2020年03月31日

3706話 花見へ行く


「花見に行きましたか」
「この季節ですからねえ、それしかないでしょ」
「満開前です」
「そうですねえ」
「行かれますか」
「いえ」
「行かないと」
「はい」
「それはまたどうして」
「気分が優れません」
「何処かお悪い」
「いえ、ただの気分です。行く気がしない」
「毎年そうなのですかな」
「いえ、今年、特に」
「ほう」
「花見どころじゃなくて」
「お忙しい」
「そうじゃありませんが、気になることがありまして、呑気に花見などしている場合じゃないと」
「それはそれは」
「だから花見には行きません」
「いえ、別に誘っていませんよ」
「で、あなたは」
「私ですか」
「行くのでしょ」
「行きません」
「え、どうして」
「一人じゃ行けない」
「そうなんですか」
「だから、ご一緒しようと思ったのです」
「それは残念ですねえ」
「仕方ありません。今年の花見は、なしです。これは前例がありません。生まれたときから連れて行ってもらったようです。その後、毎年花見はやっていました。でも今年初めて花見のない春になりますが、まあ、仕方ありません」
「他の人を誘ったり、誘われたりするでしょ」
「いませんし、誘われません。あなたしかいない」
「え、お友達とか、家族とかは」
「いません」
「親戚は」
「いますが、付き合いはありません。花見に行こうなんて誘えば驚かれるでしょ。葬式のとき顔を合わせる程度ですから」
「そうなんですか」
「記録が途絶えます」
「そういう年があっても問題はないでしょ」
「しかし、毎年あることがないとなると、何か不安です」
「じゃ、一人で行かれては」
「そうですねえ」
「桜を見て、さっと戻ればいいのですよ」
「いえ、花見らしきことをしたいのです」
「じゃ、弁当でも買って、食べればどうですか」
「一人でですか」
「淋しそうですねえ。それじゃ」
「そうでしょ」
「はい。分かりました。行きましょう」
「そうですか。無理に誘っているようで」
「負けました」
「交通費と飲み食い代は私が払います。出店でおでんとラーメンを食べます。いいですね。ビールも飲みましょう」
「はいはい」
「じゃ、行きますか、これから」
「分かりました」
「有り難う。これで、途絶えることなく、今年も花見ができそうです」
「そんなに大事なのですか」
「はい」
「あ、そう」
 
   了





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2020年03月30日

3705話 雨桜流花見


 雨の日に傘を差しながら花見をしている人がいる。これが名物になり、その後、雨桜を見る人が増えた。花見にも流儀があり、雨桜流の家元となったのだが、今年はまだ姿を現さない。
 当然晴れていても曇っていても来ない。雨でないと。
 雨が降っている日でも、雨がやむと、近くのお寺で待機している。雨が降るまで。
 山門前にお寺が茶店を出している。当然雨の日は客がいないに等しいが、その雨桜流の家元が話題になってから来る人が多くなった。だが今年は姿を現さない。既に咲いており、今日は雨。雨が連日続くので、雨桜流にとっては水を得た魚のようなもの。ただ元気を出すのは、この流派では控えられている。静かにぽつりと一人、傘を差しながら、桜を見る。難しい話ではない。特に作法はないが、静かに眺めておればいい。
 雨は三日降り続き、桜もかなり咲きそろっている。なのに家元の姿がない。
 住職も心配し、山門まで出てくる。その茶店は雨でも開いている。平日でも。それは家元のおかげなのだ。
 茶店は賑わっている。そこから渓谷が一望でき、花見をしている傘が間隔を置いて何本も咲いている。
「今日も来ておられぬか」
「まだお見えじゃありません」
「どうされたのかのう」
「さあ」
「もし来られたら、帰りに庫裏へ寄るよう言うて下され。お茶でも出します」
「はい、お伝えします」
「うむ」
「住職も如何ですか」
「何が」
「雨桜流の花見」
「そうじゃな、わしもやってみるか。ただただ傘を差しながら立ち止まり、桜を見続ければいいのじゃったな」
「そうです」
「これは立ち禅じゃな」
「傘の持ち方も大事です」
「それも家元のご指導で」
「いえ、家元は何もおっしゃりません。それを見ていた弟子たちが教えてくれます」
「番傘はまだあるか」
「はい、まだ全部貸し出していませんから、残っています」
「じゃ、借りる。いくらじゃ」
「いえいえ、どうせ住職の収入になるのですから」
「そうじゃったな。僅かな金銭じゃが、雨でも人が来てくれるだけでもありがたい」
 住職は番傘で雨をバチバチ受けながら、桜へと向かった。
 家元が来たのは満開を過ぎ、散り始めている頃で、当然雨の日。
 体調を崩していたらしく、今年は出遅れたようだ。
 
   了





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2020年03月29日

3704話 土手の桜は風任せ


 もうどうでもよくなったことがある。以前ほどのこだわりがないためだ。そこに何らかの自分を投影していたようで、その自分がぼんやりし始めたのか、それとも注目ポイントが別のものに移ったのか、今ではどうでもよくなったことが多い。これはこれで軽くなり、いいのかもしれない。
 北村は今、花見に出掛けている。少し行ったところに土手があり、そこに桜が咲いている。土手の下に神社があり、その境内と土手とが繋がっている。境内にも桜があり、土手の上から見る境内の桜がいい。
 花見など一人で行ったことがない。誘われて行くこともあったが、花見など興味はない。桜が咲いていようがいまいが無関心。ところがどういった心境の変化か、花見に出ている。だが深い意味はない。花見シーズンらしいので、見に行くだけ。これを見ないといけないような必要性はない。優先順位は低い。それにこれまでは順位の中にさえ入っていなかった。それが入ってきたのだ。だから心境の変化だろう。原因は暇になったため。
 それと、静かなところを好むようになった。人は多いより少ない方がいい。誰もいないのでは困るが、混んでいなければいい。行列ができたり、すれ違うとき、接近しすぎないような。
 だから選んだ場所は川沿いの桜。ここはあまり人は来ないが、近所の人は来ている。地味な場所なので、花見の華やかさはない。花見は人出の多さで盛り上がる。
 桜が咲いているのを見ても、何ともならん。と北村は思っていたのだが、その考えが緩くなった。あまりこだわらなくなった。
 土手の上は風があり、咲いたばかりの花びらが一つ二つ舞っている。くっつき具合が緩かったのだろう。もう少し持つはずだ。満開にはまだ早い。
 早く咲く桜は散るのも早いが、それにしても咲いた翌日、散っているようなもの。運が悪かったのかもしれない。
 土手には程良く草が生えており、斜面も短い目の草、これはクローバーだろうか。そこに腰を下ろす。当然神社側の桜が見える特等席。
 神社の桜は古木で、幹が太いが下の方は割れている。裂けているといってもいい。長い年月だ。それぐらいのアクシデントはあるだろう。桜の木にも寿命はあるが、境内なので、枯れるまで立ち続けるのだろう。それに切られることはない。流石に神木として崇められてはいないが。
 そういうことを思いながら見ているのだが、目の前のものをぼんやりと見ている程度。誰が見ても花見をしている人としてしか映らないだろう。だから土手で座っていても、怪しまれない。実はこれがやりたかった。
 反対側は川幅が少しある河川。ゆっくりとした流れだが、実際に流れているところの幅は狭い。あとは砂地が出ていたり、河原でよく見かける葦原。こちらの方が見るものが多かったりする。また、向こう側の土手にも桜が少しだけあり、歩いている人や、自転車も見える。
 いずれにしても見ても見なくても同じようなもの。そういう北村も誰かに見られているのだが、その視線は軽いはず。
 どうでもいいことをしている北村だが、意外と気持ちがいいのに気付いた。
 
   了
  


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2020年03月28日

3703話 春霞


 吉備郷の牛尾橋三郎は国人と呼ばれている。その地に土着している人だ。動乱の時代なので、武者姿。それもかなり古式の。まるで都の御所でも守りに行く本来の武人のように。
 その牛尾橋三郎が山道を歩いている。城下に出るためだ。久しぶりにいいものが食いたいし、着るものも欲しい。小刀の鞘が痛んでおり、巻き付けてある紐のようなものがほつれているし、鞘そのものの塗装もはげている。はげている箇所を塗ってもらいたいし、紐も閉め直して欲しい。たまに城下に出て町屋を回る。山暮らしでは退屈なためもある。
 城下近くの道で、兵が動いているのが見える。また戦でもあるのだろう。城の兵のようだ。身なりがいい。
 城下の取っつきに木戸がある。関所だ。他国の間者を入れないためだろが、牛尾は顔パスで通れた。顔馴染みになっている。
 城は丘の上にある。そちらへ向かわず川沿いの町屋へ行く。だが、人が少ない。やはり戦が近いためだ。まさか敵はここまでは来ないだろうし、城下まで迫られたのなら、負け戦だ。
 城からの使いはない。負けそうなのに、兵をよこせと言ってこないのは、戦う気がないのだろう。
 他の支城からの兵も来ていない。先ほど通っていたのは城の常雇いの兵だろう。多くはいない。
 吉備郷牛尾家はこのあたりでは名士。動員できる兵は数十もいない。武家の格好をしているのは牛尾家や分家と、牛尾家の家老の三家だけ。これが一族郎党で、その兵力ではなんともならない。それで動員をかけなかったのだろう。
 また、ここの領主よりも、牛尾家の方が家格は上。だが吉備郷数十程度の勢力なので、なんともならないが。
 それで、鞘の修繕を頼み、造り酒屋が飲み屋をやっているので、そこでおいしいものを食べ、春向けの薄い小袖を買う。うぐいす色で、かなり派手だ。
 戻り道、別の関所を抜けると、柵がその向こうにできている。騎馬の突入を防ぐためだろうか。鉄砲隊が仮小屋の中にいる。
「始まるのか」
「そうです。来ますよ」
「大変だな」
「来ると決まったわけじゃありませんがね。負けるのが分かっているので、城じゃもう無策です」
「柵があるじゃないか」
「そうですね」
 町家にはまだ人がいた。これは来ないだろうと、牛尾は判断し、山へ向かった。馬は使わない。山道の一部が壊れており、馬が通れない。
 山を少し登ったところで、城下を見下ろすと、土煙がたなびいている。敵が来たようだと、一瞬緊張したが、よく見ると春霞だった。
 
   了
 





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2020年03月27日

3702話 カレント主義


 カレントには意味がある。まあ、全てのことに意味はあるのだが、意味付けしているのは人だろう。このカレントが特に意味があるのは、今、現地点、目下のところ、今、立っている場所のためだろう。つまり今なのだ。今は意味が集中している。意味が集まる場所。それをカレントと高田は呼んでいる。
 カント主義があるのなら、カレント主義があってもおかしくはないが、そんな主義はないので、主義というほどの風呂敷はない。ただの一寸した気持ちのようなものだったりする。だが、カレント主義では気持ちに大きな意味を与えている。
 誰が、それは高田だ。
 その意味を見付けた人は大勢いるだろう。しかし、自分で見出すことが大事。
 ただ、それに価値があるかどうかは分からない。主義ではなく、ただそう思うとか、そんな感じがするとか、そういう気がした。などでは弱すぎる。
 現地点は次の地点とその前の地点を見ている。現在位置は一日経てば変わる。不動産ではなく動産。しかし不動産屋はあるが、動産屋はない。変化が多いといえば相場師がそれに相当するかもしれない。値がどんどん変わる。しかし、土地などの不動産も変わるので、値が動かないわけではない。土地は動かないが。
 現地点、カレントが大事なのは、そこに結果が現れているからだろう。流れの先端。それがその人の本流ではないかもしれないが、成り行きでそうなってしまったということがあり、また偶然そうなったとかもある。
 さて、カレント主義者高田はいつも迷っている。それは流れのためだ。次に何処へ行こうかと悩む。カレントは次を目指す。その次が、あまり芳しくないと、違う流れに向かう。または以前カレントだった箇所へ戻る。
 戻った場合、何段階かはなかったことになり、無駄になる。そのため引き返すのはもったいない。
 望んでそうなったことがあり、その先がまだあるのだが、何となく間違っているのではないかと思いだした。
 このあたり、微妙な話なので、高田にしか分からない。これは高田個人の感覚や感性や性分でないと分からない。普遍性はないが、どの普遍にも当てはまったりする。よくあることとして。
 そんなとき、思い出すのがカレント。今は今の意味なり意義なりがあり、存在の先端であるということ。ここをやはり維持すべきではないかと。
 色々なものを乗り越えてきたのに、戻ってしまうのなら、乗り越えた意味がない。無駄足になる。
 そして過去の何処かに戻り、それをカレントにしても、それは繰り返しになるような気がする。そこ過去から、現地点の今へ来たのだから。
 カレント主義は流れを大事にする。この流れとはその人の物語で、良いも悪いもなく、名作も駄作もない。リアルなものなので。
 そしてカレント主義は目先主義。今のことしか考えていない。それが最先端部なのだから、一番敏感なところ。
 カレントは移動する。今が移動するように、刻一刻変わるように。だが節目のようなものがある。それをポイントと呼んでいる。流れがちょと変化する場所。
 高田がそういうとき、カレントが変化しそうになるが、その流れに乗るようにしている。なぜなら気持ちの流れを大事にするため。
 いずれにしてもあまり芳しいやり方ではなく、どちらかといえばやってはいけないような愚人レベル。知恵のない人のサンプルのようなものだが、知者と愚者の差は曖昧。どちらもどちらなのだ。
 知者の愚よりも、愚者の知の方が乙ではないか。
 
   了
 


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2020年03月26日

3701話 異界手記


 その世界は、まだ誰も知らないのだが、ここでは知る必要そのものがないだろう。
「これは」
「異界へ行った人の手記です」
「創作ですか」
「まあ手記なので、何とも言えません。本人が書いたものなので」
「で、何処へ行かれたとなってます」
「それがなっていません」
「行かなかったのですか」
「だから、行った手記です」
「じゃ、何処へ行ったのかが書かれているでしょ。そうでないと手記の意味がない」
「人に見せるものではなかったのでしょう。日誌とは別に、薄いノートに書かれていました。まあ、遺品ですが発見されたのは何十年も前です」
「日記の方はどうなんです。リアルでしたか」
「事実関係が書き記されたメモのようなものでした。忘備録でしょ」
「その日記の中に、その手記の内容はなかったのですか」
「日記ではまったく触れられていません」
「どうしてでしょう」
「見た夢のようなものでしょ。そういうのは書き残していないので」
「じゃ、そんな夢を見たのかもしれませんねえ」
「しかし、一冊だけ、それが残っています。別扱いです」
「それで、中身なのですが、見当が付きませんか。何処へ行き、何を見たのか」
「誰も知らないことだと断っています」
「それは凄い。何でしょうねえ」
「知っている人がいるかもしれませんが、普通の人はまあ、窺い知れない世界なのでしょう」
「何処でしょ」
「だから、知る必要はないとなっています」
「それは先ほど聞きました」
「薄いノートに書き記されてあるのは、その異世界についての話です」
「だから、それを早く聞かせて下さい」
「異世界についての話でした」
「はあ」
「この世には計り知れないことがあり、未知の領域があり、滅多にそれが姿を現すこともなく、またその入口など誰も知らない」
「はあ」
「そういうことが綿々と語られています。本人もその世界へ入ったようなのですが、それについての具体的記述はありません」
「どうしてでしょう」
「言えない。語れなかったのでしょうねえ」
「だから書かなかったと」
「そうです。書けなかったようです。しかし、そういう世界があるぞということだけは記しておきたかったのでしょうねえ」
「誰にも見せる必要もない手記のようなものでしょ。日記のようなものでしょ。だから好きなように書けるでしょ」
「生存中、誰かに見られる恐れがありますし、亡くなったあとでも、こうして発見されますから、迂闊なことは書けなかったのでしょうねえ」
「どうしてでしょう」
「この人がどんな世界に入り込んだのかは分かりませんが、おそらく人に言えないような世界でしょ。だから言えない。語れない」
「言えばどうなります。書き残せばどうなります」
「狂人だと思われるでしょ」
「その一冊だけのノート。創作じゃないのですか」
「それなら異界の様子などを事細かに書くでしょ。嘘ですからね。嘘はいくらでも書けます。嘘の方が語りやすい」
「はい」
「まあ、違った世界が世の中には存在しているということだけでいいでしょ。私達が旅人のように見学するような感じではない接し方になるのでしょうねえ」
「その人はどういう終わり方をしました」
「ああ、人生ですか。そうですねえ。平凡な老人になり、普通に旅立ちましたよ。特に変わった人じゃなかった」
「はあ」
「また、その世界について知る必要もないと言ってます」
「そこに何かありそうですねえ」
「何かあるということだけが分かっているという話です」
「あ、はい」
 
   了



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2020年03月25日

3700話 夏眠人間


 春先のいい季候だが、吉田はじっとしている。まだ冬眠から覚めないわけではない。冬場はしっかりと目を開けていた。ところが春に近付くほど怠くなる。気温が上がったためだろ。本来なら眠っていた動物や植物も、この時期動き出すのだが、その逆だ。これは気候の問題ではなく、吉田の精神的なことかもしれない。
 冬場活動的で、暖かくなると動かなくなる。これは動植物でも例があるはず。
 精神的というのは、この季節が嫌なのだ。特に桜の咲く頃。卒業や入学の季節。里や野も明るくなり、日照時間もどんどん延びる。
 それでも吉田は人間なので、じっとしているわけにはいかない。動物でもあるので、動いていくら。
 体調が悪いわけではなく、気分が優れないわけでもない。しかし、なぜか怠い。春風が吹き出した頃から動きが止まり、何をするにも大層になる。これは例年のことなので、何とかなる。秋まで待てばいい。
 そのため、仕事は寒い時期にすべてやってしまう。だから春から秋が深まるまでの間、じっとしていても困らない。ただ、この間、長い。最低限の日常生活はこなさないといけないが、これは何とかなる。怠くなり、鈍化しているが、それぐらいの動きはできる。これも毎年だ。
 しかし、暑さに弱いわけではない。汗かきでもない。気怠いだけで、健康だ。
「ほほう、そんな人が存在しているのですか、生息しているのですか」
「僕の友人です」
「ほほう」
「キリギリス男と呼んでいます」
「痩せているのかね」
「いえ、蟻とキリギリスのあれです」
「ああ、イソップの」
「そうです」
「じゃ、夏場は遊んで暮らしているんだろ」
「仕事をしていないだけです。だから、涼しくなってから働くようです。春先まで」
「それで春と夏は歌って暮らしているのかね」
「歌いませんが、じっとしています」
「何だろう」
「夏眠でしょ」
「仮眠?」
「冬に冬眠するように、春は春眠、夏は夏眠しています」
「暑いだろ」
「だから動けないので、じっとしているのです」
「バケモノだね」
「でも大人しいですよ。それに蟻に食料を分けてもらいに行くわけじゃなく、冬場は懸命に働いています。人の倍以上。だから春と夏は仕事をしなくてもいいのです」
「羨ましいねえ。しかし、冬は働くわけだから年中遊んで暮らしているわけじゃないから、羨むことはないか。それなりに大変だ」
「別に遊んではいませんよ。じっとしているだけです」
「妙な人がいるねえ」
「世の中、いろいろですから」
「そうだね」
 
   了





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2020年03月24日

3699話 二人の元画学生


 画学生時代同級生だった二人が偶然出会った。しかしこの偶然、数回ある。立ち回り先が似ているためだろう。
 しかし年をとるうちに、その偶然も減る。偶然でしか合わなくなったのはもう交流がないため。学生時代だけの関係のためだろう。一人か二人、そういう友人がいないと、不便なため。だから長く付き合える親友にはなれなかった。
 便利といえば、学生時代に二人展をやったことがある。半分のお金でできるためだ。二人とも西洋画。
 卒業後、一人は画廊の丁稚のようなことをしていた。一応絵に関係する仕事で、海外へ買い付けに行ったこともある。
 もう一人は趣味で絵を描き続けている。裕福な家なので、遊んで暮らしているようなものだが、実家の手伝いも当然やっており、今はそれを引き継ぎ、結構忙しい。だが絵は描いている。
 二人はどうしたことか、ばったり出会った後、その日に限り立ち話だけではなく、お茶に行き、さらに飲みに行った。そして遅い時間になったので、裕福な方の家へ行くことになった。どういう風の吹き回しか分からない。それほど親しくないのだから。
 実はこの裕福な方は絵を見てもらいたかったようだ。
 画廊に長く努めた方はすでに退職し、独立して画商になったが、暇なのでついて行った。飲み屋からタクシーを呼び、そのまま郊外の奥まで突っ走った。
 裕福な家は今風に建て替えたようだが、農家のような感じだ。周囲にそんな家が多い。
「どう」
 アトリエがあり、そこに絵が飾ってある。
「絵柄、変わったんじゃないの」
 学生時代のような尖ったところがなく、地味な絵になっている。悪くいえばインパクトがない。個性もないし、当然特徴もない、油絵だが薄い。あっさりとしたタッチで、この家の近所だろうか、道があり畑があり、奥に丘があり、数本目だった木が伸びている。杉だろうか。
 アトリエの壁に数点それが掛けてある。
「どう」
「平凡だね」
「他には」
「うーん、訴えるものがない」
「そうか、それを見て欲しかったんだ」
「えっ、どういうことかな」
「昔、君に酷評されたことの反対をやっている」
「そんなこと、言ったかなあ」
「前衛過ぎるって言っただろ」
「もう忘れたよ」
「聞いていい」
「何」
「なかなか言い出せなかったんだけど、君は絵は描いているの」
 画商は鞄からタブレットを取り出し、ささっと絵を表示させた。指で書いた落書きだ。
「これ、君が嫌がっていた抽象画じゃないの」
「ああ」
「君も変わったねえ」
「絵はね」
「僕は普通の平凡な絵ばかり描いているんだけど、これが奥が深くてねえ。だからいくら描いても満足できないんだ。目立たないところで、そっと芸をするんだよ。でもそれと分からないようにね」
「そうなんだ。しかし全然気がつかない」
「それを確かめたかったんだ。プロの画商の目でも分からないことを」
「あ、そう」
「今日はありがとう。いろいろと引っ張り回して、二階に部屋を用意させているから、ゆっくり休んでね。君が朝、起きた頃、僕はもういないから。ここでお別れだ。君とはもう二度と会うこともないと思うけど」
「何かあったの」
「これから出かけるので」
 元画商は二階の客間に上がると、すでに布団が敷かれていた。
 朝、目覚めると、友人はもういない。夜中に旅立ったのだ。
 それから数年後、二人は偶然行き会った。そのときは目礼しただけ。
 この調子ではまだ数回、そんな偶然があるのだろう。
 
   了



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2020年03月23日

3698話 偽装


 やっと来た春だが、西田は調子が悪い。これは体調だ。いつもの感じではないので、大人しくしているしかない。
 窓から外を見ると、建物の隙間から青空が見える。眩しいほど明るい。気温も上昇し、いい天気だ。
 急に暖かくなったので、体調を崩したのかもしれない。そういえば薄着だった。暑いほどだと思っていたのだが、夕方になると冷えだした。晴れている日は朝夕が寒いのだろう。
 その翌朝から調子が悪くなったので、用心して部屋でも着込んだ。
 寝込むほどではなく、いつもの用事をいつも通りこなしているとき、これも悪くないと感じた。少しスローペースになり、ゆっくり目だが、それがゆったりとしていると思えるので、悪いことではない。体調は悪いが、スローな動き方がいい。それに気付いたのは調子が悪いためで、いいこともある。新発見だ。
 西田はせかせかと忙しそうに動く癖がある。それほど急がなくてもいいことでも、さっさとやる。これは人に見られているので、ポーズのようなもの。仕事のできる人のように振る舞っていたのだが、実際には効率の悪いやり方をするので、急がないとできない。だからできる人は忙しそうにしないのかもしれない。
 しかし、西田はその癖がついてしまい、何事においてもさっさとやるタイプになっていた。またこれはのろまな面を隠すためだろう。本当はおっとり型で、のんびり屋さんなのだ。それを隠すための偽装なのだが、偽装が本物になっている。
 体調が悪いときとか、元気のないときに、その地金が出るようで、これが西田の本来の姿。
 社会に出ると、いろいろと創意工夫が必要で、別人のようになることがある。西田はその典型。
 忙しそうによく働いている人間に見せかけ続けた。だが、結果はあまり出ていない。無駄な演技分だけ損をしているようなもの。だが見た目はよく働く人に見える。
 西田は本来ののんびりとした動きに戻そうかと思うのだが、今からでは変だ。それこそ体調でも悪いのかと言われそう。
 一度人に見せたポーズはなかなか変えられるものではない。妙に思われるだろう。そしていつもの西田らしくないので、心配されたりする。
 演技だった、ポーズだったとは言えない。
 長年臭い芝居を続けてきたものだと、その慰労を自分で褒めたりした。褒美がいるだろう。しかし、明日もまたその演技を続けないといけない。そうでないと西田らしくない。
 その日はゆっくりと過ごしたので、翌朝は元気になっていた。
 当然その日もいつものシャキシャキ働く西田の姿があった。
 
   了




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2020年03月22日

3697話 快感


 いつもやっているようなことで、ちょっといい感覚のときがある。いいので快感だ。快い、気持ちがいい。これは繰り返したいし、また広めたい。他のことでも応用したり、使えのではないかと思う。
 だが個々のことには個々の事情があり、当てはまらないこともある。
 例えば小さいものがよかった場合、他のものも小さいサイズを狙う。ただ、大きいからこそいいものもある。小さいと意味を失うとか。
 古いものと新しいものとでも、そんなドラマがあったりする。新しいものから受けたいい印象。いい感じ。つまり快感。それで古いものを全部新しいものに変えてしまいたくなる。
 だが古いからこそ値打ちがあったり、古いものの方が優れており、新しいのに変えると、うまくいかず、不快になったりする。気持ちよくない。
 ということは快感というのが砂糖のような甘みで、これが曲者なのかもしれない。快感ではないが、不快ではないこともある。どちらともいえないというより、普通のものだろう。日常はそういうもので成り立っている。確かに不便とか不快と思えるものもあるが、何とかなっている。むしろ快いものなど探しても見つからなかったりする。
 快不快は何かと比べてのことかもしれない。それに不快であったとしても、実用上困らない。用は足している。
 そこから先は贅沢な話になる。できれば気持ちのいいものがいい。あくまでも可能ならば程度で、絶対に必要なことではない。
 すると趣味の問題になる。ここは実用性を超えた好みの世界だけに、何とも言えなくなるが、好みはそれなりに変わるので、そこで何とかなるのかもしれない。
 好みが変わる、趣味が変わる、これはよくあることだが、その正体は快感かもしれない。快感を感じたとか、気持ちよくなるかもしれないと思えるときだろう。だから快感に引っ張られやすい。ただ、これは感覚的なことで実体がなかったりしそうだが。
 どちらにしても、一度いい目に合うと、再現させたい。またはそのパターンを他のことにも持ち込みたい。
 感覚を磨き、研ぎ澄ませていくというのはそういうことかもしれないが、手間のかかる話だが、特に意識しなくても、普通にやっていることかもしれない。
 
   了
 


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2020年03月21日

3696話 花見


「桜が咲きかけていますよ」
「おおそうか。今年は早いのかのう」
「ここ数日暖かったので」
「おおそうか、それは花見をしなくてはのう」
「そうですねえ」
「じゃ、出掛けるか」
「いや、咲きかけで、まだ咲いていません。従って花見客もいません」
「いいじゃないか」
「そうなんですか」
「すいていて」
「しかし、咲きかけもまだしていません。つぼみが赤くなっている程度で」
「いいじゃないか、それもまた桜、桜のつぼみ見に行こうじゃないか」
「そんな人はいないと思いますが」
「咲いてみせればすぐ散らされる。そんな世の中なので、咲く前の方がいい」
「そうなんですか」
「さ、さ、行こう行こう」
「何処へ」
「だから、花見じゃ」
「場所です」
「花見の名所ならいくらでもあるじゃろ。適当なところでいい。まあ、近い方がありがたいがな」
「じゃ、終縁寺はどうですか。近いです」
「何か縁起の悪そうな寺じゃなあ」
「逆手に取ったんでしょう」
「そうか、近いなら、そこがよい」
「まあ、ここは地元の人間に任せて下さい。師匠は旅先」
「ああ、分かった」
 その終縁寺。本当はそういう名ではないが、そう呼ばれている。大きな墓地を持っており、終焉寺がふさわしいのだが、縁の終わりと、誰かが言いだしたのだろう。
 そのため、終焉と解するか、終縁と解するかは勝手、ただし、終縁という言葉はない。
 旅先の師匠と、地元の弟子が終縁寺に来てみると、それなりに人がおり、花見をしている。しかも団体客で、円座がいくつもできている。桜など咲いていないのに。
 何かこれは宗教行事なのではないかと疑ったが、普通の花見の宴会。禁止されているバーベキューもやっている。
「ほほう、桜のつぼみ見が分かる人達がいるようじゃな」
「意外ですねえ。師匠だけの趣味かと思っていましたが」
「別にそんな趣味はないがな」
「そうなんですか」
 花見客の一人に聞いてみると、一週間ほど早いらしい。しかし、予定が組まれていたので、やることにしたとか。
 つまり、今年は桜が早いので、今日なら咲いているだろうと判断したのだろう。しかし、まだ咲いていなかっただけの話のようだ。
「師匠、お仲間が多くてよかったですねえ」
「おお、そうじゃな」
 
   了




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2020年03月20日

3695話 現実劇場


 芝垣は最近行動範囲が狭まった。別にそれで不自由はないが、何か物足りない。減ったため足りないのだろう。おかげで交通費や時間が省略できるのだが、移動中の時間というのも悪くない。車内で座っているだけ、立っているより楽だが、これといってすることがない。スマホを見ている人が圧倒的に多くなったが、以前は読書タイムだった。この移動中だけの読書時間でも毎日なら結構多くの本が読めた。別に読むために移動しているわけではないが。
 知らない町まで用事で出ると、そのついでに見学もできる。別にその気がなくても沿道の風景などを見ている。寄り道までして見に行くことをしないのは、それが目的ではないため。
 余計なことをすると用事が片付かない。
 今なら、その余計なことをメインにして出かけることになるのだが、余計だからできたのであって、それがメインになると、行く気がしない。それほど大事なことではなく、見学してもしなくても同じようなもの。
 その証拠に以前行ったところの記憶などほぼ忘れている。それが何かに生かされた経験もない。
 何かのついで。これがよかった。
 それで久しぶりに遠出しようかと芝垣は考えた。これは何度も思うだけで、いざ出ようとなると、面倒くさくなり、結局出かけない。魅力のある目的地ではないためだろう。この魅力というのは魅入られたようなレベルに達しないと押し出しがない。そんな魔力に近い魅力のあるものなど、そうそうないだろう。
 これは人が関係し、また仕事や将来が関係し、また血のように存在そのものにでも関係しないと、成立しないのかもしれない。
 一般の人たちが誰でも立ち寄れる場所なので、特別なものではない。
 それでも、うろうろしてみたいもの。
 柴田はこれまでの経験で、どんなにつまらない場所でも、出かければ必ず何らかのイベントがあることを知っている。これは誰かが仕掛けたものではなく、偶然起こる出来事のようなもの。それにはジャンルがあり、ホームドラマもあればサスペンスやミステリーもあるし、喜劇も悲劇もある。だが、誰も演じていないし、シナリオもない。
 だから行ってみるまで出し物が分からない。これといったものがなくても、虚無劇、不条理劇風な展開になったりする。
 それは現実を劇場にしているためだろう。
 
   了





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2020年03月19日

3694話 浅野内匠頭


 目を覚まし、起きたとき、三村は春を感じた。気温ではない。その朝はいつもより寒い方。
 しかし窓から差し込む陽射しが違う。それまで天気が悪かったので、朝の陽射しは久しい。そのためかもしれないが、春を感じる。目でそれを感じるだけではなく、身体が元気になっている。何かがみなぎっている。冬の間、充電してたわけではないが、いい感じだ。こんなことで元気になるのだろうか。気象の影響は確かに大きいし、無料で得られる。
 しかし、三村には思い当たることがある。昨日、解決した問題がある。それから解放されたためだろう。これは断念ということだ。まあ、失敗したのだが、それで諦めがついた。
 それだけなら元気にならない。気力も満タンにならない。
 三村はそこを分析した。そういう癖がある。結論は次のことに移れることだ。失敗したので落胆するはずなのだが、そうではなく、新たなことができるので、わくわくしている。違うことが企める。三村はこれを浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と言っている。他では通じない。
 三村の浅野内匠頭が動き出したのだ。この人は江戸城松の廊下で刃傷に及び、切腹。まだ若い。桜が咲いている下で果てる。春が来ているのに、我が身は果てるという辞世の句を残している。
 その話と、三村の企みとは関係がない。内匠頭と引っかけただけ。
 赤穂の若い殿様はそこで終わるが、三村は次のことができる。しかも春。スタートには丁度。
 つまり、次へと進めることが喜ばしい。失敗し、終わってしまったので、自由になった。煮詰まっていたものが焦げて灰になり、消えてしまったようなもの。
 新たなこと、それができる。これが今の三村の精神状態。そう分析したのだが、その先までは読まない。
 新たな展開、新たなもの、新しもの。それは未知。そして、それを探すのが好きだ。それは企み。ここでも浅野内匠頭にかかってしまうが、浅はかな企み頭だが、企むのが好きなのだ。それは実際にそれを実行するよりも、次は何をやろうとかと作戦を練っているときの方が好き。これは困ったものだが、三村はそこは分析しない。それをすると、水を差すため。折角の元気も萎れ、枯れてしまう。
 だが、三村が匠になれないのは、すぐにやめてしまうため、長続きしない。だから経験値も積めず、技も身につかないまま終わる。ここでは内匠頭になることが大事だが、初々しい気分をいつも持つことができる初心者レベルが好きなようだ。
 そして、三村の春は始まった。
 
   了
 

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2020年03月18日

3693話 春の陽気


 やっと春の陽気を感じられるようになったので、吉村は久しぶりに出掛けることにした。といっても目的地はない。あるとすればこの春の陽気。まだ春本番ではなく、桜も咲いてないが、梅はもう全部散っている。欲しいのは陽気。冬の陰気ではなく、春の陽気。
 その陽気が来ているため、出る気になったのだろう。つまり気持ちも陽気になった。ただし、かすかに。
 この陽気というのは出掛けたくなるものらしい。だから陽気に当たればそれでいい。そのため目的地などなくてもいい。外に出れば陽気があるのだから。ただ、家の前でボッと立っているわけにはいかない。自分の家の前で不審尋問を受けそうだが、不審者ではない証拠には困らない。
 家の前、近所などは普段でも歩いている。日々の用事で外には出ているが、そこではなく、春の陽気にふさわしい場所が好ましい。
 こういうときは公園がいいのだが、近くの公園は児童公園で、大人は子供の付き添いで来ている程度。普通の大人や通行人が入り込んで、ベンチで座っているのを見たことがない。それに近いので、吉村を知っている人がいる。
 だから、そこではなく、別の場所がいい。
 こういうときは神社やお寺があると便利。特に神社などは普通の人が普通に入り込んでも何の問題もない。ただし本殿で拝むなりしないといけないので、不審な真似はできない。
 まあ、そんな場所など探さなくても、適当に歩けばいい。外に出ているだけでも十分。だからどの道を行こうが陽気は上から来ている。より春の陽気にふさわしい場所など探すから、面倒になる。意外と難しいのだ。
 陽気を受ける。これだけでいい。
 吉村はいつもの駅への道筋に入りかけたので、そこはコントロールしてみた。違う道を選ぶだけでも散策になる。簡単なことだ。道を変える。それだけでいい。
 すぐ近所なのだが、入り込んだことのない道が多い。ほとんどそうだ。引っ越してから五年経つが、用がないので、通らなかっただけ。
 それだけに新鮮。近所にもこんなところがあったのかと思うほど。
 ただ住宅地なので、家が違う程度で、古い家も残っていたりするし、モダンな家もある。門の前に高そうな草花の鉢植えもある。花よりも、その鉢が高そうだが。家も立派で、欧風。小さいが小綺麗な家。きっと建て主はこういう家に住んでみたいと思っていたのだろう。建売住宅ではなく、注文住宅。
 見るものがないし、用事もないので、そういうのに目がいく。それでいい。散歩なので。
 だが、しばらく進むと、様子が変わってきた。このあたりに昔からあった古い地層だろう。そういう一角に出てきた。吉村が子供の頃よく見かけた家が続いている。まるで昔にワープしたようなもの。こんなところがあったのかと思うのは、吉村の不勉強だろう。まあ、寝に帰るだけで部屋を借りているようなものなので、近所には興味はないし、またそんな時間もなかった。
 だが、陽気に誘われ妖気と出合うこともある。何やら風景が怪しくなってきたのだが、陽気が陰り始めたようで、雲が出てきた。季節の変わり目だ。天気も変わりやすい。
 陽気が陰気になり、そして妖気になる。そんなことはないと思いながら、町の古い階層を抜けていく。まるで先住民が住んでいるような一角だが。先にここに家を建てた人達なので、これもやはり先住民だろう。
 陽気が去り、空が暗いが、光がフラットになり、影がなくなった。
 そこを抜けると、見知らぬ町。だが、その町はよく知っている。裏側から入り込んだので、よく分からなかっただけ。リサイクルショップがあり、その建物の裏側に出た。
 もう陽気は消えていたが、一応目的は果たしたので、その店で三層構造のフライパンを買って締め括った。
 
   了
 


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2020年03月17日

3692話 山下


 ひと山越えたためか山下は落ち着いた。そういう山は大小あり、優しい山もあれば険しい山もある。そのほとんどは越えられる山、登り切れる山なのは無理な山には登らないためだろう。
 今回は少しややこしい山に登ったので山下は疲れたようだ。いつもは山の下にいる。だから山下。おそらくその姓をつけた人は、そんなところに住んでいたのだろう。侍ではないので、適当なのにしたのだろう。
 それでひと山越えたので、ほっとしていると、またひと山が来た。これはパスしたいところ。ひと山越えたばかりなので、ゆっくりしたい。
「まあそう言わずに山下さん、是非お願いします。決して難しい話ではありませんので」
「いえ、疲れて、もうその気が」
「簡単な用件です」
「じゃ、他の人に頼めばいかがです。簡単なのでしょ」
「山下さんにしかできませんから」
 山下はいやいや引き受けた。聞けば簡単な用事で、子供の使いに近い。
 しかし、自分にしかできないというのはどういうことだろうか。ここがちょっと引っかかった。他にできる人が大勢いる。しかし山下にしかできないとなると、これは奥があるのではないかと疑いたくなる。
 だが、この依頼者とは普通の関係で、踏み込んだ関係でもない。そんな裏のあるようなことを仕掛けるはずがない。
 それで、疲れていたが簡単な用ならこなせるので、出かけることにした。ひと山越えたばかりなので、休憩したいところだが、軽い山のようなので問題はないだろう。
 だが、その用事、確かに簡単なのだが、妙に疲れる。簡単なように見えて、結構難儀する。低い山のはずなのだが厳しい。
 簡単そうに見えるが実は簡単ではない。それはなめてかかったからではなく、地味に面倒な山だ。
 山下は不思議に思った。なぜこんな簡単な山が難しいのかと。簡単すぎて難しいのではない。簡単なほど難しいのかもしれない。
 山下は難事の山下と言われるほどのベテランであり、達人。高難度の山下とも呼ばれている。
 簡単そうに見えて難しい。確かにこれは山下でないとこなせないかもしれない。だから依頼者の選択は間違っていなかった。
 簡単そうだが難しい、その面倒な用事をやっと済ませたて戻ってきたのだが、すぐに寝入ってしまった。疲労度大。
 その翌日、ふた山越えた分、ゆっくりすごしていたのだが、今度は違う依頼者が来た。
 ものすごく難しい要件で、山下さんにしか頼めませんと。
 山下は数日は休憩したかったが、引き受けた。
 難しい方が実は簡単かもしれないためだ。前回の逆読み。
 しかし実際にやってみると、難事の山下でも手強く感じるほどの飛び抜けて難しい用事だった。依頼者は嘘をついていなかった。
 これで山下は難しい山ばかり三度も超えている。なかなか山の下でゆっくりしている状態の山下にはなれない。
 姓を山上と改めるべきだろう。
 
   了
 




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2020年03月16日

3691話 物怪とは


 春が近いのだが、妖怪博士は相変わらず家の中にいて、滅多に外に出ない。出るとしても夜だ。妖怪博士にふさわしい時間帯。あまり真っ昼間に街をうろつくのは彼らしくない。
 しかし、部屋の中で籠もっていても、色々と人と接することが多い。相談事だ。そのほとんどは妖怪を見た、から始まる。妖怪博士なので、妖怪に関連する人しか来ないのだが、たまにセールスが来る。だが、狐や狸が人を化かすのを研究しているほどなので、セールスに欺されるようなことはない。というより、そんな巧妙な騙し方をするようなセールスなど来ない。一番レベルの低いのがウロウロしているのだろう。そのほとんどは直球で、欺す芸などなかったりする。
 元気の出る飲み物、これは養命酒のようなものだが、それに似たものを売りに来たセールスマンがいた。青い顔をし、痩せている。虚弱体質だろうか。妖怪博士は心配し、君はその薬酒を飲んでいないのかと聞くと、高いので買えないという。セールスの成績が上がれば、買えるのに、と、そちから攻めてきた。
 これは一種の芸だろう。しかも身体を張っての。
「あのう」
「何かね」
「もしかして、ここは妖怪博士のお宅ですか」
「そうじゃが」
「偶然です。僕、知っています。妖怪博士を」
「そうなのか」
 これは芸ではなく、作戦でもないだろう。妖怪博士宅をあらかじめ調べておいて、などと手の込んだことはしないはず。それに高いと言ってもしれているだろう。そんな手の込んだことはしないはず。
「一度聞こうと思っていたのですが、いいですか」
「ああ」
「妖怪と、物怪は同じものですか」
「言葉にはそれぞれ付けたときの意味があるが、まあ、適当でよろしい」
「でも妖怪はいいのですが、物怪って、どうして言うのですか」
「もののかいじゃ」
「それは分かります。聞かなくても。物が化けるわけですね」
「そう解釈した方が簡単。しかし本当は違う」
「え、じゃ」
「驚くような意味はないが、物部氏と関係する」
「物部氏」
 蘇我と戦い敗れている。聖徳太子がまだ青年だった頃だ。仏の蘇我、神の物部との戦い。
「物部の怪。これが正しい」
 政敵物部を倒したのだが、その後、異変が起こる。菅原道真と同じパターンだ。
 ただ、怨念とは違うようだ。
「そんな説があるのですか」
「物部が引き起こす怪異。これを物怪といったらしい」
「僕は、道具とか、そういったものが化けたものかと思いました」
「それも物怪」
「はい」
「まあ、時代により、呼び方が違ったりするもの」
「はい」
「もののけ」という語呂がいいじゃろ。それに仮名で書くと、いい感じのバケモノだ」
「有り難うございました」
「で、養命酒はもういいのか」
「養命酒じゃありません。それよりも効きます。高麗人参とマムシが入っていますので」
「まあ、頑張って、売りなさい」
「新製品もあります」
「興味はない」
「ツチノコ酒です」
「いいセンスをしておるのう」
「はい。でも、説明しているとき、笑います」
「まあ、早く足を洗いなさい。他にも仕事はあるだろ」
「いえ、こういうインチキ臭いのが、好きでして」
「そうか」
 世の中には極一部だが、特殊な趣味を持つ人がいる。妖怪博士もその一人だろう。
 その青年、妖怪博士宅を出て、前の路地を歩いていたのだが、その足取りは軽やか。虚弱体質は演技だったようだ。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 12:26| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月15日

3690話 あれこれ


 これというのがないとき、吉田はこれを探す。しかし探さなくてもこれというののは結構ある。だがそれを今するとなると気が重い。今ではなく、あとに回し、最後までしないこともある。だからこれというものではないのだろう。
 その、これというのはよく変わるし、またすぐに終えてしまうものもある。長く続いているものもあるが、長いとこれというものではなくなっている。
 吉田により、これというのは、あれではない程度。あれでではなくこれがいい程度。あれがこれになることもあるが、距離感の問題だろう。
 だからこれもあれも似たようなもの。これというものは注目しているもの。注視しているもの。気にかけているものの中で、一番距離の近いものだろうか。
 どちらにしても、同じようなもので、あれこれと一つにしてもいい。吉田にとってはこれだが、世間は無視しているか、注目さえしていない場合もある。
 このあれこれの中身はどんどん変わり、今年のこれと去年のこれとは違うどころか、毎日違っていたりする。
 吉田は気が向けばあれをしようか、これをしようかと考えるが、あれではなく、やはりこれをしたい。だからこれがしっかりしていないと、あれをやるしかない。
 吉田にとり、これの方が価値が高い。これが遠ざかるとあれになる。あれが近くなると、これになる。
 これは正体が分かっているが、あれは少し分かりにくい。
 これの正体が分かっていても、それがどんどん分からないものになってしまうことがある。そのときはあれになる。
 それらはすべて吉田の言い分で、吉田の判断でしかない。だからそれは外に出せない。
 あれこれとは別に、それがある。あれでもなくこれでもなく、それ。自分ではなく、相手の視線だったりする。
 本当にやるべきことは、あれこれではなく、それだろう。
 人それぞれの、それだ。
 
   了



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2020年03月14日

3689話 気流


「気流というのがある」
「空気の流れですね。風水のようなものですか」
「人の流れじゃ」
「通行人が多いとか」
「内面の流れ、心の流れ」
「空気を読むとか」
「そうじゃな」
「当たりましたか」
「何かには当たる。そういう風にできておる」
「じゃ、ここでいう気流とは天気のことじゃないのですね」
「人が持っている気分のようなものじゃ」
「気が変わるとかがそうですね」
「そうじゃな」
「また当たりました」
「当たるようにできておる」
「そうですね。適当に言えば、どれかに当たりますから。それで、人の気流がどうかしましたか」
「人の心には流れがある」
「そっちの気流ですね」
「そうじゃ」
「当たりましたね」
「繰り返しになる」
「はい」
「気流というのは一つではない」
「人生の流れは一つでしょ」
「それはメインの流れ。実際に起こっておることが含まれる。想像ではなく」
「はい」
「そのメインの流れは別の流れの影響を受ける」
「別の流れとは何でしょう」
「一寸気になることとか、本題ではないが、最近気にしているもの。拘っているもの、などかな」
「どうでもいいようなことですか」
「そうじゃな、直接人生には関係がないことが多いが、影響はする」
「何でしょう」
「普遍性が低い。個人個人の勝手な思いじゃ。しかし、人生規模じゃない。一寸した好みの変化とか、好みの変わり方とかで、重要事じゃない」
「雑念のような」
「色々じゃ。食べるものの好みが変わったとかでもいい。これを箸の流れが変わるという。着るものが違ってくるのもそうだ。自分の中の流れ、流行がある。いずれもメインではない。そういう気流が常に複数流れておる」
「本流ではなく、傍流ですか」
「いいことを言う。わしより上手いじゃないか」
「いえいえ」
「その傍流の流れ、傍流の気流が本流を変えてしまう。もしくは本流の影響で傍流が生まれ、傍流の流れが生じるとも言えるし、また独立して、本流とは無関係に、そういう流れが続いておることもある」「どっちなのですか」
「個人個人違うので、何とでも言える」
「それで、本日の大事な話は、それですか」
「不満か」
「いえ」
「流れには指向性がある」
「向かっている先ですね」
「それは先々まで見えておるわけではなく、一つ向こう側に着くと、指向性が変わる」
「分かりにくいです」
「指向性とは差しているだけ。指し示しているだけ」
「それは想像の世界ですか」
「その想像が現実のものになると、次なるものが出てくる。それはまだ経験していない世界。やってみないと出て来ん世界。流れが現実化してこそ次が見えてくる」
「もう分かりません」
「傍流は本流ではないが、この傍流の気の流れが本流に影響する。そういう話じゃ」
「はあ。色々と解釈できますねえ」
「その解釈の流れが変わるということでもある。見え方が違ってきたりな。それが気流。本流以外のところでもその気流が発生し、本流を引っ張っていったりもする」
「師匠、単純なところで、止めて下さい」
「それもまた、聞くものの気の問題。先を聞きたがるか、早くまとめて、豆知識程度に収めてしまうのかは、志向性の違い」
「だから、余計ややこしくなりますから、もうこのあたりで」
「そうか。どうも最近わしの気流は乱気流になっておるやもしれん」
「季節の変わり目ですからね。お大事に」
「ああ、そうじゃな」
 
   了




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2020年03月13日

3688話 アルミ


 岸和田は考えがまとまらないので、整理することにした。こんな状態はあまりよくなく、まとまらないことが問題で、これはまとまらないことなのだ。そのため、いくら整理しても、まとまらないだろう。
 部屋で煮詰まったので、外に出ることにした。これは同じことで、外ならまとまるわけではないが、頭を冷やすには丁度いい。
 室温よりも外は低い。だからもろに冷やすことになるが、頭の先が冷たくなるほどの低温ではない。それよりも風があるので、それを受けていると気持ちがいい。煮こみすぎて焦げ付いていたのだろう。
 そのまま散歩に出たのだが、すぐ近所なので、別に変化はない。風景はそこにあるのだが、見ていない。相変わらず見ているのは、先ほどまでの懸案。まとまらないものをまとめようとまた繰り出す。
 まとまらないままでは判断を下しにくい。判断しなければ動けない。止まったままになる。だからまとまらない状態でまとめるしかないが、まとまらないのだから、まとめようがない。
 ではまとまらない状態のまま決めてしまうのはどうだろう。この決定はまとまりのない決定で、決定のための決定。適当に決めたということだが、その適当が意外と難しい。何か背中を強く押すようなものとか、きっかけになるものが一ついる。
 だから適当に決定したものは、すぐにまた取り消される。そのまま進めれば問題はないが、やはりブレーキがかかる。自分に対しての説得力が弱いため。だから動けない。従って、適当に選んだとしても、選べないということ。決まらないまま。
 夜風が気持ちいい。もう寒くはない春の宵。いい感じだ。懸案よりも、こちらの方がよかったりする。それで、頭の中の整理など忘れて、散歩を続けた。
 こういう散歩中に思わぬきっかけを見付け、ああ、そうだったのかとなるパターンもあるが、そんな偶然は先ずないだろう。ただの町内。
 前方にいきなり法師が現れ、何かを伝えて、さっと消える。ということもないだろう。何故法師なのかは分からないが、普通の人よりも賢そうだ。
 折角外に出たのだから、自販機で何かスカッとしたものを買おうとした。炭酸系がいいだろう。
 岸和田はポケットから小銭を取り出し、投入し、ボタンを押す。カランと缶ものが飛び出た。キャップのある小瓶がよかったのだが、仕方がない。
 アルミ缶。
 アルミだ。啓示はアルミだ。
 岸和田はさっと部屋に戻り、アルミをキーワードにして懸案をさっと解いた。見事なものだ。
 散歩には出るものだ。
 
   了
  



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2020年03月12日

3687話 我が世の春


「暖かいですねえ」
「春が来ましたね」
「来ましたか」
「冬が去ったのは確かです」
「そうですね」
「ところであなたの春は?」
「なかなか我が世の春にはなりませんよ」
「そのあと秋が来る」
「夏ではなく」
「そうです。いい頃は善いのですが、やがて黄昏れだし、盛時は去る」
「盛者必衰のあれですね」
「必ず衰える」
「まあ、一度も我が世の春をしないよりはいいでしょ」
「いやいや、我が世の春ができる人など希ですよ。小春ならありますがね。瞬間でしょ」
「でも我が世の春を楽しみたいです。一瞬でもいいので」
「そうですねえ。我が世の春があるだけでも十分かもしれません。しかし、未だ我が世の春がない人の方が先が楽しみですよ」
「そんな見込みなど全くない場合は、期待もしないでしょ」
「何かの拍子で、偶然いい運に恵まれて、そんな状態になるかもしれませんよ。今の延長線上じゃなくね」
「ところで、あなたの春は」
「私、寸止めにしています」
「寸止め」
「その手前でよしてしまいます」
「え、でも我が世の春の手前まで行かれたのですね」
「まだです」
「そうでしょうねえ、凄い人になっていれば、こんなところで菜の花など見ていない」
「ここは菜の花の名所ですが、狭いでしょ。それに裏に回り込んだ、あの家の庭の畑ですから、まあ、一般の人が見学に来ることはありません。だから穴場です」
「しかし、どんな人が住んでいるのでしょうねえ。畑一面菜の花ですよ」
「元々農家だったのでしょ。残ったのは裏の畑だけ。別に百姓をするわけじゃないし、野菜を育てて、それで食べていくようなこともしない。家庭菜園のようなものでしょ」
「しかし、広いですよ」
「庭じゃなく、本当の畑ですからね。規模が違います」
「わが畑の春ですね」
「きっと菜っ葉でも植えていたのでしょ。そのまま放置していただけもしれません」
「そうですね」
「ガラス戸の向こうで人が動いていますね。見物が見付かったのかもしれません」
「そうですねえ。行きますか」
「そうしましょう」
「しかし、あなたもここをよく知っていましたねえ」
「ウロウロしているとき、見付けたのです」
「私も去年見付けました」
「菜の花の黄色ばかり見ていたので、目がおかしくなりましたよ」
「これはねえ、夜が見所なんです。明るいんですよ。菜の花で」
「それはいい」
「まあ、ひとの家の庭ですから、夜に覗くことになるので、駄目でしょ」
「菜の花月夜、一度見てみたい」
「童謡にありそうです」
「さて、駅までご一緒しますか」
「はい、我が世の春の話をもっとしたいので」
「こんな呑気な菜の花見学ができることが既に我が世の春かもしれませんよ」
「そうですねえ」
 
   了





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