2017年09月30日

3398話 雨の降る前


「雨が降りそうですなあ」
「午後からだと言ってませんでしたか」
「もうすぐお昼です」
「降り出すのが早いようですが」
「私もそう思います」
「そうでしょ。だから傘なんて持ってきませんでした」
「私もです」
「しかし、まだ持つんじゃないですか、昼過ぎからじゃなく、午後からと言ってましたから」
「同じだと思いますよ」
「午後から雨なので、夕方あたりでもよろしいかと」
「そうですねえ。昼過ぎから雨なら、昼を過ぎたあたりから雨」
「午後というと広い」
「はい」
「しかし、困りましたねえ。戻り道濡れますよ」
「まだ降っていませんから、もう少し持つのでは」
「持って欲しいですなあ。秋の雨は冷たい」
「じゃ、もう帰りますか」
「いや、持つかもしれません。午後から雨なので、その午後の幅に頼るしかありません。降りそうで降らないことがよくあるでしょ」
「あります」
「しかし、雲行きがあやしくなってきていますねえ。さっきまで陽射しが少しあったのに、今は陽が見えない」
「そろそろ降らす準備をしているのでしょ。分かりやすくていいじゃありませんか」
「いきなりの俄雨よりも分かりやすいです。雨のことなど考えていないのに、降り出す。だから雨の心配など降るまでしていない。こちらの方が気楽でいい」
「今日の雨は予報でありました」
「はい、それで出るとき、頭にありました。降るだろうと。しかし午後からでしょ。だから、まだ大丈夫かと」
「そろそろ午後ですよ」
「昼を回りましたか」
「はい、今降り出してもおかしくありません」
「じゃ、帰りましょう。早い目に帰れば、まだ大丈夫かもしれませんから」
「そうですね」
「しかし」
「何ですか」
「降れば傘を買えばいいんですよ」
「ああ、そうですなあ。今使っているビニール傘、バネが悪くてねえ。いやバネではなく、曲がっているのですよ、芯が。だからすっと伸びないので、すっと開かない。だから新しいのを買ってもいい頃なので、急いで帰ることはない。あなたはどうですか」
「私は常に傘は二本使っています。二本同時に差すのじゃないですよ」
「そんなこと分かっています。そんな人、見たことありません。二本杖ならよく見ますが。それに平行には差せないでしょ。そして本人は間になるので、二本も傘を差しているのに、濡れることになります。縁と縁の間は隙間だらけですからね。四角な傘ならいいのでしょうが、繋ぎ目から漏れます」
「二本使っているとは、いつも二本用意しているということです。ところが一本、この前の台風で骨が折れましてねえ。一本だけになってしまいました。だから補充しないといけない。だから新しい傘を買う時期に差し掛かっています」
「じゃ、丁度いい。降り出せば買えばいいんだ」
「そうです」
「だったら、急いで帰ることはない」
「はい、その通り」
 
   了
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2017年09月29日

3397話 長老の果て


 その道の達人が一家をなし、そして流派をなし、それを後輩が引き継いでいく。しかし、流派の勢いがなくなることがある。これは時代の影響だろう。その全盛時代の達人の一人が生き残っている。既に引退しているが、最長老だろう。
 しかし、この達人、当時それほど目立った存在ではなく、数いた達人、これは兄弟衆のようなものだが、弟に当たる人が流派総代を継ぎ、今はその弟子が継いでおり、この流派の頭となっている。
 宮田はその最長老を訪ねた。既に普通の老人になってしまったが、その眼孔は未だに鋭い。何度か訪ねるうちに、近くの大衆酒場で話すことが多くなった。払いは当然長老。しかし大した金額ではない。安い店のためだろう。
 訪ねて来る人などいなく、またその業界の人も避けている。
 宮田は一寸したイベント屋だが、人脈を増やすため、この長老に目を付けた。
 その長老は全盛期、門人に辛く当たった。一番厳しい師匠筋ということだが、自分の一門だけではなく、他の一門の後輩に対しても意見は辛辣、手厳しく、褒めたことが一度もない。しかし、その教えは的を得ており、よき師匠なのだが、その後、この人を慕う人はない。我が一門の弟子さえ別の一家を構え、挨拶にさえ来ない。いやなのだ。この師匠の言い方が。
 鉤鼻で、話すとき、その鈎でえぐられるようにきついことを言い、その口は意外と小さいが、尖っており、傷口をその口でくどく突き刺す。これは神経に来る。頭に来ないで。
 つまり、叱られたときのダメージが一生尾を引いているようで、懐いたり慕ったりできる雰囲気ではなかったのだろう。それで、最長老になってからも、誰も相手にしなくなった。長老は数多くいるが、最長老はいないことになっている。
 その長老、酒場で宮田と話すときは機嫌がいい。普段から人と話すことなどないためだろうか。弟子や家族からも見放されたような人で、孤高の人なのだが、これは悪い性格からきている。人柄に問題があるのだ。
 ただ、宮田には愛想がいい。それは全盛時代の話を全部聞いてくれるからだ。宮田の聞き方が上手いのはプロのため。この宮田の聞き方の上手さに長老は気付いていない。あの鋭い眼光も、敢えて光らせない。宮田が得意とする聞き方は、相手の自己愛を引っ張り出すことで、これは見え据えた手だ。しかしその言い方がいやらしくない。長老は猫のように簡単に喉をゴロゴロ鳴らしっ放しにしている。それを看破するだけの力がなくなっているのだろう。
 今、現役で活躍しているこの流派の第一人者たちに対する物言いはきついものが残っているが、自分の息子や孫の世代なので、そんなものだろう。
 相変わらず人を認めようとしないところは昔と同じだが、そのため、誰も寄り付かなくなったことには触れない。当時は言うべきことを言っただけなのだが、問題はその物言いだ。これが後輩たちの神経を傷つけすぎた。
 宮田は話を聞くうちに、これはやはりまずいだろうと思い出した。この人と関係があるというだけで、不利になるような。
 しかし、その夜の酒場でも長老は機嫌がよく、宮田にも親切だ。あのいやなことを言う人ではなくなっている。
 何かのとき、この長老を引っ張り出せば、押さえになるかもしれないが、隠し球としての威力は昔ほどにはないようだ。
 意外とこの長老と気が合うのは、宮田も似たような性格のためかもしれない。そしてこの長老が全盛期のときと同じ様なことを宮田もやっていることに気付いた。
 その後、宮田は自分の仕事も上手く行かないようになる。原因はあの長老と同じ。それからは、もうあの酒場へ行くこともなくなった。未来の自分を見ているようで、見たくなかったのだろう。
 
   了

 
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2017年09月28日

3396話 奇妙な町


「奇妙な町がありましてねえ」
「あなたが奇妙なのですよ」
「はあ」
 それでは話が続かないのだが、続けたくないのだろう。その奇妙な町について少しは聞きたいところもあったが、竹中は打ち切った。どうせ、この老人の気のせいでそう見える町の話なので、客観性がない。それに、そんな町は、もう町ではないだろう。町として存在できないためだ。
「誰かに聞いて欲しかったのですが、まあ、いいです。別の人に話します」
「じゃ、触りだけでいいのなら」
「はい、私も全部話す体力がありませんから、少しだけ聞いてください」
「じゃ、どうぞ」
「何処から話していいものやら」
「決めていなかったのですか」
「いきなりだと分かりにくいので、どのあたりから話せば分かりやすいかと」
「何処からでも構いません」
「はい。では私がその町を訪れたのは他でもありません。実は何もなかったのです」
「最初から面倒そうな話ですねえ」
「その町があることは知っていました。一度は行ってみたいと。その一度が来たのです」
「かなり手前から離しているようですねえ。町に入ったところからお願いします」
「古い街並みが残るとされている平野部の外れにある町でして。支線のまた支線のような鉄道が走っておりまして。便が悪いのですが、一応電車が走っているので、便といえば便です。一日二本程度のバスに比べればはるかに便がいい。しかし、この町にはバスは来ません」
「早く町へ」
「はい。思い立ったが吉日。何かに押されるように、あるいは誘われるようにして、その駅に降り立ちました。無人駅でしたがね。意外と道路がないのです。これだけでも大変な発見でしょ。だだっ広い田んぼが拡がっておりまして、地平線まで続いているようなね。農家は彼方にありまして、お隣の町と背中合わせ。逆に町並みのある駅前が山沿いにあるのです。だから田んぼの端にポツンとある町なんです。農村じゃありません。町です」
「はあ」
「要するに鉄道でしか辿り着けない町なんです」
「そこで破綻してますよ」
「え、何がですか」
「町の人の車はどうなるのです。町から車で出られないじゃありませんか」
「そうなんです。だから奇妙な町なのですよ」
「もうそこまで聞けば充分です」
「私は駅に降りたとき、それで納得し、すぐに帰りました。無人駅ですからね。改札がないので、電車から降りるとき、運転手に切符を渡すだけ。乗るときは……」
「そんな話より、あなたはその奇妙な町は何だと思います」
「はい、それが核心です」
「で、何だと」
「きっと私は存在しない駅で降りたのです」
「まあ、あなたがそう言いはるのなら、そうでしょ」
「話はこれだけです」
「意外と簡単でしたねえ」
「はい。途中で話すのが面倒になってきたもので。それにあなたの聞き方が悪いので、乗りが悪くて悪くて」
 
   了
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2017年09月27日

3395話 小用


 玄関を開け、自転車を出し、さっと乗り、ペダルを踏んだ瞬間煙草を忘れてきたのではないかと下田は胸のポケットに手を当てたとき、隣の家と、その向こう側の家の間に見かけぬ老人が立っているのが見える。
 煙草はポケットに入れていたことを確認したので、次の注目ポイントはその老人。
 立っているのが不審というより不思議。隣の家か、その向こうか、さらに右側の奥にまだ家があり、そこに来ている人だろうか。しかし、そんな詮索前に濁って震えた声が先に来た。
「こんへんで……」と、後は聞き取れない。下田は「ええっ、何?」というような顔をすると、老人は同じ言葉を繰り返した。
「この辺でおしっこしていいですか。叱られるでしょうねえ」
 緊迫した状況のようだが、おしっこだ。しかし、本人にとってみれば抜き差しならぬ緊急ごとだろう。隣と、その隣の家の間に通路があり、さらにその左右に家がある。その先は突き当たり。
 下田もよく知っている人たちが住んでいる。その時間、誰がいるのか程度は何となく分かる。
「その辺でやったらいいですよ」
 その通路は私有地で、人の家の庭に近い。
 老人はその余地のようなところに入り込み、こちらを見ているので、誰も今は住んでいない家の壁を指さした。
 老人は許可が出たので、安心して用を足したはず。そのとき、下田は自転車で既にそこから離れていた。
 たまに道ばたに濡れた跡がある。そこだけ雨が降ったような。これは大型犬だろう。また溜め込んだ犬が我慢できず一気にやったような水たまりがある。しかし、犬ではなく、人間かもしれない。犬は分割する。匂いを残したりするため、全部出し切ると用が足せない。用を足しきることで、用が足せなくなる。だから一気にやらない。よほど辛抱し倒した犬なら別だが。
 さて、その老人の正体だが、手がかりは無精ひげで、あまり身なりはよくない。しかし外出着。そして紙袋を手にしていた。顔の彫りが深く、何処かの国の外務大臣に似ている。
 しかし、こんな町内にホームレスが入り込むようなことはないし、最近見かけない。紙袋の中身までは見ることができなかったが、チラシ配りかもしれない。チラシを配っているうちに催したのだろうか。この近くに公園はあるがトイレはない。一番近いトイレはコンビニ。または家などの工事中に持ち込まれる電話ボックスのようなトイレ程度。
 しかし、本当にチラシ配りだろうか。徘徊老人の線も考えられる。
 チラシ配りなら立ち止まらないはず。事情を聞けばそれなりのストーリーがあり、ああそれで、この町内に来ていたのかと、分かるはずだが、今となっては永久に謎。
 ただ、「ここでしても……」という言葉を発するときの外務大臣風の老人の情けなさそうな顔が目に焼き付いて、しばらく臭い思いをした。
 
   了

 
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2017年09月26日

3394話 満席の日


 疋田は安いファスト系喫茶店へ毎日通っているのだが、たまに座れないほど人が多い日がある。これは年に一度もあるかないか。
 その日は秋晴れの日曜日。ショッピングモールは自転車を止めるときから既に満車。止める場所を探すのが難しい。
 しかし、その喫茶店はいつもすいている。人出の多い日でも余裕を持って座れる。それで疋田は安心していたのだが、自転車を止めるとき、遠目で見ると、人が大勢座っている。そんなことは滅多にない。何かの偶然が重なったというより、他の飲食系の店が満員なので、流れてきたのだろう。この安い喫茶店しか開いていないので、仕方なしに、かもしれない。
 疋田は買い物でもして、時間をずらすことにした。入る前から座れないことは分かっているし、この店で空席待ちの客が並んでいる姿も見たことがない。
 そこで疋田は家電を見に行くことにしたのだが、せっかく安い喫茶店で節約しているのに、余計なものを見て衝動買いなどする危険性がある。そこで、実用性の高い衣料品店を覗いた。季節は秋。既に冬物に近いのが並んでいるので、衝動買いの危険度はない。今すぐ着られるようなものなら別だが、ひとシーズン先のものなど買わないだろう。しかし、夏物の売れ残りがあり、その値段が下がっているので、今がチャンス。だが消化できないほど同じものを持っているので、消費欲はあって、買うものがない。
 そして家電店へ行くと、新製品が出る前は値段がガタンと落ちていたのに、新製品が出た瞬間、ガタンと値が上がった。何だろう、この現象は、と思ったのは、新製品の評判が芳しくなかったのだろう。逆に旧製品の値打ちが上がった感じだ。どちらにしても値がさらに下がっておれば衝動買いしたかもしれないが、上がっているので、それはなく、無事に家電店を出る。
 そして喫茶店を覗くと、まだ客が多い。どのテーブルにも人がいる。こんなに流行っている状態を見るのは年に一度もないだろう。
 それで、また買う気はないが、買い物の続きをすることにしたが、安いパン屋があるのを思いだし、そこでパンを買う。これを夕食にするという真面目な展開なので、問題はない。それに夕食代も安くつく。
 それで、また喫茶店を覗くと、所々に空きがある。これならいけると思い、ドアを開ける。
 日々同じ様なようで、年に一度、こういう展開になることもあるのだ。
 それだけの話だが、この事はしばらく覚えているだろう。いつもがら空きだが、座れない日が年に一度程度はあることを。
 だが、もの凄く重要なことではない。
 
   了
 
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2017年09月25日

3393話 行くも戻るも同じ道


「たまには出かけられたらどうですか」
「毎日、ここまで出かけていますよ」
「毎日でしょ」
「そうです。だから毎日出かけていますよ」
「同じ道を通り、同じ階段を上がり、同じドアを開け、そして私と雑談し、その後トイレへ行き、また同じ道を戻る。しかもいつも同じ時間。これじゃ出かけた意味がないでしょ」
「ありますよ。今日も元気で出かけられたと」
「薄いでしょ」
「髪の毛が」
「いや、効果がです」
「効果」
「少し違うところへ行かれてはどうですか。あまり行ったことのない場所とか」
「はあ」
「そういう変化が欲しいでしょ」
「そうですなあ。たまにはねえ。しかし、出不精で、なかなか」
「じゃ、道を少し変えてみるとか」
「いや、ここへ来るまでの道筋は磨き抜いた完成品です」
「まるで、廊下でも磨くようにですか」
「道筋は実はいろいろとあるのです。長年かけて一番安全で、しかも夏場も日陰があり、景色もまずまずの道順を試した結果、今の道筋ができたのです。開通です。これはもういじれない。いじると悪くなる。これがベストなんです」
「でも、同じ風景ばかりじゃ退屈でしょ」
「天気は日々違いますからねえ。空も違う。雲の形も違う。街路樹の色も違う。さすがに成長の様子までは一日じゃ見学できませんがね」
「私が言いたいのは、そういうことではなく、積極的な働きかけについてなのです」
「それについてですか」
「そうです。何か今日はやったと思えることをやるのがよろしいかと」
「いやいや、道を変える程度で、やったなあとはなりませんよ」
「しかし、変えるという行為、普段はしない行為に出たことで、してやったり感が生まれます」
「生まれますか」
「生まれます。これが大事なんです。所謂積極的な働きかけ、受動ではなく、能動です」
「農道も通りますよ」
「その農道じゃない」
「はい」
「これで日々新鮮な頭になります。まあ、そんな道を変える程度のことじゃなく、普段とは違うことをたまにしてみなさいということですよ。だから、毎日毎日同じ道を通って、ここに来て私と話し、そして、また同じ道を通って戻るようなパターンじゃなくね」
「しかし」
「何ですか」
「そういうあなたも毎日ここにいるじゃないですか」
「まあ、そうだけど」
「それで、戻るときの道は変えていますか」
「いや、それはたとえだよ」
「じゃ、同じ道でしょ」
「まあね」
「そして、ここにばかり来ている。しかも毎日」
「だから、それじゃいけないという話をしているのですよ」
「いいじゃないですか、好きなようにして」
「まあ、そうだがね」
 
   了

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2017年09月24日

3392話 生乾きの昔話


 昔あったことで、当時は見過ごしていたが、今見ると、ものすごいものだったと、再発見、再認識することがある。この昔とは、その人にとっての昔で、その人が思っている昔だ。年寄りほど昔の量は多くなるが、若い人でも、結構多い。それは年寄りはもう記憶から消えてしまっていることでも、若い人ならまだ覚えていたりするためだ。だから絶対量は同じとは言わないが、これは思い出す機会と関係する。つまり、昔のことを思う回数だ。そのため、暇そうな年寄りほど回数が多いのかもしれない。その回数分、古い話に触れる機会も多い。
 昔のことに思い出すのは、何かのきっかけが必要で、日課のように思い起こしている人は少ないだろう。何かを見たとか、何かに触れたとか、そういう話を聞く機会があったとか、それらが引き金になる。それとは別に、ふっと思い出すようなこともある。これはただの匂いだったり、何かの瞬間、ポロリと出てきたりで、思い出そうとして思いだ出すのではなく、自然に思い出してしまうのだろう。
 さて、見過ごした、見逃した昔の話のことだが、これは体験したものだけではない。映画でもいいし、テレビでもいいし、歌でも芝居でも、イベントでも観光地でも何でもいいし、また物でもいい。
 ただ、人に関しての話は少し感傷が入るだろう。これは思い出すと痛いとかだ。楽しかったことで、痛かったことなどなかっても、二十年前、三十年前の人となると、その間、年をとっており、もう昔の面影など少ししか残っておらず、もう物が違っていたりする。当然、二度と戻れない場所となるので、それが痛いのかもしれない。
 引退したのかどうか、また現役なのかどうかさえ分からないような歌手が、懐メロ番組に出ているのを見たときなどもそうだろう。全盛時代を知っている場合は、これは何ともいえない気持ちになるだろう。それを見ている側も、それなりに年をとっていることを考えないで。
 ところが全盛時代を知らず、また当時は見向きもしなかったのだが、今、見ると、再認識することもある。認識するだけではなく、高く評価する。こんなすごい人がいたのに気付かなかったと。知っているのに、分からなかったのだ。
 この鑑賞はただの鑑賞の問題なので、それだけの話だが、実際に関係した人物などでは、もっと重くなる。そして鑑賞の話ではなくなる。
 過去の一瞬の輝き。これも戻れないし、また繰り返せないとなると、思い出の名シーンへと殿堂入りする。
 さて昔、見過ごし、見逃し、または評価しなかったものを掘り起こすサベージ作戦のような趣味も悪くはない。ましてや、知らなかったものの中で、ものすごくいいものがあると、感動がある。リアルタイムでも感動できたのにと残念な気もする。
 歴史となるには、かなり経ってからでないと評価できないのは、近いと生乾きのためだろう。しかし古すぎると、記憶にはないだけに、乾きすぎている。
 この生乾きの状態が、結構感傷を誘う。まだ、終わっていないためだ。
 
   了


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2017年09月23日

3391話 東屋の読書人


「同じ人かも」
 植村は毎日自転車で近所を走っている。散歩のようなものだが、その途中にある公園の東屋で本を読んでいる身なりのいい老人をたまに見かける。道から公園の奥の東屋は遠いので、遠目でしか見ていないが、そこに座っている人がいると、視点がそこに行く。
 ある日、そこからかなり離れたところにある寺へ行った。これは用事の帰りに、寺の境内に立ち寄ったのだ。モミジやイチョウが色づくのにはまだ早いが、この境内は誰でも入れるため、散歩コースには丁度いい。境内は広く、竹林があったり、お堂が点在していたり、野仏などが草むらの中に隠れていたりと、それなりに見所がある。池もあり、鐘撞き堂もあり、山門には立派な仁王さんも立っている。
 その山門に入ったところに龍の口から水の出る手洗いがあり、その横に、これもまた立派な東屋がある。椅子で四方を取り囲んだような建物だが、しっかりと囲いや屋根がある。そして椅子に座っている人は、頭だけしか見えない。
 その頭を見て「同じ人かも」となったわけではない。帽子は似ているが、本を読んでいるかどうかは分からない。それで、囲いが壁になっているので、正面の入り口から覗くと、本を読んでいた。ここで「同じ人のようだ」となる。
 近くに自転車が一台だけぽつんと止まっている。これに乗ってきたのだ。結構遠いが半時間程度。いつも見かけている公園から、ここへ遠征に来たのだろうか。
 公園の東屋は午前中で、夕方前はここにいるのだろうか。もしかして東屋読書の梯子をしている人かもしれない。ベンチではなく、東屋専門の。確かに屋根があるので、夏でも日陰ができるので、都合がいい。
 どちらにしても木々に囲まれ、いい場所だ。
 ずっとそれを覗いていても仕方がないので、少し回り込んで、別のものを見ることにした。池に蓮の葉が浮かんでいる。空気袋が見える。別の浮き草かもしれない。
「浮き草の宿」を植村は連想した。浮き草暮らしとかも。そして東屋をもう一度見た。今度は帽子が見えない。もう帰ったのだろうか。
 植村はもう一度中が見えるところまで行き、確認すると、寝転んでいる。横になってしまったのだ。
 相手からの視線がないことを幸いに、その人を観察したが、着ているものが粗末だし、意外と若い。別人だったようだ。
 
   了


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2017年09月22日

3390話 一クラス上へ


「一クラス上のことをしませんか」
「え、私がですか」
「あなたほどの人材が、こんなところでくすぶっているのはおかしいです」
「いや、おかしくはないのですよ。本当ならもう一クラス落とした方がよかったりしますよ。それでも何ともならないので、もうやめてしまいたいほどです」
「しかし、これまでのあなたの経歴を見ていますと、ものすごいことをやっておられました」
「ああ、若い頃でしょ」
「あの力をまた発揮されてはいかがですか。あなたほどの押し出しがあれば」
「ただの無鉄砲ですよ。それに半分以上ははったりです」
「あなたのような突破力のある人が、ビジネスシーンでは必要なのです」
「もうそんな一騎武者の時代じゃないでしょ。個人の力でどうにかなるような隙間はありません。あったとしても、それは罠です」
「その見識がすごいのです。だからそれを使い、一クラス上のことをなさいませんか」
「私の今の力では何ともなりませんよ」
「いや、あなたの交流範囲は広い。非常に多くの人を知っておられる。それも多方面の」
「ただの友人ですよ。仕事となると、また別でしょ」
「以前はそれを生かして、すごいことをやっておられたじゃないですか」
「それもまた時代の波には勝てませんよ」
「しかし、こんなところでくすぶっておられるよりも」
「いや、もうそんな精力はありません」
「精力ですか」
「瞬発力のようなものです。生気みなぎったね。それができたのは若いだけじゃなく、時代がそんな感じだったのでしょう。その後、そんな人ばかりが増えて、緩和状態。もう珍しくもなんともない」
「それで今のクラスに落ち着かれたのですか」
「クラスですか。それはあなたの分け方でしょ」
「一度考えてみてください。あなた本来の力をもう一度発揮する機会です」
「その手は私も散々使いましたよ」
「え」
「あなたと同じような物言いをね」
「はあ」
「一クラス上に行きたいのは君でしょ」
「いえいえ」
「それと何をするのかを言わない」
「それは」
「そんないい話なら、人に言わないで、あなたが一人でやるでしょ」
「いえ、あなたの協力があってこそ成功します」
「その言い方も、私の常套句でしたよ」
「ああ」
「それにあなたの着ておられるコート。これは外国のブランド品でしょ」
「そうです」
「しかし、コピーだ」
「え」
「本物は、そんなテカテカとした光沢はないのですよ」
「はあ」
「そういう隙を見せちゃだめでしょ」
「いや、コートにはそれほど興味がないもので」
「困っているのなら、相談に乗りますよ」
「はあ」
「私はこの業界ではとっつきやすい人間です。敷居が低い。愛想がいいからです。だから、私のところに来られたのでしょ。最初から低いところを狙っている」
「はあ」
「私が若い頃はもう少しうまくやっていましたよ」
「一クラス上へ行きましょう。あなたと組めばできると今ここで改めて確信しました」
「ははは、私は人を選びます」
「え」
「私はもう何かをするということは、将来、ないかもしれませんが、そのときはあなたのようなタイプは選びません」
「あ、はい」
 
   了


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2017年09月21日

3389話 自明なこと


 自明なことを意識し出すとおかしくなる。当たり前のことなので、考えなくてもいい。自明なことが多いほど楽だ。楽をしたいので、自明なものを増やしているのだろう。これは作為的ではなく、自然な省略だ。当然のこと、もう詮索しなくてもいいようなこと。分かりきったことがそれだが、ここにメスを入れるとおかしくなる。改めて考えてみなくてもいいことを、やるためだろう。これは連鎖反応を起こし、一つのことだけではなく、他のことにも伝染する。すると小さな子が「これ、何」と聞くようなものになり、面倒だろう。
 ただ、それら自明なことは最初は自明ではなかった。それが自明になっていくのは深く考察したからではなく、普通に成長していく過程で、いつの間にかマスターしていくのだろう。その人の環境にもよるが、いちいち考察しなくても、何となく分かってくるものだ。そうでないと不便なため。
 これを既成概念といい、自分で考えたわけではないが、そんなものだと思い、受け止め、それを取り込んでいる。ものすごく詮索し、調べ上げ、その上で納得したものではない。これも早く受け入れなければ不便なことになるし、不都合が生じるためだろう。しかし、当たり前のもの、既成概念が間違っていることもある。だが、それが流通しすぎると、ちょっとやそっとのことではひっくり返らない。ものにもよるが、嘘だと分かっていても、そのままにしている。その方がまだまだ都合がいいためだ。それは自分にとっても。そして、自分自身も似たようなことをしていたりする。
 つまり、嘘だと分かっていながら、当たり前のこととしてまだ離さない状態そのものもまた自明なことなのだ。
 嘘であることが分かって上で、という常識もある。この自明とは一種の仮想、仮のものだろう。とりあえずの仕来り、約束のようなもので、約束は破ってもいいというのも、また自明なことだ。それが高じれば約束とは破るためにある、となる。
 世の中は曖昧模糊とした状態では不便なので、とりあえず、何かを当てないといけない。これは個人でもそうだろう。
 自明なことにメスを入れると、新たなものが自明なこととして取って代わるが、それもまた取って代わられる。
 曖昧模糊としたものも自明なこととして受け取ると、結局何も分からないという話になる。やはりそれでは不便だろう。
 自明なことが自明でなくなることもあるが、それはいつの間にかそうなってしまったりする。誰が矢を射たわけでもなく、なし崩し的に気がつけば自明なことではなく、塗り替えられていたりする。
 誰が塗り替えたのかは分からない。だからなし崩しだ。自然に自明が崩れたようなものだろう。これは穏やかでいいかもしれない。ある日、突然ではないので。
 普通の人たちでも、自明なことでも、そうではないと感じている。だからそこは括弧付きで扱っているのだろう。
 
   了

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2017年09月20日

3388話 入らぬの森


 その周辺に住む散歩者だけが名付けている森がある。高畠の森。町名から来ているのだが、そんな森は正式には存在しないし、森としての認識は当局にもない。つまり森としては認められていないのだ。しかしどう見てもそれは森だ。
 高畠は名の通り、高台にある町だが、その丘陵の端にある。その下はガクンと下がっており、断層が走っていることは誰にでも分かる。
 この森、人跡未踏地に近い。人が踏み込むことはなく、誰も入り込まないためだ。昔からそうではなく、広々とした畑だった。場所の関係から水を引くのが難しいため、畑ばかりなので、高畠と呼ばれた。これは下から見たときのことだが、高低差は数メートルしかなく、さっと登り切れるほどだが、崖なので実際には無理。その丘陵を斜めに回り込む小径がある。小径は高畠の森に沿って続いているのだが、登り切っても森には出られない。その手前にもう一つ畑があり、その先はマンションの門。森はそのマンションの横に広がっている。その端は二方が崖。マンションとは別に、オーナーの私邸があり、森は庭のようなもの。
 そのオーナーは昔は農家だったが、今はその脇にマンションを建てた。農家は取り壊され、納屋になっている。手前にもう一つある畑のための農機具などが仕舞われているのだろう。
 人が立ち入っていない森がすぐに近くあるのだが、そういう目では見ないだろう。今もそこは森ではなく農地なのだ。放置した畑に木の種でも鳥が落としたのか、雑木林と化している。その手入れは誰もしていないようで、まるで密林。しかし自然にできたような森は、手入れは実は必要ではなく、植物同士が適当に縄張り争いで光や根の張り合いをし、勝ったものが残り。生き残った灌木とか、少し距離を置いたところに、大きい目の木が育っている。百年は経過しているだろう。そのため、既に枯れたものもある。
 畑時代、その農家のお爺さんが亡くなった。野良仕事中に。老衰死に近いのだが、いつまでも畑に出ていたらしい。その後、この角にある畑は放置された。何があったのかは分からないが、ただの老死ではなかったようだ。
 そこを家族は忌み地とした。部屋でいえば、開かずの間にした。忌み嫌うだけの何かがあったのだろう。触れたくないような。そして日常中には入れたくないような。
 そのため、家族でさえ、その畑には入らないまま放置されたため、いつに間にか自然に還っていたのだ。
 近くの散歩者の中に変わった男がおり、神秘ごとを好んだ。好めば好むほど、その好みに近い世界を作っていくようで、人が入り込まない森を大きく膨らませた。
 つまり、こういう条件を作ると、妙な世界ができると。
 しかし、森といっても畑だった場所で、それほど広くはない。しかし面積は近くの神社ぐらいはあるだろう。ただ最高樹齢でも百年までなので、神木のような巨木はない。
 森の奥に神秘の扉があり、別の世界と繋がっているのだと、その散歩者は考えた。勝手に好きなことを考えただけなのだが、何度も何度もその話を繰り返すうちに耳から口、口から耳へと伝わり、本当らしくなってきた。誰もそれを本当の話だとは思っていないが、噂話としては本物になった。もうそれを言い出した人とは関係なく、物語が独り立ちしたのだ。
 しかし、今はマンションオーナーになっているその家の農地であり、また私邸の裏庭のような場所なので、勝手には入れない。
 唯一の侵入口は崖だ。その崖の下は公道で、崖と住宅地の間の狭い道だが、崖際に樹木が多く、散歩コースになっている。まるで町中の自然歩道のように。森があるのは、あの家だけではなく、崖沿いが自然林になっているのだ。それらの木々は大木が多い。神木には負けない太さの木が何本もある。
 だから、それら巨木の方が目立つため、その端にある畑が百年ほどで森になった程度の茂みは、まだまだ背が低いので、目立たない。そういえば崖の上にもこんもりとした茂みがある程度の認識だ。これは巨木が目隠しの役目を果たしているのだろう。
 人が入り込まない森の奥に、別世界への入り口がある。これは、この近辺の散歩者の間では都市伝説のようになっている。場所が町のためだろう。
 しかし、百年も経つと、忌み地になっていた畑にも、小さな子供など入り込むだろうし、森になってからも、我が家の裏庭なので、開かずの間のようにはできない。
 そのため、誰も入り込んだことのない深い森という条件は満たしていないことになる。
 それでも散歩者で、その噂を知っている人は、今も神秘な眼差しで、その茂みを見ているようだ。噂話としては、まだ生きており、当然、その地主の家族も、それを知っている。そのためかどうかは分からないが、自然に任せて、そのまま放置し続けている。
 一応農地として登録されているので、森の手前に小さな畑を作っているようだ。
 
   了

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2017年09月19日

3387話 秋雨


 秋に入ってからの雨。小雨だがしとしと降り続いている。気温が下がり肌寒い。竹下は上にもう一枚羽織って仕事場に向かった。涼しいから寒いに変わりだし、過ごしやすくなったので、仕事の効率も上がるはずなのだが、なぜかその日は閉じこもりたくなる。早い目に憂愁気分を味わいたいわけではなく、何となく消極的になる。
 こんな日は早く帰って部屋でのんびりとしたい。だから仕事に集中できるどころか、適当にこなして、さっさと終わらせる頭になっていた。
 部屋でのんびり。これは何だろう。特に何かをやるわけではなく、自分の時間を得ることだろうか。得ても大したことをするわけではない。無駄な空白のようなものだが、たまにそういうことを入れないと息が詰まる。
 短い呼吸ではなく長い呼吸がしたい。あくびでもいい。だらだらと怠けていたい。
 しかし、この日に限ってのことではなく、竹下は雨の日はいつもそんな感じで朝を迎えている。そして仕事を始めると、もうそんなことを思う余裕もないのか、しっかりと仕事をこなしているのだが。
 そして、それなりに仕事をやり終えると充実する。やるべきことをやったのだから、堂々としたものだ。晴れ晴れしい気分で帰路につくことの方が多い。要するに竹下は仕事がよくできる人で、優れた人なのだ。
 ところが雨の日の朝の、この状態は何としたことだろう。ここに何らかのずれがあることを竹下は意識している。もしかして間違った暮らしぶりをしているのではないか。自分らしい生き方ではないのではないかと、ないのではないか、ないのではないかと繰り返す。しかし、何もない。何も出てこないので、解決策はない。それに解決しなければいけないようなことでもない。
 では竹下は完璧主義者なのか。すべてうまくいっていないとだめと思い込む人なのか。それも自問してみたが、そんなことはない。仕事はできるが、それは自分でそう思っているだけで、うまくこなせているような気持ちに持ち込むのがうまいだけのようだ。そのため、仕事ができる人ではないのかもしれないが、一応そう思われている。これは第三者の目が入るので、確かだ。
 自己満足の仕方がうまいだけかもしれない。これは結構前向きで、何でもかんでもハッピーエンドに持ち込む人だ。いい風に解釈しているだけだろう。
 そういう昼間の演技が、朝になるとまだスイッチが入っていないのか、仕事へ行くのがいやになる。これは程度の問題で、軽くそう思うだけなので、よくある話だ。誰にでもあるだろう。ところが雨の降る肌寒い秋、それが底値のように低くなる。今朝がそうだ。
 仕事は定時で終わり、休みもあり、仕事は忙しいが、過労ということはない。
 秋の雨。これが竹下にとっては曲者で、何らかの選択肢が見え隠れする。これは先読みのしすぎだが、今の状態は本来ではないような気がするのだ。
 というような微妙な話は人には語れない。なぜなら人と会っているときは、それなりの演技をし続けているためだろう。
 どんな人にでもあるようなことだが、現実がほんの少し不安定になるのは仕方のない話だ。どんな人間でもそういう風にできているのかもしれない。
 
   了


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2017年09月18日

3386話 野菜生活


 木島は野菜をよく食べている。朝は何種類もの野菜の入ったサラダだし、その上、野菜の煮物や炒め物も食べる。一人暮らしなので、それらは自身が用意する。自炊はご飯を炊くだけではなく、おかずも作らないといけない。こちらの方が実は手間がかかる。二三日外食でもしようものなら野菜はしなるし、枯れ始めるし、豆腐なども賞味期限が怪しくなる。
 木島は草食動物ではないが、野菜をよく食べる。好きか嫌いかではなく、野菜が体にいいという知識だけで食べている。食べ物のほとんどがそうで、意味で食べているのだ。当然おいしいことが大事で、これは直接舌に来るし、歯や歯茎や喉ごしにも来る。
「野菜の食べ過ぎじゃないの。肉とか食べてる」
「食べてるよ。どちらかというと肉けのものが多かった。それで体調を崩したわけじゃないけど、食事療法の本を読んでね。それからは野菜メインに切り替えたんだ」
「あそう」
「君もやってみないか」
「効くの」
「食べてすぐじゃ効かないよ。続けないと」
「そうだね。漢方薬と同じだね」
「体質から変えるんだ。しかし……」
「何」
「最近野菜をおいしいとは思えなくなった」
「あ、そう」
「これは何だろう」
「食べ過ぎじゃない」
「そうかなあ」
「体が野菜を欲しがっていないんだよ。もう十分だって」
「そうかなあ。君はどうしてるの」
「食べたくなったら食べる」
「ほう」
「体が必要としているのが分かる。体が草を欲しがっているのがね。だからそのとき食べる。肉や脂っこいのが食べたくなれば、それを食べる。今、必要なんだろうねえ。油を早く差してくれって、体が言っているようなものだよ」
「ほう」
「それで肉ばかり食べていると、もう油は十分入ったので、もういいからさっぱりしたものを欲しがる」
「それで野菜へいくわけ」
「そうそう」
「それはバランスのいい献立とは言えないなあ」
「だから、そういう知識で食べていると、体が黙ってしまうんだ。せっかく欲しがっているのにね。必要だと訴えているのに」
「それも考え方だなあ」
「だから考えていないよ。体が教えてくれるんだ」
「食べたいものを勝手に言い出しているんじゃないの」
「食べたいと思うこと自体が体が言っているんだよ」
「体からの声を聞けって言うやつだろ。それもあるけど」
「頭を使いすぎると、甘いものが欲しくなるし、運動して汗をかくと塩気のものが欲しくなる」
「いや、塩分や甘いものは控えるようにしている」
「まあ、どちらにしても腹が減れば腹に何か入れればいいんだよ。それさえ難しい人もいるんだから」
「じゃ、次は粗食を心がける」
「好きなものじゃなく、粗食かい」
「そうだ」
「はい、勝手にどうぞ」
 
   了

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2017年09月17日

3385話 死相


 高齢で病気持ちの師匠だが、まだ現役で働いている。その弟子がご機嫌伺いで訪ねた。この弟子は一番弟子だが、既に引退している。師匠との年齢差は親子ほど違う。
 師匠は成功を収め、今も活躍中だが、弟子はとっくの昔に辞めており、この間まで普通の会社員をやっていたが、定年となり、今は遊んで暮らしている。その他の弟子達も似たようなもので、師匠を超えることはできなかったし、またその跡を継ぐにも、辞めているので、何ともならない。
 師匠は弟子に跡を継いでもらいたいとは思っていない。元々弟子を取らない主義で、後身の指導などは好きではない。それよりも横への繋がりを大事にし、そのためか交友範囲は半端ではない。
「師匠、もう辞められては」
「そのつもりなんだがね。次から次へと用事が増えてねえ。用事は用事を呼ぶんだねえ。人と繋がりすぎたんだ」
「仕事が仕事を呼び、人が人を呼ぶんですね。僕なんか全くでした」
「そうだったか」
「師匠から紹介していただいた仕事だけです」
「それは残念だったね。今も忙しいので、君にやって欲しいと思うのだが、それは駄目なようだ」
「どんな仕事でも引き受けますよ。復帰します。また僕も」
「ところが私でないと駄目らしい」
「ああ」
「すまないねえ。君たちに仕事をやれなくて、だから辞めてしまったんだろ」
「はい、師匠ほどの力がありませんから。でも師匠の弟子と言うことで、少しは仕事もありました」
「それはよかったねえ」
「師匠も無理をなさらず、このへんで」
「そう思うんだけどね。色々と付き合いが多いのでねえ」
「引退宣言を出してはいかがですか」
「何度も出したんだけど」
「そうでしたねえ。しかし、皆さんそれを無視して」
「君は今、何ををしている」
「何もしていません。退職金と年金で何とか」
「遊んで暮らしていると」
「贅沢さえ言わなければ、何とかやっていけます」
「で、普段、何をしているの」
「え。普段とは」
「暇でしょ」
「ああ、好きなことをして丸一日過ごしています」
「そうなの」
「あ、お忙しいところ、お邪魔しました」
「いいよ、いいよ。毎日誰かが訪ねて来る。それを楽しみにしているのだけど、体調が悪いときは、しんどいねえ。しかしこうして話していると忘れる。逆に元気になる。これが私の薬だ」
「僕も薬ですか」
「そうだね」
「じゃ、このへんで」
「ああ、気をつけてね」
「はい」
 弟子は、それとなく師匠の顔を見ていたのだが、確実に死相が出ていた。しかし、なかなか死なない。そういえば、弟子に入ったときからこの師匠、死相が出ていたように思う。そういう顔つきのようだ。
 
   了


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2017年09月16日

3384話 足止め


 ある場所へ行こうという日に限って都合は悪くなる。この都合は用事ではなく、身体の都合だ。それが二回続くと、ちょっと変な気になる。それまでほとんど風邪など引いたことがないのに、引いてしまう。出掛ける朝、起きてみると風邪。喉ががらがらになっている。当然熱があり、ふらっとするので、出掛けるどころではない。仕事も当然休む。
 それが三回目になると、これは何か違うものが動いているのではないかと感じる。何かの作用だ。
 宮田がその朝起きたとき、今回は風邪ではないが、腹が痛くなった。仮病でよくある理由だ。しかし、嫌なことで行くわけではない。ちょっとした義理があり、これは行かないといけない。二度もアクシデントで行っていない。行くことをしっかりと電話で伝えている。
 しかし三回続けてでは何ともならない。これは誤解されるだろう。前日まで何ともなかったのだ。それが朝になって足止めを食らったようになる。前回の風邪では翌日はましになり、寝込むほどではなかった。
 今回の腹痛も、これもまた滅多に起こらない。宮田が腹痛になるのは食あたり程度。しかし痛くて動くのが厳しい状態は希。その腹痛は午後には治っている。その時間からでは間に合わない。
 何かが止めているのだ。当然何かなので、宮田の意志ではない。
「宮田さん、それはあなたが止めているのですよ」
「そんな気はありません」
「本当は行きたくないのでしょ」
「そんなことはありません。これは私から進んでやっていることです。誰からも命令されたわけでも、誘われたわけでもありません。だから嫌々行くのとは違うのです。行きたいから行くのです」
「しかし本当は行きたくない」
「それは絶対にありません。だから何かの祟りか呪いではないかと思い、相談に来たのです」
「祟られるようなことがおありですかな」
「思い当たりませんが、私の知らないところで、私を恨んでいる人がいるのかもしれません」
「その行き先にいる人ですか」
「そうです。来て欲しくないのではと」
「そんなことで、風邪を引いたり、腹を壊したりしませんよ」
「それは分かっているのですが、三回も続いたのです」
「だからご自身で足止めしたのですよ」
「それはよくあることですか」
「さあ」
「じゃ、誰が悪いのです。私ですか」
「おそらく」
「ふむ」
「心の何処かで行くのを嫌がっています」
「そんなことはありません」
「だから、心の底の方なので、意識できないのです。そんなことはないと思われて当然でしょうねえ。思い当たらないでしょ」
「当然です」
「じゃ、悪霊か何かの仕業にしますか」
「お願いします」
「はいはい。じゃ、護符を差し上げます」
「待ってました」
「これを期待されていたのでしょ」
「そうです」
 宮田はその護符をカード入れに差し込むことにした。そして、その霊験からか、四回目の足止めは起こらなかった。
 
   了

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2017年09月15日

3383話 ハンジャ


 その山道に入り込めばハンジャに襲われるらしい。バケモノ伝説だが、今もそれを知っている人がいる。迷信だろうが、下手に知っていると、踏み込めない。しかしその山道に入り込む用事は昔から少ないので、特に困ることはない。
 何事にも原因がある。直接なくても、妙なところに縁があったりするものだが、このハンジャ伝説にはしっかりとした物語があり、そして事実起こったことなので、原因がしっかりとある。
 その原因とは一人の侍大将。この時代、人が多く死んでいる。そして物騒な時代だ。古くからある秩序が崩れ、所謂戦国時代に入った頃。この一帯の領主も拡大策をとり、隣国を攻めていた。どの地方にもあるような田舎での小競り合いだ。
 とある侍大将が西木ノ庄へ現れた。馬に乗った武者数人と、家来を二十人ほど引き連れて。
 動員令というのがあり、侍大将は庄屋に兵を集めるよう命じた。これには逆らえないので、庄屋は動員を掛けたが集まりが悪い。兵といってもただの百姓で、祭りで神輿を担ぐ程度の人数しかない。村の消防団程度の人数だ。しかしこの村は複数の村からなる大庄屋なので、五十人は集めた。この時代の百姓は武装していた。
 隣国と戦っているのは村人も知っていたが、この地域には動員は掛かっていなかった。庄屋の力だ。免じてもらっていたのだ。領主といっても庄屋クラスの人達の連合体のようなもの。
 庄屋が不審がり、侍大将に理由を聞くと、作戦らしい。今、正面の本街道から敵の砦を攻めているらしいが、なかなか落ちない。そこで迂回して砦の裏側をら襲おうというもので、この庄が一番近い場所にあるので、殿様の許可を得て、奇襲作戦を始めるとか。しかし来たのは二十人足らず。庄屋頼みの作戦だった。
 確かに作戦としてはいい。砦を落とせば、敵の本拠地からの補給を絶つことになり、一気に攻め込める。成功すれば大手柄だ。
 庄屋はこの侍大将の噂程度は知っているが、あまり芳しくない。侍大将というより、一騎駆けの猪武者だ。本街道から本軍と一緒に砦を攻めればいいのに、いいところを見せたかったのか、あるいは勝算があるとみたのか、それは分からない。
 しかし、敵の砦までは遠くはないが、道らしい道はない。他国との境界線の曖昧な場所なので、人の行き来もない。
 さて、話が長くなったが、そういう話ではなく、バケモノのハンジャだ。
 要するに村から砦へ向かう繁みでハンジャが出るのだが、それを言い訳に、村の足軽達は山道に入ろうとしない。大昔からの言い伝えで、この先へ行ってはならないと説明した。これは嘘だ。そんな伝説は、当時はなかった。その場で作ったのだ。
 そこから先が事実なのかどうかは分からないが、手柄を立てたい侍大将は、強引に部下と共に薄暗い山道に入り込んだ。道らしきものはないので、馬は使えない。
 そして、凄い悲鳴と共に、ズタズタに切り裂かれた侍大将が発見された。その家来衆は真っ先に逃げたらしい。
 侍大将としては、怖がる村の足軽に安心させようと、真っ先に入り込み。大丈夫だから、ついてこいと言いたかったのだろうが、全身キズを負い、果てていた。
 その殆どは刺し傷で、これは村人が槍で突きまくったのだろう。バケモノの仕業ではない。それを隠すため、大庄屋が考えたのがハンジャだった。これはオオサンショウウオの化身とされている。半裂きにしても死なないので、ハンザキとも呼ばれている。
 結局、侍大将がそんな奇襲作戦に出なくても、砦はそのあと落ちている。
 本当の意味でハンジャ伝説が生まれたのは、そのあとからで、化け物の仕業にしたかったのだろう。この伝説は今も残っているのだが、伝説ではなかったのだ。
 
   了


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2017年09月14日

3382話 尺山行きのバス停


 三島が毎日通っている道沿いにバス停がいくつかある。幹線道路が走っているので、路線バスが通っており、バス会社は三つ。二つは電鉄会社で、一つは市バス。市バスは市外には出ないが、電鉄バスは結構遠くまで行く。電車がストップしたときなど、そのバスが使われたりするためか、どの駅にもそのバス停がある。
 三島は自転車で移動するため、バスに乗る必要はない。
 だからバスなど気にしないで見ているのだが、見ていることは確かで、バスが走っていることは知っているし、歩道を走っているとき、バス待ちの人がいるので、そこは通りにくくなっている。その程度の認識だが、南北に走る幹線道路の北側へ行くバスの行き先が下田バスターミナルとなっている。そのバスしか走っていないのか、そればかり目に付く。しかし、特に注意して見ているわけではない。
 下田駅は平野部の端にあり、山向こうに拡がる町や村々へ行くときのターミナル駅だろうか。電鉄バスもそこまでで、そこから先は別のバス会社になる。田舎道を走る地方のローカル路線バスだ。
 その日も、何気なくバス停前を自転車で差し掛かると、バスを待っているイタチに似た年寄りが手で制した。止まれと言っているのだ。
「ここは歩道なので、車道を走りなさい」
「あ、はい」
「それはそれとして、尺山行きのバスに乗ってはなりませんぞ」
「このバス停、全部下田行きですよ。そんなシャクサン行きなど見たことありませんよ」
「いや、たまに来るんだ。わしはそれを待っておる」
「でもどうして、それに乗ってはいけないのです」
「それより君、こんな余計な話をしておっていいのかね。さっさと行きなさい」
「止めたのはあなたですよ。そしてわざわざシャクサン行きのバスに乗るなと気になることを言ったのも」
「そうじゃったか」
「そうですよ」
「じゃ、尺山行きのバスに乗ってはならぬことを説明しょうかのう」
「簡単にお願いしますよ」
「話せば長い」
「じゃ、もう行きます」
「もう一度言う。尺山行きのバスが来ても、乗ってはならんぞ」
「行く用事がありませんので大丈夫です」
「そうか、詳しい話はまたの機会にするが、気をつけてな。最後に付け加えておくが、尺山行きのバスが止まるのは、このバス停のみ」
「はいはい」
 下田は、これ以上話していると仕事に遅れるので、急いでバス停から離れた。
 その翌日も、さらにその翌日も注意深くそのバス停前を通ったのだが、あのイタチの姿はもうないし、また尺山行きのバスなど、その後も見ることはなかった。
 イタチも狐狸と同じように人を欺すのだろう。
 
   了

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2017年09月13日

3381話 お百度石


 その神社のお百度石は鳥居の下にある。邪魔なのではないかと思われるのだが、実は邪魔をするために立てられている。車止めの鉄柱に近い。これで柵をする必要はなくなる。神社へは石橋を渡らないと入れないが、盛り上がっているが幅はがそれなりにあり、普通車が突っ込むことができる。だから最後の防御がお百度石なのだ。しかし、それでは境内の奥にある社殿の火災では消防車が入っていけないためか、入り口はもう一つある。こちらは最初から木組みの柵が施されており、そこが開くことは先ずない。あるとすれば境内で行事のあるとき、神輿を出したり、その他、正月明けの焚き火であるトンド焼きのときぐらいだろうか。
 この開かずの木柵、車専用なのだ。鳥居前に細い川が流れているが、飛び越えられる程度。そこはアーチ型の石橋ではなく、普通のコンクリートの橋。車両専用口ということだ。
 しかし、それは消防車だけが入っていくためのものではなく、境内に神主の住居がある。この通用口なら鳥居を潜らなくてもかまわない。また境内の樹木などの手入れで植木屋の自動車も入れる。神主の車は境内ではなく、近くの駐車場にある。柵を毎回移動させるのが面倒なためだろう。
 さてお百度石だが、お百度参りをしている人などいないが、この石そのものを拝む人がいる。お百度石から出発して、本殿で参り、またお百度石に戻り、また本殿へ向かう。これを百回やるのがお百度参りだが、お百度石だけを拝むというのは珍しい。この神社だけのマジナイのようなものかもしれない。それは神社の行事として書かれていないし、正式なものではない。
 何に効くのか。それはお百度石の位置だ。車止めなのだ。だから、これを拝むと車除けになる。交通安全に効くことになるのだが、お百度石はただの目印のターニングポイント。そのものには本来意味はない。
 その目印を信仰対象にしていることになる。当然どのお百度石でも交通安全に効くわけではなく、この神社と同じ構造でないと駄目だ。車止めとしても使える位置に立っているお百度石に。
 
   了

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2017年09月12日

3380話 気怠い話


「今日もだるいですなあ」
「おや、どこか」
「いや、夏の終わりはいつもだるいのです。身体がだるいと気もだるくなります」
「身体が先ですか」
「そうです。だからその様子を感じて、気も重くなります。これは元気がないのだな、とね」
「気怠いわけですね」
「左様です」
「じゃ、いつもと変わらないのでは」
「いや、そこからさらに底へ向かう感じです。特に今日のような雨が降るか降らないか中途半端な天気のときは低気圧の影響もありますからね。それにやや蒸し暑い。これで、身体も気もどんどん重くなっていきますよ」
「今日は雨が降るらしいですよ。結構本格的に」
「じゃ、降ってくれた方がすっきりしますよ」
「それまでこの天気です。なかなか降らないで、このまま」
「じゃ、ますます体調が悪くなりますよ」
「それはどうすれば治るのですか」
「天気が回復すれば治ります」
「それで治ると」
「はい、それに気怠さを治す薬はありません。元気の出るドリンクを飲めば、一瞬そんな気になりますが、すぐに戻りますよ。余計なことをしなくても、待てば治ります」
「しかし、治られたとしても、あまり変わらないのでは」
「はあ?」
「だから、ずっと気怠い人ですから」
「私がですか」
「そうです」
「そうですなあ。元気なときでも、だるそうにしてますなあ。これは癖です。本当は元気なのですよ」
「紛らわしいですねえ」
「気怠さから抜けても、また気怠くなりますから、もうずっと気怠い状態を維持しているのです」
「はい」
「私の敵は低気圧です。これが一番の強敵でしてね」
「でも本当に体調を崩されることもあるでしょ。低気圧とは別の病気とか」
「ありますよ」
「本当はそちらの方が強敵なのでは」
「そうですなあ」
「それよりも気怠さはいいのですが、納期は大丈夫ですか。二週間ほど遅れていますよ」
「そんなになりますか。ここんところ気怠くて」
「なるほどそれが遅れの理由でしたか」
「いや、もう準備はできていますよ。いつでもお渡しできますが」
「おお、そうなんですか」
「それよりもあなた、催促が遅いですよ」
「え」
「もう、いらないのかと思いまして、今日は持って来ませんでしたが」
「一寸カレンダーを見ます」
「確認してください。一向に催促してこないので、もう取引しないのかと思い、私もそのままにしていたのですよ」
「本当だ。これはうっかりしていました」
「しかし、今日は気怠いですなあ」
「はい、気怠いです」
 
   了

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2017年09月11日

3379話 月見山


 月見山。まさにそのままの山だが、この山では未だに月見が行われている。平地からでも月は当然見えるのだが、この山からの眺めがいいらしい。背景が違うためだろう。しかし、今では麓まで家が建ち並び、いい背景ではなくなっている。月よりも町明かりの方が明るい。
 この月見山での月見、行く人はもういなくなったが、それは表向き。今も実行されている。
 月見には箒のような長いススキとか、団子とかを供えるのだが、ススキはそこら中にあるので、白くて丸い団子だけを準備すればいい。実際は花見のような宴会セットが運ばれる。
 月に対する信仰のようなものだが、そういうのはもうかなり前に消えており、それが目的ではない。信仰や風流とは違い、もっと具体的なことで集まるのだ。
 その夜も月見山へ向かう人が数人いる。いずれも老人だ。元々は里の有力者の家系で、何家もあったが、今では三家ほどに減っている。
 昔は月見と称して、村での大事を、ここで決めていたのだ。そのため、月見山で月見ができる人は限られている。里での月見は各家が勝手にやればいいし、個人でやってもいい。
 もう里での有力者ではなくなった人が月見山に行くのだが、小さな東屋が山の端にあるが、今は展望台の休憩所になっている。そこが昔は祭壇のようなもので、さらに東屋はもっと大きく、有力者達が何人か車座になり座り、宴会ができるほどの規模があった。
 今はただの公園のベンチよりも立派なだけ。屋根が付いている程度。
 その夜、来たのは三人の年寄り。既に相談するような決め事はない。だから普通の月見になってしまったのだが、月見山に参加できることは、有力者の証で、名誉なことだった。
 有力者は年により変わる。没落すれば、メンバーから外れ、別の家の人が取って代わる。今は三人。メンバーが足りないほどだ。
 そして月見山での密会となるのだが、密かに語らなければいけない大事な取り決めもないことから、病院の待合室のような会話になってしまった。
 
   了

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