2023年04月30日
4839話 雨の日
三村は雨の降る日の閉塞感のようなものが好きだ。屋内にいる限り、自由自在に動けるのだが、それが外だと濡れる。
だから屋根のあるところを伝いながらの移動ならいいのだが、それでは限られてしまう。多少の雨なら行動を妨げることはないのだが、それでも雨で閉じ込められているような雰囲気がある。これは具体的な動きでは支障なくても気持ちの上で。
それで雨がしと降る日は妙に落ち着く。それで、閉じ籠もっているわけではないが、気持ちを狭めている。気を小さくし、狭苦しい考えなどに浸る。元気はないが、穏やか。少し陰が入っている。しっくりとした感じで、これが落ち着く。
また雨音が聞こえる。これにも調べがあり、何かを奏でている。聞き方によっては色々なリズムとなる。また調べだけではなく、声も聞こえてきそうだ。これは誰かが歌っているような。
三村は雨音を聞きながら、じっとしているわけではなく、いつもやるような用事をやっている。かなりしおらしく。
カラッと晴れた日よりも、こういう日の方が三村は好きなようだ。ただ、雨の日ばかりでは困るので、続きすぎる長雨にはうんざりするが。
だから、雨が好きなわけではない。程度の問題だろう。だから雨の日でもそれなりに過ごすのも悪くない程度。
また、三村は雨の日は考え方が少し変わるようで、この時に考えたことは暗い。地道、地味と言ってもいいし、リアルと言ってもいい。ただ、そういう発想ばかりではなく、晴れると変わってしまう。
つまり三村はお天気屋さんなのだ。気象関係の仕事ではない。
体の中に四季があるのか、または外の自然と同じものが体内にも入っているのか、その影響を受けるのだろう。ただ、意志の力で何とでもなるが、同じことでも雨の日だと意志も重くなる。まるで石を一つ担いでいるように。
これは気圧とかの圧が違うのかもしれない。
その日は長く降り続いていた雨がやみ、カラッと晴れた。それで調子が狂ったのか、三村は落ち着かない。晴れのいい天気が続くと、それに慣れてくるのだが、その前にまた雨が来たりする。
僅かな気持ちの変化、持ち方の違いだが、多少は影響を与えているのだろう。
了
2023年04月29日
4838話 追放
「追放か」
「そういうことになります。殿の独断です」
「聞きとうないなあ、そういう話。大殿の代ならそんなことはやるまい」
「家臣も増えております。分け与える領地が足りないのかと」
「それでわしのようなや老いぼれは追放か」
「それぐらいで済んだのなら、まだましです」
「わしが何をした。先代から仕えておるんだ。古参中の古参ではないか」
「しかし、これといった働きはしておりません」
「不忠義もやっておらん」
「兄上の働きが高かったので、生き延びているのです」
「兄は出城で籠城し、耐えに耐え、よく食い止めた。この戦功は大きかったが、討ち死にした」
「殿様も恩に感じておられます。だから弟であるあなたを立て、重臣にまで上げたのです」
「しかし、わしにはその力はなかった」
「いえ、あるんですが、少し大人しい。もう少し目立った戦功があればよかったのですが」
「そういう戦いがなかっただけ。これまで色々ないくさに加わった。他の武将と一緒にな。しかし、わしは本陣近くを守ることが多かったので、手柄は立てにくかったのじゃ」
「しかし、敵の城を攻めるとき、大将として指揮を執っていましたが、なかなか落ちませんでした。長い包囲戦に飽きたのか、笛の音が聞こえてきました。誰が吹いているのかと思えば、あなた様でした」
「いや、飽きたからではない。笛が好きなので練習しておったのだ」
「殿はそのこともお聞きになりました。何とも生ぬるい大将かと」
「笛を吹いては駄目か」
「ホラ貝ならいいのですが、浮き世を忘れるような調べでは」
「手柄がなく、笛を吹く。これが追放の理由か」
「さあ、それは分かりませんが、殿との相性が悪いのかもしれません。重臣として名を連ねていますが、殿の評価は低かったのでしょう。大殿時代の家臣ですから。殿としては子飼いが欲しいのです」
「あの殿、下の者でも引き上げるからなあ。才ある者を引き立てる。能なしでは下げられるか。しかし追放とはなあ」
「少し手を抜きすぎたようです。もう少し懸命に仕えておれば可愛げも出たでしょうに」
「あの殿に可愛がられても仕方があるまい」
「その態度が気に入らないのでしょう」
「しかし、どうする」
「一族は既に逃げ出しております。それぞれ縁故を頼るでしょう。財産も、既に分け与えております。取り上げられる前に」
「準備がいいのう」
「とりあえず適当な山寺へ行きましょう。家来も少数で」
「わし一人でもいい」
「そうなのですか」
「笛か。笛だな」
「はあ」
「何処かの山寺で、思う存分笛を吹いて暮らすか」
「よきお心掛けで」
「ま、まあな」
了
2023年04月28日
4837話 四月の雨
「また雨ですなあ」
「四月の雨。菜種梅雨でしょ」
「それよりも寒いです。この雨。雨だけじゃなく、気温が低いですよ。冬物を引っ張り出してこないと」
「何処から」
「え」
「何処から引っ張り出すのですか」
「洋服ダンスです」
「誰が」
「僕がです」
「奥さんはいないのですか」
「いません」
「それで、洋風ダンスから冬物を掴んで引っ張り出すのですね。引っ張るのですね。ぐいっと」
「そこに拘ってくるとは思いませんでした。四月の雨は寒いと言いたかっただけです。そして五月の雨は冷たいと。これは寒くはないのですが、冷たいのです」
「引っ張り出しましたか。冬物」
「正しくは引っ張ったわけはありませんし、洋服ダンスは嘘です。分かりやすいように言っただけで、本当は部屋の隅の廊下の端に吊しているんです。ダウンジャケットでボリュームがありましてね、洋服ダンスがいっぱいになるので、外に出しているのです」
「じゃ。最初から出ている。引っ張り出す必要はないわけですね」
「でも廊下の端は物置のようになっていまして、そこからダウンジャケットを出すのは手間なんです。アコーデオンカーテンで仕切っていますので、目隠しになるんですが、これが開けにくい。また中のものがはみ出しているので、それに引っかかってカーテンが開けにくいのです。洋服ダンスの方が簡単です」
「詳しい説明、有り難うございます。実際の様子はそう言うことだったのですね」
「いや、寒いので、冬物を出してくる話ですから、出し方の話じゃありません」
「でも洋服ダンスなら観音開きが多いでしょ。アコーデオンカーテンは左右に走らせる。そして折りたたみ式だ。伸縮する。これはかなり違いますよ」
「だから、そういう話じゃなくて、仕舞っていた冬物をまた出してこないといけないということです。もう次のシーズンまで着ないので、奥の方に吊してある。だからそれを掴んで引っ張る感じなんです。こういう説明、くどすぎますよね。どうなんですか」
「一寸気になりましたので」
「それよりも、この雨で寒くなっている方が気になるでしょ。こちらがメインですよ」
「何の」
「話の」
「どうせ、世間話なのですから、何でもかまわないでしょ」
「まあ、そうなんですが」
「ところであなた。寒いと言いながら、冬物を引っ張り出さなかったのですか。着ておられませんが」
「だから、アコーデオンカーテンをガサガサ開けて、足場の悪い壁際からダウンジャケットを取るのが面倒臭くて、やめました」
「じゃ、寒いでしょ」
「この季節の寒さなんて大したことじゃありません」
「でもさっき四月の雨は寒いと言ってられましたが」
「一寸だけですよ。一寸だけ」
「さいですか」
了
2023年04月27日
4836話 仙人になりかかった男
「拝嶽に入られた」
「いよいよあの仙人、本当の仙人になる気か」
拝嶽は奥山に突き出たる険しい岩山。登る人などおらず、また登る用事もない。あるとすれば仙人になるため。
ただ、その周辺は狩り場になっており、猟師がたまに入り込むが、獲物は少ない。
拝嶽は山脈に突き出た島ような山で、その真下は絶壁で、深い渓谷が口を開けている。登れるとすれば表側から。それほど高い山ではなく、山塊の中の一つ。しかし、裏側に隠れているので、回り込まないと見えない。
仙行の最終仕上げのような場所で、その頂に這い上がり、そこでじっとしているだけでいい。座っているだけで。
しかし沢からの谷風が強く、手をついて座らないと、飛ばされるほど。頂上に人一人座れる程度の場所があり、これは突き出た岩山の上にもう一段先端があるようなもの。
だからここで数日座り続けるだけでも行になり、それにふさわしい。決して荒行ではないが、目を閉じれば水平感覚が悪くなり、ふらつく。そのため長くは座り続けられない。それは一般の行者のことで、仙人になりかけの者なら、岩と化し、一体となるらしい。
仙人になりつつある吉之助は、それなりに年を取っている。あまり若い仙人は聞かないので、修行の期間が長いのだろう。
「止めるべきではありませんか。拝嶽の先端でじっとしておると、死んだものだと勘違いされ鳥の餌食になるのでは。その鳥を追い払うとき、下手をすると落ちまする」
「余計な心配はせんでもいい。吉之助様はこれで仙人になられる。喜ばしいことではないか」
「空を飛んだり、不老不死になるのでしょうか」
「それりゃ、死んでおるんじゃろ」
「ああ、そうですなあ」
「吉之助様とは馴染みが深い。修行しているのをよく見かけるでのう。立派な仙人なられることを祈っておるよ」
吉之助は山から一番近い寺に滞在している。ここが定宿らしい。仙人とまではいかないが、修験者などの宿泊所として、この寺は宿を提供している。ただし、金子や米は必要だ。
その寺から吉之助が拝嶽へ向かったらしく、村外れまで見送り人がいた。
この吉之助の行というのは大人しいもので、それほど体を使わず、瞑想が多い。また野山に入り込み、じっとしていることもある。滝があっても滝行などはしない。じっと見ているだけ。
だから修験者のそれとかなり違う。吉之助には師匠がいた。この人も仙人になりつつあった人で、既に亡くなっているが、修行の方法を吉之助は教えてもらっている。それで流派ができるわけではない。
村外れから山に入るのだが、何せ奥山の外れに拝嶽はある。かなり遠い。
人の気配が抜ける境目に二柱の木が立っている。白木で皮は剥いてあるので、すぐに分かる。注連縄などはない。
そこから人の手が入っていない山岳地帯に出る。村人も、ここまでは滅多に入り込まない。猟師程度だ。木こりもいるが、いずれも村人の兼業。
吉之助が山に入った翌朝、倒れている姿があった。
一晩持たなかったのだろう。しかし、場所が奥山に入ったところで、まだ序の口。そこで吉之助はのびていた。
これは早朝猟師が見付けている。山に入るところだったのだ。
奥山の裏側にある拝嶽。そこへ向かうとば口で倒れたことになる。
意識はあった。
情けなさそうな顔の吉之助。面目なしとばかり泣きだした。
村人の猟師が聞くと、足腰が言うことを効かなくなったとか。
運動不足の仙人候補もいるのだろう。
了
2023年04月26日
4835話 怠け者
怠け者で有名な田村だが、怠けることでは怠けていない。だから敢えて怠けているようだ。
といって努力して怠けているわけではない。努力したり頑張ったりしないので仕事も遅く、やることなすこと遅れがち。それでも尻に火が点くとやり出す。
この場合、努力の必要はない。自然とやってしまうためだ。その時は結構仕事が早い。これもその早さでないと、大変なことになるためで、急ぐ気が自然に生まれ、気が付けば素早くやっている。
また、田村は怠けることに飽くことがあり、その時も自然に動いている。だから、怠け者と言っても世の中の片隅程度でなら何とか生きていける。最低限のことはしているためだろう。
「田村さん。怠けるのも大変ですよ。怠けようとしてもなかなか怠けられるものじゃありません。どうか、伝授を」
「いやいや、こんなものにコツなどありません。そのままにしているだけです」
「そのままでは止まってしまうでしょ」
「いやいや、殆どが言われるまま、請われるまま。これをこのままにしていることになるのです」
「成り行きに逆らわずですか」
「さあ、どうなんでしょうねえ。そのようになっているようなので、それに乗るだけですよ」
「じゃ、その流れに乗って、私に怠け方を伝授して下さい」
「ないです」
「それだけですか。話の流れは」
「怠けるのに理由はいりませんよ。そんな難しいことじゃない。一番簡単なことでしょ。安易すぎるほど安易」
「ああ、その調子で論を進めて下さい。聞きたいのは、そのあたりです。私の願いです」
「何か良いたとえ話があれば、面白おかしく聞いてもらえるのですが、どれも胡散臭い話ばかりで、その話の逆側が気になるほどです」
「それそれ、その難解さを続けて下さい」
「いや、だから簡単すぎて、それ以上掘れないのですよ」
「田村さんはいつも自然でおられる。そこも聞きたいのですが」
「私は不自然極まりのない暮らしをしていますよ。だから怠け者と呼ばれているのです」
「ああ、どちらが自然なのか、分かりにくい話ですね」
「怠けるのはいけない。それが答えですよ。全てですよ。一言で片付けられます」
「そんな単純なことなのですか」
「まあ、皆さんは怠けないように注意して生きているのでしょうねえ。心掛けが皆さんよろしい。私は悪い。ついつい楽な方へ流れます。これはおすすめできませんので、私の話など、参考にはならないでしょう。有害なだけ」
「最後に何か教訓を」
「怠けることを怠けると戻ります」
「そのままですね。何のひねりもない」
「はい」
了
2023年04月25日
4834話 楽見流
「特徴があるのは分かる。しかし、そこを誇張しすぎだ。これ見よがしかのように、そこを見せようとしておる。これを野暮という」
「でも、己の個性を発揮させたいのです。人とは違うものを出したいのです」
「何もせんでも出ておるではないか」
「しかし、それでははっきりとは分かりません」
「困ったのう。まあ、若いうちはそういう気負いがあるもの。そのうち枯れてこようが、いつまで立ってもそれをやっておる年寄りもおるがな。あれは疲れると思うぞ。そちもそうなりたいか」
「若狭先生のことですか」
「特徴のあることをされておるが、いっこうに鳴らん。鳴いておるのだが、鳴き声が五月蠅い。大声や奇妙な声で鳴かれると、聞きとうなくなる。こっそりと鳴いておられるのなら、何かなと思い、耳を澄まそうが」
「それは私には出来ません。地味です」
「世の人は凡作を好む。ありふれたものでいい。大人しいものがいい。そちらの方が飽きん。長持ちする。ずっと見ておると、意外な箇所を発見する。そう言う楽しみが凡作にはある」
「でも、凡作でしょ。世の中では埋もれてしまいます」
「わしはそういうものを好む。何でもないものを好む。特徴のないものを好む」
「どうしてですか」
「疲れんからじゃ」
「はあ」
「楽に見たい」
「それが楽見の極意ですか」
「我、楽見流の極意」
「秘伝でしたか。知りませんでした」
「奥義なので、隠していた」
「言ってもいいのですか」
「そちには力がある。それを落とせばいい案配になろう。その才があるしのう」
「何の才ですか」
「そちが思っておる逆側の才よ」
「と、いいますと」
「力を抜いた凡作が望みではないのかな」
「その逆です」
「逆もまた真なりでな」
「私には凡作が似合っているとでも」
「まあ、そう力んでいる間は無理かな。しかし、そのうち分かるときが来る。その時、思い出すのだ。それが楽見流の極意だったことをな」
「あ、はい」
了
2023年04月24日
4833話 書き残した秘事
「今日は何の話でしたかなあ」
「四方山話で結構です。気の向くままに昔の話でも今の話でも、何でもかまいません」
「昨日のことは忘れているが、うんと昔のことならありありと覚えていたりするのう」
「その昔話でも結構です」
「では何の話をやろうかのう。あれもあるし、これもある。しかし、今、話したいと思えることは少なかったりする。どちらかといえば話したくない」
「無理にとは言いません。気の向くままに、お好きなお話を」
上田兵庫は、この老人がボケないうちに聞き出したいことがある。それは藩に関わる重大事で、それをとある老臣が書き残していた。
それは老臣が亡くなったとき、消えたとされている。それが何処に移ったのかをいろいろ調べていると、滝田屋の藤兵衛という商人か武士なのかが分からない人物に渡ったとされている。この滝田藤兵衛、元は商人だが、藩の財政を任され、形の上では藩士になっていた。
しかし、滝田藤兵衛の屋敷が火災に遭い、そのとき燃えたとされている。これで話は終わるのだが、実は写しがあることが分かった。その写しを、この老人が持っているらしい。そこまでつきとめたのだ。
藩の重大事。秘密だ。それは先代が年取ってから出来た嫡子。それがすり替えられていた。つまり、やっと産まれた子はすぐに亡くなっているのだ。もう子ができないと思い、他の子とすり替えたのだ。
その子は矢那村の庄屋の三男坊。同い年で顔も先代に似ていた。
この世話をした老臣が書き残していたのだ。何かあったとき、役立つだろうと。
上田兵庫にとり、それは役立つ。今の当主は正統な跡取りではなく、百姓の子。これは明るみに出せないが、そのことで主流派を牽制することが出来る。
公に出来ないのは、幕府にしれてしまうと、藩そのものが危ない。だから、それはできない。養子をとれば済むことなのだが、そうしなかった。
「藤兵衛様は商人だったとか。このお話、面白そうですが、何かありませんか。昔の思い出として」
「それほど昔ではありませんがよく覚えていますよ」
滝田藤兵衛。老臣が書き残したものを持っていた人物。ズバリ、そのあたりから聞いているのだ。
「あの人は小まめに帳面を付ける人でしてな。物覚えが悪いので、書いて残していたらしいのです。元商人ですから、言った言わないで揉めることがありますから、その癖も付いているのでしょうな。でもあの人が勝手に書いたものですから、証拠にはなりません。ただの覚え書きでしょ。藤兵衛殿の」
この藤兵衛が老臣が記したものを預かっていたのだが、火災で消滅。その写しを、先ほどからボケた話をしている老人が持っている。ここを聞き出したいのだが、ここまで問うと、もうバレているかもしれない。当然、この老人がボケていないなら。
老人は、これではありませんかと、その写しを書庫から出してきて、兵庫に見せる。
そのものが手に入った。嘘のようだ。
「写しなので、真意は分かりませんよ」
老人の頭はしっかりとしていた。兵庫が欲しいものを察したのだ。
兵庫は、嫡子すり替えの証拠を、重臣達に見せた。しかし、相手にされなかった。とある老臣が書いたものなのだが、写しなので偽物ということもある。だから、証拠にならないし、こんなもの、いまさら出されてもなんともできない。
それに今の百姓の子だった殿様、名君とされ、藩は上手く行っている。
真実を暴いて良くなるのならいいが、ただただ混乱するだけのこともあるのだろう。
その百姓の子の殿様、藩主の三代前の人の弟の縁者の娘を奥方としているので、その子は歴代藩主の血を引いていることになるようだ。
了
2023年04月23日
4832話 作田の秘密
「この人は何だ」
「作田さんですか」
「成績が悪い。他のスタップの半分だ。それにいつも悪い。この作田、整理する必要あるなあ」
「でも、前の担当者も、その前の担当者も、そのままにしておきましたよ」
「気に入らんなあ、この作田。この成績。私はこういうスタッフを認めたくない」
「でも、長く勤めていますよ。最初からいますよ。僕よりも古いです」
「ただの古参兵か」
「兵隊じゃありませんよ」
「兵のようなものだ。精鋭部隊を作りたい。それには、この作田、邪魔だな」
「成績が悪いので、雑用とかをやっているようですよ。それとか整理とかも。使い走りもやるようです」
「何だそれは」
「作田さんがいなければ、他のスタッフがやることになります。だから作田さんがいるので、その役はしなくてもいいのです。だから作田さんはスタッフから人気がありますよ。それにスタッフの中では今では一番年長者ですからね」
「そういうことはどうでもいいんだ。このデータを見れば作田が際立ちすぎる」
「悪いほうにですね」
「そうだ。こんなスタッフがいることは恥だ」
「スタッフは恥じていませんが」
「私が恥ずかしい」
「でも、新任なので、ある程度前任者のやっていたことを引き継いだ方がいいですよ」
「私は新体制を作る」
「そういう上からのお達しですか」
「それはないが、そうすべきだろう。より効率よく仕事が出来るように。そして作田の成績が悪いので、足を引っ張り、平均点を下げておる」
「でも、あのチーム、トップクラスですよ。一番よく仕事が出来ます。成績は数あるチームの中でもダントツです」
「作田を他のものと交換すれば、もっと成績は上がる」
「もう十分成績はいいですよ」
「確かにあのチームは最強部隊だ。精鋭部隊だ。しかしそんな中になぜ作田がいるんだ。これが不思議なんだ」
「作田さんがいると、他のスタッフが楽なんでしょうねえ。仕事がやりやすい。実際、手伝いなどもやってますよ。他のスタップのアシストとか、フォローとかも。でもそれは作田さんの点数にはなりませんがね」
「そうなのか。しかし、そんなややこしいものはいらん」
「じゃ、上にそうするように伝えます」
「しっかりとな。君は優れたマネージャーだ」
「はい、喜んで」
しかし、作田さんは相変わらず、そこにいる。
あのマネージャー、上に伝えなかったようだ。
了
2023年04月22日
4831話 雑念
同じ道を行くにしても、その日により、印象が違う。それを違えているのは本人かもしれない。
ただ、天気により、気分が違ってくることもあるが、それとは関係なく、見え方が違う。昨日と同じ道沿いなので、風景は同じ。同じものが見えているのだが、そこでも僅かだが変化があり、決して同じではない。そういうことと関係なく、見え方が違う。
これは目の問題もある。一寸見え方が悪いときもある。視力の問題だが、それがあったとしても、やはり違って見えることがある。
では、何を見ているのか。それは見ていないのかもしれない。目はそこに行っているのだが、上の空。視線が上空へ行っているわけではない。
柏原は目を擦ってみた。すると目やにが付いていた。それで見え方がよくなった。先ほどまで霞みがちだったのは、そのためだ。こういうのは分かりやすい。原因がはっきりとしており、取り除くと、元に戻る。
その元とは普段通りということだが、この普段も年々変化している。ただ、徐々なので気付かない。
柏原の見え方が毎日それなりに、少し違うのは過去の記憶からの押し出しではない。
その過去が昨日とか、ついこの前とか、最前とかなら、その影響を諸に受けるだろう。だから見え方もそれが影響する。
たとえば、その直前、旧友とばったり出会い、軽く会釈した。悪い出合いではないが、ただの挨拶程度で過ぎ去った。そのあと見る風景は一寸違う。風景も目に入っているが、その旧友のことを思い出したりしている。
旧友世界に一寸だけ入っているのだ。この時、直前の記憶だけではなく、かなり昔の記憶も引っ張り出される。そう言うきっかけでもなければ思い出さないだろう。その用事がない。ただ、何かの連想で浮かんでくることもあるが。
しかし、過去の記憶とかがずっと常駐し、それで見え方が違うとかは榊原にはない。古すぎると出てこないのだ。
毎日変わる気分。これは何だろうかと榊原は考えた。これは用事ではない。また必要なことではない。雑念に近い。
しかし、日々雑念の連続のように思えたりする。普段から色々なことが頭をよぎるのだが、その殆どは雑念。仕事とか用事のときでも、それが傍らにいたりする。
その雑念はまさに雑々としており、纏まりのない話が多いが、たまに以前のことが尾を引いて、今もそれを引き摺っていることもある。ただ、忘れているときは、その影響下にはない。
人の体は水分が殆どで、それでできているらしいが、頭の中も雑念で出来ているのかしれない。
そして、今日はどんな見え方をするのかは蓋を開けないと分からない。
柏原としては、楽しいことを期待している。
了
2023年04月21日
4830話 浮かぶ髑髏
怪異、怪談。昔からよくある話なので、その手の話は慣れているのだが、わが身に降りかかると、これは別。
そんなことが本当にあるのかと、そちらの方が気になる。それどころか世界観を変えないといけないことになる。その怪異の内容よりも、それが実際に起こることの方が怖い。
時田氏はそう言う体験をしたため、これは人ごとではない。何とかそれを解説して欲しいのだ。出来れば一般的ところに持って行きたい。よくあることとして。しかし怪奇現象はよくある。既に一般化されているのだが。
時田邸は古い。その裏庭の一角に祠がある。時田氏は放置しているのだが、庭の掃除はしている。石組みの祠で開けるようなことはない。大きな石が置いてあると思えば、庭石に見える。
その裏庭と母屋の間に渡り廊下のようなものがあり、納屋と繋がっている。蔵程の規模はなく、ややこしいものをそこに仕舞っている。もう使わなくなったものとか、ガラクタだが、捨てるには忍びないものとか、先代の遺品とかもある。使っていた机とかだ。これは捨てられない。
その納屋が怪しいのではなく、渡り廊下に何かが浮かんでいる。形があり、よく見ると髑髏だったりする。
母屋から廊下を渡るとき、納屋の前に浮かんでいるように見えるのだ。廊下の真ん中あたりだろうか。
時田氏は何人かにそのことを話したのだが、それなら誰某さんが詳しいとかなり、さらにその人は、この人がよく知っているとなり、さらにその人は妖怪博士を教えてくれた。
妖怪を調べて欲しいわけではなく、怪現象を調べて欲しかった。妖怪博士なら、最初から妖怪と結びつけるはずなので、時田氏は一寸不満だったが。
「髑髏。つまり、頭部の骨ですな」
「はい、それが浮かんでいるのを見たのです」
「あ、そう」
「幻覚かもしれませんが、同じものを何度も見ています。昼でも夜でも」
「じゃ、そう言うものが現れるのでしょうなあ」
「母屋と納屋を繋ぐ廊下です。化け物は廊下に出ます」
「納屋を背後にしてですな」
「そうです。下は庭です。北向きで陽当たりが悪い場所で、苔むしっております」
「納屋に用事で」
「はい、たまに用事がありますので、しかし、あれを見てからは、また出ていないかと思い、何度か見に行っています」
「最初に見られたのはいつ頃ですかな」
「ひと月程前です」
「最近ですなあ」
「はい」
「その時、どうして見られたのですか」
「どうしてとは」
「どのような見方をされました」
「見方」
「そうです」
「その夜は、何か出そうな気がしたんです。いつもはそんなことはありませんよ」
「何となく、そう感じたのですか」
「そうです」
「それで、廊下を渡るとき、何かがいるのかもしれないと思いまして、そのへんを見回したのです。すると、前にいるじゃありませんか。ちょうど廊下の真ん中あたりです。白いものでした。よく見ると」
「頭蓋骨だったのですね」
「浮いていました」
「怖いですなあ」
「しかし、何かと見間違えたと思いましたよ。そんなに鮮明な髑髏ではありませんでしたので」
「頭蓋骨に見える程度ですか」
「それに僅かに動いていました。微動していました。だから、光線具合で、そんなものが浮かんでいるのかと思いました」
「納屋へは行かれたのですか」
「はい、そのまま髑髏を通過して廊下を渡り、納屋の灯りを点けました。振り返ると、もういませんでした。だからあの角度からでないと、見えないことがあとで分かりました」
「あとで、ですか」
「その後、何度も見に行くようになったのです。その時、見え方が分かりました」
「はい、分かりました」
本来なら、ここで妖怪博士は御札を貼るところだが、それは最後の手段で、もう少し調べることにした。
「その怪異、聞いたことはありませんか」
「さあ、親の代には聞いていませんが、祖父の頃は知りません」
「では今までそんなものは浮かんでいなかったということですな」
「そうです。だから私だけが見える幻覚なのかもしれませんが、何度も同じ場所で見るので、これはいると思います」
「そうでしょうねえ」
「そうでしょ」
「しかし、急にどうして見えだしたのでしょうなあ」
「さあ」
「先ほど、何かいそうな気がしたので、注意深く周囲を見渡しと言っておられましたね。どうしてそう思ったのですか」
「一寸オカルトっぽい映画を見たあとだったので、そんな雰囲気になっていたのです」
「怪異を意識したと」
「まさか、それは映画の世界ですから」
「でも少しはした」
「はい、少しだけ、それで好奇心半分で、あの渡り廊下で、一寸その気になって見渡したのです」
「するといた」
「はい」
妖怪博士は少しだけ思案した。当てはまるものを探しているのだろう。
「空間ですなあ」
「はあ」
「髑髏が先じゃなく、空間が先なのです」
「空間といいますと、あの渡り廊下周辺ですか。廊下と納屋と中庭がそうなのですか」
「特に渡り廊下の空間です」
「空間」
「空気といってもいいでしょ。その空気の中にいるのですよ」
妖怪博士は、何も思い付かないので、適当なことを言っているようだ。
「意識していないときは見えない。形がない。ただの空気です。空間です」
「はあ」
「しかし、意識したとき現れる。形となって。即ち髑髏、頭部の骸骨の姿になって」
「そんな髑髏がいるのですか」
「髑髏が先にあるのではなく、空間が先にあるのです。これは一体です。それはそこから湧き出したようなもの。髑髏が隠れていたわけではありません。その空間が髑髏を作り出したのです。あなたが見たので、形が作られたようなもの」
「磁場のようなものですか」
「そうでしょうなあ。だから髑髏でなくてもいいのですよ。時田さんが見るとそれは髑髏に見えるのです」
妖怪博士はただの雰囲気で喋っているだけのようだ。
「そのオカルト映画、ホラー映画、頭蓋骨とか骸骨などが出てきませんでしたかな」
「そういえば」
妖怪博士の解説はかなり苦しいものだが、時田氏は、そうかもしれないと思うことにした。そうでないと宙ぶらりんなままなので。
「裏庭にある石の祠。関係がありそうですね」
「そのややこしい空気を鎮めるためのものかもしれません」
「先々代のものですよ」
「たまに石の扉を開けてごらんなさい」
「はあ、そうしましょう」
これは御札を貼るよりもいいだろうと妖怪博士は思った。いずれも思っただけで、確たるものはない。
そして、祠を開け閉めするようになってから、あれは浮かなくなった。意識してもしていなくても、見えなくなった。
妖怪博士は適当なことを言っただけだが、効果はあったようだ。
了
2023年04月20日
4829話 炒り豆の剣
「認められたいか」
「はい」
「そのままでは駄目か」
「比べられてしまいます。吉岡の嫡子は頼りないと」
「頼りない?」
「はい。劣っていると」
「勝っているところもあるだろ」
「いえ、武術が大事です」
「其方、よく本を読む。そこでは勝っていよう」
「しかし、何の役にも立ちません」
「では、どうしたい」
「認めてもらいたいのです。周囲から」
「確かにそなたは強くはない。しかし実際に斬り合うような時代ではない。既に太刀など無用の長物。また戦があったとしても、鉄砲や弓。剣術など役には立たん」
「しかし、ここは剣術道場でしょ」
「食うためにやっておる」
「皆から認められれば、私は満足します。道場で一番弱いとはもう言われなくなります」
「何が望みだ」
「秘伝です。炒り豆の剣です」
「それを習いたいのか」
「はい」
「しかし、その剣、上級者に授けるもの」
「私にも授けて下さい。使いこなせなくても、そこそこ強くなると思います。少なくても、一番弱い弟子ではなくなります」
「不名誉か」
「はい、ここを脱したいのです」
「そのほうよりも弱い弟子ができる。下から二番目の佐久間が一番下になる。佐久間を引き摺り下ろすことになる。それでいいのじゃな」
「仕方のないこと」
「では、授けよう」
「奥義ですね」
「秘伝じゃ」
「私は何もしなくてもいいのですか。そんな簡単に教えてもらえるのですか」
「大した剣ではない。練習の必要もない」
「ここで授けてもらえるのですか」
「ああ、座したままな」
「お願いします。炒り豆の剣を」
師匠は、炒り豆の剣を授けた。
吉岡は炒り豆の剣を即座に習得した。
その後、道場で二番目に弱い佐久間と闘い、勝つことができ、最下位から脱することができた。
さて、炒り豆の剣とは何だったのか。
了
2023年04月19日
4828話 ツキ
物事が上手く填まることがある。ピタリと決まる。しかも続けて連続的に。まるで前方の信号が進む先々で青に変わるように。
「不思議と決まるときは決まるんだ」
「何だろうねえ。そう言うタイミングだったんだろうねえ」
「それがねえ、取って付けたように決まるんだ。まるで誰かがスイッチを押しているようにね」
「誰だろう」
「さあ」
「でも、その逆もあるだろ。スラスラ行くはずのことがギクシャクし、途中で止まってしまい、その先へ行けなくなる」
「それもあるねえ」
「だから、偶然なんだよ。たまたまそんなときもある程度」
「でも、今まで来なかったものが、すっと来たりするんだ。それだけならよくあることだけど、別のことでも同時にそうなっていたりする」
「そんな偶然、始終起こっているはずだよ。気付かないだけでね。気にしていることは気に掛けているから成り行きを気にしているので、気付きやすいだけ」
「うん、そうなんだけど。そうとは思えないようなことが起こるんだ」
「じゃ、トントン拍子に上手くいったり、ガタガタ拍子になったりするのかい」
「ガタガタ拍子。そんなのがあるのかい。そんな拍子が」
「要するにギクシャクしてるし、やることなすこと上手くいかないことが続く調子のことだよ」
「調子なんだね。拍子じゃないのだね」
「どちらもいいよ。そんなこと」
「うん、分かった」
「それで、何が問題だった」
「上手く物事が次々と填まりすぎると、これは一寸怖くなるんだ」
「いいことじゃないか。悪いことじゃないんだろ。連勝じゃないか」
「そのあと連敗が来るのが怖いんじゃなく、あまり調子よく進みすぎると、気味悪くなる。薄気味悪いんだ」
「ほう」
「できすぎるというか、タイミングが良すぎるし、他のことでも調子が良いので、これは何か怪しい」
「そのうちピタリと填まらなくなるよ。心配しなくても」
「それはツキのようなものかい」
「いや、ラッキーだけじゃなく、いつも上手くいかないのに、何気なくやったら、すっと行ったりとかもあるんだ」
「うーん」
「ただのツキで、運が良くて、ラッキーなだけだよ」
「ツキかなあ」
「何かが憑いているかもしれないけどね」
「怖っ」
了
2023年04月18日
4827話 雨休み
雨の日は田畑に出ないで家で本でも読んで過ごす。そういうことを何処かで三原は聞いた覚えがある。何かのフレーズで、出てくる。
これは昔の百姓さんだろうか。確かに雨では畑仕事はしんどい。しかしやれないことはない。それが小雨程度なら出るだろう。昨日の続きがある。やりかけていたことをやらないと、遅れることになる。
ここで遅れると、あとで忙しくなる。雨で濡れるぐらいなら大したことはない。
それに、部屋で本を読むだろうか。家の中で出来る仕事をするのではないか。土間で農具の手入れをしたりとか。やることは結構ある。
だから、この人、百姓ではないのかもしれない。本を読む人だし。
しかし、野良仕事をする時間は長い。その間ずっと読書なら飽きてくるだろう。だから一日中本を読んでいても飽きない人。やはり本好きな百姓でもない限り、無理だ。
それに一人で野良に出るのではなく、家人と一緒かもしれない。そうなると本人は本を読めばいいのだが、他の家族などはどう過ごすのだろう。
三原は、そんなことを考えると、これは隠遁生活を送っている武家ではないかと思った。必死で田畑を耕さなくてもいいような身分。
それでも雨の日以外は野良仕事をしていたのだから、勤勉だ。しかしその田畑のある場所は、山の中にぽつりとあるわけではない。村にある田畑は共同作業も多いだろう。雨の日でも続けることもあるはずで、雨だから一人だけ勝手に休むわけにはいかない。
これは架空の人物で架空の場所ではないかと三原は考えた。ただ、それがどのようなところで語られていたのかは知らない。何処かで聞いた話なので。
それを知れば、ああなるほど思えるかもしれない。
しかし、三原はこの話を気に入っている。なぜなら、雨を理由にして、外での用事を中止することができるため。
といって部屋で本を読むわけではなく、寝転がったり、好きなことをやっているだけで、用事はしない。部屋の中でも出来る用事はそれなりにあるが、雨なので休み。雨を言い訳に使っている。
これは雨休みで、雨が降るとサボれるだけの話だろう。
了
2023年04月17日
4826話 只者
「青木氏には欲がない。これを調略するのは難しい」
「何度も仕掛けているのですが、反応はありません。いい条件を示しているのですがね。倍程の領土を与えるとかでも駄目です」
「倍では少ないのではないか。しかし、そこまで与える程の戦力はないし、また重要な地ではない」
「しかし、青木領が寝返ると、敵の防御線は崩れます。充分に戦略的価値はあります」
「だがなあ。青木城ぐらい一踏みで潰せる」
「そうは参りません。周囲の城から援軍が来ます」
「そうだったのう」
「青木氏は欲のない人。寝返る条件には乗りません」
「それは先ほど聞いた。しかし、実際はどうじゃ。調べたはずじゃが」
「調べました。青木氏はもっと地位が高くても不思議ではありません。敵側の筆頭家老にもなれる人物です」
「欲がないので、望まなかったのか。それとも大した力がなかったのかだな」
「なかなか裏切らないのは忠誠心からではなさそうです。敵の本城に人質も送っていません。さらに裏切りやすいのですがなあ」
「敵の今泉を倒すには、周辺の城から抜いていくのが定石。先ずは青木氏だ」
「青木氏の主君の今泉との縁は薄いようです」
「いい条件ではないか。抜きやすい」
「はい。周辺の城も調べたのですが、一番青木氏が弱いのです」
「しかし、誘いに乗ってこないか」
「欲がないとしかいいようがありません」
「勇気がないのだろ」
「その面もありますが、筋を立てる関係ではありません。先ほど言いましたように、縁が浅い。長く仕えている古参なのですが、優遇されてない」
「ますますいい条件じゃないか」
「そうなんですよ」
「しかし、欲がないと」
「気が弱いんじゃないのか」
「はあ」
「調べたか」
「そういえば青木氏のいくさ働き、あまり噂にはなっていません」
「弱いんだ。そして気も弱い。変化も好まない。今のままで充分だと思っておる人。そうではないか」
「能ある鷹は爪隠す」
「青木氏がそうなのか」
「しかし、隠したままかと思われます。本当の力は見せない。そして一生」
「買いかぶりすぎじゃろ」
「欲がないのがその証拠」
「別の理由があるのじゃろ。愚鈍とか」
「旅の歌人や風雅の人達が良く訪ねてくるとか。只者ではありません。愚鈍では有り得ません」
「力があるのにただの人を装ったままなのかもしれんが、ややこしい人じゃなあ」
「調略、進めますか。領土を三倍で掛け合ってみますが、よろしいですか」
「ああ、出そう」
その後、青木氏はころりと転がった。
了
2023年04月16日
4825話 落ち着く
色々と落ちないことがある。落ち着かないとか、腑に落ちないとか。中にはオチが最初からないものもある。
落ちるとそれなりに落ち着く。落ちが付くという話。そのままだが何が落ちるのかにもよる。
田中が最近気にしているのは、汎用性の高い落ち着きのなさ。この落ち着きのなさは使い方が多い。腑に落ちないときも、落ち着きがなくなったりする。気持ちの上で現れる。これは分かりやすい。
分かりやすいので、落ち着けるわけではない。
田中は決まり事がなかなか決まらない。また期日があり、その日が通過するまで落ち着かない。受験での合格発表を待つようなもの。不合格だと表示されなかったりする。
しかし、あとで郵便で、残念ながらとかの通知が学校や会社などから来ることもある。
それが分かるまでは中途半端。入学や入社したあとのことは、決まるまで考えても無駄ではないが、消えるかもしれない。ただの空計画空予定。
店屋の行列に並ぶのは問題はない。列が減っていき、そのうち田中の番になるだろう。これが狂うことはない。
ただ、前の人までは商品があったが、田中の番から品切れとかもあるだろう。これは早い目に知らせてくれれば、並ばないものを。
しかし、前の人が何を注文するのかは分からない。
待ち遠しく思える良い事でも、やはり田中は落ち着かない。その待っているものが何が来るのかが分からない場合、色々と想像する。その予測は出来るが、来てみないと分からない。これは落ち着かないのとは少し違う。その面はあるが、良い事だ。悪くはない。
腑に落ちないことが長く続くと、忘れてしまうが、釈然としないときは、落ち着かない。分からないのなら想像で決め打ちし、決めてしまってもいい。落ちを田中が決めるのだ。それで少しは落ち着く。それが実際のことではなかっても。
また、遠く離れたことや、古い時代のことでも、謎が残ったまま解明されていないことは、それなりに落ち着かない。元々解明できない謎だったのだろう。これは想像で決め打ちしたりする。
落ち着かないことがある時、それ以上の落ち着かないことが起こると、先の落ち着かなかったことが緩む。小さくなる。もう落ちは良いかと。
それよりも、次に現れた大物の落ち着かない出来事に専念する。
田中は落ち着かない状態を嫌う。まさに落ち着かないのだ。そのままだが。
落ち着きのないとき程落ち着くことが良いのだが、先ずは落ち着いて、などとは田中には出来ないようだ。落ち着かないときは無理に落ち着かそうとするよりも、落ち着かないままでいいのだろう。
了
2023年04月15日
4824話 小さな規模
小さな規模でも出来ていたのだが、やがて大きな規模に取って代わられ、小さな規模では何も出来なくなってしまった。
そういう話は色々とある。たとえば戦国時代の初めの頃は小さな規模の勢力が多くあり、大名規模から大大名規模になり、やがて天下を二分する程の規模となり、小さな勢力が好き放題にやっていた時代は消える。
大きな規模となり、小さな規模は飲み込まれていったのだが、それには加わらない勢力もいた。その状態では勢力と言えない程規模が小さく、殆ど個人でやっているような規模。
そういった小さな勢力は意外と自在で、それなりの自由さがあった。あまり他の勢力の影響を受けないためだ。当然大きな勢力からも。
だが、個人レベルになると、それほど影響力はなく、好き放題はできるが、大したことは出来ない。大したことは大きな勢力がやっている。小さすぎる規模では自由さはあるが、それだけのこと。
そして小規模は大規模に飲まれるので、小規模以下の規模でいる。ここまで規模を小さくすれば、飲み込まれないで済むのだが、個人レベル。
しかし、この個人レベルは組織だっていないため、大きな勢力も取り込めない。また、取り込んだとしてもたかがしれているので、相手にもしないだろう。
相手にされないこと。これが意外と平和だ。当然価値は低いと見なされているが、そうでもなかったりする。少数だが、興味を持っている人がいる。大きな規模から漏れた世界のためだろうか。
それは特殊な世界ではなく、多くからは相手にされないだけの世界で、知る人ぞ知る世界。その絶対数が少ないだけ。
規模が小さいと思う通りのことが出来る。出来るが、それだけのことだったりする。
了
2023年04月14日
4823話 身代わり帽
「一寸した交渉がありましてねえ」
「交渉ですか」
「どう出るのか、分からない。会ってみなければね。しかし予想はつきますが、最悪の場合は、かなり厳しい。まるで首が飛んだようなのです」
「誰の」
「私のです。かなり厳しくなると言うか、その先やっていけない程深刻な事態に陥ります」
「それは大変だ。それで上手くいきましたか」
「そこへ行くとき、風が強くてね。帽子が飛びました。その日は二回目です。何か悪い予感がしましたよ」
「紐を付ければいいのですよ」
「付いているタイプもありますがね。縁が広いタイプなので、気に食わんので、それは捨てました。いい帽子だったのですがね。分厚いので冬でも被れますが、これは耳が冷たい。それで夏となると、これは庇が深いので、日除けには良いのですが、生地が分厚いので、暑苦しい」
「そうですね」
「帽子の話じゃありません。交渉事です。気が重い。しかし、行かなければいけない。まあ、そういう事ってよくあるでしょ。しかし、今回は軽いものじゃない。首が飛ぶかもしれないのですからね」
「それは最悪の場合でしょ」
「そうですね。まあ、殺されるわけじゃないので、生きていますが、もう今まで通りの生き方が出来なくなる恐れがあります」
「それは大変だ。それで上手くいきましたか」
「中間です。まずまずです」
「何の中間ですか」
「予想レベルの中間です。可もなく不可もない」
「じゃ、上手く行ったのでしょ」
「その実感はありませんが、何とかなったようです」
「良かったですねえ」
「それで、外に出た時、やられました」
「外って公道ですか」
「そうです。戻るときです。表に出たとき、来ました」
「何が」
「風が」
「あ、はい」
「あっという間に帽子、持って行かれました。そして拾うも何も運河の中に落ちました。上手く落ちたものだ。柵もあるのですが、隙間が広いのでしょ。人が入れない程度の柵です。ただ上からなら入れますが、帽子はどのコースを経て運河にはまったのかは分かりません」
「はい」
「しかし、帽子が落ちるところは見ました。どうやら柵の隙間、横じゃなく、下の隙間がそれなりに広い。だから飛んだ帽子、すぐに地面に落ちて、その後、風で運ばれたのでしょう」
「一瞬の出来事ですね」
「その日、帽子が飛んだのは、これで三回目。三度目の正直で、元に戻らずです」
「まあ、あることですよ」
「それで、思いました。身代わり帽子だったのではないかと」
「はあ」
「私の首の代わりに、帽子が持って行かれた」
「でも、その日は風が強かったのでしょ。ただの偶然ですよ。かなり起こりやすい偶然です」
「そうとは私には思えなかった。そう言う予感がしていたのです。しかし、その予感が当たって良かったですよ。本当の首じゃなくてね」
「あ、はい」
了
2023年04月13日
4822話 従属
「使者がまた来ております。田辺本城からです」
「兵を出せということだろ」
「はい、二度目です」
「わしに命じておるのじゃな」
「わが郷は田辺に従属しております」
「外に対してはな。しかし実際は違う。ここはここで独立しておる。田辺は大きな郷だっただけのこと。いわば連合だ」
「でも、形の上では従属です。属国です」
「国というほどじゃない。数ヶ村の郷ではな」
「如何致しましょう」
「まあ、昔から田辺とは同盟の仲。何かあれば援軍を出していたが、今は命じてくる。これが面白くない」
「片野や富沢や倉田はどう動くのでしょうか、我らと同じ従属関係。やはり兵を出すのでしょうか」
「出方を見よう。わしらだけが出さんとなると問題だからな」
片野と富沢と倉田の家老が集まり、四家で話し合った。この四ヶ郷が結束すれば、田辺よりも大きくなる。当然兵数も。
「今回の戦い不利」
「敵が大きすぎます」
「だから本城も必死」
「本城の田辺の家臣も尻込みしておるとか」
「こりゃ戦う前から負けじゃ」
「どうなりましょう」
「田辺との国境の数ヶ村を奪ったところで、敵は引くじゃろう。それ以上中に入ると、我ら郷士との戦いになり、敵もそれは面倒」
「では、我らが、田辺に従い、敵をやっつければ良いのでは。同じことでしょ」
「いやいや、郷内に入った敵は何とでもなる、勝ちはせんが負けはせん」
「そうですなあ、他郷で戦うとなると、勝手が違いましょう。おそらくは野戦。地の利を生かした郷内とでは違いますなあ」
この会議で、一応兵を出すことに決まった。戦うつもりなのではなく、形だけの話。やる気はない。
そして田辺本城に集結したのだが、四か郷の兵は出し惜しみし、少ない。本当に形だけ。
本城田辺家の家老は、負けたと悟る。従属し、家臣になっているのだが、四ヶ郷の長は、そのつもりはない。下手をすると敵方に寝返ってもいいと思っている程。
そして、敵の兵は国境の数カ所に踏み込み、占領してしまう。
田辺城には兵がいるのだが、出ていかなかった。どうせ取られるのだから、怪我をしたくなかったのだろう。
敵の侵攻はそこまでで、それ以上進行すると、兵も消耗する。そして敵兵も、無理な戦いになると、引き返すだろう。
大きな勢力同士の戦い。小勢力時代は小競り合い程度で静かだった。
了
2023年04月12日
4821話 箸使い
「吉田翁の言っていることはよう分からん」
「何の話をしているのか、よく分かりませんねえ」
「何についての話かが分からんので、どう聞けばいいのか分からん」
「しかし、事細かで、その時の思いとか、状態とかが目に浮かびますよ」
「しかし、吉田翁は何について語っているかを言っていない」
「言わないんじゃないですか。具体的に」
「何だろうねえ。吉田翁が直接言えないこととは。隠さないといけないようなことかもしれんが、我々にそんな隠し事はいらないだろ」
「いえ、隠しているようにも見えません。具体的におっしゃらないだけです。また、その必要はないのでしょう」
「どうしてだね」
「狭く限定した話ではなく」
「では、広くかね」
「他のことにも当てはまるような」
「で、検討はつかんか」
「何がです」
「何の話かだ」
「何かについての話でしょう」
「その何かとは何だと思う」
「箸の上げ下げのようなものじゃないですか」
「何だ、それは」
「お膳が出た時、どこへ真っ先に箸が行くかとか」
「うーむ」
「箸の流れも変わります。一つの皿の惣菜、大根だとします。それを口に入れ、食べます。この一切れが小さかった。それで次に味噌汁へ行きたかったのだが、大根を続けてもう一切れ箸で挟む。そういう話じゃないのですか。吉田翁の話は」
「じゃ、箸の話か」
「その箸を伏せて語っているようなものです。食事の仕方の話では、我々も聞かないでしょう。あまり興味はありませんし、吉田翁にその方面の話を期待していません」
「じゃ、箸を隠しておるわけか」
「箸じゃなく、箸のようなものでしょ。それが何かは分かりませんが、色々な物事に置き換えても当てはまることが多いのです」
「当てはまらないものもあるだろ」
「はい、ありますが」
「箸の話など詰まらん」
「箸ではなく、食事の話です。ここで好物とか苦手なものとか、色々とあるでしょ。そのあたりの判断基準とか、どう判断すべきか。また己の食欲についての展開にも至るはずです。当然食べ過ぎるとまずいし、足りなすぎてもまずい。そのあたりのことは他のことでも当てはまるでしょ。だから吉田翁の話は、どれも興味深いのです」
「うむ、当たっているかもしれん」
「そうでしょ」
「実際には箸の話をやっていたのかもしれん。そう思えば、当てはまることが多いわ」
「そうでしょ」
了
2023年04月11日
4820話 それ以上のもの
それ以上のものを望むのではなく、それ以下のものでも結構良いものがあったり良いことがあったりする。これは安上がりでいい。
それ以上のものには限界があり、それ以上は頭を打つ。青天井ではない。またそれ以上のものがあったとしても、これは同じようなものになってしまう。
ある限界があり、その手前あたりまでの競争のようなもの。ここには色々なものがあり、アタックの仕方が違う。
しかし、限界内での話。限界を超えると同じようなものになるので、その手前でゴチャゴチャと創意工夫をこらした方がいい。芸はそこにある。
そういった最先端のものではなく、それ以下にも、結構色々とあり、こちらの方が豊か。
本来のもの、そのものへ向かっているのだが、それを諦め、別のことに横滑りしている。上へ行かないのだ。
メインではなく、サブのようなものだが、そのサブも立派なメインとなる。そこでは完成された世界がある。
一方本来のメインは、限界があるので、完成することはない。その手前で過不足なまま。
限界手前での競い合いの方が、何処までやるのかと期待は大きい。
しかし、もうそれほど期待出来ない場合、それ以上ではなく、それ以下の世界に戻った方が、選択が多くなる。上へ行く程少なく、下へ行く程多いのだ。
それ以下のもの。これは何処を基準とするのかにもよるが、今まで通過してきたものがそれ以下のものだろう。それ以上のものに比べ、弱いとか大人しいとか。
しかし、それ以下のものの中には、それ以上のものに匹敵する箇所もある。それ以上のものにはないものが含まれているのだ。それはそれ以上になると失うものができるためだろう。
たとえば初心者の溌剌とした感じとかがそうだろう。若いか年寄りかの違いのようなもの。
今までそれ以上のものを望み、進んでいた場合でも、それ以下のものにも良さが見出されることがある。
そうなると、それ以上のものを目指さなくても良くなったりする。
限界の向こう側は普通になる。その手前がいい。それ以上のものが目指しているものとは違うものがあるためだ。
ものだらけだ。
了