2020年02月29日

3675話 常春の人


 優れているものよりも優れていないものを使う方が落ち着くことがある。レベルが高いほど気忙しく、低い方が余裕やゆとりが生まれる。これは時間を争うようなことでは別だが、早いと善いものができるとは限らない。結果が悪ければ、何ともならない。
 早くて善いものができれば越したことはないが、この善いものというのが曲者で、そうそう毎回善いものはできないだろう。
 島田が最近考えているのは、ローなものでのんびりとやりたいということだろう。結果よりもその過程が過ごしやすければいい。いいものを使うと、結果を期待される。
 ローレベルなものを使って、ローレベルなものを作る。これは普通だが、ローレベルなものを使って善いものができれば、これは奇跡ではないが、喜ばしいことだ。ここに何かあるのではないかと島田は考えた。
 単純な話では道具負けというのがある。切れ味の鋭い刀を持っていても、強いわけではない。切れ味はいいが、刃こぼれがするし、すぐに折れるかもしれない。名刀には名刀の欠点がある。鈍刀には鈍刀の長所がある。その両者が備わっていても使うものが悪ければ、何ともならない。
 島田はその使うものが悪いグループに入る。だから鈍刀でいい。
 また、優れた道具やシステムは早く動く。だから仕事が早い。それで、他のこともできるようになるが、それでは楽ができない。早くできた分、別のことをするためだ。もしローな設備だと、それで十分で、余計なことをしなくて済む。
 しかし早い設備だと、多くのものがこなせるので、多くの仕事ができる。
 この問題は島田の場合、怠けたい気があるので、早くできたときは休みたい。もうノルマは果たしたのだからと解釈する。
 要するに仕事をしたくないのだろう。これは言ってはいけないこと。
 それらは先輩を見ていて思ったことで、何をやるにも遅く、そして巧みではない。それだけにもうかなりの年なのだが島田とは横並びの同僚。上下があるとすれば先輩と後悔程度。
 こののろまな先輩は誰からも馬鹿にされているわけではないが、島田は特に注目している。いや、尊敬していると言ってもいい。
「偉くなればなるほど楽できませんからね。位も偉いが仕事も偉くなる。それだけですよ」
 これが答えのようだ。あまり勧められない生き方だろう。そしてお手本にしてはいけないやり方だ。しかし、島田には怠け癖があり、この先輩の怠け方には興味がある。こういう人の方が出世する人よりも楽なのではないかと。
 つまり、世間一般の人達とは違う世界を見ているのだ。局限すれば、仕事をしたくない。
 島田はこの「仕事のできない」先輩に境地を見た。仙境のようなもの。
 身一つ。自分だけがよければいいというのは言ってはいけないことだろう。しかし、この先輩はそれをやっている。
 世の中には常識とは違う人がいる。これはこれで、厳しい道なのかもしれないが、先輩を見ているといつも常春のように穏やか。
 この飄々とした先輩を今更ながら尊敬するようになった。一種の貴種だ。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 11:47| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月28日

3674話 村の三尊


「暇ですなあ」
「何を守ればいいのか、よく分からない」
「そうですなあ。もう必要じゃないのかも」
「仰る通り、西の方はどうですか」
「私も同意見です」
「じゃ、三尊とも意見が揃いましたなあ」
「まったくその通りで」 
 村の守り三尊と言われている石仏がある。既に顔かたちはない。最初から頭部がない石饅頭もいる。合わせて三尊。この村ができてから置かれている。しかし、村はもう市街地になり、田畑などない。最後まで残っていた農家らしい家も取り壊され、今は蔵だけが残っている。神社はこの村にはない。隣村に大きな寺社があり、元々は、そこから分かれてきただけ。つまり新田の村。
 人が全部入れ替わったわけではないが、昔からいる村人は激変した。
 この三尊を順番に参る老婆がいたのだが、最近来なくなった。もう自力では参れないのだろう。
 三尊はそれを最後に、もう祠仕舞いしてもいいのではと相談したわけだ。
 ところが、一尊が妙なことを言いだした。北と西と東に石仏が置かれているのだが、南だけはない。これはどういうことだろうかと。
 この三尊は離れた場所に置かれているが、会話ができるようだ。
 村の南は山に向かったところにある。残る三方はそれぞれ隣村と繋がる道が村に入り込んでいる。山からの道はあるが、余所者が来るようなことはない。そのため、そこには置かれなかった。
 三尊の実体は分からない。石饅頭レベルのもいるので、顔かたちそのものがない。村人たちは地蔵として祭っていた。しかし、どうも地蔵ではないようだ。しいて言えばもっと原始的な神。
 新田の村なので、村の神社がない、この三尊が最寄りの聖地となる。だから神社的な行事は、この三尊の前で行われていた。
「南は山なので、守る必要がなかったからではありませんか」
「しかし、物騒なものは人とは限りませんよ」
「しかし、守るといっても、皆さん、何かお仕事しましたか」
「何も」
「そうでしょ。飾りですから」
「そうでしたねえ」
「最近、石カビがきつくて、痒くて痒くて」
「よけいなことを」
「それよりも、今後どうなるのでしょう」
「道路拡張の話が出ています。そのとき、東は取っ払われるでしょう」
「西は」
「同じです」
「北も危ないです」
「まあ、捨てないでしょ」
「何処へ持って行かれるのでしょうねえ」
「そういうのばかり集められている場所があります。隣村のお寺です」
「じゃ、私らもそこへ行く運命なのですね」
「大勢いますよ」
「しかし、南にはどうして置かなかったのでしょうねえ」
「それは先ほど説明しましたでしょ」
「聞いていましたが、開けておいた方がよかったのではないかと」
「守らないで?」
「そうです」
「どうしてでしょう」
「こういうのは四方に張り巡らされるもの」
「そうですねえ」
「だから、三方の構えじゃないでしょうか」
「ほう」
「敢えて一方を開けておく」
「なるほど」
「四方を固めると、強引に入ってきます。しかし一方を開けていることで、せめぎ合いがない。だから、私達、一度も守った経験がないでしょ」
「じゃ、悪いものは南の誰も守っていないところから、どんどん入ってきたわけですか」
「今、考えるとそうです」
「まあ、それも昔の話、もう終わった話ですから」
「そうですねえ」
「攻め口を無理に開けておく。悪い陣形じゃない」
「まあ、最後まで参りに来ていた婆さんの姿が見えなくなったところで、もうこの村は終わりです。三尊の用はなくなりました」
「はい、ご苦労様でした」
「いえいえ」
「お疲れお疲れ」
 
   了



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2020年02月27日

3673話 振替休日


「今日は月曜ですか」
「そうですよ」
「まだ何か日曜のように思っていました」
「振替休日です。今日は」
「ああ、それで日曜っぽいのですね」
「休みですからね」
「つまり、日曜と祭日が重なったので、そうなったのですね。いや、知ってますがね。昨日祭日だったことを知らなかったので」
「はい」
「ところで、平日なのに休み。月曜なのに休み。妙な感じですねえ」
「よくありますよ。日曜と重なったときが」
「いや、知っているんですがね。何度も経験しているので。しかし、こんなこと経験もクソもないですよね。別に賢くなるわけじゃないし、スキルが上がるわけじゃない」
「あなた、何ですか」
「いやいや、今日は月曜で平日なので休みなので、どうしたのかと思い、それで、振替休日だと分かり、それを誰かに言いたかったのです」
「あ、そうですか」
「じゃ、失礼しました。通りすがりの人に言うようなことじゃありません」
「いえいえ」
 すれ違った瞬間、男は早足になり、雑踏の中に消えていった。
 話しかけられた男は鞄がないのにしばらくしてから気付いた。手提げ鞄だ。そんなもの、盗られるとき、すぐに分かるだろう。握っているのだから。それを気付かないで、すっと鞄を離していたのだろうか。
 男はすぐに追いかけた。
 雑踏が幸いしてか、男はそれほど遠くまで行っていない。平気な顔で、手提げ鞄を持ち、歩いていた。
「帰してもらえますか」
「え、何をです。ああ、先ほどの人ですね」
「盗ったでしょ」
「え、何を」
「私の鞄を」
「知りませんよ」
「手にしているじゃありませんか」
 容疑をかけられた男は鞄の中を見せた。大きなカメラが入っている。
「あれっ」
「これ、私のですよ」
「え」
「どうかされましたか」
「しかし、私の鞄が」
「あなた、鞄なんて持っていなかったんじゃありませんか。僕もよく覚えていませんが」
「しかし、確かにこの鞄は」
「じゃ、調べて下さい。よくある手提げ鞄で、ショルダーにもなるタイプです」
「あ、私のは手提げ専用でした。色は黒で、大きさデザインも同じだが、これは違う」
 立ち話中にさっと気付かれないように鞄をひったくれるわけがない。絶対に分かる。だから、できたとすれば魔術だ。
「失礼しました」
「いえいえ」
「そういえば」
「思い出しましたか」
「鞄、持って来てませんでしたわ。会社休みなので」
「誤解が解けて、何よりです」
「今日は仕事日だと思い、鞄をぶら下げているものとばかり思っていました」
「やはり紛らわしいですねえ。振替休日で平日の月曜が休みなんて」
「仰る通りです」
 
   了
 



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2020年02月26日

3672話 目的


 目的、目標があり、それを目指しているのだが、実はそれを果たしたあとの目標、ターゲットがある。これは目的を果たすとやることがなくなるため、次の目的が必要なため。しかし、それは奥に隠れていて、まだ見えないこともあるが、何となく分かる。これを終えれば、あちらへと。
 吉村の場合、その先を二つか三つほど把握している。予約だ。流石に四つ目になると、見えないが。
 すると、目的としていたのは実は過程だったりする。そう考えた方が分かりやすい。
 目的など場合によっては永遠に果たせないこともある。だから一つでいい。それが途中で変わることがあっても、その方向では一つだ。
 吉村の場合、寄り道をする。目的にまっしぐらではなく、余所見をし、そちらから入っていく。だからこれは本当の目的ではない。目的に向かわないのだが、向かっていることになるが、ここが分かりにくい。
 それに寄り道の場合、本当の目的ではない。だから、それを果たしても、過程になる。
 そして、本命ともいえるものを避け続けたりしている。これは本命の目的を果たすと、そこでもう終わってしまうためだ。だからじらしているようなもの。またはプレッシャーが強すぎて近付けないとかもある。
 目的を果たすと終わる。これは淋しい。
 そのはぐらかしでの寄り道は過程なのだが、この過程の中にいいものがある。本命にいきなり向かわないのはそのためだが、これは結果論。
 本当は目的を果たしてしまうとやることがなくなる。これが怖い。別の目的をまた作ればいいのだが、いいものはあっても手に負えないほど遠かったりする。まあ、その方が時間がかかるので、当分は同じ目的に向かえるので、目的探しをしなくてもいい。だが、カタルシスがない。達成感だろう。
 寄り道がいいのは、細かく達成感が味わえるため。これは小さいながらも結果が出る。それを食べることができる。一瞬だが、喜びはある。
 しかし、吉村は知っている。快感など一瞬のもので、長くそれを維持することなどできないことを。晴れがましく思えることなど、そうそうない。
 しかし、小さな目的なら、ゴロゴロ転がっている。これなら達成感の快感もゴロゴロある。だが、小さいが。
 要するに小出しに気持ちよさを味わう。これがいいのではないかと思い、大きな目的よりも、小さな目的。または別の目的を複数持ったりするようになる。寄り道がそうだ。大きな目的のための過程ではなく、独立していたりする。
 目的にも色々ある。本人が勝手に決めてもいい。その規模も自由だ。
 簡単に手に入る目的でも。そこに気持ちの乗りとか、自分に対しての筋書きができていないと、なかなか手を出さないものだ。たとえ簡単に手に入ることが分かっていることでも。気持ちの整理が簡単ではない。
 目的、それは独り相撲で、一人芝居を演じているようなものかもしれない。それらの経歴が、その人になるのだが。
 
   了





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2020年02月25日

3671話 頭の自動運転


 脳というのは怠け者で、実は何もしたくないらしい。つまり頭を使いたくない。そのようにできているらしいと上田は聞いたのだが、これは上田が怠け者のため、納得したのだろう。
 脳は省略するのが好きで、省エネを好む。電気を使うためだろう。
 ただ上田は勤勉で、努力家。コツコツと物事をこなす人。一見して怠け者には見えない。ところがやっていることはほとんど頭を使わなくてもできること。箸を持ち、ご飯を食べるとき、頭を使うだろか。そんなときは別のことを考えながら食べたりしている。
 ただ指に痛いところがあるときは、考えながら持ち方を変えたりするが。
 上田がコツコツやってこられたのは、そういうことがメインだったためだろう。
 慣れたことなら何も考えないで、頭も働かせないでもきるということ。頭を使わなくてもいい。
 では頭を使うとは何か。これは考えたりすることだろう。思案、思考、ものによって言い方は変わるが、頭を使わないとこなせないようなこと。
 それがこなせる場合は、考えないで、反射的にやっている。いちいち思案しない。だから判断のスイッチは自動的に入る。いつも押すスイッチなので、そのスイッチしか押さない。だから、考える必要はない。
 その間、頭は休んでいるか、別のことを考えている。同じような動作を綿々とやっているとき、慣れてしまえば自動運転で、勝手にやってくれる。
 上田はその状態を好む。同じことをずっとやっていると、気持ちよくなってくる。そして、その間、頭はそちらのことはもういいので、別のところに行ける。これはただ単にぼんやりとしているだけに近い。何かを真剣に思考しているわけでも、考え事をしているわけでもない。ぼんやりと思い付くまま、連想の糸をたどるようなもので、特定のことを考えているわけではない。
 ただ、気になるようなことがあるときは、それが頭を占領するが、目の前のことを思っているわけではない。
 難しいことを考えていると、頭が痛くなる。実際の頭痛ではなく、重いのだろう。計算が。気持ちよく頭が回転しない。よく回転するときはよく考えている状態ではなく、考えなくてもすらすら行く状態だろう。だから、軽い。
 頭を使わないで、綿々と続けている状態は、何らかの境地とも言える別世界に入り込めるようだ。
 ここを上田は安全地帯と呼んでいる。自動運転なので、やっていることに企みや邪心はない。この行為そのものが邪念の塊かもしれないが、頭を使わないことがいいのだ。邪心は頭を使うから発生する。使わないのなら、そのままの行為で、掛け値なし。
 上田は頭が悪いのではなく、できるだけ使わないようにしている。これは頭が弱いためだ。バカではなく、頭の体力が弱い。当然頭の良い人ではなく、頭の強い人がいる。
 上田は頭の回転が速いのだが、回すと疲れるので、いつもは抑えている。
 世の中には本気を出さない人がいる。なめてかかると、本気を出され、手痛い目に遭う。
 
   了




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2020年02月24日

3670話 雨男


 雨の日は出掛けにくく、また雨なら中止することも多いだろう。水を差すということだが、田植え前などは差してもらった方がいい。
 雨の日にしか出掛けない人がいる。雨男だ。これは雨蛙に近い。雨男、雨女は、一緒に出掛けるとき、その人が加わっていると、雨になる。本来晴れた方がいい場合に水を差す。その雨男、雨女とは別に、一寸違うタイプの雨男がいる。清水という男で、名前からして水が付いている。ただ「きよみず」と読めばまた違ってくる。清水の舞台から飛び降りるなどの、あの清水だ。水が湧く場所。
 さて、雨男清水は雨が降らないと出掛けない。これは行楽に出るときで、雨がないと外に出られないというわけではない。仕事や買い物などでは普通に出ている。
 もし雨男は雨の日にしか外に出られないのなら、夜にしか外に出られないような生き物に近くなる。しかし、雨は始終降っているわけではないので、外に出る機会がもの凄く減るだろう。
 ただ、清水は行楽に限ってのことで、遊びに行くときに限られる。だから、天気が悪くても平気。逆に晴れていると出ない。曇りでも出ない。その意味では不自由。出るチャンスが逆に少ない。
 こんな日に限って雨、というその雨の日にしか出られないとなると、そんな日に限って晴れ、となる。
 清水は魚でもないし、両生類でもない。一応肺で呼吸している。それに雨程度では、エラ呼吸もできないだろう。
 そうではなく、雨の日にしか出掛けないのは、人が少ないため。出ている人がガタンと減る。行楽地、観光地でもそうだ。つまり、すいている。
 ただ、雨で中止となる野外イベントなどもあるが、主に景色を見に行く程度。風景や建物とか。
 だから雨が降っていても門は開いている。雨なので休む寺社などないだろう。
 この清水は当然雨の日の花見などは得意中の得意で、雨が降れば大喜びだ。
 ただ、人出が少ないことだけで喜んでいるわけではなく、雨そのものが好き。
 この雨をいい景色の中で見たい。ただ、雨はあくまでも脇役で、演出。水を得ることで映える。青空の映え方とはまた違う光沢がある。
 樹木の色目まで変わる。そして苔。これが浮かび上がって見える。そして水滴。野菜に水をかけると青々とするようなもの。
 景色も濡れれば気持ちも濡れる。湿気た空気を肺の奥まで吸い込むと、気持ちがいい。
 傘を差していても衣服は濡れるが、傘を持って出るだけ。合羽などは着ない。
 世の中には変わった趣味の人がいる。ただ、あまり人には言わないので、そんな人の噂など、ほとんど聞かない。
 
   了




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2020年02月23日

3669話 腐れ縁


 世の中には余計なものが多いが、その余計を取り除くとさっぱりしそうだが、そうでもないことがある。なくなると淋しいというより、余計でないもの、つまり必要なものだけになると、息苦しくなる。まるで実験室にいるようなもの。効率はいいし、いい環境なのだが、何か足りない。
 無駄の有効性云々とか、余白の大事さ、などとはまた違う、殺伐としたものを感じる。
 本当に無駄なものは確かにある。何とかそれを取り除きたいと思いながら過ごすこともあるが、これは除外したいためだろう。当然、それは取り除いて当然なのだが、そのあと、何故か淋しい。物足りない。
 それは宿敵が消えたような感じに似ている。敵がいるときは、鬱陶しいが、消えてしまうと、物足りなくなる。
「それで私を生かしておるのですか」
「君を排除するのはもう簡単になった。いつでも追い出せる」
「じゃ、もう脅威じゃなくなったのですな」
「そうだ」
「しかし、災いの種ですぞ」
「それは分かっておる」
「じゃ、なぜ」
「親しくなったためかな」
「親しくないから、敵同士」
「敵として親しくなった」
「はあ」
「いなくなれば困る」
「そこまで甘く見られたのなら、出ていくしかありませんなあ」
「行くか」
「脅威にならないのなら、いても意味がありません。飼い慣らされた敵では」
「あなたがいたから、私は多くを学んだ」
「そんな教訓を聞いても仕方がありません」
「馴れ合いだ」
「はあ」
「いなくなると物足りない」
「知りませんぞ」
「何が」
「それがあなたの命取りになる」
「いいじゃないか。それが必要なんだ」
「性格が変わりましたな」
「変わらぬが、あなたは私の一部なんだ」
「もう、それ以上聞きますまい。そこまで言われれば、もうここにいても情けないだけ。立ち去りましょう」
「行くか」
「一番きつい追い出し方でしたな」
「できれば残って欲しい」
「それじゃ、私が辛い」
「分かった」
「長年の望みだったはず。私を追い出すのは」
「そうだが」
「だったら、その通りに、おやんなさい」
「分かった」
 腐れ縁というのがある。この二人、こういうことを言い合いながら、その後も長く続いた。
 
   了




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2020年02月22日

3668話 龍軍


「清原から人が来ております」
「清原」
「石嶺奥四郡の」
「ああ、あったのう清原郷が。で、そんな奥から誰が来たと」
「清原殿です」
「まあ、お通しせよ」
「はい」
 清原郷を含む石嶺奥四郡は属国とされている。奥石嶺は広いが人口は少なく、その中でも一番小さな地域。そのため、奥の奥にある僻地。その背は巨大な山岳地帯で、もう人は住んでいない。
 城下の石嶺家宿老宅を訪ねて来た清原氏は、いわば清原郷の代表。
 何か言いに来たのだろうと、家老は、そのつもりで迎え入れた。一応一郡の主が来たのだから、それなりにもてなした。
 山奥では珍しい海の魚などが出た。そういうのを食べに来たわけではない。
「清原殿でしたか」
「そうです」
「ああ、代が変わられたのですな。忘れてました」
「そうです」
 石嶺家の家老は、この清原郷よりも石高が多い。
「佐伯攻めの陣触れが出ておりますが、それはやめた方がよろしいかと」
「それを言いに来られたのかな」
「はい」
「まだ、決まったわけではありません」
「決まらないうちに、お止めせよと、先代が」
「まだ御達者か」
「はい」
「つまりお父上の意見ですな」
「そうです。佐伯に攻め入ってはいけないと」
「これはほぼ決まっています」
「そこを何とか、お止めせよと」
 石嶺家の属国で、さらに影の薄い清原郷が物申しても通る話ではない。
「佐伯の城は簡単に落ちましょう。心配なくと、帰ってお父上にお伝えくだされ」
「はい」
 清原家の若き当主は、素直に頷いた。伝えるべきことは伝えたので。
 石嶺の家老は、その意味が分からないので、他の重臣達に、それとなく聞いてみた。清原がどうしてそんなことを言い出したのかを。
 誰も思い当たることがないらしい。それで主君の殿様に聞くが、やはり同じ。それで、殿様は隠居した大殿に聞くと、やはり分からない。
 さらにその大殿の家老だった隠居に聞くと、やっと意味が分かったらしい。
「佐伯の龍じゃよ」
「え」
「佐伯城の地下には龍が眠っておる。だから佐伯を攻めると手厳しい目に遭う」
「伝説ですね」
「そうじゃ」
 石嶺の家老は、それで清原が来た意味が分かったが、それで佐伯攻めを中止する気はない。理由にならないためだ。
 それで予定通り、佐伯攻めに向かったのだが、奥石嶺の三郡も兵を出したが、残る一郡は出さなかった。清原郷だ。
 小城の佐伯城はすぐに包囲され、明日にでも落ちるはずだったが、そのとき龍が出た。
 龍軍と呼ばれる、この時期最強の軍団が援軍に駆けつけたのだ。
 龍を目覚めさせたことになる。
 ただ、清原の隠居などが聞いていた伝説とは、少し違っていたが、龍軍を持つ大国と佐伯城とは旧縁でもあったのだろう。
 
   了
 


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2020年02月21日

3667話 狐馬


 三村は予定を立てない人。大事なことは覚えている。忘れるようではさほど大事なことではないのだろう。忘れるほどのことなので。
 人と会うときも、日にちと時間と場所は暗記している。それほど多くの人と頻繁に会わないので、その程度は覚えている。これもたまに忘れることがある。きっとそれほど大事な相手ではないのだろう。
 予定を立てると実行が億劫になる。義務のようになり、それを果たすのはあたりまえとなる。決まり事をする場合、無機的になる。あまり感情が入らない。予定としてあるので、やるだけ。しかし、これはやりたくない。しないといけないことになってしまう。
 それよりも、いきなりやるのがいい。予定表はないが、頭の何処かに書かれている。だから忘れてしまったわけではないので、急に思い出したようにやるのではなく、起動待ち。その気になったのでやる。
 その気は予定にはない。天気のように変わるし、予想もしにくい。当てにならない。気分の問題なので。
 予定が頭の中にパンパンに入っていると苦しいだろう。それがいいことならいいが、たとえいいことでも忙しい。
 予定として立ててしまうとやるのが嫌になる。困った性癖だ。できれば予定にないことをしたい。しかも思い立ったらすぐに。ここで躊躇すると溶けてしまうので、早い目に。
 その気になったときが大事で、これを延ばすと、もうやる気が失せ始め、溶け始める。
 しかし、世の中は自分だけが思い立っても、何ともならないことがある。三村はそのタイプなので、周りが付いてこない。急に言い出すためだ。何の予告も伏線もなく。
 その三村から電話などを受けるとき、三村がまた何か言い出したと、警戒される。しっかりとした計画性がないため、狐が馬に乗って走っているようなもの。それに付き合えない。
 三村だけが盛り上がり、勢いがいい。これも周囲が困る。ついていけないのだ。
 これは息が合わないのだろう。だから気も合わない。
 三村は積極的に仕掛けるのが好きで、義務で果たすのを嫌がる。当然命令されるのも嫌いだ。
 しかし、三村にも学習能力があり、色々と不都合が出ることは学んでいる。
 それで、最近はそれらを上手く隠している。急ぐ話、盛り上がっている話でも、ゆっくりとする。相手の息に合わすためだ。
 猫を被っているというより、狐を被っているのだろう。
 しかし、この狐馬、走り出すと突破力が凄く、敵なしだったりする。
 
   了
  


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2020年02月20日

3667話 妖怪札


 祈祷師、またはその土地ではまじない師、また、術士、道士とも呼ばれている人がいる。この場合の道士とは、仙人のようなものだろう。
 ほんの少しの人しかそう呼ばないが、呼び方はまちまち。
 妖怪博士はまだそんなものがいるのかと思い、訪ねてみた。祈祷師が珍しいのではなく、妖怪封じもやっていることを聞いたので、それが大きい。担当の編集者は来ない。風邪で伏せっているようだ。
 場所は郊外の田園地帯。結構田畑が残っており、農家も大きい。裕福な土地のようだ。そういう地方には一人か二人程度ならややこしい術者も養えるのだろう。
 祈祷師が住んでいる場所は、村の中心部から少し離れたところにあり、家々は長屋風で、ここは昔は小作人でも住んでいたのだろう。当然、建物は当時とは違うだろうが。
 その路地の奥にあんまにちちもみ祈祷と書かれた看板が出ている。板だが、傾いている。マッサージもするのだろうか。
 妖怪博士は早速中に入って、話を聞いてみた。
「妖怪封じもなさるとか」
「ああ、まあ、一応は」
「同業者ですな」
「あなたもそうでしたか」
「妖怪博士といいます」
「何処かで聞いたことがありますが」
「まあ、同業といいましても私は研究の方で、術者ではありません」
「あああ、はい」
「妖怪封じはどうやって行うのでしょうか」
「いえ、それ以前にそんな依頼はありませんから。ついでに夜泣き、寝小便、疳の虫、妖怪退散と効能を書き足しただけですよ」
「じゃ、夜泣きや疳の虫と同じような処方ですか」
「処方」
「いや、やり方です」
「はい、そうです」
「どんな方法ですかな」
「本来は加持祈祷の流れを汲んでいますので、その方法です。特に珍しいものではありません」
「要するに呪文のようなものを唱えるわけですな」
「そうです」
「それで退散しますか」
「はあ、何となく」
「商売になりますか」
「はい、お得意様がいらっしゃるので」
「それは結構ですなあ」
「お陰様で私くしで七代目です。一度途切れましたが」
「あなた、お爺さんでしたか、お婆さんでしたか」
「一応お爺さんです」
「それは失礼しました。声がお高いので」
「この声が出る間は続けようと思っています」
「なるほど。それで、呪文を唱えるだけですか」
「それが結構体力がいるのです。それだけで一杯一杯です」
「護摩を焚いたりとか、水の付いた葉っぱなどは使わないのですか」
「声だけです」
「御札のようなものは」
「封じ札ですね。一応ありますが」
「見せてもらえませんか」
「いえ、在庫はないのです」
「そうなのですか」
「その都度書きますから」
「妖怪封じの御札を作ってもらえませんか」
「はい、結構ですよ」
 祈祷師は隣の部屋に入り、そこで書いた。
 祈祷所となっているが、普通の家で、通された部屋も、普段使っているような六畳の間。結構散らかっており、祈祷所らしさは微塵もない。小さな液晶テレビもある。壁には古いポスターが貼ってあるが、映画全盛時代の女優だろうか。若かりし頃のものだろう。
 しばらくして、祈祷師は部屋から出てきた。そして御札を妖怪博士に見せた。
「これは妖怪に特化した護符ですかな」
「呪文は共通でして、そこに妖怪という文字が入っているだけです」
 妖怪博士はその呪文が読めない。見たことのない文字というより図だ。その中に妖怪という漢字があり、それだけは読める。
「この文字は何処でお知りになりました」
「あああ、初代が仙人から教えてもらっようです」
「これは、頂いていいでしょうか」
「はいどうぞ」
「いくらですか」
「いえ、お代は結構です。ただの紙切れに書いただけですので」
「これを使われたことがありますか」
「何せ、妖怪封じの依頼など一度もないので、使ったことはありませんよ」
「そうですか」
「もしよろしければ、こういうのを何枚か書いて頂けませんか」
「何枚とは」
「とりあえず二十枚ほどです。当然代金は支払います」
「コピーすればよろしいのに」
「いえ、やはり肉筆ではないと有り難みが」
「そりゃそうですが。はい、分かりました」
 妖怪博士は先払いし、そして住所が書いてある宅配の伝票も渡した。
「暇なときで結構です。急ぎませんからな」
「はい、有り難うございます」
 妖怪博士は色々な御札、護符を持っている。いつも使うのは拝み屋の婆さんが書いたものだが、それが切れた。その婆さん、体調を崩しているので肉筆の御札を書いてくれる人を探していたのだ。
 最後に祈祷のさわり箇所だけ、唱えてもらった。
 美声だ。そして高音、頭の先から音が出ている。透明感があり、突き抜ける声だった。
 そして表に出たとき、もう一度看板を見たのだが、「あんまにちちもみ」がやはり最後まで気になった。
 
   了




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2020年02月19日

3666話 梅見行


 梅の名所として知られている寺がある。境内ではなく、その周辺。植えたものだが、山中にある。そのため、街から遠い。わざわざ梅だけを見に来る人も希なのだが、決まった人数は出るようだ。人出だが、少ないわりには固定客が多いのだろう。それで寺が儲かるわけではないし、咲いているのは境内ではないので、特にイベントはない。梅祭りとか。
 また、この寺の年中行事も、特別なものではなく、人を呼ぶほどのものではない。
 山寺なので境内は広く、その周辺もお寺の土地。山の斜面を徐々に拡大し、墓地としている。
 その年もまた同じようなことが起こっており、隠れたる名所ともなっている。名物に美味い物なしというが、食べるものではない。
 数は少ないが、梅が咲いているときは、それなりに人が来ている。
 その名所はただの梅見ではない。少し変わっている。この寺だけのもので、それは雨の日。
 流石にこの日は寒い季節だし、山はさらに寒い。そのうえ雨が降っているとなると、人出はパタリと止まるはずなのだが、そうではない。見るべきものがあるためだ。雪にならないだけましという程度だが、もうかなり前からそれが始まった。
 寺の西側に続く渓谷がある。緩い斜面で、ここに梅が植えられている。あくまでも観賞用だ。その横に紅葉もある。桜もある。全シーズンいけるよう境内には四季の有名どころの花が咲いている。しかし、今は椿程度で、梅が旬。だが周辺には梅が一番多い。梅園のように。
 さて、最初の一人。それは雨の日に限って現れた人で、先駆者。傘を差しながら、渓谷の奥に咲く梅を見ている。立ったままじっと。
 これが絵になる。団体客ではなく、お一人客。付き合いで来いるのではないし、誰かに誘われて嫌々来ているわけでもない。純粋に梅を見に来ている。しかも雨の日。その方が人が少ないためだろう。
 それを見ていた人が真似し始めた。
 その後、その渓谷のあちらこちらに傘が見える。間隔を開けて、立っているのだ。
 団体で来た人も、そこで解散し、それぞれの梅の木に散る。そして長い時間、じっと立っている。
 その数が増え。今では雨の日の方が客が多い。それで、寺の売店が、少しだけ潤う。
 これは売店で番傘が売られているため。雨が傘に落ちるときのパンパンという音が歯切れがいい。その音を聞きながら滝に打たれたような気分になれるらしい。
 行のようだが、一人でじっと梅を見るだけ。それだけのことだ。まだ冬なので、冷えてくれば、そこでやめる。
 その最初の一人は、渓谷の一番奥にいる。雨の日は絶対に来ている。これがサンプル、見本、お手本、家元で、そのスタイルを真似ようと、その仕草を見ている。
 特に身体の動きはないようで、芸もない。ただただ梅が咲いている場所で立ち尽くしている。よく見ると、梅など見ていないのではないかと思える。
 これは何かの行。梅見行ではないかと、誰かが言いだした。だから梅見なのだが、梅見ではない。別のものを見ている。
 そして、桜の季節。この寺の周辺にも山桜が咲いている。ここで梅から桜へとバトンタッチ。
 そして、今度は梅見行を真似た人が桜の花見行を始めた。桜版だ。これは別の人。梅の人は桜が咲いても来ない。当然雨の日に限られるが。
 漠然と立ってじっとしている。立ち行の如く。しかも片手に傘。作法はない。
 要するにちらっと見た限り、雨の日に梅見をしている人にすぎない。何をしている人なのかが分かる。これがもし、何もない雑木林で立っておれば、怪しいだろう。
 この寺、雨の日こそが見所で、点在する傘、しかも動かない傘。番傘が売られているのは、婦人用の派手な傘では合わないためだろう。エチケットだ。当然貸番傘は足りないほど。
 多くの人が渓谷のあちらこちらでただただ立ちすくんでいる。これはこの寺の隠れたる名物となった。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 11:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月18日

3665話 元気のないとき


 今日は何もしたくないと思う日がある。高田は週に一度あるようだ。そのほとんどは天気。それと体調。どちらもコンディションの問題だろう。こういうとき、込み入ったことや、大事なことをすると、厄介なことになる。厄介なときに厄介なことをするようなものだが、厄日に厄事をするような感じ。揃っているのでいいのではないかと思えるが、相乗効果でさらに加速する。マイナスプラスマイナスはプラスになるが、マイナス側に伸びるので、戻るわけではない。
 高田はそんな日はじっとしているのだが、そういう日に限ってややこしいことになることが多い。まあ、具合の悪いときなので、何をしても具合がよくなるわけではないので、具合悪さのついでに具合の悪いことをするのも悪くはない。どうせ具合が悪いのだから、ついでにそのとき、具合の悪いことをやってしまえということもある。ただ、それは避けたいので、敢えて挑むようなことはないが。
 しかし、高田は調子が悪いときの方が落ち着くようだ。低いテンションしか出ないので、考えることも小さい。身の回りのことに対して、意外とこういうとき、目がいく。近いためだろう。そして小さいかどうかは分からないが。
 元気がないときは、元気のないものに触れる。勢いのあるものに触れる気力体力がないため。それで落ち着いたものを好む。
 落ち着くとは、もう到達点に着いたような、終わってしまったようなことに当てはまりやすい。落ちて着地して、もう落ちないようなものだろう。だが、転がすことはできる。これは任意だ。
 落ち着いたものは永眠しているわけではなく、まだ生きている。よく見ると、少しは動いている。この静かな動きに高田は興味を示した。ただ、興奮するようなことではなく、ぼんやりと眺めているだけだが。
 既に終わったもの、世間の注目も浴びなくなったもの、死んだように終わってしまっているものでも、まだ横へは転がせる。
 上へはもう行けない。落ちたのだから。下へも行けない。そこがどん詰まりなので。だから底。しかし、その横は広かったり、また抜け穴があり、他と通じていたりする。
 元気がなく、今日は何もする気が起こらないようなとき、高田はそういう世界に入り込む。これは一種の探検だ。
 古いものは終わっているので、結果も出ており、安心して見てられるが、本当は終わっていなくて、まだ続いているのではないかと思えることもある。そういうのを発見したとき、これは一種の妄想なのだが、やんわり、そしてにんまりした気分になる。これを、その体調のときの楽しみにしている。元気なときには決して目など向けない方面。
 元気のないときの過ごし方というのは、あまりない。だから自分で探すのだろう。
 
   了




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2020年02月17日

3664話 継続の力


 何事においても頭打ちになることがある。特に懸命にやっていたことは、期待も大きいだけに、がっかりだろう。それでやる気が失せることもある。継続は力だが、続けるだけの意味がなければ、それも難しい。面白くないためだ。
 頭打ちとなったことをまだやり続けるのは、果たして愚か、または賢いのか、それは分からない。
 柴田はそれで考え込んでいたのだが、上司はそれを見て、何か言いたそうにしている。
 上司ならどっちを選ぶのか、柴田はそれが気になった。この部門は任されている。なにをどうしてもいい。続けるのもやめるのも柴田次第。
 そして、それを見かねたのか、上司が様子を尋ねた。
「さあ」
 柴田は曖昧に答えた。上司の意見を聞きたかったのだ。
「継続は力なりという。続いているだけで力になる」
「そうなんですがね」
「違うか」
「どんな力なのでしょうか。力が無いので、頭打ちになっているのです。これを続ける意味がなくなってきました」
「だろうね」
「あとは偶然を頼るしかありませんが、それはおそらくないでしょう。ずっとこのままです」
「じゃ、やめるか」
「決めかねています」
「あ、そう」
「どうすればいいのでしょう」
「そうだね」
「何かいい知恵でもあれば」
「知恵ねえ。あればとっくに教えているよ」
「最初の頃はよかったのですがね。今は止まりました」
「減りだしたか」
「もう激変はしませんが、じわじわと減っていることは確かです。現状維持も難しいほど」
「衰退の一途を辿るというやつだね」
「そんな呑気な」
「まあ、何処かで底を打つだろう。そこは安定している。もう目だって落ちないはず」
「はい」
「これを維持できておれば成功だ」
「落ちているのですよ。それに伸びない」
「しかし、底値で動きが止まったことが大事なんだ。さらに減り続けるわけじゃないだろ」
「はい、上下は多少ありますが、それ以下に落ち続けるような傾向はありません」
「君が得たのはそれだ。それが君の力」
「そうなんですか」
「底のその力は安定した力」
「それと継続は力なりの力とは違うでしょ。続けていたからこそ最後は勝てるのでしょ。それがパワーになって、簡単に勝ててしまえる」
「いや、そうじゃない。継続するには力がいるということだよ」
「我慢ですね」
「そうだね。続けていても良い事など起こらないかもしれない」
「しかし、頭打ちで、伸び代がないのですから、力も入りませんよ。やる気が失せる一方で」
「だから、続けるには力がいるといっている」
「我慢ですね」
「そうとも限らん。続けられさえすれば、何でもいい。力んでも力まなくても同じ結果なのだから、そこは適当でいい」
「なかなかその気にはなれませんよ。それこそ、力が必要です」
「継続できる力だね」
「そうです」
「それは勝手に作りなさい。我慢とか辛抱以外の何かを見付けて」
「思い当たりません」
「それが継続の力だよ。簡単に見つかるものじゃない。貴重な力なんだ」
「難しい力なんですね」
「希有な力だ」
「それは何だと思います」
「私にも分からないが」
「惰性ですか」
「それに近いね」
「じゃ、やる気のない状態で、だらだらやることにします」
「そうか、続けることに決めたか」
「その心境に、少し入ってみます」
「そうしたまえ。私も今、その心境に入っている。こちらも頭打ちでねえ。何ともならんよ」
「大丈夫ですか」
「ああ、最低限は維持しているから、まだ撤退しない」
「お互い、頑張りましょう」
「いや、頑張らない方が、上手く行く」
「そうでしたね」
「力を抜くこと。これが力だ」
「欺されたと思ってやってみます」
「欺しているんだがね」
「あ、そうでしたか」
「うむ」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 12:05| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月16日

3664話 強いは弱い


 強い武者は弱い。強いので弱いのだろう。
 その戦い、これは小競り合いで、乱戦状態になった。
 お互いに敵の様子は分かっている。誰が強く誰が弱いのか。
 そして、一番の強敵が現れたので、誰も手が出せない。まともに挑めば大怪我をするだろう。それで、避けまくった。その剛の者、戦う相手がいない。
 敵はその剛の武者の後ろにいる。盾にして進んできたのだ。
 ここは駆け引き、来たので、引いた。剛武者には敵わないためだ。当然のこと。
 そして後退したところで、立て直した。
 今度はまた剛の者が先頭だったが、今度は両脇に回り込み、剛の者を避けて戦った。それで、また乱戦になったのだが、今回は策がある。
 まず、剛の者を切り放した。そこに伏せていた四人ほどが囲み、四方から一気に同時に槍を入れ、瞬殺。
 強い者ほど狙われ、マークされ、必要以上に攻撃を受ける。だから、強い者ほど弱いとなるのだが、決して弱くはないのだが、一番簡単に仕留められた。囲んでしまえば、いくら強くても、何ともならない。
 ただ、それには、そういった策を立てる人間がいないといけない。それを思いつき、それを指揮できる人間。当然、その通りに動いてくれる仲間がいないといけない。だから、いい策でも実行できなかったりする。
 ただ、その剛の者を何とかすれば、楽になるというのがあり、共通するものがあった。
 では毎回そんな目に遭うのなら、強い者は警戒するだろう。真っ先にやられると。
 だが、その剛の武者に立ち向かい、もし倒したとすれば手柄になる。こちらの方を選ぶのが普通かもしれないが、弱い者が集まっていることがポイントだろう。だから弱いほど強いわけではない。ここは弱い。
 弱い者ほど色々と計を立てる。まともにやりあったのでは負けるためだ。
 そういう姑息な話を老武者が若武者たちに向かい話していた。
「弱い方が強いので、生き残るのですね」
「そうではない。数が多いので、生き残る率が高いだけじゃ」
「しかし、私達は死を恐れません。名誉です。主君のため、命を落とすのは」
「それがある。だから、困るのじゃ」
「そうでしょ。忠臣ではありません」
 老武者は話の腰を折られ、散々攻撃された。
 つまり、その年まで何度も戦場に出ながら生き延びていることが不忠だと。
 確かにこの老武者、未だに身分が低い。後方で指揮を執ってもいいほどの年寄りだ。なかなか出世しないのは手柄がないため。
 ただ、この老武者が任された小隊の死傷率は非常に低い。それで、若武者たちは文句は言っていても、素直に従っている。
 
   了



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2020年02月15日

3663話 春待ち


「今日は暖かいですねえ」
「まだ二月の中旬、まるで春のようです」
「桜が間違って咲き出しそうですよ」
「蕾は既にスタンバイしているんじゃないですか。しかし、この前見たときはまだそんなに膨らんでいない。また咲く前はほんのりと赤みを帯びます」
「じゃ、間違って咲く桜はないと」
「世の中、間違いが多い。それにたまに聞きますよ」
「それは早咲きの桜じゃないのですか」
「そのへんにあるようなソメイヨシノ。一番一般的な桜でしょ。それ以外にも桜には色々と種類がありますが、咲いていても、それが桜だと分からないことがあったりします」
「咲いているのに、桜だと認識してもらえないのですね」
「いや、木の枝に花を付けてる程度は分かりますよ。しかし、早すぎると、桜だと認識しにくい。桜が咲くシーズンに咲いている桜に似た花なら、それも桜だと思ったりしますがね」
「はい」
「桜の花見はどんな感じがいいのでしょう」
「そうですね。何気なく見かけた桜。これがいい」
「通り道とかですか」
「そうです。しかし、毎日通っていると、今咲くぞ、今咲くぞと、待つような感じで、これは駄目です。知らないところで、いきなり咲いているのを見るのがいいのですが、これは難しい。偶然ですからね。そういう場所に偶然来ていなければ、駄目」
「そうですねえ」
「または、桜などまったく興味がなく、咲いていても見ていない人。その人が桜を意識した瞬間、一気に桜が飛び込んできます。これもいい花見です。新鮮です。目の前で咲いているのを何度も見ながら、しっかりとは見ていなかったわけですからね」
「はい」
「ただ、それはその人が桜どころじゃなく、忙しく日々を送っていたという状況も必要です。桜なんて見なくても生きていけるでしょ。不便も感じないでしょ。なくてもいいのです」
「今は梅が満開ですねえ。桜は出番待ちで、まだまだ先でしょ」
「そうですね。この暖かさで、間違って、ぱっと満開になっていると、怖いですよ」
「今までまだ小さな蕾程度で、桜のさの字も感じなかったのに、ある日いきなりぱっと満開ですか」
「しかも散り始めています。桜吹雪がパーと」
「それは怖いです。この世じゃないかもしれませんねえ」
「そうです。足元を見ると一面の菜の花。もう真っ黄色です」
「それも怖いです」
「春は待つのがいいのです。ゆっくりと春の訪れを日々待つのがよろしいかと」
「はい」
「冬のさなか、春の一寸した気配を感じる。ここが一番美味しいのです」
「はい、食べてみます」
 
   了





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2020年02月14日

3662話 イメージ


「欲しいものはイメージの中にある」
「はい」
「それは想像の世界」
「創造ですか」
「そうではない。空想だ。まだ具体的なものとして手にしていないもの。頭の中だけにあるものだろうが、当然外にもある。他人が持っているものが欲しいとかね。これは創造ではなく、想像。もしそれを得たり持ったりすれば、どれだけ素晴らしいかと思えるようなもの。ここまでは想像だ」
「私は創造者になりたいのです」
「お前は神か」
「いえ」
「ものを一から作るということなど、先ず不可能」
「じゃ、創作はできますね」
「それはできる。神でなくてもな」
「その創作者になりたいのです。クリエーターに」
「エーターか」
「はい」
「そんなもの誰でもやっておるだろ」
「そうなんですか」
「日常的にな。だから珍しいことではないし、大層なことでもない。普通に暮らしておれば、知らぬ間に創作しておる」
「たとえば」
「嘘をつく。これはよくあることだろ。作り話じゃ。立派な創作、でっち上げ。また、事実を曲解して、別のものに仕立てしまう。これも創作だろ。そんなにいいものではない」
「でも、そういうものが欲しかったのでしょ」
「欲しいというより、都合がいいのだろう。その人にとってはいいものだ」
「はい」
「一番の曲者はイメージなんじゃ」
「心の中で思い浮かべる心象というやつですね」
「当然、これは何かを見ての印象で、または何かを感じての印象。だから先立つ何かがいる。そんなものは何処にでも転がっておるがな」
「それをもう一度転がすわけですね」
「おお、いいことを言う」
「当たってますか」
「なんでも当てはまる。何でもありの世界じゃからな」
「思うだけ、ただということですね」
「まあ、思う気はなくても、思うもの」
「はい」
「欲しいものはイメージの中にある。だから、それは永遠に掴むことはできん」
「しかし、それに向かっています」
「何らかの構え方をせんと生きにくいからな」
「構え方なのですか。ポーズのようなものですか」
「イメージ同士のせめぎ合い。これだな」
「イメージ合戦ですね」
「まあ、そういう話はいい。イメージに関わり、イメージに拘りだすと、それは病気」
「はあ」
「余計なことを思わず、ひたすらコツコツと目の前のことをやればいい」
「地味ですねえ。盛り上がりませんねえ」
「イメージに惑わされるよりはまし」
「師匠も、それがありますか」
「大いにある。頭ばかり膨らみ、合うサイズの帽子がなかったりする」
「でも師匠の頭、小さいですが」
「ああ、イメージに拘らなくなったので、小さくなった」
「そ、そんなものですか」
「うん」
 
   了




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2020年02月13日

3661話 験担ぎ


 島村は験を担ぐ人だが、別に神輿のように担ぐわけでも、荷物を背負うわけでもない。
 帽子を玄関先の台の上に乗せている。椅子のようなものだ。台というほどではない。一寸置く場所が欲しいときに買ったものだが、今では帽子置きになっている。夏でも冬でも帽子を被って外に出ている。これは一度習慣になると、頭に何かを乗せていないと落ち着かない。それよりも寝癖がひどいので、それで隠しているようなもの。
 その帽子が何かのはずみで落ちることがある。これを首が落ちると解釈してしまう。
 それが落ちる確率は年に一度あるかないか。急いで玄関先へ出たとき、帽子を引っかけてしまうことがあるし、何かを運ぶとき、帽子に触れたりして、ポトリと落ちる。だが滅多にない。それが起こると縁起が悪い。それなら帽子かけとまではいかなくても、壁側にかけておけばいいのだ。衣服は部屋で着替えるが、帽子だけは玄関先の廊下。何故か部屋には持ち込まない。
 出掛ける前、帽子が落ちていることがある。滅多にないので、これは目立つ。そういう日は注意が必要で、外で帽子が落ちるどころか、その中身も地面にごろりと落ちることを想像してしまう。首が飛ぶ。これは事故だけではなく、仕事上のことでもそうだ。何か首になりそうなことが起こるような予感がする。ただの験担ぎ、ジンクスだ。
 茶碗が割れるというのもそうで、これも確率は数年に一度だろう。茶碗を洗っているときとか、茶碗を出すとき、手が滑って落とすためだ。落としそうになることはあるが、本当に落ちるのは希。また、落ちた場所と高さが問題で、落としても割れないことが多い。
 茶碗の場合は、落としただけなら、験を担がない。割れたときだ。
 これは十年に一度だったりする。だから何かがあると思ってしまう。そのためこの警告に従い、注意深く一日を丁寧に過ごすよう心がける。これは一日が期限で、一日だけでいい。
 そして帽子が落ちた日も、茶碗が割れた日も、別に何も起こらないことが多い。
 逆に帽子が落ちていたことなど気にしないで、注目もしなかったとき、年に一度あるかないかのときに、ややこしい目に遭ったりする。終わってから、ああ、あのとき帽子が落ちていたなあ、と思いだしても、あとの祭り。
 だから、島村の験担ぎは予防用。実際に帽子が落ちた日は何も起こらない。それは注意深く、用心深く一日を送るためだ。
 風で帽子が飛ぶ、地面に落ちるというのは問題視しない。理由が明快なためだ。強い風なら帽子が飛ぶこともあるだろう程度。台の上に置いていた帽子が落ちるのとは違う。お知らせの仕方が違う。
 また、こういうこともある。贅沢品で、別に買わなくてもかまわないようなものを買いに行くかどうかで迷い、後ろめたさを感じながら、買いに行こうとしたとき、雨が降り出した。雨が止めに入ったのだ。そしてそれを無視して、買った場合、失敗だったことがある。思っていたものと違っていた。
 まあ、タワシを買いに行くとき雨が降っていても気にならない。だが、タワシだけを買いに行くことなど先ずないだろう。
 そういった何らかの合図のようなものを受け取った体験のある人が他の人にもあるはず。高度情報化時代、そんな虫の知らせのような曖昧なものなど無視されがちだが、他人には言わないだけで、密かにそういうものを気にしているのではないだろうか。そして当たっていたりする。
 犬のひと吠えが的を射ている場合もある。
 
   了





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2020年02月12日

3660話 ある一日


 朝、目が覚めると、今日は別に何もないので、急いで起きることはないと三島は思い、布団の中でグズグズしていた。そのうち、そのまま寝入ってしまったようだ。前日早起きしたので、寝不足気味だった。昨日は面倒な用事を片付けたので、気持ちも軽い。緊張しなくてもいいし、時間を気にする必要もない。
 三島はそういう日を何度も経験しているが、普通の経験でよくある経験。しかし、最近は用事が減ったので、スケジュール表も白い。
 そのため、昨日の忙しさは久しぶりだった。それを果たしたのだから、今日は大いばりでのんびりと過ごせばいい。といってもいつものペースでいい。好きなときに起きて、好きなときに寝る。その間は自由時間。
 次に目が覚めたときは、かなり遅くなったが、十分眠れたのか、もう満足。それ以上寝る方が苦痛に思えたので、さっと起きた。
 室内がかなり明るくなっている。昼間の明るい部屋になっている。
 布団から出て、いつものソファーへ行こうとしたとき、少しだけ妙な気持ちになった。ふらついたからではない。身体は大丈夫だ。しかし、何か違う。
 寝違いがあるように、起き違いがあるのだろうか。寝違いは、妙な角度で寝たので、首が痛いとかだが、起き違いは気持ちの問題かもしれない。何か妙な時間に起きてきたような。
 別の世界で起きてしまうと、完全な起き違いだが。そんなことはあるわけがない。どんな世界で目が覚めるというのだ。それに部屋の中はいつもの三島の部屋。別の世界ではない。
 目覚めはよかったので、寝起きが悪いわけではない。
 では、この妙な気持ちは何だろう。
 三島はソファーを離れ、パソコンのあるテーブルへ移動した。そして、電源を入れた。
 スケジュール表を見るためだ。
 三島はエクセルを起動した瞬間、思い出した。
 妙な気持ちとはこのことだったのかと。用事が今日もあることだ。終わっていなかったのだ。これは別件で、昨日済ませた用事とは違う。大した用事ではないが、二日続いていたのだ。
 それは簡単な用事だし夕方前に出掛ければ済む。それに用意も準備もいらない。人に会うだけ。
 妙な気持ちが起こらなければ、気が付かなかった。これを何処かで警告してくれたのだろう。
 誰が。
 まあ、忘れていたわけではないので、頭の片隅にあったようだ。
 しかし、今日はのんびりと過ごしたい。昨日の疲れがまだ残っている。
 用事というのは、頼まれ事で。相手が何か言ってくるだけ。セールスかもしれない。しかし、会う約束をしたのだから、守るべきだろう。話だけは聞くと返事している。いずれもメールで。
 そして夕方近くなったので、三島は出掛けることにした。今日は会えない事情ができたので、と、ドタキャンのようなことをすると、後味が悪い。
 昨日出掛けたばかりなのに、今日も出掛ける。最近では滅多にない連チャン。昔なら毎日のように出ていたのだから、別に苦痛ではなかった。
 そしてターミナル付近の分かりやすい待ち合わせ場所まで来た。
 同じように待ち合わせの人が二人いる程度で、ここは待ち合わせの穴場なのだ。遠方から来た人でもすぐに分かる目印がある。有名な待ち合わせ場所は人が多いので、探すのが大変。
 しかし、待っても、それらしい人が姿を現さない。初対面なので、どんな人物か、見るのを楽しみにしていたので、この人ではないか、あの人ではないかと、行きすぎる人を一人一人チェックしていた。まあ、待ち合わせなので、やることがないので、通行人を見ているしかない。
 十五分ほど経過しただろうか。頼み事がある側が遅刻なのだ。
 電話をしても、いい時間なので、ケータイを取り出そうとしたとき、鳴り出した。
 風邪で熱があるので、出てこられないと。
 風邪でも腹痛でも何でもいい。事情ができたのだろう。
 三島はケータイを仕舞いながら、逆にほっとした。昨日の用事がきつかったので、その褒美で、何か良いものでもこれから食べにいける。ついでに、なかなか買えなかった電化製品もあり、それを買ってもいい。もう頭は切り替わっていた。
 その後、その人物からの連絡はない。果たして、どんな事情で、尻切れ蜻蛉になったのかは調べようがないし、また興味もない。
 三島も、そんなことを何度かしたことがあるので、そこは理解が早い。
 さて、何を食べるかで悩んだ末、結局は回転寿司を食べた。あまり豪華ではなかったが、満腹になるまで皿を積み重ねた。
 それで、妙な一日になったのだが、すぐに、そんなことなど忘れてしまうだろう。
 
   了
 



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2020年02月11日

3659話 走らないメロス


 安田は急いでいた。よくあることだ。約束の時間に間に合わない。遅刻する。集合時間に遅れそう、などは日常的によくある。
 それで、実際に走っている人もいる。その中には走れメロスをやっている人もいるだろう。
 小走り、そうでなくても急ぎ足。普段よりも早い目に歩く。また、急いでいなくても早歩きが普通になっている人もいる。この場合、いつも同じその早歩きが癖になっていると、普通に戻せない。所要時間が決まってしまっているため、その早さでないと、間に合わないように通っているためだろう。だから、急がなくても急ぎ足。
 遅刻しそうになり、急いでいるとき、パタリと何かと遭遇する。普段ないような偶然。話の上ではよくあるが、現実には滅多にない。ただ、急いでいるため、思わぬミスのようなことをする。一番多いのは誰かとぶつかること。急いでいなければぶつからない。だから、偶然ではない。普通に歩いていればぶつかるようなことは少ないだろう。
 安田は、そんなことを思いながら、急いでいた。急ぐには理由がある。それは何でもいいのだ。安田の場合はただの寝坊。しかし、これを甘く見ていた。多少の寝坊でも間に合う。しかし、気になるメールが来ていたので、見ていたのだ。詐欺メールだろう。フィッシングというやつだが、リアルに、そして具体的にできている。固有名詞が色々入っているためだろう。数字も具体的。
 それで、寝坊で急がないといけないのに、余計なものを見てしまった。それで、家を出たとき、少し急がないといけないかな、と思う程度だったが、途中で煙草を吸うのだが、こんな日に限ってライターを忘れた。ポケットには煙草だけ。これもよくあることで、煙草そのものも忘れることもある。ライターだけなら、予備が鞄の中に入っているので、それを使えば問題はない。いいフォローだ。
 だが、その予備を使ったのを忘れていた。一度そういうことがあり、取り出したのだ。そのあとすぐに入れ戻すか、別のライターを入れれば、それで済むのだが、そこまでの配慮はなかった。たかがライター。これは実際には困らない。途中にコンビニがあるので、そこで買えばいい。だが高い。
 急いでいるとき、寄り道になる。レジに人が並んでいると、これはかなり遅れる。
 幸い、レジ前には誰もいない。レジ内にもいない。陳列の整理でもしているのだろう。
 ライターはレジの奥にある。だから、陳列台から探す必要はない。
 それで、レジから離れたところで、パンを並べている老婆に声をかける。案の定、耳が遠いのか、聞こえないようだ。こんなことで、時間を取りたくない。しかし、このまま出るほどのことでもないだろう。それで、大きな声を出すと流石に気づき、分かったとばかりにレジへ早足で戻ろうとしたようだが、コロッと逝ってしまった。死んだのではない。滑ったのか、躓いたのか、バランスを崩し、それを立て直しているとき、コテンと転んでしまった。しかし、すぐに起き上がり、笑いながら、レジに入った。忙しいときに、余計な芸をする老婆だ。
 それで、ライターを買う。いつもなら、ライターの陳列ケースごと出してきて、選ばすのだが、この老婆は、適当な色のを抜いてきた。
 安田は一円玉を探したりしない。余計な手間になるので、百円玉二枚を出した。このほうが十円玉や五円玉や一円玉をポケットから出すよりも早いし、そのとき、コロッと一円玉を落とし、それが床に吸い付き、爪を立てて挟もうとすると今度は滑り、前屈みになりすぎて前転、という芸をやってしまうかもしれない。それを恐れて、百円玉二枚を出した。そのあと老婆は何も芸はしないで、さっさと釣り銭を出した。
 安田は、コンビニを出たところで、煙草に火を付け、急ぎ足で、駅へと向かった。まだ走るほどではない。早い目の歩き方で十分。
 そして駅が見えてきた。楽勝だ。改札を抜ければいい感じで、電車が入って来るはず。それに間に合えばいいので、急いでも、ホームで待つだけなので、同じこと。
 ここまで来れば大丈夫だろう。
 そして、そのあと、特にこれといったトラップはなかった。
 
   了






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2020年02月10日

3658話 両横の客


 宮田はいつもの喫茶店に入ったのだが、席が違うためか、妙に落ち着かない。窓を向いてのカウンター席だが、左右の客がどうも気になる。テーブル席に比べ、客が近い。すぐ横にいる。しかし、顔は見えない。だが男女別は分かる。カウンターに置いたバッグ類などで。
 また、少しだけ首を回せば見えるのだが、それでは相手も気付く。
 左右に人がいるのだが、それが誰であるかが分かっても仕方がない。別に危険そうな人ではないだろうし、たとえそんな人がいたとしても、ここでは場所が悪い。それに何のきっかけもないのに、いきなり危険な行為はしないはず。当然この店ではそんなことは一度もないし、他の行きつけの店もそんな気配は全くない。あればニュースになる。
 ただ、夜遅く、飲み過ぎた人が入って来て、挙動がおかしく、酔った勢いでスイッチが故障したのか、噛みそうな犬になることもあるが、そのスイッチはいくら酔っていても残っているのだろう。無闇に噛まない。噛めば人狼や吸血鬼やゾンビになる。
 その日、座った席は初めてで、常連客も多く、顔だけは知っている人も数人いる。その中の誰かが横に座っているのかもしれないので、興味があるとすれば、その程度。ああ、この人か、と分かればいい。だが、分かったとしても大したことではなく、何の変化もない。
 横に座っている人も、似たようなことを思っているかもしれないし、また初顔かもしれない。そちらの確立の方が高い。
 その前の日だが、別の喫茶店で声をかけられたことがある。その近くのまた別の喫茶店で何度か見かけたことがあるらしい。宮田の記憶にはない。ひと世代若い男性だ。
 ということは宮田は見られていたのだが、宮田はその男性を見ていなかった。覚えていない。座っている場所が違うためだろう。それでも大凡その店に来る人なら、知っているはずなのだが。
 相手は知っているが、宮田は知らない。おそらく記憶に残らなかっただけで、見たことはあるのかもしれない。長髪で眼鏡をかけ、痩せた男性。カジュアルバッグから端末を出し、それを見ていた。
 宮田は記憶の底を掘り返したが、出てこない。覚えにくい顔だ。印象に残らない。何処にでもゴロゴロ落ちているような石に近い。しかし、人なので、それなりに違いは分かるはず。だが、それさえ記憶から消えている。やはり目に一度も入らなかったのだろう。または背中だけを見ていたのかもしれない。
 宮田はこの近くにある喫茶店にもよく行っている。それですっかり顔を覚えれてしまっている。だからそこで出合う人の数は結構多い。接触することは先ずなく、当然話すこともないし、挨拶もない。当然だろう。そこが町内なら、別だが、不特定多数の人が行き交う場所なので、ただの人々であり、群衆の中の一人だ。
 さて、両脇の客だが、一人が立ち、もう一人も消えた。これで左右がすっきりしたが、別の人がすぐに入って来た。その日は何かあるのか、満席なのだ。それで、いつものゆったりとしたテーブルに着けない。そういう日もある。
 それで、慣れてきたので、もう両隣の客のことは気にならなくなったが、先日話しかけてきた、あの男性が気になる。
 よく見かけると言っていた。しかし、宮田は見かけたことがない相手。これはどう解釈すればいいのか。
 その男性、最初から存在しないタイプなら、ぞっとするが、そんなことはあり得ない。あるとすれば、人違い。
 だが、宮田はかなり目立つタイプで、印象に残るタイプ。似たような人も世の中には探せばいくらでもいるだろうが、この近辺では少ないし、ましてや喫茶店などで、自分と同じような顔の人などいない。
 だから人違い説も、少し頼りない。
 両横の客がまた姿を消した。気付かないうちに出たのだろう。意識しないと、もう左右など眼中にない。
 そして、ヌーと人の気配が横でする。まさかと思い、横に座ったその男性をもろに首を回して直視する。
 あの男性ではなかった。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 11:12| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする