2018年09月30日

3762話 馬子にも衣装


「僕は着るものに凝っていましてねえ。まあ、凝り固まるほどのものでではないのですが、不本意な服装はしません。たとえばジャージとかで外には出ません」
「じゃ、紳士服を着て」
「それは広すぎる分け方です。婦人物ではないという意味での紳士物でしょ」
「じゃ、どのような服装がよろしいのですか」
「見れば分かるでしょ」
「きっちりとした身なりですねえ」
「もう年ですから、昔ほどではありませんが」
「どう見ても貧乏人には見えない」
「それが狙いです」
「散髪もよく行かれているようです」
「薄くなりましたが、まだ大丈夫」
「その靴は」
「これはカジュアルものですが、アウトドアもいけます。ただしスポーツシューズのように線は入っていません。当然シティーでも似合う」
「はい、お見事です」
「しかしですねえ」
「何か」
「僕と似たような年寄りを見ました」
「あなたのような服装の人なら、いくらでもいるでしょ」
「そうですね。ちょっと身ぎれいで身なりのいい外出着」
「そうですね。あまり若々しいヤング向けじゃないところがいいですねえ。年にふさわしく、落ち着いていて上品」
「ところがです。私と似たような人を見たとき、ぞっとしました」
「あなたと同じ服装」
「そうです」
「じゃ、何故ぞっと」
「私もそう見られているのかと思うと」
「ほう」
「その人は僕よりも年が上のようです」
「はい」
「何か哀れを誘ったのです」
「哀れ」
「はい、可哀想なほど」
「どうしてですか、しっかりとした身なりの人でしょ」
「かえってそれがいけないのでしょうねえ」
「はあ。でも年代にふさわしい服装なのでしょ」
「僕のよりも高そうですし」
「じゃ、羨ましく思うのでは」
「そうではないのです。一分の隙もありません。靴下の色もいい。洗濯で乾いた物をとりあえず履くというのじゃない。ズボンや上着、帽子との関係を考えておられる」
「いくつになってもオシャレで、いいじゃないですか」
「それが、哀れを感じたのです」
「私はその年代ではないので、よく分かりませんが、かっこいいお爺さんでしょ」
「それが悲しいのですよ」
「では、どのような服装がいいのですか」
「もっといい加減な服装の方がいいです。バーゲンで適当に買ったものとか、寒いので、適当なものを引っかけているとか」
「じゃ、その辺でよく見かける服装でしょ」
「そちらにします」
「よく分かりませんが」
「その老人の後ろ姿を見たとき、哀れを感じたのです」
「その感覚、よく分かりません」
「あまり服装に拘らない方がいい。今の僕のようにね。何か虚しいものを感じましたよ」
「もっと分かりやすいたとえはありませんか」
「猿に服を着せたように見えました」
 
   了


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2018年09月29日

3761話 気楽人


 予定通りとか、思惑通りとか、期待していた通りとかになると、気持ちがいい。見込んだ先がその通りになるためもあるが、小さなことでもそれはある。むしろこちらの方が上手くいくのだが、得られるものは少ない。しかし、気持ちの上で満足が得られる。
 一歩先を行っていると余裕がある。一歩遅れた状態では焦る。この一歩先、半歩でもいい。少しだけリードしている状態は気持ちがいい。それだけではなく、余裕があるので安定している。まあ、貯金のあるなしとは関係はないが、ゆとりというのは大事。
 その日、少しだけ早く起きたとき、ほんの数分だが、いつもよりも先を行っているように思えた。この場合一体何をしたのかというと、大したことはしていない。少しだけ早く目が覚めただけ。目は誰でも覚める。覚めなくなれば、大変だ。そのあとすぐに起きられるかどうかが問題。いつもより早いとまだ寝ていてもかまわない。どちらを選ぶのか。
 この場合も、それ以上寝てられないときは起きるしかない。それで時間的ゆとりができ、一歩リードしたように感じるかというとそうではない。もう少し寝ていたかったのにと、不満が残る。そして寝不足なのが気になる。
 これは自分で仕掛けたことではないためだ。早く起きたことに対する解釈の違い、受け止め方の違いだろうか。
「余裕ですか」
「そうです。どうすれば持てるのでしょう」
「さあ」
「あなたはいつも余裕綽々で、羨ましい限りです。自信たっぷりだし」
「それはね」
「何か秘訣があるのですね。教えて下さい」
「無理をしないだけ」
「え、それだけですか」
「単純でしょ。無理をしていないので、余裕、余力がある。それだけです」
「つまり基準を下げろと」
「そうですねえ」
「しかし、僕はこれ以上下げられません。精一杯やっても間に合わないのですから」
「じゃ、この会社を辞めて、もっと楽なところへ行くことですよ。私はそうしました」
「しかし、給料が下がりますし」
「さあ、それはどちらを取るかは君次第」
「余裕のある暮らしをしたいため、ここで頑張っているのです」
「余裕は頑張らなくても得られますよ」
「はあ」
「何か不満なようですが」
「はい」
「きっと君が思っているほどの力はないのでしょうねえ。君にとっては高い目に基準を置いた。それが間違いなのかもしれません」
「はい、ギリギリです」
「私はこんなところにいる人間じゃないのですが、ここにいる方が楽。それだけです」
「その境地が分かりません」
「簡単ですよ。楽に生きたいだけのことです」
「そんな気楽な気持ちになれればいいのですが」
「そうですねえ、気楽は頑張っても手に入るものじゃありません」
「はあ」
「そぐわないようですね」
「はい」
「それは仕方がありません。誰にでもできることじゃないのですから。それに君のように将来を夢見て頑張っている人には水を差すような話ですからね」
「はい、差されました」
 
   了
 


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2018年09月28日

3760話 何か


 昨日と様子が違う。柴田が朝、目覚めたときの第一印象がそれ。これが一番に来るのかと思いながら、何が違うのかと考えてみた。朝からよく頭が回り、回転するものだ。きっと目覚めがよかったのだろう。いつもなら目覚めたときはまだもう少し眠っていたいというのが第一印象。しかし、印象でも何でもない。生理的なことだ。
 夏が終わり秋になり、空気が入れ替わったのではないかと思ったのだが、それほど変わらない。相変わらずの蒸し暑さが残っている。涼しさはあるものの、空気の違いは感じない。
 すると体調。調子が良いのかもしれない。しかし、それと印象とは違う。内部ではなく、外部の印象。だが、特に目立ったものはない。風が強いとかの自然現象でもない。そこではないことは何となく分かる。
 昨日と同じような朝の陽射し。天気も似ているので、起きたときの部屋の光線具合も同じで、これが目ですぐに分かる違い。しかしそれではない。
「誰かいるのか」
 これが柴田が下した解答。実際にはカマに近い。何者かにカマを掛けたのだ。
 反応はない。
 カマは外れたようだ。
 何かが違う。違和感だけがそこにある。
「僕として、目が覚めたのだろうか」
 この想像は度を超している。柴田として目を覚ましたのではなく、別の人物として目を覚ました可能性がある。しかし、それはあり得ないので、もう一人の柴田とチェンジしたのだろうか。
 多重人格。
 しかし、それは思い当たらない。人柄が変わりキャラが変われば見えるもの感じるものも違うはず。解答としては上手くいく。
 原因があるはずだと、昨日のことを思い出す。何か変わったことをしなかったかと。たとえばカーテンを変えたり、壁紙を貼っただけで随分と雰囲気が変わる。しかし、それも思い当たらない。もしそうならすぐに分かるはず。だから愚答。
 そうなると柴田に分からない変化があったのではないか。具体的なものなら目で見える。だから五感を超えたものの変化。
 ただ分かるのは何かが変わったことだけで、何がどう変わったのかの具体的なものまで絞り込めない。それ以上は感覚だけでは無理なようだ。
 そして、いつものように朝の支度をし、仕事先へ向かった。別段変化はないが、いつもの道だが、やはり気にし出すと、いつもとは違うように見えてくるので不思議。
 そして昼を過ぎたあたりで、そういうことは気にならなくなり、帰宅する頃にはすっかり忘れていた。
 そして寝る前、今日の一日について、ちょっと思い出したのだが、今朝の目覚めのあの一件は抜け落ちていた。
 
   了



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2018年09月27日

3759話 逃水


 ピンチはチャンスだというが、ほとんどの人はピンチだけで終わり、それがチャンスに昇華することはない。しかし確率的にはある。
 ピンチをチャンスと考え、どのようにそれを活かすのかとなると、ほとんどの人はピンチにならないような安全策を考える方向へ向かう。それでもいいのだが新たな何かとというものはそこからは生まれにくい。誰も思い付かなかったようなこととか、場合によっては今後のスタンダードになるような新しいことだ。
 ピンチに遭い、悪いことに遭遇し、結果も悪くなっただけで、チャンスどころの騒ぎではなく、積まなくてもいいような経験を加えてしまう。こういうのは嫌なことなので、忘れるしかないので、記憶の彼方へ行き、これが活きることはない。ただ生理的に、それが残るかもしれないが。忌まわしい嫌なパターンとして。だから、近付かない。
 この場合、何も良いことはないのだが、それをチャンスと思っているわけではないが、その方面のことは嫌がり、回避し、避けるようになる。これは世間を狭くするのではないかと思えるが、世間は広い。一人の人間が関わるようなことはしれている。
 さて、回避する、逃げることで行動範囲が減ったり狭まったりするわけではない。逃げ道は寄り道で、そんなことがなければ遭遇しなかったものと出合えたりする。また別の方法や、別の方向へのアクセスチャンス。これはチャンスと思っているわけではなく、仕方なくやっていることかもしれない。
 それが今まで気付かなかったこと、本来ならやるようなことではなかったとしても、いいものがそこにある可能性がある。
 同じ失敗を繰り返す粘り強さ、その根性は凄いと思うが、ターゲットを変えることも大事。しかし、狙いを変えるという意気込みではなく、そうしないと何ともならないからやる程度。切実としたものがある。
「今回はどうですか」
「前のは失敗しました。もう二度とやる気はありません」
「これで何回目ですか」
「はい、生き方を変えます」
「だから、それも何回目ですか」
「さあ、数えたことはありませんが、今度の生き方は今までになかったこと。生き方っていろいろとあるものですねえ。いくら変えてもまだまだありますよ」
「それはいいのですが、ちょっと具合が悪くなると、すぐにやめて、別のことをするのはどうかと思いますよ。少しは粘ってみては如何です」
「粘れるのなら、そうしますがね」
「あなたは逃げているばかりです」
「いやいや、逃げながらいいものを見付けることもあるのですよ」
「あなた、それ、ただの性癖でしょ」
「それが全てです」
 
   了


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2018年09月26日

3758話 マルコ


 マルコと呼ばれているが、女性ではない。冒険家。マルコポーロから来ているあだ名。姓は丸山。だからマルコと近いので、そう呼ばれるようになったのだが、そう呼ぶ人は少ない。ニックネームで呼び合う関係の人が少ないのだが、たった一人、マルコポーロと呼ぶ知り合いがいた。いろいろな人からそう呼ばれていたわけではない。
 その後は丸山よりもマルコと呼ばれる方が多くなり、今では丸山という本名を知らない人もいる。
 マルコは冒険家なのだが、遠洋を旅するわけでも深山幽谷に分け入るわけではない。逆に旅は苦手で出不精。
 だからここで冒険家と呼ばれるのは、先陣を切るためだろう。先陣、真っ先に突っ込む人。得体の知れないものに対しても、それをやる。そのため危険が多くリスクも高い。その意味での冒険。
 また、それを人柱、サンプルという人もいる。踏み込むのが危険な第一歩というのがある。悪くいえば捨て石。薄い氷で割れておじゃんになるかもしれない。マルコはそれを踏む人。要するに身軽なのだ。体重が軽いので割れにくいというわけではない。気持ちが麩のように軽い。
「どうですかマルコさん。最近の冒険は」
「いや、もう年ですよ。もう怪我はしたくないので、最近は控え目です」
「もう怪我と、儲けが、を引っかけていませんか」
「分かりましたか」
「マルコさんは先駆者です」
「儲けるのは二番手、三番手でしょ」
「しかし、真っ先に駆けるのは気持ちがよかったでしょ。誰もまだ踏んでいない真っ白な雪、新雪とか」
「そうですなあ。あとのことよりも、その真っ先が楽しかった。それで充分だったのかもしれません」
「真っ先なので、掴めるもの、得られるものも沢山あったでしょ」
「いや、未踏地へ到着した瞬間、次の未踏地へ行きたくなるもので」
「今なら、大金持ちですよ」
「そうですなあ。そのために突っ込んだのですがね」
「今度はどんな冒険へ」
「いろいろとありますが徐々に魅力あるものが減っています。魅力は見出すもの。だからその見出す力が弱まっているようです」
「雀百まで踊り忘れずと言いますよ」
「そうですなあ」
「まだまだ踊って下さい」
「はいはい」
 
   了

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2018年09月25日

3757話 呪文


「徳山の彦左衛門さんですか」
「そうです、わしが彦左衛門ですが、何か御用ですか」
「何代目かに当たるわけですね」
「そうです。本名は徳山一郎です」
「ご長男なので、彦左衛門を継いだわけですね」
「はい、間違いありませんが、彦左衛門は戸籍上にはありません。屋号のようなもの」
「それで、なかなか見付からなかったのですが、お会いできて嬉しいです」
「そうですか」
「数えたことはないのですが、何代目でしょうか」
「十四代目です」
「それは凄い歴史ですねえ」
「いえいえ、ただ、たどれるのは十五代目まででして」
「初代彦左衛門さんのお父さんまでですか」
「そうです」
「それで、今は彦左衛門さんをやっておられますか」
「やっておりません」
「しかし継いでおられる」
「はい」
「見せてもらうわけにはいきませんか」
「いやいや、名ばかりで」
「でも引き継がれたことがあるのでしょ」
「あるにはありますが、そんなもの役に立つのかどうかは分かりませんよ」
「是非、お願いします」
 彦左衛門は何やら呪文を唱えた。
「ほう、聞いたことがありませんが、祝詞に近い節回しですねえ」
「はい。でもこれは縄を張ったり、火を焚きながらでないと効果はないのですよ。縄も、護摩木も、もう用意していませんので」
「呪文の文句は分かりますか」
「分かりません」
「日本の古い言葉でないようですし、漢読みでもない」
「西方から伝わったと聞きます」
「インドのまだ西」
「そのように聞いておりますが、もっと西」
「中東まで」
「もっと西だと」
「ほう」
「どういうときに使うのでしょうか」
「なんでも効きます」
「初代からそうですかな」
「いえ、効能が増えていき、四代前まではなんでも効くになってしまったとか。しかし、そのあたりからもうこんな呪いの時代じゃありませんから」
「所謂祈祷なのでしょ」
「それとは違うようです」
「ほう」
「その呪文、録音してよろしいですか。お礼は払います」
「いいですよ。もう役に立たないおまじないのようなものですし、屋号は背負っていますが、もう商売にはなりません。廃業状態ですので。しかし徳山の彦左衛門の名だけは残したいと思っております」
「はい、分かりました」
 妖怪博士は、たまにこうして呪文や呪器などを手に入れる。
 これをたまに人に売ることがある。薬のようなものだが、副作用はない。護符もそうだ。こういうもので、悪いものが祓われたり、近付かなかったりするのだが、その効能は効く人には効くようだ。
 しかし、今回仕入れた呪文。特殊なものに効くように思われた。日本のモノではなく、西洋のモノに。
 これは使う機会が少ないなと思いながらも、いざというとき、役立つかもしれない。たとえば十字架に対し、免疫ができてしまった悪魔や吸血鬼などに。
 
   了
 

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2018年09月24日

3756話 悪魔の赤ちゃん


 古くさいビルがある。レトロビルというには新しい。雨の中、そのビルに入っていく怪人がいる。服装がなそんな感じに見えるためだ。長いマントを被り、深編み笠のような帽子を被っている。いずれもあつらえたものではなく、探せば似たような物が売られている。
「雨の中、わざわざお越し頂いて恐縮です。こちらから窺うべきなのですが、忙しくて」
「いえいえ」
「そのマントはカッパですか」
「はい、股旅物に出てくるようなやつですよ」
「縞の合羽に三度笠というやつですね」
「まあ、そんな感じです。これで傘いらず」
「そういえばキノコも笠を広げますなあ。あれも笠なのでしょうか」
「笠の裏側に大事なものがあるのでしょ」
「ありますねえ、ギザギザしたヒダのようなものが」
「ところで、お話しとは」
「はい、本題に入りましょう」
「どんな怪しげなことが起こりました」
「このビルに悪魔の赤ちゃんがいるらしいのです」
「ここはオフィスビルでしょ」
「元々は高級アパートだったのです。だから部屋と部屋の仕切りがもの凄く分厚い。オフィスビルでは必要のない倍ほどの。それに外から見ると分かるのですが六階建てなんですが高さは七階を越えています」
「それほど天井が高くは見えませんが」
「上と下との隙間が広いのかもしれません」
「六階なのに、実は七階があるとか」
「そこに悪魔の赤ちゃんがいます」
「どうして分かったのですか」
「泣き声です」
「悪魔の赤ちゃんなら泣かないと思いますが」
「いや、その泣き方が悪魔っぽい」
「すぐに聞けますか」
「ずっと泣いているわけじゃないし、壁が分厚いので、壁に耳をあてないと聞こえません」
「じゃ、耳をあてて聞いた人がいる」
「僕です」
「どの階ですか」
「六階の壁に耳をあてると聞こえてきました」
「ビルの見取り図は」
「ありません。しかし、七階はありません」
「はい」
「面倒な話ですねえ」
「だから、調べて欲しいと」
「ペットでも買っているのでしょ」
「五階から上はまだアパートですが、ほとんどが個人オフィスです。だから本当に住んでいる人はいません」
「住んでもかまわないのでしょ」
「もちろん」
「じゃ、ペットでしょ」
「流石に妖怪博士、乗ってきませんなあ」
「猿とか」
「分かりました。調べる必要はないということですね」
 依頼者は妖怪博士を欺すため、いろいろと仕掛けを作っていた。悪魔の赤ちゃんがいる隠し部屋の見取り図を仕込んだり、テープに録音したものをタイマーで鳴らすとか。その他、ワイヤー類とか、偽装のドアとか、映写機まで用意していた。
 しかし、妖怪博士はすんなりと、雨の中、立ち去った。
 折角準備をしていたのに、手間暇掛けたのに無駄に終わったようだ。
 
   了


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2018年09月23日

3755話 忌み通り


 水の流れのように、自然に生まれた通い道がある。道は自然に生まれないので、通り方だろう。コース取り。
 武田は一日二回そこを通る。往復で合計四回そこを通っている。何故そのコース取りになったのかが自然の流れに似ているのだが、近道でもあり、通りやすいため。目的地は家から斜め向こうにある。路は碁盤の目のようにあるのだが、東西南北。ところが目的地は南東。だから一本の道がない。そのため、カクカクと回りながら、そこへ行く。
 気が付けば、もう何年もそこを通っている。問題は何もないのだが、気になることがある。
 武田の町内から出る辺り、番地が変わる辺りにいつも人がいる。番地が変わるほどなので、違う住宅地の手前。昔なら村の端。だから村への出入り口にあたる。だから自治会が違う。その境目の家の前にいつも人が立っている。
 ずっと立っているわけではなく、隣の家の人と話したり、また顔見知りと立ち話をしたりと、よくあるような町内の風景だが、武田は何故か気になる。四角い顔で、頑固そうな人。人は見かけによらないが、武田の経験がそう判断してしまう。
 隣の家の玄関先の余地に椅子があり、そこに腰掛けていることもある。自分の土地ではないのに座っているのは、隣家との関係ができているのだろう。そこの人もたまに外に出ているが、たまにだ。
 ある日、武田はいつものようにそこに差し掛かった。そして見るつもりはなかったが、前方なので、目は行く。そこに椅子に座った四角い老人が目を細めてじっと武田を見ている。全くの無表情。
 老人からすれば、武田が姿を現した瞬間、誰かな、という感じで見たのだろう。道端で座り、ぼんやりしている場合、通行人に目がいくはず。
 これは毎回出くわしているので、慣れたものだが、その日の目付きが怖かった。きっと別のことを思っているときの表情のまま武田を見たのだろう。
 同じ町内だが、少し遠い。だから自治会的な繋がりはないに等しいし、それにその外れは昔は田んぼだったので、あとからできた家。武田のように生まれたときから住んでいる関係ではない。もしそうなら学校などの大先輩だろう。
 その四角い老人を今まで意識することはなかったのだが、難しそうな目と合ったとき、ぞっとするものを感じた。これは単なる誤解や錯覚だろう。しかし、悪いものを見た気になり、道を変えることにした。
 一日四回通るので、そのうちの一回は顔を合わせる。多いときは二回。まったく見ない日もあるが、ほぼ見ている。
 こういうのを毎日見ていたことになるのだが、今まで意識していなかった。ああ、またあの人がいるなあ程度で、風景の中の一部。
 しかし、今回あの細い目と目が合ったときの顔はこれまでの顔とは違っていた。別人かと思えるほど。
 自然に生まれたコースなのだが、道を変えてみた。距離的には変わらないのだが、一度大きな道の路肩を通らないといけないので、いいコースではないが、五十メートルほどなので、すぐに裏道に入れる。
 これであのいやな顔を見なくてすむ。通る度に意識的になるのは面倒。これですっきりした。
 しかし、これを数年続けると、あの老人がいた通りへ、何らかの都合で入り込むとき、もっと怖いような気がする。
 武田はこれを忌み通りと名付けた。
 
   了
 

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2018年09月22日

3754話 コスモス


「コスモスが咲いていましたよ」
「おお、それは秋らしくていい。曼珠沙華も突然咲き出すでしょう」
「彼岸花ですね」
「この二つが咲けばもう立派な秋」
「あとは」
「松茸」
「それは流石に見かけません」
「キノコは見かけるでしょ」
「はいはい、道端とか、庭とかに、いきなり出てます」
「しかし、スーパーとかへ行けば松茸は見られますよ。夏頃から既に売られていますがね。だから、季節物としてはちょと合わない」
「輸入物かもしれませんねえ」
「そうかもしれん」
「ところで、コスモスは何処で見かけましたか」
「ここへ来るときに道から見えていました」
「何処に」
「あれは何でしょうねえ。畑でもないし、庭でもないような」
「ほう」
「家庭菜園でもない。まあ、農家の土地なんでしょうが、狭い。その横は稲です。米です。だからその田んぼの隣りにある余地のようなものなのですが、中途半端な場所でしてね。宅地として売るには狭すぎる。水田にするには狭すぎる。だから畑なんでしょうが、荒れています」
「他に何か植わっていますか」
「ネギでしょうか」
「ネギ」
「これは一つだけある畝に植えられています」
「じゃ、ネギ畑にしては小さい。売り物じゃない」
「はい」
「他には」
「横に水田との仕切りにコンクリートの低い塀のようなものがあります。低いですよ。これは水田の水が入ってこないようにでしょうか。その縁に背の低い物置があります。農具入れでしょうねえ」
「他に植わっているものは」
「よく見かける花が咲いていましたが、忘れました。ああ、思い出しました。蓮でしょうか。いや、レンコンかもしれません。葉っぱの大きなやつです。カエルが傘にしそうな」
「その周囲は」
「新興の住宅地です」
「昔からの?」
「最近でしょうねえ。昔は田んぼでした」
「じゃ、その農家が売ったのかもしれませんねえ。それで売るには中途半端なその畑のようなものが残った。売る気だったので、もう畑などやる気がない。放置していると、花畑のようになったが、植えたものじゃない。しかし、毎年出てくる草花があるのでしょうねえ」
「そうなんです。そこだけが未整理で、曖昧で、上手く説明できな場所です」
「そこでコスモスが咲いているのを見たと」
「そうです。僕が見た限り、ここのが一番早い」
「そのコスモス、咲いているだけなんでしょ」
「そうでしょうねえ。栽培しているとは思えません」
「しかし、そういう場所で咲くコスモスが一番早かったと」
「それが何か」
「目立ちますねえ」
「早いですから。ああ、もうコスモスの季節かと思いましたよ」
「本当にコスモスでしたか」
「間違いありません。去年も、その前の年も見ました。それと葉がモヤッとしているので、これは分かります」
「色は」
「うっすらとした赤です。ピンク色」
「桜色でしょ」
「ああ、そうです」
「だから、秋の桜と書いて、秋櫻」
「ああ、なるほど、豆知識」
「いえいえ」
「次は彼岸花ですなあ」
「春と秋は似ていますが、春は上り坂、秋は下り坂」
「そうですねえ」
 
   了


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2018年09月21日

3753話 見知っている人達


 久しく見ない人がいる。それを思い出すタイミングは様々だが、一度そのモードに入ると、久しく見ない人々を次々と思い出す。ただ、この場合、知っている人ではない。なぜなら思い出したくないような人などがいるからだ。これは久しくではなく永遠に見かけない方が好ましかったりする。
 久しく見ない人で思い出そうとしているのは、見るだけの人。通りすがりの人や、関係は何もない人。そのため、見かけようと見かけまいと困るような人達ではない。普段は忘れているし、思い出したときだけ浮かんでくる人々。これは通行人なども含まれるので、結構数は多い。
 見かけるが接触はない。何処の誰だかは分からないが、大凡の察しは付く。実はもの凄い人だったということは先ずないはずだが、これは確かめていないので分からない。確率の問題で、よく見かける人、たまに見かける人が全てもの凄い人であるとは考えにくい。だから、中にはそんな人も混ざっているかもしれないが、何に対してもの凄い人なのかにもよる。興味が無かったり、価値が分からなければもの凄い人とは思わない。
 そういう見るだけ、見ただけの人は話としては短く、見かけないという程度で終わる。これが知っている人なら、いろいろと思い出すこともあり、話が長くなる。
 当然それらを見かける場に出て行かなくなれば、もう遭遇することもないだろう。これは時間帯だけでもそうなる。同じ場でも、その時間、そこに来ているとか、通っている人でないと、時間が変われば見かけることはない。そして別の時間帯、別の場所で、その人を発見したときは驚く。しかし、最初は分からない。場所と時間の中での印象しかないため、同じ造りの顔かたちでも、別人のように見えたりする。
 そして見ているかどうかもある。いつも見えるような距離にいる人なのに見ていないことがある。視界に入っていたはずで、目には入っているのだが、何も残さない人だろう。印象が薄い人ではなく、気に留めないだけ。
 これはお互いによく見かける人ではなく、一方的だ。そして見ている人も見られているが、見ていない人からも見られている。そんな人に見られていたのかと思うほど。
 場合によっては複数の場所で、同じ人から見られていたりする。よく見ると、何処かで見た覚えはある。視界に入っていたはずなので。
 合っているはず、見ているはずなのに見ていない。これはグループの人で起こりやすい。そのグループ一つで一人。だから、そのグループから抜け出して、単独ですれ違っても分からない。
 そういった関係がほとんどない人達の方が気楽に観察できる。絡みがないためだろう。
 しかし、近い距離のところにいる人と、何かの拍子で絡むことがある。そして初めて声を聞く。こんな音を出す人だったのかと、驚いたりする。
 顔程度は知っている人だが、最近見かけない人がいても、気にしてもいいし気にしなくてもいい。何処か人間一般を見ているようなもの。というか動物を見ているようなものかもしれない。
 
   了


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2018年09月20日

3752話 謎が解けた


 世の中の秘密が分かり、また宇宙の秘密が分かり、生命の謎が解明しても、家賃三万五千円を払わないといけないという事実は解決しない。この時代、安い物件だが、そんなところにしか住めないという状況も解決しない。
 滝田はコミュニケーションの極意を会得しても、やはり家賃三万五千円は払わないといけない。家主と素晴らしい人間関係を築けても、家賃は待ってくれない。
「どうですか滝田先生、最近」
「ここ最近いろいろな謎が解けてねえ、目からうろこが百枚ほど落ちたよ。まあ既に解けていることを知っただけで、私が知らなかっただけなんだよ」
「最近はどのような」
「古代の謎だね。意外と縄文人が素晴らしい活躍をしておって」
「他には」
「縄文文化がねえ」
「他には」
「人類の始まりが」
「他には」
「いろいろとあるけどねえ。遺伝子とは自分のことが記された本なんだよ。自分というのは実は遺伝子のことなんだ」
「他には」
「うーん。君が好きそうな話ねえ。どんな話がいい」
「この前、貸したお金なんですが」
「ああ、それか」
「まだですか」
「少し待ちたまえ、今、ベストセラーになるような本を書いている最中だ」
「そういう依頼が」
「ない」
「じゃ、持ち込みで」
「そんなことはせん。自分で出す」
「自主出版ですね。でもお金が掛かるでしょ」
「いや、電書だ」
「はあ」
「だから、待ちたまえ」
「電書では絶対に無理なようなので、今日はもう帰ります」
「そうかね。悪かったね。今度来たときは用意しておくよ」
「よろしく」
「うむ」
 滝谷にとり、家賃三万五千を払えないというのは、謎でも何でもない。まずはそこから解いていくべきだろう。
 
   了



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2018年09月19日

3751話 十一墓村


 南北朝時代から続く祭りだが、村内だけの密かな祭りで、余所者が来るのを嫌っている。村の祭りはそんなもので、見世物ではないためだ。また素朴な祭りなので、観光には適さない。
 十一祭りと言い、十一様を祭っている。これは一人の神様ではない。十一人。神なので一人とか二人の数え方はおかしいのだが、十一人纏めて十一人様と呼んでいる。当然祟り神。
 鎌倉幕府末期の戦いで鎌倉方が不利になり、ある戦いで敗れた。もうこれだけで十一様の意味が分かるだろう。
 戦いに敗れた鎌倉の武将。これはきらびやかな鎧兜の立派な武者達。遠く離れた坂東まで逃げ帰ろうと、人目の少ない山里へ入り込んだ。よくある話で、落ち武者狩り。
 里に鎧武者が十一人近付いて来た。馬はない。十一人とも傷を負っている。そして食べ物もない。
 村人は狩るかどうかを相談した。相手は武士だがたったの十一人。村の若い衆を集めれば五十人ほどいる。
 祟りのことなど考える前に、鎌倉が危ないことは知っていた。これは亡びるだろうと。だから狩っても問題はない。あとで幕府から怨まれるようなことはないと。かくまったとしても、逆にそれが災難になったりする。
 飯を与えて通過してもらうように言い出す者がいたが、それでは物足りない。
 この里、都周辺での戦いのとき、鎌倉方が来て、兵糧米をふんだくっていった。年貢どころの騒ぎではない。それに金を払わなかった。鎌倉の兵が全てそうではないのだが、運が悪かったのだろう。
 結局落ち武者を里の奥へと連れ込み、殺してしまった。それらはすぐに埋めた。当然金目の物は全て奪った。兵糧米の料金だ。
 しかしこの十一人、抵抗しないで狩られている。戦いに敗れ、疲れ果て、自害しようと思っていたのだろうか。都を守っていたエリートクラスの鎌倉武士だったようだ。
 しかし、弱っている武者達を殺したことにかわりはなく、後ろめたさが残った。
 その後、この村では悪いことが続く。当然だがその流れでは落ち武者の祟りということになり、埋めた場所にさらに土盛りし、塚を造り、鎮めることにした。
 しかし、災いは続くため、酒や食べ物を供え、もてなした。村の娘達にも踊らせた。
 そうすると、災いがましになった。これはただの偶然なのだが、後ろめたさが祟りを生んだのだろう。
 その後、年中行事化し、落ち武者狩りの日は特に盛大に執り行われた。
 十一人は神になったのだ。村の神に。
 こういう話は八つ墓村で有名だ。こちらは八墓明神となった。そんなことが戦乱の世、よくあったのだろう。
 当然ながら、祭りの謂われなどは説明したくない。だから村内だけで密かに執り行われ、余所者が来るのを嫌った。
 毘沙門天などの十二天とちがい、十一なので、あと一人足りない。ここが惜しいところだ。
 
   了


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2018年09月18日

3750話 歴史は繰り返さない


 歴史は繰り返されるという言い方があるのなら、歴史は繰り返されないという言い方も当然ある。どちらが名文句になるのかといえば、歴史は繰り返されるだろう。しかし本当は繰り返されるようなことはあり得ない。歴史は一回限り。具体物が違うし、人も時代も違うし、そっくりそのままの舞台や役者が揃っているわけではないので、不可能だし、また繰り返せないだろう。芝居でも繰り返し繰り返しやっていても違いがあるので、同じ繰り返しにはならない。
 しかし、歴史というスケールでなくても、二度あることは三度ある。この場合、似ているということだろう。
 世の中の動きはそれほどバリエーションが豊富なわけではないので、似ていて当然。似たような状況になったり、似たような動きになったりする。しかし、一度あったことを覚えていると、二度目は接し方が違ってくる。ただ、歴史規模になると、同じ人達ではなく、別の時代の人達がやるため、本人にはその経験がない。一度も体験したことのない世界だ。
 歴史は繰り返されるのは似たようなパターンになっていくということだが、これは構造が似ているのだろう。そして役者も。そして観客も似ていたりする。
 実際には歴史は繰り返されない。繰り返されると敢えて言うところに意味があるのだろう。
 流行りというのもある。これも繰り返されるが、以前のものと同じ繰り返しにはならないことは分かっている。同じにしたくても、状況が違うので、同じにならない。しかし、傾向は似ており、傾向だけはそっくりというのもある。
 だから同じような意味内容のものが繰り返されるので、歴史は繰り返されるといっても間違いではないが、抽象度が高い。これはどういう意味を見出したいのかにもよるだろう。
 歴史というのは歴史年表に記されているようなものばかりだとすると、あまり楽しいものは記されてていない。何処かの兄弟げんかや親子げんかなどは載らないが、それが権力者の肉親同士なら、戦いになり、歴史に記される。その戦いで世の中が変化するためだろう。
 お家騒動。跡目争い。勢力の拡大等々、そういうのは国ができたころから繰り返されているのかもしれない。
 歴史が繰り返されないのは、違う因子や意外なものが介入するため、絵に描いたようには行かない。そして、繰り返せない歴史もある。ものすごい偶然で、運がよかったとかもある。これは再現させるのは難しい。本当の歴史的事実でも、結構この偶然が入っており、これは繰り返せない。
 また、良いことでの歴史も繰り返されるのだからと安心できるものではない。それはそんなにきっちりと繰りかえされないためだろう。繰り返される方が難しいのだ。
 また歴史そのものも、解釈の仕方でどうとでもなったりする。個人史を考えてみればいい。今、都合のいいように、昔の経験を解釈する。
 歴史は繰り返されないのは過去の歴史を見れば分かることだ。ただ、似たような繰り返しは確かにあるが、人間が作っていく歴史なので、人間が繰り返しやるようなことは似て当然。
 歴史は繰り返されるより、歴史は繰り返さないの方が風景の見晴らしがいい。
 
   了
 


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2018年09月17日

3749話 軽いスタート


 きっかけは何でもないようなことだったりする。もの凄く衝撃的なことで、それがスパークし、そこから物語が始まるとかではなく。
 それがいつ始まったのかは分かりにくいほど印象は薄いが、決して無意識的に始めたわけではない。そっと軽くスタートした感じ。また自然に始めたわけではなく、軽くスイッチを入れたのは確か。そのため重い決心もなく、思い入れも少ない。簡単なことがきっかけになったためで、少しやってみようという程度。そのため人生的な体重は掛かっていない。
「ほう、そういうのがいいのですね」
「そうです。感覚を総動員し、知恵を絞ったりなどしませんし、何らかのショックで、それがきっかけにもなっていません」
「それは難しい」
「簡単な方が難しいのです」
「ほう」
「普通以下の普通さ」
「普通が一番難しいと聞きますが」
「そうでしょ。何か特徴とか際立ったこととか、そういうものの方面へと走りやすい。ありふれた普通のことでは刺激がないでしょ。それに得られるものも普通のもの。そんなものゴロゴロ転がっているので、魅力がない」
「でもその普通が一番難しいと」
「いや、普通の話はまた後にして、スタートの問題です。まあ、普通とも関係しますが、要するに普通にスタートを切った。ということです」
「それはいいのですが、やはり人は魅力的なものとか、危機感とか。何らかの大きな理由が必要でしょ」
「そういうスターは重すぎて、考え落ちになり、なかなかスタートできなかったりします。また張り切って始めたことほど長続きしない」
「はあ、それはよくあります」
「体重を掛けないで、大きな決心などしないで軽く始めることです」
「それはどういう理屈になるのでしょうか」
「冷静になれますし、引いたところからやるわけですから、あまり自分が前面に出ない。出ることは出ますよ。しかし我のようなものが弱い。これがいいのです」
「はい」
「我が儘ってありますねえ」
「はい」
「あれは、我がままです」
「同じですが」
「ままとは、まんま。ご飯のことです」
「はいはい」
「我が飯のためだけの動きです」
「はい」
「自分が食べるご飯のことばかり言っているようなもの」
「まあ、それがメインですから当然でしょ」
「そうです。まま、オマンマですね。ご飯。これは普通でしょ。ご飯を食べるのは普通です。主食がご飯なら、毎日食べるでしょ。だから、普通のことを言っているだけなので、言う必要もない、人は基本的に普通は我が儘な存在なのです」
「話が見えなくなりました。我が儘はいけないという話でしたか」
「冷静になり、ちょっと引いた状態。これは我が儘度は少ないのです。欲深さがね。ないわけでじゃないですよ」
「欲深いスタートよりも、軽いスタートの方がいいということですね」
「答えは簡単です。誰でも知っているようなことです。大した経験がなくても。子供でも思い当たるようなこと」
「分かりました。そういうスタートを切りたいと思います」
「しかし、上手く行くとは限りませんよ」
「はい」
「ただ、何気なく始めたことが意外と実を結ぶことがあります」
「それはいいですねえ。しかし」
「まだありますか」
「それを聞いてしまうと、意識しすぎて」
「そうでしたねえ。余計なことを言いました。世の中には知らない方がいいコツもあるようですから」
「はい」
 
   了



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2018年09月16日

3748話 二人の男


「涼しくなってきましたなあ」
「夏が終わったのでしょ」
「仕事も終わりましたよ」
「それはお疲れ様」
「全ての仕事がです。今日の仕事じゃなく」
「ほう、それは淋しい」
「まあ、ほっとしていますがね」
「僕なんて、まだまだ仕事です。これは個人事業主なので、死ぬまでやり続けますよ」
「それはご苦労なことで」
「また、新しい仕事を見付けられては如何です」
「いや、もう年ですので、あとは遊んで暮らしたい。もう十分過ぎるほど働いたので、この日を待っていたようなものです」
「僕も仕事を辞めて遊んで暮らそうかと思うのですが、退職金がない。蓄えもない。だから働くしかないのです。それに比べると、羨ましい限りです」
「本当ですか」
「本当です」
「本心で?」
「いやに拘りますねえ。そうですよ」
「いや、私はあなたのようにずっと仕事が続けられる人が羨ましい」
「じゃ、交代しますか」
「隣の芝生ですねえ」
「そうです」
「しかし、もう仕事へ行かなくてもいいので、気が楽になりました。これだけでももう十分」
「僕も休みたい」
「今のお仕事、お好きですか」
「はい、好きですよ。というかもう習慣のようになってましてね。この仕事をしていないと、自分じゃないような」
「そりゃいい。私なんて、つまらん仕事で、いやいやながらやっていましたよ。あなたは楽しくやっておられたのですね」
「楽しくはないですが、遊んでいるよりも、やっている方が落ち着くので」
「参考になりました」
「はい、いい余生を」
「はい」
 
   了


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2018年09月15日

3747話 表現者達


 いろいろなことをやっている人が集まる場所があり、誰でも自由に出入りできる。
 竹中は情報誌でそれを知り、そちらへ行く用事があるので、それが終わった後、寄ってみた。
 若い人から年配の人までいるが、若い人が多い。主催しているのは中年男で、髪の毛を後ろで括っている。バンダナはしていない。
 会場となっているのは画廊のようで、参加した人達の絵やオブジェなどがあり、また映像作品もあるのかスクリーンが垂らされている。上映は夜からとなっているので、竹中はその時間までいないので、見ることはできないが、DVD化したのが売られている。
 何かのサークルのようだが、ジャンルは多彩。映画の前にライブもあるらしく、これは歌だけではないようだ。
 そういったプログラムを見ていると、主催者らしき中年男が話しかけてきた。
「あなたはどんなことをされています」
「はあ」
「何をしている人ですか」
「あ、はい」
「いろいろな人が集まっています。紹介しますよ」
「いえいえ」
「何に興味をお持ちですか」
「特に」
「でも、参加しに来られたのでしょ」
「覗きに来ただけです」
「あ、そう。それはいいことです。お互い刺激しあってレベルを上げましょう」
「はい」
「ところで、あなたはどんな表現を」
「え」
「どんな創作を」
「いえいえ」
「物作りですか」
「さあ」
「さあ?」
「見に来ただけなので」
「そうなんですか」
 どうも何かをやっている人でないとここでは居心地が悪いらしい。
 長細いテーブルがあり、椅子もあり、空席があるので、竹中は座ることにした。
 横に座っているのは丸坊主の大男。しかし顔が幼く、人懐っこそうなので、話しかけてみた。
「坊主拳法家です」
「空手のような」
「少林寺です」
「まさかここで格闘技大会でも」
「ありません。だから間違いました」
「あ、そう」
「それに僕は型だけなのです。これはダンスのようなもので、パフォーマンス」
「じゃ、パフォーマー」
「まあ、そうです」
「じゃ、ライブに出られるのですか」
「いや、飛び入りは駄目なようです」
「あ、なるほど」
「あなたは何を」
「いえ」
「どんな表現をする人ですか」
「いえいえ」
 竹中はまた同じようなことを聞かれたが、答えようがない。特に芸はないためだ。
 これは場所を間違ったと思い、すぐに出た。
 
   了
 

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2018年09月14日

3746話 二百十日の神様


 夏が終わった頃、その村里で祭りがある。まだ秋の収穫前。稲穂はまだ黄金色ではない。
 ただその祭、奇習というわけではないが、風の神様を鎮める祭り。似たような行事は他にもあり、風祭りと言われている。立春から数えて二百十日。台風と関係しているようだが、実際には厄払いの行事。虫送りが疫病と関係するように。風祭りは災害と関係する。台風に限らず、地震などの自然災害だろうか。
 この村での風祭りは変わっており、風を神として崇めている。祭ることで鎮まってもらうためだ。祭らなければ、暴れ出す厄介者。
 その厄介者の厄だけを取り出したのが、この村での風祭りで、よくある厄神さんと同じようなものだが、厄神さんは主に年齢と関係する。厄年がそうだろう。これは天災ではない。
 神様というのは特化した神ほど効く。デキモノだけとか、さらにイボだけとか。御神体はイボガエルだったりする。
 しかし、この里の風神様は時代のニーズというより、祭る側の解釈で、いつの間にか厄除けの神になった。それで二百十日に厄払いの行事が行われる。
 風神や雷神は有名だが、この村の風神は台風をイメージした神様で、被害をもたらす災いの神だが、それを利用して、悪いものを強い風で吹き飛ばし、払い落としてくれるらしい。
 風神様の御神体はない。神様には姿がないためだ。また、風神様の神社とか、祠とかもないが、洞窟がある。自然にできた風穴。そこに短冊形の布を縄のれんのように垂らすと、風で揺れる。風神がそれで姿を現したようなものだが、単に風で揺れているだけ。
 布の色は多彩で派手。これは風祭りのときにしか飾らない。一回きりなのは、布のためだろう。
 その下を潜ると厄除けの効果があるとされている。風神様の風を受けることで、悪いものが払い落とされ、吹き飛ばされる。
 時期は二百十日なので、台風が来ることが多いため、当日台風なら、ものすごい風で払ってくれるらしい。
 
   了



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2018年09月13日

3745話 オシロ様


「お待ちしています。どうぞ」
 秘書課の部屋の奥に社長室がある。これは別室と言われ、正式な社長室ではない。この会社、会長はいない。
 秘書室と社長室までの通路というのはない。オフィス内をじぐざぐに横切るようにして突き当たりの壁まで行く。そこにドアがある。決して社長室のドアではなく、掃除用具でも入れている物置のような狭いドア。
 平の三村は社長室などに入ったことがない。ましてや別室など、その存在さえ知らなかった。
「君かね。三村君といったかね」
「はい」
 別室は簡素なものだが、仕切りがあり、ベッドがある。
「屋上で見たのかね」
「はい」
 屋上に何か祭ってある小さな祠がある。鳥居からしてお稲荷さんだ。別に珍しくも何ともない。だからそれを見たのではない。
「本当にキツネだったのか」
「はい」
 稲荷信仰というのはキツネを拝む信仰ではない。しかし、この祠はキツネが御神体。
「猫じゃないのかね」
「キツネです」
「じゃ、イタチか」
「いえ、白狐です」
「それは珍しい。キツネを見ただけでも珍しいのに、白いとは」
「はい」
「本当にキツネだったのか。どうしてそう言える」
「尾が太かったです」
「猫や犬にも尾の太いのがいるだろう」
「じゃ、猫かもしれません」
「そうだろ。犬は屋上まで上がれん。あの硬い体では」
「貂かもしれません」
「テンもイタチも同じようなもの。似ておる」
「じゃ、やはり猫でしょうか」
「ペットが逃げ出したのかもしれん。あの屋上、静かだし、灌木もあるし、花壇もある」
「じゃ、そうかもしれません」
「しかし、白いというのが気になる。ところで君は屋上で何をしておった」
「煙草を吸いに上がりました」
「オシロ様参りじゃないのか」
「祠があることは知ってましたが、お稲荷さんでしょ」
「オシロ様じゃ」
「はあ」
「わしら田代家の先祖神、氏神様だ」
「キツネなんですね」
「白狐」
「はい」
「それを見たというので、驚いた」
「すぐに消えました」
「ぱっとかね」
「消えましたが、また出るかもしれません」
「いつのことだ」
「先週です」
「報告が遅すぎる」
「いえ、係長にそのことをすぐに言いましたが」
「まあいい」
「はい」
「君はこれから祭司じゃ」
「え」
「オシロ様担当とする」
「はあ」
「何かの縁だ。そうしてくれたまえ」
 社長はすぐに秘書を呼び、辞令を作らせた。
 三村は総務部祭事課祭司係長。つまり平社員から一瞬にして係長になった。
 世の中には色々あるが、これは有り得にくい部類だろう。
 
   了


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2018年09月12日

3744話 提督の決断


 雨がパラパラし始めた。ぽつりぽつりと降り出した。山田は傘を差そうかと思ったが、この程度ならまだいいと、そのまま自転車を漕いだ。傘は自転車に突っ込んでいるので、いつでも差せる。
 秋の雨。少し冷たいが、まだ夏の終わり、昼間は暑いと感じることの方が多い。しかし夏の薄い衣服なので、濡れ出すと一気。
 しばらく走っていると、徐々に降りがきつくなってきた。それでもまだ大丈夫。
 さらに行くと、もう目的地が見えてきた。このまま一気に早く漕いで濡れる時間を縮める方がいい。傘を差すには自転車を止める必要がある。サドルの下と後輪の隙間に差し込んであるので片手だけだと引っかかるため、引っ張り出すのは無理。
 しかし雨はザーと音で聞こえるほど強くなっている。パラパラのときは音はない。このザーザーは何かに当たって音を立てているのだろう。今、傘を差せばビニール傘のパンパンという音に変わるかもしれない。傘にも音色がある。張った音もあれば、弾力性のある柔らかな音も。
 目的地はもうすぐ、そこに着けばもう濡れなくてもいい。しかし降り方が結構強く、かなり濡れだし、衣服の色が変わりだし、冷たいものが肌に来た。これが真夏ならいい感じかもしれないが。
 どうせ濡れたのだから、ここで傘を差してももうあまり濡れ方は変わらない。だが今ならまだ半びしょで、びしょ濡れではない。その差は大きい。
 目的地に着いた後、乾く時間に関わる。半びしょとびしょ濡れとでは時間が違う。しかし自転車を止め、傘を抜き取り、傘のひもを外している間に着いてしまう。それと自転車に挟んでいたビニール傘はくっついているはずなので、一気には開かない。
 狭い道。後ろから後続の自転車や車も来ている。だから止まりにくい。
 どうせ濡れている。
 山田はスピードを上げることで、濡れを少しでも抑える選択をした。まるで連合艦隊の提督のように決断した。
 雨が顔に当たり、目の中に入るので、細めた。作戦は成功したとも失敗したとも、どちらとも言えないような結果になったが、反省するとすれば、雨がパラパラし始めたとき傘を差せばよかったのだ。
 こういうことは何度もあったのだが、パラパラ程度ではほとんど濡れないこともあったので、必ずしも提督の決断が間違っていたとはいえない。
 
   了


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2018年09月11日

3743話 地道に生きる


 暑くて何ともならない夏が終わったのか、涼しい風が吹き出した。これで何ともならなくはなくなったのだが、三島はやることがない。だから何ともならなくてもよかったのだが、何とかしたいという気持ちが発生した。これは頭がクールダウンし、冷静に物事を考えられるようになったため、もう部屋も頭も冷ますクーラーはいらない。
 三島は何かをしたいと思うようになったのだが、これといったネタがない。それよりも片付けないといけない用事は山ほどある。それをやればいいのだが、やる気がしない。やる気はあるのだが魅力のあるネタがないのだろう。地味なネタばかり。しかも放置していても、そのときになってからやれば済むようなものばかり。転ばぬ先の杖という言葉もあるが、用意万端しておけば困らないのだが、その用意に魅力がない。これはメンテナンス系で、積極性がない。できれば攻撃に出たい。
 では何処に向かって進むのかだが、それが問題で、いいネタが見付からない。思い付くようなものはほとんどやってしまった。いずれも中途半端で好ましい成果はなかったが。なくてもそれをやり始めているときは楽しかった。この躍動感がいいのだろう。
「また今年もやってきましたね」
 こういうとき、三島は数少ない友人を訪ねる。話している間にいいのが見付かるかもしれないし、その友人が持っているものを盗んでもいい。他人のアイデアを先に使うのは快感。先回りして先にさっとやってしまうと、気持ちがいい。
「秋になると、君は何かないかとよく聞きに来るねえ」
「夏が終わったので、これから何かまたやろうと思うんだ」
「季節ごとに言ってない」
「夏の初めは言わない」
「そうだったか」
 平日の昼間、その友人と話しているのだが、この状態も考えものだ。二人ともぶらぶらしているか、自宅警備でもしているのか、何もしていないのだろう。いわば同類。確かに数少ない友人だと言える。
「ねえ三島君。そろそろ地味なことをやらないかい」
「ずっと地味だけど」
「ああ、地味じゃなく、地道だった」
「最近舗装された道が多いから」
「誤魔化さないで」
「地道ねえ」
「君が地道な生き方にチェンジしたなら、僕もそれに合わす」
「本当か」
「だから、三島君が先に地道にやりなさい。見倣うから」
「地道とは」
「まあ、真面目に会社勤めに出ることだ」
「そうか、ネタ切れで、何ともならないか」
「お互いにね」
「じゃ、競争しよう。どちらが先に地道に歩み始めるかを」
「そうだね。これで勢いが付く。僕も真っ当な暮らしに戻る時期だと思っていたんだ。秋口はそれを実行しやすい。判断も冷静になるし」
「分かった。もう何枚も落としたけど、また目からうろこが落ちたよ。新たな世界が開けた気持ちだ」
「うん」
 しかし二人とも、その後、仕事に出たという話は聞かない。
 
   了
 

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