2021年02月28日

4039話 夜中のピチャピチャ


 ピチャピチャと音がする。夜中だ。目を覚ましたとき、それが聞こえた。雨でも降っているのだろうか。しかし、いつもの雨音ではない。猫が水を飲んでいるときの音に近い。
 庭に猫が来ているのだろうか。ガラス戸一枚の距離なので二メートルも離れていないだろう。しかし庭には水はない。金魚を飼っていた頃の水槽があったが、捨てている。
 では、やはり雨音だろうか。起きたついでにトイレに立ち、その小窓から外を見るが、雨の降っている気配はない。音もしない。窓からの見晴らしはよくない。全部開けていないため。ほんの五センチほどの隙間。角度を変えると電柱が見え、外灯が見える。雨なら、そこに線が走っているはず。
 そこまで調べなくても雨は降っていないことはもう分かった。
 そして寝床に戻ると、まだピチャピチャと音がする。やはり庭が臭い。
 里中はカーテンを開け、ガラス戸を開けた。当然寝床の明かりは点いている。それで庭を照らすだろう。夏の日は開け放しているので、部屋の明かりで庭のほとんどは見えることは分かっている。狭い庭だが、手入れしていないので荒れ放題。だから猫がたまに入り込む。猫の寝息が聞こえてくることもあった。
 だから、猫だろうと思い、庭を見るが、それらしい物はいない。やはり薄暗いので、いても分からないのかもしれない。
 それ以前に水はないはず。しかし、水が溜まりそうなものが庭にあるのかもしれない。植木鉢とか水溜まりとか。
 しかし、この数日、雨は降っていない。
 だが、意外なことに気付いた。庭を見ているとき、ピチャピチャの音がしないのだ。
 ガラス戸を開けたとき、さっと猫が逃げたのかもしれない。
 もう猫探しはやめて、里中は蒲団に入った。余計な好奇心で、別に害があるわけでもなく、ピチャピチャが五月蠅いわけでもない。
 そして蒲団に入り、寝入ろうとしたとき、また、ピチャピチャと音が聞こえだした。
 どれだけ水を飲んでいるのだ。まだ足りないのか。すると水飲み猫ではないのかもしれない。
 翌朝、庭を見たが水飲み場になるような物はやはりなかった。
 その夜、一度も起きなかったので、夜中にピチャピチャと音がしていても、分からなかった。
 その後も、夜中に起きることはあったが、ピチャピチャという音は一度も聞こえなかった。
 
   了



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2021年02月27日

4038話 暇潰し


「忙しいですか」
「まあまあです」
「私は暇でねえ。時間がなかなか潰れない。まあ何をやろうと、何もやらなくても、時間は経過し、夜になり、寝る時間にはなりますが、その間、退屈でしてねえ。やることがないので、暇潰しになるようなものが欲しいところです」
「今日は問題ないでしょ」
「そうです。こうして来ていただいたので」
「でも小一時間ほどですよ」
「二時間はいて欲しいです」
「用事がこのあとありますから」
「やはり忙しいと」
「大した用事じゃないのですがね」
「何でしょう」
「桜のつぼみを見に行くのです。変化はほとんどありませんがね」
「あ、そう」
「暇潰しです」
「いいですなあ。しかし、私、そんなものに興味はないし、その間、どう楽しんだらいいのでしょう」
「別に楽しくはないですよ」
「でも退屈はしない」
「まあ、ちらっと見るだけで、退屈するほど見ていませんよ。そこへ行くまでと戻って来る時間があります」
「その時間、暇が潰れている」
「そうですね」
「そういった趣味があれば、暇も潰れそうですねえ」
「本当に、何もやることがないのですか」
「ありますが、すぐに片付きますよ。それに顔を洗ったりとか、その程度のことですから」
「趣味を持たれたら如何ですか」
「若い頃から無趣味でして。余計なことはやらない趣味です」
「じゃ、いい趣味だ」
「趣味を作らない趣味です。作っても楽しめませんしね」
「時間潰し、暇潰し、まあ、呑気な話で、いいですねえ」
「そうとも言えますが、仕事を辞めてからは暇で暇で」
「ゆっくりされたらいいのですよ」
「それで色々なことに手を出しましたが、余計なことをしたばかりに、ひどい目に遭ったり、思わぬ出費になったりと、ろくなことはありません。だから静かにしていた方がいいのです。ところが、それでは退屈で退屈で仕方がない」
「寺社参りなどされては如何ですか」
「しました。古寺巡礼。しかし、何が面白いのかが分からない」
「それでいいのですよ。目的があるだけで」
「どの寺もどの神社も似たようなもので、何カ所も回る必要がないほどです」
「違いがあるでしょ」
「ありますが、私にはどれもこれも同じようにしか見えない」
「じゃ、行っても退屈なだけ」
「そうです。そうです」
「じゃ、家にいるのが一番と」
「こうして、来て貰えて、有り難いです。お陰で時間が潰せました」
「あ、そう」
「今日は有り難うございました」
「まだ、一時間も経ってませんよ」
「飽きました」
「あ、はあ」
 
   了




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2021年02月26日

4037話 有馬の隠居談


 立派な武士が供を連れ、馬でやってくる。彦作は用件を知っている。こんな片田舎に来るには目的がある。そしてそれは決まっている。
 彦作は一足先に有馬の隠居に伝えようと思った。駄賃をくれるためだ。
 村道ではなく、畦道や山裾の間道を通り、有馬の隠居に知らせに走った。
 隠居は、そうかと言っただけ。
 彦作が縁先でじっとしている。
 有馬の隠居は銭を与えた。
 しばらくして、立派な武士が馬から下り、庭先から入ってきた。武家屋敷と言うほどではないが、表の門は閉じたまま。
「お力を借りたくて参りました」
 よくあることで、始終だ。
 有馬の隠居も慣れたもので、適当に聞いている。
 隠居とはいえ、力がある。腕力ではなく、影響力が強い。
「何とかしておく」
 最後まで聞かないで、引き受けた。大体分かっているためだ。
 立派な武士は菓子箱を置いて帰った。
 しかし、効かない。そういう金子では効かないのではなく、有馬の隠居には最初からそんな力はないのだ。
 それからしばらくして、別の武士がやってきた。彦作は野良に出ていたので、すぐにそれと分かり、有馬の隠居に知らせに走った。
 しかし、知らせるほどのことはない。ただ、客がもうすぐ来ることが分かるので、有馬の隠居にとっては無駄ではない。それでまた銭を渡した。
 用件の内容は違うものの、同じような話し合いになり、その武士は正方形の木箱を出した。茶碗でも入っているのだろう。有馬の隠居にとっては価値のない品。茶の心得はないし、茶道具を見ても値打ちなど分からない。
 そういうものが、納戸に積まれている。増えると倉に移すようだ。
 しかし、貴重品や金子が果たして効果があるのかどうかは分からない。頼まれたことをやらないためだ。やっても、それだけの力がないので、無駄だし。
 だが、世間はそう思っていない。
 それからまた人が来た。今度は数人で、顔付きが物騒で、服装も物騒なのが数人。これは大変だと彦作は飛ぶように走り、隠居に知らせた。
 これもたまにあることで、隠居は与助に多い目に銭を渡した。
 刺客が屋敷に来る頃、既に与作達というより、村の若い衆が来ていた。
 刺客達は入れない。
 それで、諦めて、帰った。
 有馬の隠居には何の力もないのだが、隠居が裏で手を回していると思われ、命を狙われることもあるらしい。
 
   了
 


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2021年02月25日

4036話 踏み込む


「昨日は忙しかったのですが、今日はゆっくりできます」
「急いで帰られたので、何か無礼でもあったのかと思い、心配していました」
「そんな気遣いは一切無用ですよ」
「昨日は何かあったのですか」
「珍しく人が来るので、その時間にいないといけないので」
「で、会われましたか」
「はい、間に合いました」
 それ以上は踏み込んで聞けないようだ。
「物を受け取るだけですので、僅かな時間ですよ。用事と言うほどでもないし、別に話し合うわけでもなし」
 何が来たのだろう。しかし、踏み込んでは聞けない。
「無事、受け取りましたので、問題はありません」
「大事なことですね」
「いえいえ、大したことではありません」
 気になるが、それ以上は聞けない。
「今日はゆっくりできますので、いつものように、よろしくお願いします」
「はい、分かりました。私こそよろしく」
「ところであなた、お仕事の方は大丈夫ですか。こんなところで油を売っても」
「油屋なので」
「そうだったのですか」
「冗談です」
「そうでしょうねえ」
「私は隠居なので、遊んでいてもいいのです」
「まだお若いのに」
「仕事がいやでしてねえ。それだけです」
「ああ、なるほど。私はまだまだ仕事をしないと食べていけません」
 何の仕事をしている人なのかと、聞きたかったが、踏み込めない。
「風が吹けば桶屋が儲かるような仕事です。だから風任せ、運任せ」
「なるほど」
 まさか、桶屋ではあるまい。油屋と桶屋が会っているのなら、それなりの図になるが。
「それで、今日は何の解釈でした」
「義経千本桜です」
「それは苦労苦労」
 九郎判官義経なので、それに引っかけたのだろう。落語にある。
「吉野の桜、一度見たいものです」
「私は醍醐の花見がしたい」
「太閤さんですな」
「そうそう。我が世の春」
「難波の春ですな」
「難波のことも夢のまた夢とも言ってます」
「辞世でしたか」
「大阪のこと、ただのことじゃない。もの凄いことなのに、さりげなく、難波のことととして片付けた」
「そちらの話に行きますか」
「ああ、義経千本桜でしたなあ。じゃ、続きをやりましょう」
「はい、よろしくお願いします」
 
   了



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2021年02月24日

4035話 午前の用事


 津軽は午前中に用事ができた。それで早い目に起きようと思ったのだが、寝過ごした。それでもいつもと同じような時間なので、遅く起きてきたわけではないが、早い目を狙っていただけに残念。
 それで朝の雑用も短い目に進めた。顔を洗ったり、朝食の準備をし、食べたりというような、毎日やっていることを少し急いだ。
 午前中にやってしまわないといけない作業があり、それもテキパキとこなした。やればできるもので、早くやれば早くできる。しかし、毎日ならしんどいだろう。朝から忙しい思いをしたくない。
 だが、何度もあるようなことではないので、その日に限ってのこと。急にできた用事を済ませれば、あとはゆっくりできる。というより、いつものペースに戻れる。
 急いでいるのは今だけで、すぐに終わるだろう。
 そしていつもより早く済ませたので、約束の時間には十分間に合う。
 ただ、早く起きておれば、急ぐこともなかったのだが、それは仕方がない。
 それで間に合う時間に家を出た。約束場所まで自転車に乗って数十分。半時間はかからないところにある公園。
 たまに通る公園なので、道順も分かっている。最短距離で行ける。問題は何もない。
 朝の用事を急いで済ませたので、何とかなったのだろう。
 こういうときに限って公園までの途中、何かが起こり、遅れることがありそうだ。何の支障もなく、すんなりいくとは限らないが、特に今日はそんな不安が頭をよぎる。
 うまくできすぎている。早い目に起きられなかったが、雑用を早く済ませたので、余裕が生まれるほど。
 そして順調に自転車で進んでいると、もう半ばまで来た。小さな川があり、その横を通っている。公園は右側に見えてくるはず。
 木が植わっているので、すぐに分かる。桜のはずだが、八重桜だったと思われる。ソメイヨシノが散ったあと、咲いていたのを思い出す。去年ではなく一昨年の記憶だが。去年も咲いており、その前を通ったはずだが、記憶にない。
 前方から幅のある車が来る。道が狭いので、津軽は路肩すれすれのところまで避ける。左側は川だが、ガードレールがあるので、問題はないだろう。
 車はゴミの回収車。すれ違うとき、ギリギリではなく、まだ余裕があった。
 そして、公園の入口が見えてきた。
 相手は、その中にいるのだろう。
 津軽は、恐る恐る公園内に自転車を入れた。
 
   了



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2021年02月23日

4034話 なくしたもの


 失ったものを取り戻す。これはよくあることだ。一度手に入れたものを何らかの理由で失うことになった場合、すぐにでも取り戻したり、取り返したい。
 取り消しができるものは、何も失わないが、何も得ていない。取り消したのだから。
 しかし、取り返しが付かない場合、これは何とかしないといけない。一度手に入れたのに消えている。自分のものになっていたのに、それを失う。これは取り戻すため、何らかの動きをする場合もある。
 かなり昔に失ったものなら、もう忘れているし、ないものとしてやっているかもしれないが、失った直後は別だろう。
 失ったものを取り戻そうという気はあるが、もうどちらでもいいかと思うことも多い。それに失ったあとのストーリーがあり、そちらの道へと進んでいるため、取り戻すと話が違ってくるし、もう必要ではなかったりする。
 親の仇のようにいつまでも思い続けているものもあるが、仇討ちをしても親は戻ってこない。
 失ったものがふっと戻ってくると、かなり嬉しい。もうそれは必要でなくなっていたとしても。
 吉永は色々と失ってきたが、増えたものも多い。むしろなくしたものよりも多いかもしれない。忘れ物傘よりも買った傘の方が多かったりする。世界で一つしかない傘なら別だが、何処にでも売っているような傘なら、なくしてもそれほどこたえないだろう。少し出費が必要だが。
 それでも古くなり、傷んでいる傘なら、なくした方が清々するかもしれない。ゴミの日に出さなくてもいいので。
 しかし、吉永にも長く思い続けているなくしたものがある。赤子の頃の至福感などは覚えていないので、それではない。
 そして、何をなくしたのかが分からないが、なくしたような気がすると思い続けている。それでは探し出すにも手掛かりがない。一度も手に入れていないもの、また記憶の中では体験していないことでは、なくすも何もない。持ったことがないので。
 買ったものなら、金を払えば取り戻せる。だから、その方面ではない。
 吉永は大した地位にはいないので、なくした地位でもない。また、なくした名誉でもない。
 しかし、何かをなくしたことだけは分かる。
 何かをやり遂げたあとでの喪失感ではない。天然自然に発生したものに近い。
 何をなくしたのかが分からないまま、それを探している。これは何だろう。
 吉永はそれに何度も気付いているのだが、その不思議な感情は、まだまだ続いている。
 
   了



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2021年02月22日

4033話 通り過ぎたもの


 あることのついでに、三嶋は思い出したことがある。調べ物とは関係しないが、それが気になった。そんなことがあったのかと。
 その路線へは進まなかったのはそれなりのわけがあるはず。良いものなら進んでいる。しかし、こんな良いものを何故今まで無視してきたのかと思うほど優れていた。
 だから、それほど優れていないので、その路線は消え、別のものに取って代わられたのだが、その先、その先へと進むに従い、どうも思わしくない。それでさらに先へと進むのだが、ますます苦しくなる。
 以前、見捨てたものが良かったりすることがよくある。そのときは気付かなかいが色々とやっているうちに浮かび上がる。しかし、それは偶然で、探していたわけではない。それに過去のものなので、それは終わったもの。そこに良いものがあるとは思えないが、惜しいものがいくらかあることは分かっていた。だが、前へ進みたいので、振り返ることはあまりしなかった。
 あまりしないということは、まったくしないということではない。今回はあまりしないが、たまにする。だが、探し物のついでに思い出したためか、これはやはり良い偶然だ。
 三嶋が改めて見いだし、見直したものではなく、偶然。
 その頃、色々なものが多数入ってきた。その中の一つ。そのため、目立たなかったのかもしれない。
 それほど古いものではなく、最近に近い。古すぎると用をなさないが、結構新しい。
 これが実はメインだったのかもしれない。また、メインになるはずのものだったはず。しかし、何らかの理由で、パスしたようだ。
 三嶋にはその理由は分かっている。少し欠点がある。理想的とは言えない。だが、いま考えると、その程度のことなら許せる。その後、色々とやってきて、色々な欠点を見続けたためだろう。
 要するに経験を得るに従い、目が肥えるというよりも、解釈の仕方、受け止め方が変わってくる。
 三嶋は掘り出し物を見付けたように喜んだ。しかし、それがいけない。期待してしまうため。
 だが、色々やってきた中で、これが理想的ではないかということを見いだした。それまでは見えていなかったのだ。
 古い物を捨てるのはいいが、捨て去らないで、いつでも引っ張り出せる程度にしておいた方がいい。三嶋が捨て去らなかったのは、まだ何かあり、可能性があると考えたからだろう。
 三嶋が見いだしたのは、一度通り過ぎたものの中にあった。
 そんなこともたまにある。
 
   了





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2021年02月21日

4032話 魔界の扉


 日常の中に魔界へと通じる隙間や扉があるわけではない。あれば厄介だろう。それに危ない。
 偶然何かの拍子で、すっと入り込んでしまうこともない。だが、魔界とはこの世とは違う別世界だけを差すのではない。魔界に入れば、風景も違い、そこで出合う人や動物、植物までも違うだろう。
 そうではなく、この世と地続きにある魔界もある。決して開けてはいけない何らかの扉。決して入り込んではいけない場所などがある。それらは多くの人にとっては魔界だが、その人だけの魔界もある。
 魔界には魔人もいる。しかし普通の人だ。これもその人にとっては魔人となる。
 だから魔界はその人の中にある。魔界を構成しているのはその人自身の世界。だから布団の中でじっとしていても魔界に入れる。当然寝てしまうと夢の中でその魔界が待ち受けていたりする。ただの悪夢だが。
 また、妙な考えや思いも魔界を開くだろう。魔界なので安全ではない。何が起こるか分からないし、ほぼ良い事は起こらないだろう。何せ魔界なのだから禍々しい世界。禍が降りかかって当然。
 しかし、敢えてその危険な魔界に入り込もうとするのは、良いものをお持ち帰りできるからかもしれないし、またこの日常では見ることができない珍しいものがあるためかも。
 ただの好奇心を満たすだけのことだが、これがすこぶる気持ちのいいことだったとすれば、それに引っ張られやすい。危険を承知で。
 魔界に入り込むと出て来られなくなる恐れがある。もういつもの日常とは違うことになっていたりする。
 日常の中には魔界の口が方々で開いている。下手に足を踏み入れると、大変なことになり、面倒なことになるので、普通は無視する。しかし、入ってみたい気持ちもある。
 いずれも、その人の世界での話で、その人にとってはとんでもない魔界だが、他の人にとっては普通の日常と変わらない世界かもしれない。
 魔界は常に見えている。それこそふと魔が差して入り込むこともある。
 
   了



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2021年02月20日

4031話 足軽参謀


「草加源内」
「はい」
「何者じゃ」
「その者が加わってから様子が変わったことをつきとめました」
「聞いたことのない名じゃが」
「私も初めて聞きます。そんな者が家中にいたのかと」
「かなり押され気味じゃ。敵の勢力が増えておるのもそのためか。わが方は減っておる」
「草加源内の仕業かと」
「確かか」
「変化があるとすれば、草加源内が加わったことだけです」
「何者じゃ」
「調べさせてみましたところ小者です」
「使用人か。それでは身分が低すぎるどころか、加われんじゃろ」
「小者に毛の生えたような足軽です」
「足軽身分でも低すぎる。してどんな家柄じゃ」
「だから、かろうじて足軽に取り立てられいますが、それまでは何をしていたのか分かりません」
「うちにも下草嘉平という知恵者はおるが、身分が低すぎて加えられん」
「下草は切れ者。惜しいです」
「家柄も悪いし、身分も低い」
「足軽でしたね」
「そうじゃ」
「敵はそういった身分の低いものを加えておるようです」
「家柄が高くてもろくなやつがおらんからなあ」
「木川寺」
「それがどうした」
「ここが密談場所と分かりました」
「同席できぬからじゃろ」
「おそらく」
「誰が会いに行っておる」
「清原又造殿かと」
「では、清原が策を聞き出しておるんだな」
「そのようです」
「いつもの出方と違っておるので、おかしいと思っていたが、足軽の策か」
「我らも足軽の下草を加えられては」
「それはならん。同席できん」
「では、私が会いましょう。そして私の意見としてならよろしいでしょ」
「好きにせい」
 この二つの政敵同士を仕切っているのは、ただの足軽だということは極秘とされた。
 結局は草加源内と下草喜平が直接会談し、和解の方向で、調整を始めたようだ。
 
   了
 

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2021年02月19日

4030話 会議の果て


 冬の終わり、暖かい目の日が続いていたのだが、寒の戻りでガクンと気温が下がった。白木のテンションも下がり、体調も悪くなった。決して病人ではない。低気圧の影響だろう。
 日々、何もせず、ぶらっとしていると、低気圧の影響を受ける。忙しく働いているときは、気付かない。だから台風が来る前が分かる。ただし天気予報を先に見ると駄目だが。
 そんな日、いつものように散歩に出た。だから元気なのだ。しかし、ほんの僅かな距離を歩くだけで、その先にある喫茶店に入り、戻ってくるだけのコース。これが日課になっており、昼を食べたあとは必ず外に出る。
 ところが喫茶店まで来てみると臨時休業。これは分かっていたのだが、忘れていた。それで白木はまたガクンとテンションが落ちた。
 低気圧の影響で風も強いが、幸い雨は降っていない。青空があるし、陽射しもある。きっと低気圧は北の遠いところにあるのだろう。
 しかし喫茶店が休みなので、別の店に行く必要がある。そうでないと日課を果たせない。
 その日課は喫茶店で小一時間過ごす参謀会議。これで今後の方針などを立てる。それを毎日やっており、参謀ノートも溜まっている。
 いずれも実行した試しのない作戦。だからそんなお一人様会議など開く必要はない。
 だが、それをしないと、落ち着かない。
 それで、別の喫茶店へ行くことにするが、かなり遠い。近くにも店はあるが参謀会議にはふさわしくない。
 ふさわしい店はかなり遠いが、そこに行くことにする。これは作戦でも何でもない。会議などしなくても実行できる。
 白木は遠くの喫茶店まで歩きながら、そのことを考えた。実際に実行していることのほとんどは作戦会議などしていない。躊躇なく、さっとやっている。
 これだろう。
 と、白木は閃いた。
 それで、少しテンションが上がり、強い風を受け、寒いのだが、気にならない。
 その喫茶店へはたまに自転車で行っていた。歩いて行くとなると、時間がかかる。
 上がっていたテンションも、徐々に落ち始め、雲行きも怪しくなってきた。遠くの方に黒い雲が出ている。
 傘は持ってきていない。しかし、戻る気はない。
 自転車の道と徒歩の道とは違う。それで歩きやすい道を選ぶ。このあたりは自転車でウロウロしているので、ほぼ分かっている。
 それで、左に曲がり、右に曲がりしながら目的地へと進んでいるのだが、迷う心配はない。
 そして歩きながらの参謀会議を始めた。書記はいないので、書き留められない。だから記憶の中に入れるしかない。
 今後、どうするかの検討。これは毎日やっているが結論は出ない。出ても、翌日は却下される。否定される。
 これは参謀会議で通っても、御前会議では通らないため。誰のおん前だろうか。白木の超自己だろう。そんなものがいるわけがないのだが、それが「よかろう」とは言ってくれない。
 だから参謀会議も御前会議も飛ばせばいいのではないかと考えた。
 そんなものを開くから動けない。
 そしてようやく喫茶店に辿り着いたのだが、絵に描いたような話になるが、定休日だった。
 
   了


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2021年02月18日

4029話 心の整理


 風が唸り声を上げている。嵐が来ているのだろう。上田は部屋の中でじっとしている。ポカンとしているわけではなく、考え事をしているのだが、ただの雑念。それをぼんやり時を過ごしているというのだが、上田にとり、それは決してぼんやりではないし、雑念でもない。大事なことを考えている最中。しかし、他人にとってはどうでもいい話で、大したことではない。
 上田は公開中でも航海中でもなく後悔中。それでどうすればいいのかと考えているのだが、別に考えなくてもいい話。ただ気に入らない。不満。そういったものは事柄のいかんによらず襲ってくる。そして不快感。
 何でもない些細なことでも、これは起こる。そして動きが鈍くなり、気も沈着する。
 ここを脱しないと他のこと、大事なことにも影響する。生活に関わる。仕事も芳しくなくなるし、朝、起きたときも元気がない。
 その後悔事を何とかしないといけないと上田は先ほどから、そのことばかり考えている。
 そして不気味な風音。雨は降っていないようだが、風が悲鳴を上げている。
 後悔事は元に戻せる。やり直せばいい。しかし、それではもったいないし、惜しい。心の整理ができていない。だから、じっと部屋で整理しているのだ。部屋の片付けではなく、心の整理。
「できたかな」
 隣の部屋の吉岡がいきなりドアを開けた。
「何が」
「頼んでいた仕事」
「ああ、そのうちやるよ」
「遅いのなら下倉君に手伝って貰うけど」
「いや、やる」
「そうだろ。早く頼むよ」
「ああ」
 それだけ言って吉岡は出て行ったのだが、実際には部屋には上がらなかった。
 上田は手を動かし出した。
 しかし、あの後悔事のことは頭から離れない。手は動かしているが頭は違うところにある。
 やり直す決心がまだつかない。整理が終わっていないので、頭が切り替わらないのだ。
 いつまでもそんな頭の状態では問題。
 悲鳴が聞こえる。先ほどよりも強い風が吹いている。
「部屋、大丈夫」
 また吉岡がドアを開け、そう声をかける。
「何が」
「風だよ。台風より凄い」
「まさか、屋根は飛ばないと思うけど」
「そうだね」
「しかし、雨戸が外れたことがあった」
「あったねえ」
「だから雨戸は閉めないようにしている」
「僕もだ」
「これぐらいの風なら大丈夫さ」
「そうだね。じゃ、急いでね」
「ああ、すぐにできるから」
 上田は作業に戻った。
 そしてしばらく続けていると、あの後悔事が徐々に薄まっていった。
 心の整理ができたとは思わないが、飽きたのだろう。
 
   了
 

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2021年02月17日

4028話 ぶらりと出掛ける


 芳田は天気が良いので、ぶらりと出掛けることにした。日曜で休みだし、丁度いい。これが雨とか曇っていたりすると、その気にならない。陽気に誘われたのだ。
 冬の寒さが薄れ、逆に暖かすぎるほど。ポカポカ陽気を通り越している。まさか夏日になるわけではない。桜はまだ咲いていない。
 ぶらりと出掛ける。しかし、目的地がそれなりにないと、家を出てからどちらへ向かえばいいのかが分からない。決めていないため。
 しかし、駅へ向かう道に芳田は乗る。とりあえず拡がりのある方角へ。
 反対側は徐々に辺鄙になる。歩いてならそちらへ向かってもいいのだが、見るべきものがない。ただの住宅地。少し趣のある風景があるのは、その先だが、歩くとなるとそれなりの距離がある。その間、新興住宅地の中をずっと歩くことになる。そんなものが見たいわけではない。そんなものを見ている時間の方が長くなるだろう。
 駅に出ればワープできる。いきなり良いところへ行ける。駅までの道はそれほど遠くはないし、毎朝通い慣れた通勤路。辺鄙な方角は西。駅のある方角は東。そして北はどうだ。南はどうだ。
 北は工場やグランドがあり、結構殺風景。南側も住宅地ばかりで、その先は川に突き当たる。だから伸びがない。まだ西の方が山へと続いているので、まし。東にある駅から、その山の裏側まで回り込める。一気にワープだ。
 山の裏側はニュータウンになっているが、まだまだ長閑。昔からあるような村が点在している。そして寺社も多い。
 ぶらりと何処かへ出掛ける。目的は、それで決まった。西側にある山を越えること。そのため、東側にある駅まで向かわないといけない。逆方向に歩いているようなものだ。
 山の向こう側へ行くだけが目的。着けば、そのあたりをぶらっとすればいい。これで決まり。
 通い慣れた駅までの道を芳田は歩いている。これだけでも十分、ぶらっと感はある。絶対にやらなければいけない行為ではなく、気が変われば戻れるし、別に駅に行かなくてもいい。しかし、駅に出ないと山の裏側へは行けないので、行方の定まらない歩き方ではない。ぶらっと外に出たわりには、目的地までのレールからはみ出すわけにはいかない。
 だから、芳田は今、決してぶらついているわけではない。
 しかし、思ったより暖かいのか、汗ばんできた。この時期にしては異常だ。
 駅が見えてきたが、ここまでは目を瞑っていても行ける道。
 そして駅に入る。いつもとは逆方向の下り電車のホームに立つ。ここに立つことはほとんどない。降りるために毎夕そのホームに立っているが、実際には歩いている。もう降りたのだから、そこに留まる必要はない。
 しかし、その日は電車待ち。いつも乗っている向こう側のホームが見える。朝の風景とは全く違う。
 日曜なので、本数が少ないのか、電車はなかなか来ない。
 それで立っていても何なので、ベンチに座る。ここで座るのは初めてかもしれない。もうそれだけでも、新鮮だ。
 やがて電車が来て、芳田は連れて行かれた。
 
   了
 


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2021年02月16日

4027話 情動のスイッチ


 滞っていたものがスーと通ると気持ちがいい。便秘などがそうだ。出るべきものが出る。また滞っていたものの中に、入るべきものもある。
 溜まるとゴミ出しが大変なように、また支払いなどが溜まると、これもまた大変。
 そういうことだけではなく、気持ちが動かないので、滞る場合もある。その気になかなかなれない。なってもいいのだが、今じゃなく、もう少し後か、先でもいい。今、それをしたくない。
 しかし、やりたくないことではなく、やりたいことであっても、気が進まず、そこで詰まっていたりする。
 タイミング、時期、というのがある。いつでもよかったりするのだが、今日ではないとか、今ではないとか、そのときではないとか、色々とある。
 このタイミングというのは向こうからやってくることがある。しかも偶然だと、これは意味を感じる。同時に、それがきっかけとなりやすい。滞っていたものを開くスイッチのように。
 例えば勇気がないので、なかなか踏み込めなかった場合でも、そのきっかけが誘い水や引水となり、スーと水が入ってきたり、水が出ていったりする。
 滞っていたものがすっと開くと、他のものも開いたりする。溜まっていたのは他にもあり、ついでなので踏み込める。
 要するにあるテンションが必要だった。堰き止めているものよりも高いものなら、乗り越えられる。堤防が決壊したようなものだが、これは悪いことではない。一寸した抵抗体が消えた。
 それらは偶然のタイミングで起こることが多い。そしてその偶然は作れない。向こうからやってくる。内からではなく。
 そのタイミングの良さがスイッチになるのだが、それを外すと、次はなかったりする。偶然なので。
 だからスイッチを押す期間は限られている。今すぐの場合もある。それを逃すと、もうその気は失せるだろう。しかし、消えたわけではない。
 時田はたまにそういうことで動いてしまったりする。何かのお知らせではなく、動かしてくれる。気持ちを。
 だから、ただの情報ではない。情動だ。
 ただ、いずれあることなので、いつでもいいのだ。そのきっかけが欲しいだけかもしれない。
 
   了


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2021年02月15日

4026話 優秀な人


 あまり優れていないものにも、それなりの良さがある。優秀ではないので、良いことがあるのかということだが、優れていないことが良さになる。だから、無理はしないし、できない。ある範囲内のこと、特定のことだけなら、より優れたものと同じようにできる。実際にはより優れているものの方がそれでもまだ優れているので、同じとは言えないが。
 だが、ギリギリだが何とかなるという感じも悪くはない。
 難しいことはできないが、優しいことならできる。それで優しいことばかりをする。それを越えると無理が出てくるため、しない方がいい。
 そして優しいことに関しては、かなり詳しくなる。優れたものよりも、よく知っていたりする。そればかりやっているためだ。
 その優しさに関してだけなら、優秀と言ってもいい。
 芝垣はそれに気付いた。それならプレッシャーがかからないので、気楽にできる。やっていることは誰にでもできる簡単な事。優秀な人なら見向きもしないようなこと。優秀な人は難しいことに興味がいき、そちらへ向かっている。優秀ではない人は、そこに隙を見付ける。優秀ではないから見えてくるのだろう。そこでしか力を発揮できないのだから、当然。
 その芝垣がいつの間にか地位を得た。失敗が少ないため。これも優しいことしかしてこなかったお陰だ。レベルは低いが抜群の安定感がある。芝垣に任せておけば、ある程度のことはやる。それ以上は無理だが、ある程度でかまわないのなら、それで十分。一応やってみました程度で。
 芝垣のレベルは非常に低い。しかし全体的なレベルは高い。一つ一つのレベルは低いが、満遍なくこなす。だから隙がない。
 よく考えると、誰にでもできることで、芝垣が特に優れているわけではない。
 だが、芝垣のやり方が優しすぎるためか、分かりやすい。それが信頼に繋がった。
「芝垣君。ぼんやりしていないで、仕事をしなさい」
 芝垣は仕事中、居眠りをしていたようだ。深夜まで趣味をやっていて、夜更かしになったのだ。
 そして、地位が上がる夢を見ていた。
「ああ、そうならないかなあ」
「何がかね」
「いえ、いいんです」
「まあ、仕事中、居眠りをしても様になるのは君ぐらいなものだ。しかし、寝ちゃ駄目だ」
「はい、起きます」
「よし」
 
   了



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2021年02月14日

4025話 哲学ノート


 それらしいものが、それらしくなかったり、それらしくないものが、逆にそれらしかったりする。
 それらしくないのに、それらしい。この意外性がいい。それらしくないものや場所に、それらしいものが隠されていたりする。
 近い場所ではなく、遠くに。似ているものではなく、似ていないものの中に。
 王道ではなく邪道の中に龍道が通っていたりするが、元々は邪なるものが王になった場合、邪道に落とされたものが本来の王だったりする。
 王というより正しいもの。だから正邪だろうか。
 正邪入り乱れての戦い。だから、どちらが正しいか正しくないのかが分からなくなる。
 こういうパターンは太古から人や物だけではなく自然界にもある。
「竹田君。また妙なことを考えていますね」
「読まれたのですか」
「日報に書くようなことじゃない」
「あ、つい」
「まあ、君が何を考えているのか、よく分かっていいので、続けなさい」
「はい」
「しかし、業務についてのことも書かないと駄目だよ。でないと日報にならないのだから」
「はい、ついつい哲学ノートをしてしまいました」
「そんなものは自分のノートでしなさい」
「はい、でも、たまにならいいでしょ」
「よく分からないことをよく分からないような書き方では読んでいてもよく分からない」
「哲学ノートですから」
「まあ、気が触れないよう、注意しなさい」
「はい、気をつけます」
「私も若い頃はそういうノートがあり、数十冊ほどあったかな」
「薄いノートでしたか」
「結構分厚い大学ノートだよ。字も小さかったので、単行本が何冊もできるほどだよ」
「その哲学ノート、どうされました。まだあるのなら、読んでみたいと思います」
「焼いたよ」
「なぜ」
「読まれるとまずいからね」
「凄いことが書かれていたのですね」
「大したことはない。ただ、読まれると恥ずかしい。まるで私の弱点をさらけ出しているようなものだからね」
「分かります。恥部を見られているような」
「そうだね、だから君もそんな恥ずかしいことを書くのはやめた方がいい。誤解を招くしね」
「じゃ、日報に書くのはやめます」
「私の同僚に見せたところ、受けたよ」
「そうなんですか」
「笑わせていただいた」
「ああ」
「もっと、そのギャグ、続けてもいいです」
「あ、はい」
 
   了
 


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2021年02月13日

4024話 寒桜


 草薙は春への戻りを感じたので、ほっとした。順調に春へ向かっていたのだが、寒の戻りがあり、寒い日が続いた。それが去ったので、また春への再スタート。
 閉塞感が開放感に変わる。いつも見ている寒桜の花芽が赤い。赤いまま止まっていたが、さらに濃く、そして膨らみを増すだろう。これもあまり変わっていないかもしれない。しかし、昨日見たときは赤みが薄れていたが、今日は赤さが戻っている。これは光線の具合だろう。晴れているときは彩度が高くなるし、コントラストも付くので際立つ。
 日影は暗く日当たりのある場所は極端に明るく眩しい。曇っている日はフラット、日影もないが陽射しが来ているところもない。
 春になれば何があるのか、草薙は何を待っているのか。実は何もない。だからただ単に春を待っている。春待ち。
 寒いときよりも、多少は動きやすくなる。それだけ。
 そして、何に対する動きなのかというと、大したことではない。春に何か大きな動きがあるわけでもない。巡る季節を見たいだけ。
 今のところ草薙が待っているのは寒桜の開花。ソメイヨシノよりも早いだろう。梅は既に満開近い。その後半に寒桜が咲くはず。
 草薙は散歩のとき、必ずその寒桜の枝を見ている。年末には見ていない。まだまだ早いためだろう。年明けにも見ていない。見始めたのは大寒の頃。寒いので、早く春を知らせるようなものを見たかったのだろう。枝に瘤ができているが、まだ茶色い。これは真冬でもある。待っているのだ。
 草薙が毎日その寒桜の前に立っているためか、寒桜が反応した。
 蕾のような頭をした虫が飛んできた。羽根はトンボのようだ。だから、トンボと見間違えたのかもしれないが、冬場、トンボはいないはず。
 それに、声がする。
「まだまだ」
 と。
「いつ咲くのですか」
「さあ」
「自分でも分からないのですか」
「そうです」
「了解しました」
 草薙は寒桜の精と会話を交わしたのだが、その感慨はない。実は大変なことで、人生観が変わるほどの出来事なのだが、平気な顔をしている。路上で一寸した知り合いと出くわし、一寸した会話をしたのと変わらない。すぐに忘れるような。
 凄いことだと受け止めなかったのは、そういう麻酔にかかっていたのかもしれない。
 翌日も、その寒桜の前に立つが、もうあの妖精は出てこなかった。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 12:54| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月12日

4023話 無理な話


 調子の良い日と悪い日がある。昨日は調子が良かったのに、今日は悪い。翌日は良くなる。また、調子の良い日が続くことも、悪い日が続くこともあるが、いつまでも続くわけではない。
 調子は悪いが、少しまし、というときは調子が良いと感じたりする。これは調子が良いときもそうだ。少しだけ劣る場合、調子が悪いと感じてしまう。全体から見れば調子の良い部類に入るのだが。
 さらに朝は調子が良かったのだが、昼は駄目で、夜になると戻るとかもある。一日の中でも変化はある。天気のように朝は晴れていても、夕方は曇っていたり、また夜は雨だったりする。朝の天気が一日の天気ではないので、そんなものだろう。
 当然良い天気もあれば悪い天気もある。天候は万人に影響を与えるし、また同じ体験をするだろう。一人だけ、そう思っている話ではなく。
 室戸は調子の悪いとき、また体調が悪いとき、待てば何とかなると思っている。そのうち戻るだろうと。だから焦らないで、悪いときは悪いまま過ごしている。そこであがいても仕方がないので。
 また、いつまで経っても調子が戻らないときもあるが、そのときは調子が悪いことに慣れてきて、これが標準になったりする。
 しかし、調子というのは何かの弾みで、ポンと弾むようだ。そういうポンを待っているわけではないが、なるようにしかならないという諦観姿勢。
 決して諦めているわけではない。室戸の調子は気分的なものだが、具体的なものが先だっての気分なので、ただの気のせいではない。
 その具体的なものが悪さをしているとすれば、それがどいてくれると治ったりする。室戸の力だけでは動いてくれない場合がほとんどなので、どいてくれるのを待つしかない。
 待てば海路の日和あり、で、この方法は結構忍耐がいる。我慢がいる。
 横断歩道があっても信号がなければ車が止まってくれる保証はない。今なら渡れると思い、サッと渡るのもいいが、万が一というのがある。躓いて転ぶと、すっと渡れない。待てばいずれ車は来なくなるときがある。それほど長くはかからないだろう。
 無理をしない。単純なことだが、無理に無理をしないというのも無理な話だが。
 
   了

 


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2021年02月11日

4022話 何気なく


 立花は何気なく下りた駅の改札を抜けた。そのあとのことは誰にも言わないというより、言えない。
 しかし立花はそれとなく友人に話した。ただし、何気なく伏倉の駅に下りた程度。何処へ行っていたのかと問われたので、そう答えただけ。
 その友人佐原は不審に思った。立花は秘密がバレたのではないかと心配した。
「何気なく」
「そうだよ。何気なく下りたんだ」
「伏倉の駅だね」
「そうだよ」
「途中下車?」
「さあ、それは」
「目的地があったんだろ。伏倉じゃなく、それに電車に乗ったんだろ。切符は何処まで買ってた」
「終点まで」
「何気なく下りたのはやはり途中下車だね」
「いや、何処でも良かったんだ」
「目的もなく乗ったの」
「気晴らしで、適当なところで下りようとしていただけで、終点の駅へ行くのが目的じゃなかったから」
「じゃ何気なく下りたにしても、何かのきっかけがあったはず」
「いや、電車に乗ったのも実は何気なくなので」
「何気なく?」
「特に意味はなく」
「どうしてそんなことができるのかな」
「え、何が」
「何気なくでも何かきっかけがあったでしょ」
「だから何気なく」
「何の気もなく?」
「ああ」
「何の気もなく出掛けられるかなあ」
「休みだったので、何処かへ出掛けたかったというより、部屋にいたくなかったんだ」
「どうして」
「変化がないから」
「それでとりあえず外に出たわけ」
「ああ」
「何も決めないで」
「出てから決めようとしたけど、決まらないまま、終点まで切符を買ったんだ」
「カードとかはないの」
「買っていない」
「そして何気なく伏倉駅で下りた」
「ああ」
「どうして伏倉駅なの」
「だから、何気なく下りてみようかと思って」
「他の駅じゃなく、伏倉なんだね」
「いや、別の駅でもよかった。横に座っている人が居眠りを始めて、頭が肩に当たるんだ。それが鬱陶しくて、下りた」
「偶然、それが伏倉駅の手前だったと」
「そうそう」
「じゃ、何気なくじゃなく、理由があるじゃないか」
「まあ、そうだけど」
 佐原はそれだけ聞くと満足したようだ。何気なくの中味が知りたかっただけのようだ。
 立花は伏倉での出来事は聞かれなかったので、ほっとした。
 
   了
  


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2021年02月10日

4021話 言葉遣い


 冬の終わり頃、春の始まり、浅春。だからまだ春としては浅い。早春と同じ時期だが、早春は、まだ早い春。早すぎる春。だから例年よりも春が早いのだろうか。それとも、もう春かと思うような感じかもしれない。
 春まだ浅き何とか何とかという言葉もある。春まだ早き何とか何とかでもかまわない。それを語る前後と関係しているのだろう。早いよりも、浅いと言った方が適切とか。
 しかし早いと浅いとは違う。早いは時間に関係し、浅いは空間と関係する。浅瀬は深さと関係する。時間ではない。
 浅き夢見し何とか何とかというのもある。
 早き夢見しでは違ってしまう。夢を早く見てしまったのだろうか。夢の中の時間、これは現実の時間とはかなり違うだろう。
 浅き夢見しは、まだ眠りが浅いのか、またはうたた寝で軽く夢を見たのだろうか。すぐ目が覚めるような浅い睡眠。
 こういう言葉は何処かで聞いたのを覚えているのだろう。フレーズとして。だから組み合わせ、または使う機会とか。
 別に学んだわけではないのに、いつの間にか覚えてしまったフレーズがある。それが聞き間違いとか、一生それに気付かなければ、正解は一生知らないままというのもある。だが、何も困らなかったりする。ただし、ひと前で喋るときや書きものでは、バレてしまうが。
 しかし、その人にとり、それが正解であり、本当の正解は拒否される。それに気付いたときは、もうその言葉やフレーズは使わないが、それは人に対してだけ。独り言では生きている。正しい使い方ではピンとこないのだ。
 だから、誰にも見せない日記などでは、凄いことになっているかもしれない。
 間違いを指摘されるのはその場の恥。知らないままなら一生の恥。その一生の恥でいいのではないか。本人が気付かなければ。そして言葉遣いとしては間違いなのだが、通用している言葉もある。普通に使っていたりする。これは指摘しにくい。指摘している本人も使っているので。
 言葉遣いを気にする人は、無口になるのだろうか。下手に喋ると危ないので。
 
   了

 


posted by 川崎ゆきお at 14:04| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月09日

4020話 ある案件


「暖かいですねえ」
「真冬なのにね」
「ここ、暖房が効いていますから、気持ち悪いほどです」
「暖かいのでほっとするところですが、ムッとしますねえ」
「それに、ここは人が多い。人いきれだけでも湿気が凄い」
「それに人は温かいですからねえ。コタツのように」
「私達もそのコタツの一つですよ。そして湿気発生器」
「まあ、それはいいのですが、本題に入りましょう」
「本題って、ありましたか」
「一応あります。案件の処理です」
「一応聞いておきます」
 その話が続いた。
「しかし、それって、昨日も聞きましたよ。その前の日も。一週間前にも聞いたような」
「一ヶ月前にもしていました」
「そうでしょ。まさか一年前も」
「流石にそこまで古くはありません」
「案件は分かります。毎日聞いているので」
「じゃ、そういうことで、よろしくお願いします。
 その翌日。
「暖かいですねえ。真冬にしては、ここに入るとムッとして気持ちが悪いほどです」
「そうですねえ。じゃ、早速案件に入ります」
 昨日と同じ話だ。
「じゃ、よろしくお願いします」
「あのう」
「何ですか」
「あなた、その案件、やってますか」
「いいえ」
「良かった。私もです」
「でも、よろしくお願いします」
「はいはい、しかと」
 その翌日。
「暑いですねえ。ここ、暖房が効きすぎだ。それに人が多いので、さらに暑い。ムッとして気分が悪くなるほどです」
「真冬なのに、暖かいですねえ」
「はい」
「じゃ、本題に入りましょう」
「何でした」
「いつもの案件です。今日はさらに詳しく話したいと思います。時間、いいですか」
「はい」
 いつもの話だが、今日は長い。しかし中身は同じ。
「ではよろしくお願いします」
「はい、了解しました」
 その翌日も、それが繰り返された。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 12:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする