2017年11月19日

3447話 看板通り


 デパートのようなターミナルビルを抜けると商店街があり、そこは既に寂れており、アーケードはあるが駅までのただの道に近い。そのトンネルを抜けると日向臭い場所に出る。商店がまばらに並んでいる場末。それもすぐに途切れ、住宅地になる。
 その通りに古書店がある。入り口に湿って曲がったような文庫本が並んでいるが、表紙は変色し、平積みの表紙も埃を被っている。一冊も動いていないのだろう。チリハライがないわけがないが、そのまま放置。その向かいに薬局がある。ペンギン薬局とあり、いつの時代のマスコット人形か分からないほど老いたペンギンが、もう焦点が分からなくなったような目で通りを見ている。
 この二店、商店街から商店街八分にされたと噂があるが、肝心の商店街が寂れたため、別に駅前に店を構えても仕方がないので、同じようなもの。
 商店街八分とは村八分のようなもので、葬儀や災害以外は一切の付き合いが絶たれた家に近いが、実は弾かれたのではなく、最初から場末のさらに向こう側で営業している。
 この駅のある街では古書店と薬局だが、他の街ではテイラーや散髪屋になっていたりする。いずれにしても客は最初から少ないし、その後、盛り返して流行るようなことはない。主人の愛想が悪く、もう二度と来たくないような店で、まるで客を拒否しているような構え。
 当然そんな状態だし場所が悪いので一見の客も殆どないので、やっていけるはずがない。しかし、メイン商店街は潰れても、ここは潰れない。潰れて当然だが、最初から潰れているような状態で店をやっている。
 だから店屋ではない。こういう店が駅前や商店街のある通りの場末のさらに末で店を構えている。
 それらの店は繋がりがある。目的が同じためだ。表向きは商店だが、実は支部なのだ。しかも支部には正と副二組で構成されている。
 普通の商店街にあるような店はほぼ網羅されている。それらを合わせれば、かなり大きな商店街になるはず。だが、目的は商店ではなく、商売ではない。
 このネットワークが何のためにあるのかは分からないが、世襲制で、今は孫の代。その孫の子が継げば四代目の組織員になるのだが、御時世か、どの支部もあとを継ぎたがらない。
 そしてこの組織のトップも世襲制だが、同じ現象が起こっている。そしてもうそんな組織など必要ではなくなっていたためか、閉める店、ここでは支部だが、それが多くなった。本来なら勝手に閉めるわけにはいかないのだが、本部も黙認だ。
 中にはあとを継いだ支部もある。四代目でまだ若い。そしてもう支部ではなく、看板通りの商売を続けている。
 商店街を抜け、場末のさらに末でポツンとある店を見かけた場合、それと疑ってみてもいい。
 世の中には看板通りではない店屋もあるということだ。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 10:40| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

3446話 ホラー小説


 上島は昼食後散歩に出たついでに決まって入る喫茶店がある。結構広いファスト系で、最初に入ったときは見知らぬ人ばかりだが、数年通うと常連客の顔を覚えてしまう。しかし、ここはターミナルに近いのか、風通しがよく、見知らぬ人も結構いる。今まで見たことのない人の比率は半々だろうか。ただ、客が少ない日は常連客ばかりのときもある。雨の日とかだ。
 それで見慣れてしまっているので、もう客など見ないで、買ったばかりのタブレットを覗いていた。主な使用アプリは電子書籍や、動画。ただの娯楽のひとときで、休憩に入っただけ。散歩そのものも休憩だが、散歩では目の前の現実しかなく、フィクションがない。それで喫茶店で休憩するときに、現実では有り得ないようなフィクションを楽しむ。これも散歩のようなものだ。散歩では見られないようなものに接することができる。
 今日の客層は平均的なもので、常連客が六人と、一見さんが六人。それぞれテーブルを離して座っている。つまりある間隔を取っている。広い店なので、それができる。
 タブレットで至近距離を見ていると、目が疲れるので、たまに遠くを見る。その視線の先に偶然一見さんがいたのだが、上島は手にしたタブレットをガタンとテーブルの上に落としそうになった。数センチなどで落下というほどではないが、気を取られるような人がいたのだ。
 しかし、思い出せない。また見た覚えがあるのかないのかも曖昧で、知っているようで知らない。上島と同年代で少し年がいっている。これは昔の知り合いかもしれないと思い、旧友を色々と思い出した。またよく見かけていた近所の人かもしれないが、家とこことは結構離れているので、近所の人は見たことがない。
 しかし、タブレットから手が離れるほどの衝撃があったのだから、余程の人だ。合ってはいけない人とか。
 その客は文庫本を開いて読んでいる。距離は遠い。顔は正面。相手は上島が見ていることに気付いていない。本を読んでいるので、そんなもの。
 しかし、たまに目玉が動く、姿勢も変わる。そんなとき、視線が合いそうになるので、上島はチラリチラリと観察した。
 あの衝撃の意味は、余程大事なことで、とてつもない人に出くわしたほどのショック。それにふさわしい人物を探さないといけない。下手をすると、合うともの凄く都合が悪い相手かもしれない。相手が気付けばおしまいのような。しかし、過去にそんな経験はないはず。人から怨まれるようなことも、合ってはまずい人はいない。
 しかし、上島がそう思っているだけかもしれない。
 いくら思い出しても該当する人物が出てこない。
「自分ではないか」
 これはフィクションとしては成立しても、顔かたちが違う。しかし中に詰まっているのは自分ではないか。自分自身がそこに座っていれば、衝撃だろう。タブレットを落として当然。だから該当するものは自分自身となる。
 しかし、これは何処か似ている人の場合。何度見直しても似ていない。ではあのショックは何だろう。どうして驚いたのか。決して不思議な顔ではない。
 そして男は立ち上がり、上島の前をスーと通り過ぎ、レジへと向かった。男は上島を見たはず。しかし無視している。上島のことを知らないのだ。
 これでほっとした。
 そして読んでいたホラー小説の電書を閉じた。
「これだったのか」
 と、該当する原因が分かった。フィクションが現実に介入したのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

3445話 裏通りの鍋焼きうどん


 雨が降っているときはさほどではなかったが、やんでから空気が変わったのか、寒くなってきた。もう冬の初め、下に落ちている葉の方が多い。
 友部はある手続きの用事を済ませたあと、中途半端な夕方の町を歩いていた。手続きを済ませたので、未来が拓けるかもしれないが、あとは本人次第。手続きそのものは難しくなかったので、その先の方が実際には難しく、ものになる人は限られているのだろう。
 しかし、この手続きは見せかけで、一応将来何になるのかを周囲に示すだけのもの。本当はそんなことはしたくなく、遊んで暮らしたかった。
 将来のことよりも今が寒い。いつもより早く起きたので、寝不足も加わっている。このまま戻って寝たりない分を補う方が賢明だ。
 駅は繁華街を抜けたところにあり、薄暗くなってきたためか、ネオンが映える。もう雨は上がっているのだが、滲んだように輝いている。
 一段落ついたこともあり、ここで遊んで帰ろうかとネオン看板などを見ている、ついつい誘われるのだが、腹が空きだした。寝不足のときは不思議と腹が空く。食べる量も多くなる。これは個人的なことだろう。
 ネオン通りから脇道を覗くと、そこも歓楽街の中なので、店屋が多い。日用品などを売っている店ではない。
 友部は体が冷えてきたので温かいものでも食べて帰ることにした。賢明な判断。そして健全。
 立ち食い蕎麦屋もあったが、今日は区切りの日なので、もう少し張り込んでもいいと思い、少し古い老舗らしい食堂へ入った。洋食屋ではなく和食屋。高そうな大衆食堂かもしれない。この路地だけは時代から遅れているのか、または一定の客がいるのか、潰れないで残っているようだ。
 鯉のぼりでも垂れ下がっているのかと思うような大きな暖簾をくぐり、店内に入ると、それなりに客がいる。食堂だが、そこで飲んでいるようだ。
 友部は壁の品書きを目で一つ一つ追っていると鍋焼きうどんが目に止まった。少し大きい目の手書き文字。値段は結構安い。しかし立ち食い蕎麦の数倍はするが、今日はケチくさいことは考えないことにする。手続きを終えた記念すべき日なので。
 出てきた鍋焼きうどんはアルミ鍋に入っていた。もう何回も使ったような鍋で、こ擦り傷があるし、焦げて色も変わっている。ただの食器ではなく、本当にこの鍋で煮込んだものだろう。
 少し離れたところでおでんの盛り合わせで一杯やっている男が、チラリと友部を見る。一杯飲み屋、縄のれん、酒の直販所などでよくいるような男。
 そして、目でメッセージを送ってきた。絡まれるようなことはしていない。
 友部は反射的にそのメッセージを受けた。といっても目礼しただけ。無視しなかった程度のメッセージを交わした程度。
 すると、男は友部の方へやってきた。四人掛けのテーブルだが、その横のテーブルに着き、話しかけてきた。
「いいよ」
 意味が分からない。
「じゃ、任せなよ」
 これも不明。
 何がスイッチになったのか、友部は考えた。変わったことは何もしていないので、この男が勝手に芸を始めたようなものだ。酔っているのだろう。
「じゃ、行こうか」
 何処へ。
「さあ、すぐに行きたいだろ」
 友部はここで訊ねてもいい「何がどうなのか」と。しかし、間を置いた。
 出るにしても、鍋焼きうどんをまだ食べ終えていない。しかし男は急がせた。
 友部はもう少し考えてみた。この店に入ってきてやったことといえば鍋焼きうどんを注文したこと。
 この鍋焼きうどんがスイッチになったのだろうか。これは合図のようなもので、鍋焼きうどんを食べることが、この男への合図になり、秘密めいたところへ連れて行く。
 しかし、それなら鍋焼きうどんを注文した客は全てそうなるだろう。
 やはりこのまま男を泳がせるとまずいと思い、何がどうなのかと聞いてみた。
 男はそこで挙動不審になり、訳の分からない言葉を呟きながら、元のテーブルに戻り、三角のコンニャクを囓りだした。
 これで、友部は鍋焼きうどんに集中できた。たまに男を見ると、目を合わす気はないのか、自分の世界に入り込んでいた。
 
   了

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2017年11月16日

3444話 寸暇詐欺


 寸暇に何かをやり続けるということもあるが、この寸暇というのはわずかに空いた暇な時間ということだが、そんな空いた時間などないほど忙しく日々過ごしている人もいる。もし寸暇があれば休憩していたりする。暇というのは、今特にやることがなく、またやろうとしてもできない場所なり、タイミングのときだろうか。隙間時間などとそれを呼んでいる。
 寸暇を惜しんで働くとかもある。何らかの暇ができても、その時間がもったいないので、作業を続けるとかだ。ここは休憩してもいいところでも働く。食後の一服もなく、昼休みでも働くようなもの。これは良いことだとされているが、体を壊すだろう。それよりも、時間がないので休む暇がないのかもしれない。本人の意志ではなく。
 寸暇の寸とは長さだろう。一寸は三センチほど。だから三センチほどの間が空いたとき、五センチのものは入れられない。これは距離だが、時間としてみた場合、三分。だから三分でやれることを入れることができるが、三分ではカップラーメンに湯を入れて待つ程度の時間。普通はじっと待っているわけではないので、寸暇ができても他のことをしているだろう。
 このとき、今までの続きではなく、別のことを入れる。三分でできる別の用事を入れるといいのかもしれない。
 塵も積もれば山となるのだが、それでできた山も、塵なら仕方なかったりする。足場が弱く、登れないかもしれない。それに塵なので、風が持っていく。しかしある程度の固まりができる。
 しかし、寸暇を使って有益なことを続けた場合、それは価値になるかもしれない。有益なことほど面倒臭く、また難しい。しかし三分間だけなら辛抱できる。
 ただ、その有益さは本人だけが有益なものだと、あまり価値はないが、価値を決めるのは本人。それを価値だと認定すれば、それは価値あるものになる。ただ、これもなかなか認証しにくいものだ。価値があり、有益だからこそやりたくなかったりもする。
 寸借詐欺ではないが、寸暇詐欺をやっているようなものだろうか。
 好きなことを寸暇にやる。しかし、寸暇ではなく一日中やれるとなると、あまり好きではなくなるかもしれない。時間があればずっとそれを続けたいと思うものの、有り余ると、飽きてくる。僅かな時間だからこそよかったのかもしれない。
 逆に暇潰しのようなことばかりを一日中やっている場合、その暇潰しにも寸暇が空く。そこで有益なことをすればいい。
 
   了

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2017年11月15日

3443話 実体験


 映画で見た記憶も実際に体験した記憶も、似たようなものとして残るのだろうが、一寸した差がある。その差は何だろう。
 たとえば一度見た古い映画をもう一度見たとき、所々は覚えている。まったく忘れてしまっているシーンもあるし、印象に残らなかったため、初めて見るのに近い感じのときもある。こちらの方が楽しめたりするが。
 実際にあったことは、動画のように残らない。そんなデーターは残せないためだ。だから、比べようがない。もし実際に起こったことの全記憶が残っていたとすれば、比べられるかもしれないが。
 過去のものとなると、どちらも古いため、記憶に残るのは僅かかもしれないが、やはり実際にあったことの方が印象に残る。
 なぜなら映画の中のどの人物も自分ではないためだ。映画の中の人にも過去があり、その人を取り巻く色々なことがあるだろうが、それらは説明で描かれている程度。しかし、またはこんなことをしてきた人だろうという程度の設定は示される。しかし、それは見ている人のことではない。当たり前の話だ。またいくら感情移入しても、そのときだけで、また自分に戻ってしまう。
 ではなぜ実体験の方が印象に残るのか。それは体験とは何かを考えればいい。決して一面的ではなく、その人の何処かと繋がっている。関連する情報が含まれているのだ。テーブルの上にあるペン一つでも、映画の中のペンとでは馴染みが違うし、含有物が違う。中のインクのことではない。それを買ったときの背景などが含まれている。そしてそのペンで何を書いていたのかも。また、そのペンを使っていた時代なども含まれる。実体験はその人の目で見たもので、映画は監督やカメラマンが見せようとした絵だろう。自分の目で見ていないので、本当なら見るものも違ってくるはず。何処を写し、何処を写さなかったのかだけでも、自分の見方とは違うはず。
 だから印象を支える事柄が多くあるため、実体験の方が記憶に残りやすいのだが、これはそれらの体験を踏まえた上で、今もその記憶が生き続けているためかもしれない。映画はそこで終われば、終わるが、現実の実体験は尾を引きながら、それらを含めた上で進行中だ。今も実はそうなのだ。上映しなくても、それは回っているようなもの。敢えて思い出さなくても。体験とは身に染みつくということかもしれない。お蔵入りではなく。
 そして、見た映画も、その中に含まれる。これはどんな体験でもそうだが、忘れていることが多い。映画のようにそのままをまた見ることができないが。
 記憶としては曖昧で、忘れてしまっていても、体が覚えていることがある。体験とはまさに体を使っているのだろう。
 
   了

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2017年11月14日

3442話 敵意の発生


 白木氏の城をいくつか潰し、残るは本拠地だけ。もうこのとき白木軍は殆ど残っていない。前線で主力軍が敗走したため、勝敗は既についていた。
 しかし、白木城に迫ったとき、隣国の黒崎軍が援軍で来ていたのだ。
 攻め手の立花氏は大国で、大軍を連れてきたが、あとは大したことはないと、軍団の多くを帰還させていた。そのため、攻め手の方が兵が少ない。
 立花氏はむかっときた。白木軍に対してではなく、援軍で駆けつけた黒崎軍に対して。きっと白木軍には受けただろう。同盟国の義理を果たし、来てくれたのだから。
 立花氏は、これでは城攻めどころか、このままでは立花軍がやられてしまう。引き返した軍団を呼び戻せばいいのだが、疲労度の少ない新手の黒崎軍は気勢も上がり、まともに戦うのは避けたい。それに白木氏は滅ぼさないといけないが、黒崎氏には敵意はなく、その領土を奪う気もない。だから敵としては考えていなかった。ところが白木軍に加勢し、結果的には立花氏に刃向かったことになる。これでムカッとした。
 立花氏は伝令を飛ばし、帰還中の各軍団に指示を与えた。黒崎領に侵攻せよと。
 立花氏は白木黒崎軍と対峙し、睨み合ったまま動かない。つまり黒崎軍を引き付けていたのだ。動かないように。
 この策は当たった。白木城に駆けつけた黒崎軍は全軍で来ていた。これは実際には戦う必要がない。立花軍は迂闊には動けないだろうし、兵糧も心許くなるはずだし、士気も下がりだし、そのうち引き上げるだろうと思っていたのだ。
 その魂胆が立花氏をむかつかせたのだろう。
 主力を持ってきた黒崎の本拠地はガラガラ。そこへ立花の主力軍が攻め込んだので、ひとたまりもない。
 その報を聞いた白木城の黒崎軍は、すぐに引き返したのだが、既に戦いは終わっていた。
 援軍が去ってしまった白木氏は、白旗を揚げ、城を降りた。立花氏は白木氏を家臣とし、白木領をそのまま任せることにした。ここは治めにくい土地なので、地の人間に任せた方がよかったのだ。
 しかし、黒崎氏は追放した。当然領地は没収、立花一族の家臣を入れた。実は白木領より、黒木領の方が大きい。だが、黒木領を取ることは念頭になかった。悪意も好意もないが、黒木軍は強く、出城も多いので、容易には落とせないことも理由だった。
 黒崎軍にもチャンスがあった。援軍として来たまではよかったのだが、動かなかったのだ。このとき、攻め手の白木軍は僅かで、主力は返していたのだから、城から打って出れば、訳なく立花氏の首が取れた。そして大国を手に入れることができたかもしれない。
 しかし、黒崎氏は援軍で、立花氏は、ここでは敵だが、敵意を持っていたわけではない。両者とも戦う気はなかったのである。
 あと一歩で簡単に手に入る戦いを邪魔立てした援軍の黒崎が余程憎たらしかったのだろう。敵意が生まれたのは、その瞬間だった。
 
   了
 
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2017年11月13日

3441話 不思議な会社


「おや、しんどそうですが大丈夫ですかな」
「分かりますか。一寸熱があって」
「それはいけない」
「昨夜雨に遭いましてねえ。帰るときです。傘を忘れていたもので、濡れました」
「私は用意していましたから濡れませんでした。大きい目の高い傘です。ビニール傘より大きい。少し重いですがね」
「はい」
「傘よりも、それは風邪が入ったのでしょ。今日は早い目に帰られては」
「微熱です。少しだるいだけです」
「そうですか、熱が出てフラフラなら、来られませんからねえ」
「そうです。よくあることですよ」
「しかし、しんどそうですよ」
「確かにしんどいことはしんどい」
「そうでしょ。やはり大事をとって」
「いや、仕事が残ってますから」
「私がやっときますよ。大した量じゃない」
「そうですか」
「お互い様です。私が三日ほど寝込んでいたとき、私の分までやって貰いましたから」
「いえいえ、それほど大した量じゃないので」
「そうなんです。ここの仕事、一人でできることを四人か五人でやっているようなものです。ですから午前中の半分で上がってしまえる仕事です」
「そうですねえ。そう考えると、おかしいことはおかしいですが、給料は世間並みに出てますし」
「私が社長なら、人件費の無駄遣いです」
「でもゆっくりやれば一日かかりますよ」
「それは秘密です。言っちゃだめですよ。誰もそれには触れない」
「はい、その申し合わせ、守っています」
「上に聞かれるとまずいですからねえ」
「上は気付いていないのですか」
「ここの係長は気付いていますよ。その上の課長も」
「じゃ、部長は」
「曖昧です。知っているかもしれませんが、経営に触れると社長の機嫌が悪くなりますからね」
「専務は」
「当然知っているでしょ。だって専務が二十人もいるのですよ。どんな大企業なんだ」
「そうですね。ただの町工場ですから」
「何か妙なことで使われるのではないかと、心配しています」
「妙なこととは」
「何かに動員されるのではないかと。そのためのストックです。社員が多いのは」
「そんな前例、ありましたか」
「先輩に聞いても、それはありませんでしたが」
「じゃ、きっと儲けすぎているのでしょ」
「そのようには見えませんが」
「まあ、そういうことですから、早退しても誰も文句は言いませんよ」
「そうですねえ。じゃ、大事をとって、帰ります」
「うん、そうしなさい」
「ついでに」
「なんですか」
「二三日休まれても良いですよ」
「はいはい」
「しかし、待遇がよすぎて、逆に怖いです」
「そうでしょ。それに気付いた人が辞めていきます」
「僕もおかしいと思い、辞めようかと思ったことがありました」
「大丈夫ですよ。何も起こりません。しかし、一寸不気味ですがね」
「はい」
「じゃ、お大事に」
「はい」
 
   了

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2017年11月12日

3440話 温石


 妖怪博士が住む路地裏は妙な人がたまに通る。その近くに住んでいる人以外は入り込まないのだが、何らかの磁場ができているのだろうか。妖怪博士がここに棲み着いたのもそのためかもしれない。
 ある日、妖怪博士が昼寝をしていると、妙な人がやってきた。妙な石を拾ったらしい。これは妖怪と関係するのではないかと思ったようだ。そこに妖怪博士が住んでいることを、この人は知っている。しかし妖怪博士は彼を知らない。近所の人なら顔ぐらいは知っている。だからこの路地裏に入り込んだ人だ。この人もそんな磁場に引き寄せられたのかもしれない。通りすがりの人が妖怪博士宅を知っていることも不思議だが、同類は同類を知るものだ。
 男が拾った石は暖かい。だから妖怪の卵ではないかと言い出した。しかし卵は親が温めないと冷たいはず。だから熱を持っている石となる。
 妖怪博士はその石を手にする。意外と軽いが卵のようには丸くなく、平べったい。しかしすぐに正体が分かったようだ。
「何でしょう」
「オンジャク」
「え」
「温かい石と書いて、温石」
「何でしょう」
「懐石料理ではないが、腹を温めるもの」
「懐炉ですか」
「あれは火が付いておる。燃えておる。そうではなく、軽石を温めたものじゃ」
「そんなものがどうして落ちていたのですか」
「落としたのじゃ」
「はあ」
「今どき温石を持ち歩く人がいるとは信じられん。軽石なので、軽いので持ち運びやすいがな」
「誰でしょう」
「そこじゃ」
「はい」
「問題は温石ではなく、それを落とした者。こちらの方が怪しいとは思わぬか」
「その持ち主が妖怪だと」
「寒がりの妖怪かもしれん」
 妖怪博士はその石けんほどの温かい軽い石をじっと見続けている。
「何か見えますか」
「石じゃ」
「石ですからね」
「これはただの軽石じゃが足の裏を擦るときの軽石とは形が違う。まるでちびた石鹸じゃ」
「やはり、これを落とした人が妖怪ですか」
「いや、怪しい人物には違いはないが、試したのかもしれんなあ。昔の人の防寒方法を」
「懐炉を買えば早いのに」
「そうじゃな。今は火を使う必要がない」
「そうです。揉めば熱くなってきます。あれを懐に入れれば済むことですよ。わざわざ軽石を温めなくても」
「きっと妙な人なので、試してみたのだろう」
「はい。しかし道端で温かい石を拾ったときは驚きました」
 妖怪博士はその石を男に返す。男はそれをポケットに入れ、立ち去った。
 石は拾ったものではないのだろう。その男、妖怪博士の実力を試すため、持ち込んだものだと思われる。
 しかし、妖怪博士は昼寝から起きたところなので、あまり良い解釈はできなかったようだ。
 
   了

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2017年11月11日

3439話 雨男


 春は花見、秋は紅葉を楽しめる寺がある。少し山に入った谷にあるのだが、近くには村があり、農家がすぐ横に見えている。鉄道は走っていないが、バスはあり、最寄りのバス停からは少し離れているが、それほど長い距離ではなく、寺の屋根が見えている。都市近郊の離れなので遠い場所ではないため行楽客が結構いる。寺の中ではなく、その周辺にサクラもモミジもカエデもあり、寺がなくてもここは名所なのだが、サクラは確実に植えたものだが、モミジは自然に根付いたものもあるようで、まとまっていない。つまり点在している。
 しかしモミジよりもサクラが多いため、サクラの葉もしっかりと赤くなるので、そちらの方が目立つ。ただ、色が違う。濃い赤はやはりモミジで、赤いだけではなく透明感がある。葉が薄いのだろう。
 紅葉シーズンは山が早い。
 その日はあいにくの雨で人出が少ない。寺だけを見に来るような人は希なので、花見と紅葉のシーズンでないと、行楽客もいないに等しい。それに雨が降っているため、これは致命的。そのため、山門前にある茶店もガラガラ。店屋はそこだけで、シーズン外は閉まっている。雨は朝から降っており、これでは最初から行く気にはならないだろう。しかし、シーズン以外の日に比べると、人がいる方なので、茶店は開いている。客が来ないので、開けていても仕方がないので閉めているというのでは、いかにも露骨だ。
 しかし、値段はかなり高い。こんな高いおでんの盛り合わせが世の中に存在するのかというほど。これは祭りの日の露店よりも高い。
 この茶店を長くやり続け、もう年寄りになった主人は、座っているだけで、殆ど動いていない。バイトに任せているのだ。本来なら店に出なくてもいいのだが、人を見たいのだろう。
 そして雨の日にも周囲が一番よく見える場所に座り、行楽客を見ているのだが、ある一人の男をずっと見詰めている。鋭い目ではなく、ただ、ぼんやりと。
 その男、毎年雨の日に来る。長いコートで長髪。外人のように背が高い。そして傘を一本持っているだけ。
 男が来るのは花見と紅葉の二度。しかも雨の日に限られる。人が少ないので、目に付いたのか、主人は覚えてしまった。年に二回しか見かけないのだが、何年も続くと記憶に残るのだろう。そしてずっと長髪で、ずっと同じ色のレインコート。
 茶店は仁王門を背にしている。だから寺の境内ではなく、その入り口付近にある。ここも紅葉が鮮やかで、寺に入る必要がないほど。茶店近くにモミジもあるが、これは植えたものだろう。当然このあたりはお寺の土地。
 男は紅葉の濃い場所ではなく、少し奥にいる。ここはそれほど紅葉する木はないが、それでも色づいている。そして離れた場所だが、大きい目の桜の木がある。その下で傘を差しながらじっと立っているのだ。春はサクラの花見、秋はサクラの紅葉を毎年ここで見ている人。
 茶店の主人はそれを見るともなしに見ている。雨なので人出が止まり、茶店周辺も無人になることがある。しかし、あの男は動かないで立ったまま長い時間じっとしている。これは誰が見たとしても目立つだろう。
 主人はじっと男を観察し続けているわけではない。たまにバイトが何かを聞きに来るし、また立ち上がってその用事をすることもある。一寸した食堂なので、何処に何があるのかを、新入りのバイトに説明しないといけなかったりする。そして用が終わると、また外がよく見える場所に座り、あの男を見るのだが、そのときはもういない。同じ場所でそうそう紅葉を楽しむわけにはいかないのだろう。飽きるはず。
 しかし、何年も主人は男を見ているが、来るところや去るところを見たことがない。
 そして主人は、そのことを誰にも言わない。言うほどのことではないためだが、それ以外に言いたくないような気持ちもある。そちらの方が大きい。
 主人はその男を雨男と呼んでいるが、実体があるのかどうかは分からない。
 
   了

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2017年11月10日

3438話 何もないところからが本番


 何もない。これはまったく何もないのではなく、意味のあるものがないのだろう。テーブルの上に何も置いてなくても、顕微鏡で見れば何かあるだろう。傷があったり、シミがあったり。また禿げていたりする。しかしそんなものを見ていても仕方がないし、それを使って何かをするということもない。見る人にとり、それは有為なものではないためだろう。逆にいえば無為なものならあるということになる。
 物事においても使えそうなものと、使えそうではないものがある。またはギリギリで使えるが、あまりよくないもの。そういうものがあったとしても、あるにはあるが、あり方のレベルが違う。
 意味にはレベルがある。それを決めているのは本人や社会。本人の中にも社会があり、本人は使いたいのだが、それでは社会が許さなかったりするので、一般社会でも使えそうなもの以外は捨てることが多い。社会が緩めば、使えることもあるので、使えないものでも大事に仕舞っていたりする。
「まったくの白紙状態で、使えそうなものがもうないのです」
「でも、まだ何か残っているでしょ」
「あるにはあるのですがね。今一つ気に入らないので、使う気がしません」
「そこからが勝負ですよ」
「そうなんですか」
「使えそうなものがなくなってからが勝負なのです」
「勝負する気はありませんが」
「その勝負ではなく、そこからが実は本番なのです」
「じゃ、これまでは」
「使えそうなものの在庫があったからでしょ。それは次々に入ってくるかもしれませんが、使う方が多いと、在庫がなくなりかけます。なくはないのですが、あまりいいものは残っていないでしょ」
「それも尽きました」
「だから、そこからが勝負。そこからが本番なのです」
「在庫がないのに、どうしてこれからが本番なのですか」
「単純にいえば別のもの、今まで関心の薄かったものなどを、もう一度再考することですね」
「それもやりましたが、気が乗りません」
「別の意識に切り替える」
「それもやりました」
「じゃ、適当にやるしかないですよ」
「打つ手なしですね」
「だからそこからが本番なのです。同じことをいいますが、しつこいですが、ここからが真価を発揮することになりますから」
「何もないような状態ですよ」
「在庫の数に頼らないことですよ」
「在庫がなければ、何もできません」
「苦しいでしょうが、そこはもう自分勝手にやればいいのです」
「分かりました。もうやけくそです」
「しかし」
「はい」
「それで打開できますが、別の世界に入ります」
「はあ」
「殆どの人からは、相手にされず、そこで終わります」
「じゃ、無理にやっても、結果はよくないと」
「本人だけはいい感じでしょ」
「いい感じになれますか」
「楽しいと思いますよ」
「それはいい」
「本人だけです。本人だけ」
「はいはい。くどいですねえ」
「本人だけ」
 
   了

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2017年11月09日

3437話 目玉が落ちた


「最近如何お過ごしですか」
「色々あるが、言うほどのことではない」
「それはなにより」
「取るに足りぬことの中に何かが芽吹いているかもしれないし、その前兆かもしれないがね。良いことでならいいんだが、悪いことの方を思うねえ」
「悪い兆しがありましたか」
「まだ、それははっきりせんから、何とも言えぬが」
「たとえば」
「目が落ちた」
「付いてますけど」
「片目だ」
「え、両目付いてますが」
「眼鏡のレンズだ」
「ああ」
「だから、言うほどのことではないだろ」
「そうですねえ」
「たまに玉が外れることがある」
「浮いたのでしょうねえ。フレームから」
「いや、それならたまにある。今回はフレームが切れた」
「切れるものですか」
「金属製で柔軟性がある。銅かもしれんなあ、緑色になっている箇所もある」
「緑青ですね」
「落ちたのですぐに填めようとしたとき気付いた」
「はい」
「枠が緩んでいるというより、切れたのでは何ともならん」
「それはどういう眼鏡ですか。今は裸眼ですが」
「普通のものは裸眼で見えるが、近いと難しい」
「じゃ、老眼鏡」
「そうだね。たまに出してかけているだろ」
「はい、思い出しました。あの眼鏡ですね」
「あれは外出用でね。それじゃなく、部屋にいるときにかけるやつだ。少し度が緩い。度が強いと本はそれでいいが、本棚がぼやける。これは裸眼で見たほうが早い。度が緩いと活字もそこそこ見えるし、本箱もよく見える。そのタイプの老眼鏡の片目が落ちたんだ」
「買えば済むことですね」
「ところが度が分からなくなった。フレームの裏などに書かれてあるんだがね。消えているのか、もうない」
「でも外出用の眼鏡もあるので、問題はないでしょ」
「いや、テレビが見えない。度が強すぎて。それに度の強いのをかけていると、厳しい。外出時、小さな文字を読むとき用だからね。ずっとかけているタイプじゃない」
「でも、眼鏡屋で試してみれば、分かりますよ」
「新聞などが置いてあるねえ。しかしあれじゃないんだ。そこでピタリと合うタイプは持っておる。至近距離じゃなく、近距離まで見えるタイプがいい」
「でもどうせ買うことになるのでしょ」
「落ちたとき、テープで留めた」
「はあ」
「それで、当分は持つ。だからもの凄いことが起こったわけじゃない」
「そうです。目玉が落ちるのに比べれば」
「しかし、フレームが切れたのはこれが始めてじゃ。ここが怪しい」
「それが何かの前兆」
「うむ」
「しかし、それだけでは」
「そうなんだ。だから言うほどのことじゃない」
「そうですねえ」
「しかし、そういう一寸したことの中に、何かの前兆があるんだよ」
「はい」
「ただ、それは起こったあとでないと分からないがね」
「下駄の鼻緒が切れたとかですね」
「古い話を知っておるねえ」
「時代劇でよく出てきます」
「まだその手を使っている時代劇があるのかね」
「いえ、昔の時代劇に」
「興味があるのかね」
「はい、その時代劇を見ていると時代が分かります」
「ほう」
「鳥瞰で村が出てきます。丘の上から見下ろしているのですが、電柱がありません。山に高圧線もありません。車も走っていません。道路標識もありません。オープンセットじゃありません。そんな場所がまだ残っていた時代なんでしょうねえ。その映画そのものが時代劇なんですよ」
「君のほうが面白い話をするねえ」
「いえいえ」
「私が見た時代劇では電柱が写っているし、遠くの方で車も走っていたよ」
「そんな映画はないでしょ。いくら何でも時代劇なのですから」
「テレビの時代劇だ」
「ああなるほど」
「しかしまあ、こういうたわいのない話ができるのは、悪い状態じゃないからだよ」
「平穏無事です」
「だから、一寸したことの中に、悪い前兆を見たりするのかもしれん」
「はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:13| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

3436話 達人の芸


 苦手な仕事をやっているためか、倉橋はやる気が起こらないので、捗らない。しかし苦手ではない得意な仕事なら捗るのかというとそうでもない。ということは仕事の内容ではなく、仕事として成立している行為が苦手なのかもしれない。その苦手の上に苦手が重なると、これはもう何ともし難いが、そこは仕事なのでいやいやながらでもやるしかない。これは本人の意志ではどうにもならない。
 ただ、意志を働かせることはできる。働くのは嫌だが、意志を働かせることはできるが、それらの仕事を辞めるしかない。そうなると収入がなくなるため、これはできない手だ。他の職に就くことで、苦手な仕事から解放されるので、何ともならない話ではない。奴隷ではなく、自分の意志で何とでもなる。そこは自由だが、その自由を働かせると余計に不自由な暮らしになりかねない。
 嫌いな仕事でも慣れれば何とかなるものではない。嫌いなことはどこまでいっても嫌いだ。そのため、それを緩和するため、できるだけ機械的に動いている。気持ちを込めたりできるような内容ではなく、苦手なものに気持ちを込めるということは水に油だ。気持ちが溶け込まない。
 それで半分投げやりで、適当にやっているのだが、熱が入らないので捗らず、また上手くこなせない。それでも最低のラインは維持しないと、仕事から外される。
 だからいやいやでもやらないといけないので、そこで編み出したのが機械的にこなすことだ。まるでロボットのように。ロボットには感情はない。だから好きも嫌いもない。これに目を付けた倉橋は、その後、何とかそれでこなせるようになった。当然仕事へのやりがいとかは全くない。
 だが、ロボットではない状態の方がいいのかというと、それも考えものだ。喜怒哀楽も厄介なもの。また好きなことをやっていることがいいことなのかも問題だろう。また心を込めると良い事ばかりがあるとは限らない。熱心にやればやったでその副作用が来るだろう。
 倉橋の先輩は、その道の達人で、ベテラン中のベテラン。彼の仕事を見ていると、静かにやっている印象がある。同僚は湖鏡流と呼んでいる。静かなため波風が立たないので鏡のように見えることから来ている。そして清々しい風、清風が吹いているが、これは静かすぎて波立たない。
 もしかして、その先輩の湖鏡流とは、倉橋が仕事の嫌さから逃れるため、ロボットの振りをしているのと同じではないかと思い、聞いてみた。
 すると「そうだ」と答えてくれた。
「嫌で嫌で仕方がないんだよね。何十年もこれをやってるけど、嫌なことに慣れることはないのだよ」
 倉橋は普通の仕事もやるが、先輩は嫌な仕事ばかりを任されている。難しいためだろう。だからベテランにやらせている。
 そして先輩は今も仕事は嫌だが、やり始めるとロボットモードになり、淡々とこなしている。
 倉橋はそれを聞いたとき、達人といっても大した芸当をやるわけではないのだと思い、安心した。
 
   了

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2017年11月07日

3435話 酒見が原


 酒見が原を右手に見つつの山道は見晴らしがよく、明るい。陽気な場所。酒見が原は山の取っ付きにあるのだがなだらかで樹木がない。草原だ。これが街が近ければ何か建つのだが、山中のため、自動車道さえ近くを走っていない。
 元々は坂見が原と言っており、景観がいいので遠出し、ここで酒盛りをする人がいた。そういう風流人がひと組でもあれば、それに続くのか、冬場は別として、季候の良いときは人が集まることが多い。花見のようなものだが、外でご飯を食べるだけでもよい。今のピクニックのようなもの。
 酒見が原は確かに坂だが、草地が終わるあたりから山らしくなり、あとは普通の山へと繋がっている。なぜここだけが草地で樹木が育たないのかは分からない。もっと昔を知る人は、そこは砂地だったようだ。火山と関係しているのかもしれない。
 その酒見が原を右手に見ながらの道はハイキング道で、日用の道ではない。酒見が原とは別の山塊を抜ける道で、旧街道でさえない。そのまま進めばより深い山にへと続いている。普通の人が通るとすればハイキング以外に用はない。
 坂見が原から酒見が原になったのだが、今はそんなところで酒盛りなどする人はいない。そのため草原に入り込む人もいない。ハイキング道から見える草原として、見晴らしがよく、ここだけは妙に明るい。だから人気があるのだが、それはハイカーの間だけ。その写真もその手の本や雑誌やネットなどに載っているが、観光地ではないので、それを見に行く人もいない。
 また酒見が原の緩やかな坂の上にある山は人気がなく、ハイキングコースにも乗っていない。それ以前に原っぱなので道がない。
 こういった他の場所とは違うところには伝説が生まれる。場所が先で、話はあとだ。その場所だからこそ似合うような話ができる。
 しかし、坂見が原を酒見が原と捩ったため、それが通称になり、地図には記されていないが、ハイキング地図にはしっかりと酒見が原と書かれている。ただそれだけの芸当で、それ以上の話は生まれなかったようだ。
 花見は分かるが、酒見の意味が分かりにくい。花を肴に酒を飲むというのは分かる。しかし酒を見ながら酒を飲むというのは当たり前の話だ。そのまますぎる。実際には草原を肴とした宴になるはずなので、酒だけを飲んでいるわけではない。場所のアテがある。
 謂われや伝説、昔話ができそうでできないまま終わった場所だ。
 坂見が原を酒見が原と捩った人なら、何かそれらしい物語を作れたかもしれないが洒落は上手いがストーリー力はなかったようだ。
 
   了

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2017年11月06日

3434話 幽霊椅子


 いつも表に出ていた老人を最近見かけない。妻坂は日に二往復、都合四回そこを通る。日により三度見かけたこともある。
 狭い十字路に椅子があり、そこに座っていることが多い。行き交う人はほぼ町内の人。妻坂はその町内から少し離れた別の町内なので、ただの通行人のため、その老人がどんな人なのかは知らない。ただ、門番のようにそこに座り、こちらを見ているので、目を合わすこともあるが、できれば避けていた。交差点なので、左右の確認を大袈裟にする振りをして視線を避けるのだ。老人から挨拶代わりの会釈などはない。妻坂は見ていないのでよく分からないが、じっと通り過ぎるまで見ているはず。動くものがあれば、見て当然で、妻坂が同じ立場なら、やはり見るだろう。風景の中に飛び込んだゲストのようなもので、じっと座っておれば色々な人が行き交うため、退屈しないかもしれない。そのうち通行人の顔などは全部覚えてしまうだろう。そして時間帯も。
 だが、行くとき、その前を通るときはいるが、戻るときはもういないことが多い。ずっと座っているわけではないようだ。
 歩いている姿も見かける。それでどの家の人なのかはすぐに分かったのだが、十字路まで数秒の距離。しかし、それなりの服装をしており、そのまま電車に乗って良い場所にでも行けそうだ。これは四季を通じてそうなので、最初は町内の人だとは思わなかった。ゴミを出しに行くときのようなラフな服装ではないためだろう。
 歩いている姿もたまに見かける。夏場は黒い蝙蝠傘を差していた。ここが一寸違うかな、と思う程度。またその傘を日傘にし、その椅子に座っていることもあるが、暑いのか、長くはいないようだ。
 視線を合わせ、一度挨拶でもすると、その後もずっとそれをしないといけないので、妻坂はいつもその老人を無視していた。
 しかし、老人はコンタクトしたいのか、手首が少しだけ動く。これは微妙な動きで、これで腕が少し上がれば、手による挨拶になるが、そうなりかけて、ならない。これは相撲の立ち合いと同じで、妻坂が、相手のあたりを受け止める気があるかないかを探っているようで、もしその気配がなさそうなら挨拶のための手ではなく、単に動かしただけの手にいつでも変えられるように逃げ道を作っていたのだ。
 その老人を見かけなくなってから一年になる。その前に十字路の椅子が消えた。その角は一応公道で、花壇の端にある。誰かが置いた椅子だが、多いときは二つあった。消えた理由は分からない。
 その椅子が消える前に老人が消えていた。
 老人が消えた理由は当然分からない。寝たきりではなく、暇さえあれば外に出ていたのだから、まだまだ達者なのだが、歩き方は遅かった。
 踏切が上がる寸前のように手が上がりかけたのが唯一の接触だった。
 もし老人が亡くなっていた場合、幽霊として登場するとすれば先ず椅子が出るだろう。老人の幽霊ではなく、その前座として椅子が。
 
   了

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2017年11月05日

3433話 私の束子


 黒田はタワシを忘れる。ワタシではない、タワシだ。もうこれで何度目だろう。ワタシのことは常に考えているが、タワシのことなど普段は考えない。日常の中で占めるタワシの領域などたかがしれている。殆どないかもしれないが、黒田は毎日タワシを使っているので、タワシには触れているが、タワシを意識しながらタワシを使っているわけではない。ここはタワシで洗うべきだとか、ここはスポンジだとかの違い程度。
 しかし、タワシの柄が取れた。柄付きのタワシで、石けんに毛の生えたようなのではなく、ドーナツ型。そこに木製の持ち手が付いている。
 長く使っているためか、力を入れすぎたのだろう。これを買ったのは冬場だった。水が冷たいので、タワシを直接掴むよりも、柄の付いている方が楽だと思ったことと、結構狭いところに突っ込めるので、重宝していた。その柄が取れたので、ただの毛の生えたドーナツだ。しかし、接続部に突飛が出ており、ぐっと押すと何とか繋がった。しかし横に擦ると取れる。ここは細かい話だ。それで、この同じタワシを買わないといけないと思うものの、すぐに忘れてしまう。
 それに何とかくっついているので、使えないことはない。買わなくてもまだいけるので緊急性がない。
 しかし、そのタワシ、同じところばかりで擦っているので、尖った感じがなくなってきた。それに汚れもひどい。皿は洗うがタワシを洗うことは希。タワシを洗うにはタワシがいる。だからもう一つタワシがいるが、タワシをタワシで擦っても、あまり意味はないだろう。それよりも指で直接洗った方がよい。問題はもう色が変わり、汚らしいタワシになっていることだ。フライパンなどを洗うとき、このタワシを多用していた。スポンジでは浸みすぎて、汚れが付く。タワシは尖った植物の棘のようなもの。だから間に挟まることはあるが、汚れが付着しにくい。
 その日は百均で食器を買ったのだが、いいところまで来ていたのだ。一寸思い出せば、数歩の距離でタワシがある。買ったのは長い箸で、炒め物をしていると、短いと熱いためだ。それと距離を置いた方が油が飛んだとき、ダメージは少ない。
 長い箸を買うつもりで、百均へ来た。なぜタワシではないのか。なぜタワシのことを思い出さないのか、それが不思議。やはりそれはタワシのためだろう。
 これはタワシという言葉がいけない。響きが。たかがタワシなのだ。
 タワシとかタニシとかは、何か間の抜けた印象がある。タニシのような目とか。
 その後も黒田は黒く汚れたそのタワシを使い続け、力むと柄が取れる度に買わないといけないと思うものの、外出時、そのことを思い出すことはない。あるとすればタワシが並んでいる前を通ったときだろう。このとき気付くはず。思い出すはず。しかしその機会は滅多にない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

3432話 町に引き籠もる人


 疋田は引き籠もりではないが、町に籠もっている。自転車で三十分以内で行ける範囲だ。これは結構広い。日常的な用事で出ているだけではなく、少し寄り道をし、散歩をしたり買い物に出たり、秋になれば街路樹で紅葉を楽しむ。モミジではなく、殆どが桜の紅葉だが。モミジもたまに見る。人の家の庭木の中にある。それをじっと見ているわけにはいかないので、通りしなにチラリと見る程度。これで紅葉狩りに行かなくてもいい。松茸もたまに見る。八百屋の店先を通ったときに。もっとも山へ松茸狩りに行くことなど先ずないし、またそんな場所もないだろう。あったとしても入ってはいけない松茸山だ。しかし入り込んでもすぐには松茸など見付からない。
 八百屋のキノコ類だけではなく、生えているキノコも街中にはある。だからそれも見ているので、里山へ行く必要はない。
 しかし、この町内から外へ出る機会が減っているためか、電車に乗っての外出は滅多にない。それが気になるので、たまには出掛けようと思うのだが、用事がない。用事の殆どは町内でやってしまえるためだ。昔なら都会に出ないと置いていないような品も、郊外に進出しているし、それ以前にネットで買ってしまえる。こちらの方が都会に出て買うよりも早かったりする。
 そのため出掛けたいと思うのは、最近出掛けないため、このあたりで出掛けておいた方がいいと思うのが動機のようなもので、それが用事。
 しかし、そんな動機で以前は出掛けていたのだろうかと考えると、それはない。用事が買い物だったり、映画やイベントだったり、人と会ったりするのが目的だった。今はそういうことはなくなっている。見たい映画もないし、イベントもない。見たいとは思うが、出掛けてまで行くほどのものではない。
 町内に引き籠もるようになったのは定年退職後。趣味はなく、遊び好きでもない。
 たまに用事で大きな都会へ出掛けることもあるが、もう別の役者が舞台に上がっているようで、人が入れ替わり、その人達向けの街に変わっている。そこを行き来している人もやがて卒業し、これもまた入れ替わる。
 昔あったようなものはもうなくなっているが、残っているものもある。それらを懐かしがる遺跡巡りでもいいのだが、わざわざ出掛けてみるようなものではない。
 疋田は数年前、町に出る機会が減ったことを気にし、出掛けてみたことがある。しかしあまりいい思いはしなかった。これは目的もなく出かけたため。今と同じ動機だ。たまには出掛けた方がいいという動機。
 疋田の日常行動範囲の中にお隣の町へと行くバス停や都会へと繋がっている電車の駅が複数ある。その気になれば、さっと乗って行けるのだが、町内の引力が強いためか、飛び出せない。これも用事があれば用事の引力の方が強くなるのですっと出られるのだが。
「用事を作ればいい」
 というのが結論だが、これも出掛けないといけないと思うほどのものが見当たらない。
 疋田の友人は古代史や寺社について興味があるらしく、暇さえあればそういう場所へ出掛けている。いいネタを持っていると、疋田は羨ましく思う。見学会とかがあり、仲間と一緒に回ることもあるらしい。
 疋田もそれに見倣うことにしたのだが、ネタがないので、とってつけたことが自分でも丸見えで、これも真からの動機ではないので、無理だった。
 ただ、彷徨うというのは悪くはないと思っている。フワフワと漂うように出掛け、気の向くまま、風任せで漂流する。
 しかし、それは結構アブない人になる。
 そういうことで、今日も疋田は見慣れた町内をウロウロしている。
 
   了

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2017年11月03日

3431話 心の目で見る


 心眼。これは難しい問題だと竹田は考えた。「心の目で見よ」などとよく言われている。また「心を込めて」とかもある。この心とは何だろう。心に目があるのなら、顔に付いている二つの目は何だろう。
 心眼で見る。これは一眼なのか、二眼なのかの問題ではなさそうだが、心眼について考える場合、どの目を使っているかだ。これは普通の目だろう。いつもの目で物事を見ている、あの目だ。その目は心眼ではないので、心眼について考えるということはどうなのだろう。
「心の目で見よ」という意味を普通の目で見ていることになる。だから視覚的なことだけを差すのではないことは分かるが、目を開けていないと、何も見えなかったりする。やはり五感で観察している。この「見る」というのは視覚がメインだが、それだけではない。
 しかし、心眼ではなく、いつもの目で物事を見ている目で心眼とは何かと考える場合でも、何となくこういうことだろうとは分かる。何も心眼については心眼で見なければ、心眼が分からないわけではない。そして本当に心眼で見てしまった場合は分かるとか分からないとかではなく、ダイレクトに来るのだろう。「よし分かった」ではなく、分かったことさえ意識しないような。
「竹田君、また怪しいことをやっていますねえ」
「あ、はい、心眼について一寸」
「心の目ねえ」
「はい」
「魚の目なら左の足の裏にあるんだがねえ」
「先生、今日はどうかしましたか」
「何がかね」
「柔らかいので」
「そうか」
「いつもなら、そんな研究はやめなさいと言われるところなのに」
「いや、心眼は別ですよ。そんなものないからです。ないものは研究できないでしょ」
「でも、心眼と言われているものが差しているものがあるでしょ」
「ない」
「ああ解答が早いようですが」
「心は否定しませんがね。目はだめです」
「ですから、その目ではなく、心の目ですから」
「じゃ、感じるということでしょ」
「そうです」
「それがそもそも心眼から離れた証拠です。もし心眼で物事を見た場合、感じもしないでしょ」
「感じないのですか。じゃ、心眼で見たことさえ分からない」
「そうです」
「それは何ですか。研究はできないとおっしゃりながら、先生はかなり研究されたようですが」
「じゃ、結論を先に言おう」
「はい」
「戻りなさい」
「え」
「産まれたばかりの頃は無理ですが、幼い子供が実は心眼で見ているのです」
「方角が分かりました。真っ白な気持ちで」
「だから、無理でしょ。研究したとしても、活かせません。それを活かそうとするのは大人ですからね。そして心眼を開いた場合、幼い子供状態になったのと同じですよ。大人から見れば幼稚なことをやっているとしか見られませんからね」
「はあ、それはパラドックスだ」
「心眼とは情報じゃないのです。まあ、それでも赤ちゃんでも特定の気候や、特定の文化の中で産まれるわけですし、両親から引き継いだものも持っているわけですから、白紙というわけじゃありません。だから、元々心眼で見よ、などは無理な話なのです。一番それに近いのが赤ちゃんですがね。しかもまだ言葉を知らない。だから何語でも喋れるようになるのですが」
「今の話で、目からうろこが落ちました」
「昨日も落としていたよ」
「はい」
「一体君は、何枚目のうろこがあるんだ。それでよく見えるねえ」
「ポロポロ落ちますが、うろこは一枚です。すぐにまたうろこができます」
「あ、そう」
「まあ、そのうろこを磨くことでしょ。そのうろこが保護になっているのです。もし心の目で全てが見えてしまうと、これは周囲が困り、君はもう生活ができなくなります」
「大事ですねえ。目のうろこ」
「だから私も足の裏の魚の目はそのままにしています。取れるときはころりと落ちるのです」
「じゃ、心眼で歩くようなものですね」
「痛みがなくなりますが、元に戻っただけですから、特にいうほどのことじゃありません」
「じゃ、心眼を開く必要はないのですね」
「君は開くつもりだったのかね。学者は研究するだけでいい」
「あ、はい」
「だから、この研究はやめなさいと言ったのです」
「はい、分かりました」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:04| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

3430話 落ち穂


「落ち穂ってご存じですか」
「落ち葉ですか」
「いえ、ぼ です。田んぼの ボ」
「はあ」
「オチバではなくオチボ」
「何ですか。その落ち穂って」
「田んぼが終わった、つまり稲刈りが終わった後、落ちてしまった稲の穂です」
「そんなことを話題にする人はいるのでしょうか」
「いるでしょ、広い世の中なら」
「でも、落ち葉拾いは聞きますが、落ち穂拾いは聞きません」
「人ではなく、雀や鳩、鴉なども、稲刈り後の落ち穂拾いをやっています」
「はあ」
「だから里の鳥にとっては話題になっているでしょうねえ。あっちの田んぼは落ち穂が多いとか、あそこの田んぼは落ち穂の山があるとか」
「籾殻じゃないのですか」
「籾殻の中にも、実が残っているのがあるはずです。突いてみないと分からないので、これは確実性がありませんがね。そこから探し出す鳥もいますよ。まあ、殻だけでもいいんじゃないですか。一番いいのは実の入ったものですが。最近は機械ですが、刈ると同時に脱穀。そのとき鳥が集まってくる。機械の後ろから付いてくるようにね。刈るとき、機械でも落ちるんですよ。だからそれを拾う。雀などは人間との間に一定の距離を置くものですが、この日は実入りが多いので、かなり近くに来ますよ。まあ、雀に餌を毎日のようにやっていると、徐々に距離が近付きますがね。近くまで来ます。雀は実は飼えるのですよ。しかし、雛からじゃないと無理ですが、それを言い出すと、殆どの鳥は雛からなら懐くものです」
「最初に触れた動くものを親だと思うわけですね」
「そう言われていますがね」
「違うのですか」
「それは雛じゃないから私には分かりません。鳥など飼ってことはありませんからね」
「しかし、落ち穂など話題にしている人など少ないでしょ。なぜ、今、落ち穂なのですか」
「今がその季節のためです」
「まったく使う機会のない言葉です」
「農家なら使うでしょ。落ち穂は」
「でも、落ち葉か何かを拾っている名画はありますねえ」
「山じゃなく、農地で拾うのがいいのです。落ち葉拾いもありますが、落ち葉など拾っても仕方がありませんからね。実入りにならない。まあ、葉っぱの需要があるかもしれません。餅などを葉で包みますからね。桜餅とか柏餅とか料理の飾りとかね。しかし拾うというより、あれは地面に落ちた瞬間はいいのですが、すぐに汚れますから、まだ枝に付いているのをむしるのでしょうかねえ」
「はあ、あまり興味はありませんが」
「昔は落ち穂をそのままにしていたらしいですよ。鳥じゃなく、人が拾いに来るのです。きっと貧しい人でしょ。その人達のために落ち穂はそのままにしていたとか」
「お話しが日常から離れすぎて」
「そうですなあ。私も落ち穂のようなものです。だから親しみがある。落ち武者のようなものです」
「はい」
「この季節は落葉の季節。落ちる季節です。落ちるというのは哀愁があります。都落ちとかもね」
「で、このお話の落ちは」
「いや、最初から落ちていたので、これ以上落とせません」
「あ、そう」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

3429話 ねじ式


 人は時により、何かにねじ込んでいくことがある。
 白木は昼食後、散歩に出ることを日課にしているが、今日は台風で出掛けるかどうか、迷っている。こんなものは考える必要はない。台風の風と雨ではのんびり散歩などしている場合ではないだろう。非常事態ではないが、散歩は似合わない。
 しかし白木の散歩とは喫茶店へ行くことで、そこまでの道を散歩コースとしていた。だから目的地があり、そのメインは喫茶店でコーヒーを飲むことだ。ただ、コーヒーが好きなわけではない。喫茶店という場が好きなのだろう。それと仕事の殆どは喫茶店でやっている。だから単なる散歩ではなく、出勤なのだ。そのため、その道中は通勤ということになる。
 台風なのに呑気に散歩などしている場合というより、これは大事なお勤めなのだ。
 部屋ではくつろぎ、仕事もするが、雑用のようなもの。部屋のパソコンよりも、ノートパソコンを使うことの方が多い。
 一昔前話題になったノマド。ただ住宅地の中の喫茶店を回るので、あまり都会的ではないし、いつも決まった店なので、放浪しているわけではない。固定したノマドだ。
 しかし、この風ではいつもの店へは行けない。それなりに遠い。そこは昼食後に行く店で、これは固定している。昼はこの店でないと落ち着かない。そういう癖が付いている。ところが風雨は並ではなく、傘を立てるだけでも一杯一杯。これでは流石に行けない。
 そういう日のために、すぐ近くにある喫茶店を取ってある。これは普段行かない。値段が高いのが理由だ。日に何軒も入るので、高い店は無理。
 しかし、台風の日は別。そのために近いのに行かないで取っておいた。
 白木はどの程度の風雨なら自転車に乗れるかを知っている。風の音が高音だと、これはもう外には出られない。
 余程きつければ引き返すつもりで、近所の店へ向かったのだが、意外と風が強い。向かい風で傘を盾のように構えるので余計にペダルが重い。それといきなり風向きが変わり、傘の内側に風が入り込む。これは危険な状態で、それを片手で支えるのだが、指が痛い。強く握りすぎると引きちぎられるような感覚になる。そして前方が見えない。
 たまに確認のため、傘のお辞儀をやめるが、目の前に車がいたりする。通過するまで待っていてくれたようだ。台風も怖いが車も怖い。それに自転車は自動車から見ると貧乏臭く見える。野ざらしに近い状態と、応接室から外を見ている状態の違いがある。
 店は近いといっても向かい風なのでなかなか到着しない。風を避けるため、住宅地の狭い道に入り込むと、家々の谷間に入るのか、風よけになる。少し遠回りになるが、走りやすい。
 その狭い道がさらに狭くなってきた。近所なので、この辺りはよく知っている場所。しかし日常的に毎日のように通っている場所ではない。近くても馴染みのない町内、用がない場所は、いくら近くてもそんなものだろう。
 やがて風が弱まり、雨も小雨になる。そんなわけがない。台風は近付いている。これなら通過したときの状態。台風は夜に通過するはず。いくらスピードが上がったとしても早すぎる。それにスピードの変化も予測しての予報なので、間違いは少ない。
 それは分かっているのだが、風雨が弱まり、穏やかになっていくのはいいことだ。これはおかしいとは思いながら、既に人がすれ違えないほどの細い路地、いや隙間のようなところを自転車で走っていた。もしかして、この狭さで風の影響を受けないのかと、それも考えたが、雨はやみかけているのは事実。それに台風のあの風の音がしなくなっている。
 やがて、自転車のハンドル幅では通れないほど狭くなり、その先を見ると、体を横にしないと通れない。
 こんな町が近くにあるはずはない。
 白木は訳の分からないまま、自転車を置き、その狭いところへ体をねじ込んでいった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする