2018年10月31日

3792話 壇空と護菩天


 壇空という山伏か祈祷師か修験者か行者か何かよく分からない術者がいる。一見したところ修験者、背中に箱のようなものを背負っている。この箱だけでも重いだろうが、意外と軽い。桐のためだろう。漆塗りで、濡れても何とかなる。ペンキを塗っているようなもの。
 元は僧侶。小さな寺の息子だが、親子揃って人徳がない。そのためか、檀家が減り続け、いなくなった。それで寺を捨て、山野に入った。昔は里で都合が悪くなると、山に逃げ込んだりしたらしい。
 檀家がいないので名を壇空と改め、山伏世界に入った。修験者がウロウロしている山があり、そのあたりに紛れ込めば何とかなった。
 それで修行すること十年。しかし、術は使えない。まあ、修行すれば呪術などが使える超能力者になれるわけではないが。
 仲間内に天狗のような顔をした年寄りがいる。ピノキオのように鼻が長い。その年寄りも嘘をつきたおして長くなったのかもしれない。これは謙虚さを忘れて天狗になるのとは違い、嘘をつきすぎたため。
 本人は護菩天と名乗っている。おでんなどに入っているゴボ天ではない。壇空はこの護菩天と知り合い、いろいろ術を教わる。いずれもインチキ臭いもので、ただのまやかし。
 ある日、この師匠と壇空は里に下り、居酒屋で酒を飲んでいた。
 里のものが、この二人の風貌を見て、駆けつけた。助けて欲しいと。
 居酒屋のある場所は里では目抜き通り、一番人が多い場所。だからこれは目立つ場所に敢えているわけだ。ここは護菩天の悪知恵。早速引っかかってきた。
 悪いものが家の中にいるようで、それを退治してくれとの依頼。家鳴りが激しく、物が動いたりする。亡者が棲み着いているらしい。
 里の僧侶に頼んだが、念仏では効かないので、祈祷ができる人に頼めと言われたらしい。
 しかも、今ここに二人もいる。
 護菩天はあらかじめ怪異を仕込んでから追い祓うのを常習としていたが、今回はタネも仕掛けもない。
 どうするか、と護菩天は壇空に聞いた。つまりやめた方がいいわけだが、壇空はやる気があるらしい。まだそんなことは初めてなので、やってみたいのだろう。その手順はしっかりと弟子に教えているのだが、そんなものが効くわけがない。
「やりましょう。師匠」
 依頼者の前で、そう言ってしまったのだから、もう引けない。
 護菩天はそのときから言い逃れや、逃げ方を考え出した。
 その家は里でも大きな家の別宅。少し淋しいところに建っているので、妾でも囲っていたのだろう。今ではお化け屋敷。
 護菩天も壇空も霊は見えないし、霊も感じないタイプ。つまり霊感者でも霊能者でもない。元々修験とは自分のためにやることなので、祈祷などはおまけのようなもの。
 そして別宅の門を区切り、玄関戸を開いたとき、護菩天が叫び声を上げた。つられて壇空も大声を上げてしまう。壇空は師匠の声に驚いての大声。
「こりゃいかん。ウジャウジャ。ウジャウジャおりまする。わしら二人では何ともならん」
 これが護菩天が考えた逃げ口上。これはマニュアル化されており、逃げ方の一つ。
「私が確かめて参ります」
「余計なことを」と師匠は小声でたしなめるが、壇空は師匠から習った術を使いたくて仕方がない。
 そして屋敷内を練り歩き、瓢箪に入っている水。これは聖水のようなものだが、それを口に含み、アイロン掛けでもするかのように霧のように吹いた。この霧吹きはかなり練習したので、上手いものだ。
 そして、金剛杖の先に縄を取り付ける。縄には紙が何枚も垂れ下がっている。チリハライのようなもので、憑き物祓いの道具。
 さらに杖には鈴が仕込まれており、祓うときに鳴る。口から霧を吹きながら、屋敷内を駆け回った。
 体力の続く限り、動き回り、汗だくになり、その場で倒れた。
「大丈夫か弟子よ」
「少し張り切りすぎたようでございます」
「無理はするな」
「はい」
「さあ、もう終わった。帰ろう帰ろう」
 二人は宿屋に戻った。
 二日ほどして、依頼者が宿屋まで訪ねてきた。
「これはお礼でございます」
 依頼者が来たとき、逃げようとしていたのだが、意外な言葉。
「毎日家鳴りがし、怪しいことが起こるのに、あれから二日ほどピタリとやみました。これはほんのお礼です」
「そうですか」壇空は喜んだ。
「そんなはずはなかろう」と師匠の護菩天は呟いた。
 宿代も危なかったのだが、これで助かった。
 壇空の熱演に驚き、鎮まったのかもしれない。
「世の中には不思議なことがあるものじゃ」と、護菩天は渋い声で締め括った。
 
   了
 
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2018年10月30日

3791話 知恵


「知識と知恵とは違うものですね」
「そうですなあ」
「知識ではなく、知恵が必要だと言われたのですが、どうすれば知恵が身につきますか」
「知恵というのは知識のように蓄えたものじゃない。その場ですっと出すことだよ」
「出す」
「そう
「何を」
「だから知恵をだよ」
「はいはい」
「しかし知識が多いと知恵も出しやすいかもしれんが、これもまあ良し悪しじゃな」
「引き出しが多いほどアイデアもよく出るのではないでしょうか」
「引き出しの中には知識がいろいろ詰まっておる。知識と知識を掛け合わせても知識のまま。知恵とはまた違う」
「じゃ、知識がなくても知恵は出ますか」
「出る」
「何処から」
「自然とな」
「自然に湧き出る泉のようにですか」
「さあなあ」
「はっきりしませんねえ」
「知識は過去のこと。既にあったこと。またこれから起ころうとしていることを予測できるかもしれん。天気予報のようにな。既にあることに関しては詳しい。しかし、未知に関しては、どうかな」
「はい」
「今、分かって、頷いたのかね」
「いえ、ただの相槌です」
「知恵は働かすもの」
「知恵を働かすとか言いますねえ」
「知識を働かすとは言わんじゃろ」
「でも知識を使うとは言いますよ」
「今までにあった道具のようなものを使うという意味じゃ」
「では知識がなくても知恵は出るのですね」
「知識のない人などおらんだろ」
「あ、そうですねえ」
「より多くのことを知っておる物知りと比べれば少ないだろうが、知識に引っ張られたりしにくい」
「微妙ですねえ」
「予測できすぎるのじゃろう」
「では知恵は勝手に湧き出るものですか」
「さあなあ」
「頼りないですねえ」
「そうか」
「教養というのはどのポジションになりますか。知識よりは上だと思いますが」
「知識と変わらん。教養を身に付けるとか言うだろ。しかし、知恵は身につかん。そんな知恵を身に付けておると知恵の邪魔。知恵は発動するもの。その違いで教養の上じゃが、比べてはいけない。知識も教養も既成のものとしてある。記憶としてな。しかし知恵にはそれがない。あると知識や教養に縛られる」
「悪知恵を働かすと言うでしょ」
「悪い奴ほど知恵がある」
「はあ」
「私も師匠のような知恵者になりたいのですが、何をどう修行すれば、そうなれるのですか」
「わしは知恵者じゃない。愚者じゃ」
「ああ、愚者では困ります。賢者になりたいと思います」
「まあ、そんなことで知恵を使う必要もなかろう」
「分かりました。知恵とは悪知恵のことなのですね」
「だから悪者になることはなかろう。君は悪者になりたいかね」
「なりたくありません」
「じゃ、知恵がどうのと思わないことだな」
「私の少ない知識からでも分かりますが、悪知恵が働くやつは天性のものです」
「だから、知恵には手を出すでない」
「はい、分かりました」
 
   了



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2018年10月29日

3790話 長い語りに入る


「そして、放置したまま何年も経っているのだが、たまに行くことがある。家賃も光熱費も自動落としなので、そこにいなくてもいい。そこを出たときと同じままの部屋。ある日、突然人だけが消えたような。作り置きの煮物の鍋は、流石に捨てたがね。生ゴミは出して出たので、匂うものはない」
「その話、まだ続きますか。あとどれぐらいで終わります」
「これは導入部でね。あと五時間、見ておいて下さい」
「じゃ、分けて話して頂けますか。他の人は聞いているだけなので」
「じゃ、私の持ち時間はどれぐらいかな」
「決まっていませんが、まあ、空気で分かるでしょ。数分かと思います」
「数分、じゃ、十分以内」
「まあ、そんなところでしょ」
 もう一人の客が「続きを聞きたい」と言いだした。他の客もそうだ。
 高梨は続きを話すことにしたが、長丁場になる。やはり何処かで切らないといけないだろう。
「その部屋は今もありますか」一人が質問する。
 ああそうか、問答形式でやればいいのかと、高梨は、それに従った。
「今もありますよ。鍵は持ち歩いていませんが、自転車で行ける距離にあります。前を通ることもよくありますよ」
「アパートですね」
「文化住宅です」
「使っていないのなら、借りるのをやめた方がいいのではないでしょうか」
「ついつい解約が面倒だし、荷物もあるし、それに片付けないと引っ越せませんし、まあ、使うつもりで、まだ借りているのです」
「もったいないですねえ」
「いや、安いですしね。それにたまに中に入ることがあります。これは特別な日です。ちょっと原点に戻りたいときなどにね。あの部屋に戻ればあの頃に戻りますから。読みかけていた雑誌とかも、そのままあります。冷蔵庫は空ですよ。でも電気は切っていません。ガスも」
「その部屋には特別な話があるのですか」
「だから五時間はかかります」
「何か怪異とか事件とかですか」
「そんなものはありません」
「じゃ、五時間もかかる話とは何ですか」
「初心の頃の話をやるため。五時間以上掛かります。いや、これは話が尽きないほどです。まだ若くて貧乏だった頃のいろいろな話。その証拠の品なども、まだ部屋の中にあります」
「まさか、死体を」
「だから、事件性はまったくありません。若かりし頃の思い出の玉手箱装置のようなものですよ。家具、箪笥。椅子。テーブル。作業机。それをどこで拾ったり買ったり、どんな感じで使っていたか。それらは全て青春の思い出に繋がります。だからそこんところを話し出すと長くなるということです」
「はい、分かりました」
「では、続けます。友人の友人が引っ越しましてね。結婚するとかで、そのときベッドがありました。まだ新しい。それを捨てるのはもったいない。それで私のところにやってきたのです。このベッドはですねえ」
「ああ、もう時間ですが」
「そうですか。質疑応答式でいけそうな」
「もう。皆さん帰る時間なので」
「あ、そう。じゃ、続きはまた後日」
 その後日の集い。もう誰も来なかった。語り部の高梨も行かなかったので、誰も集まっていなかったということを知る人は誰もいないのだが。
 
   了



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2018年10月28日

3789話 陽の当たる場所


 陽射しで液晶が見えにくい。島田はバックライトを最大にまで上げる。これでノートパソコンの文字が見えるようになったが、まだ真っ白。何も書いていないためだ。
 その喫茶店では、こういうのはたまにある。しかし南側の隅に限られている。このテーブルだけ直射日光が来る。硝子窓。上から下までガラス。日除けやカーテンはない。
 こういうのは年に何度もあるのだが、その日の島田は陽射しを意識した。夏が過ぎてからかなり経つが、暑いと感じることは希。それが徐々に減っていく季節。寒いと感じる方が多い。しかし、まだ冬ではないので小春日和とまではいかない。暑いのだ。まるで温室のよう。半袖で充分なほど。
 島田は陽の当たる場所から離れて久しい。復帰する気はあるが、どうもこの陽射しが眠い。本物の陽射しのためだろう。逆に頭がぼんやりとしてきて、このまま白昼夢でも見ているほうが似合う。
 しかし、雲が多いのか、しばらくすると陽射しが消え、フラットになる。スポットライトを浴びるのは僅かな時間。しかし、陽の当たるところをずっと歩いている人はいる。何処かでかげることは確かだが、島田の場合、それが平均寿命のように、平均的な年齢で、それが終わり、幕を下ろした。
 それからが長いので、全盛期の頃は遠い昔の話で、それが同一人物とは思えないほど乖離していた。つまり現実の過去だとは思えないほど離れすぎたのだろう。その繋がりが切れたように。
 それで以前のことなど忘れたように、また陽の当たるところに出ようとしている。これは植物が太陽に枝葉を向けるのと同じかもしれない。
 陽の当たる場所。それは舞台の板の上。そこに立つ方が、陽の当たらない奈落へ向かうよりも楽なのだ。窮屈なところを通って下りないといけない。
 というようなことを陽射しを受けながら、一瞬思ったのだが、陽が隠れると、そんなことを思っていたことそのことが白昼夢に近い。
 そして、いつものようにノートパソコンの白紙画面に向かい、昨日見たテレビドラマの感想を書いた。既に業界の人ではなく、ただの視聴者として。
 そのとき、また陽射しが戻り、直射日光が先ほどより強烈で、また何も見えなくなった。
  
   了



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2018年10月27日

3788話 妖怪は見えない


「幽霊が見える人は聞きますが、妖怪が見える人はあまり聞きませんねえ。どうしてでしょう。博士」
「君は小学生か」
「いえ、プロです」
 妖怪博士付きの編集者が疑問を打ち明けた。そういうものは打ち明けるとかの問題ではない。ずっと内に秘めた事柄のような重要事ではないためだろう。しかし、たまには小学生のような質問をしたくなる。だが、そういった低次元の謎ほど、本当はよく分からない謎で、基本的なことほど解明していなかったりする。
「ダイヤルが違うからじゃ」
「つまり幽霊放送と、妖怪放送があるわけですね」
「たとえ話に真実はない。ニュアンスだけ聞き取ればいい」
「それ以上の奥はありませんか」
「それは君の質問かね」
「いえ、小学生から受けた質問です」
 この出版社、ネット上で掲示板を持っている。SNSといわれる以前の、古そうなデザインのサイトだ。
「幽霊には元があるが妖怪には元がない。幽霊は人間じゃが、妖怪は動物が多い。まあ、植物や物が化けたものもあるし、場所そのものが化けておる場合もあるがな」
「はい、入りましたね」
「何処に」
「妖怪博士モードに」
「余計なことを」
「幽霊は原型とあまり変わらん姿をしておる。人型で出た場合じゃがな。だから分かりやすい。ところが妖怪は元があるにしても化けすぎて原型が分からぬ。それに姿がユニークすぎる。そういうのは人が認識する原型のようなものがないので、見えんのじゃよ」
「認識する原型って、何ですか」
「まあ、パターン認識のようなもの。その雛形のようなものを使うんだろうね。妖怪は見えんが、妖怪画はある。書くには見えんと書けん。実物は無理なので頭の中でイメージ化する。そのときパターン認識のようなもので、動物を組み合わせたようなものを捏造するわけじゃ。聞こえが悪ければ、合成。合体じゃな。これは妖怪に限らず。神獣などがそうじゃな。あれは広い意味での妖怪に近い。この世に存在しない動物なのでな」
「博士、それ、難しいので小学生には」
「私も分かっておって話してるんじゃない。論理的な説明といっても、別の論理の雛形を当てはめておるだけ。それに分かりやすい説明は、考える力を奪う」
「余計に分かりにくい説明です」
「幽霊は個人。しかし妖怪は誰じゃ。汎用性が高い。傘化けとかを見なさい。閉じた番傘から一本足が出ておる。そして生腕が。あれで歩くとなると、歩けんじゃろ。飛ぶしかない。ケンケンじゃ。そして誰だか特定できん。豆腐小僧を見なさい。小僧はいくらでもおる。どこそこの誰という子供じゃない」
「子泣き爺もそうですね」
「何処の爺さんなのか分からん。名前もない」
「はい。それで霊能者でも見えないわけですか」
「さあ、私の知り合いに幽霊博士がおる。彼に聞いた方が早いが、幽霊は念を送ってくる。人だからな。だから、周波数が同じ。よって人間的な怖さがある。動植物の心はよく分からんが、人間の心理なら読める。まあ、犬猫にも心はあるし、ある程度読める。だから犬猫の幽霊は見える。しかし、それが妖怪となると、元は動物でも、一般化しすぎる。犬や猫の幽霊は人と同じで、何処の犬猫か分かる。名前もあるじゃろう。犬猫一般ではなく。特定できぬ犬猫一般は汎用性がある。妖怪もそうじゃ。そのため個人の念とか、個人の思いとはまた違う。汎用性を上げると自然一般になる。そうなると精霊」
「余計に難しくなりました」
「まあ、君が分かりやすい言葉でその掲示板とやらで説明しなさい」
「分かりました」
「博士は幽霊は見えなかったですね」
「ああ、幽霊は見えん。それが何か」
「じゃ、妖怪はどうですか。妖怪博士でしょ」
「見えんが形を得ることはできる」
「じゃ、妖怪の出る場所へ行けば、妖怪が見えるわけですね」
「さあなあ、見えたといえば見えた。見えなかったといえば見えなかった。その程度じゃ」
「はい、お大事に」
「何を大事にするんじゃ」
「いえいえ」
 
   了



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2018年10月26日

3787話 慣れ疲れ


 思っているものよりも、思わぬものとの遭遇の方がインパクトが強い。これは悪いことなら災難だが、いいことなら新鮮。
 思ってもいなかったことなどそれほど多くはない。それなりに知っていたりする。既知だが詳しくは知らないし、また興味はあっても近付かなかったりする。
 情報としては知っているがタイミングが合わないのか、相性が悪いのか、無視していたようなもの。だから思っているものの外にいる。内に入り込まないのは、何らかの事情があるのだろう。これは自分には合わないとか、少し世界が違うとか。
 しかし、あることを思っているときや、考えているとき、ふっと入り込むことがある。思っていることとは違うこと。だから思っていないことが。
 思っていないことなので、思い浮かべることはないはず。しかし意識に上らないだけで、その存在は知っていたりする。無意識ではなく、意識内に並んでいるが、そこは暗くなっている。敢えて意識しないだけ。
 だが、今思っていることが上手く行かないとか、何となく息詰まったり、飽きたり、不満が多いとき、その思っても見なかったものが現れる。思いの中に入れていないもの、枠外。自分の外にあるもの。そこから探すしかなくなった場合、思っても見なかった展開になるかもしれない。しかし、本当は思っていたことなのだ。知っているくせに、ということだろうか。
「要するに今度出る新製品の話ですな」
「そうです」
「馴染みのないメーカーだし、あまりよくは思っていない企業です」
「それはあなただけのことでしょ」
「そうなんですが、今回の新製品、これはその垣根を越えてもいいんじゃないと思うようになりました。ちょっと新鮮です」
「そうでしょ。世界を広げるいい機会です。馴染みがなくてもね」
「そこなんです。馴染み疲れました。それで新鮮に見えました」
「まあ、そこでも馴染めば、同じように馴染み疲れしますよ」
「こういうのを目先を変えるというのでしょうねえ」
「そうですねえ。目先が変わるだけの話で、実際には同じようなものですよ。慣れてくるとね」
「やはり馴染み疲れですか」
「そうです」
「思っても見なかった展開に走りたいだけかもしれません」
「そうです。しかし、たまにはそうやって動いた方がいいのです。自分の内側に取り込んだ世界ばかりじゃなくね」
「はい、有り難うございました。参考にします」
「参考」
「はい」
「じゃ、あまり役に立たないアドバイスということですな」
「いえいえ」
 
   了



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2018年10月25日

3786話 軽海樹海


「軽海峰はこの先ですか。真っ直ぐでいいですか」
 山道の分かれ道。どちらが本道なのかは幅で分かるのだが、武田はそこで休憩している人に聞いてみた。これは挨拶のようなものだろう。
「そうです。真っ直ぐです。右はジャングルですから、入らない方がいいですよ」
「ジャングル」
「密林です」
「樹海のような」
「それほど広くはない斜面や沢ですがね、迷いますから行かない方がいい」
 武田は気付かなかったのだが、軽海峰の海とは樹海のことかもしれない。軽いというのはライト。ちょっとした樹海。おそらく軽海峰の麓一帯を指すのだろう。
「行くなと言われると行きたくなります」
「止めはしませんがね」
「はい」
 武田は樹海という言葉が気に入った。しかしそのような濃い繁みは見えない。それにこの辺りの山の木は植林が多い。里から離れているが、ほとんどが植えられたもの。だから樹海がこんなところにあるとは思えない。森が海のように拡がっていないと樹海ではない。
 杉や檜が、この辺りには多い。樹海となると、自然林。そのためいろいろな樹木が生い茂っているはず。それなら遠くからでも分かるはず。まだ紅葉の季節には早いが、いろいろな樹木が生えているのなら、いろいろな色目になり、それで分かるというもの。
 先ほどのハイカーは休憩を終えたのか、本道の軽海峰の方へ向かった。
 武田も少し休憩するため、先ほどの人が座っていた岩に尻を置いた。多くの人が座ったのか、角に丸みがある。
 そして枝道の先をじっと見ているのだが、途中から下り坂になるようだ。沢へと続くのだろう。ここからはその沢は見えない。だから樹海も見えない。
 飴をなめながら一服していると、下からハイカーが来た。武田と同じような年代。しかし年下かもしれない。
「軽海峰はこっちですね」
「そうです。真っ直ぐです。この枝道は駄目ですよ。ジャングルに出ます」
「ジャングル」
「樹海です」
「あ、そう」
「入ると迷って出てこられないらしいです」
「ほほう」
「止めはしませんがね」
「はい、有り難うございます」
「行くなと言われると行きたくなるでしょ」
「はいはい」
 武田は腰を上げ、本道の軽海峰へ向かって歩きだした。
 軽海峰の頂上に立つと、見晴らしがいい。麓を見てもそんな樹海などない。
 麓から軽海峰中腹まで樹海が拡がっているらしいが、そんなものはない。
 ないのにある。それを軽海樹海と呼ばれるようになったが、あそこの枝道から入っても、当然それらしきものはないはず。
 だが、樹海が拡がり、出てこれなくなったという人が何人かいる。
 都市伝説ではないが、山岳伝説は昔から普通にあるようだ。
 
   了


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2018年10月24日

3785話 決められない人


「最近どうですか、どの方向へ行くか、決まりましたか。そうでないと進めないでしょ」
「まあ、すぐに決めなくても」
「結構長いですよ。立ち止まってから」
「いや、いろいろと考えている」
「考えすぎじゃないですか」
「決定するとね。それになってしまう。それが惜しい」
「はあ」
「四分六だ」
「じゃ、決まっているじゃないですか」
「気持ちの半分はそっちへ傾いているのだがね、半分に満たないが、四分は同意していない」
「しかし、それで体勢は決したのと同じでしょ」
「競い合えばそうなる。しかし競う合うようなことじゃない。どちらも私の中にある。その四分の反対が怖いわけじゃない。四分でも三分でも一分でもいい」
「四分六なのですから、迷う必要はありませんよ」
「しかし六分の方を実行すると、私はそういう人に見られてしまう。それが嫌なのだよ。それに六分の方を進めば、四分の分は無視する。まるで敵のようにね。そうしないと矛盾するから」
「一体何を恐れているのですか」
「六分を選んだ場合、私は四分を敵に回してしまう。しかし、私の中にも四分の要素がある。ここが苦しい。否定しているわけじゃないからね。四分もあるんだから」
「そんなことを考えていたのですか。それで動けないと」
「いや、決定したくない。結論の出ない問題なのでね」
「いつ頃決定しますか」
「これは決着が付かない」
「え」
「私はこんなことに合っていないから、君に譲るよ。決定権を」
「じゃ、先輩はどうされるのですか」
「降りる」
「優柔不断だとは聞いていましたが、凄いですねえ」
「何でもかんでも決めてしまってはいけないんだ」
「しかし、決めないと動けませんから」
「そうだね。私にはできない。だから、君がやりなさい。おそらく私の選択と同じでしょ」
「はい」
「じゃ、先輩はこれからどうするのです」
「さて、どうするか」
「それも決められないのでしょ」
「ああ、そうだね。やめてから考えよう」
 しかし、この先輩、やめてからもすぐにリーダーとして担ぎ上げられた。
 何も決められないリーダーだが、リーダーが決めない方が都合がよかったりするためだろう。
 
   了


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2018年10月23日

3785話 

里帰り
 引っ越して間もない佐々木は、その町をあまり知らない。しかし毎日のように散歩に出ているので、長く住んでいる人よりも詳しいかもしれない。近所の人も外から来た人で、地元の人ではない。そしてあまり見かけないので、近所をうろつく用事などないのだろう。たまに歩いている人もいるが、これも決まったコース。健康目的の年寄りが多いが、これも外から来た人。古老ではない。
 昔からの人がいる一帯がある。そこは古い家がまだ残っていたり、道も昔風で狭い。そして樹木も多いので、散歩にはもってこい。新建材ではなく、本物の木目のある板塀や、塗り壁。剥がれているところから藁が見え、竹組みが見えたりする。
 ある日、いつもの辻を回ったとき、あるべきものがない。ないのだから目立たない。消えたので目に入らないので、目立つも何もない。しかし、毎日通っていると印象が違うことで分かる。何かが抜けている。そして妙な空間がある。
 そこは祠のある場所。小さな祠。大きい目の箱のようなもの。それがなくなっており、土台だけが残っている。妙な印象は、そのためだ。
 これはすぐに分かった。祠のあった場所は少しだけ盛り土され、周囲は樹木、神社の隅にある祠ではなく、神社はもう少し離れている。だから誰かの庭かもしれない。
 取り壊し。それなら祠だけがなくなっているのはおかしい。周囲の樹木も抜いてしまうだろう。
 だから見た感じ、祠だけ、上物だけが消えたようなもの。
 まあ、どうなってしまったのかは佐々木には関係がないので、ちらっとそれを見ただけで通り過ぎた。次は神社へ向かう。これが散歩コースだ。
 すると前方に幟が見え、それが動いている。人が持っているのだ。数人だが揃いの緑色の派手な法被。さらに近付くと、祠だ。最初はお神輿かと思ったのはごちゃごちゃと飾られているため。しかしよく見ると本体はあの祠だ。それを担いでいる。
 ずっと住んでいる人なら驚かないだろうが、佐々木はそれを見るのは初めて。去年の今頃もやっていたのかもしれないが、散歩に出ない日もある。
 ということは祠と思っていたのは、お神輿だったのか。つまり、あそこはお神輿の置き場所。いや、そんなことはない。それなら屋根のある倉庫か何かに入れているだろう。箱のままでも棺桶のように運べそうだが、担いだり押したり引っ張ったりするには神輿を乗せる構造物がいるだろう。
 さらに近付くと、やはりあの祠だ。この祠、屋根は銅板を張り合わせたものなので、動かしても瓦のように落ちることがない。
 その祠、中は鏡しか入っていなかった。高山神社と書かれていたのを覚えている。何の神様かは分からない。
 それよりも、土台から抜いて、担いでいるのだ。担げるように、長い車輪のない大八車のようなものをその場で取り付けたのかもしれない。そして飾りも。これで山車らしくなる。
 そしてそのややこしいお神輿は神社へ向かっている。
 後で村史を調べると、高山神社は村の神社へ年に一度里帰りするとか。その行事なのだ。
 最初は村の神社に祭られていたのだが、仲が悪いらしく、同居できないので別居したとか。しかし繋がりの深い神同士なので、年に一度は義理で顔を出すとか。
 だからお神輿に見えていたが、そうではなく、祠を運んでいたのだ。
 
   了



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2018年10月22日

3784話 何もない日々


 日頃退屈なほど何もないような暮らしぶりの竹中だが、ここ最近出掛ける用事が増えた。それが重なったりする。すると何もないような真っ白なスケジュール表に書き込めるようになるのだが、何もない日が三十日続いていたのが、一つ加わることで、十日前後の連続性になる。何もないことが連続しているのだが、真っ白な連続では出来事が起こらないわけなので、果たして連続した出来事だと言えないかもしれない。出来事がないため。
 買い物などで少し遠くへ出掛けるとか、ちょっと長い目の散歩のため、遠出するとかは竹中はそれほど問題ではないようで、それらはフリー時間。フリーな日々の中にある。
 だから竹中にとってややこしいのは人と会う用事。不特定多数の第三者からの視点ではなく、知っている人からの視線が面倒。店員も客を読むが、その視線はあまり気にならない。それ以上の関係ではないため。集金に来た人もそうだ。
 ここ最近竹中は人と会うことが増えた。怖い相手ではないし、ややこしい人は知っている人でも合わないようにしている。
 それでそんな機会が多くなり、スケジュール帳が本当にいるほどになった。これはどうした風の吹き回しか、巡り合わせかは分からない。ただの偶然だろう。そのため、何もない日々の連続性が短くなった。それでも一週間や十日ほどは何もない日々となっているが、ゆっくり過ごせるのはあと数日かと思うと、それらの日々が貴重になる。
 しかし、出掛けていろいろなことをやっているとき、それはそれなりに楽しい。ここがよく分からない。楽しいのなら、そういう機会が多い方が好ましいはず。ところがそうでもないようで、何もない日々の連続性の中での退屈さ加減がいいようだ。これはいいも悪いもなく、大したことは起こらないのだから。
 この何も起こらないというのがいいのだろう。
 そして出掛けた翌日はほっとする。いつものフリーな時間の過ごし方ができるため。これは自由時間だが、それほど自由なことはしていない。何をしてもかまわないのだが、いつもの過ごし方を繰り返すだけ。自由はあるが使わない。それもまた自由だ。
 何もない退屈な日々がもの凄く長く続くと、発酵してくるものがある。
 同じことの繰り返しの中に違いが生まれる。こういう何もしていない状態が長く続かないとこれは見えてこない。
 悟りの境地とは、静かになることかもしれない。それには何もしないことがその近道。
 しかしそれではやはり退屈だろう。
 
 
 
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2018年10月21日

3783話 二者択一


 二択。候補などが二つある場合だ。二社でもいいし、二者でもいい。二股の道の場合もそうだ。これは絶対に二つしかないのでどちらかを選ぶしかない。
 複数のものから選ぶときは二択ではない。五択も十択もあるだろう。しかし、数が多いと、選択も困難になる。
 二股のように選択肢が他にない場合は別として、他にもあるが、良さそうなのは一つ。しかし、これを選んでいいものかどうかと、少し考えることがある。それに近いものを探し、それを参考にする。意外とそれが思っていたものよりよかった場合、最初に決めていたものが覆ってしまう。
 選択肢は複数。しかし絞り込めば二つになる場合、あとは決勝戦だ。吟味に吟味を重ねるが、一方より優れている面、劣っている面があり、どれを優先するのかで決まるのだが、一方の欠点は片一方になかったり、一方の長所は、片一方の長所にはなっていなかったりと、一方を取れば片一方が惜しまれる。その逆もある。
 こういうとき、最初の印象が大事なのだが、その印象が崩れ出したりする。
 それで迷いに迷うわけで、どちらにも決定打が無い。一押しがない。だから決められない。
 そんなとき、見落としていた第三のものを見付けたとき、それは新鮮だ。実は三択だったのかもしれないと思い出す。そして先の二つは手垢が付くほど調べすぎている。その状態で、この二つとも飽きてしまったようなもの。
 第三勢力。第三の波。第三の選択。これはまだ慣れていないので新鮮。そして、先ほどの二択に疲れたので、すっとその第三の波にさらわれてしまう。これは確信犯で、さらわれた方が楽なため。
 選択が苦痛になると、そこから解放されたくなる。それだけのことかもしれない。
 この第三の波は第三者ではないが、距離感がいい。それで、先の二つのバトルのようなことはしないで、詮索しすぎ、弄りすぎて汚くなる前に選んでしまう。
 結局、その三つとも、実際には似たようなもので、どれを選んでも大差はなかったりする。もの凄く強い絶対的なものが三者ともないのだろう。
 社会で起こっているような構図は、個人の中でも起こっている。だからこそ、理解できる。中身は違うが、構造は同じだったりする。
 
   了


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2018年10月20日

3782話 OLランチ


 高田は重い重役室のドアを開いた。重役なので、ドアも重いわけではないが、確かに重い。これは確信犯だ。
「ああ、来てくれましたか」
「はい」
「まあ、掛けなさい。話す時間が取れなくてね。君とはコミュニケーション不足なので、少し話そうと思ってね。まあ、気楽に話そうじゃないか」
 しかし、もの凄く豪華な部屋だ。こんなところで仕事などできるのだろうかと、先ず高田は感じた。それよりも、こんな背景では気楽に話せるわけがない。構えてしまって当然だろう。
「今、頭の中にあることを言ってください」
「はあ」
「遠慮は無用。誰も聞いていません」
「はい」
「さあ、今、頭の中にあるものを」
「昼」
「昼?」
「昼ご飯、何を食べようかと」
「ほう、それはまた」
「昼が近付くと、頭の中はそればかりになります」
「そうか、実は私もそうなんだ」
「あ」
「弁当を持ってくればいいのだけどね。それなら考えなくても済む。しかし、ここじゃ弁当は合わない。君の課じゃどうだね」
「誰も弁当など持ってきていません」
「匂いがね」
「はい」
「それに社員食堂もあるでしょ」
「ありますが、同じようなものばかりで」
「私も何度か行ったが、あれじゃねえ。テンションが下がる。どうだね。これから焼き肉でも食べに行かないかね」
「じゃ、昼、食べるものが、決まっているじゃありませんか。焼き肉と」
「いや、君の顔を見て、焼き肉が食べたくなった。それよりも一人じゃ入りにくいからね」
「でも、ランチタイムに焼き肉定食をやってる店があります。一人客が多いですよ」
「既に焼いたものでしょ」
「そうです。当然混雑時ですから相席ですが、二人なら潜り込みやすいのです。でも並んでいます」
「並ぶのは嫌だねえ」
「高い店なら大丈夫です」
「ほう、大丈夫かね。君は行ったことがあるのですか。昼に」
「流石にそれはありませんが」
「うーん、行きつけの店はあるにはあるが、遠い。それに夜にしか行かないので、昼間っからじゃ、何だかねえ」
「じゃ、焼き肉はやめますか」
「そうだね」
「じゃ、また考えないといけませんねえ」
「君は何処まで考えていた」
「僕ですか、まだ真っ白ですが、昨日はビジネスランチでした。これは最初から捨てて掛かっています。何も期待しない。ただ何か食べないといけませんから」
「ビジネスランチねえ。私も昔はよく食べたよ。外回りが多かったからね。それよりもOLランチが食べたかった」
「女性向けですね」
「しかし、あまり女性は来ない店だよ。しかし、プリンが入っていた。それとメインの具が違う」
「ABCとかありましたか」
「ああ、ビジネスAランチ、Bランチね。トンカツがハムカツやミンチカツになる。取り巻きは同じだがね」
「取り巻き」
「ポテトとかキャベツとかだよ。しかし、OLランチにはそこに小さなトマトが加わるし、ヨーグルトも加わる」
「それ、食べに行きませんか」
「え」
「一人じゃ無理でしょ」
「二人でも変に思われるよ」
「いや、僕の知っているところは食券を買います。だからOLランチと声を出さなくてもいいので、その分アタックしやすいです」
「そうかね」
「それで変な顔をされた場合、ああ間違った、まあ、いい。これにしてくれと言えばいいのです」
「よし、決まった。その手でいこう」
 二人は重役室から出て行った。
 コミュニケーションが上手く取れたようだ。
 
   了

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2018年10月19日

3781話 辻説法


 観光の寺だが、その裏側はひっそりとしている。裏に回り込んでも境内の裏は山で、道路もなく、山道が続いているだけ。つまり一番奥まった山裾にあるので、山に囲まれているようなもの。
 ただ境内を囲んでいる土塀に沿って横から奥へと続いている路はある。結局行き止まりだが、小屋があったり祠があったりする。奥まってはいるが背から村に回り込むことができるので、抜け道といえば抜け道。しかし外には出られない。村に戻り、そして街に戻るにしてはふさわしくない。街から真っ直ぐ延びている参道の方が店屋も多く、観光に来た人向けの演出がなされている。だから参道は余所者が大いに通ってくれる方が有り難い。でないと商売も成り立たない。
 ただ変人が中にはおり、真正面から普通に参拝したりすることだけでは飽き足らず、境内の隅々まで見て回る。
 さらに進むと、境内の外側を見て回る。これは逍遙好きな変人にとっては美味しい場所。
 この寺は山門からか、あるいは山門横からしか出入り口はない。通用口は車が入れる。だから境内から外に出るには、山門周辺しかないようなもの、通用口はすぐ脇にあるので、一箇所しか出入り口がない。当然一般の人は入り込めない寺の奥から出入りできる勝手口のようなものがあるが、ほとんど使われていない。土塀の向こうは山のためだ。芝刈りに行くような時代ではないためだろう。
 さて、その土塀沿いの小径を行く変人がいる。皆と同じような行動をとるのが嫌いなのか、または自分だけが特別な体験をしたいのか、それは分からない。
 右に土塀、真っ直ぐ行くと土塀が途切れる中間あたりに左へ入る脇道があり、その辻に祠がある。犬小屋のような粗末なもので、その近くはゴミ捨て場ではないものの、廃材が積まれていたり、割れた瓦などが黒い石のように散らばっている。左側は雑木林だが、人の家の庭かもしれない。村の一番奥の民家だろうか、屋根が見えている。村の奥なのであまり人が来ないところのためか、少し荒れた風景。今まで寺院の行儀の良い風景を見ていた人にとり、生々しい現実に戻った感じだが、活気のない枯れた風景。
 さて、祠のある場所に人が立っている。村の人かもしれないが、着物姿で、頭は剃っているのではなく、最初から毛がないようだ。つまり老人。ただよく見ると耳のところに毛があり、しかも黒い。だから、これは僧侶ではないが、入道を連想する。
 その入道が思いのほか大きな目でそぞろ歩きの観光客を見る。眼でものを言う。もう眼で語り始めている。
 観光客は無視したいが、そうはいかない。眼に捕まってしまった。
「彷徨ううちに人生は終わる」
 来たなと、変人の観光客は本能を使う前に、充分な情報を一目見たとき得ているので、怪しい人物だとすぐに分かった。
「波風も、そのうち鎮まる平野かな」
 ベタベタな歌。これで相手の器量が分かる。
「教えてあげようか、人生の極意を。そこな寺の仏では役立たず。だから抜け出し、この辺りを彷徨っていたのであろう」
 一人辻説法。
 一対一では語りがいがないはず。より多くの人に聞かせないと、人の多い辻に立つ意味がない。しかし、そこは都大路の辻ではなく、誰も来ないような狭い道。
「人生はすぐに暮れゆく。その前に何らかのものを掴みたいとは思わぬか」
 入道は変人に近付き、手をすっと出し、眼で催促する。つまり握手の催促。そうではなく、手相でも見るのかと思いながら、変人はつられて右手を出した。
 入道の手は分厚く温かいが、何か性的なものを感じたので、変人はすぐに手を引っ込めた。
「悪しきに走らず。善にも走らず。己がままを歩く」
 入道の手が変人の後ろ側に回った。
 変人は、分かった分かったというように何度も頷きながら、後ろ向きに小走しった。凄い特技だ。先祖は海老かもしれない。
 入道の眼に捕まっていた体も、少し離れると効かないようで、そのまま後ろ足で遠ざかった。
 辻説法ではなく、説法泥棒という珍しいものを見せてもらった。
 入道の手が後ろに回ったのは、後ろポケットに財布があるため。
 ただ、この変人、後ろポケットのボタンを留めていたので難なきを得た。
 真正面から参拝しただけでは体験できないアトラクションだった。
 
   了


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2018年10月18日

3780話 幽霊の手先


「山田君、急ぎの仕事が入ったので、すぐにやってもらえますか」
「じゃ、メンバーを集めます」
「簡単でいいから三人ほどでいいでしょ」
「十人いないと」
「三人でお願いします。それと素早く」
「はあ」
「急ぎの仕事なので、大至急お願いします」
「しかし、その人数では」
「できれば今日中にお願いします」
「三日ほどかかるのですがね」
「今日中にお願いします」
「そうなると、かなり簡潔なものになりますが」
「簡単でいいのです」
「では、ミーティングから」
「それで一日かかってしまうでしょ」
「そうですね。省略します」
 山田はスタッフ三人と一緒に、大急ぎでやったため、かなりアラっぽいが、その日のうちに完成した。
「できたじゃないですか、山田君」
「スタッフが頑張ってくれたからです」
「君も良く頑張った、偉いよ」
「はい、有り難うございます」
「今のところクレームは来ない。あれでよかったんだよ」
「はい」
「今後は十人じゃなく、三人でやって下さい」
「それはきついです」
「今回は時間がなかったので、一日しかなかったので、それではきつすぎたでしょ。二日でやって下さい」
「しかしスタッフは三分の一の上。三日かかるところを二日では」
「山田チームは丁寧な仕事をするので、これは良いことですが、丁寧すぎるのです」
「はあ」
「それが私のチームの売りでして。最高のものができます」
「ところが先方はそんな最高のものなど求めていないのですよ」
「はい」
「それと、もっとアラっぽくやってもいいのですよ。粗雑でも結構です」
「しかし」
「どうせ先方も仕事ぶりなど見ていないのです」
「はい」
「クレームが付くのは遅くなったときだけ。今回はそれをクリアしたので、問題は何もありません」
「しかし、いつまで続くのですかね。この空仕事」
「さあ、先方は我が社に発注し、仕事をしている振りをしているだけです。だから本当は楽な仕事なのです」
「どうしてそんなことを」
「さあ、よく分かりませんが、幽霊組織ではないと言うことだけを言いたいためでしょ」
「じゃ、僕たちは幽霊の手先ですか」
「実体のない仕事ですが、仕事は仕事、頑張ってやりましょう。それと、スタッフを減らせることが分かったので、君の給料、上がりますよ」
「はい」
 
   了


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2018年10月17日

3779話 羊羹先生


 羊羹先生。名前を聞いただけでも甘い甘い、甘露甘露の先生だが。本当の名は陽勘。甘さとは全く関係はないが、全てに甘い人なので、いつの間にか羊羹さん、または羊羹先生と呼ばれるようになった。
 考えの甘さ、詰めの甘さ。いろいろと甘い先生だが、人に対しても甘い。こういう優しそうな人ほど自分に対しては辛いのかもしれないが、そうでもなさそうで、自分に対しても甘い。
 そんな甘いことではいけないのではないかと思えるが、弟子達は歓迎している。他の先生を選ばず、羊羹先生を選んだのは甘いからだ。つまり厳しさがないので、楽。それだけのこと。
 あるとき弟子が洒落のつもりで羊羹を手土産に羊羹先生宅を訪れた。結構長く、巻き寿司ほどある。
 羊羹は紙箱に入っており、軽く薄紙で包まれている。本来なら切って爪楊枝か何かで食べるのだが、羊羹先生は薄紙を半分ほどむしり、がぶっといった。
「先生、体に毒ですよ」
「君は毒を土産に盛ってきたのかね」
「違いますが、そんなに一気に食べては」
「好物なのでな」
「お茶がいるでしょ」
「いらない。あとで水を飲む。」
「はい」
「どうだ、君も半分食べるか」
「はい、江戸屋の羊羹なので、おいしいかと思います。いいものです」
「この緑色は抹茶だね」
「はい。見た感じ、ういろうに見えますが硬いです。詰まってます」
 羊羹先生はムルッと薄紙が残っているところから半分に割り、弟子に手渡した。
「頂きます」
「うん、それほど甘くはない。いい羊羹じゃ」
 弟子は針入れから糸を取り出し、それで食べる分だけ切った。
「そんな針道具を常に持ち歩いておるのかね」
「はい、いざというとき、役立ちます。よくほつれるのです」
「駄目じゃ」
「どうかしましたか。もう全部召し上がったのですか」
「眠くなった」
「はい」
「こういう甘い物を食べると眠くなる。横になっていいか」
「はい」
 羊羹先生はそのまま横たわってしまった。
 弟子は、仕方なく帰ることにした。
 洒落のつもりで持ってきた羊羹。羊羹先生は何のためらいもなく、その場で食べてしまった。
 弟子はここから何かを読み取ろうとしたが、何も出てこなかった。
 
   了


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2018年10月16日

3778話 名家の家宝


 瀬尾家は名家だがそれを隠している。そんなことが問われる時代ではないので、敢えて言う必要もないが、あまり言いたくもはない。今も繁栄している名家ならいいのだが、かなり落ちた。元の木阿弥に戻ったわけではないが、それよりは上等だ。
 瀬尾家は小さな豪族で、数十の兵が動員できる程度。何処にでもいるような小勢力以下のその他だろう。
 ところがその国に現れた有力者が、瞬く間に一国を統一した。瀬尾家はその武将に味方した。僅かな兵だが付き従った。そのうちもっと大きな勢力になり、いつの間にか小さな砦を任されるようになる。小さな市町村規模だろうか。数十の兵しかいなかったころは城も砦も必要ではなかったほど。村同士の争い程度の戦だった。そんな小競り合いをするのは野良仕事よりも儲かるからだ。
 やがてその勢力は全国を統一するほどの勢いになり、瀬尾家は旗揚げ当時からの家来として、さらに領地をもらった。ただし、自分が切り取った領土ではないだけに、いつ飛ばされるかは分からないが、大きな領土を任された。といっても同じ旗揚げに参加していた同僚はもっと出世をしており、それに比べると瀬尾家は小粒。
 ところが、この大殿が急逝した。あとを継いだのは新参者の家臣だが、実力があった。ここでの跡目争いでも、瀬野家は勝ち組に乗った。そのため、また出世したのだが、一国を任されるほどの規模ではない。一万石程度。しかし、一万石を越えると大名だ。
 やがて、その大殿は老衰で亡くなり、系統の違う余所者が牛耳るようになった。瀬野家は迷ったのだが、その余所者に力があり、人徳もあることを知り、それに従った。
 旧勢力と新勢力の戦いで、新勢力が勝ち、瀬野家はそのとき少しだけ手柄を立てた。
 そして都からは離れているが、一国を任せられた。県知事レベルだ。もの凄い出世だ。
 これをこの当主一代で果たしているが、当然、長く戦場にいたためか、怪我の悪化や、膝を痛めたのか、もう歩くのも苦しいとき、大殿に暇乞いの挨拶に行った。息子に譲ると。そして今後もよろしくと。
 ただ、その今後とは、既に天下は統一されており、戦はない。そのため大殿を助けるような仕事はもうなく、手柄も発生しない時代になっていた。
 大殿は、よく仕えてくれたことを労い。与えた国はそのまま瀬尾家に任せると約束してくれた。これが当主最後の戦いだった。
 しかし瀬尾家と同じ外様大名は次々に取り潰された。既にあの人徳のあった大殿も亡くなり、その孫の代になっている。ここで瀬尾家は改易どころか取り潰されたのである。
 瀬尾家も孫の代になっており、一族郎党は古巣に戻った。
 瀬尾家の出身地瀬尾地方。数十人しか兵が動員できない勢力だったのは昔と変わらない。瀬尾本家とでも言うべき大きな屋敷があり、これはまだ残っているし、村のほとんどは瀬尾家の土地。ただ領主はいる。大大名だ。
 もう武士を捨てた孫は、ここで百姓として暮らした。
 この周辺の豪族達から大大名になった仲間もいる。同僚もいる。瀬尾家の家来は、そういうところが引き受けてくれた。
 瀬尾家と同じように、この地方へ戻ってきた大名もいる。この地方から多くの武将が出た。
 考えてみれば、偶然とはいえ、ここから天下を取るだけの人物が現れただけで、瀬尾家や他の豪族もそれに乗りかかっただけのこと。
 瀬尾家が今も裕福なのは、この地から見ると遙か彼方の山陰で広い領土を持っていた時期があったため。
 その地方の神社仏閣をよく保護し、援助もした。そして逆にいいものを譲ってもらったりしたのだろう。今もその宝物のようなものが蔵の中で眠っている。
 
   了

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2018年10月15日

3777話 夢の中の出来事


「見た夢は忘れたのですが、そのときは覚えていました」
「夢の内容は?」
「忘れました」
「ほう、じゃ、何も語れないではありませんか」
「しかし、どんな感じの夢だったのかは覚えています。古い友達と言いますか、仲間でしょうなあ。もう何十年も前の話になります。何かトラブルでもあったのでしょうねえ。私が起こしたものではなく、その友達の一人でしょうか。私達はその友人を追いかけています。追求しているのでしょうか。そこはよく分かりません」
「覚えているじゃありませんか」
「おそらくそれに近い夢だったように思います」
「それが何か」
「はい。夢の世界は不思議ですねえ。時代が分からない。いや分かっていますが、いきなりある時代にワープしています。そのとき、私もその年代以外の何者でもありません。懐かしがるとか、回想ではなく、その時代を今まさに生きているのです。そこから先の人生を私は生きてきましたが、それは夢の中では一切知りません。まだあの頃にいるのです」
「それが不思議と」
「そうです。誰が出て来るのか、どの時期なのか、それらはいきなり来ます。夢なので、選ぶわけにはいかないでしょ」
「そうですねえ」
「そういうのを今、まるで本当に体験したように、目の前で起こるわけです。それが起こっていることさえ分からない。当事者ですからね。引いて見ているわけじゃない。私はその夢の中の、その最中でまさにこのときを生きているのです」
「でも、目が覚めれば、すぐに戻るでしょ」
「夢ですからね。夢を見ていることさえ分からない。これが夢であると分かっている夢もありますが、昨夜見た夢はそうじゃない」
「その夢の中でのあなたの過去はどうなっていました」
「過去?」
「そうです。仲間の誰かがトラブルを起こし、それを追求している夢でしょ。それまでの経緯は分かっているのですね」
「知っていたと思います。状況も把握していたはず。知らない人じゃない。仲間だというのは分かります。しかしどうやって仲間になったのかは、思い出す必要はありません。知っているからです。だから、それより過去のことは知っているのでしょうねえ」
「その夢の中の人、特定できますか」
「起きたときは特定できました。しかし、もう一度寝たのがいけなかったのか、忘れてしまいました。ですが印象は残っていたので、何となく想像は付きます。しかし特定できない。夢ですからね、トラブルを起こしそうな奴ではない人間がトラブルを起こしている可能性もあります。私の知っている人なのに、夢の中ではキャラが違っていたりしますから」
「しかし、夢占いに来られるのなら、見た夢は覚えておいて下さいよ」
「はい、しかし、何でしょう。これは」
「また寝た、と言われましたね」
「はい。また寝てしまったので、忘れたのです」
「じゃ、早く起きすぎたと」
「そうです」
「何故起きられたのですか」
「さあ、いつもなら、トイレで起きることがありますが、それじゃありません」
「じゃ、何でしょう」
「体調が悪かったのでしょうか、寝てられないのです」
「どういう具合に」
「暑いのです。雨が降り出したので、蒸し暑かったのかもしれませんが、体が熱くて、それで起きたのかもしれません。額に手を当てても、熱があるようには思えません。頭ではなく、身体が熱いような。ですから、単に寝苦しい暑さだったということにしたのですが、その時間帯の気温を調べますと、それほど高くはありません」
「それが原因でしょう」
「その夢のですか」
「おそらく」
「それで目覚めたあと、どうされました」
「もう一度寝ようとしたのですが、暑苦しくて、ウトウトできません。それで掛け布団をずらしたり、足を出したりしました。これで体が冷えるはず。その前に喉が渇いていました。枕元にそんなときのためにコップに入れた水があります。一口でいいのです。それを飲んで、少し潤し、そのままじっとしていると、そのうち寝てしまったようです」
「体がメンテナンスでもしていたのでしょ」
「はあ。ではあの夢は」
「内容を覚えておられないのですから、解釈のやりようがありません」
「そうですねえ。印象は残っているのですが、先ほど話した内容とはかなり違うと思います」
「そういうことです」
「しかし、いきなり、自分がそんなところに立っているというのは妙です。夢の内容よりも、そちらの方が気になりました」
「そこはですねえ」
「はい、どうなっているのでしょう」
「それ以上追い込まない方がよろしいかと」
「はあ」
 
   了


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2018年10月14日

3776話 水回り


「雨ですなあ」
「水を差されました」
「おや、何処かお出掛けで」
「野暮用でね」
「じゃ、聞くのは野暮ってことですな」
「そういうことです」
「いいところですか」
「聞いているじゃないですか」
「そうでした」
「じゃ、言いましょうか」
「はい、いったい何処へ」
「ホームセンターです」
「ああ、ただの買い物でしたか」
「だから野暮用です」
「なるほど」
「何を買いに行くかを聞きたいですか」
「はい、ついでなので、どのあたりに着地するのかを見たいので」
「着地ですか」
「まあ、ホームセンターは広いですからね。何を買うのかは見当が付かないでしょうねえ」
「つきません」
「じゃ、言います。センです」
「セン」
「栓」
「ああ、栓ねえ。で、何の」
「ちょっとした洗い物をすることがあるのですよ」
「はあ」
「洗濯機を使うほどでもないし、汚れがひどいときは浸け置きしたい」
「洗濯などしたことがないので、よく分かりませんが」
「それで、手洗いがあるでしょ」
「お手洗いですな」
「そうです。洗面所のあれですよ。水を溜めて顔を洗うとかね」
「ありますねえ。うちにもありますし、昔行っていた事務所のトイレにもありました。ありふれたものです」
「まあ、水を溜めて顔を洗う人は少ないでしょ。流しっぱなしにして、手で受けて洗いますよね。それに手だけを洗うのなら、そんなに水を溜めなくてもいい。まあ昔は洗面器がありましたがね。水道がなかった時代でしょ。今でも風呂場で使いますが」
「分かりました。結局は洗面所の栓が悪くなったと」
「はい、漏れるのです。隙間ができたのでしょうねえ。ゴムか何かでしょうが、じんわりと漏れます。痩せたのでしょう」
「すぐに流せば分からないでしょ」
「だから、浸け置きです。洗濯物の」
「ああ、溜めて使うと」
「一晩とか一日寝かせるのですが、水が涸れてる」
「じゃ、じんわりと抜けていくのですね」
「その方が水を替えなくてもいいので、これでもいいのかなとも思いました。たまに漏れないときもあるのですよ。置き方でしょうなあ。うんと力を入れて埋め込むように置いても漏れる。逆に軽く乗せる程度でも漏れない。水が溜まりますと、それなりの水圧が掛かり、いい案配で栓ができるのかもしれません。まあ、浸け置きをしたいので、やはり新しいのに買い換えることに決めたのです」
「それで行こうとしたら雨」
「だから水を差されました」
「百均なら近くにありますよ。ホームセンターはここからは遠い」
「百均でも見ましたが、ありません。網になっていて、これじゃじゃじゃ漏れ。ゴミ取り用とか、ヌルヌル防止用とか、そんなものばかりで、栓はありません。詰めるための栓」
「じゃ、今日は行けないと」
「この雨じゃ、遠いので、傘を差していても濡れるでしょ。それに急ぎの用じゃない」
「この近くに古い金物屋がありますよ。日用雑貨屋ですが、そこにありそうな」
「行きました。サイズ別が色々あって、面倒なので、それは置いていないと。それに始終出る品じゃないでしょ」
「この近くに水道屋がありますが」
「あれは工事用で、個人相手じゃない」
「水問題解消というようなカードがよくポストに入っているでしょ」
「来てもらうだけで一万円だったりしますよ」
「じゃ、やはりホームセンター」
「そうです。しかし雨で行く気が失せました」
「水に関わる問題だけに」
「何ですか」
「いや、何か洒落たことを絡ませて言いたかったのですが、思い付きませんでした」
「あ、そう」
 
   了



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2018年10月13日

3775話 援軍


 戦国時代、領地を取り合っていた頃、そんな無茶ができるのは、中央に押さえの政権がなかったためだろう。
 黒川城主は気に入らないことがある。非常に戦闘的な人で、周辺の村々を取っていた。隣接勢力の領土だが、いつの間にか隣国の半分ほどを奪っていた。
 そこまでは順調。しかし、最近気に入らないことがある。それは隣国は弱いのだが、同盟国があり、それが駆けつけてくる。これが気に入らない。
 その同盟軍は大きな勢力ではなく、また遠いところから来る。複数の国を通過して、援軍に来ているのだ。
 まずはその同盟国を潰せばいいのだが、遠いし、敵対関係にある国を通らないといけない。だから遠征は無理。
「芦田家と同盟すれば如何でしょう」
 家臣が案を出す。
「どういうことじゃ」
「それで援軍に来なくなりましょう。同盟国同士が戦えば、同盟を破ることになりましょう」
「それはいい案。早速同盟しよう。隣国は既に領土の半分を失っておる。動員兵も少ない。これは簡単に落とせるのじゃ。芦田さえ来なければな」
「では、そのように計らいましょう」
 しかし、いっこうに同盟が成立しない。そのためにはプレゼントのような物が必要なことが分かった。馬でもいいし、砂金でもいい。茶道具や、立派な鎧でもいい。相手が喜ぶようなものを渡せば、何とかなるらしい。
「問題は芦田と同盟した場合、芦田家にどのようなよきことがあるかでしょうなあ」
 家臣は少しだけそのことを心配する。同盟の目的がモロのためだ。援軍に来るなというだけ。ここを見透かされていることが心配なのだ。
「芦田と同盟すれば、要請があればこちらも援軍を送る。芦田にとってもいいことではないか」
 しかし芦田領に行くためには、複数の国を通らないと行けない。だから実際には無理。
 そのことが分かっているのか、芦田は同盟を渋った。
 そして贈り物の効果も今一つで、芦田家に対し敵意はないという程度のもの。
 落ちかけの柿。隣国は既に落ちかかっている。簡単に落とせる。
 黒川領主は芦田からの援軍を心配しながらも、隣国へ攻め寄った。
 そのとき、急に芦田から使者が来て、貢ぎ物などを持ってきて、同盟してもいいと言いだした。当然これはもっけの幸い。いいタイミング。それで同盟は成立した。
 そして隣国に迫ったとき、芦田の旗印を見た。裏切られたのだと思ったのだが、そうではなく、芦田が先に城を落とし、領土にしてしまったのだ。
 同盟が成立したばかりなのに、すぐに破るのは体裁が悪い。聞こえも悪い。
 ということは、芦田は落ちかけの隣国に援軍に来た振りをして奪ったのだ。同盟を破ったのは芦田。
 黒川領主は芦田のずる賢さに呆れたが、こういう相手とは仲良くするのが得策と考え、その同盟は長く続けることにした。
 芦田家はその後、勢力を広げ、その度に黒川家も領地を増やした。
 
   了

 
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2018年10月12日

3774話 ある行楽


「晴れていますなあ」
「行楽日和ですよ」
「この前もそんなこと、言ってませんでした」
「言ってました」
 しかし、二人とも結局出かけなかった。
「今日は気分もいいし、体力もみなぎってます。今日なら行けそうですよ。あなた変わりはないですか」
「はい、私も不都合はありません。元気です。達者です」
「じゃ、一緒に出掛けませんか。一人じゃ無理でも二人なら出られる。行楽日和、気持ちは出たがっている。これは事実でしょ。気はある。しかしタイミングがない。きっかけ。それを二人で作りましょう」
「いいですねえ。誘われると出やすい」
「そうでしょ。私も誘った限り、出る義務が生じます。これで行けますよ」
「で、何処へ行きます」
「私は何処でもかまわない。いい天気なので、外に出るだけでもいい」
「じゃ、芝垣公園などは」
「近いですよ。よく行ってます。あれじゃ行楽とは言えない。それに近所の人も行かないような公園でしょ」
「バラ園があります」
「もう見飽きましたよ。薔薇ばかり、他の花も植えりゃいいのにねえ。薔薇ばかりじゃ飽きますよ」
「じゃ、何処がいいですか」
「大沢古墳公園などは如何です」
「マニアックなところに来ましたか」
「まだ来ていません」
「何かありますか」
「古墳があります」
「ただの土まんじゅうでしょ」
「まあ、そうですが、その周辺は公園化されていましてね。さらにその近くに弥生遺跡がありまして、レプリカもあります。竪穴住居の。その中に入れますよ」
「屋台は」
「屋台?」
「露店です」
「それは出ていませんが」
「縁日のような賑わいのある場所がいいです。遊びに来たという感じがしますから」
「じゃ、有名どころの観光地ですな。それなら城峰寺はどうですか。あそこは参道が賑やかだ。人も多い」
「坂がきついです。それに階段もきつい」
「困りましたなあ。何処でもいいんじゃないのですか」
「そうです。何処でもいいから出掛けたい」
「その盛り上がりが消えないうちに、電車に乗りましょう。とりあえず駅に出ることです」
「行き先は」
「駅で決めましょう。切符を買うときに」
「そうですな。とりあえず旅立つのが大事」
「そうそう、行きましょう、行きましょう。いい天気なのにこんな薄暗い喫茶店でくすぶっている場合じゃない」
「昼はどうします」
「沿道に食べ物屋が万とありますよ」
「そうでしたね。私、キツネうどんが食べたいのです」
「そんなものいくらでもありますよ。うどん屋や蕎麦屋は結構多い。普通の食堂でもキツネうどん程度なら置いてますよ」
「そうですねえ」
「しかし、もっと高いのを食べましょうや。せめておでん定食」
「そうですねえ。折角ハレの場に出るのだから、オカメそばがいいかも」
「何ですか、そのオカメとは」
「蒲鉾を大きく斜め切りしたのが入っているのです。そういうのを並べて顔になる」
「福笑いのようなものですか」
「そうです」
「それは目出度そうだ。私もそれを食べるかな」
「しかし、置いている店が」
「なければキツネうどんでも鍋焼きうどんでもいいでしょ。今ここで、決めなくても。とりあえず出ましょう。駅へ向かいましょう」
「はいはい」
 二人は無事、駅から行楽地へ向かったのかどうかは分からない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:37| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする