2018年12月31日

3853話 呪詛


 妖怪博士は神秘的なものが好きで、これは不思議なものに興味があるという意味だが、実際にはあまり役に立たないことをやっている。それが高じて妖怪研究家となったのだが、神秘一般には興味がある。妖怪も不思議なこと、神秘的なことの一環だ。
 こういう怪しいことをやっていると、妙な依頼や相談を持ち込まれる。いずれも現実からかけ離れたことで、あり得ないような話。
「呪いですかな」
「呪術を使っていただきたい」
「私は術者じゃないので、それはできません」
「軽いので、結構です」
「誰かに呪いを掛けたいのですかな」
「そうです。怨みに思っています」
「どの程度」
「大きなダメージを与えたい」
「怨みたい人は結構いるものです」
「そうでしょ」
「復讐がしたいとか」
「そうです」
「しかし、殺すほどでもないでしょ」
「そこまでは」
「そんな深い恨みを抱くのは希なことです。余程のことがなければ、成立しません。ちょっと仕返しがしたいとか、その程度でしょ」
「しかし、呪術で昔の人は相手を呪い殺す勢いで」
「昔でしょ」
「はあ」
「それほどの復讐心は今の時代では無理だと思いますがね。そのため呪術など使わない」
「はあ」
「相手を怨むよりも、自己責任とやらで、自分を怨んだりしますよ」
「それはしません。相手を怨みます。軽く呪っていただけませんか」
「その程度なら、藁人形と五寸釘でも買ってきて丑の刻参りでもすればよろしい。安上がりです」
「藁人形など、何処で売ってますか」
「藁で作れます」
「藁は何処で売ってます」
「昔なら落ちていたのですがな。まあ、東急ハンズで売っているでしょ」
「園芸用とかでもいいのですね」
「人形でもいいのです。相手の顔の似顔絵でも。そして針でも五寸釘でもナイフでも、アイスピックでもハサミでも何でもよろしい」
「それはただの気晴らしでしょ」
「よくお分かりで」
「そうではなく、本格的に呪って欲しいのです」
「呪術を使うには霊力が必要です。私にはありませんから、道具があっても無理ですなあ。あなた、ありますか」
「そういうのは調べたことがありません」
「霊感が鋭いとか」
「いや、そんな機会も」
「幽霊が見えるとか」
「見えません」
「じゃ、駄目でしょ」
「霊感は必須条件でしょうか」
「そういわれています。まあ、念で殺すわけですからね」
「念」
「それより、怨みに思う人がいたとしても、別に呪術じゃなくても懲らしめることができるでしょ。そのため、そんな呪いで人をどうのというような人はいないと思いますよ。それに念で人は殺せません」
「それは昔からですか」
「いろいろな説がありますが、武器のように直接殺めることはできないのです。間接的に相手の持病とか、疾病を悪化させたり、食欲をなくさせたりと、一撃でダイレクトには倒せないとされています」
「倒せば殺人でしょ」
「呪い殺しても殺人にはなりません」
「え、何故ですか」
「呪いは科学的に実証されていませんからなあ、証明できない。死因が呪いだったという事例もないでしょ。昔はありますけどね。呪うと罪を受けました。今も刑を受けるかもしれませんが、軽犯罪程度でしょ。相手に迷惑を掛けたとか、その程度の。今は呪詛は禁じられていませんが、そんなもので人をどうこうできるとは現代人は思っていないはず」
「しかし、何らかのダメージを与えたいのです。そして誰が犯人か分からない呪詛がいいのではと」
「もの凄く世間から怨まれている人がいるとします。でもどうもないでしょ。多くの人から怨まれても、そんなことで死にはしません」
「僕はそんな一般論を聞きに来たのではありません」
「いや、この話は一般的な話じゃないですぞ」
「そうではなく、秘術があるはず」
「さあ」
「あなたは専門家だ。知っているはずです」
「いやいや、そんなものは知りません」
「嘘だ」
「しかし、相手を怨み殺したいという気がそもそもないのでは」
「はあ」
「殺したいですか」
「そこまでは」
「じゃ、駄目です。まずは自分の念が強くなければ。その相手にもいろいろと事情があるのでしょ。それに悪いのはその相手だけですか」
「はあ」
「逆恨みというのもあるでしょ」
「だから、そういった話ではなく、軽く相手にダメージを与えて欲しいのです」
「誰が」
「ですから、先生がです」
「困りましたなあ」
「秘技があるはず。それを隠しておられる」
「なくはありませんがな。これはインチキですよ。ペンテンですよ」
「何でもかまいません。少しだけ痛い目に遭わせたいのです」
「呪符を使いますか」
「それそれ、そういうアイテムがあることが分かっているのです」
 妖怪博士は知り合いの御札売りの老婆からいろいろな御札を仕入れているのだが、そのほとんどは護符。これは魔除け、防御用。攻撃用の呪符は見本で一枚持っているだけ。
 攻撃用呪符は朱色で書かれており、呪文というより絵文字に近い。
「これを相手の家でも部屋でも何処でもよろしい。できれば寝室近くに貼りなさい。しかし無理でしょ」
「部長室の分からないところでもいいですね」
「細かいことはお任せします」
「それでいけますねえ」
「相手の肌着が必要です」
「はあ」
「取って来れますか」
「それをどうするのです」
「それが蠱となります。燃やしたときに煙として飛び立ちます」
「手間が掛かりますねえ」
「最低限、それだけの準備は必要ですぞ」
「肌着は部長のパンツでもいいのですね」
「それが一番でしょ。シャツでもいいですが、燃やしたときの煙が問題なので、いい煙が出る生地がよろしいかと。効果は薄いですが、身に付けているものなら、何でもよろしい。マスクでも、マフラーでも、手袋でも、ハンカチでも」
「分かりました。用意します」
 しかし、この依頼者、その後やって来なかった。事情が変わったのか、または呪符を貼れないのか、パンツが手に入らないのか、それは分からない。
 それほど深い恨みではなかったのかもしれない。
 呪い殺す術はあるが、実際には呪いで人は殺せないとする術者がいる。その流派では呪ったものも死ぬため。当然呪い返しの方が強いため、そのリスクを冒してまで呪詛する術者はいなかったとか。術はあるが誰も使わないのだから、ないのと変わらない。
 大陸伝来の呪詛ではなく、この国では、呪う気などないのに、勝手に呪う生き霊の方が怖いとされている。儀式はいらない。本人も呪う気も祟る気もないのに、呪っているのだ。
 
   了


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2018年12月30日

3852話 未来を先取る


 やはり以前の方がよかったというようなことがある。よりよいはずのものに変えたのに、進歩ではなく後退している。当然時代的に新しいものに変えたのに、その結果を見て、前の方がよかったとなると、これは何とも言えなくなる。言いたいことはあるのだが、それは後悔。
 新しいものに変えるのは元気なとき、またはより積極的に進めたいとき。武器でいえば最新兵器。
 富田はそれでシステムを変えたのだが、以前に戻すことにした。しかし投資したことが無駄になる。先に向かって今現代企てること。投企だ。企画を投げかけ続けることが今だ。
 しかし、今考えている未来と、未来になってからの状態は違っていたりする。そして未来は日々変わる今からの視点。
 富田はその新しいシステム、何処が気に入らないのかと検討した。以前の方がよかったと思ってしまうと、折角の投企が無駄になる。考え方だけを変えるのなら無料だが、投資したので、減る。これは未来に関わる。資金が減る。
 しかし、その新システム、何故そんなものができたのかと、考えてみた。今までよりも軽快になっている。早い。そして手間が掛からない。だから時間の節約になる。早く済むので余裕が出るし、気持ちもいい。だから、これに変えたのだが、早い分だけ荒っぽい。ミスが多い。
 これを許すかどうかで決まる。許すと投資は損にはならない。必要経費。
 許せないとなると大損。
 さて、どちらを取るかと、富田は思案した。
 その新システムがより今風で時代の先を行っていることは確か。いろいろな箇所が簡略化されており、スマート。
 これは感覚的なもので、イメージ的なものかもしれない。先々の雰囲気とマッチしている。すると、この新システム、感覚だけは新しい。
 旧システムに戻そうと思ったのは個々の精度だろう。これが荒っぽい。だから早い。
 富岡はその利点を受け入れるかどうかで迷った。質は落ちるが早くて気持ちがいいし、ある程度の及第点の質は出せる。満足とまではいかないが、何とかごまかしがきく。最低限の合格点。
 安易に、簡易に、そして早く。それを優先させたのがこの新システム。時代に合っているのかもしれない。
 そう考えると、質が落ちるのは目を潰れる。質に拘るから時間がかかる。合格点ギリギリでもいいのではないか。だから古いものに戻さないで、この新しいものを使った方が流れてとしてはいい。
 今風なものを使えば今風な頭になっていくわけではないが、そういう頭に切り替えた方が流れがいい。
 それよりも折角大金を叩いて導入した新システムを無駄にしたくない。これが結局一番大きかったのだろう。
 富田は不満な点は諦めて、使うことに決めた。
 ものに教えられたようなものだが、その同じものが富岡の頭の中にもあったのだろう。全くなければ受け入れられない。またあったからこそこのシステムを買ったことになる。
 そして新システムに切り替えてから数ヶ月経つと、それがいつに間にか標準になってしまい、既に未来を先取りどころか、未来だったものが後退していった。
 
   了
  


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2018年12月29日

3851話 徳俵村


「今年も終わりますなあ」
「際に何か欲しいですなあ」
「というと、今年は大したことは何もなかったと」
「あったような気もしますが、忘れました」
「忘年会シーズンなので、忘れてもいい頃ですなあ」
「色々あったはずなのですが、やはり際の際で、何かもう一つ欲しいところです。そうでないと、このまま暮れてしまいます」
「それでいいんじゃないですか。平穏で」
「いや、何が凄いことがあって、来年を迎えたい。この時期だけの欲求ですがね。何かが欲しい。このままじゃ頼りない」
「何が欲しいのですか」
「何でもかまいません。何か積極的に前に出て、してやったりとなるようなものが欲しいのです」
「いやいや、このまま平穏に終わる方がいいですよ。下手なことをすれば、無事に越せないかもしれませんしね」
「その恐れもあります。何かをこんな際にやり、とんでもないことが起こり、年内ではけりが付かなく、悪いことを来年元旦からやらないといけなくなる恐れもありますから」
「よく分かっておられる。無理に刺激を求めて事を起こす必要はないですよ。必要性があるのなら別ですが、ないのでしょ」
「はい、でも、このままの年越しでは物足りない」
「年の瀬らしい何かがいるわけですね」
「そうです」
「それは楽しいことですか」
「当然です。大喜びできるような」
「そんなことは簡単には出てこないでしょ。今年一年、積み重ねのようなものが開花するとかなら別ですが」
「開花しませんでした」
「じゃ、押し迫った時期ですが、旅行にでも出られたらどうです。大晦日から元旦にかけてが旅先ならちょっとは違うでしょ」
「それは大層です」
「大層と感じるのですから、あまり楽しいことじゃないのですなあ」
「ただの一人旅なんて、ちょっとねえ」
「徳俵さんって知ってますか」
「何ですか。土俵のあれですか」
「丸い土俵に凸型の小さな出っ張りがあります。そこも土俵内。本来押されて土俵を割るところが、この徳俵で助かった」
「それがどうかしましたか」
「ここからなら一泊必要ですが、徳俵さんへ出掛けてはどうですか」
「何ですかそれは」
「三十二日あります」
「え」
「大晦日の次の日がまだあるのです。徳日です」
「大晦日の翌日は元旦でしょ」
「ところが一日だけ多いところがあるのです。それが徳俵さん。または特配様とも呼ばれていますが、そんな神社はありませんし、神様もいませんが」
「それは何処にあるのですか」
「行く気になりましたか」
「場所を教えてください」
「巣南市から行けます。大晦日になると開きます」
「店ですか」
「道が開きます」
「その徳俵へ出る道ですね」
「そうです」
「それで一日増えるのですね。戻ってきたら、一月二日だったということはないでしょうねえ」
「ありません」
「そこで泊まれるのですか」
「徳俵村に民宿があります。ただ、そんな村はないのですよ。年に一度だけ道が開き、行けるだけです」
「ほう」
「そこで一日分、余分に過ごせます。ただし、その村からあまり離れない方がいいですよ。小さな村ですので、すぐに外に出てしまいます」
「村の出入り口はその道だけなのですね」
「周囲は山に囲まれていますが、山側へ分け入ることができます。その先は山また山、もうこの世の山塊ではありませんが」
「怖いところですねえ」
「どうです」
「そこで何をするのですか。何があるのですか」
「だから、一日分特配で余計にもらえるわけです。十二月三二日を体験できます。年の瀬の徳俵ですから」
「年末忙しくて、一日でも時間が欲しいというわけではありませんから、一日増えても」
「でも刺激的でしょ」
「暇ですることがなかったりしそうです」
「まあ、徳俵村探索でもして過ごせばいいのです」
「変わった村ですか」
「ごくありふれた何処にでもある山間の村です」
「地味なところなのですね」
「そうです」
「じゃ、ここにいる方が、まだましだ」
「じゃ、行かないと」
「普通の一泊旅行より、面倒そうですから」
「いい話なのになあ」
「はいはい、有り難うございます。参考になりました」
 
   了


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2018年12月28日

3850話 大きな妖怪面


 久しぶりに妖怪博士のところに妖怪の依頼が来た。妖怪博士がイベントで妖怪の扮装で何かをする話ではない。
 すこし辺鄙な場所だが交通の便は意外といい。山襞の中にある村だが、距離は遠くてももっと近くでも凄く時間のかかる場所がある。それに比べての話だが、これなら日帰りでも行けそうだと思い、引き受けた。
 当然妖怪の調査研究。依頼は村の青年団のようなものだが、いずれももう年寄り。後に続く若者がいないので、そうなった。
 往復の交通費と調査費、一泊するなら宿泊できるらしい。
 便がよくなったのは近くに高速道路ができているため、山の中を走っている。幸い小さなインターから村までが近い。インター前に村から出迎えの車が来ており、それに乗れば、さっと着いた。山は深いが、高速道路はもっと深いところを貫いている。
 妖怪とはお面のことで、バケモノ面。それが蔵から出てきたので、これは何かということになった。
 村には古くから伝わる祭りがあるが、こんなかぶり物はしない。
 面は紙粘土で固めたもので、絵の具で分厚く塗られているが、既にくすみ、彩度が落ちているものの結構派手。
「これは何でしょう」
「村興しで使われるのですかな」
「いえ、村とは関係ありません。それに観光客も来ないでしょ」
「誰もご存じないのですかな」
「はい、この面を年寄り達に見せましたが、初めて見るとか」
 面はかなり大きく、被ることができるが、もの凄い大顔で大頭。これを被れば遠くからでもよく見えるだろう。歌右衛門や千恵蔵のように顔が大きい。歌舞伎役者なら、大きい方が見やすいが、その面、それよりも遙かに大きい。しかも何の面なのか、キャラが分からない。神仏ではなさそうで、怖い顔や薄気味悪いのやらが数枚ある。
「何処の蔵から出たのですかな。その家の人なら知っておられるでしょ」
「分かりません」
「その家の人と合わせていただけますかな」
「ボケています」
「あ、そう」
「妖怪の面だと思いまして、お呼びしました」
「じゃ、妖怪の面でしょ」
「ですから、どういう使われ方をしたのかを調べて欲しいのです。またこのタイプにありがちな系譜のようなものから推測してもらえませんか」
「系譜?」
「はい、こういう面の用途で似たものがあると思いまして。当然どういった妖怪なのかも」
「この顔、ちょっと分かりませんなあ」
「これを被り、妖怪に扮していたのじゃありません?」
「しかしねえ、面だけじゃないでしょ。これに合った衣装とかが必要なはず」
「草とかを身体に付けたんじゃないでしょうか」
「南方系ですなあ、それじゃ」
「じゃ、そこから伝わったもの」
「それなら妖怪ではなく、神様ですよ。ただ、神が妖怪なのか、妖怪が神なのかは興味深い話ですが、これだけでは何とも言えませんなあ」
「これは山の神ではないでしょうか」
「あ、そう」
「または魔除けでは」
 妖怪博士は単純なことに気付いた。誰でも気付きそうなものだが、被る面だが、目が開いていない。だから被ると目が見えなくなる。しかし、そういう面は存在する。誰かが手を貸せばいい。目玉の覗き穴を付けないのは形相が変わるため。
 そしてこの面、被るための紐は切れているが、かなりしっかりした通し穴がある。また高さは顔を超え頭の頂上を回り込んでいる。被るとスポリと入るだろう。真後ろは開いているが。
 つまりフルフェイスのヘルメットのようなもの。
「小学校はありますかな」
「廃校になりました。今は運動場しか残っていません」
「学芸会とか運動会で使ったのじゃろう」
「それなら年寄り達が覚えているはずです」
「明治あたりじゃ無理でしょ」
 年寄りといっても最長老は大正生まれらしい。
「そこまで考えませんでした」
「こういう顔をした妖怪がいたわけじゃない。お化けの面なら妖怪にも見えますがな。この世にはないような顔。それだけでしょう」
「村には天狗の伝説が残っています」
「よくある伝説じゃな」
「何とか、これ、妖怪になりませんか」
「面だけではのう」
「これで祭りをやりたいのですよ」
「村興しはなさらないのでしょ」
「しませんが、青年団の行事にしたいので博士のお墨付きが欲しいのです」
 青年団といっても既に初老だ。
「要するに、これで遊びたいと」
「はい」
「しかし、面だけではのう、これにまつわる話がないと」
「それで博士をお呼びしたのですよ。いろいろと作っておられると聞きました。一作お願いしてよろしいでしょうか」
「最初から、そういうことだったのですか」
「おそれいります」
「しかし、この面は本物じゃな」
「はい、これは間違いなく蔵から出てきました」
「持ち主から聞けばすぐに分かること」
「だから、ボケていて、無理です」
「分かりました。何とかしましょう」
「ありがとございます。これで隣村のイベントに勝てます」
 妖怪博士は、こういったご当地妖怪談をいくつか創作しているようだ。
 ここからは妖怪博士の想像だが、運動会でのかぶり物競争に使われたのではないかと思える。それと鬼さん鬼さんごっこ。被ると目が見えなくなるので、この面は目隠しの役目。
 運動会で競争したのではないか。だからこの面、得体が知れず、原形が分からないのは、当時の尋常小学校の子供が作ったため。
 それが面の正体だとすれば、神秘性がなくなる。晴れ舞台の運動会で健康的な話になる。
 妖怪博士は青年団の話を参考に南方系の神かオバケか分からないカオスな妖怪とし、長い草を全身に括り付け、森の精としての伝説をでっち上げた。
 妖怪博士は一泊することになり、真夜中に書いているとき、部屋の隅の暗がりに、顔が浮かんだような気がした。あの面ではないかとドキッとしたが、妖怪博士はそういうものは本来見えない体質なので、明るいものを見たあと、薄暗いところを見たので、光が目に残ったのだろう。
 
   了

  
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2018年12月27日

3849話 極月


 年の最後の月。十二月を極月とも言うらしい。
「今年は極めましたか」
「ただのどん詰まりで、何も成果は上がりませんでしたよ。極めたのではなく、極まった」
「何でもいいから年が終わるのですから、何かを極めないと」
「極意というやつですか」
「そうです」
「別に年の瀬に極めなくてもいいでしょ。そういう極意はいつ極められるかどうかは分からないはずです」
「いやいや極月に極める。これがふさわしい」
「月の移り変わりと合わせるわけですね」
「最後の月ですから。今年まだなら、この十二月で極めないと、来年に持ち越しです」
「で、あなた極めましたか」
「極意ですか」
「そうです」
「まだです」
「毎年でしょ」
「毎年駄目です」
「そう簡単に極意など身につくものじゃありませんよ。そんなものでしょ。一生掛かっても無理かもしれませんしね」
「しかし、今年は少しだけ極め掛けました」
「ほう、いいところまでいったのですね。私はさっぱりだ。極意に少しでも近付いただけでも大した成果じゃありませんか」
「そうではありません。極意は極め切らないと、中途半端じゃいけないのです。逆に危険です」
「あと一歩なんですね」
「二歩ぐらい」
「去年は?」
「あと三歩まで寄りました」
「じゃ、今年で一歩縮めた」
「若い頃は十歩も二十歩も進めたのですがね。上へ行くほど遅くなる」
「でもあと一歩だと、来年は極められますねえ」
「いや、来年は半歩ぐらいでしょ」
「上へ行くほどキツイからですね」
「そうです」
「私なんて、頂上が見えません」
「いや、その頃の方がいいですよ。先が見えていない方が」
「そんなものですか」
「まあ、数年のうちに極められますがね、私の場合。だから頂上もよく見えている。そしてどんな感じかも何となく想像できます。しかし、なかなかねえ」
「いいところまで来ているのに、どうしたのですか」
「いや、極めても大したことはないことが何となく分かるのですよ」
「どうなります。どんな感じなのです? 極意を得た状態は」
「おそらく今までの蓄積がスーと落ちるような」
「分かりました」
「意味、分かりますか」
「はい、分かります」
「極めるにはほど遠いあなたに分かり、私には分からない。何でしょうねえ」
「頂上でしょ」
「そうです」
「じゃ、あとは下り」
「ほう」
「だから上るまでがいいのでしょうねえ」
「私はあと一歩か二歩。もうすぐです。あとがない」
「だから下手に極めない方がいいのですよ」
「あなたこそ極めてもいないのに、極めておる」
「いやいや、ただの想像ですよ」
「極める寸前の私には分かります。それ、当たっています。何となく分かっていたのですよ」
「極めるとやることがなくなるでしょ」
「あり得ることです」
「暇で仕方がない」
「そうです」
「だから極めないことがいいのです」
「それが極意だったとは」
「いえいえ、ただの想像ですよ」
 
   了


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2018年12月26日

3848話 独り言


「あの温泉は駄目だねえ。ぬるいんだよ。何とかしないと客が減るよ。以前はそんなこと、なかったんだけどねえ。どうかしたんだろうか」
 向こうから来る老人の声。結構よく聞こえる。但馬はもう一度自転車で走ってくる老人を見た。一人だ。耳を見たがイヤホンはない。携帯で話しているわけではない。
 老人は右側から来る。そして交差するとき、顔を見た。丸顔で色艶もいいが、服装はぞんざい。自転車もサビが見える。
 そして目を見るが、何処を見ているのか分からない。但馬と交差する寸前だが、老人の方が先に横切った。但馬の姿が入っているはずだが、目はそこにはない。温泉にあるのだろうか。
 先にやり過ごし、左側へ行く老人をもう一度見ると、まだ話の続きのようだ。今度は居酒屋での人間関係に入っているらしい。
 自転車に乗りながらずっと話し続ける人をたまに見かける。二日前にも見た。決まって目が大きい。それは普段よりも見開いているためだ。
 但馬も独り言を言うが、それは声に出さない。劇中のセリフのような言い方になる。またはナレーターにもなるが、決して声を出さない。だから、独り言を呟いたり、演説をする人は声を止めるのを忘れたのだろう。
 声を出してもいい。しかし聞こえない程度の声。そして周囲に誰もいないときや、騒音で聞こえないときなどに限られるだろう。そういう独り言が言える条件が揃っても、発声にまでは至らない。
 大きな声で独り言をいう人は蛇口が故障してじゃじゃ漏れなのかもしれない。口の栓が壊れたのだろう。
 そしてその顔付きなどから推測して、人とよく話す人が多いような気がする。話すのが好きな人。しかし、相手がいない場合、会話不足になる。
 普段から無口で、会話などほとんどしない人なら問題はないかもしれない。但馬もそのタイプで、むしろ人間関係を避けている。
 人はどんなとき、独り言をいうのだろう。それは頭の中に、それを言わす記憶が回っているときかもしれない。録画を見直しているように、それを音声データーだけで再現するように。
 それと演説、解説タイプがある。過去にあったシーンなどを都合のいいナレーションで語ったり、もの凄く優れた人になりきって解説を始める。
 それが過激になると、演説になる。説教が始まる。ただ会場は自転車の上。車の運転中もあるだろう。密室なので、声が外に出ない。
 また、会話不足なので、それを補うためとは限らないこともある。
 そんなことを考えながら但馬が自転車を漕いでいると、唸り声が聞こえる。何処からそんな声が立っているのかすぐに分かったのだが、前方から来る婦人。これは詩吟だろうとすぐに分かった。練習しているのだ。これなら分かりやすい。
 猿が仲間の結束や、味方同士であることを表すため、毛繕いをするらしい。相手に腹などをさらけ出したりする。それにその距離は危険だが、それを許す。
 人はそんな蚤取りなどはしないが、代わりに会話、しかも世間話、どうでもいいことを話すらしい。これは大事な話では危険なためとか。
 その多くは噂話。会話の原点がそこにあるとすれば、独り言はそこと繋がっているかもしれないが、これは一人でやるのだから、当てはまらない。だから相手がいるように想定して話し出す。独り言は独白。自分自身に話しかけているようなものだが、先ほどの独り言老人は誰かに話しかけているのだ。相手がいる。
 但馬はたまにそれを聞くことがあるのだが、やはり口の栓が緩んでいるとしか思えない。だが、どうして緩んだのか、または緩めてしまったのかまでは知らない。
 相手を想定しての独り言。だから本人は独り言だとは思っていない。相手がいるのだから。
 しかし、そんなことを考えながら但馬は論説委員にでもなったように、全国に向け、その説を披露し始めた。これには但馬も気付かない。
 前から来る人が気味悪そうな顔で彼を見たが、当然、他者の目など眼中にない。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 12:21| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月25日

3847話 顧問卜占


 人事課長が社長室に入ってきた。
 社長は履歴書を見ている。十枚以上ある。それをさっと見ながらチェックマークを入れた。
「これが私の推薦というか、まあ、一応参考にしてください」
「はい、できるだけ、そのようになるように選びます」
 社長は詳しく読みもしないで、その中の三人に印を付けた。その基準は特に特技がなく、アピールするものもなく、また経歴も大したことがない人間を選んだ。
 この社長、実は何もできない。だから社長をやっている。社長は何もできない方がいいのだろう。だが、何もできないからこそ社長をやっている。
 次はコンサルがやってきた。
 社の大事な方針を決める日が近い。既に意見は出尽くし、三択になっている。あとは社長の判断ということになるのだが、この社長、何も決められない。それにどの案がいいのかも分かっていない。どの案もいいように見えるし、悪いようにも見える。
 コンサルは一匹狼と、他の二社に頼んでいる。その三人が団子の串刺しのように入ってきた。
 それぞれ分厚い封筒を持っている。いかにも仕事をしましたといわんばかりに。
 それら資料を見せながら、今回の方針について述べるが、別の方針も伝える。
 一匹狼のコンサルは凄いアイデを示した。他の二社は驚いた。社長も、うーむと頷いた。しかし、社長は何も決められない人なので、これは聞くだけ。
 いずれもそれらは手続きにしかすぎない。
 それからしばらくして、一人の顧問が現れた。黒い幅広の帽子に黒いマント。少し場違いだ。
「今回も頼みます」
「はい、分かりました」
 顧問は鞄から卜占道具を取り出した。三枚の木の札。三択だと聞いたので、風呂屋の下駄箱の鍵札のようなものを持ってきたのだ。
「始めますかな」
「はい、よろしく」
 三枚の木札には漢数字が書かれている。風呂屋の木札に近い。それをパチンパチンと裏返し、三枚横に並べ、何度も入れ替えた。
「はい、整いました。好きな木札をお選びくだされ」
 社長はかなり迷ったが左端のを選んだ。その番号は三択の番号と合わせてある。
 これで、社の重大方針案が決まった。一匹狼コンサル案に偶然決まった。
 社長は交通費という名目で卜占料を支払った。だから大した額ではない。
 それにこの顧問、占いなどできない。賭場の壺振りのようなもので、サイコロを振っただけ。選ぶのは客。
 そのため、社長自らが決めたことになる。
「今日は冷えますねえ。お茶でも入れます」
「いやあ、この部屋は暖房が効いているので、冷たいお茶がいいですなあ」
 社長は秘書を呼び、グリーンティーを作らせた。
 何もできない社長と、何もできない顧問はズーズーとグリーンティーをストローで吸い上げた。
 この顧問、卜占に長けた人ではない。
「ではこれで、失礼します」
「また、お呼びしますので、そのときはよろしく」
「はい、分かりました」
 社長が、この占いもできない人をいつも呼んでいるのは占い師にありがちな仕草がないためだろう。二人とも占いなど信じていないので、気が合うようだ。
 この顧問、本職は妖怪研究家。妖怪博士と呼ばれている。この社長宅に出た妖怪を一度退治したことがある。夜中に踊り出す阿波人形で、そのとき付けた名は「妖怪阿呆」。実際は社長の精神的なところから発した幻覚。だから退治したわけではない。
 その縁が今も続いているようだ。
 
   了


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2018年12月24日

3846話 行く年来る年


 年は行くもの。年末によく使われるが個人的な時でも使われる。これは年が行くと歳が行くとが重なりやすい。
 年は行き、年は来る。行く年来る年。これは行く人もあれば帰る人もあり戻る人もいる。これは場所や事象だろうか。
「今年も行きますなあ」
「何処へ」
「え」
「年が何処へ行くのです」
「来年へ」
「何が行くのでした」
「だから年だよ」
「でも今年が来年に行ったら、去年になり、その去年には誰がいるのですか」
「過去がいる」
「まだ、いるわけですな。じゃ、移動していない」
「年が変わるので、それ以上変化はない。固まったままの過去だ」
「そういう塊が毎年できるのですか」
「思い出の中にな」
「なるほど」
「そして今年も暮れて行く。そしてまた年明け。暮れては明け、明けては暮れる」
「そういうときの神様はいますか」
「正月様がそれだな。歳神様」
「目出度そうですねえ。饅頭団子のようにふっくらとしたお顔に見えます」
「年の神じゃ」
「時の神もいますねえ」
「いいタイミングで助けてくれる神かな」
「神様だらけですなあ」
「まあ、人が作ったものなので、作ろうと思えばいくらでも作れるが、定着するかどうかは分からん。最近など、新たな神などできていないので、ほとんどが古典だろう」
「いろいろと由来がありそうですねえ」
「大陸から来たものが多いはず」
「たとえば」
「饅頭を供えるだろ。まん丸の。四角いと駄目なんじゃ」
「どうしてですか」
「首に見えんからじゃ」
「首」
「切り落とした頭」
「え、じゃ生首を供えているのですか」
「生首の代わりに、饅頭を供える」
「なんですか、それは」
「生け贄じゃ」
「それは生々しい」
「これで、神が鎮まる」
「そんな野蛮な」
「本物の生け贄ではなんなので、饅頭にしただけ。その証拠に頭という文字が入っておる」
「そんなの供えられても、すぐに分かりますよ。神様を欺すわけでしょ」
「時代が進むうちに、そんな野蛮な真似はできんようになったのだろう」
「そんなのを聞くと饅頭が薄気味悪くなりますねえ」
「年の暮れから明けるまでの間、魑魅魍魎が跋扈する」
「薄気味悪いこと、言わないでくださいな」
「切り替わるときは、よくあることじゃ」
「何ですかそれは」
「年に一度、その時間帯、闇の時間が少しクロスする」
「そんな大層な」
「除夜の鐘で煩悩を払う」
「たまに突きに行きますよ」
「払われた煩悩が舞っておる。埃のようにな。他人の煩悩をかぶりに行くようなものじゃ」
「しかし、大晦日まで辿り着けただけでまだましな方でしょ。鐘など突きに行けるのですから」
「そうだな」
「もっと縁起のいい話をしてくださいよ」
「良い年をお迎えくださいというだろう」
「そうそう、そう言う風に」
「良い年とわざわざ断らないといけないのだから、これは悪い年もあるということだ」
「でも、悪い年をお迎えくださいじゃ、駄目でしょ」
「そちらの方がリアルで良いかもしれん」
「少し早いですが、あなたと会うのは、今年が最後。良い年をお迎えください」
「君もな」
「はい」
「しかし、今年はまだ残っておる。まだまだ何が起こるのか分かったものじゃない」
「じゃ、暗い正月をお迎えください」
「ああ、そうしょう」
 
   了



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2018年12月23日

3845話 稲荷を探す人


 平沢が自転車で移動していると、追い越していく自転車がある。それが問題なのではない。よくあることだ。その自転車はヤクルトの配達だろうか。これもよくあることで、特に語るようなことではない。問題はその先、その自転車の前に中年の婦人が立っている。
 二人ともオバサンだ。
 何か話している。
 平沢はその横を通り過ぎるとき、会話の内容が聞こえた。
「この辺りにお稲荷さんはありませんか」
 これは広沢に聞くより、町内をウロウロしているヤクルトおばさんに聞いた方がいい選択。広沢は無精髭を生やし、人相も悪い。やはり婦人は婦人同士の方がいいはず。ただこれは偶然ヤクルトおばさんに遭遇した程度だろう。そのお稲荷おばさんは歩いていたようで、立ち止まって聞く相手を待っていたわけではなさそうだ。道行く人に場所を聞く。これもよくあること。
 ただ、お稲荷さんを探している人、というのはあまり聞かない。この近くの人なら、知っているはず。また有名なお稲荷さんがこの街にあるわけではない。地蔵さんなどを祭った祠は結構あるが、お稲荷さんとなると、平沢もこの近くでは思い付かない。だから、聞かれなくてよかったとは思うが、それはこの近くに限っての話。げんにここへ来る道筋でお稲荷さんを見ている。だが、少し遠い。歩いて行ける距離だが、「この近く」に該当しない。
 広沢が見落としている、または思い出せないお稲荷さんがあるのかもしれないと思いながら二人から離れた。思い出せば、すぐに解答を与えられる。
 それで思い出したのが、この先にある商業施設の入り口にある敷地。そこにお稲荷さんを祭っている。しかし、その婦人、そちらの方角から歩いて来たようなので、それではないのかもしれない。
 この近所の人でないとすれば、この婦人、何処から出てきたのだろう。駅からそれほど離れていないが、バス停もある。何らかの交通機関を使ってこの近くで降り、そのあとお稲荷さんを探すため、ウロウロしていたのだろうか。
 駅から一番近いお稲荷さんを広沢は考えた。ただの祠と違い、お稲荷さんは鶏の鶏冠色をした鳥居が付きもの。ただの祠ならお地蔵さんとか道祖神とか、また何か分からない石饅頭とかを祭っている。
 駅近くで朱色の鳥居のある祠は思い出せない。だからない。それで、駅から少し離れたところまで来たのだろうか。残念ながら、該当するものとしては商業施設が管理しているお稲荷さん。だが、元を正せば工場だったところ。これはよくあるパターンで、工場内にお稲荷さんを祭ることがあるし、ビルの屋上にもある。
 それよりも、この婦人、何故お稲荷さんを探しているのか。それが分かれば話が早いかもしれない。
 街中でお稲荷さんを探す理由は思い付かない。稲荷信仰があるとしても、場所も分からないお稲荷さんを探すだろうか。珍しいお稲荷さんなら別だが、何処にあるのかを調べてから来るだろう。
 次は「お稲荷が切れた」だ。これは順序としてはもっと後半で、筆頭ではない。お稲荷を緊急に必要とする何かが起こった。お稲荷なら何でもいい。できるだけ近いところで。
 これは自転車がパンクし、一番近い自転車屋を探すようなもの。または足に豆ができて、薬局かコンビニを探しているとか。
 巻き寿司は残っているがお稲荷は売り切れていた。という話ではない。
 また、急に何かが起こり、お稲荷さんが必要な精神的な事象が起こったとか。
 お稲荷が切れたはいくらなんでも特殊だ。筆頭としてあげられるお稲荷探しはお稲荷さんが目的なのではなく、お稲荷さんは目印。お稲荷さんのある角を右に回って目的の場所へ行くとかだ。これが一番だろう。
 その場所から一番近いお稲荷さんは、先ほどの商業施設。その方角からこの婦人は歩いてきている。だから、そこではなかったとなる。それにそんなお稲荷さんなど目印にしなくても、その商業施設がそもそも大きな目印になる。
 一番分かりやすいのは、この近くに大きなお稲荷さんがあること。それは他所からでもお参りに来るような。それなら分かりやすいが、そんなものはない。
 そんなことを考えながら、広沢は目的地の商業施設に自転車を入れたのだが、駐輪場近くに、そのお稲荷さんがあるので、確認した。施設が管理しているので、綺麗なものだ。商売繁盛などの御利益があるのか、いろいろと行事がある。まあ、工場があった頃は、そこでもやっていたのだろう。
 やはり、あの婦人が探しているのは、ここしかない。この近くで一番派手なお稲荷さんだ。
 ではその方角から来たという謎は解けない。
 これは簡単だった。施設まで一直線ではなく、駅から続く小径が西から、バス停から続く小径が東側から来ている。バス停から来たとすれば、右へ曲がったため、ヤクルトおばさんと遭遇した。駅から来た場合は左へ曲がったことになる。
 確かに施設の入り口に赤い鳥居のお稲荷さんがしっかりとあり、分かりやすいが遠いところからでは見えない。
 商業施設ではなく、お稲荷さんが目的で来た人なのかもしれない。稲荷回り、稲荷巡礼か。
 その施設内のお稲荷さん、少し特殊で、途中で折れた古木があり、また刀のようなものを突き刺したオブジェがある。祠は屋根程度だが、その屋根は古木の上にあり、御神体は古木のうつろの中。だから祠ではない。古木のうつろが祠なのだ。
 だから少し珍しいお稲荷さんで、果たしてお稲荷さんなのかどうかも分からない。
 商業施設になる前は大きな工場。それ以前は村があったといわれている。その時代のものだろう。工場がなくなったので、その敷地内が商業施設になり、一般の人でもお参りできるようになったが、地縁は切れているだろう。
 この婦人、誰かから珍しいお稲荷さんがあると聞いて訪ねてきたのかもしれない。そしてバス停や駅からの道を、曲がり間違えたと解釈すべきだろう。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 12:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

3844話 願骨堂


 里山散策はいいのだが、普通の里山をウロウロしていると、それは不審者、それ以前に余所者としてみられる。里と言えるほどのものなら、それなりに古い村。村は村人だけのためにある。
 樋口は里山にある喫茶店に入っている。どうも女性向きのようで、紅茶専門店のようだ。
 冬枯れで紅葉も終わった頃。見所は少ないが、散策する人が多い。このタイプの里山は観光地に多い。そのため余所者は歓迎されるが、それは店屋だけ。
 外は寒く、木枯らしでも吹きそうだが既には葉は落ちているので、もう木枯らしが吹いても木枯らしとは言えないだろう。その木枯らし一号がそろそろ吹きそうだ。それと対を成す風が春一番。どちらも空気が入れ替わる。季節の風がぶつかり合う。海流がぶつかり合い渦ができるように。
 外は寒いが中は暖かい。そんな喫茶店で座っていると、樋口はもう散策する気がなくなってきた。それよりも眠くなる。店内は暖房で暖かいし、おまけに陽射しが入り込んでいる。暖房がいらないほどだが、それは窓際だけ。
 そこから表道を見ると、歩いている人が結構いる。いずれも地元の人ではない。観光客だろう。近くに寺社が複数ある。その通り道になっているのだろう。
 樋口も観光客だが、実際には里山探索が目的。ここなら怪しまれない。
 しかし本当の目的は願骨堂。納骨堂ではない。そういうお堂がある。骨を願うお堂。そう読めるが当て字らしい。当て字の字に意味が生じたのか、一人歩きしている。
 この願骨堂が見付からない。それで、喫茶店で一休みしていたのだが、もう探す気が失せてきた。
 この近くの寺社、建立したのは有名どころ。貴族や武家が多い。しかし願骨堂は村がオーナーのようなもの。村立だ。そのため、土着性が高い。
 案内図にも願骨堂がないのは、既に消えているため。だからその跡地を見付けるためにやってきた。
 こういうのは案内図よりも地元の人に聞いた方が早いのだが、願骨堂と口にすると、反応がおかしい。そして誰も答えてくれない。知らないと言われるだけだが、それは申し訳なさそうにではなく、もの凄く否定の意味が込められている言い方。
 そんなものなど存在しないと。
 願骨堂は大正時代まであった。ただ、この時代の地図をやっと見付けたのだが、記されていない。昔から公にしたくなかったのだろうか。だが地図を作った人は村人ではない。軍事的な地図もある。しかし、そこにも載っていない。
 樋口が願骨堂を知ったのはかなり前のハイキング地図。この里山の奥へ行くと普通の山になり、ハイキングコースがある。都会から近いので、山歩きに来る人も結構いる。それでハイカー向けの地図があり、そこに出ていたのだ。かなり昔の本。
 そして最近のハイキング本では願骨堂は出てこない。ないのだから仕方がない。有名な寺跡なら別だが、ただのお堂。しかも村のローカルなお堂。そんなものをいちいち載せないだろう。
 願骨堂ができたのは江戸末期。消えたのは大正の頃とされている。燃えたのか、取り壊したのかは分からない。
 この里山のある観光地、都へは一山越えれば出られる。できたのが幕末。それと関係しているのかもしれない。
 樋口はそれなりに調べたのだが、そこまで。
 だが、この村の領主は幕末までは公家。朝廷に仕える貴族。その本拠地だが、あまり裕福ではなかったようだ。
 幕末の動乱期に入る手前にできたお堂。これは興味深いが、樋口は陽だまりのような喫茶店の中で座っていると眠くなってきたのか、探索はそこまでとする。
 こういうのは分かってしまうと面白くない。次回来るときは村人、特に旧家にアタックしようと考えている。
 そのとき、観光客の団体が入ってきた。着飾った婦人達だ。長居しすぎたことを感じ、樋口は席を立った。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 13:33| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月21日

3843話 ナスカへ


「ナスカの地上絵はご存じか」
「はい、有名ですね。上空からでしか見えない絵が書かれています。誰が何のために、って話題になりました」
「その話題になるもっともっと前に私の父がナスカを訪ねたことがある」
「まだ国内では知られていない時期でしょ」
「いや、昔から知っている人がいる」
「そうなんですか」
「地上絵のあるところから少し離れた村がある。案内人がいないと、何処に絵があるのか分からないからね。それで街の案内人から村の案内人を紹介してもらった。といっても子供だ。当然、そんな観光案内なんていない時代だがね」
「はい」
「道々、少年に話しかけた」
「はい」
「しかし、おかしいじゃないか。上空からでしか見えないはずなのに、絵のある場所を知っている。何処からこの少年は見ていたのだろう。またその村の人間も知っているんだ。そんな絵があることを」
「あのう」
「何かね」
「現地の言葉が分かるのですね。会話できたのですから」
「先に言うべきだったが、日本語だ」
「はあ」
「英語は無理だがスペイン語は通じるが私の発音が悪いのか、通じない。それでたまに出る日本語、それが分かるらしい」
「日本人がよく来ていたとか」
「ところが、今の日本語ではない。かなり古い」
「はあ」
「村人は全員日本語が話せるんだ。普段は使わないらしいが。大和言葉というか、あれはなんだろう。全部平仮名で喋っているような」
「あのう」
「何かね」
「ペルーの地上絵より、そちらの方が言語学的に凄い話じゃないですか」
「いや、父は地上絵のことで夢中で、日本語が通じるのなら、こりゃ楽だと思い、いろいろと話を聞きながら地上絵のあるところまで案内してもらったらしい」
「何故、日本語が話せるのかを訊くべきですよ」
「そうなんだ。だから父もそれをそれを悔いていたらしい」
「それで、地上絵はどうでした」
「テレビや本の内容と同じ」
「どうやって書いたのかも少年は知らないのですね」
「村人も知らんらしい」
「現地の人と地上絵との関係は」
「知らないとか」
「でも上からでしか見ることができない絵なのでしょ」
「まあ、櫓でも組めば見えるがね。書くときも単純な幾何模様だろ。人文字のように人を並ばせて地面を蹴ればいいんだ。広い面だと櫓を移動させればいい」
「凧に乗って、見るとかもできますねえ」
「私の解釈はそうじゃなく、やはりもっと上空から」
「じゃ、あの説になりますねえ」
「空を飛ぶ船ね」
「それと、古い日本語が話せる村と関係するはずでしょ」
「変わった顔ではなく、見慣れた顔。それについては意識しないもの」
「え、何の話ですか」
「その少年や村人の顔に馴染みがある。普通の顔。日本人と変わらん。だから逆に意識の中に入ってこない」
「そんな」
「違ったものを見たとき、意識的になる。そういうことじゃ」
「しかし、そんなところに日本人村なんてないでしょ」
「あるわけがない」
「それでお父さんの調査はどうなったのです。おそらくそんな時代に行かれたのですから、話題になったでしょ」
「いや、ここから先は駄目」
「何故です」
「嘘になるから」
「全部嘘なんじゃないですか」
「地上絵の謎を知っておる」
「分かったのですか。凄い成果じゃないですか」
「だから言えない」
「もしかして、何も発見できなかったのでは」
「当時としては地上絵を発見しただけでも大したものだった。あることは分かっていたんだが」
「どうして分かっていたのです」
「情報元は言えない」
「しかし、テレビとか本では日本語が話せる村なんて出てきませんよ」
「父が行ったあと、しばらくして姿を消したようじゃ。違う人達と入れ替わった」
「日本の古い時代とナスカとが繋がっているのですね」
「そこまでは言える」
「しかし、極めつけの眉唾物ですねえ」
「これだけは言っておく」
「何でしょう」
「世の中を根底から覆してしまう話がある」
「先生はそれを知っているのですね」
「他にもおるらしい。父も彼らから聞いてナスカへ飛んだのだ」
「ここまで来て、明かさないのなら、最初から話さなければいいのですよ」
「ああ、つい我慢できなくなってね」
「聞きたいです。そうでないと、ストレスです。それに気になって仕方がありません」
「じゃ、話すか」
「そうでしょ。最初からその気だったのでしょ」
「うむ」
「で、いったいどういうことだったのです」
「古代に宇宙人が……」
「あ、もう昼休みが残り僅か。食べに行ってきます」
「あ、そう」
 
   了


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2018年12月20日

3842話 年末の人


 三村は年末なのに忙しくない。それが少し物足りない。慌ただしいのは嫌なのだが、この時期はそれが相場。いつもの年末らしくない。それは引退したため仕事がないため。
 年をとるに従いこんな忙しい仕事は辞めたいと思っていたのだが、思う思わないにかかわらず、あっさりと印籠を渡された。それでも本人がその気ならまだ続けられたのだが、そのまま何もしなかった。これは了解したとみられた。
 それは秋の終わり頃、淋しくなる晩秋、時期としての背景は見事にマッチしている。葉が一枚一枚と落ちていき、風でバサッと一気に落ち、残った葉がいやに目立った。最後の一葉という短編小説がある。それを連想した。小説では、その葉は書いた絵。だからなかなか落ちない。
 しかし三村はあっさりと落ちた。引退を惜しむ人もない。自分でさえ惜しまなかったりする。
 それでやることもないまま年末の一日一日を過ごしていたのだが、歩みが遅い。去年ならあっという間に大晦日を迎えていた。それに比べると日が立つのが遅い。といって一日が長く感じるわけではない。仕事で忙しくて、できなかったことをのんびりとやっている。意外とそれで一日はあっという間に暮れるのだが、日数は一気ではない。ここは少し不思議だ。時計を見ているときは早いが、カレンダーを見ているときは日が進んでいない。止まっているわけではないが。
 これはその日にこなさないといけない日程表がなくなったためだろう。残りの日が一日でも長い方がいい。しかし、どんどん過ぎていき、残り僅か。それで日が立つのが早いと感じたのだろうか。
 ある日、聞いたことのない会社から電話が掛かってきた。
「三村さんですね。引退したと聞きましたが、何とかなりませんか。受けて欲しい仕事がありまして、もの凄く急ぐのです」
 平田にもその経験がある。どうしても年末まで間に合わないことがあった。そのとき、別の人に頼むのだ。
「はい、よろしいですよ。引き受けますよ」
「助かります」
 秋までやっていた仕事なので、まだまだ現役。すぐに仕事に取りかかる。それほど時間はかからないだろう。しかし、急に忙しくなる。
 それをこなしていると、あっという間に年の瀬になり、その年を終えた。
 それから何年も経つが、決まって年末だけ仕事が来るようになった。普段は来ない。
 年末、一つか二つ程度、数日で済む仕事をするだけ。果たしてそれで現役だと言えるかどうかは疑問だが、結構忙しく仕事をこなして年を終えるだけに、元旦の朝は、去年もよく仕事をした、となるようだ。
 
   了
 

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2018年12月19日

3841話 死神風


 俄雨ではなく本格に降り出した。下田は自転車で帰るところ。
 傘はあるがまだ小降り。冬の雨は冷たい。それでペダルを強いめに踏み、いつもよりもスピードを上げる。四季を通して走っているコース。夏場はゆっくりだが冬場は少し早い。寒いためだろう。
 しかし、妙にペダルが軽すぎる。下り坂ではないし、追い風でもない。水銀灯で雨粒が見えるが真っ直ぐ下に落ちている。
 傘を差すタイミング逸したのは既に濡れているため。この程度の濡れ具合なら問題はないので、もう傘を差す気はない。それにスピードが落ちるし、片手になるので危ない。昼間と違い夜は視界が悪い。四つ辻から車が頭を出してもヘッドライトで分かるが、無灯の自転車は分からない。
 元気なのか足が怠くならない。そろそろ足に来るはずだがそれがない。息も弾まない。急に足腰などが強くなったのだろうか。余裕でスピードが出せる。
 そのスピードがさらに加速する。自転車は一度スピードに乗ると、そのあと結構速いままタイヤが回るが、それでもある速度まで。そこから先は重くなる。
 よく考えると、信号が全て青。
 下田はおかしいと気付きだした。それでも踏む力に余裕があるので、そのまま漕いでいる。もの凄く早く帰れるので、濡れ方もましだろうし、寒いところから早く暖かい部屋に戻りたいので、この早さは悪くはない。
 しかし、自分の限界のスピードを超えているように思える。それこそ坂道や追い風ならそんなものだが、この道筋はそれではない。
 何を急いでいるのだ。また急がしているのだ。誰かが背中を押しているようでもあり、前で誰かが引っ張っているようでもある。
 風がないのに風があるように感じる。まるで神風だ。
 そのとき、昨夜読んだホラー漫画を思い出した。神風ではなく、死神風。死神に煽られているのだ。
 これはまずいことになった。これはこの先の何処かで何かと激突するはず。スピードを緩めることだ。
 下田はペダルを踏むのを止めた。それでもしばらくは前へ前へと進んだ。そしてもうペダルを踏まないといけない早さになったとき、無灯の自転車がスーと飛び出した。
 下田はブレーキを掛けようとしたときは、横切っていた。
 黒い自転車で真っ黒な服装の何者かが振り返り、こちらを見ている。
 顔も真っ黒。
 そして、走り去った。
 
   了


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2018年12月18日

3840話 引き寄せ効果


 今日は何か良いことがあるのか。目覚めたとき高田はそんなことを思った。これは考えるほどのことではない。冬の寒い朝、わざわざ起きてまでやるようなことがあるのかと、つい怠けたことを考える。これは考えが足りない。しかし、高度な思考というのは寝起きにはない。一体の動物レベル。
 しかし動物と違い、すんなりとは起きない。なかなか起きてこない動物もいるが、何か良いことがあるのかとまでは考えないだろう。
 その何か良いこと。そう毎日あるわけではない。あれば起きやすい。楽しみがすぐそこにあるのだから、その引力で起きやすい。その日にあるとすれば、良いことの引力圏内。
 高田は少し考えるが、考えたり思い出さないと出てこないようなので、ないのだろう。
 起きやすいように良いことを作るべきだろうか。しかしそんな良いことなどすぐにネタが切れてしまうはず。そんな手間の掛かることなどしないで、嫌々ながらでも起きてきた方がいい。それにどんな日でも病気で起きられない日以外は起きている。それ以上寝てられないほど寝てしまうと、これは起きるしかないし、腹も減るし、寝床にも飽きてくる。
 そして再び今日は何があるのかと考えたが、やはり特別な何かがある日ではない。こういう日が普通で、良い事もないかわりに悪いこともない状態はまずまずの日で、それで満足すべきだろう。
 よく考えると高田は良いことあるように生きてきたような気がする。これは裏返せば悪いことが起こらないような日々だ。しかし、一歩進んで、積極的に良いことを求めたい。
 良いことを期待するにはそれなりに種を蒔かないといけないのだが、この種蒔きや過程が面倒。努力あってこそ良い事が起こるのだが、努力だけで徒労に終わることもある。何かを仕掛けることはいいのだが結果は分からない。使った労力が無駄に終わるのなら、マイナスだ。逆に悪いことを招いてしまったりする。
 良いことを求めると悪いことも起こる。
 そこで思い付いたのが「訪れ」だ。この訪れは春の訪れのようなもので、向こうからやってくる。何の努力もなしに。だからタナボタに近い。
「どう、高田君、最近は」
「相変わらずさ」
「それで充分だよ」
「訪れを待っている」
「あ、そう」
「知ってる?」
「知らないけど、それはもしかして神様」
「ああ、それに近いけど」
「それは手が掛からなくていいねえ」
「しかし、待つだけじゃ今一つかな」
「願いは叶う」
「よく言われているねえ」
「望んでいるものを招くんだ」
「良いことなら何でもいい」
「もっと絞らないと」
「ほう」
「そうでないとイメージが湧かないでしょ。願いにはイメージが必要。そのイメージになりきることだよ」
「え、どういうこと。なっていないのに」
「先取りするんだ。それを招き水という」
「蒔き水は」
「さあ、似たようなものだけど、求めているだけでは駄目。それになりきった振りをする」
「金持ちになりたいと思ったら、金持ちの振る舞いをするのかい」
「そうそう」
「でも金持ちの振りをするには金が掛かるんじゃないのかい」
「少しだけ良いものを買ったり、使ったりすればいい。それで気分がぐっと盛り上がってくる。そして金持ちならこうするだろうというような仕草をする」
「自分が金持ちになったときのイメージだね」
「そうそう」
「それで良い事が起こるの」
「良い流れを招き寄せることができる」
「分かった。引き寄せの法則だろ」
「それそれ」
「で、君はやってるの」
「少しやったけど、金遣いが荒くなって月末の食費が苦しくなったなあ」
「気持ちだけでも良いんじゃない」
「そうだけど」
「効果は」
「なかった」
「それじゃ、人に勧めないでよ」
「しかしねえ、得意先回りの仕事でタクシーを使ったんだ。すると、気持ちが向上して、良い結果が出たよ」
「タクシー代で月末の食費、大丈夫だった?」
「食パンと卵で凌いだ」
「そこが苦しいねえ」
「新幹線もグリーン車だ」
「そんな人が増えると、景気が良くなるかもしれないねえ」
「まあ、浪費に近いけどね」
「消費に貢献だ」
「それで月末の飯代が苦しいのに耐えられなくなって辞めたよ。それに貯金もできないしね。毎月積立貯金をやってるんだが、それも辞めていたから」
「それで何が引き寄せられるの」
「流れが変わる」
「変わった? あ、変わっていないよね、あまり良くなっていないようだし」
「途中で辞めたからだよ。良い波長が宇宙から来ていたんだけど、受信料を払わなかったのか、止まってしまった」
「大変だね」
「まあ、そんなことを全員がやれば、上は満員になるからね」
「でもやらないと、どんどん下へ行くんだろ」
「いや、普通だ。あまり変わらない」
「それとねえ、その引き寄せ効果、意識してやっていない人に福が来ていた」
「じゃ、引き寄せ効果を意識しないで無意識でやるのがいいんだ」
「まずは引き寄せ効果を意識しないという引き寄せをすることになる」
「もう、分からない。何をやっているのかが」
「まあ、思いは叶う。願いは叶う。全員叶ったら、同じことになる」
「その話はもういいけど、良い事がある日がたまにある。そんな日は朝から元気だ。これが毎日なら良いのになあという程度かな」
「そういうのはたまにだからいいんだよ。毎日だと面倒になる。喜んだり感動するのに疲れるから」
「そうだね」
 
   了
 

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2018年12月17日

3839話 一つのことを変える


 日常の一つを変えれば他のこともどんどん変わっていくわけではないが、それなりに影響が出るかもしれない。因果関係が全くないわけではないのだが、それを因果という線かどうかは疑問。これは雰囲気的なものだろう。ある雰囲気、あるセンスでもいい。それが気に入ったものなら、その雰囲気に合わせるようなもの。
 これは様式や形式になるのだが、それに合わせようとする動きもある。
 別問題であっても統一感がある方がいいのだろう。何故いいのかは分かりにくい。その方がすっきりとするし、揃えた方が綺麗なためだろうか。そうなると、美学の問題になる。
 センスやポリシー、考え方や人柄は潜在的なもので、たまたま今あるようにある程度で、実は交換しても構わなかったりする。
 一つのことを変えると他のことが変わりだし、ついにはそれが全体を覆ったりしそうだが、それもまた何処かで別の一つのことから始まったもので、塗り替えられたりする。
 それは今が常に変化しているため、いつもの日常も、形だけになっていることがある。
 その一つのこと。些細なこともあれば、どうでもいいようなこと、また小さなことや趣味的なことでもいい。ただのちょっとした好み、そういったことから始まり、その勢力が拡大していく。ただ、ここでも力関係があり、それ以上いかないこともあるだろう。
 こういうのは気付かないうちにやっていたりする。脱皮のようなものであり、身構えを変えるようなもの。ただある一定の変え幅があり、変える方向性のようなものがある。自然と変わっていくものもあれば、変えないとまずいので、無理してでも変えることもあるだろう。
 これは自発的でもあれば、他からの影響で、そちらへ流れることもある。
 しかし、そんな大層な話ではなく、一つのことを変えると、それがきっかけになりやすい。あのときのあの一手がそうだったのかと後で思うようになる。
「今年は小さなことから変えようと思うんだ」
「もう年末だよ」
「いや、まだ今年中だ」
「そういうのは一年の計は元旦にありというように新年に決めることだよ。十二ヶ月分の余裕があるときにね。しかし、もう二週間ほどしか今年は残っていないじゃないか」
「だから、一年の計は大晦日までに立てるんだ。二週間も熟考できるじゃない。充分じゃないか」
「それで、何か決まったの」
「元旦に餅を食べないことにした」
「え」
「毎年、元旦には餅を食べる。正月休みは餅ばかり食べていた。それを辞める」
「それが何か」
「一つのことを変えると、次々に何かが変わり始める原理を発見したんだ」
「自分で発見したの」
「本に書いてあった」
「どうせ啓蒙書でしょ。書いた作者も実行していないような言い放しの」
「そうだけど、これはいけるよ」
「一つのことを変えるのはいいけど、餅を食べるのを辞めるというのはどうかなあ」
「如何なものか、かい?」
「餅の代わりに何を食べる」
「ご飯」
「それじゃいつもと同じだろ。餅を食べる日に食べないで、普段通りのものを食べるだけ。餅に代わる何か別のものを持ってこないと駄目でしょ」
「餅に代わるもの。パンかうどんか、そばか、ラーメン」
「いや、君が餅を食べるのは正月の行事のつもりだろ」
「そうだ」
「だから行事を辞めるというのはちょっと消極的」
「じゃ、何だったらいい」
「餅に代わるもの、雑煮とは異なる象徴性のあるものを食べないと。そういう食べ物、探さないと変えたことにならないよ」
「あん餅の焼いたものはどうかな」
「まだ、餅のままでしょ」
「考えても分からない。赤飯程度だ」
「無理して変えるだけの魅力があるものでないと、駄目だよ」
「ない」
「じゃ、変える必要はないんだ」
「あと二週間ある。別のもので考えるよ。餅ではなく、正月の行事で」
「初詣の場所を変えるとか」
「ああ、それがいい」
「それで決まりだね」
「毎年神社なので、今年はお寺にするかな」
「その象徴性は神から仏への乗り換えだ」
「そこまで考えていなかった」
「まあ、気が付かないうちに、何か変わるものだよ。意識的にならなくてもね」
「うん、そうだね」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

3838話 御札とお札


 身なりの良い紳士が車から降りてきた。大きな外車。目的とする家の前には止めららないというより、スペースがないことを知っていたのだろう。
 その家は未だに残っている長屋。車そのものが入れない。その長屋周辺も道が狭い。男は住宅地にポツンとある小さな駐車場から、その家へと向かった。
 何度も掘り起こし、また舗装し、また掘り返して継ぎ接ぎだらけのアスファルトの小径を抜けると、未舗装の道。昨夜の雨のためか、水溜まりができている。それを避けながら妖怪博士宅の玄関戸を叩いた。
 昼寝をしていた妖怪博士は、むくっと起き上がり、玄関戸を開けた。スーツ姿だが、ビジネスものではなく、襟の色だけが少し違う。そして胸にバッジ。何処かで見たような花の模様。
「少し尋ねたいことがありまして、よろしいですか」
 得体の知れない人間だが、妖怪博士そのものも得体が知れない。それで僅かながら気脈を感じた。同業者かもしれないと。
「古代」
 奥の六畳にあるホームゴタツでいきなり用件を切り出した。
「お茶でも」
「あ、はい」
 妖怪博士は冬でも麦茶を冷やしている。それを紙コップに入れ、コタツのテーブルの上に置いた。客用に用意している灰皿も。
「古代」
「寒いでしょ」
「いえいえ」
「ホームゴタツだけでは頼りないはず。電気ストーブを持ってきます」
「おかまいなく」
 妖怪博士は朝のトイレのとき、持ち込んだ電気ストーブを片手に持ち、奥の部屋へ。
 ガチャンガチャン
 引きずっていたコードが廊下の何処かに当たったのだろう。
「どうかされましたか」
「いえいえ」
 そして二人は再び向かい合った。
 客用の座椅子があったのだが、去年、壊れた。そんなことを考えながら、妖怪博士は相手の人相を見た。しかし、見ても分かるわけがない。
「どちら様ですかな」
「それは追々」
「はい」
「古代」
 古代などと切り出す相手は妙な人間に決まっている。しかし、依頼がその方面に及ぶのかもしれない。
「失われた祝詞があります」
「それが古代にあったと」
「その祝詞に心当たりはありませんか。先生はそのあたりに造詣が深いと聞きましたので」
「誰から聞いたのかは分かりませんが、深くはありません」
「先生が研究されている妖怪と関係するようなのです」
「はあ」
「古代」
「はい」
「古代、それが使われていたと伝わっていますが、どのようなものなのかは不明。あったということだけが記されています」
「その方面の研究家でしょうか」
「まあ、そんな感じです」
「古代の祝詞の専門家が知らないことを、私などが知るはずはありませんよ。祝詞の原型のようなものが古代にあったのかもしれませんがな」
「しかし、妖怪も古いので、そのあたりまで分かっておられるのではないかと、思いまして」
「祝詞はまあ、文学です。歌です」
「ほう、面白い解釈ですねえ。妖怪に対しての祝詞の中に古いものはありませんか」
「妖怪に対しては呪文です」
「呪文も祝詞も同じです」
「しかし、呪文は呪うと書き、祝詞は祝うと書くでしょ」
「アタックの仕方が違うだけです」
「はあ。流石専門家。妖怪に対しての御札は攻撃用と防御用がありましてな。そのほとんどは防御用です」
「妖怪に使う呪文の中で古いものはありませんか」
「いや、私は妖怪退治はしませんから」
「普通の呪文ではなく、妖怪に特化した呪文を知りませんか」
「何処でお使いになられるのですかな」
「知っておられるのですね」
「使い場所を教えていただかないと」
「それは言えません」
「政府の方」
「少し違います」
「大企業」
「違います」
「民間でもない」
「民間ではありません」
「何かの儀式で使われるのですな」
「そうです」
「探してみましょう」
「知っておられるのではないのですか」
「心当たりがあります」
「それはそれは」
「しかし、どうして急にそんなものが必要になられたのですかな」
「ずっと一つだけ欠けていたのです。千年以上も」
「それが妖怪封じの呪文なのですな」
「そうではありません。妖怪は関係しません。ただ、忘れられ、途切れてしまった祝詞が陰陽系の中に残っていたという話があるのです。そしてそこでも忘れられとか」
「簡単に忘れるものですなあ」
「妖怪に対しての呪文としては使えないためでしょう。元々が祝詞なのですから。儀式のときに使うだけの」
「それが今、必要なのですか。千年以上、それがないままでもやってこられたのでしょ」
「一つ欠けていることに気付いたのは最近です」
「はあ」
「面倒な説明になりますが、祝詞は対になっております。一方が欠けているのがあるのです。そういうものだと思っていましたが、実はしっかりと対の祝詞があることが分かったのです」
「はい」
「それで、心当たりがあると言われましたね。見付かりますか」
 妖怪博士の呪文の知識は、いつも使う御札売りの婆さんからの知識しかない。その婆さんに聞けば分かる程度。
「出て来るかどうかは分かりませんので期待しないでください」
「いえ、手掛かりは、もう全て調べました。残るのはあなただけになったのです」
「あ、そう」
 妖怪博士は遠出していつもの御札売りの婆さんに探してもらった。
 その婆さん、呪文についての知識はなく、家宝として伝わっている呪文を写し取って、肉筆御札を売っているだけ。
「長さを聞いてこいや」
「はあ」
「だから何行ぐらいか」
「対の祝詞に使われるらしいのじゃ」
「それなら、これがいい」
 婆さんは家宝でもある呪文集から、それに近い文字数の呪文を選び出した。
 妖怪博士がいつも書いてもらう魔除けや妖怪封じの呪文は婆さんにも読めない文字。今回のは漢文に訳してあるらしい。
「この漢文には意味は無いからな。音じゃ。だから全部当て字らしいぞ」
「では、もらう」
「高いぞ」
 妖怪博士は調査費をもらっていたので、そこから支払う。
「で、この呪文、何に効く」
「知らん。長さだけで合わせるとこれになるだけ」
「うむ、分かった」
 調査費は結構高額だった。だからこれを渡せば、かなりの礼金がもらえるはず。札の礼が札束として戻ってくる。
 家に戻った妖怪博士はすぐにその男の連絡先へ電話を入れた。
 ところが変化があったらしい。
「対の祝詞説は消えました。対などなかったようです。失礼しました。あの話はなかったことに」とのこと。
 妖怪博士はがっかりしたが、高額の調査費はまだ残っている。報酬として充分だ。
 それに、渡さなかった方がよかったかもしれない。その儀式、何処で使われるのかが何となく分かったからだ。
 
   了
  


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2018年12月15日

3837話 悪魔祓い


 妖怪博士は妖怪の研究家で術者ではない。しかしたまに妙な依頼を受ける。畑違いとまではいかないが、悪魔祓い。まあ、そういったややこしいことは多少ジャンルが違っていても同類と見られるのかもしれない。
「悪魔祓いのう」
「うちの編集長の友人らしいのです」
 依頼の仲立ちは妖怪博士付きの編集者。
「そんなものが日本にあるとは思えんが、確かに悪魔祓いなのじゃな」
「そう言ってます」
 妖怪博士は自信がないので、断る理由をいくつか述べたが、祓えなくてもいいので、儀式だけでもやって欲しいということなので、渋々引き受けた。
 妖怪も悪魔も同じだと思われているのだろう。しかし妖怪博士は妖怪を退治する術者ではない。そのため、妖怪でさえ退治できないのに、ましてや本邦では馴染みのない悪魔など退治できるはずがない。
 編集者の上司の知人の娘。これは妖怪博士から見るとかなり遠い。
 その知人、高梨氏の娘に悪魔が入ったらしい。アキュアという名前まで分かっている。悪魔アキュア。悪魔のことをアキュアと発音したのかもしれない。その娘。まだ小学生。日本の魔物には名前はない。あるにはあるがそれは屋号のようなもの。
 高梨邸は閑静な住宅地にある洋式の建物で、槍のように尖った鉄柵、西洋館を小さくしたような建物が奥にある。
 ああなるほど、ここなら悪魔が似合っていると妖怪博士は思いながらインターフォンを押した。セコムはないようだ。
 形式、形だけ、その程度の儀式でいいので、悪魔祓いを引き受けたものの、牧師や神父のような服装はしてこなかった。逆にそれでは牧師ではなく、ペテン師だ。しかし、悪魔に合わせた衣装は持ってきた。ちなみに牧師と神父は宗派の違い。日本のお寺さんは宗派が違っても坊さんは坊さん。
 建物内に入ると、そこはやはり洋館。ステンドガラスや煉瓦の壁。天井は高く、下から二階の廊下が見える。当然階段があり、半巻きの螺旋。
 ホールとまではいかないが、一階の大部分を占めているのだろう。
 妖怪博士は、そのホールのような居間のような応接間のようなところではなく、奥の狭い部屋に通された。
 高梨夫婦は二人とも十字架を首から垂らしている。悪魔除けではなく信者のためだろう。しかし、普段は身に付けているだけに違いない。妖怪博士が来たので、首からぶら下げたのだろう。
 確かにこの状態で娘がおかしなことになれば悪魔となるかもしれないが、その前に医者に診せるべきだろう。だが、敢えて妖怪博士を呼んだのは、原因が分からないためかもしれない。
 西洋の悪魔祓い。普通の教会ではやらないだろう。まして日本ではそんなものは聞いたことがない。悪魔祓いの需要がないためだ。
「お嬢ちゃんの様子を少し見たいのですが、面会できますかな」
「すぐに始められますか」
「まずは様子を見て」
「はい」
 妖怪博士はホールからではなく、裏側からの階段で二階へ上がり、教えられた娘さんの部屋を開けた。ロックされていない。
 娘と目が合った瞬間、目付きが変わり、唸り声を上げた。三角の目でじっと妖怪博士を見ており、歯をむき出しにした。
 妖怪博士はさっとドアを閉めた。
 そして先ほどの小部屋へ戻る。
「では、始めましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
「悪魔祓いのときのお嬢さんの姿は見ないほうがよろしいかと思いますのでここでお待ちください」
「あ、はい」
 妖怪博士はいつも鍔広の帽子を被っているのだが、それを脱ぎ、鞄から別の帽子を取り出す。もっと鍔広で垂れ下がるような帽子を鞄にねじ込んでいたのを広げ、皺を伸ばしている。ただの布きれのようなもので、畳めば小さくなるのだろう。
 それと肩当て、これは民芸品で、チベットのものらしいが、メイドインシンガポール。それと虫柄の派手なマント。イナゴがウジャウジャいるマントだ。先ほどの妖怪博士とは全くの別人。
 その姿で再び二階へ上がった。
 西洋の悪魔にはお経も日本式呪文も効かないだろう。ただ音のリズムは伝わる。いわば波長効果程度はあるが。それ以前に妖怪博士にはその力がない。
 しばらくして、妖怪博士が降りてきた。
「悪魔は抜けました」
 高梨夫婦はすぐに娘の部屋へ上がる。
 娘は泣きべそをかきながら寝ていた。
 
 しばらくして編集者が妖怪博士宅を訪ねた。これは後日談。
「悪魔祓いに成功したとか」
「そんな大層なものじゃない」
「しかし悪魔が抜けたと編集長から聞きましたが」
「そうか」
「悪魔祓いをマスターされていたのですね」
「していない」
「じゃ、どうやって」
「脅かしただけじゃ」
「先輩から聞きましたが、悪魔祓いの扮装で対決したとか」
「少し違うがな」
「そんなことで、簡単に悪魔が落ちるのでしょうか」
「直前にな」
「え、なんの直前です」
「ドアを開ける前にな」
「何か特殊な呪文でも。または魔方陣のようなものをドアの前で作ったとか」
「いや、面を被った」
「面」
「悪魔払いの扮装で面ですか。何の面です」
「悪魔の面だよ」
「はあ」
「お嬢ちゃんは、それでびっくりしたようじゃ。それで終わり」
「悪魔が驚いて、抜けたのでしょうか」
「そんなことはない。お嬢ちゃんが驚いたんじゃ」
「お嬢さんも怖い顔になっていたと聞きますよ」
「それより怖いのを見せてやった」
「子供だましのナマハゲですねえ」
「相手は子供だからな」
「じゃ、お嬢さんは嘘をついていたのですか。悪魔に入り込まれた真似を」
「嘘をつく気はなかったはず。そう感じたのだろうなあ。きっとあの親子の間で、何かあったのじゃろう」
「しかし、本物の悪魔が入っていた場合もありますよ」
「お嬢ちゃんの顔を見たとき、すぐに分かった。悪魔の顔になっておったが、露骨すぎる。いかにも悪魔ですよと言っているようなもの。本物の悪魔ならそんな怖い顔をして脅かすような下手な真似はせんじゃろ」
「そうなんですか」
「それとこの国では悪魔は無理」
「え」
「昔ならあのお嬢ちゃん、ただの狐憑きじゃな。狐憑きは叩けば落ちる。悪魔に近いのは鬼神。鬼なら鬼瓦で脅かせばいい。それで私の扮装じゃが神父ではなく、悪魔の扮装をしたんじゃ」
「これで、妖怪博士は悪魔祓いができると噂が立ちますよ」
「君が立てるのじゃろ。それはやめるように」
「ところで博士」
「何かね」
「まだ面を付けているのですか」
「え」
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 12:37| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月14日

3836話 目的の喪失


 さて、何処へ行くか。倉田は思案した。思い当たらない。その行き先は目的。路上で彷徨っているわけではない。目的とする行き先、これは場所ではないが、場所でもある。ただ、駅へ向かうとか、買い物に行くとかのそれではない。ただ、ある目的のため、駅へ向かったり買い物をするかもしれない。
 この前まで倉田には行き先があった。目的があった。それは長期でもあり、短期でもある。長い目の目的は大きな目標、生涯掛けての目的だろうが、その生涯は終わってからでないと分からない。
 倉田にとっての大きな目的はライフワークのようなもので、仕事でも趣味でもいい。ずっとやり続けるようなもの。
 ただ、最近の倉田の目的はすぐに終わる。つまり目先のものを追いかけることが多い。当然その目先は将来とも繋がっている。過程の中の一つ。ただ、一過程だけで終わったりする。しかもその過程を乗り越えて次の過程へと行くはずだが、そこでやる気が失せたりする。
「目的ねえ」
「何かないかなあ」
「そりゃそうだよ。目的がある方がやりやすい。考えなくても済む」
「そういう盲目的な目的を探している」
「思慮なしかい」
「考えても始まらん。まず最初の一歩が大事。これを踏みたいと思うか思わないかで決まる」
「でも最初の一歩はきついけど、それを踏まないと先へ進めないこともあるぜ」
「それもあるでよ。しかし、キツイ一歩の次にまたキツイ一歩じゃ、ずっときつそうじゃないか」
「じゃ、ずっと柔らかいのがいいのかい」
「そうそう」
「まあ、それじゃ大した目的じゃないってことになる」
「目的の質やレベルが問題なんじゃなく、目的があるかどうかなんだ」
「それは分かるけど」
「その目先の目的、やり倒してネタが切れた」
「じゃ、無目的でもいいじゃないか」
「それじゃ自分に対しての説得力がない。何かのために何かをやっているという図が欲しい」
「目的なんてなくてもいいじゃないか」
「でも形が欲しい」
「それで今は何もないわけかい」
「うむ」
「そんなときはどうするの」
「待つしかない」
「じゃ、あまり必要じゃないんだ」
「え、何が」
「目的がだよ。探さないと出てこないんだろ。それは目的を必要としていないか、または平和なんだよ」
「いや、作ろうと思えばいくらでも目的は作れるけど、それはメンテナンス系で、あまり面白くない。いやいややるようなことだから」
「仕事なんかもそうだね」
「そうそう」
「仕事はどれも嫌なものさ」
「うん、そう言い切っても差し障りはない。事実だ」
「だったら趣味方面での目的がいいんじゃないのかい」
「それそれ、趣味だよ。趣味」
「要するに、趣味が途絶えたってことだね」
「まあ、そうだ」
「趣味とは何だろう」
「楽しみかもしれない」
「そうだね」
「やってみたいという気が湧くもの」
「やりたいものだね」
「そうそう」
「趣味といっても広い」
「その中で、柔らかくて楽しいのがいい。わくわくするようなね」
「じゃ、何だったら、わくわくする?」
「何も湧かないので、探しているんだ」
「金さえあれば簡単に楽しめるんじゃない」
「それもやったけど、逆に苦しい。それにコスパが低すぎる」
「だったら倉田君」
「何だい」
「そこから察すると、君は一番良い状態なんだ」
「え」
「そんな暇なことを考えられるだけね」
「そうかなあ。目的がないので、苦しいけど」
「いや、そうじゃない」
「目的の喪失、これは深刻だ」
「はいはい」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月13日

3835話 鍋焼きうどんに聞け


 今冬一番の寒さ。それが襲ってきたのだが、大寒波ではなく、記録的な寒さでもない。この冬一番の寒さなど普通に来る。秋の終わり頃から既に寒くなり出し、その後も下がり続けるだろう。暦の上で冬となり、単に気温が下がるだけ。そのため、日々この冬一番が出続けるだろう。
 沢木は寒い。彼だけではなく、余程の暑がりでもない限り、冬場は寒いだろう。
 沢木は寒いだけではなく、他の箇所も寒い。年末が近いというのに懐も心も寒い。懐と心とは連動する。
 ニュースで初冠雪を報じていた。結構近い。沢木の住むところとは離れているので、関係はないが、雪の話題が出る季節になっているのは確か。
 初冠雪は冬場は一度だけ。今冬一番は何回もある。
 そんなことを思うのは、他に考えることがないわけではないが、多少は落ち着く。雪の便りや寒さで落ち着くのは誰に対してもやってくるためだろう。被害とまではいかないが、この季節、誰もが寒い。そのため沢木だけではない。それで気が休まる。妙な論理だ。
 そんなことを思いながら、沢木は街角にいた。これは散歩だ。健康のためではなく、これが沢木の娯楽。金を使わなくてもできる。足さえ使えばいい。
 出るときから、いや、朝起きたときから、いや、寝る前から気温がぐっと下がっていたのは分かっていたのだが、それでも散歩に出た。まだ昼過ぎ。気温は朝夕よりはましだが、それでも寒い。それでもう引き返すことにした。これでは娯楽にならず、寒いだけ。これで風邪でも引けば大変。沢木は滅多に風邪など引かないのだが、身体を冷やすとろくなことはない。
 冬場の散歩はやはり控えるべきだが、それでも習慣になっているので、食後などは外に出る。食べたあとは外に出る。これが癖になっている。習慣というより癖。そういう体になっている。だから真冬でも真夏でもこの癖がリードする。
 流石に楽しいものではないので、引き返すことにしたのだが、冬場や夏場は距離が短くなる。これは例年のことで、気にする必要はない。
 何か事を起こさないと財布も心も寒い。それを考えながら散歩をしていた。考え事と散歩とは相性がいい。ずっと考え事をしながら歩いているわけではないが、いいことを思い付くこともたまにはある。
 今回はいくら散歩に出ても、それが出ない。出そうとすればするほど出ないようで、アイデアというのは考えていないときに湧き出すものだ。そのため、考えているときは陽動作戦で、あまり期待していない。無駄な思案だが、これが表。この表がなければ裏からふっといいのが出てこない。
 何か事を起こす。これだけが決まっているのだが中身がない。
 散歩から戻る途中、ある偶然との遭遇で、思わぬことが起こる。これは期待で、実際には車と接触し掛かったとか、その程度だろう。
 その経験があるので、もう何も考えないで、寒い寒いと思うだけにし、頭の中を自然に任せた。これはもうあまり何も考えていないだけ。ただ、目に入るものについては、少しは意識的になる。看板とか建物とか道行く人とか車とか。
 こういうとき、向こうから見知らぬ人が来て、声を掛けられ、妙な立ち話が始まる。というようなことは一度もない。
 そして家に近付いたとき、コンビニに寄り、冷凍の鍋焼きうどんを買う。
 閃いたとことといえばその程度。しかし、結構高い。これを夕食にするとなると、これだけでは腹が減る。うどんとちょっとした具が入っているだけ。まあ出汁が美味しいので、それで満足すべきだが、おそらく足りないので、ご飯がいるかもしれない。ご飯は炊いたものが残っている。それでうどんをおかずにご飯を食べるところまで考えた。先を読んだ計算だ。
 沢田は寒いときに冷たいものを持ち帰る。しかし火に掛ければ、これが熱いほどの鍋焼きうどんになる。アルミ鍋なので唇を当てられないほど熱いだろう。
 だが、まだ昼過ぎ。先ほど食べたばかり。
 結局散歩に出た成果は先々の計画ではなく、夕食が決まっただけ。少なくてもこれで夕食、何を食べようかと考える必要がなくなった。散歩の成果といえば成果。ただ、先々には貢献しない日常の些細事。逆に高いうどんを買ってしまったので、財布に影響する。自分で鍋焼きうどんを作れば三分の一ほどの値段で作れる。さらに具はもっと多い。流石に海老は無理だが、ちくわで誤魔化せる。また小さく痩せた海老よりもちくわの方が具が大きいだろう。
 待てよ。と沢木はランプが付いたことを感じる。これか。と。
 鍋焼きうどん。これだ。
 しかし、鍋焼きうどんに何か将来のこととが関係しているところまでは閃いたのだが、それがどういうことかまでは見付からなかった。
 惜しい。閃きがあったのに。
 と、残念がったが、鍋焼きうどんがどういうヒントになっているかは、追々考えればいいと思い、寒いので、そのまま蒲団に入り、昼寝をした。
 そして目覚めたとき、もう鍋焼きうどんのことなどすっかり忘れていた。
 当然鍋焼きうどんを冷凍室に入れたことは覚えているし、夕食のおかずであることも覚えているが、そこからヒントを得るという繋がりは、もう切れていた。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 12:00| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月12日

3834話 極楽堂奇譚


 この世は地獄と言った方が極楽と言うよりもリアルに聞こえる。
 卒塔婆村という陰気そうな村があるのだが、正式には村ではなく、地図にもそんな名はない。人をあだ名で呼ぶようなもの。
 その卒塔婆村に極楽堂がある。もうそれだけでも充分濃く、それ以上のことを聞かない方がいいかもしれない。興ざめしてしまうためだ。リアルとはそんなものだろう。
 温泉に浸かり、ああ極楽極楽というような感じをそのまま延長したような場所で、湯はないがお堂がある。木立の中にぽつりと一つだけお堂がある。天井が高いため、二階以上はあるかもしれない。中に背の高い仏様が立っているわけではない。
 しかしお堂に入ると、天井はそれほど高くはない。実は二階があり、そこが極楽堂主人の住居。一階が店舗で二階が住居、一階はスナックで二階はホームゴタツのある居間のようなもの。
 極楽堂主人は以前は下町で天国荘をやっていた。これはただのアパート。奇人変人が多く住んでいたが、立ち退きをしないので、放火され、今はない。それで郊外でまた妙なことをやり出した。その頃からこの主人の頭は天国だったが、極楽の方がいいのではないかと思い、今回は極楽堂を建てた。
 ただしお寺ではない。主人は僧侶ではないし、宗教家でもない。今回はアパートのようなことはしないが、本堂の大広間を解放した。ヘルスセンターの大広間のようなもので、須弥壇がある場所に舞台を作った。だからちょっとした劇場にもなる。ただ、照明や音響設備はない。
 極楽堂は、まあ、学校の講堂のようなもの。講堂そのものがお寺関係から来ているはずなので、似ていても不思議ではない。
 それで、今回は何をやり出したのかというと、貸ホールのようなもの。イベントができる。
 天国荘時代はアパートなので、生活の場。結構地味で、その住人達も貧しいだけ。奇人変人がいても普段は地味に暮らしている。そしてメンバーはあまり変わらないので、主人は飽きてきたのだろう。
 今回はハレの場を提供することで、賑やかで派手になった。
 天国荘時代は殺人事件があり、それで賑わったが、これはリアルなので、厳しいものがある。もっと浮き世離れした楽しさが好ましい。アパートが焼けたことをきっかけに、極楽堂へとチェンジしたことになる。
 極楽堂は大学の合宿所や企業の研修などでも使われるが、こういうとき、主人は二階から降りてこない。興味がないのだろう。
 建物がお寺のそれなのでよく間違えられ、本物の坊さんが訪ねて来ることもある。
 イベント会場として貸しているときは、ややこしい人達も多く来る。そういう日は主人も楽しそうだ。年中祭り、年中学芸会のようなもの。
 要するに極楽堂の極楽とは主人だけのものかもしれない。主人が一番楽しんでいる。
 しかし、こういう施設、それなりに揉め事が起こり、主人もそれに巻き込まれた。後で考える、主人が火を付けたのかもしれない。
 極楽堂主人の行方が分からなくなったのだ。そのとき演劇で借りていた劇団スタッフが探し回った。事件に巻き込まれたのではないかと。
 これはただの隠れん坊で、主人の悪い癖が出ただけ。騒ぎが起こるのが好きなのだ。
 これは屋根部屋に隠れていたのだが、これを一度やってみたかったのだろう。
 宇治の平等院などは平安時代の貴族が極楽浄土を味わうために建てたとされるが、それに比べると極楽堂は何故か生々しい。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 12:18| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする