2023年06月30日

4899話 現実のURL


「それで現実を知ったと言えるのかあー」
 カアーカアーとカラスが鳴いている。
「外に出て本物の現実を見てくるのだ」
「外って、どこですか」
「表だ」
「家の中じゃなく、その意味での外ですね」
「そうじゃ」
 青年は外に出て、そのへんを一周して戻ってきた」
「どうじゃ、しかと現実を見たか」
「はい、見てきましたが、いつも見てますが」
「どうじゃった」
「空き地が野原になっていました。たまに前を通るのですが、中に入りました」
「そうそう。現実的動きと言うべきじゃな。そういうことじゃ。それでどうじゃった」
「黄色い花が咲いていましたが、花の名は知りません」
「現実とはそういうものじゃー」
 ジャージャーと、何かの音がする。水道を止めていないのか、ジャージャーと蛇口から。
「しかし、僕がよくやるゲームでは、咲いている花は分かります。探索というのを押せば、何の花で、どの季節に咲くのか、また花言葉があれば、それも書かれています。ゲームの野原の方が詳しいですよ」
「だから、それらは仕込まれたことじゃー」
 また蛇口から水が。
「でも、何も知らない私が、その花について知ることがその場でできましたよ。知見を広めました。また、そこに飛んでくる虫も見ました」
「先ほど言った野原でもいるじゃろ」
「見かけませんでした。だからゲームの方が豊かなんじゃないのですか」
「現実を見よ。その目で見よ。そして足で動け。足で探せ。汗をかけ」
「はい、そのようにしますが、でも原っぱをウロウロしていると、近所の人が見ていました。主婦が二人で、ひそひそと、何か喋ってました。きっと私のことでしょう。そんなところに入り込んで、何をしているんでしょうねとかだと思うのですが」
「それが現実じゃ」
「だから、そんなのはいつも見ていますよ」
「そこではなく、実際のものに接せよと言っておる。ただの知識だけではなく」
「夢を見て寝ているとき以外は現実のものに接していますよ」
「では、その先ほどの花が出てくるゲームはどうなのじゃ。あれは現実の野原か」
「違いますが、現実よりも詳しいです」
「それは現実ではない」
「でも私の中ではゲームも現実ですが」
「どんなゲームなんじゃ。野原が出てくる野原ゲームか。タイトルを教えてくれ」
「ネット上にありますよ。無料です」
「URLを教えてくれ」
「長いので、メールで送ります」
「そうしなさい」
「あ、はい」
 
   了
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2023年06月29日

4898話 山賊の領土


 吉田領の山中に盗賊の住処がある。近在の村を襲ったり、行商や荷駄を襲ったりする。山賊だ。
 通報があれば吉田から兵が出るが、その頃には山中のアジトに逃げ込んでいる。砦のようになっており、簡単には攻められない。
 吉田兵も、そこで諦める。兵が少ないし、持久戦になるので。それに近隣とのいくさもあり、山賊に構ってられない。
 ある日、吉田城下から老人がただ一騎で出てきた。それなりの重臣なので、不用心。しかし、領内に敵はいないので、その心配はないが、刺客がいるかもしれない。しかし、その老人、それほど重要人物ではないとみなされているので、狙う敵もいないだろう。
 その老人、城下を抜け、例の山賊の住処へ向かった。
 一人なので、山賊も安心し、また老人の後方に兵がいるのではないかと探したが、本当に一人のようだ。
 山賊は木戸を開け、中に通した。背も低く痩せた老人で、強くなさそうなので。
 つまり、話し合いに来たのだ。それは見れば分かる。
 近在の数ヶ村によく出没するので、それをやめてくれないか。その代わり、ここから一番近い村を与えると。
 しかし、山賊は数十人だが、多いときは百を超える。
 どれぐらいの数がいるのかと老人が訊くと五百ほどは集められるらしい。老人は三百ほどだろうと計算した。
 しかし、方々に散っているので、一時にそれだけの数にはならない。普段は数十人。一ヶ村与えれば盗賊などしなくても、その年貢で食べていけるだろう。
 それなら村に居を構えられるので、山中のアジトで隠れ住むこともない。領主なのだ。
 ただ一ヶ村の領主。その代わり、一応吉田の家臣に形だけは取って欲しいと老人は頼む。
 山賊は罠ではないかと疑ったので、老人はその村の長を連れてやってきた。その村は吉田の直轄地。吉田領が減ることになる。
 さて、いくさは続いている。吉田の兵は少ないので、そこが弱点。
 老人はあと三百の兵があれば、均衡が保たれると読んでいた。その三百を雇う金はない。だから、あの山賊に一ヶ村を与えて家来にしたのだ。
 五百は集められると山賊は言ったものの、それは多い目に言っただけ。しかし三百なら、何とかなる。三百来てもらっても村にはそれだけの余裕がない。そこで老人は兵糧を用意すると約束した。
 しかし、その山賊は山賊仲間では小物の方なので、三百人を動かすのは難しい。報酬は飯が食べられるだけ。見返りが少なすぎる。
 そこで老人は足軽の防具などを貸すので、それを着て、戦陣に加わってくれるだけで良く、戦う必要はなく、一日でいいと約束した。
 この痩せこけた老人、そんな小細工が好きなようだ。失敗しても、山賊騒ぎはなくなるはず。
 そして、実際に山賊達は揃いの足軽姿で参陣したので兵が膨らんだ。意外と吉田の兵は多いではないかと。
 これを敵に見せただけで、敵は引いた。
 その後、山賊は、与えられた村に数十人の仲間と棲み着き、田畑を開墾したりと、結構村造りに励んだ。そういう自分の土地が欲しかったのだろう。
 
   了
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2023年06月28日

4897話 茂吉


 茂吉は萩原家の足軽だが、百姓だ。いくさのときだけ萩原家に雇われる。萩原家は身分の低い武家。しかし、大名家から領地をもらえる身分。ただ、僻地にある一ヶ村。
 茂吉は戦があるので、呼び出されるが、防具も槍もない。弓も。いずれも萩原家が用意している。
 当主の他に兄弟がおり、それが家臣として仕えている。身内以外の家来はいない。それほどの身分ではないためだ。ただ常雇いの足軽や小者はいる。これは当主の共などに付いてくるが、一人だ。
 いくさのときは萩原家が兵を準備する。主君の大名家ではない。そのために領地をもらっている。そこから年貢などを取れるし、百姓を兵として集められる。そのために与えた領地なのだ。
 今回は茂吉と年長の竹馬の友。いずれも普段は親の田畑を手伝っている。次男坊三男坊なのだ。だから村から兵を出すときは、彼らが出ていく。ただし、村が小さいので、余力はなく、最大五人程まで。今回は二人。
 萩原家はこの村の農園主のようなもの。小さいながらも領主なのだ。しかし、村とは関係のない人で、偶然、この村を与えられただけなので、馴染みがない。それに村の領主はよく変わるので、あまり親しくはないし、萩原家も、いつ何処へ行くのか分からない。出世すれば、別のところで数ヶ村をもらえるかもしれない。
 萩原家も小さいが、村も小さい。しかし、萩原家は、城下ではなく、この村に住んでいる。庄屋のような村の代表はいるのだが、力はない。
 出陣命令が出たので、萩原は兵を募り、村から出陣した。騎馬は萩原当主一人だけで、その後から兄弟や、萩原家に仕える家来や小者、そして動員した足軽の茂助ともう一人だけ。
 これでは一隊と呼べる規模ではないが、城下で編成され、その配下に入る。萩原はただの一兵卒のようなものだが、一応何人かは連れてきている。
 いざ合戦となると、騎馬の萩原当主の周りに茂平達が寄り添い、萩原の手足となって戦うのだが、大事な兄弟や家来、そして村から連れてきた足軽を失いたくない。
 無理をして戦えば、手柄を立て、出世するかもしれないが、失敗したとき、被害が出る。だから、萩原の上にいる武将の指示には従うが、積極的ではない。その武将も似たようなもので、萩原よりも身分は高いが、事情は似ている。
 さらにその上にいる武将がおり、これで一部隊の規模になっている。侍大将レベルの。この人にも癖があり、さらにその上の武将、これはもう重臣クラスだが、いくさ下手もいる。
 今回の戦い、萩原や茂吉のいる部隊はあまり活躍せず、移動しただけで終わった。
 茂吉はほっとしたが、苦戦になるような戦いなら、足軽として出て行かなかっただろう。
 勝ちそうな戦いなら、足軽も集まりも良い。今回は威嚇的な出兵で、手柄を立てる機会もないので、茂吉の村からは二人しか集まらなかったようだ。
 
   了

 
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2023年06月27日

4896話 運命の選択


「あなたがここに来るのはもう分かっていたことです」
「待っていたのですか」
「そうです。近いうちに来ると」
「どうして分かるのですか」
「ここに来るしかないからです」
「私がですか」
「そうです」
「でも、ここへ来るかどうかは私が決めることです。来なかったかもしれませんよ」
「でも来られた」
「はい」
「あなたが決めたからでしょ」
「そういうわけではないのですが、ここにも来てみてもいいと思っただけです」
「他にも行きましたか」
「はい」
「どうでした」
「思わしくありません」
「色々なところへ行っているのですね。ここもその一つだと」
「はい、候補です」
「候補だけではなく、実際に今日は来られた。実行された」
「順番に回っているだけです。その中の一つです」
「あなたはここで決定するでしょう。もう他へは行く必要がありません。ここが正解なのですから」
「それは、このあとの様子で決まることですが、まだ決めていません。まだお話を伺っていませんし、私の用件も伝えていません」
「でもここで決まりなのですよ」
「どうしてそれが分かるのですか」
「そうなると思うからです」
「でも、根拠が」
「それはありませんが、何となくそう思えるのです」
「謎めいています。そういう人は初めてです」
「あなたの道はここで決まります。そしてあなたの道が出来ます。そのきっかけが、ここなのです。あなたは素晴らしい選択をされた。ここに来たのですから」
「色々と回っている中の一つです。最初からここだとは思っていません。それに私の道って何ですか」
「あなたが進むべき道で、あなたが探している道です」
「探していませんが」
「いないと」
「はい、それに進むべきものも、そんなに望んでいません」
「なんと」
「色々な人と接して参考にしたいだけです」
「参考ではなく実行しなさい」
「別にしなくてもいいのではありませんか」
「あなたはここで決まるのです」
「何が」
「だからあなたの道です」
「どうしてそれが分かるのですか」
「ここに来る者は道を求めてやってくる」
「あ、私は冷やかしでした。すみません。帰ります。失礼しました」
「それでもあなたは」
「お邪魔しました」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 13:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月26日

4895話 戸澤奥村伝説


 山里も里であり、家があり、村としてある。一軒家ではない。山小屋や炭焼き小屋が点在していても。それは村ではない。村落では。ただ、近くの村のものだろう。だから村の一部。
 もうこの先は村はないと思われる人里の先に、まだあるとされる伝説がある。奥村伝説と言われており、隠れ里のようなもの。
 これは大きな山並みではなく、小高い山が重なるような山地に多い。襞が多く、谷が多い。少しでも平らな土地があれば人が住む。谷川縁に少しでも膨らんだ平地があれば、そこに田や畑が作れる。ただ、増水すると難儀なので、その手当ての方が大変だろう。
 だから、田畑ができそうなところはもうないはずなので、その先にはもう何もないはずだが、実はその奥に、まだあるという伝説。
 しかもそれなりに広い場所で、一ヶ村としての大きさは充分ある。そんな場所があるのなら、もうとっくに村ができているはず。
 戸澤村の奥村伝説もその一つで、広さはないが、山中に平気な顔で存在している。特別なことではなく、当たり前のように。
 だが、そんな土地は近在の人ならないことを知っている。これは錯覚のようなもので、実はそんな山中ではなく、それらの深い山の向こう側に突き抜けてしまい、お隣のお国の村に迷い込んだだけ。
 ああ、そうだったのかと、迷い込んだ人はすぐに分かるのだが、その時の印象で奥村話を作った。お伽噺だ。
 これは子供用の話で、大人向けではない。子供ならそんなことがあるのかもしれないと思うだろう。
 ただのウダ話だが、いつの間にか口伝で世代を超え、さらに書きものとして残ると、それは大人も読むようになる。さらに書となるので、遠く離れたところにも伝わる。
 これが都にも伝わる頃には奥村伝説として、さも、そういうものがあるようにまことしやかに語られるようになる。読んだ人が別の人に語り、聞いた人がまた別の人に語る。
 最初に言いだした人が確かにいる。戸澤の某が奥村に迷い込んだとなっているが、それは勘違いだったと言っているのだが、それが口伝では省かれている。勘違いでは面白くないためだろう。
 世に流れている事柄も、本当はそうじゃないのに、ということが多くある。当人にしか分からないかもしれないが。
 
   了
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2023年06月25日

4894話 一番手


 一つのことが終わろうとしていると、既に次の準備が始まっている。倉橋は、まだ終わっていない一つのことが、無事やり終えられるかどうかも実際には分からない。しかし、次のことを準備中。これは並行してやっている。さらにその次のものもある。
 一つのものが終わり、次のもう一つのものに切り替わっても、やっていることは似たようなもの。ものは違うのだが、同じ一つのものの続きではないかと思えるほど。
 またはその拡張版とか、別バージョンとか。さらに全く違うところへ飛んだとしても、表向きは変わってもやっていることは同じことではないかと思えたりする。
 だから、全部が全部、一つのことのように思われるが、やはり違いはある。
 その一つ一つの違いはもの凄く良いものや、それほどでもなく、まあまあなものもある。そして最もいいもので、それに代わるものは見つからない場合、それをやり終えるのがもったいない。だから引き延ばす。または封印し、触らないようにする。やらないのだ。いいのに。
 これは倉橋の癖で、美味しいものを最後に食べるようなもの。食べてしまうと、楽しみがなくなる。いいものは最後に取っておくのだが、その頃にはもう満腹で、美味しさが違ってくるかもしれない。
 それで、一番良い状態で一番美味しいものを食べるのが好ましいのだが、そういう仕掛けを作ると、逆にプレッシャーがかかり、大層になる。それで思うほど美味しくなければショックだし、それなりに緊張する。
 一番いいものは後に回し、二番手や三番手ばかりやることで、これは気楽なためだろう。そのため、最近準備しているのは一番手候補ではなく、二番手や三番手候補が多い。
 こちらの方が安らぐためだろうか。一番手に比べ、大したことはない。だから期待もない。それは最初から分かっており、もし期待以上なら儲けもので、これは一番手よりも良かったりする。一番手は良くて当然なので。
 二番手三番手ばかりをやっていると、二流、三流の人になるのだが、倉橋はそうとは思っていない。一流である一番手がやはり一番で、一番いいのはやはり一番手。しかし、一流は疲れる。
 倉橋は、今回本当に一番手をやり終えようとしていた。たまに一番手をやるのだが、終わってしまうと淋しくなる。
 一番手として用意しているものは他にもあるが、その一つが消える。これは限りがある。そのため、二番手三番手の中から一番手に上げるものを探している。だから一番手をやりながら、次の準備も並行してやっているのだ。
 二番手三番手も好きな倉橋だが、一番手があってこその話。
 こういうのは教えられたことではなく、自然と倉橋が会得したことで。身に付けたもの。しかし、それもまた変わっていくのだろう。
 
   了
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2023年06月24日

4893話 鼻歌


 あることが気になり、それが他のことをやっていても並行して実行され続けていることがある。
 そのあることが、今やっていることに影響を与えることもあるが、別のことになるわけではない。軽い影響。そして気になっていることが入れ替わる。先ほどまで気になっていたのだが、頭から去っている。
 そうやって順番に色々な想念のようなものが浮かび上がるのだが、ただの思い出だったり、先の予測だったりもする。これはただの雑念のようなもの。
 しかし今やっていることだけを思いながらではなく、常におまけのようなものが並行してある。
 そして集中しているときは、そんな雑念は起こらないが、メインでやっていることも忘れていたりする。集中しすぎると何も考えず、思わない状態になることもあるが、それほど続くわけではない。
 このメインとは別に横で動いているものが結構曲者で、それらは作為的ではなく、いきなり浮かび上がってくる。
 ただ、メインでやっていることが退屈だと、別のことを呼び出して考えたりする。これは作為的だ。自然に浮かんだものではない。
 自然に浮かんでくる雑念。これは急に聞こえてくる音楽もそうだ。鼻歌ではないが、勝手に音楽が鳴っている。歌詞がある歌ならその文句も出てくる。何故その歌なのかが分からない。
 選んだわけではないが、以前に聞いたことのある曲なので、それがいきなり湧き出るのだろう。ただ、その時の心境のようなものが反映しているように思われる。リクエストした覚えはないが、ふさわしい曲とか、逆にこの曲は今は駄目だろうというのもある。調子の良いときは、湿った歌が出てきたりする。その逆も。
 作田はそれを状況把握で使っている。何をしているのだろう。ややこしい人だ。
 それは体調とか、今の気分を、それらの音で知るという程度。ああ、今は調子が良いのだなとか、悪いのだなとか。曲で分かる。
 これも自分でリクエストしては駄目だ。勝手に鳴り出すので、それを待つ。しかし、始終そんな音が鳴っているわけではない。
 思わず口ずさんでいる曲。音だ。旋律だ。そして歌詞。これは詩だろう。言葉だ。
 これは作田が発しているのだが、そうとは思えない。そんな気はないので。では、誰が針を落としたのだろう。作田しかいないので、作田には違いないが、作田の意志ではない。
 しかし、作田にとり、その現象は役立っている。あの曲が聞こえ出せば、今日は調子が良いぞとかで。
 メインではなく、横で並行して起こっていること。大した意味はないのだが、何らかの事柄を見出せないこともない。
 
   了
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2023年06月23日

4892話 場の揺らぎ


 値打ちがあり、興味深いもの。何となく探していたものとの遭遇は、それなりの蓄積がないと、見出しにくい。
 意味を見出すと言うほどではないが、その意味を知っていたかどうかで決まる。知らなければそういうものが漠然とあるだけ。
 そこでは表面的な良し悪しなどが基準になる。しかし意味を知っていればそれに関連するものだと分かっただけで、そのものの中味よりも、その繋がりなどから、値打ちを見出すのだろう。いずれもその人の経験から来ていることが多い。
 始めて何かに触れたとき、右も左も分からないが、それでもそれなりの判断をしている。こちらの方が純粋かもしれない。
 それよりも、経験が長いと場慣れしており、その場の雰囲気を知っている。そこにありそうなものも。そしてそこではないようなものも。
 またそれらは周囲も含まれるので、幽霊が出そうな場のようなもの。幽霊場が出来、それこそ出番。
 そういったことが頭の中で何となく分かる。考えなくても。だから臭いがするとかで。
 ただ、本当の臭いではない。こいつが犯人ではないかというような勘だろう。あいつが臭いとか。
 ただ、そんな刑事ドラマの刑事などはいないだろうが、暗にそれを何となく分かっていたりする。いずれも経験から来ている。そういう例が多いと。
 しかし、例外もあるので、一概には言えないが、臭さの中味までは分からないが、臭いと言うことだけは分かる。
 経験というのは勝手に踏んでいくもので、場数の問題かもしれない。これはキャリアを重ねようとしてやっているわけではなく、いつの間にか蓄積されるのかもしれない。
 何度も使えば使い方に熟していくように、同じことを何度もやっているうちに、身につくのだろう。頭の中だけではなく。
 また、その経験も、無駄な経験をし、そちらへ行っても無駄だと分かるまで、時間がかかるかもしれない。
 しかし、何かありそうだと思っているうちはやめない。ただ、徐々に弱まっていくが。
 何でもなさそうなものに意味を見出す。これは蓄積から来ている。そのものの価値はそれだけで決まるのではなく、そういう含みで決まることがある。
 こういうのは自然にやっていることで、特に秘訣などはない。場数を踏めば詳しくなる程度。そして、今まで見向きもしなかったものにも、何らかの興味がいく。
 当然、今まで一番だったものがそうではなくなることも。
 場数を踏むことで、安定するのではなく、逆にフラフラすることもある。その揺らぎもまたいいのだ。
 
   了
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2023年06月22日

4891話 額の汗


 暑い日だった。よくあることで、異常なことではない。この時期はこんな暑さがあることを知っている。
 別に思い出さなくても、そんなものだと感じている。しかし、それが分かっていても、暑さは生理的に来る。汗とか息とかに。そして動きも一寸おかしい。早かったり遅かったりする。不安定だ。
 早く動くときは焼け糞で動いているようなもの。どうせ暑苦しいのだから、どう動こうと暑いため。そして無理に早く動いたりする。これで気が済むこともある。
 下村は、また暑い季節が来たかと毎度の事ながら、季節の巡りを実感する。順番に回ってくるので、暑いのが回って来たかと。
 しかし、感慨に耽っている場合ではないので、急ぎの仕事やり始める。そしていつもよりも急いで。
 これはさっさと済ませて暑苦しい作業を早く終えたいため。
 暑いためか、島田は食欲も落ちている。といっても半分になるわけではなく、腹八分の八分ぐらいで終わる。それ以上食べたくない。満腹ではないが、もう欲しくなくなる。
 これは食べすぎにならないのでいいが、腹がすくのが早い。すいている状態は食欲があるので、食べやすいが、途中でガタンと落ちる。
 お茶漬けがいいかもしれない。塩昆布の。これなら塩気で一気に食べられるだろう。
 仕事の手は動いているが、頭の中で動いているのは、そういうことばかり。集中できないが、していないときの方が上手くいく。あまり考えなくても、手に任せておいた方が上手くいく。
 大層なことを考えるよりも、どうでもいいような身近なことを思うようだ。その方が平和かもしれない。妙な妄想よりも。
 身近なことは着地点がある。妄想にはそれがない。
 また、これもどうでもいいことだが、去年の今頃は何をしていたのかを思い出す。しかし、殆ど忘れている。
 無事に去年も夏を乗り越えたので、大したことは起こっていなかったのだろう。おそらく今と同じようなことをして過ごしていたはず。
 これは何をしたかよりも、場所で覚えていたりする。背景の方だ。
 額に汗が浮かびだした。本格的な暑さが来ていることが分かる。この汗が出だすと真夏だと。
 こういう汗が出なくなると、下村も終わりだろう。
 
   了
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2023年06月21日

4890話 信念


「信念を持っておる者と、持っておらぬ者とでは生き方が違う」
「信念ですか」
「そうじゃ」
「それはどうして獲得できるのですか」
「獲得」
「はい、信念の得方を教えて下さい」
「それが難しい」
「じゃ、簡単には得られないのですね」
「しいて言えば、信じられるか信じられないかじゃな」
「何を」
「色々なことでじゃ」
「信念とは、信じることなのですね」
「違う、自分の想いを信じること」
「ああ、自分を信じることなのですか」
「違う。自分の中のある思いじゃ」
「信じるにはどうすれば良いのですか」
「これがまた難しい」
「できれば信じたいですねえ」
「そうじゃろ。だから信じたいと思うことなのじゃ。これは信じたいとね。その方が都合が良いからのう」
「じゃ、自分の都合の良いものを信じるのですね」
「動じぬようにな」
「何が動くのですか」
「心がじゃ」
「ああ、信じていても、信じにくいことがありますし、裏切られると、もう信じたくなくなりますから」
「それでも信じる。だから念のために、それを信念という」
「念のため」
「より強調してじゃ」
「大変ですねえ。信念を持つのも」
「しかしのう、頑固になる。強い信念の持ち主はな。その代わり安定しておる。信念のない人間はぐらぐらしておる。フラフラとな。だから、生き方が違ってくると言っておる」
「どう生きても似たようなものでしょ」
「違う」
「あ、そうですね。似ていません。違いがあります。でも信念のない人間でもそれぞれ違いが出ますよね」
「何が言いたい」
「お師匠さんは信念を持つことを信念としておられるのでしょ」
「それがなあ、なかなか難しゅうてのう」
「弱気にならないで下さい。信念を持って下さい」
「信念なんて脆いものじゃ。まあ、それを言えばおしまいじゃがな」
「しかし、私の名前、何とかなりませんか。信念でしょ」
「いい名じゃないか。わしが付けた」
「信念があるように思われてしまいます」
「信念とはそんなものじゃ」
「あ、はい」
 
   了
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2023年06月20日

4889話 昼寝


 暑い日だった。梅雨の晴れ間だろう。島田は用事で外に出ている。そして作業中。屋外ではなく事務所のようなところ。
 周囲には誰もいない。島田は頼まれたことをここでやる。黙々とそれをやれば良いのだが、早く帰り、戻って昼寝がしたい。
 暑い盛りの時間帯は昼寝をしている。それが今日はできない。しかし、早く戻ればできる。それで、早く済ませたいと思いながら、手を動かすが、急ぐとミスするので、二重手間になり、もっと時間がかかる。だからいつものペースを乱さないように、黙々とやっているのだが、集中できない。
 島田得意の怠け癖が出ている。一度それが出ると、元に戻らない。あと少しで終わる。それが待てない。それでついつい急いでしまった。ただ、ミスは起きなかったので、難なきを得る。優先しているのは昼寝。仕事ではない。
 島田最大の欲望と言えば怠けたいと言うことだろう。これはいつでもできるので、可能な欲望。そして欲望と言うほどのことではないが。
 楽をしたいわけではない。昼寝のように、ゆっくりとしたいのだ。そして、うつらうつらしている状態を好む。寝てしまうと意識も消え。寝ていることも分からないため。
 怠けるというのはしなくてはいけないことをしないこと。しかし、多少はする。まったくしないわけではない。本当にしたくないことは最初からしないので、怠けようはないが。
 やるにはやるが、だらっとやり、本気でやらない。サボるようなものだが、休んでいるわけではない。ズボラというのもある。面倒さと関係する。
 しかし、やることはやる。やっているが怠慢。遅いし、できもよくない。完成度も低い。最低限をクリアしている程度。そこを通れば世間では生きていける。
 だから島田の怠け癖は、身を滅ぼすようなことではなく、世の中に害をもたらすものでもない。
 怠け心。これは隠している。しかし密かに抱いている欲望なのだ。そして実行しているので、実現性もある。
 何かをやることで痛快感を味わうのではなく、しなかったことが痛快なのだ。
 怠慢。これは快感なのだが、人には言えない。
 それで、用事を簡潔にやり遂げ、すぐに家に戻り、昼寝ができた。怠けたいという欲望を見事に果たしたのだが、何もしたくはないというわけではない。
 そしてしばしの昼寝時間に突入。寝入る瞬間が一番幸せなようだ。
 
   了
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2023年06月19日

4888話 怪しい神社群


「このあたりにはややこしい神社があるから、あまり行かない方がいいよ」
「そういうのを探しているのですが、ありふれた神社しかありません。そのややこしい神社、どの辺ですか」
「聞いていなかったのかね。行かない方がいいってところを教えるわけがないだろう」
「そう言われると、気になります。まるで行って見てこいと誘われているようで」
「教えなくても分かるところにある。君はそう言うのを見付けに来たのだったら、すぐに見付かるだろう。しかし行かない方がいい。くどいようだがな」
「何があるのですか。何が祭られているのですか」
「ありふれた神様だよ」
「でも、ややこしいと」
「表向きはありふれた神様なんだが、それはカムフラージュ」
「裏で祭られているややこしい神様がいるのですね」
「最初は、その神様の神社だった。それが裏に回された」
「ありふれた神様にですね」
「そのややこしい神様を隠さないといけなかったんだろうねえ」
「じゃ、今はありふれた神様が祭られているのですね」
「しかしねえ、こんな山深い渓谷に、神社があることが怪しいだろ。村の神様じゃない。このあたりの地形とも関係している。そういう神様だ」
「地形」
「怪しい場所なんだ。だから神社に、そのややこしい神様を置いて、封じていたんだ」
「どんどん喋っていますが」
「あ、そうか。これは口を封じないとね」
「隠すとますます怪しくなりますねえ」
「この道沿いを行く気かね」
「はい、他に道はありませんから」
「じゃ、ずっと直進しなさい。枝道が出ているが気にしないで。そしてずっと進むと、戻ってくる」
「はっ」
「だから、その山の麓を一周して戻ってくるだけの道なんだ。この道はな」
「じゃ、迷わなくていいですね。この道沿いにはその怪しい神社はないのですね」
「そうだ。だから逸れてはいかん。枝道に入ってはいかん」
「じゃ、怪しい神社は枝道に入れば見付かるのですね」
「そんなことは言っていない。枝道は多い」
「その中の一つですね」
「どの枝道に入っても、その行き止まりに社がある」
「じゃ、空くじなし」
「君なら、絶対に枝道に入るはず。だから、それを止めているんだ」
「教えてますよ」
「ややこしく、怪しい神社がどの枝道の先にもある。いずれもその山に打ち込んだ複数の楔なんじゃ」
「杭ですか」
「これで、山の化け物を封じておる」
「もの凄く説明していますよ。ますます興味が湧きました。その山ですね。神社ではなく、怪しいものの正体は」
「山は山だ。山は怪しくない」
「じゃ、山の中に何かいるのですね。化け物が。山の地下とかに」
「あの山はな、鼓山とも別名があるほど。足音が響く」
「もう最深部の説明に入っているのですね」
「そうかな」
「さらに、その先の深い話があれば、聞かせて下さい。山の中に空洞があり、そこに何かが埋められている。その何かとは分かりますか」
「化け物の住穴じゃ。そこで眠っておる。起こしてはいけない」
「起きないように、怪しい神社が山を取り囲んでいるのですね。これが全体像ですか」
「あ、うっかり、そこまで喋ってしまったか」
「有り難うございました。じゃ、行って見てきます」
「枝道に入るでないぞ。封印を壊してはならぬぞ」
「はいはい」
 
   了
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2023年06月18日

4887話 博徒列伝


「この研究、退屈ですねえ」
「まあ、そう言うものだ。過程を楽しみなさい」
「結果じゃなく?」
「結果が出るまで、ずっと過程でしょ。一番長い。結果なんて一瞬」
「一瞬でもいいです」
「それには過程に耐えなければ」
「我慢しただけ、最後はいいのですね」
「しかし、いいのはその瞬間だけ。だから過程を楽しむよう努めなさい」
「無理です。これは我慢で誤魔化せない研究テーマですから」
「どの研究でも同じ。研究じゃなくても、他のことでもそうです」
「先生は過程派なんですね」
「いや、私は結果派だ」
「どういうことですか、それなりに過程を大事にされている。結果よりも。それに結果は付いてまわるので、そのうち結果が出ると言ってませんでしたか」
「ああ、過程は大事だからね」
「結果よりもでしょ」
「いや、結果の方が大事だよ。結果を出すために研究しているのですからね」
「じゃ、どっちなのですか。両方大事だと言うことでしょ」
「結果が出ないことをやるのはしんどいでしょ」
「はい、過程が楽しくても、結果が出ないと苦しいです」
「そうでしょ。だから結果が大事。いい結果を出すには過程も大事。当たり前のことを、私、言ってますね」
「そうですねえ。しかし、過程を楽しむような心境にはなかなかなれなくて」
「だから楽しめるように工夫するのですよ」
「そんな小手先のような真似でもいいのですか」
「過程なのですから、決まりはありません。どんな手を使ってもいいのですよ。結果が出ればそれでOKです」
「反則でも」
「それはいけません」
「ところで、過程を楽しんでいる人は、どんな感じなのでしょうか」
「結果など二の次でしょ」
「じゃ、結果が出せないのでは」
「過程こそ全て」
「結果のための過程でしょ。何が全てなのですか」
「やっている最中が全て」
「それ、難しいです」
「きっと別のことを思いながら、やっているのでしょう」
「先生はどうして結果派なのですか。結果が全ての人なのですか」
「過程は結果が出たときに作られるのですよ」
「来ましたねえ。先生のオハコが。これ、分かりません」
「結果が現実なのですよ。過程は振り返ること」
「先生、難解度が高いです。分かりません」
「結果が出れば、過程が物語になる。だから、どうしてこの結果が出せたのかが生まれる」
「勝てば官軍のようなものですか」
「そして結果は奇跡のようなもの、過程の中からは出てこないようなね」
「偶然ですか」
「過程はサイコロを振っているようなもの」
「凄い連打です。ついて行けません」
「そう思えば過程も楽しいでしょ。だから、過程を楽しみなさいと言っているのです」
「やってみますが、博打ですねえ」
「博徒列伝です」
「違うと思いますが」
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月17日

4886話 リアル


「リアルを見たのかね」
「はい」
「そこで終わってしまうだろう。もうその向こうはない。行き止まりだ。それ以上のものはもうないのだからな」
「それで、終わったような気になりました」
「先がないからな」
「はい、夢見た頃の方がよかったです」
「夢か。まあ、それもあるなあ」
「本物を見てしまうと、興ざめです」
「しかし、君の夢は、そのリアルを求めていたんだろ。到達点を」
「その近くまで行ってましたが、リアルには到達しません。夢ですから」
「しかし、その手前でもそれなりにリアルだったのじゃないかね」
「本当のそれではありませんが、それに近かったです」
「近付いていったんだ」
「はい」
「いくら近付いても到達できない。そこには無限と言うほど大袈裟ではないが、限りなく遠いところまで行ける。リアルの手前までな」
「でもリアルに行き着けないのですね」
「しかし、迫ることはできる。ただし迫りすぎるとリアルには負ける。それならリアルと変わらない」
「はい、リアルになると、もう駄目です」
「だから到達点近くでも駄目で、手前過ぎても駄目」
「じゃ、到達点はないのですか」
「程良い距離のところにある」
「リアルに限りなく近いところは逆に駄目なのですね」
「それならリアルの方がいいだろう」
「一寸お聞きしたいのですが」
「何かね」
「リアルは本当のものなのですか」
「リアルもまた夢と同じだと言いたいのかね」
「それははっきりと違います。だからそうは思いませんが、リアルだと思っているものが気になりまして」
「そこはほじくらない方がよろしい」
「リアルの向こうにもまだ何かあるのではないでしょうか」
「だから、そこを掘ると危なくなる。リアルとは現実。それはあるに越したことはない。そうでないと、君も消えてしまうよ」
「あ、はい」
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月16日

4885話 有り難い

有り難い
 その日は朝からよくあるような日で、何でもない凡々たるもの。下田は時々そんな日がある。
 では毎日何かがあるわけではないが、気になることがあったり、調子が優れない日もある。こういう日は凡々たる日ではない。
 その日、特に用事はなく、自由な時間が待っている。それを有益に使うようことができるのだが、やる気がない。ちょうど調子の悪い日に何もしたくないのと同じ。
 その日は気を張らなければいけないこともないので、張りきる必要もない。気張らなくてもいい。気は緩んでおり、怠い音が出る程度。
 たまにそういう気の抜けたような日があるので、珍しくはないのでまた来たかと思う程度。これには解決方法はなく、自然に消える。だからやり過ごせばいい。
 しかし、体も正常だし、動きも悪くはないし、何もしないだけで、やろうと思えばできる。この状態は何だろうかと、ときたま思うのだが、良く考えると有り難い話かもしれない。
 つまり無事に過ごせているためだ。無事というのはこのことかもしれない。禍がない。あるにはあるが、それが頭を出してこない。
 無事なのだから、何事も起こらないということ。良いことも悪いことも。事が無いのだ。
 しかし、日常は事だらけでその連続。ただ、問題になるような事ではないので、普通にこなせる。
 事が大事になると、ただのことでは無くなる。只事では。
 だから凡々としたことが続いているのは幸いなのかもしれない。しかし、何故か退屈な気もするが、そういう日は貴重なはず。大事があったとき、あの何でもな日々が有り難く思えるように。
 その有り難い日が今日なのだが、あまり有り難くはない。そういうものだ。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 13:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月15日

4884話 予定調和


 予定は予定通り行くことはあるが、多少外れていても、上手く行ったと思うことがある。ギリギリセーフなら。その判定基準は分からないが、予定通り行った方がいいので、予定とは違っているよりもいい。だから、強引に予定通りだったとしてしまうことも多い。
 しかし、ものによっては少しでも違っていると、これは予定通りにはならない。判断基準が厳しい。ものによってそれが変わる。基準が。
 できれば予定通り行ってもらいたくないとき、少しでも外れるとアウトにしてしまう。
 日常事では基準は甘いだろう。それほどの精度を問うようなことではないため。だから日常的なことはほぼ予定通り行っていることになる。本当は外れていることもあるのだが、それを検証しても仕方がない。まったくできなかったのなら別だが、それなりにできたのなら。
 その予定、何処で決めるのだろう。というよりも決まるのだろうか。予定を立てなくても、決まっている予定がある。これは考えなくてもいい。
 毎日やっているようなことなので、予定は決まっているので、もう予定とは言えないかもしれない。なぜなら予定を組む必要がないため。
 ただ、何かの用事でできないことができてしまうと、予定を組み替える必要がある。順番を変えたりとか。
 過去に決めた予定もある。やらないでそのままだが、まだ捨てていない予定。いつかやるだろうという予定。そのいつかがいつなのかは予定にはない。
 ただ、過去に考えた予定も放置しすぎると、忘れてしまう。また、過去はそう思ったが、今はそう思っていないこともあり、いつの間にか消えてしまうのだろう。予定にも旬や賞味期限がある。
 予定とは先々のことを決めること。運命ではない。自分で決めるのだから。しかし、その決め方が運命めいていることもある。ただ、日常のことにそんな大袈裟なことは似合わないが。
 予定の「定」は定め。この定めが何か運命的な宿命的なことを匂わすが、まあ、できないことは予定には入れないだろう。
 できないことがあり、できることがあるのが、その人の定めのようなもの。環境とか条件とか体質とか性格とか、そんなもので傾向が決まるのだろう。だが、そういうのを無視して強引にやることもある。
 これは自分自身に対する謀反なのか、それとも別のものなのかは分からない。
 多少は違ったことがしたいと思うことがある。そのことかもしれないが、やはりそう思う状況が先にあり、そこから発しているのだろう。
 予定調和というのがある。そうなれば有り難いのだが。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:46| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月14日

4884話 

鬼道
 宮田藩主には力があり、家老達に任せず、大事なことは殿様が直接仕切っている。歴代の藩主の中では希な存在。
 その殿様の懐刀がいる。この人は側近で藩の重職には就いていない。実は、この側近が殿様に知恵を与えているようで、実際にはその側近が決め事をしているようなもの。
 その側近の家来に徳田善兵衛という武士がいる。実はその人が主人である側近に知恵を付けているようだ。
 だから、殿様が決めたと言っても、かなり下の方のまた者のまた者が仕切っているのだ。
 その家来、身分は低い。徳田家の家来と言っても二人しかない。徳田家が小さいためだ。殿様に仕える側近の家来なので。
 その徳田家の家来に下男がいる。ただし常雇いではなく、近郊の農家から通っている。
 実はその下僕が知恵を与えているのだ。その下僕の意見が上へ上へと上がり、殿様に達する。いかにも殿様の決め事のように見えるが、実は側近から出ている。その側近の家来の徳田の家来の下僕が発生源。
 しかし、そんな下僕がそれだけの知恵があり、祭りことが分かるはずはない。それにその素養もないようで、読み書きができる程度。
 その下僕が住んでいる村に、老婆がいる。ただの占い師。村巫女のようなもので、祈祷などもする。村に一人、そういうものがいた時代。祈祷で病を治したりするが、医者にかかるよりも安い。ただの気休めだが万病に効く。
 その老婆が下僕の主人から聞いた藩の懸案事項を話す。老婆は世間慣れをしているが、藩のことなど知らない。
 そのため、占いで決める。下僕はそれを聞き取り、上へ上へと上がる仕組み。
 だから、この藩の命運は、この老婆にかかっているのだ。
 実際にはその老婆が占うのではなく、孫娘が変わり占っている。まだ童だ。
 しかし、この藩、それで上手く回っている。藩主は名君と言われるほど。
 まるで卑弥呼時代だ。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 12:50| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月13日

4883話 狙う


 思わぬものが意外なところにある。狙っていた場所ではないので、さらに意外性が高い。期待していないため。
 植岡はそういう経験を何度かしている。だから、それを狙うこともあるが、それがない場所なので、当然あるわけがない。そこであれば驚くだろう。
 そして、それが何度かあったので、少しは期待している。その確率は非常に低い。そしてそのうちそれを忘れた頃に顔を出す。やはり来たかと。
 だが、狙っているようなものがある場所の方が確率は高いのだが、意外性は低い。あって当然というわけではないが、期待しているのはそれ以上のものだったりする。だが、そんないい場所は既に掘り起こしており、滅多に遭遇しないが。
 狙っているものばかりを追いかけると、それにも飽きてくる。似たようなものの横並び。
 そのあと来るのが狙っていないもの。つまり狙わないで探す感じだ。探さなくても向こうからも来るが、狙っているものでなければ植岡は無視していた。
 だが、最近は一応接してみることにする。少しは調べる。それは意外なところに意外なものがあったという経験から来ている。狙っていない場所で狙っていたものを見付けること。こちらの方が意外性があり、驚きが大きい。
 しかし、そのうち、狙っていないものでも、いいのではないかと思うようになった。
 植岡の好みとかは少し違うが、そういうものの良さも何となく分かってくる。これは美味しいものばかりを狙って食べていたのとでは少し違う。ダメ元というのもある。そして範囲が拡がった。
 これは狙っていない場に狙っていたものがあったと言うことのおまけのようなもの。狙っているものがありそうにない場にも行くようになったため。
 しかし、早々意外な発見があるわけではない。しかし、狙っているものとは違うが、それほど悪くはない。そのうち、別の狙いを見出すようになる。
 何でもないものでも見方が変わってくる。意外性もないし、それほどいいものではないが、こちらの方が平和だったりする。気楽なのだ。
 ただ、その中でも好き嫌いがあり、どうしても馴染めないものもある。それは仕方がない。それは無視してもいい。いつかそういうものの良さが分かるようなるかもしれないので、それまで待つしかない。
 植岡が狙っているもの。それも何となくの流れでできたもので、決めていたわけではない。だから、狙っているものも変わる。
 狙っているものがあるとかないとかよりも、そういうことでウロウロしている状態の方がよかったりする。それが狙いではないのだが。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 13:09| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月12日

4882話 どうでもいいこと


 世の中とは殆ど関わらないと言うより、実生活ではまったくどうでもいいようなことだが、それが気になることがある。むしろ大事なこと以上に。
 夢の世界などはその人だけに関わってくるので、世の中とは言えないが、夢を見るというのは誰にでもあり、中味は違うのだが、夢というのはかなり一般的。
 しかし、それが実際に影響を与えることは少ないだろう。しかし、夢で見たことがヒントになり、現実で生かされることもある。
 ただ、毎晩見ている夢はそれほど大したものではないし、ニュースのように報じるようなことではない。誰々さんが、こんな凄い夢を見たとか。
 夢の扱いはそんなところだが、実際には見た人だけ影響を与えたりしているのだろう。
 だが、夢の話では一寸弱い。だからどうでもいい夢物語として終わるようなこと。
 本当に必要なのは現実上のことだろう。ここが戦場であり、夢の世界は寝ているので、見ているだけの世界に近い。
 どうでもいいようなことで、個人的なことであっても少しは世の中と関係してくる。
 これはどうでもいいようなことだが、そういうものが売られていたり、話題に出ることもある。暇潰し、ただの好奇心、ただの興味本位であっても。
 少なくても、その時は頭が活性化したり、また色々な感情も起こるだろう。それらは実用性はないし、その人にも関わらない。しかし、その人はそういうものも含めてその人ができているようなもの。
 純粋にその人だけの箇所を抽出するのは難しいだろう。その人の肉体はその人だけのものだが、他の人も似たような構成。
 他の人にとってはどうでもいいことだが、その人にとってはどうでもよくなく、もの凄いことだったりするし、またその人も実はどうでもよいと思いながら接していたりすることもある。
 これは暇潰しなどに多い。とりあえず、これで時間が持つと。ここは現実上役立っている。
 そういうものを含めて、その人の世界ができている。これは他に類を見ない構成だろう。その組み合わせが。
 ただ、オリジナルかというと、似たようなパターンの人も結構いる。同類が。
 だが、同類の中でも違いが明快にあり、決して同じではない。
 意外と、その人らしさとは、どうでもいいことの中に含まれているのかもしれない。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 13:16| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月11日

4881話 貧乏長屋


「雨ですなあ」
「何ともなりません。塞いでいます」
「何を」
「青空をです」
「そうですねえ」
「気も塞ぎます」
「まあ、雨の日はそんなものでしょ」
「分かっているのですがね。だから、雨の日は気も塞ぎがちでいいんでしょうなあ。威張って、堂々と閉鎖的になれます」
「鎖国でもするのですか」
「ここが出島のようなもので、窓口は開けていますよ」
「ああなるほど、で、ここは純喫茶出島となっているのですか」
「長崎の出島じゃないですよ。ここの主人の名前ですよ」
「ああ、出島さん」
「最近見かけませんがね」
「私もたまにしか見ません」
「出島さんは、出島にも出てこないほど塞いでいるのでしょうかね。体調でも悪いのでしょ。もうお年ですから」
「じゃ、奥にいるんでしょうかね」
「いや、ここは店だけで、奥もありますが、物置のようになっているはずです。出島さんの家は、この近くにあるはず。確かめたわけじゃないですが、歩いてすぐの距離じゃないでしょうか」
「探せば見付かりますね」
「探すのですか。そりゃ閉鎖的じゃない。元気じゃないですか。でも見付けない方がいいですよ。マンションならいいのですが、大邸宅だったらどうします。このうらぶれた喫茶店のイメージも変わるでしょ」
「そういうものですね」
「知らない方がよいこともあります」
「しかし、あなたは元気そうですよ。雨の日でも。気が塞がる思いはどうなりました」
「あくまでも、思いですから、実際にはそうなっていなかったりします」
「じゃ、雨の日でも普通だ」
「しかし、元気ばかりじゃ疲れますからね。こんな雨の降る日は閉鎖的で、非活動的で、閉じ籠もっている方がいいのです。それをやってもいい日。この出島へ来るのは別ですがね」
「ところであなたは、どのあたりに住んでいるのですか。いつも徒歩でしょ」
「出島さんと似たようなものですよ」
「じゃ、近く」
「そうです」
「マンション?」
「大邸宅だったりしてね」
「ああ、知りたくありません」
「私のイメージが変わるでしょ」
「安いタバコを吸っておられるし」
「着ているものも、大したものじゃないしね」
「でも実際は大邸宅に住んでおられる」
「貧乏長屋ですよ」
「なるほど、それで安心しました」
「しかし、今どき貧乏長屋なんて残っていませんよ。このあたりには」
「ああ、そうですねえ」
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 12:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする