2023年02月28日
4780話 気になるもの
それは、やりたいことだが、増えすぎた。
散歩中、田中はそんなことを思った。この散歩、過去や未来のことを考える。
宇宙規模、地球規模の話ではない。人生規模が少し入るが、昨日今日、明日のことが多い。もう少し先のことまで考えたとき、増えすぎたと感じた。やることが。
しかし、やる必要のないことなので、必ずしも実行する必要はない。この散歩だが、これも省略してもいい事だ。
梅は満開だが、桜はまだまだ。それで、たまに桜の枝を見る。膨らみはあるが、これはずっとある。それをたまに見るのだが、これもしなくてもいい事。やってもそれほど楽しいことではないし、ためになることでもない。一寸気になるだけ。
その気になることが溜まっている。それをやっている暇はない。忙しいわけではないが、気になることが多いのだ。全部やることは可能だが、まだ増え続けている。
これは新規を入れなければいいのだが、そうはいかない。気になりそうなものを見付け出すのが楽しい。
それを見付けただけで満足する。だから見付けるだけでもいいのだが、実行が前提。やってみないと話にならない。
田中はそれで物知りになったわけではない。知識は非常に浅く、どのジャンルも冷やかし程度。本気でやらないためだし、それだけの力もない。
忙しいからではなく、一寸入口を覗く程度。それ以上奥へ入ると面倒臭くなり、そこで終わってしまう。
それでも、やることが多いので、飽きない。たとえ実行に至らなくても、やる予定があるだけで充分。
非常に浅はかな上辺だけの知識。通り一遍の知識。そのほんの入口程度なので、これはもう浅い浅い。それ以上突っ込まないのは、田中にとって必要ではないためだろう。敢えてブレーキを踏むわけではなく、勝手に止まってしまう。
さて、散歩中、桜は見たので、次は雪柳。それがある場所を知っている。通り道だ。一つだけ白い花が付いていた。一粒だ。これがびっしりと咲くと雪が積もったように見える。
一つだけ咲いているが、早すぎたようで、その他は蕾のまま。かなり膨らんでおり、小さなコブが数珠成り。その枝、指で握り、擦れば気持ちがいいかもしれない。当然実行しないが。
これは通り道なので、わざわざそこへ行かなくてもいいので、実行しやすい。見るだけなので。
本を読んでも読むのではなく、文字ズラだけを見ていることが多い。活字の中には入れないのだ。目だけで表面を撫ぜる程度。この状態になると、読めないので、そこで終わる。
意味が分からない本をいくら読んでも頭に入らないので、文字を見ているだけになる。それなら、文字が書かれたものなら何でも良いことになるが。
その本も気になっていたものの一つだが、それ以上読み進めないとなると、逆にほっとする。その時間に他のことが出来るので。
それもまた、似たようなことになると、次々と溜まっていたものが減るので、これは気持ちよかったりする。
了
2023年02月27日
4779話 今日は一日雨ですよ
「今日は一日中雨ですよ」と藤沢は馴染みの店を出るとき、店の人から言われた。
店の人としては「有り難うございました」だけよりも、そういう一言をおまけしたかったのだろう。買ったものにはおまけは付いてこなかったが、そういう店ではない。またそういう商品ではない。
タバコのように値段は決まっており、ワンカートン買えばライターのおまけが付く程度。しかし、その店はそんな商品ではない。
商品のことよりも藤沢は雨が気になった。店の人からそう言われたため。
よくある、ひと言かもしれない。
来るときも雨だが、小雨。大したことはないが、やみそうでやまない。だから一日中雨で、諦めるしかない。しかし藤沢は雨が降っても今日は困ることはないので、あまり影響はない。
しかし「今日は一日中雨ですよ」が、どうも気になる。雨ではなく、別のことで。
一日中何々ですよ、となる。
何かが一日中続くという意味で、雨のようにずっと降っているもの。何だろうかと、そんなところへ入り込もうとしていた。すぐには思い浮かばない。
「今日は一日鬱陶しいですよ」に近いものかもしれない。
だが、心当たりはない。別に今日は鬱陶しいことはない。天気は鬱陶しいが、それ以上のものではない。
だが「今日は一日何々ですよ」が気になる。雨なら問題はないが、何々になると、分からない。心当たりがないことを探すのだから、手掛かりがない。だから探しようもない。
ただの挨拶のような言葉。気に掛ける内容ではない。雨しか差していないのだから。
しかし、藤沢は別のものを差しているように思われてならない。「今日も一日」が気になる。
今日の予定、それは決まっている。昨日と同じことをやるだけ。この状態と、一日雨の状態がどう重なるのだろう。
店屋からの戻り道、濡れた歩道を歩く藤沢。
濡れた路面。排水溝の鉄の蓋が光っている。余程のことがない限り、滑らないだろう。いくつものレールが走っているようになった蓋に自転車のタイヤが入り込んで滑ったことはあるが、徒歩なら大丈夫だろう。
帰り道、何かと遭遇し、鬱陶しいことになるのだろうか。
「今日は一日雨ですよ」は予言ではない。店の人はそんな予言を吐いたわけではない。ただの挨拶。
素直に受け取れば、聞き流してもいい言葉。挨拶なのだから。
しかし「今日は一日雨ですよ」が尾を引く。
そして一日が終わり、寝る前。藤沢はもうそのことは忘れていたのだが、今日あったことを寝る前に思い出すのが癖。
「今日は一日雨ですよ」は当たっていた。まだ雨はやんでいない。
やはり、それ以上の奥はなかったようだ。というより、最初からなかったのだから。
了
2023年02月26日
4778話 心情
心情というのがある。感情、情念と言ってもいい。気持ちということだ。これが原動力になっているのかもしれないが、結構浅い感覚的なこともある。
その場の感情で突き動かされたとか、動かなかったとか、一寸考えてしまったとか、出方は様々だが、その感情を起きる原因のようなものがあり、感情の一歩だけ奥にあるもの。心情は少しだけ深いところから来ていたりする。
情念も似たようなものだが、少し積極的、一歩前かもしれない。心情から情を取れば、心だけになる。しかし、一寸でもいいので感情が起こらないと、心も出てこないかもしれない。
心なしで動くこともある。これはとっさの場合の反射のようなもので、気持ちが起こる前に動いていたりする。考えなくても逃げないといけないとかだ。結構動物的な基本的な動きだろう。
さて、心情。これは心掛けなどで、ある心情が常に常駐していることもある。感覚的な反応でも、受け止め方が違う。
その中味はその人の傾向のようなもの。蓄積された経験とか、習い事などで身に付けたものが反映しているのかもしれない。
心境というのもある。これは何かのあとに来ることが多い。または何かをしているときの気分のようなもの。心の状態のようなもの。
ただ、気分とか心とかなると、かなり曖昧で、掴み所がない。それに体とも繋がっているので、頭の中だけの話ではなさそうだ。
歯が痛いときとそうでないときとでの心の動きも違うだろう。また、その手前にあった何かの影響も受けている。
また、これは嫌な予感がするとか、いい予感がするとかは、以前の経験と繋がっていたりする。ジンクスになっていることもあるが。
心とか心情とか、そういったものは心で考えたり、心情で考えたりすると、これはややこしい。
そのものをそのもので思ったり、考えたりするため。
ただ、今の心情を少し引いて、他人事のように圏外から出た外部的なところから眺めることも出来るが、これはあくまでも想像で、それも含めてまだ自分の中にいる。
ただ、少し引けば、冷静になるかもしれない。我に返るというやつだ。
我に返った我を、さらに引いた我が見ているという無限世界もあるが、そこまで引く必要はないだろう。
心情というのは、それも含めてのことで、リアルな正体ではなく、そのときはそんな気持ちでした程度でいい。
この発生原因は分かりにくい。最初から心などはよく分からないことらしい。
ただ、心とか、心情とか、情念とかがあることだけは分かっているが、それは感じているのだろう。
最後に残るのは、そう感じました程度かもしれない。
了
2023年02月25日
4777話 ほっと感
岩下は、その日、何もなかった。その日がなかったわけではない。一日寝ていて、一日分、なかったことになるとしても、寝ている時間がある。それに丸一日ずっと眠れるわけではないだろう。病んでおれば別だが。
だから、一日は確実にある。その中味も覚えている。ただ、一日分だけの記憶を失った場合は、これは別だ。しかし、そのことを誰かから教えてもらって、記憶にはないが、岩下はその日はあったことになる。
そんな変なことではなく、今日は何もないと岩下は思った。まだ昼過ぎ、これから何かあるかもしれないが、おそらくそれもないだろう。この場合の何かとは、用事のようなもの。
一週間ほど、色々と用事が重なっていたのだが、それが片付いた。だから、これという用事が消えたので、何もない日と感じたようだ。
それなりにやることはあるのだが、特にいうほどのことではなく、いつものようにこなしていけばいい程度なので、気に掛けなくてもやれること。
この気に掛けるとか、気掛かりとかが抜けたのだろう。そういうのが三つほどあり、どれも無関係なものだが、ひと息つき、一段落ついた感じ。次の息や、次の段があるだろうが、まだ未定。
それで、少しだけ開放的になる。束縛が解けたため。
別に縄で縛られていたわけではないが。
つまり、その日はほっとできる日。これは報酬かもしれない。金銭ではなく、このほっと感が。
それには何かをしていないと感じることは出来ない。少しだけプレッシャーのかかるものでないと終わった後のほっとした気持ちにはならないだろう。
それらはやりたいことでもあるし、やらされていることもある。やらなければ仕方がないとか。
しかし、嫌いではないこともあるので、やらされていることでもそれなりに充実する。しかし、終わればさらにほっとした感じが味わえる。これはそれほど刺激はないし、充実感もない。一息つく、その息だけだったりする。
岩下は、それで時間的にも縛られていたし、そうでない事柄でも達成の手前でウロウロしていたこともある。
別に難しいことではないが、満足を得るはずのことだが、得られない場合もある。だから、上手くいくかどうかはやってみないと分からないようなもの。そういうのが次々と片付いた。
時間を要する用事が消えたので、その間、自由な時間が得られるが、この自由というのが曲者で、下手に何かをしない方がよかったりする。
ただ、無意味なことで時間を潰すのは悪くはない。意味がないのだから、影響も少ない。
自由とは、何をしても良い状態だが、ある限界内での話だ。しかし、自由を使わないのも、これまた自由だろう。
その日、岩下は、ほっと感を一瞬味わっただけで、もう充分だった。
了
2023年02月24日
4776話 留守の魔
島田はその日の昼食後も、決まったように散歩に出掛けるが、これはパン屋へ行くため。
その時間なら行列は出来ていないが、いいものは残っていない。人気商品は朝の行列に並ばないと手に入らないが、たまに昼過ぎでも残っていたりする。
たまにそれを買う機会を得るのだが、人気と島田との相性が悪いのか、それほどいいものだとは思わなかったが、それでも他のパンと少し違う。
餅のような食感だが、サクサクしており、粘りがあるはずなのに、ない。これは生地で勝負しているのだろう。
しかし、島田は普通の食パンか、コッペパンでいい。アンパンやジャムパン、クリームパンよりも。それらはおやつだと思っている。島田が欲しいのは朝食用。ご飯の代わりにパンというだけ。
しかし、何かあったのか、臨時休業で休みらしい。厨房のメンテナンスと貼り紙にある。パンが焼けなくなったのだろう。故障。
朝に食べるパンを昼に買う。夕方、別の店で買ってもいいのだ。しかし、ここで買うのが日課になっており、たまに特別上等な食パンが残っていることもある。
だから、それを楽しみにしているのだが、まだ買えていない。人気商品は殆ど昼には絶滅。
パン屋に寄ったあと、喫茶店で本を読むのだが、これも日課。パン屋の近くにある。
しかし、休みが続く。その喫茶店も休んでいるのだ。二店揃って休み。ないことはないが、今までそんなことは一度もない。
先ほどのパン屋も定休日以外は開いている。臨時休業は始めて。喫茶店の方は年に一度か二度ほど、開いていない日があるので、偶然、その日と重なったのだろう。
臨時なので、それがいつなのかは分からない。また。昨日も行ったのだが、休む気配はなかった。貼り紙も。
それで、昼食後の散歩コースの予定が狂ってしまう。
その喫茶店で小一時間ほど過ごすのだが、それを飛ばして、戻ることにした。散歩といってもパン屋へ行くまでの道とか、そこから喫茶店までの道、そして帰りの道を歩く程度。
戻ってみると小一時間ほど早い。ドアを開け、靴を脱ぎ、廊下の途中にあるトイレに入り、そしてリビングのドアを開ける。
島田は部屋を間違えたのではないかと思った。他所の部屋に侵入したのかと。
しかし、鍵は開いた。それに、靴脱ぎ場に置いてある家具は最初からあるものだが、その上に飾ってある造花は島田のものだ。引越祝いで貰ったのをそのまま置いている。
しかし、誰だろう。リビングにいる人は。合鍵を持っている人間はいない。
ソファーに座っている人の後ろ姿。背中は見えず、後頭部だけ見える。男性だろう。
島田は見間違えたのではないかと、もう一度リビングのドアを開ける。ソファーがあり、後頭部が見えている。それは後頭部ではなく、何かを置いたのかもしれない。
しかし、どう見ても、人の後頭部。耳も見えている。だが、それならドアが開く音や、島田が真後ろにいる気配ぐらいは分かるはずなので、動きがあって当然。しかし、微動だにしない。
下田はゆっくりとリビングに入り、その正体を確認するため、回り込もうとした。そこからなら横顔が見えるだろう。だが、誰だろう。思い当たる人などいない。
鍵を持っているのは島田だけ。管理室にもあるかもしれないが、非常用だろう。
そして横顔を確認した。男は眠っているようだ。
何処かで見た覚えはあるが、思い出せない。そして正面に回った瞬間、息をのんだ。
島田が見たのは島田だった。
流石にそのもう一人の島田、島田の息遣いを感じたのか、目を覚ました。
目が合った瞬間、島田は怖くなり、部屋から飛び出した。
そして、そのへんをわけもなく歩いた。気が転倒しているのだ。それが落ち着くまで。
そして、何がどうなったのかを確認することにした。
答えは出ない。
しかし、怖くても戻るしかない。話せば分かるかもしれない。何せ、もう一人の自分なのだから。
そして、しばらくしてから、部屋に戻った。
リビングのドアを開けるとソファーだけが見えた。
もう一人の島田は消えていた。
ふと時計を見ると、島田がいつも散歩から戻って来る時間と同じだった。
了
2023年02月23日
4775話 ううーん
ううーんとなることがある。ため息ほど抜けは良くない。何か引っかかっている。残念とかの念が残っているような。
何ともならない、降参か、などと感じるときや、上手く行かなくなった時などにも、このううーんが出る。しゃがんで気張っているわけではない。
荻窪はこのううーんをよく吐く。日常的になっており、習慣、癖かもしれない。
しかし、ううーんと唸ると少し楽になる。息を吐くためだろう。はあーと。
だからため息の一種なのだが、大事なこと、大変なことでも、つまらないことでも、このううーんが出る。幅が広い。
しかし、ううーんにも音色があり、節回しがある。うっうーんもあれば、ううーだけとか、うーんとかもある。そういうことを意識してはいていないが、事柄により、微妙に違う。また、ため息の大きさや、歯切れや力み具合とかも。
だから、ううーんと同じように聞こえるが、本当はかなり違う。
阿吽というのがあり、あうんの呼吸とも言うようだが、「あ」と「ん」だろう。荻窪のううーんは「ん」の方。神社の対の狛犬の口の開け方の違い。
ううーんでの口は閉じており、阿吽の「あ」の方は開いている。
荻窪の場合、ああーとなるのだろう。当然「あっ」というのが正しいはず。驚いたとき。「あ」は吠えている、「ん」は唸っている。
しかし、荻窪の場合、ああーと、ううーんは似たようなものになっている。「あ」を使う場合は、呆れた感じが多いようだ。「あ」でも「ん」でもどちらでもかまわないようだが、「ん」の方が楽。口を開けなくてもいいので。
そのため「ん」で「あ」の役目もしているのかもしれない。または両方入っているのかもしれない。
ううーんとなったときも、驚きとしてのううーんもあるのだ。
凄く感動的なことに出合ったとき、困ったことになったと思うようなもの。感動しすぎるので、困るようなもの。
ううーんの他にふーもある。ふーと一息。ため息ではなく、ふーだと安堵だろう。
息というのは一寸止めると、死んでしまう。だから息は大事という意味ではないが、息の仕方、これは自然にやっていることで、とっさの場合は本音が出るだろう。音色だ。息なのだ。
言葉よりも息遣いの方がリアルかもしれない。
了
2023年02月22日
4774話 雨の日の人出
雨の日は客足が遠のく。人出も減る。雨が降ろうと降るまいが来る人は来る。用事があるためだ。
台風が来ていても、交通機関が無事なら、行くだろう。
では雨の日に出掛けない人は何だろう。それほど重要な用件ではないためか。
天気がよければ出掛ける。これは行楽とか遊びに多い。ただ、約束をしている場合、雨天決行になるかもしれない。出掛け先ではなく、人と合うのが目的のため。
天気がいいと出掛けたくなる。それは何処でもいいのだろう。そして出掛けなくても。
そういう人が雨の日に顔を出さないと、人出が少ないように思われるが、別の事情もあるはず。
逆に雨だからこそ出掛けるというのは希。雨の日の梅がいいので、梅見に出掛けるとか。
どうでもいい遊びや行楽、一寸したお出掛けや買い物やイベント。行く行かないは気分にもよるはず。雨ではその気にならないとか。しかし、傘がないわけではない。
出掛けるのが習慣になっていると、多少の雨でも行くだろう。しかし、ハイキングとかは無理。夏場のプールや海水浴も。
晴れていると出掛ける気分になるが、雨では出掛ける気にならないことは何となく分かる。出掛け先の何かが目的なのではなく、出掛けることが目的だったりする。
逆に晴れている日は出掛ける気がなく、雨や鬱陶しい日だと出掛ける気になる人もいる。これは出掛ける場所にもよるが、すいているためかもしれない。不味いめし屋でもすいているから行くことがある。
晴れている日はカラッとしている。陽気だ。雨の日はじめっとしており陰気。これは陽が差さないため。
そのためゾンビや吸血鬼のように、明るいのを嫌がるタイプもいるはず。そういうモンスターもタイプにより明るい場所でもうろついているかもしれないが。
じとっと湿った状態、こちらの方が情緒があるかもしれない。ただ暗くて陰気なだけではなく。
それと一寸した閉鎖感、閉塞感がある。これは逆に落ち着けたりする。
気象の影響で気分が変わったりする。天気も人も繋がっている。同じものではないが、人の体も大自然のなかにある。体にそういうものを感じると、気分が変わるかどうかは分からない。
しかし、影響はある。
了
2023年02月21日
4773話 犬も歩けば
偶然の良い訪れがある。これは期待していたものとの遭遇。そのため、期待していなければ、それが来ていても、無視だろう。
または、そういうこともあるのか程度で、重さの意味が違う。期待するだけの意味のあるものが来たときはいい感じだ。どんな意味があるのかはしっかりとは言えなくても、少なくなく見積もっても好ましいもの。
そして探しているときに見付けるより、そうでないときに、偶然やって来る場合の方が効く。これは効果だろう。何せ偶然なのだから。
そして、そんな偶然とよく遭遇したものだと、そのものよりも、そのことに驚いたりする。それが良かったりする。
当然期待しているもの、望んでいるもの、探しているものがなければ成立しないので、種まきや伏線や準備も必要だろう。
また、常日頃から探しているものなら、探さなくてもやって来たことで驚く。まるで「これでしょ」と差し出されたように。
誰から。
偶然が同時に二つも来ると、これは何だろうかと思う。出来すぎているわけではなく。偶然重なったのだろう。
つまり、そのものが偶然来ることでも驚きなのだが、別のものも、そのとき偶然来ているのだから、これは二つの驚きではなく、その重なり方で三つの驚きになる。
びっくりするほどの驚きではなく、静かな驚き。来るときは重なって来るという程度だが。
偶然は不思議と重なったり続いたりする。確率的な問題かもしれないが、その偶然に意味を見出すこともできる。決して不思議な力とは言わないが、蒔いた種が同じ時期に発芽した程度。だから覚えがあるのだ。
そして、探しても見付からず、また探しようのないものが突然やってくる。これを待つしかないのだが、いつやって来るかは分からないし、また待っても、そんなものは最初からなかったりする。
待つというのは気に掛ける程度。
また、待っているとき、別のものと遭遇することもある。待っているものとは違うのだが、それに近いものとか、今まで見たことがないものとかと遭遇する。
コイを釣りにいき、フナを釣ったようなものだが、フナでもいいかという感じもある。また、もしかすると、これは良いものではないかと、思えるものもある。
色々とやっていると、偶然の接触もあり、思っても見なかった遭遇もある。
了
2023年02月20日
4772話 厄病神
今日も何とか過ぎていく。何とかとは、何かあったのだろう。
しかし、難なきを得たようで、高島は無事。事なきを得る。大事には至らなかったが、小事には至った。しかし、通過したので、もう無事。
夕日が沈む頃、そんなことを思い浮かべた。もう一日が終わる頃なので。
日が沈んでからも夜がある。すぐに床につくわけではない。また床についてからもまだその日は終わっていない。
夕方に寝てしまったとしても、まだ日が変わるまで時間がある。そして朝までの間の夜中、何かが起こるかもしれない。その殆どは寝ているので分からないが、起こされるようなことがあるかもしれない。まさか赤穂浪士の討ち入りに遭遇するわけではないが。
そういえば、昨日の今頃、高島は今のようなことなど思わなかった。大事もなければ小事もなかったのだろう。
いつ、何処で何が起こるかしれないが、普段通りにしている。起こったときは起こったとき、そのときはそのときだ。
しかし、見えている心配事や厄介事はどうしても意識してしまう。去ればさっと消えるのだが、現在進行系のタイプは厄介だ。
ただ、高島が知らないだけで、進んでいるものもあるのだろう。深く静かに潜行タイプ。
どちらにしても、その日は、何となく過ぎていくはずだったが、その帰路、厄介な人間に出くわした。まさに厄病神。
これが本命だったのかと、そのとき気付く。小事では済まない大事かもしれない。
しかし、その厄病神、しばらく合っていないのだが、大人しくなっている。言葉遣いも丁寧だし、親しかった間柄なのに、敬語も入っている。人変わりしたのか、または高島を誰かと間違えたのか、そこは分からないまま。
それで、さっと挨拶程度の会話を交わしただけで、別れた。いつもなら納豆のように糸を引き、ネチャネチャになるほど、ねちっこい話をやり出すのだが、あっさりしたものだ。
高島は助かったような気になる。出合うたびに厄介なことに巻き込まれるのだが、今回は何も言ってこない。ただの挨拶。
その厄病神に何があったのだ。いつもと違う。厄神さんへ行って御札でも貼って貰ったのだろうか。厄が落ちていると見た方がいい。
厄介事、大事は嫌だが、高島はどこかそれを期待していたような節がある。ただの挨拶だけでは物足りなく感じる。
それで、高島は、厄病神のあとを追い、ポンと肩を叩いた。
厄病神はゆっくりと頭だけ振り向き、にやっと笑った。目が怖い。
しまった。罠にかかったかと高峯は後悔した。
了
2023年02月19日
4771話 小さな偶然
「そのときは一寸妙だなあと思ってましたが、それだけでした。しかし、そのあと、また思い出すと、その連続した動き、最初から筋書きがあったように思われるのです。ただの偶然、あるいは、たまたまそういう流れになっただけかもしれませんがね」
「何があったのですか」
「道を違えたのです」
「人生の」
「いえいえ、通り道です。いつも同じコース取りで、他にもあるのですが、その道筋に何となく決まった感じで、これは慣れでしょうねえ。何処で曲がるのかはもう決まっておりますので、考える必要はありません。今では勝手に曲がっています」
「その道を違えたのですね」
「ええ、そうなのです。狭い道で、珍しく大型トラックが止まっているのです。滅多にありません。横をすり抜けられますが、人も出ています。何かの作業でもやっているのでしょうねえ。それで、面倒なので、通り道を変えたのです」
「遠回りになったとか」
「それほど変わりません。また、入り込んだことのない道ではありませんし」
「それで」
「向こうから小さな人が来ました。お婆さんかと思ったのですがお爺さんでした」
「そこで何かあったとか」
「別に何事もなくすれ違ったのですが、最近、若い人の体格が大きくなっているので、小柄なお爺さんがさらに小さく見えましたよ。まるで子供のように。まあ、小柄な中でもさらに小さな人だったのでしょう」
「それだけですか」
「道を変えたので、そんな人を見たわけです。毎日のように、通っている道では見かけない人です。ほんのひと筋違えると、そういうことがあるんですね」
「それだけですか」
「それで、トラックのあるところを裏から回り込んで、元のいつもの道に戻ろうとしましたが、かえって遠回りになることが分かりました。それで、違えたまま、そのまま帰ることにしました。一つ違えると、全部違ってきます。まあ、流れとしては、違えた状態からの展開の方が自然ですね」
「展開」
「別の道が開けるということです。知っている道ですし、そういう道が横を走っていることは知っていましたがね。長く入り込んでいないと、近いのですが、展開が違うのです」
「つまり、目に入るものが違うという意味での展開、眺めですね」
「ところが小さな犬が向こうからやってきました。首輪はありますが、飼い主はいない。まあ、大人しい犬なんでしょうなあ」
「その犬はどうなりました」
「犬は私がいることなど、素知らぬ顔で、道の端を何か嗅ぎながら歩いていました。すると、家から人が出てきました。リードを持って。これはすぐに分かりましたよ。犬がせかすので、先に行かせたんでしょう」
「で、どうなりました」
「飼い主は犬に近付き、リードを付けました」
「それだけですか」
「はい」
「その後、何かあったのでしょ」
「古い家があったのですが、消えてました。歯が抜きけたように。すると、その家の後ろ側にあった別の家の裏側が丸見えでした。もの凄く小さな家でした」
「はいはい」
「その他、細々とした展開があったのですが、もういいですか」
「もういいです」
「まるで筋書きがあったような」
「いえ、繋がってません。犬が紐で繋がれた程度ですよ。それに小さな老人も関係してきませんよ」
「私の中では繋がっているのです。小さな老人と小さな犬。小さな家」
「それは、あなたが、あとで強引に繋げたのでしょ」
「まあ、そうですが」
「それに意味のある偶然でもありません」
「私にとっては一寸したドラマです」
「でも、小さすぎます」
「小ささ繋がりですからね」
了
2023年02月18日
4770話 妖怪小豆洗
「妖怪には意識があるのでしょうか」
「あるでしょうなあ。私は妖怪ではないので、よく分からんが」
妖怪博士担当編集者が妖怪の内面について妖怪博士に聞いている。次の妖怪の打ち合わせを終えたあとの雑談。
「しかし、小豆洗なら、未だにゴシゴシって、川縁で小豆ばかり洗っていますよ。米を洗っている小豆洗など聞いたことがありません。それじゃ米洗になりますが、米洗って妖怪、いますか」
「いるかもしれんなあ、神と同じで、いくらでも作れる」
「でも妖怪は勝手に作ってもいいですが、神様はまずいんじゃないですか」
「何かの用途とかが先にある。日があるので、日の神様。水があるので、水の神様という具合にな。小豆洗は行為タイプ。なぜ小豆なのかは知らんがな。これを作った人は小豆が気になったのだ。または川原の草間なら、米ではなく、小豆が良いのではないかと。しかし、なぜ小豆を選択したのかは分からん」
「話を戻します。小豆しか洗わない妖怪。これ、他のことはしないのですか。一つの動きだけを続けているわけでしょ。決まったことしかできない。これって意志があるのでしょうか。機械のようなものでしょ」
「いや、目撃されたのは川原で小豆を洗っているところだけで、洗った小豆を煮たりするはず」
「でも、未だにゴシゴシって、ずっと洗いっぱなしですよ。朝見たときも洗っているし、夕方見たときもまだ洗っているようなものです。ずっと洗い続けているだけじゃないでしょうか」
「しょうか」
「だから、これはロボットで、小豆を洗う動作には長けていても、それしかできない。もしかすると、歩けないかもしれませんよ」
「小豆洗には意志がある」
「どうして分かります」
「先ほど、君が言ったじゃないか。未だにゴシゴシと呟いているだろ。自分のやっていることが分かっているということじゃ。それに、小豆を洗うのは自分の意志で決めたことかもしれんしな」
「別の何者かに命じられたのかもしれませんよ」
「そのときはまだ小豆洗ではなかったはず。小豆を洗っていない小豆洗など、小豆洗とは言えない。これは何者か分からん。それに、小豆洗の前の小豆洗がいたとしても、小豆を洗う役目を断ることも出来たかもしれん」
「でも、どうして小豆なんでしょうか」
「まあ、おやつだろう。砂糖と煮ればアンコじゃ。だから小豆洗はその下拵えをしている者じゃろう。だから下働きの使用人のような服装のはず。小豆洗い三年。アコンを作るまでの長い修行。その特訓をやっておるのかもしれん」
「では、どうして、未だにゴシゴシなのですか」
「菓子職人にはなれなかったのかもしれん。未だに下働き」
「はあ」
「だから、小豆洗には意志がある。将来は饅頭屋でもやりたかった。だから、未だにという言葉になる。意志があるからじゃ」
「じゃ、不本意ながらゴシゴシとですか」
「それと、そういう人が巷には多数いたんだろうなあ。だから小豆洗を見るとほっとする」
「そうだったのですか」
「ただの想像。しかし、本当にいたのかもしれんしな」
「どんな姿でした」
「昔の人が書いた絵ではケモノに近いが、人じゃ。背は低い」
「じゃ、猿のような」
「いや、どう見ても人の顔。毛は多いが猿ほどではない。猿の赤ちゃんに近いかな。まあ、人とそっくりなら、逆に怖い。一寸違う程度の方が見やすい。そんな動物は誰も見たことがないので、これは妖怪」
「小豆洗には深い意味があったのですね。意志もあったんですね」
「これは私がこじつけて、適当に言っておるだけじゃよ」
「違っていても、小豆洗なんて見る機会などないですしね」
「たまにそういう人を見かけるがな」
「あ、はい」
了
2023年02月17日
4769話 インパクト
「最近どうですか」
縁側での話ではないが、この二人、縁が深い。だからある年になっても、まだ付き合っているのだろう。腐れ縁と言ってもいい。これは互いの腐ったところを知っているためだろうか。そのため、上辺だけの付き合いではない。
「インパクトですなあ」
「ほう、インパクト」
「それが最近欠けております。だから発火しない」
「発火ですか」
「行動に至らないと言うことですかな。ただの好奇心だけで終わる。見ているだけ、知っただけ。そのため、本人が関わらない。まあ、動かないと言うことでしょう。インスピレーションが足りない」
「おやおや、いきなり難しい話を。でも話しているだけでしょ。ただの感想」
「インパクトが欲しい」
「転がってませんか」
「そうなんだ。いくらでもあるんだが、こちらの火薬が湿っておって火が点かん」
「しかし、火の気もないところでも強いインパクトなら火が点くんじゃないですか」
「それもある。このインパクト、理屈じゃないんだ。感覚の問題かもしれん。ただ、そこに意味が含まれているのも確か。意味が凝縮されておるから発火する」
「じゃ、意味は蒔きですか」
「火が点きやすいようにね。しかし、インパクトっていきなり来るからいいんですよ。最初から来るのが分かっておる場合、あまりインパクトは感じない。起こるべきして起こったという意味だからね」
「そんなにインパクトが欲しいのですかな」
「感情の高まり。これがあると動ける」
「売ってますかな」
「インパクトは人によって違うのです。だから、売っているものの中にもあるし、そうでないものの中にもある。つまり外ではなく、内にあるのですが、それには具体性がない。やはり表に現れないと気付かない」
「衝撃ですな、一種の」
「驚きです。だから、これは驚かないと駄目なんです」
「一寸派手ですなあ。花火のように。地味でインパクトがないものじゃ駄目ですか」
「そこです」
「え、どこですか」
「その地味なものの中にあるのですよ」
「何を言っているのか、見当が付きませんが、地味なものの中にこそ強い衝撃があると言っておるのですかな」
「落差です」
「そのインパクト、どうしたら得られますかな」
「来ます。勝手に。だから作れない」
「じゃ、何ともなりませんなあ」
「いきなりがーんと来るからいいのですよ」
「はい、よく分かりませんが、参考にしましょう」
「つまり、無視するってことですね」
「いやいや、本当に参考にしますよ」
「じゃ、話した甲斐があった」
「はい。またお願いします」
「話すだけの言いっぱなしですがね」
「大いに参考になりました」
「じゃ、今日はこれぐらいにしておきます」
「はい、ご苦労様でした」
了
2023年02月16日
4768話 本命外し
本命というのは意外なところにある。それでは本命と思っていたものは本命ではないことになる。
そうなると、本命の決め方が悪かったのかもしれない。それと、安定した本命というのは、出来レースのようなもので、決まりきったものをやるようなことになる。
しかし、本命だけに抜群の安定感があり、また、それだけの値打ちもある。だから、本命としたわけだ。ほぼ期待通りの結果が得られる。
ところが真北は、本命へ行かず、そのときの思い付きで、別のものを選んでしまった。
何となく、それが思い浮かんだ。違う道で、タイプが違う。本命と言うよりも、特殊なもので、これは本命よりも強かったりする。
だから、本命から外している。ものが強すぎるのだ。それにその道はすぐに終わる。だからずっと繋がっているメインストリーム、主流にはならない。
だから、別扱いにしていた。悪いものではなく、良すぎるほどで、その良さは本命を超えている。
本命というのは堂々としたもので、期待を裏切らない。それと、そこが主流。本命に繋がるものや、本命のあとを継ぐものとかも豊富。一番太い幹だ。
しかし真北はたまに本命外しをやる。本命を差し置いて、その別枠のものを。
今回もそれだったのだが、どうしてそちらへ行ったのかが分かりにくい。ふっと思い付いたのか、暗にそちら行くことが決まっていたのか、意外と素直にそれを選んでいる。本命を差し置いて。
これは自然選択だろうか。頭で考えた場合、本命を選ぶ。しかし、意識を通さないで、すっと浮かび上がったようなもの。考えて出てきたのではない。考えれば本命を選ぶだろう。
魔が差したわけではない。これは悪いことをやってしまったときによく使うが、それではない。
枠外に押しやっているので、頭で考えた場合、遠くにある。本命か、それに準ずるものを選ぶはず。
では、誰が選んだのか。それは当然、真北自身なのだが、選ばないで選んだようなもの。
これは何だろうと、真北は考えた。枠外のもの、それは一生選ぶことはないというわけではない。あるタイミングで、その気になれば選択する。しかし、それではなかなか順番が回ってこないだろう。選択率が低いので。
枠外に追いやっているのは、当分は避けて通りたいためだろうか。そして、それは本命を超えるものであり、本命を脅かすもの。
そして、その枠外のものを本命にすると、全体が狂うし、そちらの道はあまり進みたくない。一寸ならいいし、たまにならいいが、そればかりになってしまうと困る。
真北はたまに本命破りをする。後先を考えず、衝撃的に。しかし、それは止められる。中止することができる。それをしなかったのは、今ならいいだろうという頃合いがよかったためかもしれない。
了
2023年02月15日
4767話 鬼山城
鬼山城。鬼山には謂れがある。伝説。
当然、鬼の伝説。鬼ヶ島の話と近い。島が山になっただけ。
そこに山城がある。だから鬼山城と呼ばれているが、本当はそういう名ではない。鬼山は存在するが、鬼山城は呼び方に過ぎない。そちらの方が分かりやすいためだろう。
椎家の館だった場所。椎家は土地の豪族だったが、滅ぼされている。しかし領民はそっくりそのまま残っているし、椎家の家来もかなり残っている。
しかし、ここを支配した大名家には組み入れられていない。だから百姓に戻っている。
少し前の世代までは武士だった。といっても豪族なので、武装した農民程度。
鬼山にあった椎家の館跡が城規模に改築され、数倍の広さになった。敵の領地が近いわけではなく、一番奥深いところで、戦略的価値はない。それなのに城を作った。
これは最後に逃げ込むための城。武器類や食料も三ヶ月ほどは困らないほどある。だが、三ヶ月だ。籠城しても、三ヶ月だけ。
それより先に落とされるかもしれない。なぜなら、ここの大名家が鬼山城に逃げ込まないといけないほどの負け戦になっているため、三ヶ月も持たないと思われる。
しかし、この鬼山城はそういうことで使われることはなかった。
椎郷は辺鄙な場所にあり、その鬼山城に兵を常駐させるのは無駄。平時なら、そんなことはしないだろう。
城は鬼山の麓から中腹に回り込むように作られており、それなりに広い。山そのものを城塞化しているのだ。そのため、新たに積まれた石垣などが、いかにも城らしく見せている。
しかし平時は無人に近い。別荘の留守番夫婦がいる程度だ。
本拠地から留守番に来るのは足軽。これは交代で来る。二人とか三人。
小さいとはいえ、山城なので、結構広い。長いと言ってもいい。そして天守こそないが、大きな屋敷がある。これは椎家時代の館をそのまま使っている。
鬼が出る。
留守番の足軽達が言い出したことで、何かいるのは確かなのだが、それが分からない。当然、鬼山なので、鬼だろうということになる。
伝説では鬼山の鬼は桃太郎に退治されるのだが、それに近い話。
これは椎家が支配する前にいた連中が鬼山を根城にしており、それを退治したとされている。それが山賊だったか野盗だったか、または別の集団だったのかは分からないが、それを鬼とした。当時は当然鬼山などとは呼ばれていない。
足軽達は、その伝説を知っているので、生き残りの鬼が城内に入り込んで、備蓄している食料などを食いに来るだろうと、まことしやかに語っている。
実際には、嫌々ながら留守番に来た足軽が目立たないように小出しに盗んでいたのだが。
鬼山城に鬼が出ることは本拠地でも知られているが、鬼退治の兵は出していない。
了
2023年02月14日
4766話 平穏無事
平穏無事。同じ平穏無事でも、非常にいい平穏さがあり、これは平穏から越えるほど。
当然無事、無事に過ごしているどころか、調子が良すぎるほど。
逆にギリギリセーフの平穏無事もある。あと一つ違うと、平穏でもないし、無事でもない。しかし、まだ平穏無事の範囲内。特に支障はない。
平穏無事があるのだから、そうではないときもある。このとき、一時間ほど平穏無事ではなかったとかでは、どうだろう。
しかし、その後、普通に戻り、一日を終えたのなら、その日は平穏無事と言えるかどうか。
一週間単位や月単位、年単位となると、これも一日の単位と同じで、その日を終えてから、その週や月や、年を終えたときに評価するようなもので、その評価時点が平穏無事でないと、全体の評価も低くなる。
逆に評価した時点が平穏無事なら、そうでなかったことも吸収してしまうかもしれない。終わったことと、現代進行中のことでは、先に関わるためだろうか。
また、平穏無事ではないことが起こっていても、平穏無事に丸め込んでしまうこともある。そんなことはなかったとして。また、そう受け止めたくないので、丸め込む。
平穏無事があるのなら、そうではないこともあるのだが、自己申告の場合、その評価は曖昧。
これは受け止め方、受け取り方が違うためだろうか。どちらにしても、それを評価する時点がポイントになる。
宇田の場合、平穏無事の幅が非常に広く、肥大している。多少平穏でなくても、平穏の中に入れてしまう。平穏への評価が甘い。
しかし、平穏無事でなくても、ずっとそれが続くと、慣れてきて、それが普段通りになり、普通になり、そのうち、それが当たり前になり、そういうものだとなり、何処で逆転するのか平穏無事になる。平穏でもなく、無事ではないのだが。
平穏無事。これはあまり悪いことが起こっていない状態を主に指すようだが、その逆もある。平穏ではいられないような良いことがあったとか。小躍りするような出来事と遭遇したとか。無事どころか、元気で体も気力も持て余しているとか。
これでは平穏無事とは言えないかもしれない。それに幸運に恵まれたり、とんでもないような良いことがあると、そのあとの反動が怖いだろう。
平々凡々平穏無事。そこから少しはみ出しても、宇田はその中に丸め込むようだ。何事も起こっていないと。
しかし、平穏無事でないことは起こっているのだが。
了
2023年02月13日
4765話 決め事
蒲生八家がある。蒲生の血を引く家系だが、蒲生本家は八家の中には含まれていない。
本家だが力はない。本筋であり、蒲生家初代の血を引き継いでいる。直系だ。
初代以前は大したことはなく、記録にはない。初代はある大名に仕えたが、身分は高くない。そこで一寸した手柄を立てたことで、その後活躍し、蒲生という姓を殿様から与えられた。だから、由緒正しい家ではない。出自が怪しい。
そこから何代も経るうちに分家やそのまた分家ができ、蒲生一族となる。それを蒲生八家と言うようになるのだが、もう血は薄くなっており、中には養子を貰い、血の繋がりは耐えている家もある。
だが、すぐに八家の娘と結婚し、その子は蒲生の血を持っているので、その子があとを継げば、蒲生の血を引き継いでいることになる。
蒲生本家には勢いがない。あまり良い人が出なかったのだろう。しかし、本家なので、本家として収まっている。しかし、名ばかりで、蒲生領は八家が仕切っている。
その蒲生八家の筆頭、芝浦蒲生と呼ばれる。芝浦に住んでいるためだ。しかし、この八家筆頭、まったく何もしていない。本家も何もしていないが、家臣筆頭も何もしていない。
蒲生家の首席家老のようなもの。血の繋がりも濃い。だから蒲生家は殆ど血縁関係でできている。
評定というのがあり、これは一族が集まり、決め事をする寄り合い。
本家は見ているだけで、最終的な承諾をするだけ。それを仕切るのは八家筆頭ではなく、残りの七家。
しかし、実際にあれやこれやというのはその中の三家ぐらい。
その三家の一人で桑田という人がいる。八家の人間なのだが、蒲生姓ではない。しかし、その夫人は蒲生家の血を引いている。だから蒲生一族。
この桑田という人が雄弁で、仕切り屋で、寄り合いでよく喋る人。だからどうしても、この人が主導権を握る。
寄り合いを仕切っているのは八家筆頭なのだが、この人は何もしない。
この桑田氏、弟がおり、この人は寄り合いには出ないし、桑田家にも居ないが、たまに来て、兄の相談相手になっている。
雄弁な桑田氏だが、裏に弟がいる。
その弟は桑田本家側の人間。ただ、桑田家は小さい。それに他国。
だが、蒲生家はこの桑田の弟に仕切られているようなもの。
寄り合いで、色々な相談をやるのだが、殆ど桑田氏の意見が通る。八家筆頭は、それを承諾し、本家にそれを伝えるだけ。本家は八家筆頭が取りまとめた案なので、それに従う。家臣団の総意なのだから、そのようにせよと言うだけ。
それで蒲生家は桑田家に乗っ取られたわけではなく、また蒲生家の方針が、桑田氏の意見で大変なことになるわけではない。桑田兄弟には野心はない。結構公正なのだ。外部の人のためかもしれない。
それ以前に、どうでもいいような決め事であり、どう決まろうと、大した違いはなかったようだ。
了
2023年02月12日
4764話 怪しい探検
高橋は怪しいものを見付けに、ウロウロするのが趣味だった。仕事ではないので、別にやらなくてもいいこと。
しかし、最近は以前ほどには怪しいものがない。近所のものは殆ど使い果たしたというより、新たな発見はない。
それで一寸離れた近場へ出たのだが、最初のうちは色々な発見があった。初めて遭遇するものなので、新鮮。しかし、それも徐々に減り、もう少し遠くまで出ることになる。
流石に遠出の甲斐あって、新たなものや違うものを発見し、これは時間を掛けて移動したことでの見返りだ。
この遠出、ワープに近く、ピンポイント。その町のほんの一部を探索しただけ。そのため、同じところだが、少しだけ別の場所を探索した。
これは前回の続きのようなものだが、一度目に降り立ったときの新鮮さは消えている。一回目と似たようなものなので。
しかし、近場をウロウロしているよりも収穫は多い。
一番いいのは見知らぬ町に降り立つこと。これなら全面積、全マップ、新たなものなので、全部が全部新鮮かと思いきや、そうでもない。他の町でも見かけたものがあったりし、その組み合わせが違うだけのこともある。
また時代と共に、消えてなくなった建物もあり、それはどの町でも同じようなもので、減り続けている。
逆に最近できたものが目立つ。どの町でも。
そういうのは高橋の近所にいくらでもある。わざわざ遠出して見に行く必要はない。それに、そんなものを見たいわけではない。実は見たくないものだろう。敢えて見ようと思わなくても、普段から目に入っている。探す必要もない。
それで、高橋は遠出にも飽きてきた。
遠出の条件は日帰り。勤め人のためだ。場合によっては一泊してもいいが、そこまで遠くは最初から考えていない。
一番いいのは半日で行って帰れる場所。午前中とか、午後だけで終わるような。朝から夕方までかかる場所だと、流石に間が持たない。
それに怪しいものなど、早々見つかるものではない。しかし、探している過程も楽しい。何かありそうな雰囲気がしたときのわくわく感。そのものよりも、その手前の方が楽しいようだ。
しかし、よく考えてみると、もう充分怪しいものを探し出し、怪しさの快感を得ていた。
だからこれ以上増やすのは難しい。殆どが知っていることや、似ていることばかりなので。
新鮮な驚き。それは初めてでないと駄目だし、今まで見たことがないものでないと、駄目なようだ。
経験を経ることで、鮮度が落ちるようで、そのことに高橋は気付いた。
それで最近は怪しいものを探す探索方ではなく、ただの散歩になった。
了
2023年02月11日
4763話 論破
富田は似たような日を綿々と繰り返している。粛々と。昨日と同じことを今日もやっている。その順番も決まっている。
友人から、それでは機械じゃないかと言われたが、富田は機械ではない。しかし、機械的な動きなので、機械と変わらないのだが、それほど精確なものではなく、機械としては落第だし、欠陥品に近い。
富田はやることは決まっており、それを繰り返すだけ。それでは自分の意志とか考えではないと友人から言われる。余計なことを言う友人だが、それだけ親しいのだろう。そういうことを言ってもいいような関係。
富田の答えは、これは自分が決めたことで、自分の意志だし、自分の考えで、そうなっているとなる。
だからやめようと思えばいつでもやめられるし、別のことをやりたければ、いつでもそれをやることができる。とも答えた。
自分の意志で敷いたレールなので、敷き直すことも出来るのだが、今のレールが一番妥当なので、それを繰り返していると、重ねて説明した。別に説明義務などない。その友人が納得すればいいだけの話。
富田が決めたことだと言うが、そうなってしまったのではないかと、友人は問う。
つまり、意志ではなく成り行きとか、状況で、他動的にそうなってしまったのではないかと。
鋭いところを突いてきたと富田は感じたが、おそらくそう出るだろうと思っていたので、次の説明も用意していた。
それは妥当な動きをするのは自分の意志で、それを選択したのも考えた上でのこと。一見自分の意見や意志などないように見られるが、そうしない判断もあり、成り行きに逆らうこともできたと答えた。
しかし、成り行きに従う方を選んだのは、最初から決まっていたのではないか、全部自分で決めたようなことを言っているが、それは後付けではないか、と友人は刃先を光らせた。
流石に次の説明は準備していなかった。そのため、作らないといけない。そう感じたとき、富田はありふれたよくある答えが見付からなかった。何処へ落とし込もうかと探したが、ない。
しかし、その友人、何のためにそんなことを言い出したのだろう。その目的によって、答え方も分かるかもしれない。
その友人、富田が黙り込み、返答ができなくなったので、我が意を得たとばかり、機嫌がいい。
ああ、これだったのかと、富田は察した。
了
2023年02月10日
4762話 ヌボッと
ヌボッとした日だった。曇っているためかもしれない。そのヌボッとは高橋から来ている。
曇り日は誰もがヌボッとするわけではない。ただ、それはヌボッとしているかもしれないが、ヌボッととは何だろう。
高橋は正気、狂っていない。しかし、同じ正気の中でも、あまり生気がない。これは意外と良いのではないかと高橋は思った。
考えたわけではない。そのため、思う方が軽い。考えるよりも。
どちらも似たようなことだが、思い付いたと、考え付いたとでは、一寸違いはあるが。
意外と、このヌボッとした状態がいいのは、一寸ぼんやりとしているため。感度が鈍くなったのではなく、冷静だが、冷たくはない。
物事がすっと入ってくる感じで、普通に受け止められる。これは高橋にとっては標準的な受け止め方だろう。
いつも元気すぎたり、弱りすぎたりし、どちらかに傾いている。その点、ヌボッとした状態は頼りなげで、ぼんやりとしている感じもあるが、すっと全体的に物事を見ている。あまり波を立てないで。
こういうときの判断力はいいはずで、それを冷静というのだろう。決して冷たくはないが、熱くはない。
しかし、感情の波が穏やかなので、あまり楽しくはない。静かな楽しさはあるが、頼りない。
こういうヌボッとしているときは、感動とは無縁かもしれない。
決して物事を真の目で捕らえるわけではなく、価値観などもいつもと同じ。だから人が変わったわけではなく、アタリが変わったのだろう。
こういう日は何かあるようで、普段にはないようなことがたまに起こる。珍しいことが起こるわけではないが、ああそれが来たかとなるようなのが来たりする。
高橋は、メールをチェックしているとき、これだな、と気付いた。いつもは広告メールしか来ない。全部読まないで、削除している。解除が面倒で、何段階もあったりする。それにパスワードなども忘れている。
そんな中にたまに本物のメールが届く。その一つがその日、届いていた。
難しい用件ではないが、リアルでの展開になるので、メールで返事すれば済むだけの問題ではない。出掛けなくてはいけないためだ。
別に嫌な用件ではないが、面倒臭い。日や時間に縛られてしまう。
ヌボッとしているときなので、すんなりと了解したが、そうでない日なら、また違っていただろう。
ヌボッとした日に何かが起こる。そんな因果関係はない。しかし、ヌボッとしているときに用事をこなす方が楽かもしれない。
ヌボッとの注射を打ったようなもの。
そして、そのあと気付いたのだが、そのヌボッとは風邪でも引いたのか、頭がぼんやりしていることが分かった。悪寒がしだしたので、それで分かった。
一寸病んでいるときの方が正気に近いのかもしれない。
了
2023年02月09日
4761話 言わぬが花
「暖冬ですかなあ」
「一寸寒いときもありましたが、このまま春になるんじゃないですか」
「もっと寒くなりだしても、いい頃なのですが」
「寒波が来なければ、このまま春へ至りますよ」
「至りますか」
「もう立春も過ぎたし、梅も咲いている。次は桜ですが、まだ、間がある。すぐには咲かないでしょうが、蕾の先っぽに変化が現れますので、注意が必要です」
「危険物ですか」
「近付きすぎると、センサーが働き、爆発します」
「でも桜の蕾程度なら、大した破壊力はないでしょ」
「そうですねえ。しかし、これは冗談ですよ。分かっていると思いますが」
「はい、存じております」
「まあ、このまま暖かくなっていくのなら、有り難い。冬の底から出て春に向かっているのか、それはよく分かりませんがね。そういった草花を見ていると、分かるかもしれません」
「でも、大したことじゃないですよ。世を騒がせるような」
「桜の蕾が爆発すれば、騒ぎになりますがね。でも良くあることで、この時期、あちらこちらで爆発しているのなら、年中行事。また、歳時記に載ったり、季語になったりしますよ」
「蕾の爆発ですか。一寸離れましょう」
「近付かなければ爆発しない」
「いやいや、その話から離れましょう」
「ああ、冗談ですからね。ただの馬鹿話」
「でも、リアルな話ばかりじゃ嫌ですねえ」
「そうでしょ。それにリアルな話はあまり語りたくありません」
「本当のことですからね」
「桜の蕾は本当にありますが、爆発はしない」
「また蕾ですか」
「蕾の頃の方がよかったりします。下手に咲いてしまうよりもね。咲くと目だつ。蕾だと、あまり目だたない。そういう違いじゃないのですがね」
「子供の頃なら、蕾が爆発すると思えたかもしれませんねえ」
「ははは、それは物心が付くか付かないかの頃でしょ」
「そうです。しかし、本当に爆発しているところを想像したかもしれません。今もやろうと思えば、できますがね。これは有り得ない想像。しかし、うんと幼い頃は有り得るかもしれないと思いながら、見ていたかもしれません」
「ほほう、乗ってきましたね。蕾話に」
「今でも、そんな馬鹿げた想像はしますが、最初から馬鹿げている。本気じゃない。だからスリルがない」
「まあ、ボンボンと、頭の中で爆発させておけばいいのです。誰もあなたの頭の中なんて覗けないのですから」
「今、私の頭の中、何を思っているのか分かりますか」
「分かりようがありません。言ってみて下さい」
「言わぬが花」
「はて」
了