2017年12月31日

3489話 招かざる客


 暮れの押し迫った頃、貧乏神がやってきた。招かざる客だが、他に客はいない。本村は友達がいないので、客も来ない。年賀状は一通だけ来る。郵便局からだ。これは触れば分かる。薄い。
「今年はどうですかな」
「何を聞きに来た」
「今年は越せそうかと聞いておる」
「君が来なければ越せる」
「ほう、それは何より、それじゃわしの出番がない」
「だから、君が来るから越せないのだ。来ただけで、もう駄目だ。越せそうにない」
「わしは何もしておらんぞ。それよりも心配になって様子を見に来たほど。親切な貧乏神だとは思わんかね」
「思っているのなら、来ないで欲しい。越せるものも越せなくなる」
「じゃ、どうすればいい。越せそうにない年に来ればいいのか」
「その方がましだ。どうせ越せないのだったら貧乏神が来ても同じこと。一つ貧乏が増えても、もう大した違いはない。越せないのだからな」
「毎年越せなかったのじゃないか」
「だから、君が来るからだ。そこを理解しろ」
「そう言わず来させてくれ、来るのは年の瀬だけ。年に一度の初詣じゃ」
「詣でなくてもいい」
「いや、貧乏神の間では、君の貧乏には味があると言って、参りに来るやつもおるが、わしが止めておる」
「それはいいことだ。何人もの貧乏神に来られたのでは被害が大きい」
「貧乏でいる方がいいぞ」
「何を言い出すのだ」
「だから、君に幸せをやるため、毎年来て貧乏を与えているんだ。プレゼントじゃ。サンタのようなものじゃ」
「何が幸せだ」
「貧乏の方が幸せだということがまだ分からんのか」
「そうか」
「隣の木下さんの家は火の車じゃ」
「え」
「だから、お隣の木下さん」
「金持ちの家だ」
「あそこは毎年福の神が来ておる。だから不幸が続いておるだろ」
「そうだなあ。もめ事が絶えないようで、喧嘩する声が聞こえてくる」
「福の神が来たからじゃ。毎年な。福の神は火宅をもたらす」
「福をもらっているのにか」
「だから災難を招く」
「うむ」
「だから感謝しなされ。こうして来てやっているんだから、邪険にするでない」
「ああ分かった。毎年なので、もう慣れた」
「ところで、今年は年を越せるといったのう」
「そうだ」
「いいことがあったのかな」
「うむ」
「それで無事に年が越せると」
「始まったな」
「何も始めない。聞いておるだけじゃ」
「平穏に越せる。余裕を持って」
「それはいけない。じゃ、一つプレゼントをして帰るとするか」
「覚悟はしている」
 貧乏神が帰ったあと、物入りになり、余裕どころか、マイナスになった。無事に年を越せなかった。
 本村はカップそばだけの夕食で年越しをし、百均のガムのような餅で雑煮を作り、新年を迎えた。
 本来なら大きな天ぷらの海老が乗っている年越しそばを食べ、朝は予約していた五段組のおせち料理と目玉の飛び出した大きな鯛で元旦を迎えるはずだった。
 
   了

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2017年12月30日

3488話 一日一善


 一日一膳では茶碗に一杯なので腹が減るが、佐々木は一日一善を続けていた。しかし、よいことをしているはずだが、そうでないことも多くあり、また気付いていないが、逆に悪いことや、悪い結果へと導いていることもある。
 人が道を渡ろうとしていると、さっと車を止め、さあ、どうぞと合図するのはいいが、対抗車線から車が来ていると、これは事故になる。
 止まってくれた車のためにも、渡ろうとする。せっかくの善意を無駄にしたくない。右は大丈夫だが、道の中程に来たとき、左から車が迫っている。対向車線の車と息が合わなかったのだろう。または見えていない。
 大概はひやりとする程度だが、善意が善意ではなくなってしまう。これは結果で、対向車も止まってくれるか、いなければ、いいドライバーだ。
 これは悪い例だが、それに近いことを、佐々木もやっていたことに気付く。助けなくてもいいものを助け、物事がうやむやになったりとか、善意がただのお節介になったり、善意を受けた側が借りを感じ、それが負担になったり。いずれもいいことをしているのだが、そういう面もあるということに、佐々木は気付いた。
 だったら逆に一日一悪でもいいのではないかとまでは思わないが、どうも自己満足に近いことが分かりだした。そして一日一善を守るため、善意を使う場所を強引に探したりした。一善を果たせなければ、続かなかったとなる。そして、一日一善だけで、二善はなかったりする。この二善目こそ、本当に必要な手助けだったのかもしれないのだが、そこはスルーする。一日一善だから、一善のみ。
 これは佐々木に問題がある。職業がら、悪人のようなことをしないといけない。嫌われる役だ。仕事なので仕方がない。それで、バランスを取るため、一日一善を実行していたのだろう。
 親が死んでも泣かないが、人の善意が身に染み、泣くことがある。命中した善意だ。ただ、そういうとき、助けてくれた人は決して善意だとは思っていないかもしれない。
 また職業がら感謝され続けている人は、たまに悪いことをしてバランスを取るというわけではないが。
 正義の味方として、人を助け、立ち去ったその人は、助けた人とはもう二度と会いたくなかったりする。
 佐々木は逆に、助けた人と何度も会いたい。これは恩に着せるタイプで、何度も礼を言われるのが嬉しいのだろう。そして言ってもらいたい。
 一日一善を続けていた頃は、善が必要なことでもパスすることがあった。大きい目の善の力が必要で、負担が大きすぎるため。それで、こなせそうな善が来るまで待ち、安い目の善でノルマを果たした。
 そんなことが色々とあり、佐々木は一日一善をやめた。そのきっかけとなったのは「善の研究」という少し前の日本の哲学者の書いた本を読んでから。「禅の研究」ではないが、純粋さとは何かというような話。これ自体が禅問答のようなものだが、純粋感覚とか純粋経験というものに興味を持った。いったいどういう経験の仕方が純粋経験なのか、これは分からなかった。そして純粋理性。概念ではあるが、実際には存在しなのか、はたまた普通にやっていることなのかの判別が付かない。善の研究を読んでも、善とは何かが分からなかった。そういう本ではないのだろう。
 佐々木の一日一善には純粋さがない。決め事なのでやっていただけ。しかし感謝されると嬉しいので、続いたのだろう。そして気持ちがいい。これが果たして純粋経験だろうか。
 また純粋さの怖さもある。それで佐々木は、こういうことはうかつに手を出さない方がいいと思い、手を引いた。
 
   了

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2017年12月29日

3487話 陽だまりの幽霊


「昔からの友達。若い頃からの友達でね。長い付き合いだ。しかし、それだけ長いと引っ越しなどをやる。彼は大都会へ行ってしまった。これがへんぴな場所なら寄る機会はないが、大都会ならたまに用がある。数年に一度はね。しかし彼は大都会に住んでいるわけじゃない。そこからかなり離れたところ。離れすぎのためか、のどかなところでね。まあ、ホテル代が浮くので、いつも定宿にしていたよ」
「怪談なのですが」
「今、話しているじゃないか」
「出てきませんが」
「このあとじゃ」
「はい」
「あれは何の用事で行ったのかは思い出したくないが、彼の住むぼろアパートに泊まったのだが、そこでどんな話をしたのかは、もう忘れたが」
「まさか幽霊も忘れましたか」
「それは今から順に話すところじゃ」
「はい」
「彼も当然働いていたので、平日ということもあって、朝から仕事に行ったよ。私は用がまだあるので、二三にここにいるつもり。用事は昼からなので、午前中はすることがない。それで近くを探索することにした」
「はい、来ますね」
「田んぼはないが畑が残っておってね。緑も豊かだ。林があったり、神社があったりで、知らない場所を歩くのは結構楽しい」
「はい」
「さて、ここからだ」
「出ますね」
「何が」
「幽霊」
「それよりも冬なのに暖かい」
「生暖かい風がスーとですね。お寺の鐘がボーンと」
「それは古典的怪談だろ」
「定番です」
「気持ちがよくなってきてねえ。小春日和というやつだよ。風もなく、ぽかぽかと暖かい。歩きながらうっとしてきたよ。寝はしないがね」
「はい」
「昔はあぜ道だった場所だろうねえ。細い道に入っていくと、手頃な石がある。座れるようなね。畑の横だ。農具なんかが横にある。そこに腰を下ろして、今までのことを考えていた。これからどうすべきかとね。用で来たのは仕事だ。将来のため、一寸した下調べだ。私でもやっていけるかどうかを確認するため。しかし、これは冒険でねえ。彼を見ていると地味にやっておる。昔と変わっていない。地味とは地に足が付いたような感じだろうかねえ。彼には土の臭いがする。彼の実家は農家だからそう思うだけかもしれないが」
「出ませんよ」
「それでいいあんばいなので、うとうとしてきた。猫や犬でもしっかりと座っていながら、身体が微妙に動くだろ。眠いのだ。そのまま寝てしまいそうになるのを我慢して、しっかりと座っている。これは邪魔するものがなければ時間の問題で、そのうち横になる。徐々に姿勢を変えていくんだ。段階的にね」
「はい」
「このときのことをよく思い出すんだ。日当たりのいいのんびりとした場所で、ひなたぼっこをしながらうとうとし始める。これは一種の恍惚、至福だよ。決して幸せなことなど起こっていないのにね」
「もう駄目ですねえ」
「何が」
「幽霊が出るタイミングが見当たりません。日差しもあり、陽気なんですから」
「ああ、そうだったか」
「それで、このあと本当に幽霊が出るのですか」
「ずっと出ておるじゃないか」
「え」
「私が幽霊だ」
「それは昔の話でしょ。まさか幽霊になってお友達のところへ行ったわけじゃないでしょ」
「そうなんだがね。そのときの私は幽霊のようなものだった」
「はあ」
「さまよっていたのだよ。大都会を」
「はあ」
「大都会の中を走り回ったが、雲を掴むような話でねえ。思っていたような仕事じゃなかった。だから、来ただけ無駄だった」
「そのお友達はどうなりました」
「数年後、戻ってきたよ。しかし、もう人が変わったようになっていた。昔の彼とは違っていてねえ。大都会で何かあったんだろうねえ。その後、会う機会も減り、いつの間にか繋がりが切れた」
「怪談ではなかったようですねえ」
「いや、あのときのことを思うと、そこで滞在した時間が、今では別世界のように感じられる」
「とりとめのない話ですねえ」
「そうだね」
 
   了

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2017年12月28日

3486話 本領発揮


 本領発揮とか真骨頂とかは最初から直ぐに出るものではない。この状態というのは状況が揃わないと出ない。
 本領というのは字からすると、自分の領地。自分の縄張り、馴染んだ世界、元々の世界と解釈すれば、なかなかそういう状態にはならないもの。それなりに負荷がかかり、条件が違ってくる。当然本人のコンディションや、心理も作用する。本来の自分の実力で戦えば満点なのだが、そうはいかない。本領を発揮する前にやられてしまうか、または実力を出せないように、相手も考えているだろう。
「今回も本領を発揮できず。また私らしい真骨頂も見せられませんでした」
「あ、そう」
「本当の力で勝負したかったのです」
「それはやめた方がいい」
「どうしてですか、力を出し切れないで終わるのはいやです」
「いや、君の場合、本領を発揮しても大したことはありません」
「そうなんですか」
「これはねえ、ものすごく力のある実力者が言うことなのです」
「でも最善を尽くしたいと思います」
「では君の本領とは何かね。真骨頂とは何かね」
「さあ」
「そうでしょ。ないのですよ。言うほどのものが」
「ああ」
「並外れた、抜きんでた、特出した、そういったものが見当たりません」
「じゃ、元々持っている私の力は弱いということですか」
「そうです」
「創意工夫は常々心がけ、コンディションもいい状態で臨んでいるのですがねえ」
「そうですねえ。残念ですねえ」
「何とかなりませんか」
「そうですねえ」
「考えてください、コーチでしょ」
「なくはない」
「ありますか。それ下さい」
「やけくそになりなさい」
「焼け糞」
「君が思っている自分の本領というのは間違っている可能性があります」
「じゃ、私の本領はどんな感じだと思われますか」
「だからそれが分からない。君にも分からないと思う」
「はい」
「だから投げやりになりなさい。やけくそになりなさい」
「そんなこと、したことありません」
「君の真摯さは分かりますが、違っていたりしますよ」
「では、やけくそとは?」
「開き直りなさい。もう細かいことは考えないで、小細工しないで、自分をコントロールしないで」
「それでいいのですか」
「とっさに何かやるはずです。おそらくそれが本領かと」
「やってみます」
 しかし、結果はさんざんだった。これがこの人の本領で真骨頂だろう。
 しかし、何かを得たようで、何かを見いだした。開き直ってやっているとき、そのヒントを得た。
 本領とは最初から備わっていないのかもしれない。
 
   了
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2017年12月27日

3485話 急がば回れ


「急がば回れと言うが、回りすぎたようだ」
「はい」
「これは確信犯だな」
「え」
「急ぐ気がないのだ」
「回り込みすぎましたか」
「遠回りしすぎた」
「より」
「どうした」
「より、急がば回れで、いいのではないでしょうか」
「しょうか、しかし程がある」
「はい」
「遠回りしすぎたため、もう過ぎたのかもしれん」
「そうですねえ」
「だから、もう目的は果たしたのじゃ」
「しかし、目的場所には行ってません」
「その目的地から先にある目的地に向かっている」
「方角は合っていますか」
「分からんが」
「大丈夫ですか」
「見当は付いておる」
「しかし、引き返して目的地へ戻りましょう」
「いや、あの目的地は、とりあえずの場所でな。まずそこへ出て、さらに先へ進む。だから本当の目的地じゃないのじゃよ」
「では本当の目的は何処ですか」
「最初の目的地の先じゃ。だからその見当で進んでおる」
「しかし、あそこは集合場所です。まずはそこに集まって」
「ああ、遅れたことにすればいい」
「じゃ、向かいましょう」
「急ぐことはない。急がば回れじゃ」
「また回りますか。一周して元の場所に戻ってしまいますよ」
「出発点にか」
「そうです」
「それもいい」
「はあ」
「本当の目的地は帰還すること。戻ってくるのが最終目的。だから間違っていない」
「しかし、ウロウロしているだけで、何もしていませんよ。仲間の部隊は戦っていると思います」
「遊軍ということにしよう」
「そんな命は受けていません」
「今頃どうなっておるか分からん」
「戦いですか」
「そうだ。負けて敗走中かもしれん。だったら、目的地は出発点になるので、合っておる」
「でも撤退中の部隊と合流するのは危険です。敵は今だとばかり挑んできます。弱っているところを狙って」
「だから、回り込もう」
「はい」
「あれは何だ」
「何処です」
「あそこに幕や幟が」
「あの馬印は敵の総大将」
「逃げるぞ」
「いえいえ、敵陣の後ろに付いたようです。今襲えば、奇襲」
「おお。そうじゃな」
 仲間は総崩れし、それを敵軍が追撃していた。そのため、敵の本陣はガラガラ。
 急がば回れは当たっていたようで、一気に襲い、残っていた敵の大将を討ち取った。
 うろうろもしてみるものだ。
 
   了


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2017年12月26日

3484話 靴紐


 小川は玄関で靴の紐を結んでいる。冬の初め頃寒くなってきたので以前から欲しかったくるぶしまで隠れるタイプを買った。これは偶然だ。靴屋がバーゲンイベントで出店を出していた。どうせ安い物ばかりだろうと思っていたのだが、高いのも混ざっていた。その中に欲しいと思っているブランドものと偶然出合ったのだ。靴屋で探しても見つからないような、イメージ通りのデザインの靴だった。
 しかしいつも履いているようなスニーカータイプの紐靴は軽く結んでいればすっと履ける。脱ぐときもそうだ。
 それを考えると深いタイプは少し面倒かな、と思いながらも、くるぶしまで隠れるので、その分暖かい。ちょうどズボンと靴の間の隙間が、それで埋まったような感じ。
 その日も出掛けるため、紐を結んでいた。いちいちしゃがまないといけないし、目をつむっていても紐は結べるが、さっと出られない。しかし、紐を結ぶことで、気合いが入ったりする。だから、悪くはない。
 それで、自転車に乗り、角を曲がったところで、ポケットから煙草を取りだそうとした。いつもその角で煙草を出す。しかし、ない。
 忘れたのだ。その日、外出するのは三回目。二回目のとき、煙草とライターを忘れた。今と同じようにポケットに入っていなかった。幸い鞄にライターの予備が入っていたので、途中のコンビニで買うことで、クリアーしたのだが、少し寄り道になった。
「またかい」
 それが今日は二回続いたことになる。それでまたコンビニへ寄らないといけないが、今回はライターの予備は鞄にはない。
 それで、引き返すことにした。角は近いので直ぐに戻れる。忘れ物をして戻ることが結構あるので珍しいことではない。
 そしてドアを開け、上がろうとしたが、靴が脱げない。緩めないと無理だ。そのまま土足で上がってもいいのだが、流石にそれは文化が許さない。これはしてはいけないタブーのようなもの。
 そのとき、緩めないと脱げない深い目の紐靴が、少し面倒になったが、まだ気に入っているので、紐を緩めた。そして、いつものテーブルに置いてあった煙草とライターをポケットに入れ、また靴紐を結び、先ほどと同じように自転車に乗り、あの角まで来た。当然そこで止まり、煙草を取り出す。ポケットに入れたのだから、ないわけがない。なければ手品になる。
 時間にして五分もかかっていない。数分のずれ。このずれが影響するようなことはない。約束があったとしても二三分遅れる程度。自転車なので、急げば取り戻せる。そして今は人に合いに行くわけではなく、ただの買い物なので、多少早くても遅くても問題はない。
 角を出たとき、前方に大きい目の道路がある。ここは車がそれなりに走っている。左側から車が一台迫ってきた。白い普通車だ。もし煙草を忘れなければ、その白い自動車を見ることはなかったはず。おそらく数分前は、もっと遠くにいたはず。
 時計で計ったわけではないが、三分少し、ずれているようだ。問題はないので、気にしていないが、一寸妙な気がしてきた。これは気のせいで、何かが起こったわけではない。想像しただけのこと。
 その道路を渡ると見晴らしのいい道に出る。道は細いが彼方まで見える。車はほとんど通っていない。
「三分」
 それが気になる。もし煙草を取りに戻らなければ、三分先を走っていたはず。小川はゆっくりと走るタイプだが、三分あれば結構先まで行っているはず。住宅が少し途切れ、畑があり、その先に小さな橋がある。そのあたりまで行っているだろう。
 そう思って見ていると、橋を今まさに渡ろうとしている自転車がある。それが自分の後ろ姿であるはずはないが、もし煙草を忘れなければ、あの自転車の前後を走っていたはず。
 そのあと、買い物をしているときも、三分先の自分を想像してみた。横で品物を見ている人がいる。三分前なら、その人はいなかったかもしれない。
 レジで並ぶときも、三分前なら、もうレジを済ませて店を出ていたはず。
 そして買い物を済ませ、少し暗くなった道を戻り、家の前まで来た。自転車のライトが黒い影を捕らえた。さっと走り去っていった。チラシ配りだろうと思い、ポストを見るが、何も入っていない。
 通りを見るが、もう人影はない。
 三分遅れと関係するのかもしれない。本来なら三分前にドアを開けている。これは見てはいけないものを見たのだろうか。
 そして靴脱ぎで紐を緩め、部屋に入る。
 特に変わった様子はない。
 気のせいだろう。
 
   了

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2017年12月25日

3483話 入川の糸迷路


 入川の町は川の本流から出ている支流沿いにある町だが、昔は田んぼだけがあった場所。村の外れにあり、川が氾濫したとき、田んぼは全滅し、その後、やる気を失ったのか、そのまま放置した。
 米より布がいいということで機織り職人を呼んで住まわせた。それがいつの間にか機織りの町になってしまう。村からすると、氾濫で駄目になった場所なので、入川と呼んだ。今は支流となり、川は二つに分かれたためか、氾濫は減ったようだ。その気になれば田んぼに戻せるのだが、その気がなかったのだろう。
 だから入川は村ではなく、町。機織り職人の町だが、それに関わる人達も住み着き、取引で来る商人も多くなり、宿屋もでき、店も多く、悪所もできた。入川とは立花村から見た呼び名だが、入川町として独立している。立花村内にある入川だが、いつの間にか入川の方が栄え、立花村そのものを飲み込み、周辺の村もいくつか入川町に組み込まれた。最近はその入川町も昔ほどの勢いはなくなり、隣接する市と合併されるらしい。
 長い説明だが、話はその入川の路地。既に機織りの町は昔の話で、今はかなり遠くなるがベッドタウン。しかし、機織り小屋は紡績工場になったのだが、それも廃れ、古い町屋跡が残っている程度。
 機織りの町として多くの職人が住み着いたのだが、その家の建て方が乱暴で、まっすぐな道が少なく、細い路地が不規則に網の目のように伸びている。そこには遊郭跡などもある。これが入川の中心部だが、住宅地になってからは、扇を開いたように広がり、元の町屋などがあった場所が狭く見えるほど。
 この路地はその手の好事家は糸の路地と呼び、細くて迷路のようなので、入川の糸ダンジョンという人もいる。
 ドーナツ化現象ではないが、中心部の町屋跡は寂れ、空き家が多い。町屋は今も残っているのだが、店屋が並んでいるわけではない。入川のど真ん中だけがゴーストタウン化している。近くに駅はなく、幹線道路は走っているが、中央部から離れたところにある。だから入川に家を建てたり、買った人は中央部には用がないため、ますます寂れた。
 しかし、遊郭跡はそのまま残っている。戦後は別のやり方で残っているらしく、今も続いているらしい。店屋らしきものは何もないのだが、小さな料理屋が並んでいる。その手の人達にとっては糸ダンジョンよりも有名だ。
 料理屋といっても、そこで本当に料理を食べる人は希で、そういう店ではないことが分かっているので、間違いはない。
 しかし、糸ダンジョンを楽しむため、入川の迷路抜けをしている人が、たまに入ってしまうことがある。路地の中に食堂があると勘違いしたのだろう。料理屋は二階建てで、のれんはない。どの店の間口も狭いので大衆食堂かと思い、がらっと開けると、ただの土間。椅子がぽつんとあったりする。テーブルもない。店ではないことがそのとき分かる。横の部屋から婆さんが出てきて「まだ早い」と言って奥へ引っ込む。
 仕掛けは簡単で、本当に料理を食べに来る人はいないのだが、一応品書きはある。出前で何とかしているようだ。料理屋なのに、料理は出前で取っているのだから、妙な話だが、別の場所で調理して持ってきてもかまわない。飲み物は出せる。
 料亭なのでお座敷がある。それが二階の小部屋。お運びさんが二階の客間に運ぶのだが、あとは客とお運びさんが偶然気が合い、プライベートな交際になったということにしている。だから遊郭ではない。料理屋で偶然知り合った二人。しかしほぼ百パーセントその偶然の遭遇になる。
 入川の路地裏、うかつに糸ダンジョン抜けを楽しんでいると、こういう魔境が現れるようだ。ただモンスターのようなお運びさんが階段を上がってくることもある。だから秘境、魔界とも繋がっている。
 入川の謂われとなった支流の川だが、遊郭跡のすぐ裏を流れている。ここが町屋時代一番奥になる場所で、その土手から町を見渡せる。
 
   了

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2017年12月24日

3482話 平賀の森の石組み


 平賀の森というのがある。平地の森ではなく、山の中。そのためただ単に木が生い茂る場所なのだが、そこは原生林。直ぐ近くの山々はほぼ植林で、杉ばかりとか、檜ばかりが生えているが、平賀の森は人が入らない。地元の人達といっても、かなり離れた村しかないのだが、言い伝えがある。そんなものはいくら破ってもかまわない。入らずの山や森でも、いくらでも人は踏み込んでいる。
 幸いこの平賀の森は植林以外に利用方法がない。そしてそこへたどり着くまでの道が遠く、伐った木を運ぶのは大変だろう。そんな奥まで来なくても、里から近いところに、いくらでも山があり、事足りている。
 平賀の森は緩やかなV字型の谷間だ。猟師もここまでは入り込まない。言い伝えもあるが、遠すぎるのだ。
 城の天守閣にでも使えそうな巨木もある。しかし運び出すルートが難しい。谷間だが水がない。つまり川がない。平賀の森に一番近い川まで運ぶには相当の人手と時間がかかる。
 人が立ち入らないといっても、入り込む人はいる。猟師が迷い込んだり、ハイカーが入り込むことがある。高い山を踏破するのではなく、こういったまだ木が茂る高さの山を見て回る山登りもある。山周りと言ってもいい。
 航空写真で平賀の森を見ることはできるが、逆に上からでは樹木の頭しか見えない。何かのセンサーを積んでおれば、別だろうが。
 言い伝えと関係する何かがそこにある。誰かが住んでいたことは確かで、人工的な石組みがある。こんな山奥で城や砦などは建てないだろう。
 高い山より、樹木で覆われたこういった山の方が目立たない。
 山賊の住みかにしては、里が遠すぎ、便が悪い。ここへたどり着くまで時間がかかりすぎる。隠れ家にはふさわしいが、利便性が悪すぎる。
 言い伝えはよくある話で、国があったようだ。古代の国。卑弥呼の時代よりもっと古い。縄文時代をさらに遡るのではないかと言われているが、これは勝手に言っているだけで、眉唾物だろう。
 先住民のようなものだが、その人達も何処かから渡って来たのだろうか。里の人達は地元の人達だが、千年も辿れない。しかし、数百年続けば、地の人達になるが、それでも入れ替わることが多いはず。
 言い伝えはそれだけで、いにしえの人の国だから、よそ者は入ってはいけないというだけ。地元の人も、ここではよそ者。これは遠すぎるためだろう。せいぜい里山あたりまでが縄張りで、そこから先のさらに先にある平賀の森など、もう異国だ。
 平賀の森に入り込む人は、そのほかにも野生動物を研究している人や、植物や地形や地質の専門家程度。これはハイカーのような遊びではない。
 それらの人が入り込んでも、別に祟りはない。考古学や古代史に強い人が、その石組みを見ても、それ以上のことは分からないらしい。その辺にある石を使っているためだ。
 山の頂に石が組まれていることがある。これは通信装置だと言われている。また遠くからその石を見たとき、夕日が反射し、何らかの神秘を感じる程度。これは儀式に使われたような説もある。
 しかし、平賀の森の石組みは谷にある。そして石垣でもなく建物の跡でもない。
 結局何も分からないし。古代文明の跡だとする人もいるが、石が人工的に組まれている程度で、組み方は素朴で、そこから年代を推定するのは手間だろう。何のためにそんなことをしたのかは謎のまま。意外と組まれたのは数百年程度前かもしれないが。
 ここは植林されていない国有林で、今は自然林のためか、保存地域に指定されている。
 石組みだけがぽつりとあり、関連するような他のものもないので、孤立した状態なので、それ以上広げる翼はない。
 しかし、里の人がどうして入らずの森と指定しているのかも謎なのだ。どうして知ったのか。村から遙か彼方にあるのに。
 これは猟師達が、古くから、そう感じるところがあったのか、または熊に襲われ等々、悪いことに遭遇することがあったので、それが広がったのかもしれない。石組みの跡と関係なく。
 また、この地方では、悪いことをする子供に「平賀の森に捨てて帰るぞ」とか「平賀の森から鬼が来るぞ」などの迷信も残っている。
 そういった異界が必要だったのかもしれない。
 
   了

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2017年12月23日

3481話 我が家の龍神様


「田村崎ですか。行ってませんなあ、最近」
 村の裏山を越えたところにある渓谷にも家があり、そこを田村崎と呼んでいる。独立した村ではない。もう住んでいる人は一世帯ほど。
「田村さんは生きているのでしょうかなあ」
 田村崎、川が二つに分かれる先端箇所に住む田村家のことだが、この集落は全員田村姓。全員田村さんで、今は本家しか残っていない。そのため、田村さんと言えば当主の老人を差す。この人の子供や孫は、都会へと引っ越した。
「たまには様子を見に行った方がよろしいかと」
 田村老は始終村に来るのだが、最近姿を見かけない。村と田村崎は近い。山一つ向こう。そして大した山ではない。村はずれを流れる川は田村崎近くで渓谷となり、道はない。昔は船で行き来していた。
 そのため、田村老は山を越えてくる。実際にはその方が早いのだ。
「見に行きましょうか」
「そうですなあ」
 田村家は村に馴染まず、裏山の向こうに引っ越した人。田村崎から上流に、少しだけ川岸が広く、山の斜面も穏やかなところがある。わずかな余地だが、田畑が昔あり、そこにも一軒、家があった。そちらに村落を作る予定だったが、川が荒い。田村崎は渓谷にあるのだが、高い場所にあるため、そこの方が安全。田畑まで船でも通えるので、問題はなかった。
 二人の村人。これは世話人のようなものだが、裏山を登り、下を見下ろした。田村崎の先端にある田村本家は古くて大きい。裏山からもよく見える。
 田村老は金銭的には困っていない。そのため野良には出ていない。息子達からの仕送りで十分やっていける。その息子達ももう初老だが。
「どうして出ないのでしょうなあ」
「生まれ育ったふるさとだからでしょう」
「ああなるほど」
 田村家は村八分ではない。本家は元々村内にあったのだが、あの渓谷がよほど気に入ったのか、そこに越した。わざわざ不便なところへ。
 そのため、他の村人との相性が悪かったのではないかと言われているが、そうでもないらしい。
 もし田村老が亡くなれば、長男が田村崎を引き継ぐことになる。つまり、渓谷暮らしをするということだ。本家ごと引っ越せばいいことなのだが、どうしてもそれはできないらしい。
「降りてみましょうか」
「そうですなあ」
 二人は裏山の斜面を下る。ここは手の入った道で、傾斜がきつい場所を避けるように通っている。
 坂を下ると、廃屋が並んでいる。朽ちるままに任せており、草や灌木が半分以上家を飲み込んでいる。その奥の突き出したところに本家がある。村の農家よりも大きく、三階建て。屋根瓦は黒々としており、古くなれば吹き替えているのだろう。
 村からは渓谷が狭く、水しか通れないが、田村崎から上流は川岸が広くなり、田畑があったほど。川沿いに道ができている。それをずっと遡れば、昔の山街道。今の幹線道路にぶつかる。だから、車で田村崎まで入り込める。しかし、車で村からその幹線道路まで出て、そこから細い川沿いの道を走るより、裏山を歩いて超えた方が時間的には早い。
 二人の世話人は本家の門が閉まっているので、呼び鈴を押す。田村家の人しか住んでいない村なのだが、今は一人暮らしの老人がいるだけ。そのため物騒なのだ。その気になれば、いくらでも入り込める。
 田村老が勝手口を開け、庭先の縁側へ案内した。
「村へ戻ってはいかがですかな」
「そう思うのですが、ここは守らないといけないのです」
「龍神様ですか」
「そうです」
 こういう渓谷には、よく水と関係のあるものが祭られている。 
 田村家がここに住み着いたとき、断崖の水際に小さなくぼみがあり、その中に平たい石が入っていた。その辺にあるような石だが、断面が平らで、絵が刻まれていた。鋭い歯が無数あり、尻尾がある。これは龍だろうと思い、龍神さんとして、転んでいたので立てた。小さな穴なので、人は入れない。間口も狭く、奥行きもない。
 自然にできた箱のようなものなので、これを祠のように、格子をはめ込んだ。
 田村家の氏神はよく分からない。先祖をたどっても古くまでは無理で、分かっている先祖でも、その地が出身地でもないようで、西から流れてきたらしい。名家ではないので家系図もない。
 村から独立して、村の離れのようなところに住み着いたわけではないが、村に神社があり、氏神様がいるように、裏山の小さな土地にも、それがあればいいという程度で、この龍神を氏神とした。それを代々祭っている。それは当主の役目で、神主のようなもの。そんな衣装は用意していないが、代を重ねるうちに家族も増え、家も増えた。一寸した村落になったのだ。
「じっちゃん、その氏神様、わしらにも拝ましてくれんかなあ」
 その頃、渓谷の危ないところにあった御神体ともいえるその平たい石は本家の庭に移されていた。危ない場所なので、お参りに行けないためだ。
 それを見た一人の世話人が、「じっちゃん、こりゃ、龍やのうて歯の鋭いサンショウウオじゃ」と言ったので、田村老は驚いた。誰にも見せない御神体の石ではなく、誰も見る気などなかったのだろう。
「いや、サンショウウオやのうて、これはワニと違いますか」
もう一人が言う。
 村人も、滅多にこの渓谷に入り込まない。用がないためだ。
 この川をもう少し遡ったところに、昔の石切場跡や、簡単な古墳が残っている。ただの古代人の墓だ。壺の中に埋葬されている。
 世話人が言ったのは当たっており、ワニが刻まれているのは確か。しかし、ワニなど国内にはいないので、サメかイルカではないかと思うのだが、海からは離れすぎている。
 要するに川の神様としてのワニなのだ。うんと昔、この川は道だったのだろう。つまり川船が行き来していた。また、魚も多くいたのだろう。運航の安全を願って、渓谷の崖沿いに祭っていたのかもしれない。
 しかし、田村家では代々当主が祭司になり、このインドあたりの川から来た異国の神様を祭っていたことになる。田村家の氏神様として。
 田村老がなくなったあと、長男が跡を継いだが、次の代は、もうここへは戻ってこなかった。
 しかし、下流からは入れないが、上流からの道があるため、そこは舗装され、本家屋敷は改築され、何かの施設になった。今でも、表側の村から裏山を越えた方が早いのだが、トンネルを掘ってまで行くような場所ではないため、計画さえなかった。
 そして、あのワニを刻んだ石はどうなったのかというと、庭はそのまま残され、犬小屋のような祠も、そのまま庭園化されたため、古民家風にしっかりと残っている。
 
   了

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2017年12月22日

3480話 町の灯


 村田はむくっと起き出した。地下深くに封印されていたモンスターが千年の眠りから覚めたように。
 寒い季節。外は厳寒。室内も寒いが布団の中は暖かかったようだ。熟睡していた。ものすごく長く寝ていたように思ったが、大したことはない。眠る前の記憶が走り、昼寝だったことが分かる。そのため、何時間も寝入ってはいない。
 しかし、ものすごく深いところから帰還したような気になる。眠っている間、何が起こったのかは分からない。夢さえ見ていない。だから、寒いので、よく寝ていただけのことだ。
 起きると暗い。夕方も過ぎ、もう夜。昼寝にしては長いのだが、昼をかなりすぎてから寝たので、時間的には大したことはない。
 昼寝後行く散歩も、暗いと大層になる。それに寒い。またこれは是が非でもしないといけないものではなく、ただの気晴らし。寒くて暗くなってからでは気晴らしにはならない。
 しかし、日課になっているためか、外に出る準備を始めた。外套とマフラーとニット帽をいつの間にか身につけてしまっている。そして靴紐を締め、ドアを開け、外に出た。
 時間がずれただけなので、問題は何もない。昨日も戻るとき、暗くなっていたのだから、似たようなもの。
 外に出て、いつもの散歩コースへ向かうが、気乗りがしない。足はそちらへ向かっているのだが、頭が付いてこない。この時間から行くには遠いため、もっと短いコースに変えるべきだろう。それでストップがかかり、引き返して反対側へ向かう。その先に神社があり、そこを一回りする程度なら、時間的にもわずか。戻ってから仕事があるので、短いコースの方が都合がいい。多少遅れてもいいのだが、時間がずれ込むのを嫌った。
 神社のある方角は農家などがまだ残っている古い一角。店屋もなく、行く用事もないが、たまに散歩で、入り込むがことがある。
 いつもの散歩は歩くだけではなく、夕食前なので、適当なもを買ったり、外食したりが加わる。散歩と言ってもそれなりに用があるのだ。
 日が暮れたから歩いている人がいる。寒いのにご苦労なことだ。健康とか運動とかリハビリの人だろう。
 しかし、遠くからだとゾンビ歩きに見え、まるでモンスター。そう思って追い越すとき、横顔を覗くのだが、モンスターであるわけがない。そんなものがウロウロしておれば、物騒だろう。
 その人を追い越すと、夜目にも神社の茂みが見えてくる。寂しい場所だが最近の住宅地は明るい。
 今、歩いている小道は参道とまではいかなくても、村道らしく、グニャグニャと曲がりながらも神社へと続いている。結構神社へのアクセスがいい。村道などは神社を中心に八方に伸びているのだろうか。
 大きな村でもないので、神社も小さいが、囲んでいる樹木が広く見せている。
 村田が予定しているコースは神社を右から左へ回り込み、別の村道を通って、戻ってくるというもの。これは三十分少しのコースで、時間的には短い。それに寒いので三十分が限界だろう。
 そして鳥居まで来た。そこから石畳が社殿まで伸びている。暗いが水銀灯があり、鳥居前の小道にも明かりがある。
 お参りする気はないので、鳥居を通り過ぎ、左へ左へと回り込む。そのままだと神社に戻ってしまうので、適当なところで、神社の結界から離れる。
 小道が多いので、どの道を通っても似たようなもので、ここでは決まった道筋はない。
 適当な小道の一つに入ったとき、急に先ほどの昼寝のことを思い出した。忘れていたのだが、夢を見ていたのだ。見ていなかったと思っていたのだが、見ていたようだ。それを急に思い出した。
 怖い何者かに追いかけられて、逃げている夢だった。その何者かは人かどうかは分からない。見ていないのだ。振り返っても姿はなかった。もう迫って来なかったのかもしれないが、最後まで姿は見えなかった。それだけの夢で、場所は分からない。真っ暗だった。
 さて、その小道を歩いていると、前方に暖かそうな明かり。何だろうと思いながら近付くと、祠。地蔵でも祭っているのだろう。灯明だ。暗くなったのでローソクをつけたのではなく、お参りに来た人が灯したのかもしれない。
 小道は複雑に曲がり、方角が分かりにくくなるが、狭い一角なので、直ぐに抜けるだろう。農家は田畑で囲まれていたのだが、今はその田畑に家が建っているので、新興住宅に囲まれている感じになる。村田もそこに住んでいる。だから直ぐ近所まで帰っているのだ。
 ところが見えるはずの明かりが見えない。
 後ろを振り向くと、祠のローソクだけがぽつりとあるだけ。前方も、横も暗い。
 省エネで節電しているわけではない。外灯はついているはずだ。
 もう一度灯明を見ると、風が強くなったのか、ゆらゆら揺れ、スーと消えた。
「来る」
 村田はあの夢を思い出した。ここにいると危ない。
 村田はかけだしたが、前方は真っ暗。昼のときの夢と同じではないか。
 ああ、これはまだ起きていないなと、思い、走るのをやめた。
 しばらくすると、停電が復旧したのか。ぱちりぱちりと外灯や街灯が灯り、家の窓明かりがぱっぱっと点いた。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

3479話 年の瀬の夢


 押し迫ってきた年末。上田はやっと用事を終え、今年やるようなことはもう終えた。それで自分だけの世界に年末をゆるりと過ごそうとしていた。二三日、それでワープしたかのように、別世界で遊んでいた。有意なことはもう何もする必要がないので、無為なことでひとときもふたときもみときも過ごしていたのだが、電話一本で夢が破られた。悪い話ではない。仕事だ。
 しかしもう仕事モードから離れてしまったので、戻るのが大変。しかも急ぎの仕事で、数日かかる。下手をすると年を越えてしまう。しかし今年中の仕事。それは十二月三十一日の十二時前までではなく、二十九日の午前中までとのこと。日数を数えると、三倍速でやってもぎりぎりだろう。
 しかし、終われば現金払いで、その場でもらえるらしい。これで正月の餅が買えるのだが、餅だけでは駄目だろう。
 仕事なので悪い話ではないが、だらだらしながら年を越したかった。断ることもできたが、それでは次の仕事が来なくなるし、義理を欠く。それほど強い立場ではないし、色々と世話になっているので、これは引き受ける以外の選択肢はない。体調を崩し。寝込んでいればいいのだが、元気そのもの。
 特にやらなければいけないことが何もない、という状態はたまにある。好きなことをしていてもよし、何もしなくてもよしで、その日、そのとき、思い付きで何かをやっていた。全て現実とはあまり関わらない事柄で、趣味や道楽のようなもの。
 また、何もしないで、ボケーッとときを過ごすのもよい。ただ、その期間が長すぎると、だれてくる。そして飽きた頃、有意なことを始めればいいのだが、今回はまだ飽きていない。だから目覚めが悪い。
 外食を済ませ、あとは部屋で寝るまでごろっとしているような状態が、数日続いていたのだ。夕食後だけではなく、起きたときから。
 どちらにしても眠りに入った機械をまた起こさないといけない。仕事の機械ではない。気持ちの再起動だ。この起動時間だけで一日かかるだろう。それほど深い眠りに入っていたのだ。
 それで翌日は休むことにした。時間がないのに休む。これは再起動のためには必要なため。直ぐに始めたのでは気が乗らず、失敗し、やり直すと二重手間になる。それよりも、一日休む方がいいのだ。今からやるのでもなく、明日からやるのではなく、あさってからやる。これなら心の準備ができる。
 有意なことはプレッシャーがかかる。現実に影響する。自分の中だけで完結しないので、気を遣う。それに失敗すれば現実が変わる。成功しても変わる。だから現実を弄ることになる。部屋の中で適当なことをしながらくつろいでいるのとはわけが違う。そのくつろぎがしばらく続くはずだった。
 入ってきた仕事は難しいものではなく、さしてプレッシャーは感じない。問題は期日だ。迫りすぎている。それなのに一日休む。
 そして、翌日。休みとして割いた一日が始まった。貴重な一日だ。この日、休まなければ、あとが楽なこと分かっている。しかし、直ぐにやる覚悟が付かない。つまり、仕事モードに入るには覚悟がいる。
 貴重な一日なので、昼前まで寝て、そのあと出掛けるのも面倒なので、部屋の中でごろごろしていた。無為に過ごしていたのだ。
 すると、電話がかかってきた。今度はセールス電話だったので、安心した。
 昼からは録画していた連続ドラマなどを見ていた。こういうのを見ながらお菓子でも食べているのが一番いい。
 部屋でゴロッとばかりでは飽きてきたので、外に出ることにした。これは適当に散歩でもすればいい。ごろごろするにしても、たまに運動をした方が、戻ってからごろごろしやすい。ごろごろだけでは煮詰まってしまう。
 そして貴重な一日が終わり、翌日になる。今日から頭を切り換えて仕事をする日。体勢はできた。あとはやるだけ。
 そして期日までにきっちりと上げ、遅れることなく、催促の電話のときも、堂々と「できております」と言えた。
 その受け渡しで、先方がやってきた。そして現金の報酬も。
 封筒がやけに分厚い。書類でも一緒に入っているのかと思い、少し開けてみた。
 札の角だけが見えた。断面が見えるほどの札束なのだ。こんなにもらえるはずがない。
 さて、夢はここで覚めたのだが、何処から夢に入ったのだろうか。
 その年も終わりの大晦日。上田は長い間ごろごろとしたまま。無為の日々をこの年末、果たせたのだが、その間、別世界にワープしていたようだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:49| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月20日

3478話 宇宙の謎


 日はまた昇るが、また沈む。しかし昇っているところや沈んでいるところは実際には見ていないかもしれない。その時間、太陽を見ていないと。
 それでも直接見なくても、起きたときは明るくなり、夕方になると暗くなるので分かる。
 要するに一日が始まり、一日が終わる。そしてまた一日が始まる。その繰り返し。これは日ごとのことで、毎日とも言う。分かり切ったことなので、敢えて言う必要はないが、一日の切り替えは寝ることで区切られる。これは分かりやすい。徹夜でもすれば別だが。
「分かり切ったことをまたくどくどと言い出しましたね、竹田君」
「分かり切ったことの方が実は難しいはずです」
「それは当たっているがね」
「人はなぜ寝るのかなんて、ものすごい問題ですよ」
「確かにそうだけど」
「日はなぜ昇るのか、一日があるのかも」
「はいはい、それは小学生がよく言うことです」
「そうですねえ。その後、言わなくなります」
「そこは謎が深すぎる根本的なことですから」
「はい」
「自分はどうしてここに存在しているのかもそうでしょ。生年月日を見ても、分からない。生まれるということそのものも、なぜそうなったのかも分からない」
「でもある程度分かるでしょ」
「手前までのごちゃごちゃしたことまではね。しかし、その奥になると、宇宙の発生まで行く」
「宇宙はどうして発生したのですか」
「これも手前までは分かるが、なぜ宇宙があるのかが分からない。発生しようと、発生しまいと」
「宇宙って何ですか」
「それだよ竹田君。そこに填まると這い出せなくなるから、辞めておきなさい」
「はい」
「何かヒントはありませんか」
「まだ、言ってるのですか」
「これを最後にします」
「宇宙から宇宙を見ても宇宙は見えません」
「はあ」
「主観になってしまうからです」
「じゃ、自分だけが納得できればいいのですね」
「そうです。でも竹田君、納得するもしないも、それも好みのようなもので、そんなもの知りたくなければ、見もしないでしょ」
「はあ」
「さあ、研究に戻りなさい。今、何を研究しているところでしたか」
「だから、分かり切ったことを探る研究です」
「分かり切ったことなら、もう研究しなくてもいいでしょ」
「分かり切ったことの奥にあるものを」
「はいはい、じゃ、それを続けなさい。答えなど出ませんが、その過程が大事」
「はい」
「さて、昼は何を食べるかだ」
「はあ」
「どうでもいいようで、どうでもよくない」
「あ、研究を変えます」
「どうしてかね」
「どうでもいいものについてを新しいテーマにします」
「簡単に変えられるものだねえ」
「あ、また変えます」
「またかね」
「簡単なものについての研究です。簡単なものほど難しいと言うじゃありませんか」
「好きなようにしなさい」
「好きなものについての研究も悪くないですねえ」
「もう、勝手にしなさい」
「はい、そうしてます」
 
   了


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2017年12月19日

3477話 道を違える


 米田は少し変化が欲しくなり、道を一つ変えた。普通のありふれた町で、碁盤の目のように道はある。家までの道がまっすぐな道なら変える気にはならない。これは寄り道だ。そして寄るところなどないのなら違う道に入り込まないだろう。
 ところが、今、通っている道は変えてもいい道。家の方角は斜め方角、だからジグザグに通っても時間はほぼ同じ。
 しかし、いつもの道筋があり、道順がある。不思議と行くときもその道筋になる。住宅地の中の道には名さえない。私道も含まれている。
 その日、何を思い付いたのか、別の道筋に入って行った。といっても知らない道ではない。大きな車などが止まっているとき、それを避けて横道に入り込むことがあり、一度も通ったことのない道を探す方が難しいほど。そういった道を普段通らないのは、通る必要がないため。そして慣れた道筋の方が考えなくてもいいので、楽。
 道筋を変えてみようと思い付いたのは、変えてもかまわないためだ。その気になればいつでも変えられる。そのことを証明するため変えるわけではないが、一寸した刺激が欲しかったのだろう。筋を一つ変えただけでは大した刺激とは言えないが、一寸は変えられる。ほんの少しだ。
 今までもたまにそういうことがあったのだが、その行為で何かが変わったわけではないし、大変な目に遭ったこともない。やはりいつもの道筋を通っていれば災難に遭わなかったのに、と思うような。
 だから道筋を変えても影響はない。たまに入り込む道筋なので、久しぶりに見る道沿いの風景が楽しめるのだが、ものすごく楽しいというわけではない。大喜びしたり、感動したりとか。
 だから一寸した目先の変化で済む。対価が少ないので、得られる変化も少ない。
 それで、いつもは左に入るのだが、右に入った。実はこちらの方が距離的には近いのだが、交差点が多い。それで避けていたのだろう。
 左右に住宅が並び、その向こうも家ばかりで、大した風景ではない。ただ庭木などに変化があり、柿が実っていたり、鴉がつつきに来ていたりする。鴉は柿の葉が落ち、柿が熟し切るのを待っているようで、それと実をもぎ取りやすくなるまで待っているのだろう。だから実が成ってもすぐには取りには来ない。柔らかな食べ頃よりも、うまくいけば銜えて引きちぎり、お持ち帰りして安定したところで食べたいのかもしれない。
 その日は柿は柿色をしていたが、鴉は来ていなかった。この柿の木を見ただけで、道を変えただけの値はある。ものすごく安い値だが。
 それで、気が済んだのか、いつもの道筋に合流するため、さらに違う筋へと入り込んでいった。
 その辺りもたまに通るので、見知らぬ場所ではない。方角もしっかりと分かっているので、いつもの道筋へ出るのは簡単な話。
 ところがその道が見つからない。通り過ぎたのかもしれないと思い、周囲を見渡すが、確認できるものがない。
 小さな児童公園がある。しかし、いつもの道筋との関係までは分からない。
 方角も間違っていない。ただし頭の中だけの方角だが。
 行けども行けどもいつもの道筋に出ない。何処かで引っかかるはずなのだが、ない。
 ないわけがない。しかし通り過ぎた可能性が大きくなってきた。結構時間が立っているのだ。圏外に出たのかもしれないが、それと分かる建物もないし、大きい目の分かりやすい通りにも出くわさない。
 そしてやたらと柿の木が多い。庭木だが、あの家にもこの家にも柿の木がある。柿ばかり見ているので、多いと感じるのだろう。
 その先をさらに行くと、流石に見慣れない風景になってきた。家々がいやに古びている。そんな町はこの近くにはないはず。そしてさらに進むと巨大な柿の木。全ての葉が落ち、実だけが鈴なりに成っている。そして柿色の中に黒いもの。鴉だ。
 柿の巨木など、この近くにはない。しかも大きすぎる。柿の木はそれほど伸びない。しかし神社の神木ほどの高さがある。ぐねぐねとした葉の落ちた枝の巨木。これは不気味だ。
 来たなあ、と米田は覚悟した。何かを何処かで違えたのだろう。
 
   了


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2017年12月18日

3476話 奥のテーブル


 駅前が二つあり、線路のこちらとあちら。あちらは駅前開発で様変わりしたが、こちら側は昔と変わっていない。駅への道も狭く、小さな店が乱雑に並んでいる。雑居ビルも多く、下からではビルよりも店屋の構えの方が目立つためか、ビルの形は分からない。不揃いな高さ、不揃いな幅。
 小西はこの駅前までバスでよく来ていたのだが、学生時代で、通学のためだ。家の前にバス停があり、近所の人もこのバスを使っているのだが、元気な人は少し離れた私鉄の支線まで歩く、それであの駅まで行けるのが、そこまでならバスに乗った方が早いが、バスの回数は電車ほどではない。
 バスでその駅前へ来なくなったのは、駅近くの高校を卒業したためで、その後は遠い学校へ通い出したため、バスではなく、歩いて私鉄の支線に乗り、その駅前で乗り換えて、通っていた。その方が交通費が安く付くためだ。まだ若かったので、支線の駅まで歩く元気が充分あったのだろう。
 それで久しぶりに駅前に用事があったので、バスではなく自転車でやってきた。
 昔と変わりは殆どないのだが、ファストフード店が増えているのが、以前とは違うところだろうか。
 用事が終わったので、駅前のゴチャゴチャとしたところを散策していると、餅屋があった。饅頭や餅、赤飯も売っている。安っぽい団子やおはぎも。これは以前にはなかった。良い場所にあり、人通りも多い。そういう筋がいくつかあるので、その通りだけが目立つわけではないが。
 餅の他にうどんや蕎麦も置いている。四角い容器に入ったものだ。これは遅い時間などに駅に着いた人が買うのだろう。うどんや蕎麦は別だが、すぐに食べれる大福や、饅頭やおはぎ、そして団子。それだけでは甘くて仕方がないので、うどんと蕎麦も並べているようだ。カップものではない。
 しかし、そのそばやうどん、今まで見たことのない品で、スーパーにあるような出汁付きなのだが、なぜか安っぽい。ありものの容器に、うどん玉と出汁と天麩羅などを入れているだけで、表示がない。
 そのとき、ふと店の奥を見たのだが、ドアがあり、食堂がある。学生時代は気付かなかったが、これは逆で、食堂しかなかったのかもしれない。つまり食堂の前の余地にものを並べて売っているのだ。
 このうどんやそばは、店で出しているのと同じだろう。
 食堂は大衆食堂の部類に入るが、それよりもややレベルが高い。めし屋のようにおかずを並べていない。
 学生時代、家に帰ればご飯は食べられるので、一度もその店に入っていない。しかし硝子ドアなので、中はよく見えた。
 近くにも食べる店屋は多くあり、飲み屋も多く、たこ焼き屋もあれば、安っぽい寿司屋もある。
 小西は一寸だけ気まぐれを起こし、入ってみることにした。気持ちに余裕があるのだろう。そういった冒険心が生まれた。それに夕食時間なので、お腹も空き始めていた。それにクリスマス前に来ている寒波で寒い。熱い出汁のうどんでも食べようと思い、かなり重いガラスドアを開けた。
 意外と広い。しかし客は誰もいない。だから表で餅屋か饅頭屋の真似事をしているのだろう。
 入り口のレジにお爺さんが座っている。食堂の客より、店先の饅頭を買う人の方が多いのだろうか。
「どうぞ奥へ」
 言われるがまま、奥の方のテーブルに向かい、そこで座ろうとしたが、まだ奥がある。二つに分かれているのだ。そちらの方が遙かに広く、富士山の絵の大きな額縁や、熊の頭が飾ってあったかと思うと、巨大な鯛が天上近くで横たわっている。長い三角のペナントが何枚も壁に張り付き、剥がれて先が垂れているものもある。観光地の食堂に近い。
 小西はきつねうどんを注文し、それを食べているとき、寒いでしょと、電気ストーブを持ってきてくれた。しかし温かいものが胃に入ったのか、ストーブは必要ではないが、奥の間から冷たい空気が来ているのは確かだ。
 それで勘定を済ませ、店を出たのだが、二三歩行ったとき、少し待てよと思った。
 食堂は雑居ビルに入っている。表に店が二軒。三階建てだが、上への階段はないので、店舗ではないのだろう。それで間口の幅は分かるが、奥行きだ。あの奥の間が入るだけの奥行きが、この雑居ビルにはないように感じた。隣の雑居ビルに食い込んでしまう。しかし奥に深い建物ではないかと思い、回り込むが、手前のビルが邪魔をして奥まで見えない。それでもっと遠くから角度を変えて見るのだが、さらに見えない。これが角地のビルなら分かるのだが、一つ入ったところにある雑居ビルなので、手前が邪魔で確認できない。
 そこで反対側の通りに、二階のある雑貨屋があったので、そこに上がり、あの食堂を見ると、真横から見ることができた。その雑居ビルは正面の間口とほぼ同じ正方形のビルだった。
 そのビルの左側は別の雑居ビル。しかしビルとビルの間に屋根瓦が見える。元々、屋根葺きの食堂だったのが、敷地一杯にビルを建てたのだろう。それで納得できた。
 
   了

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2017年12月17日

3475話 闇が来る


 宮田は冬になると睡眠時間が長くなる。そのため朝、起きるのが遅くなり、いつもの寝る時間になっても、目がまだ冴え、寝る気にならないので、夜更かしとなる。つまり時間がずれてきていた。その状態になると、体調が悪くなり、寝起きがさらに遅くなる。ここまでは特に変わったことではない。日常が崩れるほどのことではなく、一寸ずれ込むだけ。
 宮田は夕方前に買い物へ行き、喫茶店でひと休みしてから帰るのが日課になっていたのだが、時間帯がずれた上に冬至が近いのか日没も早く、今では家を出るとき、既に薄暗くなっている。
 宮田にとり、それは夜が来るのではなく、闇が来ると感じている。明るさだけの問題ではないのだ。
 買い物は自転車で行く。広い目の歩道があるので、そこを走るのだが、毎日その時間に通っていると、いつもすれ違う人達がいる。
 その沿道に工場があり、歩道を横切って入ってくるトラックがある。そのため警備員が立っていることがある。その人とも顔なじみになっている。年取った誘導員ではなく、工場内の警備員なので、まだ若い。彼も宮田が通る時間が徐々に遅くなっていることを感じているかもしれない。暗くなっているためか、顔がよく見えないこともある。
 闇が来るとは、そのことではない。行くとき、わずかながら明るいが、戻るとき、完全に暗くなる。
 行くとき、すれ違う人と戻るときにすれ違う人とは違う。同じ時間帯なら同じ人とすれ違うのだが、時間がずれた関係で、知っている人が減り、新顔が増えてきた。当然その日だけそこを通る人の方が多いのだが。
 戻り道、その新顔の中に闇がいる。顔が闇なのだ。最近この闇とよく出くわしている。時間がさらにずれればもう見ることはないのだが、その歩道を通過するときの時間はおよそ五分。その五分間の内にまだ入り込む。
 闇顔はフードを頭巾のように被っており、前で留めているのだが、そのカバー留めが顎までかかっている。フードというより覆面だ。これだけでも不気味なのだが、顔がベタ。べたべたの顔ではなく、黒く塗りつぶした黒ベタなのだ。これは暗いからそう見えるだけかもしれないが、黒い穴でも開いているのかと思うほど黒が深い。奥があるような。
 それで、これは黒ではなく、闇ではないかと思うようになった。闇は何もない。何もないことさえもない。
 宮田は縁起の悪いものを見てしまったと、いつも後悔しながらも、闇の中にあるはずの目鼻などを何となく見ている。しかし、こんなものを見るようになる状態がいけないと反省。こんな時間に買い物に出るのがいけないのだ。それは時間がずれていることがいけない。生活の乱れ。これが闇を見させるのだ。
 それで、遅くなりすぎると、買い物には行かなくなった。喫茶店へ行くのも日課になっていたが、これも近所の店にした。高いので避けていたのだが。
 あのままあの闇と出合っていると、闇の世界に引き込まれる。そう思わせるだけの怖いものがあったのだが、不規則な生活をしている上、寒いので体調もよくなく、それでそんな気分にさせるのだろう。
 これは宮田からの視点だが、その闇顔から見ると、最近宮田とすれ違わなくなったので、ほっとしているかもしれない。闇とすれ違わなくなったと。
 
   了

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2017年12月16日

3474話 泥棒横町


 田村屋に押し入った盗賊はさっと立ち去った。押し入り強盗で、戸板を蹴り倒し、押し入った。当然その物音を近所の人が聞いている。ただ、下手に関わりたくないので、通報もしていない。
 翌朝、近所の人が様子を見に行く。当然番所などから人が来て、調べているはずだが、その様子はない。
 店は平常通り開いており、茶碗や皿などがいつものように店の前に並んでいる。
 盗賊団など来なかったかのように。
 実はこの盗賊団、間違っていたようだ。入る店を。しかし、違う店を襲ったのではない。めぼしい店としてマークしており、計画通り襲ったのだ。倉が多くあり、新たにまた倉が建ちかけているのを見て、これはいけると踏んだ。
 では何を間違ったのか。店の中に入ったときは気付かなかったが、寝泊まりしている店の者を見たとき、これはいけないと踏み、さっと立ち去った。
 盗賊の首領は知っている顔を見た。それが何がいけないのか。
 答えは簡単で、この田村屋そのものが盗賊団の巣窟だった。安物の茶碗や皿が売れてもたかがしれている。
 当然店の者は盗賊達なので、手強い。店で寝泊まりしているのは多くて二人程度と踏んでいたのだが、ものすごい数がいた。ここは大規模な盗賊団の根城でもあるので、駐屯していた。まず数で負ける。それに同業者を襲うのは御法度。これは仁義にかけるし、同業は争わないことを、この界隈では慣わしとしていた。
 押し入った首領は、店の一人の顔を見たとき、何処の盗賊団かが分かった。規模が大きい。あとで面倒を起こしたくないので、雨戸を壊した弁償に小判一枚落として引き上げた。
 当然田村屋は届けていない。押し入り強盗などなかったことにした。当然だろう。
 しかし、近所の人は納得できない。それに音がしたとき、通りを見ると何人もの黒装束がいた。どう見ても盗人の集団だ。
 そのことを番所に言ったのだが、取り合ってくれない。もし襲われたのなら、田村屋から言ってくるはずと。
 だが、田村屋の前で米屋をやっている老婆は、田村屋が怪しいことを知っていた。その婆さんが気付いていることも田村屋も知っていたので、脅すのではなく、懐柔していた。婆さんは怪しい店だという程度で盗賊団の住処だとは気付いていない。
 盗賊から物を盗むというのは素人が多い。婆さんの孫は遊び人で、田村家が何か隠し事があるはずだと婆さんから聞いて、それとなく探りを入れたことがある。
 そういうのには盗賊は敏感で、逆にその孫も手下にしてしまった。今は婆さんの主人も手下になっている。田村屋の前の米屋そのものを仲間に入れたようなもの。これで前の米屋からの視線を気にすることがなくなったが、米屋の両隣が今度は怪しみだした。斜めからでも田村屋がよく見えるためだ。
 これも米屋の孫と同じように、探りを入れに来たのだが、これも取り込み、米屋の左右も、これで押さえた。
 さらにその隣の隣とまた隣を押さえ、さらに通り全てを押さえてしまった。
 商家もあるが、普通の家もある。これが田村団と呼ばれた大きな盗賊集団の全盛期。
 その後、田村団も田村屋も解散したのだが、その頃には別の通りや別の筋、つまり町の一部を占めるほどに拡大していたため、もう田村屋はないのだが、この一帯を泥棒横町と呼ぶようになった。
 これだけ大規模な盗賊集団なのだが、実際には空き巣、こそ泥程度の小さな仕事しかやっていない。千両箱を盗むようなことも、押し入ってまでは盗まない。地味だから長く続いたのだろう。
 泥棒横町には田村屋の手下となった家が残っており、また他所からここに住み着く流れ者もおり、怪しい場所として続いた。
 今は公団住宅が建ち、泥棒横町の面影など微塵もない。
 
   了


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2017年12月15日

3473話 源泉聴衆


 ある体験がその人をずっと引っ張っていくことがある。個人の意見や考えなどは、ほぼその源泉はそこにあるように思うが、抽象的なことになると、これはあまり影響しないかもしれない。しかし、抽象的な事柄への接し方が違う。抽象的なことが苦手とかだ。これは体験から来ているのかもしれないが、その体験は感覚などの生理的なものかもしれない。生理的なものは反応で、それもまた体験。だから、苦手という意識は、やはり体験から来ている。生理的、感覚的、第一印象などは強いセンサーで、まずそこで決まる。
 たとえば苦手な相手ではないのに、顔が苦手、声が苦手だと、これは苦手な人になったりする。ものすごく恩恵をもたらせてくれる人なら別扱いだろう。それでも苦手は苦手、特に生理的に苦手というのは得点が高く、相手が悪いわけではない。好き嫌いのパターンがいつの間にかできてしまっている。
 異なる意見を聞くと不快になるのも、そのためだ。不快と言うほどでなくても愉快ではないし、快感を覚えるはずがない。できれば排除したい、または聞きたくないだろう。
 このあたり、実に素朴でべたべたな話だが、基本的にそうなっているのは確かだ。これは確かめたわけではない。アンケートをとったわけでもない。実はこれも自分が確かだと思っているだけで、生理作用とそれほど変わらないのだが、感覚的なものはものすごく強い。最初に来るからだ。
 人は見かけでは判断できないが、この人なら好意が持てるとか、この人なら大丈夫とか、この人となら話してもいいと思えることがある。これは初対面でもそうだ。そして、まだ接する前、向こうからその相手が歩いてきたとき、もう分かるのだ。その人はそんな人ではなく、思っているような人でなくても、嫌な人、良い人になる。これは困ったものだ。犬と犬との出合い頭のようなもので、相手の詳細を知る以前に、それとなく臭いで分かったりする。それは手前勝手なセンサーで、普遍性はない。
 それでは猫同士がうなり合っている状態と同じになり、高度なところでの意見の食い違いとかではない。しかし、高度と言っても結局猫の縄張り争いと同じようなもの。
 異なる意見でも受け入れて聞いてくれる人がいる。これは懐が広い人ではなく、そういう性格なのだ。おっとりとした、あまり争いを好まないような。考え抜き、修行でもして、そうなったわけではない。おそらくその人は小学校の頃から、そんな態度だったはず。
 つまり、できた人は最初からできており、飛び跳ねる人は最初から飛び跳ねている。それらは何処に発生源があるのかは分からないが、生まれつきという可能性もある。猫の子でも生まれたときから性格が違う。これは体格の大きさなどから来ていることもあるし、生まれたときから他の子猫に比べ活発で、元気が良いとかはある。これは体格とは関係のないことも多いはず。
 その後、体験を重ね、色々と知恵が付いてきたとしても、初期値の限界点のようなものがあり、初期値で伸び方も違うようだ。
 年を取ると子供時代の性格が出てきたりする。初期値に戻ろうとしているのかどうかは分からないが。
 人の性格というのは代えにくいのだが、チェンジを試みることはあるだろう。これはすぐに戻ってしまい、慣れないことはするものではないと、反省したりするのだが、一瞬ならいいだろう。誰かの物まねをやるようなものだ。ただ、そういうことをしないとやっていけないこともある。本人の人柄ではやりにくいような行為を。
 本音と建て前といううまい言葉がある。そうなるとデータ化が難しく、センサーの反応だけでは一面的になる。
 先ほどの生理的反応を、皮膚感覚とも言うようだ。触覚。この触覚にもレベルがあり、甘い物を感じても、甘いとだけは感じないような高度なレベルもある。一を知って百を知るわけではないが、一瞬にして全体を把握できるのだろう。細々とした詳細は知らなくても。
 そしてそれは知識以前の何か、知恵でもなく。
 言い得ないこと、解析できないこと。当然それは説明などできない。五感にもう一つ足した第六感なのかもしれないが、これは感覚器官による反応ではないのだが、内臓とか、筋肉とかが働いているのかもしれない。その代表が血だろう。
 その源泉は分からないにしても、好き嫌いとか、生理的とかいわれているところに出てくるようだ。これを馬鹿にしてはいけない。理性さえも生理的な影響を受けているのだから。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:36| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月14日

3472話 目目目目目玉

目目目目目玉
 下坂はパソコンを使って部屋の中でできる仕事を細々と続けている。効率を上げるためにはもっと速いマシーンやメモリを増やせばいいのだが、そんなゆとりはない。個人事業主なのでこれは備品。必要経費のようなもので、仕事のためのもの。しかし家電量販店の一番安いのを使っている。効率を上げても、それほど仕事があるわけでもなく、時間も十分あるので、問題はないのだろう。しかし将来が心配。いつ仕事がなくなるかと不安。そんな先のことより、今が貧しすぎる。これならバイトにでも出た方が良かったりするのだが、そんなとき、少しばかり小金が舞い込んだ。コガネムシが飛び込んできたわけではないが、余裕ができた。わずかな額なので、あっという間にそんな余裕など消え去るだろう。その月、大学新卒の初任給並みの臨時収入を得たのだ。これでしばらくは普通の一般の社会人並みレベルの生活ができると喜んだ。
 その大金を入れた封筒を内ポケットに入れ、戻るとき、ショッピングモールに寄った。ここには何でもある。欲しいものが溜まっているのだが、仕事で必要最小限のものは持っているので、そこに投資するのは勿体ない。それより、どうでもいいようなことで使おうと考えた。
 しかし、物欲から離れているため、欲しいと思うものが見つからない。パソコンを買い換えるのもいいが、安いものしか買えないので、今使っているものと似たようなもの。それで不便は感じていないので、中途半端なことになる。
 元々人が苦手で、社会が苦手なため、自室でできる仕事にしがみついているので、人と遊ぶようなこともない。そんな相手もいない。それで厄介な人付き合いもないので、不便はしないが、一人で賑やかな場所に出ても居心地が悪い。
 夕食前なので、今まで節約し、我慢してきたものを食べてみようと考える。一回だけの贅沢な外食。これなら被害は少ない。余った分は非常用に残しておけばいい。貯金そのものがないので、これを貯金と思えばいい。もう二度とこんな予想外な収入を得ることもないはずなので、貴重な現金だ。
 外食をすることはあるが牛丼屋へ行く程度。そこで牛丼の大盛りが食べられるのだが、牛丼は牛丼。たまに食べているので、大盛りというだけでは華やかさがない。それならすき焼きを食べる方がいい。すき焼きが食べられないので牛丼を食べていたのだが、その牛丼の並盛りも立派な外食。これも滅多にしていない。
 モール内のグルメ通りに出ると、夕食時か人も多く、立派な店が並んでいる。
 値段を見ると、結構する。けちくさいことを言わないハレの場なのだ。こういう店に毎日来ている人などいないはず。だから客もたまに贅沢をしに来る程度かもしれない。千円を超える値段を見ると、贅沢と感じるのは下坂の感覚に過ぎないが。
 もう中年を過ぎ、見た目以上に年寄りに見え、しかも安そうなものを着ており、さらに誰とも接することなくできる仕事なので、髪はぼさぼさで無精髭が顔を覆っている。人相も悪い。
 一人で来ている人は少なく、誰かと連れ立っている。団体さんもいる。まるで花見に一人で来たようなものだ。
 和食の店があったので、メニュー品を覗くと、殿様が食べるようなお膳に、皿がいくつも乗り、丼物にそばが付き、さらに小皿の向こうに湯豆腐まである。これはコンロ付きだ。こういう派手な御膳ものをこの風体では注文できないので、無視し、カツ丼でもいいとは思うものの、中を覗くと黒塗りの四人がけテーブルしかない。これだけ大きなお膳で出るのだから、テーブルも広い。そこを一人で占有できないだろう。これは気が引けるので、無視する。
 洋食ではハンバーグぐらいしか馴染みがない。当然そういう定食は必ずある。ステーキもあったが、最近歯が痛いので、肉をかみ切れないだろう。良い肉ならいいが、ステーキ専門店でもない限り、軟らかい肉は期待できない。しかしそういう肉は目の玉が飛び出るほどの値段だろう。
 夕食時だが、昼が遅かった下坂は、盛りの多いものを食べる腹具合にはなっていない。いつももっと遅い。だから腹はそれほど空いていない。
 下坂はあるだけの店先を全て覗くが、いいものを食べたいが、入れそうな店がない。そして突き当たりまで来たとき、エスカレーターがある。ここは一階で、二階はあるが、地下はないはず。それができたのかと思い、下りのエスカレーターに乗る。その階には自販機が並び、ガラスドアが二つ左右にある。駐車場だとすぐに分かったので、降りた瞬間、上がりのエスカレーターにさっと乗り移った。
 結局何も食べられなかったと思いながら、飲食街に戻り、その突き当たりのドアから外に出た。モールの反対側に出たはずだ。
 レンガのビルがガス灯風街灯に照らされて綺麗だ。一寸したイベント広場になっているらしいが、誰もいない。その先を見ると、自転車が多く止まっている。モールの出入り口がそこにあるのだろう。こちらは裏側なので地味。
 賑やかな場所が似合わない下坂は、外に出てほっとする。そして裏口を抜けるとモールの外の市街地に出る。
 結局いつもの牛丼屋で、普段は注文しないというより、牛丼しか食べないのだが、その夜は目玉焼き付きハンバーグを注文した。牛丼屋にもそのメニューがあることを知っていたのだ。
 ただ、店員が注文を聞きに来たとき、声がうわずって、「目目目目目玉焼きとなってしまった。
 ハンバーグに目玉焼きが付く、下坂はこれで十分満足を得た。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月13日

3471話 手がかり


 何の手がかりもない場合、手がかりに近いものを手がかりとする。ここでボタンの掛け違いを犯しているのだが、それが分かった上で先へと進む。なぜなら嘘でもいいから手がかりがあれば道ができるためだ。当然その道は間違っていることの方が多いが、何もないところをウロウロするよりもまし。とりあえず、あるとこへ向かい、動ける。これだけで十分だろう。動いていう間に真の手がかりと遭遇するかもしれない。だから立ち止まっているよりも、手がかりが見つけやすいだろう。
 しかし、それで見つけた手がかり。これは本物の場合であっても得たのは手がかりだけ。問題はその先だ。そしてその間にも色々な手がかりと遭遇し、手がかりだらけになるかもしれない。それだけ手がかりが多いと、あとが楽だろう。ただその手がかりの中にも真ではないものも含まれているので、手がかりは少ない方がいい。そうでないと可能性、選択肢ばかり増えて、逆に迷う。手がかりは目的に向かうときの道しるべのようなものだが、道しるべが多すぎると選択で迷う。手がかりは次の宿場へ行く道しるべ程度でいい。そしてその宿場へ行けば、そこでまた手がかりが得られ、次に行く場所が分かる。一本道の方が迷いはない。
 では間違った手がかりのまま進み、本当の手がかりに遭遇しなかった場合はどうなるのか。これは初期の目的とは違う世界に入り込む。これも悪くはない。最初の目的は手がかりがないので、もう諦めて、そのとき出てきた仮の手がかりのような、誤った手がかりの先へと進む。誤ってはいるが、それは最初の目的から見ればの話で、そのことが誤っているわけではない。だからテーマを変えれば、そちらが本筋になる。
 ただ、誤った手がかり、これは思い違いに近く、また想像に近い。そのため別のジャンルになってしまうだろう。
 手がかりは現実的で、具体的。そうでないと手がかりとは言えない。とある宿場町が手がかりだとすれば、存在が分からない、または、そういう宿場町があるだろうと仮定しての手がかりになるので、いくら探しても見つからない。しかし宿場町が欲しい。そうなると、どの宿場町でもいいような気がしてきて、とりあえずそれらしい宿場町へ行く。そこは手がかりとなる宿場町ではないのだが、そこではそこで、また何かがあるはず。
 手がかりは何かを差している。その場所へ行くと、また何かを差している手がかりを見つける。その繰り返しだと手がかりしか得られない。手がかりが手がかりの手がかりとなるだけ。
 これは手がかりの見つけ方がまずいのかもしれない。手がかりの手がかりではなく、目的とするところを差している手がかりを見落としているのだろう。
 手がかりばかりを追い続けていくと飽きてくる場合と、手がかりだけを探す方が楽しくなる場合もある。目的を果たすと、もう手がかりを探してウロウロすることはなくなる。しかし、その過程が楽しかった場合、下手に目的を果たさないで、ずっと旅を続けたいと思うかもしれない。
 また、間違った手がかりのまま、間違った世界に入り込んでいくのも乙なものだ。こちらもリアルには到達できない世界に踏み込んでいるためだ。しかし、初期の目的よりも、この間違った場所の方が得るものが多かったりする。予想外のものと遭遇し、初期の目的など色あせるほど、いいものと遭遇するかもしれない。
 また、そう簡単に目的を果たすのは、まだ早すぎるとか、もう少し遊んでみようと思うときもある。
 間違った手がかり、ボタンの掛け違い、その先に出てくる世界は思い違い、勘違いの世界だが、本当の世界が間違っているとは限らない。そしてこの世には存在しない想像の世界にしか、本当のものはなかったりしそうなので、間違っているとか間違っていないとかは、相対的なのだ。
 世界がめくるめく立ち現れ、わくわくわくするような世界。これこそ本当は存在しないバーチャルをやっているのかもしれない。ボタン二つ分ほどの掛け違いを犯したのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:02| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

3470話 お待ちなさい


「ちょいとお待ちを」
 背後から声が聞こえるので、武者は振り返るかどうかと考えた。街道筋の人家のある通りにさしかかっている。宿場町ではなく、ただの村落だろう。振り返らなかったのは声が気になったため。籠もった声で、しわがれてもいるので、年寄りだろう。声をかける側に利があって、かけられた側は損をすることが多い。用事はこちらにはなく、相手にある。相手の何かを満たすだけ。決していい話にはならない。
 武者はそのまま歩を進めると、「お待ちなされ」と、また声がかかる。何かに困っている人なら応えもしようが、そんな声の質ではない。それに待てとしか言わない。先に用件を言うべきだろう。
 武者はそのまま先へと進み、人家のあるところまで出た。そして振り返ると、もうその声の主はいない。妖怪変化の仕業ではないかと、自分なりに納得し、小物などを売っている店に立ち寄る。先日買った印籠がどうも気に入らない。ここに腹薬を入れているのだが、印籠が小さすぎる。大きすぎると不細工だが、もう少し大きい目が欲しい。それと飾り紐が短いタイプがいい。長く垂れていると、まとわりつくようで嫌なのだ。
 印籠を物色していると、先ほどの声がやはり気になった。振り返ったとき、確かに姿はなかったのだが、何処に隠れたのだろう。人家は左右にはまだないし物陰もなかった。
「妙な声色の年寄りに声をかけられたのですが」
 武者は店の者にそれとなく聞いた。
「ああ、出ましたか」
「出たとは」
「お待ちなさいと引き留めたのでしょ」
「そうです」
「それで振り返ると誰もいない」
「その通り。誰ですか?」
「見たものはおりません」
「バケモノですか」
「その種です」
「よく出るのですか」
「さあ、たまにそんな話を聞く程度」
「何者でしょう」
「世の中にはうかがい知れぬことがあるようです」
「そうですね」
「噂では僧侶ではないかと」
「確かにあの声の出し方はお経を唱えているときの節回しに近いですねえ」
「仏法僧と名付けている人もいます」
「私は振り返りませんでしたが、それで良かったのですか。無視した感じになりますが」
「一緒です。無視しようがしまいが」
「危害はないと」
「はい」
 結局この妖怪は、既に正体が分かっていた。鳥なのだ。「お待ちなさい」の一つ覚えで、語尾が少し変わるがそればかりを繰り返しているらしい。
 振り返り、誰だろうと人は探すが、鳥など探さない。それだけのことだ。
 武者は欲しいと思える印籠はなかったが、まだましなのを買い、通りに出て、来た道を見ると、彼方に小さなものが飛んでいるように見えたが、雀だった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:52| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする