2019年09月30日

3526話 秘境サイト


「落ち着けるものがいいですねえ」
「それは物事が落ち着かないと、落ち着けないでしょ」
「そうですねえ。しかし、落ち着いたものが好きです」
「それも結果的に落ち着いたので、落ち着けるのじゃありませんか」
「結果ですか」
「辿り着いたとき。目的を果たした地点。そこが落ち着き先ということでしょ。何もしてないのに落ち着きだけを求めるのはどうかと思いますよ」
「いや、世の中、次から次で、落ち着いたと思っても、また色々と起こりますからねえ」
「そしてまたそれが解決するなりして、落ち着けるわけです」
「でも着いた瞬間、また立たないといけないようなのでは落ち着きがありませんねえ」
「それが世の中ですよ」
「まあ、それはそれとして、私が思っているのは、落ち着いた雰囲気のものが好きだという程度です。何も事を起こしたり、解決したりして得る落ち着きではなく」
「なるほど、趣向の問題でしたか」
「そうです。好みの問題です。しかし、これは必要なんです。そういう落ち着ける場所が」
「場所」
「はい」
「場所」
「そうです。場のようなものです」
「たとえば?」
「私はネットを見るのですが」
「落ち着けないでしょ。色々と騒がしそうで」
「いえ、個人が作られたホームページが好きなんです」
「ほう」
「もう更新も止まっていますがね。だから動きはありません。新しい記事とか情報とか。しかし、そういう止まったものを見ているとほっとするのです。絶対に更新されませんからね。動きません。それがいいのです」
「でも役立つ情報が得られないわけでしょ」
「もう何度も何度も同じものを見ていますので」
「それじゃ、そこは学び所のようなもので、名著のようなものですか。何度も何度も読み返すような」
「いえ、テキストもありますが、見ているのは絵とか写真です。それとか告示のようなもの。何かイベントがあったのでしょうねえ。何年も前のものですから、情報としては死んでいます」
「そんなのを見て役に立つのですか」
「私には必要なのです。誰も知らない、誰も触らない、弄らない、話題にならない、そういった場所は隠れ家のようなものでしてね。静かで落ち着いていて憩えるのです。下手な芸など見るよりもね」
「それでは時代の流れというか、そういったものを得にくいのではありませんか」
「そんなものは期待していません。むしろ、ないほうがいいのです。そしてあるべきものがいつもあり、変化しない。たまにしか入らないリンク先を覗いたとき、ああ、これを見るのは久しぶりだと、新鮮に感じることもあります。しかし、既に分かっていることですがね」
「私にもそういった隠れ里のようなサイトを教えてください」
「探せばいくらでも見付かりますよ。廃墟、廃屋巡りです。何処とも繋がっていない離島、孤島サイトもありますよ」
「ほう」
「これが必要なのは落ち着ける場所が必要だからです」
「分かるような分からないような話ですが、まあ、消極的な話ですねえ」
「既に終わったもの。これは落ち着けますよ」
「なるほど」
「ところがです。死んでいるはずのそのホームページ、更新があったのです。まだ生きていたんだ。このときはびっくりしました」
「ほう」
「だから、変化が全くなく、完全には終わっていないわけです」
「そういう廃墟サイト、アクセスなんて無いでしょ」
「いえ、カウンターが付いてましね。それは私が動かしているのでしょう。一日数回見に行きますから、その回数分増えていますが、色々な人が偶然検索などで引っかけて、偶然開くこともあるようなので、決して私だけの数字ではありません。他にもいるのです。見に来る人が」
「秘境ですなあ」
「だから、落ち着くのです」
 
   了



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2019年09月29日

3525話 千古万古


 千古からあるものは人が関わっているが、万古からあるものはどうだろう。今もまだ引き継がれているのは当然千古の昔のものが多く、馴染みが深いかもしれない。
 千古万古の昔からあるもの、そして未だに続いているものはやはり価値がある。続いているだけでも馴染みの線が切れていないためだ。
 しかし、今のものでもよく見ると、千古万古からあったものの発展型かもしれない。
 では千古万古からある考え方などはどうだろう。千年前と同じ感情のままのものは結構ある。四季の変化に関する形容とかだ。それらは古歌として言葉で残っていたりするが、その時代の言葉を聞いても、分からないかもしれない。
 坊主殺せば何代か祟ると言われている。七代か八代かは忘れたが、考えてみれば、かなりその一族は反映するということだ。絶えないで何代も続く。ただ祟られるだけで、亡びはしない。一寸苦しい程度だろう。
 これは坊主が言いだしたことなのかもしれない。一応僧侶なので、殺生できない。だから祟る程度。
 明治大正昭和令和。これだけで四代だ。だからその倍以上祟られるのは大変だが、二代や三代で亡びてしまわないので、その血筋は十代近くまで確実に保証されていることになる。その後、その呪いは解け、呪い明け後パタリと絶えたりしそうだが。
 祟られている間、その一家が絶えてはいけない。祟る相手が無くなるからだ。それが終われば、もう祟らなくなるが、長くその一家が続くかどうかは分からない。
 別に祟られなくても、絶えて消えてしまった家などいくらでもある。しかし血の繋がりのある親族などが残っていたりする。本家も絶え、分家も絶えると、もう駄目だ。血の繋がりではなく、一族としての存続だ。
 たとえば男子がいなければ養子を取ればいい。娘は親の血を継いでいるので、その子も引き継ぐ。
 千古から続いている家系もあるだろうが、続いていても分からないことがある。どこから始まったのか、何処から数えていいのかも。そして大した家でなければ、続いていても分からない。
 千古の昔からそこに棲み着いた人達もいるだろう。村の歴史などでは、よくあることだ。だからそこにあるような古い家は、千古の昔から続いているかもしれない。
 また、その村に棲み着く前から数えると、凄い数の先祖がいることになる。
 先祖代々の墓はあるが、それを参る子孫がいなかったりする。絶えたのだろう。または引っ越してしまい、遠すぎて放置したのかもしれない。
 古そうな家を見ると、この家は何代続き、先祖はどんな人達が連なっているのかと想像する。誰一人名を成した人などいないのが普通だろう。いたとしてもそのこと事態忘れられたりしている可能性がある。
 千古万古と続いているものに価値が出ても不思議はない。続いていているだけでも貴重だ。
 
   了
  



posted by 川崎ゆきお at 12:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月28日

3524話 古い農家が残る村


 何度か通った覚えのある通り。別にその道を通らなくてもいいのだが、ついつい入り込んでしまう。それは下田が自転車で走っているときだ。散歩のようなもので、一寸したサイクリングだが、街中を練り走る程度。市街地を見て歩くには自転車が都合がいい。遠目で見ているこんもりとした森などは神社か寺か公園なのだが徒歩だと寄りにくい。時間の取り方の問題で、行っても見るべきものがなければ無駄足を踏むことになる。
 これが車では一方通行などがあるし、曲がりにくい交差点もある。
 下田はその日は高木神社を目指していたのだが、これはただの目標で、別にその神社へ行きたいわけではない。そこへ至るまでの道沿いを見て回るのが目的。場合によっては高木神社に入らなくてもいい。
 吉村という村がある。吉村村ではなく吉村。だから縁起のいい「吉」の村だろうか。高木神社まであともう少しのところにそれがある。その吉村の横に島村がある。これも島村村ではなく「島」という村だ。これは珍しい。海や湖に浮かぶ島の島だが、実際には当て字だろう。神社には志摩と書かれているのだが、どうしたことか、これを島にしたのだが、志摩も当て字で、「シマ」と呼ばれていた土地らしい。やくざの縄張りのシマかもしれないが、固有の地名にならないので、これも違うだろう。村という名の村がないように。
 高木神社へ行く前にこの二つの村を見て回るのがコースになっている。下田が勝手に作ったコースで、二年以上行かないことある。だからよく行くコースではないので、たまに入り込むと以前と少しだけ違っており、年々村落時代の遺物のようなものが消えている。大きな樹木も伐採されていたりする。枯れかかっているとか、電線と接触するとか、落ち葉が面倒とか、色々とあるのだろう。落葉どころか、落木もある。枝ごと落ちたりする。
 この二つの村にも神社があり、大きな木があるが、流石にそれらは伐られないで残っている。
 吉村を一巡し、そこを抜けると町工場があり、殺風景な場所に出るのだが、その先に島村がある。それも無事見学するが、以前の記憶がどれだけあるかを試しているようなもの。
 二つの村にはそれぞれ神社があるが、似たような造りで、境内もそっくり。合わせてあるのだろう。
 この二つの村を抜け、方角を北に変えて直進すると目的地の高木神社に出る。そこはちょっとした市街地で、それなりに賑やか。昔から町屋などがあった場所だろう。
 その道を進んでいるとき、こんもりしたものが見えてきた。どうも神社らしいし、農家なども遠目に見える。道を間違えて、島村からまた吉村に戻ってしまったのかと思ったのだが、北へ向かっているのは太陽の位置で分かる。
 そして近付いていくと、田畑が見てきた。もうこのあたりは田んぼなどやっている農家などいないはず。それに工場や分譲住宅や、小さい目のマンションなどで田んぼのあとは埋まっている。それに高木神社へ行くに従いもっと開けてきて、賑やかになるはず。それが逆方角の田舎っぽい所がまだ残っている側へ行くような感じになっている。
 田んぼを抜けると、農家や小屋や、石垣などが見える。流石に茅葺きの屋根などないが、形は同じで、トタン葺きになっていたりする。以前は茅葺きだったのだろう。こんなものがあれば覚えているはずなのだが、記憶にない。
 田んぼを抜けると石垣が続き、村の道に入る。
 村というよりも宿場町のメイン通りのようなところ。意外と道が広い。
 島村も吉村もそうだが、残っている農家などほとんどない。しかし、ここはかなり残っている。
 高木神社の近くだ。通り道だ。こんな村があるのなら既に探検している。まさか新しくできた村ではあるまい。しかもより古い村が新しくできたようなもの。
 そして、よく見ると、電柱も車もない。綺麗な道だが、舗装されていない。
「というような村に迷い込むのを期待しているんだ」
「下田君、それは妄想だよ」
「そうだね」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:54| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月27日

3523話 新しいもの


「分からなくなりましたなあ」
「どうかしましたか」
「最新のものを使っているのですがね」
「ああ、よくあることですよ。最初は素晴らしいと思えるのですが、しばらくすると以前のものに戻りたくなりますよ。いくら以前のものよりもいいものでもね」
「いや、最近のものは気に入ってますよ。何の落ち度もない。以前はその落ち度が多かった。だから最新のものにしたわけです」
「じゃ、何が分からなくなったのですか」
「さらに最新のものが出るのです。それと比べると、今の最新のものが古臭く見えてきましてね。何の不満もないし、よすぎるほどなのですが、最新のものは、今のものの弱点を補っています。それが弱点だったとは気付かなかったのですがね。それと、最新のもののほうがよりよくなっています」
「ああ、よくあることですよ」
「それで、久しぶりに以前のものを使ったのですがね。これがまた悪くない。またじゃなく、まだまだ使える。むしろ今持っている最新のものよりいい箇所もある。でも全体的に見て、新しいもののほうがいいのですがね」
「よくあるパターンですよ」
「それで、分からなくなった」
「最初から、何も分かっていないのでしょうねえ」
「そんなことはありませんが、味と言いますか」
「え、味ですか。そんなものが介入してくるのですか」
「そうなんです。以前のもののほうが味わい深い」
「それは機能とは関係がないでしょ」
「それも一つの機能なのです。そして古くなればなるほど、その味が増していく」
「そんなところへ行ってますか」
「行ってます」
「じゃ、どうするのです」
「だから、分からなくなったといっているのです」
「古いのでも新しいのでも同じだということですね」
「新しいものには古いもののよさがない。古いものには新しいよさがない。しかし、その当時は一番新しかったのですがね」
「しかし、味わいに走るのはよくないと思いますよ」
「その味に接していますとね、しっとりとくるのです」
「じゃ、それは好みの問題ということで、好きなようにされたらいいでしょ」
「そうですね。しかし、そこで分からなくなったのです。どちらへ向かおうかと」
「だから、いい味が出ている方へ行くのでしょ」
「そうですねえ」
「今の最新のものでも古くなります。既にさらに新しいのが出ているのでしょ。だったら、それも古くなり、さらに時間と共に古くなり、いい味が出て来るんじゃありませんか」
「おおそうじゃ」
「急に驚かないでください」
「そうじゃな、それで行ける」
「しかし、しなくてもいいようなことなので、何でもいいんじゃないのですか」
「まあな」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 10:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月26日

3522話 渋沢邸の一匹


 渋沢氏は古い家に住んでいる。先祖代々から住んでいる家ではないが、明治あたりからここに棲み着いている。その頃の先祖といっても結構近い。写真が残っており、仏間に一人一人飾られている。歴代横綱の写真のように。
 明治の頃はまだ武家屋敷のままだったが、戦後建て替えられた。当時とほぼ同じような造りだ。庭も広い。
 さて、こういう古い屋敷では出るものが出やすい。屋敷が建て替えられても、そこにいるものがいるのだろう。だから土地、場所に根ざした何者かだ。地霊といっても範囲が広い。有り難いものから、あくどいもの、悪戯好きの動物霊などもいる。しかし誰も見た者はいない。
 また、その家、その家族にずっと取り憑いているものもある。渋沢家に出るのは、実はこのタイプだろう。先祖が何か悪いことでもしたのだろうか。その恨みが消えずに残っているらしい。
 渋沢家の今の当主が、それを感じている。その父親や、そのお爺さんの代には出ていない。そんな話は聞いていない。ところがお爺さんのお父さんが、それを体験していたらしい。
 今の渋沢家の当主も年をとり、既に仕事関係は引退しているのだが、死ぬまでは当主。何代目かの。
 この渋沢家も、今の時代なので、大家族で住んでいるわけではない。子供は既に独立しており、長男は別のところに住んでいる。だから老夫婦だけの暮らし。孫や曾孫が書生のように住んでいたことがあるが、学校を卒業すると、出てしまった。
 だから二人で住むには広すぎるので、使っていない部屋のほうが多い。
 出るのはその部屋で、奥の離れへ続く廊下脇の二つの部屋のどちらかに妙なものがいるらしい。離れは渋沢氏が使っている。夏場など、ここは三面庭と面しているので、風通しがいい。冬場は寒いが、書斎として使っている。
 だから、母屋と離れの間の廊下脇の二部屋は使っていないが、その前は始終通っている。
 この屋敷には二階はない。
 ということを長々と渋沢氏は語った。聞いているのは妖怪博士。
「それで何が出るのですかな。肝心要のところをまだお話しされていませんが」
「前置きが長くなりました。離れへ出る廊下際に並んでいる二つの部屋が」
「それは聞きました。それで何が出たのですかな」
「それが」
「はい」
「分かりません」
「あ、そう。あ、そう」
「気配といいますか」
「それがすると」
「しかし何か見えそうで、見えないような。はっきりしないのですが、しかし何者かがいるのです」
「その二つの部屋のどちらですかな」
「両方です」
「では、そのややこしいものは複数」
「いえ、一匹だと思います」
「一匹」
「はい」
「一匹ですか」
「それが何か」
「一人でもなく、一つでもなく、一羽でもなく、一体でもなく、一匹」
「はい」
「じゃ、犬や猫のような大きさですか」
「そうです。だから妖怪だと思いまして、博士の所へ」
「一匹」
「はい」
「そこはまでは分かるのですな」
「そうです。それぐらいのものがいるような」
「でも、見てはおられない」
「そうです」
 渋沢氏は先祖から伝わる話をした。
「でもお父さんもお爺さんも見ておられないのでしょ」
「そうです」
「どうしてでしょう」
「きっと私の霊感が強いので」
「あ、そう」
「どうすればいいのでしょう」
「分かりました」
「方法はありますか」
 いつもなら適当な御札を出して誤魔化すところだが、今回は違っていた。別の手を提案した。
「開け放って電気を付けっぱなしにするのですか」
「そうです」
「それだけでいいのですか」
「さらにその廊下の電気も忘れずに」
「薄暗いです」
「じゃ、廊下脇にグリップ式のLEDライトを取り付けて、廊下を明るくしなさい」
「あ、はい。分かりました」
 その後、ややこしいものは出なくなったらしい。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月25日

3521話 見る


 人は見ていないようでも見ているが、見ているようでいて見ていないこともある。
 そんな細かいところまで見ているのかと感心することもある。それもほんの小さなところを。普通なら見ないようなところを。当然全体も見ているのだが、それはもう分かっているので、細かい箇所に目がいくのだろうか。
 じろじろ見ている人は何も見ていなかったりしそうで、軽く窺っているだけの人のほうがしっかり見ていたりする。
 じろりではなく、そっと見ている人のほうが正確だったりする。じろりと見ている人は、見ていますよということだけを言っている場合もある。
 これが人に対してなら、じろりと見詰められると、何かあるのかと思うだろう。当然じろりと見ている人もじろりと見ていることを見られている。
 次はチラリと見る場合だ。これは一瞬なので、じろりよりも短い。瞬間だ。
 その次は目の周辺で見ている場合。そこにはピントは来ていないので鮮明には見えないのだが、何となく分かる。視野内に入っていれば、その端っこでもそれなりに見えている。ここで見ている人はプロだろう。
 何のプロかは分からないが、要するに見ていることが分からないように見ている。意識して見ていませんよという程度。これは見ていることを知られるとまずいためだろう。または、見ていることを見られたくないとか。
 年寄りが道行く人をじろりと見ているのは、目が悪いこともあるし、あれは誰だろうかと思い出している時間。知っている人なら挨拶しないといけないし、などとそれが確認できるまでじっと見詰めている。
 しかし目を合わすとまずい相手だった場合、もう遅い。最前からずっと見ているのだから。
 または目を合わせてはいけない相手、見てはいけない相手もいる。見たこと、これは相手の目だろう。顔でもいい。まあ、顔を見たときは目を優先的に見るだろう。鼻や口などを優先的に見ない。余程目立つものが付いているのなら別だが。
 目を合わす、顔を見る。その瞬間意識したということになる。これだけでもコミュニケーションなのだ。目と目で話すようなもの。
 そして見てはいけない相手がいる。目だけでもう始まっているのだ。
 まあ、人の顔をじろじろと意味なく見るのは失礼だろう。見られている側は何かなと思うはず。
 相手の目を見れば、その人が分かるというのは嘘。もの凄い嘘つきが、もの凄く澄んだ目をしていたりする。まあ、本人は嘘はついていないと思っている場合もあるし、また確信犯的な嘘つきでも目は綺麗だったりする。人はそれに欺されたりするのだが。
 目を見れば分かるは、非常にいい言葉なのだが、ほとんど分からないだろう。ただ、瞬きの多さなどで、嘘をついているのがバレたりする。
 目玉、瞳だけでは決まらず。瞼や、その周辺のシワなどで決まる。たとえば目をほんの僅か細めるとか、見開くとかで、表情はかなり違ってくる。
 目は心の窓も嘘で、心など最初から見えないではないか。たとえ窓が開いていたとしても、何を見るのだろう。
 目は口ほどにものを言い……などは川柳に近いが、これはあるだろう。目でものを言うというのは。たとえば簡単な合図なら目でできる。しかし目玉ではなく、大きさを変えることで。たとえば急にすっと目を細めると、これは何か合図を送っているように見える。状況によって意味が違う。にこやかにも見えるし、まずいですよと、伝えているようにも見える。だからその場の状況で、意味が変わる。
 要する手足や胴体や頭の動きでは目立つので、目だけでものを伝えるのだ。まあ、鼻でもいいし、口の一寸した変化でもいいが、目が一番分かりやすいし、目立たないで合図を送れる。
 眼科のお世話になる眼球ではなく、心眼というのもある。ここまで来ると、目玉ではなく、心で見ていることになる。だからビジュアルを見ていない。
 これが一番レベルが高いだろう。しかし、この心眼が一番狂いやすそうだ。
 
   了




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2019年09月24日

3520話 体感温度


「寒くなりましたなあ」
「急にねえ」
「この前まで暑くて暑くてたまらなかったのにね」
「涼しさを飛び越して、寒いですよ」
「秋抜きですなあ」
「いやいやまだ秋が始まったばかりで、夏も残っていますよ。半袖のシャツ一枚の人だってウロウロしているほどですよ」
「しかし、その中に混ざってジャンパーを羽織っている人もいるじゃないですか」
「個人により温度差があるのですよ」
「それは大事だ」
「いや、それほどのことじゃないですよ」
「この温度差というのが曲者だね」
「暑がりと寒がりがいるだけですよ。両方兼ね備えた人もいますがね」
「個人により受け止め方が違う。かなり幅がある。これが大事だといっておるのです」
「暑い寒いじゃなく?」
「その他一般に対しての温度差」
「はいはい。それはありますねえ。生まれ育ちも違うし、暮らしぶりも違うでしょうし、夢や希望も違うでしょうし、得手不得手も違うでしょうし、好みも様々」
「それです」
「それが何か」
「ああ、これもあたりまえのことでしたねえ」
「そうですよ。深く考えなくても、そういうものだとほとんどの人は体験しているはずですから」
「学ばなくても分かっているということですか」
「そうです」
「人それぞれ個性があるということですな」
「これもあたりまえのことでしょ。同じ人間は二人といない。だから既に誰だって分かっていることなので、言う必要もないでしょ」
「そうですな」
「むしろ力説するほうに裏を感じます」
「個性的な生き方などですか」
「そうです。そんなこと心得なくても、普通にしているだけでも個性的ですよ」
「そうですねえ。個体差があるので、それが反映しますものね」
「でも」
「何か」
「みんな似たような感じで、標準的な一般的な人が多いので、それに合わす必要はないという意味じゃないのですか」
「みんなで田植えをしていても、一人一人違いますよ。同じことをしているようでも、動きが違う。器用不器用の差は出る。早い遅いや、腰がすぐに痛くなるとか」
「でもやっていることは同じことでしょ」
「そう思っているだけですよ」
「そのへんになるとややこしいですねえ」
「個人の主張などなくてもいいのです。そんなことをわざわざ言わなくても、既にやっているのですよ」
「我の強い人を個性的といいますねえ」
「それは悪口でしょ」
「ユニークな人とかも」
「それも悪口です。褒めてはいない」
「そういうあなたも、妙な意見をいいますねえ」
「ああ、言い過ぎました」
「そうですね。黙っているほうが賢明です」
「しかし、今日のような涼しすぎる日は、冬服を着たいところです」
「できないでしょ」
「そうです。誰もまだ着てませんからね」
「ここに一般常識のラインがあるのですよ。そのラインを突破しても、大した価値はありませんよ。ただ、心では思っていたりしますがね」
「それで、この時期なら、この時期みんなが着ているものに合わすのですね」
「そうです。しかし気持ちは別です。スタイルは一緒でも中身が違う。個性とはそんなものですよ」
「分かりにくいユニークな話、どうも有り難うございました」
「貶しましたか」
「いえいえ」
 
   了



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2019年09月23日

3519話 若き隠遁者


 世の中のことが分かってくると、もう興味をなくす人がいる。よく分からないので、興味があったのだろう。そしてこんなものかと分かると、そこで止まってしまう。
 しかし、その後も世の中は進み、以前にはなかったことや、新たな謎が出てきたりするのだが、それまでの知識で何となく持ったりする。劇的な変化ではないためだ。相変わらずの世界が相変わらず続いているようなもの。
 だが、世の中のことに興味をなくしていても、日常の暮らしの中に、世間一般の風潮は入って来る。ここは学ばなくても、興味を持って調べなくても、それなりに順応していく。
 世を捨てた人を世捨て人いうが、人など入り込まないようなところで暮らさない限り、世間の風は次々に入ってくる。
 また、隠遁というのもある。これは世捨て人と同じだろう。ただ、それができる身分というのがあり、金銭的に不自由のない人達だろう。
 白川は若いのに隠遁者。これは別のタイプかもしれないのは年が年なので、世を儚むには早すぎるし、まだ何もやっていないのだ。
 やらない先から、もう隠遁。もの凄い先読みだ。
 若いのに悟ったようなことをいう人がいる。若いのに年寄りのように。これは若年寄だろう。そういう役職とは違う。
 この白川、小学生の頃からその兆しがあるので、悪くいえば病気だろうが、決して病んでいるわけではない。決してボケてはいない。
 隠遁は嫌悪感から来る場合が多い。要するに世の中が嫌になった。そんな機会は誰にでもあるが、世の中というところまでスケールを広げない。そうでないと世界そのものが嫌になったということになる。もっとローカルな、ある部分が嫌になった程度で、それが全体のように思ってしまうのだろう。
「白川君、相変わらず悟ったような顔をしてるけど、それはポーズかい」
「違う」
「まあ、いいけど、まだ若いのだから、世をすねたような態度はやめたほうがいいよ。誤解されるよ」
「もうされている。しかし誤解じゃなく、そのまんまだ」
「まあ、これから進学や就職がまだまだ残っているのだから、これからだよ」
「そういうのが嫌になった」
「そういう時期が確かにある。僕はないけどね」
「このまま行くとどうなるのかが楽しみだ」
「自分でいうなよ」
「どうなると思う」
「戻ってるよ」
「そうなの」
「何処かで、また世間の中に入り、世間並みのことをするようになる」
「本当かなあ」
「こうして話に応じているだけで、もう十分大丈夫ってことだよ」
「分かった。それなら安心して隠遁できるね」
「隠遁か。何か忍者みたいだなあ」
「そうだね」
 
   了




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2019年09月22日

3518話 ある読書子


 下田は暇があれば本を読むタイプだが、本を読むために時間を作ることは滅多にない。しかし朝夕の電車内では必ず読んでいる。これだけでも結構な読書量になるし、何かで待っているときなども、待ち時間に読むし、喫茶店などに入ると、本だけ読んでいたりするので、読書家の部類に入るし、趣味は読書でも通るだろう。
 名著、名書、古典的定番など、それなりに読んできた。そのため一般常識以上のことを多少は知っている。歴史に関してもかなり突っ込んだところまで読んだりしているので、それなりに詳しい。
 しかしである。
 何も役立ってはいない。
 下田が身に付けた知識や知恵。世の中のこと、人と人とのこと、等々はほとんど実体験から得ている。本に書かれていたことなどいざというとき、役立たないというより、思い出せないのだ。じっくり時間を掛ければ別だが、そのときの状況や感情などが先立つため、身についたものしか役立たない。これは動物的な勘のようなものかもしれないし、下田独自の流れ、流儀のようなものが自然と備わっているのだろう。
 ではあれだけ読んでいた難しい目の本などは何だったのか。そんなものをいくら読んでも知識は増えるが、すぐに忘れたりする。あまり必要ではないし、使わないためだろう。それは下田にとっての話で、実際には下田個人のローカルな問題は自分で何とかしないといけないということだ。
 ただ、物事を多少本から得ているので、豆知識程度はあるので、物知りの部類に入るだろう。世の中にはこういうものがあったり、こういう考え方があったり、こういう世界があったりと、見てきたわけではないが、知っていることは知っている。しかし、その知り方というのがやはり浅い。また知っているだけでは何ともならなかったりする。
 また、肝心なときに、知っているはずのことを度忘れし、ここぞというときに、それを披露できなかったりする。
 そんな下田だが、隙間時間があると、もう癖のように本を開いている。活字を追うのが好きなのだろう。そしてそうしているときが一番落ちつく。
 活字を追う目が荒れたり、ギクシャクしたり、また頭に入ってこないときは体調が悪いとき。本を開くとそれが分かる。当然一番使うのは目なので、視力の変化も分かる。そちらのほうが本の中身よりも役立ったりする。
 一枚の名画を見るよりも、ありふれた自然の風景を見ているほうが入ってくるものが違う。絵など現実の風景には所詮敵わない。だから絵画など見なくてもいいのだが、絵は絵として見る楽しさがある。絵は劣化するが、基本的には四季の変化は受けないし、動かない。動く絵は動画だ。しかし、動かないから絵画的価値がある。絵を見て、現実の何かを引っかけ、想像する楽しみもある。絵を見て絵を書いているようなもの。想像で。だから同じ絵でも見る人によって違う。
 下田は名画のコピーを額縁に入れ、飾っているが、それをたまに見るとほっとする。もう見慣れたものだが、風景の位牌ではないが、そこで固まって死んでいるのだが、それでこそ絵としての寿命が始まる。
 まるで小説のような話、まるで絵に描いたような風景。そういうものと出くわすとき、やはり本や絵を見ていたからこそ分かる。
 目が退屈し、頭が退屈しないように、そういったものも必要だろう。
 知る楽しみ、それだけでも十分かもしれない。
 
   了
 

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2019年09月21日

3517話 とある妖怪学会


 妖怪博士はとある学会に参加した帰り道、同じく妖怪を研究している青年と同じ道を歩いていた。帰り道だ。二人ともその後の宴会には参加しなかったようだ。それで真っ直ぐ駅へと向かっていた。
 妖怪博士もこの青年も会議では何も発言しなかった。その学会は妖怪や幽霊などを否定する学者達も来ていた。それで突っ込まれるのが嫌で、黙っていたわけではない。妖怪博士の場合、こういう場では発言しないことにしている。受け答えが面倒なためだ。それにどちらも一方的で話し合いとかはない。自分の意見だけを叫び合うようなもの。それでは会議とは言えない。
 今、その青年が横に並んだ。
「今晩は」
 妖怪博士から声を掛ける。
 青年も「今晩は」で返した。
 そのまま青年が追い越すのではないかと思っていたが、横に並んだまま。
 これは何か話でもあるのだろう。妖怪博士の歩き方は遅い。だから、かなり年配の人にも追い越される。これは敢えて速く歩かないため。外に出たときはじっくりと周囲を観察するのが癖になっている。そんなところに妖怪などいるわけではないのだが。
「お茶でもどうですか」
「そうじゃな」
 青年は何か話があるのだろう。
 駅近くなので、喫茶店を探すのは難しくないが、妖怪博士は煙草を吸うため、吸える喫茶店にしか入らない。
 しかし、妖怪を探すより、喫煙のできる喫茶店を探すほうが難しかったりする。
 幸い、最初に見付けた店が吸えそうなので、そこに入る。
「妖怪を見られたこと、ありますか」
 青年は単刀直入に聞く。
「ない。君は」
「ありません」
「うむ」
「どうしてでしょう。やはりいないからでしょうか」
「そういう意味ではいないのは確か。まさか本当にいると思っておる人もいないじゃろう」
「じゃ、いないのですね」
「しかし、いるからこうして研究しておる」
「そうですねえ」
「でも出合ったことがないのでしょ」
「うむ」
「どうしてでしょう」
「君は神を見たことがあるかね」
「ありません」
「それと同じじゃよ」
「見えないわけですね」
「姿がない」
「はい」
「もし神を見た人がいたのなら、どんな服装だったのかを聞きたい。それで年代が分かる。神が昔からおったとすれば、その服装の時代からじゃ。さらに古い時代だと裸に近いはず」
「そういうところから入りますか」
「神が剣を持っていたとする」
「はい」
「既に金属を溶かす技術があったのだろう。それがなかった時代からいた神ではないことになる」
「それで、何がいいたいわけですか」
「だから姿がないので、人が姿を与えないといけない。だから実際の神ではなく、イメージ。想像して現した姿となる。見えないからじゃ」
「それで、見えるようにしたのですね」
「神と同じように妖怪もそうなんだ」
「はい、そう持って行くわけですね」
「持って回った言い方じゃが、使い回しともいう」
「はい」
「だから、妖怪は見えないが、いるのだろう」
「博士の大方の見解は分かりました」
「そうか」
「しかし、何故先ほどの学会で、そういうことを話さなかったのですか。確か、誰かから聞かれていたようですが」
「私にも何か発言の機会を与えるため振っただけじゃ」
「それでも黙っておられた」
「妖怪の実在性を証明する。そんなことしなくてもいいのでな。ところで君は若いのに妖怪研究家かね。しかも学会に呼ばれるほど優秀な研究者のようだが」
「いえ、幻想小説を書いているだけです」
「幻想文学か」
「はい、稚拙ですが」
「名は何という。紹介のとき、聞いたはずだが、忘れた」
「夏川俊前です」
 今流行りの妖怪ゲームの原作者だ。当然妖怪博士よりも有名。
「そうじゃったか。そのゲーム、私はやったことがないが」
「いえ、こんなものは流行り物で、すぐに忘れ去れると思います」
「そうか」
「実は今夜妖怪博士が来られると聞いて、それで参加したのです」
「じゃ、二人だけの学会じゃな」
「はい」
 二人は終電まで話し込んだ。
 会議では無口だが、こういうときはもの凄く喋り倒すようだ。
 
   了




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2019年09月20日

3516話 重々しい人


 重々しいものに走った竹中だが、これは今までが軽すぎたためだろう。すぐに飛ぶほどの軽々しさ。だから重いものを持ってきたのだ。そのため、それは錘。
 それは別のことでも現れる。その錘が鎧のようになり、防御力が増した。軽く見られるのではなく、重く見られるためだ。しかし、それはあくまでも見てくれで、中身は軽い。重い甲羅でドンといる亀も、甲羅を取れば中身は弱々しいものが入っていたりする。ただ、すっぽん料理の調理師でもない限り、甲羅のない亀を見た人はいないだろう。たまに車に踏み潰されている亀もいるが、甲羅と身は密着したままぺちゃんこになっているだけ。
 重々しくなったので、竹中の動きも重々しい。これはただのろいだけで、敏捷性がないだけ。しかし、気軽さがなくなったためか、動きに軽はずみなところがなくなった。これはいいことなのか、悪いことなのかは分からないが、軽率なことをしにくくなった。
 重々しくでんと構えていると、それなりにいいこともあるのだろう。ただの愚鈍でも。
 構えを変えれば中身も変わるようで、それは形から入るようなもの。何となくそれにふさわしい動きを取るもの。まあ、そういう面もあるので、竹中にに最初からないものではない。あるにはあるが、あまり使わないものがある。そのうち、自分らしくないと思い、さらに使う機会が減る。そしてないに等しくなるのだが、消えてなくなったわけではない。
 ただ重々しさ、重いものにも限度がある。それ以上重いと本当に動けなくなる。だから、ほどほどの重さがいい。
 そして重いことをしているうちに、軽い物に触れると、軽すぎるような気がしてくる。楽は楽なのだが、充実しなかったりする。
 また重々しい態度は結構落ち着く。まるで時代劇の中の人物のような演技になるのだが、そのうちそれが普通に出るようになる。最初からそんなキャラだったかのように。
 同じスピードを出していても排気量の大きい車と小さい車とでは乗り心地が違う。余裕がある。
「竹中君、最近貫禄が出てきたねえ」
「いえいえ」
「まるで重役だ」
「いえいえ」
「どういう心境かね。何かあったのかね」
「いえいえ」
「そうか、もうそれなりの年になったので、落ち着いてきたのか」
「そうです」
「悪いことじゃない」
「はい」
「しかし、一寸態度がでかいのだがね」
「いえいえ」
「まあ、そのほうが押し出しが効くのでいい」
「そうでしょ」
「うちの社長なんて、重戦車だ」
「それには負けます」
「こういうのは見てくれなんだ」
「そうですねえ」
「まあ、中身もいずれついてくるから、そのポーズ崩さないように続けなさい」
「はい」
 竹中は見てくれは重々しいがを、中身は大して変わっていない。しかし慣れてくると、居心地がよくなり、中身も備わってきた。
 意外と簡単なことなのだが、途中でその芝居をやめてしまうことが多い。嘘でも一生つき倒せば嘘ではなくなったりするものだ。
 
   了



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2019年09月19日

3515話 静かな関係


 友好的な人なのだが、避けたいときがある。友好的な態度で来られると、こちらも友好的な態度に出るので、これが疲れる。そして最初から友好的な人なので、これは何処で良い関係になったのかが不明。そのプロセスがない。そのため、胡散臭い。
 相手が友好的に出るので、こちらも友好的に出ているだけで、その根拠は浅い。何もないといってもいいが、敵ではないことだけを確認し合っているようなもの。
 まあ、この時代、敵とか味方とか、そんな大袈裟なものはなく、敵なので倒さないといけないとかもない。あってもある事柄に関してだけのことで、そこを離れると、敵でも味方でもなかったりする。
 上田は愛想のいい人と接していると疲れる。しかも好意的に見てくれる人。
 これは見知らぬ人が多くいる集まりなどで、知っている人がいるとほっとする。仲間が一人でも多いほうがよかったりする。しかし、その仲間、本当の仲間なのかどうかまでは分からない。敵ではない程度の仲間が多い。それで十分かもしれないが。
 上田は愛想よくされると、そのお愛想の相手をしないといけないので疲れる。愛想返しだ。
 では無愛想な人が良いのかとなると、そうでもないのだが、そのかわり疲れない。
 この疲れは人疲れ。感情的なものだろう。一見して朗らかで、楽しそうだが、それなりにもみ合っている。テンションも上がり、血圧も上がり、活気があっていいのだが。
 上田は子供の頃からそうで、人間関係が嫌で嫌で仕方がなかった。それで、できるだけ人目のないところにいる癖ができた。
 人と親しくなると、あるとき、急にスーと消えていく人がいる。理由は親しくなりすぎたため。
 これは相手が内奥まで迫って来るためかもしれない。その内奥には本心がある。それを開けられると、バレてしまったり、または見せてはいけないものを見られてしまう。まだ見られてはいないが、そのドアの前まで来ているため。
 上田にはそういったものはないが、ただ単に面倒になるのだろう。
 相手の話に合わせ、調子の良いことを話す。その嘘が徐々に嫌になる。これは正直に生きていないので嫌だというわけではない。その演技が面倒になってくるためだろう。
 さりげない関係、何気ない関係、それでいて何となく友好的。という静かな関係ならいい。
 といいながら上田は多くの人達のど真ん中で一番愛想を振りまく仕事をしている。だからその反動が出るのだろう。
 逆のものを求めたり、憧れたりする。よくあることだ。
 
   了


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2019年09月18日

3514話 ミルクセーキ


 秋晴れの連休、まだ夏のように暑いが、空気は爽やか。行楽日和だろう。そして連休の中日、いい感じだ。出るなら、このタイミング。
 吉岡はそうは考えたものの、足は重い。あまり歩いていないためだ。狭苦しい仕事場で少数の人達と、まるで閉じ込められたような場所にいる。そして同じ場所でじっと同じ動作を繰り返しているようなもの。AI化が進み、ロボットでできそうなこと。
 休みの日は何故か疲れており、出る気が起こらない。しかし仕事場でも籠もり、自宅でも籠もっているのでは身体がなまる。それに元来吉岡はそういう性格の人間ではない。野山を駆けまわる野生児ではないが、本当は外に出るのが好き。
 それで、一応里山歩き程度の軽装で出てみた。丁度いい感じの場所があり、これはテレビでやっていた。寺社が点在しているためか、それを目的に来る人も多い。地元の人しか歩いていない里山よりも、余所者は歩きやすいだろう。それに野生を残しているのか吉岡は妙な人相で、不審者に間違われやすい。
 電車やバスを乗り継いで、散策コースまで来たのだが、やはり足取りが重い。ここまで来るだけでも一杯一杯の感じで、さらにここから本番の歩きになるのかと思うと、これは楽しいことではない。
 しかし、野生が残っているのか、歩くうちに動物的なリズムが戻りだし、何とか歩み出すことができた。
 この歩みなのだ。足ではなく、吉岡の歩んできた道。バス停までの道ではなく、今の仕事に就いてからの道程。まあ、仕事歴のようなもの。
 狭苦しい場所で毎日顔をつきあわせている職場の人々。吉岡にとり、世界の全てといってもいい場所。要するに職場での人間関係の微妙で臭い芝居に辟易していた。同じ芝居を何度も再演するほど味が出たりするものだが、もう味わいたくない苦味に近い。そんなところに人間の成長などなく、単に姑息になるだけ。狭い世界へ狭い世界へと入り込んで行くだけ。
 足取りが重いのも、実はそのためだ。
 あの連中と定年まで顔をつきあわせるのかと思うとぞっとしてきた。世の中、もっと広く、色々な世界があるはず。選ばないと損だろう。
 遊歩道に茶店があり、掘っ立て小屋のためか、電気が来ていないらしく、氷を入れた大きな桶に飲み物を並べている。まるで水底から瓶が生えているように。
 コカコーラとかペプシコーラーとか、三ツ矢サイダーとかバヤリスオレンジなどは分かるが、聞いたことのないような毒々しいデザインの瓶がある。こういうのを飲むこともあるがほとんどが自販機だ。
 色目が肌色に近いミルクセーキが目に入ったので、それにする。これも瓶に入っている。まだ、こういうものを作っている会社があるのだろう。
 老婆はさっと取り出し、さっと栓を抜いてくれた。
 瓶の口と自分の唇が密着する。
 それを飲んだ瞬間、スーと、何かが入った。その何かとは当然ミルクセーキだが、得体のしれない舌触りと喉ごし。だがスーと入ってくる。非常に滑らかに。
 それが入ったと同時に、別のことも入った。
 これはずっと腹に持っていたことなので、最初から入っているものだが、それが動き出した。
 要するに、会社を辞める決心がついたのだろう。
 このまま勤めれば安定した暮らしができる。仕事も安定しており、自分の居場所もある。ただ、あの臭い芝居を毎日演じるのがいやになってきたのだ。
 何処へ行っても似たようなものとはいうものの、今の所は特殊。もう一生見たくない顔ばかり。
「お婆さん、このミルクセーキ美味しいねえ」
「そうだろ。これを飲む人は皆共通した何かがあるのさ」
「共通ねえ」
 吉岡は辞める決心がついたのか、そのあとの足取りは軽快そのもので、野生児に戻った。
 
   了
 



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2019年09月17日

3513話 重さを欲しがる


「少し重いものが欲しくなりましてね」
「ほう」
「軽いものばかりなので」
「軽快で楽でしょ」
「そうなんですがね。それで今はもう軽いものばかり、だから身軽になりました」
「それなのに」
「麩のように軽すぎて、頼りない」
「そこまで軽くないでしょ」
「中身がつまっていないような頼りなさ」
「それはただの重さだけの問題でしょ。中身の問題ではなく」
「重いと重々しい。これがまたよくなった」
「それじゃ、以前に戻るわけですか」
「いや、以前も結構軽々しかったのです。しかし今よりも重いですがね」
「それただの感覚の問題でしょ」
「いや重いと気持ちだけじゃなく、筋肉も使いますし、筋も使います」
「ほう」
「だから健康に良いのです。重い分、身体を使っています。運動していることになります」
「まあ、普段から力仕事が多い人は筋肉も凄いですね」
「筋肉だけならボディービルが手っ取り早い。力自慢するわけじゃないですからね。ただの運動です。まあ、自然と筋力はつきますが、それほど目立たない。また、力仕事をしている人は如何に力を入れないで仕事をするかのプロですよ。力みっぱなしじゃ持ちませんからね」
「で、何をされようとしているのですか」
「やっていることは普段と同じです。しかし高いけど軽い自転車」
「あれはロードスポーツものですよ。あなたがいつも乗っている。タイヤが糸のような」
「片手で、しかも指先で引っ張れます。筋力がいらない。するとどうですか」
「え、何がどうですかですか」
「だから運動量が足りない」
「だから疲れなくて良いのですよ。あれを買われたとき、あなた、これは楽だとおっしゃってた」
「それを普通のママチャリにする。変速機なしで。しかも鉄の重いやつを」
「そこに止めてある自転車、あれですね。誰のかと思ってました」
「ペダルが重い。持ち上げるにも力がいる。それが運動になる。だからスポーツ車ほどスポーツなどしていないことになります」
「いやいや、もの凄い坂や長い距離を走るわけですから、体力が必要ですよ。当然足腰や背中の筋肉も」
「そんなこと、いつします。子供二人を乗せたママさんの方が余程運動しています」
「走る日を決めてです」
「ところが、普段乗りの自転車なら、普段から鍛えられる」
「それを鍛えるとは言いませんがね」
「私はその前はバイクでした。それを自転車にしてから健康になりましたよ。やはり運動量が違う。その自転車も、今度は重いものにしたわけです」
「まあ、お好きにどうぞ」
「着るものも、化繊の軽いのじゃなく、大リーグ養成ギブスのような重いものを」
「バネを入れているわけですか」
「そこまで入れません」
「砂袋を足に巻いたり」
「だから、それは鍛えようとしているのが丸わかりじゃないですか。そうじゃなく、日常の中で自然と差がつくような」
「その発想は何処から得られたのですか」
「いや、逆なんです。さらなる軽さを求めているうちに、面倒になり、反対側に走っただけです」
「あなたの発想がお軽い」
「うむ」
 
   了




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2019年09月16日

3512話 悪いおなごのイナゴ


 実りの秋。稲穂も黄金色に輝き出す。色だけではなく、これは黄金、つまり「おうごん」のようなもの。お金と同じ。この黄金は大判や小判の色だろう。
「最近イナゴを見ますか」
「見ません」
「バッタは」
「小さいのはいるようですが、大きいのは見かけませんなあ」
「トノサマバッタのような」
「そうそう、電車内で大股開きで座っている状態がトノサマバッタのように見えます。邪魔なので、引き抜いてやろうかと」
「そういえバッタを捕るとき、なかなか稲から離れません。そのまま足を掴んで引っ張ると、足だけが抜けたりしましたねえ」
「それじゃ標本にならない」
「まあ、夏休みも終わっていますから、ただの虫取りですよ」
「買うわけですか」
「一応虫籠に入れてね」
「鈴虫なら良いですが、バッタなんて、鳴くんですか」
「鳴くまで待とうです」
「秀吉ですな。ところでイナゴはどうです」
「あれは群れを成していますよ。それには不思議と手を出しません。何か気持ち悪くて」
「まあ、普通のバッタは面長ですが、イナゴは違いますねえ」
「噛まれそうで」
「良いおなごのイナゴと悪いおなごのイナゴがいるのです」
「あ、そう」
「ほとんどが良いおなごのイナゴですが、たまに悪いおなごのイナゴがいるのです。これは悪魔の使いでしてね」
「ほう」
「そいつがイナゴの群れを操ると、怖いことになります」
「イナゴって、稲子と書きますねえ」
「稲の子とね。色が黄色いので似てます」
「それで、どんな悪魔の使いなんです」
「これはアフリカ系だと言われています。問題は羽ばたきです」
「ほう」
「それには一定のリズムがありまして、この音、実は言語なのです」
「言葉になっていると」
「まあ、ノコギリを楽器にして『お ま え は あ ほ か』と言っているに近いですが」
「そんな悪いおなごのイナゴに来られると、怖いですなあ」
「稲が枯れます。天候とは関係なくね」
「それは深刻だ」
「だから虫送りの行事をするのですよ」
「害虫駆除ですか」
「悪霊送り、悪霊流しのようなものです。疫病が流行らないように」
「しかし、最近イナゴなど見かけませんね。全部虫送りで、どっかへ行ったのでしょうか」
「まあ、それは言い伝えです」
「じゃ、案山子が呪術的なのはそのためですね」
「そうです。ただの鳥よけじゃありません。鳥害よりももっと怖い、イナゴ除けです。イナゴに効くのです。ただ一匹だけいる悪いおなごのイナゴにね」
「はい、胡散臭い話、有り難うございました」
「今年は悪いおなごのイナゴも出なかったようで、豊作でしょ」
「そうだといいのですが」
 
   了



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2019年09月15日

3511話 式神あります


 暑いときは死んでいる妖怪博士だが、寒いときも死んでいる。
 続いていた猛暑が去ったのか、これでやっと動き出せる虫たちもいる。これは春先にも、そんな虫がいる。妖怪博士はどちらの時期も、それをやっているが、これは動きにくいだけ。冬よりも夏のほうが厳しいようで、動きは最低になる。
 しかし蝉の鳴き声から鈴虫に変わったときが動き時らしく、顔も涼やかそう。ただ、研究しているのが妖怪のため、あまり涼やかなことではない。これは人の情念の塊、瘤のような濃いものが固まっていそうな話になるためだ。颯爽としていない。
 最近は式神についての研究をしている。研究と言うよりも、それについて想像する程度だが。
 式神は紙に近い薄ペラなもので、それ自体に力はない。御札のようなものだ。しかし、それが飛ぶが、これでは紙飛行機でグライダー。
 式神を飛ばすとよく言う。日常的にそんな言葉はよく使わないし、使う機会もないだろう。ただ、念を送るとかはある。念力のように物理的に物に力を加えるわけではない。そんなことが普通にあれば、生存者はいないかもしれない。
 しかし念を送るとか、呪いを掛けるとかは密かにやっているのかもしれない。これは意識的ではないこともある。呪いの言葉を投げかける、とかもある。これで相手は呪われ、災いを受ける。まあ、それも始終あることなら、これも生存者がいなくなりそうだ。
 式神の式とはプログラムのようなもの。自動的に作動する実行ファイル。
 式神は妖怪ではない。だから、妖怪博士が考えている式神は虫。虫なら動力は自前。
 寝入りばな、決まって蚊が耳のあたりで五月蠅いことがある。まるで戦闘機のように襲ってくる。これが足元なら分からない。耳の近くだから聞こえる。この蚊、誰かが飛ばしてきた式神かもしれない。
 蚊は虫。虫を蟲と書くと、それらしく見えるだろう。
 ゴキブリやヤモリ、蜘蛛などは怪しまれないで家の中をウロウロできる。これが蛇なら大変だ。騒ぎになる。だから大きさが問題。式神の条件は小さいこと。
 しかし、蟻ほどの小ささだと、込められたものがないように思えるし、動きが遅い。それに一匹だけの蟻というのはあまりいない。
 部屋の隅でずっと人を窺っているゴキブリや蜘蛛などが式神かもしれない。通常の動きではなく、じっとしている場合だ。虫にも日常の動きがある。あまり疲れたので休憩している虫は見かけない。いるとすれば死ぬ前だろう。
 虫の式神。この場合は、虫ではなく蟲だろう。そしてそれを蠱(こ)と書くと、決定的だ。蠱物(まじもの)のことで、これこそ術者が送る物理的な念のようなもの。ようするに「まじない」「呪文」呪術となる。
 しかし術者と相手との距離が遠いので、その中継として虫がいる。
 虫はただの虫だが、呪術師がコントロールしている。
 と、そこで、ふっと妖怪博士は気付く。秋の爽やかなときに、思うようなことではないと。
 しかし、こういった陰密なことが好きなようだ。
 ただし、陰秘という言葉はない。そして式神も実際にはないだろう。だが、それに近いものを人は飛ばし倒しているのかもしれない。
 
   了
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2019年09月14日

3510話 お籠もり堂


 稗田は暑いだけの日々を送っている。これは幸せな話だ。気にすることは暑いだけ。それを越えるものがないのだから。
「呑気でいいねえ」
「そうじゃない」
「じゃ、暑さ以外に何か気にしないといけないことでもあるのかね。まあ、普通は暑い寒いなどは二の次三の次だがね」
「ある」
「ほう」
「暑いので忘れた」
「暑さぼけか」
「暑いので、それどころじゃない」
「暑さが麻酔のように効いて、痛みが消えるようなものかね」
「それに近い」
「じゃ、涼しくなると大変じゃないか、痛みが表に出る」
「そうだね」
「まあ、そんなウダ話をしている場合じゃない。大事な用件だ」
「何だった」
「決まってるじゃない」
「君が勝手に決めたのだろ」
「とぼけないで」
「借金はないはずだけど」
「危ないので、君には貸さないだけ」
「じゃ、何だ」
「渋沢峠に行かないかという話だ。春頃から話している」
「何だった、それ」
「渋沢峠から一行寺という寺が見えるんだ。峠道から少し下って崖のようなところま出ないといけないがね。そこがスポットだ」
「ああ、覗きか」
「一行寺の裏側が見える」
「そんなの、見てどうするんだ。ただの山寺だろ」
「背景が山なので、安心しているんだ。そんなところからの視線はないとね」
「坊さんがいるだけだろ」
「大勢いる」
「そんな大きな寺かい」
「これは以前にも話しただろ。忘れたか」
「雑魚寝」
「そう男女がね。宿泊所なんだ」
「思い出した」
「古くからある慣わしのようなものでね」
「それがまだ続いているわけだ」
「しかし、暑いのに、そんな峠に登りたくないなあ」
「知らないんだ。夏山は涼しいんだ。それに高い峠じゃないし、そこまでは全部木陰だ。意外と涼しいんだよ」
「分かった。秋になったら行くよ」
「秋になると戸を閉めるので、見えなくなる。今が見所なんだ」
「そうか、急ぐ必要があるなあ」
 というところで稗田は目を覚ました。友人が来ていて、一行寺の話をしていたようだ。
 そういえば春頃、そんなことを話していたが、その友人も夏バテなのか、その後、来ない。
 
   了



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2019年09月13日

3509話 穴あります


 今日もまた今日がやってきたのだが、いつも今日ではない。特別な日ではなく、よくある今日だが、そのほうがよかったりする。昨日と同じようなことをすればいい。これは分かっているコースなので、プレッシャーもなく、安定している。
 だが、また今日も昨日のようなものかと思うと、少し退屈。今一つ面白味はないが、それなりの楽しみ方ができる。一寸した変化があり、小粒だが、こなしやすい楽しさだ。
「平和そうに暮らしているんだなあ」
「それに至るまでが大変だった」
「しかし、あまり豊かそうではないどころか貧乏そうだが」
「いやギリギリ大丈夫。贅沢さえいわなければね」
「ところで穴があるのだけど、入らないか」
「ああ、穴ねえ」
「たまにはいいじゃないか、穴に入るのも」
「いや、もう穴へは行かない」
「リスクが大きいからね。しかし、得られるものも大きい。段違いだ」
「そういう刺激的なのは、もういいから」
「この先にあるんだ。見付けたんだ」
「じゃ、新しい穴かい」
「そうだ。こういうのは偶然では見付からない。偶然を引き付けるものがないとね。それは常に心がけていること。穴がないものかと始終ね。だから、本来なら見落とすところを僕は見落とさなかった」
「どこだい」
「白崎三丁目」
「少し遠いよ。しかし番地までよく覚えていたね」
「三丁目から四丁目へ渡るところにあった」
「境目だね。穴が空きやすい場所だ」
「新穴だ」
「入ったの」
「少しだけね。しかし、これはまずいと思い、すぐに引き返し、ここに来たんだ」
「その報告だけで、来たの」
「伝えに来ただけじゃない。どうだい」
「え」
「行かないか」
「いや」
「一人じゃ危ないんだ。上級者向けの穴のようでね。チームを組まないと、一人じゃ無理だ」
「ちょっと入っただけで、そんなことが分かるの」
「長年の勘でね」
「それは危ない穴だよ」
「簡単じゃないところが刺激的だ」
「うーん」
「行かないか、一緒に」
「そうだなあ」
「危ないと思ったら引き返す。これは絶対に守る。だから、君が危ないと思ったところで、引き返す。危険な目に遭う手前でね。無理はしないから」
「分かった」
 これで、日常が崩れる。
 しかし、白崎三丁目と四丁目の境目を通過したが、それらしき穴はなかった。
 二人とも、ほっとしたとも、残念とも、どちらとも判断しかねる顔で、四丁目に入り、五丁目まで抜けた。
 
   了




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2019年09月12日

3508話 熱い人


「まだ暑いねえ」
「残暑というやつですよ」
「いや、君だよ」
「え」
「まだ熱いといっている」
「いえいえ、暑苦しくて済みません」
「まだ、その情熱がある。少しは分けて欲しい」
「いえいえ先生は既に大成された方」
「だからもう燃えなくてもいいわけか」
「もうやりたいことはやり倒したのじゃないですか。探すのが難しいほど」
「そうだね。色々なことに挑戦したねえ。一つのことが何とか成功すると、次は別のことへとね。まあ、いずれも関連性があるのでね」
「どれが本職が分からないほどでしたよ。どの道でも凄い人でした」
「過去形だね」
「いえいえ。今も現役で活躍されているわけですから、過去の人ではありません」
「しかし、つまらんねえ。あまり燃えない」
「燃やしすぎたからでしょ」
「じゃ、今は燃えかすかね」
「いえいえ」
「ところで、君の用件だが、紹介だけでいいんだね。何か直接口添えしようか」
「いえ、先生からの紹介だけで」
「まあ、メモ程度渡すよ。本当に私が紹介したことがこれで分かるだろ」
「それは有り難いです」
「紹介状を書いてもいいだけどね」
「そこまでして頂かなくても。お忙しいのに」
「そうなんだ。忙しいんだ」
「まだまだ現役ですねえ」
「以前やった仕事の整理とか、また次に出す本の準備とか、資料とかを集めないといけないんだ。スタッフがいてもね。やっぱり私が直接見ないと、こればかりは人任せにできない」
「今までの仕事は膨大な数になりますねえ」
「データ化したいんだ」
「ああ、なるほど」
「ところで、君は大成しなかったようだが」
「師匠を超えられない弟子です。しかし先生を超える弟子などいませんからね」
「岸田君はやり手だ。いい人に目を付けたね」
「今度は岸田さん経由で、仕事を入れたいと思いまして」
「じゃ、そうなるように、メモに書いておくよ」
「有り難うございます」
「しかし、君も年を取ったねえ」
「いえいえ」
「早く大成してくれよ」
「はい、先生の弟子は多いのですが」
「そうなんだ。誰も何ともならん」
「先生が偉すぎるからです」
「その話はいい。私は時期がよかっただけだ。君ら弟子達はそのあとの世代。もう美味しいものは残っていなかったからね」
「いえいえ、まだまだ頑張ってみます」
「まあ、まだその情熱があるうちは大丈夫だ。頑張ってくれ、その熱さ、その情熱が羨ましい」
「いえいえ、尻に火が点いて熱いだけです。生活費を稼がないと思いまして、それだけですよ」
「そうか」
「はい」
 
   了



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2019年09月11日

3507話 青い鳥逃げた


 なくしたものがある。その代わりになるものはいくらでもあるだろう。世の中に一つしかないものではなく、探せばいくらでもあるし、ごくありふれたものだ。しかし、同じようなもので、そっくりそのままのものでも多少は違う。それは分からない程度の誤差程度だが、既に手に入らないものもある。これは探しても簡単には見付からない。たとえば古すぎるもの、世の中からもう消えてなくなったものなど。
 だが、ありふれたものならいくらでも代わりは見付かるだろう。
 しかし、馴染みというのがある。これは馴染ませてやっと得ることができるもので、馴染ませるのが目的ではなく、そのうち馴染んでくるもの。これは歳月が必要。だからそういうものは簡単には手に入らない。
 よく馴染んだものでも最初はそうではなかった。それをなくしたということは馴染みをなくしたのと同じ。馴染んでいたものが消えたことになる。だから、もう馴染めない。
 だが、それによく似たものは世間にはいくらでもあるので、困ることはない。それに変えればいいのだ。そしてまた馴染むのを待つことだろう。そして馴染んだ頃、またなくしたりする。
 これは新学期で全て新しいクラスメイトと始めるのと同じ。始めは馴染みがない。だが、一年後、すっかり馴染み、次の学年に進むとき、クラス替えでクラスメイトも変わってしまう。同じ人もいるががらりと変わり、別のクラスの馴染みのない人が圧倒的に多い。
 これもいずれ馴染みだし、この顔ぶれでないといけないほどになる。つまり、慣れることで安心感があるのだろう。それは上手くいっているクラスの例だが。
 馴染むまで時間がかかるが、いずれ、以前馴染んでいたものと同等のものとなる。馴染みが加わっているかどうかだけの問題だが。
 そして、以前のものが出てきたとき、逆に馴染めなかったりする。もうお馴染みさんではなくなったためだろう。
 馴染むというのは大した努力はいらない。特に何もしていないのと同じ、ただただ慣れの問題で、慣れただけ。しかし、その間の蓄積のようなものは確かにある。長い付き合いというのは一日では得られない。
 馴染んだもの、これは意外と貴重なものかもしれない。普段はそう思わないが、なくしたときに価値が分かる。これもよくいわれていることだが、普段は気付かないし、ありがたいとも思っていない。
 貴重なものに気付かないまま貴重なものを探しに行く青い鳥現象。
 ありふれているのは本人が馴染んでしまい、気付かないだけ。他の人から見ると、凄い宝なのかもしれない。
 
   了



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