2021年01月31日

4011話 梅寒行


 梅見の寒行をやっている人が今冬も出た。初見参。まだ寒い時期に見る花見。桜の咲く頃の花見はポピュラーだが、それよりもまだ寒い頃。春の兆しなどまだまだ出ていない真冬。大寒中の大寒。しかし、今年は暖かいようで、それほど寒くはないので、寒行とは言えないかもしれない。
 寒行なので、薄着で滝に打たれたりする服装が一般的だが、その人は真冬の服装。だから、見た限り行者には見えない。
 それで今年は暖かいので、梅見に来る人が多い。桜の咲く頃と変わらないほど暖かいためだろう。
 梅見の寒行。これは咲き始めたばかりの梅をじっと見る行。それはただの観察ではないかとも思われるが、そういう分析的な頭は動かしていない。漠然と見ている。いや見ていないのかもしれない。
 咲き始めなので一枝に一つ咲いているか、咲いていないかで、丸いつぼみが赤く球のようになっているだけ。これはこれで梅らしい味わいがある。梅干しの酸っぱさが少し入るが。
 その一輪をじっと見続けている。花びらの奥から出ている雄しべか雌しべかは分からないが、それがまるでマツゲのように見える。瞬きするのではないかと思えるほど。
 というようなものは、この行者は見ていない。梅を見ながら梅を見ず。他のものを見ているが、梅の周囲ではなく、目に見える映像ではない。
 一つのものを凝視、ずっと見詰めていると、幻覚が生じる。その人はその梅幻覚を見ている。だから外界ではなく内界を。
 まあ、行とはそんなものかもしれない。
 その場所は山寺の近く。桜の名所だが、その奥に梅園がある。桜が咲く頃で、しかも雨の日に出てくる雨桜の人も、この場所だ。
 桜の花見は人で賑わうが、雨だと誰も来ない。その日に来て傘を差しながら、ずっと桜を見ている人がおり、これが名物になった。
 その人ではなく、梅だけの人だ。別人。真似たわけではない。それに晴れていても来ている。雨桜の人は雨の日にしか来ない。だから流儀が違う。
 ただ、雨よりも、大寒時期はただでさえ寒いので、同じように負荷はかかる。
 今年もその人が先陣を切り、梅寒行が始まる。要するに真似をして、他の人も梅の前に立つのだ。
 そこに立っている普通の人は、桜よりも梅が好きな人だろう。
 中には両方に参加している人もいるが、行は浅い。
 今年は暖かいが、寒い年は、ガタガタ震えるほどで、それで凝視している梅はよく揺れるため、これは時化だ。舟が揺れて船酔いするようなもの。
 寺の住職も、それを知っており、山門前に出している茶店に梅茶のメニューを加えた。売れ行きが良ければ、梅茶漬けを出してもいいと思っているが、そういう梅寒行の趣味の人は限られているようだ。
 
   了

 

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2021年01月30日

4010話 何もないような状態


 あまり何もないような状態は退屈。しかしこの時間や期間が一番長いように竹田には思えた。たまに刺激的なことが起こるが、滅多にない。また竹田から何かを仕掛ければ、あまり何もないような時間から解放されるが、すぐにまたあまり何もないような時間に戻される。
 これは平穏でいいのだが、その期間が退屈。それなりに小さな刺激とか小さな変化はあるものの、だらだらと同じような絵が続くような風景では見飽きてしまう。だからこの時間や期間、日々でもいいが、そこが楽しめればいうことはない。だが通常の刺激とは違うだろう。これは見いだすようなもの。
「ほほう、竹田君もそこに至りましたか」
「まだ、至っていません」
「そこに気付いただけでも十分」
「どういうことでしょうか」
「その何でもない時を上手く過ごせば、良いわけでしょ」
「そうです。刺激を求める必要はありませんから」
「そこなんですよ竹田君。その先が難しい。飽きる。緩和する。退屈。眠くなってくる。これなんです」
「言われなくても承知しています。問題はそれをどう処理するかでしょ」
「いっそのこと寝てしまえばよろしいが、それではただの睡眠。本当に寝ると肝心の夜に寝られなくなる。この睡眠というのはディフォルトとしてあるのです。蒲団に入れば、退屈も何もなくなるでしょ。寝てしまえば。だから起きているときに、起きている状態で寝ているような感じが良いのです」
「それはただ単に惚けているだけでしょ」
「それそれ、それが極地です。一番の至福です」
「先生はそれができるのですか。惚けたような状態に」
「恍惚状態です。これが最大値でしょ」
「なりましたか」
「なれません」
「そうでしょ」
「だから、それは無理でも、ぼんやりとしているような状態だと、それほど刺激は必要じゃない。ここなんですよ竹田君。ここなら可能です」
「やはり一寸目先を変えて違うことをする方が簡単なような気がしますが」
「それじゃ、境地ではなく、ただの横移動。前後、上下移動でも、似たようなもの」
「意味は分かりますが、だらっとしている状態も悪くはありませんが、ただのだらっとではこれもまた飽きてきます」
「何もないような平凡なことに意味を見いだす。この道があるのです」
「意味」
「そうです。単純なものでもじっと見ていると、変化があるし、また何らかの動きや規則性や、意外性などもあるのです」
「はあ」
「普通の風景でもありがたく頂くと、美味しいものです」
「それを見いだすといういことなのですか」
「そうです。退屈なものほど、味わい深いものが潜んでいるのです。その背景などの絡みで、そうなっているとかね」
「はい、退屈なことをやっているとき、一寸見直してみます」
「そうしなさい」
「はい」
 
   了




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2021年01月29日

4009話 サンドイッチ


 とある業界のパーティーで石塚は久しぶりに竹中の顔を見た。見るもなにも竹中がメインのパーティーなので、いやでも目立つ。
 竹中が何か賞を取ったことを石塚は知っている。招待状が来たので、知らせは向こうからやってきた。別に招待状など来なくても、誰でも参加できるのだが。
 竹中は来ている人と話しているのだが、数が多いので、忙しいようだ。
 石塚は業界の人と会うのは久しぶり。相変わらずの顔ぶれだが、知らない人もいる。
 石塚は竹中と並ぶほどの地位はあるが人気がない。人望がないためだろう。しかし、竹中を知っている人なら誰でも石塚も知っている。両雄と呼ばれていた。
 その石塚に話しかける人は一人もいない。方々で人の輪ができているのだが、石塚は座ったまま。最初に着いたテーブルにいた人達は、もう別のところにいたりする。またそのテーブルで話し込んでいる人もいる。知っている人もいるが知らない人もいるが、ぽつねんと座ってサンドイッチを摘まんでいるのは石塚だけ。それを全部食べると、次は大量に残っているスパゲティー。石塚は暇なので、それに手を付けた。
 石塚は飲まないので、乾杯のときのビールをチビチビ口にするだけ。水でもいいのだ。ウーロン茶が欲しいところ。アイスコーヒーがあればいうことはない。
 パーティー会場は時間制限がある。石塚はバイキングの食べ放題に来ているようなものだが、サンドイッチとスパゲティーだけでは何ともならない。肉が欲しいところ。しかしサンドイッチにハムが入っていたので、よしとする。
 それとやはりご飯が欲しい。サンドイッチもスパゲティーもおやつのようなの。しかし、結構な量のサンドイッチを食べたので、よしとした。さらにスパゲティーに取りかかっているのだが、既に満足を超えたレベルにいる。会費分は取り戻せない。会費と食べるものを比べると、全然足りない。交通費が出る程度だ。
 持ち帰ろうにも、サンドイッチはもう食べきった。これをもう少し欲しい。スパよりも。
 それで、隣のテーブルを見ると、まだ残っている。食べきれる自信はないので、持ち帰りたい。そのため、鞄の中にビニール袋を入れている。これは食品用で、ゴミ袋ではない。だが、鞄の中で潰れるかもしれない。
 そう思いながらテーブル移動する。これが初めての移動。実はそのテーブル、誰もいない。もう帰った人もいるためと、大きな輪ができており、そちらに集まっている。
 石塚がビニール袋にサンドイッチを丁寧に入れていると「石塚君」と初めて声を掛けられた。それまで誰とも話していないのだ。
「ああ、竹中か」
 先ほどまで大きな輪の中にいた竹中が抜け出してきたようだ。
「相変わらずだねえ、石塚君」
「ああ、何か分からないけど、おめでとう」
「有り難う。来てくれて嬉しいよ」
「もう帰るけど。この詰め物が終わったら」
「そうか、元気でね」
「君もますます盛んで」
「いや、石塚君が羨ましいよ。そのマイペース振りが。誰にも気を遣わず仕事、してるんでしょ」
「ああ、相手にされないからね」
「僕が今一番欲しいのがそれだ」
「あ、そう」
「また何かあれば連絡するよ」
「ああ」
 先ほどの大きな輪が、二人のいるテーブルに近付いて来た。
 既に石塚は退散している。鞄を指で押し広げ、サンドイッチが潰れないように。
 
   了



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2021年01月28日

4008話 一騎当千


 布施の君原十三郎。真田村の俊蔵。雲母峡の村上武一。その他大勢の勇者がいる。二十人ほどいるだろうか。一騎当千の武者達。
 若君は子供の頃から領内にいるそれら家来の武勇伝をお伽噺のように聞いていた。
 少し大きくなってからは側近が止めるのも聞かず、渋沢村の熊谷信康を訪ねた。二叉の槍の使い手。
 側近と手合わせしたが、敵うものではない。特に馬上から重い槍を振り回す技は、天下一品。
 しかし、それよりも強い荒武者がまだまだいるのだ。
 若君が跡目を継ぎ、領主となった。
 荒武者達は壮年に差し掛かり、さらに勢いを増した。年長の荒武者は引退したが、その息子が加わった。二十人衆と言われているが、それを越えている。
 その頃、隣国と小競り合いがあったのだが、二十人衆が加わることで、蹴散らした。逆に隣国の一部を奪い取り、ますます二十人衆の武勇は拡がった。
 そんな折、その隣国は援軍を呼んだ。そして簡単に奪われた村々を奪還した。元々は隣国の領土だったので、当然だろう。
 さらに勢いづいた隣国と、その同盟軍の援軍が、逆に攻め寄せてきた。
 若君は家督を継ぎ、領主になっているのだが、家老や側近が取り仕切っていた。それに、未だに「若」と呼ばれている。
「若は何もしなくても良いのでござる。全て我らが仕切りますゆえ」
 若は素直に従っている。
 隣国とその同盟軍がひしひしと迫っていたとき、家老や側近は降参を進めた。勝てないためだ。
 若もそれに従ったが、戦わずして負けるのはいやだ。しかし、ここで降参すれば、領土は減るがお家は残る。
「若、ご決断を」
 といっても、これは形だけのこと。
 若は幼い頃のことを思い出しているのだ。当家には二十人衆がいると。そして見に行ったこともあるし、先ほどの戦いでも、まだ健在で、ますます勢い盛んというのが分かっている。
 若がそこまで言うのなら、ということで、二十人衆を呼び集めた。
 騎馬が十五騎、あとの五人は歩いてきた。そしてその供回りを合わせると百人近い。
 この二十人衆が先陣となり、後ろから本軍が続いた。
 まずは物見が先に向かう。この中に二十人衆が二人ほどいる。そういう技能に秀でているためだろう。
 敵は意外と多いことが分かった。隣国の兵だけなら、しれているのだが、同盟国の援軍が多く来ている。これは本気で戦う気があるかどうかだろう。
 二十人衆は、一気に突き進めば、敵の陣を破れるとみた。前回の戦いでも、そうだった。二十人衆が突っ込めば、敵は逃げた。
 作戦はそれで決まり、一気に二十人衆の荒武者が突っ込んだ。
 若はこれが見たかった。我が領内には二十人衆がおり、無敵だと。
 突っ込んだ二十人衆は錐のように敵陣深くまで突き刺す。だが、そのあと出てきたのが同盟軍。この兵数が半端ではない。物見の知らせでは千を越え二千近く布陣しており、こちらへ向かっているのはその一部だと。
 規模が違っていた。
 二十人衆は、それでも敵陣深く突っ込んだのだが、囲まれそうになったので、引いた。多勢に無勢、個々の力では何ともならない。それに矢玉が雨のように降ってくるので逃げ出した。
 その報告を聞いた若は、落胆した。
 そして家老達が寄り合い、和議の交渉を再開した。
 二十人衆の噂は、その後、聞かない。
 
   了




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2021年01月27日

4007話 予想通り


「予想通りの展開になりそうです」
「そうか」
「予想は当たりましたが、何か物足りません」
「当たったのだから、良いじゃないか」
「外れるか、予想外の展開を期待していましたが、そうならないとは思っていましたが、やはり物足りません」
「では、やはり期待していたのでは」
「多少は。しかし、期待通りにはならないことを予想していましたので、問題はありませんが、少し」
「物足りないと」
「物足りないことは最初から予想していましたので」
「じゃ、何が不満なのかね。予想が当たったのに」
「誰でも予想できることです。だから予想などいらなかったのです。しかし」
「何か物足りないと」
「そうです。分かっていることが分かっている通り起こっただけなので」
「そうか」
「しかし、予想よりも少し良かったので、問題はありません」
「じゃ、予想を上回る展開だったと」
「そうです」
「じゃ、満足だろ。予想していなかったのだから」
「いやいや、少しは上回っていましたが、今一つです」
「じゃ、もっと凄いものを期待していたのかね」
「いえ、期待はできないと予想していましたから」
「分からん人だ。何が不満なんだ」
「よく分かりません。何となく不満もあるだろうなあとは予測していましたが」
「じゃ、予想は全て当たっていたんじゃないか」
「いっそのこと予想以下だった方がすっきりします」
「ほう」
「これは駄目だと、諦めが付きます。見切れます。しかし、下手に予想より、少し良かっただけに、残念です。消化不良というか、物足りなさが残りました」
「それは予想できたのかね」
「その可能性は予想していましたが、何か中途半端で」
「その中途半端は予想していたのかね」
「はい、何となく」
「しかし、その後の展開がまだあるはず。この先どうなるのか、まだ分からんのだろ」
「大凡分かっています」
「それも不満かね」
「不満ではありませんが、何か物足りなさを」
「それも予想できるんだね」
「そうです。何かが欠けている」
「ほう」
「その何かは」
「それも予想できるんだね」
「それは予想ではなく、そんなものだろうということです」
「だから、それも予想じゃないか。実際に起こってみないと分からないよ」
「はい、この先も見守っていきたいと思います」
「君自身の態度も、私が見守っていこう。いつも予想通りのことを言うのでね」
「あ、はい」
 
   了





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2021年01月26日

4006話 申し送り


「雨のようじゃな」
「お出掛けになられますか」
「ああ」
「では用意を」
「いや、番傘だけでよい。それほど強い降りではなさそうじゃ」
「供は」
「いらぬ」
 これは前日と同じ。雨が二日ほど続いている。冬の雨なので、それほど寒くはない。
 疋田清司郎は粗末な羽織に着替え、袴をたくし上げ、下駄履きで外に出た。太刀はなく、脇差しだけ。小太刀の使い手として知られているが、それは道場での話。
 疋田清司郎が二日続けて行くのは近くのお寺。住職とは顔なじみ。檀家でもある。
 その寺の別院があり、一寸した丘の上にある。僧はいないが留守番の小者がいる。用心のため短い目の木刀を腰に差している。寺侍ではない。
「既に来られておられます」
 疋田清司郎の顔を見るや、小者がすぐにそれを言う。早く伝えたいためだろう。
 先に別院に来ているのは志位権六という白髪頭の年寄り。既に隠居の身。疋田の上役だった人で、その役を今、疋田が務めている。
「遅れました」
「いやいや、わしの方が早すぎた。何せ暇なのでな。まだ早いとは思いながら早く出た。雨で難儀すると思ったが、すんなりと歩けた」
「この丘、多少坂がありますが、大丈夫でしたか」
「一度ずるっといきそうになったが、途中で止め、大事ない」
 疋田は小者が桶を持ってきたので、足を洗った。
 本題は上司からの引き継ぎ。表向きのものは既に終わっているが、申し送りというのがあり、これは極秘。
 疋田清司郎は膝を正して聞き入るが、それは大変な話。しかし志位老は気楽な喋り方で、笑談に近い。疋田もそれに合わせて口元をほころばせ、また声を出して笑うこともある。
 これは芝居なのだ。
 小者が茶を入れ直しに来た。
「いるか」
「はい」
「何人じゃ」
「二人」
「よし、下がれ」
 どうやら疋田は付けられたようだ。屋敷を出たあと、それに気付いたのだが、知らぬ顔をしていた。
 志位権六は密談ではなく、笑談を始めた。
 おかしくもない話なので、笑えないが、疋田清司郎はあらん限りの声で笑った。
「やり過ぎじゃぞ疋田」
「そうですなあ」
 引き継ぎの話は、どうやら今日で終わりのようだ。しかし、まだ色々とあるらしい。
 別院から出た二人はぬかるんだ降り坂に差し掛かった。
 その横の繁みから、先ほどの人影が四つ現れた。小者の話では三人と聞いていたが、一人多い。
 疋田は志位老を後ろにやり、すっと前へ出た。
 志位権六が先に太刀を抜いた。
 箕田清司郎は番傘を広げた。
 四人は広田に向かいどっと走り寄ろうとしたとき、滑ったようだ。後ろから小者が竹で突いたためだ。
 将棋倒しのようになり、四人の刺客は泳いだ。
 疋田と志位は、そのまま坂を下った。
 その後、藩内で一寸した異変があったが、大変にはならなかった。
 
   了

  



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2021年01月25日

4005話 山寺の寒参り


 大寒の寒参り。岸田は階段の長い山寺を傘を手に上がっていく。背にはリュック。この山寺まではハイキングのようなもの。バスは寺近くまで来ているが、便が少ない。歩いた方が早い。市外に少し出たところまで市バスが来ている。そこでローカルバスに乗り換えるのだが、その本数が少ない。道路は一本、ローカルバスはそこを通る。だからそこを行けば三つ目のバス停が寺から一番近い。
 それで狭い車道の路肩を雨に降られながら岸田は歩いた。三つ目のバス停、それほど距離はないと思っていたが、ローカルバスなので、バス停の間隔が長いのだろう。かなり遠いことを知った。最初のバス停は村の中。それなりに大きな村。次はかなり離れたところにあり、家が少しだけある。一応農家の屋根が見えるので、同じ村内だろう。そういう小さな集落が川沿いに分散しているようだ。
 三つ目のバス停まではさらに遠く、なかなかバス停が現れなかった。山間の繁みの中にぽつりとあるバス停。家はない。だから、山寺専用かもしれない。そこから枝道が出ているが、林道に近い。車は通れるが、流石にバスは寺の前までは寄ってくれない。
 雨。寒参りで雨。雪ではない。この地方では雪は滅多に降らないが、それは平地部で、山に入ると結構雪は降るし、積もる。だが、その日は雨。風が穏やかなのは助かるが、谷間から吹き上げる風はやはり強い。
 林道というよりも寺へ繋がる道でもあるので、それなりに手入れされており、かなり剥がれているが舗装されている。
 これがハイキング道ならぬかるんできついだろう。
 岸田はただただ歩いている。寒参りなどは忘れて。今この瞬間こそ寒参りなのだ。
 寒いと覚悟はしてきたが、汗ばむほど。これは予定とは違う。きっと雪が降るはずなので、雪の寒参りになると思っていたのだが、そうはいかなかった。
 そして飽きるほど山道を歩き、やっと出てきたお寺の山門。等身大の仁王さんがいる。周囲には誰もいないし、店屋らしきものもない。山中にぽつりとある文字通りの山寺。
 山門を跨ぎ、やっと平らなところに出たのだが、すぐに階段が目の前に来る。壁かと思うほど高くて長い。
 傘を差し、その階段を上がっているとき、寒参りに来たことを改めて思い出す。これを上りきれば本堂とかがあるのだろう。その手前の階段の頂上にまた門があるが、大層なものではない。
 流石に靴が濡れ、少し染みこんできたのか、靴下に冷たさを感じる。足の指が濡れているのが分かる。
 岸田はハイカーではないが、そういうときのため、予備の靴下をリュックに入れている。常備品だ。
 しかし、まだ履き替えるには早い。寺を出る前でいだろう。
 そして長い階段をやっと上がりきったのだが、最後は足が出なかった。息も乱れていた。
 寒参りなのに、暑いほど。
 そして真正面に本堂が見える。三重塔もあるが目の錯覚かもしれないが、少し傾いているように見える。
 本堂の中には入れないが、縁の手前に賽銭箱がある。そこで手を叩くわけにはいかないので、手を合わせる。神社と間違えそうだ。
 賽銭箱に五円玉を落とす。御縁がありますようにと。
 そして、元来たところを、スタスタと戻る。階段を下りるスピードが早い。滑りそうになるので、少し抑え気味に下りる。
 そして仁王さんのある山門を跨いで、山道を歩いているとき、登りだったのが下りになっているので、帰りは楽。
 今度はバスで戻ることにした。
 靴下はそのままで履き替えていない。バスの中で履き替えればいい。もうそこからは濡れないだろう。
 そしてバス停まで出て、待っていると、意外と早い目にバスが来た。タイミングがよかったのだろう。
 それに乗った瞬間、岸田は考えが纏まったようだ。決心が付いた。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:10| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月24日

4004話 水見川の上流


 美川橋は水見川に架かっている。水見川の中では一番幅が広い。河口までまだ距離はあるが、国道が通っているためだろう。美川橋となっているが、橋が美しいわけではないし、川が美しいわけでもない。水美川は上流は別だが、市街地に出てくると、ドブ川に近いが、最近はましになっている。何かが浮いていたり、川底に自転車が沈んでいたり、場合によっては豚が浮いていたこともある。
 豚小屋が確かに上流にはあるが、原因は分からない。
 水見川の名の由来も曖昧だが、よく氾濫を起こしていたので、雨が降ると始終水かさを見に行かないといけないので、そうなったとかの説もあるが、ミズミという言葉が先で、水見川は当て字。ミズミの前はミズモと言われていた。
 それほど大きな川ではないが、上流は意外と遠くから来ている。ただ、途中で川の名が変わる。水見川は平野部に出てきてからの名で、それほど古い名ではない。
 山から出る前の名は木桧川。ヒノキの産地だったのかもしれない。
 木桧川の上流は変わった場所で、山奥なのだが、湿地帯。しかもそれが非常に広い。水草しかないような場所で、小盆地なのだが、水が多すぎる。雨が降ると湖のようになる。水草だけが頭を出しているが、水は深くない。
 つまり水源が湖のようなものだが、無数の水路が走っている。
「そんな場所があるのですか。北海道じゃないのですか」
「いや、中国地方の日本海側です」
「行ってみたいですなあ」
「私も聞いた話です。水見川は知ってますし、美川橋も何度も車で渡りましたが、その上流のことまでは知りませんでした」
「上流は桧木川でしたね」
「その先はまた別の名になるようです。しかし、もう名前は分かりません。ヒイとかの名が付くことが分かっている程度。まあ、忘れられた土地でしょ。誰も手を付けない」
「はい」
「市街地に入った水見川ですが、寂れた市街です。人も少ない。町は町なんですが、置いていかれたようなところです。車で橋を渡るとき、周囲を見ますが何十年も前の世界に戻ったような雰囲気です。それと暗い」
「近くに駅はありますか」
「ありますが、ここも寂れています」
「じゃ、その寂れた町を流れる川の、さらに上流となると、秘境ですねえ」
「人が滅多に来ないから秘境なんでしょうね」
「八岐大蛇の神話と関係しますか」
「しないようですが、湿地に入ると、蛇のように川筋が曲がりくねっています。その程度です」
「はい」
「そこに入り込むと、出てこられなくなるとかは」
「さあ、それは聞いていません」
「そうですか」
「私も聞いただけなので」
「はい」
 
   了



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2021年01月23日

4003話 見方


「何が良いのか、分からなくなりました」
「ほう」
「良いと思っていたものがそうではなかったりします」
「じゃ、見方が悪かったのでは」
「見方ですか」
「良いものか悪いものかの判断力ですよ。その基準が悪いのでは」
「基準ですか」
「そうです。そのものではなく、判断基準で良くもなれば悪くもなる」
「悪いというわけではありませんが、今一つでした。もっと良いもののはずなのですが、それにも達していない」
「まあ、よくあることですよ。それに基準も変わりますから。いつ決めた基準かによってもね。状況が変われば、違ってきますから」
「そうですねえ。意外とつまらないと思っていたものが良かったりします」
「意外とでしょ」
「そうです」
「思っていたよりも良かった。それでしょ」
「はい」
「だから、基準なんです」
「よく分かりませんが、それで何が良いのかが分からなくなりました」
「じゃ、基準を変えればいいのです」
「どのように」
「良いものという基準を作らないことでしょ」
「じゃ、動きようがありませんが」
「何でもいいのでは」
「何でもといっても、やはり基準が」
「基準を表に出さないことです」
「はあ」
「前面に出し、基準がリードするスタイルがいけないとは言いませんが、それが問題なのかもしれませんよ」
「しかし、最近は良いものと決めていたものよりも、一寸違ったものでも良いかと思うようになりました」
「基準が変わったのでしょ」
「そうなんでしょうねえ」
「だから、基準は変わるのです。感覚が変わるようにね」
「そうですねえ。良いものでも飽きてきたりしますから」
「私なんて、そのあたりは適当ですよ。基準は一応あるのですが、あくまでも目安です」
「それで、先生にとり、良いものとは何でしょうか」
「それぞれに良さがある。それだけです」
「じゃ、全部良いってことなんですね」
「そうです。だから基準など作る必要は実はないのです」
「はい、見方を変えてみます」
「まあ、適当に」
「はい」
 
   了


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2021年01月22日

4002話 闇の前兆


 一歩先は闇なのだが、いきなり来る闇もあるが、その前兆がある。徐々に薄暗くなるような。これなら二歩のちはさらに暗く、三歩後はもっと暗くなり、闇が近付いて来ることが分かる。徐々に闇が深く、濃くなっていくのだから、さらに進めば暗闇になるだろう。しかし闇そのものは真っ暗なので、まだそこまで行かない暗さだろう。
 一歩先、少し暗いが二歩目は戻っていたりする。その後、暗くならなければ、闇の前兆ではなかったことになるので安心できる。
 不安なのは歩を進めるごとに暗くなる状態。それでも途中で明るさが少し戻り出せば、安心する。
 当然、それは闇の一休みで、また暗くなりだすと、また不安になる。
 安田は闇の前兆を感じ続けていた。だから一寸先は闇ではないものの、悪い兆しが出続けており、それが消えない。
 その闇とは悪いことだが、どの方面かは分かるが、まだ正体が定まらない。まだましな明るさなので闇の只中にいるわけではない。
 それで不安でたまらない。別に支障はまだ出ていないが、不安で少しおかしくなる。この先、来るかもしれない闇のことを思うためだろう。
 その前兆、すっと消える可能性もある。それならいいのだが、なかなかその状態にならない。
 前兆は具体的に来ており、ただの想像ではない。だからこそ不安になる。一歩一歩近付いて来ていると。
 想像なら思い違いもあるし、別の判断もあるし、また錯覚かもしれない。だが、具体的な前兆は抜き差しならない現実であり、闇の一部なのだから。
 だが、闇の全体はまだ見えてこない。
 日常生活にそれほど支障は出ていないのだが、いつもの日常とは少し違ってくる。何でもない普通の日常、それに早く戻りたい。
 一寸した楽しみ、そういうものが日常内にはある。不安があると、それを楽しめない。
 日常の中でポツリポツリと起こる前兆。安田はそういうことにひと一番敏感なので、気になって仕方がない。
 それがある日、ブツンと消える。早くその状態になり、ああ、あのときは怖かったなあ、と思い出にしたいものだ。
 さて、どうなるのか。一寸先は闇だが、少しだけその前兆が見えている闇。これは怖いだろう。
 一寸先は闇。これは安田だけの話ではなく、誰にでも当てはまるだろう。
 
   了



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2021年01月21日

4001話 町歩き


「北の方へ行くと、一寸変わったところがありますよ」
「このまま真っ直ぐ行けばいいのですね」
「そうです」
 町歩きの青年が見知らぬ町を行く。教えて欲しいと聞かないのに、老人が教えてくれた。
 何か
 それは青年の服装を見れば分かるのだろう。リュックを背負い、カメラを首からぶら下げている。最近よく見る町歩きスタイルなので、老人はそれと分かり、面白そうなところを教えたのだろう。親切な人だ。同じ服装をしていても、別の用事かもしれないが、ほとんど当たっているのだろう。こんな町までわざわざ来るようなカジュアルな余所者はいないはず。
 しかし、教えれなくても、青年は北へ向かっていた。だからそのまま行けばいやでも変わった場所に出られるはず。
 周囲は一寸古びた住宅地。もう取り壊され、建て替えた家もあるが、ほぼ同じ人が住んでいるのだろう。
 少し古いだけで、もの凄く古いわけではない。江戸時代とまではいかなくても、明治大正の頃の建物が残っていれば、趣もあるのだが、戦後建ったものが多い。ブロック塀を見れば分かる。
 庭木もかなり成長し、枝は切られているが、幹は太い。
 町歩きの青年は、もうそれだけでも十分で、それ以上の場所など期待していなかった。もしそんな場所や建物や風景があったとしても、自分で発見したい。いきなり登場してくる方が効果が大きいのだ。
 それで北へ向かったのだが、この町も、そのあたりで終わるのか、畑が左右に見えだした。しかし、よく見ると家庭菜園。田んぼはない。あれば農家があるはず。農家がある村なら、神社ぐらいあるだろう。しかし、まだ見かけない。できたのは古いが新興住宅地だったのかもしれない。
 さらに北へ向かうと、今度は雑木林が目の前に迫り、車道はそこで途切れる。
 家も少なくなる。雑木林の向こうは丘陵だろう。その先に山があるはず。そこからは里山歩きになるのでジャンルが違うため、行く気はない。
 北へ行くと一寸変わったものがあると老人が言っていたが、何だろう。もうこの町の端っこに来ているはず。しかし、何もない。
 だが、それ以上北へ行くとなると、雑木林の中に入ることになる。小道がポッカリと繁みの中で口を開けている。
 これは食べられるぞ、とは流石に思わないが、老人が言っていたのはこの雑木林かもしれない。
 町歩きの青年はそう確信し、繁みの中に入っていった。
 そして、もう二度と出て来られなかったということにはならないと思いながら、それらしきもの探すと、小屋がある。
 小さな小屋ではなく、横に拡がっている。幾棟かあるだろう。
 これに違いないと、青年は小屋へと向かった。
 その入口にチロリン村と書かれている。
 小屋は店屋のようだ。木工品が並んでいる。仏像もあるし、怪獣もある。
 小屋の裏側で電ノコの音がする。
 店番はいないし、当然客もいない。しかし、土産物屋のように並んでいる。どれも真新しい。
 一寸変わったところとは、これだった。
 あまり興味がなかったのか、町歩きの青年はすっと引き返した。
 
   了
 


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2021年01月20日

4000話 盛り土


 晩冬。冬も老いたのか、寒さ慣れしたのか、下田の身体には暖かく感じられる。それは風がなく陽射しがあるため。その日を浴びているとぽかぽかする。本当に今は冬なのかと思うほど暖かい。
 行きつけの公園から少し離れた植物園のような一角があり、そのベンチに下田は座っている。周囲には誰もいない。
 この植物園、公園の端に入口があるが、その先は行き止まり、川の土手がある。だから公園に括り付けられたような袋。
 植物園といっても大したものが植わっているわけではない。それにしては少し広い。
 それよりも日向ぼっこには丁度の場所。ベンチは複数あるが、陽が当たっているのは下田の座っているところだけ。特等席だが、この時間限定。
 独り占めしているわけではない。他に人は入って来ない。
 冬場なので咲いているのはスミレ程度。しげしげと見るほどのものではない。どの公園でも見かける。
 そこに老婆が入ってきた。手入れに来ているのだろう。見た感じボランティアのようだ。
「今日は暖かいねえ、ポカポカ天気だね」
「そうですね」
 老婆はそれだけ言うと、作業を始めた。枯れた花を抜いている。まだ咲いているのに抜く公園もあるが、ここは息を引き取るまで、抜かないようだ。
 たまに川の土手道を車が通る。やはり動いているものに、目が行くのだろう。
 植物園の真ん中あたりに少し盛り上がったところがある。一寸した山。そこだけは何も植えていない。背の低い野草だけ。植えたものではないようだ。よく見ると丸い形をしている。立体感を出すため、盛り土したのだろうか。しかし、何も植えていないのはおかしい。
 普段は気付かなかったのだが、老婆がその盛り土に上がっていったので、分かった。何でもない盛り土。気に留めるようなものではない。
 土手道の車も動いているが、老婆も動いている。その老婆が消えた。盛り土の裏側へ降りたのだろう。
 下田は何も考えていない。ぼんやりしに来たので、いま、目の前にあるものを漠然と見ているだけ。過去を振り返ったり、先のことを考えたりはしない。
 その今がおかしい。
 老婆の姿がない。裏側へ降りていったのだが、そこから出てこない。横への移動があるはず。
 もしかして、降りるとき転んだのかもしれない。それで立てないで、じっとしているとか。
 下田は急いで、盛り土を登った。大人の背ほどしかないので、すぐだ。
 しかし頂上から向こう側を見るが、転倒している老婆の絵はない。何もない。
 消えた。
 下田は盛り土の向こう側へ降りてみた。何か穴でも空いているのではないかと。
 だが、見事に消えている。周囲を見渡すが、人影はない。
 最初からそんな老婆など入って来なかったのかもしれない。または下田が陽射しを受けてぼんやりとしているとき、もう出ていったのかもしれない。
 
   了

 
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2021年01月19日

3999話 全てがそうではない


「少し暖かいですねえ」
「真冬なのに、この暖かさ、暖冬でしょう」
「寒いときは固まっていますが、今日のような暖かさなら」
「動きが良くなると」
「逆です。鈍くなります。暖かいので」
「そうなんですか」
「着込んでますから」
「そりゃ暑い」
「それに暖かいのに、ここなんて暖房がよく効いているので、夏よりバテます」
「冬に夏バテですか」
「はい、冬バテはありません」
「でも寒くて固まっているのでしょ」
「それだけではバテません」
「しかし、この時期のこの暖かさ、この先、寒い日が来るんじゃないですか」
「楽あらば苦もありですか」
「しかし、あなた、今日のようないい日和なので、楽なはずなのに苦痛なんでしょ」
「暑くてだらっとして、やる気も起きません。夏の暑いときと同じです」
「じゃ、うんと寒くなると」
「その方がいいです。頭は冴えます。じっとしておれば身体は固まってしまいますが、動けばどうってことはない。だから楽です」
「苦であるはずなのに楽とは」
「いや、全てがそうではありませんよ。しかし楽の見いだし方があるのです」
「ほう」
「楽なときでも苦はあります。食べ過ぎて腹が痛いとか。御馳走をたらふく食べることはいいのですが、そのあとが」
「なるほど、苦楽どちらにも苦楽があると」
「全てじゃないですよ。楽なだけもあれば、苦しいだけもあります。当然でしょ」
「そうですねえ。しかし、楽のあとには苦があり、苦のあとには楽がある。当然全てじゃありませんがね」
「そうなんです。全てそうでないところにややこしさがあります」
「長所は欠点であり、欠点は長所である。これはどうですか」
「全てがそうじゃないでしょうがね」
「そうなんです」
「じゃ、そういうことは言わない方が賢明かもしれませんねえ」
「まあ、そういう面があるという程度でしょ」
「そうですねえ」
「それで、あたな、これからどうされます」
「そのへんを歩くにはいい気候ですが、何せ暑いので、動きが悪いので、そのまま戻って昼寝します」
「暖かいと思い、油断して寝ていると、風邪を引きますよ」
「もう引いているのかもしれません」
「ああ、それで体が熱いと」
「はい、熱があるようです」
「それはいけない。早く戻って静かにしておられるのがいい」
「はい、そうします」
「お大事に」
 
   了



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2021年01月18日

3998話 真冬の花見


 冬枯れで枝だけになった場所で、一人の男が立っている。それを見ていた散歩人は、これは怪しい男だと思い、無視して通り抜けようとした。きっと、何をされているのですかと聞かれたいのだろう。
 男はじっと木の枝を見ている。同じ場所ではなく、別の枝や、その枝の先や中程を見たりと、結構キョロキョロしている。
 それを後ろから見ている散歩人は、その目の動きまでは分からないが、首が動く、頭が少しだけ動く。
 鳥でもいるのだろうか。しかし、散歩人がこの木や、その近くの木を見回したが、飛んでいる鳥も止まっている鳥もいない。もし止まっている鳥を見付けたのなら、首を動かさないだろう。
 散歩人は男の後ろを通り過ぎたが、やはり気になるので、振り返った。すると横顔が少しだけ見える。
 怖い顔ではなく、人懐っこそうな丸顔で、眉も下がっている。それで、少し安心し「何をされているのですか」と、まんまと罠にはまった。
 別に罠ではないが、その手には乗るまいと思っていたのだが、乗ってしまう。
「花見です」
 しかし花など咲いていない。花咲か爺でもない限り、すぐに咲かないだろう。しかし爺が咲かすのは枯れ木。そこに生えている木は立ち枯れではなく、冬なので、葉を落としただけ。いずれ芽を出し花も咲かせ葉も出すだろう。
「花など咲いていませんが」
「これは桜の木です。この辺り一帯、桜の名所です」
 枝だけの木なので、桜だとは散歩人は知らなかった。しかし桜など咲いていない。これからますます寒くなる大寒の手前。寒梅なら咲いていてもおかしくはないが寒桜は、まだ早い。
「何処に」
「そこにも、ここにも」
「枝ですよ」
「先を見たまえ。芽がもう出ておる。これが徐々に膨らみだし、咲く前は赤みをおびる。今は茶色い。くすんだ色。枝と見分けが付かないので、分かりにくいが、これがいずれ開く」
 散歩人も、そのつもりで見ると、確かに枝に瘤がある。
「それを見ていたのですか」
「桜のつぼみ見、これに限る。咲いてしまえばもうおしまい。咲く前が花よ」
 男はそう言い切った。
 それだけの人だったようで、散歩人が立ち去ろうとしたが、まだつぼみを見ている。別に人を引っかける罠ではなかったようだ。
 散歩人はよく散歩するのだが、そういう見方をしていなかった。ただ歩いているだけの人だったので。
 
   了

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2021年01月17日

3997話 湯治場へ


 妖怪博士宅に久しぶりに担当編集者がやってきた。風邪を引き、それが長引いていたようだ。それに妖怪博士は冬場は冬眠しているので、たまにしか来ない。いつもは用もないのに遊びに来ていたが、風邪では仕方がない。
「風邪は治ったのですかな」
「もう大丈夫です」
「また、何か依頼かな。しかし冬場は外に出たくないのだが」
「分かっています。今日は見舞いです」
「私は寒いだけで、どこも悪くないが」
「いえ、僕のです」
「君の」
「自分から見舞って貰おうと、やってきました」
「え」
「博士の労が減るでしょ」
「しかし、もう治ったのじゃろ。だったら見舞う必要はないし、風邪で寝ている人を見舞うつもりはない。それにただの風邪だろ」
「冗談です」
「そうだろうなあ。まあ、そんなことが言えるのは元気な証拠」
 妖怪博士は何か出そうとしたが、先に編集者がコートから缶コーヒーを二本取り出した。
「ああ、まだ温かいなあ」
「そこの自販機で買いました」
「そことは」
「廃業した煙草屋の」
「距離があるだろ。それなのにまだ温かい」
「そうですか」
「熱がまだあるんじゃないのか」
「ありません。平熱です」
 妖怪博士はカポンと開けて、ちびっと飲む。
 編集者はがぶっと飲む。
「しかし、この部屋寒いですねえ」
 妖怪博士はホームゴタツのダイヤルを回して最強した。
「見舞われ人とは珍しい。確かに見舞いに行かなくてもすむが、風邪で寝込んでいることなど知らなかったし、たとえそうでも、風邪程度では見舞いになど行かんがな。それに見舞いそのものにも行かん」
「その話は済みました。冗談だと言ったじゃありませんか」
「そうだったな。で、本当の用件は何かな」
「ありません。顔を見に来ただけです」
「そうなのか。何かとんでもない仕事でも振ってくるのかと思い、ひやっとしたが」
 編集者はコートの内ポケットから封筒を取り出した。寒いので、コートは着たまま。
「ほら、依頼じゃないか」
「まあ、見てください」
「どれどれ」
 妖怪博士はチケットを受け取る。
「どうですか」
「なんじゃこれは」
「見ての通りです」
「温泉宿か。湯治宿とも書かれておるが」
「二週間ほど逗留できます」
「ほう」
「もらい物ですが、先生に行ってもらいたいと思いまして」
「寒いときの温泉。うむ」
「行かれるでしょ」
「勿論」
「これは交通費です」
「そこまでしてくれるのは、仕事だな。経費だな」
「はい」
「やはりなあ」
「その宿が怪しいのです。それで先生に調べて欲しいと」
「依頼者は」
「いません。編集部です」
「じゃ、調べにくいのう」
「まあ、何もなければそれで結構です。ゆっくり湯治されて、寛がれて」
「弱いなあ」
「無理に調べる必要はありません。どんな感じの宿屋か程度でいいのです」
「分かった。ヘルスセンターへ行くつもりで、行ってくる」
「はい、お大事に」
「何を大事にするんじゃ。それほど危険なのか」
「それは先生が確かめてください」
「よし、分かった」
 妖怪博士は缶コーヒーをぐっと飲むが、喉に粘液が絡まったのか、吹き出した。
「失礼」
「いえいえ」
 しかし、妖怪博士は行かなかった。実は風呂嫌いなのだ。
 
   了
 


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2021年01月16日

3996話 幽霊探知機


 妖怪博士宅の最寄り駅前の商店街の奥にある古びた喫茶店で久しぶりに幽霊博士と話し込んでいる。
 幽霊博士はまだ若い。それで困ったことがあると妖怪博士に相談する。幽霊博士も妖怪博士も幽霊ハンターではなく、また妖怪ハンターでもない。ただの研究家。
 手強い幽霊が出たので、妖怪博士に助けを求めに来たわけではない。最初から、それは期待していない。
「幽霊探知機」
「そうなんですよ妖怪博士。今はその時代ですが、霊媒師や霊能者、または霊が見える人とコンビを組むことが多いようです」
「幽霊探知機とはどんなものですかな」
「一台じゃありません。暗闇でも見えるカメラとか、熱に反応するカメラとか。磁場とか振動とか、そういう機材が複数あります。スマホのアプリにもありますし」
「センサーですな」
「そうです。ですから僕たちのような霊感の鈍い人間でも幽霊が見えるわけです」
「妖感もそうですな。羊羹は好きですが」
「はい」
「じゃ、幽霊博士はもう時代遅れですか」
「妖怪博士もそうでしょ」
「そうじゃな、スマホで妖怪が釣れる時代ですのでな」
「しかし幽霊はその人の内部にいるとすれば、そんな機械では役立たないでしょ」
「妖怪もそうですなあ。見る側にいる」
「そのタイプが多いのですが、幽霊屋敷などがありますから。そこでは恒常的に出現しています。複数の人が見たり、また写真に写ったり、センサーも反応します。また幽霊の通り道、進入口も分かったりするのです」
「幽霊は壁を抜けられないのですかな」
「そうです」
「じゃ、物理的な存在ですな。透明人間も見えないだけで具はある」
「具ですか」
「妖怪はまあ冗談としても、幽霊はリアルですからな、早くその仕事を辞められた方がいいでしょ。何度も言っておりますが」
「有り難うございます。その助言を活かし、本当に出るところには行きません。僕など太刀打ちできる相手ではありませんから」
「しかし、どうして幽霊博士をやっておられるのですかな。まだお若いのに」
「祖父が心霊博士だったからです」
「ああ、その影響ですか」
「普通の社会人をやるより、楽しそうだったし、祖父は真面目な人でしたが、格好よかったのです」
「もう亡くなられたのですか」
「はい、長寿でした」
「心霊に関わり続けても無事だった?」
「生涯一度も幽霊に出合わず、心霊体験も一度もなかったようです」
「君はどうじゃ。いつも目の縁が黒いし」
「誤解です。そういう目元なのです」
「それは失礼」
「直接幽霊と対峙したことはありませんが、危ない目に何度も合いました」
「ほう」
「それで分かったのですが、幽霊はぼんやりとした半透明な姿で現れるのではないようです」
「というと」
「間接的です」
「ドアが勝手に開くとか、音を立てるとか」
「そうです。幽霊屋敷の古典的例ですが」
「君は幽霊を信じるかね」
「それも含めての心霊現象。超常現象は信じますし、間接的な体験もしています」
「気のせいではなく」
「そうです」
「祖父の心霊博士も天寿を全うしましたので、僕も大丈夫だと思います」
「心霊博士の著作はあるのですか」
「ありません。書けなかったようです」
「どうしてでしょうなあ」
「語ってはいけないことだったようです。僕にもその体験談を一切話してくれませんでしたので」
「ところで、今日は何かの用事のついでですかな」
「はい。近くまで来ましたので」
「またいらっしゃい」
「妖怪博士もご無事なようなので、安心しました。しかし祖父と同じように、本当のことは話さないでしょうねえ」
「そんなものはありません」
「はい。そういうことにしておきます」
「もう行くかね」
「はい、どうかご無事で」
「いやいや、最近私は妖怪封じのお札を貼りに行く程度ですから」
「それは呑気でいいですねえ」
「そうじゃな」
「じゃ、これで」
 幽霊博士は伝票を掴み、先に立ち上がった。
 
   了



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2021年01月15日

3995話 妖怪のいない一月


 冬ごもりに入った妖怪博士だが、ずっと家にいるわけにはいかない。妖怪封じのお札を貼り替える家が複数ある。いずれも大きな屋敷。これを月参りと呼んでいる。
 寒い時期、出かけたくはないのだが、仕事なので仕方がない。本来、妖怪研究がメインなのだが、ついつい頼まれて余計なことをしてしまう。妖怪ハンターの力はない。幽霊や妖怪が目の前にいても、勘が鈍いのか、それで普通なのか、何も感じない。
 そのため真夜中の墓場へ行っても、何ともない。自分にはそういうものは見えないと思っているためだろう。
 そういうものがいないとは思っていないが、自分には分からないと。
 妖怪封じのお札、護符も効くとは思っていないが、貼ると安心する人がいる。その人に貼るサロンパスやトクホンではないが。
 今日は平田氏を訪ねる日。スケジュール帳はないが、月割りのカレンダーに記してある。
 お札はかなり持ち、ずっと持ち、賞味期限のようなものはない。しかし平田氏は毎月貼り直してもらいたいらしい。そういう人が数人いる。そこを回る仕事の日だけは外出する。まあ、お得意さんだ。
 平田氏の家は少し遠い。私鉄を二つほど乗り換えないといけないが、妖怪博士の家が交通の便の悪い場所にあるので、平田氏の家が遠く感じるが、実際には便のいい場所。土地の安い郊外ではなく、結構中心部に近い。昔からある屋敷町だろう。
 妖怪博士はホームゴタツのスイッチを切り、ガスコンロを覗き、水道の蛇口も確認し、そして玄関戸に鍵をかけたのを確認し、表の路地に出た。ここは不思議と舗装されていない。雨が降ると水たまりができるし、ぬかるむ。
 路地を抜けると、普通の市街地の道路に出る。
 そこから駅までの道が遠い。寒風の中、歩くのがいやなのだ。
 それで、風がましな狭い通りにすぐに入り込む。ビル風の方が普通の風よりも厳しいので、そのコースは避ける。
 駅までの道は妖怪博士だけが知っている間道で、狭いが風はまし。
 駅に着いてしまえば、あとは楽。乗り換えが面倒だが、車内は暖かい。
 そして平田氏の住む最寄り駅で降りる。駅前は広々とした公園。樹木も多い。老舗の饅頭屋とか、歯医者の古いビルがある。やっているのかどうか、分からないような歯医者。
 平田氏からいつも舶来菓子を頂戴するので、そのお返しというわけではないが、手土産として田舎饅頭ときんつばを買う。
 いずれも茶菓子として一緒に食べるのだが、自分が食べたいのだろう。
 高級住宅地近くなので、非常に高い饅頭だ。ここで作っているらしく、早朝に作り、昼頃には売り切れている場合がある。いまは昼過ぎ、まだ残っていたのでほっとする。
 それぞれ二つずつ買う。合計四つ。それを正方形の小さな菓子箱に詰めてもらい、包装紙、紐まで付けてくれた。高いだけのことはある。その辺の饅頭の倍以上するのだから。しかし、ものは小さい。一回り小さい。特にそのサイズのきんつばは、ちょうどいい量だ。大きいと飽きてくるし、皮一枚の中は全部アンコなので。田舎饅頭もそうだ。皮の上から下の黒いアンが見えている。
 道幅の広い道路には歩道が付いている。車の量は少ない。銀杏並木は当然幹と枝だけになり、風で枝が震えている。
 沿道の家はどれも大きい。敷地も広い。岩ほどあるような石を積み上げた石垣が長く続く。
 さらに行くと、黒塀。これは背が低いためか、庭木で高さをカバーしている。これも長く続く。それほど庭が広いのだろう。
 平田氏の家もそれに負けないほどだが、ある程度敷地面積は決まっているようで、高級住宅地として分譲されたようだ。かなり昔の話。
 平田氏の家は洋館風で、ひときわ庭木が多い。
 ちょうど約束の時間に来たので、インターホンを押すと、平田氏が出てきた、鉄柵の門を開けてくれた。出入り口はそこだけ。
 応接間に通され、いつものように紅茶をいただく。それに合うかどうか分からないが、例の饅頭を出す。
 平田氏は、その和菓子屋を知っていたが、買ったことはないらしい。一度食べてみたかったようで、喜んでもらえた。
 いつものように雑談が始まるが、妖怪博士は聞き役。
 妖怪博士は甘い饅頭を食べると眠くなる。それに寒いなかを歩いて来て、応接間の暖房がいい感じなので、さらに眠たくなる。また平田氏の話も眠い。政治経済世界情勢のお経にたまに打つ相づちを忘れるほど。
 その読経を聞いていると月参りに来たはずの妖怪博士なのだが、逆だ。
 妖怪が出るのだが、最近は出なくなったらしい。妖怪封じの札が効いているのだろうか。月に一度貼り替えるのだが、張り替えすぎだ。
 このままでは寝てしまうと思い、妖怪博士は「さて」といいながら、お札の貼り替え作業に入った。
 それを終え、帰りしな、謝礼をいただく。
 そしてもらい物ですが、といいながら、舶来菓子もいただく。焼き菓子のようだ。
 そして表に出ると、冷たい風。寒風の中、妖怪博士は駅前まで元気よく歩く。お布施のような礼金が先月よりも多かったためだろう。
 
   了

 

posted by 川崎ゆきお at 12:47| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月14日

3994話 無人の宿場


「雨が降らずによかったですね」
「持ちましたね」
「でも雨じゃなく、この寒さじゃ雪になるかも」
「雨雲と雪雲との違い、分かりますか」
「分かりません」
「でも降りそうにありませんね」
「このまま持ってくれればありがたい。次の宿場までまだまだ遠い」
「そうですね。じゃ、私は先に」
「ああ、道中、気をつけてね」
「あなたは?」
「私は膝が痛いので、もうしばらく休憩してから立ちます」
「はい」
 旅人が宿場を目指して早足で歩いている。持つようだが、いつ降り出すか分からないので。
 その心配が当たったのか雨が降り出した。雪ではなかったが、降り方が激しい。これは通り雨だろうか。山に雲がかかり、もう見えなくなっている。
 降ることが分かっていたので、背中にかけていた雨具をつけるが、少しましな程度で。降り方が強すぎる。
 宿場までまだある。
 こういうとき、木の下で雨宿りという手がある。無理して雨の中、歩く必要はない。
 屋根になりそうな濃く茂った葉の木はないかと茂みの中に入っていく。
 すると家の屋根が見える。
 これは幸いと、その家の近くまで来ると、屋根が多い。
 志摩宿と書かれている。
 次の宿場ではない。それに宿場なら街道沿いだろう。
 これは危ないので、近付かない方がいいと、旅人は引き返した。
 そして元の街道に出て、早足で、次の宿場を目指す。
 宿場町に入る頃は雨はやんでいた。しかし、ずぶ濡れ。すぐにでも熱い湯に入りたいところ。
 しかし宿場町は無人。誰もいないし、またどの宿屋も店も開いていない。
 どうしたことかと、突っ立っていると、先ほど道ばたで出会ったあの人が近付いてきた。膝が悪いといっていたが、直ったのだろうか。しかし、それにしても早い。
 それは茂みの中の宿屋で時間を取られたので、遅くなったためだろう。
 その人は旅人を見るなり、ここは危ないと教えてくれた。
「私もこんなことになっているとは知りませんでしたが、ここは危なそうです」
「しかし、日が傾いてきたので、次の宿場へは」
「そうですなあ」
「あのう」
「なんでしょう」
「ここへ来るまでに宿場がありました」
「そうなのか」
「はい。怪しげだったので、引き返しましたが」
「じゃ、そこへ行こう。ここは何かおかしい。人がいないので分かる」
「はい」
 二人は、茂みの奥にある宿場へ入った。
 人が歩いており、また宿屋も店屋も開いており、その二階には明かりが灯っており、既に宿泊客がいる。
「普通でした」
「あの宿場に異変があったので、こちらに引っ越したのかもしれん」
「しかし、茂みの中ですよ。街道沿いじゃなく」
「見つからないでいいのでしょ」
「何にです」
「先ほどの宿場を無人にした化け物にです」
「はあ」
 
   了



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2021年01月13日

3993話 新年の蠢動


 まだ大寒も来ていないのだが、吉村は春を感じた。この春は新春。新しい年ということで気温を差しているわけではないが、一月も中旬を過ぎると完全に正月気分は抜ける。おとそ気分。だが吉村は飲んでいないが。
 これから真冬の一番寒い頃にさしかかっているのに、なぜ春を感じるのか。それはその日はよく晴れ渡り、高気圧に覆われ、寒いが日差しが明るく、街も明るく見えるためだろう。それで新春を感じなかった正月だが、今頃新年を感じている。
 年を越したというのが、その時期に分かる。既に十日は過ぎているのだが、リアルに感じるのは、その頃なのかもしれない。
 十日目に、ああ新年を迎えたなあ、と思うのだから、少し遅いのだが、そういう気になるのだから仕方がない。
 吉村は寝正月で何処にも行っていないが、正月が明けてからも何処にも行っていない。買い物には行くが、これといった用事はない。
 友人知人は消えてしまい、毎年年末に帰省する親友も、もう十年ほど前から帰って来ない。すっかり都会の人になったのだろう。
 春を思わせるものは何一つなく、真冬の風景しかないのだが、なぜ春を感じたのか、吉村は不思議な気がした。感じたのだから仕方がない。感じようとして感じたわけではない。
 年明けを感じようとしたが、感じなかった。一夜明けた程度の気持ちしかなかった。
 蠢動。吉村は虫ではないが、腹の虫が動き出したのかもしれない。もう春だと。それにしてもまだ早い。フライングだ。
 ということは、今年、何かやろうとしているのかもしれない。
 何を。
 それが分からない。だが何かが蠢いている。胎動だ。何かは分からないが、きっと何かがあるのだろう。
 何か何かでは何かよく分からない。
 だから、ただの気のせいだ。
 と、思いながらも気になるので、心当たりを探してみた。それらは過去にある。過去に蒔いた種が発芽したのだろうか。
 または長く寝ていた虫が、起き出したのだろうか。
 しかし、あれでもないし、これでもない。思い当たるものがない。それでは何ともならない。
 気分だけ盛り上がっても、何に対しての盛り上がりなのかが分からないのでは、空回り。やはり具体的なものがないと、うまく絡まない。
 そうか、何か新たに考えて行動せよということか。と、吉村は、そう受け取った。
 いわば白紙のページ。そこから始めよと。
 それで、いろいろとやりたいことなどを考えていたのだが、数日経過しても、何も出てこない。特にやりたいことがないのだ。
 そのうち大寒波が来て、真冬の一番寒い状態になる。
 それで、感じていた春も凍ってしまったのか、その後、あの春の気配は、もうしなくなった。
 やはり気のせいだったようだ。
 
   了

 



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2021年01月12日

3992話 拾い戎


「相変わらず景気が悪いようだね」
「安定している」
「悪いところで安定しているんだね」
「安定感がいい。素晴らしい」
「しかし生活が安定しないでしょ」
「ああ、不安定だ」
「だから景気の底で安定しているより、そこを動かせばいい」
「底を」
「ああ」
「いろいろやってみたが、何ともならん。無駄なあがきだ」
「じゃ、一緒に行こう」
「何処へ」
「拾い戎だ」
「えびす?」
「そうだ」
「ああ、十日戎か」
「そうだ」
「行っても商売繁盛にならんから、もう行っていない」
「表からじゃだめだ」
「残り戎にも行ったし、裏戎にも行った」
「裏戎?」
「十日戎が終わった深夜に行くのが裏戎」
「そんなのがあったのか」
「効かない」
「そうだろ」
「だから十日戎はもう効かないので、行かない」
「拾い戎というのがあるんだ」
「拾い戎?」
「縁起物を買った人は次に行くときはそれを返しに行く。まあ、ゴミだね。賞味期限が切れた縁起物は。それが境内の一角に置かれているんだ。それを拾いに行く」
「意味は分かる。魂胆も」
「いや、もう少し説明を聞け」
「ああ」
「賞味期限が切れても実はまだ効力があるんだ。それを捨てるわけだ」
「そうなのか」
「それと戎とは蛭子のこと」
「ヒルコ」
「川か海に捨てられた。醜いので」
「古事記か」
「そうだ、似ていないか」
「何に」
「だから、返しに行くんじゃなく、捨てに行くようなものだろ」
「でも一年ものだろ」
「いや、もっと長い。まだ寿命はある。効力はある。それなのに捨てる。ヒルコのように。それを助けに行けばどうなる。ヒルコは喜ぶ。そして商売繁盛になる」
「それを拾い戎というのか」
「そうだ。行こう、いっぱい捨ててあるところを知ってるんだ」
「何処に」
「だから、十日戎をやっている神社の裏だ。まとめてゴミに出すんだろ」
「いい話を聞いた。藁にすがるよりも、良さそうだ」
「行くか、本気で」
「ああ」
「だめだなあ、そうやってすぐに信用するから商売がうまくいかないんだ」
「じゃ、嘘なのか」
「本当の話なら私が拾いに行くよ。まあ、地味に貧乏してるのが平和でいい」
 その話を嘘だと思わないで、すっかり信じてしまったのか、戎神社の裏に行ってみると、物置があり、その前に戎の面や福笹や飾り物が無造作に積み上げられていた。
 男は大きな戎のお面をえびす顔で持ち帰った。
 その後、商売が上向いた。
 と、いう話は聞かない。
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 12:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする