2020年07月31日

3828話 薬師堂の庄助


 山里に薬師堂がある。山にある村だが、麓。そのため平野部は近く、決して山深くはない。山脈が切れるところに街道が走っており、その山里からもよく見える。だからそれなりに人通りがある。
 その薬師堂は個人が建てたお堂。小さな薬師如来像を祭っている。流れ流れて、この里に来たのだろう。売り物ではなく、有徳人から有徳人へと。
 霊験がありそうな如来様だけに、下手に扱えない。
 山里とはいえ裕福な農家がある。米だけでは建たないような屋敷。色々とやっているのだろう。最終的には、その豪農の手に渡った。宝物を得たということではなく、お堂を建ててくれそうな金持ちのためだ。
 このお堂、地元の寺とは関係しない。いくら豪農でも寺までは建てらないし、それにだぶってしまうので、手頃なお堂を建てた。その程度ならわけなく建てることができた。薬師如来の入れ物としてふさわしい程度の。
 薬師堂は麓の里から少しだけ上に登ったところにある。里からも屋根瓦程度は見える。
「薬師堂はこの先か」
 一人の武士が、村人に聞く。
 村人は指差す。見えているので。
「庄助はそこか」
「はい」
 庄助とは堂守で、まあ、マンションの雇われ管理人のようなもの。薬師堂のそばに番小屋があり、そこで寝泊まりしている。
 武士は山道を上がり、お堂には目もくれず、番小屋を叩いた。
「庄助か」
「いえ」
「庄助だな」
「ああ、はい」
「木村又三郎様を襲ったのは誰じゃ」
 この庄助、木村又三郎の下僕。主が刺客に襲われたとき、逃げている。
 刺客が誰なのかは分からないまま。
 裏で操っている黒幕が知りたい。それで、逃げたとはいえ、そのときの様子を知っている庄助を探し出し、やっと見付けた。
 堂守は村の者ではなく、余所者を雇っている。そのほうが都合がいいためだろう。
 豪農がこの流れ者の庄助を雇ったのは、小作人として使うため。しかし百姓の経験がない。そのかわり武芸が多少はできる。だから、番人にはちょうどだった。
「刺客の顔は覚えておるか」
「はい」
「誰だ」
「島田様かと思われます」
「島田の息子か」
「はい、まだ部屋住みの」
「どうして、逃げ出した」
「私が出ていけば、島田様のご子息を斬ってしまいます。そのほうが大事では」
 武士は、一寸黙った。
 襲われたが、庄助の主人は屋敷内を逃げ回り、刺客の目を眩ませた。この主人、子供の頃からここにいるので、鬼ごっで逃げ回っていた経験があるので、屋敷内の抜け道などをよく知っていた。
 武士は刺客が島田の息子だと知ったとき、もう用を果たした。
 島田の裏にいる人物が分かったからだ。それは知ってはいけないことで、知らなかった方がいい。庄助が逃げたのもそのためだろう。
 別れ際、武士は庄助に戻ってくる気がないかと聞いた。
 庄助の主人木村又三郎も庄助の帰りを待っていると。
 しかし、庄助は面倒なことに巻き込まれるのがいやなので、断った。
 庄助はその後も薬師堂の堂守を続け、番小屋近くに畑を作り、薬草などを育てている。
 薬師堂なので、薬がいいだろうということだ。
 
   了



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2020年07月30日

3827話 揺れる


 夜中、パソコンのモニターばかり見ていると、たまに違うところを見たくなる。そんなもの、すぐにできることだが、見ても仕方がない。それで見ないだけだが、近距離で同じところばかり見ていると疲れる。
 近藤は見る気はなかったが、視界にそれが入った。やはり、目立つものが視界に来ないと、見ないもの。しかし、モニターの後ろは本棚。左は窓だがカーテンが閉まっており、外は見えない。風でカーテンが揺れることはあるが、それは気にならない。わざわざそんなもの、見るまでもない。分かっていることだ。しかし右側は本箱の右側になり、そこには物入れがある。小さな箪笥のようなもの。そして入口の扉。ここは開いている。だから隣の部屋の一部が見える。その方向が何か違っている。それで、やっと目玉を動かすと、煙。部屋の色が青く変わったように見える。これはすぐに分かった。煙草の煙だ。そちらへ流れ、そのまま溜まっていたのだろう。煙は僅かながら揺れていた。
 だが、火の気も煙が出るようなものがなくても、少し薄暗いところ見ると、モヤッとしているようなときがある。しかし、今回は煙草だろう。
 それを確認し、再びモニターに向かう。
 遅くまで作業していたので、そろそろ寝る時間が近づいている。それに疲労感もある。目も休めたい。それでその日は普段よりも早い目に床についた。
 夜中、まだ明け方ではないが、それに近い時間。近藤はトイレに立った。これはよくあることで、体が冷えているときなど、二回ほど立つことがある。最近はそれがない。だから珍しい。
 むくっと起き上がった近藤は、寝る前に見たモヤができていたところを見る。流石に暗いので、もうそれは見えない。
 そしてトイレへ繋がる廊下。その壁にタオルを掛けている。所謂タオル掛け。手ぬぐいほどのタオルが数枚掛けてある。その一枚が揺れている。
 外に面した窓は開けてあるので、風が入り込んでもおかしくない。しかし、三枚の中の一枚だけがヒラッとした。大きな揺れではないが、動くと目立つ。
 近藤は、そっとそのタオルを掴んだ。そして、揺らしてみた。普通に揺れる。その隣のタオルも揺らしたが、隣のタオルとくっついているのか、揺れが緩い。先ほどヒラッとしたタオルは、端にあり、そしてお隣のタオルとくっついていない。だから揺れたのだろう。おそらく風で。
 トイレから戻ってきたあと、熟睡したのか、朝まで一気に寝た。
 そして、朝の用意をし、仕事場へ向かう。
 駅までの道筋の中に、狭い路地がある。近道なので、そこを通っている。昔の長屋のようなところ。そこを抜けている最中、動くものがある。上の方だ。白いものが動いている。すぐに洗濯物だと分かったが、その一着だけが揺れていた。Tシャツだろうか。
 駅に出て、いつもの電車に乗る。少し遅い目なので、もうラッシュ時ではない。しかし、座れないが。
 それで吊り革を握りながら、何気なく車両の奥を見る。何人か立っているだけで、隣の車両の一部まで見える。
 そのとき、少しだけ違う揺れ方をしているのを見た。吊り広告だが、一枚だけ、動きがおかしい。
 終点は大きなターミナル駅で、大都会。人の流れの中に近藤は入る。同じ流れだ。同じ方角へ向かう通路のためだろう。
 その流れが少し乱れた。
 誰かが逆行するように、入り込んだようだ。それで流れが少し変わる。
 別に一方通行ではないが、この時間、反対側から来る人が少ない。
 その人が近藤のところまで来ているのか、前の人が左右に割れる。
 近藤も避けようと、右側へ寄った。
 どんな人だろうかと、近藤はその人を見ようとしたが、見えているのは隙間だけ。
 一人分のスペースが動いているようにも見える。そして、その周辺の人々は麦畑のように揺れていた。
 
   了


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2020年07月29日

3826話 会長の朝会


 会長の朝会は今始まったことではなく、江戸時代から続いている。社長を退き、会長になったのだが、今は名誉会長。しかし、その人脈は生きており、力も衰えていない。これは権力という力だ。腕の筋肉とかは関係しない。足などは細いが、邸内をよく散歩する。築山があり、そこを毎日上り下りしている。たまには邸内を出て、そのあたりを歩いている。ただの老いぼれにしか見えない服装で。
 この会長の朝会は伝統があり、もう何代、何百年も続いている。江戸の初めの頃、その藩の家老職だった人が始めた。朝に必ず人を呼んでいた。これは招待だ。夜の商工会議所ではなく、朝の会議所だ。朝会の走りだ。その中には町人や女性も混ざっていた。
 その朝会が綿々と続いているのだが、今は会費がいる。食事代。それがべらぼうに高い。そんな朝定食など、一流料亭でもないだろう。だが、料亭が朝から開いているかどうかは分からないが。
 招待ではなく、会費を払えば誰でも参加できる。社員以外の取引先や、その他様々な人達が参加している。しかし十人ほどで、それ以上多いと別間になる。まるで料亭のような屋敷だ。しかし武家屋敷が料亭になったりするので、その逆だろう。ただ、会長邸は武家屋敷ではない。
「あまり効果はありませんなあ」
 会長邸へ向かう道で、二人の客が話している。
「私は毎朝通っていたこともありますよ。まあ会社の経費で。しかし、効果がないので、最近は月一です」
「僕は自腹を切って月一です」
「高い朝飯代だ」
「そんなもの朝飯前です」
「そんな洒落を会長の前でいうと、とんでもないことになりますよ」
「そうでしたね」
「黙って、静かに食べている人が好きなようです」
「それと会長の話なんですがね。あれは何とかしてほしいです」
「いや、落語と同じで、毎回語り方が違いますよ」
「そうでしたか」
 この会長、特に大活躍したわけではないので、武勇伝もないし、伝説もない。非常に地味な話が多い。一応教訓らしきものはあるが、それがコロコロを変わったりする。そのあたりも聞き所なのだ。
 頻繁に通っているのは取引先の人達。社員もたまに顔を出すが、高いので、何ともならないので、一度か二度顔を出す程度。
 この二人、高田と岩下だが、これを最後に来なくなった。効果がないためだ。
 この朝会、実際に仕切っているのは奥さんで、小遣い銭にしていた。
 そして出席簿を持っている。それをたまに会長に見せる。
 出席簿とは、朝会に来た人の名簿のようなもの。
「高田と岩下が最近来ないねえ」
「はい」
「米山はよく来ているねえ。顔を覚えたよ。最近来る回数も増えている。ふむふむ」
 会長のふむふむにはどういう意味があるのだろう。そして効果を発揮するのだろうか。
 
   了



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2020年07月28日

3825話 恐怖小説家と幽霊画家


 馬が合うとは乗りやすいのか、乗せやすいのかは分からないが、人と人の関係でも、馬が合うタイプがある。ここに登場する小説家と画家もその関係で、長く付き合っている。互いにジャンルが違うためか、踏み込みすぎた関係にならないためだろう。小説に関して小説家よりも詳しい画家もいるし、画家よりも詳しい小説家もいるが、この二人はそんな関係ではなく、もっと単純なもの。目指しているのは似ていても手段が違うと、また違うのだろう。だからライバル関係ではない。
 しかし、目指すものが似ているのは、扱っているものが似ているため。ホラー小説と幻想画。確かに似ているが、もう一歩踏み込むと、ホラーだが、怪奇小説、恐怖小説という、もう一段狭いところにいる。そして幻想画家も、幽霊画のようなものを書いているのだ。この一段の踏み込みは貴重だろう。そういった二人が偶然知り合ったのは奇跡のようなもの。ただの小説家と画家ではない。
「どうもいけないなあ」
「またですか」
「幽霊を書いていたのだけど、怖くなって。捨てた」
「またですね。僕も、少し怖い話を書いたのですが、保存するとき、キャンセルしてしまったのです。保存したはずなのですが、違うところを押していたんでしょうねえ。自動バックアップは外していましたから、痕跡は何も残りません。残念です。しかし、非常に怖い話でした。もう一度書く気はありません。短い話ですが、同じことをまた書く気がねえ」
「私もそうです。途中で破り捨てて、ゴミ箱です。あとでもったいことをした。惜しいことをしたと思い、もう一度書こうとしましたが、また怖くなってきて」
「何でしょうねえ。僕は一度じゃなく、何度もあります。またか、という感じで」
「私もそうです。若い頃から」
 二人は既に四十代に差し掛かっている。
「私が思うには、やはりこれは作為がある。止められているんです。何かが止めに入っているのです」
「僕もそうだと思います。若い頃など下書きのノートが消えていました。ノートを落としたんじゃありません。メモのようなものをノートに挟んでました。数枚です。手書きでも、ワープロを使っても、パソコンを使っても、似たようなことが起こるのです。ファイルが消えたとか、間違って削除したとか。いずれもその気はまったくありません。これも止められているんでしょうねえ。妨害です」
「私は若い頃、書きかけの恐怖画を汚してしまいました。醤油が付きましたねえ。取れません。書き直さないと。何故そんなところに醤油が、という感じなんですが、イーゼルの前で餃子を食べていたのです。タレがないので、醤油を付けようとして、醤油瓶を掴み損ねたはずみに」
「やはり、書かせないようにしているのですね」
「そうです。仕上がれば傑作です。幻想画というより、恐怖画です。それには幽霊は出てきませんでしたがね。まだ中途なんですが、幽霊がいそうな絵なんです。だから、傑作です」
「はいはい」
「その後、本当の幽霊を書いたのです。幽霊画です。もろです。その絵があまりにも怖くて、その続きを書けませんでした。もし書き上げておれば、傑作です」
「僕も似たようなことが幾度もありましたよ。こんな怖い小説は初めてだというようなときに限って、止めが入るのです。書かさないような」
「やはり、何かが止めているんでしょうねえ」
「そうだと思います」
「私は若い頃に書いた絵が世に出ていれば、もっと有名になれたはずです」
「僕もそうです。あのとき、メモを落とさなければ傑作ができていたはず。しかし落としたため、もう書く勢いが消えました」
「水を差された感じですねえ。やはり止めが入った」
「そうですそうです」
 二人は年齢的には脂の乗りかかる頃で一番いい仕事をする年代なのだが、鳴かず飛ばずのままでいる。
 止めに入るものさえいなければ、というのが二人の共通点で、これが絆になっている。
 それで、その日も、大いに盛り上がった。
 
   了



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2020年07月27日

3824話 価値の病


 佐竹は求めていたものを得たので満足した。その満足感とは、すっきりとしたことだろう。滞っていたものが、スーと通ったような感じ。便秘ではないが、出たときは気持ちがいい。張っていた腹がすっきりする。出すものは出した方がいい。
 さて、佐竹の求めているものは、実はそれではないが、それに近い。おそらくその延長線上にあるものだが、行き過ぎると、また違ってくる。最終地点があり、またこれが究極だと思われるものは、意外と満足感はなかったりする。そして案外ありふれたもので、普通のものがよかったりする。
 佐竹が求めているのは、微妙なチューニングだ。中間だろうか。間。これとそれの間ぐらい、というのがいい。だからゴールになるようなところは、その中間ではない。終着駅のため、先がもうない。
 その終着駅に来てしまうと、あとがない。戻るしかない。それでは不満だ。
 佐竹が求めているものは、この世にはないのかもしれない。それは幻想のようなもので、現実とは少し違う。求めているのが現実ではなく、幻想的なものだとすれば、これは際限がない。それだけに広い。
 それだけではなく、初期の頃に求めていたものが変化し出す。気付かなかったものを見出すため。これは新たな価値だ。最初はなかったのだから。この価値というのは佐竹だけの価値かもしれない。誰でもそういった自分だけの宝物のようなものを持っている。
 佐竹は満足を得たのだが、次は何処へ行こうかと探している。大凡のことは分かっている。ただ、満足を得られるだろうと予測できるものは逆に怖い。この怖さは裏切られたときの残念さだ。期待が大きいほど、それがある。
 だから本命というのは怖い。
 よくある価値、最初はそれに引っ張られるのだが、徐々に佐竹が見出した価値も加わる。
 価値を見出す。これが実は本命なのかもしれない。
「間に何かあるんだ」
「間」
「中間」
「それはきりがないでしょ。間の間の間の間と」
「そうなんだ。一本道の先より濃い」
「一本道には終わりがあるからね」
「やり過ぎても駄目だし、足りなかっても駄目」
「中間は難しいよ」
「そうなんだ。それに気付いたんだ」
「中途半端というのもあるでしょ」
「ある」
「それについては、どう思う」
「最近そういうのに興味がいくようになった。中途半端さ加減が好ましいと」
「ほう、見出したね」
「半端なほど伸び代があるし、位置が微妙」
「絶妙というやつだね」
「そうなんだ」
「徹したものより、いいと」
「徹したものは厳しい。しんどそうだ」
「中途半端はいけないんじゃない」
「いや、中途にもよるし、半端にもよる。いいタイミングで決まれば、絶妙となる」
「それで、佐竹君は何をしているんだった」
「何もしていないけど、色々と見ている」
「あ、そう。じゃ、観察眼が上がったんだ」
「色々とね」
「まあ、価値の病というのがあって、それにかかると当分飽きないので、いいよ」
「そうだね」
 
   了



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2020年07月26日

3823話 杉田の顔色


 杉田という青年は仲間から一目置かれている。少し風変わりだが大人しい。自分から話すようなことは滅多にない。必要最低限のことは、自分から話すが、これは訊ねる程度。聞かないと用が果たせないときでも黙っている方がおかしい。当然そういう人は仲間もいないだろう。杉田も実際には仲間のいないタイプに属している。これが杉田の特長で、それでも仲間達とでも十分やっていける。だから孤立していない。孤立しているが仲間がいる。
 一目置かれているのは思慮深い性格のため。あまり感情を表さず、いつも冷静。仲間が熱くなっていても、その熱は受けない。といって協調性がないわけではなく、それなりに一応は反応しているが、出方が低い。
 杉田はまだ若いが、こういう人が将来大物になるのだろう。その片鱗が態度で出ている。仲間達もそれに気付いている。
 そして、何か困ったことがあれば、最終的には杉田と相談する。その判断は妥当で、安定感がある。
 また、相談しなくても、杉田の表情を見ていると、肯定か否定か程度の違いが分かる。だから杉田の顔色を見るだけで、済んだりする。会話はいらない。それに杉田はあまり喋らない。話すのが得意ではないようだ。
 要するに大人しく目立たないが、仲間の信頼を得ており、なくてはならないメンバーになっている。
 このメンバーにとり、うちには杉田がいるというのが誇りだが、お守りのようなもの。守護神。
 ある日、トラブルに巻き込まれた。杉田が登場するのは最後の最後。まだ出番ではない。
 しかし、このトラブル、かなり面倒で、杉田に相談するしかないと、もう早い目に杉田に声をかけた。
 杉田は状況を聞き、黙っている。
 何か策はないかと仲間達は聞く。
 杉田にもないようだ。というより、最初からないのだ。
 杉田の顔色が少し変わった。調子が悪いようで、答えに詰まっている。この答えとは、すっと判断を下すということ。それが今回できない。
 いつものパターンとは違うのではなく、調子が悪いのだろう。
 杉田の顔色が変わるのを仲間達は見た。これは余程凄いことになるかもしれない。余程凄いことが起こっているので、杉田の顔色が違うのだと。
 杉田はその日、腹具合が悪かった。滅多にない。そういうときは妙に落ち着かない。それが偶然、そのときにぶつかったのだ。
 仲間達は杉田の判断を待つ前に、その顔色を見て、方針を固めた。
 それで、無事、トラブルは解決した。
 この杉田という青年。最初から何もないのだ。今回それがバレそうになったが、仲間達はその後も杉田を大事にしている。
 
   了









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2020年07月25日

3822話 夏が来た


 春夏秋冬、香山は毎日通っている喫茶店がある。昼食後のコーヒーだ。部屋でも飲めるが、喫茶店で飲みたい。そして本を読みたい。たまにはケーキも食べたい。そういう日が続くのが何よりもいいことで、これを欠かすような日は、ろくなことのない日。その日一日で終わるのならいいが、その後、昼の喫茶店など行ってられない状況になったりする。
 香山は今日も昼食後、喫茶店へ向かっているが、これは幸いなこと。自覚はないが、平和なもの。ただ、梅雨が明けたのか、ここ数日非常に暑い。喫茶店までの道はそれなりにあり、歩いていると汗ばんでくる。暑いので速く歩いて、陽の当たるのを短くすべきか、または下手に力んだ方が余計に汗をかくのではないかと、そんなことが重大事になっている。そんな判断など大したことはなく、間違った判断でもとんでもないことにはならない。普通に暑い日の普通の状態で、炎天下とはいえ、日射病にかかるほどの距離ではない。
 それで道半ばに来たとき、歩くスピードを緩め、ゆっくりと歩くことにした。香山が最初にとった判断は、早く炎天下から抜け出すことだったが、これは失敗だったようで、ゆっくりと歩いた方が楽。
 そして冷房のよく効いた商業施設に入り、その中にあるいつもの喫茶店のドアを開ける。入ると冷蔵庫のようだ。暑いので、これで人心地付くが、息はまだ上がっているし、汗もまだ引いていない。
 いつもの席がいつも通り空いている。この時間、その席は誰も座らないのだろう。だから香川の指定席。
 そして暑いのだが、いつものようにホットコーヒーを注文する。春夏秋冬コーヒーはホット。これは癖で、アイスコーヒーでもいいのだが、冷房の効いた喫茶店では、熱いコーヒーを飲んでも、汗ばむようなことはない。
 本を読みながら煙草を吸い、コーヒーを飲む。それだけのことだ。たったそれだけのことだが、それができない日が何度かあった。
 しかし、活字に目がなかなか吸い込まれない。まだ炎天下を歩いた影響が出ているのだろう。汗は引き、息も弾まなくなったので、落ち着いたはずだが。
 しかし、人心地付いた状態を維持したいと思ったのだろう。またはこれで満足を得て、他に何も望みはないのか、しばらくその状態でいたいと思ったようだ。
 本を読む気が起こらなかったが、煙草とコーヒーは問題ない。そして硝子窓の外に見える大きな雲、白い建物が眩しく輝いているのを見ている。
 心に何をも思っていない。単純明快に、そういうのを直に見ているようなもの。そして意味はない。それだけのことが目の前にあるだけ。
 しかし、いつまでもぼんやりとしてられないのか、そういう心境にも飽きてきて、本に戻る。
 ただ、その活字文字の言葉や意味などが、薄べったい紙切れのように、軽いものに見えた。立体感がないためだろう。
 それで、ひとときを過ごし、喫茶店を出て、家に戻るのだが、相変わらずの炎天下。これは戻れば昼寝するしかないと、また呑気な選択肢の中にいる自分がいる。
 明日もそういう日が来ればいいとは切には望まないが、香川にとり、夏越えの一日が始まったようなもの。誰でも越せるようで、越せない夏もある。
 
   了




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2020年07月24日

3821話 趣味の世界


 最初の頃は分からなかったが、目が肥えてくると、その意味が分かり出す。最初はそのままだが、そこに意味が加わることで、見方が変わってくる。
 目が肥えるとは目に栄養が行き渡り、ふくよかに肥えるわけではない。目玉そのものが太るかどうかは分からないが、瞼とか、その周辺は肉付いたり痩せたり弛んだりするだろう。しかし、見え方に変わりはない。奥目でも出目でも糸目でも。
 意味というのはそのもの以外の要素が加味される。そういう含みを知ることで、目が肥えるのだが、これは視力、観察力ではなく、情報だろう。頭から入ってきた。
 そのため、目から直接受けた感覚ではなかったりする。
 しかし、人がものを見るとき、ただの映像ではなく、もっと総括的、総合的に見ている。その範囲を広げたり狭めたりする。路上の石ころなど、狭い範囲でしか見ていない。それ以上の意味がないため。しかし、コンクリート舗装された道路や歩道に石を見出すのは珍しかったりする。そのときは、昔見た路上の石とは意味が違ってくる。この石はどうしてここにあるのか、などだ。以前なら道端に小石ぐらいゴロゴロあった。また道そのものが砂利道だと、小石だらけ。
 だから、そういった推移も含めて見ているので、石にも意味が加わり、ただの石ではなくなるかもしれない。
 路傍の石という小説があったが、見付けるのが難しかったりする。
 さて、目が肥える話だが、これは個人的な感覚もある。見たいものや見たくないものがある。好みの問題。そして、この好み、嗜好は慣れてくると変わってきたりする。美味しいものばかり食べているとまずいものが食べたくなるということではないが。
 当然つまらないもの、凡々としたものに価値を見出すという捻ったものでもない。自然な流れで、決まっていく方向のようなものだろうか。
 そういった感覚の変化、好みの変化、趣味の変化というのは、個人的だが、その変化が楽しかったりする。
 同じようなものばかり見ていると、退屈するのだが、決して同じではない。何らかのパターンがある。そのパターンはほぼ同じだが、多少の違いがある。僅かな変化、違い。ここに何か違ったものを見出す。これはよく知っていないと、その違いが見えない。最初の頃は全部同じに見えるだろう。
 この僅かな違いに大渓谷ほどの深さを感じたりするのがツウの世界。しかし、ツウというのは、通らないといけない。いきなりでは無理。意味が分からない。違いが分からない。
 そしてあまりにも小さな違いだと、もう本人にしか分からない。
 ものが大きく動くより、止まっているはずのものが微妙に動いている方が目立つ。
 どちらにしても、このあたり、実用性はない。だから趣味の世界というのだろう。
 
   了

 


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2020年07月23日

3820話 呪い師


「呪詛ですか」
「そうです。呪い殺してもらうのです」
「平安時代のようですねえ」
「今も綿々と続いています。呪い師が」
「そんな情報、何処で得たのですか」
「あなた、心療内科へ通っているでしょ」
「はい」
「私も、そこから得たのです。医者が呪詛処方をしたわけじゃありませんよ。その横の薬局へ行き、その医者の処方箋を渡せば、呪詛箋がもらえ、それで誰かを呪い殺す。というような治療ではありません。当然医者はそんなことはしません。そこに通っていた人の話です」
「どんな人ですか」
「心の病と言いますが、ほとんどの原因は人でしょ。特にビジネス街の心療内科の客は。あの人を除けば全て解決。または、自分からあの人と離れるため退職する。まあ、人が絡んでいるわけです」
「僕の場合もそれです。取り除いて欲しい人がいます。あなたではありませんよ」
「それで、その客が診療所の帰り道、不思議な老人に会ったそうです。これは客引きでしょ。呪い師の」
「呪い師」
「そうです。客を探していたのでしょ。その客から私が聞いた話なので、又聞きですが、できるだけその通り伝えます」
「はい」
「呪詛で人を殺す。これは殺人罪になりません。なぜなら呪ったりしても、人は死にません。因果関係がない。証明できません」
「じゃ、呪い殺し放題ですね」
「念とかを送っても、死なないでしょ。だから、呪い殺し放題にはなりません」
「そうですね。もし呪って人が死ぬのなら、そのへんでバタバタ倒れているでしょうねえ。しかし、殺したいほどにくい相手も、そういるものじゃありません。できれば、消えて欲しい人はいますが。もしそうなれば、どれだけすっとするか」
「その客の話では、その呪い師も、呪いで直接相手を殺せないと言っています。しかし、間接的には……」
「間接的」
「死にはしません。しかし、消えることがあるでしょ。職場から消えればいいのでしょ」
「僕はそこまで言ってません」
「その客の場合です。消えればいい」
「では、その呪い師、何処に呪いをかけるのですか」
「当然、消えて欲しい相手にです。しかし、直接苦しめるような念の力などありません。普通の人間でも、少し念の強い人間でもね」
「じゃ、何をやっているのですか。その呪い師は」
「相手の運命に対してです」
「弱そうな術ですねえ」
「運が悪かったってことはよくあるでしょ。一寸した狂いで、大変な事故になったとか」
「間接的とはそういうことですか」
「これが、私が聞いた、その客からの全てです」
「その客、その呪い師に依頼したのですか」
「断ったそうです」
「いいチャンスなのに」
「常識では考えられないので」
「僕にその客を教えて下さい、またはその呪い師のいるところを教えて下さい」
「その客から、それは聞いています。呪い師のいる場所は私が知っています」
「是非、教えて下さい」
「はい」
 
   了


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2020年07月22日

3819話 寝言衆


 白根城には根来衆がいる。伊賀や甲賀と同じ忍びの者達。しかし、ほとんどは信長に滅ぼされた。
 根来衆は戦国生き残りで、江戸時代になれば、いくさはなくなり、あまり活躍できなかったのだが、大名が密かに抱えていた。
 白根城の奥まった中庭に、常に控えている。お庭番といってもいい。しかし、城の中にまで敵が忍び込むことは先ずない。
 戦国生き残りの老忍がいる。既に役に立たないが、役立つ場面もない。殿様相手に昔の話をする程度。この殿様、藩主だが生まれたときは既に徳川の世なので、いくさは知らない。
 根来衆とは別に、この奥庭には寝言衆がいる。お伽衆とも呼ばれているが、これは密かにではなく、茶坊主のようなもの。ただ、頭は剃っていない。普通の武家の服装だ。
 お伽衆の中には零落した名家や、名のある武将もいる。
 寝言衆とはそのままの役で、寝言を言う役目。しかし藩主の前で寝て、寝言を言うような無礼なことはできないので、普通に話す。その内容が寝言に近いので、寝言衆と呼ばれている。実際にあった話ではなく、嘘話。または、言ってはならないことを言ったりする。好き放題に言えるのが、この寝言衆の特権。
 殿様には耳の痛い話も多いが、寝言だと思えば聞いてられる。また、殿様も寝言衆と合うのは決め事で、武芸を習うのと同じようなもの。義務づけられている。
 その日の寝言は政への忠言ではなく、ただの寝言。殿様も眠くなってきた。その日は、根来衆の老忍も同席しており、一緒にうたた寝を始めた。
 余程眠い話だったようで、話の筋が分からない。断片的描写が多く、擬音がやたらと多い。
 まさか、本当に寝ているのではないかと思うほど、リアルな寝言だった。
 殿様も老忍も、釣られるように欠伸を始め、眠りだした。
 実はこの寝言衆、本当に眠ってしまい、本当に寝言を言っていたのだ。大した芸だ。
 そして、目を覚ますと、殿様と浪人が何やら話している。しかし、会話が噛み合っていない。
 二人とも目を閉じている。
 寝言衆が、寝言を聞く。滅多にない話だ。
 
   了
 


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2020年07月21日

3818話 平穏心


 妙に落ち着き、穏やかな日がある。気持ちの上で。田中はそういう日がたまに来る。ということは普段はそうではない。そちらの方が日常的で、いつもの気分だろう。
 しかし、何かが落ちたように、池の水面が鏡のようになる日がある。何が映っているのだろう。田中の気持ちではなく、周囲の風景だ。青空が入り込んでおれば、綺麗だろう。しかし、鏡なので、ほぼ同じものが映っている。そこにさざ波や波紋が来れば水面は揺れる。それで印象派のような絵になる。しっかりとは見えないが、同じものを見ているより、こちらのほうが変化があり、更に動いている。
 さて、心安らか、波風が立たない状態に、田中はたまになるのだが、これは一段落したり、いっときの熱気や活気、または騒がしさが去ったあとだろうか。穏やかなのだが、何か気が抜けたようになる。ふぬけとまではいかないが、頭の中にあまり何もない。燃やすようなものが入っていないためだろう。
 その状態は長くは続かないが、しばらくは続く。半日いくかどうかは分からないが、その状態が意外と怖い。
 まるで悟ったようになる。おそらく悟った人はそんな気持ちでずっといるのだろう。平穏なのだ。しかし、田中は怖い。
 この状態というのは諦観。何かもう諦めたような、投げ出したような状態になるため。
 それと何かに拘り、何かに熱中し、頭の中はそれで一杯のときの方が調子が良い。悟りとは逆だ。常に雑念、妄想の中にいる状態。こちらの方が生きている感じがする。
 その日、田中はそういう平穏な気分になりかかったので、眠気を覚ます意味で、何か刺激的なことをやろうと考えた。実際にはそういったものが終わったので、静まったのだが。
 俗事、煩悩、色々ある。悟りへ至るためには捨てなければならないもの。また、それらを消すのが目的だが、これは退屈だろう。
 しかし、たまには一休みするのもいい。だから、たまに気が抜けたような状態になる。ということは修行などしなくてもいつでも悟れる。しかも定期便のように常にそれはやってくる。そしてすぐに去るのだが、そのほうが幸いだ。悟ると幸いということもなくなるので。
 そんなことを考えているうちに、いつものように心にさざ波が立ちだし、いつもの田中に戻りかけた。それでいいのだ。
 
   了






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2020年07月20日

3817話 特異体質


「晴れましたねえ。梅雨が明けたのでしょうか」
「いや、まだ先です。この晴れは梅雨の晴れ間です。雨は一休み」
「そうですか。しかし暑いです」
「気温差が確かにあります」
「これじゃバテます。もう身体が怠くなっています。これはまずいです」
「大丈夫ですか」
「暑いと駄目です。じっとしているだけでもバテます」
「それは大変だ」
「また雨が降ればいいのですがねえ」
「すぐに降りますよ。まだ梅雨なので」
「しかし、あなたは大丈夫ですか」
「何が」
「この暑さ」
「暑さに弱い種族じゃありませんので」
「それはいい。じゃ、寒いのは駄目でしょ」
「いや、気温差の影響を受けない種族です」
「私は日がいけない。明るいのが駄目」
「じゃ、寒いところや暗いところは得意なのですか」
「得意という程じゃないですが、まあ、普通です」
「川北さんは強いようですよ」
「あの人はその種族ですから。しかし陽に当たると駄目でしょ。あのタイプは」
「そうですねえ。夜にしか外に出ていないようです」
「黒田さんはどうでした」
「あの人は雨に弱い。だから梅雨時は外に出ない。従って最近見かけることはない」
「雨に弱ければ、晴れに強いのでは」
「特に強いわけじゃないようです。晴れている日、特別凄くなるわけじゃないようです」
「田中さんはどうでした」
「あの人は月が駄目です」
「月」
「特に満月。これを見ると駄目になります」
「満月なんて、よく見かけますよ」
「欠けてる月ならいいのです。三日月とか。しかし満月がきついようです」
「完全な満月の夜ですか」
「いや、その前後でしょ。丸くなるとまずいようです」
「たいへんですねえ。ところであなたは」
「人を見ると駄目なんです」
「今、私が目の前にいますが」
「もう少し近付くと駄目なんです」
「今は」
「安全な距離ですが、あと十センチ」
「十センチって、微妙ですよ。少し前に屈めば」
「私もそうです。少し前のめりになれば」
「じゃ、一緒にやってみますか」
「試しますか」
「じゃ、同時に」
「はい」
 
   了







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2020年07月19日

3816話 そうだね


 吉田は忙しい日々を送っているのだが、何が忙しいのか、よく分からない。個々の忙しさは確かに分かる。だが、急いでやるようなことではない。だが、他の用事があるので、遅いと遅れを取る。その他の用事も急ぐものではない。だから、ずれ込んでも別段問題はないのだが、それでは寝るのが遅くなる。
 朝は早く起きないと、スタートが遅れる。だから遅くまで起きていても、朝は決まった時間に起きる。目覚めは悪いが、その日一日のことを考えると、遅れを取ってはならない。
 それだけ忙しく日々を過ごしているのだが、人に言えるような成果はない。便所掃除をしてタイルがピカピカになり、暗かったトイレが明るくなったとかだ。余程掃除をしていなかったのだろう。こういうことを果たして人に言えるだろうか。また言う機会などないはず。吉田が進んで話さなければ。
 だが、そんな話をする相手がそもそもいない。
 成果は普通の状態になっただけで、一歩進めた何かではない。しかし、吉田の中では成果はある。達成感がある。してやったりという満足感がある。これが引力になっている。
 それで、開かずの間のようになっている部屋を掃除したり、長く開けていない押し入れも掃除した。この場合、整理よりも、押し入れの床、板が張ってあるのだが、雑巾がけをしたい。多くのものが積まれたり、押し込まれているので、床など見えない。板が見えない。これを見えるようにして、スーと雑巾を動かしたい。整理よりも、それがしたいのだろう。雑巾を手にしたスケート。
 これも人に言うべきことではない。掃除一般でいい。細かいことまで誰も聞かないだろう。当然、そんなことを訊く知り合いもいないが。
 その他、雑雑とした細かい用事、また、長時間かかる用事が色々とある。だから、それらを順番にやっていると、一日があっという間に過ぎる。一円の儲けにもならないが、大きく損をすることもない。
 間違って機械ものを壊してしまうと損をするが、そんな機会弄りの趣味は吉田にはない。
 たまに少ない知人の一人から呼び出しがかかることがある。メンバーが一人足りないから来てくれと。誰でもいいのだ。
 当然そういう付き合いはしない。しかし、何度断ってもしつこく誘う知り合いもいる。吉田の態度を見れば分かりそうなものなので、鈍いのだろう。
 その鈍い知り合いの花田が予告なしにやってきた。礼儀知らずなわけではなく、鈍いのだ。よくいえば頓着しない人柄。
 吉田にとって残っている数少ない知り合い。友人でもなければ親友でもない。友達でもない。ただの知り合い。
「相変わらず忙しそうで結構じゃないか」
「ああ」
「何度も誘ってるんだけどね。いつも忙しい忙しいっていうから、見に来たんだ」
 わざわざ証拠のようなものを探しに見に来るようなことはなかろう。
「暇でねえ、吉田君が羨ましいよ。いつも忙しそうだし」
「貧乏暇なし」
「僕も貧乏だけで暇は一杯あるよ」
「何かやることを作ったら」
「そうだね」
 本当にやることがあるような人間なら、吉田のところなどには来ないだろう。来ても何のメリットもない」
「何か飲むか」
「いや、喉は渇いていない。お茶とかは合わないので、飲まないんだ。ビールならいいけど」
「冷蔵庫にない」
「だから、いいよ、いいよ」
 花田はそういいながら冷蔵庫を勝手に開けた。その瞬間、どっと何かが落ちてきた」
「そこはまだなんだ」
「え、何が」
「冷蔵庫の掃除はあとなんだ」
「あ、そう」
「何か飲むんなら、出すよ。トマトジュースの小さな缶があったはずだ。あとはウーロン茶ばかり」
「じゃ、トマトジュースにする。お茶より滋養がありそうだし」
「じゃ、出して飲んで」
「どこから」
「だから、冷蔵庫の中から」
「ジャングルだよ」
「それは大根の葉だ」
「あ、そう」
「その奥へ手を突っ込み、右側にあるパイナップルの大きな缶詰の後ろ側にある。見えないから、手で探る必要がある。できるか」
「ああ、やってみる」
 花田は小さなトマトジュースの缶を掴めたようだ。
「こういうの掴み取るゲームみたい」
「そうだね」
 花田はトマトジュースをパカッと開け、グット飲んだ。
 そして、しばらく黙っている。
「どうした。缶詰だから、腐っていないはずだけど」
「いや、トマトジュースなんて、滅多に飲まないから、こんな味だったかなあと思っただけ」
「トマトは食べるでしょ」
「食べる。しかし、この缶詰の味と違う」
「ジュースだから、そうなるんでしょ。添加物も入ってるし」
「そうだね」
 花田は、トマトジュースで、何やら勝手にショックを受けたようで、すぐに帰ってしまった。
 吉田は余計なことで時間を食われたので、用事の続きをした。
 
   了





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2020年07月18日

3815話 内田の彷徨


 内田はたまに町をうろつく。彷徨だ。まだ若いのでハイカイではない。しかし、それに近い徘徊をする。意味もなく、目的もなく、歩いている。しかし、目的があったはずなのだが、途中で迷ってしまい、場所が分からなくなるだけで、意味もなく歩いているわけではない。徘徊には目的がある。
 何をかを探しているのだ。ところが内田の場合、意味がない。目的もない。だから単に彷徨っている。ただ、歩くのが目的で、ひたすら歩いている、といえなくはないが、内田はそれほど歩くのが好きではない。だから歩くのが趣味とはなっていない。
 しかし、たまに街中をうろつく。それが狙いがあり、探しているものを見付けるとか、獲物を物色するとかなら、まだいいが、内田にはそれがない。もっと純系なのだ。
 街を彷徨する。
 これは純である。目的があると、けがれるわけではないが、リアルになる。何かのためとかが加わるためだろう。
 内田が彷徨に出るのは、亜空間を漂うため。この空間はリアルなものだが、リアルなことを考えないで、その含みのない世界。
 街ゆく人は大概は目的を持っている。非常に現世的なことで動いている。それであたりまえであり、普通だ。むしろ意味もなくうろつく方がおかしい。
 その彷徨時は、現世と少し切り放されるのか、それが快い。決して大喜びや、快楽を得られるわけではないが、糸の切れたタコ。鎖の外れた犬。
 だが、その世界は現実の世界なので、決して異次元や亜空間ではない。内田は内田のままで、少し現実的なものと出合うと、亜空間も崩れ、現実空間に戻ってしまう。
 歩いているときは目の前のものを見る。当然周囲もだが、あまりキョロキョロはしない。
 ものを虚心に見る。これは実際には不可能だが、それに近い見方をする。できるだけ意味を重ねない。
 この歩いているだけの内田は、二足歩行のロボットに近い。
 そうして現実の中にいるのだが、しばし亜空間を楽しむ。それはすぐに溶けるような世界なのは、現実の上に少しだけ被さったレイヤーのようなもののためだろう。
「内田か」
 ぞっとするような生々しい現世の声が結界を破った。
「内田か、こんなところで何をしている」
 たまにこういうものと遭遇する。これで終わりだ。
 
   了




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2020年07月17日

3814話 楽しい話


 少しだけ楽しみにしていたものを果たした立花は、少しだけ妙な気持ちになった。これはもっと先送りしておいた方がよかったのではないかと。
 少しだけ期待していたのだが、その少し分は満たされたが、どこかもっと凄いところまで期待していたのだろう。その轍があるので、あまり期待をしないようにしていた。それこそ少しだけの期待。だが、心の奥底では別だったのかもしれない。
 先送りとは、蓋を開けないこと。玉手箱の蓋と同じで、開けるまでがお楽しみ。そのお楽しみ期間が短すぎると、待つ楽しさがなくなる。しかし、賞味期限があるわけではないが、あまり放置していると、もう興味をなくしてしまうときもある。万感を満たして……というタイミングが難しい。早すぎても駄目だし、遅すぎても駄目。
 どちらにしても蓋を開けると、それで終わる。
 立花はそれを終えたあと、すぐに白羽を別の方向へ向けた。つまり次の楽しみだろう。それはいくらか候補がある。ただし、楽しめるかどうかの保証はないが、それらしい雰囲気はある。その標的がいくつかあり、次はどれを狙うかだ。
 楽しみが終われば、次の楽しみへと向かう。祭りの最中でも、次の祭りのことをもう考え出すようなもの。
 そして、次のターゲットだが、それには方向性がある。目的を果たしたとき、ある程度その方角が修正されたりする。蓋を開けたあと、狙っていたのは、これに間違いはないのだが、少し違う。その違和感が、次の方針になる。
「次の目的ねえ」
「いや、大したことないよ。ただの楽しみ、娯楽だから」
「いや、それが実は大事なんだ。むしろサブじゃなくメインかもしれないしね」
「ほう」
「仕事に生きがいを感じなければ、そちらへ行くよ。そこには自在さがあるし、自分がメインだ。その上の人はいないし、誰も命じない。自主的なんだ。だから、こちらの方がメインだったりする。自分らしく生きているかどうかのね」
「そうかもしれないなあ。仕事をしていても、次の楽しみのことばかり考えている」
「たとえば旅行好きの人なら、そればかり考えているだろ。仕事は旅行へ行くための資金を稼ぐため、とかね」
「そういうこともあるけど、心理的なこともあるんだ。思っていたものと違っていたり、期待していたものではなかったりとかね。そのあたりのことをいろいろ考えていると、感慨深いものがあって」
「ほう」
「望んでいたものが違うのではないかとか」
「でも楽しいことなんだろ」
「うーんそこが微妙。期待が大きいと、楽しくない。逆に期待していないものが良かったりする。期待していないのに望んでいたど真ん中に来ていたりするとショックだよ」
「じゃ、期待の問題かい」
「だから、期待しないようにしているんだけど、楽しみに取って置いたものほど期待していることになる。これがいけない」
「じゃ、いきなりがいいんだね」
「期待していいかどうかの判断が付かないうちにね」
「まあ、一度良い目に遭うと、期待するよ。それこそ柳の下のドジョウ」
「でも同じドジョウだと、少し物足りない。その上をいかないと」
「まあ、何でもそうだよ。しかし、楽しいことは別かもしれないねえ。贅沢になる」
「その問題もあるけど、方向性というのが何となく見えてくる。こちらの方が楽しかったりする」
「いずれにしても楽しい話なんだから、いいじゃないか」
「そうだね」
 
   了




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2020年07月16日

3813話 形見の品


 後藤田町は今は芝垣三丁目になった。そのため後藤田町というのはもうない。以前は田んぼだったところだが、それは江戸時代。だから最近できたような田んぼが住宅地になった景観とは少し違う。
 後藤という人の田んぼがあったところで、かなり大きな地所だ。そんなものは一人で耕せないので、当然小作人を多く抱えていた。小さな村だが半分ほどは後藤さんの土地。
 芝垣三丁目になったが、この芝垣というのは古い地名ではなく、鉄道の駅ができた場所が芝垣だったので、その辺り一帯を芝垣とした。小さな荘園があったのだろう。芝垣という名で残っているが、土地の人には馴染みのない地名だ。
 一番この辺りで根付いていたのが藤原家と関係する後藤田だが、その名は芝垣三丁目の児童公園と、バス停にその名が残っているだけ。
 後藤さんはその後、没落し、その末裔が今も住んでいるのだが、誰ももう後藤家とは関係しないので興味さえない。
 縄文時代に住んでいた人達と、繋がりがあるようなもの。あったとしても遠すぎて、もう分からない。
 縄文時代に借りたものを、いま返せと言っても、返せないだろう。それ以前にそんなことを今頃請求する人もいない。
 後藤家はそれで、忘れられた家となったのだが、ゆかりの人がまだいる。後藤家の妾の子の系譜で、いい時代の当主の子。
 そのお妾さんの実家の名を、その子は引き継いでいる。名は青沼。何処かで聞いたことのある名字だ。
 妾の末裔が、芝垣三丁目となった旧後藤田の町へやってきた。
 遺産相続に関してだ。
 没落したとはいえ、後藤の分家の分家のような家が後藤本家の位牌などを持っている。
 後藤家の墓も残っており、日露戦争で戦死したこの村出身の陸軍大尉のものに次ぐ大きさだ。しかも古いのが何墓もある。もっと古い先祖代々だろう。
 それらの墓所は寺が引き受けている。後藤家に恩のある寺のため。この寺も後藤家が建てたようなもの。だから義理があるので、墓の管理はしている。
「長く気にしていたのですがね。後藤家には遺産があるのです。私がそれを相続したことになっていますが、正式なものではありません。申告する必要もないような形見類なので」
「はい」青沼は青い顔で頷いた。
「息子に譲ってもいいのですが、いらないという。それで、縁のある人を探した結果、青沼さん、あなたを見付け出したのです」
「はい」
「受け取っていただけますか」
「僕で良ければ」
「あなたしか、もういません」
「しかし、遠すぎるでしょ、血が」
「私だってそうですよ。血なんて繋がっているのかどうか分からないほど薄い分家の分家」
「あ、はい」
「むしろあなたの方が血が濃い」
「そうなんですか、僕も後藤という人と繋がっていると聞いたのは最近です」
「いや、あなたのご先祖は、後藤家から追い出されたと聞きます。生まれて間もない子と一緒に。だから、後藤家に恨みがあるはず」
「そんな、昔のことなど実感はありません」
「そのお詫びです。後藤家を代表して、お受け取り下さい」
 後藤家の末裔は、布に巻かれたものを青沼に手渡した。小さなもので、手の平に乗る程度。
 青沼はそれを受け取り、持ち帰った。
 この形見、今も青沼は持っている。ただし、箪笥の引き出しに入れたまま。
 戻る車内で、開けてみたのだが、つまらないものだったようだ。
 
   了

 



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2020年07月15日

3812話 手強い人


「何もない日が綿々と続いているといいのですがね、たまに用事が入ります。これは目立ちます。スケジュールとして成立しますからね」
「成立?」
「そうです。忘れますから、メモしておかないと。普段のことなら記憶していますから、忘れませんがね。その日だけにある用事とかは、いやですねえ」
「普段と違うことをするのがいやなのですね」
「ああ、良いことでも悪いことでもそうです。どちらもプレッシャーがかかります。これがいやなんです」
「つまり、プレッシャーがいやなのですね。用事ではなく」
「そんなところです。毎日同じようなことをしていると、たまに違うことがしたくなりますがね。それは特別な日になってしまい、そういう日が面倒なのです。善いこと、楽しいことでもね」
「はあ」
「しかし、良いことがあったとか、良い事になるぞ、とかならいいんです」
「それは何ですか」
「動かなくてもいいからです。そういうことを知ったり、聞いたりするだけで」
「つまり、動くのが面倒だと」
「毎日よく動いていますよ。運動や出掛けるのがいやなのではありません。昨日と違う動きをするのが面倒なのです。たまにはいいといいますが、特別な日になります」
「あまり活動的ではないわけですね」
「活動は大いにやってますよ。しかし、それは昨日の続き。いつもやっている動きだからいいのです」
「はあ」
「まあ、個人の心境なので、人それぞれ。また、月に一度とか週に一度ある用事もいやですねえ。毎週だと、すぐに来ますよ。まあ、毎週やっていることならいいのですが、それでも、昨日とは少しだけ違うことをしないといけない。月に一度の方がさらに面倒でして。毎週よりきついです。それが大した用事じゃなくてもね」
「でも、日々変化するでしょ。同じことでも」
「がらりとは変わりませんから、それはいいのです。そして日々の流れの中だと、それはスムーズですから。自転車に乗っていて前方の石を少しだけハンドルを切って避ける程度の変化ですからね」
「それがお答えですか」
「そうです。長い断りの理由になりましたが、あなたのお話、残念ながら呑めません。その理由は先ほどからずっと話していた通りです」
「しかし、私があなたと話すのは、普段にはないことでしょ」
「だから、面倒なので、会いたくなかったのですよ」
「変化は望まないと」
「変化は大いに結構。しかし、それには自然な流れがないと、説得力がありません。いきなりいい話があるから参加しないかと言われましてもね。その気にはなりませんよ。一からその気を起こす必要がありますので、それが面倒」
「いい話なのですがねえ」
「そんなにいい話なら、人に言わないでしょ」
「はいはい」
 
   了



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2020年07月14日

3811話 イメージ


 人はイメージに弱い。具体的なものよりも、このイメージが優先することがある。そして、高い代償を払わないと、そのイメージは得られないことになる。ただ、頭の中にある虚像のようなものは、その中で完結してしまえば安上がりだ。
 イメージがイメージとしてあるのではなく、具体的なものが必要。そうでないと現実的に存在しない。この現実とは、自分だけが見えているのではなく、他の人でも見えているもの。石でもいい。石もイメージだが、そういう面倒な話ではない。
 イメージには高い値が付く。具体性は同じものであっても、イメージの差が出る。
 誰でも知っている名画と、それに近いものを画いた無名の画家とでは違うだろう。具体的にはほとんど変わらない。むしろ、できがいいかもしれない。しかし、有名画家の名がイメージとなり、また、それに纏わる話や、その取り扱われ方などもイメージとなる。絵を見ているのだが、実際にはイメージを見ているようなもの。
 まあ、絵そのものも現実から見ればイメージなのだが、それを具体的にしたのが絵。具体的とは、先ほどもいったように同じものを複数の人も見られることで、これは存在するという意味で現実だ。絵の世界は存在しないが、似たような現実の風景はあるだろう。富士山は絵の中だけにあるのではなく、現実にもある。
 そういったアートの世界だけではなく、生き方そのものも実はイメージに引っ張られたり、あるイメージに沿ったりしている。イメージの範囲は広い。自分自身が誰かの作ったイメージかもしれないし。自分で勝手に作ったイメージかもしれない。
「イメージに辿り着きました」
「ほう」
「これだったんです」
「もっと具体的に」
「具体的にはより満たされているのですが、それに劣るものの方がよかったりするのです。これは何だろうかと思いまして、考えていました」
「余計なことを」
「はい」
「イメージというのはそのものではない」
「そうなんです」
「大きく同意しなくても、誰でも知っていることだ」
「はい」
「具体的なそのものよりもイメージだけのものの方がよかったりする」
「そうなんです。具体性はやや欠けてますが、具体的過ぎると駄目なんです。もう現実ですから」
「現実にならない現実がいい」
「それはどうしてでしょうか」
「生だからだ」
「そうですねえ、あまり生々しくありません」
「現実化されていないが想像はできる。これだな」
「そうなんです」
「まあ、よくある現象だ。今更取り上げるまでもないだろう」
「はい」
「事足りるより、事足りないときの方がよかったりすることもある」
「満ち足りたときのことを想像しているときの方がよかったりしますからね。実際に満ち足りると、もう終わってしまいます」
「まあ、イメージの問題は難しい。それこそいくらでもイメージが湧き、その数だけのイメージ論ができる。それらも全てイメージなのでたちが悪い。そしてイメージだけでは駄目で、具体的なものがあってこそのイメージ。イメージはあとから来る」
「はい、学習しました」
「ほとんど役に立たんがな」
「そうなんですね」
「そこで同意されると淋しい」
「あ、はい」
 
   了



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2020年07月13日

3810話 際々


 趣味趣向というが、その道を究めた人がいる。しかし、道を究めると、行き止まりだ。そのため、趣味としては良くない。先がないため。
 これを打開するため、まだ先がある道を選ぶ。だが、道には果てがある。
 果てがあると趣味としては今一つ興味が薄れる。
 普通に進めば、普通にそういう結果になる。ただ趣向や目指すところを少し変えれば、何とかなるかもしれない。
 その道を究めた人達は何処へ行くのだろう。別の道に行くのだろうか。まだ行ったことのない道とか。
 そのため、よく知られている道ではなく、あまり人が通らないような道を選ぶ人もいる。目指すものはあるのだが、それが微妙で、本来ならそれは物足りなく感じ、先へと進む。あくまでも通過点。
 だが、先があるのだが、それは本道で、これは極めれば終わる。なかなか極められない人なら、一生かかっても足りないほどだが、これは飽きてくる。
 要するに通過点なのだが、そこから別の道を付けていく。こちらの方が興味深い。物足りなさを何とか補うように、色々と工夫する。本来なら先へ進んだ方が簡単なのだが、それはしない。
 世の中には妙なことをやっている人がいる。あまりにも奇妙すぎて、人に言えなかったりする。こだわっている箇所が少し違うのだろう。全体から見れば、それは通過点で、まだ過程で、本格的なものではない。
 つまり、本格派ではない人達が世の中にはいる。数は少ないが、温度は高い。
「本格的にやればおしまいだよ」
「本格的にやりたいです」
「普通はそうなる。しかし、普通のことを普通にやっているだけ。本格的とはそういうことなんだ」
「はあ」
「誰もが本格の罠にはまる。まあ、それが自然だからね。一番リアルだ。しかし、このリアルがいけない。リアルとはあたりまえのことなんだ。そのまんまなんだ。だから行くところまで行けば、あたりまえのものを見るだけのこと。珍しくも何ともない」
「そういう発想が分かりません。捻りすぎなのでは」
「あたりまえのリアルなのが悪いと言っているんじゃないんだ。それに果てがあるから飽きるんだ」
「問題は、飽きですか」
「そうだね。趣味というのは飽きると成立しなくなる。まあ、趣味程度のことなら、困らないがね。楽しみが減る程度。しかし、それほど必要じゃないので、何とかなる」
「何か際どそうな話ですね」
「それなんだ」
「え」
「際どいだけでいいんだ」
「際どいって、その横とか、その境界あたりとか、近くとか、そういうところですね」
「リアルで本格的なものに近いが、そのキワにいるだけで、一線はまだ越えていない。越えてしまうと成立しなくなる。普通になるからね。ごくありふれた本格的でリアルなものにね、だからその際、境目にいるので境地という。」
「はあ」
「そして、そのキワキワなものの方が、趣味性が高いんだ。しかし、際どすぎてもいけない。近付きすぎると、リアルなもの、本格的な普通のものに負ける」
「それって、やはり何かの境地ですね」
「知る人は知る」
「知りませんでした」
 
   了

 

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2020年07月12日

3809話 金太郎飴


「金太郎飴」
「そうです。この路地の奥にあると聞いたのですが」
「金太郎飴。確かにそんな駄菓子がありましたなあ。長飴でしょ。細い笛のような。食べるときに切るのじゃが、その断面に金太郎の顔が画かれていて、切っても切っても顔が出てくる。斜めに切ると歪んだ顔になって可笑しかったです。ありましたなあ、そういうの」
「それです。それを売っている店があると聞いて」
「あなた、いま何時代ですか。今どき金太郎飴を売っているような店などないでしょ。それがモーダンな駄菓子屋なら別ですが、この町内で、子供相手にやっている店に、もうそんなものはありませんよ。確かにこの奥に駄菓子屋はありましたがね。どこの町内にもあったので、ここにあっても当然。しかし、とっくの昔に潰れましたよ」
「はあ」
「それに金太郎飴を今も誰かが作っているとしても、それを売る店は、この町内にはありません」
「やはり噂だけの話だったのですね」
「常識的に考えなさい。それに常識があるのなら、こんな古びた何もない町内まで来て金太郎飴など買う発想は出ないと思いますよ。その考えがおかしい。考えるだけならいいですが、足を伸ばして、ここまで来た。あなた、おかしいじゃないですか」
「金太郎飴は夢の中で何度か出てくるのです」
「あなた、食べたことは、いや、なめたことは」
「ありません。千歳飴ならありますが」
「じゃ、どうして金太郎飴なんです」
「分かりません。何処かで何かで見たのだと思います」
「でも、どうして、この町内にあると」
「聞いたからです」
「何処で、そして誰から」
「それがはっきりとしないのです。何処で誰から聞いたのかが曖昧で」
「あなた、そんな頼りない情報とも言えないような情報だけで、ここまで来られたのですか」
「はい」
「その決断はどうしてできたのですか。私なんて出不精で、用事があっても滅多に出ない」
「決断などしていません。自然と足が向いたのです」
「あなた、お住まいは」
「新崎町です」
「聞いたことがない」
「神明町の隣です」
「神明町は知ってますが、遠いですよ」
「はい」
「まあ、この奥にはもう駄菓子屋もないし、金太郎飴も売ってません。残念ですがね」
 そこへ、もう一人、似たような男が現れた。
「この路地の奥に金太郎薬局があると聞いたのですが」
 金太郎青年は仲間を得た。
「金太郎薬局ですかな。残念ながら、この路地の奥には薬局はありません。表通りにならありますが、金太郎薬局ではありません」
「金太郎薬局で金太郎飴を売っていると聞いたのですが」
 金太郎飴青年は我が意を得た。話の分かるもう一人の青年が現れたためだ。
「このような時代に、そのようなものが、あろうはずはなかろう」
「でも、噂で」
「このような場所に、あろうはずがない」
 金太郎飴青年は、ポケットからオペラグラスを取り出し、路地の奥を覗いた。
「それは何倍」
「十倍」
「じゃ、肉眼と変わらないでしょ」
「目が悪いので」
「あ、そう」
「見えます」
「何が」
「金太郎飴が」
「どれどれ」
 金太郎薬局青年も覗きこんだ。
「ピントが合わない」
「その真ん中のゴマを回せば」
「よし」
「どう」
「看板が見える」
 肉眼で見ても、そういうものが見えるが、文字までは分からなかった。
「金太郎薬局と読める。看板文字の横に金太郎やおかめの顔が画かれている。間違いない」
「駄菓子屋ではなく、薬局だったのですね」
「のど飴だと聞いた」
「咳声喉に」
「浅田飴」
 二人は、路地の奥へと突っ込んだ。
 先ほど長話をしていた永六輔のような老人は、それを見ている。
「止め切れなんだようじゃ。また犠牲者が出る」
 老人は家に戻り、灯明を灯し、線香を焚いた。
 
   了



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