2020年01月31日

3648話 我慢


 一度捨てたものだが、これがいけることがある。つまり、復活だ。そんなことはよくあり、日常的にも繰り返されているかもしれない。そして捨てたものが復活し、またそれを捨てたりする。最初捨てたときと同じ理由だろう。そしてまた再復活する。
 さらに再々復活し、それが繰り返されるようなら、もう捨てたことにはならないかもしれない。
 最初捨てたとき、本気で捨てたわけではないことになる。またはその代わりとなるものに問題があったのかもしれない。しかし、それもまた復活するとなると、結局はどれもこれも、捨てたことになるし、捨てなかったことにもなる。
 当然永久に復活しないものもあり、これは完全に捨てきったことになる。
 だが、長く捨てないものほど、捨てると復活する確率が低い。早い目に捨てたものほど復活しやすい。まだ馴染む前に捨てたのだから、新鮮さがまだ残っているためだろう。または、気が変わったためかもしれない。
 捨てる理由の中に、この気が変わったとか、方針が変わったとか、事情が変わったとかがある。そのものに落ち度はない。
 一度捨てたものを見直す。これは見落としていたのだろうか、非常にいい面を。
 そして最初見ていたのは悪い面ばかりだったのかもしれない。その悪い面があるので捨てる。しかし、いいものもそこで捨ててしまうことになる。このいいものが復活の理由だ。
 だから悪い面を少し我慢すれば、捨てないで済むが、どうしても我慢できないことがあり、それで捨てるのだろう。
 要するに我慢比べ。我慢したぶん、ウロウロしなくて済む。だから我慢は大事。
「それで、今回は我慢しているのかね」
「そうです。我慢比べです」
「誰と」
「自分自身と」
「やせ我慢かもしれんぞ」
「いえ、ここさえ我慢すれば済む話です。面倒なことをしなくても済みます」
「その我慢が一番面倒なことなんじゃないのかね」
「そうですかねえ」
「我慢はよくない」
「はい。でも耐えることも大事でしょ」
「我慢に耐える。確かにそれも方法だ。我慢強さは美徳でもある」
「そうでしょ」
「だが、我慢はストレスになる。これは何処かで爆発する」
「気持ちいいでしょうねえ」
「まあね」
「だから、我慢貯金を増やしているのです」
「それじゃ、我慢とは言えない」
「そうですか」
「我慢を慣らせばいい」
「ならす」
「慣れるというよりも、包み込むんだ」
「はあ」
「だから我慢に耐えるのではなく、上手くコントロールすればいい。そちらの方が賢いよ」
「はあ」
「子供のように気に入らなければ爆発させるじゃなくてね」
「はい」
「我慢が我慢でなくなるように溶かし込むんだよ」
「そうですねえ。いいことを聞きました」
「しかし、君のやっていることをこれまで見てきたが、私は何も言わなかった。温かい目で見守っていたからね」
「有り難うございます」
「しかし、もう我慢の限界だ」
「え」
「堪忍袋の緒が切れた」
「あ、さっきとは話が違います。我慢をコントロールすべきでは」
「人のことを言っているんだ。自分のことは別」
「じゃ、我慢できなかったのですね。僕は今まで我慢して聞いてきたのに」
 
   了




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2020年01月30日

3647話 初梅


 副島はアパートの二階の木の階段を降り、自転車置き場、これはただの余地だが、自転車を出そうとしたとき、一階の三好も出てきた。雨が降っている。しかも冬の雨。
「お出掛けですか」三好が聞く。
 ただの挨拶だ。意味はない。何処へ行くのかなど聞かない。
「はい」
「私はこんな日はいやなんだが、医者通いさ。休んでもいいんだけど、薬をもらいに行くだけ。結構残っているんだけどね。こんなもの効かないよ。それより言われるままに飲んでると逆に身体を壊す。でもね、こうして雨の日でも医者通いができるだけでもいいんだ。元気な証拠。それでね、待合で座っているだけでいいんだ。なかなか順番は来ないけど、いい見学になる」
「お元気なようで」
「いやいや、持病があるんで、元気じゃない。これは治らないんだけどね。ところで副島さん、あなたこの雨の中、何処へ」
 今日は意外と聞いてきた。
「一寸ショッピングセンターへ」
「毎日この時間出掛けているのは買い物かい」
「スポーツジムもありますし、そこの会員なので、サウナにも入れますし」
「そうだね、このアパート、風呂がないからねえ。近くの銭湯、壊れたでしょ。それで遠くなった」
「じゃ」
「しかし、雨の降る日は行かなくてもいいんでしょ。毎日トレーニングに行く必要ないと思うけどね」
「いえいえ、買い物もありますし、コーヒーも飲みたいし」
「雨じゃ、大変でしょ」
「三好さんこそ」
「すぐそこだから、近いよ。しかしショッピングセンターは結構遠いよ。ご苦労だなあ」
「いえ、雨の日はすいているので、自転車置き場のいいところに止められますし、ジムもガラガラで、貸し切り状態。サウナも温泉風呂も誰もいなかったりします」
「温水プールもあるの」
「ありますよ。僕は泳げないので、入りませんが」
「ジムでしょ。泳げるようにしてもらえば。指導員いるのでしょ」
「いえいえ、泳ぎにはまったく興味がないので」
「あ、そう」
「雨の日の方がすいていていいのです」
「医者もそうだねえ。雨の日、客が少ない。だから来なくてもいい客が来ているんだよね。私もそうだけど」
「はい」
「じゃ、お元気でね」
「はい、行ってきます」
「方角が別だね。じゃ、ここで」
「はい」
 この三好という人、実は去年の暮れ、既に亡くなっていたとすれば、怖い話だが、そんなことはない。
 雨の降る真冬、雪にならないだけましと思いながら、副島はショッピングセンターへ行った。その途中、梅が咲いているのを発見する。初梅だ。今年見るのは、これが初めて。
 昨日は咲いていなかったような気がする。咲いていれば、目に入るだろう。
 この副島こそ、去年の暮れに、既に亡くなっていた。ということは当然ない。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 10:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月29日

3646話 達成感


「一段落付きましたか」
「一応。しかし、これはまだまだ続きますよ」
「一区切りついたのではないのですか」
「一つです。次の区切りがあります」
「それは続くのですか」
「おそらく永遠に」
「じゃ、区切りはあくまでも区切りで、終わりじゃないと」
「そうです」
「しかし、この区切りで終わるのはどうですか」
「そうしたいのですがね。やっと一段落ついたので、ここで」
「そうでしょ。次へ進む必要はないでしょ」
「ところが、予定しているのは、ここじゃなく、もっと先なのです」
「そこまで行ける見込みはありますか」
「さあ、分かりません。できないかもしれません」
「じゃあ、ここで終わった方が賢明でしょ」
「まだ、満足度が低いのです」
「それは欲張りな」
「いえいえ、目標は高く、大きい方がいいでしょ」
「しかし、そこから先は無理をしないとできないのでは」
「まだ、いけるように気がします。それよりも」
「何ですか」
「ここまで来るのが目標でしたが、着いてみると、この達成感が曲者でして」
「曲者。悪い奴ですねえ」
「そうです。次の目標は、もう必要性のあるものではなく、狙っているのは達成感なのです」
「達成感」
「はい。気持ちよさです」
「それは曲者だね。ただの気持ちよさの問題でしょ。必要なことではなく」
「いえ、その達成感が必要なのです」
「それは困りましたねえ。面倒なところに入り込んだようですねえ」
「健全だと思いますが」
「いや、精神的なところに入ったことが問題なのです。そんなもの、きりがないでしょ。達成感を得たいのなら、他にも色々あるでしょ」
「はあ、そうですが」
「次の目標、それと競合する人達もいるでしょ」
「はい」
「その人たちは必要だからやるわけでしょ。普通はそうですがね。しかし、あなたは達成感を得たいだけでやる。それって、邪魔をしてませんか」
「はあ」
「得ても得なくてもいいものを求めている。本当に必要な人じゃない。だから邪魔なんですよ」
「そこまで考えませんでした」
「まあ、あなたと同じような達成感狙いだけでやる人もいるでしょうがね」
「はい」
「達成感は病です。一度その味を覚えると、いいことはない。またそれを味わいたいと思うためです」
「色々と有り難うございました」
「もう終わりですか」
「いえいえ」
「もう聞く気がないということですな」
「はあ」
「だから、塗る薬がないのが達成感病です」
「はい、罹っています」
「お大事に」
 
   了



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2020年01月28日

3645話 雀百まで


 馴染んだものとは、財産のようなもの。ただ負債もあるが。
 馴染んだものは馴染んでいないものよりもいいのだが、それはただの慣れで、そのものが良いというわけではない。馴染んでいていいという程度。馴染みの場所。馴染みの店。馴染みの道。馴染みの映画館、等々、数えればきりがない。馴染んだ箸とか茶碗とか椀とか、当然住み慣れた家、町など。
 ただ、馴染んだものでも消えてしまうことがあるし、馴染んでいても、消えた方がいいものもある。
「ほほう、慣れですか」
「そうです。これが大きいです」
「それが財産だと」
「時間がかかりますからね。馴染むまで。慣れれば、もう自分の一部のようになりますから」
「慣れると、飽きることもあるでしょ」
「嗜好品ならそうですが、安定してあるものは、そのままの方がいいです」
「ベースのようなもの」
「そうです。ベースの上に乗っているものに対しては飽きるかもしれませんがね。ベースはあまり動かない。静かなものです」
「そのベースを変えたいと思いませんか」
「環境を変えるような話になりますので、それは大ごとです。余程何か事情でもなければ」
「でも環境も徐々に変わっていく場合があるでしょ」
「ありますねえ、一気にじゃなく、徐々に。気が付けば以前と比べ、がらりと変わっていたりしますが、変わるのは部分部分なので、急激じゃないので、何とかなりますよ」
「そして新しいものに取って代わられる」
「そうです。最初は慣れが必要ですが、そのうち慣れてきて、もうそれじゃないといけないほどになります」
「以前の方がよかったなんて思いませんか」
「そういうのもありますねえ。でも戻れないのなら、そんなことを思っても仕方がないですし、期待もしていません」
「私はどうも今の暮らしに慣れなくてねえ。もう時代遅れの人間になったのでしょ」
「まだお若いのに」
「若いときほどには目新しいものに目がいかなくなりました。それこそ昔からあるような慣れたものが好ましいと思うようになりました。若い頃とは正反対だ」
「お若い頃は新し物好きだったのですか」
「時代の最先端を追っていました。それで出過ぎたのでしょう。その反動かもしれません。未来へ行くのではなく、過去へ行こうとしている」
「じゃ、今の暮らしぶりに慣れないのですか」
「それなりに慣れているつもりです。別に不満はありません。御時世ですから」
「はい」
「ただ、もう私の時代じゃなくなったことだけは確かです。こういうのは若い頃だけなんでしょうねえ」
「若い頃、何をされていたのですか」
「それは言えません。恥ずかしくて」
「はい」
「雀百まで踊り忘れずってことわざがありますねえ」
「ありましたか、そんなの」
「耳にしたことがあります。いくつになっても若い頃に覚えた踊りを忘れず、年取ってからも、まだ踊ろうとしているということでしょうか」
「雀、踊りますか」
「見たことはありませんがね。雀踊りなんて」
「踊りは舞踏でしょ。舞いでしょ。舞いは飛ぶという意味もありますから、雀踊りじゃなく、単に元気よく飛ぶことをいっているのでは」
「小さいがそれなりに重いのに、あの羽根の力だけで、よく飛べるものだと思いますよ」
「でも、長距離は難しいでしょ。それに、上空の気流に乗れるほど高いところを飛んでいる雀は見かけません」
「いやいや、雀ぐらいの渡り鳥もいますよ。その気になれば、遠いところまで行けるのでしょう」
「私も、百才の雀のように、まだ飛びたいという気は残っています」
「でも百才の雀はあり得ないですねえ」
「そうだね」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:29| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月27日

3644話 ランチ会


 下田はある会に入ったのだが、親睦会とは表向きで、実はここで色々なことが行われている。多方面から人が来ており、人脈を求めている人や、仲間作りには丁度いい。ただ、親睦会、交流会ではなく、ここで実際の動きもある。夜の商工会議所のようなものだが、昼飯会だ。
 これは昼時、ある料理屋の一室を借りている。テーブルはなく、当然椅子もない。お膳が出る。座布団はあるが座椅子はない。
 下田は初めて参加したので、誰が誰だか分からない。ただ、いずれも下田より上の人だろう。年齢ではなく、その地位や人物が。
 上の人物。凄い人物。そういう人とお近づきになれるチャンスなのだ。下田がそこに参加できたのは、大先輩が引退し、その席が空いたため。だから誰でも参加できるわけではない。その意味で、下田はラッキーだった。
 席は左右向かい合い、床の間のあるところに上位の人が陣取っている。当然入口は開いており、コの字型。
 初日は黙って話を聞いていた。といっても席が決まっているため、誰かに近付くには中央のスペースに出て順番に挨拶回りする程度。
 そして雑談が始まるのだが、一人が何か言い出せば、全員それを聞いている。また、それに関する話題に絞られる。
 何々についてどう思うか、などの意見交換だが、これは世間話風。賛成なのに反対の意見を言ったり、反対なのに、賛成した意見を言う人もいるので、よく聞かないと分からない。大物などはニュアンスで伝えている。断言せず、答え方の調子で賛成か反対かが、何となく分かる。
 そしてそれらは議論ではなく、雑談。
 この料理屋、お茶だけを飲む部屋がある。茶室ではないが、それに近い。大勢の人が喫茶を楽しんでいる。ここで個人的な話ができるようで、ランチ会の広間ではなく、ここでの話が大事なのかもしれない。
 つまりお膳の出る部屋ではできない一対一の話ができる。
 そういう仕掛けよりも、下田は誰にアタックすべきだろうかと、そればかり考えている。
 大きな鯛のような目で、太い眉、高い鼻。豊かな頬の肉。いかにもできそうな人だ。島田はその人をずっと見ていると、横にいる同じような若手から話があるので、あとで茶室へと誘われた。
 茶室といっても狭いどころか大広間。昼間から宴会はないので、敷居がなくても、声が届きにくいことと、常に何か音楽が鳴っており、それで、近くでないと相手の声が聞き取れない。
「あなたも探していますね」
「そうです」
「いい人、いましたか」
「目が鯛のように大きな」
「大益さんですね。あれは駄目だ」
「そうなんですか」
「あなた、人を見る目って、分かります」
「え、どういうことです」
「凄い人は目を見れば分かる。目が違う」
「よく聞きます」
「嘘です」
「はあ」
「大益さんがその例でしょ。誰でもそれで引っかかります。目が大きく輝いていますからね。でもあれば目が悪いのか、よく涙が出るらしいのですよ。それでキラッと光るのです」
「凄い眼光のある人、目力のある人なので、凄い人だと思っていましたが」
「あれはダルマです。置物にはいいが、中は張りぼてで、何もない」
「じゃ、何処を見るのですか」
「見ても分かりません」
「そうなんですか」
「その横に顔が細長くひなびた人がいたでしょ」
「はい、凄い鼻声でした。声も聞き取りにくかったです。駄目でしょ。あのタイプは」
「ほらまた、見かけだけで判断する。上位の人ですよ。声が何かおかしいですが、それと実力とは関係しません」
「はあ」
「あなた、逆に、どの人は駄目だと思いました」
「目が小さくて、子狸のような人で、動きがチマチマしていて、よく笑うし、すぐ顔に表情が出る人」
「熊谷さんですね」
「それと軽いです。動作が。どう見ても小物です」
「この中ではナンバーワンです。一番のやり手です」
「そうなんですか」
「表に出ないのですよ。その人の力は」
「でも、オーラーが」
「熊谷さんなんて、オーラーのひとかけらもないでしょ。そんなものですよ」
「じゃ、誰とお近づきになれば、いいのでしょう」
「それはもう決まっているでしょ」
「え」
「あなたが最初に大物だと思った人」
「鯛のような形の大きな目の」
「ダルマです。そのダルマにしなさい」
「でも、そのダルマ、張りぼてなんでしょ」
「鈍い人です。でも押し出しは凄い。一番接しやすいはずです。それにあなた、ダルマにオーラーを感じたのでしょ」
「はい、多少は」
「オーラーなんてものはないのですよ」
「でも」
「あなたがそう感じただけの話。そんな光、見ましたか」
「オーラーが出ているところですか」
「光り輝くね」
「そこまでは」
「だからあなたの中だけで発生させたオーラーです。オーラーって、その程度のものですよ」
「有り難うございました」
「いえいえ、僕は子狸を狙っています」
「一番できる人でしょ」
「動きがチマチマし、軽薄で、軽いので掴めません。難しい人です。近付くと、さっと交わされます。本当に力のある人は、絵に描いたような人じゃないんですよね。それに態度も子狸は軽率だし、下手な洒落もいうし、下品だし」
「そんなものですか」
「まあ、あなたならダルマがちょうどです。大物として立てれば、色々と面倒を見てくれるでしょ。しかし、難しい用件は無理ですがね。新入りにはちょうどです」
「はい、分かりました。次のランチ会では、ここにお誘いし、あのダルマ、転がしてみます」
 
   了



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2020年01月26日

3643話 何もない


「何もないというのは何もなくていいですねえ」
「そうなんですか」
「何かあることを期待しているのですが、何もないということが最初から分かっている場合、逆に安心です。心が動くことがない」
「ほう」
「何もないことを望んでいます」
「今まで、色々とあったのですね」
「人並みにね。しかし、最近何もなさが気に入っています」
「何気なさではなく、何もないとは何ですか」
「期待するものがないということでしょうか」
「じゃ、いつも期待していた」
「そうですねえ、人並みにね」
「それで、何かあることをしていたと」
「何かある。そんなに漠然とはしていませんが、期待に添う何かがあると思っていましたよ」
「それは何かは分からないが、何かなんですね」
「そうです。蓋を開ければ、分かることですが、それまでは分からない。だから、期待感がありました。これがよかったんでしょうねえ。しかし、ほとんどは期待外れでしたが、それは何でもそうでしょ。そんなにいいものなどないのですから」
「分かりました。期待しないということですね」
「そうです。蓋を開けても何もない。それが最初から分かっているものを敢えて選んだりしています」
「何もなさを期待すると」
「もし何かあれば忙しくなったりするでしょ。感情も動きます」
「そちらの方がよろしいのでは」
「いやいや、それではきりがない。最初から何もないものの方がいい」
「何か期待していたものが駄目になったのですか」
「そういうわけじゃありません。これは自然にそうなっていったのです」
「ほう」
「単純にいえば下手な期待はしない程度でしょ」
「最初はそれでした。そのあと来たのです」
「何が」
「何もないものを好むようになった」
「何もないものがどうして好きになれるのですか。何かあるから好きになったり、嫌いになったりするのではありませんか」
「いや、その圏外。何もないのですから」
「お話しがややこしくてよく分かりませんが、何か一種の境地のようなものですね」
「まあ、そんな感じです」
「妙なところにはまられたような気がしますよ。それは考え落ちのようなもので、そこへ持って行くのは危険なんじゃありませんか」
「いやいや、そこまでまだまだ達していません。そういう何でもなさのようなものに憧れている程度ですよ」
「ああ、それを聞いて安心しました」
「何でもないものに心を引かれる。これって、何かあるためで、何もないわけじゃない」
「よくお分かりで。そうですよ。だから、妙なことはしない方がよろしいかと」
「いや、だから憧れているだけです」
「それよりも、先日依頼した件ですが、まだですかな」
「色々と、何やかんやとありましてね。遅れています」
「何かありすぎたのですね」
「そうです。だから何もないことに憧れるのです」
「要するに言い訳でしたか」
「次回は何もないようにします」
「そうして下さいね。急いでいますから」
「はい」
 
   了



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2020年01月25日

3642話 さてどうするか


「さてどうするか」
 これは島田の口癖。いつも何を成すべきかを考えている。ただ、いつも成せるわけではない。結果が出ないと成したことにはならないので、それではなく、次の段取り程度だろうか。段取りとは成すための手段。順番。何からやっていけばいいのかの問題。これは結果を出すための過程。
 それなら上等なのだが、島田の場合、特に成すようなことはない。次はどんなことをすればいいのか程度。ここが実は大事で、人生の全てが本当はかかっているのかもしれない。その一歩、その一手の違いが大きくその後に影響をもたらす。刻一刻が分岐点。その選択で決まるべきものが決まったりする。ただ、それは島田の背負っているものの範囲内での話。
 だが、今では「さてどうするか」が口癖になっており、日々何度も連発したりする。特に困ったことがあるわけではなく、どちらかといえば、選択に迷いがあるのだろう。ただ、選択とは複数の候補があるものだが、それさえない場合がある。
 だから、「さてどうするか」と常に自分自身に問いかけているわけではない。また模索はするが、考えているだけ。思っているだけの、妄想に近い。
「さてどうするか」は一段落済んだときに出やすい。または休憩を終えたあととかも。要するに段落。改行し、次の文を起こしていく手前。
 しかし、口癖になってしまうと、あまり効用はない。日常化し、ただの口癖、呟き、気合いとか、合いの手に近くなる。
「さてどうするか」には、何かしていることが必要で、それに関して、鑑みるときに使う。
 昼時になった。さてどうするかとなるレベルで、これは何かを食べる必要があるというはっきりしたもので、考える必要はない。答えは分かっている。昼飯を食べればいいのだ。しかしそこに「さてどうするか」が入るのは、何を食べるかが懸案になる。昨日はうどんだったので、今日は蕎麦にするか、程度。
 しかし、この「さてどうするか」の間を置くことで、矢印ができる。方向が決まる。
 昼飯程度のことならいいのだが、もっと深く、複雑な事柄にも当然当てはまるが、これは「どうするか」と思うだけで、一向に答えが出ない場合がある。ただ、このままでは何ともならないとか、もっと違うやり方があるのではないかと、多少は重いことを思う。
「さてどうするか」と、島田はいつも偉そうに呟くのだが、「なるようにしかならん」と対になったり、「とりあえずすすめてみよう」だったりする。しかし、たまに凄いことを思い付くことがあり、これがあるので「さてどうするか」と問いかけるのだろう。
 熟考よりも、ふとした思い付きで事を進めることがある。予測も準備もしていない。だから新鮮に見えるのだろう。
 そういう過去の色々なパターンを思い出しながら、それも含めて「さてどうするか」となる。
 これで、島田が上手く事を進めているわけではない。その問いかけが大事、立ち止まって思案することが大事、ということでの成果はほとんどない。
 だから「さてどうするか」と思うことが好きなのだ。
「さてどうするか」で一拍入る。この間合いがいいのだろう。
 
   了



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2020年01月24日

3641話 吉野姫神社


 荒れた神社がある。鬱蒼と茂る樹木の中にある。森の中にある神社は普通だが、あまり手入れがされていないのか、密林状態。放置した庭木のようなものだが、古いだけに巨木が多い。それが伸び放題。かなり離れたところからでも見えるが、周囲にマンションなどが建ち、今では目立たないが。
 既に村の面影はない。田んぼだったところは全て宅地か、何かの施設。残っているのは家庭菜園程度。
 その神社は当然村の神社。荒れているのは氏子が減ったためではない。昔から住んでいる人は結構多い。
 だが、農村時代から、この神社、嫌われている。以前あった神様を追い出し、都から来た領主に縁がある神様に変えたため。
 その領主、別にそこまで望んでいなかった。興味がなかったのだろう。
 変えたのはこの村の有力者。その人が庄屋になった頃からだ。都の領主と関係のある人だ。だから、地元の村人は馴染まない。新任の代官様のようなものだろう。地の人ではない。
 それはうんと昔の話だが、今、この神社が寂れているのは、そこに遠因がある。村人から信仰を得なかった神社のためだろう。しかし、神主がいる神社で、代々庄屋の縁者が継いでいるのだが、その庄屋も没落してから久しい。残っているのは、この神社の神主の家系だけだろうか。
 都から来た領主の時代から、江戸時代は幕府の直轄領になり、本物の代官がこの村を含め、一郡を管理している。
 余程、前の庄屋時代が気に入らなかったのか、村の行事は隣村の神社で一緒にやっていたりする。以前祭っていた神様と同じ神社なので。
 それで村人に嫌われた神社だが、田畑を多く持っていた。それで氏子などいなくてもやっていけたのだろう。
 寂れだしたのはそれら田畑を売ってしばらくしてからだ。住宅地に囲まれた森。神社がそこにあることなど、越してきた近所の人も知っていたが、他所から来た人達なので、あまり興味はないようで、犬の散歩にはちょうどなので、その程度のもの。
 では、古くからこの地にいる人達の鎮守の森の神様は誰だったのか。
 それは実はまだいるようで、古い農家だった家の庭の祠の中にいる。主だった農家はそれぞれ庭に祭っていたのだ。お稲荷さんやお地蔵さんのように。
 祠がない家は、家の中の神棚で祭っていた。
 神様は姫様と呼ばれている。吉野姫のことだ。これが、ここの村人たちが土地を拓いたときに持ち込んだ故郷の神様なのだ。隣村も同じ。
 大昔の伝承だけに出てくる神様で、神話に出てくる神様の娘だが、その神話そのものが口伝えなので、ある土地の伝説のようなものだろう。ヨシノヒ。
 さて、その村人に嫌われ、荒れ果てた神社だが、田畑を売り、一寸した事業をやっていたが、あまりうまく行っていないようだ。
 しかし、雑木林のような中にある神社だけに、意外と神秘的で、かんなびている。下手に神様など祭らない方がいいのだろう。
 
   了




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2020年01月23日

3640話 お茶漬けの味


「寒い中わざわざどうも」
「今日は大寒のようです」
「おおさむ」
「まあ、用事がありましてね、寒くても来ますよ」
「例の一件ですか」
「そうです。それしかないでしょ」
「はい」
「顔色が悪いようですが」
「いえいえ」
「招かれざる客なんですな」
「いえいえ」
「さて、用件を済ませましょうか」
「それが」
「ないと」
「はい、予定したものが入って来ませんでしたので」
「まあ、そういうことだとは思っていましたが」
「次回は必ず」
「催促だけはしておきませんとね。忘れたわけじゃありませんから」
「はい」
「今回も無駄足か」
「少しお待ちを」
「ほう、あるのかね」
「ありませんが、ご足労頂いたので」
「何か出るわけですな」
「ほんのお茶漬けですが」
「寒いので、熱いかけ蕎麦がいいんだが。うどんでもいい」
「熱いお茶漬けです」
「まあ、御馳走になりましょう」
 しばらくして、茶漬けの膳が出た。その膳だけでも立派なもので、何か絵が書かれており、しかも光る箇所もある。茶碗は焼き物ではなく、木の椀。いずれもツルツルだ。
「ほう、これはいい。ただの茶漬けだが、豪華に見える」
「蕗のとうでございます」
「この小皿か。ほう、もう芽を出しておるのか」
「はい」
「お前さんも早く芽を出さないとな」
「はい、お世話になっております」
「うむ」
「ご用立て頂いたものは後日お返しに参りますので、よしなに」
「そうか、頼みますよ。私もそんなに楽なわけじゃないんでな」
 しかし、返済に行かなかったようだ。
 大寒から数えてもう春間近というのに、この頃の方が寒い。そんな日、またその客が来た。
「どうですかな」
「はい、なんとか」
「一応催促はしておかないといけませんからな」
「畏れ入ります」
「できたかな」
「いえ、まだ」
「それは困った」
「もうしばらくお待ちください。春になれば、何とかなりそうなので」
「分かった」
「はい」
「しかし、この前のおおさむの日より、今日の方が寒いのう」
「そうですか。じゃ、また熱いお茶漬けでも」
「ああ、そうしれくれ」
 また、立派な膳に乗ってお茶漬けが運ばれてきた。
「この小皿は何じゃ」
「それは佃煮です」
「何の」
「岩魚です」
「保存しておいたのだな」
「そうです。飴煮です」
 前回と同じような会話をし、客は帰って行った。
 その後、十日に一度は来るようになった。
 
   了




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2020年01月22日

3639話 プレッシャーとの戦い


「プレッシャーというのは期待されると出ますねえ」
「プレッシャーが出る?」
「はい、プレッシャーがかかります」
「病気に罹ったように」
「まあそんな感じです」
「期待される?」
「そうなんです。下手に期待されるとプレッシャーになります。やはり期待に添いたいと思うサービス精神がついつい出ましてね」
「じゃ、期待されているのだから追い風を受けているようなものでしょ」
「ところが、毎回上手く行くとは限りません。以前よりも、少し悪い出来だったりしますと、期待を裏切ることになるでしょ」
「そんな約束を」
「いや、していませんが、期待しているよ、期待するよと言われると、それを裏切るようなことはできないでしょ」
「なるほどねえ。しかし、気にしないで、これまで通りやればいいじゃないですか」
「それが偶然とか、たまたま上手くいったとかが多いので、狙ってできるものじゃありません。やってみなければ分かりませんしね。そのやる前が大事でして、ここでプレッシャーが負荷となり、いつも通りいかないことがあるのです」
「じゃ、期待されるのも良し悪しだねえ」
「そうなんです。期待されない方がスムースに行きます。だから私、期待されないことばかりやっていました」
「また妙な」
「すると、期待されていないことが案外受けましてねえ。それをまた期待されて困っています」
「じゃ、やりようがないですねえ」
「そうなんです。もっと気兼ねなくやりたいです。サボりたいときはサボり、盛り上がらないときは、まあまあで、なあなあなところで誤魔化すとか」
「僕は君には期待していないから、大丈夫だよ」
「評価されていないわけですね」
「そう、評価しない」
「じゃ、認められていないわけですね。私のことを」
「期待しないとはそういうことだよ」
「評価されたいし、期待されるのはいやだしで、困ったものです」
「まあ、人の目など気にしない方がいいよ」
「はい」
「評価なんて適当だったりするしね」
「はあ」
「それに君が思っていないところを評価されているのかもしれないしね」
「難しいですねえ」
「そういうプレッシャーとの戦いは、自分との戦いでね。逆にプレッシャーがかかっているときの方がいいこともある」
「でも苦しいですよ。何か自由さがないようで」
「じゃ、逆に期待されていることと反対のことをやればいいんだ。それならできるだろ」
「どういうことか、少し見当が」
「まあ、逆噴射、逆ギレというやつだよ」
「そんな乱暴そうなことはできませんよ」
「じゃ、どうする」
「やはり、期待されている通りにやるしか」
「それがプレッシャーになり、辛いんだろ。苦しいんだろ」
「いや、まだましですよ。プレッシャーを回避するより、プレッシャーに負けている方が」
「じゃ、解答は既に出ているんじゃないか」
「あ、はい」
「本当はプレッシャーに強いんじゃないのかい」
「弱いです」
「そうかなあ、何か図太そうに見えるけど」
「それは誤解です。か細いです」
「まあ、そういうことにしておくか」
「はい」
 
   了




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2020年01月21日

3638話 絵図面


 隣国から使者が来た。隣り合っているが敵対していない。といって仲がいいわけではない。いつ敵になるか、分からないような時代。
 西原からの使者が来たと聞き、何事かと領主は側近に聞いた。まだ城内には入れていない。
 側近には思い当たるところがないようなので、しかとは答えれなかった。何か策を仕掛けてきたのではないかと、警戒は緩めなかった。
 それでも使者を追い返したとなると、少し問題になる。波風を立ててしまう。それで、大手門を開き、控えの館へ通した。
「桑原豪右衛門」
「はい」
「聞いたことがない」
「吉岡彦九郎様の御家来衆とか」
「誰だ、その吉岡彦九郎というのは」
 隣国の武将らしいが、殿様にはそこまで分からない。
「西岡の重臣にいます」
「聞いたことはあるか」
 側近も知らなかったようだ。そんな家老がいることを。
 それで、西岡に詳しい西岡出身の家来に聞いてみた。
「西岡には十人以上重臣がいます。家老の家柄です。その末席にいるのが吉岡彦九郎様です。あまり目立った存在ではありません」
「その家老の家来が来たわけだな」
「そうです」
「その使者桑原豪右衛門を知っておるか」
「知りません」
 つまり、名の知れた武将ではなく、またものを送ってきたことになる。またものとは家来の家来で、桑原豪右衛門は家老に仕えているが、西岡の領主には直接仕えていない。いわば家老の郎党。家老が雇っている武将。
「まずは用向きを聞いて参れ」
「はい」
 それによると縁組みのようだ。親戚になって、仲良くしようというもの。それで姫を西岡にもらい受けたいと。
「それは逆だろう。西岡の娘をもらい受けるのはいい。そう申してこい」
「それは直接、殿が」
「またものじゃ、合うわけにはいかん」
 つまり、西岡の家来なら合うが、その家来の家来では駄目だという。ただ、庭先でなら合ってもいいらしい。
 使者の桑原豪右衛門は名前は凄いが、痩せて小さな男。しかし家老からは信頼を得ている。腹心だ。
 桑原豪右衛門は城内の御殿横にあるに中庭へ案内され、そこで土下座して、殿様と合った。しかし一切表は上げていない。
 殿様も表を上げよとも言わず、その話、聞かなかったことにしてよいかと使者に伝えた。
 西岡豪右衛門は了解した。
「それよりも、嫡男の嫁として、西岡の娘をもらってもいいが、如何じゃ。そう申しておったと、西岡に伝えよ」
 西岡豪右衛門はそれも了承した。
 あとは、本丸御殿の客間で御馳走を振る舞われたので、それを食べて、帰った。
 西岡領に戻った豪右衛門は、しばらく部屋に閉じ籠もり、出てこなかった。
 そこへ家老の吉岡彦九郎がやってきて、様子を聞いた。
 畳の上に、紙が敷かれ、そこに絵が書かれていた。城内の見取り図だ。
「よしよし」
 この豪右衛門、一度見たものは記憶しており、見てはいないが側面や裏面まで何となく想像で書けるとか。
 用向きの縁談だが、それは表向きで、そんなもの、最初から成立するとは思っていない。
 しかし、この城内の絵地図、その後使われることはなかった。
 
   了





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2020年01月20日

3637話 連判状


「元気でされてますか」
「何を」
「だから、元気で、色々と日々成されていますか」
「別に何もしておらんが」
「何かされているでしょ」
「寝て起きてだ」
「だから、その間、何かされているでしょ」
「ご飯は食べる。そんなこといちいち言う必要はなかろう」
「じゃ、お元気でお過ごしで」
「風邪っぽい」
「あ、それはいけませんなあ」
「だから、元気で過ごしておらん」
「寝ていなくても大丈夫ですか」
「軽いのでいいが、怠い」
「それは安静にしておられるのがよろしいかと」
「そうだな」
「ところで」
「来たな」
「まだ、まだ何も言ってませんが」
「何か言いに来たのだろ」
「仰る通り、少し頼み事がありまして」
「風邪っぽい」
「はいはい」
「聞いておらなんだのか」
「聞いていました」
「そんなとき頼み事をするか」
「軽い風邪なら、軽い頼み事程度なら、できると思いまして」
「しかし、安静にしておいた方がよかろうと先ほど言ったではないか。安静状態でもできることか」
「はい、ここに連名を」
「連名」
「何の」
「連判状です」
「それなら名前を書くだけではすまんだろ。血判もいるだろう」
「恐れながら」
「傷口から何か入ればどうなる」
「軽く、ちょっと」
「抵抗力が落ちておる」
「じゃ、血判はいりません」
「いらぬのなら、最初から言うな」
「では、この連判状の最後に、御名前を」
「全員血判を押しておるではないか」
「締めの人はよろしいかと」
「最後に名を連ねる人のことか」
「そうです。この連判状を見て、了解したという程度で結構ですので」
「参加せずともいいのか」
「はい、これで、連判状の締めになります。あなたしか、この締め役はいません」
「分かった。それで、何の連判状だ」
「それは言えません」
「物騒な。何か事を起こすのであろう。失敗すればわしも連座したとみなされ、処罰されるかもしれん」
「いえ、これは脅しの連判状なので、実際には何かをするわけではありません」
「事は起こさぬとな」
「はい」
「それで、その連判状、何処で使う」
「これは仲間内で確認するもので、誰かに見せたりするものではありません」
「連帯のための、連判状か」
「はい」
「少し見てもいいか。誰の名があるのか、見たい」
「当然です。確認して下さい。同志です」
「花村もいるのか」
「はい」
「人選は確かか」
「はい」
「花村がいるのは何かおかしい」
「誰でもいいのです」
「そうなのか」
「木下もおるぞ。あれも参加しておるのか」
「はい」
「それもまた誰でもいいということでか」
「さようで」
「要するに、あまりいいやつはおらんのう」
「はい」
「まあ、いい」
「はい」
「しかし、この連判状。目的が書かれておらん」
「汎用性を考えまして」
「まあいい」
 この連判状、結局使われることなく、長い眠りに入った。
 その眠りを覚ますようにある旧家から出てきたのだが、一人だけ血印らしきあとがないものが確認された。
 血判を押し忘れたのではないかと、解釈された。価値としては低いし、歴史にも関わらないが、実在する連判状としての値打ちはある。
 
   了




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2020年01月19日

3636話 日常の世界


 日々の過ごし方が数日違うと、少し新鮮だ。これはこれで楽しめるのは、ずっとではないため。少し立てばまたもとの過ごし方に戻る。もしそうでなければ、受け止め方が違うだろう。
 もとの日々の暮らし方に戻るには相当日数がかかるとなると、これは決心がいる。さらに、もう戻れず、一時的なものではないと分かると、さらに決心がいる。それが必要なことならいいのだが、そうなってしまったような場合は、やや下向きだ。
 がらりと生活パターンが変わるのは引っ越しだろう。近い場所に引っ越したとしても、立ち回り先が少し違う。僅かだが遠くなる場所と近くになる場所ができ、近くの方へ行くようになる。
 引っ越しはよりいいところへならいいが、一つランクを下げた場所となると、下げざるを得ない状況の方が深刻なので、都落ちのようなものになる。その場所は新鮮だろうが、気持ちはそうならなかったりする。
 安定した暮らしぶりとは慣れだろう。住めば都になる。もうあまり決め事をしなくてもいい。そして決め事を意識しなくてもできるようになる。決め事が習慣になれば、普通にやるだろう。
 安定した暮らしぶりがあってこそ変化が楽しめる。安定しすぎていると、退屈し、飽きてくる場合もあるが、何も考えずできるので、これはいいことだ。ただ、変化も望んでいる。だが、大きな変化ではなく、安定感を壊さない程度の。
 この安定感の中に食い込めば食い込むほど変化の効率は高いが、下手をすると屋台骨を壊してしまう。
 山田が散歩に出るのはいっとき日常から外れることが目的。しかし散歩なので、すぐに戻ってこられるので、大した外れ方ではない。これが何かの用事での移動なら、同じ道筋でも日常の中。決まり事の世界なので、通る道も最短を選ぶだろう。
 枝道に無闇に入らない。闇が待っているためだ。これは散歩のときの心情で、普段の心情ではない。
 ただ、散歩も日常事になる場合がある。日常業務のように同じ場所を同じ時間に出ていると、そうなってしまう。散歩も安定感を望むときはそれでいい。冒険しないで。あるべき風景があるべき様に見えるような。同じものを敢えて見る。
 日常の中にあるちょとした変化。それは散歩には丁度いいスケールだ。
 散歩コースというのは領地のようなもので、自分の土地のようなもの。しかし散歩人同士での縄張り争いはない。犬の散歩ならあるかもしれないが、好きな場所を犬がうろつけるわけではないので、これも少ないだろう。ただ、その意識はあるはず。
 散歩コースが自分の領土。これは始終そこを通らないと駄目で、行かなくなれば人に取られるわけではないが風景がよそよそしくなる。そして他人の領地に踏み込んだようにも。
 日常化されると自分のものになる。慣れた者勝ちだが、領内コースを別の人がいたとしても、取り合うわけではない。どちらも領主。ただ一方は領民になる。そのため、しばらく行かないと領主から領民になる。
 人には世界があるとはこのことで、その人が持っている世界だ。それは架空のものではない。
 世の中には色々な世界がある。個人の暮らしぶりも、一種の世界で、誰もが世界を持っている。
 
   了




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2020年01月18日

3635話 源平藤橘


 橘通りというのがあるのだが、その道と交差しているだけで、通り過ぎるだけ。よく通るその道は急いでいるときが多い。仕事で寄る場所なので、約束通りの時間までに行く必要があるためだ。近所を自転車でウロウロするようなわけにはいかない。
 橘通りと交差しているが、北側にはない。十字に交差していないでT字。だからここから始まり、南側の何処かに行くのだろう。それほど広い道ではない。だが、一方通行ほどには細くはない。
 ある日、その橘通りを左に見ながら信号を渡り、仕事先で用事を済ませた。そのあと、もう一つ用事があり、そちらに寄ってから帰路につくのだが、その日はその用がなくなったようなので、もと来た道を戻ることにした。これは滅多にない。いつも二つ回るため。
 だから戻り道も違うので、橘通りの前を通ることはなかった。
 戻ってからの用事はないので、少しゆっくりできる。それで田中は気になっていた橘通りに寄ることにした。何の意味もない。そこを下れば海側に出る。下町が続いている。それだけのこと。
 しかし橘というのが気になる。立花ではなく橘。
 源平藤橘の一つ。奈良の昔から有名な四氏だがその中でも橘氏の印象は田中にはない。地味だ。名が出てくるようなことが少ないためだろうか。藤原氏のように別の名前で活躍しているのだろうか。むしろ源さんとか平さんなどは希だろう。別の系譜かもしれないし。
 今、源平藤橘が問題になるようなことは普通の人にはない。しかし、道の名として使われている。
 その通りのある場所は奈良時代は海だったはず。陸になったのは江戸時代で、長い年月を掛けて海を陸にしていったはず。だから江戸以前のものはそこにはない。橘氏が活躍していた時代、ここは海なのだから、ゆかりのものもないだろう。
 そんなことを思いながら、田中は橘通りに踏み込んだ。住宅と店屋が少しある程度だが、さらに進むと、歩道横が商店街になるが、軽い屋根が上にあるだけで、トンネル形ではない。そのため、向こう側の歩道もそんな感じで、傘を差した道のようなもの。ほとんどの店はシャッターを閉めている。もうよく見かける最近の光景で、特に意外だとは思わない。
 さらに進むと、少しくたびれた家が見え始め、下町らしさが出てくる。気取った家などなく、ギリギリ雨露を凌ぎ、傷んだところを補強している程度。その中には新築されたのか、今風な住宅もある。ごそっと大きな災害でもあれば、ほとんど建て替えられるはずだが、その難を逃れ、生き延びているのだろう。戦前からあるような家もある。
 その向こうは潮の匂いがしてきそうだが、実際には工場地帯で、別の匂いがする。つまり、このあたりの住宅は、それらの工場で働いている人や家族が主に住んでいたのだろう。
 橘通りは海岸まで続くが、その手前が工場のため、海までは行けない。そこで途切れる。
 そして、町名を見ると、潮崎となっており、海と関係する土地だとは分かる。潮崎の地名があったのは江戸時代前からだとすると、ここではなく、上の方だろう。海だったのだから。だから、元々あった漁村の潮崎が海まで伸びたことになる。
 そして橘という名は何処にもない。
 それなら潮崎通りでいいのではないか。
 古そうなパン屋があるので、そこで聞いたことのないようなメーカーのパンを買い、店番の老婆に聞くと、ミカンだという。紀伊国屋文左衛門ではないが、ミカンで儲けた人でも出たのだろうか。
 この老婆はそれ以上知らないようだが、もう一つ立花通りというのがあるらしい。それと区別するため、立花通りとは別の漢字にしたとか。ただ、この通り道の名、最近のものらしい。これは食パンを二斤買いにきたおばさんが言った。顔がまるで食パン。
 だから、市役所が一寸格のありそうないい名を選んで付けたのではないかという話。
 立花通りのある立花町は大きい。そして、潮崎と似たような場所にある。
 だから、もう一つの立花通りとして、橘通りと名付けたのかもしれない。
 パン屋の婆さんは橘通りという名に馴染みなどないらしい。
 田中にとり、この通りに何か特別なことでもあるわけではないし、大きな謎もないので、それぐらいで探索を打ち切った。
 ただ、今も橘通りと交差する場所を通るとき、やはり気になる。
 源氏や平家は分かるし、藤原氏も分かる。しかし橘になると、一寸影が薄い。
 それで、ネットで調べると、橘通りの突き当たりにある大工場、明治の創業者が橘さんだったらしい。
 
   了





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2020年01月17日

3634話 お宝道


 近藤は昼を食べたあと散歩に出るのが日課になっていた。しかも長い。二時間ほどの昼の休憩。自宅で仕事をしているので、何時間でも休めるが、あくまでも休憩時間。この時間、一日の中で一番楽しみにしている。ただ、毎日なので、大喜びするようなことはないが、この長い間合いが好きだ。何もしなくてもいいので。
 自転車で飛び出し、さて何処へ行くかとなると、決まっていない。既に家の周りは走り倒しているので、目的とする場所がない。余程遠くまで出ないと。
 ただ一時間で行け、一時間で戻ってこられる場所に限られる。
 その日は久しぶりに北西へ向かった。この方角はあまり行かない。西でも北でもなく、北西。斜めに貫いている道で、昔の村道のようなものだろうか。
 その先はお寺のある大きな村に出るのだが、今はそんな面影はない。このあたりも実はよく行っている場所。西への道を選べば、その守備範囲に入るし、北への道を選んでも、その守備範囲に入る。だから北東への道を選ばなくても、似たようなものなのだ。
 近藤は決まり事を作っており、東西南北の道を順繰りに選んでいる。しかし北西というのはその中には入っていない。
 それを思い出した近藤は、久しぶりにその北西コースを取った。これは新鮮だ。いつもとは違う道筋になるため、沿道の風景も新鮮に見える。
 まずは文化住宅があったのだが、消えており、できたばかりらしい介護施設のようなのが建っていた。モダンな家だと思い、最初見ていたのだが、個人の家にしては大きい。店屋にしては場所が良くない。住宅地の中だ。
 文化住宅地の敷地は結構広かったようだ。ここに友達が住んでいたのを思い出した。それほど親しくなく、もう縁は切れているが、昔のことを思い出した。きっとその友人も引っ越したはず。それ以前に既に住んでいなかったのかもしれない。
 その先は大きな道と交差しており、信号は常に赤の点滅。隙あらばサッと渡る感じで、渡り方は決まっていない。車が来なければ渡ればいいだけ。だが、間に合う程度の車の接近なら、少し迷うが。
 この信号も以前とは変わっていないが、LEDのうすっぺたいのになっている。
 その角にある煙草屋が当然消えている。だが、看板は出ているし、窓には煙草と切手という文字も残っている。以前は塩と書かれたものがぶら下がっていたが、流石にそれはない。
 その頃、ここでよく煙草を買ったような気がする。家から一番近い煙草屋のためだろう。自販機はまだなかったような時代。
 さらに進むと、川沿いになるが、ここは暗渠となっており、水の流れなどは見えない。二メートルもないような川幅だが、昔は草の中を流れていた。春の小川の、あの景色のようなものだ。魚がおり、それを掬いにここまで来たことがある。当然、今はそんなことをする気はないし、また暗渠ではできない。
 お寺のある村は、さらに先にあるのだが、その途中にファミレスがある。できたときは田んぼの中にぽつりとあったのだが、今はステーキハウスになってしまった。深夜でもやっていたので、夜中、たまに来たことがある。当然ステーキではなくファミレス時代の安いドリンクバーだが。
 そして寺へと続くのだが、結構思い出が詰まっている道だ。それらが沸き上がってくる。
 こういうのは、毎日通っていると、そんな過去の思いなど沸き上がらず、乾燥してしまう。だから、たまに通るのでいいのだろう。
 それで近藤は、この北西へ斜め切りする道はお宝道として残しておくことにした。滅多に行かないように。
 
   了


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2020年01月16日

3633話 元重鎮の仕事


「毎日毎日同じことばかり繰り返していると飽きませんか」
「いやいや、なかなかそうはいかないのですよ。同じにならないことが結構ありましてね。たとえば立ち回り先の店が閉店したりしますとね、これは昨日と同じにならない。長い間そこへ判を押したように行ってましが、それが押せない。そういうのは毎日起こりませんが、たまにあります。たとえばリニューアル工事中とかで一週間ほど休みとか。一週間後また戻りますが、内装が変わっていて、決して同じじゃない。それに慣れるまでしばらくかかるでしょう」
「でもやっていることは同じでしょ」
「やり方を変えざるを得なかったりします。そういう変化は望みませんがね。これはベースでして、変えたいと思うのは別にあります。変わるものと変わらないもの、これが上手くバランスよくいっているときは調子が良いのです」
「それは、また細かい話ですねえ。でも全体は似たようなものでしょ」
「日々の暮らしぶりは似ていますが、十年前とではかなり違います。徐々に変わっていくのでしょうねえ」
「でも相変わらずでしょ」
「相も変わらず、これはいいじゃないですか。抜群の安定感ですよ。でもそれはなかなか維持できるものではありません。変えたくはないが変えざるを得ない状況もありますしね」
「さぞや退屈されていると思い、伺ったのですが」
「それが変化です」
「え、何がです」
「あなたが来たことが」
「変化というほどじゃないでしょ」
「この時間、私は外に出るのです。まだ少し間がありますが、その間やるべきことがあります。日々やっていることです。しかし、あなたが来たので、それができない。調子が狂います」
「お邪魔でしたか」
「邪魔というほどでもありません。あなたとは久しぶりなので、合っておくのも悪くはありませんしね。それで、あなたはどうなのです。お元気でしたか」
「それが、なかなか」
「悪いのですか」
「身体は別段問題はないのですが、少し困ったことが起こりましてねえ」
「私は困っていませんが」
「いえいえ、先輩を困らせることになりそうなので」
「じゃ、いい話じゃない」
「先輩しかいません。これを打開できるのは」
「私はもう引退していますのでね」
「いやいやまだまだ先輩の影響力は強い。少しだけ動いてもらえませんか」
「そんなことだろうと思っていましたよ。滅多に来ない人が来ると、これだ」
「はい」
「私はこのあとスーパーで夕食の食材を買いに行く」
「その前に、引き受けてくれませんか」
「ポテトサラダを作る。ハムと卵を入れる」
「まあ、そうおっしゃらず」
「で、何をすればいいんだ」
「はい、簡単です。白川さんを訪ねて下さい」
「白川か」
「はい、あなたの子飼いの部下だった人です」
「それだけでいいんだな」
「はい、訪ねるだけ」
「訪ねてどうする」
「訪ねるだけで、結構です。それで白川は分かると思います」
「白川は何処にいる」
「今は所長です」
「じゃ、行くだけでいいんだな」
「引き受けてもらえますね」
「散歩がてら行ってみる」
「これで、解決します」
「私にはそんな力はないが」
「いえ、まだまだ影響力があります」
 この業界の元重鎮がその白川を訪ねた。
 そして面会しただけで、お茶を飲んで帰った。
 これで、この業界の乱が治まったのだが、この元重鎮にとって、もうどうでもいいことだった。
 帰りに百貨店の食料売り売り場へ寄り、非常に豪華で見栄えのするポテトサラダセットを買った。海老も入っていた。
 
   了




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2020年01月15日

3632話 吹雪の山荘密室殺人事件


「吹雪いていますなあ」
「まさに吹雪の山荘」
「いい感じですよ」
「見知らぬ客が数名」
「十人ほどですか」
「偶然私とあたなはこうしてお近づきになれた」
「そうですなあ」
「他の八人のことは知らない」
「まあ、着いたばかりなので、そのうち親しくなれるでしょう」
「まあ、親しくなるかどうかは、問題ではないのですが」
「山荘の人もいますよ」
「歯の抜けた老人がいましたねえ」
「ここの管理人でしょ。入れ歯を入れればいいのにねえ」
「合わなかったのでしょう。食べにくいし」
「いや、歯がなければ噛めないでしょ」
「歯茎や唇で、何とかなります」
「私は一寸いい差し歯に変えたのですが、それができるまで豆腐ばかり食べていました」
「うどんも何とかなりますよ。ただし蕎麦は固いのがあるので、今一つですが」
「まあ、うどんや蕎麦なんて流し込めばいいんですよ」
「それよりも、この吹雪」
「はい」
「かなり積もるでしょ」
「ということは」
「よくあることです。閉じ込められます」
「はあ」
「密室です」
「山荘そのものが密室なんですな」
「そうです。そして色々な事情でここに来た人達、キャラはまだ分かりませんが、揃うものが揃うでしょう」
「あとの八人は、どんな人でしょう」
「同じようなタイプの人、八人では駄目でしょ」
「そうですねえ」
「女性陣も大事です」
「山荘の人もでしょ」
「そうです。山荘の内部に詳しい。どんな部屋があるのか、全部知っている。床下から天井裏まで。そして山荘周辺の地理にも詳しい」
「八人の中に刑事がいたり」
「犯人もいますよ」
「医者も」
「そうです」
「それと謎の美女」
「必要でしょ」
「そして起こるべきものが起こる」
「山荘殺人事件」
「犯人はその中にいます」
「どうなんでしょう」
「いや、そのお膳立てが揃っています」
「整っていますか」
「そのときは私が探偵をやるでしょう」
「じゃ、僕は犯人だったり」
「でも冗談を言っていると、本当に起こるかもしれませんよ」
「被害者は一人ですか」
「全員殺されるかもしれませんよ」
「じゃ、犯人も殺される」
「そして誰もいなくなった」
「定番ですなあ」
「誰か呼びに来ましたねえ」
「歯抜けの管理人ですよ」
「晩餐でしょ」
「じゃ、食卓のある大広間へ行きましょう」
「あとの八人、楽しみです」
「はいはい」
 
   了





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2020年01月14日

3631話 探梅


 世の中には暇な人がいる。まだ真冬前のことだが、梅を探して歩く人がいる。探梅家と言われている。家が付くが専門家ではない。また家が付くがそれで食べている人でもない。
 探梅でどうやって食べていけるのか。これが俳人で、探梅を楽しむ人なら分かるが、それでも俳句で食べていける人など限られているだろう。
 梅原という人がその探梅家だが、早咲きの梅はいいのだが、僅かな期間だ。梅が咲けば桜が咲き出す。寒梅系はよく見かける梅ではない。また、花びらだけでは分からない。それが梅なのかどうかも。
 寒梅家がいたとしても極めて短い期間しか活躍しないだろう。
 梅原氏は暇ではないのだが、紅葉狩りの次は寒椿、そして寒梅へと進む。だから季節ごとに違うので、そのことだけの人ではない。そのため、専門性は低い。これが寒梅だけを目当てにしているのなら、いいのだが。
 梅原氏が早咲きの梅に注目したのは、探梅という言い方による。これは探検、探索だ。探偵になって梅を探し歩く。ここに、何か浮き世離れした境地を見たのだ。そんな浮き世離れネタなら探せばいくらでもあるだろうが、桜よりも梅の好きな梅原氏は、そちらに走った。それに桜よりも早く咲くため。
 この寒梅を探しに野山に行くのではなく、住宅地を歩き回っている。意外と人の家の庭に咲いているたりするものだ。
 これは庭木趣味のある人がよくやる手で、珍しいのを植えるため。まあ、展示品を見ているようなもの。また自然豊かな野山へ行くよりも、花の種類は住宅地の方が多い。もの凄い種類がある。だから寒梅も見付けやすい。
 さらに住宅地の庭ではなく、一寸した施設の植え込みとか、神社の境内の裏側の繁みとかにも変わったものが咲いている。これも自然に生えたものではなく、植えたものだが。
 探梅は難しくない。ウロウロしておれば偶然見付かる。昨年見付けたものもあるので、これはバックナンバーを見るような感じで、とりあえず発見することはできるが、やはり新しく探し当てたものを見たときの感動の方が大きいので、探し回る。
 趣味は趣味を呼ぶ。まあ、おまけのようなものだが、梅を探して入り込んだ町で偶然見付けた神社とか、祠とか。また非常に凝った造りの喫茶店とか、妙な建て方の前衛的な家とか、草の塊のような家とか。また、子供相手の安いお好み焼き屋とかもあり、言い出すときりがない。梅など何処かへいってしまうほど。
 要するに梅が目的なのだが、そういったものを見ることで、梅が見付からなくても、それなりの探索、散策になる。まあ、散歩だが。
 ある寒い頃、偶然入った潰れがけの市場の中で生き残っていた肉屋で食べた揚げたてのコロッケ。唇が火傷しそうだが、胃の中に入った瞬間、冷えた体がほっとした。
 これはこれで探梅家としての冒険談でもある。別にアツアツのコロッケを食べたのが冒険ではないが、そういう市場を見付けて、薄暗いアーケードの中に入り込む勇気が冒険のようなもの。人跡未踏に近い洞窟なので。
 それで、肝心の早咲きの梅だが、見付からない年もある。しかし、探梅という目的がなければ、見知らぬ町をうろつくことはないはず。それができるのは探梅があるため。
 当然だが、早咲きの梅を見ても、特に凄いことがあるわけではない。
 だが、水を差すようだが、花屋へ行けば売っていたりする。花道や茶道で使われるためだろう。
 
   了




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2020年01月13日

3630話 名家


 松上領は二つの勢力と接している。囲まれていると言ってもいい。小さな勢力で、簡単に踏み潰せるはずだが、そうはいかない。同盟というのがあり、どちらかが攻めれば、もう一つの勢力が援軍に来るはず。だから、下手に手出しはできないのだが、その後、いろいろと調べていると、この松上領、何処とも同盟関係はない。しかし、いざ攻めてみると、いきなりもう一つの勢力が介入してくるかもしれない。これがあるので、面倒。
 さらに小国とは言え、かなり強い。そして攻め口が一つしかなく、大兵を活かせない。
 だから、まともに攻めても、面倒臭い相手で、相当の被害を出すはず。さらにこの松上領を手にしても、それほど実入りがよくない。
 ただ、すぐ近くに、取れるはずの領地が転がっているのに、取れないというのもしゃく。
 当然吸収することも考えた。松上家を家来にしてしまうことだが、これは承知しない。家格も松上家が上。頭を下げる気はない。取るなら取って見よという感じ。
 これにムカッとし、一気に攻めようとしたのだが、やはり初っぱなから抵抗に遭う。抵抗は松上家だけではなく、家中からも出た。別に松上家と敵対しているわけではないし、松上家が攻めてくるわけでもなし、また松上家の背後に大きな勢力もない。そのままにしておいた方が無難だと言うことだ。そして、松上家の代も変わるはずで、その頃には君臣の礼を取りに来るだろう。さらに、急いでやるようなことではない。
 それで、放置していたのだが、もう一つの勢力が松上攻めを始めた。先を越されたのだ。その勢力と今は戦いたくない。
 そのうち、援軍を送ってくれと、頼みに来るだろうと、高みの見物をしていたのだが、それもない。やがて、攻撃がやんだようで、その勢力は引き上げた。やはり手強いのだ。
 二つの大きな勢力がずっと狙っていた松上領だが、松上家の代が変わった頃、その二つの勢力も消えていた。より大きな勢力が滅ぼしたのだ。そのとき、松上領も攻め滅ぼすはずだったが、その勢力の総大将は礼を尽くして松上家を迎え入れた。総大将が頭を下げたのだ。
 これで松上家はその大勢力の傘下に入った。形だけは家臣となったが、それは形だけの話。
 松上家が由緒ある公家の血筋であったことも大きい。
 戦国期、公家の領地である荘園が、次々に奪われていった。それで地方にある荘園を守るため、そこへ引っ越した公家もいたのだ。松上家はその系譜で、朝廷との縁も深い。
 まあ、名家だったということだろう。
 
   了




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2020年01月12日

3629話 寒参り


 正月の初詣に行かなかった高島だが、これはまだ冬の序の口、もう少し寒くなった真冬の寒参りを目論んでいる。これも初詣だ。今年初めて参るのだから。
 ハードルをかなり上げ、寒く厳しい中を参る。これは効くだろう。身体だけに効いたりしそうだが。応えてくれるのは神ではなく、身体に応えたりする。
 さらに大きな神社は平地にあり、街中だったりする。そうではなく高く寒い場所。気温はさらに下がるだろう。山の中の神社。しかし、これはあまりない。
 そこで高い場所、つまり山の中にある神社は難しいが寺ならある。山門というほど山とは縁がある。しかし、神様ではなく、仏様。お寺参りになるのだが、伏岡神社というのが山寺にある。実際には寺の奥の院があるような場所で、寺のお堂ではなく、どう見てもお宮さんだ。つまり神殿がある。
 これは公式にはあまり宣伝されていない。昔は寺も神社が一緒だった名残だが、少し遠慮して、見えないところに移している。
 山寺の奥の院は深い箇所にある。背にしている山の中腹辺りにあり、一応階段は付いているが、遠い。寺の普通の境内からは当然見えない。だから、隠したのだ。
 この伏岡神社、正式な名ではない。ここに移転してからの通称で、伏している。つまり身を低くかがめての隠れん坊のように。
 さらに御神体はよく分からない。忘れたのだろう。明治のある時期、寺に神社があることが問題だった。どちらかに決めよという感じだろうか。
 それで、御神体も敢えて伏せた。伏せすぎて分からなくなったわけではない。
 高島はそこまで調べ、いいものを見付けたと喜んだ。寒参りにふさわしい。ありふれた神社へ行けば、遅れ参りのようになる。それを寒参りとし、しかも伏され続けている神社。非常にいい感じだ。
 これは大寒の日に行くべきだろう。大寒と気温の関係は明快ではない。暖かい大寒の日もあるが、これはあとで語るとき、大寒の日に寒参りと言えば、通りやすい。いかにも寒そうな日のように思われるため。
 その山寺まではバスを乗り継いで行った。観光の寺ではないのは、辺鄙なため。元々は修行のための寺だったようで、里との関係は必要ではないというより、遠ざけている方が好ましかったのだろう。
 西洋で言えば、修道院のようなものだろうか。
 二台目のバスから降りた高島は、さらにそこから山道を登り、やっと山門まで辿り着いたのだが、その道中も、結構人がいる。
 山門から境内を見ると、地面が見えないほど。
 寒いので、着ぶくれした人ばかりで、これだけ人が多いとストーブはいらないのではないかと思える。押しくら饅頭状態なのだ。
 しかし、少しだけ人が動いている。境内の左側、本堂の横から人が出てくる。出た分、境内の押しくら饅頭も少し変化する。
 出てきた人だけ入るのだろう。しかし、本堂ではない。本堂には人はいない。
 高島はその群れの一人になり、順番を待つ。
 もうここで悪い予感がしていたのだが、それが的中した。
 境内から裏門へ向かう行列ができており、そこを抜けると山道となり、奥へ向かう。つまり伏岡神社だ。
 この人数、全部寒参りなのだ。
 こういう穴場ほど、知れ渡りすぎて、穴ではなくなっており、どっと人が押し寄せていたのだ。
 誰も来ないような伏したような山中の神社、そのイメージがガタリと壊れた。
 高島は、伏していないではないかと呟きながら、後戻りもできず、巨大ムカデの足の一本にもなったような感じで、石段に足をかけた。
 
   了
 




posted by 川崎ゆきお at 12:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする