2023年07月31日

4930話 達磨屋敷


 山裾の樹木が多いところにある屋敷。風通しがよく、見晴らしもいい。山の取っつきだが、ここから先が山という区切りはあるが、その手前。
 しかし、そこもそれなりに高い場所で、勾配は緩いが、徐々に山の根を踏んでいる。
 そのため、屋敷の二階から下を見ると、見晴らしがいい。殆ど繋がっている感じで、山の頂からの風景よりもよく見える。
 そして風の通り道なのか、夏は涼しい風が入って来る。それを見込んで建てられた夏の家なのだ。
 海水浴場の浜にある海の家のようなものだが、砂地の浜から少し上がったところにある会社の海の家や別荘のようなのが山にもある。
 だから夏の家と言うよりも山の家だが、その屋敷、夏に特化している。冬は逆に寒い。
 この夏の家、ある団体のものだが、殆ど使われていない。維持費だけでも大変で、修理する場所が増え過ぎたので、放置してしまう。崩れても倒壊してもいい。どうせ土地ごと売るつもりなのだ。
 その団体の景気のよかった時期に出来たものだが、金が余っていたのだろう。何かで使った方がいい。それで、夏の家が採用された。誰も本気でそんな家など望んでいない。何でも良かったのだ。
 それで放置されてからしばらくしてから化け物屋敷と呼ばれるようになる。人が勝手に入り込んで暮らしていたりする。
 管理人はいない。それに辺鄙な場所にあるので、いちいち管理に来ない。値打ちのある掛け軸とかがあったが、そういうのは持ち出されているので、金目のものなどない。
 床の間の掛け軸はその後、掛け替えられた。画家が勝手に絵を掛けていた。
 その画家もしばらくの間はよく来ていたが、もう姿はない。飽きたのだろう。しかし、絵はまだ掛かったまま。それほど値の出るものではないし、その画家も趣味で書いているようなもの。
 浮浪者が寝泊まりしていた頃もあったが、最近は無人。近所の子供が冒険がてら庭や屋敷内を探検する程度。
 掛け軸の絵には達磨が書かれている。片目を開けているのだが、左目だったのか右目だったのかが曖昧。そこまで見ていないのだろう。その絵を見た人も。どちらにしても片目の達磨程度の認識。
 しかし、子供達は見た子により、右目と左目に別れた。では確かめに行こうと、皆で行くと、両目が開いていた。
 化け物屋敷、達磨屋敷と呼ばれるようになったのは、それからだが、何せ、子供達が言っていることなので、目ではなく、眉につばを付けて聞かないといけない。
 ある日、それを書いた画家が何年ぶりかで屋敷を訪れ、床の間の達磨の絵を見たのだが、両目とも閉じていた。
 
   了

 
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2023年07月30日

4929話 巧妙


 人は生まれ育った環境とかに左右され、その行動も、そこから導き出されると言われている。自分で決めたと言うよりも、そう決まるだけの下地があり、それがものを言っているらしい。
 竹田はそういわれると、そうかもしれないと思うものの、全てがそれで決まるとは思えないので、先生に聞いてみた。
「そうですねえ、竹田君」
 と、一言。単純に同意してくれた。その中味は省略。答えだけを言っただけ。
「では何で決まるのでしょうか」
「それはですねえ、竹田君。そういうことは元来分からないもなのですよ。だから分からないものを分かろうとしてもどだい無理な話です。それなりに説明は出来ますが、面倒なので、省略します」
「説明が聞きたいです」
「竹田君が知っている以上のことは、私も知りません。そこで終わっているのです」
「終わるとはどういうことですか」
「それ以上のことはよく分からないということでしょうねえ」
「物事を判断するとき、どうなんでしょう」
「何が」
「ですから、自動的に決めているのでしょうか」
「竹田君はオートかね」
「いえ、ロボットではありません」
「だったら、自分で判断するでしょ」
「はい、しますが、勝手にそう決まってしまうことが多いです」
「多いけど、少ない場合もあるのですね」
「たまに違うのを選んでしまうことがあります。これは無理にそうしている場合です」
「それは判断ミスですか」
「そうです。だから、すぐに戻されます。やはり、自分らしくないのでしょうねえ」
「まあ、いつもいつも自分らしいものばかり選んでいますと、飽きてくるので、一寸番狂わせをやってみようという気になるのでしょう」
「そうだと思います。これも自動的に、たまにそういう判断ミスを犯してしまうことがあるようです」
「それで」
「やはり決まり切った自分からは抜け出せないのです」
「抜け出したいのですか」
「いえ、そうではありませんが、いつもいつも定食ものでは飽きますので」
「だから、たまに踏み外すのですね。それも予定の一つでしょ」
「それも決まっているのですか」
「竹田君がやらなければ、決まりません」
「ありますねえ。やめることはできます」
「やることもできるでしょ。途中で、無理だと思うかもしれませんが」
「そうですねえ」
「どうすればいいのでしょう」
「何を」
「ですから、自分で決めているようで、そうではなく、そうなるようにできているように思えまして」
「何を決めようが、決めまいが、やろうがやるまいが、大した違いはありませんよ」
「先生は呑気ですねえ」
「そういう気性も本当はないのですよ。まあ、面倒なので説明はしませんがね。余計なことを考えないで、今の研究を続けなさい。それに飽きたから、そんなことを言い出しているのです」
「見破られました」
「もっと巧妙にね」
「あ、はい」
 
   了
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2023年07月29日

4928話 早盆


「暑いときはどうしておられるのですか」
「仲間の中には行水をやる僧もおる」
「修行ですか」
「シャワーのようなもの」
「でも滝行なんでしょ」
「滝と言うほどではない。竹筒からチョロチョロ水が落ちてくる程度」
「和尚様はどうしておられるのですか」
「わしか」
「はい、暑いとき、我慢が出来なくなったとき」
「暑いものを食べたり飲んだりして汗をかく」
「ああ、それで涼しくなると」
「シャワーのようなものじゃな。汗は拭わない。もったいないのでな。折角出たのだから、その効果をしばらくは楽しみたい」
「額からも汗が出るでしょ」
「目に入らんようにするがな。そのため、眉毛がある。これは堤防に植えられた柳の木のようなもの。それが堰き止めてくれる」
「汗をかいたまま放置するのですか」
「衣服も濡れるがな。しばらくは涼しい。先ほどの暑さは治まる。乾けば、また暑くなるが。これは塗れ手ぬぐい要らずじゃ。衣服がそれをやってくれる」
「汗臭いでしょ」
「その臭いで体調も分かる。しかし、それほど匂わん。まあ、自分の息の臭いのようなものなのでな。気にはならん。人が嗅ぐと別じゃろうが」
「それが暑いときの過ごし方ですか」
「水と風がいい」
「水は自前ですね」
「いい風が入って来れば御の字じゃが、そうはいかん。まあ扇子もあるので、何とかなるがな」
「心頭滅却すれば、火もまた涼しというわけにはいきませんか」
「無理じゃ。気持ちではな」
「はい」
「それに何も思わず何も考えずでは仕事はできん」
「もうじきお盆で忙しそうですからね」
「早盆を薦めておる。早い目にやる方が、分散するのでいい」
「じゃ、遅盆もありですか」
「それはない。盆が終わってからではな」
「はい、了解しました」
 
   了

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2023年07月28日

4927話 何もない火曜日


 佐々木は火曜日は何もない日と決めている。何かはあるのだが、週の中では何もない日で、特に用事はない。
 日々の用事はあるが、それ以外の用事がない。月曜だとゴミの日で、前日から準備しないといけない。日曜日も何もないのだが、出掛ける用事が多いのは土日。日々の用ではない。
 水曜や木曜も、それぞれ固有の用事があり、金曜日も、似たようなもの。だから曜日により変わるのだが、火曜だけは何もない。だから何もない日としている。特に何もないだけの日程度で休みではない。
 その何もない日がいつの間にか何もしなくてもいい日になった。何もない日なのだから、何かを作ってもいいのだが、それはしない。
 何もしなくてもいいというのがいいようだ。だから結局は休みに等しいが、やってもいい。そしてできる。だが、しない。これがいい。
 休みなのだが、休みではない。休みなので遊ぶとか、休みの日らしいことをして過ごすとかもない。だから何もしないと言うこと。
 しかし、完璧に何もしないわけではなく、やりたければやってもいい。だから自由時間というのが正しいが、その自由もあまり使わないようで。使わないのも自由だろう。
 他の用事がある日が忙しいわけではない。ちょっとした用事が、その週のその日にある程度。これはしなければいけない用事。これが窮屈なのかもしれない。何かをしないといけないというのが。その点、火曜日は何もない。気が楽。
 そして、火曜の朝、目が覚めると佐々木は今日は何もない日だと、にやっとする。半ばほっとしたように。
 それほど他の日はプレッシャーが掛かるほど大した用事はしていないのだが、そういうのが取れるのがいいようだ。
 今日は何もしなくてもいい火曜日。そう思うだけで、楽しくなる。
 休みの日は休むということをしないといけない。休むことも用事。しかし、佐々木の火曜日は、それではない。
 それがどうした、という話だが。
 
   了
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2023年07月27日

4926話 宝探し


 夏になると宝探しに行こうと誘う友人がいる。しかし、今年は言ってこない。正気に戻ったのだろう。
 または社会人をやっているのかもしれない。普通の仕事に出ているのなら、そんな時間はないだろう。
 木下はその友人の竹中に何かあったのではないかと心配になる。毎年誘いに来ているのだから。
 しかし、何かあったとは、まともな人間になったことになる。これは悪いことではなく、まともなことだ。異常ではない。
 だが、気になるので、竹中が住んでいるアパートを訪ねた。暑い最中、ご苦労なことだ。まるで宝探しを催促しに行くようなもの。
 行かなければ宝探しの話はない。誘われても行ったことがないので、同じこと。どちらにしても宝探しとは竹中は無縁。そんな悠長なことなど興味はないが、宝探しには興味はある。
 行かないが、誘って欲しい。今年は何処へ探しに行くのか、そして今年のネタも知りたい。それを聞くだけでもいい。
 日影のない道。電線が路面の真ん中を走っている。これは上の電線の影だ。ないよりはましなので、竹中は頭が影の線に掛かるようにして歩いている。まるで電車だ。昔走っていた市電とか、トロリーバスを思い出す。上に電線がないと動力を得られない。
 そして電線の下をしばらく行ったところで、右へ入る。道の真ん中を歩けたのは車が入ってこないため。それに人もいない。ゴーストタウン。真夏の炎天下、たまにあるシーンとしたシーン。
 右に入ると、舗装がなくなり、デコボコ道。所々に夏草が伸びている。体の半分ほどもある。私道だろう。
 アパートはその未舗装路の横にある。アパート込みで、このへんは土地持ちの大地主がいると聞いていた。
 しかし、木造のアパートなので、もう時代的には終わっており、倒壊しないのが不思議なほど。大家は建て替える気はないらしい。アパートに残っているのは竹中だけではないようだが。
 竹中の部屋は二階にある。風呂屋の下駄箱のようなのが玄関にあり、そこで靴を脱ぐ。廊下は土足厳禁。見れば分かる。
 階段はしっかりとしており、角は丸くなっており、滑りやすいが、滑り心地がいい。
 そして、真ん中あたりのドアをノックする。もう枯れたような紙に竹中と書かれている。名刺ぐらいの紙だ。それを押しピンで留めているのだが、錆びており、紙に茶色いのが流れている。
 ノックしても反応はない。やはり真人間になり、会社へ行っているのだろう。と思っていると、ハイと、声が聞こえ、すぐにドアが開く。
 竹中がそこにいた。
 今年は誘いに来なかったことを木下は竹中に聞くが、そうだったかととぼけられた。
 何か事情があったのかと問うと、ああ、あの冗談はもうやめたと言う。
 まさに真人間になり、社会人になるつもりかと問い詰めると。安心してくれ、その気はないと、高笑いした。
 木下は安心し、竹中が出してきた冷たい麦茶を飲んだ。
 ガラスコップが少し汚れていたが、気にしなかった。
 
   了
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2023年07月26日

4925話 全盛期


「暑いですねえ」
「今頃がピークでしょう。少し我慢すればよろしい。そのうち涼しくなりますよ」
「でも嫌な汗が出ません。汗は以前よりも出ますが、流れます。べたつかない」
「湿気が取れたからでしょ。カラッとした暑さで、蒸さない」
「そういえば蒸し暑さがなくなりましたね」
「どっと汗が出ますが、すぐに引きます。この時が涼しい。下手をすると、風邪を引きますがね」
「夏風邪ですか」
「まあ、この時期に引く風邪なので、夏風邪でしょうねえ」
「しかし、いつまで続くんでしょう。この暑さは」
「だから、あとしばらくです。今が一番盛んな頃。いわば全盛期」
「全盛期ですか。歴史物みたいですねえ」
「真っ盛り、暑さのね。しかし、いずれ衰える。哀れとは言いませんが、儚いものです。この勢いも」
「そう考えると、暑さが弱まります。決して強いやつではなかったんだと」
「勢いが一寸陰りだしたとき、少し淋しいですよ。そこまでだったのか、あとは弱まるのかと」
「今はどうなのです」
「何が」
「この暑さです」
「まだ、もう少し行くでしょ。全盛期の中での最盛期。まだまだ行くでしょ。勢いはさらに高まる。上り坂です」
「僕にも全盛期とか、最盛期とかがあるのでしょうかねえ」
「私にはありません。真っ平ら。むしろ早い時期から下っています。なだらかでよろしい」
「平なんですね」
「だから、平凡。これがよろしい。浮き沈みがなくて」
「でもずっと沈みっぱなしでは」
「潜水艦です」
「でもたまに海面に姿を現すでしょ。ずっと潜りっぱなしは無理です」
「そうだね。その意味で、浮くこともあるだろうねえ」
「僕も早く浮上したいです」
「深海艇です。これは普通の潜水艦よりも水圧に強い。君は強いんだよ」
「フォローになっていません」
「そうだね」
 
   了
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2023年07月25日

4924話 ルーティン


 三船は日常から少し離れたところに行きたいと思うこともあるが、相変わらず、そこから抜け出せないでいる。
 如何に日々の繰り返しがいいかだろう。外に出て行き刺激を求めなくても。
 つまり今の暮らしぶりがいいためで、そこから離れると、いいかどうかは分からない。いつものとは違うところへ出たいという気がないのは、いいものがないためだろう。
 また、世間で言ういいものでも、三船にとり、それほどでもなかったりする。昼寝をしている方が余程よかったりする。つまり、事足りている。
 そんな三船だが、日々の暮らしぶり、過ごし方がもの凄くいいわけではなく、魅力的で、刺激が沢山あり、退屈さとは無縁ではない。日常そのものが元来退屈なものだが、そこに動きがある。
 ずっと同じことをやっていると流石に飽きるが、同じことを何時間もやっているわけではない。寝ているときはそうだが、それは三船はそこにはいないので、分からない。夢の中でいるが、起きないとどんな夢だったのかは分からない。
 ただ、夢を見ているとき、これは夢だと分かるときがある。それに気付くのだから三船がいる。ただその三船は夢の中の三船で、目を覚ましてからの三船ではないかもしれないが。
 その日々は、あれをしてこれをしてと、次々にこなしていくと、あっという間に一日が経つ。同じようなことを毎日やっていると、日が立つのも早いのかもしれない。
 同じ日々の繰り返しだが、微妙に違いがある。何かが変化しているし、少しだけ状態が違う。それを見ていると飽きないというわけではなく、滑らかに過ぎる日もあれば、ギクシャクし、乗り心地の悪さを感じたりする。
 ゆっくりとやっていると、いつの間にか時間が経っており、時間が押し気味になり、足りなくなる。早く済ませたときは、時間が余り、ゆったりできる。
 違うことを挟むこともできるが、滅多にしない。折角ゆっくりと過ごせるのだから、それに乗る方が乗り心地がいい。
 また、早く寝たいのに、寝る時間になかなかならないこともある。早寝すればいいのだが、そうなると、早く起きてしまうので、ペースが狂うため、我慢して寝る時間になるまで待っている。
 当然、その逆もあり、眠くないので、ずっと起きており、気が付けば、寝る時間をかなりすぎていたりする。いずれも些細事だが、そういうことが気になる。そして明日はどうなるのだろうかと。
 日々の決まり事を順番にやる。そこから離れるには、別のところで半日や一日過ごせばいいのだが、日常の引力が強く、三船はなかなか抜け出せないようだ。
 
   了

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2023年07月24日

4923話 モドキ


「そのものの手前。これがよろしい」
「そのものではなく?」
「そのものは普通にある。現実だな。現物だ。実際のものだ」
「でもそのものは掴めないと聞きましたが」
「目の前のコーヒーカップやピーナツ。これは掴めるだろ。飲めるし食べられる。ピーナツは固いので、歯が悪いと噛めないかもしれんがな。ピーナツも歯も、実際のものだ。そのものだ」
「では、そのものの手前とは?」
「ピーナツのような豆とか、コーヒーのような飲み物とかだ。しかし、違う豆で作ったコーヒー風なものでも、この世には存在する。実際のものだ。ただ、本物のコーヒーではないし、ピーナツではないがな」
「インスタントラーメンはどうですか」
「小麦粉でできておるのなら、同じだろう。コンニャクでできておれば別物だがな。ラーメンの麺とは遠くなる。糸コンニャクとか春雨じゃな。まあ、これをラーメンとして食べてもいいのだが、そちらの方が実は難しい。そのものよりもな」
「ラーメンがあるのなら、ラーメンを食べたらいいでしょ」
「実際のラーメンを実際に食べると、実際にラーメンを食べた実際だけ」
「実際が多いです。実際の話」
「ラーメンに近い別の長細いものの方が興味深いのだ。意外と本物のラーメンを越えていたりしてな」
「それは何ですか。そんなことをわざわざするのは」
「感じ方を試みておる」
「はあ」
「感じ方の問題でな」
「同じように感じることができれば、それでいいと言うことですか」
「そのものはそのもの以上にはならん。また、そのものもそう感じておるだけで、実際のものとは違うかもしれんしな」
「イメージのようなものですか。感じとは」
「そのものズバリでは芸がないじゃろ」
「げ、芸」
「まあいい。そのものよりも、そのものではないものの方がよかったりする」
「芸をしているからですか」
「そのものを表そうとしておるが、そのものであってはいけない。だから、その手前。ただ、その手前からの方が、そのものを越えたものになる。ただ、それはそのものに近いものにあるのではなく、そう思わせるだけだがな」
「本物よりも偽物の方がそれらしいというようなことですか」
「偽物ではない。そのものの手前のものとはな」
「ラーメンでは春雨の方がいいと」
「そこは好みじゃ。糸コンニャクの方がよかったりするしな」
「モドキの世界ですか」
「わしも、モドキじゃがな」
「あ、はい」
 
   了

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2023年07月23日

4922話 リンゴの赤さ


「目の前にリンゴがある」
「ありませんが」
「あるとする。リンゴを見たことがあるかね」
「ありますよ。食べたことも当然ありますが、あまりリンゴなど意識したことはありませんが」
「最後に見たリンゴはいつだったかね」
「さあ、スーパーで見た覚えはあります。これ、買っても食べきれないなあと思いましたよ。それで小さなリンゴを探したのですが、ありませんでした」
「その時のリンゴの様子はどうでした」
「様子」
「姿形、色です」
「普通でしょ。よく見かける形で、よく見かける色です」
「赤ですね」
「はい一寸まだ青いところが残っていたようですが、これは買うとき、気になりますので、見るようにしていますが、それほど真剣には見ていませんがね。青いとまだ早いとか程度です。青いリンゴはすっぱいと言いますから」
「そのリンゴの赤さ、人に伝えられるかね」
「はい、伝えられます。赤いリンゴと。それと大きさも」
「どういう赤さでした」
「赤は赤ですよ。一般的な。でも照明の関係で、違うところで見ると、違った色に見えるかもしれませんが、そこまで観察していませんよ。特徴のない赤です」
「人により、リンゴの赤さにも違いが出る」
「視力の問題もあるでしょうしね。それと見る角度とかも」
「同じ赤さを同じようには感じていない」
「じゃ、青いと」
「そこまでいかないが」
「でも最後にスーパーで見たリンゴ、一寸青いのが入ってましたから、これ、青いリンゴと言ってしまうかもしれませんが。全体は赤いので、やはり赤いリンゴですよ。これで伝わるでしょ」
「色の微妙ところは人により見え方が違うと言うよりも感じ方が違う。人がどう見ているのかはその人にしか分からない」
「でも色見本などを参考にすれば分かるでしょ。どの赤さ具合でしたかと」
「まあ、そうだがね」
「しかし、そこまで正確に知る必要はないでしょ。リンゴ関係者じゃない限り。そういう人の方がより詳しく見ているでしょうが」
「感性はその人にしか分からない。だから、リンゴの印象もそうだ」
「それよりも、小さい目のリンゴを買ってきて細かく切り、ミキサーで潰せば、何とか食べきれると思います。大きいと、ミキサーに入らないのですよ。水も入れないといけませんからね。色がどうのってのは関係ないですよ。磨り潰してしまえば、でも赤いのは何となく付いてきますがね」
「それで」
「そこが青リンゴとの違いです。でもすっぱいので、蜂蜜とか入れた方がいいですね。なければ砂糖を」
「ジュースにしないのかね」
「ジューサーは持ってません。それに使ったあとの掃除が大変です。やはり摺った方がいい。具がドロッと残る程度の」
「そうか、ジューサーよりもミキサーか」
「ブレンダーです」
「簡単かね」
「はい、ジューサーよりも」
「わしもそれにする」
 
   了

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2023年07月22日

4921話 暑いだけの日々


 吉田は少しややこしい問題を抱えており、暑いのだが、その最中だった。モナカを食べていたわけではない。
 それで歯が痛くなり、歯痛を抱え込んだのではないが、それに類する程度の問題だった。ただ身体での話ではない。
 その問題は吉田が招いたものなので、他の者やものを攻めるわけにはいかない。吉田のミス。誰でもできる簡単なことができなかった。しかし、ミスに気付いたとき、地雷を見た。こういうところに罠があったのかと。
 しかし、殆どの場合、その地雷を踏むようなことはないだろう。普通にやっておれば。
 歯痛で一週間程苦しむように、その問題が尾を引いた。引き延ばしたのは吉田で、さっさと片付ければ早く済む。しかし、プレッシャーに負け、実行できないまま過ぎたのだ。
 しかも暑い最中。ややこしい心配事を抱え込んだようなもの。暑さよりも、そちらが気になり、暑さは平気というわけではないが。
 今度やるとき、また地雷を踏むのではないかと恐れている。吉田が知らない何かがまだあるのではないか。前回はそれに近かった。
 ただの勘違いによる自爆だったので、今回は間違わないように丁寧にやれば問題はないはず。それも普通にやればすむことなのだ。前回はどうかしていた。
 今度は心配するようなことは何もない。そのはずだが、もしかして、というのがある。失敗すれば、また嫌な日を続けないといけない。
 しかし、今回は上手く行った。行って当たり前のことなので、行かない方がおかしいほど。それで不安に思っていた地雷とか、偶然の何かで、普通には起こり得ない事態になったとかの、もしも、もしものことは起こらなかった。所謂取り越し苦労。
 そして、無事すませ、やっと平安が訪れた。ただただ暑いだけの平安京。これだけが問題なら、まさに平穏。夏の暑さだけが問題なのだから、喜ばしい暑さだ。
 暑い暑いとだけ言って過ごす夏。これだろうと吉田は思った。
 まあ、勝手にそう思えばいいだけの話だが。
 
   了
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2023年07月21日

4920話 傘が見せてくれた髭面


 一寸したことで、予定が狂うことがある。予定だけではなく、その後の動きも。
 柴田は出掛けるため玄関戸を開けたのだが、そこに傘がぶら下がっていた。数日前の雨のとき、戻ってきて、そこにぶら下げたのだろう。それが気になった。あるべきところではないため。
 それで玄関前の傘を玄関内のあるべきところにぶら下げた。ここは傘置き場ではないが、すぐに使う傘を出している。下駄箱にも傘入れが付いているのだが、もう古い傘だ。下駄箱だが下駄は入っていない。
 今は靴入れだが、靴箱とは言いにくい。呼び方はあるのだが呼んだことはない。差しているものは同じ。ゲタバコと音だけで言葉になっているが。
 柴田が傘を仕舞った時間はほんの数秒。一分もかからなかっただろう。ただ、一分遅れで歩きだしたことになる。殆ど変わらない時間。
 それに毎朝同じ時間に出るわけではない。数分の違いや数十分ほど違う日もある。だから傘を仕舞うための一分ほどはあまり関係はない。遅れたと言うほどのロスではない。
 しかし、その先で、一分の違い出た。信号が目の前で黄色くなり、すぐに赤くなった。傘を仕舞わなければ渡れただろう。しかし、この信号に捕まることはよくある。
 それで、そのあと何かが起こるわけではなく、また信号待ちのロスで、その後、影響があったことなどない。そこでの信号は赤でも、次の信号は運よく青だったりする。これでロスは帳消しになったりする。
 しかし、遅くなったとか、早かったとかではなく、その朝の信号待ちのとき、右から声を掛けられた。自転車に乗った髭面の男だ。
 柴田はこの道で声を掛けられたことはない。知っている人を見かけたときは、柴田から声かけしている。しかし、軽く挨拶をする程度で、それ以上のことにはならない。
 今朝は髭面が先に見付けたようだ。しかし、柴田には心当たりがない。髭で顔が変わったためかと思い、名前を聞いてみた。すると、吉田だよ吉田と笑いながら教えてくれた。かなり親しい関係だったようだが、名を聞いても該当する人間はいない。
 学生の頃の先生が吉田だったが、それならかなり年寄りだろう。目の前にいる髭面は柴田と同じ世代。
「じゃあ」と柴田はサッと振り切り、信号が青になるのを待ったが、なかなかならない。
「柴田君は元気そうだね」
 柴田であることを、この髭面は知っている。誰だろうと思っているとき、信号が青になったので、サッと渡った。
 髭面は追ってこなかった。
 その後、この髭面との接触はない。
 傘を仕舞ったロス時間がなければ、髭面との遭遇もなかっただろう。しかし、誰だか分からないのに、相手は柴田のことを知っていた。
 あの傘が見せてくれた何かだろうが、その何かとは何かは分からない。
 
   了
 
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2023年07月20日

4919話 奇跡


 奇跡のようなものがすんなりと起こり、いとも簡単にいったり、逆に確実にできるはずのものが、そうならないで、難航し、ついにできなかったりする。
 最も難しいものが簡単にでき、最も簡単なものができない。これは何だろうかと竹田は考えた。
 すると、奇跡のようなことが実はそうではなかったのかもしれない。すると、これは奇跡ではない。起こる可能性が殆どゼロのはずなので、もしできれば奇跡となる。しかし竹田の思い違いで、本当は簡単なことだったのかもしれない。
 確かにその面はあるが、竹田から見ると、それは不可能事に近く、その確率もゼロに近いはず。だが、その中味は難しい話ではないので、そのものが奇跡的だったわけではない。
 しかし、確実にできるはずのものが、できないのはどういうことか。できないことは考えなくてもいいほど簡単。当たり前のように簡単にいくはずのこと。
 それができなかった場合、それこそ奇跡に近い。いずれも竹田の目論見内での話なので、竹田の思い違い、考え違いも加わる。なめてかかっていたとか、いつも大丈夫だから、今回も、とか。
「どうなんでしょう先生」
「私にも答えられませんよ。竹田君だけの問題でしょ」
「やはり、僕だけの問題なのでしょうか。でも他の人にも当てはまると思いますよ。いつもできることができないとか、絶対にできないと思っていたことができたとか」
「人が想像した通りには現実はそうはいかないのでしょうねえ。としか、いえません」
「何かが働いているのではないでしょうか」
「そう思うのは当然でしょうね。何とか理由を知りたいと思うから」
「心当たり、ありませんか」
「起こってしまったことをあとで説明するのもいいのですが、何が起こるのか分からないのが、この現実」
「しかし、そういう経験から、引き出せるものがあるでしょ」
「私に引き出して欲しいのですか。しかし、それは竹田君に起こったことなので、竹田君にしか分からないと思いますよ。だから、私には分からない」
「先生は分からないで逃げます」
「知らないことにしておいた方がいいのです。本当に知ったかどうかも分かりませんからね」
「でも先生は多くのことを知っておられる」
「少ないですよ。竹田君が昨日食べた夕食、知りません」
「先生は上手く逃げられる」
「しかし、先ほどの話ですが、奇跡と言えば、全部が奇跡のようなものですよ。まあ、機縁のようなものでしょうか」
「縁起ですか」
「因果の無い偶然もあるでしょう」
「じゃ、なんですか」
「今日の竹田君はしつこく訊いてくるねえ。どうかしましたか」
「つい、調子に乗りました」
「私はそれほど優れていないので、いじめないで下さいね」
「あ、はい」
 
   了
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2023年07月19日

4918話 暑い頃


 暑い日だった。毎年その頃はそんなものなので驚くことではないが、それは分かっていても、高岡はどうにもならない。暑さ寒さに弱いのだ。
 こんなとき、仕事などしている場合ではない。この暑さを耐える方が仕事だ。そして暑い中、強引にやるような仕事ではない。暑さなど気にしないで仕事に集中できればいいのだが、数分と持たない。
 それに集中すると、余計に暑い。血を多く使うためか、特に頭がカッカとなる。気を静め、波立たないような心境にまで気を持っていけばいいのだが、そうなると、仕事にならない。気が散らなくていいのだが、静かになり、電圧が下がったようになり、頭が働かなくなる。これでは仕事ができない。
 暑さを押してでもやるような仕事なら、いいのだが、そんな美味しい仕事などない。仕事よりも我が身が大事。暑い中、アツケでやられてダウンしないようにする方が仕事になる。これは無事に過ごせた、生き延びたという達成感がある。別に死にはしないが。
 どちらにしても元気でないと仕事もできない。サボりながら適当にやっているやっつけ仕事も、やっているだけまし。やれているだけまし。ダウンすれば、それもできない。
 しかし、そんな高岡にも熱心にやっていた時期がある。暑さなど気にせず。寒さも気にせずに突き進んだことがある。あれは何だったのかと、少し回想するが、それは何かにせき立てられていたのか・または大きな希望へと向かっていたためか、もう忘れていたが、今、考えると正気ではなかった。
 暑さを突いてやるその先は大したことはなく、ただの目標だった程度。結局は熱心にやってもやらなくても、似たようなことになっていた。
 しかし、暑さを凌ぐには、熱中するものがあると、気にならなくなる。だから、暑苦しいことをやれば涼しい。そんなわけはないが、暑さをしばし忘れてしまうのだろう。
 しかし、暑いことに気付かない。これは危険な状態だ。
 暑さで、何ともならない高岡だが、この時期が一番好きなようだ。何ともならないので、何ともしないままでいいためだろう。
 
   了
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2023年07月18日

4917話 妖怪窟


「妖怪窟?」
「そういう洞窟がこのあたりにあると聞きましたので」
「小倉岩屋のことじゃろ」
「そこだと思います」
「世間では妖怪窟と呼んでおるのは知ってるが、まあ、その通りかもしれんのう」
「妖怪の住処でしょうか」
「行者が出たり入ったりしておる」
「その洞窟にですね」
「雨が入ってこない程度の浅い岩穴じゃ。奥は掘ったのじゃろう。入口は岩の裂け目で、奥の方が広い」
「行場だったのですか」
「ややこしい奴が勝手に出入りしておるだけ」
「小倉にあるのですね」
「小倉山と渋山の間の狭い谷だ。見晴らしも悪い」
「そこに妖怪が」
「岩屋に籠もっておるだけ」
「妖怪が」
「人じゃ。だからややこしい奴が中に入り込んで、何やらやっておる。しかし、続かんと見えて、それほど長くはおらん。すると、また別の奴がやってきて、同じようなことをしておる」
「瞑想とか」
「お経や祝詞が聞こえることもある。その声が薄気味悪くてのう」
「どういう人達なのですか」
「さあ、どこから来て、何処へ行くのかはしらんが、常人ではない。たまに里に顔を出す。食べるものを求めてな」
「仙人じゃないので、松の葉だけじゃ無理でしょうからね」
「顔付きが違う。喋り方も」
「異国の人でしょうか」
「いや、顔付きがおかしい」
「行者なので、そんなものでしょ。人の顔でしょ」
「そうじゃが、ちと違う。気味の悪い顔付きでな。ぞっとする」
「妖怪と間違えそうですねえ」
「そんなややこしい洞窟を見に行く気か」
「はい、土産話の一つとして」
「最近は無人らしい」
「誰も穴に入っていないのですか」
「そんなことをする奴にも限りがあるのじゃろう。最近途絶えておる」
「じゃ、私が入ります」
「おお、それは新種じゃ。お前様は普通の顔をしておる。気も確かなようだし」
「駄目ですか」
「まあ、試してみなさい。長く居着けない場所じゃ」
「きっと穴に秘密があるのだと思います。調べてみます」
「無理せんようにな。銭はあるか」
「はい」
「じゃ、食べ物を運ぼう」
「お世話になります」
「おお、そういう挨拶ができる人は珍しい」
「あ、そうなんですか」
「うむ」
 
   了
 
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2023年07月17日

4916話 日々平穏


 そこを越えると、向こう側へ行く。そこを越えなくても行けるのだが、目印になる。あちらとこちらという関係ではなく、続いている。
 その区切りを付けているのは田中自身。その方が分かりやすいため。しかし、意識していないと、そこを越えたのかどうかも分からないが、あちら側へ出たことは分かる。そこがこちら側になるのだが、これは全部繋がっているので、ある方向へ向かっているだけ。
 つまり目的地に。その目的に到着しても、その先がある。しかし、この目的地、区切りとしては大きく、がらりと様子が変わる。
 先ほどまでとは違う世界に入った感じ。さらにその先もあり、さらにさらにと続いている。いずれも区切りがある。
 舞台が大きく変わったり、幕が変わるのだろう。そして、それで一日分となると、翌日、同じことが繰り返されるが、演者や舞台はそれなりに変化している。昨日そっくりの今日ではなく、一日分の変化がある。その程度なら分からないのだが、翌日いつもの舞台ではなく、経験したことのない場になっていることもある。
 当然演者も、これまでの田中ではなく、大きく変化していると、演じ方も違っていたりする。
 そうして一日がひと月となり、一年になり、その先へ先へと向かっているのだが、向かう気がなくても、一日がやってくる。一年も。やがて、年が来なくなるようになるのだが。
 その次へその次へと進んでいるのだが、いつか来た道もあり、昔に戻ることもある。しかし、当時の昔ではないので、過去へワープしたわけではない。
 さらに未来へワープしすぎることもある。これはそのうち戻される。これは田中にとり、まだ時期が早すぎたのだろう。今ではなく、もう少し先でないと無理なような。
 しかし、滑らかに変化していくとは限らない。一段高いところに移らないといけなかったりする。段差があり、厳しいところもある。流石に激変は滅多にないが、昨日と今日とでは大きく違うような状態になっていることもある。良いことでも悪いことでも。
 一歩先、ここを越えれば、あちら側へ出る。しかし、繋がっており、あちらもこちらもそれほど変わらない。田中にとっての日々平穏とはそのレベルだろう。これは崩されるのはいうまでもない。
 
   了
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2023年07月16日

4915話 失ったもの


 気になっていたことが解決し、島村はほっとした。その、気になることがずっと離れず付きまとっていたわけではなく、なるようになると、もう考えないようにしていた。
 しかし、どこかスッキリとしないものがあったことは確か。今すぐ困ることではないので、もう放置していてもかまわない。
 その気になること。一度は果たせて喜んだのだが、なくしていたものが戻ってきただけで、新たに得たものではない。
 だから、最初にそれを得たときに戻ったのだが、これがあまりよくなかった。良い事なのだが、それを実行しないといけない。
 ただ、持っているだけでは意味はない。権利を得ただけと言うこと。権利と言うほど大袈裟なものではなく、人は絡んでこないのだが、実行出来る条件は揃っている。しかし、それを果たしていくのが面倒。
 だから、戻ってきたのはいいのだが、持っていたときと同じ状態になる。
 しかし、それは島村にとり価値があることで、得たことの喜びは大きい。
 だから、失ったときは気が沈んだ。そのため、戻ってきたときは喜んだのだが、また、同じことになる。いっそのこと得なければ良かったとなるが、そこまで淡泊ではない。やはり得たことのメリットは絶大。
 ただ、それを実現させていくのが面倒なだけ。だから贅沢な悩みかもしれない。簡単には手に入らないものなので、有り難い話だ。
 それを失ったとき、島村は積極的に働きかけなかった。逆に清々した感じになったが、これは負け惜しみのようなもの。なかった方がよかったのだと、自分を説得しているだけ。本音はやはりあった方がいいに決まっていた。
 しかし、面倒なので、そのまま放置していた。すると、時期が来たのか、戻ってきた。何も働きかけていないのに。それはそうなるようにできていたのだろう。いずれ戻ると。
 必死で取り戻そう。取り返そうとした場合、逆に出たかもしれない。
 島村は、それで気になることが消えたので、いい日だった。こういう日がもっとたくさん来ると嬉しいのだが、そうはいかない。
 そういういい日があってから、今度は悪い日が続いたわけではないが、あのときの喜びはもう消えている。その余韻も終わったためだろう。しかし、思い出すことはできる。あれはいい日だったと。そして上手くいったと。
 その後の日々は、先ほどの気になることが消えたので、それなりに気掛かりの常駐が減ったので、楽になった。これだけでも失ったものを得たよりもいいかもしれない。しかし、失わなければ戻ることもないのだが。
 
   了
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2023年07月15日

4914話 ある小者


 加納家の小者に嘉平がいる。年を取っているが知識は豊富。流れ者のような男で、加納家に漂着した感じ。もう年なので、彷徨いたくなかったのだろう。
 加納家の当主とは旅先で出会った。一寸した賭け事の場があり、そこでこの当主、かなり困ったことになった時、嘉平が助けている。
 諸国をうろついていたので、色々なことを知っており、世間に通じている。ただ、そられの経験が人格形成に生かされることはなく、加納の当主を助けた程度。これは小手先の知恵だ。
 経験を積んでも嘉平は人格的に磨かれたわけではなく、人柄は相変わらず。ただ、大人しい人で、それはずっと変わらない。
 加納家で喜平は年寄りでもできる軽い仕事をしている。当主は、そのために雇ったわけではない。
 屋敷内の嘉平に当主はよく合いに行く。そのため、他の家来や奉公人から嘉平は一目置かれている。本来なら同室では会えない身分差があるので、裏庭の東屋に嘉平を呼び出している。殆ど屋外だ。
 困ったことがあると嘉平に聞く。武家にはない発想が嘉平にはある。
 加納家の家人や家来には話せない内容が多く、また、そういうことを聞かせたくない。嘉平ならそれが言えるし、聞ける。
 しかし、嘉平の話は、深い洞察力から導き出したわけではない。人徳もなく、ただただ生き延びているだけ。ここの奉公もしくじればそれまでと考えており、当主が気に入るような話の持って行き方もしない。もうそういうのが邪魔臭いのだろう。
 嘉平は知恵者ではなく、少し人より多くの世間の事情、人情に通じているだけ。当主としてはそれで充分で、この老人のかすれ声を聞いているだけでも落ち着くようだ。
 嘉平はその後も、加納家に雇われ、当主が引退してからも、まだそこにいる。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 13:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月14日

4913話 重い思い


 思ったことは現実になるという話がある。ただし、可能性のあることだろう。まったく果たせないようなことは現実にはならないし、また現実ではないことも現実化しない。ただ、それに一寸近いものは実現するかもしれないが。
 思ったこととは希望だけではなく、悪い予感なども考えるだろう。これも思ったこと。ただ、現実に起こったことは、思わぬ事が多かったりするが。それは思っていないだけで、気付いていないのかもしれないが。
 悪いことも思うと実現してしまうと怖い話なので、悪いことは一切考えないでおくようになるが、そうはいかない。良いことよりも悪いことを想像する方が実用性は高い。良い事などなくても生きていける。
 思うのと、念じるのとでは違うのだろうか。思いの重さが違うようだが、強く念じた方が実現性が高く、弱く思っているだけでは、実現性が低くなるのか。
 切なる願いも強い願いだ。切羽詰まっているのなら、易いとか難しいとかの問題ではないかもしれない。
 また、思わなくても叶うことがある。逆に強く望んでいない方が、すっと叶ったりする。特に何もしなくても、放置しているだけで。
 つまり、あまり作為的な働きかけをしない方がいい。その働きかけが臭いので、神の手が入らないのかもしれない。ただ、ここでいきなり神が登場するのは違和感を感じるが。
 そのままにしていると、回復することもあるし、また、時期が来れば叶うこともある。ゴソゴソしなくても。
 ただ、何もしないのでは不安なので、一寸働きかけるだろう。結果的には、それが余計なことで、時期を遅らせたりしそうだが、そこは曖昧で、何がどうなるのかは起こるまでは実際には分からない。
 思っても思わなくても、あまり影響がないほうがいい。そうでないと、悪いことを思うと、それが実現してしまうのだから。
 そして、動物的な本能では悪いことを思う方が危険への回避で、そちらの方が多いはず。まあ、動物が物思いに耽るのかどうかは知らないが。
 犬も美味しいものがもらえると、期待することがある。これはいいことを思っているのだろう。餌がもらえる、散歩に連れて行ってもらえるとかだ。
 その思いが飼い主に伝わるかどうかは分からないが、犬なら動きで分かるだろう。思いが伝わるのではなく、仕草で伝わる。
 いいことばかりを思っていると、そうならないことが多くあるので、がっかりする。だから望んでいても、薄い目に願う。軽く思う程度。重く思うと落胆する。重い思いなので、落ちて足の甲に当たると痛い。麩のように軽い思いだと、落胆度も低い。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 12:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月13日

4912話 遠ざける


 以前なら近くにあったのだが、今では遠くのものとなっていたりする。
 当時なら簡単に手が届く距離だったが、今はそこまで行くのが大層。しかし、そのものが変わったわけではなく、位置も場所も同じ。
 だからそのものが遠ざかったのではなく、前田が離れたのだろう。しかし、その価値は今も変わらないので、その変化はない。
 ただ、近くのものが増えたりした関係で、遠くへ行ったように感じたのかもしれない。また、後回しにしていたこともある。それだけ大事にしており、今もそれは変わらないが、それに似たようなものが出てきたので、それで機会が減ったのかもしれない。
 一つのものが出てきて、そして終わる。だから、大事なものは終わらせたくない。もう少し取っておきたい。
 そのうち、とうがたち、もう価値がなくなっているかもしれない。幸いそのものはまだ値打ちがある。それだけのものを持ち続けているためだ。
 前田が変わると、そのものも変わるが、あまり変わっていない。前田もそれなりに変化し、方向性も変わるのだが、まだ、それは大丈夫。むしろ、以前よりも値打ちがあるように見えてきたりする。
 しかし、遠ざかってしまった。あまりにも大事にするため、そうなったのかもしれない。そのため、それは今では象徴的なものになっている。
 これはそのままにしておいた方が、そして遠ざけていた方がいいのではないか。
 それに類するものが他にもあるが、それほど遠くのものではない。やや遠ざかっているが、終わらせたくないのだろう。だから似ている。
 たとえば行きたかった場所。行ってしまえばそれで終わる。終わるのが嫌なので、行かない。しかし、行きたい場所に行かないというのも妙だが。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 13:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月12日

4911話 夢想世界


 遙か彼方。日常からかなり離れた世界。それは現実の世界とは限らない。ただの夢想の世界で、吉原にしか見えていない。
 ただ、似たようなものを見ている人もいるだろう。ただし、その夢想の世界、吉原にとって都合よくできている。他の人の場合でもそうだろう。
 夢見た人だけに都合が良く、夢見た人にとって都合の悪いところは消されているか、もしくは存在しない。ないのだ。
 それが普通の世界、世間のようなものとは違うところ。夢想者にとっては居心地がいいが、たまに夢想するためだ。ずっと居心地がいいと、退屈してしまうだろう。
 吉岡はたまにその世界に入る。吉岡が想像したフィクション世界だが、何幕もあるようで、また何本もあるようだ。つまり、夢想世界が複数ある。最近できた世界もあるし、昔からある世界もある。また、もう見なくなった世界もある。
 吉岡がよく見るのは当然最近夢想した世界。最近の事情を反映しているためだろう。
 ただ、この夢想世界、ただの想像だが、たまに現実とも絡んでくる。糸が付いており繋がっているのだ。
 吉岡がたまに突拍子もないことを言うのは、その糸があるため。夢想世界から下りてくる。
 ただ、現実とのギャップが強いと、それはとんでもない話となり、通用しないが、内に含ませておけば目立たないので、バレない。
 吉岡がたまに意味不明なことを言うのは、そのためだろう。ただ普通のことを言っているので、問題はないのだが、その意図が分からないということ。
 では、その夢想世界、何処から来るのだろう。当然吉岡が想像した夢物語の世界なので、犯人は吉岡だが、実は吉岡のオリジナルではない。何処かであった夢物語を模し、吉岡流にアレンジしている。そのオリジナル版も、誰かが作ったものだが、それもまた誰かのものの焼き直しだったりする。
 さらにさらに遡っていくと、分かりやすいのは神話だろう。ただ神話にも作り手がいる。作り手の都合を反映しているはず。
 ただ、そこまで遡らなくても、夢想世界は適当に発生する。ああだったらいいのに、こうだったらいいのにとかの日常から。
 吉岡の夢想世界もそのタイプで、物語の形は借り物だが、その発生源は吉岡の気持ちのようなところから湧き出している。
 温泉のように、夢想世界も湧き出すのだろうか。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 13:15| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする