2019年09月10日

3506話 逢瀬の里


 篠崎は地域イベントでよく行っている町がある。そのイベントの常連のようになり、毎回招かれている。結構美味しい仕事なので、欠かさず行っている。
 イベント会場は町からかなり離れた場所にあり、自然が豊か。そこに大きな公園のようなものがある。自然の森公園に近く、何処までが公園なのか、普通の丘なのかが分からないほど。
 そのイベントの戻り道、町まで少し距離があるのだが、毎回気になっている道標がある。逢瀬の里と書かれており、白い道が延びている。周囲はまだ田畑があるので、さらにその先だろう。
 これは来るときもそうだ。毎回見ている。
 イベント会場までは町から車で送り迎えしてもらう。毎回乗る車が違うが、いずれもスタッフのもの。たまに市役所の公用車にも乗せてもらう。
 その日は自分の出番が終わったので、さっさと帰ることにした。いつもより早い時間帯で、これではイベントが終わるまで待てない。夕食代わりに打ち上げで食べて帰りたいところだが、夏の終わりがけとはいえ、まだまだ暑い。だから、さっさと町へ戻ることにしたのだが、ちょうど市役所の人が戻るところだったので、それに便乗した。町と会場は始終スタッフが往復しているので、足には困らない。
「逢瀬の里ってありますが」
「ああ、ありますなあ、看板が」
 市役所の人はかなり年寄りだ。これなら、よく知っているだろう」
「何でしょう」
「勝手に作ったのでしょ。個人が」
「でも看板があるところを見ると、何か観光用の」
「いや、そういうものはなかったと思いますよ」
「行かれましたか」
「田畑がありますねえ。山の際に出ます。農家が数軒あるだけで、それっきりです」
「じゃ、逢瀬の里とは、その集落のことですか」
「普通の農家ですよ。七戸ほどですかな」
「何かイベントのようなものは」
「あれば、うちでも宣伝しますよ」
「じゃ、ないと」
「はい」
「でも逢瀬の里って書いてあるのですから、何かそれにふさわしいものがあるのでしょ」
「看板だけで、中身がない物はいくらでもありますよ」
「逢瀬って、男女でしょ」
「そうですかな」
「またの逢瀬を楽しみに、などもありますから、客商売の何かがあるんじゃないですか」
「把握していません」
「じゃ、看板は」
「把握しております。そういうのがあることは」
「道標のようなものでしょ」
「でもあれは畑にあるでしょ。農地ですよ。道路上ではない」
「じゃ、案山子のようなものですね」
「そうです」
「その七戸、どんな人達が住んでいるのですか」
「普通の農家です」
「そうですね。周囲に田畑もありますし、そのまんまでしょうねえ」
「そうです」
「逢瀬の里か」
「寄ってみますか」
「そうですか」
「もうすぐでしょ。あの看板があるところは」
「はい、お忙しくなければ」
「いや、本当はイベントが終わるまで付き合うつもりだったのですが、面白くないので、サボっているのです」
「僕のもですか」
「いや、先生のはよかったです。毎回見てますよ。だから、先生のを見てから抜け出そうと思っていたのです」
「じゃ、行きましょう、逢瀬の里へ」
「了承しました」
 当然ながら、山の際に農家があるだけで、神社もなければ寺もない。年寄りが日影で立ち話をしている程度。
 市役所の車を見て、怪訝そうな顔をしている。どの家に用があるのかと」
 その前に車を止め、一応聞いてみた。
 すると、山田の息子の民宿らしい。ただ、そんな宿はない。あれば職員も把握しているだろう。
 それで先に看板というより、案内板だけを出したが、その後気が変わったのか、都会に出てしまい、そのまま放置したとか。
「しかし、逢瀬の里とは、どういう意味でしょうねえ」
 二人の老婆は歯茎を出して高笑いした。
 
   了



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2019年09月09日

3505話 評価せず


 柴田は変わった先生だが、それが表に現れない。美術学校でデザインを教えている。課題の多い先生で、しかもどれもが小さい。小品ばかり。チマチマとしたベーシックデザインや、簡単なシンボルマーク、そして略画よりも簡潔なイラスト。いずれも一時間もあればできる。ただ、学生は書く以前のところで時間を食うようで、教室ではなかなか書き出さない。一応実習の授業で二時間ある。だから、十分間に合う。
 ここまでは変わった先生ではないのだが、その評価、これは先生に対する評価ではなく、採点方法。課題に対して一点から五点の範囲で採点する。
 五点とか一点を付ける先生は滅多にいないだろう。三点が一番多いはず。少ししんどい作品に二点、少し優れていれば四点。それが一般的だろう。
 ところがこの先生、作品を見ないで採点する。しかも点数は適当。一から五まで賽子を転がして付けているようなもの。六が出ればもう一度振り直せばいい。
 つまり採点が出鱈目。
 だから一点をもらった学生が、次は五点もらえることがある。同じような作品だったとき、悩むだろう。一点から五点になったときは悪くはないが、前回と同じような作品だったのに五点から一点になっていると、これは何がいけなかったのかと考え込むはず。土壌の下狙いとか。
 だが先生にはその意志はない。作品を見ての評価ではないためだ。点数は全て偶然で、いい点を上げようとかの作為もない。
 前回一点だったのに五点の場合、何処がよかったのか、目をこらしてみる。自分では分からない才能の目を先生が見付けたのだろう。だが、特定できる箇所がない。
 結局確率的に、満遍なく悪い点と良い点がもらえる。
 自信のなかった作品が高得点だと自信がつくし、自信たっぷりの作品の点数が低いと、色々と反省する。
 当然極めていいのを提出したはずなのに三点だと、妙に思う。
 それでも、小さな課題で、結果がすぐに出るので、それを見たいため、しっかりとその場で書いて提出する。そして最後に返却してもらうのだが、点数が書かれているだけで、先生からのコメントは何もない。
 自分で考えなさいということだろう。先生そのものが出鱈目な数字を適当に付けているのだから、評価する気など最初からない。
 しかし点数になって戻ってくると、学生達は気になるものだ。
 良いものが悪く、悪いものが良いという結果もある。
 変わった先生だと思われるようになったのは、この先生の評価基準がよく分からないためだ。しかし、変わったものが好きなわけではなく、オーソドックスなものが好きなわけでもなさそう。満遍なく出鱈目。
 しかし、この評価は、結構学生達の頭を耕すようで、意外な結果になることが多いので、何故だろうと、興味深いようだ。一寸した活性化。
 またクラスで一番評価の高い人もいないし、一番低い人もいない。偶然で均されたためだ。
 ここにこの先生の方針なり、ポリシーがあるように思われるのだが、実際には採点したり評価したりするのが面倒なだけのようだ。
 
   了

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2019年09月08日

3504話 宿泊所


 田舎町といっても草深くなく、都会的。しかし昔の都会だろう。町屋などが並んでいたりする。武家屋敷のような大きな商家跡なども残っているが、観光地化されていない。
 吉沢はそこにあるライブハウスで演奏をし、打ち上げがあり、それも終わった。もう日は変わっている。
 どうせ帰れないので、ここで一泊するつもりだが、宿屋はとっていない。駅前に商人宿が進化したようなビジネスホテルがあるので、そこで泊まるしかない。しかし、それは最後の最後、その前にライブハウスのマスターが何とかしてくれるはず。
「泊まるところですね。案内します」
 吉沢の思っていた通り、その流れになる。交通費も宿泊代も出ないので、当然だろう。
 先ず考えられるのはあのライブハウスの二階にあるソファー。そこは楽屋だが、大きなソファーがどんと置かれていた。二つある。お揃いではない。だから、ゴミの日に拾ってきたのか、誰かが捨てに来たのだろう。流石にこの大きなソファーは簡単に回収してくれないだろう。
 だから、回収車は無視し、そのまま放置されるのだが、長くはない。誰かが持ち去る。
 次に考えれるのは、マスターの自宅だろうが、そこまで親しくないので、これは無理。
 ところが案内されたのは、ライブハウスではなく、裏通りにある普通の家だ。しかし、古い。商家ではない。
 一寸した金持ちの家だろうか。黒く塗られた塀、庭もあるが、雑草で覆われている。ただ、普通の家族が住む家とは少し違う。
 しいて言えば別宅。妾などを囲うような。
 中に入ると結構広い。襖や障子を全部開けているためだろう。
 マスターは押し入れを開け、蒲団を取り出した。
 その押し入れ、蒲団が何組も積まれている。
「劇団の人が来たとき、ここが合宿所になります」
「あ、そう」
「水道もガスも使えますが、茶瓶ぐらいしか置いてません」
「いいです。寝るだけなので」
 マスターはいつの間に買ったのか、ウーロン茶とおにぎりを鞄から出してきた。
「出るとき、そのままで結構です。鍵は内側からできますが、まあ、何処からでも入ってこられるので、してもしなくても変わりませんが、もし怪しい人でも入ってきたら大声を出してください。誰かが駆けつけると思います」
「あ、はい」
 今回吉沢は、このライブだけだが、何カ所か回ることがある。そのときは旅行のようなもの。今回は近いので、無理をすれば戻って来れたのだが、打ち上げの途中で、抜け出せなかった。
 吉沢は食べ過ぎて胸が悪いのでもうそのまま寝てしまうつもりで、蒲団に入った。シーツは新しいようだ。古いと口とくっつく箇所が気になるもの。タオルが必要だろう。
 マスターが一組だけ、シーツを交換してくれていたようだ。
 そして、眠りに落ちようとしたとき、急に思い出した。
「ここか」
 場所までは覚えていないが、仲間の誰かが話していた。
 ライブハウス近くの宿泊所。ここだ。
 要するに出る家なのだ。
 しかし、吉沢は何がどのようにして出るのかまでは覚えていなかった。
 これは幸いだろう。イメージしようがない。
 そのうち、ウトウトし始めたので、もうそんなことなど忘れた。
 夜中、吉沢の大声が聞こえた。
 またか、というような感じで、マスターが駆けつけた。
 
   了




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2019年09月07日

3503話 新秋


 新しい秋を頂いた田中だが、まだ夏の気分でいる。その夏とは汗をかきながら働いていた夏ではなく、休んでいた夏。しかし、汗はかくが。
 涼しくなり、過ごしやすくなったのだが、何をして過ごすかだ。食べて寐るだけの過ごし方だが、これはベースだろう。食が進まず、寝付きも悪く、しかも熟睡できないで、早い目に目を覚まし、寝不足状態のまま一日を送る。一日の中身よりも、こちらのほうが大事かもしれない。ただし、それは最低条件。ただこれを満たしていない人も結構いるだろう。
 田中はその面に関しては合格だが、何処に出しても恥ずかしくないような事柄ではない。快眠快便など、履歴書に自己PRとして書けないだろう。やってきたことではなく、ただの生理現象なのだから。だが、ここがしっかりしていないと、本来の仕事に影響が出る。ただ、出ない人もいる。どんなコンディションでも仕事をこなす人も。
 田中は健康に努めているわけではない。仕事をしていないので、プレッシャーやストレスが少ないためだろう。
 そういうことを理由に、この夏も、休んでいた。暑いので、この時期は何もできないから。これも言い訳だろう。
 しかし、涼しくなってからもまだ休んでいる。夏場遊んで暮らしていたキリギリスでも秋になると働き出す時期。ただ、その時期から働いても、遅かったりしそうだが。
 それで、涼しい日が続き、淋しくなってきた頃、暑い日が戻った。これはよくあることで、夏が戻ったような暑さ。
 田中は喜んだ。そして暑いのに、外に出た。そこに夏があるためだ。
 山がそこにあるので登るように、夏があるので、外に出たようなもの。登らないが、陽射しの下、炎天下に出たいと思ったのだ。これを逃がすと、もう今年の夏はこれっきりで終わる。最後の真夏を惜しむように。
 夏の日々は休んでおり、外に出ることは希。暑いので、最低限の外出しかしないのに、この日は用もないのに、炎天下に出た。
 これで、もう結果が分かるようなもので、当然のことのように暑さにやられた。
 田中が回復したのは中秋。本当は二三日で治っていたのだが、引っ張った。
 そして涼しいからひんやりする気候になったためか、少しはやる気が起こり、活動期に入った。
 
   了





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2019年09月06日

3502話 夏空秋空


 夏空と秋空が半々ぐらいの空。空は空なので、季節は色づけにすぎないが、雨空では見る気もしない。
 この季節の移り変わりで秋とも言えず夏とも言えない頃、村田は動き出す。この曖昧なタイミングを狙って。
 それは心情の問題。決まり空の夏空でも決まり空の秋空でもない。まだ決まっていない。しかし、どちらかには傾いている。そのため、まだ残暑の夏空とも言えるし、勢いが落ちたので秋空とも言える。
 ここが実は狙いなのだ。
 だが、一体何を狙っているのか、それは村田にも分からない。何かを始めるのなら、このタイミングがいいという程度で、決まり事はない。決めていないのだから、決まり事にならない。
 決めていないのに動き出す。これは何だろう。だからただの心情。動くのなら今ということだけが分かっている。
 ということを思いながら夏の雲の奥にいる秋の雲を見ていたのだが、同時に見られるのは、この時期だけ。夏なら入道雲だけだが、今はその奥に秋のうろこ雲が出ている。それもかなり高いところに。これが同時に見られる。
 こういうのは誤解を招く。夏らしくなく、秋らしくない。邪魔なものが入り込んでいるためだ。ではどちらが邪魔なのか。秋だと思いたい人にとっては入道雲は邪魔。夏の場合はその逆。
 どちらも正しくどちらも間違っている。正解はどちらにもない。その間なのだ。中間。
 しかし、これを見ている村田は自転車の上。少し郊外の町並みを自転車散歩中。この状態そのものが曖昧。しかも昼の日向からそんなところをうろつき、空などを見ている。
 見るべきものが空とは情けない話だ。「そら」ではなく「くう」を見ているようなもの。
 空は空っぽではないが、村田は空っぽ。
 しかし、夏が勝っているのか、汗ばんできた。帽子に触れると熱い。これは夏だ。
 これで判定がついたのか、夏の方が優勢。それで、これは中間ではなく、まだ夏で、秋ではないと感じた。帽子の熱さを指が教えてくれたので、ただの気持ちの問題ではない。
 それで村田は秋が勝っているものを探したが、なかなか見付からない。遠くにあるうろこ雲程度。これ一つでは弱い。
 それで、夏とも言えず秋とも言えぬ曖昧なタイミングを逸した。今日ではなかった。
 次回、コスモスや曼珠沙華が咲く頃がチャンスだろう。だが、秋にかなり傾きすぎているかもしれない。
 
   了



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2019年09月05日

3501話 夏の道


 夏場暑くて通れなかった道も、涼しくなると通れるようになる。別に通行禁止になっているわけではない。これが雪国なら冬場は通行できない道もあるかもしれない。観光用の有料道路などだ。しかし、暑くて通行禁止になるような道はないだろう。
 禁じているのは武田だけで、武田が作ったルールだが、これは作らなくても、通りたくないので、通らないだけ。用があれば別だが。
 その日、秋の気配が入り込み、久しぶりにその道に入り込んだ。もう既に稲穂が黄色くなりかけている。それが一面に続く農道のようなもの。だから日影がない。そのため、その間炎天下。だから夏場はそこを避けている。
 もう陽射しの下を自転車で走っても、特に暑いとは思えないほどいい気候になっていたのだが、初夏の頃、一度通っただけなので、しばらくご無沙汰。
 雲の形も夏のものではなく、秋の薄い雲。しかも細かく分割されている。そして高いところにある。これで空が高く見えたりする。
 天高く馬肥ゆる秋とはまさにこれ。武田は馬肥ゆるではなく、馬越える秋とばかり思っていた。空が高いのだから、馬もそれを乗り越えるほど勢いが盛んで元気だという意味で。しかし、夏場食欲がなかったが、秋になると食が進み、馬も沢山食べるので、肥えるのだろう。
 では夏は天低く馬痩せる夏になるのか、それとも冬になるのかは分からない。
 夏空の入道雲などは高層ビルのように高い。だから天も高く見えたりするはずなので、天低き夏はふさわしくない。これはやはり冬だろう。低く垂れ込む雪雲。
 武田が最後に通ったときは田植え前で、まるで水郷。その稲が育ち、刈り入れも近いだろう。
 この間、武田は何をしていたのかと反省する。田に水も入れなかったし、田植えもしていない。だから収穫もない。
 そんなことを思いながら、その農道を走り抜けた。
 抜けたところに村がある。このあたりの田んぼはこの村のものだろう。だから農家が固まって建っている。一箇所に集まっているので、一寸した屋敷町。裕福な農家が多いのだろう。
 そこを抜けると神社と寺がある。田んぼに農家、そして寺社、セットものだ。ついでに村墓も。
 村のメイン通りに雑貨屋があり、煙草の看板が出ている。そして古いブリキの仁丹看板がまだ貼り付けられている。
 その店の前に台が出ており、夏野菜が並べられているので、武田はそれを買う。葉物だ。根が付いており、梱包はされていない。
 これを土産に、さらに進むと、国道に出て、その沿道に店屋が並んでいる。
 ファミレスは避け、安そうなファスト系の喫茶店で一服する。
 閉鎖されていた夏の道が開通したので、ここへ来るのも久しぶり。
 ただの自転車散歩にすぎないし、また僅かな距離で、遠出したわけではないが、久しぶりということだけで、十分新鮮な気持ちになれた。
 
   了



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2019年09月04日

3500話 孤高


「ひと山越えればまたひと山」
「はい」
「しかし越えたあとは下り。登りならまだ越えていないことになる。しかし、区切りの山があり、そこから先にもう一つ大きな峰がある。山脈なら、一番高い峰。最高峰」
「そこを目指しますか」
「いや、それでは直線的すぎる。この山岳部を見て歩いたことにはならぬ。山としては低いが、この瘤山よりも高い山が色々とある。そういう小山を目指す」
「すぐ横にありますが」
「ここと同じ瘤のようなもの。一度沢まで降りることになる。これがいいのじゃ。ずっと登っておるばかりよりもな」
「降り道がありましょうか」
「少し急じゃな」
「道らしきものもありません」
「用がないのじゃ」
「行けますかね」
「道の付いておる最高峰よりも難しい」
「そうです。獣もこの斜面は避けるのではありませんか」
「猿ならいける」
「ああ、木の枝を伝って」
「しかし、わしらは猿のような手や腕は持っておらん。尻尾もな」
「不細工ですねえ」
「木から下りてきた猿が、わしらの先祖。だから、もう木にぶら下がって枝から枝へは行けん」
「じゃ、やめましょう」
「降りられるところまで降りよう。谷は下に見えておる」
「でも渓谷ですよ。下の方は絶壁かもしれませんよ」
「降りるだけじゃ」
「しかし、獣も降りないようなところは」
「だめか」
「はい。ひと山越えた楽しみがありません。軽く下り道を歩きたいです」
「そうか、じゃ、そうする」
「有り難うございます」
「一人でなら、降りるのだがなあ」
「それはなおさら危険です」
「よし分かった」
 最高峰へ続く緩い上り坂の途中に、別の山が右側に見える。低いので、頂上が見えている。そこへ向かうらしい枝道が出ていたので、二人は、その道を下った。
 急な斜面の向こう側に見た山はもう後ろになっている。
「あの山、人を寄せ付けんのう」
「孤高でしょ」
「低いし、形もよくないがな」
「はい」
 
   了




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2019年09月03日

3499話 捨て身の技


 狙いすぎたものよりも、何でもいいから適当にやってしまったほうが上手く行くときがある。これは狙っているものの重要性にもよる。どうでもいいようなものなら狙っても狙わなくても、拘ったり拘らなくても大差はない。結果は似たようなもの。そして用が足りておれば、それでいい。ただ趣向品は別。その用途は趣向に合ったものに限られる。同じ用途でも、その用途よりも、そのものが良いのだろう。
 大事な用件や用途では趣味趣向や好みなどは二の次で、その用が果たせることが第一。このときは慎重に吟味するはずなのだが、狙いが外れることもある。慎重に検討したのだから、まずまずの標的の中に当たっているのだが、ど真ん中は滅多にない。
 また、僅かな誤差でも狙いが外れたことが気になる。狙いすぎた場合はそうだ。
 寛容範囲内に入っておれば、それで用は足せるのなら、ど真ん中でなくてもかまわない。
 逆にあまりやる気がなく、もう適当で何でもいいと思っているとき、意外とど真ん中を射貫くこともある。また多少外れても、何とか標的内に入っておれば、それで満足。真ん中を射貫くことなど考えていないためだ。
「なるほど、それが極意」
「いやいや、これを意識してやると、逆に失敗します。何でもいいから適当に、というのが狙いになりますからね。それにそう意識した瞬間、当たるものまで当たらない」
「難しいものですね」
「だからやはり意識して普通に狙うのが正解ですよ。そのほうが安全です」
「折角いいことを聞いたのに、活かせないとは残念です」
「そんな人から聞いた程度の入れ知恵じゃ、何ともなりませんよ。身に付かない。だから、実戦では何一つそれらの技が出せない。自然に身に付けた動きじゃないからです」
「教訓が活きないと」
「金言もね」
「どうしてでしょう」
「聞いただけなので」
「じゃ、さっぱりですねえ」
「しかし」
「まだありますか」
「何でもいいから適当に、という状態がたまにあります。意識しなくてもね」
「じゃ、そのときがチャンスですねえ」
「ただ、そのとき、ああ、これが意識しなくてもやってしまえる直感的な動きなのかと意識した瞬間、その術は無効になります」
「意識してしまい、それを狙ってしまうわけですね」
「狙わないのがいいのです。なのに狙わないということを狙うと、これは狙っていることになる」
「じゃ、何も考えず、さっとやってしまうのがいいのですね」
「なかなかそうはいきませんよ。大事なことではね」
「先生はそれを活かせていますか」
「え、何を」
「ですから、意識しないで、何でもいいやと思いながらやる術です」
「面倒臭いとき、やります」
「それは放置ですね」
「捨て身の技です。捨ててこそ浮かぶ瀬ありです」
「おおー怖わ」
 
   了


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2019年09月02日

3498話 満足を得る


「満足を得たあとが問題なのです」
「はい」
「もう満足を得たので、満たされています。これの賞味期限は長くはありません。得た満足が普通のものとなり、あたりまえのことになります。まあ、失ったとき、その普通さを有り難がりますがね」
「はい」
「そして満足を得るとやることがなくなる」
「色々と、他のことに挑戦するとかは」
「その挑戦を終えたばかりなので、得られた満足で、もう事足りています」
「他にも色々あって、満足していないこともあるでしょ。そちらへ向かうのでは。また、満足を得ても、さらなる満足を得ようとしませんか」
「まあ、そうですが、得たい満足がそれほど多くない場合、一つでいいでしょ」
「欲深い人もいるでしょ」
「まあ、いますがね」
「だから、満足を得たあとも、また満足を得るため、すぐにそちらへ向かうのではないのですか」
「まあ、そうだがねえ」
「欲望や欲求はキリがありませんから」
「まあ、そうだがね」
「生きていると言うことはそういうことじゃないのですか」
「いやいや、私が言いたいポイントはそこじゃなく、満足とは不満があるから求めるという話なのです」
「ああ、そういう筋書きでしたか」
「満足を得たあとは不満足を得た方がよろしいという話なんです」
「わざわざ不満足なものなど得たいと思いませんよ」
「いやいや不満は色々溜まるものです。だから溜まるまで時間がかかったりします」
「不満なんて一瞬で起こりますし、不満なことなど探さなくてもいくらでも見付かりますよ」
「だからあ、そういう筋書きじゃなく。不満が起こってこそ、それをクリアしたときの満足度が高いという話なのですよ」
「どうもあなたとは話が合わない。きっと筋書きが違うのでしょ。ジャンルが違っている可能性もあります。ポイントが違う」
「分かりました。あなたが正しい。私の負けです」
「え」
「満足を得てもらえましたか」
「はあ」
 
   了



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2019年09月01日

3497話 孟秋のキリギリス


 秋になってもまだ気怠いままの田中だが、このまま怠いまま冬まで行くのもいいのではないかと思っている。これは気怠いときに考えると、そうなるのだろう。発想そのものが気怠い。
 だがここで元気に秋からスタートを切ることもできる。その気構えがあれば。
 しかし構えというのは面倒で、それなりに準備がいるし、気を引き立て、奮い起こすような何かがないと、やはり無理。だから空元気で終わり、余計に疲れ、余計に気怠さが増すばかり。
 孟秋という言葉が頭をよぎった。これは漢字でよぎった。これは二つ以上の漢字なので、熟語。
 イメージではなく、言葉が浮かんだ。だが、その言葉、映像として現れた。まるで何かのタイトルのように。
 それで、孟秋を調べると、秋の初めとなっている。何か猛烈な秋のイメージがあったが、違っていた。孟とは、始めということらしい。だから初秋のこと。
 孟宗竹というのがある。これがもの凄く太い竹で、孟にはそのイメージがある。では、始めのこととは関係がなくなる。孟宗とは人名のようだ。
 それとは関係なく、田中はこの孟秋が気に入った。本人にとって、これは猛暑からのイメージで、孟秋ではなく猛秋となる。猛烈な秋なのだ。これは元気でいいではないか。
 そしてこれは頭の中に浮かび上がったお告げのような言葉なので、これをきっかけに猛烈な秋を過ごしてみようかという気になった。
 人は何がきっかけで気が変わるのか分からない。意外と単純なことで決まったりする。本質ではなく、ただの語呂だけとか。
 これで気怠さから抜けられると思い、何かを始めようとした。色々と懸案はある。アイデアもある。やらないといけないこともあるし、今やろう、今やろうと思っていることもある。だからネタには困らない。その気にさえなればすぐに活発な人間になれる。
 暑いときはだれていたが、秋になると怠くなったのは、夏の疲れが溜まっていただけなのかもしれない。
 どちらにしても孟秋を旗印に、田中は立ち上がった。
 そして猛烈に攻め立てた。つまり、仕事を始めた。
 そこへキリギリス君がやって来た。毎年来る。
 キリギリス君は田中が猛烈に仕事をしているのを見て、気を落とした。残念がった。
 田中もキリギリスをやっているものとばかりと思い、同類相哀れむ会話を楽しみに来たのに、蟻のように働いているのを見て、落胆した。
 田中は痩せ細り青い顔と言うより、緑色に近い顔の痩せたキリギリス君を見て、ほっとした。
 見てはならないもの、来られては困るものが来たのだ。
 田中は我に返ってしまい、キリギリス君のペースに乗ってしまった。
 やはり自分はキリギリスなのだ。蟻は似合っていないことを再確認した。それで、やりかけていた仕事もやめ、キリギリス君と遊びに行くことにした。
 孟秋のキリギリス。それと遭遇すると、ろくなことにならない。気をつけるべきだろう。
 
   了



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