2023年08月31日

4961話 瞑想


 町内にできたヘルスランド。温泉とスポーツセンターを合わせたようなものだが、温泉は出ない。出そうと思えば出る場所だが、かなり掘らないといけない。それに管理も大変。だから、普通の銭湯だ。
 この町内には風呂屋があったのだが、潰れている。何処の家にも風呂がある時代になったためだろう。
 町内の年寄りが、このヘルスランドの常連になり、会員になっている。ずっと風呂に入っているわけではなく、スポーツセンターで寛いでいる。
 運動が目的だが寛いでいる。安楽椅子のようなのがずらりと並んでおり、そこは休憩のため。雑誌や新聞を読んだり、飲み食いをしている者が多い。飲食は禁じられていないが、売店のようなのがあるし、自販機もあるので、そこで買ったものはいい。
「ほほう、瞑想ですか」
「最近始めましてね。流石にこの椅子では座れません。椅子の上であぐらをかくのは、やはりおかしいでしょ。自分の家ならいいのですが」
「私も瞑想のようなものをしたことがありますよ。あれは高校時代かな。授業でね」
「瞑想を取り入れた学校なのですか」
「いえ、授業が始まる前に、それをやらす先生がいましてね。その先生の授業だけですよ。五分ほどですが」
「椅子に座ったままで」
「床に座ると妙でしょ。これは罰でしょ。罪で正座です」
「そうですねえ。学校の椅子、固いですし、小さいので正座などすると痛いですよ。それこそ拷問」
「だから、普通に座った状態で、背中をシャキッとさせて、正面を見て、じっとしているだけです」
「見るのですか、正面を。ああ方角がそうなるだけですか。はいはい」
「いえ、目は開けたままです。でも瞬きはしてはいけません。すると涙が出てきますので、それは流し放題でいいのです。まあ、悲しくなくても涙は出ますからね。目にゴミが入ったときとか」
「五分間。瞬きしないで、じっとしているだけの瞑想ですか。それ、何かおかしくはありませんか」
「その先生、ヨガをやっているのです。その一派で、そういうのがあったのでしょうねえ」
「余所見も駄目」
「はい、目玉を動かしては駄目。目が固まるほどじっとしているのです。しかし、瞬きはしますし、キョロキョロもしますよ。しないまでも目を少し小さくしたり大きくしたりします。閉じなければいいのですから、ぎりりのところまでは大丈夫です」
「それは何の効果があるのですか」
「見えるらしいのです」
「だから、目は開けたままなので、前のものが見えているでしょ」
「いえ、違うものが見えるのです」
「幻覚が現れるようなものですか」
「さあ、それは分かりませんが、四次元が見えるとか」
「これは眉唾ですねえ。あなた見ました?」
「ただの模様ですよ。でも一瞬実際に見えているものが消えたりしましたよ。これは涙のせいでしょうねえ」
「目のゴミが見えたりして」
「そんなことで簡単に誰でも四次元が見えるなら楽な話ですよ」
「そうですねえ。そこの高校生で、その先生の授業を受ける、全員見えるようになるわけですから」
「まあ、それよりも、少しだけ現実から遠のきますよ。これでしょ。瞑想で、一寸だけ現実から離れる」
「五分でよかったですねえ」
「でも、みんな真面目にやってましたよ」
「きっとそんな行が面白かったのでしょうねえ。学校で、そんなことをやるのも」
「きっとそうだと思います」
「その先生、大丈夫ですか。そんなことをして」
「その先生は瞑想中に北極まで行ったらしいのです。そこから地底へ続く穴が空いてまして、下りたらしいのです」
「言い過ぎですねえ」
「いや、先生が行ったわけじゃなく、行けたのは北極の穴の手前までで、その先の地底へ下りたのは守護霊らしいです。そこで見た地底の世界を守護霊から教えてもらったとか」
「地球空洞説ですねえ」
「そうです」
「ややこしい先生ですねえ。守護霊まで持ち出すとは。もうヨガの瞑想から離れていませんか」
「しかも授業をしないで、そんな話だけで終わったこともありました」
「でも守護霊が見に行ったとして、その間、その先生を誰が守るのでしょうねえ」
「あのう」
「何ですか」
「そんな心配、しなくてもいいと思いますよ」
「ああ、そうですねえ。瞑想の話が妄想の話になっただけですから」
「まあ、そうです」
 
   了
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2023年08月30日

4960話 周法さん


「周法さんは何処で修行されましたかな」
「いえ、何処にも」
「じゃ、師は」
「いません」
「ではどうして修行されましたのじゃ」
「一人で」
「一人?」
「はい」
「独学、独習のようなものですか」
「でも修行というほどではありません」
「では、どうして、ここに来られました」
「噂でお聞きして、是非お会いしたいと」
「ここは修行の場。やはり人から教えを受けたいのですかな」
「いえ、それはお手間かと」
「わしはいいぞ。手間だとは思ってはおらん」
「お会いしただけで、もう十分です」
「ほほう。では聞くが、周法さんはどのような方法で修行されましたか。一人でやったと聞きましてが、その方法を知りたい」
「大したことはありません。気の向くままです。それに任せたまま」
「ほほう、それはまた無邪気な。では悪心が起きたときはどうします」
「悪い心ですか。そうですねえ、そのまま悪いことをやります。悪いかどうかは分かりませんが、悪行だとは薄々分かっていることです」
「では悪に染まる」
「はい、染まります。それで、これは居心地が悪いと思い、また戻ります」
「何処に」
「ですから、悪行を起こす前にです。でも既に悪いことをしたので、それは消えませんが」
「分かりました。それで、善行をやるようになったと」
「いえ、それは考えていませんが、善きことをやる気になればやるだけです」
「それが周法さんの修行方法ですか」
「だから修行でも何でもありません」
「あなたは人に教える気はありませんか。珍しい先生だ、うちの寺で教えてほしいもの」
「人に教える気はありません。それに伝わらないでしょうから」
「先ほどから聞いていると、普通にしているだけですなあ」
「はい、だから修行とかではありません」
「あなたは普通のことを普通に言っているだけ。うーむ」
「今日はお会いできて、嬉しいです」
「しかし、話らしい話もしておらん」
「いえ、お顔の表情や仕草や話し方で分かります」
「何と見た」
「それは言えません」
「まあ、よろしい」
「では、お邪魔しました」
「この寺まであなたの名は聞こえてくる。わしもどんな御仁なのか見られてよかったわい」
「如何でした」
「それは言えぬ」
「では御達者で」
「周法さんもな」
「あ、はい」
 
   了

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2023年08月29日

4959話 里見村の祈祷師


 里見村の祈祷師がよく効くという噂があり、名医が訪ねた。暇なのだろう。藪で流行らないのかもしれないが、町では名医とされている。だから名医即藪という意味での名医。
 里見村の祈祷師は医者ではない。また神職でもないし、僧侶でも行者でもない。また祈祷師らしい服装もしてない。ただの年寄り。まるで野良仕事が嫌でサボっているようなもの。家は百姓で、その三男坊。
 加持祈祷が専門で、村でもその扱いだが、加持も祈祷もやったことがないし、祝詞も知らない。覚える気はない。
 それなのに、その祝詞が効く。しかし実際には祝詞ではなく、意味不明の言葉を?に乗せて歌っているだけ。これは唱えているといった方がいいのだが、言葉になっていないし、お手本もない。それなのに効く。
 当然効かない人もいるが、医者に掛かるよりも安く上がり、それに治る人も多い。実績がある。別に奇跡をその場で起こすわけではないが。
 稼業にしているので、それなりの報酬は受け取る。大した額ではなく、本人次第の金額。また、治ってからお礼として持ってくる人もいるし、隠していた米俵を持ってくる人もいる。大根一つとかもあるが。
 治らなかった人はいない。その前に亡くなっている。
 また、祈祷後、治るまで数年かかったりすることも多い。これは勝手に治っているのだが。
 その名医、その祈祷師の術を知りたい。そのカラクリを。
 それで聞き出そうと遠回しに問いかけたのだが、祈祷師もそれを察し、よろしい、教えて上げましょうと説明しだした。
 先ずは、その祝詞のようなものを名医に聞かせた。名医はそれを体で受け取る。この時の心良さは盆踊りの音頭取りの音色に近い。良い声なのだ。それに節回しが絶妙で、滑らからに体に入ってくる。ああこれかと名医は説明を聞く前に分かった。これが答えなのだ。
 子守歌で赤ちゃんを寝かせるようなもので、また子供が痛くて泣いているとき、親がマジナイの呪文を唱えるようなもの。短いが。
 要するにそれの大人向けなのだ。
 あなたはそれを何処で会得されたのですかと名医が聞くと、子供の頃から音の出るものは何でも好きで、それに言葉を乗せて歌っていたらしい。ただ、その言葉は出鱈目。
 名医は祝詞の言葉を書き留めようとしたが、言葉になっていない擬音のようなものなので、記せなかった。
 それにその祝詞、相手によって変わるらしい。どうして変わるのですかと聞くと、その人の息に合わせるらしい。
 息に合わせるとはどういうことですかと聞くと、相手の気持ちになること。それは無理だが、できるだけ相手の心情に合わせることと答える。
 要するに呼吸を合わせるのではなく同情することだろう。しかし、同情とは違うと祈祷師は答えた。
 名医は、これは難しくて会得できないと思い、引き上げた。
 
   了
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2023年08月28日

4958話 気になること


 高橋は気になることがあるので、落ち着かない。いつも落ち着いているわけではないが、それよりも目立つ。目に立つだけではなく、頭の中で色々なシーンが起き上がる。
 こういうのはよくある。悪いことでも良いことでも。これは想像しているため。そして勝手にそれが回り始める。ぐるぐると回転するわけではなく、自動的に浮かび上がる。
 高橋はこのレベルになると、気になる。これは別のことに切り替わり、違う絵になるのだが、それでもまたそれが現れる。こうなると始末が悪い。
 それが付いて離れなくなり、そればかりを思うわけではないが、ついつい見てしまう感じ。ただ、そのシーン、同じシーンが多く、さらにその先の展開になるとかなり曖昧で、しっかりとしたイメージはない。
 高橋はこれを止めたいのだが、勝手に湧き出すのだから仕方がない。湧き出した瞬間に止めればいいのだが、なかなか静まらない。
 それで仕方なく、そのまま放置していると、いつの間にか消えている。忘れた頃にまた湧き出すのだが、ずっと脳裏から離れないわけではない。
 これは、気になることの原因を取れば治まるのだろうが、そうはいかない。
 それで頭の中でぐるぐる回るものを飽きるほど見れば、もう飽きてしまい、湧き出さなくなるかもしれないと思った。または湧き出しても反応しないとか、放置状態にしてしまうとか。そのあたりを考えた。
 高橋は過去にもそういうことは色々あったことを思い出す。すると長く今も続いているものはない。何処かで消えているのだ。自然鎮火のように。
 それは何かで解決したのか、またはもう気にしなくてもよくなったのか分からないが、そのうち止まることを知っている。
 今回もそうなっていくだろうと思うことにしたのだが、これは解決したわけではない。だが、未解決のまま忘れてしまぅかもしれない。そういう例が多い。
 今回もそうなるだろうと、高橋は期待した。
 
   了
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2023年08月27日

4957話 既成の規制


 木村はいいものを見付けたので、希望が出てきた。既に希望はあるし、夢のような先の展開に期待できるものを多く持っているのだが、さらに別の展開を見付けた。
 これは宝が多すぎるのではないかと思われる。その宝とは夢のようなもの。夢幻ではなく、実際に果たせるような内容。
 だから、ちょとした楽しさや憩いや、また大きな刺激が得られるようなもの。当然、そういった楽しみだけではなく、生きていく上での生き方のようなものも。
 今度新たに見付けたものは今までの既成概念に囚われないで、それを外したもの。それで、少し調べたのだが、今でこそ規制のようなもので縛られているが、以前はそれが普通にあった。だから目新しいものではない。
 しかし、新たにそういったものに挑戦しているのだから、期待できる。それで、これは楽しみだと思いながら、昼になったので、ご飯を食べに行くことにする。戻ってからが楽しみだ。できればそれに参加したい。
 ところが雨が降り出した。突然の雷光。これは降るぞと思う間もなく凄い雨。これはすぐにはやみそうにないので、仕方なくありもので昼を済ませることにした。
 残っていた食パンがあったので、それにハムとチーズを挟んでサンドイッチにし、それを焼いて食べた。やはり食事は温かい方がいい。そこにスープなどがあればいいのだが、お茶でいい。
 それを囓りながら、続きを調べていたのだが、どうも盛り上がるようで盛り上がらない。それは既成のものよりも弱いのだ。
 確かに規制が取り払われているが、大した差はない。その規制があってもなくても木村は気にしていない。それよりも中味、何を語っているのかに斬新さがない。
 この場合の規制外しは犯罪ではない。法には触れていない。だから風潮や自主規制のようなものだろう。誰も実際には縛っていないし、規制も掛けられていない。
 ただ、規制が掛かっている状態が長いので、それが今の既成のものになる。規制も移り変わるのだ。その前の規制をしていなかった時代に戻っただけ。
 これは残念だと木村はパンを強くかじった。チーズが垂れた。
 雨が降っていなければ、そのまま外に出ただろう。そしてパンではなく、もう少しましな昼ご飯を食べに入っただろう。
 そして、わくわくしながら。戻ってから続きを調べることになるのだが、ここに夢とか希望とがある。
 しかし、雨で食べに行かないで、調べていたため、結果が出てしまった。あまり託せない希望だった。
 世の中にはよくある。既成事実に拘らないで、取っ払った世界。それを謳い文句にしている場合、疑った方がいいということを。
 本当ならいいのだが、それを前面に出してくると臭い。期待度も大きいので、期待してみるだろう。そしてがっかりとまではいかないが、規制を外したところは興味がある。しかし、木村が狙っている本命ではなく、サブだ。それではないのだ。
 その雨、偶然降り出したのだが、もし降っていなければ、まだ調べ終えていないので、期待も崩れないまま外に出ていただろう。
 結果的には昔からあるものだが、今、それをやるというのは、それなりに期待できるかもしれない。できれば復活ではなく、新たな箇所を切り開いてもらうことを期待していたのだが。
 ただ、その新たな世界。既成のものに縛られないというメインよりも、サブの方に興味が走った。
 もう終わっているはずのものが、そこで復活してたのだ。それは規制内での話だが、商品なら売り物、宣伝しているものではなく、おまけのようなものだ。これは一寸期待できる。
 外は雨。しかし、俄雨より長かったが、降りが治まりだした。昼は外に出たい。既にややこしいホットサンドを食べたが、喫茶店へはまだ行っていない。
 木村は外に出た。雨はまだ降っていたが、しばらくすると小雨になり、そしてやんだ。
 
   了
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2023年08月26日

4956話 聖人のお言葉


 吉田は人生訓を読み過ぎた。食べ過ぎた。過食だ。しかも色々な先人の残した大事は話や、生き方の指南。なるほどそう言うことかと目からウロコを何枚も落とした。さらに別の生きる知恵とかを読むと、これもショックを受け、落とすウロコがなくなった。
 目からウロコ。これは落ちるとき、気持ちがいい。しかし目からウロコを落としすぎると、その快感もなくなる。
 さらに生きていく上で大事なこと、これをすればうまくいくというのも腑に落ちた。これも内臓が足りないほど落ちすぎ、臓器が肥大した。これも食べ過ぎだ。
 目からウロコ、腑に落ちた。この瞬間はいいが、そのあとがいけない。別に副作用が出るわけではないが、大事なお言葉とかの教訓が頭にチラついて、やってはいけないこと、言ってはいけないこと、思ってはいけないことに囲まれてしまった。
 つまり、禁じ手が増えた。これが苦しい。またやるべきことも増えた。毎日ああしろ、こうしろ、人と向かい合うときはああしろこうしろ。態度もこのようにせよと、がんじがらめ。窮屈で仕方がない。
 それこそ屁もこけない。しかし、それは今まで接したお話しの中で禁じ手としてはないので、これはいいのだろう。
 態度、物腰に関しては、これは体が引きつってしまい、ぎこちなくなり、逆に姿勢が悪くなった。
 自己を知るというのもある。自分は何者であるのかを知ることが大事とか。そしてその答えがとんでもないところに持って行かれる。それなら自分など知らない方がよかったような感じだ。
 それに自分が知っている自分ではない自分とは誰だろう。それはもう自分ではなくなる。そして、それを知ったとき、美味しいことがあるわけではない。
 吉田はそれで疲れのだが、疲れたと言ってはいけないという教えが来る。困ったものだ。安堵できる状態がない。
 寝ているときなら大丈夫。しかし、朝、起きたときの態度も説かれていたので、その通り実行するとなると、何故か嘘臭く、作為丸出し。一人芝居をしているようなもの。誰かに見られると恥ずかしい。
 それで吉田は、面倒なので、そういった教えを捨てた。捨てる以前に身についていないので、最初からなかったのだが。
 薬も飲み過ぎると、毒になるというが、これは体力がいる。精神力も。それで、いつもの吉田のやり方に戻った。これは何も考えなくてもいい。それなりにできあがった世界なので、無理がない。
 これで、やっとほっとした。よく考えると先人達も誰からから教えを請うて身に付けたのではなく、自分で見付けたのだ。吉田もそれをすればいい。吉田だけに当てはまればいいだろう。しかし、それは既にやっていたことなので、今更始めることもなかった。
 これで吉田は聖人と並んだようなもの。そう思うと、気が楽になり、優位な気持ちになり、余裕ができた。しかし、吉田の考え、他の誰一人にもあてはまらないので、語ることはないだろう。
 
   了

 
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2023年08月25日

4955話 上善の楽しさ


「一寸した楽しみは欲しいのですがね。それもいけませんか」
 お盆で善兵衛の家に来ていた坊さんに聞く。
 坊さんはお経だけ唱え、さっさと次の家へ行きたいところ。それでもお勤めが終わると茶が出る。暑い盛りなので、喉が渇くので、これは飲む。ただ、この時期のお茶なので、それほど熱くはなく、冷たくない程度。そしてお茶のお盆と一緒にお布施。これを直接出さないで、茶菓子のように添えてある。
 坊さんはお茶を飲む前にサッとお布施を仕舞う。軽く頭を下げて。
 この動作が素早い。相撲取りが懸賞を行司から受け取るような仰々しさはなく、さっと仕舞う。
 そのお茶を飲んでいるとき、楽しさがどうのと、急に言い出される。善兵衛という人、何か気になることがあるのだろうか。坊さんは経を上げただけで、何も喋っていない。だから何も問うていない。
 これは善兵衛が元々持っていた疑問だろう。それを語り出した。
 苦があるから楽があり、楽があるから苦があるという論法。だから苦を減らせば楽も減り、楽を減らせば苦も減る。
 この坊さん、そんなことは一度も言っていない。善兵衛が聞きかじったこと。
 善兵衛は道楽者ではないが、一寸した楽しみを持っている。それを少し減らせば、苦も減るかもしれないが、苦が減れば、さらに楽しさも減るような気がする。
 だから苦しいことが増えてもいいから楽しいことはやめられない。決してそれは派手なことをしているわけではなく、一寸した楽しみ事。誰にも迷惑を掛けていないし、金銭的にも浪費とまではいかないほど。それぐらいは許されるだろうという程度。
 坊さんは答え方が分からないので、上善の楽しみとかを言い出した。より上質な楽しみを。
 しかし、善兵衛のやっている楽しみは下世話なことで、上善ではない。それで、どんな楽しみなのですかと聞く。
 坊さんにも分からない。楽しくも苦しくもないようなものだろう。
 この坊さん、もっと上手く説明できればいいのだが、思い当たることがないのだ。それにそんな境地に入った人など知らない。
 この坊さんも実は密かな楽しみがあり、これは流石に口には出せないが、それを失いたくない。だから、善兵衛と同じなのだ。
 それで、説明の途中で、説得力がなくなり「まあ、無理に落とすことはないでしょう」と括ってしまった。つまり欲のようなものを無理に落とさずともいいという程度。
「上善の楽しみとは何でしょうねえ」
 坊さんにも分からないが、それはもう楽しいと言うことではないのかもしれない。流石にそんな頼りのない楽しみなど、楽しみではなくなるだろう。
 お盆で忙しいのに長居してしまったのか、それに気が付き、坊さんはさっさと出ていった。残された善兵衛は何故か安堵した。
 
   了

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2023年08月24日

4954話 茶店の葛餅


 小さな街道筋の峠に茶店がある。このあたりはセミがいないのか、麓の騒がしさはない。徳三は汗だくで登ってきた。茶店があったので、これ幸い。トコロテンでもあれば食べたいところ。それと冷たい水が飲みたい。
 徳三は急いでおり、休んでいる場合ではないが、休めばまた元気が出て、そこから早くなるだろう。それに峠を越えるので、下り坂。日差しのある表側ではなく、裏側に下りるので、暑さもまし。
 茶店と言っても小屋。座るところはその前にあり、簾を立てているだけ。しかし、大きな縁台なので寝転ぶこともできる。だが、あいにく先客が座っており、それができないが。その客、見るからに僧侶。
 徳三は軽く会釈し、少し離れたところに座る。親父が出てきたので、トコロテンを頼むが、ない。しかし葛餅があるようなので、それを頼む。中に何が入っているか念のために聞くと、アンコ。白アンか黒アンか、粒アンかなどと、さらに聞くと、半殺しのアンコらしい。だから中間。
 それを聞いていた僧侶。細かいことを色々と聞く客だと思い、少し微笑む。しかし、徳三は馬鹿にされたように感じ、ムッとにらみ返す。
「お前さん、安らぎたくはないか」
「だから、ここで休んでいるじゃないか」
「まあ汗を拭きなさい。余程急いで登ってきたとみえるが、忙しいのかな」
「登り道ですよ。汗ばんで当然。それに急いでいますが、駆けないといけないほどじゃありません」
「何か、行き先でいいことでもあるのかな」
「仕事ですよ。良い事なんてない」
「心の持ちようだな」
 何か説法でも始まるかと徳三は警戒する。こんなところで暑苦しい話は聞きたくない。それに、今は一服したいのだ。どんな葛餅が来るのかも気になる。
 親父が水と葛餅を持って小屋から出てきた。
「お茶の方がよかったですか。水ならただですから」
「ああ、水でいい。茶は飲み慣れておらんからな」
 徳三は葛餅を楊枝で突き刺す。
「まあ、茶店で出す葛餅、愛敬のようなものなので、上等なもんじゃありませんよ」
 徳三はパクリと口に入れ、もぐもぐさせながら「うまい、これはいい。上等じゃないか親父」
「それは手前も嬉しい。滅多に褒めてくれるお客さんはおりませんからなあ」
 僧侶がその話を聞いている。その気がなくても聞こえる。
「拙僧も一つ頂くか」
「あいにくですが、これが最後で」
「残っておらんのか」
「すみません」
 僧侶は残念そうな顔になる手前で表情を戻した。しかし、目はしばたいている。
「さあ、うまいもんも食った。喉も潤った。親父勘定だ」
「もう行きますか」
「急いでいるのでな」
 徳三は勘定を済ませ、走るように峠を下っていく。
 僧侶が、その後からゆっくりと下っていく。
「お坊さん」
 と、僧侶を追うように茶店の親父が声を掛ける。
「何かな」
「勘定、まだです」
 
   了

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2023年08月23日

4953話 探し物


 裏側とか、隠されたところばかり探していたのだが、何の気なしに表側を見ると、そこにあった。しかも堂々と。
 倉橋は探す場所を間違えていたのだろうか。そこにあるのなら、妙なところまで行くことはなかった。裏側と言っても、人に知られていないだけで、ややこしいものが多くそこに集まっている。表側では相手にしないようなものとか、特殊なものだ。
 しかし、倉橋が探していたのは特殊なものではない。ただ、何処を探しても、見付かりにくい。ましてや表側の堂々としたところなど最初からそこにあるとは思っていなかったのだ。ところがあった。それなら探し回る必要はなかった。
 それでもまだまだ探しているものは残っており、表側で全部見付かったわけではない。裏側やその他のめぼしいところにもない。
 これはないほうがいいのかもしれない。なぜなら探す楽しさがなくなるため。
 探しているときのほうが楽しかったりする。そしてやることができる。
 できれば裏側から手に入れた方が楽しい。それなりに手間が掛かるので、苦労も多い。表側なら簡単だが、敷居が高い。
 裏側は敷居は低いが、手間が掛かる。
 それを手に入れるよりも、手に入れるまでの過程を倉橋は楽しんでいるようだ。探すのが目的化している。これは表側にはないものを探すため闇の中を彷徨っているようなもの。
 ところが今回、闇の中ではなく、表側に堂々とあった。ということはありふれたものだった。何処にでもあるような。
 だから倉橋は妙なものを探していたわけではない。今回に限っては。
 何処の店に行ってもないもので、それなりにありふれているのものだが、いざ買うとなると、何処で売っているのかが分からなかったりする。
 たとえば爪切りだ。これは文房具屋で見かけたことがあるので、売っているだろうと思うと、なかったりする。
 それ以上探さないでいるとき、ふとコンビニに寄ったとき、爪切りがあるではないか。それと似た感じを倉橋は体験した。
 難しいところにではなく、すんなりと見付かることもあるのだ。
 見当を付けた見当が違っていただけかもしれない。
 
   了
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2023年08月22日

4952話 幽命峡の仙人


 幽命峡には仙人が多い。仙人になろうとしている人々で、行者のようなもの。幽命峡は一寸した仙境。奇岩が多く、岩と岩の間から大木が生えていたり、中には岩を股火鉢のように囲え混んで、まるで岩の上に木が生えているようなもの。当然根は岩を囲い込みながら、下へ伸び、地面に達しているが。
 そういう妙な景色が見られる場所で、仙人の修行にはいい場所だ。座れそうな岩場もあるが、流石に岩や石の上に座る者はいない。痛いのだ。木の方が頑張っているほど。
 ここに来る人はそれなりの年寄りではなく、若い人も多い。世を捨て、ここに来ているのだ。
 幽命峡の入口あたりにある山寺が世話をしている。しかし、数が多いと米が足りない。寺だけでは賄えないので、周辺の農家などが持ち寄ってくれる。
 米の供え物。これは実用性が高い。当然野菜類も持ってきてくれる。そう言うことをすると、気持ちがいいのだろう。
 世捨て人の腹を満たすだけのことだが、餓鬼供養だと思えばいい。確かに仙人になろうなど言う人はろくな人がいなかったようだ。
 世間から逃れたい。世間で挫折し、逃げ込む場所。そういうのがあるだけまし。ただ、あまりいい人達ではない。また仙人に達したという人は出ていない。何を根拠に仙人と言えるのかが曖昧だが。
 また、幽命峡での修行が苦痛で、これなら俗界の方がましだと戻る者も多い。
 仙人の修行と言っても座っていることが多い。これで世俗の欲を捨て、身が軽くなるはずだが、捨てきれるものではない。捨てたとしても、今度は仙人になろうという欲が生まれる。
 欲を捨てる欲だ。このパターンはよくあるのだが、本人は気付かない。どちらにしても苦行。俗世も苦行なら仙境も苦行。どうせ苦しいのなら俗世の方がサボれる。たまには休める。
 幽命峡で長く残っている行者の殆どは働かなくても飯が食えるので、極楽だと思っている連中。あまり座らないで、山野を探索している。散歩だ。
 汗だくで山野を駆け回るわけではなく、自然観察のようなもの。これは野山に入ると、色々と変化があり、飽きないものだ。
 本気で修行しているわけではないので、仙人にはなれない。だが、何となく分かっている。仙人など本当はいないことを薄々知っているため、無理をしない。やってもやらなくても、同じようなもの。
 その中の一人がかなりの年寄りで、いつの間にか仙人らしい風貌になっていた。空を飛べるわけでもなく、仙術が使えるわけでもない。
 この人が一番仙人に近いのだが、本人は仙人になろうという初期の願いなどは持っていない。山野の逍遙人。その様が絵になっているようだ。
 
   了
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2023年08月21日

4951話 隠れる


 隠れ里というのはロマンを感じる。隠し里とは無理に隠しているのだが、隠れ里は隠れたように見える程度。普通の村だ。
 ただ、あまりこの村に触れない場合、村の名が上がらないので、隠し事でもしているように見られるが、里、村を隠すというようなことはできないだろう。だから行きにくくするとか、知られていないとかで、何とかなる。
 隠れ部屋は、襲われたときなどに隠れる場所。部屋でもいい。隠し部屋は敢えて隠している。隠れ部屋は目的がある。逃げ込むため。隠し部屋の方が不気味だ。似たようなものだが、その部屋について家人は一切触れないとか、行かないとか、前さえ通らないとかで無い部屋としてある感じ。
 隠し事も言わなければ隠れたままで発覚しない。誰が誰のために隠し事をするかにより、違ってくるが。他の人は知っているのだが、その人にだけには隠すとか。
 隠蔽となると事柄に関することになるだろうか。これは証拠を隠すとか、知られてはまずいものを消してしまうとかだ。
 隠し部屋の他にも裏部屋というのがある。これは何処だろう。部屋の裏側か。それなら隠す必要はないのだが、裏側を見せたくないこともある。
 隠れ蓑というのもある。蓑など最近使う人はいないが、言葉として残っているし、使うことも多い。身を隠すためのカムフラージュのようなものだろうか。
 蓑で身を隠すのは雨や雪に当たらないため。蓑は蓑虫を思い起こす。木の葉の欠片を体に付けていると言うより、袋のようにして、その中に虫が隠れている。冬服のようなもの。
 この蓑虫が隠れ蓑に近い。そういう具体的なものだけではなく、事柄にも使われる。偽装や擬態がバレると一寸恥ずかしいが。
 身を隠すというのもある。穴でもあれば入りたいとかで。これは滑稽だが、重要な人物が身を隠すとなると、異変に巻き込まれたか、そういう手段に出たのか、それは分からないが、隠れるというのは積極的か消極的かは分からない。
 逃げるイメージもあるので消極的な策かもしれない。または、仕方なく身を引くとかも。
 普通の個人も、色々と隠していることがあるはず。人には言えない。どんなに親しくても。
 これを便所の秘密と言っていたが、あまり上等な隠し事ではないかもしれない。
 便所も隠れ場所になるが、長くはいられないだろう。
 
   了
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2023年08月20日

4950話 前の宮


 前の宮の官兵衛さんがおかしくなった。このあたりでは名士で、今は隠居さん。しかし若いうちに隠居しているので、暇人でもある。
 暇な暮らしを早くから憧れていたのだろう。その暇潰しで、どうでもいいようなことを調べたり、考えたりしていた。
 しかし、その内容が怪しく、神秘的で、そちらへ行ってはいけないような事柄。流石に官兵衛さんはその入口付近でやめているが、その奥があることをよく知っている。謎に満ちた神秘世界が展開されているはず。
 その官兵衛さんの様子が最近おかしいので、神秘世界に入ったのではないかと噂された。官兵衛さんは分家だが、本家が心配して様子を見に来た。
 それよりも先に思い当たることがある。場所だ。前の宮という場所。確かに前にお宮さん、つまり神社がある。この神社が古く、いつ誰が建てたものかは分からない。社ができる前から何かが祭られていたのだろう。
 官兵衛さんは敢えて前の宮に住むようになったのは、そのことが暗にあったのかもしれない。
 何か訳の分からないものが祭られており、神なのかどうかも分からない。得体の知れないものを祭っているのは、得体が知れないためだろう。
 だからその正体が顕わになり、ややこしいことにならないように、土地の人が祭っていたようだ。これでややこしいものは出てこなくなると。
 本家の人は、色々とそのあたりを聞きかじっている。官兵衛さんが妙な人なので、それが心配なのだ。前の宮に住む目的も、そのややこしいことと関係するのではないかと思っている。
 官兵衛さんにもしものこと、これは何かよく分からないが、ややこしいものに巻き込まれたりするのは本家にとっても恥のようなもの。外聞が悪いのだ。
 それで本家のその人、まだ若い。当主の弟だ。だから本家当主もかなり若いのだ。分家の官兵衛さんの方が本家当主にふさわしいような風貌があるほど。
 それで、本家の人が寝床の官兵衛さんを見舞った。体調を崩しているのは知っていた。だから見舞いだ。別にややこしい神秘世界に入っていないかどうかを見に来たわけではないが。
「季節の変わり目で体調を崩しただけだよ。しかし、逆によくなった箇所もある。ずっと悪かったんだが、治っていた」
「何か、治療でも」
「悪かったところは放置していた。そのうち慣れた。これは治らないものと諦めていたのだがな」
「でも今は体調がお悪い」
「だから、季節の変わり目は毎年そうじゃ。病とも言いにくい」
「それを聞いて安心しました」
「そうか、本当はあっちのことを心配して来たんじゃろ」
 言い当てられてしまう。
「まだ、あの神社の研究をされているのでしょ」
「いや、土地の人が知っておる以上のことは分からん。だから、それはもう放置した」
「この前の宮の地、あの神社に祭られている得体の知らないものがよく通るとか聞きましたが」
「それは誰でも知っておる。ただ、何処へ行くのに通るのかな」
「通っているとき、出合ったのではありませんか」
「誰が」
「官兵衛さんがです」
「わしか。そして誰と出合ったというのかな」
「その得体の知れぬものに」
「怖いことを言う。わしより重症じゃないか。そんなことがあると信じておるのか」
「いえ、いえ、噂です。官兵衛さんはもっと詳しく調べられていると思うのですが、どうなのです」
「いろいろと考えられるが、そんなものはおらんような気がする」
「じゃ、神社で祭っているそのものもいないと」
「何かいそうな雰囲気がしたんじゃろうがな。それで祭りだし、お宮さんまで建てた。まあ誰も実体が分からぬまま」
「やはり調べているじゃありませんか」
「そうじゃない。想像じゃ」
「でも火のないところに煙は立たぬと言いますので、何かあるのでしょ」
「何かありそうな雰囲気だけ。実体はない。あとは想像するだけ。あそこの神様はそういうことで浮かび上がったのだろうね」
「ただの想像なのに」
「だから、前の宮は神様の通り道という話も作ったものだろう」
「そうなんですか」
「通り道はいいが、何処へ行くんじゃ。そこまで作れなかったのかもしれんな」
「でも、前の宮の町を歩いている妙な人を見たと噂にはありますが」
「しっかりと、見たわけではないようじゃ」
「調べられたのですか」
「少しはな」
「奥へ行かなくて、よかったです」
「奥?」
「官兵衛さんがそれを信じて、奥へ奥へと入り込んでいるのではないかと、本家でも心配していたのです」
「まあ、いい。疲れた。体調が優れぬ。これぐらいにしてくれ」
「はいお大事に」
「うむ」
 
   了
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2023年08月19日

4949話 後継者


 期待していたものの力が衰え、期待はしているが、もうあまり期待していないことがある。しかし、まだしている。それに続く後継者のようものが出ないため。その差はあまりないのだが、初期のうちはそんなもの。それよりも、その後、どのように変化していくかだ。
 竹内の期待は他の人とは違うが、多くの人も、期待の中身は同じだと思われる。だから竹内一人が妙なところに期待しているわけではない。
 その時期、後継者になりそうなものが現れた。これは以前からいるのだが、方向がまだ分からなかった。台風の進路のようなもので、予測はできるが、そこへ向かうかどうかは分からない。
 また、その後継者、最初の頃よりも大人しくなっており、もうその先へは行かないのかと思うほど。それが今回、そうではなく、さらに進むことが何となく分かった。
 他に後継者候補はいるが、この後継者が一番近く、その可能性が高い。そのダメ押しのように、今回の台風は勢いがあるという感じ。勢力を盛り返したようだ。
 竹内はそれで機嫌がいい。期待できるためだ。しかし友人の朝永は期待などしない方がいいと偉そうなことを言う。まるで悟ったかのように。
 期待するので、落胆する。という論理だ。だが竹内はそうは思わない。スカで終わっても、期待している間は楽しいではないか。それに気分もいいし、先々の楽しみができる。それを思っている間中楽しいのではないかと。
 落胆したとしても一瞬だろう。期待しないで接した場合、満足を得ても、これも一瞬で終わる。それよりも期待して待つ時間や日々は長い。こちらの方が得ではないか。と朝永に反論する。
 それ以前に期待できるものを期待しないで無視することなどできるだろうか。そんな冷めた感情のままいられるとすれば、あまり興味がない問題だろう。どうでもいいような。
 それでも朝永は、期待には落胆が付きまとうので、やめた方がいい。もっと素直な気持ちで接するのが正しい。憶測などせずに、と言う。
 これは難しい話で、予測したり、期待したり、憶測したりするもの。それを止める方が難しい。
 それに今回、竹内は後継者を見付けたので、機嫌がいいし、元気になった。簡単なことで、そうなるのだから、努力はいらない。
 ただ、探し求める手間暇はあるが、それは期待できるためだ。見付ければ喜ばしい。別に何かが起こったわけではない。竹内とは関係のないところでの現象。
 しかし、何処かで共振し、共鳴している。これは勝手な調べなのだが、影響を受けるのは確か。
 そして、その期待のお陰で、気分がいい。期待できなくなるとがっかりするが。
 どちらにしても後継者が現れると期待できるので、喜ばしい。
 朝永は、それに対し、しつこく反論を続けたが、きっとそれで竹内の考えが改まるのを期待しているのだろう。
 
   了
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2023年08月18日

4948話 固定概念


 いつもの流れが変わってしまうとギクシャクする。やっていることは同じでも、状態がいつもと違うと勘が狂う。流れには区切りがあり、ずっと同じことをやっていても、それなりの区切りがある。これは時間的に区切られることもあるし、疲れたので、一休みとかも。
 全体の流れを把握しているわけではなく、これをやればこれ、それが済めばこれと、順序よく並んでいる。順番があるのだ。
 後の方にあるものも、何となく把握しているが、順番が決まっているのなら、順々にやれば全部片付く。だから、全体を見ていないこともある。これは決まっているので、考えなくてもいい。
 ところが何かの事情で順番や場所が変わることがある。これは面食らう。いつもの流れとは違うためだ。その流れはやっていることや、場所や、時間帯なども含まれる。
 そしていつもやっていることなのだが、条件が変わるとできなくなったりする。いつもなら簡単にできるのに。
 しかし、実は簡単ではなかったことに気付いたりする。流れに押し出されて、やれただけで、今からそれだけをやれといわれても、できなかったりする。勝手が違うためもあるが、深く考えないで、順番だからやっていけたのだ。
 いつもやっていることだが、その順番とかに関係なく、一つだけ抜き出して、単発でやるとなると、改まってしまう。違うものと接しているように。
 だから、全体の中の一つで、順番の中の一つ。サンドイッチのように挟まれていたことになる。その両側のパンがなくなり、具だけになると、勝手が違う。掴みにくいし、食べにくい。そして既にサンドイッチではないのだが。
 日常での繰り返しでもそうだ。一つ何かが入ると、前後に影響するし、一つ抜かせば、間が開いてしまう。
 いつも通りだとこなれている。やることも決まっており、毎日やっていることなので、安心してできる。
 これは既成事実があり、それによって固まっているため。こういうのを固定概念とも言われるが、寄りかかれる柱のようなもので、ないとグニャグニャし不安定。
 固定概念は壊す気などなくても、同じことを繰り返しやっている間に、変わっていくもの。変える気はなくても。
 
   了
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2023年08月17日

4947話 盆提灯


 竹下は夜中滅多に目が覚めないのだが。トイレが近いのか、それで目を覚ました。昨夜、水を飲み過ぎたのかもしれない。
 気温は高くないが、妙に喉が渇いた。あまりないことなので、どこか調子でも悪いのかと思ったほど。それと寝る前にトイレに行かなかった。これは行くときの方が多いのだ、ない事はない。だから夜中に目を覚ますこともない事ではない。今までなかったわけではない。
 しかし、ないことなので、それはないのだが、たまにあるので、ないことと言うことではない。
 それで蒲団から立ち上がり、隣室を見たとき、ないことが起こっていた。決して見たことのない光景というか、映像ではない。隣の大きな部屋だが、普段はあまり使っていない。
 ただ、夏場は襖戸を取り払っているので二間が一つになったようなもの。使っていない部屋の方が広いのだが、広すぎるのでかえって使いにくい。それに寝起きしている部屋は庭に面しているので明るい。また夏場は風通しもいい。そちらの方が涼しい。
 その使っていないが、始終見ており、始終通っている部屋がおかしくなっていた。ベースはそのままだが、明るい。
 電気は付けていないが、薄明かりがあるので、トイレまでは電気を付けなくても通れる。しかし、付けていないのに明るい。
 その明かりは柔らかく、やや暖色気味で、ぼんやりと灯っている。提灯。すぐに竹下は気付いた。お盆は毎年出していたのだが、この何年かは使っていない。こういうのは初盆だけでいいのだろう。
 しかし数年は灯していた。そして一応はお盆の行事のようなもの、迎え火を花火のように燃やしたり、それなりのお供え物も買ってきて仏壇に供えていた。
 よく考えると、今日はお盆。誰が用意したのだろうか。勝手にそんなことをするわけがない。それに昨夜寝る前は盆提灯など出ていなかったのだ。
 その広い部屋の向こう側に部屋はいくつかある。そちらこそ使っていない部屋。試しに開けてみたが、誰もいない。いれば怖いだろう。
 誰がこんな支度をしたのか。
 仏壇を見ると、花がある。買った覚えはない。また、手前の台にお盆の供え餅が供えられている。小さな餅だ。これも買った覚えがない。
 竹下は薄々分かっていた。しかし、それを考えるのが怖いので、避けていた。
 しかし、挨拶ぐらいしないといけないと思い。来てたのですか。と仏壇に向かい声を掛けた。一応それが礼儀だろう。
 返事はなかったが、あったような気がする。何もないので用意したと。勝手にしたことなので、驚かせてしまった。寝ているものだと思っていた。朝になる前に片付けて、戻ろうかと思っていたのに。起きたのか。
 というような返事だったと思う。聞いたわけではない。
 毎年帰っていたわけじゃない。久しぶりに覗きに来ただけ。無事に過ごしているようなので、安心した。
 とも聞こえたような気がした。
 竹中はそのままトイレへ向かった。尿意が引っ込んでいたのだが、戻った。それで走るようにトイレに行き、戻ってくると、もう盆提灯も、花も。餅も消えていた。
 最初からそんなものはなかったのかもしれない。
 
   了

 
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2023年08月16日

4946話 自動実行キャラ


「これは誤解から生じていますなあ」
「そうだと思います。私はそんなことは考えていませんでした。思いもしなかったことになっています。きっと滝沢さんが誤解して」
「あなたにも責任があるかもしれませんよ」
「私は何もしていません。周囲が勝手に動いただけで」
「だから、その理由があなたにあるのですよ」
「何も思い当たりません。そんな原因が私にあるとは、私の責任だとおっしゃりたいのですか」
「責任云々じゃなく、そうなってしまうのです」
「私の責任になってしまうのですか」
「そうではなく、滝沢さんが誤解したとしても、誤解されるようなところがあなたにあるのです」
「それは解釈の問題で、私の問題ではないと思いますが」
「滝沢さんとはどんな人ですか」
「昔、少しだけ顔を見ただけです。少し話しましたが、関係は薄いです」
「だから、滝沢さんはあなたのことをよく知らなかったのでしょうねえ。それに昔の話だし。それであなたはそうするだろうという誤解が生じたのかもしれません」
「そうです。私をよく知っている人なら、そんな誤解はしないと思います」
「滝沢さんとは何処で知り合いました」
「何かの席で、何度か一緒になることがありました。大勢の人がいました。その中に滝沢さんがいたのを覚えています。だから顔と名前は知っています。それだけの関係なので、浅いです」
「何故、そんなところにいたのですか」
「誰が」
「あなたがです」
「誘われたので行きましが、あまり行きたくなかったのです。頼まれただけですが、断りたかったのです。本当は。しかし、ずるずると」
「じゃ、その席を拵えた人から頼まれたのですね。誘われたのですね」
「断り切れなかったもので」
「じゃ、滝沢さんの間に、その人が入っている」
「はい」
「しかし、その人とはそれほど親しくはない。そうじゃないのですか」
「親しくはしていましたが、仲がよかったわけではありません。何となくです」
「曖昧ですなあ」
「どういうことでしょうか」
「全てあなたから生じたこと。あなたが発生源なのです」
「そんなバカな」
「あなたの曖昧な動きと絡むようにして、その周囲の人間も自動的に絡んでくるのです。絡みたくなければ絡みませんがね。条件が揃えばあなたと絡んでくる。今回の誤解というのは、そういうことでしょう」
「言ってる意味が分かりませんが」
「決してあなたが引き起こしたことではありませんが、そういうふうに周囲は動くものです。あなたの責任とは言えませんがね。あなたに対してそういう動き方になるのです」
「そうですねえ。滝沢さんが誤解して、そんな動きをしたのかが、何となく分かりますが、私も滝沢さんのことなどよく知らないのですよ。滝沢さんも私のことをよくご存じないと思います。ですから適当にやったのでしょう」
「理解できましたか」
「そんな難しい話じゃありませんよ。身から出た錆と同等でしょ」
「まあ、そうなんですがね」
「あなたはいつもそう言う面倒臭く回りくどい説明をするのですか」
「特にあなたには」
「いいカモなんですね」
「一寸、自動実行キャラについて考えていたものですから、ついつい」
「はい、お大事に」
 
   了
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2023年08月15日

4945話 暑神の水羊羹


 暑い日が続いている。
 村の外れを歩いていた岩蔵は、老婆とすれ違う。妙な婆さんだ。百姓とは着物が違う。あまり見かけない顔。村人なら、ほぼ全員の顔を何となく知っている。それほどの数はいないので。
 岩蔵は後ろを振り返り、老婆の後頭部に声を掛ける。
「暑いですのう」と老婆はこたえる。
 他村の人かもしれないので、どちらからですかと尋ねる。
「この山の向こう側ですよ」
 その山は村の突き当たりで、その先は深い山が続いている。もう村はない。
「暑神様の機嫌が悪いようじゃな」
 聞いたことのない名だ。暑いので、暑神。分かりやすいが、そんな信仰があるのだろうか。しかし、全てに神が宿るというのだから、暑さにも寒さにも宿ってもおかしくない。それが信仰になるのかどうかは別。
 岩蔵は、あなたは誰ですかと、聞く。
「わしは神に仕える巫女のようなものですが、巫女にも色々とありましてな。わしの場合、色々な神々のお世話をするのが仕事です」
「誰から依頼されるのですか。神社ですか」
「神様から直接依頼されます。頼まれます」
 中間がない。直接取引のようなもの。間に何も入らない。直だ。
「何を頼まれたのですか」
「暑神様から水羊羹を供えてくれとのことじゃ」
「はあ」
「水羊羹。知らぬか」
「知っていますが、その神様、水羊羹を知っていると言うことですか。それが欲しいと」
「そうじゃ。そうすれば、この一帯は少しだけ暑さがましになるとか」
「じゃ、あなたは水羊羹を買いに行くところなのですか」
「そうじゃ。里に行けばあるじゃろ」
「この村にはありませんよ。町に出ないと」
「城下までか」
「そこは遠すぎましょう。村から少し行ったところに街道が交じるところがあります。町家が並んでいるので、饅頭屋か餅屋へ行けばあるでしょう」
「ありがとうな」
「いえいえ、でも菓子屋があれば、一番よろしいかと」
「買ったことがおありか」
「そういうのを売っていたのを見ただけですが」
「ああ、いい人と話せた。助かります」
 老婆は去って行った。
 山の奥、山の向こう側に住んでいると言っていたが、本当だろうか。もう村も家もないのに。もしかして山の裏側の他国から来たのだろうか。しかし、水羊羹を買いに山を越えてきたとは思えない。
 それにその暑神様のお宮は何処にあるのだろう。供えると言っていたのだから、そういう社があるはず。
 だが、建物などはなく、暑神様に直接渡すのかもしれない。
 岩蔵は山を見ながら目を下に落とすと、白い道が延びている。これから山菜採りに行くのだが、白い道が眩しい。
 そしてまた振り返ると、老婆の後ろ姿がまだ見えている。
 夢幻ではないようだが、あまり聞いたことのないことが岩蔵に起きたのだろう。
 
   了
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2023年08月14日

4944話 予定通り


 予想通り、予定通り。これは決まっていることで、先ずそのように行く。だから予定が立てられる。
 その予定、いつものようにすんなりと行くだろうという程度のものでも、そうならないことがある。だから実際にやってみるまでは分からない。
 たまに予想とは違うことになっていたりするので。外れたときの外れ方まで何となく予想しているが、たまにそういうことになるので、予想が外れても、あり得ることとして何とかしている。
 しかし、これは絶対に外れないだろうというのがある。そう言う場合、予想と言うよりも、決まり事をやるのと同じなので、気にしないでいい。
 どちらにしても現実はやってみるまで分からない。終わってみて、やはり予想通りだったと思うのだが、万が一というのがある。万に一つなら、殆ど起こらないのでだが、百に一つなら、あるかもしれない。十に一つなら頻繁に起こっているようなもの。半々だと、ほとんど決まっていないようなもの。予想が二つに割れる。そのためどちらに行ってもいいように接するだろう。
 先の現実はあらかじめ、もう決まっているなどというのは考えにくい。しかし、決まっているとまずいことなら、決まっていない方がいいが。
 といって現実は実際に起こるまでは未確定のままで、本人次第で、現実が決まるとも考えにくい。考えてもいいのだが、本人が関与しないものは現実には存在しないようなことになる。
 全てがなるようにしかならず、最初から決まった物語があるとしても、本人が直接関わることで、物語が変わるのではないか。
 しかし、予想していたことは、殆どそのようになる。どうなるのかが予測出来るためだ。ただ、確率が高いだけで、予想外も当然起こるが、それも予測していたりする。さらにそこからも外れるようなことは、本当の予想外で、予想する必要のないこと。これこそ万が一の事態だが、そこまで考慮しないだろう。普段の暮らしの中では。
 全てが順調で、予定通り、欲した通りに進み、何の憂いもないときでもガクンと床が揺れ、大地震。そういうこともあるのだが、避けられない災難では何ともならない。
 そういうことではなく、小さな予想。いつも通りに事が運ぶ程度の予想。これは上手く行って当然なのだが、それでも実際にやってみないと分からない。しかし無事にやり終えると、ほっとするわけではない。当たり前のことが当たり前のように進んだのだから、当然のように思うが、そうならなかったことを思うと、予想通り行くのは有り難いことだ。その確率は非常に高くても。
 
   了
 
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2023年08月13日

4943話 分割する


 しばらく続く用事があると、面倒だ。何かそれで時間が縛られる。時間を使わないと、用事ができない。用事をやると時間をそこで使うので、他のことができない。
 しかし、その他のこととは用事と言うほどではなく、やらなくてもいいこと。それが中断しても困らないのだが、ペースが狂う。
 飛び込みの用事は普段にはない用事で、いつもやっていることではない。似たようなものだが、頼まれ事だと相手がおり、決められた日までにやらないといけない。そこから逆算すると、日にどれぐらいの時間を割けばいいのかが分かる。急げば一日で終わることでも、それでは丸一日潰れてしまい、他のことができない。
 だから、いつもの用事の間に少し挟む程度。これなら時間はそれほどかからない。一日でできることを一週間ほど引き延ばす。延時間は同じなので、別に時間を掛けてやるわけではない。
 岸田は最近、その方法を使っている。日々の負担が少ないこと、あっという間に終わってしまう。
 しかし、一日で片付くことが一週間続くのだから、ずっと何かを背負っているようなもの。さっさと済ませた方が楽なのだが、そのプレッシャーがあると、張りが出来る。少しでもやったことで、それなりに充実する。
 山をならし、平坦にして、引き延ばしているだけなので盛り上がりがない。盛りが低いのだ。その代わり、あまり気を張らないで、平常心でできる。興奮しないで済む。熱中する前に一日分は終わってしまう。
 結局集中力は十分か二十分以内までだろう。もっと言えば、最初の五分ほどで決まってしまう。
 ここは凄い集中力がある。それを毎回使えるのだから、一日でやってしまうよりも、丁寧なのかもしれない。それだけ注意深くやっているのだから。
 そして、少ない時間でも、済ますと、ほっとし、満足感、充実感を少しは得られる。さらに全てを終わらせた最後の日は、肩の荷が全部落ち。スッキリする。
 それで岸田はこの方法を続けているのだが、意外とこの分割、悪くはないようだ。
 
   了
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2023年08月12日

4942話 勢い


 思っていたものと違ってくることがある。それは勢いのようなものと関係している。最初の頃の勢いが何処かでピークを迎えたのか、後半になると大人しくなっている。
 作田はそのことに気付いたのだが、また盛り返し、以前のようになり、さらにそれよりもさらに盛んになるだろうと期待していたのだが、下り坂のままのようで、最近はさらに下がっている。
 これはもう賞味期限が切れ、新鮮さや意外性などは、それ以上無理なところまで来ていたためかもしれない。もうやることがないのだ。
 あることはあるが、その手は使わないようだ。それで長持ちしていたのだろう。あまりやり過ぎると、やることがなくなる。やらないままだと可能性だけは残るので、まだ先があり、新たな展開が期待出来る。これは隠し球のようなものに近い。
 しかし、最近はやはり下り坂で、そういうことはもういいのだろう。ただただ長く続いているだけでも充分のようで、下手なことをするよりも、そのままの方がいいのかもしれない。
 作田はそう思うことにし、メインから外した。しかし、それに続くものがない。後継者が育っていないようなもの。
 それで、そういう期待そのものはもう諦めて、別のところで探すことにした。メイン替えだ。しかし、他の箇所でも似たようなことが起こっており、そこで勢いのあったものも、大人しくなっている。まるで連動しているような。そして同じ波を受けているような。
 これは全体がそんな風潮になっているのだろう。
 ただ、ずっと期待以上の展開を続けていたものもある。今はないが。よく考えると、ピーク時に終わっている。そのあと続けないで、最高潮のところで終わっている。だから、まだまだ期待出来たのだが、限界に達していたのだろう。
 そして長く続いているものは、限界に達し、ピークを過ぎてからも残っている。要するに下り坂なのだが、まだ続けているのだ。
 そういうタイプも作田は知っている。後半になると、もう興味もいかず、期待も消えていた。そして限界の限界に達したのか、そのあとはもうない。
 一度勢いを落とすと、二度と戻らないようで、復活することはない。だからその気配が少しでも見えると、作田は、これで終わりだと思うようになった。
 上り調子でなくても現状維持ならいいのだが、それも無理で、下りになる。勢いが落ち始める。するともう期待はできない。
 長く続くのは良いことだが、作田にとってのメインではなくなってしまう。
 世は移り変わり、同じ状態は続かないことを作田も知っているので、残念と言うしかないようだ。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 13:12| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする