またすぐに日常に戻る。以前とは違う日常かもしれないが。
 溝口が武田の非常識を嫌うのは、それを許すと、武田が得をするだけ。甘えを許しているようなものだ。溝口の我慢によって武田が喜んでいるだけで、これはフェアーではない。
 当然溝口にも寛容度があり、それなりに融通は利くのだが、武田の自己愛を喜ばせるだけの奉仕になる。
 武田は人の親切につけ込んでくるタイプで、これも気に入らないが、その攻防戦は、それなりに楽しめるので、今も付き合っているが、これを親友といえるかどうかは分からない。
 常識というのは凄いカードで、決め技になることもあるが、その常識の打ち合いをやると、ものすごく非常識なことになる。そうなることが実は常識として分かっていたりする。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

3330話 魔界の蓋


 魔界の蓋はすぐそこにあり、いつでも開くのかもしれない。そんな身近なところにあるのなら、遠くまで探しに行く必要はない。それは魔界はその人とリンクしているため、場所はその人と関わるのだろう。
 夜中、トイレに立ち、トイレのドアを開けると、そこは魔界だった、などが頻繁にあれば落ち着いて用を足しにいけないだろう。そのため、魔界の蓋はトイレのドアのようにあちらこちらにあるわけではない。
 ただし、夜に一度もトイレへ立たない人が、その夜中に限りトイレへ行ったとする。こちらの方が魔界の可能性はあるが、それはトイレではなく、布団から出たとき、既に魔界が始まっていたのかもしれない。
 魔界はその人にくっついており、みんなそろって魔界入り、などというようなことはないはず。おそらくその人にしか分からない世界だが、その意識を共有している人なら、数人連れだって魔界入りできたりする。
 魔界の蓋は蓋なので、普段は閉まっている。そしてそれが蓋だとは誰も分からない。トイレのドアが魔界の蓋だと思わないように。
 そのため、蓋の形をしていないはず。これは視覚的に分かりやすく言うためだろう。もし蓋なら、それはドアとは少し違う。缶の蓋もあれば、瓶の蓋もある。そして蓋の多くは簡単な仕掛けのはず。
 魔界の蓋はマンホールのようなもので、ただの円形の鉄板だったりする。これはトイレのドアよりも使い勝手が悪いが、マンホールなど始終使うものではない。何かの作業のとき、その蓋を開ける程度。しかし、開けようと思えば、力はいるが開くだろう。引っかける道具もいるかもしれないが。
 魔界の蓋がどんな形をしているのかは分からない。なぜなら、そんな物理的な蓋ではないためだろう。この蓋もその人とリンクしているようなものだ。とんでもないものが魔界の蓋だったする。蓋なので、開けることができるので、それは自分で開けているようなものだ。
 先ほどの夜中にトイレに立つというのは、何かに誘われたのだろう。だから自発的に魔界に行こうとしたわけではないが、誘われる要因があったはず。世の中には様々な誘いがあるが、その中に魔界へのお誘いもあるのだろう。ただ、普通の神経では断る。それ以前に頭からはねつけたりしそうだが。
 魔界はその人の中にあるのかもしれないが、人の中とは体内になり、これは視覚的に分かりにくい。体内の何処へ入るのかとなると、これはカテーテルやミクロの決死隊のような話になる。
 ただ、その人の記憶とか、そっちの方は、意外と脳内にはなく、外部記憶装置のようなものと繋がっているのかもしれない。だから、そちらへ入り込むのだろう。
 魔界、それは何を差すのかも、本人次第。どちらにしてもあまり健全なものではなさそうだ。
 ただ、何気なく開けた蓋が魔界の蓋の場合があるかもしれない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:34| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

3329話 お気に入りのシャツ


 下田は夏になると、何となく着ている長袖のチェック模様のカッターシャツがある。これは不思議なシャツでも、気に入ったシャツでもない。いつ、何処で買ったものなのかも忘れている。物には物語がある。だからどの物にもそれにまつわるストーリーがあるのだが、不思議とこのシャツにはない。どんな動機で、他のシャツではなく、これにしたのかのお話がない。
 他にも似たような長袖のカッターシャツがあり、夏場は薄いタイプに限られている。半袖は持っていない。だから、下田は半袖のカッターシャツの物語を何一つ持っていないが、脇役で出てくる。シャツを買いに行ったとき、半袖は邪魔だ。あっても買わないのだから、見もしない。半袖か長袖かの選択はないが、一応目には入っている。間違わないように。だから、役どころはそんな感じで、脇役以前だろう。
 さて、チェック模様の長袖の薄いタイプのカッターシャツだが、これに関しての思い出もない。気に入ったものではないが、悪いものでもない。可もなく不可もない。そのため、外に出るとき、とりあえず着てしまうことが多い。あくまでもとりあえずで、これを着て外出したいわけではない。着ると気持ちがいいわけでもないが、着やすい。
 他にも色々とシャツは持っており、夏向けの高い麻のシャツもある。これは気に入っているのだが、白いため、襟の汚れがすぐに出る。いい物だが着る気がそれで減る。少し神経を使うためだ。
 複数あるもの中から一つを自然と選んでいる。選ぶというほどのことではなく、とりあえずそれになる。ここを下田は注目した。その物に物語性がなく、悪いイメージもいいイメージもなく、思い入れもなければ、それにまつわる思い出もない。
 しかし、一番着る頻度が高い。だから一番気に入ったものであるはずなのだが、そうではない。この不思議さに下田は気付いたのだ。
 つまり、意識して着ていないのだ。
 その後、意識し始めると、話が違ってきた。そのシャツを注目してから変になった。いつもの着方と違うのだ。つまり物語性ができてしまったのだ。これは失敗したと、下田は感じだ。
 気付かなかった方が良かったのだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:34| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

3328話 蚊を食う人形


 夏場は虫の息になっている妖怪博士なので、夏休みに入っている。そのため仕事はしない。
 そこへややこしい老婆が現れたが、これが若作りで、何処かのお嬢ちゃんのようなスタイル。暑苦しいときに、そんなものは見たくないのだが、訪ねて来る客を追い出せない。別に客相手の商売をしているわけではないが、ややこしいことを相談に来たり、怪しい話をしに来たりする。その中で依頼までする人は希。依頼されれば商売になるのだが、滅多にそれはない。
 お嬢ちゃんの老婆は暑苦しくないのか、汗もかいていない。よほど震えるようなことでもあったのだろうか。妖怪博士は一応団扇を渡す。扇風機はあるが、うるさい音がして、話が聞き取りにくいので、回していない。
「蚊を食う人形ですかな」
「そうです」
「蚊食い人形ですなあ」
「かわいい西洋人形で、大きなおめめをしていますが、もうかなり古くなりました。去年の夏からおかしいと思っていたのですが、やはりそうでした」
「蚊を食べるのですかな」
「そうです。リンカちゃんに近付いた蚊をぱくりと」
「人形の名前がリンカちゃん」
「はい」
「ミルクのみ人形ですかな」
「違います。陶器製です」
「じゃ、置物ですね。そして固い。それなら口を開かないでしょ」
「少しだけ開いていますが、買ったときに比べて開き方が大きくなったようなのです。笑っている表情になるのですが」
「食べた蚊はどうなります」
「消えます」
「口の中に空洞は」
「ありません。唇だけです。隙間はありますが、開いていません」
 蚊食い鳥という妖怪はいるが、蚊を食う人形は妖怪博士も流石に初耳だ。
「夏場はどうなされています」
「え、何がですか」
「蚊が出るでしょ」
「はい、蚊取り線香を点けています」
「多いですか」
「昔と比べて、蚊は減りました。一匹か二匹がうるさく耳元に来る程度です。それがリンカちゃんの近くへ行くと、消えてしまうのです」
「蚊取り線香が効いて、落ちたのでしょ」
「いえ、手で蚊を捕まえることもあります」
「固いでしょ」
「え、何がです」
「だから、陶器なので関節が」
「いえ、軽く手を出します」
「蚊を手掴み。それは人でも無理ですぞ」
「でもリンカちゃんは敏捷だから、身体も柔らかいのです」
「宮本武蔵のようですね」
「え、何ですか」
「飯屋で飛んでいるハエを箸で挟み取るのです」
「リンカちゃんなら、箸もいりません」
「はい、分かりました。蚊取り線香がいらないので、助かるという話ですな」
「でも、リンカちゃんが妙なので、相談を」
「蚊を食う人形、まあ、それもありですなあ」
「何かお祓いが必要なのでは」
「困るようなことがありますかな」
「ありません」
「では、気味が悪いとか、怖いとかは」
「ありません」
「だったらそのままでいいと思いますよ」
「あ、はい」
「では、そういうことで」
「ありがとうございました妖怪博士。これですっきりしました」
「はいはい、私は暑苦しくて仕方がありませんでしたがね」
「あ、はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

3327話 鰻重


 まだ夏バテではないが、そろそろバテてくるだろうという頃、土用のウナギの日を思い出し、平田はウナギを食べることにした。子供の頃は、この土用を土曜と勘違いしており、波の高くなる頃の土用波も土曜になると波が高くなるのかと勘違い。年中海を見ていればその程度のことは分かるが、海水浴で行く程度。だから土曜日は行かないものと思っていた。
 さて、ウナギだが、近所の弁当屋に鰻重がある。その近くの牛丼屋には鰻丼もあるが、ここは鰻重だろう。
 それで弁当屋へ行ったのだが、その手前で自転車が多いのが見え、さらに近付くと、店内で待っている人が多数おり、椅子はふさがり、立っている人もいる。自転車の客だけではなく、駐車場もあり、そこも満車に近い。これはさっと買って、さっと食べられない。それだけのことで、平田は鰻重を諦めた。待つだけのスタミナがなかったわけではないが、待ってまで買うほどでもない。単に夕食を食べるだけなので、他のものでもかまわない。
 その通りにはファミレスやラーメン屋、多国籍料理店など、いくらでもあるが、一人の場合、そういった張り切った店には入りたくない。コンビニで弁当を買った方がすんなりといく。
 今回、鰻重はすんなりとはいかなかったので、その近くにあるスーパーへ行くことにした。そこでウナギを買うわけではなく、普通の弁当を買うためだ。コンビニや弁当屋のより盛りが多く安い。それですっかりウナギを食べる特別な日から、普段のコースに戻ってしまった。
 その弁当屋の前からいつものスーパーへ寄ることになったのだが、いつもは家から西へ向かうのだが、その日は北西へ向かうことになる。方角は分かっているが、滅多に立ち入らない場所。昔の農村がまだ残っており、弁当屋もコンビニもスーパーも、その村の町名だ。昔は田んぼだった場所。
 その村の中心部を通り抜けるコースになる。平田は自転車でウロウロするタイプだが、この旧農村時代の中心部へは滅多に行かない。用事がないためだ。よくウロウロ自転車で走ってはいるが、それは目的地までの移動で、散策ではない。
 スーパーで弁当を買うのなら時間が問題になる。夕方前でまだ早い。その時間ではまだ値引率が低いのだ。閉まりがけなら半額になるが、そこまでは待てない。
 それで、できるだけゆっくりとスーパーへ向かうことにした。弁当屋から西へ向かった。大きな古書店があり、その辺りが村と村との境界線だったはず。さらに西へ向かいすぎると、行き過ぎになる。案の定、行き過ぎてしまい。慌てて、舵を切った。村の中央部を抜ければ、ちょうどいい角度からスーパーへ行ける。
 村のシンボルだった神社の大きな茂みが見えてきた。神木が何本もあるのだろう。大木が集まる林。それが一本の大木のように遠くから見える。実は別々の木なのだ。
 その下を通過したところから農村時代の建物が見える。狭い路地だ。大きな道は中央部にはない。この村の家は、一カ所に全て集まっている。そして周囲は田んぼ。今では取り残された一角だが、どの家も大きく、武家屋敷のような屋根のある門や土塀がある。ここだけは時代劇をまだやっているようなものだ。
 普段、ここまで足を伸ばす用事はない。スーパーの西へ行く用事がないためだ。
 狭い路地は急に塀にぶつかり、直進できなかったりする。まるで迷路のように入り込んでおり、通れると思って進むと、農家の庭に出てしまったりする。その家の専用路だろう。
 日はまだ上にあるが、曇りだし、太陽の位置が分からない。日は西に沈む。だから夕日を背にして進めばスーパーに出るはずなのだが、その目印がない。もう方角が分からない。分かっていても、そちらへ向かう道がなかったりする。
 それで、ぐるぐる村の路地を回っているうちに、見たことのある場所に何度も出る。火の見櫓跡だろうか。もう使われていない消防団の倉庫もある。
 結局、村の人らしい自転車のおじさんのあとを付いて走ると、普通の住宅地に出た。大きな道も見えてきた。そしてスーパーの位置も確認できた。
 あとで、地図で見ると、村名や町名とは別に、狐塚とか、車塚などの旧地名も書かれていた。今は番地としては使われていない。
 スーパーの総菜コーナーへ行くと、何と鰻重が並んでいた。最初からここへ来ればよかったのだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

3326話 真夏の湯豆腐


「暑いときは湯豆腐がいいです」
「暑いでしょ」
「冬は冷や奴がいいです」
「寒いでしょ」
「夏は冬のような食べ方、冬は夏のような食べ方がいいのです」
「やっておられるのですか」
「やってません」
「じゃ、意味がないじゃありませんか」
「というのはどうかな、と、ふと思ったのです。これは暑いのでやけくそです」
「あまりにも暑いので、もっと暑いものを食べてやれとですか」
「そんな感じです。しかし、湯豆腐は真夏でも食べるでしょ」
「進んでは食べませんし、そういうのは家で出ませんからね」
「飲み屋へ行けば夏でも湯豆腐はあるでしょ」
「ありますがね。私は豆腐はあまり食べないのです」
「そうなんですか」
「子供の頃から貧乏で、豆腐ばかり食べていましたから、見るだけで、もういやです」
「そういう含みがあるのですね」
「そうです」
「夏は暑いので、何をやっても暑いので、もっと暑苦しいことをやればいいんじゃないかと思ったのです。逆に涼しくなるような」
「さらに暑くなりますよ」
「まあ、あまり暑いと気が狂う人も出るでしょ。あれはやはりやけくそなんですよ。もっと暑いことをしてやれってね」
「寒中の水浴びのようなものですか」
「それはやったことはありませんが、寒いよりも、痛いんじゃないですか。だから別の趣味でしょ」
「確かに暑苦しいことをやると、大汗をかき、そのあと寒くなったりしますから、涼しくなるかもしれませんねえ」
「湯豆腐を試すつもりです」
「しかし、湯豆腐、それほど熱くないでしょ」
「まあ、暑くて頭がぼんやりとしてきて、気がおかしくなるのかもしれません」
「季節に関係なくおかしくなる人がいますよ」
「それは、あっちの病気でしょ」
「そうです。最初から狂ってそうな人なら分かりやすいのですが、そうでない人もいますから、こちらの方が怖いです」
「普通の人がそうなるのですかな」
「まあ、普通の一般常識からの逸脱でしょ。それを本人が気付いていないのが問題でしてね。それなら気の触れた真似ですが」
「原因は何でしょう」
「きっとストレスの多い人でしょうねえ。それが爆発したのでしょ。堰が所々で切れた感じです。常識の決壊です」
「身近にいますか」
「いますよ」
「それは怖い」
「誰だって、その要素は持っていますが、堰き止めているんですよ」
「じゃ、夏場の湯豆腐なんてかわいいものですなあ。自分が暑いだけですみますから」
「そうですねえ」
「冬の狂気よりも夏の狂気の方が怖いですよ」
「暑いので、レッドゾーンに入るからでしょうねえ」
「はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:15| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

3325話 ソーメンを食べに来る男


 夏だけに来る旧友がいる。普段からの付き合いはない。立花が若い頃は毎日のように合っていたクラスメイトだ。年取ってからはもう関係はなくなったのだが、その吉田だけはまだ続いている数少ない旧友だ。今も友かと問われると、そうだと答えるだろう。
 この吉田が夏の暑い盛りの頃、決まって来る。まるで暑中見舞いのはがきのように。ただ年賀状は来ない。
 そして毎年昼下がりの、最高気温が出る炎天下に来る。雨の日は来ないし、曇っていても来ない。猛暑のときにしか来ないので、その日は決まっていない。しかし、決まって暑い日なので、決まっているのだろう。
 そしていつもソーメンを作って出す。これは年中行事のようなもので、それでもてなすのだが、吉田は普段からソーメンなど食べない。これは若い頃、お金がなかった時代、ご飯のように食べていた。夏場はソーメン、冬場はスパゲティー。いずれも安い。
 そのため、年に一度来る吉田のためにソーメンを買うようなもので、何束か入っているので、それを食べきると、もうソーメンは買わない。
 そして、今年もやってきた。そして、ソーメンを作った。
「暑いときは、この醤油が効いた出汁のソーメンが一番だね」
「そうなの」
「遠泳とかのとき、海に桶が浮かんでいるだろ。あそこに醤油が入っているんだ。あれをなめると元気になる」
 そして、世間話をして帰っていくのだが、毎年気にしてみているのは、ソーメンが減っているかどうか。鉢の中のソーメンだ。それが消えていると、安心する。
 つまり、具のなくなった吉田になっている場合もあるからだ。吉田という肉が。
 今年もソーメン鉢は空だったので、生きていたのだろう。
 しかし、この吉田。あまり自分自身のことは語らず、暑中見舞い程度の話しかしないし、今、何処に住んでいて、何をしているのかの近況も話さない。そういえば学生時代からそうで、彼の電話番号や住所は分かっているのだが、行ったことはない。来られるのを嫌っていたようだ。何人かいた友達の一人なので、立花はそれほど気にしていなかったが、それは今も続いている。
 卒業アルバムにも吉田はしっかりと写っている。しかし、何処か影が薄いというか、目立たない男だった。
 だからではないが、毎年来る吉田に対して幽霊疑惑が起こるのだろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

3324話 クラゲ男


 他にやることがないので、適当なことをやっている竹下が、本当はそれほど好きなことではないし、自分らしくもないことが結構ある。この適当というのは程々によいことなのだが、程々にしておきなさいの程だ。適材適所の適でもあり、一番妥当で、好ましい状態。しかし、この適当は、テキトーで、いい加減な状態。だから、加減がよいと言うことで、悪い意味ではないが、イイカゲンとなると、あやふやで、しっかりしてなく、手を抜いたりと、加えたり減らしたりするバランスがよい状態だとは思われていない。手加減しないわけで、それは考慮が足りないのだろう。
 これは「よいかげん」ではなく「いいかげん」のためだろう。決して良い加減ではない。もしそうなら皮肉だ。
 竹下がイイカゲンで、テキトーなことをしているのは、軽はずみなため。この軽さは体重をかけないことで、本腰を入れていない。つまり本気ではない。いつも腰が引けている。それはあまり好きなことではないためだろう。また、それに打ち込むほどのものではなかったりする。この余裕がテキトーさを生み、イイカゲンになる。これは決していい湯加減のようなものではなく、そこはテキトーなのだ。
 竹下はやることがないので、適当なことをやっているのだが、本腰を入れてしっかりとやるようなものが実はない。それはあるのかもしれないが、そういった好きなものはすぐに手に入るが、すぐに消えてしまう。だから逆に好きではないことをやっている。やっているうちに好きになるかもしれないが、ほぼならないことは分かっている。
 テキトーでイイカゲンなのは自分を乗せないためだ。つまり大きな意味を与えたり、それに生きがいなどを見いだす気がないため、自分というのを結構殺せる。そのため、自己主張が少ない。自分が自分が、ということにはあまりならない。これが意外といけるようで、他にやることがないので始めたことなのだが、長続きしている。ただ、淡泊というか、いつも引いて見ている。まるで他人事のように。要するに自分事が過ぎるとトゲができる。
 その動きはまるでクラゲのようで、何処に芯があるのかよく分からないが、クラゲはくにゃくにゃと動きが不安定そうに見えるようでもしっかりと舵を取っているのだろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

3323話 状況劇場


「状況が変わってくると対応も考えなくてはなりませんなあ」
「状況ですか」
「数年前とは違うでしょ」
「そうですか」
「十年前、二十年前ならもっと違いが分かりやすいかもしれません。その間、ほぼ変わらぬものもありますがね。私が言っているのはもっと個人的なことです」
「そうですか」
「状況が変化しました」
「はい」
「それで、こちらも変化しようと」
「当然でしょうねえ」
「そうでしょ」
「はい」
「結局時代の変化と私の変化が違っていたようなので、時代に合わすわけじゃありませんが、それなりに対応しないといけない。私はあまり変化していません。これが実はいけない。だから、私が変わらなかったのがいけなかったのです」
「相撲の立ち会いでの変化は嫌われますよ」
「その変化ではなく、進歩のようなものです。いい風に変わるのとは少し違いますが、まあレベルアップでしょ」
「つまりあなたはレベルアップしなかった」
「ああ、まあ、それが最大の問題でしょう。それなりに努力はいたしましたよ。だから、これは諦めるしかありませんが、さて、ここからです」
「何が始まるのですか」
「状況が変わってきましたから、私もそれなりの対応を考えることにしたのです。これは構え方でしょうなあ」
「はい、お好きにどうぞ」
「私は変わらないのに、世の中が変化する。状況が変化する。それに即した構えなり態度を構築していく必要に迫られました。意識改革も当然必要です」
「はいはい」
「これはですねえ。時代や人に取り残されないように私も進歩していくというのとは違うのです。組み替えです」
「じゃ、あなたのレベルは変わらないと」
「残念ながら、そこは弄っても、それ以上進歩しません」
「じゃ、何とか時代に合わせるということですか」
「違います。合わすのではなく、態度を変えるのです」
「要するに、あなたがもっとしっかりしていれば、そんな考え方などする必要はなかったのでしょ」
「痛い」
「まあ、誰もが痛いですよ。今の状況に合った人などそれほどいるとは思いませんから」
「そこからが闘争です」
「逃走ですか」
「違います。戦いです」
「はい」
「この戦いの場を私は状況劇場と呼んでいます」
「何処かで聞いたことのあるような」
「これは私の一人芝居ですがね」
「素直に認められたらどうですか」
「何を」
「それは面と向かっては言えませんよ」
「あ、そう」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:15| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

3322話 コーヒーを飲みに行く


 これといって行くところはないが、村田はコーヒーが好きなので、コーヒーを飲みに行く。コーヒーなど家の前の自販機にあるし、コンビニで淹れ立てもある。しかし煙草を吸いながら、ゆっくりとコーヒーを飲みたい。これは茶の湯の心得でも何でもない。
 これといって行くところがないのだが、何処かへ行きたい。しかし目的がないと行けない。その目的地を喫茶店にするといい具合になる。茶店だと思えばいい。そこへ行くまで、ものすごく疲れ、一服したいほどではないし、茶店は途中にある休憩所で、休憩してから目的地へ向かう。しかし最初から目的地が茶店だとすると、休憩のために向かうようなものだ。
 喫茶店へ行くだけが目的で喫茶店へ行く。村田は最初、ちょっとおかしなことをしているような気になったが、そんなことをとがめる人はいないだろう。酒代や外食に比べれば安いものだ。
 最初は近所にある喫茶店だったが、その近くにもあり、さらにそこから足を伸ばせば別の店もある。所謂梯子というやつだが、一店から一店までの距離が短すぎると、さっき飲んだばかりなので、それほど欲しくはない。間が必要なので、喫茶店の梯子はできない。
 その間は日に三回程度だろう。朝昼夕と、薬を飲むように。薬は食後に飲むことが多い。漢方薬などは食間だ。
 それで、家で食べる三度の食事後、喫茶店へ行くようにした。いくらコーヒーが好きでも立て続けに飲んではうまくない。間が必要なのだ。間が。
 近所の店へ日に三度行くわけにもいかないので、残る二店は少しだけ遠くなるが、特に昼食後に行く店はかなり離れた場所でもいい。まだ入ったことのない店を探し出すのもいいし、バスや電車に乗って、遠くまで行くのもいい。
 目的地が喫茶店だけとはいえ、そこへ行くまでの過程がある。道沿いの景色を見ることが目的ではないが、それも付録で付いてくる。見ているだけではもっいないので、カメラを持ち出し、撮してみたりする。ただ単に歩いているだけでは暇で仕方がないためだ。
 さて、村田は喫茶店で何をしているのかというと、当然コーヒーがメインなのだが、つまむものが欲しい。これはケーキとかではなく、コーヒーを飲むだけでは暇なので、新聞を読んだり、本を読んだりする。その方がコーヒーをちびちびやれるし、煙草もうまい。いずれもコーヒーの当てのようなものだ。それで、店から見れば、本を読みに来る客のようになる。よくいる人だろう。
 本といっても好みがあり、一冊読めば次のが読みたくなるが、いい本があるかどうかは分からない。いい本を買った場合は、数日は楽しめる。悪い本を買ってしまった場合、少し苦しい。だから選択肢が必要になる。
 そして鞄にはカメラと煙草と本を入れるので、それに合ったようなものを買う。これはコーヒーとは直接関係がない。
 コーヒーを飲みに行く。それだけのことだが、結構関連する事柄があり、コーヒーとの繋がりはほとんどないのだが、核になっているのはコーヒーだ。
 コーヒーなど小さなネタだが、核となるものは意外とそんなものかもしれない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:02| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

3321話 ある北帰行


 木造アパートの二階。その階段は内側にあるが、横殴りの雨では濡れることもある。それで腐りかけの木の階段を田所は重い足取りで一つ二つと足を上げる。上の方は屋根のおかげで腐ってはいないが、ほこりが溜まり、風が吹くと目に入る。三十年前からこの階段を田所は上がっている。二階の一室に住む友人を訪ねるためだ。吉村という級友で、三十年前からずっとここに住んでいる。六畳一間なので夏場など西日がまともに来る。エアコンはなく、ここで扇風機だけで三十年も夏を越したのだから、凄い人物か、または単に慣れただけかもしれない。
「相変わらずかな」
「夢を見る」
「もう遅いけど、立身出世のかい」
「いや、階段の上がり下りができなくなる夢」
「まだ、そんな年じゃあるまいし」
「僕はその年でなくても、階段が年寄りだ」
「そういえば腐って、欠けているところもあったなあ」
「まあ木の梯子だと思えばいい。無事なところを足場にすればね。真ん中辺りが最近怪しい。端がいい。手を使う必要がそろそろある」
 昔は線路の枕木と同じ色だったが、最近は塗っていないようで、白っぽい。黒髪が白髪になったような感じ。
「階段は一つだったねえ」
「そうだ。あれが使えなくなると、二階へはどうして上がる」
「梯子をかければいいんじゃないか」
「家具など買ったときはどうする」
「つり上げるしかないね」
「実際にはこのアパートが問題なのではなく、僕が問題なんだ」
「そうなの」
「こんなところに三十年も住んでいるからだ。引っ越せばいいのだが、金がない。しかもここより安い家賃は探してもない」
「それは僕も同じだよ」
「君はもう一つランクの高いアパートにいたねえ」
「二間ある。風呂もある」
「しかし、君も三十年か」
「そうだね。動いていない。それにそろそろ立て替えてマンションにするらしい」
「まあ、お互いに三十年も粘ったのだから、もう十分だろう」
「田舎に帰るしかないねえ」
「そうだね」
「しかし、何をしに来たんだろう。そして三十年も何をしてきたかだ。それを考えると、辛いねえ」
「いや、生きているだけでも」
「ところで、僕はまだ写真をやってるけど、君はまだ絵は描いているの」
「あれは方便だ」
「そうだったねえ」
「都を捨てて国へ帰るか」
「北へ帰る夜汽車はもうないけど」
「夜行バスになるねえ」
「錦は」
「錦を買って、お土産とするか」
「そうだね」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

3320話 夏越え


「こう暑いと何ともなりませんなあ」
「でも毎年何とかなっているでしょ」
「いや、年を越すより、夏を越す方が難しいですぞ」
「体力的にですか」
「体力があっても同じことです。暑さにやられればね」
「まあ、それでも毎年夏を越しておられるのでしょ」
「越せたかどうかは分からない」
「それじゃ幽霊じゃありませんか」
「そうなると、あなたもそうなりますぞ」
「じゃ、ここは冥土」
「そんなはずはありませんから、ご心配なく。家には仏壇もあるし、月命日にはしっかりお祭りしていますからね。そうじゃないと、あの世にも仏壇があり、そこでもお供え物をしたりすることになります」
「そうですなあ」
「今年も盆踊りの時期ですねえ」
「まだ早いのに、櫓や提灯が出ています。あれは夏祭りで、盆踊りとはまた別なのかもしれませんが、年寄りから見れば、夏祭りじゃなく、明らかにあれは盆踊りですよ。しかし、地縁も血縁もない連中と一緒に踊るのですから、もう昔のような村単位の祭りじゃなくなったので、夏祭りと称するのでしょ」
「しかし、近所の人が来るのなら、それも地縁でしょ」
「そうですなあ。同じ場所に住み暮らしていれば、そうなるでしょう」
「私の遠い親戚ですが、まあ、大正時代の人ですが」
「大正は短いですよ」
「だったら明治に近い人ですが、その終わり頃の人で、稲荷祭りを仕切っていたようです」
「あの、お稲荷さんですか」
「稲荷踊りです」
「ほう。狐の面を付けて」
「大きな屋敷に仕えていた人でしてね。その屋敷内にお稲荷さんが祭られているのですよ。そして夏になると、その前で踊るのです」
「個人が管理しているお稲荷さんですね」
「今でもありますよ。ちょっとした家なら、その庭にね」
「そうですか」
「稲荷音頭もありましてねえ。これはほとんど子供が踊るんです。これを餓鬼踊りといって、近所に住む貧乏人のガキが集められます。お菓子が出るので、喜んできましたよ」
「珍しい行事ですねえ」
「さあ、一般的かどうかは分かりません。その家だけがやっていたイベントのようなものかもしれませんしね。盆踊りに近いのですが、先祖とは関係しません。どちらかというと梅雨の終わり頃、これから暑くなるぞという手前でやるのです。蒸し暑い頃です。まあ、夏越えの行事でしょうか。無事に暑さを乗り越えられますようにとね」
「その屋敷、今もありますか」
「もうないでしょ。屋敷内に使用人などが多数いた時代です。今はそんな家など、もうないでしょ。だから、大きな家など必要じゃないのでしょうなあ」
「なぜ、お稲荷さんなのですか」
「いや、聖天さんでも弁天さんでも大黒さんでも何でもいいのです。屋敷の庭に置けるようなものならね」
「なるほど」
「年越しよりも、夏越えの方が本当は難しかったのでしょうなあ」
「はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

3319話 黒南風


 夏風邪が長引きすぎているため、島田は風邪ではないように思いだした。医者に行ったのだが、薬がきつく、風邪の影響なのか薬の影響なのか分からなくなってしまった。最近の薬はきついのだろう。
 それで薬の効果が切れ、普通の夏風邪のだるいような状態に戻った。これは把握しやすいが、心配になり、近所に住む祈祷や占いをやる婆さん宅を訪ねた。これはよりにもよって、行くべき家ではないが、薬よりもマジナイの方が効くのではないかと、考えたからだ。実に浅はかな話だ。
 その婆さん、普通の長屋に住んでおり、看板は上がっていない。ボランティアではなく、しっかりとお金を取るが、医者に行く程度、薬局で風邪薬を買う程度の金額なので、問題はない。しかし、あまりにも安いので、インチキではないかと言われていた。
「それはあなた黒い風が吹いたのですよ」
 早速インチキ臭い話が始まった。
「暑い最中なのにゾクッとするようなことはありませんでしたかな」
「悪寒ですか」
「いや、暑いと思っていたら、下の方から冷気が来たような」
「ああ、あります。暑いのか寒いのかが分からなくなりました。寒いと思い、着込んだほどです。するともの凄く暑くなってきて、すぐに脱いだのですがね」
「雨が降る日じゃありませんか」
「そうです」
「この季節、それを黒風と呼んでいますのじゃ」
「はあ」
「黒南風とも呼びます。これは邪鬼です。だから、風ではなく、風邪を引いたときの、あの風邪。邪悪な風ですなあ」
「そうなんですか」
「祓いましょう」
「お願いします」
 婆さんはサンマでも焼くような汚い団扇で扇ぎだした。
「これで黒南風は出て行くであろう」
「あろうですか」
「そうじゃ」
 それから一週間ほど立ったとき、急に身体が熱くなり、足元を見ると、黒い煙のようなものが出ていったように見えたが、錯覚かもしれない。
 そして夏風邪が治ったのか、体調も戻った。結局は治る時期になっていたのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:15| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

3318話 隠遁士


 畳屋に隠遁士が来たらしい。数日後畳屋は畳まれ、ただの小屋になった。作業所がトタン小屋だった。隠遁士は死神とは違い、命までは持って行かない。穏やかに言えば隠居、引退、廃業を勧告しに来る老人。商売が浮き世とすれば、浮き世を捨て、引き籠もれ程度なので、それほど悪いものではない。ゆったりと余生を送れという程度。
 隠遁士はその引導を渡しに来る。畳屋はそれを受け取り、畳んだことになる。ちょうど潮時で、年も取り、腰も痛く、畳を動かすだけでも辛かった。
 隠遁とは積極的なもので、好んだり望んだりして世を捨てる。畳屋が素直に引導を受けたのは、畳屋をしなくても食べていけるためで、もう十分畳屋をやり倒したので、未練はない。今までは生活のためにやっていたが、働き者のため、結構財を得た。散在するわけでもなく、地味に暮らしていたので倉が建つほどではないが、生活費を得る必要はもうなかったのだ。
 豆腐屋にも隠遁士が来た。畳屋とは幼友達だが、隠遁士が来なくても廃業状態だった。念を押されなくても辞めることになっていた。
 酒屋にも隠遁士が来た。こちらはまだ辞めるわけにはいかない。商売は繁盛し、倉も建っているのだが、意外と借金が多く、その他、色々と維持費がかかるため、辞めるわけにはいかない。隠遁できない理由を伝えると、気が変われば付いて来いと言う。何処へ行くのは知らないが、酒屋の経営や家の事情が面倒になっていた時期なので、誘いに乗った。これが死神なら行き先はあの世だが、隠遁先なので山の中でも行くのだろう。ここが隠居と違うところで、隠居はまだ俗世間にいるが、隠遁者はもう縁を切ったようなもの。
 約束の場所と時間に三人は集まり、隠遁士を待った。この老人は白っぽい顔で表情がほとんどない。
「行きましょうか」ということで、歩き出した。
 夜中のことなので、何処をどう通ったのかは分からないが、明るくなる頃には山中にいた。近くの山かもしれないが、山の形に記憶がない。
 しかも暗い山道をよく歩けたものだ。これはこの世と地続きの山中ではないように思えた。それなら隠遁ではなく……。
 うたた寝から覚めた畳屋は太い畳針の先を少なくなった頭で掻いた。これが癖になっていた。下手をすると皮膚を突いてしまう。だから眠気覚ましにはちょうどよい。
 腰も痛い。そろそろ引退したいと思った。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 10:18| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする