2019年08月11日

3476話 寝起き違える


 遠いところから戻ったように、木村は目が覚めた。眠っていたことは分かる。そして起きたことも。そして、それはいつもの朝で、昼寝ではないことも。そして、ああ、また自分をしないといけないのかと思いながら、身体を起こす。別に病人ではない。
 いつもの自分の部屋であり、寝床。ああ、また、これをしないといけないようだと、あたりまえのことを考えるのは、遠いところへ行っていたためだろう。単に熟睡していただけ。しかし、何度か夢を見たが、起きると同時に忘れた。子供の頃の夢だったように思うが、どんな話だったのかは忘れている。
 目覚めたときは当然今の年齢。物心が付いた頃から繋がっている記憶の最先端だ。しかし、ああ、この年とこの身体に戻っていたんだなと、これもあたりまえのことを思いながら朝の支度をした。
 今日もまたこれから一日自分をやらないといけない。自分以外の他人にはなれないし、過去の自分にも戻れないのだから、この今の自分をやるしかない。あたりまえすぎて、考える必要もないだろう。
 しかし、先ほどまで、こういうところではなく、こういう自分ではなく、もっと遠いところにいたように思える。そういう夢を見たのかどうかさえ分からないが。
 部屋を見回すと、昨日の続き。夜食で食べたときの食器などがそのままあるし、汗で濡れたシャツがハンガーにぶら下がっている。この前買った4Kテレビが見慣れない物体としてあるが、もう部屋に馴染み掛けている。
 昨日まで蚊に刺されて痒かったところは、もう気にしなくてもよくなったが、まだ赤いところが残っている。
 間違いなくこれは自分であり、自分の部屋。おそらく外に出れば、いつもの町内であり、町並みであり、季節も昨日と同じ真夏の空。
 ああ、ここにまた戻ってきたのだなと、思う方が妙だ。これが旅先から戻った翌朝なら分かるが。
 木村は支度ができたので、表に出た。朝食は抜きだ。途中にある喫茶店でとる。
 そしてドアを開け、外に出た瞬間、くらっときた。目眩ではない。世界が回ったような眩み方。
 特に表の風景に変化はない。しかし、これは違うと直感的に分かった。
 少し違うのだ。それは差違というもので、同じ箇所よりも違っている箇所のほうがよく見える。
 目立たないものの、ブロック塀の段数が違う。八段が七段になっており、高さは同じなので、ブロックの一つ一つが大きいのだ。
 いつも路上駐車している車の色が違う。灰色の車だが、それがかなり黒っぽい。色目は同じだが濃さが違う。
 夏みかんが成っている塀沿いの庭があるのだが、青さは同じだが、どれも大きすぎる。これは別の品種かもしれない。
 その他、数え出せばきりがないほど、違いが見付かる。まるで間違い探し。
 朝の目覚め、遠いところから戻ってきたような気がしたが、戻りきっていないのかもしれない。
 またはいつもの木村の世界がきっちりとお膳立てし切れていないのかもしれない。まだ、未完成なのか、いつもの世界が準備されきっていないのだろうか。
 そして駅へ近付くほど、つまり部屋から離れるほど、風景が荒っぽくなってきた。
 そのうち建物が途切れだし、何もない土地が増えだした。
 さらに進むと、更地ばかり。
 寝違えたのではなく、寝起き違えたのかもしれない。
 
   了



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2019年08月10日

3475話 夕食後の散歩


 立花は夕食を済ませ、汗をかいたところで一息ついた。真夏の夕、温かい汁物では汗をかくだろう。しかも湯豆腐も。これは残っている昆布を使い切りたいため。長く放置するほどコクが出ると言うが、カビが生えかかっている。
 ここまで、つまり夕食終了まで辿り着けば一日が何とか終わる。その、ここまでにやっと辿り着いた。そのあとすぐに眠りたいところだが、それでは早寝過ぎて明け切らぬうちに目が覚めてしまうだろう。夜中目を覚ますことは何度かあるが、寝たりないので、当然また寝る。その目覚めとはまた違う。本当に目が覚め、身体も起きてしまう。逆にそのまま寝る方が苦痛。
 夕食後の汗は扇風機で徐々に引いていく。そのときは一瞬涼しいが、まだ汗ばんでおり、流れていないだけ。
 食べるものを食べたので人心地ついたので、夕涼みにでも出ようと思った。これは日課になっていない。夕食までは仕事をしている。これがいやでいやで仕方がないのだが、やらないと食べていけない。そして今日の予定はもう終わった。いつもよりも早い目に済んだためか、夕食も早かった。そのため、外はまだ明るく日も沈んでいない。西日を受けての夕涼みは理に合わない。日が落ちて薄暗くなってからだろう。で、ないとまだまだ暑い。
 それと、この時間、部屋にいるよりも、外のほうが少しは暑さはまし。それで、出ることにした。
 日が相当傾いているためか、影が異様に長く、人影は誰もが足長おじさん。女性の場合、どういうのだろう。
 散歩コースというのは特にないが、駅とは反対側へ向かうのが癖になっている。そちらのほうが静かで、緑も多いため。当然車も少なく、歩きやすい道も多い。
 何年もここに住んでいるが、どんな町なのかまでは実際にはよく知らない。用事がないため、散歩で歩く程度。だから知識もその程度。
 自分の周囲のことしか関心は無いが、もっと昔の、もう自分とは関係のない時代のことには関心があるようで、これは関わりが無いので、いいのだろう。
 昔、このあたりの村は武装していたという話が残っている。何処と戦っていたのかなどは調べようがないが、旧家に記録があるかもしれない。どちらにしても歴史を動かすような戦いではなく、村同士の小競り合いだろうか。
 荒木という武将がここから出ている。歴史に少しだけ名を残すが、地元の人は関心が無いようだ。村人が入れ替わったためだろう。
 荒木氏の一族は滅ぼされた。そのため数多くいた子供も果てたので、その血筋はもう残っていない。
 立花はそんなことを思い出しながら、村の地形などを見ている。荒木家の屋敷があったはずなのだが、それが何処だか分からない。家は消えても、敷地跡ぐらいはあるはずだと、それらしい場所を見て歩いた。
 村にいた兵。これは今なら地元の消防団員程度だろうか。または村祭りで神輿を担ぐ男達程度の数。
 そんなことを知ったからといって、役に立つわけではない。ただの好奇心。
 日がかなり傾き、沈もうとしている。いい感じの夕焼けだ。この夕焼けは荒木氏時代にもあったのだろう。
 
   了




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2019年08月09日

3474話 ボーとしている人


 岩田は暑いのでボーとしていた。暑くなくても、寒くても岩田はボーとしていることがある。無の境地に入るわけではない。そんな修行はしていないし、そんな上等なことではない。ただ単ににぼんやりしている。そんな状態で歩いていると、何かにぶつかったりしそうだが、それは反射的に分かるようだ。結構周囲を見ている。それは見ようとして見ているのではなく、自然な目配りだ。
 だからボーとしているようでいて、見るべきものはしっかりと見ているわけではない。要するに大事なことに関してボーとしているのだろう。
 そしてぼんやりと時を過ごすのが好きなようで、これが一番の娯楽とか。これもよくいわれていることで、余暇の過ごし方として、一番多かったりする。部屋でゆっくりしているとか、一人でぼんやりと部屋で過ごしているとかだ。ただ、それらはぼんやりとしていても良い状態なのでできること。
 頭をしっかりと働かせないといけないときに、ぼんやりでは困る。ボーとしており、鈍い。皆が忙しく立ち回っているとき、一人だけゆっくりでは、違和感を与えるだろう。やる気がないとか。
 では岩田がボートしているとき、何に関してボーとしているのだろう。これは休憩しているのだ。少し現実から離れて、じっとしているようなもの。
 つまり一種の現実逃避だが、頭を駆使しないので、判断力も弱い。ボーとしている状態だとそうなるだろう。
 ただ、それが幸いすることもある。すぐに判断しないため、白黒がつかない。曖昧なまま。これを優柔不断というが、決めないことも、一つの決定だろう。
 それと鋭利な頭で考えたときよりも、ぼんやりとしているときに浮かんできたもののほうがいいようだ。これが意外と当を得ていたりする。ただし、岩田だけに当てはまる正解だが。
 また岩田をボーとした鈍い人間と見る人と、慎重な人だと見る人に分かれる。思慮深い人と。
 よく考えると、もの凄く考える前に答えを出すことが多い。本当は二三日熟考が必要だったりする。それでも実際には何処かで打ち切るのだろう。
 岩田はそれを打ち切らないので、判断が遅いとか、鈍いとか言われるのだが、岩田に言わせれば、そんな簡単に出せるものではないらしい。だからいつまで立っても判断できないままの事柄が多い。
 判断を保留しすぎるのだが、保留したいわけではなく、答えが出ないためだろう。
 しかし、いいところもある。人を簡単に判断しないためだ。最初から決め付けない。当然先入観や印象が先立つのだが、どうしてそう思ってしまうのから考える。まずは自分のセンサーそのものから弄り出す。これでは遅いだろう。
 ただ、公正、公平な人だという評価もある。
 当然岩田には主義主張はない。どの主義でも主張でも、出所が臭い。
 公正な人は主義主張はしないのかもしれない。
 
   了


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2019年08月08日

3473話 夏の里山


 ひまわりが暑苦しく咲き、それが終わりがけか枯れかかっている。花びらの中心部、ひまわりハゲそのものだが、ガサガサしており痒そうだ。
 暑い中、殿山は里山歩きをしている。意外と街中よりも涼しいのは、空気がいいためかもしれない。エアコンなどの吹き出しがないこともあるが、木陰が多いためだろう。新緑の季節は終わったが、葉はまだ生き生きしており、まだまだ若葉だと言ってもいい。そしてその背景の青い空と入道雲。まさに真夏の風景。絵に描いたよりも絵になる。
 こういうのを見ていると風景画などは必要でなくなる。特に写実画は。残るとすれば、軽く書いた俳画とか、リアルではないが抽象画ではない、その間のような絵。より作者のイメージが形になって現れる。風景画というより、その人の心情だろう。
 富田がこんなところを歩いているのは、その目的もある。自分の画風を完成させたい。どんなタッチで描けばいいのかがまだ決まっていない。
 こういうのは人の絵を見てその影響で決まるのだが、風景画の場合、その物を見たほうが早いのではないかと思い付いたのだ。つまりお手本は自然の中にある。
 しかし、真夏の里山を見ていると、そんな絵のことなどを忘れ、目の前のことしか思わないようだ。またはそんな近くではなく逆にうんと遠いことなど。
 それで少し見晴らしのいいところで、日影のある場所に座り、里を見る。といってももう普通の町だ。藁葺き屋根の農家があるわけではなく、水車が回っているわけではない。田んぼだけは流石青々と稲がなびいており、これは昔のままだろう。田植えからしばらく立つので結構背が高くなっているが、もう少し伸びないと穂は付かないはず。だからただの草のようなもの。草原と言ってもいい。
「見立てる」
 まず、それを思い付いた。絵とは見立てなのだと。
 そして小さなスケッチブックを取り出し、色鉛筆でささっとスケッチした。
 細かいことを気にすると、神経質になりかねない。電線の数とか、電線についているコブとか、また家を書いても瓦の一枚一枚が気になると、その並び方が角度によって違うので、線として掴むのは大変。
 そういう画き方をするのなら、カメラで写した方が早い。一瞬で書き出してくれる。
 ではこの時代の絵画とは何だろうかと、殿山はまた絵のことを考え出した。それでいいのだ。それを考えるために来たのだから。
「単純化」
 それしかないと思うものの、何処まで省略すればいいのだろう。それでいて本質をくり抜いたもの。これは流石に難しい。加えるより減らす方が楽なはずだが、ただの略画なったりしそうだ。
 台風が近いのか、影響はまだなく、よく晴れているのだが、雲の流れが速い。こういうのを一時間ほど写生していると、雲の位置が変わるだろう。下絵のときと。
 この場合、どうするのだろう。それとたまに雲で日が隠れるときがある。すると光線状態も変わってくるし、日を受けているところと、日影になっているところとがあり、それが徐々に移動していたりする。地面を光が走るのか、影が走るのか、どちらだろう。実際には雲が走っている。
 こういうのは動画がふさわしいだろう。
 結局何も掴めなかったので、殿山は高いところから下り、田んぼの草原の中を抜けて、バス停まで来た。
 そして、振り返った。先ほど殿山がいた小高い場所だ。
 ここで、
 そう、ここで急に何かが閃いた、となるのだが、そのようなことは起こらなかったようだ。
 
   了

 

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2019年08月07日

3472話 水彩画の神秘


 夏休み、柏木は趣味の絵を書く絶好の機会。といってもイラストで、本格的なものではない。将来イラストレーターになれるとは思っていないし、その気もないので、好きなような絵を書いている。しかし、その時代、その年代の人が書くような絵は似たようなものになる。何処かで目に入る絵が影響しているのだろう。
 同じように絵を書いている同級生がいる。村田といい、彼は美術部にいる。その中でも一番上手い。この場合の上手さとは器用さ、技巧派。これは天性のもので、練習してできるものではない。そういった絵の上手い人はクラスに一人か二人いるだろう。特にそれを伸ばすわけでもなく、趣味で書くこともなかったりする。美術の授業で、褒められる程度だろうか。
 柏木が汗をかきながら、大きな画板を机の上に傾けた上で書いていると、村田が来た。
「美術部に入ればいいのに、部室にエアコンがあるから」
「いや、この汗がいい」
 見るからに昔からあるような学生アパート。エアコンが付いている部屋もあるが、貸主ではなく、借主が付けたもの。卒業すると多くは出ていくが、エアコンまでは運ばない。それで、エアコンのある部屋があるのだが、家賃が少しだけ高い。
「君の絵なんだけど」
「何かな」
「変わってるねえ」
 技巧派の村田は逆に、こういった個性的な絵や人に興味を持つようだ。自分にはないものを持っているため。それを無視するのではなく、好奇心がまだ旺盛で、いい感じだ。
「しかし、これじゃ売れないよ」
「ああ、そうだね。でも趣味で書いているから」
「夏休み、ずっと絵を書いて過ごすの」
「そうだよ。他に楽しみはないから」
「じゃ、将来本職でやれば」
「多いでしょ」
「ああ、多いねえ」
 村田はアクリルで書いた小さな絵を鞄から出す。キャビネサイズのパネルだ。
「凄いねえ、立体感がある」
「絵の具の分厚さだよ」
「そうか」
「今度は本物の油絵をやろうと思っている。それまでの練習さ」
 柏木は百均で売っている画用紙というより落書き帳の大きいタイプに、これも百均で売っている水彩絵の具、しかもチューブに入っていない。固形のパレットで、水の付いた筆で擦ると水彩絵の具になる。ただ薄いので、濃い赤などは再現できない。それを書いている最中だ。
 絵に詳しい村田でも、誰の真似なのかが分からない。リアルな絵ではなく、平面的なイラストに近い。輪郭線があり、彩色されている。
「これなら絵本がいいかもしれないね」
「うん、それぐらいの大きさがいい」
「こういう絵、何処で習ったの」
「習わない」
「好きな画家は」
「知らない」
「じゃ、我流。でも影響を受けた絵はあるでしょ」
「夢の中に出てきた絵かな」
「へー」
「他の絵は書けない」
「じゃ、インスピレーションってやつだ」
「いや、本当に寝ているときの夢の中に出て来る絵なんだ」
「それをコピーしてるの」
「さあ、絵がはっきり見えていないから、真似ようにも、どんな絵なのかが分からない」
「変わってるねえ」
 村田はこんな異才の柏木をやはり部に入れたい。夏の終わりになるとコンクールがある。ライバル校との戦いだ。この柏木が切り札になる。それまでは隠し札。
 コンクールは美術部対抗なので、部員でないと駄目。
 しかし、柏木はうんとは言わないので、美術部客員として参加させた。参加といっても絵を受け取っただけ。
 そして、コンクールで入選するだろうと思っていたが、村田の絵は佳作に入ったが、柏木の絵はまったく無視された。
 夢の中から写し取った絵だけに、溶けたのだろうか。具象が抽象画に変化していた。絵の具が滲んでしまい、何を書いた絵なのか、分からなくなっていた。
 村田が受け取ったときは、色つきの水墨画のようで、その透明感に感動した。文人画、俳画に近い。
 そのことを柏木に言うと、百均の絵の具はしゃぶしゃぶだからと答えたが、そんなことではないだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:26| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月06日

3471話 不便な話


「最近少し不便なものに憧れております」
「便秘ですか」
「違います。便利ではないもの。しかし機能は果たせます。不便だからといって便がないわけではない。まあバスの便が悪いとかはありますが、一時間に一便なら、逆に分かりやすい。逆に一時間に数便あるとしましても、今出たところでは何分か待たないといけない。乗り降りの多い路線なら、次から次へと来ますから、待つというほどではない。ただ、ローカル地下鉄は便が少ない。かなり待たされますがね」
「ローカル地下鉄ですか」
「はい、新線でしょ。あれば便利という程度のもので、流行っていない路線です。待つ間、退屈です。風景もない。室内と同じですからね。鳥も飛んでいない。遠くの山の木々などの変化も分からない。当然四季の草花も。これはやはり田舎のローカル駅のほうがいい。一時間に一本の便でもね」
「そういう不自由なものに憧れているのですか」
「不自由じゃない。のんびりしたいだけです。順番を踏んでね」
「手間暇を掛けるほうが充実すると」
「さあ、それはどうだか分かりませんが、便利になりすぎて消えてしまった間合いというのがあるのです。この間合いの中に美味しいものが実は含まれていたのですよ」
「そうなんですか」
「まあ、これは気持ちに余裕がなければ楽しめませんがね。何でも機械、オート化の世の中でしょ」
「AI時代です」
「人が犯すミス、これがよかったりします」
「それは危ないでしょ」
「まあ、どうでもいいようなことに限られますがね。もし手順を踏んで、昔通りやればどうなるかなどに興味がいきます。手間がかかりすぎて駄目だから、どんどん進歩したわけですが。それじゃ味気ない。ミスやロスに味があるのですよ」
「それは違った意味での楽しみですね」
「意味を違える自由さが欲しいですからね」
「変わっておられる。しかし結果を残さないといけない用事では無理でしょ」
「そうですなあ。それはありますが、もう結果を残さなくてもよくなれば、慌てる必要もありませんよ。ゆっくりやればいい」
「無い物ねだりかもしれませんねえ」
「そうでしょうねえ。なくなってしまったからいいのでしょ。戻れないからいいのでしょ」
「はい」
「長々とつまらない話を聞かせて、申し訳ない。何の役にも立たない話でした」
「しかし、役立たない話は面白いですよ」
「そう言って頂けると有り難い」
「しかし、フェリーはいつ来るのでしょ」
「台風が来てますからねえ」
「出ますかねえ」
「欠航とはまだ決定していないようです」
「じゃ、待ちましょう」
「はい」
 
   了



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2019年08月05日

3470話 提灯小僧


 雨ばかりの日が終わると暑いだけの日々が続く。
 倉田はのびていた。暑さでやれたのか、またやられつつある状態か、どちらにしても暑くてえらい。
 こんなとき思い起こすのは、闇の事々。頭の中が熱暴走でも起こしたのか、閉じていた扉が多く開く。そこは入ってはいけない闇の領域。
 今までとろんとしていた目が獣のように見開き、何かを見ている。目の前のものではない。頭の中のある領域に入り込んだため、眼差しが鋭くなったのだ。
「いけないいけない」
 しかし、さらに見詰めていると古い路地が見えてくる。その狭いところに提灯明かり。
「出たか。やはり」
 それは提灯小僧。丁稚のような姿の子供だ。
 暑い日は昼寝で過ごしている妖怪博士だが、提灯小僧が出たという人が現れた。提灯小僧よりも、それを言いに来た人間の方が怖い。
「暑さで頭をやられたのでしょ」
「その状態になって入り込める世界があるのです。異界です」
「その異界で提灯小僧を見たと」
「はい、すれ違いました」
「彼はどうしていました」
「か、彼」
「提灯小僧ですよ」
「そのまますっと先へ行きました」
「すれ違ったのでしょ」
「そうです」
「あなたは路地に入り込んだ」
「そうです」
「そのとき後ろを見ましたか」
「いいえ」
「その後ろ側とは、あなたが最前までいた場所じゃないのですかな」
「さあ」
「それで、提灯小僧の反応は何もなかったわけですかな。あなたを見るとか」
「ありませんでした」
「それで、どうなりました」
「提灯小僧を見たところで、戻りました」
「その路地を引き返した」
「はい」
「じゃ、そのとき提灯小僧の後ろ姿があったはずですが」
「もう消えていました」
「つまり、あなたはその路地にいきなり入り込んだ。最初から路地の中にいた。実際に歩いた距離はないでしょ」
「数歩歩きましたが」
「つまり、あなたは突然路地の中に姿を現したことになりますな」
「はあ」
「どんな路地です」
「古い家で挟まれたような」
「何処だか分かりませんか」
「はい、見たこともない場所です」
「しかし」
「はい」
「何故提灯小僧なのですかな」
「さあ」
「子供の妖怪は結構います。たとえば三つ目小僧や豆腐小僧がそうです」
「はあ」
「豆腐小僧は豆腐を水の入った器に入れて運んでいるところです。目的があります。何をやっているのかが明快な妖怪。それで、あなたが見た提灯小僧なんですが、目的は何だと思います」
「暗いので、提灯を灯して帰るところだと思いますが」
「その提灯小僧、よく見ますか」
「たまに見ます。一夏に二回ほど。特に暑い夜に」
「夏の」
「そうです」
「まあ、気にしなくてもいいでしょ」
「そこは別世界です。異界です」
「まあ、頭の中に異界があるのでしょ」
「じゃ、何故提灯小僧がいるのでしょ」
「そんなもの、提灯小僧でも、ムジナでも、鎌鼬でも何でもいいのです。たまたま提灯小僧だっただけのことです」
「解説、有り難うございました」
「しかし、小僧というのは曲者じゃな」
「そうなんですか」
「子供の持つ、何かだ」
「あ、はい」
 
   了


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2019年08月04日

3469話 ステテコ親父の喫茶店


「暑くて何ともならないな」
「暑くなくても何ともならないでしょ」
「あ、そうか」
 扇風機が古いのか、首振りがガタガタし、しかも音がうるさい。端に行ったときの折り返しのとき悲鳴を上げる。その悲鳴が終わらぬうちに反対側の折り返し点につき、そこでは違う音色を出す。これは滑らかだ。しかし、ゴトゴトと何度か振動する。
 作田は大きな薬缶からいきなりコップへ麦茶を注ぐ。
 大下もお代わりを要求するように、コップを突き出す。
「冷やせばいいのに」
「暑いときに冷たいものを飲むと余計に喉が渇く、これでいいんだ」
 二人とも夏休み。特にすることがない。
「喫茶店でも行かないか、ここ、いるだけで暑くて暑くて溶けてしまいそうだ」
「そうだね」
 部屋のドアを開けると涼しい風が入って来た。最初から開けっぱなしにしておけばいいのだが、それでは丸見え。ドアの向こうは廊下。板敷きで黒光りしている。靴脱ぎ場は玄関口にある。
 足の裏がいい感じで冷たい。
「喫茶店かあ、あるかなあ」
「来るとき見たよ」
「花田でしょ。あそこは開いているようでも潰れている。もう普通の家だ。ドアを開けてごらん、インベーダーゲームのテーブルがあるけど、キャベツとか、メリケン粉の袋が積んである。売り物じゃないよ。ただの置き場だ」
「君は地元でしょ。喫茶店ぐらい知ってるでしょ」
「あるにはあるが、行きたくない」
「何かあったの」
「面倒臭そうな親父がやってるんだ。話しかけてくるし、主義主張が多い。世間に対して、文句ばかりいってる」
「でも二人で行けば、割って張ってまで主義主張を言い出さないでしょ」
「まあ、そうだけど」
 二人はほこり臭く、また日向臭い住宅地の細い道に入り込み、そこにあるブレーンバスターという店のドアを開けた。
 作田が思った通り、客は誰もいない。これでは廃業だろう。
 ドアの音で目を覚ましたのか、ステテコだけのブッチャーのような親父が出てきて、扇風機のスイッチを押した。エアコンはない。
 いきなりの風でホコリが舞い、大石は目を擦った。
 親父は冷蔵庫からおしぼりを出してきた。しかし、タオルを丸めただけのもの。
 だが、冷たいタオルで顔を拭くと気持ちがいい。大下は耳の穴や裏側や首筋から背中に掛けて丁寧に拭いた。これをしないと損とばかりに。
「アイスコーヒー二つ」
「シロップは入れますか」
「大下はいらないと答え、作田は入れてくれと答えた。
「はい」
 今のところ五月蠅い親父ではない。ただ、ステテコだけなのは頂けないが。
 出てきたアイスコーヒーは当然冷蔵庫で作り置いた物を入れただけ。冬場は薬缶で温めて出すのだろう。それで色が濃い。
 そして案の定生クリームの瓶は口のあたりがドロドロで、入れるとダマが出てきており、溶かすのが大変。もうフレッシュではない。そして真っ白ではなく、黄ばんでいる。まあ、クリーム色だと言われればそうなのだが、かなり黄色い。
 ダマが溶けきらないのか、ストローにつまり、すっと飲めない。
 親父はそのまま奥にすっこんだ。
「静かな人じゃないか」
「静かに! 聞こえているから」
「はいはい」
「やはり二人だと入ってこない」
「聞こえてるよ」
「うん」
 奥から笑い声がしている。テレビだろう。
 一時間ほど無駄話をし、飽きてきたので、出ることにした。
 何処で見ていたのか、二人がレジのようなとこに立つと、親父が姿を現した。
 珈琲の値段はこのあたりの相場よりもはるかに安かった。
 二人はまた埃っぽく日向臭い小径を通り、その一角から出て、アパート前まで戻ってきた。
「じゃ、帰るわ」
「ああ、またな」
 二人はそこで別れた。
 それから数十年。もうあの靴脱ぎ場のあるアパートも、主義主張の強い親父がやっていた喫茶ブレーンバスターも跡形もなくなっている。
 大下と作田も学生時代だけの関係で、その後の再会はない。
 
   了



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2019年08月03日

3468話 神主選考委員会


 その村には昔から残る古い組織がいくつかある。それらは自治会が引き継いでいるのだが、それとは関係なく、未だに残っているものがある。それは神主を決める委員会。五人おり、全員の同意が必要。この神社には神様以外にも人が住んでいる。横に住居があり、そこで生活している。専従で、プロの神主だ。神主以外の仕事はしていない。氏子代表とかが神主をやるのではなく、神社だけで生計を立てている。当然村の中の誰かが神主になるのだが、それを選ぶ組織。ただ村人から選ぶとは決められていない。
 だが、この組織、もう儀式のようなもので、長い間、田宮家が神主をやっている。もう何代目だろうか。当然以前は村人だった。
 宮田家は真面目に神社を管理している。特に代える必要はないので、数年に一度、この委員会が選考するのだが、他の候補はないので、宮田家が引き受けることになる。だから、もう儀式で、形式だけのもの。その組織も、それだけしか、しない組織で、五人の氏子のメンバーの家も変わっていない。
 だが、その年、メンバーの一人が引っ越し、もう村とは縁が切れたので、欠員ができた。
 昔から住んでいる大きな農家の人がなるのだが、これはほぼ大きい順。そして欠員ができたので、村で六番目に大きくて古い家が選ばれた。
 一応委員会だが、数年に一度その儀式をするだけなので、数時間、そこに顔を出せばいい程度。もう決まっているので。
 ところがその新委員、何を血迷ったのか、異議を唱えた。では、誰を選べばいいのかとなる。候補はいないのだから、異議を唱えるも何もない。ただ、気に入らなかったのだろう。田村家が。
 他の委員は、その新委員を説得した。
 宮田家も元々は大きな農家で、昔は委員をやっていた。そして神主は当事者なので、この委員会には参加できない。
 新委員と宮田家の関係はほとんどない。犬猿の仲でもない。
 では何故異議を唱えるのかと問いただすと、儀式、形式だけになっているためだと答えた。
 四人の委員は口を揃えて、その通り、これは儀式なのだから、余計なことを言わず同意せよと迫った。
 それでは委員会の意味がないと、新委員は反抗した。
 仕方なく、後日、この新委員を解任する手続きに入った。簡単なことだ。これは多数決で決められる。
 宮田家が神主というのはもう馴染みすぎており、これを代えることが実は難しい。
 また、この委員会の中から新しい神主を選ぶことができるのだが、その資格は委員会の五人。
 異論が出たことを神主の宮田家に伝えたが、これは表向きは公言してはいけない。
 すると神主の宮田は、いい話だと乗り気になった。
 新委員は神主になる資格がある。その家にやって貰おうと、神主は委員会に嘆願した。
 余程神主の仕事が辛かったのだろう。
 
   了




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2019年08月02日

3467話 歩く市松人形


 竹中は地方都市の繁華街の奥にある町が気になった。商店街が終わるところだが、安い飲み屋を探して、そこまで来てしまった。駅前からアーケードが続いているのだが、その天井がなくなり、しばらくは店舗と住宅が半々状態が続き、やがて普通の家しかなくなる。その際までいったのだが、安い居酒屋は見付からない。立ち飲みではなく、カウンターでもなく、テーブルのある飲み屋を探していたのだ。それは入口近くで数軒見付けたのだが、どこも満席に近い。そういう夕方の時間帯だったので、これは仕方がない。それで奥へ奥へと入り込んだのだが、宴会ができそうな大きな居酒屋が何軒が軒を連ねていたのを最後に、あとは半分以上閉まっていた。昼間にしか用のない店なのかもしれない。
 ただ喫茶店は奥へ行くほど残っており、いずれも個人喫茶。これは意地で張り合っているのだろうか。
 それで飲み屋だが、結局は引き返し、入口近くに集まっている安い店に入った。相席になったが、テーブル席。そこで天ぷらの盛り合わせとビールを飲み、駅裏にあるビジネスホテルで一泊した。
 それだけの思い出なのだが、商店街の端から向こう側へと続く町を思い出したのだ。もう夕暮れで、その先までは行かなかったが、古い家々が残り、大きな木が奥の方に見える。それも何本も。まるで森だが、山は遠い。
 そういう町が拡がっているのを確認しただけで、引き返したが、小さな女の子が着物姿で歩いていた。後ろ姿だ。夏のことなので、夏祭りでもあるのだろうと思っていたが、浴衣ではない。
 目は飲み屋の看板ばかり注意して見ていたので、その女の子の姿が目には入っていたが、子供がいる程度の認識。まあ、宅地なので、子供ぐらいいるだろう。何の不思議もない。
 これを急に思い出したのは、ある怪談を読んだため。市松人形。
 しかも歩く市松人形。からくり人形ではない。
 竹中の記憶では浴衣ではなく、この市松人形が着ているような部厚めの着物。夏にそれはないだろう。しかし、何かの芸事へ通うところか、戻るところかもしれない。
 その怪談はフィクションで、よくある人形綺譚。
 だが、フィクションとはいえ、その歩く市松人形の目撃者は全て外部の人らしく、町の人ではない。外から来た人。しかも始めてその地を踏んだ人にしか見えないらしい。
 竹中はそれに該当している。それで、気になったのだ。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:27| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月01日

3466話 白昼夢町


 暑いさなか、さっさと仕事を終え、あとはゆっくり涼しいところで寛ごうと思い、宮園は午前中のまだましな時間に外を回った。一寸した営業だが、これは犬が電柱に小便をかけるようなもの。よくいえば水をまく。下拵えのようなもの。
 その一角は古びたビルが多い。当時は木造の商店が多かったのだから、そこにビルができたので、新鮮だったに違いない。ただ、それほど階は高くはなかったので、周辺への影響はなかったのだろう。それらのビルがそろそろ取り壊される頃だが、まだまだいけるようで、その後の都市開発でもない限り、そのまま行けるところまで行くのだろう。
 そういったごみごみとした雑居ビルを細かく回るのだが、階段の上り下りなどでかなり汗が出てきた。この時期なので、当然だろう。廊下には冷房が入っていなかったりするので、何ともならない。そのためか、木枠の窓が開いていたりする。コンクリート壁に木枠。
 これはレトロを狙ったものではなさそうだ。緑色のペンキが塗られている。当然ほとんど剥げて淡い色になっているが、いい色合いだ。
 そういったビルから出て、日影のあるビル裏を歩いていると、喫茶店が奥にある。もう仕事は終わったので、そこで休憩することにしたが、近付くと、枯れている。乾燥している。表の壁に穴が空いており、硝子がはめられている。穴は四角い。サンプルが並んでいるようだ。クリームソーダの青色がもう別の色になっている。それ以前にガラスがホコリで煙っており、ホコリが浮いている。
 ドアも乾燥しているのか、たわみ、ベニヤが少し剥がれている。安物のドアだったようだ。
 仕舞っているというより廃屋状態。それでは仕方がないので、そのまま奥へと進む。道は合っている。この奥から左側へ回り込めば地下鉄のある通りへ出られるので。
 暑さを感じなくなったのは、この狭い通路が全部日影のため、左右はビルの裏側で、谷になっている。まるで渓谷。ビル風も谷間の風で涼しい。
 さらに進むが左側への枝道がない。長細いビルというより、ビルとビルの切れ目があるのだが、そこは流石に塞がれている。これは消防法的に大丈夫なのかどうかは分からないが、間隔が狭すぎるように思えた。
 やがて左右のビルがなくなりだし、商家や民家が見えてきた。昔はそういった町並みだったに違いない。
 さらに進むが木造の家が多くなり、仕舞た屋が続く下町に出たようだ。普通の家、住宅地。長屋などが残っているので、驚く。
 しかし、電柱が木で低い。
 ラムネと書かれた布が立てかけてある簾に張り付いている。簾の隙間から中を見ると、かき氷器が見える。土間のようなところに長椅子があるが無人。
「間違ったなあ」
 宮園は道を違えたようだ。
 それはあの喫茶店あたりからおかしくなったのだろう。左へ曲がり込む地下鉄への道など、探しても無駄。あの細いビル路地がそもそも危ないものだったのだ。
 宮園は引き返そうと思ったが、この先、何があるのかと、そちらのほうに興味がいき、さらに奥へと歩を進めた。
 そこは行けども行けどもだだっ広い下町が続いている。高い建物でも二階屋程度。車が通っていないどころか道路標識も信号もない。
 宮園は、そこで諦めた。これは夢だろうと、だから真剣に詮索するより、その夢の先を見て歩くことにした。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 10:13| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする