2018年05月31日

3641話 決戦の時


 平田家と高砂家は仲が悪い。隣接しているためだろう。油断しているといつの間にか領内の村が取られていたりする。これは領主替えで、村が勝手にやること。隣国が占拠したわけではない。村が自主的にやったことなので、手が出せない。お互いにそんなことをやり合っているうちに、そろそろ決着を付ける時期に来ている。
「近いですなあ」
 この二つの領地と隣接する宮田家の管領が言う。宮田家は宮家を祖としており、土着したのだが、この宮田家だけは浮いた存在で、隣接するどの勢力も手を出さない。弄ってはいけない家柄のためだ。
 それで、呑気に先ほどの両家の争いを見物している。管領、これは家老のようなものだが、殿様の代わりに一切合切を任されている。
「村の米を買い集めております」
「そうか」
「さらに他国からも米を」
 これはそういった運送関係に人を置いているためだ。物の流れで、何となく分かる。
 さらに両家の城下に余所者が増えた。これは流民ではなく、武装している。足軽だろう。傭兵のことで、戦いのプロ。そのため村から出させた百姓兵よりも強い。ただ、金が掛かる。
 さらにスパイ、諜報員、これは忍者のようなものだが、その報告では、他国も動き出しているらしい。援軍とか、援助とかだろう。
 この両家、隣接する関係からトラブルが多く、領地も似たようなもので、対等の関係にあるから喧嘩する。力関係も似ていることから、もし戦いになると、互いに相当の被害を被ることになる。
 しかし、それぞれの城下には足軽が増え、荷駄がひっきりなしに入ってきた。
 あとは両家とも触れを出し、兵を集めることだが、各村は嫌がっていい返事はしない。
 住んでいるところは違うものの、どちらの領内にも親戚縁者が多くおり、村人同士は決して争っていない。
 しかし、お膳立てだけは進み、最高に盛り上がっている。そのため、両家とも引くに引けない。
 そこに現れたのが宮田家の管領。平田家と高砂家の殿様と会い、「まあまあ」とたしなめた。つまり仲裁に入った。この二人の殿様、最初から戦う気がなかったことが幸いした。両家とも主戦派の重臣が主導していただけなので、殿様の意志ではなかった。
 宮田家が間に入るにしては小さな存在なので、朝廷を動かした。しかし朝廷がわざわざ動くようなことはなく、有力大名が代わりに仲裁に入った。
 これで、事なきを得たのだが、そんなことをしなくても、肝心の領民が兵を出すのを渋っているので、戦いにはならなかっただろう。
 そういう動きは何となく城下の足軽達にも知れ渡ったのか、城下から引いていった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:37| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月30日

3640話 梅雨が好き


「梅雨入りはまだでしょうかな」
「もうすぐでしょ。南の方じゃ、もう梅雨入りしてますよ。もうしばらく立つので、こっちもすぐです」
「今日も空模様が怪しい。しっかり晴れない。湿気も強い。いつ雨が降ってもおかしくない。この状態、梅雨じゃありませんか」
「そうですねえ。この前も雨が続いていましたしね。しかし、この地方の梅雨入りはまだのようです」
「早く梅雨が来た方がいい」
「ほう」
「この湿気が好きでしてねえ。ジメジメした状態が、乾燥していると、皮膚も乾燥し、気持ちが悪い。水気がいるのですよ」
「湿地の生き物のようですねえ」
「はい、私にはその環境が一番合っているのです」
「ジメジメして蒸し暑い状態がいいのですか」
「はい、そうなのです」
「それはいいですねえ。誰もが梅雨時を嫌うのに、好きだとは」
「雨が好きです。ずっと雨季ならどれほどいいかと思います」
「まあ、体質は人それぞれ」
「そうです。それ以上でも以下でもありません」
「以前はどんなお仕事を?」
「普通の事務職です」
「そうですか」
「それが何か」
「いえ」
「きっと蒸し暑くジメジメした男だったのでしょうなあ。それが言いたかったんじゃありませんか」
「いえいえ」
「しかし、水分を含んでいると滑らか。艶も出る。野菜なんかも水を掛けると生き返るでしょ。だから八百屋じゃ水を掛けるんです。みずみずしくなる。だから私もそうなんですよ」
「そうでしたか」
「それと吸着力、粘着力がありましてねえ、何事もネチネチネバネバしつこくやる方でして、だから仕事もできる方でしたよ。でも平社員のまま。係長にさえなれなかったのですが」
「どうしてですか。仕事ができるのに」
「聞かなくても分かるでしょ」
「いえいえ」
「会社じゃカエルと言われていました」
「すぐに帰るからですか」
「分かっているのに、そんな間違いをしないで下さい。私の顔を見ただけで分かるでしょ」
「いえいえ」
「私は蛙なのです」
「いえいえ」
「社長はオオサンショウウオに似ていました。似たようなものでしょ」
「どちらも水辺に」
「はい、同僚に源五郎がいましてねえ。彼も出世できなかったです。私とは大の仲良し」
「同類だからですね」
「ほう。蛙と源五郎は同類ですか。初めて聞きました。彼は泳ぐ甲虫ですよ。私よりも防御力が高い」
「はい」
「蛇が嫌いでしてねえ」
「そうでしょうねえ。天敵でしょ」
「えーと、何の話でしたかな」
「梅雨の話です」
「そうでしたねえ。もうこれだけ天気の悪い日が続くのなら、もう雨季でしょ。私の季節です」
「はい、お元気で」
「はい、お達者で」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月29日

3639話 予讐復讐


 予習と復習、これは予習して授業などに出るとゆとりが出る。あらかじめ自習しているので、予想された展開になるので、初めて聞く話ではないので、知っていることをまた聞くような感じで、これは授業中が復習のようなもの。だから予習しておれば復習は必要でなかったりする。実際には本番の授業中が復習も兼ねているため。
 ただ授業は教科書通り、これがあるので予習できる。教科書通りではない教え方をする先生は別だが。
 ところが世の中に出ると、そんな教科書はない。だから予習のしようがない。明日何が起こるのは分からない。何を言われ、何を言い渡され、何を命じられ、何を始めるのか、等々。
 当然教えられていないことをやらされるし、聞いていた業務内容とは別のこともやらされる。
 黒田は学校では予習、復習をしていたが、就職してからは予讐、復讐の人となった。
 明日はどんな目に遭わされるのかと考え、それに対する復讐まで考える。予測復讐、予定復讐を予讐と呼んだ。そんな言葉はない。
 最初から嫌な目に遭うことを予想していた。仕事とは嫌な目に遭わされることで、これはまともではなく、偏見だろう。しかし、個人がそう感じたのなら、それが世界となる。現実もそういう風に展開するし、見えてくる。
 嫌な目に遭わないように予習をしていたのだが、その予習が会社では効かない。だから、散々恥をかかされた。これも給料のうちとは思えない。確かに良い事もあるのだが、それよりも嫌な目に遭わないことの方が大事。
 予讐通り、嫌な目に遭わされたとき、これをどう復讐して、仕返しすればいいのかを後で考えるのではなく、既に考えた上で挑んだ。まだ何も起こっていない状態から、復讐予測しているのだ。これで、嫌な目に遭っている最中でも、少しはましになるが、それでも不快さは何ともならない。それで予讐だけでは駄目で、復讐も実行した。
 仕事で頭を使うよりも、その復讐予測や、復讐シナリオを作ることの方にはるかに多くのエネルギーを使った。それを仕事に活かしておればいいのだが、マイナスのエネルギーの方が強いし、感情も伴うので、そちらのスイッチの方が入りやすい。
 数年後には黒田の上司や同僚や出入りの人が次々に変わってしまった。全て復讐されたのだろう。
 世の中には仕事ではなく、こういう予讐、復讐に精を出す人材も混じっている。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月28日

3638話 逃げた部隊


「若槻様討ち死に」
「合田様討ち死に」
 伝令が次々と知らせに来る。
「浦島様討ち死に」
「木下様逃亡」
「逃亡?」
「お逃げになりました」
「に、逃げた?」
「左様で」
 若槻軍は主力で中央。合田軍は左翼。浦島軍は右翼。逃げたという木下軍は左翼合田軍の後詰め。戦いは左翼の合田軍が崩れだしたので、主力の若槻軍がフォローに入ったのだが、そこを敵は狙っていたようで、中央軍に突っ込んだ。それで残った右翼の浦島軍は取り残された。
 左翼と中央を崩した敵はすぐに右翼に襲いかかった。このとき千の兵を指揮していた浦島氏は討ち死に。左翼を助けに入った中央の猛将若槻氏は自ら先頭に立ったため、あえなく討ち死に。これは三軍の総大将を失ったことになる。代わりに追い込まれていた右翼の浦島氏が全軍の指揮をとり、奮戦しすぎて、討ち死に。
 右翼が破られ、中央軍も乱れ、左翼は真っ先に崩れたので、その後方にいた後詰めの木下軍は逃げた。他の兵士達も逃げた。これはただの敗走。本陣の指揮官どころか、左右の指揮官も討ち死にしたのだから個別に動くしかない。だから敗走した。
 ところが三軍が後方に引いたのは本城を守るため。だが、木下軍は横へ逃げた。これは敗走ではなく、本当に逃げたのだ。
 木下軍五百は無傷のまま本拠地に逃げ戻り、村々の守りを固めた。
 そこへ城から伝令が来た。逃げたことは問わないので、お館様のいる本城に入ってくれと。つまり籠城するので、助けに来いと。
 敵は野戦で大勝したが、そのまま本城を襲わなかった。何故なら、戦闘らしい戦闘は緒戦だけで、敵の陣を崩しただけ。殆どの兵は戦わずして城へ戻っている。確かに三軍の大将首は取ったが、兵数は戦う前とそれほど変わっていない。だから迂闊に本城を落としにいけない。
 しかし、実際に本城まで逃げ戻ったのは少数で、殆どは木下軍のように、自分の領地へ逃げ帰っていた。本城の主はお館様と呼ばれていたが、主力の中央軍の兵士にとり、主は若槻家であり、お館様ではない。若槻氏は本城の家臣だが、若槻家の家臣は本城の家臣ではない。だから主が違うのだ。つまり、またものになり、お館から見れば家来の家来はもう他人。
 そのため、城に戻った三軍の兵達も村々へ戻る者が多かった。兵の殆どは百姓なのだ。
 三軍共、主を失ったので、その後、一族の跡取りが下す命に従うことになる。その跡取りは戦場には来ていない。だから本拠地の村へ戻るしかない。
 ところが敵前逃亡し、本城にも戻らず、村城に立て籠もった木下家当主は、れっきとした本城の家臣。だから、城に入ってくれと伝令が来たのだ。お館様の命なら従うしかないが、形勢は不利。籠城戦になると木下軍五百が主力として戦わないといけない。これは避けたい。
 数日後、左翼軍を指揮し、討ち死にした合田家が寝返ったという情報が入った。すぐにあとを継いだ息子が、敵の懐柔を受け、簡単に転んだ。
 この勢力は左翼から崩れるようで、それに続き、中央軍も転び、右翼軍だった浦島家も転んだ。
 当然木下家にも誘いが来た。つまりお館替えだ。この場合主君として仕えると言うより、寄親のような存在。五百ぐらいの兵しか動員できない木下家にとって、それしか生き延びる道はない。
 こうして、三軍を動かしていた本城は落ちた。
 木下氏は少しだけ悔やまれることがある。左翼、中央、右翼、それぞれ千の兵。木下軍五百は左翼の後詰め。後詰めはそこだけなのだ。左翼が崩れだしたとき、木下軍は前に出ておれば、中央軍が出ていくこともなく、また潰れることもなかったと。
 木下氏が後詰めの役を果たさなかったのは、負けると思ったためらしい。腰抜けなのだ。しかし、敵は敢えて前へ出なかったのではないかと勘違いしたようで、好意的に見てくれたようだ。勝てたのは木下軍が逃げ出したおかげだと。
 木下家はその敵に仕え、一郡だった領地が四ヶ村増え、二郡の領主となった。
 木下氏にその才覚があったわけではない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

3637話 故郷は遠く


 明日から何をやろうかと黒岩は思った。やることがないのだ。だから探している。それが見付かればそんなことを思うこともない。
 それほど長い勤め先ではなかったが、会社を辞めた。何度目かになるが自分で辞めたわけではない。また解雇されたわけでも。単に潰れた。失業保険があるので、すぐには困らない。もう若くはないが年寄りでもない。中途半端な年齢。再就職を考えると頭が痛くなる。それで、この痛さを消すため、もう会社へは行かないことにした。
 田舎の両親も年をとり、戻ってきて欲しいらしい。実家は裕福。働かなくてもいい。
 黒岩は独り身なので、好きなようにすればいいのだが、このまま大きな街に留まるのなら、やはり仕事に出ないといけない。これは痛いので、選択肢は一番楽なUターン。生まれ育った実家のある町へ戻ればいい。反対する人も邪魔する人もいない。悪く思う人もいない。
 もっと年をとり、退職すれば帰ろうと思っていたのだが、早くなってしまった。予定にはなかった。
 しかし、そういう帰れる場所、食べていける場所があるだけでも幸せだろう。
 田舎の町は遠い。僻地。村が町になったのは合併したため。陸の孤島と言われているが、田舎とはいえ町らしさはある。農家しかないような村ではない。
 そして田舎町へと鉄道を乗り継ぎ、最後はバスに乗り込み、故郷へ。
 ところがバスに乗ってから、妙なことになった。毎年盆と正月には帰っているので、慣れたものだが、風景が違う。最後に戻ったのは正月。それから数ヶ月も経っていない。これだけ変わるわけがない。
 この季節なら山は青葉で輝いているのだが、茶色い。禿げ山になっている。そんな計画は聞いていない。それに宅地化するにしても、人が減っているほどなので、誰も引っ越してこないだろう。
 山が荒れていることは聞いていたが、木がない山がある。灌木や下草もない。災害はなかったはず。
 さらに進むと、橋がない。これでは川を渡れないではないか。山裾の川なので、流れが速い。
 しかし、橋があった両岸に建物がある。何もなかったはずだ。さらにバスが近付くと、川船が見える。
 木造の古ぼけた建物の前でバスは止まり、全員降りた。まだ終点ではないのに。
 つまり、連絡船に乗り、向こう岸から出るバスに乗り移れということだ。
 建物はその休憩所のようなものだろか。
 バスを降り、その建物に近付くと、宿屋もある。水かさが増えたり流れが急すぎる場合、渡し船が出せないらしい。ここは何時代だ。
 幸いその日は晴れている。ここで足止めを食う心配はないが、それ以前に橋がないのがおかしい。流されたわけでもないだろう。
 そしてバス客と一緒に建物内に入り、連絡船を待つことにしたのだが、出ないらしい。
 ストライキで、止まっているとか。
 客引きがちょろちょろ出てきた。何軒か宿屋があるようだ。ストは二三日で終わるので、それまで、ここで待つしかない。
 仕方なく黒岩はここで泊まることにした。当然バス料金とは別に宿賃がいる。
 何か間違いがあったのだろうか。今は初夏だが、正月にはこんな建物はなかったし、橋もあった。
 宿屋は意外と古い。かなり前から建っていたことになる。
 何か間違いがあったのだろうか。
 もし、渡し船が動き、向こう岸に着き、そこのバスに乗れたとしても、本当に田舎の実家に辿り着けるのだろうか。そこは、もうこの現代とは違う町である可能性が高まってきた。
 何か間違いがあったのだろう。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:08| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月26日

3636話 本気モード


 吉見はあまり本気になりたくなかった。何事も軽く、いつでも身を引ける距離で、そして体重を掛けないで、遊び半分に。
 これは子供の頃、遊んでいて、本気になってやっていると、そんなところで本気を出している自分が恥ずかしかった。本気を出すとは実力の全てを吐き出して、全身全霊で取り込むこと。
 また真剣にやることも恥ずかしいとされていた。実際には推奨であり、褒められるべきことだろう。だが、褒められることを恥とするような風潮があった。かっこ悪いのだ。褒められると。
 必死になって褒められる。このパターンが禁じ手になっていた時期がある。遊び半分で軽くやっても勝てる。これがかっこ良かったのだ。
 しかし、そんなことでは世の中に出たときは追いつかないので、誰もが本気を出さざるを得ない。だから真剣に働くことは恥ずかしいことをやっているように見えたが、生きるためには仕方がない。精一杯やっても追いつかないのだから、ケチをして手を抜くような余裕はなかったと言える。
 何事も真剣にやった方が楽しいこともあるし、そちらの方が充実するはずなのだが、そこに旨味を見出さない人もいる。
 真剣にやるのが恥ずかしい。真面目に取り組むのが恥ずかしい。これは何だろう。
 吉見は中堅になった頃、そろそろ先が見えてきたので、いくら頑張っても、これ以上出世しないし、収入も劇的に増えないことが分かり、保守タイプに切り替えた。省エネタイプ。できるだけ疲れないように、力を発揮しないようにと努めた。これは推奨されないだろう。しかし、部下にはきつく指導した。何事も真摯に、真面目にやるようにと。
 これを言い出す時期は、もう本人はその気がなくなっているとき。自分には甘く、人には厳しくなっていくのだが、本気で説教したり、部下と向かい合うようなことはなかった。本気で言っていないので、本気で接してもいなかった。
 本気を出しても仕方がない。それが最近の傾向となったが、別のところでは本気になった。これは本気を出す必要もないことで本気になるという、どこかねじれているが、仕事以外のことでは本気が出せた。しかし、この本気は、本気を出しているふりに近い。本気になることは恥ずかしいこと。その恥ずかしいことをやっていますという感じを露骨に出したかったのだろう。
 本気を出したい。しかし仕事方面では出す気がしない。本当は出したいのだろう。恥ずかしいことをしたいのだ。
 そして、何処までが仮面で、何処までが肉面なのかが曖昧になってしまった。
 しかし、そういうのは顔には出ないようで、悪事を働き続けた人の顔が意外と清々しい顔だったりするし、善行を重ねた良い人が悪人ズラをしていたりする。
 後ろ姿、肩や背中にその人が人生が出ると言われているが、これも嘘。昔の武人のように体を鍛えるのが商売なら、当然肩にも肉が乗るが、その程度の物理的な見え方しかしない。
 当然生まれたときから撫で方の人は、ずっと優しいか、淋しそうな人に見られることになるが、撫で肩のボクサーなどは強烈なフックパンチを持っていたりして、弱々しいわけではない。
 吉見は今、いったい自分はどういう状態なのかと考えるのだが、以前ほどには気にしなくなった。これを年の功というのだろうか。単に神経が緩くなっただけかもしれない。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:01| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月25日

3635話 後ろの自転車


 気のせいではなく、気配だけではなく、本当に誰かが後ろら来ていたように思えた。思うだけならならどうとでも思えるが、視野の中に、確かに人が入った。後ろからだ。振り返って見たわけではないが、目の端に確実にいるのが分かった。だから錯覚ではない。
 お茶の時間、丑三つ時ではない。三時のおやつ。竹中は休憩時間、仕事場ではなく、近所の喫茶店まで行き、一服する。おやつは食べないが、コーヒーを飲む。昼の休憩ほどは長くはないが、それぐらいの時間は取れる。
 外の用事でもあれば、ついでに寄るのだが、その午後は用もないのに席を外した。いてもいなくても、困らないはず。
 仕事場が禁煙になっているため、外に出て吸いたいというのもあり、ない用事を作って出ることもあるが、最近は確信犯で、最初から喫茶店へ行くことにしている。その程度の融通は利く職場で、またその地位にあるためだろう。ここでは偉いさんの中に入る。
 竹中の上役は滅多に来ないので、勝手なことができるのだろうか。
 それでも仕事場から喫茶店まではやや遠い。近くにそんな店はない。それで少しは遠慮して、仕事場の自転車を借りて出掛けていた。その道中での話だ。交差点を抜けたところで、後続の自転車があることが分かった。交差点で曲がり込んできたのだろう。
 後ろを見なくても気配で分かる。この気配は音。自転車は静かなので、気付きにくいが、カシャッという音がしていた。
 竹中はいつもゆっくりと走っており、どうせ追い越されることになる。だから後ろの自転車もすぐに追い越すだろうと思い、できるだけ左に寄りながら走っていたのだが、なかなか右側に見えてこない。 音だけの気配ではなく、交差点を渡るとき、目の端で回り込んでくる自転車を捉えている。しっかりと見たわけではないが、動くものがあった。頼りない話だが、もの凄く重要なことではないので、真剣に見るようなことでもない。
 そしてなかなか追い越してこないので、自分よりも遅い人がいるだろうと思うことにした。既に気配は消えている。音もしていない。
 喫茶店は次の交差点を右に回った角にある。左端を走っているので、後ろをそのとき初めて確認した。いきなり左側から右側へ移動するわけにはいかないためだ。完全に振り返らなくても、目の端に何も見えていなければOK程度の首の回し方でいい。しかし、あの自転車が気になるので、しっかりと真後ろを見た。
 先ほど渡った交差点まで遠目で見えるが、人も車も自転車の姿もない。
 ではあの自転車は何処に消えたのだろと思いながら、喫茶店の駐輪場に入る。
 枝道が数本ある。その一つに入ったのかもしれないし、また道沿いに家があり、そこの人だったのかもしれない。
 しかし竹中の感じていたものはそんなものではなく、嫌なものが後ろから来ているような気がしていた。だからただの後ろからの自転車ならそれほど意識的にはならなかっただろう。
 そして喫茶店に入り、一服していると、一人客が入って来た。そして隅っこの席にすっと座る。竹中の位置からでは後ろ姿。しかし、はっきりと確信が持てた。この男だと。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 10:52| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

3634話 鳴くまで待とう


 今日はゆっくりしたいときがある。ゆるりと休憩するとか、のんびり過ごすのではなく、毎日繰り返している日常の中で、そんな気持ちになることがある。このゆっくりとは落ち着いてとか、淡々とかの意味で、サボって寝ているわけではない。だから一日の過ごし方に関することで、休むわけではない。
 高田がそういう気になるのは朝を過ぎ、一段落したとき、何故か調子の出ないことがあり、休まないものの、少し手を抜いて楽にこなしてやろうとなる。これは簡単になる。手加減すればいいだけのことで、よりハードにこなすことを思えば、楽な話。
 つまり、調子の悪いときは何もしたくないのだが、それでは段取りが狂う。あとでしんどい目に遭う。だから休まない程度に、簡単に済ませようという程度。
 そういえば最近の高田は気の張ることばかりを続けてやっていた。それが何とか終わり、一段落したとき、ふぬけのようになった。頑張って徹夜し、いい結果が出せたとしても、翌日がしんどい。
 それと同じではないが、頑張りすぎたのだろう。だからこのへんで低空飛行に入ってもいい。
 そのとば口が今日なのだ。懸命にやっていた反動が出たのか、何もしたくなくなった。気力を使い果たしたのだろう。張っていた気も、それが過ぎたため、もう張る必要もなくなったためもある。
 それで高田は沈静化したのだが、元気がない。風邪薬を飲んで、ぼんやりしてしまったような状態。静かにしていることと、無気力になっているのとでは違う。淡々と過ごすのではなく、何か芯のないままやる気を失せて静まっているのとでは。
 鏡のような水面。これは波風がないため、静かなため。その心境には到底なれないが、家訓というのがある。それが実家の仏壇に漢文で残っている。先祖の中にそんな人がいたのだろう。どんな人だったのかは分からないが、残っているのはその直筆のみ。形見の品としておいているのだろう。
 高田は子供の頃、これはお経だと思っていたが、漢詩だった。その意味は二度ほど聞かされたが、波立たぬ湖面のように、何があっても静かな心で受け止めよ、と言うようなできそうにないような家訓だ。
 しかし、この漢詩、後で調べると、先祖の詩ではなく、有名な漢詩だったようだ。
 しかし、この家訓は今でも通じるし、今の高田にも通じる。波風が立ちすぎる性分のためだろう。きっとこれを書き写した先祖も、似たような性分だったに違いない。
 しかしその日の高田、そんなことをしなくても湖面は静か。これは気力を失っているため、鎮静状態のため。だから鏡のような水面どころか、その上を歩けたりする。気は張っていないが氷が張っている。気持ちも固まってしまったのだろう。
 高田はその日、だるい状態で一日を過ごしたのだが、結局のんびり過ごせた実感はない。
 しかし、翌日になると、また新たな一日が始まり、寝起きは意外と元気だった。
 気持ちなどそう簡単にコントロールできるものではない。どう言い聞かせても、鳴らないものは鳴らない。
 そして勝手に鳴り出すまで待つしかないようだ。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 10:38| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月23日

3633話 寄り道


 天気晴朗なれろ波高し。そんな月曜日の朝、海の波は見えないが、風があるのだろう。雲が流れていく。あの雲は何処へ行くのだろうかと考えたことはあるが、見ている間はそれほど移動しない。向かっている方角程度は分かるが。
 雲は何処へ行くかは風任せ。そんな感じの旅人が昔いたのかもしれない。風の向くまま気の向くままの。だから目的地がない。目的地を決めて旅立たなかったとすれば方角が手掛かり。西へ行けばどうなる。東へ行けばどうなる程度は分かる。従って西へ行くのが目的。目的地はないが、向かっている方角が目的地。そこからどう流れるのかは風任せ。
 強い風に煽られてそちらへ流されるわけではなく、気持ちの流れで、向かう道も決まるのだろう。
 竜弥とという悪がいて、股旅。賭場で悪事を働き倒し、流れ流れてなんとやらで、行き先はそれこそ風任せなのだが、ある街道に差し掛かったとき、ついでに足を伸ばす宿場がある。ここだけははっきりとした目的地で、近くに寄ったときは必ず見に行く。
 それは見るだけ。
 相当の悪だが、その昔、その宿場でいかさまで取った博打の金を懐に、追っ手をまいて逃げ切ったとき、池の畔で泣いている少女がいた。見ると近くに母親が倒れ、既に虫の息。怪我はないことから病気だったのか。
 竜弥は仏心を出したというよりも、この少女と同じ年頃で亡くした妹がいた。何処か顔が似ていた。たった一人の身寄りだった。
 竜弥は近くの大きな百姓屋へ少女を連れて行き、博打で取った大金と一緒に預けた。つまり、面倒見てくれと頼んだ。そこは強面のする無頼漢だけあって、顔が怖い。百姓屋の家族は断ることが、これではできない。何をされるのか分からないためだ。しかし、かなり大金を置いていったので、家族として育てることにした。つまり養女にした。
 それから十年になる。竜弥は近くまで来たので足を伸ばし、その農家へ寄る。しかし中には入らない。無事に育っているだろうかと垣根越しから確認するだけ。
 今回来たのは数年ぶり。寄っても少女の姿が見えないときがある。だから五年ほど見ていない。
 竜弥それで少し心配になった。
 そして庭先から窺っていると、年頃の娘が桶を手に出てきた。龍也は別人かと思った。すっかり娘になっていたのだ。
「あ」と声を出したため、娘に気付かれた。
 もう確認できたので、龍也は用はない。そのまま立ち去った。
「おじさん、股旅のおじさんでしょ」
 と、後ろから声が聞こえてきたが、竜弥は走り去り、そのまま旅立った。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 10:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月22日

3632話 重荷を下ろす


 背中の荷物を下ろす。身軽になる。よく聞く話だ。佐伯はそれを思い出し、リュックの荷物を減らしたわけではない。荷物はあるが、背ではなく、肩にぶら下げるショルダーバッグ。だから背中ではなく肩の荷を下ろす、となるが、似たような場所だ。ただショルダーの場合どちらかの肩に負荷がかかる。細かい違いはあるが、肩の荷を下ろすとは全部だろうか。
 実際にはそういう鞄の中身ではなく、責務とか、抱えている問題とか、そっちのこと。これはわざわざ言わなくてもいいことだが、イメージとしては背中に背負っていた荷物をどさっと下ろしている絵が浮かぶ。しかし山登り中ではまた背負い直さないといけない。そこに放置するわけにはいかないだろうし、必要なものが入っていたりする。だが、重いリュックを下ろしたとき、楽になる。これはイメージではなく、体験している人が多いはず。山登りでなくても。
 それで佐伯は何を背負っているのかを確認した。大して重い荷は背負っていないのだが、それが最近重く感じられるようになった。昔はもっと重荷だったのだから、その頃に比べれば軽い方。
「肩の荷を下ろしてほっとしたいわけですな」
「そうです」
「何を背負われておられました?」
「石のようなものが」
「石」
「はい」
「石を背負っておる人など見かけませんよ」
「だから、石のようにずしっとくるものです」
「そうでしょうなあ。石など背負う必要はないはずです。そんな用事は滅多にない。漬け物石をもらって、それを運ぶとかならありましょうが」
「だからその意味での石ではなく、何も背負っていないのに、背中が重いのです」
「マッサージとか整骨院へは」
「行ってません。だから、そういう物理的な重さではなく」
「でも背中に石を背負っているような重みがあるのでしょ。だから石じゃないのですか」
「石ではありませんが、子供にしがみつかれているような」
「じゃ、子泣き爺でしょ」
「やはり」
「思い当たりますか」
「郊外のひっそりとした裏山で用を足しました」
「小ですか」
「いや大」
「要は便意を催したの野ぐそしたと」
「人も通る里山ですので、祠の裏で」
「はい」
「それからです。背中が重くなったのは」
「その祠に祭られている何者かがバチを与えたのでしょう」
「急に重くなったので、近所の人に聞きました」
「何を」
「だから、あの祠に祭られているものです」
「ああ、当然ですなあ。しかし、すぐに祠を注目されたのは賢明です」
「いえいえ」
「それで、何が祭られていたわけですかな」
「分からないらしいです」
「中には何が」
「漬け物石のような石饅頭だけとか」
「その石の大きさ分程度の重さではありませんか」
「そうです。その石ほどの重さをずっと背中に感じています」
「今もですか」
「はい」
「きっと子泣き爺の親戚のようなやつがしがみついているのでしょ」
「ここへ来れば治ると聞きました」
「ここは整骨院や整形外科じゃありません」
「しかし、根本原因が凝りではありませんから」
「分かりました」
 妖怪博士は客の背中に御札をサロンパスのように貼り付けた。
「あ、そこじゃなかと、もちっと左」
 妖怪博士は貼り直した。
 妖怪を払うよりも、こういう客は適当に追い払うことにしているようだ。
 客はそれで背中が楽になったというのだから、不思議な話。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:07| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月21日

3631話 月日


 いつの間にか日が過ぎていく。それはやるべきことをやっていないためだと田中は考えた。そんなことを考えている暇があれば、そのやるべきことをさっさと片付ければいいのだが、そうはいかないらしい。さっさとできない事情がある。
 では、やるべきことをスラスラと片付けた場合は月日が立つのが遅いのかというと、そうでもないらしい。
 しかし、色々なことを詰め込んで懸命にやっていると、逆にあっという間に日が過ぎることもある。ひと月分の用件を一週間でやってしまったときなどは、月日を早く感じるかどうか。それとも遅く感じるかどうか。後者の場合、やってるときは一日が目まぐるしくて早いが、やり終えると、まだ一週間しか立っていないことになり、これは遅く感じる。しかしやっているときは早い。そのため、一日などあっという間に過ぎてしまう。
 だが、色々なことが一杯あった一日は、長い一日だったと思うこともある。
 ではやるべきことをしないと月日が早く感じるのは何故か。これは単純なことで、期限などがある場合、その日が迫って来ると早く感じる。やるべきことのスピードよりも日の方が早い。当然の話で、そんな気になるとかの話ではなさそうだ。
 また、嫌なことが先にある場合、その日がもの凄く早く来てしまう。逆にいいことがある場合、なかなかその日が来ない。
 それらはいつ考えるかだ。そして何に関しての時なのかも。何も考えていなければ、月並みのスピードだろう。頭の中に含んでいるものとの関係で遅い早いが決まるのだが、その含んでいるものは一つや二つではないはず。だから一つはもの凄く早く、一つはもの凄く遅いとするとば平均的な速さになるかもしれない。
 そして時間経過を意識するのは、何かのきっかけがいる。腹が空いたことがきっかけで、まだ食べていないことが分かる。あっという間に時間が過ぎ去ったので、食べる時間を過ぎていたとか。
 時というのは厄介なもので、扱いにくい。物や空間がなければ時もない。物の変化で時ができるようなものか、時の変化で物が変わるのかは分からないが。
 さて、田中だが、やるべきことをしていないので、あっという間に日が過ぎ去ったことを感じたのだが、これは先が厳しくなり、時間が足りないか、さらに遅れることからの感想だろう。時の速さのせいではなく、田中自身の問題。時を刻んでいるのは実は田中だったりする。
「月日が立つの早いものですなあ」
 田中は期限に遅れた言い訳けをするしかなかった。
「あっという間に日が過ぎていきましたとさ」
 要するに言い訳を始めただけ。
「月日短し、そして、人生も短きかな」
 今度は歌い出した。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 10:33| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月20日

3630話 ネット賽銭箱


 梅雨が近いのか湿気が強くなっている。こういう日は寝苦しいのか、何度か木下は夜中に起き、その度にまだ早いとまた寝るのだが、そのサイクルで次に目が覚めたときは早い目の朝。ここで起きてもかまわない。少し早起きになるが、早起きは三文の得。早起きすると枕元に一文銭が三枚置かれているのなら、これは具体性がある。しかし一文銭では値打ちがない。古銭として売れるかもしれないが、売りに行くときの交通費の方が高く付きそうだし、その労だけでも三文以上の人件費が掛かるだろう。まあ昔の三文を今でいえばいくらになるかは分からないが、大した金額ではなさそうだ。
 枕元にチャリン。これは賽銭のようなものだが、似たようなことを木下は以前やっていた。パソコンからコインが出る仕掛けだ。それにはコインをパソコンの中に仕込んでおかないといけないが、これは本物の銭ではなく、ネットビジネスのようなもの。
 木下がホームページ上に作成したのは神社。そして賽銭箱。その罠に引っかかった信心深い人が賽銭を投げてくれる。それを朝見ると、パソコンからお金がチャリンチャリンと自販機の釣り銭のように出てくる。
 と、早起きしたわりには爽やかな話ではないが、少し時間のゆとりがあるので、そんなことを思い出したのだろう。
 早く起きたとはいえ小一時間ほど。これは時間としては長いのか短いのかは分からないが、ぼんやりとしているときの小一時間は結構長い。その時間を使い、木下は何かをするということはないが、朝の用事をゆっくりとできる。急がなくてもいい。普段よりも時間があるので余るほど。それで別の用事もできたりする。やはり三文の得だ。
 そして小一時間のゆとりも昼頃には使い果たすようで、それからはいつもの時間通りになってしまった。
 しかし、朝方考えた自販機のようなチャリンが気になる。小銭でもいいから、朝、パソコンからお金がポトンポトンと出てくればいいだろう。大した額ではなくても日銭が入る。
 そういう仕掛けをもう一度作れないものかと考えた。
 しかし殆ど詐欺のようなものなので、合法的なコンテンツ販売や閲覧でお金を取るのがいいのだが、それでは普通のネットショップになる。売るものなど持っていないので、仕入れてこないといけない。これも面倒だ。元手が掛かるので。
 やはり昔考えたネット神社がいい。
 それで、夜中までかかってネット神社のウェブサイトを作り、勝手に総本山を名乗った。しかし中身は神社か寺か分からないようなものになったが、欲張って賽銭箱を増やした。また色々なところへお参りできるように周遊コースなども作った。聖地の箱庭のようなものだ。
 そこには小さな石饅頭から、お地蔵さんや、祠、そして神殿や本堂とか、幹だけになった古木の下とかに賽銭箱を仕掛けた。
 音まで入れ、ガラガラの音や、賽銭が落ちたときの音、お寺では念仏まで入れた。いずれも音源はネット上にある効果音。
 それでは飽き足らず、ゲーム性を出すため、秘密の神社とか、隠された奥の院とか廃寺を作り、その下にダンジョンを作り、迷路抜けまで作った。
 そういうのは思い付いた日の夜にできたわけではないので、数ヶ月かかった。大作だ。
 そして朝起きると、無数にある賽銭箱からお金がざくざく落ちてくるはずなのだが、世の中そんなに甘くはない。しかし辛くもないようで、ザクザクではなく、ポツリポツリと一円玉程度は落ちてくるようになった。
 これを作る手間暇労賃を考えると赤字。
 また、そんな仕掛けを作る時間働ければ、それなりの銭は得ただろう。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:07| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

3629話 人の世


 人の世があるのなら虫の世もある。昆虫などは集団で暮らし、社会がある。だから虫の世もある。しかし人が人の世を思うとき、思うことで人の世が出てくるが、虫は虫の世のことを思うだろうか。近くにいる虫について思うところはあるかもしれないが、どの程度の距離だろう。犬や猫、鳥あたりなら親や兄弟のことを思うかもしれない。そのとき、犬の世として、猫はただの動物扱いになるとは思えない。猫から見ての犬も。
 ちょっと違う生き物程度だろう。それが脅威なら逃げだし、特に危険がなければ一緒にいるかもしれない。水飲み場の動物など混ざり合っている。動物にとり、この水飲み場が広い世間かもしれない。
 人の世の、この世とは人々にまつわる色々なことという程度かもしれない。世の中というのは自分が発見しなくても生まれたときからあるものだが、親兄弟親族、そして親戚から近所の人、よく見かける人。ある場所へ行けばいるような人。店屋などがそうだし、道に出れば様々な不特定多数の人達が行き交っている。世の中には自分たち以外にも、同じように生きている人達がいることを知る。
 小さな子が保育園や幼稚園、さらに小学校へ行くと、それぞれの家や町内から同じように来ている他の家庭の子供達と遭遇する。決して小さい子は自分一人ではなく、大勢いることが分かる。
 世間にも範囲や括り方があり、また直接触れることができる世間や間接的にしか知ることができない世間もあるが、ぼんやりとではあるが大凡の状態は大人になれば分かるようになる。世間を見渡せるようになる。
 しかし世間ではなく、人の世となると、ちょっと情味が加わる。大昔のことでもよくなる。その時代も人の世として、今のようにあれこれのことがあったはず、それが変わらず続いていたりとか、人が生きて動いている限りあるべきことが起こり、それに伴う感情も今も昔も変わらないような、あるパターンができる。世の常とかが、そこで出て来る。
 人の世は何か哀れを誘うような印象があるのは、人の世云々というときの状態が、そういう情味のあるときが多いためかもしれない。別の言い方もあったはずだが。
 そして人の世ということで、これは個々の小さな話から世間一般のもっと広いところまで広げることで、普遍的なこと、よくあることとして諦めやすくしているのかもしれない。まあ、悪いこと哀しいことばかりが人の世ではないが、これは我々人類が、という風に言うと、細かい話から遠い話になり、個々のことも大海に流れて、いずれ雨になり、戻ってくるような所へと持ち込み、いわば自然に近いものではないかという意味で人の世が使われているのかもしれない。
「吉田君」
「はい」
「間違ってます」
「え」
「勢いは感じますが、比喩が間違っていますし、言葉の定義もできていません。これは駄目です」
「残念です。折角調子の良い論文ができたのに」
「それはただの作文で、感想程度。それでは世の中では通じません」
「まさに人の世ですね」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 09:59| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

3628話 歌の家


 諸国を遍歴し、経験値をたっぷり蓄えた白ノ俊だが、それを活かす機会がない。しかし良く考えるとずっと遊覧船に乗っていたような旅。苦労などしていない。これは本家が金持ちのため。若い頃の苦労は買ってでもしろと当主に言われ、旅に出たのだが、路銀はたっぷり持って出た。銭で解決することは銭で解決した。殆どのことは銭で解決した。
 これは一応外遊をした坊っちゃんに近い。坊っちゃんのままだが色々なものを見聞し、世俗の知識も増えた。世間の事情にも詳しくなった。
 当主は早い目に隠居した。気楽に遊んで暮らしたかったのだろう。それと入れ替わるように白ノ俊が当主になった。
 しかし白ノ俊の家はもう形式だけのようなもので、実際には何もしなくてもいいのだ。当主の仕事はこの名家を守る程度で、普通の家長の役割と代わらない。だがまだ若い白ノ俊が逆に余計なことをすると叱られた。
 ただ、色々な席に出ることが多くなり、それが負担になったが、特に何かをするわけではない。座っているだけでいいような役だ。父親はこれが嫌で、早く引退したのだろう。そして旅に出ると言いだし、姿を消してしまった。
 この家は歌の家で、家業は歌。歌詠みだ。しかし歌手ではない。ただ、声が大事で、節回しも覚えないといけないが、そこは適当で良かった。ただ、そういう家は他にもあり、白ノ俊の家は序列から言えば末席。だから、なくてもいいような家だが、数が少ないと見栄えがしないので、頭数の一つとして続いている。
 本当は昔の人が詠んだ歌を全部そらんじなければいけない。丸暗記だ。さらにその解釈も必要。しかし白ノ俊も父親もその先代も、物覚えが悪いのか、見ないと詠めない。しかしそんな出番は滅多にない。あったとしても家人の誰かが代わってやってくれる。
 それでも歌の家に生まれ育ったので、いつの間にか耳で覚えた歌はかなりある。だから一般の人よりも多くの歌を知っていることになるが、先々代の時期から歌会もなくなり、そんな機会は実際にはない。あれば必死で覚えるだろう。
 しかし、大昔の家人が詠った歌の解釈がある。これは口伝。文字には残さない。これは業務秘密なのだ。それを受け継いでいるからこそ値打ちがある。
 白ノ俊は子供の頃から、子守歌代わりにそれを聞かされた。そのため、それは暗記したものではなく、自然に覚えた。歌の注釈のようなもので、いわば虎の巻。
 これが、白ノ俊が持っている最大の財産。しかし活かすところがない。旅に出て見聞を広げたときと同じ。
 白ノ俊の先祖に偉い人がいたのだろう。その人が独自な解釈をしている。この歌はこういうことを本当は詠んだものだというストーリー性のあるもので、個々の言葉についてはあまり触れていない。だから独自すぎて、評価は低い。歌の家のランクが低いのはそのためだ。
 この解釈というか解説、歌よりも、物語性があり具体性がある。白ノ俊がお伽噺でも聞くようにスーと覚えてしまったのは、そのためだろう。
 白ノ俊は後に作詞家になり、この国の風景を情緒豊かに歌い上げている。その一曲ぐらいは誰でも聞いた覚えのある童謡として、今も残っている。
 若い頃、色々なところに旅したことが、ここで活きたようだ。苦労のない呑気な旅だったが、風景だけは感慨深く眺めていたようだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

3627話 踏切を渡る


 線路側からプラットホームが見える場所。そこは踏切。その場所から電車がホームに入って来るのを佐々木は待っている。ここがスポットで、休みの日など同じように写しに来ている人もいる。そのため、佐々木が見付けた秘密のスポットではない。
 流石にホームにいる人は肉眼では見えないが、いるかどうか程度は分かる。電車がホームに入って来るまでに写さないと、それからでは踏切が閉まる。ホームに止まったあたりでもう踏切は閉まり出す。
 そうすると線路が真ん中に見える位置から写せなくなるので、出ないといけない。閉まると閉じ込められてしまう。
 だからホームに着いた瞬間写せばいい。一瞬のタイミング。写したあと、すぐに閉まり出す。踏切の脇からでも写せるが、シンメトリーにならない。斜めからになるため。
 佐々木は望遠レンズで狙いを付け、それを待つ。流石に望遠だとホームにいる人が見える。ベンチに座っていた人が立ち上がる。そしてドアが開いたのだろう。降りる人乗る人の動きが見える。遮断機が閉まる前のけたたましい音を立てる。その駅のすぐ手前に大きな道がある。当然そちらはもう既に閉まっているだろう。写せば、さっと立ち退く必要があるが、一枚目を写したとき、ピントが違うところに来ていた。AFのポーズ位置が電車ではなく、線路のコントラスト高い所に合っていたのだ。だからピンポイントの一点AFにすべきだったと後悔したが、もう一度シャッターボタンを半押しにすると今度は電車の正面ではなく、手前の車に当たった。あれっと思ったのは当然だ。
 一回目のシャッター後、出ないといけないので、二枚目を写したため、遮断機が下り始めているので、写真よりも、踏切内から出る方が先。
 今のは何だったのかと、佐々木は肉眼で駅手前の踏切を見るが、変わったところはない。客を乗せ終えたのか、電車は走り出したようだ。
 そして佐々木のいる踏切前を通過していった。
 あれっと思ったのは駅手前の踏切は閉まっているはずなのに、車の姿を見たのだ。渡っているところを。そこをカメラのAFが拾い、そしてシャッターを切った。
 佐々木はすぐに背面液晶で、今写したものを見たが、車の姿はない。その前に写したのを見ると、客が乗り始めた止まった状態の写真。これを写したかったのだが、やはりピントが来ていないので鮮明さがない。
 そして最後に写したのをもう一度見ると、車は写っていないが、電車にしっかりとピントが来ている。だから、満足したのだが、二枚目は確かに車が横から入り込んできていたはず。渡っているのだ。そしてピントが車に合ったことまで分かっている。しかし、車は写っていない。
 それよりも閉まっている踏切では渡れないはず。
 その踏切はホームに近い。電車はまだ止まっているが、遮断機は下りていたはず。
 どちらにしてもあり得ない現象だ。その証拠に写したはずなのに写っていない。
 きっとその車、白かったが、踏切を強引に渡ったのかもしれない。しかしそれなら写っているはず。
 白い車が横切った証拠写真がない。逆に写したはずなのに写っていないことが証拠になる。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:19| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月16日

3626話 機械の汁


 自分はいいと思っているのだが、他人はさほどいいとは思っていないことがある。逆に嫌ではないが、それほどいいとは思っていないものを、他人は非常にいいと思っていたりする。この他人というのは不特定多数の人々。しかし仲良しグループでも、それがある。
 自分が好きなので、他人も好きだろというのも頼りのない話で、また自分が面白いと思うこともそれと同じで、これも基準としては弱い。しかし本人が弱いだけかもしれないが。
 弱い好ましさ。弱い嗜好。これは対象が弱いのではなく、本人の弱さが出ているのだろう。
 嗜好というのは比較的自由な世界で、特に権利主張などを掲げるようなことではなく、勝手に味わえばいい。好みのあるなしなど、大した問題ではない。嗜好の問題なので。
だから力のない人でも、嗜好の問題ではうるさかったりする。ただの嗜好なので、意見を述べても、何かが動くわけではない。単に好きか嫌いか程度で、それも嗜好なので弱い。
 また、嗜好、好みに関しては敢えて言う必要がないが、腹の底では嘲笑していたりする。
「基準が分からんようになった」
「ほう」
「私の好みが通じなくなった」
「いやいや、最初から通じていませんでしたよ」
「そ、そうか」
「指針を失った」
「どんな」
「自分が面白いと思うことをやってきた。それが通じなくなった」
「もう面白くないからででしょ」
「じゃ、泉が枯れたのか」
「大した水じゃなかったですしね」
「私にとっては名水だ」
「いや、自分で掘った井戸なので、美味しいと思っていただけだよ」
「そうか」
「これからは嫌いなことをする」
「あ、そう」
「この前、嫌いなことをやったんだが、もの凄く受けた。好きなものをやるより、受けたんだ。しかし、しんどい。嫌なことなのでね。好きなことなら楽しくやれて楽なんだ。自分も面白いしね。ところが嫌なことなので、やるのが辛い」
「やっと普通に戻れたんだよ」
「そうなのか」
「楽して受けないさ」
「楽そうにやってる人もいるぞ」
「裏で結構苦しんでいるさ」
「そうなの」
「楽そうに見せるだけでも辛かったりしてね」
「じゃ、本当は辛いんだ」
「好きなこと、面白いことなんて、すぐに尽きるよ」
「泉が枯れたので、それが分かった」
「そうだろ。だから好きでも嫌いでもなく、淡々とやるのが極意なんだけど、これは難しいよ」
「君はそれをやってるのか」
「ああ、しかし、地味なので、受けない」
「うーん。じゃ、残るのは何だと思う」
「機械的にやることだよ」
「ほう」
「しかし人がやることなので、機械のような精密さはない。だけどそこに滲み出る汁が美味しい」
「おお、それが極意か」
「何もしなくてもいいんだよ、特にね。淡々粛々機械的にやっていると滲み出てくる」
「それって、やっぱり地味だなあ」
「まあな」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月15日

3625話 雨男


「雨で何ともなりませんなあ」
「あなたそれ、何十回言ってます」
「え」
「百回を超えてますよ」
「百回。なるほど雨の降る日百回。これはありうる回数ですなあ。しかし、今まで雨が降った日はもっと多いでしょうが、毎回毎回言ってるわけじゃないですよ。この前、雨が降ってましたねえ」
「さあ、記憶にありません」
「私は覚えています。ボロ靴では濡れるので、新しい靴を買うきっかけとなった雨でした。そのとき、私、あなたに、雨が降ってますとは言わなかった。つまり雨話題は一切しませんでしたよ」
「細かい話を」
「だから、毎回毎回雨が降ってます降ってます。雨で往生します。困ったもんだ。雨で何ともならん、なんてことを言い続けているわけじゃない。言わないときもあるんだから」
「では、雨が降っているときに雨の話題をなさらな日はどうしてですか」
「他に喋ることがあるからです。雨の話などしておる場合じゃない」
「じゃ。話題がないときは雨ですか」
「いや、話題があっても、雨話をするときもありますよ。ちょっと印象が違うと言いますか、趣きが違う雨の降り方や、かなり厳しい降り方をしたいたときとか」
「では今日はどうですか」
「何が」
「だから、他に喋ることがあっても、どうしても雨の話がしたい日ですか」
「いや、したくない日です。雨で何ともならんと言ってみたかっただけで、続きはありません」
「しかし、長い続き話になってますよ」
「そうですか」
「だって、ずっと雨の話で始終です。私、今日は用事があるので、先に帰ります」
「あ、そう」
「明日も雨の話、しますか」
「降っていなければしません」
「あ、そう」
「その代わり、今日は雨が降ってませんなあとなりますが」
「やはり雨ですか」
「はい、好きなんです。雨が」
「はい、じゃ、また明日」
「はい、ごきげんよう」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:33| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

3624話 誰かいるのか


 堀口は早く仕事を終えて遊びたいとか、自分の時間をエンジョイしたと思うのだが、そんなときに限り、仕事が捗らない。あと僅か。ほんの数十分で済む。調子の良いときはその半分で済む。そして大してプレッシャーの掛かるようなものではないので、さっとやれば、さっと終わってしまう。だが早く済ませたいときに限り、そうはいかないのだから、皮肉な話だ。
 簡単なはずのことで手こずる。やり出せばすぐなのだが、止まってしまう。
 何が災いしているのだろう。これは早く済ませたいと思う気持ちがプレッシャーになるため。当然堀口がそんな止めに入るようなことはしていない。もっと早くと勢いを掛けているのに。
 それで、どうにも前へ進まなくなったが、これを終えてから遊びたい。中断した状態では気が重い。さっと終えたときの解放感がない。
 さっとできるどころが、まったく止まってしまい、何ともならなくなった。このままでは座っているだけ。何もしていないのとかわらない。
 しかし……と三村は考えた。仕事を早く上げるのはいいのだが、何をしてそのあと過ごすかだ。それはまったく考えていなかったが、自由な身になることだけでもよかった。好きなことができる時間、自由時間、それを得るだけで。
 それには終わらせないといけない。そうでないと解放感がない。
 それで仕方なく普段の数倍の時間を費やして何とか仕事をやり終えた。
 外に出ると、もう夕方から夜になっていた。この時間から遊ぶにしても、子供なら暗くなってからは鬼ごっこもしないだろう。
 それで遅いという感覚が先に立ち、そのまま真っ直ぐ家に帰った。
 ドアを開けると様子が違う。帰り道にウロウロしなかったので、結果的には昨日よりも相当早く帰ってきたのだ。しかし昨日と同じで外は暗いし、部屋の中も暗い。休みの日は別だが、仕事に出ている日に、こんなに早く帰ったことは今まで殆どない。
「誰かいるのか」
 堀口は急にそんなセリフのようなものを吐きたくなったのか、声を掛けてみた。こんなものは一人芝居で、誰もいないことが分かっているからできること。
 がさっ
 と音がした。ペットは飼っていない。
 声の振動で、何かが落ちたのだろうか。そんなことはあり得ない。もしあるのなら客が来て話しているとき、その声で棚からボタボタ物が落ちっぱなしになってしまう。
「誰かいるのか」
 堀口は少し不安になってきた。靴を脱ぎ、忍び足で廊下を進み、居間を覗いた。
「誰か来たの」
 今度は反応はない。
 そんなことを楽しんでいる場合ではないので、リモコンで灯りを点けた。パッと居間のLED灯が灯り、明るくなった。これで、この怪談は終わりだろう。
 しかし、今度は確実に何かの気配がする。後ろだ。
 これはやるかもしれないと思いながら、堀口は一気に振り返った。
 誰もいない。
「誰かいたの」
 反応はない。
 がさっと音がした犯人は誰だと思い、居間の隅々まで見るが、物が落ちた形跡はない。横の和室も覗くが、朝起きたときのままの掛け布団がベッドからずり落ちている程度。これが「がさっ」の正体だなと分かり、もう「誰かいるのか」劇を終えた。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 11:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

3623話 土讐


 子供が妖怪を見たと誇らしげに語り出した。場所は妖怪博士宅。ここなら思いっきり語れるのではないかと大喜びの大はしゃぎ。
 実は妖怪博士、子供が嫌いだ。それが小さければ小さいほど幼ければ幼いほど気味悪がる。世間の人情とは違っている。赤ん坊などは以ての外。生まれたてなど、見るとぞっとする。いずれも妖怪じみて見えるのだろう。胎児になると、もう駄目だ。
 そんな妖怪博士だが子供向け雑誌に妖怪の話を書いている。殆どは担当の編集者が代わりに書いているのだが。これは本来の仕事ではないためと、偶然そういうところの仕事しか来ないため。
 これで一つネタが出来たので、助かるのだが、語っているのは子供。これは嘘だとすぐに分かる。そう頭から決め込んでいるのは、子供は正直でないためだ。嘘ばかりつく妖怪のような存在。だからその先入観が先に走る。
「川にかな」
「そうです。もうコンクリートで固めたドブ川ですが、その中にいたのです」
「そんな排水路のよう中では魚もおらんだろ」
「魚はいませんが、雑草が生えています」
「コンクリートじゃろ」
「水が流れている端っこに泥が溜まって、そこから」
「ああ、あるのう」
「それと繋ぎ目や割れているところからも草が伸びています」
「つまらんものをしっかりと観察しておる。えらいのう」
「うん」
「それで妖怪はどうした」
「そこに大きな虫がいました。大きな亀ぐらいの」
「じゃ、亀じゃろ」
「大きさはそれぐらいですが」
「亀の子束子が流れついたのじゃ名」
「違います。お爺ちゃん」
「私はそこまでまだ老けておらん」
「足が一杯あって」
「じゃ、カニだろ。何処かで飼っていたものが逃げた」
「違います。大きな頭をしていました。顔がありました」
「じゃ、タコか」
「違います」
「で、その妖怪、どんなことをしていた」
「え」
「だから、何をしておった」
「ずっと僕を見ていました」
「ほう」
「何か話しかけるような」
「うむ」
「でも怖い顔をしていました」
「それから」
「草の中に入っていきました。そして消えました」
「ヒビ割れとか、切れ目から出ている程度の草じゃろ。そんなに茂っておったのかな」
「ぜんぜん」
「では何処に身を隠した」
「知りません。だからこれは何だろうかと思い、博士にお知らせを」
 妖怪博士はしばらく本朝草木図鑑などを頭に描きながら、イメージ検索をしていたのだが、子供がそれを見て笑い出した
 思案中の妖怪博士の顔がおかしかっためだが、ここが妖怪博士が子供嫌いの主因。そんなにおかしな顔にはなっていないのに、無理に笑ういやらしさ。これが大嫌い。
「ドシュウじゃな」
「ドジョウ」
「土と、復讐の、讐と書き、土讐」
「ふーん」
「草の根にいる妖怪でな。昔は草原、野原にいるとされておる。草が生えておるところなら、何処にいてもおかしくない」
「僕が見たのは土讐なの」
「草とくっついておるが、実は土の妖怪。川底の泥の中にもおる」
「ふーん」
「分かったか」
「面白くありません」
「君が見たものに近いのはそれじゃ」
「でも土なんてないし」
「泥が溜まったり、土砂が溜まったり、ヒビの入ったところなら土は近い。セメントの下は土じゃ。いくらでも土はある」
「でもその妖怪、怖い顔をしていました」
 妖怪博士は人がそういう工事をして、地肌を覆うようなことをしていることを物申す気はないので、その説明は省いた。
「分かったかい」
「面白くない」
「土讐はその名の通り、復讐系。近付くと怖い目に遭う。面白いとか面白くないとかの問題じゃない」
「分かりました」
 子供は丁寧に礼をして、帰っていった。
 見てもいない妖怪を勝手にでっち上げる嘘つきな子供。今度来たら何か悪いものでも憑けて帰してやろうと妖怪博士は思った。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 10:12| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

3622話 闇のパトス


 ある閃きを得たなら、すぐに実行すればよかったのだが、竹下はもっと丁寧に検証することにした。そのまま実行に移すのは無茶だと考えた。しかしこれが後で考えるとブレーキになり、一瞬の閃きがもう閃かなくなった。
 一瞬光を見たのだが、その後の検証で闇が見え始め、暗くなり出した。暗雲だ。
 最初に閃いたときは晴れていたのだろう。しかしよく調べていくうちに雲が見えだし、そのうち黒雲となり、まさに暗雲。
 では最初に見たあの明るさ、あの閃き。そして希望。わくわく感は何だったのか。それはよく知らなかったためなのだが、かえってそれが邪魔をし、動けなくなった。
 あのとき、もし、さっと動いておればどうなったのかと、今も想像する。あくまでも想像だが、その想像の材料が揃いすぎたため、点数が低くなったどころか、これはやってはいけないことに見えたため、想像もまた、それに合わせたものになる。
 しかし竹下の今までの経験で、成功したときのことを思い出すと、いずれも何も考えないで実行したケースが多い。熟考したものは殆ど全滅している。考えが足りないのはいけないが、足りないからこそできることがある。
 成功例を思い出すと、そういう細かいことは後回しにして突っ込んでみたいという衝動が強かった。考えるとできなくなるので、考えないのではなく、やりたいから突っ走ったのだろう。これは衝動的で、危険。しかし、人道上に関わらないことなら、問題はない。
 ここで突破しないといけないのは世間ではなく、竹下自身なのだ。自分との戦いのようなもので、止めているのは自分。敵は自分。
 動いてみて初めて分かることもあり、勢いだけで出ても二三歩で終わることもある。そういうことばかりを繰り返しているため、竹下はよく考える人になったのだが、この安全装置のおかげで、冒険ができなくなった。
 つまり安全地帯しか歩かなくなる。欲しい物は安全地帯にはない。だから釣り上げる魚も小さい。
 それよりも最近は閃かなくなった。インスピレーションではなく、情動のようなものだろう。このエネルギーは強い。それを使わないで動くので、いつも何か燃焼不足。当たり前のことが当たり前にできるだけなら感動はない。
 竹下が思っているわくわくする世界とは、シナリオがない、筋書きにないことと出合うことだろう。物語は語り出さないと生まれないようもの。何が飛び出すのかが分からないからいいのかもしれない。
 竹下は次回、何か閃いたときは、そのまま突っ込んでやろうと決心した。
 しかし、閃き路線を封印していたためか、最近は何も閃かなくなったようだ。
 一瞬の閃き、それは眩しいばかりの光を見ると同時に、闇のパトスで走れるのだろう。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 11:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする