2017年10月11日

3409話 日常を離れる意味


 日常からふっと抜け出したいこともあるが、田村にとり、それは気分と言うより意味の世界に近い。それがどういう意味なのかを考えるため。意味を考えると、それは何処までも続くほど深い階層が待っている。人は意味の世界で生きているともいえるのだが、意味を考えなくても当然生きていくことはできる。ただ、まったく意味が分からないとか、意味を知らないわけではない。最小限のものは何となく分かっている。その分かり方にも問題はあるが、本人が思っているところの意味が世界の全てに近い。だから意味の数だけ世界があり、人の数ほど世界がある。一人一人に空があるという言葉も残っている。これは意味の空だろう。決して複数の空が存在するわけではないが、存在というものも、観察するものがいなければ存在しないという説もある。自分がいなくなっても空はあるだろうとは思うが、虫などは空について考えもしないかもしれない。だから空はあることはあるが、ただの空間。そして人は空とは思っていないちょと高いところでも、虫にとっては空になる。空も一寸上も同じようなものとして。
 さて、日常から一寸と離れたいという意味は、ひと様々だが、そう思うだけで、相変わらずの日常を続けている人もいる。そしてたまに出掛けたりする。竹中はそのタイプだが、最近徐々に、そのたまに、のたまが長くなった。だから滅多に出掛けなくなった。それで支障もなく、また不都合も起こらず過ごしているので、日常から出る必要性はないといえる。しかし、ここで意味が出て来る。
 いつもいつも同じ様なことをしていていいものかどうかだ。
 つまりたまには日常から離れることに意味がある。その間隔が長くなり、滅多に出掛けないとなると、その意味が弱まっているのだろう。出掛けても無意味なことが多いこともあるし、それほど凄い世界が拡がっているわけではないことを知っているためかもしれない。
 この日常から一寸と離れる。本当に一寸で、半日でもいいし、もっと短くてもいい。すぐに戻れることが条件だ。だから、その距離では大した変化はない。
 それよりも竹中は日常に別の意味を見出した。こちらの方が興味深かったりする。それは同じことの繰り返しでも、上手く繰り返せたかどうかだ。繰り返し方の調子がよかったかどうか。
 歌手が同じ歌ばかり何百、何千回も歌っているのに近い。今日の出来はよかったかどうかだ。歌い方は殆ど変わっていない場合、その声やリズムを作るとき、結構苦しいときもあるはず、楽に声が出なかったりする。当然ノリもある。気持ちが入っていたかどうかなどだ。それらは毎回バラバラかもしれない。その日のコンディションにもよるし、状況にもよる。
 同じ様なことを繰り返している日常的な事柄でも、それなりに変化があるのはそのためだろう。ものは変化していなくても、同じように持っていくのが苦しいときもあるし、楽にこなせることもある。
 そして、たまに別のことをしたくなるのだが、たまには違うことを入れるべきだという意味で。
 だから、今の竹中にとり、出掛けたいから出るのではなく、たまにはそれを入れた方がいいという意味での話になっているようだ。
 それらは別に深い話ではなく、誰でも普通にやっていることだろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

3408話 奥白根


 白根地方の領主は自ら山奥にある村落を訪ねる。散歩のようなものだが、数日かかる。しかしやっていることは散歩だ。
 白根家はこの一帯の領主なのだが、奥の方になると年貢を納めていない村が殆ど。そのため領主自らが取り立てに行くわけではない。この時代、領主は村が決めていたことがある。そして複数の領主を持つことも。村を守るため、顔の効く実力者が必要だったのだ。村同士の争い事が起こったとき、調停してくれる。しかも、有利なように。
 白根領の奥の村には郡代はいない。だから領地ではないが、白根領の内にある。これは昔からの分け方が残っているだけ。
 白根領の奥というのはかなり広い。村落は散らばっており、五戸程度の小さな村が山中にくっついている。岩川村というのが一番大きな村なのだが、それでも百戸ほど。それら全ての村々を奥白根と呼んでいるが、実は奥の方が広く、本白根領の領民よりも多いかもしれない。しかし散らばっているので、まとまりがなく、一つの勢力にはならず、分散したまま。
 白根領の領主がここを散歩のように始終訪ねるのは顔つなぎのためだ。顔を出すことで慣れてもらうため。領主自らが顔を売りに行っている。
 奥白根の入り口にある岩川村に滞在し、近くの村を回る。しかし奥までは一日では行けないほど広い。そのため、数戸しかない村で泊まる。
 そこでやっていることは、年貢の催促でもなければ、人出しでもない。人出しとは大きな工事などのとき、手伝ってもらうことだ。当然兵役もあるが、領主ではないので、それはできない。
 この奥白根地方、その周辺にも有力者がいる。それらの領主から見ても、奥の方、裏側にそんな村落が所々にある程度の認識しかない。それに遠く広すぎるので興味はない。ここを支配しても、後が大変だし、言うほどの実入りもない。
 白根の領主がこの地を散歩するのは、魂胆があるため。村々を訪ね歩いたとき、その広さや、村の数の多さは想像していた以上の規模だった。下手をすると本白根領を越えるほどの兵を集められる。
 平野部の百姓よりも、この山岳地帯の男たちの方が強靱ででたくましいこともある。鳥や獣を常食し、険しい山岳地帯に暮らしているため足腰が違う。肺活量も。
 白根の領主はその目論見があるため、頻繁に訪れ、顔を売っている。世間話程度でいい。
 徴兵はできないが、傭兵として加わってもらえれば、山から大軍が舞い降りた感じになる。
 そして、そのときが来た。白根の周辺で戦いが起こり、白根も巻き込まれた。敵は白根の兵数を読んでいる。それほどの動員力が無いと思っているはず。そこが付け目なのだ。
 実際に奥白根から来た兵は白根本軍の数倍。敵は慌てふためき、一気に勝負が付いた。陣容を見ただけで、勝負が付いた。
 領主の目論見が当たった。散歩のおかげだ。
 しかし、数年後、領主が代わる。奥白根が取って代わったのだ。戦いには勝ったが、敵の領地を取ったわけではない。そのため、傭兵に払う銭がなかったのだ。
 あの領主はその後、奥白根に棲み着き、もうやることがなくなったので、散歩の日々を続けている。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:35| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3407話 違えた世界


 普通の旅人ならそんなことはないのだが、いつの間にか街道筋から離れてしまった。それに気付いたのは人と出合わないため。何処で道を違えたのか分からない。雨が降り出したあたりからが怪しい。これは急がないと宿に着く頃には合羽程度では濡れ鼠なる。雨は小雨だが、いつ本降りになるやもしれぬ。それで慌てたのだろうか。
 秋の雨は冷たい。体も冷えてくる。道を違えたのはそのあたりからだと思う。枝道の一つに入り込んだのだ。
 道は徐々に細くなり、街道にあるような轍もない。草が増え始め、真ん中辺りだけは土が見えている。街道近くの枝道なので、人の行き来がそれなりにあるのだろう。
 本来、そんなことが起こらないはずのことが起こる。その起こりは雨かもしれないが、雨が降るのは珍しくない。雨は本来降るものなので、本来の内。では何が道を違えさせたのだろう。これは引き返せば解決する問題だが、結構違えてから長い。違えたところまで戻る距離と、そこから宿場までの距離を考えると、もう少し先へ進めば何かがあると思った。街道沿いの里なのだから、何かあるはず。所々に屋根が見えていたのだから、ここは山中ではない。
 そしてあるべきものが出てきた。何者かではなく、明かり。日が暮れかかっているので、その明かりは目に刺す。早い目に火を入れたのだろうか。小高いところにポツンとある民家。茶店かしれない。すると道を違えていないことになる。だが、道に生えている草、轍がないことから、これはやはり違う。
 この岡の上の明かりを灯した家が本来ないものの一つだろう。二つも三つもあると本来あるもののように見えるが。
 そして雨で濡れ、夕暮れどき歩いている旅人なら、そこに吸い込まれるだろう。
 雨宿り、もしくは一夜の宿を請う。これは本来よくあることだ。
 冷えてきた体は暖かいものを求める。それが本来の場所でなくても。
 明かりは灯明だった。そして聞こえてくるのは読経。ポツンとある粗末な農家なのだが、この里の寺かもしれない。というより、村の僧侶がいる場所程度。寺は焼けたのか最初からないのか、それは分からない。
 ここにも本来の姿はない。これを寺だと思えば思えるが、寺らしくない。
 宿坊なら、それなりに名のある大寺で、旅人もそれぐらいは知っているはず。この街道沿いにそんな大伽藍はない。
 本来なら旅人は気付くはず。しかし道を違えたことで、本来とは違う頭になっていたのだろうか。その建物に入っていった。
 しばらくすると読経がやみ、何やら話し声が聞こえだし、その後、ものすごい物音と悲鳴。
 違えると本来ないものと遭遇することもあるのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月08日

3406話 バス停から乗る新幹線

バス停から乗る新幹線
 バス停近くに立っていると、横に急に旧友が自転車に乗って現れた。久しぶりだ。元気にしていたようだ。
 近藤はバス停前に止まっている大きな工事用の作業車へと旧友を誘った。バス停前で工事をしているのだろう。しかし場所的に邪魔だ。バス停のバスが入ってこられない。
 作業車の前は目隠しが為れている。家の工事などではよく見かける。
 近藤は旧友をその目隠しの中へと誘った。これなら早いと。
 この旧友とバスに乗って出掛けるようだが、バス停で待つのではなく、目隠しの中へ入った。とすると道路の下だろうか。
「このまま新幹線に乗れる」
「自転車はどうする?」
 旧友は高そうなスポーツ車に乗っている。タイヤが糸のように細い。流石に自転車と一緒に新幹線には乗れない。
「困ったなあ」
 近藤の夢はそこで覚める。そのバス停は実在し、よく利用した。銀行の前にあった。
 旧友も実在している。しかし一緒に新幹線に乗ったことはないが、旧友が引っ越すとき、仲間と共に新幹線のホームまで見送りに行ったことがある。旗まで用意していた。これを企てたのは旧友自身で、もの凄くわざとらしい見送りになった。見送る側ではなく、見送られる側が旗などを用意したのだから。
 旧友と新幹線との関わりなど、その程度。その後、彼は消息を絶った。引っ越し先の住所は分かっているのだが、そんな住所はなかったし、電話も通じなかった。
 そのまま彼のことなど忘れていたのだが、それが夢の中で現れた。
 夢が何かを知らせたわけではない。夢の意味は見た本人が勝手に解釈して物語を作ってしまう。だからどうとでも解釈できるのだが、肝心要のところは夢に出てこないのだろう。これを夢の検閲と呼ばれている。チェックを受け、夢として見せないようにしているのだ。
 夢の中の旧友は最後に見たときに比べ年を取っていた。この映像はどこから来ているのだろう。若い頃の顔しか知らないのだから、記憶の中から出てきたのではなさそうだ。または合成だろうか。おそらく年取れば、こんな感じになると。
 そして近藤も今の年齢のまま夢の中にいた。この夢の中でその絵はないが、昨日今日の自分だった。
 本来バスで行くところを新幹線で行くことにしたのは近藤だ。しかし旧友は自転車で行くつもりだったはず。これで目的地までの距離が分かる。
 謎めいているのが作業車と、その周りに張り巡らされた目隠し。その入り口を近藤は知っており、それをめくるとさっと入れるのだろう。そこからどうして新幹線乗り場まで行くのだろう。おそらく工事中の道路が怪しい。きっと掘り返しているはず。
 だが、道路の下から行けるものではない。地下鉄はこの近くにはない。
 そして近藤は道路ではなく、作業車の中に入ろうとしていた。この作業車に秘密があるようだ。工事用のフェンスは高いものではないのだが、作業車の絵は一度も出てこない。しかしそれが停まっていることを近藤は知っている。
 だから作業車ではなく、それは新幹線ではなかったのか。そのため、ここからならすぐに新幹線に乗れると旧友に言ったのだ。
 旧友が引っ越したのは、近藤も関係している。そのことは夢の中では出てこない。つまりあのとき、旧友を追い出すように遠くへ行かせたのかもしれない。それは近藤が一番よく知っていることだ。
 しかし旧友は自分の意志で引っ越している。だが、小旗まで用意して振らせたのが解せない。何か当てつけのようにも思える。
 この夢を近藤が見た後も、その旧友の消息は途切れたままだ。
 
   了

 
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2017年10月07日

3405話 通れない道


 通れない一帯がある。工事をしているわけではない。工事なら終われば通れるようになる。その道は工事ではなく、人が立っている。交通整理や誘導員ではない。工事などしていないのだから。立っているのは一人ではない。二人か三人。それが道を塞いでいるように見られる。
 立花は自転車で遠出したとき、いつもそこへ寄るのだが、これは通り道だ。しかし目的地があって走っているわけではなく、良さそうな場所を探索するのが趣味だ。車と違い、狭い場所でもすいすいと入っていける。
 そして今日も、人がそこに立っているため、入り込めない。自転車でなら簡単にすり抜けられるのだが、生活道路のようなところでは、強引には突っ込めない。余所者が入り込むようなものなので少し遠慮がある。それに用事で立花はそこを通るわけではなく、興味本位なのだ。少し古い建物が残っているし、その奥に大きな木がある。神社か寺でもあるのだろう。
 今日こそこの一帯を探索してやろうと、立花は別の道を探した。ぐるっと回り込めばいい。またはその道の向こう側から入り込めばいい。
 しかし、これは徒労に終わる。人が立っている道は奥で行き止まりらしく、また横からの道も付いていない。やはりあの人達が立っている場所からしか入り込めないようだ。
 それでその一帯への探索は諦め、別の方角へ向かい、その戻り道、またあの場所へやってきた。通り道なので、仕方がない。するとやはり人が立っている。立ち話にしては一時間以上。そして思い出してみると、ここはいつも人が立っている。
 先ほど見かけた三人とは服装が違うことに気付く。別の人達が立っているのだ。じっとそれを観察するわけにはいかないのは、その三人がじっとこちらを見ているため。三人の目の射撃にあい、立花は顔を向けないで直進した。
 いつその前を通っても人が立ち塞がっている。しかし通せんぼしているわけではない。その道の向こう側に何があるのかだ。古びた屋根瓦が見える程度で、少しくたびれた程度の町並みだ。高い樹木は神社だろうか。それともただの庭木だろうか。
 立花は地図で調べると、確かにあの道は抜けられない道で、行き止まり。そこに謎の保存林がある。しかし神社はない。
 余所者を入れないように、交代で守っているとしか思えない。
 しかしそれは立花の視点で、聞けば何だそんなことだったのかと思うだろう。
 
   了

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2017年10月06日

3404話 一石居士


 一石を投じる。小さな石でも波紋が拡がる。しかし方々で一石を投じすぎると、もう一石ではなく、波紋だらけ。誰の石の波紋かも分からなくなる。ただ騒がしいだけ。一石の意味がなくなる。
 浦田は深山の沼で石を投げた。こんなところに沼などあることなど知る人は少ないだろう。その沼は自然のままで、囲いもない。当然ここで魚釣りは禁止とか、水泳禁止とかの注意書きもない。
 浦田は鏡のように静かな沼なので、石を投げてみたかっただけ。当然波紋は拡がるが、それを見ている人もいないだろう。何もないところに一石を投じる。誰も言わないようなことを言う。それに等しい。そして一石だけなので、非常に目立つ。
 だが、そんな場所で一石を投じても、アピール度がなかったりする。誰も見ていないのだから。
 しかし波紋が拡がり、そして静まった頃、声が聞こえた。
「呼んだか」と。
 浦田が振り向くとすぐ後ろに小さな老人が立っている。やけに白っぽい。
「あなたは」
「わしは一石居士」
「え、一言居士の間違いでは」
「どちらもいい。わしは言葉よりも石じゃ」
「はあ」
「今、一石を投じたであろう」
「あ、静寂を乱しましたか。もしかして神様では」
「神様なら、そんな小言を言いにわざわざ姿など見せぬ。わしはその使い番のようなもの。それにここの神様もそうじゃが姿などないのじゃ」
「はい、それで何か」
 この沼の神様、どちらに出るのか浦田は心配になった。良い事をしたのか、悪いことをしたのか。
「その一石叶えてやろう。だから、一石投じたのであろう」
「一石叶えるとはどういう意味です。僕は何も願いごとも、それに意見もありませんよ。一言居士じゃなく、石を投げただけです」
「分かっておる。世の中に対し、物申しておるのではないことを。ここはそうではない」
「じゃ、何なのです」
 一石投じることで、神様の使い番を呼び出してしまったことになるのだが、ここからの交渉はマニュアルにはない。それに労と言えば石を投げただけ。その石には意志はない。ある言葉を発するときのような意志はないのだ。
「何を叶えてくれるのですか」
「まあ、あまり欲張らん方がよかろう」
「たとえば?」
「世の中をよくしたいとか」
「じゃ、どのレベルなら良いのでしょう」
「わしには分からん。自分で考えなさい。願い事を叶えてやろうと神様が言っておられる」
「急に言われても、ありません。パソコンが遅いので、早いのに買い換えたいとか。これはお金が欲しいということですよね」
「金か」
「はい、一番分かりやすいですから」
「現金な奴だ」
「しかし、神様は金など持っておられぬ」
「願い事は色々ありすぎて」
「じゃ、一つ選びなさい」
「でもお金はだめなんでしょ」
「それ以外で」
「健康になりたいです」
「そう来たか」
「はい」
「それも無理だ。神様のように死なない体は無理だろ。いずれは死んでしまう。ここは弄れない」
「難しいですねえ」
「君が投げた一石だ。さあ、何が願いじゃ。呼び出しておいて、何も願いはないというような出来た人ぶるとバチが当たるぞ」
「もう当たった後だったりして」
「そうじゃなあ、こんな深山に入り込み、沼など見ておる状態は良い状態とはいえん。よし、わしが代わって考えてやろう。一番のおすすめは、悪い物を抜くことじゃな」
「悪い物」
「それが抜けるとすっきりする」
「じゃ、それを抜いてください」
「神様じゃ、そういうのは得意じゃ」
「はい、よろしくお願いします」
 白くて小さな神様の使い番はスーと消えていった。
 その後、何の変化もない。幻でも見ていたのかと思い、浦田はもう一度石を投げた。
 今度もまた波紋が拡がった。
「やかましい」
 後ろに先ほどの白い小さな老人がまた立っていた。
「抜けたのでしょうか」
「今、神様が抜かれておる最中じゃ、催促するでない」
「はい」
 そしてまたかき消えた。
 浦田はかなり待ったが、何の変化もない。何かが抜けたのなら、それとなく分かるはずなのだが。
 しかし、こんなところで効果が現れるまで待っていると日が暮れ、戻れなくなる。早く山を下らないと、暗い山道を歩くことになるため、浦田は沼から立ち去った。
 そして無事に戻れたのだが、幾日経っても特に変化はなかった。
 これはどうなっているのかと思い、またあの沼へ行き、一石投じようと思ったのだが、地図で探しても、そんな沼など存在しなかった。
 
   了

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2017年10月05日

3403話 てこい人


「今日は雨ですなあ」
「雨には負け」
「はい」
「風にも負け、夏の暑さにも負け、冬の寒さにも負け、です」
「負けっぱなしですなあ」
「しかし、どっこい生きている。逆にその方が生きやすかったりしますぞ」
「でも雨には勝てないでしょ」
「そうです。人の力では何ともなりません。風もです。暑さもです」
「でもそれに耐えてでもやるべき事があるのでしょ」
「ありますか? あなた」
「一寸やりたいことがあっても雨が降っていると、やめます。だからそれほど大事なことじゃないのでしょうねえ」
「やりたいことがですか」
「そうです」
「それであなたがやりたい事とは」
「色々ありますよ。やりたい事はね。上の鰻重を食べてみたいとか」
「ほう」
「興味のある本がありましてねえ。あることに関して、その本が一番詳しい。だからそれも読んでみたい。やることなんて際限なくありますよ」
「もっと規模の大きなことでありませんか」
「大きな規模じゃ無理でしょ」
「じゃ、あなたは何がやりたい人ですか」
「一つや二つじゃないですよ。さっきも言ったように色々と食べたい物もあるし、行きたい所もある」
「そういうことではなく」
「雨にも負けず、風にも負けずにやるようなことですか」
「そうです」
「探してみます」
「じゃ、ないんだ」
「いや、ありますよ。今日中に入金しないと催促がうるさいときなんて、大雨でも銀行へ行きますよ。まあコンビニもありますから、楽になりましたがね。それとか約束をしていたときでしょ。大事な用件で合う場合です。これは雨でも大風でも電車が動いていれば行きますよ」
「じゃ、雨に勝っていることもあるのですね」
「勝ってはいませんよ。雨でも行くという程度ですよ」
「そうですか」
「それって、誰でもやってるでしょ。特に言わなくても」
「あなたには負けます」
「何か疑問でも」
「そんなことで言い争っても仕方がないのでね」
「雨に負ける意気地のなさ、これで何度助かったことか」
「ほう」
「無理をしない。これも大事でしょ」
「無理を押してでもやるところに良さがあるのです」
「だから、大事な用件なら無理を押してでも出掛けますよ」
「そうですねえ」
「でしょ」
「そこんところじゃなく、色々なことに負けないで、しっかりとやるべきことをやるということです」
「だからやっているじゃないですか」
「そうじゃなく、態度の問題でして。スタンス、姿勢の問題でして」
「まあ、色々なことがありますからねえ、いつもしっかりとした姿勢では疲れますよ」
「いるでしょ、そういう人」
「負けん気の強い人ですか」
「そうじゃなく、もっと真摯な」
「来ましたねえ。真摯が」
「真摯が何か」
「この言葉に私、弱い。だから憧れます」
「そうでしょ」
「一瞬、そんな状態になることがありますねえ。真剣なとき。しかし、そんな状態にならないようにしていますよ。真剣勝負は怖いですから」
「じゃ、ただの怖がりですか」
「そうです」
「分かりました。これからも雨にも負けず、頑張ってください」
「いやいや、だから先ほどから言ってるでしょ。雨にも負け、風にも負け、そしてできるだけ頑張らなくても良いようなことをすると」
「てこい人だ」
 てこい人とは手強い人に近いが、テコでも動かないような人のこと。手こずることを略して、てこい人。
 
   了

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2017年10月04日

3402話 日陰者


「今日は晴れてますなあ」
「おや」
「違いますか」
「そうではなく、いつも雨の話ばかりなので」
「ああ、そうでしたなあ。今日は雨ですなあ、が多いですが、たまには晴れてますなあ、も入れなければね。しかし晴れているときは特に言う必要はないのですよ」
「そうですか」
「晴れると気も晴れる」
「確かに雨の日に比べれば、そうですねえ」
「しかし、晴ればかりが続くと晴れっぱなしで、ここいらで湿ったものも欲しくなります」
「そうですなあ」
「雨が続くと、カラッと晴れた日を望みます」
「そうですなあ」
「あなた、頷いてばかりですが」
「そうですなあ」
「どうかしましたか」
「いえいえ、聞いても聞かなくても同じようなものなので」
「退屈ですかな」
「いえいえ。いい感じです」
「まるでお経ですなあ」
「はいはい」
「晴れた日は何処かへ行きたくなりませんか」
「いえ、私は日向臭いのが苦手で」
「ほう、じゃ雨の日がいいと」
「日差しに弱いのです」
「吸血鬼ですか」
「違います」
「亀も陽射しがあるとき、甲羅干しするでしょ。あれと同じで、日差しもいいものですよ」
「暑苦しいのが苦手でして」
「暑がりですか」
「そうです」
「しかし、今日なんて晴れていてもそれほど暑くはありませんよ。夏はもうとっくに遠くへ行ってしまい、秋の空気です。少し肌寒いほどでしょ。こういう日でもだめですか」
「だめではないのですが、日向が苦しいのです」
「日差しですか」
「私は長く日陰者でしたので、日影に慣れています。そちらの方が落ち着くのです」
「でも日差しのあるところも通るでしょ。そのときも苦しいのですかな」
「苦痛ではないのですが、その明るさが嫌なだけです」
「変わった人だ」
「日影でしか育たない花もあるでしょ。あれに近いかもしれません」
「暗い人だ」
「暗いのではありません。居心地がいいだけで」
「あ、そう」
「はい」
「じゃ、日差しのない雨の日は元気なんだ」
「どんな条件でも元気じゃありません。元気を出すのが嫌なんです」
「じゃ、やはり暗い人なんだ」
「そうじゃなく、一寸した好みの問題です」
「色々な人がいるものですなあ」
「しかし、だからといって特に変わったところはありませんよ」
「何かの生まれ変わりでそうなった可能性もあります」
「生まれ変わりですか」
「いつも石の下などにいるような虫とか」
「ああ、そうかもしれません。だったら凄い出世でしょ。前世虫だったのが一気に人間なのですから」
「きっと善行を積んだ虫だったのですよ」
「しかし、その逆もあると怖いですねえ」
「まあ、前世なんて覚えていないはずですからね。そんな心配はいりませんよ」
「そうですねえ」
「ところであなた、次に生まれ変わるとしたらどんな人間がいいですかな」
「虫じゃなく、人間で?」
「そうです」
「今と同じでいいです」
「あ、そう。じゃ、満足しておられる」
「慣れたものがいいので」
「あ、そう」
「そうです」
 
   了


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2017年10月03日

3401話 運動会の日のコンビニ


 赤西は煙草が切れていることが分かっていたので、途中でコンビニへ寄ることにした。煙草は二本残っている。目的地は喫茶店。そこへ行くまで一本吸う。そして店内で二本以上は吸う。これは二本でもいい。しかし一本ではだめだ。一本のときもあるが、煙草を吸う暇もないほど、何かに熱中しているときに限られる。要するに一本足りない。
 だから簡単な話で喫茶店までの道で買えばいいだけ。しかし今吸いたい。家を出たところでいつも煙草の火を付ける。その癖があるためだ。吸えばいいのではないかという話だが、それでは吸い終わらない間にコンビニに着いてしまう。それはもったいない。だからコンビニで買ってから吸えばいい。その場合、喫茶店までの距離を考えれば、時間は充分ある。
 よく晴れた土曜日の昼頃。
 いつもの道からコンビニへ寄るため、少し道を変える。こういう変化は実はしたくない。それに晴れているので陽射しがあり、夏のように暑い。いつもの道なら日影があるのだが、コンビニへの寄り道ではそれがない。真夏に比べれば楽なものだが、少し汗ばんでしまった。
 コンビニが近付いて来た。人が出て来るのが見える。昼頃なので、混んでいるのかもしれない。しかし、すぐにその理由が分かった。近くから音がする。小学校から聞こえてくるので、これは運動会だろう。その親たちが何か買っているのだ。このコンビニはいつも客は少ない。これでやっていけるのかどうか、心配になる。暇な店だけに店員の動きものろい。急ぐ必要がないためだろう。
 赤西はドアを開ける。開けなくても店内は見えているが、念のため、中を覗いた。レジに人が大勢いるのだ。その程度を見るため、中に入ったのだが、後列が見えない。そして途切れない。しかし、前の駐車場はがらんとしている。これは小学校に駐車場がないためだろう。自転車はそれなりに止まっているが、一杯ではない。運動会を見に来た人は近所の人なので、歩いてでも行ける距離のためだろう。
 これだけ並んでいると、煙草だけを買うにはふさわしくない。並んでまで買うと、喫茶店での滞在時間が押し気味になる。それで、喫茶店までの道にもう一軒普通の煙草屋があることを思いだした。そこなら自転車に乗ったまま買えるのだが、喫茶店との距離が近すぎるため、選択肢にはなかったが、そこに行くことにし、出ようとすると、入って来た客とぶつかった。譲り合いながら、交差したのだが、満員だね、とその人も驚いたようだ。
 ドア近くにいると、出てくる客の邪魔になるので、赤西は自転車置き場に戻り、そこで煙草を吸うことにした。貼り紙やポスターの間から店内が見えるのだが、列は流れ、客が出ていくのが見える。しかし、列はまだまだ続いているようだし、まだ並んでいない客もびっしりといる。それらの客はゆっくりと移動しているのだが、確実にドアから人が出ていくわりには減らない。
 そして、先ほどドアのところで交差した客以外、入ってくる人はいない。出る一方だ。しかし減らない。ではそれらの客はどこから入って来ているのだ。コンビニなので出口は一つ。しかし裏側にもドアがある。その裏側のドアも入るときに見ているが、人などいない。
 結論は簡単だ。店内から湧き出ているのだ。
 赤西はぞっとし、すぐに自転車を出した。
 
   了

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2017年10月02日

3400話 逢魔が時の妖怪


「逢魔が時に出る妖怪はいませんか」
 妖怪博士付きの編集者が、今回は答えやすい質問をしてきた。夕方の薄暗い頃なので、妖怪などウジャウジャいるだろう。
「魔に遭う時と書くか」
「はい」
 妖怪博士はまずは言葉から入っていく。そして字面通りの答えしかしないときは怠けているか、興味がないときだ。それに面倒なときも。
 だから面倒が時とかもあるのだろう。
「ウジャウジャのう」
「はい、今回は話しやすいでしょ。いつものようにひねった妖怪ばかりじゃ、難しい話となり、子供には分かりませんから。単純明快、シンプルで可愛いのがいいのです」
「可愛い魔か」
「色々出る時刻ですので」
「これは出ておらぬ」
「え」
「逢魔が時専門の妖怪はおるが、それはつるべ落としとか、その程度のもの」
「釣瓶は一寸」
「そうじゃろ。井戸から水を汲むときのあの釣瓶じゃ。そこから説明せんといかん」
「では博士は逢魔が時とは何だと思います」
「これは空間の妖怪だろう」
「時間は」
「だから、時間は断らなくても、夕方から夜になるあたり。黄昏時の空間、あるいは空気を差しておる」
「特に妖怪はいないのですね」
「だから、夕方に出る妖怪や、夜になる妖怪を含めればウジャウジャおるだろうが、妖怪のタイプが違うのじゃ」
「また、困ったことを」
「何が困る」
「だから、それでは子供には」
「黄昏時、夕方徐々に暗くなっていく、心細くなっていく。もうありふれすぎて、語る気にもならんわ」
「では字面通りに」
「そう、魔に遭う時間」
「その魔とは」
「昼間見えなんだものが見える」
「薄暗いのですから、余計に見えなくなるのでは」
「だから、別のものが見えるのじゃ」
「別のものとは」
「暗いと何が潜んでいても分からん。そういうことじゃ」
「照明の問題ですか」
「夜の怖さ。暗くなることの怖さ。闇の怖さだろう」
「はあ」
「夜から闇へ。この変化じゃ」
「え、よく聞き取れませんでした」
「明るさ暗さの問題から、闇というまた別のものになる」
「はあ」
「夜より、闇の方が怖いじゃろ」
「闇夜はどうなんですか」
「夜は暗いが月明かりがあるし、町の明かりもあるだろう。闇とはまったく光がない状態。まさに暗闇。これが、闇じゃ」
「暗室のような」
「まあ、そんな状態になれば何もできんから寝ておる。まあ、用があるのなら、明かりを灯す」
「逢魔なんですから、魔物と遭うわけでしょ。魔物との遭遇。その魔とは何ですか。どんな妖怪ですか」
「だから逢魔が時に関しては実体がない。具体的な形などない」
「妖魔とか、悪魔とか、魔がつくキャラは」
「キャラものではない。もっとランクの高いものじゃ。そのため、私はこの逢魔が時には触れたくない。触れると、何も出なくなるからな」
「はあ?」
「この言葉、そっと取っておいた方がよろしい。使いすぎると、手垢が付く。黄昏時もそうじゃ」
「はあ、なんと繊細な」
「時々、この言葉がふっと頭をよぎることがある。そのときの気持ちや気配を逃したくない」
「やはり言葉から入っていくのですね」
「言霊の世界じゃ」
「言霊」
「呪文や祝詞のようなものかもしれん。それには意味はあっても、実際にはない。全体を包む、何かを指し示す効果音のようなものじゃな」
「バックミュージックですか」
「そうだな」
「今回も、難しい話なので、子供向けではありませんから、釣瓶落としで行きましょう」
「そこが落としどころか」
「はい」
 釣瓶落としとは実は妖怪ではなく、秋の黄昏は早く、あっという間に日が落ちるので、まるで、井戸に釣瓶を落とすときのように早いという程度のもの。その釣瓶にものすごい顔をした妖怪が入っているというもの。これはただの季節もののような時間ものだろう
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

3399話 よく分からない話


 一度嫌な思い、怖い思いをした場所へは二度と行かない。猫などがそうだ。逆に一度いい思いをした場所、気持ちが良かった場所へは何度でも行きたくなる。これは場所だけではなく、事柄にも当てはまる。
 しかし、何度も嫌な思い、怖い思いをしながらも行くことがある。これはそれを超えるだけの良い事があるためだろうか。それも何度も何度も嫌な思いになるのなら、そのうち行かなくなるだろうが。
 我慢とか辛抱は、その辛さを乗り越えるときに必要で、これはある程度は耐えるだろう。最初から行く気がしない場合は別で、その方が利口かもしれない。
 我慢することでの成果が大したものでなければ、我慢強い人と言うより、余程鈍いか我慢するのが好きな人になる。しかし、それは別の趣味だろう。
 快不快は単純なセンサーだが、それだけに頼っていると、今一つ進歩がない。これは進歩や成長などを望まなければ問題はない。好き嫌いだけで生きていけばいい。
 しかし、好きなこともそうざらにあるわけではなく、簡単に手に入る快感も、徐々に薄くなるようで、以前ほどには気持ちよくならなかったりする。
 悪いことでもなく、怖くも危険さもないのに、なぜか嫌がることもある。何を恐れているのか分からなかったりする。しかし、そう感じるのだから、何か落とし穴でもあるのだろう。油断できないような。
 快楽主義というのもあるが、そんなに快楽が沢山あるわけではなく、快楽ばかりでは逆に飽きるだろう。ここで出てくるのが陰陽の関係だろうか。このバランスで何とかなるらしいが、そんなことは普段から心がけるわけにはいかない。
 ただ、おやつでも、甘いものばかりを食べていると、辛いもの、塩気のものが欲しくなったりする。どろっとした飲み物ばかりだと、さらっとしたお茶などが飲みたくなる。これも陰陽のうちだ。
 つまり、自身の定点は意外と細かく動いており、好き嫌いも、変化する。そのときは好きだったとか、そのときは嫌いだったとかも。
 自分の定番があるようでなかったりするが、自分が思っている自分というのもまた変化するためだろう。
 認識しても、すぐに風化するし、その認識も賞味期限が切れたりする。当然認識の仕方が変わると、そのものに対する態度も変わるだろう。
 こういった精神的な話は、高きも低きもあり、何やらよく分からないことになるが、リアルというのは分からないということだろう。それでは不便なので、何かをあてがっているだけかもしれない。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 10:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする