2018年04月23日

3603話 白雲斉


「ペンパン草が生えておりますぞ」
「人は住んでいないのかもしれません」
「この里には空き屋は一つもなかったが、一戸あったか」
「そのようで」
「しかし、見付からなかった」
「空き屋ですかな」
「いや、人」
「もう出尽くしたのでしょう」
「この里は知恵者の産地で何人もいると聞いたのだが、もういない」
「既に取られたのでしょうなあ」
「引き返すか」
「少しお待ちを」
「どうした」
「空き屋ではないようですぞ。人が動くのが見えました」
「そうか」
「それに着物が干してあります。住んでいます」
「念のためじゃ、訪ねてみよう」
 二人の武士が雨戸を叩くと、中から顔まで髭のある真っ白な男が出てきた。
「まさか、白雲斉先生では」
 白雲斉とは屋号で人の名前ではない。軍師のようなものだ。知恵者の中でも、ランクが高い屋号。つまり雲の上にでもいそうな仙人のような人。
「是非、当家に来てもらいたい」
 この白雲斉、実はただのモドキ。つまり、擬態のようなもので、本物ではない。
 二人の武士も何となくそうではないかと思った。この里の知恵者は、もう他家が雇っているはず。残っていたこの白雲斉、誰も買わなかったのは、それなりの訳があるためだろう。しかし、手ぶらで帰るのも何なので、お連れすることにした。
 この時代の軍師は占い師で、出陣の日や方角などを占う程度。そして戦場でもただ祈祷したりする程度。負けそうになると、引き際を教えてくれるし、押しているときは鳴り物を使い鼓舞する。
 この里に数人にいたという知恵者は、このタイプではなく、指揮官を補佐するタイプ。それらは既に他家が取ってしまった。
 白雲斉に手を出さなかったのは、昔からの祈祷や占いをするタイプだったので、値が付かなかったのだろう。
 しかし、二人の武士が連れ帰った軍師白雲斉は効果があったのか連勝した。
 小賢しい知恵よりも、占いの方が士気が上がったためかもしれない。
 
   了



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2018年04月22日

3602話 魔道の辻


 幾筋もの道の中の一つを選んだのだが、これは失敗したのではないかと高峯は思った。そういう思いは始終で、別の道を選んでいても、やはり同じことを思っていただろう。思うだけ勝手だが、勝手すぎることもある。道が二股なら選択肢は二つ。あのとき別の道をと思うときも、一つ。それが幾筋もあるとこれは数が多い。どの筋がよかったのかとなると、選択肢が多すぎるので複数の想像をしないといけない。もしあのときを何筋分も。
 選択肢が多いと違いが見出しにくい。違いがあるので選択肢があるのだが、違いに特徴があまりない。これという特徴で、それが明快なものほど相手しやすい。ある筋とある筋との中間のようなタイプは妥協点としてはふさわしいが、妥協しなくてもいい選択が好ましい。
「また道を違えたのかね」
「はい、毎度です」
「どの道を取っても道は道。道故に繋がっておる」
「はい」
「だからどの道でも良いのじゃよ」
「そうですか」
「道とは言えんような道もある。だからこれは道ではない。余地とか隙間とか縁と言ってもいい。これは道ではないが人が通ることができる。そういう道さえ選ばなければ、普通の道なら問題はなかろう。何処かに繋がっておる。そして別の道を選んでも同じところに出たりする」
「はい」
「正道と邪道がある」
「迷っているときは邪道が見えます」
「そこへ入り込んではいかん。後悔の度合いが違う。正道のどの筋を取っても正道。従ってそこで迷いがあってもまともな迷いで、不幸な目に遭っても普通の不幸」
「邪道とは魔道のような」
「そうじゃな。正道には魔は出んが、邪道には魔が出る」
「じゃ、普通の迷い方をしているときは大丈夫なのですね」
「魔が出て散々な目に遭うことを思えばいい。迷ったとしても普通の迷いごとなのでな」
「しかし、道ではありませんが、もの凄く良さそうな通り道が見えます」
「それそれ、それが邪道じゃ。もの凄く上手く行きそうな道として見える。だから入り込む。簡単そうであり、また都合も良い。他の道筋に比べ効率も良い。しかしそれは邪道」
「はい」
「邪道、魔道の分かれ道。そういうのがある場所を魔道の辻と呼んでおる。魔への入り口がある辻」
「何か、そちらのほうが面白そうですねえ」
「それを魔が差すという」
「はい、注意します」
「正道は退屈。煮詰まり、埒が明かん。そこに魔が差し込む。それだけじゃ」
「はい、正道内でやります」
「しかし、魔道の力は大きい」
「誘わないで下さい」
「魔も使いよう」
「しかし、取り扱いが難しいのですね」
「そうじゃな」
 
   了



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2018年04月21日

3601話 矢倉塚


 草加は子供の頃から同じ町に住んでいるのだが、すぐ近所に矢倉塚がある。当然知っている。幼い頃から家中の会話でヤグラヅカが出てくるため地名として知っているし、そのヤグラヅカの子供とも同級生で、よく知っている。
 しかし大きくなるに従い、家の前の路地から表通りへ、町内からより大きな町へと視点は移り、矢倉塚のことなど忘れていた。ヤグラヅカの同級生とも学校が違えば縁も切れ、通りで合うことも希。
 社会人になってからは、ますますヤグラヅカのことなど忘れている。その近くに広陵という町があるのだが、これもヤグラヅカと同じレベル。そのレベルの町ならいくらでもある。しかし、ヤグラヅカは結構近い。それでもそちらへ行く機会など殆どないので、ヤグラヅカに用事はないし、意識しないといけないことでもないので、他の近所の町々と同じように、萎んでいった。
 ところが勤め先を辞め、ぶらぶらしているとき、お金もないことから町内を自転車でウロウロして時間を潰していた。
 そのとき、やっとヤグラヅカが出てきたのだ。漢字で書くと矢倉塚。しかし古墳などない。あればきっと櫓のように背が高かったのだろうか。
 それで暇なので矢倉塚町に入り込み、案内版などを見ると、昔の地名や地図もある。小さな集会所、自治会館だろうか。普通の家を改造したものだ。
 何かの当番の人だろうか、集会所前で草花の手入れをしている。
「古墳?」
「はい」
「古墳なんてないよ」
「それは分かっているのですが、昔あったとかは」
「さあ、私も引っ越してからしばらく立つが地の人間じゃないからね。まあ、殆どそうだけど」
「じゃ、なぜ矢倉塚って言うのでしょうねえ」
「さあ、図書館か博物館へ行けば、知っている人がいるでしょ。村史もあるしね」
 矢倉とは武器庫だ。塚は墓。しかし、両者ともない。
 草加は少し遠いが市営の博物館へ行くと古墳や遺跡などを示したマップがあったのでそれを見る。縄文時代の遺構とかもある。
 古墳を調べると六つほどあるが、どれも小さい。その中に矢倉塚古墳があるはずなのだが、ない。
 そして、展示品やパネルを見ていると、市や県などが指定している歴史的建物というのがあった。古い農家などだ。これはものすごい数がある。
 その中に矢倉家というのが見付かった。これだ。
 しかし、矢倉塚にはなく、もっと離れた町で、この当時は村だろう。そういう村が集まって市になったのだが、矢倉家の家屋が残っているのはかなり離れた町。町名は知っていたが、遠いので馴染みがない。
 矢倉塚のあるところは新田で、矢倉家が中心になって開墾したらしい。飛び地のようなものだ。この地図では矢倉塚は載っていない。
 しかし古墳ではなく、矢倉家の墓場だったようだ。個人の家の墓なのだ。そんな大きな家ならお寺に墓があるはずなのだが。
 だから矢倉塚と呼ばれる墓場があったことは分かった。新田開発の頃にできたのだろう。当時の絵や写真は当然ないが、盛り土の高さが尋常ではなく、まるで小山のようだったので、何処からでも見える。土地の人は矢倉さんの墓地だと知っているので、矢倉塚と呼んだらしい。しかし矢倉塚という地名が正式に出てくるのは最近のことで、宅地になってから人口が増えたため、村から独立したらしい。
 草加はそこまで調べたので、矢倉さんの墓があった場所を特定することができた。既に二つの家の敷地内にある。
 そして、それを知ったからといって、特に役には立たなかったが、暇潰しにはなった。
 
   了
 


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2018年04月20日

3600話 素人探偵


 春の明るい頃、竹中は暗い気持ちでいた。季節は明るくなっても気持ちは明るくならない。季節は巡るが竹中は冬のまま。冬眠するわけにはいかないので、寒い中、起きている。しかし寒さではなく、暗いのが問題。
 何か気が晴れ、明るくなるようなことをやろうとするのだが、それは明るい人で、暗い人は最初からその元気がない。つまり、明るい人が暗くなったとき、明るさを取り戻そうとするが、最初から暗い人は戻り先に最初からいるようなもの。
 ただ竹中には暗さの中にも明るさがある。これは暗さにも程度がある。程がある。階調がある。比較的暗くない暗さもある。暗いことには変わりはないのだが、竹中の中では明るい。これは本当の明るさではないのだが、ましな暗さだ。
 そういう時期がたまに訪れ、それが今日。
 外に出ると春の明るさと多少は同期する。これが一番暗い場合は、春の明るさは眩しすぎて困るのだが、その日は問題はない。
 竹中は暗いが部屋の中に閉じ籠もっているわけではない。働きには出ていないが、散歩に出ることは嫌いではない。散歩は気晴らし。だから少しは気持ちも明るくなる。歩いているだけで気が晴れるわけではないが、明るい気持ちになる。特に今日のような春の陽気が効くようで、良い気分になってきた。それでも気分が明るくなったわけではなく、暗さが緩和されただけで、相変わらず暗い部類のまま。
 いつも下を向き、地面ばかり見ながら歩いているのだが、今日は少しだけ視線が上がっているが、上を見るには至らない。路面数メートル先まで見える程度の上がり方だが、そこに妙な靴を見た。前方から来る人だが、左右の靴の色目が若干違う。違う靴だろう。光線の具合ではなく、さらに近付くと形が違うのが分かる。
 そして裾を引きずったようなズボン。長すぎるのだろう。折りたたんでいるのだが、それが外れている。さらにその上のベルトだが、ベルト通しに柄物の紐。しっかりと編んだ組紐ではなく、寝間着の紐に近い。または布製のテープ状のものだろうか。スーツ姿だが下と上とではほんの僅か色が違う。別々のものなのだ。ノーネクタイで、どう見てもチェックのネルシャツ。上の二つが外れているのだが、止めないのではなく、ボタンが取れているようだ。
 そして首の付けから伸びている無精髭。伸び放題ではなく、ある程度伸びたところで、ハサミで切っているのだろう。長さがバラバラ。
 髪の毛は縺れ、不規則な伸び方だが、これも適当に切っているのか、左の耳は隠れているが、右の耳は隠れていない。無茶苦茶な切り方だ。
 そして頭に何かを付けている。よく見るとゆっくりと動き、さっと飛んだ。普通のハエよりも大きい。蜂にしては太っており、黒い。
 竹中は見詰めすぎてすれ違うタイミングを逸し、そのホームレスとぶつかった。
「ああ、すすみません。つい考え事をしていたもので、気付きませんでした。ダダダ大丈夫ですか」
 男が喋っているのを聞きながらその目を見た。今まで人に目を見て話すことはなかったのだが、この男の目なら安心して見ることができた。
「いえ、こちらこそ、下を見ていたもので」
「ところで、カカカ怪人を見ませんでしたか」
 竹中に光が射した。
「あなたは」
「はい、素人探偵です」
 これが竹中と探偵便所バエとの出合いだったが、出合っただけで、その後、再会はない。
 竹中は闇の中で光を見たのだが、あまり良いものではなかったようだ。
 
   了


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2018年04月19日

3599話 走る夢


 吉田は風邪で伏せっているとき夢を見た。普段は夢は見ない。弱っているときに見る。その夢は野原を駆けているシーン。追いかけているのか追いかけられているのかは覚えていない。ただものすごい勢いで走っている。
 この野原は草原。しかも平野部。そんな風景は近所にはないし、国内にもないだろう。広い平野で、山は遙か彼方。そんな場所なら農地になっているはず。しかし何もない。ただの草むらが続いている。
 これは遊牧民が暮らすような場所。だからその記憶は何かの映像から来ているのだろう。
 吉田はすぐに思い出した。数日前に見た海外のテレビドラマ。現代劇ではない。もっと昔の王朝物だ。そこで戦いがあった。
 これでタネが分かったのだが、追いかけているのか追いかけられているのかは謎のまま。周囲に誰かがいたはずだが、誰なのかは分からない。一緒に逃げている人間か、または追いかけている人間かも分からないが、何人かの人がいる。しかし人だと分かる程度で、どんな服装をしていたのかまでは見えない。人の形をしたものが流れている程度。大群衆ではない。それが兵なら分かりやすい。テレビドラマそのものなので。
 草原を走っている夢だが、実際には走り出したときに目が覚めた。大きな寝返りを打ち、布団から出ていた。畳に頭があった。その畳が草原だったのかもしれない。
 覚えているのは目覚めるまでの短いシーン、ほんの数秒。今まさに走ろうとし、走り出したとき、起きた。その手前に何かあったはずなのだが、あったという記憶があるだけで、中身までは覚えていない。だから夢が中断した数秒前だけを覚えており、その前は何だったのかは記憶にない。
 逃げているのか追いかけているのかが曖昧なのはその手前のシーンが分からないためだ。
 起きたとき、寝汗もかいていないし、息も荒れていない。怖かったとも感じていない。だから悪夢ではない。
 追いかけているのか逃げているのか、そのどちらかだが、そのどちらでもないとすれば、ただ単に走ろうとしているだけの夢なのかもしれない。
 
   了



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2018年04月18日

3598話 貴種流転談


「この罠が成功すれば敵を倒すことができる。これが最後の戦い」
「元々王子様がこの国の正統な後継者、元に戻せますねえ」
 国王に力がなく、その家来に乗っ取られ、王はただの操り人形。それだけ力のある家来がいたのだろう。この家来こそが王のようなもの。
 王子は幼い頃島に流されたのだが、正統性を訴える少数の家来に助けられた。艱難辛苦の末、反撃に出たのだが、その手が汚い。
 毒殺やだまし討ちを繰り返し、徐々に敵の勢力を削いでいった。
 最後の戦いは敵の仲間割れを狙い、これも様々な汚い手を使い、最終段階に達した。
 そして敵同士が戦うことになり、国王の周囲にいた主だった家来は亡び、国王を操っていた大物の家来も同士討ちの最中、刺客の吹き矢で暗殺された。
 しかし、その悪い家来が国を乗っ取っていた頃の方が安定していた。戦いはなく、平和。外敵も襲ってこなかった。それなりに繁栄していたのだ。
 ところが王子が国王になり天下を取ってから世は乱れた。本来の正統な後継者があとを継いだのだが。
 誰もがこの後継者を恐れた。旗揚げのときの初期メンバーが先ず逃げ出した。遠島先から王子を救い出した人達だ。当然その後も手柄を立て、功臣となったが、すぐに職を辞し、地方へ戻った。
 それはこの後継者のこれまでのやり方を知り尽くしていたからだ。姑息な手が多く、だまし討ちや、仲間割れを狙っての工作、そういうのを見てきただけに、この後継者のやり方を恐れた。
 敵だった実力派の大物家来は大人物で、正統派。戦いも正攻法。汚い手は一切使わなかった。
 そして後継者は王になるが、従うものは少なく、国は荒れ、外敵の侵入を簡単に許し、滅ぼされた。
 
   了



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2018年04月17日

3597話 自分らしさ


「無理をなさらず自分らしいやり方がよろしいかと」
「うむ」
「では、これにて」
「お待ちを」
「はい」
「それだけですか」
「左様で」
「それはちと難しい」
「簡単なことです。無理をせず、自分らしくやれば済むことです」
「そこが難しい」
「人は自分らしくないことをやりたがるものです」
「それは初耳ですが」
「自分のことを誇らしく思う人は少ないからでしょう」
「自分で自分を誇ると言うことは」
「そうです。誇りに思えるようなことをやってきた人は希なので」
「部屋の埃はいくらでもありますが。より良いものを求めた場合、今の自分では過不足」
「だからといって無理をされるのはどうかと」
「無理ではなく挑戦です」
「まだチャレンジしていないことは新鮮でよろしいかとは思いますが、戻されます」
「何処に」
「自分らしいところへ」
「そこなんじゃ」
「何処でしょう」
「自分らしさとは何かが分からぬ」
「その通り」
「では、何処に戻ればよろしい」
「自分らしい場所にです」
「だから、その自分らしさが分からんとなると、戻る場所が」
「それを探すのはおやめなさい」
「難解すぎて、わしには分からぬ」
「自分らしさとは特に何もしないと言うことです」
「何もせんとな」
「では動けぬではないか」
「平常通り動かれればよろしい」
「どの状態が平常なのじゃ」
「いつものようになされては如何かと」
「そのいつもが自分らしい場所と言うことか」
「左様でございます」
「いつもの場所はよく変わる。自分らしくないことをやることも、いつもの自分ではよくある。だからそれは自分らしさではない」
「戻されたところが自分らしい場所です」
「何からじゃ」
「無理をなさったあと、戻るでしょ」
「ああ、引き返すことがある」
「そこがその場所です」
「うーむ。しかし、それは結構動いておるぞ」
「当然です。自分らしさも変化しておるからです」
「しかし、自分らしさとは何もせんことだと先ほど言ったが、あれはどうなる」
「自分らしさを求めないことです。それに関しては何もなさらない方がよろしいかと」
「お坊はそれでやってこられたか」
「拙僧ですかな」
「そうじゃ」
「できませなんだ」
「できんことを人に諭すのか」
「そこで悟ったことを申したまで」
「悟れぬことを悟ったというようなものじゃな」
「それは私のような愚僧が口にすると浮いてしまいます」
「まあよい、いつもの自分というのも変わるということを知っただけでもいい」
「万物は流転します。全て流れて行きますが、遅いか早いかだけ、もの凄く遅いものは、動いていないように見えるだけ」
「もういい、そのあとの説教は」
「はい」
「少し無理をしたようじゃ。引いてみる」
「そのようになされませ。そのままお進みなられると、もう旦那様らしくなくなりすぎますので」
「うむ、分かった」
 
   了



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2018年04月16日

3596話 静かなる鳩首


 とある大名の筆頭家老なのだが、この人は凡庸。しかし筆頭家老職は世襲制なので、凡庸でも筆頭家老をやっている。もう何代になるのか分からないほど長くなった。
 筆頭家老がいるのだから、普通の家老もいる。五人ほどいるだろうか。だから筆頭家老が凡庸でも他の家老が何とかしてくれる。
 普通の家老の中に優れた人がいても、筆頭家老にはなれないが、筆頭家老を代行するような役職が与えられる。これは一代限り。
 この大名家、凡庸な家老の時期に才気溢れる若様がおり、嫡男でもあるので殿様になるはず。
 この若様は凡庸な筆頭家老を嫌い、優秀な一人の家老と親しくした。つまり筆頭家老が邪魔なのだ。いても役には立たず、座っているだけ。
 若様は殿様にそのことを言うと、反対された。お前があとを継いでもあの家老は筆頭家老のままにするようにと。
 なぜかと問うと筆頭家老は変えられないためと念を押される。そういう仕来りで、これを破ると、秩序が乱れると。
 この殿様も何代目かなのだが、それほど優れた人ではない。そのため、政は家老に任せている。その筆頭家老が頼りないので、他の家老が実際には仕切っているのだ。その中に田中という家老がおり、若様のお気に入りだ。まだ若い。
 そうこうしているうちに殿様は隠居してしまった。まだそんな年ではないが、この人も凡庸なので、いてもいなくてもいいような存在だし、政が好きではない。だから才気溢れる息子に譲った。
 そのときも筆頭家老の大崎はそのままにしておくように念を押した。
 どうしてかと若様は聞くと、主筋だからと答えた。
 つまりこの大名家が昔仕えていた主人が大崎家だった。つまり大崎家を追い出したいきさつがあり、初代は周囲の影響を考え、大崎家を滅ぼさず、筆頭家老、つまり一番の臣下とした。主従が逆転した。
 当然代々の大崎家の人達は、そのことを知ってはいたが何せ凡庸な人しか出ないので、お飾りのように座っているだけ。
 若様はそれを守り、大崎を筆頭家老のままにした。まだ先代の父親が生きているのだから、下手な真似はできない。しかし、大崎が邪魔。役に立たない筆頭家老がいるだけでも嫌悪感を感じる。
 才気溢れる若い殿様にとっては当然かもしれないが、この凡庸な大崎氏が安全弁になっていることを知らない。
 重臣会議では常に若い殿様お気に入りの田中氏が仕切り、大崎氏は座っているだけだが、物事を最終的に決めるのは筆頭家老の大崎氏。これが重臣達のの総意ということで纏める役。
 この時期の大崎氏はかなり年寄りになっていた。跡継ぎがいるのだが、その人も凡庸。しかし凡庸なためか、当たり前のことを無難にこなしていたので、これが安全弁になっていたのだ。
 そのため、才気溢れる若い殿様と、これまた優秀な家老の田中氏のコンビで改革を試みるのだが、大崎氏がうんとは言わない。
 当然だ。その改革の中に筆頭家老は世襲制にはせずというのが入っているためだ。反対しないまでも大崎氏は頷かない。
 若い殿様が合意しているのに、大崎氏が合意しない。
 そこで田中氏は政敵を倒すことになる。殿様も黙認した。
 そして筆頭家老大崎家の屋敷を包囲し、一族皆殺しを目論んだのだが、田中氏が兵を出したとき、それを感知した大崎氏周辺の武将が味方に呼びかけ、救援にかけつけた。
 大崎屋敷へ向かう百人の兵。多すぎるのだが、そこは若い殿様が後ろにいるためだ。兵を動かせるのも殿様の黙認のおかげ。
 先代の殿様はそれを見て、心配そうにしている。
 田中軍が大崎屋敷に今まさに乗り込もうとしているとき、屋敷の前に幟が立っているのを見る。
 後ろを見ると、そこにも兵がいる。逆に田中軍が包囲されてしまった。
 大崎家というのは元々はこの一帯の領主。地縁血縁が多く、旧家臣も多くいたのだ。それらが立ち上がった。
 田中軍百に対し大崎軍は数千はいる。このままでは田中軍が全滅するどころか、城も危ない。
 先代の凡庸な殿様が心配したのはこれだ。大崎氏を何とかしようと試みると、何が起こるのか分からないと先々代から伝わっていた。
 先代の殿様は単身大崎屋敷に乗り込み、謝罪した。謝って済む話ではないが、大崎氏は了解した。
 それで血を見ず、事は治まったが、田中氏は追放された。
 凡庸で役立たずの筆頭家老だが、最大派閥の鳩首だったのだ。しかも静かな。
 
   了
  
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2018年04月15日

3595話 桜が落ちる


「桜がねえ」
「もう花見のシーズンは終わりましたが」
「いや、まだ咲いておる」
「山桜でしょ」
「いや、街中だ」
「ソメイヨシノですか」
「おそらくそうだろう」
「既に葉が出てきて、花はないですよ」
「それがまだある。咲く花、散る花がね」
「ソメイヨシノに似た品種で、遅咲きの桜じゃないですか」
「違う。ずっと咲いておる。桜が咲く前から咲いておった」
「分かりました」
「分かったかね」
「絵でしょ」
「そうなんだ。ある施設の壁にある絵でね」
「常設の」
「いや、この季節だけ」
「ディスプレイですね」
「まあそうなんだが、よく見ると、そんな桜は存在しない」
「絵ですから、存在しませんよ」
「いや、桜の木の絵としてもあり得ない」
「じゃ、桜の木じゃないのかも」
「この季節なら桜だろ。それに花びらは桜。しかし枝振りは桜だが、花の付き方がおかしい。枝の小枝、さらに小枝に付くのだが、そうではない」
「まあ、簡略化した絵なんでしょ」
「咲いている花もあるし、散りゆく花もある」
「絵ですから、何とでもできます」
「それを見ているとね。日によって散り方が違う」
「え」
「今まさに舞っている花びらが昨日とは違っていたり、数が少なかったり、増えたりしている」
「錯覚でしょ」
「そうだね。暇だからずっと見ているので、長いこと同じものばかり見続けていると動き出すことがある。それに近いのだが、見ているときには変化はない。ところが翌日行ってみると、変化している」
「書きお直したのですかねえ」
「そんな手間の掛かることをするはずがない」
「壁に掛けてある絵でしょ」
「壁にいきなり書かれてある」
「じゃ壁画」
「しかし、シーズンが終わると、別の絵になる」
「じゃ、壁紙でしょ」
「幅は一メートルもない。高さも。そこだけわざわざ張り替えるかね。それに区切りがない。張り替えたとすれば、そこだけ色が違うはず。日が差す場所にあるからね」
「じゃ、何でしょう」
「絵の一部が違っている日がある。枝は同じだが、花びらの位置が違っていたりする」
「どういうことでしょう」
「花びらが散って、落ちたのだ」
「絵でしょ」
「だから、絵が落ちた」
「はあ」
「よく見ると、花びらが光っておる。しかも丸く」
「はい」
「張ってあるんだ。花びらが」
「なるほど」
「それで剥がれて落ちることがあるんだろうねえ。それを張り直したようだが、位置が違う」
「壁画ではなく、貼り絵ですか」
「枝も実は貼ってある」
「なるほど」
「それに気付いたのは、いつもの時間帯と違うときに見たんだ。光線状態が違うので、光っていたんだ。丸い透明のテープのようなものが見えてしまった。さらの花びらの形に切った紙ではなく、丸いテープのようなものの中に桜の花びらをプリントしていたんだ。枝もそうだ。枝の端に光る箇所がある。枝に沿ってね。枝も複数のテープにプリントされたもので、絵を組み立ててある。きっと完成品のサンプルがあるんだろう」
「はい、分かりました」
「だから、この季節になると全国津々浦々にあるその施設で、一斉に使うんだろう。ここだけじゃない」
「そういうことだったのですね」
「しかし、その絵をじっと見ていると、桜が散って落ちることがある」
「接着が剥がれて、ポロリと落ちたのですね」
「そうじゃ」
「じゃ、枝も落ちるかもしれませんよ」
「まあな」
 
   了

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2018年04月14日

3594話 黄龍が昇った


 降りそうで降らない空模様。青空が濁り、厚い灰色がかり、紫もかかっている。異様な空の色。覆っているその色の上はきっと青空で、黄龍が昇っているかもしれない。しかし、人はそれを見ることはできないが、さらに上からなら見えるはず。高い山からなら、この覆っている紫の雲が下に見えるはず。だが、近くにそんな高い山はない。
「黄龍を見たと」
「はい」
 実際には見えたかしれない、見えたように思えた程度。下からは見えないのだから。
「黄龍が昇るとなると、異変が起こる。王が替わるやもしれぬ」
「では誰が」
「誰が昇ったかじゃ」
「思い当たる方はおられますか」
「少なくても今の有力者達の中の一人ではない」
「じゃ、誰ですか」
「分からぬ。黄龍が昇ったということは、これは始まり。まだ身分の低い者かもしれんし、今、産まれたのかもしれんしのう」
「今、産まれた者なら、先の話ですね。赤ん坊では王になれません」
「または、王になる道を得たものじゃ。王になる運命にある。それだと早いかもしれん」
 今にも降りそうな空だが、まだ降らない。
「紫の空。これも気になる」
「降り出しました」
「来たか」
「はい」
「ここでは濡れる。雨具を用意せなんだ」
「では、何処かで軒を借りましょう」
 貧しい家並みが続く軒下を借り、雨がゆくのを待っているとき、軒の奥から赤ん坊の泣き声。
「黄龍が昇った日に産まれた赤子のようじゃな」
「それが王に」
「男女か聞いて参れ」
「ここから声を掛ければ聞けます」
「そうか」
 赤子は女の子だった。
「違っていたのう」
「でも女王という可能性も」
「このこと、覚えておこう」
「はい」
 その後十数年経過し、この地方はまだ動乱が続いていた。
 あのときの二人が、再び軒を借りたあの家を訪ねた。
「十数年前、ここで産まれた女の子はその後どうなりましたかな」
 親もこの二人のことを覚えていた。身分の高い人が雨宿りしていたこと、赤子が産まれたとき、そこにいたこと。そして男の子か女の子かと訊いたことも。
「あの子は幼くして亡くなりました」
「おお、それは可哀想に」
 二人は立ち去った。
「女王にはなれんかったのか」
「そうですねえ」
「しかし、お前は本当に黄龍が昇るのを見たのか」
「昇るように見えました」
「あの厚い雲の上は流石に見えんじゃろ」
「それが、上の青い空を昇って行く様を」
「見たように思えただけじゃな」
「あ、はい」
「仕方がない」
「残念です。この地を統一するはずの者は幼くして亡くなったのでは」
「仕方がない。わしがやるか」
「そうなさいませ。旦那様こそが、その者だったのかもしれませんから」
「しかし、わしでは絵にならんじゃろ」
「そ、そうですねえ」
 
   了


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2018年04月13日

3593話 伏魔殿


「博士がおいでです」
「そうか。離れの別館へお通ししなさい」
「かしこまりました」
「このことは」
「はい」
「内密に」
「はい」
「と言っても漏らすのだろうなあ」
「滅相もございません」
「ここに来て長いのう」
「はい先々代から、いえ、もっと前からお仕えしております」
「まるで時代劇じゃ」
「はい」
 迷路のように入り組んだ邸宅、広い敷地は高い塀と堀に囲まれている。
 その離れの別館に博士は通された。
「まだ魑魅魍魎は出ますかな」
「毎日のようにな」
「日常化しましたか」
「わしもその一人かもしれん」
「今回はどのようなバケモノですかな」
「ゾンビだろう。生き返って暴れておる」
「この前は木乃伊が生き返ったとか」
「急に動き出したよ」
「もう慣れておられますなあ」
「そうだな。しかし何とかしてくれ」
「マジナイ程度では効きませんが」
「やってくれると落ち着く」
「大変ですなあ」
「しばらくの辛抱。そろそろわしもここから出たい」
「結界が張られておるのでしょ」
「そうじゃな。それが破れん。従って抜け出せん」
「そのうちバケモノ達も疲れてきます。待ちましょう」
「それしかないか」
「一応マジナイをやっておきます」
「そうしてくれ」
 博士は内ポケットから御札を出し、テーブルの下に貼り付けた。
「これで効くか」
「サロンパス程度の効き目はあるでしょう」
「気休めじゃな」
「ないよりはまし」
「誰が何を企んでおるのかは、わしには分かっておる。しかし手が出せん。何ともできん」
「物が古くなると物怪になります。人の企みも古くなると妖怪になります」
「それが自然の摂理か」
「そう思えば少しは気が楽になるかと思います」
「博士」
「はい」
「君も妖怪化しておらんか」
「きっとそうでしょ」
「博士」
「はい」
「これからは博士のことを妖怪博士と呼ぼう」
「はい、お好きなように」
 
   了


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2018年04月12日

3592話 妖花


 冬眠は完全に眠っているが、春眠は起きているのだが、眠い。冬眠状態は何もしていないが、春眠状態は何かをしている。しかし、眠い。
 冬は冬眠している妖怪博士だが、春になると動き出す。しかし眠いようで、冬眠を延長して春眠になりつつある。しかしこの春眠は昼寝のことだ。夜は夜でしっかりと寝ている。
 春眠があれば夏眠もある。仮眠ではない。これは湿気が高く暑いとき、活動を完全にやめる植物や動物もいる。もの凄く暑い地域だ。寒くて眠るのは餌がないためだろう。植物も光が少ないと効率が悪いので、仮死状態になる。だから餌がないときは仮死状態で季節に関係なく、眠っているようだ。
 妖怪博士は餌とは関係なくよく眠る。しかし春になると妖怪も蠢き出すので、仕事が多くなる。だが一体そんな妖怪など何処で蠢いているのかは謎。それに妖怪が冬眠するものかどうかは分からない。
「春の妖怪か」
「はい」
 担当編集者が仕事を持ってきた。
「毎年そんなことを言っているように思うが」
「シーズンですから」
「妖怪に限らず、バケモノは眠っている方がいい」
「眠っているモンスターを起こしてしまう話は多いですねえ」
「封印を切ってな。だから眠らせておくに限る」
「春になると蠢き出す妖怪で、お願いします」
「虫ではないが、春になると出る妖花がおる」
「妖花ですか」
「芽を出し、葉を出し、花を咲かせる」
「はい」
「春になると庭の片隅に見かけぬ草が生えておることがある。他の雑草と混じってな」
「放置しておけばマンモスフラワーになるとか」
「そこまで派手じゃない。雑草の中に混ざっておる。しかし雑草といっても種類は多い。雑草と一括りにして、根こそぎ抜くのが普通じゃろ。雑草に価値はない。庭先などに生える雑草はそれほど種類は多くないはず。数種類じゃが、ほぼ見慣れた顔付き。その中にたまに見かけぬものが出てきておるが何せ雑草。愛でることもないし、注意深くも見てもいない。どうせ抜くのじゃからな。邪魔なものなので」
「先生宅の庭は雑草だらけですが」
「草に怨まれとうないので放置しておる。時期が来れば枯れる。抜く必要はない」
「はい」
「あまり注目されておらんから、その中に妖花が混ざっておっても気にも留めないし、その妖花、他のよくあるような草と似た姿に化けておる」
「先生宅の庭にも出ているかもしれませんねえ」
「桜が散る頃から春の草花が一斉に咲き出す。丁度今頃じゃ。茎や葉だけを見ていても分からんが、咲くと目立つ」
「その中に妖花がいるのですね」
「これがまた小さな花でなあ、咲いているのか咲いていないのかはたまたそれが花と言えるものか分からんほど地味で貧弱。華のない花。しかし、図鑑で調べてもその植物は分からん。何かの草に似ておるので、新種だとも思えん」
「まるで群衆の中にモンスターが混ざっているようなものですねえ。同じような姿だと分かりません」
「そうじゃな」
「それで」
「続きか」
「どういうことをする妖花ですか」
「何もせん」
「はあ」
「咲いておるだけ」
「地味です」
「これは地霊の使い魔」
「そうなんですか」
「地面から湧き出したようなもの」
「それで、どのようなことを」
「何もせん」
「はい」
「ただ、妖怪らしさはある」
「どのような」
「目立たないところで目立たないように成長し、目立たない花を咲かせるが、さっとそれで消えてしまう。根こそぎな。しかし、消えたことそのことすら誰も知らない」
「その正体は地霊だということですが、何をしているのでしょう」
「まあ、あくびじゃろ」
「欠伸」
「ガス抜きのようなもの」
「はあ」
「だから妖花は地面から湧き出たようなもの。泡となり後は消えるだけ」
「もっと景気の良い妖怪でお願いします」
「バブル妖怪なので、景気は良いはず」
「でも消えてしまうので、景気は悪いです」
「そうじゃな」
 
   了
 
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2018年04月11日

3591話 簡単なこと


 簡単なことほど難しいのは、簡単にはできないから。これは意識の問題。
 簡単すぎると、こんな簡単なことで良いのではないかと心配になる。大事なことだともっと手間取っても不思議ではない。それがいとも簡単にできるとなると、これは何か間違いを犯しているのでは、考えが足りないのではと詮索する。
 また簡単にやってしまうのはもったいないと思い、必要以上に時間を掛けたり手間を掛けたりする。実際には考える必要もないほど簡単なことでも。
 また、あまりにも簡単すぎると、これは罠ではないかと考えたりする。これは下手な考えだが、上手な考えもある。
 簡単なことを複雑に見せたりすることもある。簡単すぎると有り難みがない。もっと大層なことだと思わせた方が値打ちが出る。
 簡単なことを複雑にすると、もう簡単なものではなくなってしまう。あとで付けたようなもの、それは解釈でも良い。そちらの方がメインになり、本来のものが見えなくなる。簡単なものなのに盛ってあるものが逆に邪魔をする。
 簡単なこととは捉え方の問題で、簡単だと捉えるかどうかで決まる。簡単だという意識だ。最初から簡単なのではなく、よくよく考えてみると、これは簡単なものではないかと分かってからの話。最初から簡単なものとは、考える必要さえないほど簡単なもの。だから初期値から簡単。
 あまりにも簡単だと、労がない。それでは努力したり、頑張ったり、懸命にやっているというものが盛れない。
 簡単に済ませられるようなことを複雑にしたり、また逆に複雑なものを簡単に済ませたりもする。いずれも意識の問題も大きい。意識とは関係なく、簡単なものも複雑なものもあるが、それは絶対的な意味が含まれるためだろう。
 つまり本当は複雑で難しいことを簡単にやってしまうと怖い。何か間違いをしているのではないか、こんな簡単なことで済むのかと手も足も止まる。
 簡単なことでもそれとの接し方で違ってくる。だから簡単なことが簡単にはいかない。
 複雑で手間暇の掛かることでも、本当は簡単なことかもしれない。また簡単なものではないと誰かが見せかけていたりするし、本人もそうだと思い込んでいる。
 本当は簡単なことだったとなると拍子抜けする。そこで抜けたものとは意識や気持ちだけではなく、儀式のような盛り物、飾り物も含まれる。
 しかし、本当は簡単なことではないことを簡単だと思える神経は素晴らしいかもしれない。
 
   了



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2018年04月10日

3590話 徒歩距離にある喫茶店


 立花は夕方前に行く喫茶店は雨だと近所に変更している。いつもの喫茶店が遠いためだ。近所の喫茶店は徒歩距離と自転車距離の二店。徒歩距離の店は個人喫茶。一人でやっている。
 春の雨なので、大したことはないのだが、徒歩距離にする。本当は自転車距離の店の方に多く行っている。
 立花は徒歩距離の方が楽だと思い、店の前まで来たが、ドアの前に何か置いてある。シャッターは閉まっていない。店内の灯りも消えていない。営業中なのにドア前に障害物。ドアは手前に引くタイプ。しかし障害物があるので途中でぶつかり、開ききれない。障害物はブロック程度の大きさなので、簡単に手で動かせる。だからこれでは入って来られないようにしているのではなく、入りにくくしている程度。以前は障害物はなかったが鍵が掛かっていてドアは開かなかった。ドアを引く前に障害物があるので、それで分かるだろうということだろうか。要するに休憩。閉店時間までは僅か。だから閉店してもかまわないのに、中途半端な状態で開けながら閉めている。これは買い物に出たのだろう。以前にもあった。
 さらに喫茶店の行燈が道路際にあるが、その点滅ランプが消えている。これが一番の合図。目立つように点滅しているのだが、そのスイッチを切っている。閉店したときは行燈も下げる。
 歩いてここまで来たので、立花はその先にあるもう一店へ行くためには戻って自転車を出して、となると面倒になる。それで自転車距離のところを歩いて行った。靴は濡れ、靴下まで濡れるし、鞄は防水性のない布なので、これも濡れた。傘を差していても自転車距離なので長い目を歩かないといけない。
 自転車距離の店はファスト系だが高い。しかし正月以外は年中無休で遅くまでやっている。だから閉まっているということはない。
 自転車距離の喫茶店なので歩いて行ったことはない。しかし、思ったよりも近い。
 道は店の裏側から脇に出るため、駐車場が見える。そこで気付いたかもしれないが、そのときはまだ。傘で前方が欠けているためだろう。傘を上げてまで見るようなものでもないので、そのまま喫茶店の横に回り込んだ。建物には複数の窓がある。それも見ていなかった。
 そしてドアを見る前に、灯りがないことから、閉まっていることが分かった。すぐ横の駐車場には一台も止まっていない。
 ドアを見ると臨時休業となっている。正月以外休まないはずなので、何かあったのだろう。
 徒労に終わるとはこのことだとガッカリしながら元来た道を引き返した。そして家の近くに来たとき、あの喫茶店が見えた。行燈の上が点滅している。主人が戻ったのだろう。自転車も止まっている。主人のものだ。
 一番近い徒歩距離の喫茶店なのにもの凄く遠回りしたことになる。しかも雨の中歩いたためか、もう靴下まで濡れ、ぬるっとしている。
 そして気を取り直して喫茶店に近付くと、今まで点滅していた灯りが消え、そして行燈の日も消えた。
 既に閉店時間になっていたのだ。
 
   了
 

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2018年04月09日

3589話 桜の客


 桜も散り、もう見に来る人もいなくなった頃、桜の花びら川に雨が降り、白いものがゆっくりと流れてゆく。
「あの人、今年は来なんだのう」
 山寺の住職が手伝いに来ている孫娘に言う。孫娘は花見の頃、茶店の手伝いで来ている。それが終わる頃は春休みも終わるので、都会へと帰る。
「去年来てた人?」
「来ていたのかもしれんが、姿を見かけなんだ」
「私も一度だけ見たわ、雨の日でしょ」
 その人は雨の日に一人、傘を差し花見をしている。住職は十年近くそれを見ている。
 シーズン中でも流石に雨の日は人出がない。無人に近い。しかし、その人だけは来ている。そして隅っこで傘を差し、じっと桜を見ている。人がいないので目立つ。だから住職も毎年気にして見ている。ところが今年は来ない。
「雨が降っていなかったからでしょ」
「そうじゃなあ。今年は咲き始めから散るまで雨は降らなんだ」
「どうして雨の日に来るの、お爺ちゃん」
「さあなあ。きっと静かなためじゃ。独り占めできる」
「私は去年見たけど、あれは人じゃないよ」
「そういえば顔を見たことがない」
「人じゃないよ、お爺ちゃん」
「いや、風情の分かる御仁じゃろ」
「雨じゃ花見なんて」
「そこが風流というもの。きっと何かをやられている方じゃ」
「じっと立って見ているだけでしょ」
「何かを得ようとしておるのかもしれん」
「ふーん」
「だからただの行楽ではない」
「そうよね、わざわざ雨の日にだけ来るんだから」
「それで今年は降らなかったので、来なかったようじゃ」
 そのとき、呼び鈴が鳴る。
 下の茶店からだ。誰かが押したのだ。
 茶店は今日で閉めることになっていた。桜は既に散っているが、春の花々が境内では咲き誇っている。晴れていれば季候も良いので桜は散っても別の花見はできる。しかし雨だと来ない。一人も。
 孫娘は山門まで傘を差して下り、茶店の裏口から中に入った。
 雨なので縁台は濡れているが、茶店の軒下に座る場所がある。そこに一人の男が座っていた。
 孫娘ははっとした。去年見た人と同じようなレインコートと蝙蝠傘。目深に被った帽子も去年の人と同じ。しかし、こんな近くで見るのは初めて。
「ききききつねうどん」
 男は濁った鼻声で注文した。
 あの人ではなかったようだ。
 
   了
 
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2018年04月08日

3588話 如何なものか


「昔やられていたことを今またなされるのは如何ですか」
「非難しているおるのですか」
「なされては如何かと言っているだけ」
「如何なものかと」
「いや、そうではなく、またやってみては如何ですか」
「やはり、如何なるものかと否定しておられるのですね」
「違います。やってみてはと言っているだけです」
「やって欲しいと」
「はい、希望です」
「誰の」
「私の」
「人の希望ですね」
「まあ、そうですが」
「私の希望じゃありません」
「昔、折角やられていたのですから、その続きを」
「あれは若い頃でしょ」
「その頃のようにやられては如何ですか」
「如何かと問うておるのですか」
「そうです」
「やはり否定的に聞こえますが」
「やってみられてはどうですか」
「あの頃の情熱はもうありませんよ」
「そうなのですか」
「あなたはどうですか」
「私もありません」
「じゃ、聞くまでもないでしょ」
「あなたならできるのではないかと思いまして」
「同じですよ、あなたと」
「そうですねえ」
「あれは気力がなければできません」
「私は気力はあるのですが、体力が伴わなくなりました。気の持ち方だけでは無理ですねえ」
「そうでしょ。それと大した成果は上がらないと、もう今では分かっていますからねえ。先が見えていることですから」
「その問題も大きいですねえ」
「それが分かっていながら、なぜ今私に勧めるのですかな」
「他にいないからです」
「いないでしょ」
「いないを、いるにするだけでも、良いのじゃないかと思いましてね」
「やるだけなら簡単ですよ」
「そうなんですか? じゃ、簡単ならすぐにでもやり始めて下さい。あなたの様子を見て私も始めたいと思います」
「簡単ですが、それはやっているだけで、それだけの意味しかありません」
「それで充分では」
「そこが若い頃と違うところですよ。やることが目的じゃなく、結果を求めます」
「結果など求めなくてもいいじゃありませんか」
「それは難しい」
「私もそうです」
「かなりしつこいですねえ」
「私がですか」
「そうです。目的は何ですか」
「思い付いただけです」
「じゃ、あなたが一人でやればいいじゃないですか」
「一人では心細いですし、それ以前に私にはもう無理です。しかしあなたならできそうに思えたので言ってみたまでです」
「言えばいいというものじゃないでしょ」
「はい」
「もし私が、また昔のようにやり始めたら、きっと批判されます。如何なものかとね」
「はい、それを言うのが私達の務めになっていますので、言われるのは嫌ですねえ」
「如何なものかと問うのは如何なものかと問い返したいところですが、それもまた如何なものでしょう」
「はい如何なものです」
 
   了



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2018年04月07日

3587話 カーテン婆


 人の気配などしないはずのワンルームマンションの一室。居間は一室だが洗面所とキッチンを合わせると一間だけの間取りではない。
 田口は一人で住んでいる。誰かがいるようなことはない。ただ壁は薄く、両隣や上階や下階からは人の気配というよりも具体的な音がする。だから人の気配があってもおかしくないのだが、部屋の中をすっと誰かが横切ったような気配が何度かある。
 閉めきった窓、空調を止めているのにカーテンが揺れたり、掛けてあったタオルやシャツが少し揺れている。そのものは現れていないが、間接的に現れている。
 田口の友人の友人で霊感の強い人がいたので、一度見てもらうことにした。
 見るからに何かに取り憑かれているような目付きの女性が友人と一緒に来た。彼女は綺麗な瞳をしているが、目の周囲が黒い。何か塗っているのではないかと思うほどクマができている。こんなに見事なグラデーションの黒さはないので、メイクかもしれない。
 女は部屋を眺めながら、ある一点でピタリ止まった。
「はい、分かりました」
「やはり何かいるのですか」
「はい」
「何ですか」
「カーテン婆です」
 田口は笑いそうになったが、必死で堪えた。
「カーテンを開けいるとき、端の方に膨らみができますよね」
「あ、はい。しっかりと閉じていない場合」
「今はその状態でしょ」
「そうです」
「その膨らみの中に婆さんが隠れているのです」
 田口も子供の頃、同じ場所に隠れん坊のときに入ったことがある。
「うちの婆さんはまだ生きてますが、このマンションには来たことはありません。もうかなり年なので」
「カーテン婆です」
「それは分かりましたが、何処のお婆さんですか」
「知りませんが、老婆です。それがカーテンの膨らみの中に隠れているのです」
「しかし、見たことはありません」
「隠れているからです。そうでないと意味がないでしょ。隠れている意味が」
「一人で隠れん坊をしているのですか」
「隠れん坊ではなく、隠れん婆です」
「分かりました」
 田口は友人に目配せする。まずい人を連れてきたなあというように。
 友人も頷いている
 二人が帰ったあと、田口はカーテンの端の膨らみに入ってみた。
 カーテンは二枚。一枚は白くて薄い。もう一枚は遮光カーテン。
 膨らみの中はそれほど暗くはないし、閉塞感もない。何か繭の中にいるようで妙な感じ。それなりに憩えるので、座ることにした。
「うっ」と体が反応した。何が起こったのかはすぐに分かった。ものすごい視線を感じたからだ。
 田口はさっとカーテンを開けると、部屋の真ん中に老婆が座り、こちらを怖い顔で見ている。
「誰だ」田口が叫ぶと、老婆は逃げようとしたが、立ち上がるとき、足がつったのか、這いながらキッチンの方へ逃げ去った。
 田口がキッチンに入ると、誰もいない。人が隠れるような場所はないはず。しかし、流し台の下の開き戸ならそのスペースがある。田口はさっと開いたが、鍋とか段ボールとか、プラスチック容器とかが詰まっており、鼠ぐらいしか入れない。
 そのことがあってから、もう異変は収まった。吊してあるタオルは揺れなくなったし、カーテンも揺れない。
 
 という体験談を編集者が妖怪博士に見せた。
「これはネット上の投稿かね」
「そうです」
「気配など、いくらでもあるだろ」
「カーテンが揺れたのは」
「隙間風じゃろ。または振動」
「老婆が座っていましたよ」
「老婆の話を聞いたからじゃ」
「足を引きつって逃げたとか」
「自身と重ね合わせたのじゃ」
「それじゃ駄目ですよ妖怪博士」
「そうか」
「何とかそれらしく解説して下さい」
「流し台の下の納戸は鼠の国へと繋がっておる」
「鼠の国ですか」
「鼠の浄土として昔からある」
「はい」
「そこから妙なものがたまに出てくるのだろう」
「はい、それでいきます」
 そのあと編集者は何かを思い出したようだ。
「何かが横切ったというのがありましたが、その説明をお願いします」
「何か」
「はい、誰もいないはずなのに、部屋を何かが横切ったと言ってます」
「じゃ、横切ったのだろう」
「何が」
「何かじゃ」
「説明できませんか」
「できん」
「じゃ、横切った話は抜いておきます」
 
   了

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2018年04月06日

3586話 アレが来た


 暖かいというより暑いような春先、季節が進みすぎたのではないかと竹下は焦った。少し気温が上がった程度で焦る必要はないのだが、妙に汗ばむ。実際に汗をかいているのだから、そのままだ。
 アレが来るのはもっと先の初夏。暖かいから暑いに変わる頃までには何とかしないといけないと思い続けていたので、日にちよりも気温で反応したようだ。
 初夏になるとアレが来る。招かざる客だ。良いものが来るのなら汗ばむ必要はない。
 部屋にいるときは気付かなかったのだが、外に出ると暑くて、汗ばんだので思い出したが、まだ先の話なので今すぐアレが来るわけではない。
 しかし町を歩いていても、アレが現れそうで不安になる。アレは何処に現れるのかは分からないが、いつ現れるかは分かっている。もっと先の初夏。だから今は心配しなくてもいいはず。
 しかしアレはこの馬鹿陽気で出て来るかもしれない。もう初夏だと勘違いして。
 汗ばむのだがまだ青葉さえ出ていない。葉を落としたままの枝の方が多い。桜は満開。花見に出ても、この暑さが気になる。
 アレが出てくると大変なことになるが、交わす方法は分かっている。だから大丈夫。出ても怖くはないはず。毎年アレは出てくるが毎年交わしている。しかし間一髪で逃げたこともあり、油断しているとやられる。そしてアレにやられてしまった年もあり、それから数年は草も生えないような荒れ地が続いた。
 竹下はもう一度アレの出る時期を思い出してみた。決まった日でも月でもなく、初夏。だから曖昧。既に梅雨入りしてしばらく立ってから出ることもあったり、大型連休の終わり頃に来たこともある。夏や秋や冬には出ない。
 アレのことを考えていると桜並木も不気味に見える。その華やかさが逆に狂気の空気に覆われているように。
 この明るさが怖い。
 しかし安心してもいい。桜の咲く頃には出ない。まだまだ先。
 だがアレは気温と関係しているのかもしれない。今日は初夏に近い気温。花見の頃に出たことはなかったが、こんな暑いような日に花見をしたことは今までない。
 もし温度と関係しているのではと心配になる。
 竹下はアレが出たときの対処方法を知っている。無視することだ。驚いたりしないこと。反応しないこと。これは何度か遭遇したときに見付けた方法で、毎年これで回避している。
 桜並木の歩道や、その横の公園にいる人達を見ていると、羨ましくさえ思える。アレの心配などしなくてもいい。しかし、呑気そうに花見をしていても、心中穏やかではない人もきっといるはず。他人はよく見えるのだと竹下は思い直し、気を引き締めた。
 桜並木を過ぎた頃、また気温が上がったのか、さらに暑くなってきた。これなら夏だ。
 来るかもしれない。出るかもしれないと思うと、本当に出ることもある。そういう年もあった。竹下自身が呼び込んでいるような結果になる。
 アレのことを考えない方がいい。アレの思うつぼに填まる。
 こうなれば、今ここでアレが出た方がいい。初夏を待たずに、今。
 その方が早い目に済む。年に一度しか出ない。だから今、出てくれた方がタイミング的にはいい。嫌なことは早く済ませた方がいい。
 竹下はうううううと唸り声を出しながらアレを呼び込もうとした。そんなことで出て来るのかどうかは分からないが、今なら覚悟ができている。
「大丈夫ですか」
 すれ違った人が竹下に声を掛ける。近くにいる人も竹下を見ている。 
 滝のように顔から汗が吹き出ているのだ。
「いえ、ちょっと汗かきの方で、よく汗をかくだけなので」
 汗が目に入り、一瞬風景が霞む。そしてクリアになったとき、そこにアレがいた。
 
   了


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2018年04月05日

3585話 葉桜の頃


 満開の桜も散り始め、葉桜になった頃に妖怪博士宅に妙な訪問者があった。普通の人には普通の訪問者が来るもので、類は類を呼ぶのだろう。
 妖怪博士宅には訪問販売の人は一切来ない。その近所を一軒一軒セールスで回る人でも、避けて通っている。なぜか訪ねてはいけない家のように。これは怪しいからではなく、セールスは絶対に成立しないので、無駄だと分かるようだ。そんなところで時間を取られるより、他を当たった方がいい。
 しかし、たまにカンの悪いセールスマンが来ることもあるが、何事にも例外がある。
 確実に来ないのは宗教関係の人だ。
 今回は狸のような目をした丸っこい小さな人がやってきた。一見してすぐに豆狸と分かる。良く似ている。
「こちらが神秘家の先生のお宅ですか」
 最初からそんな言い方をしてくるのだから妖怪博士のことを知っている人。
「そうです」
「神秘事にお詳しいと聞きましたので、少しお頼みしたいことがありまして」
 妖怪博士はまた面倒臭そうな奴が来たと思いながらも、相手は豆狸だがきっちりとした身なりで、風呂敷包みを小脇に抱えている。そして言葉遣いも丁寧。
「世の中には神秘事というようなものは存在するのでしょうか」
「それより、何処で聞かれて来られたのですかな」
「はい、情報を得まして」
「情報」
「はい」
「私は神秘家ではなく、妖怪博士と呼ばれておりますが、まあ妖怪も神秘事のなかの一つでしょうから、それほど離れてはいませんがね」
 豆狸はまん丸い目玉をくりくりと動かす。
「呪術をご存じですね」
「はい、一応」
「では、呪術家の方をご存じですか」
「知らないこともありませんが」
「期待通りです」
「何か祈祷でも」
「もしかして、先生もお使いになられるのですか」
「え、何を使うのですかな」
「ですから、先生も呪術が使えるのですか。それなら話が早いのですが」
「使えません」
「じゃ、呪術は本当に効くものかどうか、神秘家のお立場からお教え下さい」
「効かないでしょ」
「あ、はい。あ、はい」
「じゃ、これで、終わりですな」
「本当に効かないと断定できますか」
「一般には効きません」
「じゃ、祈祷は効かない」
「それを執り行う側の気持ちの問題でしょう。安心感を得られるはずですが、これが祈祷が効いたとは言えません」
「本題に入りたいと思います」
「今のが本題でしょ」
「祈祷ではなく、呪詛について」
「あなたはどなたですかな」
「それは申せません」
「そうですか」
「呪詛が行える祈祷師のような人物をご存じですか」
「物騒なお話ですなあ」
「神秘家のお立場から、呪詛は効きますか」
「それは神秘事になります」
「はあ」
「分からないということですなあ」
「呪詛ができる人を紹介して欲しいのです」
「目的を聞きたくなりますが」
「それは申せません」
「じゃ、無理ですなあ。紹介できません」
「呪詛といえば目的はもうお分かりのはず」
「どなたがどなたに」
「申せません」
「普通は聞くでしょ」
「先生なら何とかなると聞きましたので」
「依頼者を教えて下さい」
「申せません」
 豆狸は風呂敷を開け、中から札束を取りだした。
「お礼は致します」
「紹介するだけで良いのですな」
「そうです」
「あなたは誰ですか」
「申せません」
「じゃ、駄目ですなあ」
 豆狸は風呂敷に札束を包み直していたとき、紋がちらりと見えた。
 豆狸はわざと紋を見せたのだろう。これで分かるだろうというように。
「如何ですかな」というような狸目で、妖怪博士を豆狸は見詰めた。
 妖怪博士は小さく頷いた。
 そして風呂敷のなかから札束をモロに掴み、妖怪博士の前に置いた。
「よろしくお願い申します」
 それからしばらくして、いつもの担当編集者が来たので、その話をした。
「その後、どうなったのです」
「その後かね」
「はい」
「札束が」
「分かりました。もう言われなくても」
「そうか」
「葉っぱですね」
「分かるか」
「狸に似た人が来たのでしょ。丸分かりですよ」
「そうじゃな」
「そんな古典的な話ではなく、もっと今風な妖怪談を作って下さいよ」
「ああ、そうじゃな」
 
   了



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2018年04月04日

3584話 空腹


 大きな勢力同士がぶつかり合い、このまま行くと全面戦争になる恐れが出てきた。それを好む者、好まぬ者、様々。この機に征服してやれという者もあれば、互いに消耗し、第三勢力の草張り場になることを恐れる一団もある。どちらの勢力にも派閥があり、内部でもまとまりがない。なかには内通するものも出てきており、二つの勢力圏は泡立ち続けた。
「久しぶりでございますなあ」
「あなたと会うのは久しい。それまで平和だった証拠」
「左様でございますなあ」
「何と落ち着かないこと」
「実に」
「食べたいものであるのでしょうや」
「そうですなあ」
「何でしょう」
「腹が減っておるので、何でもよろしいかと」
「それはこちらも同じこと」
「じゃ、お互い様」
「どうですか、一緒に出掛けて美味しいものを食べに行きませんかな」
「ほう、それは結構な話でごじゃりますが、そのようなところがありますかな」
「ありますとも、そのうち鴨が葱を背負ってやってきよります。待ちましょう」
「はい」
 二人の老人、二大勢力の実力者。話はそれで決まった。
 二大勢力が小競り合いをしているところへ、第三勢力がやってきた。
「来ましたなあ」
「餌が来ましたぞ」
「そうですなあ」
 二大勢力はその時既に和解しており、一つにまとまっていた。どさくさに紛れて乱入してきた第三勢力を追い出し、さらに追いかけ、第三勢力の本拠地を占領した。
「これで美味しいものがいただけるので、お腹も減らないでしょう」
「そうですなあ」
 しかし、この第三勢力の領地は結構広く、そこでもまとまりがないため、本拠地を攻略しても分散した勢力が抵抗し続けた。
 そして第三勢力の本拠地は奪い返された。
「食べるだけ食べたので、もうよろしいでしょ」
「そうですなあ。仰山ぶんどったので、当分腹が空きません」
「そうですなあ」
 しかし、敵から奪ったものはもう食べてしまい、また腹が減り始め、また泡立ち始めた。
「困ったものですなあ」
「腹が減っては戦はできんと言いますが、腹が減るから戦になるのでしょうなあ」
「仰る通りです」
「さて、どうしましょう」
「原因は私らでしょう」
「はあ」
「私らが本当に和解すれば、二つには割れません」
「しますか」
「はい、和解しましょう」
「しかし」
「何ですかな」
「最初からそうしておれば良かったのでしょうなあ」
「仰る通りです」
 
   了

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