2020年05月31日

3767話 間を置く


 上手く行かないときは少し間を置けと武田は言われた。
 信号のない横断歩道。簡単には停まってくれないのは、停まりたくても後続車が気になるため。またそこで止まっても対向車線も停まってくれなければ人は渡れないだろう。しかし、待てばいずれ嘘のように車が来なくなり、簡単に渡れる。
 タイミングの問題で、時期の問題。難しいことでも少し待てば簡単にいくことがある。
「まだ待っておるのですか」
「はい、上手く行かないときは待てと言われたので」
「もう一年になる」
「はい、でも言われた通り、上手く行きそうになるまで待っています」
「少し」
「はい」
「少し待ちなさいと言っただけです。少し」
「少しでしたか」
「ずっとじゃないか、君は」
「はあ、でも少し待った程度では、なかなか頃合いがなく、上手く行きそうな気がしませんでしたから」
「じゃ、一年も待てば十分だろう」
「そうですね。忘れていました」
「待っていることを忘れたのかね」
「たまに思い出しますよ」
「間を開けすぎだ。そろそろやりなさい」
「はい」
 さて、そのそろそろだが、どのぐらいがそろそろだろう。今日明日にでもだと思える。
「始めましたか?」
「まだです」
「また、そういうことをやっておる。そろそろは過ぎた。すぐにやりなさい。即」
「はい、すぐにやります」
「よし」
「でも、すぐって、今ですか」
「そうだ。今すぐだ」
「何をするんでしたか」
「とぼけないで」
「あ、はい、色々とやっていないことがありまして、間を置いたのが沢山あります。どれでしたでしょうか」
「私が頼んだ件だ」
「えーと、それはもう一年前ですよ」
「そうだ」
「遅すぎます。今頃言われても」
「君が遅いんじゃないか」
「そうですねえ。じゃ今すぐやります」
「そうしてくれたまえ、いや、もういい」
「どうしてですか」
「やはりもう遅すぎて、間の抜けたことになる」
「そうですよ。今やっても間抜けですよ」
「抜かしたのは、君じゃないか」
「ああ、そうでした」
 
   了




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2020年05月30日

3766話 保身の人


「さて、どうしたものか」と二人が相談している。いつも休憩に入るファストフード店。
 職場のリーダを追い出した。やっとそれに成功したあとなのだが、職場に平和が訪れたのは僅かな時期。すぐに次の禍がやってきた。この二人がその標的となったが、似たような人は多数おり、二人だけが特に、と言うことはない。
 独善的なリーダーに仕切られ、苦しい思いをしたのだが、それを仲間達が追い出した。団結したのだ。これで癖のある職場から、普通の職場になり、普通のルールが普通に通じるようになった。それまでは独裁ということではないが、特殊な論理、それは倫理観ではなく、癖だろう。それに全体が巻き込まれた感じで、縛られていた。
 ファストフード店で休憩中の二人は、そのとき動かなかった。そういう人は他にもいると先ほど述べた。
「自分のことしか考えない人」と言われたらしい。
 また。「保身しか考えていない」とも。
 リーダーを追い出した何人かの中の一人が、リーダー格になったのだが、それほど強い人ではない。仲間との協力がなければ、追い出せなかった。
 意志の共有。仲間同志での共有。ここがポイントで、針で、その針が二人に刺さった。つまり、全体を考えないで、仲間のことを考えないで、自分さえよければいいというところを刺された感じだ。
「その通りじゃないか。それのどこが悪い」
「そうだそうだ。それで普通じゃないか」
「保守的とも言われた」
「防御だよ。普通だろ」
「しかし、攻めなければ、今の職場の平穏はなかったとも」
「今、もう平穏じゃないよ。つるし上げられそうだ」
「敵がいるんだ」
「どこに」
「ここに」
「私達が敵なのか」
「そうなんだ。敵を作らないと、あのリーダーは団結できない。それほどの器もない。前のリーダーはきつかったが、仲間など頼らず、やりたいことをやっていた。追い出されたが、あの人の方がリーダーとして優れていたよ。私は嫌いだったがね」
「保身を図るため、あのリーダーにべんちゃらを言っていたとも言われた」
「あたりまえじゃないか、嫌われると怖いからね」
「しかし、どうする。このままじゃ居心地が悪い。私達は何もしていないのにね。何か悪いことでもしたか。迷惑をかけたか」
「だから、保身が気に入らないんでしょ」
「それに追い出すとき、あまり協力しなかったしね。黙認程度で」
 この二人、かなりのベテランで、前のリーダーよりも年嵩だし、今のリーダーなど子供のような年齢だ。今まで後輩の後輩で、そんな後輩がいたかな、程度の存在だった。
「挨拶しなかったのがいけなかったのかなあ」
「あんな後輩にわざわざ挨拶など」
「でも、リーダーになったんだから、立てよう。盛り立てよう」
「面倒臭いなあ」
「それこそ保身のためだよ」
「別に保身がメインじゃない。それに、すぐに尻尾を振ると、それこそ保身だけの人だと思われるだろ」
「そうそう」
「じゃ、どうする。このままじゃ、つるし上げられるぜ」
「何もしていないのになあ」
「一寸喉を撫でてやれば、ゴロゴロいうさ」
「そうだね。褒めちぎるに限る」
「だから、その態度がやはりバレバレだから、その手は使えない」
「リーダーを変えたらどう」
「変わったばかりじゃないか」
「落とす方法はいくらでもある」
「怖い人だなあ」
 この二人の密議は実行段階になったが、その前に、そのリーダー、自滅した。
 そのリーダーが仲間と思っていた人との意思疎通が悪かったのか、前のリーダーを追い出してから、態度が変わったようだ。
 それで、例の二人、何かするところだったが、その必要がなくなった。
 新しくリーダーになったのは、この二人のベテランのさらに先輩の覇気のない隠居のような人だった。
 
   了

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2020年05月29日

3765話 日常の内と外


 日常内と日常外がある。日常外は非日常でもあるが、常識があり、非常識があるような図ではない。日常外は日常内と隣接しており、日常から少しだけ外れている程度。だから決して非日常ではない。日常とは常日頃からやっていることや、立ち回り先だろう。ただ、日常は人により範囲が違うので、その個人によって異なる。
 毎日行っている喫茶店、しかし定休日があり、週に一度だけ別の店へ行く。週一なら日常内に入るだろう。準常連に近い。よく見かける客だし、よく見かける店の人。二週間程度ならまだその範囲内。月に一度だと、徐々に外れてくる。半年一年だと、もう圏外だろうが、まだ顔ぐらいは覚えているだろう。
 吉田は毎日行っていた場所がある。そこが行けなくなり、別の場所へ行くようになった。そちらの方が遠いし、方角も別。そのため、通る道も変わってしまった。そこは臨時、代用だ。
 しかし二三日で慣れだし、一週間もすると、その沿道にも慣れてきた。やはり毎日そこを通っていると覚えてしまうのだろう。二週間ほどすると、もう日常内に組み込まれた。その場所までの道中やその場所での変化を毎日見るようになったためだろう。その後、日常のこと、いつものこととして取り込まれた。
 ところが行けなくなっていた場所へ行けるようになった。
 吉田は以前の日常に戻れることになり、それで遠くまで行く必要もないし、何年も通った場所なので、馴染みが違う。それで元に戻れた。
 しかし、いつもの場所は近いが狭い。その沿道も短く、変化に乏しい。だから風景など見ていないほど。
 それに比べると、その代用で行っていた場所の方がいい感じなのだ。
 そうは思うものの、遠いところまでわざわざ出掛ける必要はなく、折角戻れたのだから、代用の場所へは行かなくなった。
 二週間ほどなので、まだ日常内。これが一ヶ月後なら圏外になってしまう。今なら、まだ日常範囲内のまま行ける。
 それで吉田は行き慣れたいつもの場所ではなく、代用の場所へ、また行くことにした。もう代用の必要はないのだが、こちらの方がいつもの場所よりもいいためだ。
 そして、久しぶりに出掛けたのだが、二週間の間隔は感じられなかった。やはり圏内のためだろう。
 代用のつもりが、今ではいつもの場所となり、完全に日常のものとなった。つまり代用から常用へ昇格。
 選択外だった場所だが、臨時で行った場所が意外と良かったということだろう。その場所だけではなく、そこへ行くまでの風景も。
 そうなると、いつもの場所が闇の中に入ってしまう。逆にそこが日常外になる。再び行くときは少し躊躇するだろう。
 
   了



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2020年05月28日

3764話 とどのつまり


 疋田はある年齢に達したとき、若い頃から思っていた状態ではないことに気付いた。もっと早く気付いてもおかしくない。どれだけのんびりしていたのだろう。そして年齢を考えると、未だに底辺にいる。もっと進んでいるはずなのに、予定していたところに達していない。それもかなり緩い目の最低限のところだが、それはまだまだ先で、これは一生かかっても無理なのかもしれないような高みに見える。
 しかし、その間、疋田は懸命に生きてきた。努力もした。怠けていたわけではない。だからそれなりの達成感はそれなりに得ていたのだが、何せ低い。
「今頃気付いたのかい」
「そうなんだ。年を考えると、焦る」
「まあ、夢というほどのものじゃないから可能だろ」
「不可能事じゃない。そこはリアルに計算していた。これは少し頑張ればできると、一点集中でね。しかし、手強かった」
「もっと早い目に気付くべきだったよ。僕も今言おうか今言おうかと何度も考えたのだが、言い出せなかった。君は明るい未来を見ていた。目が輝いていた。それに頑張っていた。だから、水を差すような真似はできなかった。本当は誰かが言ってやるべきなんだが、誰も言えなかったねえ。邪魔するようで」
「だから気付くのが遅かったんだ。今だから」
「そのうち気付くだろうと見守っていたんだよ。しかし、遅かったねえ」
「どうしよう」
「先にまだ進むんだろ」
「いや、計算すると、このペースじゃ無理だ。それに壁があって、そこで止まっている」
「あったよねえ、壁。壁があって先へ行けないって、言ってたねえ。でもそれって、やり始めた頃じゃないの」
「そうなんだ」
「じゃ、最初の壁の前で今も留まっているのかい」
「とどのつまり、そうだ」
「じゃ、長年やってるけど、最初の壁から進んでいなかったんだ。もっと行っていると思ったけど。長い年月なんだから」
「その壁を何度も削った」
「何ミリ」
「数ミリ」
「壁は何ミリ」
「1メートルほど」
「じゃ、一ミリ削ったことを前進と言っていたのかい。成果が出たと。上手くいっていると」
「うん、そうだ」
「何か考えがあると思い、僕らは見ていたんだ。それが作戦だと。それに君は元気そうだったし、上手く行ってると言っていたし」
「2ミリ削り、3ミリ目に突入程度だった」
「おかしいとは思っていたんだ。あまり進んでいないので。それで何度もどうなっているのか、聞こうとしたんだけど」
「ありがとう」
「しかし、その年になったけど、やっと気付いたんだね」
「そうだね。自分で気付いたんだ」
「まあ、無理だったんだ。最初から。それに最初の壁にぶつかったとき、普通ならやめるんだけど」
「一度決めたことはやり抜くのがいいと」
「そうだね。いい言葉だね」
「思い描いていた人生ではなくなりつつある」
「また人生設計し直せばいいさ。僕らも若い頃に思っていたことなど、誰もやっていないよ。残っているのは君だけだった」
「あ、そう。僕がトップだったんだ」
「違うけど、まあ、そうだね」
「悪くなかったんだ」
「悪いけどね。まあ、それでもいいけど」
「ああ」
「それで、どうする」
「壁の方が腐りかけていて、あと一ミリ削れば倒れるかもしれない」
「そんなわけない。まだ、その壁にしがみつく気なのかい。気付いたんじゃないのかい」
「しかし、もうこの年だ。他にやることがない」
「じゃ、続けると」
「ああ」
「どこまでのんびりしてるだ」
「おお」
「元気だけはあるんだね。目の輝きだけは怖いほどある」
「おお」
 
   了




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2020年05月27日

3763話 寛げない喫茶店を探す


 北岡は部屋の中でできる仕事をしているのだが、そこではしない。ノートパソコンを持ち出して、外でやる。主に喫茶店だ。今ではよく見かける姿だが、仕事場がないわけではない。部屋にはデスクトップパソコンがあるし、モニターも大きい。こちらの方がスピードも早く、効率もいいのだが、やる気がしない。
 それは自室というのは寛げるため。また寛げるようにしないと、自室の意味がない。内と外の関係があり、家は寛げる場所。これは他人の視線が来ない場所で、家の中ではどんな姿勢でもかまわない。
 これがどうも北岡の仕事とは相性が悪いようで、寛いでしまうと、もうやる気がしない。自室なので好き放題ができるのだが、一番好きなことは寛ぐこと。
 家を仕事場に使えないわけではないが、それなら自宅の意味が変わってしまう。仕事場で寝起きし、仕事をする。仕事にはいいが、仕事場で寝たくないし、そこでご飯を食べたくない。
 それで、複数の喫茶店を梯子するのだが、寛ぎやすくない店というのがある。これは結局は人だ。たとえば店の者が常に視野内にいること。これが気になる。たとえばカメラを取り出し、モニターをメモ代わりに写す場合でも、店の者は当然それを見ている。客を監視しているわけではないが、視野に入っていると、動くものを見てしまうのだろう。それと変化とかも。
 実はこういう店ほど仕事が捗る。逆に落ち着いた店で、店の者も奥に引っ込んだままでテーブルとテーブルの間隔は広く、しかも敷居で軽く目隠しされている。確かに寛げる。プライベート面がいい。しかし、仕事は捗らない。寛いでしまうため。だから、自室と同じことになる。
 それと、遠くにある店ほど捗る。また滅多に行かない店でも捗る。
 これは何か。
 つまりは、何かをしていないと、間が持たない。それで仕事に集中できる。寛げる隙間がない。
 たまにしか行かない喫茶店は、慣れていないので、これも寛げない。それと仕事場ががらりと変わるようなもので、新鮮。それで仕事もさっとやってしまえる。
 しかし、寛げない喫茶店は仕事は捗るが、あまり行きたくない。店の者や客などから好奇心半分で見られている。行きつけの店ならそれはない。互いに慣れているためだろう。得体も大凡分かっている。どんな客かを店の者も把握している。
 好ましい喫茶店、親しみがあり、日常の中にすっかり溶け込んでいる店は逆に仕事が捗らない。そういう矛盾がある。それなら自室でやっているのと変わらない。
 
   了
 



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2020年05月26日

3762話 限界越え


「本当は限界がないのですがね。私にとってはこれで限界です」
「あ、そう」
「しかし、その限界越えを今回挑もうと思っています」
「ほう」
「それでも本当の限界はないので、レベルとか程度の問題でして、まあ、私にとっては最長不倒距離、自己新記録、その程度の問題です」
「じゃ、大したことはないと」
「その私が世界一だとすれば、私の自己新記録は世界新記録になりますが、残念ながらそのレベルではありません」
「クラスで一番とか」
「それでも学年で一位じゃないと。さらに市内で一位でないと。それでも県内で一位じゃなかった場合、全国一も、世界一も有り得ません」
「じゃ、あなたのレベルは、それほど高くないと」
「そうです。しかし、私にとっては、この限界越えだけでもう十分凄いことになるのです」
「どの程度の限界ですか」
「一つだけ、上の段階です。上にはもっともっとあるのですがね」
「じゃ、大したことはないと」
「そうなんですが、私達のレベルでは、この限界越えはもの凄いことなんです」
「そうなんですか」
「この限界越えをした次はジャンルが違うようになりますから。扱われ方が違ってきます」
「いい扱いになるのですか」
「いえ、ごくありふれたタイプになってしまうのです」
「どういう構造なのか、見当が付きませんが」
「つまり、よくあるジャンルになるのです。だから、限界越えをしたその次の段階では平凡なものになってしまいます」
「指しているところが分かるようで、分かりにくいのですがねえ」
「これは価値観の問題でして、値打ちがあるかどうかなのです。今の私は平凡ですが、限界越えをすれば、非凡になります。しかし、さらに次の段階になると、また平凡に戻ります」
「不思議な構造ですねえ」
「そうなんです。ギリギリのところです。そのギリギリを超えると、平凡になります。値打ちがあるのはギリギリだということ。ここなんです」
「何処だか分かりませんが、レベルでは価値は計れないと」
「そうです。ある一線を越えますと、別扱いになり、まあ、カテゴリーが変わるようなものです」
「際どいところに立っているのですね」
「いえいえ、そこまで際どいところまで、なかなか行けません。今回、私の限界越えは、その手前でして、まさに一線を越えそうになる手前の手前程度です」
「何か微妙な話ですねえ」
「先ほども言いましたように、ある一線を越えますとジャンルが代わり、扱われ方も変わります。そして、その一線超えはありふれたものになります。そして限界はもう突破していますので、それ以上の限界はありません。だから逆につまらないのです」
「そういう構造体とかシステムがあるのですね」
「そうです。価値があるのは、一線越えの手前なのですよ」
「何でしょうねえ」
「そして、実は一線越えは誰にでもできるようなことです。だからありふれてしまいます」
「一線越えの手前か」
「そうです。そのギリギリの際。つまり際どさに価値があるのです」
「よく分からない状況ですが、何かに当てはめてみましょう」
「あなたと越えたい天城越え」
「え」
「でも越える手前がいいのです」
「それがヒントですね」
「そうです」
 
   了




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2020年05月25日

3761話 石の卵


 身体が怠い。気力がない。精力がない。こういうときは養命酒の出番だが、酒田はそういうものは飲まない。よくあることで、身体が悪いのではない。低気圧なのだ。
 どちらにしても元気に欠ける。そのため、こういうときは楽しいことをすると損。それほど楽しめないため。それは元気なときにとって置く方がいい。そのほうがより楽しめる。
 晴れていたのだが、雲が多く、やがて白い雲が濁りだし、灰色になり、空全体を覆うようになってくる。こういうときは何ともならないので、静かにしているしかないのだが、気怠いので、自然と静まる。発想も貧弱になるが、意外と冷静な面がある。テンションが低いためか、安定したローの視線になるためだろう。
 頭の中に雲が湧いたようになり、考える範囲が狭くなる。これはこれでは安定している。布団の中にいるようなもので、もう現世のことなどいいから、常世の国を彷徨うような夢の中に入り込みたい。ただ、昼間から寝るわけにはいかないので、酒田は起きている。
 そんな眠たい感じのときに限って元気な声が聞こえてくる。友人の浦田だ。こんな日に来なくてもいいのに、よりによってそういう日に限って来る。まさか酒田の調子の悪い時を選んで来ているわけでもなさそうだが、この浦田は常に元気なのではない。会っているときは常に元気なのだが、元気なときにしか来ない。だから元気のない浦田を見たことがない。誰とも会わないで、じっとしているためだろう。
「やあ、元気かい」
 その高い声を聞いただけで、疲れがどっと出そうだ。先ず神経からくる。酒田の顔が歪む。顔の筋肉が疲れる。
「いや、低気圧でね」
「血圧じゃなく、低気圧」
「君は何ともないのかい」
「低気圧って、雨でしょ。まだ降ってないけど」
「降る前の方がきつい」
「ふーん」
「低気圧の影響を君は受けないのかい」
「知らない」
「じゃ、受けないんだ」
「そうだね」
 浦田は用事で来ることは希で、雑談して帰るだけ。迷惑だとも言えない。友達の少ない酒田にとり、浦田は貴重な存在。
 浦田も気軽に会えるのは酒田だけらしい。
「君は元気のないときはどうしてるの」
 浦田は、じっとしていると答える。酒田と同じだ。働いていないので、じっとしていてもかまわないのだろう。いくらでもじっとしてられる。
「しんどそうな君を見たことはないけど」
 浦田は、しんどいときは人と会わないらしい。そこが酒田と違う。酒田は一応会う。だから浦田が来たら来たでそれなりに付き合う。ということは、酒田の方が軽症なのだ。
「しかし低調なときもいいものだ」
「今がそうかい」
「そうだね」
「元気になるような話を持ってきたんだが」
「またかい」
「ああ」
 これは訪問したときの手土産のようなもの。
 浦田はポケットから卵石を取り出した。
「凄いだろ。君にやるよ」
 ニワトリの卵とそっくりの大きさ。しかし重い。つるつるに磨いた石だ。
「これは懐石料理と同じで、懐石でもある。懐に入れていると、元気になる。僕は元気なので、いらないので、君にあげる」
「ああ」
「元気の出る魔法石だよ」
「ほう」
「温めると、石の卵から石鳥がふ化するらしいけど、石の鳥かどうかは分からないらしい。ただ温める人によって違うとか」
「ほう」
「僕も温めたけど、何も起こらない。中の鳥との相性が悪いんだろうなあ。だから、君にあげる」
「ありがとう」
 そのあと、浦田は石の卵に関する色々な伝説を聞かせてくれた。有名なのは孫悟空だろう。石ではなく、岩だが。
 しかし、その石の卵。酒田は実家で見たことがある。もうニワトリなど飼っていなかったが、ダミーの卵を納屋で発見したことがある。これをニワトリのそばに置くと、卵をよく産むらしい。
 
   了

 

posted by 川崎ゆきお at 12:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

3760話 妖怪博士と妄想家


 妄想家というのはものの言い方で、空想家でもいい。だが、空想家より妄想家の方が重症だろう。
 これはそれで一家を成しているわけではないが、性格などと関係する屋号のようなものだろう。あの人は何々だ。と決め付けるとき、使われたりする。
 妖怪博士は妄想家で知られる人を訪問した。妖怪とは関係しないが、何らかの参考になると考えたからだ。これは本職の妖怪研究に関係するはず。
 だが、自発的ではなく、担当編集者からの依頼。これは断る理由はない。妖怪がいるというのも一つの妄想。そして妄想家なら、さらにきついことを思っているかもしれない。
 要するに軽くインタビューのようなものをすればいいが、編集者は来ない。そのため、レコーダーが送られてきた。使い方を試すため、録音をしたが、自分の声がこんなふうに聞こえるのかと思うと、妖怪博士は驚いた。いつも聞いている妖怪博士の声ではない。自分で出している声を自分で聞くのだから、また違うのだろう。
 さて、妄想家、それにふさわしい町に住んでいるわけではなく、平凡な住宅地。郊外の何処にでもあるような町。
 訪問されるのが嫌なのか、駅前の喫茶店で会うことになった。
 妖怪博士は先に来たのだが、それらしい客はいない。広い店だが、客は少ない。
 しばらくすると、普通の人が入って来た。ちらっと見たが妄想家らしさがない。それで、違うと思い、目を戻すと、すぐにその人は妖怪博士に近付いて来た。一目で分かる風貌のためだろうか。
「妖怪博士ですね」
「そうです」
 妄想家は普通の人だ。中年の真っ最中という感じで、若者でもなければ年寄りでもない。
「妄想家の高槻さんですね」
「そうです。高槻です」
「似たような人で、茨木さんもおられますなあ」
「茨木さんは隣町です。近いです。懇意にさせていただいております」
 編集者が茨木氏ではなく、高槻氏にしたのは、茨木氏はマスコミ嫌いのため。
 編集者がそこを何とかといってまで粘らないのは、どうでもいいためだろう。妄想家などいくらでもいる。単に妄想癖が強いだけの人なので。
 高槻氏は簡単に応じてくれた。
「リアルを見ると、それで終わってしまいます。それ以上のものはもうない。これがリアルの限界です。ところが、リアルとまだ接していないときは、想像の世界。こちらの方はいくらでも伸び代がありまして、際限がない。ところがリアルに辿り着くと、限界が見える。見えない方がいいというのが妄想の良さなのです」
 早速始まった。
 妖怪博士は、聞き入るばかりで、語っていることは決して妄想ではない。普通なのだ。
「従って妖怪もリアルな妖怪、つまり本物を見てしまうと、それまでなのです。これだけのものだったのかと思うでしょう。特に妖怪はでっち上げたものが多く、それこそが妄想の産物。空想の産物。だから本物など当然あり得ない」
 この人の方が妖怪博士ではないかと、妖怪博士は感心しながら聞いている。
「僕は妄想家と言われていますが、実は幻想文学の研究者なのです。だから文学者です。そして自分では創作しません」
「普段は何をされているのですか」
「普通の会社員です」
「普通の暮らしをしている方が妄想が湧きやすいのかもしれませんなあ。妄想はどんなときにでもできます。時間がなくて妄想する時間がないということもなさそうだし、どんなに忙しい最中でも妄想はできます。また体力を使い果たし、息せき切っているときでも妄想は可能でしょうなあ」
「仰る通りです博士。幻想や妄想ばかりの中で暮らしていると、逆にあまり効果はありません」
「妄想家は幻覚を見ることもあるのですかな」
「僕の場合ありません。純粋な想像です」
 正統派だ。
「妖怪について、どう思われますかな」
「先にも話しましたように、いないことが分かっています。リアルがない。だから、妄想の宝庫でしょう。しかし、いる可能性がないと、裏付けのようなものがないので、少し弱いです。いるかもしれない、現実に存在しているかもしれないというレベル。これが妖怪の場合、欠けています。やはり辿り着けないが実在しているものの方が妄想の拡がりが違います」
「どういうことですかな」
「妖怪の多くは冗談ですから」
「ああ、なるほど」
「たとえば幽霊は実在するかもしれません。その違いです」
「はい」
「僕の説自体が、実は妄想なのです
「はいはい」
「世の中はそういった妄想で成り立っているようなものかもしれません。だから妄想を研究することは、そのあたりのカラクリを知ることにもなります」
「一種の幻想論ですかな」
「妄想はもう少しきついです。そこまで考えるか、思うか、想像できるかというほどとんでもないところまで行きます」
「まさに妄想ですな」
「そうです。もう根拠がない」
「はい」
「それで、根拠そのものを妄想で作る」
「ほう」
「しかし、それが普通の世の中の仕組みだとは思いませんか」
「もうそうですか」
「これはいいすぎなので、それこそが妄想なのです」
「妄想だらけですなあ」
「おかしいでしょ」
「楽しんでおる場合ではないが、その通りかもしれません」
 妖怪博士は興味深く、その他、色々な妄想論を聞くことができた。
 妄想だけで、リアルの希薄な世界。まるで異界で遊ぶ思いだった。
 そして、駅まで妄想家に送ってもらい、妖怪博士は余韻を楽しみながら、車内でうたた寝した。
 しかし電源ボタンは入れたが、録画ボタンを押すのを忘れていた。まだ妖怪博士はそれに気付いていない。
 このリアルが、怖い。
 
   了




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2020年05月23日

3759話 再開


 再会もいいが、再開もいい。再会は人だろう。再び会うということだが、期間にもよる。昨日会った人と、今日また会うというのは、再会としては短すぎるが、もう二度と会うことはないはずの人と、偶然出会ったとすれば、これは再会だ。常に会っている人なら、再会とはいわない。
 再開は人も関係するが、場所や、建物。店屋でもいい。またイベントでもいい。中断していたイベントや行事やプロジェクトなど。これは止まっていたものが動き出す。
 閉じていたもの、閉ざしていたものが再び開く。それが日常の一部なら、その日常が消えていたことになる。日常の全てではなく、一部だが。
 その場所へ行っても、閉じているので何ともならない。だからそこへ行くことはなくなる。
 閉鎖されていた場合、解除だろう。これも日常の一部になっていた場合、閉まっているのだから、行くことはないが、それに代わるような所に行ったりする。それは日常生活上、必要なためだろう。だが、省略してもいいようなものも多い。
 代用。それもいいが、いつもとは少し違う。逆に代用の方がよかったりすることもあるが、やはり慣れていないと、それこそ馴染めなかったりする。
 再会には喜びが付きもの。再開でも同じ。だが再会で嫌な目にあうことが結構ある。人相手のためだろう。再開の場合、人とは関係しないこともあるので、安定している。再開前と再開後の様子にさほど変化はないためだ。
 これは赤ちゃんが喜ぶ遊び「いないいないばー」に似ている。一度隠れる。そして出てくる。赤ちゃんはそれで安心する。いつものものを取り戻したためだ。世界が消える。世界が戻る。
 具体的な再会や再開ではなく、再び巡り会うために動いているという節もある。それが「あのころに」であったり「あのとき、ちらっと垣間見た夢のような」とかでもいい。
 一度体験していないと、再会も再開もない。最初の体験が疑似体験の場合もあるが。
 どちらにしても何かを取り戻す。これは結構ネタとしては大きく、人生規模。国家規模にもなったりしそうだ。
 また、失うまで、それほど大切に思っていなかった事柄もあり、代理や代用を探しているうちに、どんどん失ったもの閉じたものの価値が出てくることもある。
 
   了




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2020年05月22日

3758話 田知花


 高級住宅地が田畑に取って代わって久しい。元々は荘園だった場所で、豊かな田園風景が続いていたのだろう。今も緑が多いのは庭木のある家が多いため。庭も大きな屋敷なら広い。小さな神社の境内程度はあったりする。
 その最寄り駅は閑静な住宅地にふさわしく、派手なものではない。派手さは看板類や店屋が演出するのだが、商店街らしきものはあるが、歩道沿の地味なもの。
 村田は隣の市に住んでいるが、自転車で毎日通っている。喫茶店に行くためだ。近くの喫茶店が全席禁煙になったので、遠くまで行くしかない。
 市外になるためか、この屋敷町の駅前にある喫茶店は煙草が吸える。
 また、村田の近所にもあるコーヒーの専門店も禁煙になったが、ここは喫煙できる。同じチェーン店なのだが、方針が違うのだろう。
 
 その駅から南へ下ると田知花という町ある。ある日、喫茶店を出たあと、帰路とは方角は違うが、南下した。海側になるのだが、それほど迫っていない。
 この市内は山側は上品で、海側は下品だと言われているが、この市らしさは下品さにある。というより、より下町風になり、そちらの方が賑わっている。
 その噂を聞いたことがあり、一種の無法地帯。ならず者が拳銃を振り回しているわけではないが、庶民的という意味。屋敷町の禁煙も緩いのだから、下町の田知花町なら、どの店も煙草が吸える感じがする。
 
 村田は田知花町は知っているが、電車で通過しただけ。屋敷町とは違う路線で、駅前も大きく、派手。車窓から見た程度だが、想像はつく。
 南下するには、線路を渡り、駅の反対側から出ている大きな新道を真っ直ぐ進めばいい。その沿道は並木道で、オシャレな店が並んでいる。こちらへ行かないのは、踏切を渡りたくないことと、気楽に入れそうな喫茶店がないため。
 だが、その並木道、すぐに途切れ、トラックなどが行き交う幹線道路にぶつかる。景観が荒っぽくなり、馬鹿でかいうどん屋の看板や、リサイクル店や、全国展開の家電店、業務スーパーなどが見える。賑やかだ。
 その幹線道路が境目だろう。そこを渡ると田知花町と番地が変わるはず。小さな町工場なども目に入る。
 ところがT字交差点で工場の壁にぶつかってしまう。素晴らしく広い並木道なのだが、それが南へは繋がっていない。
 
 村田は左右を交互に見た。信号を見ているのだ。どちらも遠い。似たような距離。それらの信号まで行けば南下できるはず。東西どちらでもかまわないのだが、屋敷町の真南が田知花。左側から渡るか右側で渡るかにより、田知花の東側寄りに突っ込むか、西側寄りに突っ込むかの違い程度で、両方の信号を見ると、町内自治会の一つぐらいは確実に入る幅。
 だから、同じようなものだが、村田は並木道の右端を自転車で走っていたので、右折の方が楽。そして幹線道路の右側の歩道を西へと進んだ。既に信号は見えている。南北へ延びる道と交差しているので問題はない。
 
 村田はこのあたりに入り込むのは初めだが誰かの車に便乗して通ったことがあるかもしれない。幹線道路の西側は大きな都市がある。しかし、電車でないと行けないほど遠い。自転車では無理。
 そして、その交差点に入ると、タイミングよく南側へ渡れる青。
 迷うようなことはしていない。選択肢は二つしかない。その一つを選んだだけ。ちょっと田知花の右側、西側に入り込む程度で、左へ少し戻せばいい。しかし、これがもろに田知花駅前まで貫いている道かもしれない。だから、近付くまでは直進を続けた。
 
 自分は何をしているのだろう、ということを村田は思わないでもない。だが、今思っている頭の中は田知花駅前に突っ込むことだけ。では、そこで何をするのかとなるのだが、それがない。まさか無法地帯を見に行くわけではない。そんな町はないだろう。
 先ほどの幹線道路よりも狭いが、狭いながらも歩道があり、そこを自転車走るが、人がいると、車道に出ないといけない。
 こんなことをして何になる。と、こういう宙ぶらりんなときには思うものだが、自分をもう一人の自分が見ている状態はよくない。田知花の駅を目指すことだけを考えている方が自然。現にそういう行動に出ているのだし。
 しかし、なかなか駅前らしい風景が見えてこない。小さな家が密集している場所で、屋敷町に比べ、貧乏臭い。敷地がどの家も狭い。
 たまに材木置き場とか、重機などが停まっている場所もある。レンタル倉庫と書かれた箱のようなものもある。最初トイレかと思った。
 これは行きすぎたのではないかと思い、何処かで左に曲がる必要が出てきた。上手い具合に線路が見えている。JRだろう。屋敷町の駅は私鉄。規模が違う。その線路が堤防になり、嫌でも左へ入り込まないといけない。線路際まで行けば田知花駅のプラットホームぐらいは見えるかもしれない。
 しかし、村田が見たかったのは田知花駅へ向かう道。いきなり線路沿いに横から立花駅へ突っ込むのは趣がない。やはり徐々に近付きたい。
 それで、線路が見えた状態で、次の交差点で左折した。信号などはない。ただの生活道路だろうか。住宅の密集地で、昔なら貧民街。長屋だろうが、今はそれなりの建て方をしている。敷地に余裕がないのか三階建てが多い。
 その狭い通りは渓谷のようだ。左右に絶壁が迫っている。
 
 そこを抜けると道が向こう側まで繋がっていない。小さな川があるようで、橋がない。左右どちらかに架かっているはず。
 川岸に近所の人が立ち、煙草をくゆらせている。家の中は禁煙なのかもしれない。
 近付くと川岸から水面を見ている。流れは穏やかで、水面に樹木が映っている。緑が多いな、と村田は実像の方を見ると、こんもりとした繁み。一本ではなく複数植わっている。高い木に見えるのは高い場所にあるだけで、それほどの巨木ではない。しかし、このあたりでは一番背の高い木だろう。
 こんもりとした川岸の岡。建物の側面が見える。神社のようだ。
 川沿いの道は軽く湾曲しており、橋が見える。神社名が書かれた看板もある。このあたりではよく見かけるスサノウ神社だ。土地の名が付いておれば覚えやすいが、スサノウ神社だけでは、いくらでもある。
 
 村田は橋を渡るとき、川面を見ると草が川岸に生えており、花も咲いている。さらに動くものがある。鴨だ。この神社が鴨神社なら、そのままだが、そうはいかない。さらに勢いよく動いているものがある。魚ではなく、鴨の雛。
 果たして何をしているのだろう。鴨の親子ではなく、村田自身。こういうのを見に来たのではなく、田知花の町を見に来たのだ。
 このあたりが田知花だと思い、神社近くの電柱で確認するが、水塔と書かれている。田知花ではなかった。
 橋の上から線路が見えたので、南下しすぎたわけではない。東へ行きすぎたのだろうか。僅かな距離しか戻っていない。あの信号の幅の半分ほど戻ればいい。まだ、それに達していない。
 神社は小さく、前の道から全部見えてしまう。しかし、神社の後ろに木が茂っている。神木は別にある。川沿いで見たあのこんもりとした場所だ。
 社殿の左側に隙間があり、別の祠がある。そこから、あの小高いところへ登れるようだ。
 階段があり、その手前に立て札と解説のプレートがある。水塔古墳となっている。古墳時代前期の前方後円墳で、一部は壊れ、原型を成していないらしいが、しっかりと中を掘り起こしたらしい。
 木棺があり、内側は朱塗りだったようで、その棺桶の中に人骨。誰だが分からない。そのとき発掘されたものは、神社の裏側の建物に保管されてあるらしい。よくあるような品々だが、刀剣の他に槍もあるとか。
 村田はそれを見せて欲しいと思う気持ちはないが、その物置のような博物館が開いておれば覗いただろう。小さな神社だ。誰かが詰めていないといけない。それが面倒なため、普段は閉めているようだ。
 きっと古墳時代前期、このあたりを支配していた人かもしれない。しかし、そんな人でも何処の誰だか今はもう分からない。
 こういうのを探すために田知花町へ向かったわけではないが、神社や古墳、そちらの方を目的地とした方がよかったのかもしれないが、その程度のことでは行く気はしないだろう。それに屋敷町から少しだけ寄り道をする程度。何処に寄るかまでは考えているが、古墳や神社ではない。目的地は田知花町。しかし、田知花の何を見るかだ。
 
 ここが漠然としている。村田が住む市よりも、南下したこの市の方が緩やか。煙草が吸える喫茶店が多い。さらに南下すれば、果たしてどんな町があるのだろうか。無法街というのは、法外なことが日常的に起こる町だが、それはただの言葉の綾。そんな雰囲気がするだけ。
 田知花の町に入ると、普通の町だったりしそうだ。
 古墳と同居している村の神社。珍しくはない。よくある。それを背にして、東へ向かう。田知花町はすぐ目の前にあるはず。しかし、入る角度が悪いような気もする。横から入り込むような。
 
 村田は神社の細い階段を下り、西へ向かったのだが、昔の村道だろうか。狭い。道は東へ向かっている。ここが水塔村なら、この村道は田知花村へ繋がっているはず。おそらくすぐだろう。少し行けば見えてくるはず。しかし、狭いので見晴らしが悪く、真っ直ぐな道ではないので、先がよく見えない。
 そして四つ辻に出た。祠が角にあるが、壊れている。小さな廃屋。右側を見ると線路が見える。その線路沿いに東へ行けば、田知花に横入りできるのだが、その道に出ようとしたとき、案内板が目に留まった。宝塔とか石塔とか呼ばれているものらしい。かなり古く、市内では最古らしい。鎌倉時代のものが移転され、寺に置かれているようだ。
 村田はそんなものを見に、ここに来たのだろうか。
 違うだろう。
 
 目的地は田知花町。あと少しではないか。
 水塔町。町名はここから来ているのだろうか。
 線路沿いに行く途中に寺がある。線路沿いではない。昔はそんなところに道はなかったはず。この曲がりくねった村道があっただけ。
 水塔は見学できるようで、門が開いている。石塔なので雨ざらしになってもかまわないのだろう。それに水塔だけに水には強いはず。
 寺は小さい。境内も狭い。人の家の庭程度。
 だが、寺の横、線路方角に空間がある。建物はないが、墓がある。境内の中にある村墓だろうか。かなり古い墓が多い。それらは墓じまいしたのだろうか。もう参る人がいないので、びっしりと並んでいる。間隔がない。くっついている。まるで石垣。
 そこを抜けると、墓場の端っこ。寺の裏側になるが、六地蔵が並んでいる。墓の入口は、こちらだったようだ。その先に橋が見える。古墳もある。その橋から鴨の親子を見た。また神社の看板も見える。神社から、このお寺まで、ほんの僅かな距離だったのだ。
 古墳、神社、寺が意外と近い。
 
 それがどうしたのか、村田は言いようのない唾液のような言葉が出てきた。そんなことをしに来たのではない。だが、しっかりと見て回っている自分がいる。
 このあたりの村墓には決まって六地蔵がいる。墓を見ても気味が悪いし、人の何かが入っていそうだし、実際に骨が入っているはず。地蔵さんなら安心して見てられる。
「来たか」
 声が聞こえた。まさに、来たか……だと村田は感じた。
「よく来たなあ」
 どの地蔵だろうか。
「痒い」
 何が。
「目の上が痒い。かいてくれるか」
 しかし、どの地蔵か分からない。内山田洋とクールファイブ。ダークダックス。何でもいい。六体の中の一体だが、どれだか分からない。しかし、六地蔵全部がハモっているのかもしれない。よく見ると顔や持っているもの、ポーズなどは違う。それぞれ六道の担当がいるのだろう。
 村岡は立った位置から一番近い左から二人目の地蔵の目の上をそっとかいた。
「そっとな。力を入れると、石がとれるのでな。取るのは付着しているやつだ」
 村田は、そっと石カビに爪を立てた。
「だから、石まで削っちゃ駄目だと言ったでしょ」
 村田は謝った。
「しかし、よう来た。わしは地蔵で、五人の中の一人、六道の中の一つじゃが、一人で六役やっておるので、本当は一体なんだ。それに、こんなところにずっと立っていると飽きるし、こればかりやっていると、他のことができん。たまには諸国を旅したい。
 村田は、急にそういった個別の事情を聞いても何ともならない。愚痴だろうか。地蔵が愚痴を言う。そんなことはあり得ないが、喋る地蔵そのものがそもそもあり得ない。あり得ないものがあり得ないことを言うと、それはあり得るのかもしれない。
「疑っておるじゃろ。本当にわしが地蔵なのかを」
 流石地蔵だ。閻魔さんにもなる地蔵だけに、読まれている。これはまずい。
「まあいい、たまには会話をしないとなあ。もういいから好きなところへ行きなされ。目の上が痒いのだけが気になっていたのじゃ。悪かったなあ、引き留めて。しかし話の分かる人間が来るのを待っていたんだ。もういい、去っていいぞ」
 村田は、まだ石塔を見ていないので、もう一度境内を探すと、門のすぐ横にあった。後ろを見ないで奥へと向かったので、死角だった。
 大した塔ではない。それに石仏のように表情がないので、観賞の仕方が分からない。しかし、六地蔵のように喋り出さないだろう。石塔が口をきく。なくはないが、一般的にはないし、例外としてもない。例外にもない例外。
 そんな地蔵や石塔は目に入ったので、見ただけで、目的は田知花町。寄り道のしすぎだ。
 
 寺を出て、先ほどの線路の見える場所へ向かい、その線路沿いの道を東へ向かう。これなら確実だ。スピードを緩めた電車が走っている。駅が近い。
 やがてホームらしいものがちらっと見え、すぐに建物が遮り、広い目の線路沿いの道はそこで終わり、商店街らしいところの端に来た。正解だ。横っ腹を突く感じで、悪くはない。
 田知花は無法街。
 六地蔵が喋るのだから、本当にここではギャングとギャングが撃ち合いをしているかもしれない。無法の意味にもよる。
 商店街の道に入ったのだが、これは本通りではなく、横から入り込んだ枝道だろう。すぐに大きなアーケードで空を隠す本通りに出た。
 駅には用がないし、遠くまで来すぎたので、戻ることにした。本通りのアーケードをそのまま北へ向かえば出発点に戻るはず。
 シャッター通り商店街が多い中で、ここは人が多い。閉まっている店は希。これは時節とは関係なく、個人的な廃業だろう。
 少し進むと古めかしい喫茶店があり、全席喫煙と書かれている。この町にある喫茶店は全て吸える店ではないかと思える。村田の住む市とは違う。無法街とはその程度の意味。
 お好み焼きの匂いがしたので、昼ご飯はまだなので、それを買って、昼食とすることにした。
 自転車は降りて通ってくださいと立て札があるが、そんな人はいない。さらに商店街内での交差点に番人が立っている。だが注意もしない。他の自転車もその見張り番のどん前を平気で通過する。荷物を満載し、子供を乗せた電動アシスト自転車など、降りて押せば重いだろう。
 やはり、ここは無法街。村田の住む市の市場などは全員降りているし、また乗っていると注意される。
 そして、アーケードの下を北へ北へと向かうと、流石に商店街も果てるはず。
 そのはず、が、はずではなくなると怖い。
 六地蔵が喋るのだから、六道の中の一道へと向かわないとも限らない。
 六道のどの道も、この世にもあるのかもしれない。
 
   了
  



posted by 川崎ゆきお at 12:05| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月21日

3757話 下手な話


「酒田の町は狭いようで広い。本当は広い。広すぎる。それで、上酒田、西酒田、などなどと分けられた。また酒田口まである。これは酒田とは関係がない。その入口に近いところにある町名」
「そういう話は長くなるようなので、手短に」
「はい」
「それで、酒田がどうかしたのですか」
「行きました」
「それで終わりですね」
「いえいえ、何をしに行ったのか、どんなことがあったのか、まだ何も語っていませんが」
「酒田へ行かれたということだけで、もう十分です」
「不十分です」
「では、少しだけ」
「はい。酒田へ行ったのは、たまには違う町に行きたかったからです」
「はい、終わりました」
「いやいや、なぜ違う町に行くのかとか、そのへんの語りがありません」
「それ、語りますか」
「ぜひ」
「では、手短に」
「変化が欲しかったからです」
「はい、終わりました」
「いやいや、なぜ変化が欲しかったのか、そのあたりがまだ説明不足です」
「聞いてもいいですが、酒田の説明だけでもくどい。西酒田とか、南酒田とか」
「南酒田は、実は酒田とは関係がないのです」
「そのあたりの事情は関係ないでしょ。あなた、酒田の町のガイドをするのが目的ですか」
「違います。補足です」
「じゃ、これで、終わります」
「いえいえ、先ほど、変化が欲しいということの理由を語ろうとしていたところです。既に頭の中で繰っています。すぐ出ます」
「手短に」
「はい。退屈というわけではありませが、少しだけ刺激が欲しい」
「はい、終わりました」
「まだ、残っています。退屈と刺激の関係や、その程度などが残っています」
「手短に」
「刺激は退屈を消してくれますが、大きすぎる刺激は曲者でして、余計なことをして、余計な刺激を受けて、逆に退屈していた頃ののんびりしていたときの方がよかったように思えることもあるのです」
「今、かなり長い喋りでしたよ。もういいでしょ。それぐらいで」
「はい、それで酒田へ行ったのですが」
「聞きました。それだけのことでしょ」
「そうなんですが」
「じゃ、終わりですね」
「何か余韻を残さないといけません。それをこれから一つのエピソードでお聞かせします」
「いやいや、必要ありません。酒田へ行かれた。それだけで十分です」
「そうですか」
「はい」
「あなた、聞き下手だ」
「あなた、話し下手だ」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:19| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月20日

3756話 傷だらけの天使


「一寸傷があります」
「それはいけない」
「心の傷です」
「オロナイン軟膏を塗っても治らないか」
「はい」
「メンソレータムは」
「ヒリヒリして、余計に痛いです」
「塗ったのか」
「心の傷なので、塗る場所がないので、塗っていません」
「胸に塗ればいい」
「そうなんですか」
「心の傷。胸が痛いのだろ。すっきりするぞ」
「いえ、それでは根本的な治療になりません」
「治したいのか」
「はい、心の傷が影響し、それが足枷になります」
「あ、そう」
「でも、いいのです。これは私にかせられた鎖、一生引き摺っていくしかありません。それが定めです」
「それで、何をするとき、その心の傷が影響する」
「さあ、よく分かりませんが」
「あ、そう」
「でも、いいです」
「じゃ、言わなければいいのに」
「私の様子が普通じゃないでしょ」
「そうだったか」
「その理由を、少し説明しただけです」
「気付かなかったが」
「そうなんですか」
「一般的だし、常識的だし、特に問題はないが」
「そうですか」
「ああ」
「でも無理に普通にしているので、それが痛いのです」
「心が」
「そうです」
「心の古傷に障るのだな」
「そうです」
「苦しいか」
「少しだけ」
「少し痛いだけか」
「そうです」
「じゃ、普通じゃないか」
「そうなんですか」
「まあいい。その話、よく覚えておこう」
「はい」
「しかし、どんな古傷かな」
「それを言い出すと、もの凄く苦しくなり、言えません」
「内容は、語らないと」
「はい」
「分かった」
「有り難うとございます」
「君を見ているとねえ」
「はい」
「心が痛む」
「はい」
「僕の古傷がうずく」
「すみません」
「まあいい」
「有り難うございます」
「オロナインで治るから、まあいい」
「はい」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:47| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月19日

3755話 茶番劇


 強く物申していた重臣達が一人、また一人と消えた。その反対派との衝突のためだろう。当然対立する重臣達は交互に消えていった。残ったのは穏健派。その中でも物言わぬ重臣達。どっちつかずの人達だが、重臣としての地位は高くない。牛耳っていた人達とは違い、静かにしていた。
 しかし、その中にもできた人物がいる。敵がいないのは意見らしい意見を言わないためだろう。それに末席におり、高い地位ではない。
 それで上席で牛耳っていた重臣達が共倒れし、数が減ったので、穏健派が上がってきた。色々な評議があり、それに加わることになったため、決め事をしないといけない立場になる。重臣会議の中では末席だったが、上が消えたので、中程の席になる。上席にいるのは隠居のような人で、これは飾り物。ただ重臣というより重石のような存在。
「いよいよ上がってきましたなあ」
 その重石の竹中老が、穏健派筆頭の佐伯と雑談している。
「わしは見込みのある男だと以前から思っておった。そろそろかぶり物を取ってもいい時期じゃよ。ずっと猫を被っていたのじゃろ。五月蠅い連中はほぼ去った。今なら穏健派の天下じゃ。さて、どうする」
「いえいえ」
 しかし、この穏健派、何を考えているのかよく分からない。実際には過激だったりするのだが、普段からあまりものを言わないため、分からない。大概のことは決まったことに従い、反対しない。だが、胸の中では反対しているのだろう。何かを胸に秘めているのかもしれない。竹中老が佐伯はどうなのかと、聞いているのだ。もし何らかのことがあるのなら、協力してもいいと。
 だが、この竹中老が一番の曲者で、不動の地位にいる。彼こそが意見を言わない人で、意見のない人。だが、通らない意見は言わないだけかもしれない。それは穏健派筆頭の佐伯にも言えること。下手なところで争っても仕方がない。
 上席にはまだ五月蠅い重臣が残っているが、二流だ。これは竹中老が押さえてくれるだろう。協力するというのはそのこと。
 佐伯は穏健派筆頭だが、長老格の人もいる。佐伯を前面に出してきただけ。この人達もそれなりの実力者なのだが、口が重い。そして、そういう評定には加わりたくないタイプ。それに引退も近い。
「さて、どうなさる」
「いえいえ」
「あなたは天下を取ったようなもの。もう人物はいません」
「いえいえ」
「そう隠さず」
「いえいえ」
「あなたはいつもそのような受けごたえなので、得をしておられた。しかし、これからはそうはいきませんぞ」
「いえいえ」
「何が嫌なのじゃ」
「いやいや」
「だから、そのいやいやの中身を知りたい」
「申し上げられるようなものではありません」
「申してみい。わしは人畜無害。ただの漬物石。何の力もない」
「では」
「おお、申すか」
 佐伯は評定など必要ではない。あってもいいが形式だけにすべきだと述べた。
 竹中老はにやっとした。
 ことを決めるのは、こんな会議ではないことをよく知っていたためだろう。
 その後、佐伯が場を仕切るようになったが、全て茶番劇。
 それもよかろうと、竹中老は、佐伯を応援した。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 14:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月18日

3754話 ある変化


 吉村は最近方向性が変わった。しかし自覚はあまりない。自然とそういう流れになっているのだが、それを流れだとも思っていない。
「変化があったようですが、何かあったのですか」
 同僚だが後輩の高田が問う。高田に影響することではなく、個人的なことだ。しかし、先輩の吉村の感じがこれまでとは違ってきているので、ついつい聞いてみた。聞いても聞かなくてもいいようなことだが、気になるのだろう。また親しい関係なので、立ち入ったことでも尋ねられるのだろう。
「別に何もないよ」
「でも変わられた」
「え、いつ頃から」
「僕も気付かなかったのですが、この数ヶ月です」
「あ、そう」
「その間、何かありませんでしたか」
「いや、別に」
「そうですか。不思議ですねえ。何か方針でも変えられたのではないかと思い、聞いたのですが」
「変えていないよ」
「しかし、変わっています」
「どんな風に」
「雰囲気が」
「どのように」
「まあ、態度です」
「態度」
「姿勢のような」
「気付かないけど」
「そうなんですか」
「思い違い、勘違いじゃないのかい。以前と同じだと思うけど」
「かなり違います」
「多少は、自覚はあるけど」
「ほら、やはりそうでしょ」
 先輩の吉村は考えた。変わったのは後輩の高田ではないかと。どうでもいいようなことなのに、重ねて聞いてくる。追求するかのように。そういうことはこの後輩にはなかった。きっと慣れてきたためだろう。馴れ馴れしくなったのだ。
「先輩の調子に合わすようにしたいのですが、方針のようなのがあるのなら、それに従います」
 この後輩の態度そのもの、後輩の調子そのものが今までとは違っている。
「じゃ、私はどんな調子なのかな」
「はい、以前より穏やか、そして丁寧になりました」
「じゃ、年だろ」
「そうなんですか」
「だから、決め事をしてやっているわけじゃないから」
「じゃ、自然な変化」
「言われないと、気付かないけどね」
「分かりました。納得できました」
 何だろう、この後輩は。何か悪い本でも読んだのかと思い、吉村先輩は聞き流すことにした。
 そういえば吉村は若い頃のようにビジネス書や啓発ものなどは読まなくなった。この後輩の高田は読みあさっているのではないかと想像した。
 しかし、それはいっときのことで、どんなにいいことが書かれている本でも、すぐに忘れてしまうものだ。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:26| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月17日

3753話 秘境喫茶


「あれは初夏の頃でした」
「はい」
「すっかり暑くなってましてねえ。春物じゃ暑いほど。それを脱いで、自転車で走っていました。少し遠いのですが、最近見付けた喫茶店がありまして、静かでいい。理想的だ」
「そこへ向かわれたのですね」
「まだ五月です。末ですがね。だから五月晴れ。これが夏のような陽射し。まだ冬物の帽子なので、これが痒くて痒くて。しかし帽子なしじゃ、直に来ますから」
「遠いところにある喫茶店へ向かわれたのですね。でも自転車なので、それほど遠くはない」
「ええ、自転車なら、まずまずの距離です。駅を三つほど超えたところです。電車で行く場合、駅まで歩かないといけないが遠回りになるので距離が長い。しかも暑い最中。駅まで歩く時間で、その喫茶店まで行けそうな感じですが、まあ、それは大袈裟で、半分ほどの距離まで行けます。そして駅から電車に乗ったとしても、すぐには来ない」
「はい」
「そしてやっと入って来た電車に乗り、二駅で終点。私鉄の支線なので短い。それと駅と駅の間隔も近い。見えているほどです」
「はい」
「それで本線に乗り換えるのですが、階段がきつい。エスカレータもありますが、ここは運動のため、階段です。そしてホームで少し待つ。流石本線なので、電車はすぐに来るのですが、特急や急行では駄目。降りる駅は各停しか止まりませんからね。それで普通が来るまで待つ。待ち時間は支線の駅と変わりませんよ。自転車なら、もう着いています」
「はい」
「それで乗ったはいいが、次の駅なので、ゆっくり座ってられない」
「はい」
「だから、自転車で行くわけです。少し説明が長かったですが」
「いえいえ」
「その喫茶店は駅前にあるのですが、それは入口でして、看板は出ていますが、そこにはないのです」「はい」
「自転車が一台しか通れないような路地というか隙間です。店と店との間」
「はい」
「そこを進むと、右に回り込む通路があるのです。その先は十字路。しかし、狭いですよ。自転車だと曲がりきれないので、少し持ち上げて方角を変えるのです」
「そこは何処なのですか」
「色々な建物の裏側でしょ」
「はい」
「それで曲がったところに喫茶店があります。いいでしょ。隠れ家です」
「それを見付けられたのですね」
「ええ、偶然見付けたのです。この駅前を探索していたとき、その路地に紛れ込んだのです。まるで迷路。ダンジョンです」
「じゃ、喫茶店への入口は複数あるわけですね。十字路があるほどなので、別の場所からも繋がっている」
「そうです。以前は駅に出ようとして、迷い込んだのです。そのとき偶然見付けたのです。今は駅側から入るようにしています。そちらの方が近いのです。だから看板を出しているのでしょう」
「店内はどうですか」
「古いですが、普通です。特に変わった店ではなく、普通の人が普通に入れるような何の特徴もない店。私はそれを風通しのいい店、ニュートラルな店と呼んでいまして、一番好ましいパターンです」
「隠れたる名喫茶ですね」
「建物が増えて、隠れてしまっただけです。でもその路地内にある店は、この喫茶店だけ。周囲にも店屋はありますが、裏側なのでね」
「分かりました。取材に行きます」
「あまり行かない方がいいですよ。今のまま隠れたままがいいし」
「いえ、名店巡りですので」
「じゃ、私はこれで」
「あなたが喫茶店に詳しいと聞いたので」
「それほどでもありません」
「いい店を教えていただいて、有り難うございました」
「いえいえ」
 このルポライター、仕事をするのが嫌で、しかも出不精。それで取材に行ったのは三ヶ月後。
 言われた通り、その駅で降り、看板を探したが、そんなものはなく、その入口らしい細い路地というか隙間は見付かったが、袋小路で、その先は壁だった。
 
   了



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2020年05月16日

3752話 天気予報


「曇ってきましたねえ」
「陰りましたな」
「いい天気だったのにね」
「そうですね。晴れは長く続かない」
「いや、長く続いていましたよ。雨や曇っている日の方が少ないほど」
「そうでしたか」
「むしろ曇り日や雨の日は長く続かないのでは」
「そんなものですかねえ」
「この時期だけですが」
「よく見ているねえ」
「はい、ニュースより先に天気予報を真っ先に見ます。こちらの影響の方が大きいですからね」
「天気が好きなのですか」
「いや、これは自然界の出来事ですから、好きも嫌いもありません。むしろ悪い部類でしょう。色々と災害も起こりますし、そのレベルじゃなくても、湿気ていると、息が詰まりそうです。当然低気圧が来ていると厳しいですねえ。誰にも文句は言えませんが、天地異変は統治者が悪いということになっていたようです」
「因果関係はないでしょ」
「原因が欲しいわけです。そして、文句が言える相手が」
「ほう」
「今は流石にそんな非科学的なことはやりませんがね」
「天災なら仕方ない」
「そうでしょ。しかし、それを人災に持って行く癖が残っているのです。悪い奴がいないと治まらないんでしょうねえ。結局はオカルトです」
「ほう」
「まあ、晴れていたのが曇ってきた程度では人のせいにはしませんがね」
「これは雨になるかもしれないねえ」
「天気予報では持ちます。まだ曇ったままで。降りはしません」
「しかし、どんどん暗くなってきましたよ」
「本当だ」
「これは降りますよ」
「それはいけない。傘がない」
「降らないうちに、戻りましょう」
「そうしましょう」
「で」
「え」
「これは誰の責任ですか」
「雨が降る程度では、別に悪い目に遭うわけじゃないでしょ」
「予報官が悪いとは言えませんか」
「言えません」
「でも、当たらなかったじゃないですか。もうパラッと来そうですよ」
「外れてもいいのです」
「どうしてですか」
「当たるも八卦当たらぬも八卦が天気予報の原則。当たらなくても当然と言うことですよ」
「じゃ、オカルトですねえ」
「科学も極限まで行けばオカルトです。世の中の底に流れ、ずっと安定を保っているのは、このオカルトですよ」
「そうでしたか。知らなかった」
「パラパラ来そうです。急ぎましょう」
「はいはい」
 
   了



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2020年05月15日

3751話 消える村


 比婆の山上に山寺がある。まさに山門。ある宗派の総本山のようだが、山奥ではない。山上まで車で行けるがバスの便は少ない。お寺関係の人が来る程度で観光の寺ではない。山上からは下界を見下ろせる。少し遠いが高層ビルが見える。下が下界なら上は上界だが、天上界ではない。見晴らしがいいのだが、展望台はない。しかし、清水の舞台のような広縁があり、そこからの眺めは特別。ただ一般の人はそこには立てない。観光寺ではないため。
 ただ、寺の門はいつも開いている。入ってもいいのだが、人の家にお邪魔するようなもの。当然受付や、おみくじなどを売っている場所もない。
 寺の北は大都会だが、南はガクッと風景が変わり、田舎びている。この落差が凄い。山の裏側は山また山で里らしきものはない。昔からそのあたりに村はない。田畑が作れないためだ。それらの山地が途切れたあたりに町はあるが、山頂からは見えない。
 山上までの道路は頂上近くで終わっており、裏側へ出る車道はない。便がよくても、山また山では用がないためだろう。山の向こう側へ行くには回り込んだ方が早い。そこにはしっかりとした大きな幹線道路がある。
 ある土曜日、何の気まぐれか、田宮は下界のバスターミナルからバスに乗った。行き先を見ていなかったようだ。その必要は実はなく、見ないようにした。その方が無作為な選択となり、無作為で目的地が決まる。休みの日など、そういうことをたまにやる。
 田宮が乗ったバスは偶然だ。バスターミナルに停まっているバスにさっと乗る。一台もバスがなければ、入って来たバスに乗る。そういう決まりだ。
 それで山上に出た。寺があることなど知らなかったが、下からその一角は見えているはずだが、遠いので分からない。
 バスを降りたとき、青々とした頭の青年がいた。
「見学ですか」
「ああはい」
「入れますよ。一緒に行きましょう」
「ああ、はい」
 寺の青坊主に偶然誘われたのだが、田宮は寺を見に来たのではない。しかし、偶然乗ったバスの終点で降りるルールがあり、あとは自由行動。そのまま戻ってもいいし、そのへんを見て回ってもいい。
 青坊主のあとを付いて山門を潜る。質素なもので、仁王さんなどいない。どちらかというと武家屋敷の門に近い。
 境内は狭いが、建物は多い。山上の寺、高野山や比叡山を連想すればいい。
「見るもの、ないですし、建物内には入れませんから、展望台がいいと思います。案内します」
 清水寺の舞台のような所だが、縁側は広くはない。太くて長い柱で踏ん張る必要がないのは突き出ていないためだろう。
 展望台は湯豆腐屋のような感じで、テーブル席がある。まあ、休憩所だろう。
 寺の事務員だろうか、法被、これは制服だろう。それを着たお婆さんが隅のテーブルで煙草を吸っている。
「まあ、見るものといえば、この眺め程度です。ゆっくりしていって下さい」
 青坊主は去った。親切な青年だ。
 田村は比婆山の頂上付近から下界を見ろしていたのだが、何となく居心地が悪い。誰だお前はと、後ろから声をかけられそうだ。そして下界といってもビル群。毎日見ているような風景だ。遠いところに横に拡がった市街が見える。人の気配を感じないのは遠すぎるためだろう。
 ここが観光寺なら、気楽に眺められる。人も多いし。
 事務員の婆さんも姿を消したので休憩所は無人。独り占め。これが居心地の悪さの原因かもしれない。下界を見たければ、寺の外から見ればいい。
 寺といっても五重塔などはなく、何処が本堂か、講堂か、庫裏かが分かりにくい。峰の上なので、横並びに建っているのだろうか。敷地の問題だろう。
 田宮は、もう十分休憩をし、展望も楽しんだので、山門へと向かった。
 そのとき、左側を見ると、人がいる。南側ではなく、北側の展望を楽しんでいる人がいる。
 よく見ると、坊さんだ。そこには一寸した屋根のある東屋。しかし少し長い目だ。屋根だけで囲いはない。
 表展望台と裏展望台があるのだろう。裏側は比婆山の裏側で、その先はずっと山なので、山並みしか見ることができないが、そちらの方が田宮には珍しい。
 しかし、坊さんがいるので近付きにくい。だが、坊さんの服装ではない。ジャンパーを羽織っている。頭も少し伸びており、胡麻塩。
 田宮の気配に気付いたのか、坊さんの頭が動いた。さっと見た感じでは脂ぎった中年男で、僧侶という感じはしない。
 焼香のときに使う壺のようなものを持っている。しかし線香の煙ではなく、煙草の煙。
 坊さんは田宮に会釈を送る。ここでは難しい意味はない。笑顔で頷いてくれただけ。
 田宮がまだ躊躇していると、今度は手招き。
 招かれざる客ではないと分かったので、田宮はその長細い東屋に腰掛けた。坊さんと少し間隔を空ける。そのスペースに灰皿がある。
「さっき池田君と一緒に来た人でしょ」
「はい」
「ここはねえ、裏展望台でしてね」
「そうなんですが」
「山また山ですが飽きない」
「はい」
「ここから見る下界もいいものです。高いところから低いところを見る。しかし高い地位にいるわけじゃない。位置にいるだけ」
 説法でも始まるのかと思い、田宮は愛想の悪い返事をし続けたが、そのうち、妙なことを言いだした。
 ずっと下の山々の切れ目とか、裾の近くを見ていると、村が出てくるとか。
「村ですか。見えませんが」
「それがねえ、見えてくるのですよ」
「何ですかそれは」
「誰も辿り着けない村。それがあるのです」
 来たな、と田宮は眉をしかめたが、判断を急いではいけない。何かの喩えかもしれない。
「今日はまだ見えない」
「お邪魔したようで」
「いやいや、見える日など希」
「はい」
「あの村へ行ってみたい」
「航空写真を見れば、分かりますよ」
「肉眼でしか見えない」
「そうなんですか」
「調べ抜いた」
「実際に行ってみましたか」
「見えたときにね。それで、大凡の位置を確認して、見に行ったのだが、結構遠いんだ。着いた頃には、消えていた」
「村が消える」
「そうなんだ」
「はあ」
「だから、辿り着けない村。辿り着けない下界もあるんだ。上じゃなくね」
「冗談なのでしょ」
「ああ、当然だよ。そんなこと本気で言うやつは狂っているだろ」
「そうですねえ」
「君も試してみるか」
「さっきから見てますが、村なんて」
「ずっと見続けるんだ。すると見えてくる。まあ、最初から見える人なんていないだろうが」
「冗談でしょ」
「勿論」
「そろそろ、バスの時間ですので」
「そうだね。それが行くと、明日の朝になるねえ」
「はい。お邪魔しました」
「気をつけてね」
「はい」
 田宮は急ぎ足で山門を抜けた。バスの時間まで、まだ余裕があった。あの脂ぎった坊さんの話に合わすのが面倒になったので立ち去ったのだ。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 12:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月14日

3750話 地蔵老人


「いつもお見かけしますが、何処へ行かれているのです」
 柴田は自転車散歩中、町内の塀沿いにいつも座っている老人に聞かれた。毎日のように見かける人だが、柴田の近所から少し先にある町内。その町内と柴田との縁はない。あるとすれば、この老人をよく見かける程度。決まって板塀の隙間にある椅子に座っている。地蔵でも祭っている祠のように。
 それで柴田は彼を見かけるたびに地蔵がいると呟いたりする。それだけの関係だが、縁と言えば縁。そしてこの地蔵老人は縁起物と同一。拝まないのは目を合わせてしまうためだ。
 しかし、その日は地蔵から声をかけてきた。
「一寸この先です」
「お仕事で」
「いえいえ」
「気になっておりましてねえ」
「お隣の岸本町に住んでいます」
「あ、そう。岸本の吉田さん、まだ元気かな」
「ああ、はいはい」
 当然吉田さんなど知らない。長く住んでいないので顔ぐらいは知っていても、名前までは分からない。それに岸本町も広い。隣近所の人なら分かるが。
「やはりお仕事で」
「いえいえ、散歩です」
「散歩」
「はい」
「散歩」
「自転車でウロウロしています」
「うろうろ」
「ああ、はい」
「何をウロウロと」
「いえ、コースがありまして、そこを回って戻ってくるのです」
「コ、コース」
「はい、そうですが」
「何処を回るのですかな」
「いえ、道順があるだけで」
「道が」
「そうです。だから目的地は道です」
「道」
「はい」
「それはまた何ですなあ。まあドライブのようなものですな」
「そうです。道を走るだけが目的で、特に目的地や用事はありません。道に用事があるだけ」
「道ねえ」
「はい」
「あ、時間を取らせてしまいました。どうぞ行ってください。いやね、気になっていたものでね。一体この人は毎日毎日ここを通って何処へ行くのかとね」
 柴田はペダルに力を入れた。普通のママチャリだ。
 そして、いつもの道順をグニャグニャ曲がりながら、先ほどの地蔵老人の前まで戻ってきた。
 地蔵はいない。
 昨日もそうだったので、ずっとそこに座っているのではないのだろう。
 その翌日も同じような時間にそこを通った。ところが、いつもいるのに、今日はいない。
 戻ってきたときも、確認したが、やはりいない。椅子だけがある。
 それから十日ほど、姿が見えない。たまに見かけない日もあるのだが十日もいないというのは今までにはないこと。
 それから五日後、地蔵老人が座っていた。
 柴田は会釈を送るが、返って来ない。完全に無視されており、目は藪睨み。
 しかし、戻ってきたとき、まだ座っており、もう一度会釈すると、「やあ」と、応えてくれた。
 思い出したのだろう。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 12:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月13日

3749話 毒人間


「たまには違うことをした方がいいですよ」
「そうですねえ」
「いつも同じことばかりやっているんじゃないですか」
「日常化していますし、慣れていますから」
「いい感じですか?」
「いや、不満が色々あります。できれば変えたいのですが、なかなか」
「なかなか、決心が付かないと」
「何処へ行っても同じだという感じがしますから」
「それは感じでしょ。事実じゃない」
「そうなんですが、何をしても変わり映えがしないと思います」
「思っているだけでしょ」
「まあ」
「実際には違うかもしれませんよ」
「そうですねえ」
「不満があるのでしょ」
「あります。日常化しているので」
「最初はどうでした」
「いい感じでした」
「でも今は不満?」
「はい」
「不満なのにそこから離れない」
「まあ」
「惰性ですねえ」
「そうなんですが、何とかしたいとは思っています」
「それはいいことだ。でも思っているだけじゃ事態は動かない」
「やはり動かないといけませんか」
「不満ならね。気に食わないことをやる必要はないでしょ」
「勇気が」
「うまくいっていることもあるのでしょ」
「あります。そこは動かしたくありません。また、動かす必要もない」
「じゃ、不満に思っていることも、それほど大した不満じゃない。いたたまれないような」
「多少、その面があります。いたたまれないようなことが起こっています」
「じゃ、それを捨てた方がいいでしょ」
「しかし」
「優柔不断なのですね」
「はい」
「しかし、不満やストレスは起爆剤になります」
「もうなっています」
「それはいいタイミング。じゃ、決行しましょう。それを捨てて」
「やってみますか」
「そうでしょ。それだけ乗り気なら、もう十分出来上がっているのですから、盛り上がっている内にやるべきです」
「他のことに変えても、やはりまた同じようなことになるかもしれませんし、それなら、今のまま我慢している方が」
「そういう考えもありますが、要するに動きたくないだけでしょ」
「あ、まあ」
「やりましょう」
「分かりました。目先を変えてみます。探してみます」
「そうしなさい。どれも同じだと言うことは合っていますが、似ているようでも多少違います」
「それは何でしょうねえ」
「あなたの力だけでは何ともならない状態になっている事柄でしょうねえ。だからそこで居座っても良い事はもう起こらない」
「他のことをして駄目だった場合、どうしましょう」
「さらに探すことですよ。最初から良い条件、最初から悪い条件というのがあるものです」
「詳しいですねえ」
「少し目先を変えれば簡単に解決する。そんなことを多く経験しています。惰性で同じところでずっといても何ともならない。所変われば品変わる。結局は人でしょ。人の問題でしょ」
「そうです」
「人と人とは単なる相性の問題。これが最初から悪いとずっと悪い。解決しない。相性がよければ、すんなりといく。それだけですよ」
「確かに私が不満に思っているのは、人でした」
「それはあなたに対して毒を発しているのでしょう。相性が悪いと、毒になる」
「はい、分かりました。そこから離れます」
「はい、そうしなさい」
「あなたはいい人ですねえ」
「私は実は毒の塊なのかもしれません。だから長く付き合わない方がいい」
「はい、有り難うございました」
「うむ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

3748話 季節の変わり目


 吉岡は体調が優れないので、静かにしていた。季節の変わり目のためだろう。冬から春になりかけているとき体調を崩した。ついこの間のこと。
 それが去ってすぐにまた春から初夏への変わり目に遭遇したのか、下り坂。四季の移り変わりごとに崩しているのだから忙しい。しかしこれはもう慣れたもの。ただただ静かにしておれば戻るが、たまに戻らないで、そのまま次の変わり目に来てしまうことがある。流石にそのときは重ならない。だから変わり目が来ても変化はない。悪いままだが、これも慣れてくると、その悪さに気付かなくなる。回復しているのだろう。気にならないし、体調の悪さが目立たなくなる。
 今回は春から初夏への切り替え。気温がぐっと変わった日から悪くなる。何となく元気がない。そんなときは静かにしているしかないが、日常のことは普通にこなしている。
 そういう元気のないときは元気のないことをするしかない。威勢のよい溌剌としたことはできない。しかし、これは逆療養で、改善することもあるが、元気がないので、元気なことなど最初からやる気がしない。
「元気のないときにできることを探している」
「元気じゃないか。そんな難解なものを探すなんて」
「簡単に見付かるはず。ゴロゴロしているはず」
「そうかなあ、案外難しいよ」
「簡単なことなら、元気がなくてもできると思うけど」
「一見そう見えるけど、簡単なことほど実は難しい」
「そんな凝った話じゃなく、気楽に寛げて疲れないようなことならあるだろ」
「あるなら、聞く必要はないと思うけど」
「うう」
「ほら、探してもないんだ」
「一杯あるんだが、やる気がしない」
「元気があるからやる気がしないんだ」
「話が逆転しているように思うけど」
「じゃ、どうすればいい」
「体調が悪いんなら何もしない方が」
「そこまで悪くはなく、何かできそうな」
「じゃ、元気なんじゃないか」
「そうかなあ」
「季節の変わり目で崩したって言ってたねえ」
「そうだけど」
「じゃ、もう回復したんじゃないの」
「そうかなあ」
「何かやりたがっているのがその証拠」
「いやいや、そうじゃなく、元気がないから、元気がないときでもやれることを探しているんだ」
「それが元気な証拠」
「話が見えない」
「しかし、そんなことを相談しに、ここまで来たんだから、元気じゃないか」
「そうかなあ」
「まあ、元気な姿を見て安心したよ」
「そうじゃないんだけどなあ」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする