2020年08月31日

3859話 目撃者


 石田村の小円さんが人影を見たと聞き、一円は石田村に向かった。一円とは探偵で金田一円。その探偵一円が小円を訪ねる。何かありそうだが、偶然、名が似ているだけ。
 目撃者がいたのだ。現場にもう一人いたことになる。それが小円。彼から様子を聞けば、手掛かりが得られるかもしれない。
 石田村は事件のあった竹沢村のお隣。しかし小山を越えた山村。バスはあるが便が少なく一円は車を持っていないので、徒歩で行った。竹沢村の駐在の自転車を借りようとしたが、坂がきついので無理らしい。駐在はカブを欲しがっていた。バイクだ。今回の事件で手柄を立てれば、カブを配備してくれるかもしれない。それで張り切っていたのだが出番がない。それに一円という探偵が来ているので、彼が解決するだろう。
 石田村に到着した一円はすぐに小円を訪ねた。家はすぐに分かった。
 ところが小円というのはおばさんだった。事件があった時刻は深夜。隣村のおばさんが何故そこにいたのだろう。
「漬物石」
「はい」
「漬物石を貰いに竹沢村へ行ったのですか。それに夜中に」
「寝付けないものでな」
「それより、何故漬物石なのです。そんな石ぐらい、そこら中にあるでしょ」
「いや、竹沢村の喜代さんが使っている漬物石が丁度いい大きさ形で、それよりも、漬物の名人喜代さん愛用の石なのでな。それを貰いに行ったのです」
「じゃ、喜代さんは漬物石がなければ困るでしょ」
「いや、喜代さんは新しい漬物石を見付けて、そちらを今使っておる。だから古いのは譲ってもいいと」
「しかし、重いでしょ。そんな重い石を持って夜中に石田村まで戻るわけですか」
「何の何の。重いほど有り難い」
「その石は使っていますか」
「見ますかな」
「はい」
 炊事場の角に漬物樽があり、その上に乗っている。浮き蓋はかなり沈んでいる。
「置き方がありましてのう。角度がある。正しい座り方があるようにな。それを喜代さんから教えてもらいました。この漬物石は姿勢がいい。しっかりと正座している。その姿がいい」
「はい。ところで、その夜、人影を見たと聞いたのですが」
「喜代さんからですかな」
「いや、現場近くの人が便所の窓から見たらしいのです。それがあなたそっくりだったと」
「現場近くの家、誰じゃろう」
「福田さんです」
「ああ、福田さんなあ」
「何か見られませんでしたか、その夜」
「夜中に喜代さんの家に行っただけで」
「現場の前を通られたのでしょ」
「あ、誰かいましたなあ」
「それを聞きに、来たのです」
「牛島の爺さんが歩いていました」
「夜中にですか」
「あの爺さん、夜に散歩するらしいのです」
「怪しい人影は、その牛島さんだけですか」
「牛島さんは怪しくありませんよ。大人しい爺さんです」
「有り難うございました」
 一円は事件のあった竹沢村へ戻り、すぐに牛島の爺さんを探した。
 爺さんは在宅中だが、寝ていた。昼間は寝ているようだ。
 婆さんに無理に起こしてもらい、当夜のことを聞いた。
「石田村の小円さんを見かけましたよ。何か重そうなものを持って歩いていました」
 それは首ではなく、漬物石だと言うことは分かっている。
「その夜、怪しい人を見かけませんでしたか」
「いや、見なんだが、幽霊を見た」
「それ、もの凄く怪しいですよ」
「死んだはずの村上さんが歩いていました」
「人違いでは」
「いやいや挨拶をしましたよ。お元気ですかと」
「すると」
「元気だといってました」
「亡くなられている方でしょ」
「そうです。元気な人でしたから。わしとは子供の頃からの遊び友達でな」
「よく見られますか」
「村上さんですか」
「そうです」
「だから、久しぶりです。二年前に見かけたきりです」
「まだ、生きておられた頃ですか」
「いや、もう亡くなってから何年も経ちますよ」
「その村上さんが、現場近くを歩いていたのですね」
「でも幽霊ですからのう」
「そうですねえ。幽霊じゃ仕方がない」
「そうでしょ」
「他に怪しいもの、妙なものを見ませんでしたか」
「久保田の狸が走ってました」
「なんですか、それは」
「久保田という裏山の畑に出る貍です。そいつが走ってました」
「はい、分かりました」
 一円はそれらの情報を元に、事件を解決しようとしたが、糸の筋が見えない。操作の仕方が悪かったのだろう。
 その翌日、犯人は駐在所へ自首してきた。
 一円が外堀から埋めていく間に、犯人は怯え、自首したのだ。
 しかし、一円が犯人を見付けたわけではないので、一円にもならなかった。
 
   了
 




posted by 川崎ゆきお at 12:35| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月30日

3858話 隠し部屋


 昨日と同じような一日が始まったのだが、少し違う。それは当たり前のことで、そっくりそのままコピーするようなことはできない。
 目覚め方も違うだろうし、天気も違う。体調も違う。同じ作業でも捗ることもあるし、そうでないときもあるし、また勢いがあるとき、無いときもある。この先が楽しみだと思える日もあれば、もう先がないと思う日もある。いずれも変化している。そのため、そのときの気持ちがずっと続くわけではない。
 外側も内側も変化している。ただ、それがあまり派手でなければ、同じような日々ということになる。
 島村の日常もそんなもので、世間から見れば同じようなことを日々繰り返しているように思われているが、実はその内面は波瀾万丈だったりする。
 しかし、見た目ではそれは分からない。やはり変化が少ないのだろう。確かに変化はしているが、変化と言えるほどのものではなかったりする。
 だが、変化の波が穏やかなほど、一寸した波が大波に見える。だから島村が思っている波瀾万丈はそのことだろう。その程度の。
 古い借家に住んでいるのだが、部屋が一つ増えている。いつ増えたのかは分からない。そういえばあったような気がするし、なかったような気もする。その部屋は廊下の突き当たりの右側にある。左側は納戸がある。右側は壁だったはずだが、戸のようなものが浮かび上がっている。
 その壁の向こう側は奥の部屋の押し入れだろう。両方から押し入れに入れるようになっているとは思えない。押し入れは二段で、蒲団などを押し込んでいる。
 島村が廊下の突き当たりまで行くのは滅多にない。左側の納戸、これは物置だが、その戸を開ける機会が少ない。だから、その廊下を歩くことも希。そんな戸が右側にできているのに気付かなかったのも無理はない。納戸は一つで、それは左側だけ。右側には何もなかった。
 変化といえば、これも変化だが、ただの変化ではないかもしれない。あり得ない変化の可能性もあるが、島村は、そこまで考えていない。そういうのがあったのか程度。物置や押し入れで不自由していないこともある。必要性を感じないためだろう。
 その戸、開けると地下への階段か、上への階段があるかもしれないし、また本物の隠し部屋があるのかもしれない。
 いずれも島村にとって興味のないことなので、そのまま放置している。
 気が向けば、または、日々の変化が乏しく、退屈なときに、その戸を開けてみようと思った。
 もしそんな戸ができているのなら、日常が吹っ飛ぶだろう。
 
   了
  



posted by 川崎ゆきお at 13:09| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月29日

3857話 下等遊民


 夏が終わり、涼しくなり出すと冷静になる。上田はそれでは困る。冷静な判断をしてしまうため。
 誰でもその程度の判断はできる。単純なことで、よかれ悪しかれ程度は子供にも分かる。
 おそらく上田が今やっていることは悪しきことだろう。しかし、一概にそうとは言えない。そこが微妙なのだ。
 さて、その判断、判定が出る。毎年、夏の終わり秋の初めにこのイベントがある。関所だ。大概は反省しないといけなくなるのだが、それは毎年。
 上田は夏の間、遊んでいた。悪い遊びではないが、遊ぶことが実は悪い。世の中には遊びは必要だが、程度がある。
 さて、涼しくなっての覚醒。これが怖い。既に怖いのが近付いている。
 夏場、夢中になっていたことも、秋頃になると、流石に飽きてくる。長い夏休みに飽きるようなものだが、ネタがなくなるのだろう。そのネタ切れと頭がクールになる時期とが重なる。これは判定としては不利。
 おそらく今までやっていたことが否定されるだろう。しかし、それに代わるものがない。ここが問題なのだ。
 間が持たなくなる。
 だから、下手に覚醒すると、藪蛇になる。建設的で前向きなことを考えるほど、危険な目に遭う。蛇を出してしまう。
 このまま曖昧な状態でいる方が安全だったりする。
 しかし、判断するのは上田自身。
「毎年秋の初めになると出てくるねえ、上田君」
「キリギリスのようなものです」
「それで今年も相談かね」
「そうです。どうすればいいのでしょう」
「そこがねえ上田君、私には意味が分からんのだよ。何をどうしたいのか、その意味がね」
「ですから、寝た子を起こすようなもので、そして起きても何ともならないので、寝かせておいた方がいいのではないかと」
「分かっているのなら、相談に来なくていいじゃないか」
「先生はどう思いますか」
「私はもう退職したので、何もしていない。だから隠居の意見になるから、君には当てはまらない」
「このまま酔生夢死でもいいのでしょうか」
「難しい言葉を知っているねえ」
「遊んで暮らしていますので、何か不安で」
「遊民というのがいる。今はどうかな」
「高等遊民とか」
「金があるんだろうねえ」
「じゃ、立派な遊民になればいいのですね」
「遊民が立派かどうかは分からないよ。遊び人の金さんは実際には御奉行の遠山様だった。遊び人じゃなかった。幕府の高官じゃないか。最初から立派な人なんだ」
「実は僕は」
「実は君には凄い本業があったりするのかね」
「ありません」
「遊んで暮らす方が地味な仕事をやるよりも難しい」
「先生は今そういう状態ですか」
「そうだね。これはまあ、自己満足度の問題でね。仕合わせと同じで、自分が仕合わせだと思えば、それが仕合わせ。そう思えるかどうかの問題なんだ」
「深そうですね」
「君はぶらぶらしてから何年になる」
「二年ほどです」
「青い青い。たったの二年」
「そうですか」
「今ならすぐに社会復帰できる」
「それで、迷ってまして」
「まあ、三年遊びなさい。桃栗だ。判断はその先でよろしい」
「じゃ、もう一年遊んでいいのですね。よかった」
「安心したか」
「はい、お墨付きを頂きました。安心して明日から生きられます。元気が出てきました」
「ほっとしたかね」
「はい、安心安全の」
「じゃ、もういいね」
「はい、お邪魔しました」
「うむ」
 
   了

 


posted by 川崎ゆきお at 11:27| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月28日

3856話 オートの人


 今日は怠いので、何もしないで、大人しくしておこうと、吉田は朝に思う。起きたときからそう思わないが、支度をしているときの感じで、それが決まる。といっても吉田は仕事人。かなりの激務。だから何もしないで大人しくしていることなど不可能だが、意外とそれができる。怠いのは身体が怠い。頭も怠い。だから力を加えないこと。体重をかけないこと。頭もオートで、考えないようする。
 忙しく立ち回っている人ほど、何も考えていなかったりする。いちいち考えているとできないのだろう。立ち止まったり思案すると、それだけ時間を食うし、またさっさとこなせない。これがオートに入っていると非常に軽い。見た目よりも疲れていない。楽というわけではないが、休んでいるようなもの。
 そのオートとは決まり事。段取りのパターンがあり、それを踏んでいるだけ。実際には何も考えていない。
 ただ、そればかりやっていると、創意工夫という面が弱くなる。既にあるものの繰り返しになる。
 ただ、オートでミスした場合、少しは段取りを変えたりする。オートで全てはこなせないのだが、ほとんどのことはオートで行ける。
 吉田が今日は大人しくしておこうと考えるのは、これまでのことをこれまで通り機械的にやるということ。だから静かに何もしないでいるわけではないが、実際には何もしていないのと同じ。頭も身体も勝手に動くのだから。
 しかし、そういう日に限って難しい問題が生じる。オートではこなせないような難題。
「吉田君、出番だ」
「今日は何もしたくないのですが」
「今日も何もしていないじゃないか。高橋さんがお呼びだ。話を聞きに行ってくれ」
「無茶なことをまたいいだしているのでしょ」
「対応できるのは、君しかいない」
「分かりました」
「任せたよ」
「明日行きます」
「急いでおられる」
「今日は怠くて、調子が悪いのです」
「いつもじゃないか」
「そうでしたか」
「顔だけ出せばいい」
「顔だけでいいのですね」
「そうだ。呼び出されたので行く、それで、用は終わり。簡単だろ」
「そういわれれば、気が楽になりました」
「そうだよ。顔だけだよ。顔を見せればいい」
 吉田はすぐに高橋氏を訪ねた。
「どの面下げて来たんだ」
「え」
「よく顔を出せたものだ」
「呼ばれたので」
「何だその顔は」
「顔は顔ですが」
 高橋氏からの厳しいクレームを浴びせられたのだが吉田はその顔で受け止めた。顔面を盾にして。
 高橋氏も蝉のように鳴いていたが、鳴き疲れたのか、発作が治まったようだ。
 吉田は結局は聞き流した。言葉ではなく、ただの音として。
 ここも、吉田はオートで処理したことになる。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 11:49| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月27日

3855話 風船頭


 朝夕涼しくなりだした頃、上原は何となく元気がない。夏の暑い盛りの方が元気。暑さでダレていても、何処か元気が燃えている。暑いので元気に引火するわけではないが、勢いがある。
 それが秋の風が吹き出すと、急にシュンとなる。燃えていた頭や身体が平常に戻り、冷静になるのだが、その冷却作用がいけないようだ。元気まで冷やしてしまう。
 冷やす原因は冷静さ。冷静になることで晴れていた気に水を差す。まあ、それで過ごしやすくなり、ダレないで物事を行いやすくなるのだが、上原は違うようだ。
 冷静になると、自分のやっていることを上から見ることができる。横からでもいい。それは一体どういうことなのかを全体から推し量った目で見ることができる。これがいけない。
 それで、冷静になると、元気でやっていたことに水を差す。頭を冷やせというのがあるが、冷やすと冷静になりすぎて、動けなくなったりする。
 暑いときは内も外も熱気。頭の中も熱気で膨張。これは妄想の風船を膨らませるようなものだが、やり過ぎるとパンと破裂する。その寸前まで膨らます。
 涼しくなってくると、風船の膨らみも小さい。だから弾まない。パンパンに張った風船は一寸指で押しただけで、すっと動くだろう。
 秋風は涼しくていいのだが、風船の膨らみが減る。指で突けば動かないでへこむだけ。その状態に上原はこの時期になる。だから動きが怠い。
「上原君、それはただの夏バテだよ」
「怠いです」
「だから、夏場の疲れが溜まっていて、それが涼しくなるとどっと出るのです。よくあることです」
「しかし、膨らんでいた風船が」
「知りません。そんなもの。どうせ妄想でしょ」
「それで勢いがあったのです」
「まあ、そんな頭の話じゃなく、夏の疲れ、暑さ疲れです」
「膨らませすぎたのでしょうか」
「そうだと思いますよ」
「元気が欲しい」
「いや、涼しくなってきたので、元気になる人もいますよ。暑いときは死んでいましたが、涼しくなると起き上がってくるとかね」
「僕はその逆だったのですね」
「そうだと思いますよ」
 熱気球のように飛んでいきそうな程の上原の風船だったが、その風船頭も秋風と共に萎んだようだ。
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 13:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月26日

3854話 なかったことに


 大きなビルだ。この入れ物一つ全て同じ会社が使っている。自社ビルだが本社のビルは別にある。
 佐伯は恐る恐るロビーに侵入し、受付までそっと寄る。泥棒ではない。用事で来たのだ。
 受付で用事をいうと、ロビーの横にもう一つ部屋があり、喫茶店風。喫茶店ではないが、喫茶店。しかし、誰もいない。
 そこで待つようにいわれたので、適当に座ると、受付にいた別の人が飲み物を聞きに来た。
 しばらくして、何度か見た社員が姿を現した。
 佐伯は白い歯を見せたが、社員の口は閉じたまま。
「なかったことに」
 いきなりの宣言だ。こういうのは説明後に、結果的にそうなった、となるのだが、最初から結論を言われた。この一言で、全てが終わる。
「なかったこと」佐伯はオウム返しに声を出してしまう。
「なかったこと」
「状況が変わりまして」
 かなり大きな仕事で、しかも帯である。数年はこれで食っていける。余るほどで、貯金ができるほど。さらにその先があり、佐伯にとっては景気のよい話、しかも持続性、継続性、将来性もたっぷり。
 それらが全て泡と消えた。
「あるようにできませんか」
「無理です」
「予定があるのですが」
「お急ぎでしたら、僕はこれで」
「いえいえ、予定とは将来の」
「あ、はい」
「それが全て狂います。それにもう友人に焼き肉を奢りました。前祝いに。それと、靴も新しいのを買いました。今まで焼き芋のような靴でしたが」
「焼き芋」
「皮が剥がれたりしていました。色もそっくりで」
「あ、そう」
「何とかなりませんか」
「またの機会に」
「あるのですか」
「また、作ります」
「了解しました。最後に、理由を聞かせて下さい」
「遊べないとか」
「遊ぶ」
「はい。遊んでいる場合ではないと」
「はい」
「また余裕ができたら、遊びましょう」
「あああ、はい」
「では、これで」
 社員は意味もなくスマホを見ながら、立ち去った。
 佐伯は肩を落としながら、そのビルを出た。
 本来なら、このあとオフィス街の地下食堂街でビジネスランチのAを食べる予定だった。高い方で海老フライが一つ増えることと、小さなグラタンが貝のような容器に入っているのが出ること。ビジネスランチAを食べられる身分になれるはずだったが、そうはいかない。
 立ち食いの何も入っていないかけそばを食べようと暖簾を潜ったが、一歩踏み込めばもうカウンター。
 暖簾が揺れると肩に触れる。その柔らかな感触は、何かよしよしと撫でてもらっているようだった。
 
   了

 


posted by 川崎ゆきお at 12:42| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月25日

3853話 人通り


 暑いためか、人出がパタリと止まってしまった。ただでさえ人通りの少ない商店街。しかし、そこが商店街なのかどうかは一見して分かりにくい。普通の道の両側に店屋らしきものがポツリポツリとあるだけ。店と店の間の家も以前は商店だったようだが、建て替えている家も多い。こじんまりとしたワンルームマンションや、駐車場がある。外れたところにあった郵便局が、この通りに移転してきている。以前は狭かったが、こちらは広い。
 数少なくなった商店だが、最後に閉店した店は意志ではない。上手くいかなかったからではなく、病気で入院したようだ。そのまま店は閉まったまま。まだ年寄りというほどでもない。この店は最近できたもので、歓迎された。減る一方のときに増えたので。
 意志ではなく病気、また景気とは関係なかった。常連客もおり、店はそれなりに営業していた。もったいない話だ。
 その横にクリーニング屋があるが、受付だけ。それが店じまいしたのだが、庇の上の看板などはそのまま残っている。樹脂製の大きなものだ。
 そこに店を開いた田中が、先ほどから通りを見ている。店舗内には売るようなものはない。以前は有名メーカーの特約店で、家電を並べていた。そのメーカーのものしか扱っていなかったが、大型家電店やネットに負け、個人の電器屋など住宅地では何ともならなかったのだが、修理がある。そのための部品などを保管する場所として、その店舗を借りたのだが、取り寄せればいいだけのことなので、残り物を置いているだけ。いつ使うのか分からないような品々だ。
 専用の蓋などがあり、この商品を売った覚えがある。そういうのを以前買った人がたまに修理に持ち込むのではなく、呼び出される。
 いずれも自転車でも行ける距離で、家電なので電化製品は当然家の中にある。もう既に取り寄せるにしても部品はなかったりするが、仲間の誰かが持っていたりする。
 また、部品を作るという内職をしている人もいる。
 田中はそんな感じで、修理や取り付けに出掛けたりするのだが、そのついでに買い換えということで、注文を受けることもある。当然まだ特約店なので、売ることができる。これが本業なのだが。
 田中は通りを見ている。猫の子一匹いない。まあ、猫を探すほうが難しかったり、さらにその子猫となると、滅多にいない。だが、犬の子はいる。炎天下でも散歩のおねだりをしたのだろうか。
 そういう猫も犬も人もピタリ止まったのだが、たまにあることだ。車も入ってこない。
 盆明け後の数日間、たまにある。まだ暑いので外に出る人が少ないだけの話で、これは見ている人がいなければ分からない。
 そのとき、電話が鳴った。何か異変を知らせる音のように聞こえた。
 出ると、天井の蛍光灯が切れたので、という用件だった。
 田中は近いので、歩いて行くことにし、表の通りに出た。これで、ピタリと人の姿が消えた通りではなくなった。
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 12:42| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月24日

3852話 大事を見て小事を見ず


「秋風の吹く頃」
「まだ暑いですよ。夏はまだまだ続きますよ」
「いやいや、夜中に、そっと吹いたりしているのです。夏場、鳴いていなかった虫の音も」
「寝ているので、その時間は関係ありません。それにまだまだ熱帯夜が続いていますよ」
「お盆を過ぎると秋が忍び寄ってくるのです」
「確かに昨夜は風がありましたが、涼しい風じゃなかったですよ」
「まだ早い」
「そうでしょ」
「時間が」
「時間」
「夜明け前に吹く」
「寝ています」
「涼しい風が入って来ます」
「そんな時間まで起きているのですか」
「はい、昼間は暑いので、夜にシフトしました」
「ゴミは出せますか」
「出してから寝ます。しかし、早すぎると駄目なんです。夜中に出したと思われる」
「そんな決まりがあるのですか」
「それに早すぎるとカラス除けの網がまだかかっていません。これは当番があって、その人がセットするのです。それが終わってからのゴミ出しで、それまでは出しちゃ駄目なんです」
「でもそれじゃ寝る時間が遅くなるでしょ」
「遅いといっても皆さんが起きる手前の時間です」
「で、ゴミは出せるのですか」
「だから、セットが終わるまで待機します。当番により、セットが遅い人がいる。私の寝る時間が遅くなる。日が高くなるまえに寝るのです。眠れば暑くても大丈夫。分からない。気にならない。またクーラーは付けてますから問題ありません」
「夜中も付けているのですか」
「起きているときは付けていません。付けておれば秋の風など分かりませんからね」
「はい」
「先日、カナヘビが家に入り込みましてね。ヤモリかイモリかと思ったのですが、カナヘビの小さなやつです。蛇ですがトカゲと同じように足がある。しかし名前は蛇なんですね」
「カナヘビは秋ですか」
「さあ、そこまで知りません」
「はい」
「そのカナヘビ、かなり早い。素早い。ヤモリのつもりで見ていると、その敏捷さに驚く。蛇よりも早い。私と遭遇し、さっと逃げました。しかし、家の奥へと逃げたようなんです。それでまた遭遇。カナヘビはまた逃げました。今度はどこへ逃げたのかは分からない。そして奥の部屋へ行くと、また遭遇。私の行くところ行くところへ逃げるのです。これは雀がそうです。道の前方へ前方へ逃げる。横へ逃げればよいものをね」
「そのカナヘビ、どうなりました」
「さあ、そのあとは、何処かへ行ったようです、しかし二日後、また姿を現しました」
「カナヘビと秋の風は関係しますか」
「しません」
「了解しました」
「一見関係のないような些細なこと、一寸したことですね。それらは何かの兆しなんですよ。直接の関係はありません。大事を見て小事を見ずです」
「それが何か」
「小さなものの中にかなりの大事が含まれているかもしれません。だから小事を見て大事を見ているわけです」
「秋の風とカナヘビ、何かその後、役立ちましたか」
「役立ちません」
「はい」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:59| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月23日

3851話 空き城


 大熊城というのは不思議な城で、城主が誰なのかが分からない。行く度に城主が違うようだが、別に城主に用があって行くわけではなく、休憩や買い物や、場合によっては宿泊で使う。
 要するに大熊城は空き城。使わなくなり、放置したまま。そのため、空き家に人が勝手に入り込み、住んでいるようなもの。
 大熊城は内山家の城で、最後に立て篭もれるように建てられた山城。そして兵を詰めておく城。戦略上の城で、内山家の居城ではない。この内山家は隣接する立花家と争っていたのだが、和解し、同盟し、さらに姻戚関係になったので、もう敵ではなくなった。
 大熊城は対立花戦に備えての城なのだが、その役目を果たした。だからもういらない。まだ大熊城を使っているとなると、立花家は不審に思うだろう。ただ、堅牢な城で、かなり人手も手間も資材もかかったので、壊すのは惜しいので、そのままにしていた。
 その内山家と立花家も、滅んでしまった。大きな勢力に飲まれたのだ。その恐れがあったので、同盟したのだが、その効果はなかった。
 大熊城はそのまま放置され、誰の城なのかがもう分からなくなった。大きな勢力がその辺り一帯の小勢力である内山領、立花領、その他を勢力下に入れたのだが、大熊城には興味はなかったようだ。戦略的に意味のない場所にあるためだろう。
 その大熊城に人が棲み着いた。その中には立派な武将もいるが、浪人だ。主家を失ったとか、その類いの武将や山賊もいた。ここに逃げ込めば安全なため。
 内山家が最後に立て籠もる予定だった城だけに、内山家当主が暮らせるような設備があった。山城とはいえそれなりに広い。城門は鉄板が貼られ、石垣は高い。堀はないが、城門前は狭く、そこに立っただけで命を失うだろう。こんな城はどんな武将も力攻めしたくない。
 山城なので、城までは坂。そこに土塁などがあるが、実際には一度も使われていない。そんな溝のようなところで守っていても、すぐに越されるだろう。ただ、内山家と立花家が争っていた頃は見張りがいた。
 盗賊の逃げ場所、巣窟に近いのだが、城内の治安はよかった。浪人とはいえ、元を正せば筋目のいい立派な武将だった人が何人かいるためだろう。僧侶もいる。
 街道筋からは少し離れているが、立ち寄る行商人も多く、また旅人もいる。城内に市が立つので、近在の人が買い物にも来ていた。
 千近くの兵を入れることができたが、さらに建物を増やし、宿屋や遊郭まであった。
 複数の山賊や盗賊紛いの集団が常に出入りしている。
 大熊城の山の下に村がある。その村との関係はいい。そうでないと野菜や米に困る。いずれも買い上げている。ただ、それだけでは足りないので、売りに来る商人もいる。
 大熊村というのも不思議な村で、何処にも所属していない。内山領内にあったのだが、内山家に年貢など払っていない。大熊村は大熊一族の村で、これは名家。内山家に年貢など払う義務はない。だが、大熊一族はただの百姓だ。
 その一帯を占領した大きな勢力も大熊村はそのままにしている。
 その大きな勢力だが、さらに大きな勢力と戦っている。それで兵が足りなくなった。
 大熊城に要請が来る。兵を借りたいと。
 しかし、大熊城の兵といっても、山賊に近いのだ。それに常時いるわけではない。
 それに雇兵として出ても、実入りは少ない。それで、断った。
 やがて、天下を統一する武将が現れ、この一帯を支配した。
 流石に江戸時代に入ると、大熊城も取り壊された。これは幕府の方針だ。
 大熊城は消えたが、大熊村は残っている。この一帯は幕府の直轄地となったのだが、大熊村は相変わらず年貢を払っていない。百姓の集団だが、それではまずいので郷士ということにした。
 藩主の家臣にもならず、明治まで行く。
 大熊城跡は今も残っており、桜の名所だ。
 
   了
  




posted by 川崎ゆきお at 12:26| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月22日

3850話 黒橋


 何もないのだが、何かある。そういう日々を黒橋は送っていた。妙な名だが、先祖が大きな大名に仕えており、その屋敷が城の黒橋の近くにあった。
 黒塗りの橋で、黒橋と呼んでいた。その橋も通称で、正式な橋の名はある。大手門の左右にある二つの門の堀に架かっている橋。普段は使われていない。殿様とその一門専用の門で、橋もそうだが、門は開いており、橋を渡る人も多い。そこから入った方が近い人もいるのだろう。
 重臣の黒橋だが、これも本当の姓はあった。しかし、役職や官位で呼ぶことが多いように、黒橋殿とか黒橋様と呼ばれることが多かった。直接名を言わないのも礼儀だろう。
 その通称の黒橋、ただの橋を指し、その袂にある屋敷を指し、そして屋敷の主を指すようになるのだが、この期間が長かったので、いつの間にか黒橋と姓を改めてしまった。これは殿様からの命令。黒橋は殿様とその一門しか渡れないとされているので、名誉なことだろう。しかし、実際には誰でも自由に橋を渡り、門を潜っているのだが。
 その末裔の黒橋が、何もないのだが、何かあると呟いている。決して武家時代のことではなく、最近のこと。
 何もないことはないということだろうが、では何があるのかというと、何もないということがある程度。だから、ないのだ。
 これは黒崎が最近気になっていることで、何もないはずのところに何かが結構ある。その経験から来ている。何かありそうなところには何もなく、ありそうでないところにあったりする。これは非常に興味深い。
 それを意識しだしてから、何もないものでも、何かあるのではないかと、注意しているが、実際には何もないことの方が圧倒的に多い。何かあるためにはそれなりの条件が必要だろう。条件が揃っているので、何かあるはずだ、となる。
 見た感じ、健全そうだが、中に入ってみると、かなり怪しかったりするし、見た感じ過激なのだが、中に入ると、結構大人しかったりする。
 そういった見てくれに欺されることが多いので、情報など当てにならない。黙して語らずもあるし、暗黙の了解というのもある。表には出ない。
 曽木というのが黒橋の前の姓だったことを聞いたことがある。黒橋の中身は曽木なのだが、曽木がいつの間にか黒崎になり、黒崎の中に今では全てが含まれており、曽木に関しては古すぎて、もう何か分からなくなっている。だが、大名に仕えていた頃の曽木、即ち黒崎だが、曽木の墓がある。そこはそのままなのだ。
 黒崎はこの先、屋号やペンネームのようなものが必要になったとき、その曽木を使おうと思っている。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 13:40| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月21日

3849話 何ともならない

何ともならない
「暑いので何ともなりませんなあ」
「暑くなくても何ともなりません」
「こういうときはどうすればいいのでしょう」
「ならぬものはならぬといいますが、それじゃ進めない」
「そうですねえ。ここは反則をしてでも前へ行きたいところです」
「まあ、ならぬものなので、それしかないのでしょうが、あとが大変です。反則はリスクを背負います。これにやられると、本当に何ともならなくなります」
「暑さが引けば何とかなると思う思うのですが」
「その程度のことですか」
「そうです。まあ暑さが引いても何ともなりませんがね、何ともならぬ程度が少し弱いのです」
「でも、何ともならないのでしょ」
「そうです。その程度では」
「それは深刻ですねえ。よくそんなところで、踏ん張っておられる」
「頑張らないから、そうなったのです。怠けていましたから」
「今は」
「今も」
「それはいけませんなあ。じゃ、怠けないでやれば何とかなるんじゃありませんか」
「なります」
「じゃ、簡単な話」
「やる気が出ないので、怠けているだけです」
「じゃ、やる気を出して頑張れば」
「やる気が起きようのないことでしてね。いくら気合いを入れても同じです」
「それは難儀ですねえ」
「はい、だから結果的には何ともならないのです」
「うーむ」
「それに何とかなったとしても、これは仮にですよ。しかし、大したことにはならない。そんな良い結果にはならない。だからやる気が最初から出ないのですよ。やっても仕方がないようなことなので」
「でも、やり遂げればそれなりの成果は出るでしょ」
「気持ちの上でね。しかし、私だけの気持ちで、それ以上のものじゃありません。多少いい気分、これは達成感でしょうねえ。しかし、やり遂げても、それほどのものじゃない」
「結果なんてそんなものですよ」
「そうなんですか」
「もの凄いことを果たしても、いい気分に浸れるのは少しの間。物事を達成し倒した人が仕合わせだとは思えません」
「羨ましいと思いますが、次々と事を成す」
「見た目はね。しかし中身は違うかもしれませんよ。本人はそれほど満足していないとか、当然のことをやったまでとかで、凄いことをした実感がなかったりしますよ」
「私の場合、どうすればいいのでしょう」
「あなたは幸い非常に低次元にいるので、実はいい感じなのです」
「何ともなりませんが」
「何ともならない状態の方が実はいいのですよ」
「そうなんですか」
「だから気にしないで、何ともならない状態を続ければいいのです。そんな状態が続けられることこそ、良い状態なのですから」
「あ、そう」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 12:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月20日

3848話 夏の夏休み


 年中夏休みをしているような高岡だが、特に夏の夏休み、これは夏と断る必要はないが、冬の夏休みも高岡にはある。実際にはそんなものはないのだが、全てが夏休みの延長。長い目の休みを高岡は夏休みと呼んでいる。だから冬休みではなく、夏休みとなる。
 休みの中で休む。休みの中でも特に深いのが夏休み。年中休みの中での夏の夏休みは高岡にとっては一番深い。まるで深い眠りに入り込んでいるようなもの。そのため世間は井戸の底から見える程度の狭さとなる。空しか見えなかっりする。しかもほんの一部の。だが風があり、雲は流れるので、同じ雲ばかりを見ているわけではない。また天気も変わり空の色も変わる。狭いところからでも世間は結構見えるのだ。
 深い夏休みの底にいるのだが、送り火の頃、少し目を覚ます。夏が終わろうとしている頃なので、そろそろかと思うのだが、夏休みが終わっても年中夏休みのようなものなので、まだまだ休みは続くが、それは普通の休み。夏の夏休みほどには深くはない。
 その深い夏休み、高岡は何を見ているのか。これは深すぎて濃くて暗くて、実はあまり見ていない。夏の闇が拡がっている。真っ暗闇ではないが薄暗い。
 深海魚が深い海の底でじっとしているようなもの。これはただ単に暑いので部屋の中で息を潜めている程度。しかし息は荒い。汗をかく。暑いので。ただ犬のように口を開け、舌まで出さないが。
 送り火の頃、近所で送り火を焚いている。弱い花火のようなもので、それをやる家族は普通の花火もやっていた。それがこの日は送り火で、花火ではない。だから光は鈍いし音はしないしチカチカもしない。
 まだ送り火をやっている家があり、それが高岡の部屋の窓から見える。迎え火もやっていたはずだが、それは見落とした。そういうのを見ようとじっと待機しているわけではないので。
 送り火はその家族の声で分かった。お盆で帰って来たのか遊びに来たのか、小さな子供もいる。
 この送り火があると、夏が終わったとなる。つまり夏の終わりを宣言するのが送り火。
 明日からは秋ということ。だから、暑くても、これは秋。夏ではない。また夏の暑さでも、秋なので、そんなに暑くはないと言い切る。
 この送り火で、高岡の夏休みはそろそろ終わりに近付くのだが、終わってもまだ普通の休みが続いている。
 
   了

 


posted by 川崎ゆきお at 11:45| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月19日

3847話 お盆と施餓鬼


「お盆ですよ、妖怪博士。何かあるでしょ」
 いつもの妖怪博士担当の編集者が、珍しく訪ねて来た。暑いさなか、しかも妖怪博士宅にはクーラーはない。扇風機はあるが、妖怪博士は団扇しか使っていない。寝苦しい夏の夜でも眠れるのは奥の六畳が庭に面しているため。そこに庭木や草が植わっている。最初は何もなかった。しかし鳥が運んできたのか木が生えだし、今では数本の木が屋根の庇を越えている。そしてシダが生い茂り、これで涼しいのだろう。しかし編集者はクーラーがないので、夏場は寄り付かない。
 地面は緑。草だけではなく、苔が生えている。
「お盆ですよ、妖怪博士。何かあるでしょ」
「お盆か、その行事はしない」
「僕は帰省しようと思ったのですが、仕事が溜まっているので、無理です。今ここで休むと、あとがえらいですからね。それで、お盆ですが」
「今が盆じゃろ。今頃取材しても遅い」
「いえ、これは別件で」
「盆に関しては私は何も知らない。だから、聞くだけ無駄」
「お盆に出る妖怪なら日本で一番詳しいのではありませんか。そんなことを考えている人など何人もいませんよ」
「お盆は知らんが、妖怪なら知っておる」
「ほら、やはり詳しい。お盆の妖怪など知っている人など、滅多にいませんよ。お盆だとご先祖さんでしょ。幽霊じゃありませんが」
「お盆には餓鬼が出やすい」
「餓鬼」
「飢えて鬼になったんじゃ」
「餓死ですか」
「昔は多かったんだろうなあ。今でも餓死はあるやもしれんが、食べるものは街に出ればいくらでもある。死ぬほど腹がすいておるのなら、盗んで食えばいい。しかし昔や、地上の何処かではその食べるものがない。盗もうにも、それがない」
「もっと楽しい話を」
「その餓鬼という鬼に化したのをなだめるのが施餓鬼」
「そういうややこしい話はいいです」
「そうか。お盆の頃、御馳走が出る。ご先祖も帰ってくるが、餓鬼も付いてくる」
「ややこしいですねえ」
「ご先祖さんは帰ってきても姿など顕わさん。しかし餓鬼は姿を晒す。食べるためじゃ。しかし人がいると出てこない。寝静まってからお供え物を食べる」
「そんなことをしなくても、街中に出ればいくらでも食べるものがあるじゃありませんか」
「それならますます餓鬼になる。餓鬼から抜け出すため、供え物でないと駄目なんじゃ。これはご先祖さんの代わりに食べる。残すともったいないし、腐って汚くなるのでな」
「じゃ、餓鬼は供え物しか食べないのですか」
「そうじゃ」
「餓鬼は餓鬼であることを知っているのですね」
「何とか餓鬼から抜け出そうとあがいておる」
「その餓鬼がお盆頃に出るのですね」
「そういう言い伝えじゃが、これは色々なものが混ざって、間違いが多い。お盆に関係なく餓鬼に食べるものを施す行事もある。
「炊き出しのイメージですね」
「餓鬼が餓えるはいい。飢えておるだけ。しかし鬼が曲者。ここに鬼が付くから面倒な扱いになる。鬼の扱いは難しい」
「そういうのは全部言い伝えとか、想像なんでしょ」
「リアルの何かを反映しておるんじゃろ。しかし、鬼はいけない」
「鬼は何の反映ですか。よく使いますが」
「キックの鬼とかな」
「ああ、キックボクシングの沢村」
「人の力を越える。人外の領域に入る」
「神業ともいいますよ」
「その神が鬼なんじゃ」
「博士。もう少し楽しい話を」
「鬼をなだめる。これじゃな」
「そう断言されても、意味が」
「まあ、人は人の世の外側を想像するもの。そこは聖域でもあり、餓鬼が徘徊する世界でもある。だから人は人のことだけを思えばいい。鬼や妖怪のことなど考えずにな」
「鬼神を語らずと言うやつですね」
「ないものを語っても仕方がないが、逆にないもののことばかり語るのが人の常」
「はい、分かりました」
「どう分かったのじゃ。それに今頃お盆の話などしても、遅いじゃろ」
「いえ、お盆なのでどの月にでも運べます」
 妖怪博士は反応しなかった。
 
   了

 


posted by 川崎ゆきお at 12:30| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月18日

3846話 お盆の怪


 お盆の最中。草加は郊外にある農家が実家なので、そこで過ごした。いつもは空き家状態。何日かに一度は見に帰る。草加はその近くのマンションに住んでいる。
 しかし、正月と盆は実家で過ごす。既に誰も住んでいない兄弟やその子供が遊びに来る。草加は本家を継いだが、独身。
 しかし、今年は誰も遊びに来ないようで、草加は一人で実家でお盆を過ごした。仏壇があり、それをお盆風に飾り付けるだけ。先祖と自分しか見ていないので適当でいいのだ。
 灯明があり、電気仕掛けでゆっくり回る。それが回り出すと、カラオケ喫茶のようになる。
 草加の部屋はまだ残っており、まだ家具もそのまま残っていたりする。若い頃貼ったポスターとかも。
 弟が一人いるが、もうその部屋は空き部屋で、使っていない。がらんとしており、何もない。下手に家具があると、掃除が大変だ。
 妹の部屋もそのままだが、最近戻った様子はない。遠いところに住んでいるためだろう。しかし、何かあったとき、ここに戻れる。押し入れには蒲団も積まれている。結婚する前まで使っていたものがほぼ残っている。
 お爺さんやお婆さんの部屋は既に草加の両親が使っていたのだが、家具などはそのまま。祖祖母が花嫁道具として持ってきた立派すぎる箪笥がまだ残っている。
 どちらにしても取り壊すときは仏壇だけ持ち出せばいいという感じ。
 草加は二階の自室ではなく、一階の父親の部屋で寝ていた。階段の上り下りが面倒なことと、この部屋の方が北側の中庭に面し、涼しい。それに広い。代々当主の部屋として使われいた。
 その畳の真ん中に蒲団を敷いて、寝ていたのだが、人が来ているような気配がする。
 弟か、妹が帰って来たにしては、時間が遅すぎる。二人とも実家の鍵は持っている。
 先祖が帰って来るというが、草加は迎え火など焚かなかった。もうこの実家の近くでもやるような家は少ない。
 気配の方向は仏間の方。最初から仏壇のある場所ではないかと、草加は思っているためだろう。気配はするが、音はない。
 草加は板戸を明け、奥の廊下に出る。そのすぐ横にあるのが仏間の襖戸。祝い事や法事などで襖戸や板戸を開け放てば、かなり広いスペースになる。
 草加は襖戸をそっと開けてみた。誰もいない部屋だが、灯明は付けっぱなしにしてある。庭側の襖やガラス戸は暑いので、開けてある。
 回り灯籠が仏間に座っている人を灯台のように何度か照らす。
 先祖の誰かだろう。
 草加は、その前で正座し、挨拶をする。
 その人は、草加を見て狼狽した。
「すみません、間違えました」
 その人は、裏からさっと出ていった。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:50| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月17日

3845話 お盆の頃


 お盆が近いのか、影が長く伸びている。日影が多くなるので、助かる。
 木下がまた今年もそんなことを思う盆の頃。盆といえば盆から先はおらぬぞという何か淋しい歌。また、お盆までには何とかせよというような言葉。これは毎年聞いていた。この何とかとは一年ものだろう。正月までには、新年までにとは言わないが、年末までには、は言う。しかし年末までは仕事が多い。お盆まではプライベートなことが多い。
 さて、今年のお盆。そのお盆までにはというのが今年はない。そして、ないときは自分で決めたりする。これは命令だ。しかし先延ばしになる。お盆までには、は守らなくてもよかったりする。目安だ。
 今年はその目安があったのか、なかったのかは忘れた。他の季節、たとえば桜の花が咲く頃などもあるし、涼しくなる頃までには、とか、涼しくなってから、なども加わる。当然冬が来る前に、という定番もある。
 木下は、いずれもそういうのを果たしたことがない。だからもう作らない。そして長期予定も。これはできなかったとき、果たせなかったとき、少し反省するため。別に責められるわけではないが、残念な念が残る。それで次の機会まで伸ばすのだが、次は次で、またできていないので、さらに先へ。そのうち忘れていたりするし、もうそういうものを作らなかったりする。どうせ果たせないのだから。
 さて、今年のお盆だが、木下は特に何もない。日影の長さを見ている程度。そしてお盆という実感がない。いつ始まり、いつ終わるのかは知らない。お盆休みというのも曖昧で、お盆が過ぎてから休む人もいる。
 お盆はカレンダーには載っていない。スケジュール帳にも載っていない。土地によりお盆の日が違っていたりする。また新盆や旧盆があり、ややこしい。 影が伸びたので、歩きやすくなった路地を木下は歩いている。いつもの散歩道。日の丸が揚がっている家がある。祭日かもしれない。お盆は祭日にはならないと思うので、何かの日だろう。それにまだお盆は来ていないはず。
 日の丸は一軒だけで、その後は見ない。
 路地の先に大きな施設があり、木下は行かないが、その前の道で交通整理をしている人がいる。これは土日祭日にしかいない。今日は平日。だから祭日なのだ。
 大きな道を少しだけ進み、次の枝道に木下は入る。下町の静かな道。普通の家が左右に並んでいる。そしてまた影を見る。今度は太陽の位置が違うので、いい影はできていない。
 そこを抜けると私鉄の小さな踏切がある。渡るとき、犬の糞を見た。こんなところでやったのだろうか。よりにもよって。そして電車が来るので踏切が閉まり出す。犬も飼い主も、逃げ出す。始末をする暇もなかったのだろう。
 一体どういう犬だ。わざわざそんな場所を選ばなくてもいいのに。
 踏切を渡ると街路樹のある歩道に出る。ここは涼しい。
 蝉がボタボタと落ちている。蝉採り網など必要ないだろう。蝉拾いでいい。
 しかし、蝉採りの親子がおり、声が聞こえる。アブラゼミを見付けたのに、逃げられたらしい。まだ、そんな蝉がいるのだろうか。最近は同じタイプの蝉しか見ない。昔はもっと色々おり、クラスがあった。クマゼミなどを捕ると自慢だった。
 しかし、お盆に入ると殺生は駄目で、蝉採りも魚採りもできなかった。
 その街路樹の歩道を途中で曲がり、また住宅地の中の小道に入る。生活道路だ。
 この散歩、大きな目標ではない。また目標にもならない。しかし、こういうことは強い意志がなくても実行できる。
 そのあとも木下は意味のない散歩を続け、残暑にやられる前に戻った。
 
   了






posted by 川崎ゆきお at 12:56| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月16日

3844話 不感動する


 茶瓶から音が聞こえない。量が少ないためだろうか。お茶を一杯だけ飲みたかったので、早く沸く方がいい。あとでその湯を使うわけではないので、残しても仕方がない。
 もう聞こえるはずなのだが、音がしない。笛が鳴るはず。それもすぐに。量が少ないのだから。
 それで下田は台所まで行き、火を消した。沸騰しているのは分かっている。
 それでお茶を飲み、ニュース番組を見ていたのだが、そのまま付けっぱなしで用事をしていると、ドラマをやっている。よく見かけるような俳優ばかりなので、取っつきがいい。そしてその俳優がいつもやるような役とか、性格などをそのまま受け継いでいる。悪役は悪役をやっているし、敵か味方なのかが曖昧な俳優も、同じことをやっている。これは終盤白黒が付くのだが、今は分からない。正義の側なら裏切り者になり、悪人側だと、最後は正義の側に付くが、真っ先に死ぬだろう。
 そして、分かりやすい流れで、さっと終わった。
 下村は不思議な感動を受けた。いや、感動のように心が動いたり、感情が高ぶるわけではなく、何か得心がいった。これだな、と。
 ドラマは定番中の定番で、よくある話、最後まで見なくても分かるような展開。いくら定番ものでも変化はある。定番を壊すような斬新さがあったり、展開に少しだけひねりがあったりで、新味を加えるものだ。
 ところが下村が見たそのドラマはもう少し頑張ればいいのにと思うところでも控え目。起伏も意外性も、もう少し何とかなるはずなのだが、定番通りというより、それ以下のシーンもある。
 キャラとキャラとの絡み合い、火花。そういったものも軽い。もう少し頑張れば、迫力が出たはず。しかし、誰も熱演しないでさっと流している。これが暑苦しくなくていい。
 もう何かやる気がないような、そして一応作ってみました程度。出演者達もあっさりとしたもので、いつものことをいつも通りやっているだけ。家業を粛々とやるようなもの。
 下田はそれを見てショックを受けた。これは何だろうかと。
 昔のドラマの再放送ではない。最新のものだ。この時代の旬のドラマなのだ。
 下田はショックを受けたが、それは見ているときではない。終わってしばらくしてから。
 見ているときは退屈というより、余裕を持って見ることができた。安定しているのだ。余計なことをしていないためだろう。そこに何か安堵感がある。安定、安心、その近くだ。
 よくある話をよくある演出でなぞっただけ。それが逆に新鮮に見える。そして何か懐かしいような。
 下田は、この原因が分からない。おそらく駄作だろう。特徴も何もない。
 だが、これが下田にとり、ツボだった。
 下田はもう一度台所へ行き、先ほどの茶瓶に水を差し、そして火を付けた。もう一杯お茶が欲しいと思った。
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 12:00| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

3843話 大人の心境


 状況が変わってくると、心境も変わる。状況に順応しようという側と、反発すぐ側がある。自然なのは順応だろう。意志的なものは弱いが、順応しようとするのも一つの意志。そのため、これまでと違うものに興味がいったり、また注目するものが変わってくる。それに心境の変化も加わり、好みまで変わる。大袈裟に言えば生き方も変わってくる。
 一方、反発の場合は、状況が変わったのに、これまでと同じようにやろうとする。順応ではなく拒絶。拒む。そして従来通りやろうとするが、状況が違うので、無理が出てくる。それで順調にはいかない。それで、仕方なく順応を考える。合わすしかないか、と。
 まあ、平たく言えば小学生が小学生のままの心境で生きていけないようなものだろう。少年少女の心を持ち続けている人はいくらでもいるが、ジュースで言えば果実五パーセントぐらい入っている程度。その割合ではジュースとは言えない。ただの清涼飲料水。しかし三パーセントに比べると果実度は高い。だから少年少女の心も大きい。ごく僅かな差だ。
「最近好みが変わったようですが」
「ああ、そうですか」
「何かありましたか」
「以前のように熱心にやらなくなっただけですよ」
「それはいけませんなあ」
「逆に熱心にはなれなかったものがよく思えたりします」
「それで好みが変わられたのですね。以前よりも穏やかになられた。大人になられた」
「じゃ、それまでは子供だったのですかな」
「そうじゃありませんが、若さの勢いというは時としてものを見えなくします。大人の落ち着きはそこが違います」
「もう随分と大人ですが」
「いえいえ、あなたはいつまでも無邪気で、子供っぽかった」
「じゃ、いい変わり方なのですね」
「そうだと思いますが、まあ、誰しもそうなるものです。あなたは少し遅かった程度」
「はい」
「これで、禍が減ります。あなたにとっては無邪気な行為でしょうが、邪気は邪鬼。そして子供っぽいので餓鬼」
「そうなんですか」
「これであなたも普通の大人だ。安心して付き合えそうです」
「はあ」
「お嫌ですか」
「嫌じゃありませんが」
「そうでしょ。心境も変化したことだし、寛容範囲も拡がったはず。僕のような何でもない人間にも興味を持って頂いたことだし」
「いえ、地味さが気になって」
「そうですか。それは有り難い。地味なので引き寄せるものがない。しかし、実際にはあるのですよ」
「はい、それが見えなかったのです」
「これからもよろしく」
「いえいえ、こちらこそ」
 
   了






posted by 川崎ゆきお at 11:10| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

3842話 御用人


「あなたは地の人ではないと」
「はい、余所者です」
「しかし、立派な茶店ではないか」
 店も広いが、母屋も大きい。田舎道の茶店にしては規模が大きい。
「この村では商売人は別です。地の人はなるのを嫌います。それに、他の村人の目もありますのでね。下手な真似はできません」
「土地の者に聞けと言われたのですが」
「それなら、この先に百姓家が集まっているところがあります。全部土地の者です」
「そうなんですが、先ほども聞いたのですが、答えてくれません」
「何をお訊ねで」
「上田松園さんです」
「ああ、松園さんねえ。知ってますよ」
「それは有り難い。この村にいるのですね」
「ずっといますよ。この村のヌシですから」
「でも、どうして村人は上田松園さんのことを話してくれないのでしょうか」
「さあ、禁句でしょ。口に出してはいけない名前」
「どんな人ですか」
「普通の人ですよ」
「ヌシとは」
「このあたりを仕切っている人です」
「そういう人だったのですか」
「知らなかったのですか」
「はい。私は薬草を求めに来ただけで」
「じゃ、松園さんの本業だ」
「何処にお住まいで」
「山入りにいますよ」
「山入りとは」
「山の入口で、何戸か家もあります。山仕事の人がいます」
「松園さんはそこですね」
「そうです」
「あのう」
「何でしょう」
「団子を下さい」
「ああ、はいはい」
「お茶もまだ」
「ああ、お客さんでしたなあ」
「そうです」
 この客は百姓でも町人でもなく、武家のようだが、刀は差していない。どちらかというと医者か俳人に見える。
「先ほど仕切っていると言われましたが」
「はいはい。この一帯を仕切っています」
「どうしてでしょう」
「財があります」
「それだけですか」
「しかし、村人からは尊敬されていません。商売人が嫌いなんでしょうなあ」
「しかし、実質上田松園さんが仕切っていると」
「村の長とは格が違いますからね。松園さんの規模は大きい」
「松園さんも余所者ですか」
「いや、地の人です」
「薬草は、そんなに儲かるのですか」
「大したことはないでしょ」
 武家風の客は団子を一気に食べ。お茶を飲んだ。
「美味しいですね。この団子」
「草餅ですが、草が違う。これは松園さんから分けてもらったものです。何処にでもある草なんですが、少し違う」
「はい、有り難うございました」
 武家にしては腰が低い。
 山入りというところは、村人に聞くとすぐに教えてくれたが、あまりいい顔はしなかった。
 山入り集落の中の数戸の中で、目立って大きな藁葺き屋根がある。三階ほどあるのではないかと思えるが、薬草を乾燥させる階だろう。
 上田松園は枯れ藁のような髪の毛で、まるで納豆。かなりの年寄りだが、愛想がいい。
 武家風の客は商談に入る。
 松園は承知した。
 客はかなりの金額を支払った。
 用事が終わったので、帰ろうとすると、松園は体にいい薬草を配合したという薬束をくれた。
 それを、背負い袋に入れようとしたとき。
「先ほどの品と間違わぬようにな」
 と、念を押された。
 この武家風の客、元は商人だが、今は武士になっている。といってもやっていることは商売人。さる家中の重臣の用人。
 この家中、その後、一寸した騒ぎになる。
 毒殺は未遂で終わった。薬草を間違えたのだろう。
 間違えて飲んだ御用人さんも何ともなかったようだ。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 12:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月13日

3841話 金田町から来た男


 大した暑さではないのだが、真夏の炎天下は流石に暑い。宇和島は気にしないで歩いていたのだが、汗ばんできた。あたりまえの話なのだが、油断していた。ただ、こういうことに油断も何もない。当然のことが当然のように起こっているだけ。
 しかし宇和島にすれば、今日の暑さはいつもよりましだという感覚がある。だが暑さにかわりはなく、ましであってもやはり暑い。
 汗ばみ、そして息が切れだした。肩で息をしている。かなり暑い炎天下でも滅多にないこと。そしてましな日なら、息まで荒れないだろう。何か病でも背負っているのかもしれない。そういえば昨夜から腹具合が悪い。冷たいものばかり食べ、さらに寝冷えしたのかもしれない。しかし、それもよくあることで、気にしていなかった。
 実は内からの暑さなのだ。ということは熱があることになるが、そうではない。考え事で頭が一杯だった。ただ、暑さに気付かないほど夢中なっていたわけではない。気になることがあり、それがずっと頭の中を占めている。ただ、これは大事なことではなく、つまらない内容なのだが、それが気になる。
 たとえば連続ドラマを見ていて、いいところで終わり、そのあとどうなるのか、などを考えているようなもの。別にそれがどんな展開になり、結果に終わろうと、世の中に影響を与えないし、宇和島の生活にも関係しないだろう。その程度の考え事。だから呑気な話。
 そして目的地にいつの間にか着いていた。いつもより汗ばみ、息も弾み、肩で息をしているが、炎天下での移動中、あまり気にならなかった。
 宇和島は息を整えるため、屋内のベンチに腰掛ける。汗は冷房のおかげですぐに引いた。呼吸も鎮まり、肩も動かなくなった。いい感じだ。これが戻らなければ大変だ。
 同じような人が入って来て、宇和島の横に座るが、間一つの空間がある。
「暑いですなあ」
「そうですねえ」
 お決まりの挨拶。
「歩いて?」
「いえ、車ですが、駐車場からここまでが遠い」
「僕は歩いてです」
「何処から」
「金田町から」
 相手は少し黙った。いや、考え事をしているのだろうか。
「金田町」
「はい」
 相手は、そのまますっと立ち上がり、店舗のある場所へ向かった。買い物だろう。
 金田町。特別な町ではないし、歩いて往復できるほど近い。金田町でベンチから立ち上がる必要はない。
 金田町は新興住宅地で、歴史も何もない。ベッドタウンだ。
 宇和島はいろいろと考えたが、理由が分からない。
 そして、今も、そのまま謎のまま。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 12:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月12日

3840話 期待


 期待していたものが大したことはなく、期待していなかったものが非常によかったりすることがある。では、この期待とは何だろう。外れるものだろうか。しかし期待とは、その外れが少なく、思っているものに近いものがあるので、期待する。前回よかったので今回もと。
 期待していて、さほどでもなかったもののレベルと、期待してなかったのだが意外とよかったというもののレベルは、期待していたものの方が高くても、期待していたほどのことはなかったことで、値が下がる。決して期待していなかったのだが、意外とよかったものよりも下ではなく、上なのだが。
 ただ期待しているものは、期待中の時間がよかったりする。期待していないものにはそれがない。
 期待していたものがそうではなかったという経験を何度か得ると、期待するのが怖くなる。もしかして、思っているものとは違うのではないかと。そして期待外れという目に遭う。どういう目だろう。決してひどい目に遭うわけではないのだが、思っていたほどのことではなかったことで、がっかりする。
 また、期待しているものに対しては、それなりの情報を得ており、それなりに知っていることがある。映画の予告編を先に見てしまったようなもので、予告編を超える本編はほとんどない。予告編の方がよかったりする。
 意外性というのは予備知識がないとき、来やすい。熟知していると大方のところは分かっているため、意外性の出番が少ない。
 期待以上のものを期待することがある。これは期待以上によかった場合は、かなりいいだろう。
 意外性というのは範囲内から超えた場合。これは期待以上なので、素晴らしい。しかし期待しすぎると、それに至らない場合、期待外れとなる。だが、それなりに期待している程度なら、期待通りになる。不満はないだろう。要するに期待のしすぎは本来の期待を超える期待なので、期待する側に無理がある。
 期待していなかったのだが、意外とよかったというものは、今度は期待するようになる。ノーマークだったのだが、マークしてしまう。期待できると。しかし、ここからまた同じことが起こり、期待以下になると、がっかりする。
 変な期待、妙な期待はしない方がいいのだが、期待する楽しさがある。期待を楽しむのだ。だからずっと期待しているだけの方がよかったりする。
 何に期待するのかは、その人によって違う。妙なところばかり期待している場合もあり、これは確率が低いだろう。
 期待していたものが、どうやら期待できないと思われたとき、意外といける可能性もある。期待できないと思っているためだ。期待していなかったのだが意外といけると。
 あらぬ期待。それは思わない方がいいのだが、期待中はいいものだ。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:07| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする