2018年10月23日

3785話 

里帰り
 引っ越して間もない佐々木は、その町をあまり知らない。しかし毎日のように散歩に出ているので、長く住んでいる人よりも詳しいかもしれない。近所の人も外から来た人で、地元の人ではない。そしてあまり見かけないので、近所をうろつく用事などないのだろう。たまに歩いている人もいるが、これも決まったコース。健康目的の年寄りが多いが、これも外から来た人。古老ではない。
 昔からの人がいる一帯がある。そこは古い家がまだ残っていたり、道も昔風で狭い。そして樹木も多いので、散歩にはもってこい。新建材ではなく、本物の木目のある板塀や、塗り壁。剥がれているところから藁が見え、竹組みが見えたりする。
 ある日、いつもの辻を回ったとき、あるべきものがない。ないのだから目立たない。消えたので目に入らないので、目立つも何もない。しかし、毎日通っていると印象が違うことで分かる。何かが抜けている。そして妙な空間がある。
 そこは祠のある場所。小さな祠。大きい目の箱のようなもの。それがなくなっており、土台だけが残っている。妙な印象は、そのためだ。
 これはすぐに分かった。祠のあった場所は少しだけ盛り土され、周囲は樹木、神社の隅にある祠ではなく、神社はもう少し離れている。だから誰かの庭かもしれない。
 取り壊し。それなら祠だけがなくなっているのはおかしい。周囲の樹木も抜いてしまうだろう。
 だから見た感じ、祠だけ、上物だけが消えたようなもの。
 まあ、どうなってしまったのかは佐々木には関係がないので、ちらっとそれを見ただけで通り過ぎた。次は神社へ向かう。これが散歩コースだ。
 すると前方に幟が見え、それが動いている。人が持っているのだ。数人だが揃いの緑色の派手な法被。さらに近付くと、祠だ。最初はお神輿かと思ったのはごちゃごちゃと飾られているため。しかしよく見ると本体はあの祠だ。それを担いでいる。
 ずっと住んでいる人なら驚かないだろうが、佐々木はそれを見るのは初めて。去年の今頃もやっていたのかもしれないが、散歩に出ない日もある。
 ということは祠と思っていたのは、お神輿だったのか。つまり、あそこはお神輿の置き場所。いや、そんなことはない。それなら屋根のある倉庫か何かに入れているだろう。箱のままでも棺桶のように運べそうだが、担いだり押したり引っ張ったりするには神輿を乗せる構造物がいるだろう。
 さらに近付くと、やはりあの祠だ。この祠、屋根は銅板を張り合わせたものなので、動かしても瓦のように落ちることがない。
 その祠、中は鏡しか入っていなかった。高山神社と書かれていたのを覚えている。何の神様かは分からない。
 それよりも、土台から抜いて、担いでいるのだ。担げるように、長い車輪のない大八車のようなものをその場で取り付けたのかもしれない。そして飾りも。これで山車らしくなる。
 そしてそのややこしいお神輿は神社へ向かっている。
 後で村史を調べると、高山神社は村の神社へ年に一度里帰りするとか。その行事なのだ。
 最初は村の神社に祭られていたのだが、仲が悪いらしく、同居できないので別居したとか。しかし繋がりの深い神同士なので、年に一度は義理で顔を出すとか。
 だからお神輿に見えていたが、そうではなく、祠を運んでいたのだ。
 
   了



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2018年10月22日

3784話 何もない日々


 日頃退屈なほど何もないような暮らしぶりの竹中だが、ここ最近出掛ける用事が増えた。それが重なったりする。すると何もないような真っ白なスケジュール表に書き込めるようになるのだが、何もない日が三十日続いていたのが、一つ加わることで、十日前後の連続性になる。何もないことが連続しているのだが、真っ白な連続では出来事が起こらないわけなので、果たして連続した出来事だと言えないかもしれない。出来事がないため。
 買い物などで少し遠くへ出掛けるとか、ちょっと長い目の散歩のため、遠出するとかは竹中はそれほど問題ではないようで、それらはフリー時間。フリーな日々の中にある。
 だから竹中にとってややこしいのは人と会う用事。不特定多数の第三者からの視点ではなく、知っている人からの視線が面倒。店員も客を読むが、その視線はあまり気にならない。それ以上の関係ではないため。集金に来た人もそうだ。
 ここ最近竹中は人と会うことが増えた。怖い相手ではないし、ややこしい人は知っている人でも合わないようにしている。
 それでそんな機会が多くなり、スケジュール帳が本当にいるほどになった。これはどうした風の吹き回しか、巡り合わせかは分からない。ただの偶然だろう。そのため、何もない日々の連続性が短くなった。それでも一週間や十日ほどは何もない日々となっているが、ゆっくり過ごせるのはあと数日かと思うと、それらの日々が貴重になる。
 しかし、出掛けていろいろなことをやっているとき、それはそれなりに楽しい。ここがよく分からない。楽しいのなら、そういう機会が多い方が好ましいはず。ところがそうでもないようで、何もない日々の連続性の中での退屈さ加減がいいようだ。これはいいも悪いもなく、大したことは起こらないのだから。
 この何も起こらないというのがいいのだろう。
 そして出掛けた翌日はほっとする。いつものフリーな時間の過ごし方ができるため。これは自由時間だが、それほど自由なことはしていない。何をしてもかまわないのだが、いつもの過ごし方を繰り返すだけ。自由はあるが使わない。それもまた自由だ。
 何もない退屈な日々がもの凄く長く続くと、発酵してくるものがある。
 同じことの繰り返しの中に違いが生まれる。こういう何もしていない状態が長く続かないとこれは見えてこない。
 悟りの境地とは、静かになることかもしれない。それには何もしないことがその近道。
 しかしそれではやはり退屈だろう。
 
 
 
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2018年10月21日

3783話 二者択一


 二択。候補などが二つある場合だ。二社でもいいし、二者でもいい。二股の道の場合もそうだ。これは絶対に二つしかないのでどちらかを選ぶしかない。
 複数のものから選ぶときは二択ではない。五択も十択もあるだろう。しかし、数が多いと、選択も困難になる。
 二股のように選択肢が他にない場合は別として、他にもあるが、良さそうなのは一つ。しかし、これを選んでいいものかどうかと、少し考えることがある。それに近いものを探し、それを参考にする。意外とそれが思っていたものよりよかった場合、最初に決めていたものが覆ってしまう。
 選択肢は複数。しかし絞り込めば二つになる場合、あとは決勝戦だ。吟味に吟味を重ねるが、一方より優れている面、劣っている面があり、どれを優先するのかで決まるのだが、一方の欠点は片一方になかったり、一方の長所は、片一方の長所にはなっていなかったりと、一方を取れば片一方が惜しまれる。その逆もある。
 こういうとき、最初の印象が大事なのだが、その印象が崩れ出したりする。
 それで迷いに迷うわけで、どちらにも決定打が無い。一押しがない。だから決められない。
 そんなとき、見落としていた第三のものを見付けたとき、それは新鮮だ。実は三択だったのかもしれないと思い出す。そして先の二つは手垢が付くほど調べすぎている。その状態で、この二つとも飽きてしまったようなもの。
 第三勢力。第三の波。第三の選択。これはまだ慣れていないので新鮮。そして、先ほどの二択に疲れたので、すっとその第三の波にさらわれてしまう。これは確信犯で、さらわれた方が楽なため。
 選択が苦痛になると、そこから解放されたくなる。それだけのことかもしれない。
 この第三の波は第三者ではないが、距離感がいい。それで、先の二つのバトルのようなことはしないで、詮索しすぎ、弄りすぎて汚くなる前に選んでしまう。
 結局、その三つとも、実際には似たようなもので、どれを選んでも大差はなかったりする。もの凄く強い絶対的なものが三者ともないのだろう。
 社会で起こっているような構図は、個人の中でも起こっている。だからこそ、理解できる。中身は違うが、構造は同じだったりする。
 
   了


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2018年10月20日

3782話 OLランチ


 高田は重い重役室のドアを開いた。重役なので、ドアも重いわけではないが、確かに重い。これは確信犯だ。
「ああ、来てくれましたか」
「はい」
「まあ、掛けなさい。話す時間が取れなくてね。君とはコミュニケーション不足なので、少し話そうと思ってね。まあ、気楽に話そうじゃないか」
 しかし、もの凄く豪華な部屋だ。こんなところで仕事などできるのだろうかと、先ず高田は感じた。それよりも、こんな背景では気楽に話せるわけがない。構えてしまって当然だろう。
「今、頭の中にあることを言ってください」
「はあ」
「遠慮は無用。誰も聞いていません」
「はい」
「さあ、今、頭の中にあるものを」
「昼」
「昼?」
「昼ご飯、何を食べようかと」
「ほう、それはまた」
「昼が近付くと、頭の中はそればかりになります」
「そうか、実は私もそうなんだ」
「あ」
「弁当を持ってくればいいのだけどね。それなら考えなくても済む。しかし、ここじゃ弁当は合わない。君の課じゃどうだね」
「誰も弁当など持ってきていません」
「匂いがね」
「はい」
「それに社員食堂もあるでしょ」
「ありますが、同じようなものばかりで」
「私も何度か行ったが、あれじゃねえ。テンションが下がる。どうだね。これから焼き肉でも食べに行かないかね」
「じゃ、昼、食べるものが、決まっているじゃありませんか。焼き肉と」
「いや、君の顔を見て、焼き肉が食べたくなった。それよりも一人じゃ入りにくいからね」
「でも、ランチタイムに焼き肉定食をやってる店があります。一人客が多いですよ」
「既に焼いたものでしょ」
「そうです。当然混雑時ですから相席ですが、二人なら潜り込みやすいのです。でも並んでいます」
「並ぶのは嫌だねえ」
「高い店なら大丈夫です」
「ほう、大丈夫かね。君は行ったことがあるのですか。昼に」
「流石にそれはありませんが」
「うーん、行きつけの店はあるにはあるが、遠い。それに夜にしか行かないので、昼間っからじゃ、何だかねえ」
「じゃ、焼き肉はやめますか」
「そうだね」
「じゃ、また考えないといけませんねえ」
「君は何処まで考えていた」
「僕ですか、まだ真っ白ですが、昨日はビジネスランチでした。これは最初から捨てて掛かっています。何も期待しない。ただ何か食べないといけませんから」
「ビジネスランチねえ。私も昔はよく食べたよ。外回りが多かったからね。それよりもOLランチが食べたかった」
「女性向けですね」
「しかし、あまり女性は来ない店だよ。しかし、プリンが入っていた。それとメインの具が違う」
「ABCとかありましたか」
「ああ、ビジネスAランチ、Bランチね。トンカツがハムカツやミンチカツになる。取り巻きは同じだがね」
「取り巻き」
「ポテトとかキャベツとかだよ。しかし、OLランチにはそこに小さなトマトが加わるし、ヨーグルトも加わる」
「それ、食べに行きませんか」
「え」
「一人じゃ無理でしょ」
「二人でも変に思われるよ」
「いや、僕の知っているところは食券を買います。だからOLランチと声を出さなくてもいいので、その分アタックしやすいです」
「そうかね」
「それで変な顔をされた場合、ああ間違った、まあ、いい。これにしてくれと言えばいいのです」
「よし、決まった。その手でいこう」
 二人は重役室から出て行った。
 コミュニケーションが上手く取れたようだ。
 
   了

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2018年10月19日

3781話 辻説法


 観光の寺だが、その裏側はひっそりとしている。裏に回り込んでも境内の裏は山で、道路もなく、山道が続いているだけ。つまり一番奥まった山裾にあるので、山に囲まれているようなもの。
 ただ境内を囲んでいる土塀に沿って横から奥へと続いている路はある。結局行き止まりだが、小屋があったり祠があったりする。奥まってはいるが背から村に回り込むことができるので、抜け道といえば抜け道。しかし外には出られない。村に戻り、そして街に戻るにしてはふさわしくない。街から真っ直ぐ延びている参道の方が店屋も多く、観光に来た人向けの演出がなされている。だから参道は余所者が大いに通ってくれる方が有り難い。でないと商売も成り立たない。
 ただ変人が中にはおり、真正面から普通に参拝したりすることだけでは飽き足らず、境内の隅々まで見て回る。
 さらに進むと、境内の外側を見て回る。これは逍遙好きな変人にとっては美味しい場所。
 この寺は山門からか、あるいは山門横からしか出入り口はない。通用口は車が入れる。だから境内から外に出るには、山門周辺しかないようなもの、通用口はすぐ脇にあるので、一箇所しか出入り口がない。当然一般の人は入り込めない寺の奥から出入りできる勝手口のようなものがあるが、ほとんど使われていない。土塀の向こうは山のためだ。芝刈りに行くような時代ではないためだろう。
 さて、その土塀沿いの小径を行く変人がいる。皆と同じような行動をとるのが嫌いなのか、または自分だけが特別な体験をしたいのか、それは分からない。
 右に土塀、真っ直ぐ行くと土塀が途切れる中間あたりに左へ入る脇道があり、その辻に祠がある。犬小屋のような粗末なもので、その近くはゴミ捨て場ではないものの、廃材が積まれていたり、割れた瓦などが黒い石のように散らばっている。左側は雑木林だが、人の家の庭かもしれない。村の一番奥の民家だろうか、屋根が見えている。村の奥なのであまり人が来ないところのためか、少し荒れた風景。今まで寺院の行儀の良い風景を見ていた人にとり、生々しい現実に戻った感じだが、活気のない枯れた風景。
 さて、祠のある場所に人が立っている。村の人かもしれないが、着物姿で、頭は剃っているのではなく、最初から毛がないようだ。つまり老人。ただよく見ると耳のところに毛があり、しかも黒い。だから、これは僧侶ではないが、入道を連想する。
 その入道が思いのほか大きな目でそぞろ歩きの観光客を見る。眼でものを言う。もう眼で語り始めている。
 観光客は無視したいが、そうはいかない。眼に捕まってしまった。
「彷徨ううちに人生は終わる」
 来たなと、変人の観光客は本能を使う前に、充分な情報を一目見たとき得ているので、怪しい人物だとすぐに分かった。
「波風も、そのうち鎮まる平野かな」
 ベタベタな歌。これで相手の器量が分かる。
「教えてあげようか、人生の極意を。そこな寺の仏では役立たず。だから抜け出し、この辺りを彷徨っていたのであろう」
 一人辻説法。
 一対一では語りがいがないはず。より多くの人に聞かせないと、人の多い辻に立つ意味がない。しかし、そこは都大路の辻ではなく、誰も来ないような狭い道。
「人生はすぐに暮れゆく。その前に何らかのものを掴みたいとは思わぬか」
 入道は変人に近付き、手をすっと出し、眼で催促する。つまり握手の催促。そうではなく、手相でも見るのかと思いながら、変人はつられて右手を出した。
 入道の手は分厚く温かいが、何か性的なものを感じたので、変人はすぐに手を引っ込めた。
「悪しきに走らず。善にも走らず。己がままを歩く」
 入道の手が変人の後ろ側に回った。
 変人は、分かった分かったというように何度も頷きながら、後ろ向きに小走しった。凄い特技だ。先祖は海老かもしれない。
 入道の眼に捕まっていた体も、少し離れると効かないようで、そのまま後ろ足で遠ざかった。
 辻説法ではなく、説法泥棒という珍しいものを見せてもらった。
 入道の手が後ろに回ったのは、後ろポケットに財布があるため。
 ただ、この変人、後ろポケットのボタンを留めていたので難なきを得た。
 真正面から参拝しただけでは体験できないアトラクションだった。
 
   了


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2018年10月18日

3780話 幽霊の手先


「山田君、急ぎの仕事が入ったので、すぐにやってもらえますか」
「じゃ、メンバーを集めます」
「簡単でいいから三人ほどでいいでしょ」
「十人いないと」
「三人でお願いします。それと素早く」
「はあ」
「急ぎの仕事なので、大至急お願いします」
「しかし、その人数では」
「できれば今日中にお願いします」
「三日ほどかかるのですがね」
「今日中にお願いします」
「そうなると、かなり簡潔なものになりますが」
「簡単でいいのです」
「では、ミーティングから」
「それで一日かかってしまうでしょ」
「そうですね。省略します」
 山田はスタッフ三人と一緒に、大急ぎでやったため、かなりアラっぽいが、その日のうちに完成した。
「できたじゃないですか、山田君」
「スタッフが頑張ってくれたからです」
「君も良く頑張った、偉いよ」
「はい、有り難うございます」
「今のところクレームは来ない。あれでよかったんだよ」
「はい」
「今後は十人じゃなく、三人でやって下さい」
「それはきついです」
「今回は時間がなかったので、一日しかなかったので、それではきつすぎたでしょ。二日でやって下さい」
「しかしスタッフは三分の一の上。三日かかるところを二日では」
「山田チームは丁寧な仕事をするので、これは良いことですが、丁寧すぎるのです」
「はあ」
「それが私のチームの売りでして。最高のものができます」
「ところが先方はそんな最高のものなど求めていないのですよ」
「はい」
「それと、もっとアラっぽくやってもいいのですよ。粗雑でも結構です」
「しかし」
「どうせ先方も仕事ぶりなど見ていないのです」
「はい」
「クレームが付くのは遅くなったときだけ。今回はそれをクリアしたので、問題は何もありません」
「しかし、いつまで続くのですかね。この空仕事」
「さあ、先方は我が社に発注し、仕事をしている振りをしているだけです。だから本当は楽な仕事なのです」
「どうしてそんなことを」
「さあ、よく分かりませんが、幽霊組織ではないと言うことだけを言いたいためでしょ」
「じゃ、僕たちは幽霊の手先ですか」
「実体のない仕事ですが、仕事は仕事、頑張ってやりましょう。それと、スタッフを減らせることが分かったので、君の給料、上がりますよ」
「はい」
 
   了


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2018年10月17日

3779話 羊羹先生


 羊羹先生。名前を聞いただけでも甘い甘い、甘露甘露の先生だが。本当の名は陽勘。甘さとは全く関係はないが、全てに甘い人なので、いつの間にか羊羹さん、または羊羹先生と呼ばれるようになった。
 考えの甘さ、詰めの甘さ。いろいろと甘い先生だが、人に対しても甘い。こういう優しそうな人ほど自分に対しては辛いのかもしれないが、そうでもなさそうで、自分に対しても甘い。
 そんな甘いことではいけないのではないかと思えるが、弟子達は歓迎している。他の先生を選ばず、羊羹先生を選んだのは甘いからだ。つまり厳しさがないので、楽。それだけのこと。
 あるとき弟子が洒落のつもりで羊羹を手土産に羊羹先生宅を訪れた。結構長く、巻き寿司ほどある。
 羊羹は紙箱に入っており、軽く薄紙で包まれている。本来なら切って爪楊枝か何かで食べるのだが、羊羹先生は薄紙を半分ほどむしり、がぶっといった。
「先生、体に毒ですよ」
「君は毒を土産に盛ってきたのかね」
「違いますが、そんなに一気に食べては」
「好物なのでな」
「お茶がいるでしょ」
「いらない。あとで水を飲む。」
「はい」
「どうだ、君も半分食べるか」
「はい、江戸屋の羊羹なので、おいしいかと思います。いいものです」
「この緑色は抹茶だね」
「はい。見た感じ、ういろうに見えますが硬いです。詰まってます」
 羊羹先生はムルッと薄紙が残っているところから半分に割り、弟子に手渡した。
「頂きます」
「うん、それほど甘くはない。いい羊羹じゃ」
 弟子は針入れから糸を取り出し、それで食べる分だけ切った。
「そんな針道具を常に持ち歩いておるのかね」
「はい、いざというとき、役立ちます。よくほつれるのです」
「駄目じゃ」
「どうかしましたか。もう全部召し上がったのですか」
「眠くなった」
「はい」
「こういう甘い物を食べると眠くなる。横になっていいか」
「はい」
 羊羹先生はそのまま横たわってしまった。
 弟子は、仕方なく帰ることにした。
 洒落のつもりで持ってきた羊羹。羊羹先生は何のためらいもなく、その場で食べてしまった。
 弟子はここから何かを読み取ろうとしたが、何も出てこなかった。
 
   了


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2018年10月16日

3778話 名家の家宝


 瀬尾家は名家だがそれを隠している。そんなことが問われる時代ではないので、敢えて言う必要もないが、あまり言いたくもはない。今も繁栄している名家ならいいのだが、かなり落ちた。元の木阿弥に戻ったわけではないが、それよりは上等だ。
 瀬尾家は小さな豪族で、数十の兵が動員できる程度。何処にでもいるような小勢力以下のその他だろう。
 ところがその国に現れた有力者が、瞬く間に一国を統一した。瀬尾家はその武将に味方した。僅かな兵だが付き従った。そのうちもっと大きな勢力になり、いつの間にか小さな砦を任されるようになる。小さな市町村規模だろうか。数十の兵しかいなかったころは城も砦も必要ではなかったほど。村同士の争い程度の戦だった。そんな小競り合いをするのは野良仕事よりも儲かるからだ。
 やがてその勢力は全国を統一するほどの勢いになり、瀬尾家は旗揚げ当時からの家来として、さらに領地をもらった。ただし、自分が切り取った領土ではないだけに、いつ飛ばされるかは分からないが、大きな領土を任された。といっても同じ旗揚げに参加していた同僚はもっと出世をしており、それに比べると瀬尾家は小粒。
 ところが、この大殿が急逝した。あとを継いだのは新参者の家臣だが、実力があった。ここでの跡目争いでも、瀬野家は勝ち組に乗った。そのため、また出世したのだが、一国を任されるほどの規模ではない。一万石程度。しかし、一万石を越えると大名だ。
 やがて、その大殿は老衰で亡くなり、系統の違う余所者が牛耳るようになった。瀬野家は迷ったのだが、その余所者に力があり、人徳もあることを知り、それに従った。
 旧勢力と新勢力の戦いで、新勢力が勝ち、瀬野家はそのとき少しだけ手柄を立てた。
 そして都からは離れているが、一国を任せられた。県知事レベルだ。もの凄い出世だ。
 これをこの当主一代で果たしているが、当然、長く戦場にいたためか、怪我の悪化や、膝を痛めたのか、もう歩くのも苦しいとき、大殿に暇乞いの挨拶に行った。息子に譲ると。そして今後もよろしくと。
 ただ、その今後とは、既に天下は統一されており、戦はない。そのため大殿を助けるような仕事はもうなく、手柄も発生しない時代になっていた。
 大殿は、よく仕えてくれたことを労い。与えた国はそのまま瀬尾家に任せると約束してくれた。これが当主最後の戦いだった。
 しかし瀬尾家と同じ外様大名は次々に取り潰された。既にあの人徳のあった大殿も亡くなり、その孫の代になっている。ここで瀬尾家は改易どころか取り潰されたのである。
 瀬尾家も孫の代になっており、一族郎党は古巣に戻った。
 瀬尾家の出身地瀬尾地方。数十人しか兵が動員できない勢力だったのは昔と変わらない。瀬尾本家とでも言うべき大きな屋敷があり、これはまだ残っているし、村のほとんどは瀬尾家の土地。ただ領主はいる。大大名だ。
 もう武士を捨てた孫は、ここで百姓として暮らした。
 この周辺の豪族達から大大名になった仲間もいる。同僚もいる。瀬尾家の家来は、そういうところが引き受けてくれた。
 瀬尾家と同じように、この地方へ戻ってきた大名もいる。この地方から多くの武将が出た。
 考えてみれば、偶然とはいえ、ここから天下を取るだけの人物が現れただけで、瀬尾家や他の豪族もそれに乗りかかっただけのこと。
 瀬尾家が今も裕福なのは、この地から見ると遙か彼方の山陰で広い領土を持っていた時期があったため。
 その地方の神社仏閣をよく保護し、援助もした。そして逆にいいものを譲ってもらったりしたのだろう。今もその宝物のようなものが蔵の中で眠っている。
 
   了

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2018年10月15日

3777話 夢の中の出来事


「見た夢は忘れたのですが、そのときは覚えていました」
「夢の内容は?」
「忘れました」
「ほう、じゃ、何も語れないではありませんか」
「しかし、どんな感じの夢だったのかは覚えています。古い友達と言いますか、仲間でしょうなあ。もう何十年も前の話になります。何かトラブルでもあったのでしょうねえ。私が起こしたものではなく、その友達の一人でしょうか。私達はその友人を追いかけています。追求しているのでしょうか。そこはよく分かりません」
「覚えているじゃありませんか」
「おそらくそれに近い夢だったように思います」
「それが何か」
「はい。夢の世界は不思議ですねえ。時代が分からない。いや分かっていますが、いきなりある時代にワープしています。そのとき、私もその年代以外の何者でもありません。懐かしがるとか、回想ではなく、その時代を今まさに生きているのです。そこから先の人生を私は生きてきましたが、それは夢の中では一切知りません。まだあの頃にいるのです」
「それが不思議と」
「そうです。誰が出て来るのか、どの時期なのか、それらはいきなり来ます。夢なので、選ぶわけにはいかないでしょ」
「そうですねえ」
「そういうのを今、まるで本当に体験したように、目の前で起こるわけです。それが起こっていることさえ分からない。当事者ですからね。引いて見ているわけじゃない。私はその夢の中の、その最中でまさにこのときを生きているのです」
「でも、目が覚めれば、すぐに戻るでしょ」
「夢ですからね。夢を見ていることさえ分からない。これが夢であると分かっている夢もありますが、昨夜見た夢はそうじゃない」
「その夢の中でのあなたの過去はどうなっていました」
「過去?」
「そうです。仲間の誰かがトラブルを起こし、それを追求している夢でしょ。それまでの経緯は分かっているのですね」
「知っていたと思います。状況も把握していたはず。知らない人じゃない。仲間だというのは分かります。しかしどうやって仲間になったのかは、思い出す必要はありません。知っているからです。だから、それより過去のことは知っているのでしょうねえ」
「その夢の中の人、特定できますか」
「起きたときは特定できました。しかし、もう一度寝たのがいけなかったのか、忘れてしまいました。ですが印象は残っていたので、何となく想像は付きます。しかし特定できない。夢ですからね、トラブルを起こしそうな奴ではない人間がトラブルを起こしている可能性もあります。私の知っている人なのに、夢の中ではキャラが違っていたりしますから」
「しかし、夢占いに来られるのなら、見た夢は覚えておいて下さいよ」
「はい、しかし、何でしょう。これは」
「また寝た、と言われましたね」
「はい。また寝てしまったので、忘れたのです」
「じゃ、早く起きすぎたと」
「そうです」
「何故起きられたのですか」
「さあ、いつもなら、トイレで起きることがありますが、それじゃありません」
「じゃ、何でしょう」
「体調が悪かったのでしょうか、寝てられないのです」
「どういう具合に」
「暑いのです。雨が降り出したので、蒸し暑かったのかもしれませんが、体が熱くて、それで起きたのかもしれません。額に手を当てても、熱があるようには思えません。頭ではなく、身体が熱いような。ですから、単に寝苦しい暑さだったということにしたのですが、その時間帯の気温を調べますと、それほど高くはありません」
「それが原因でしょう」
「その夢のですか」
「おそらく」
「それで目覚めたあと、どうされました」
「もう一度寝ようとしたのですが、暑苦しくて、ウトウトできません。それで掛け布団をずらしたり、足を出したりしました。これで体が冷えるはず。その前に喉が渇いていました。枕元にそんなときのためにコップに入れた水があります。一口でいいのです。それを飲んで、少し潤し、そのままじっとしていると、そのうち寝てしまったようです」
「体がメンテナンスでもしていたのでしょ」
「はあ。ではあの夢は」
「内容を覚えておられないのですから、解釈のやりようがありません」
「そうですねえ。印象は残っているのですが、先ほど話した内容とはかなり違うと思います」
「そういうことです」
「しかし、いきなり、自分がそんなところに立っているというのは妙です。夢の内容よりも、そちらの方が気になりました」
「そこはですねえ」
「はい、どうなっているのでしょう」
「それ以上追い込まない方がよろしいかと」
「はあ」
 
   了


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2018年10月14日

3776話 水回り


「雨ですなあ」
「水を差されました」
「おや、何処かお出掛けで」
「野暮用でね」
「じゃ、聞くのは野暮ってことですな」
「そういうことです」
「いいところですか」
「聞いているじゃないですか」
「そうでした」
「じゃ、言いましょうか」
「はい、いったい何処へ」
「ホームセンターです」
「ああ、ただの買い物でしたか」
「だから野暮用です」
「なるほど」
「何を買いに行くかを聞きたいですか」
「はい、ついでなので、どのあたりに着地するのかを見たいので」
「着地ですか」
「まあ、ホームセンターは広いですからね。何を買うのかは見当が付かないでしょうねえ」
「つきません」
「じゃ、言います。センです」
「セン」
「栓」
「ああ、栓ねえ。で、何の」
「ちょっとした洗い物をすることがあるのですよ」
「はあ」
「洗濯機を使うほどでもないし、汚れがひどいときは浸け置きしたい」
「洗濯などしたことがないので、よく分かりませんが」
「それで、手洗いがあるでしょ」
「お手洗いですな」
「そうです。洗面所のあれですよ。水を溜めて顔を洗うとかね」
「ありますねえ。うちにもありますし、昔行っていた事務所のトイレにもありました。ありふれたものです」
「まあ、水を溜めて顔を洗う人は少ないでしょ。流しっぱなしにして、手で受けて洗いますよね。それに手だけを洗うのなら、そんなに水を溜めなくてもいい。まあ昔は洗面器がありましたがね。水道がなかった時代でしょ。今でも風呂場で使いますが」
「分かりました。結局は洗面所の栓が悪くなったと」
「はい、漏れるのです。隙間ができたのでしょうねえ。ゴムか何かでしょうが、じんわりと漏れます。痩せたのでしょう」
「すぐに流せば分からないでしょ」
「だから、浸け置きです。洗濯物の」
「ああ、溜めて使うと」
「一晩とか一日寝かせるのですが、水が涸れてる」
「じゃ、じんわりと抜けていくのですね」
「その方が水を替えなくてもいいので、これでもいいのかなとも思いました。たまに漏れないときもあるのですよ。置き方でしょうなあ。うんと力を入れて埋め込むように置いても漏れる。逆に軽く乗せる程度でも漏れない。水が溜まりますと、それなりの水圧が掛かり、いい案配で栓ができるのかもしれません。まあ、浸け置きをしたいので、やはり新しいのに買い換えることに決めたのです」
「それで行こうとしたら雨」
「だから水を差されました」
「百均なら近くにありますよ。ホームセンターはここからは遠い」
「百均でも見ましたが、ありません。網になっていて、これじゃじゃじゃ漏れ。ゴミ取り用とか、ヌルヌル防止用とか、そんなものばかりで、栓はありません。詰めるための栓」
「じゃ、今日は行けないと」
「この雨じゃ、遠いので、傘を差していても濡れるでしょ。それに急ぎの用じゃない」
「この近くに古い金物屋がありますよ。日用雑貨屋ですが、そこにありそうな」
「行きました。サイズ別が色々あって、面倒なので、それは置いていないと。それに始終出る品じゃないでしょ」
「この近くに水道屋がありますが」
「あれは工事用で、個人相手じゃない」
「水問題解消というようなカードがよくポストに入っているでしょ」
「来てもらうだけで一万円だったりしますよ」
「じゃ、やはりホームセンター」
「そうです。しかし雨で行く気が失せました」
「水に関わる問題だけに」
「何ですか」
「いや、何か洒落たことを絡ませて言いたかったのですが、思い付きませんでした」
「あ、そう」
 
   了



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2018年10月13日

3775話 援軍


 戦国時代、領地を取り合っていた頃、そんな無茶ができるのは、中央に押さえの政権がなかったためだろう。
 黒川城主は気に入らないことがある。非常に戦闘的な人で、周辺の村々を取っていた。隣接勢力の領土だが、いつの間にか隣国の半分ほどを奪っていた。
 そこまでは順調。しかし、最近気に入らないことがある。それは隣国は弱いのだが、同盟国があり、それが駆けつけてくる。これが気に入らない。
 その同盟軍は大きな勢力ではなく、また遠いところから来る。複数の国を通過して、援軍に来ているのだ。
 まずはその同盟国を潰せばいいのだが、遠いし、敵対関係にある国を通らないといけない。だから遠征は無理。
「芦田家と同盟すれば如何でしょう」
 家臣が案を出す。
「どういうことじゃ」
「それで援軍に来なくなりましょう。同盟国同士が戦えば、同盟を破ることになりましょう」
「それはいい案。早速同盟しよう。隣国は既に領土の半分を失っておる。動員兵も少ない。これは簡単に落とせるのじゃ。芦田さえ来なければな」
「では、そのように計らいましょう」
 しかし、いっこうに同盟が成立しない。そのためにはプレゼントのような物が必要なことが分かった。馬でもいいし、砂金でもいい。茶道具や、立派な鎧でもいい。相手が喜ぶようなものを渡せば、何とかなるらしい。
「問題は芦田と同盟した場合、芦田家にどのようなよきことがあるかでしょうなあ」
 家臣は少しだけそのことを心配する。同盟の目的がモロのためだ。援軍に来るなというだけ。ここを見透かされていることが心配なのだ。
「芦田と同盟すれば、要請があればこちらも援軍を送る。芦田にとってもいいことではないか」
 しかし芦田領に行くためには、複数の国を通らないと行けない。だから実際には無理。
 そのことが分かっているのか、芦田は同盟を渋った。
 そして贈り物の効果も今一つで、芦田家に対し敵意はないという程度のもの。
 落ちかけの柿。隣国は既に落ちかかっている。簡単に落とせる。
 黒川領主は芦田からの援軍を心配しながらも、隣国へ攻め寄った。
 そのとき、急に芦田から使者が来て、貢ぎ物などを持ってきて、同盟してもいいと言いだした。当然これはもっけの幸い。いいタイミング。それで同盟は成立した。
 そして隣国に迫ったとき、芦田の旗印を見た。裏切られたのだと思ったのだが、そうではなく、芦田が先に城を落とし、領土にしてしまったのだ。
 同盟が成立したばかりなのに、すぐに破るのは体裁が悪い。聞こえも悪い。
 ということは、芦田は落ちかけの隣国に援軍に来た振りをして奪ったのだ。同盟を破ったのは芦田。
 黒川領主は芦田のずる賢さに呆れたが、こういう相手とは仲良くするのが得策と考え、その同盟は長く続けることにした。
 芦田家はその後、勢力を広げ、その度に黒川家も領地を増やした。
 
   了

 
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2018年10月12日

3774話 ある行楽


「晴れていますなあ」
「行楽日和ですよ」
「この前もそんなこと、言ってませんでした」
「言ってました」
 しかし、二人とも結局出かけなかった。
「今日は気分もいいし、体力もみなぎってます。今日なら行けそうですよ。あなた変わりはないですか」
「はい、私も不都合はありません。元気です。達者です」
「じゃ、一緒に出掛けませんか。一人じゃ無理でも二人なら出られる。行楽日和、気持ちは出たがっている。これは事実でしょ。気はある。しかしタイミングがない。きっかけ。それを二人で作りましょう」
「いいですねえ。誘われると出やすい」
「そうでしょ。私も誘った限り、出る義務が生じます。これで行けますよ」
「で、何処へ行きます」
「私は何処でもかまわない。いい天気なので、外に出るだけでもいい」
「じゃ、芝垣公園などは」
「近いですよ。よく行ってます。あれじゃ行楽とは言えない。それに近所の人も行かないような公園でしょ」
「バラ園があります」
「もう見飽きましたよ。薔薇ばかり、他の花も植えりゃいいのにねえ。薔薇ばかりじゃ飽きますよ」
「じゃ、何処がいいですか」
「大沢古墳公園などは如何です」
「マニアックなところに来ましたか」
「まだ来ていません」
「何かありますか」
「古墳があります」
「ただの土まんじゅうでしょ」
「まあ、そうですが、その周辺は公園化されていましてね。さらにその近くに弥生遺跡がありまして、レプリカもあります。竪穴住居の。その中に入れますよ」
「屋台は」
「屋台?」
「露店です」
「それは出ていませんが」
「縁日のような賑わいのある場所がいいです。遊びに来たという感じがしますから」
「じゃ、有名どころの観光地ですな。それなら城峰寺はどうですか。あそこは参道が賑やかだ。人も多い」
「坂がきついです。それに階段もきつい」
「困りましたなあ。何処でもいいんじゃないのですか」
「そうです。何処でもいいから出掛けたい」
「その盛り上がりが消えないうちに、電車に乗りましょう。とりあえず駅に出ることです」
「行き先は」
「駅で決めましょう。切符を買うときに」
「そうですな。とりあえず旅立つのが大事」
「そうそう、行きましょう、行きましょう。いい天気なのにこんな薄暗い喫茶店でくすぶっている場合じゃない」
「昼はどうします」
「沿道に食べ物屋が万とありますよ」
「そうでしたね。私、キツネうどんが食べたいのです」
「そんなものいくらでもありますよ。うどん屋や蕎麦屋は結構多い。普通の食堂でもキツネうどん程度なら置いてますよ」
「そうですねえ」
「しかし、もっと高いのを食べましょうや。せめておでん定食」
「そうですねえ。折角ハレの場に出るのだから、オカメそばがいいかも」
「何ですか、そのオカメとは」
「蒲鉾を大きく斜め切りしたのが入っているのです。そういうのを並べて顔になる」
「福笑いのようなものですか」
「そうです」
「それは目出度そうだ。私もそれを食べるかな」
「しかし、置いている店が」
「なければキツネうどんでも鍋焼きうどんでもいいでしょ。今ここで、決めなくても。とりあえず出ましょう。駅へ向かいましょう」
「はいはい」
 二人は無事、駅から行楽地へ向かったのかどうかは分からない。
 
   了

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2018年10月11日

3773話 行楽苦楽


「おやっ、山田さん。歩き方がおかしいですが、怪我でもされたのですか。いや足の怪我とは限らない。腰を痛めたとか、他の病とかで」
「いやいや、昨日は行楽日和でしたので出掛けました。これがいけない」
「どちらへ」
「ちょいとした街歩きですよ。若い頃よく行った街がありましてねえ。それを懐かしんで見に行ったわけではないのですが、その近くで軽い用事がありまして。早く済んだので、そこへ寄ってみたのです。これがいけない」
「どういけないのです」
「歩いたからです」
「はあ」
「坂道の多い街でしてねえ。若い頃は気にならなかったが、結構高低差がありましてね。これは山登りと変わらない。しかもアスファルトなので、条件が悪い」
「それで足をやられたと」
「足が前に出なくなりました」
「股の付け根の前の方ですね」
「そうそう、そこです」
「普段、如何に歩いていないかです」
「歩いているつもりですがね」
「何分ですか」
「さあ、普段は五分とか」
「山田さんは自転車が多いですから、本当に歩いている時間は短い」
「はい、ところが昨日は連続して三時間ほど」
「それは厳しいですなあ」
「立ち止まったり、休憩はしましたが、最後の方になると、足が前に出なくなって、仕方なく立ち止まりましたよ。これが本来の休憩でしょ。進めないのですから」
「それで、どうでした」
「え、何がです」
「街を見に行ったのでしょ」
「はいはい、寄りましたとも。若い頃に立ち回ったところをね。しかし、その街が思ったより遠かったのです。用事が済んだとき、近くだと思ったのですが、意外と遠かった」
「それで都合三時間も歩いていたわけですか」
「その町を探すだけでも時間がかかりましたよ」
「そんなに狭いエリアですか」
「若い頃、よくそこを散策したのですが、分かりにくい場所でしてね。行き方を忘れていました。それに周りはほとんどがビル。昔を偲ぶものがないので、目印がない。古い道が広げられたり、新道ができて、勘が狂いました」
「何処なんです。そこは」
「幻の街です」
「じゃ、幻だったと」
「いやいやありますよ。勝手に私が付けた街の名です。そこは空襲でも焼けなかったのでしょうかねえ。名所旧跡じゃありません、ただの下町ですかな。しかし古本屋があったり、ジャズ喫茶があったり、小さいながら芝居小屋がありました。これは小劇場でしょうか。何かを改築してできたのでしょうなあ。だから手作りの劇場でしょう。若い頃は、このエリアが好きでしてねえ。その近くに安い学生アパートがありまして、何人か友達がいました」
「それはスペシャル地帯ですねえ。山田さんだけが楽しめる山田専用スペシャルドリンクのような観光地」
「そのはずだったのですが、ああ、ここだ、ここだと感激したりする場所が見当たらない。ああ、ここだったんだ、ふーんなるほどなるほど、あの頃は、ここで確か……などと感慨に耽りに来たのですが、浸れない」
「秘湯に来て湯に浸かれないのと同じですな」
「それで、ウロウロしすぎ、歩きすぎました」
「それで、足をやられたわけですね」
「しかし、一つだけ見覚えのあるものがありました。名水の祠です。大昔から水が湧き出ていた場所でしてね。井戸があります。その前に祠があります。これだけが残っていましたよ。その井戸に腰掛けて、学友と長話したことがあります。二人のときもあるし三人四人のときもありました。まさに井戸端会議です。まあ、これを発見したので、いいかと思い、駅に戻りました。そこは大都会の駅です。開発前はそれほどじゃなかったのですが、今は大都市ですよ。そこへ向かう坂道がきつくてきつくて、改札までやっと辿り着きましたよ。次は地下鉄の階段。人が多いですからねえ。石のように固まってるわけにはいかない。しかし遅い遅い。亀ですなあ」
「それはいい行楽でしたねえ」
「足は痛いですが、久しぶりに気持ちいい疲労感です」
「歩き疲れて足が痛いだけ。これはいいですねえ」
「しかし、三日ほど、この調子でしょうなあ」
「まあ、お大事に」
「はい」
 
   了



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2018年10月10日

3772話 エンガチョ


「最近悪いことが続きましてねえ。何かの祟りではないかと思うのですが」
「祟るようなことをされたのですかな」
「ゴキブリ退治」
「害虫駆除ですね」
「人から見るとそうですが、あれが甲虫なら大事にするでしょ」
「じゃ、悪いことが続くのはゴキブリの祟りだと」
「他に思い当たることがありません」
「どんな悪いことですかな」
「大したことはないのですが、不愉快なことが連続してありまして」
「それは大したことではないと」
「そうです。心配する必要もないことなのですが、嫌なことが続くと、テンションが下がります。何か水を差されたように」
「ほう」
「その嫌なことがずっと尾を引いたりします。楽しいことをしているときでも、ふっと思い出したりしましてね。だから興ざめです」
「でも大変なことにはならないと」
「はい、その可能性もありますが、まあ、私が我慢しているのでしょうねえ」
「それでどうして欲しいと」
「ゴキブリの魔除けはありませんか」
「もう祟られたあとなんでしょ」
「今後です。それを切りたい」
「じゃ、エンガチョのマジナイをすればいいのですよ」
「指をハサミのようにして切るやつですか」
「そうです。悪い縁を切る。エンガ、チョキンと切れる。それで済みます」
「そうですねえ」
「しかし、ゴキブリの祟りだけに、あまり大きな祟りじゃないようですなあ。悪いことが続くといっても」
「そうです。虫程度」
「まあ、一寸の虫にも五分の魂と言いますから、一寸分の祟りですな。ちょっと不機嫌になるとか、不愉快な思いをする程度の」
「そうです」
「しかし、その程度でも意外と効くかもしれませんねえ」
「そうなんです。嫌な気持ちになると、普通のことをするときも、影響を受けますから」
「蟻の巣穴から土手が崩れたということもありますからね」
「その可能性もあるのです。もの凄くは心配していませんが、少し不安な気分が」
「はい」
「ゴキブリ封じの、悪縁を切るエンガチョ切り、博士にお願いできないものでしょうか」
「私がですかな」
「お願いします」
 妖怪博士は人差し指と中指を絡ませてハサミのようにして、エンガチョをやった。
 しかし、やっていて照れくさかったようだ。
 
   了



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2018年10月09日

3771話 西へ三里の神様


 倉橋は子供の頃の言い伝えを思い出した。故郷の話などをやっているテレビを見ていたのがきっかけ。しかし、そのことはこれまで何度も思い出している。
 たとえば初詣で神社へ行ったときなど。これは毎回ではないが、一人で参拝するときに多くある。つまり他に考えるようなことがないときに入り込む。ただしきっかけは必要。
 村から西へ三里のところに神が住む神社があると。普通の神社には神様がいるのだが、見た人はいない。この神社では見ることができる。
 山間の村だが、西に三里だと山の中になるが、そんなところに神社などない。生まれ育った場所なので、あれば分かる。周辺の野山を遊び場にしていたので、三里先は遠いが、これは分かる。
 この言い伝えは倉橋家に伝わる話ではなく、村に伝わっているので、ほとんどの人が知っていること。たまに脅しで山から神が来て連れ去るぞ、などと言われたが、それはうんと小さい頃まで。
 言い伝えでは山中に立派な社殿があり、神主がいる。この神主が実は神。祭りを執り行う人、または神託などを伝える神官が神になった。これは普通のことで、そのときは神が来ているので、神の代理のようなもの。だからそれを聞く人たちも、まるで神と同じように神主と接する。巫女のお告げなどは、そのときは巫女は神のようなものだ。これは実際には違うのだが、村人が身に付けないような服装。その扮装だけでも神がかったりする。昔の貴族の礼服、官服のようなものだろうか。
 だから子供の頃の倉橋は西へ三里、だから十二キロほど先の山中にいきなり神社があり、そこに神様がいると思っていた。しかも実物。神主という人間が神様なのだから、社殿の奥の鏡などが置いてある場所に神主が座っているのだと思っていた。
 それが豊臣秀吉の肖像画と重なったりした。
 村の言い伝えで、ただのおとぎ話。そんな神社があり、神になった神主がいるだけのことで、それ以上の展開はない。
 村から西へ三里の神社の話は小学生までで、その後、親も言わなくなり、たまに思い出す程度。
 あれはどういうことなのかと、気になり、故郷の母へ電話で聞いた。
 すると、昔々、村の神社で後継者争いがあり、それに負けた競争相手が怒りすぎて気が狂い、山へ入ってしまったとか。
 これはただの失踪だろう。後日談として西へ三里のところに神社を建て、無念を晴らしたとなる。さらに尾びれがつき、神主そのものが神になったと。
 電話を切った後、倉橋は聞かなかった方がよかったと後悔した。そのままの方がファンタジーとしていつまでも不思議な懐かしさとして残ったのにと。
 
   了
 
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2018年10月08日

3770話 いく学


 ざわめいていた聴衆が潮が引くようにしずまった。引くときは音がしなかったりする。
 そして拍手で講演者を迎えた。日本の幾何学の権威。しかし国内よりも海外で有名な人。その人の講演が始まるのだ。
 男は背筋が曲がった大柄な老人。相撲取りでいえばアンコ型。
「わてがいくじろうだす」
 同時通訳AIの文字がワンクッション遅れて流れたが、意味不明。しかし、ここはAIではなく、通訳も来ており、それよりさらに遅れてイヤホンから聞こえる仕掛け。長く日本に滞在し、その文化にも詳しいベテランが、わてを私と訳し、あとは博士の名。
「わてがいく学と合うたのは藤吉先生宅に奉公したときからだす。わてはそのときからいく学が好きになりましたんやわ」
 プロ用日本語同時通訳ソフトで方言対応だが、手強いようだ。
「いく学は」
 AIの通訳も「幾何学」とは訳せない。
「いく学はなあ、ええもんでっせ」
 この博士、幾何学の権威。だからいく学と言うわけがないが、あえてそう言うのが博士のユニークなところか、本当に間違っているのに気付かないだけかもしれない。
「わいがなあ、算数が好きになったのはそろばんからや」
 ワテがワイに変化したが、どちらも私を指す言葉。
「数の数え方はいく学ではこう数えるねん、ひーフーみーよー今何時や、へい八つ時や、ここのつ、とー」
 落語の時うどんではないか。これで勘定をごまかす話。
 観客は目を見開き、必死で何を言っているのか聞き取ろうとした。
 AIも同時通訳者も誤訳を繰り返した。
 この博士のいく学、いや幾何学は言葉による幾何学で、言葉が関数になり変数になり、複雑な図形や、模様が浮かび上がる。それらは聞く側の誤解によって生じる万華鏡なのだ。
「ほな今日はこのへんで勘弁しといたるわ」
 これはうまく訳せたようだ。
 西田幾次郎。日本を代表しない幾何学者だが、世界が認める至宝らしい。
 
   了


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2018年10月07日

3769話 行楽日和


「よく晴れましたねえ」
「秋晴れ、日本晴れです。行楽の季節です。どこかへ出かけたくなります」
「毎年、そんなことを言ってますなあ。そして出かけないまま冬を迎えている」
「そうでしたかな。まあ、その気分になっても体が動かないだけです」
「動ける間に動いた方がいいのでは。歩けるうちに」
「そうですなあ。しかしもう必要としないのでしょ。出かける必要がね」
「でも、出かけたいと思う気持ちは起こるわけですな」
「そうです。今日のようなよく晴れた日は」
「じゃ、このまま出かけられては」
「はあっ」
「ここまでは出てこられるのでしょ」
「徒歩距離ですからね」
「ここは駅前、駅まで歩けるでしょ」
「当然ですよ。見えていますよ」
「そこで切符を買えば、さっと出かけられますよ。この沿線の行楽地に」
「ありますなあ。でも、もうよく行った場所ですからねえ」
「じゃ、ここの私鉄からJRに乗り換えれば行ったことのないような観光地まで行けますよ。座っていればいいんですから」
「そうですなあ」
「空港行きのバスも出てますよ。それで飛行機に乗れば海外も」
「いやいや。パスポートがありません」
「じゃ、国内の最果てとかは」
「それじゃ一泊か二泊必要でしょ」
「家を空けても大丈夫でしょ。何か用事でも」
「いえいえ」
「ああ、旅費の問題ですか」
「その程度ならあります」
「じゃ、出かけられるじゃありませんか」
「しかし、帰ってからやることがありますから」
「用事?」
「ネギの根っこを早く植えないと、枯れてしまいます」
「家庭菜園」
「いや、ネギを買いましてね。少し茎を残した根があるのです。本来なら食べられる箇所です。それをわざわざ残したのは、植えるためです。早く植えないと」
「そんなことですか」
「自分で伸ばしたネギを切ってチキンラーメンに入れて食べるのが好きでしてねえ。ものすごく得をしたような気がします。チキンラーメンは五つ入りで買います。それとインスタントラーメンは続けて食べると体に悪いので、ネギが伸びるまで待つのです。これをラーメン間隔。まあネギ時計です。日を計ります」
「私は札幌ラーメン醤油味しかインスタントラーメンは食べません」
「カップに入ったインスタントラーメンがあるでしょ」
「ありますなあ」
「湯をかければいいやつ。あれの本家はチキンラーメンなんだ」
「じゃ、カップヌードルも食べますか」
「いや、私はもうヤングじゃないので。それに唇をやけどします」
「唇、あるのでしょ」
「ありますよ。なければ気持ち悪いでしょ」
「唇は意外と丈夫です。だから多少熱くても」
「唇はそれでいけても、皮がむけます。それを押して食べとしても、私、猫舌でしてね。今度は舌がしばらくヒリヒリして痛い痛い」
「だから、ぬるくなった状態のチキンラーメンならいけると」
「そうです。それと分厚い目のどんぶりで食べます。汁を吸うとき、流れが違います」
「それは分かります。プラスチックのお椀と木のお椀とでは味が違いますからねえ」
「ところであなた、日本晴れですが、あなたは出かけられないのですか」
「はい、出不精なもので」
 
   了

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2018年10月06日

3768話 目先


 ちょっと目先を変える。日頃とは少しだけ違う選択をする。ただし選択できないものは選べないので、日常内での話。この日常とはいつも繰り返しているようなこと。そしてやり慣れたもの、習慣になったもの。気がつけばそのパターンをいつの間にか踏んでいたところの踏み物。
 ちょっと目先を変える。これはその日常範囲内のもので、たまに踏むことがあるもの。そうでないと日常から離れたものを踏むことになる。
 目先とは目の先、そのままだが、目標のようなもの、ターゲットのようなもの。これには連続性があり、あれをやった後にこれ、これをやった後にこれ、というように繋がっていたりする。順番が変わってもそれほど違いのないものもあるが、それを変えると、ぎこちなくなることもある。そのあたり、結構オート化しており、あまり頭を使っていないのだろう。
 目先を変える場合、変えさせられる場合もあるし、自ら進んで変化を求めるため、変えることもあるし、また少し前までやっていたことを復活させたりもある。いずれもちょっとした心境の変化などで、目先を変えたがることがある。
 必要に迫られて変えるのは分かりやすい。理由がはっきりとしている。ただ自由度はない。ほんの試しに何かをやってみたいとか、別のものを使ってみたいとか、別のやり方を試みたいなどはしなくてもいいようなことかもしれないが、こういうところに紆余曲折の楽しさがある。失敗しても困ることではなく、また誰からも要望されていないため。
 好奇心。これが目先を変えるときの発火点かもしれない。ただの好奇。奇を好むと書くが、この奇は何やら怪しげ。奇妙の奇。奇術の奇。猟奇の奇。これは日常を崩す可能性がある。目先を変えるとは、そういうことも含まれている。
 しかし、リスクありげな好奇の心だが、新たなものを見つけ出す機会でもある。新しいものなどいらないとか、昔ながらのことでいいとかなら別だが、時代遅れもまた一つの奇妙さがある。逆に風変わり。あえて今風なものを取り入れないのも選択肢としては興味深い。
 この興味深いとは、あまり褒めていない。興味があるだけで、実際にはやらないと言っていることが多い。それと含みがある。そのアイデアよりも、そんな発想をする相手が興味深いのだ。
 ちょっと目先を変える。それだけのことだが、これにもいろいろと興味深い含みがある。完全に同調していないのだ。
 ただ日常の繰り返しの中で、ちょっと目先を変える程度は、大したことはない。日常範囲内なので。
 しかし、日常の範囲内の端っこまで行くと、そこは村内だが、村外が見えている。外の世界との境界線辺り。日常外へと出てしまいそうになる場所。
 もし気が乗れば、いつもの自界の世界から他界を踏むかもしれない。
 ちょっと目先を変える。これが意外と遠くまで繋がっていたりする。
 
   了


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2018年10月05日

3767話 ワンコイン探偵


 今回の探偵談は何度かあったことらしい。さるお屋敷の主人が密かに探偵を呼び出した。どういう事件なのかは未だに分からない。こういう話は、この探偵の場合よくある。
 屋敷の規模は大きく、当然敷地も広く、門から母屋までの距離だけでも相当ある。雨の日など我が家に帰りながら、まだ傘を差して玄関まで歩かないといけないほど。ただし、駐車場は門の中にあるので、濡れることはないが。
 その門は詰め所が付属している。工場の入り口に警備室があるようもの。
 さて、ここで何があったのかは、知らされないまま探偵は門を叩いた。
 横の勝手口から出てきた警備員が追い出そうとした。場違いな客で、従って客ではないと思ったのだろう。しかし、屋敷の執事のような人、この人は番頭さんだが邪険に扱うでないと言って門を通した。
 警備員の詰め所とは違い、ちょっとした建物がある。住居というより、事務所のようなもの。この建物も相当古く、寺社で言えば社務所に当たるのだろうか。
 警備員が追い出そうとしたのは探偵の服装が悪すぎた。また人相もいやしく、髪の毛も乱れており、妙な塊さえできている。髭は剃られているが、ところどころ剃り残しがあり、しかも下駄を履いている。さらにスーツ姿だが上下の色や生地が違うしサイズも合っていないし、ベルトではなく、寝間着の紐のようなものを通している。
 探偵の名は通称便所バエ。名探偵明智小五郎と文通した伯父を持っている。その遠縁は乃木大将と将棋をさして勝ったらしい。
 番頭は良い人だが探偵は見るからに見たままの人。
 屋敷の主人が密かに呼んだため、家人には言っていないのだ。
 番頭は慣れたもので、さっとポケットから五百円玉を投げた。非常に丁寧な投げ方だ。
 便所バエは反射的にもの凄いスピードでそれを拾い、「有り難うございました。旦那様」と言って、勝手口から出ていった。
 屋敷から少し歩いたところで「違う」と探偵は気付いたが、もう遅い。今度入ると、また五百円玉をもらうために戻ったと思われるのが嫌で、そのまま二度と屋敷には近付かなかった。
 そのため、この屋敷で何が起こったのかは分からないまま。
 こういう探偵談、これはこの探偵にはよくあることらしいが、探偵談とは言えないだろう。その手前で終わるのだから。
 
   了

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2018年10月04日

3766話 成功者予備軍


「何でもいいからやってみることですよ」
「何でもではよくありません。将来が掛かっていますので、無駄なことをして道草を食いたくありません」
「将来ですか」
「そうです」
「それはどんな」
「まあ、成功することです」
「成功者」
「ちょっと金持ちで、ちょっといい身分の」
「それが将来の夢ですか」
「そうです。だからそのラインに沿った動きでないといけません。将来が掛かっていますから、何でもいいからやってみるわけにはいきません」
「それはよく分かるのですが、成功者になってからのことも考えないと」
「あと」
「そうです」
「さらに上を目指すのです」
「際限なくですか」
「はい、まだ力のある間は、先へ先へと進みます」
「しかし、落ちることもあるでしょ」
「落ちないようにします」
「まあ、落ちるものですよ」
「そんな油断は」
「あなたは順調でも、世の中がちょっと変わったりします。すると、違ってきます。だから、落ちることもあるのですよ」
「あるかもしれません」
「だからあなたは落ちるために頑張っているようなもの」
「落ちません」
「あなたが落ちなくても、落とされますよ。あなたが誰かを落としたように」
「そうならないようにします」
「成功者のなれの果てを多く見てきています」
「成功者のまま終わる人も多いでしょ」
「確率的には低いかもしれませんよ」
「そうならないように」
「成功者は窮屈なものですよ。意外と選択肢が少なく、自由度も低い。下手に動けません。だから、何でもいいからやる、という真似はしにくい」
「非常に水を差すお話しですねえ」
「あなた、今やりたいことがあるのでしょ」
「あります」
「しかし、それは将来とはあまり関係しない」
「そ、そうです」
「何も考えないで、やることですよ」
「そうでしょうか。いやいや、同調してはいけない。僕には将来がある。ここで余計なことはしたくない」
「でもやりたいのでしょ。しかし考えるとできない」
「はあ。いやいや、ここでぐらついてはいけない」
「しかし、引っ張られるものがある」
「まあ、そうですが。いやいや、そんなものに引っ張られている暇はありません」
「じゃ、どうして、ここへ来られたのですか」
「そ、それは」
「私はインチキな占い師です。ここへ来たのは、もう一つの可能性を捨てきれないからでしょ」
「分かりますか。いやいや、いけない。それを否定しに来たのです」
「じゃ、一人で否定すればいいじゃありませんか」
「まあ、そうですが」
「そして、私は何もまだ占いはしていません。ただ、何でもいいから好きなことをなさればどうですかと言っただけですよ」
「僕の将来によくないことです」
「成功を夢見て失敗に終わる。失敗があなたの夢だったりもしますよ」
「それはただの結果です。そうならないようにするのが一般でしょ」
「一般ねえ」
「もういいです、見料を払います。いくらです」
「まだ、何も見ていないので、いらないですよ」
「そうなんですか」
「よければ成功の運が出ていると、言いましょうか。これで盛り上がりますよ」
「それも結構」
「でもあなた」
「何ですか」
「そんな状態じゃ成功など有り得ませんよ。こんなもの占わなくても分かること」
「失礼します」
「はいはい」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:10| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする