2023年11月30日

5051話 迷い込む


 おかしな町や村に迷い込み、大変なことになる話がある。その場合、どうしてそこに迷い込んだのだろう。
 そこに迷い込んだ。これは考えられるが、迷子か。
 そしておかしな村。可笑しな村なら楽しそうだが、村に入ってからおかしさを感じるのはどうしてだろう。この場合、悪い方でのおかしさもあるが、何となくおかしげな場所とかもある。
 他の場所と比べて、何か違う。それを見たのだろう。こんな物が建っているはずがないとか一寸時代が違いすぎると思えるような。
 そういう場合は電柱を見ればいい。それがなければかなり昔だ。そして屋根が茅葺きで、一軒ではなく数軒だと、これはおかしいどころではない。観光地なら別だが、そういう場所ではない。
 町や村は普通だが、そこにいる人がおかしいとかもある。服装がおかしいとか、顔立ちが違うとか。こちらも怖いが。
 しかし、そういう所に行こうと思い、入り込んだのではなく、迷い込んだ。これは引っ張り込まれたのか、または偶然か。
 さらに迷い込む前はどうしていたのだろう。何かの目的でそのあたりに来ていたはず。その途中で迷い込んだことになる。
 それまでは迷子ではなかった。そしてどこかで迷い込んだことになる。
 その地点は分からないが、既に入り込んでしばらく進んでいたのかもしれない。そこは初めての場所なので、そんなものだと思っていた。まだはっきりと、これはおかしいというものに出合わなければ。
 迷い家、迷い里などが山中にあったりする。家なら規模は小さいが、里となると、スケールが大きい。人も多くいるだろう。
 その迷い里。遠くの方に見えるのなら、蜃気楼のようなもの。実感はないし、接触もまだない。
 ただ、そういう山中に突然現れた里などは不気味や不思議を通り越している。遠くにあるので、よく分からないため、そういう里があると思うのかもしれない。知らないだけで、ここにも村があると。
 ただ、遠目で見ていたとしても建物の形ぐらいは分かるはず。今のものなのか、古い時代のものなのかが。
 しかし、かなり古い家がまだ残っている可能性はある。逆に過去や現在ではなく未来の建物は希だろう。
 地図にない村とか隠れ里がもしあるとすれば、こっちの世界ではないのかもしれない。しかし、簡単に迷い込んだだけで行けるものではないだろう。
 
   了
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2023年11月29日

5050話 伏原の道士


「万策尽きたか」
「まだ方法はござります」
「方法?」
「どんな法じゃ」
「マジナイのようなものですが、他に策がないのなら、それも一考かと」
「一考はせぬ、やってくれ」
「しばらく猶予を」
「すぐにはできぬのか」
「遠方でございますので」
「では、すぐさま旅立てい」
「ははー」
 側近衆の中でも年かさの十兵衛は伏原へと向かった。馬は使わず、下僕一人を連れて。
 この下僕の方が年を取っているが、十兵衛よりも世間をよく知っている。流れ者だったのだが十兵衛に拾われた。良い知恵よりも悪知恵に秀でていた。
 伏原までは十日かかった。もう地の果てのような場所で、草の背がより高い。
「誠にそのような御仁がいるのか」十兵衛が聞く。
「そのように聞いています」
「確かか」
「さあ」
「まあいい。このあたりに住んでおるのだな」
「はい、伏原の道士と呼ばれているようです」
「まあいい。万策尽きておる。その道士に頼るしかなかろう」
「噂だけなので、私もよく分かりません」
「残る策はそれだけ。他にないのじゃからな」
「聞き間違いかもしれません」
「それはいいのだ。間違っておっても。伏原の道士を探すだけでもいい。またここまで来ただけでもいい」
「そんなものですか」
「殿も当てにはしておられんだろ」
「しかし、草深いところですねえ。私も諸国を放浪しましたが、こんな草の多いところは珍しいです」
「伏原なので、草も伏しておるかと思いきや、のびのびと伸びておる」
「人の高さを超えているのではありませんか」
「少し高いだけじゃ」
「これは探すのが大変です」
「探さなくてもいい」
「そうなんですか」
「おぬしが聞いた伏原の道士の話。ただの噂じゃろ」
「はい」
「だから、道士などいなくても不思議ではない。むしろいる方が不思議なほど」
「では、もっと奥へ入りましょう。一応、これは人が作った道のようですので、この道沿いに家でもあるのでしょう」
 しかし、奥へ進むほど草の背は高くなり、家があれば屋根を越えるほど。
「旦那様、これはいけません」
「いかんなあ。伏原の道士どころではない」
「そうでございます。この草の方が不気味で、怖いです」
 やがて空が筋にようにしか見えないほど左右の草が高くなっていた。そして暗い。
「これはおかしい」
「旦那様、これは本来ではありません」
「そうじゃな。本来なら、草がこんなに伸びるわけがない。それに根元を見よ。木のように太い」
「そうでございますなあ。だから倒れないのでしょうねえ」
「感心しておる場合ではない。しかし、道には生えておらん。これもおかしい」
「もしやして伏原の道士の術にかかったのではありませんか」
「おお、それなら納得できる」
「一寸呼んでみます」
「何を」
「道士を」
「ど、どうやって」
「声で呼ぶだけです」
「そうか、やってみい」
「道士様、頼み事があって訪ねてきたものです。どうかこの草を何とかしてください」
 すると、草の背がどんどん低くなり、圧迫感が消えた。元の長い目の草に戻った。
「伝わったようですね」
 しかし、その後、歩けど歩けど道士の家など出てこなかった。こんな所に家があるとは思えないので、道沿いではないのかもしれない。
 そしてさらに先へ進むと、高い草が低くなり、周囲も開け、山並みがよく見えるようになった。
「旦那様。戻されたようでございます」
「伏原の入り口にか」
「はい」
 道士に迷わされたのか、他の何かに迷わされたのかよく分からないが、伏原近くの村では、道士の仕業だといっている。
「もういいか。帰るぞ」
「お役目はいいのですか」
「策はないとはいえ、道士に頼むことが間違いじゃったのかもしれん」
「私が余計ことを言ったばかりに」
「それはいい。伏原の道士まで訪ねた言うことだけでいいじゃろう。殿も納得されるはず」
 城に戻ると、解決していた。策はなかったので、半月ほどそのままにしていたところ、不思議と収まっていた。
 まるで伏原の道士のマジナイが効いたかのように。
 
   了
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2023年11月28日

5049話 一寸


 一寸した変化でも流れが変わる。
 雰囲気とかムードが。これはいつもの世界が一寸変わる。ただ、この世界、個人的なものだ。枠は小さいが、そこから見ているだけ。
 一人ひと枠があり、そこからリアル世界を見ているのだが、それは実際には見えない。枠の中の世界しか見ていない。その枠を通して実際の世界を見ているのだが、世界は枠の中にあるとしか思っていない。実際に世界は今見ている世界では全く感知できないためだろう。枠を通してでないと。
 そのため、枠内である高田の世界での一寸した変化は大きい。全世界に影響するほど。ただ、宇宙の果てまでは及ばないかもしれないが、それは高田の枠の中の世界で宇宙をどう思っているのかによる。
 星々がただの点だとずっと思っているのなら、それが宇宙だ。しかし、一般常識として宇宙のあらまし程度は知っているだろう。自分で夜空を見て確認したわけではないが。
 そういう大がかりな話ではなく、箸が転ぶだけで笑う小娘のような話。その程度の一寸した出来事に類するが、箸は箸の話としてその後、尾を引かないが、大きく引くような出来事があると、一寸気になる。
 それが一寸したことでも、その延長線上にあるものを想像してしまう。一寸したことが一寸したことで済めばいいのだが、一寸が数センチになり一メートルになり、どんどん一寸ではなくなる可能性もある。
 箸はそれ以上転がらないし、小娘もいつまでも笑っていないが。
 高田の日常範囲内では、この一寸が無数にある。取るに足りぬ一寸から、もしかすると発展するのではないかと思われる一寸。
 逆に一寸した良いことが、その一寸だけで終わらず、まだまだ伸びていくとなると、これは期待ができる。
 しかし、一寸は一寸で終わることが多い。だがその一寸がスタートで、高田の世界が変わる可能性もある。だから一寸した変化に注意深くなる。これは良いことよりも悪いことが多い。
 一寸そこまで買い物にとか散歩で一寸が旅に変わる可能性は少ない。
 一寸旅に出るのはいいが、帰ってこないほどの長旅なら一寸ではない。
 高田は枠内での世界で暮らしているようなもの。高田ワールド。一寸した変化から枠組みが変わってしまうこともある。
 実際には枠も変わっていくので、子供の頃の枠と大人になってからの枠組みは違っている。いろいろと組み直されているため。
 その枠、大きくなったのか小さくなったのか分からないが、都合に合わせて成り行きでそうなったのだろう。
 その成り行きは一寸したことで変わり始める。しかし、一寸したことは多いので、どれが本命なのかはもう少し見ていないと分からない。
 小事の中に大事が潜んでいる。
 
   了

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2023年11月27日

5048話 あるはずないはず



 あるはずのものがない。ないはずのものがある。上田がそう思い込んでいるためかもしれない。あるはずだと、ないはずだと。
 これはあるなしの判断が甘かったのか、またはサッとそう思っただけで最初から間違っていたりする。
 だからあると思っていたのにない場合、最初からなかったのだ。
 しかし、最初にあると思ったのは勘違いだとしても、どう違えたのだろう。あると思いたい、あった方がいいという下心というか下地があるので、浮かび上がったのか。
 だが、いくら想像でもないものは浮かび上がらない。錯覚ではなく、それは妄想に近い。種がないので。
 つまり具体的なものが少しでもあれば見間違えることはある。
 だから上田の勘違いで、別のこと、別の場所のことと違えたのだろう。それですっきりするのだが、原因が思い当たらない勘違いもある。
 あるはずなのにないと言うのが謎のまま。また、ないはずのものがそこにあるというのも同じように謎のまま。きっと理由があるはずなのだが、見当が付かない。これはスッキリしない。
 そうなると、あるのにないは、本当のことかもしれない。その可能性もある。これは抽象的な意味の世界ではなく、テーブルの上にいつもある鉛筆がないと言うこと。
 これは鉛筆を移動させたのだろう。使ったときに戻していないとか。これは調べれば分かる。また思い出すこともできるだろう。または何かに触れてテーブルから落ちたとか。
 これはテーブルの下を見れば分かる。見つかれば、そういうことだったのかと謎も消える。
 しかし、いくら探してもない場合、これはあやしげな理由も出てくる。その鉛筆、胸のポケットに入っていたとすれば円満解決。
 テーブルの上の鉛筆が勝手に動き、少しだけ位置が違っていたとしても気付かなかったりする。鉛筆はそこにあるし、置いた覚えのないところに飛んだわけではない。少し位置が違っているだけなら意にも留めない。
 また鉛筆を常に注意しながら見ているわけではないので。当然誰かが使うために移動させて消えたのかもしれないが、上田は一人暮らしで、猫もいない。
 理由や原因は分からないが、現実としてそうなっている場合、あるのならあるとするしかない。ないのならないとするしかない。ただ、納得できないが。
 しかし、原因が分かれば何でもないこと。そして、ああそうだったのかと理解したい。それでスッキリする。氷塊。
 テーブルの上の鉛筆なら見えている世界なので、分かりやすいが、見えていない世界、覗くことが難しい世界では、あるがないになっていたり、ないがあるになっていたりしても、調べるのが難しい。
 ほとんどは思い込みや錯覚だったとしても、本当の理由は闇の中で、一生分からないかもしれない。では、その本当の理由とはなんだろう。
 他に該当するものがないだけかもしれない。
 
   了
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2023年11月26日

5047話 垂井の源平


「ここは垂井村ですね」
「そうだが」
「じゃ、垂井村の源平さんの家はどのあたりでしょうか」
「源平? 源平合戦のような名だが、そんな人はいないよ」
「ゲンペイではなく、ゲンベイさんです」
「あ、そう。ゲンペイと聞こえてしまった」
「じゃ、ゲンベイさんは」
「ゲンペイもゲンベエもいないと思うよ。村の者ならなら全部知っておる。ただ、昔、そんな人がいたかもしれないがね」
「旅先で出会った人です。ひと月前のことです」
「ほほう。その人が垂井村の源平と名乗ったのかい」
「いえ、旅笠に垂井村源平と書かれていました」
「どんな経緯で知り合ったのかは知らないが、名乗らなかったのだね」
「ゲンベイとだけは聞きました。お世話になりましたので、お礼を言いたくて」
「わざわざそれで垂井村まで」
「近くの明石村に来たついでに」
「明石ならお隣だ。近いね。それでついでにか」
「はい、明石村で垂井の人と出合いまして、それで思い出しました。近くにまで来ていると」
「誰だね。垂井の人とは」
「名前は聞いていません。垂井から来たとだけ」
「まあよく行き来するからねえ。明石村は石工が多い。石切場があるからねえ。だから一寸した町だよ」
「賑わっていました」
「あなた、行商か」
「はい」
「なるほど。えーとそれでなんだった」
「垂井村の源平さんです」
「その旅笠に書かれていただけだろ」
「それに源平という名はおかしいよ。しかし、垂井源氏なら分かるが、源平なら両方だ」
「だから、名前だと」
「しかし、ここらじゃ漢字は使わないよ。ただのゲンベイさんだ」
「でもその旅笠には」
「おかしいねえ。垂井村は他にもあるかもしれんよ。だから間違わないようにお国の名も書くんだがね」
「どちらにしても源平さんはいないと」
「この村にはね。しかし、よほどお世話になったんだねえ」
「いい人だったので、また合いたいと思いまして」
「そうかい。残念だったね。あいにくそんな人はいないよ」
「長々とありがとうございました」
「いやいや。暇だったのでね」
「あ、はい」
 
   了

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2023年11月25日

5046話 嘘気


「人の世は思う通りにはならぬものです」
「そうか」
「特に今回はうまくいかなくても当然。切に望んでおりませんでしたのでな」
「わしがか」
「そのように見えました」
「確かに真剣ではなかったかもしれぬのう。木刀を振り回していただけかも」
「だから、しくじっても仕方がありませぬ」
「うむ」
「やはり切に願わないといけません。そして本気で」
「わしは嘘気だったのか」
「嘘気?」
「嘘ではないが、できればなった方がいい程度」
「絶対なるよう挑まなかったからですよ」
「真剣になると、しくじったときが怖い。言い訳が立たぬからな」
「そうではないかと思っていました」
「軽いあたりでもいけるに超したことがなかろう」
「まあ、そうですが」
「それにしくじっても未練が少ない」
「でも、後悔しておられるのでは」
「わしがか」
「はい。本気でなくてもうまくいけたのにと」
「しかし、詰めでは本気を出したぞ」
「そのとき、いけると思いましたか」
「これは倒せると、思った」
「しかし、交わされました」
「無念じゃ」
「やはり後悔がおありだ」
「しくじったことには変わりはない。これは喜べんだろう」
「もし、最初から真剣に取り込んでおれば仕留めたかもしれませんぞ」
「その気はなかった」
「最初からですか」
「うむ」
「しかし、途中から真剣になり出したのですな」
「うむ、これは仕留めたいと」
「世の中、思う通りには行かぬもの。そういうことでございます」
「よくあることなんじゃ」
「そうです」
「そういうことが多いのう」
「まっ、都合のいい望みは持たぬ事ですぞ、殿」
「教えられてばかりじゃ」
「それがしの役目ですので」
 
   了
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2023年11月24日

5045話 ハプニング


 同じ道筋を毎日散歩している山田。
 散歩なので道を散らしてもいい。いくらでも道筋を変えられる。しかし山田はいつも決まったコース。道順を変えない。
 変える必要がないので、同じ所ばかり通っている。それは散策や探索ではないため。一寸外を歩きたいだけ。
 歩いているだけでもう十分。そして慣れた景色なので、安定している。逆に刺激が少ない方がいい。四季折々それなりの変化があるし、日々の天気で景色も変わる。
 高くそびえる樹木も青空の青地で冴える。その程度の変化でも良いと思っているのだが、たまには全く違う風景も見たいと思うことがある。切に望んでいないので何となく。
 同じものばかり見ていると印象に残りにくい。まあ数日前に食べた夕食のおかずも忘れるのだから散歩も似たようなもの。ただ、少しは目先を変えてみたいとは思う。
 だが山田は実行しない。邪魔くさいのだ。そういう積極的なことが。散歩なのでゆっくりしたい。余計な行動をしたくないし、そういう挑み方は合わないのだろう。散歩なので。
 しかし、たまには目先は変えたいというのはなくはない。山田から仕掛けることはないだけ。一寸決心がいる。何か違うことをやるためだ。
 しかし、その日、いつものコースが途中で切れた。何かの工事中で通れない。ただ車両は通れないが人は通れるようだが、狭い。
 それに整理員もいるし、面倒なので、すぐ横にある枝道に入った。強制的ではない。通れるのだが、通りたくなかったのだ。
 これがきっかけ、トリガー。山田から起こしたアクションではない。工事中が導いた変更。強制ではないが、そういう抵抗体があるので避けたいだけ。
 それで、右側の道に入る。こちらの方が広い道。車が多いので、通りたくない道なのでコースから外している。
 そしてしばらく行くと、細い道があったので、そこに入り込む。
 目先が変わった。風景が変わった。いつもその時間帯に見ているものではない。
 しかし山田はこれは少しは望んでいた変化。山田が起こした変化ではなく、他動。
 こういうアクシデントとかハプニングで動きが変わることを山田は知る。テコでも動かなかった散歩コースが動いた。突然の何かで。
 見るもの聞くもの珍しい竜宮城に入ったわけではないが、それに近い変化。
 ただ、散歩コース内の風景と似たようなものだが、家が違うし道も違うし、塀も違うし、樹木も違う。
 それで山田は一寸新鮮な気持ちになる。
 やろうと思えばいつでもできるのだが、やれなかったことができた。
 
   了
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2023年11月23日

5044話 一家言封じ


「岩田さんは一家言のある人です」
「うるさそうだな」
「凡人とは違います」
「面倒な人だな、岩田さんは」
「そうなんです。少しものを言えば、それは違うとか、本当はこうだとか、いちいち突っ込んできます」
「意見が多いのか」
「だから迂闊に喋れません」
「普通の会話でもそうか? 挨拶程度でも」
「そこまでは突っ込んできませんが、機嫌の悪いときは絡んできます」
「厄介だなあ」
「はい、鼻つまみ者です」
「それは言い過ぎだろ。賢い人だし」
「賢さを誇ると言いますか、じゃじゃ漏れで」
「うまい言い方だが、それも言い過ぎ」
「そこでなんですか」
「何をして欲しい」
「平田さんの鼻をへし折ってやりたいのです。その口を黙らせたい」
「それじゃ話もできんではないか」
「いえ、意見を言うのを控えてもらえる程度の」
「しかし、意見があるのはいいことだ」
「しかし、その意見、独特なのです」
「ほう、それは素晴らしいではないか」
「一家言ありすぎで」
「加減して欲しい程度か」
「はい、くどくしつこく自説を述べられるのを押さえて欲しいのです」
「それが問題か」
「参考になりますが、私は平田さんの意見にはあまり賛成できないのです。意見としてはいいのですが、私には合わない。だから長々と話されているのを聞いているだけでイライラしてきます。それに最後まで聞かなくても結論は分かっているのです」
「まあ、そういう人もいる。一家言あり自説のある人はな。別に害はなかろう」
「では、駄目ですか。黙らせるのは」
「一家言癖だな」
「癖なのですか」
「ここに癖封じの呪文がある。これを心の中で唱えなさい」
「あ、助けてくれるのですね」
「君の頼みだ。断るわけにはいかんだろ」
「早速その呪文を暗記し、今度平田さんと会ったとき、唱えてみます」
「平田さんが語り始めたとき、耳を塞ぐのではなく、すっと唱えるのじゃ。これは効く」
「はい、ありがとうございました」
 
   了
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2023年11月22日

5043話 名僧の迷走


 繊香寺の客僧に、年老いた僧がおり、長く滞在している。といっても寺の外にある宿坊のようなところで、普段は閉まっている。
 宿坊として使うのは大きな行事とかがあったとき。少し身分の高い人の葬儀や法事などでの控え室のようなもの。ここで着替えたり休憩したりする。寺の中にも客間は数間あるが、人が多いと入りきれない。
 老僧は宿坊にいる。寺院内の客間では人目が気になるのだろう。宿坊なら手伝いの人が通いで来るだけ。
 食べるものは寺から運ばれてくる。寺の人は接客しない。手伝いに来ている百姓家の人も運ぶだけ。
 しかし、この宿坊、結構客が多い。老僧と話がしたいらしい。寺の坊さんよりも気楽なためだろう。ずっといる人ではないので。
 そこに若い武士がやってきた。城下でその噂を聞いたようだが、聞き間違っている。名僧だという噂なので。
「中庸を心がけていますが、なかなかそうはいきません。どうすればいいのでしょうか。修行が足りないのでしょうか。気持ちを押さえるのも大変だし、奮い起こすのも大変です。でも勝手に心は動き、ざわつきます」
「あ、そう」
「何かお知恵を」
「そういうのは昔からいわれていることで、それを教える賢者も多くいるでしょ。しかしじゃ、その賢者、本人はどうなのかな」
「といわれますと」
「そんな中庸などを保つことはできんのじゃよ」
「では、どうすればよろしいでしょうか」
「わしのような野僧が知るわけがない」
「名僧だと聞きました」
「間違いじゃ、それは濡れ衣に近い。迷惑じゃ」
「どうしてでございますか」
「名僧のふりをするのは疲れる。おちおち昼寝もできん」
「何でもよろしいですから、先ほどの問いに答えていただければ幸いです」
「気が動けば動かしておけばいい。そのうち戻る」
「物事の判断は」
「どちらでもよろしい。同じようなものじゃ」
「でも真逆になりますが」
「気が向いた方を選べばいい。真ん中などない。まあ、できれば、どちらでもない選択肢があれば、それを選べばいいが、それで気が済めばの話で、選びたいほうがあるのなら、それを選べばいい。我慢することはないが、我慢してもいい」
「どっちなのですか」
「時と場合にもよるし、そのときの気分にもよる」
「気分次第で決めていいのでしょうか」
「嫌なら決めなくてもいい。押さえられんほどの気持ちになっておらん証拠」
「やはりあなたは名僧です」
「適当に言っておるだけ、信じるでない」
「それともう一つお聞きしたいのですが、幸せになりたいのですが」
「ならなくてもいい」
「はあ」
「そんな望みがない方がすっきりするし、楽になるぞ」
「悟りとはいかがなものなのでしょう」
「いかがわしいものよ。しかし、まとめて聞くな」
「ついでなので」
「そうか。聞いても仕方があるまい」
「どうしてですか」
「聞くだけなのでな」
「はい」
「知恵が付くだけ。困ったものじゃ」
「それから、もう一つ」
「かなり答えたぞ。もう疲れた。そろそろ膳が寺から運ばれて来る時刻。飯時じゃ」
「失礼しました。退散します」
「退散か」
「はあ」
「まあいい。今日はここまでにしてくれ。疲れた」
「はい、ありがとうございました。これは謝礼です」
「こう言うのを謝礼というのか」
「ただ聞きではいけませんので」
「それは義理堅い」
「いえいえ」
「また訪ねてもよろしいでしょうか」
「まだ、ここにいたらな」
「あ、はい」
 
   了

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2023年11月21日

5042話 仮流


 いつもの流れと、そのとき急に浮かんだ流れがある。 しかし、いつもの流れから外れるので、予定通りではない。
 組んだ予定とは違う。その流れも今までの流れから来ており、妥当な流れ。安全とは言い切れないが、まずまずの流れで、日常業務を淡々とやるようなもの。
 だが、これが縛りになり、そこから外れると先がどうなるのかが分かりにくくなる。つまり不安定。
 しかし、急に浮かんだ流れ、それに乗りたがっている。こちらの方が自然なのだが、これは気まぐれに近い。だが、いつもの流れの先端でごく自然に出てきたものなので、こちらの方が本来自然なのだが、いつもの流れがそうさせてくれない。
 こちらは妥当な流れなので悪くはない。ただ、これは決め事に近い。そのいつもの流れに乗れば、その先もほぼいつも通りの結果になるだろう。
 非常に練られた流れで、完成度も高いため。深く考えなくても乗ればいいだけで、自動的に決まるべくして決まる。
 ただ、そのいつもの流れも固定したものではない。最近の流れなので、少し前なら別の流れになっている。これはどうしてできたのかは分からない。こも方がいいだろうとか、今はこれがいい感じで乗りやすいとかになる。だから決して機械的な決め方をしたわけではない。
 だから悪い流れではないのだが、急に思いついた流れの方が魅力的で、今やるのはこれだろうと思われる。
 しかし、流れを変えることになるので、少し躊躇する。失敗すれば、余計なことをしたようなものだが、これもまたいつもの流れを作るときに参考にはなるが。
 いつもの流れとは決まったことしかやらないようなもので、冒険がない。ただリスクは少ない。
 だが、急に浮かんだ流れ、決まり事があるので、今は無視ではもったいない。惜しい。
 その浮かんだものとはいつもの流れには入っていないもので、いつも通りだとそこに至ることはできない。
 それをいつもの流れの中に入れると、あとが面倒になるほど流れそのものが変わるため、枠外に置いている。しかし、それはいずれ行く流れで、今ではないと言うだけ。
 こういうそのとき思い浮かんだ自然な流れというのがその後影響を与え、新たな流れになっていくのだろう。徐々に流れが変わる程度で、いつもの流れもある程度残っている。
 そしていつもの流れと言っても、そういう風に変わっていったのだろう。それが今のところ主流だが、急に思い浮かんだものが、それを変えたのかもしれない。
 何が自然な流れかは分からないが、不自然な流れも含めて、ごっちゃになって流れている。意味が見いだすのはそのあと。
 いつもの流れは暫定的な仮流にしか過ぎないのかもしれない。しかしある方が分かりやすい。
 
   了
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2023年11月20日

5041話 何もない一日


 事通りのことが事通り運んでいくだけで、特に今のところ何もない一日のようだ。
 竹村はこういう日は珍しいのではないかと思われた。面白味のない日。
 ではいつもは面白いことがあるのかというと、そこまで面白くはないが、何かある。
 一寸した刺激物のようなもので、おやっと思わせるようなものがある。結果的には大したことではなく、魚釣りのウキが波や風で動くが下へすっと引かない。
 あるべき事があるべきように動いているだけ。変化がない。そういう日もたまにあるのだが、まさに面白味のない日。
 これはこなしやすいのだが、退屈さが顔を覗かせる。嘘でもいいので、一寸したものが欲しい。期待させるだけのものでもいい。
 だが、平穏の中にも刺激的なものも含まれているのだが、これは慣れた刺激なので、もう麻痺してしまい、刺激だとは思えなくなっている。以前なら十分刺激的だったはずだが。
 その状態、竹村はまずいとまでは思っていないが、なぜか面白げが足りないとは感じる。
 別に面白くなくてもいい。怖いことや不安になるようなことでは困る。そちらの刺激ではない。安全な刺激だ。そして大きすぎても多すぎても困る。微妙なところ。
 これはこの機会にテコ入れすべきではないかと竹村は考えたりする。一寸変えてみること自体が刺激を生むので。外にないのなら、内側からという作戦。しかし、これは面倒なことになる。いつもを変えてしまうのだから。
 だから、そういう面白味のない日があっても仕方がないと思う方が無難。これは外からやってくるので、受け取りやすさを工夫する程度。
 そして竹村も徐々に変化する。面白さも変わるということだ。だからあえて内側を変える必要はない。勝手に変わっていくのだから。その証拠に、昔とは違うものを待つようになる。当然竹村側からも仕掛けるが。
 また、竹村は発想を変えることもよくやる。態度や姿勢を変える。だが、これはすぐに戻ってしまい、三日も続かなかったりする。すぐに素に戻されるのだ。
 その素も本当は変化している。これも無理に素を変える必要はない。
 何もない面白味のない一日。これはこれで無事に一日を終えたとすれば、それだけでも十分かもしれない。
 その日、竹村はまだ終えていない。何もない一日のはずでも、もしかすると。
 
   了
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2023年11月19日

5040話 とんでもない話


「とんでもないことは起こるものですよ」
 老人が語り出す。聞いているのは求道者。何の道なのかは定かではない。ただただ追いかけているだけ。強いていえばこの世の謎がメインだろう。
 若者は物知りで知られる老人の住処をやっと捜し当て、それを聞くことにした。こういうことは自分で考えればいいのだが、それだけでは頼りないので、人の意見も聞くようにしている。
「とんでもないことは確かに起こっていますが、その時期に達したのか、偶然か、一寸した手違いとかが多いと思いますが」
「人ならそういうことでしか理解できん」
「はい。それも承知しています」
「知っておるのか。それはよく学んだのう」
「人知では計り知れぬと言われておりますので」
「計りようがないし、感じようもない。想像もできんからのう」
「想像できる頭ではないのですね」
「頭の中で映せるものには限界がある」
「何となく、そこまでは分かりますが、何とか分かる方法はないのですか」
「何を」
「ですから、たまに起きるとんでもないような事柄です」
「それはまだ浅い。そういうことが起こっておることを感知できるのじゃからな」
「その辺がどうも難解でして」
「難しいか」
「はい」
「それは感じることもできん。しかし、人にも分かる感じ方はする。だが、そうなると平面的なり、ありふれたことになる。奥まで感じる頭がないためだ。また想像することもできん。それができたとしても、もう常人ではいられないだろうな」
「たまにそういう変わった人がいますが、そういうものを見る力があったからですか」
「そんな目はない」
「ややこしいですねえ」
「それを見てしまうと、常人の目とは違ってしまう。だから生きてはいけん。森の中でぽつりと暮らすのならいいがな。しかしそんな生活などできんだろ」
「何でしょう。常人には見えない世界とは」
「その辺にゴロゴロ転がっておる。探さなくとも」
「え」
「気がつかんだけで。出たり入ったり、触ったり持ったりしておる」
「どういうことでしょうか」
「気付かんだけ」
「何か不安定になってきました」
「気にし出すと常人ではいられなくなる。だから君の探求はやめたが良い」
「あなたはどうなのです」
「わしは、そういうことだろうと思っておるだけで、常人の内」
「はい」
「この寓居、君が帰るとき、一歩外に出ると、別のところに出るかもしれぬ。しかし、それも分からないで、戻っていくだろう。それでいいのじゃ」
 若者は老人と別れ、その建物から外に出た。
 入ったときと同じ場所にように思われるし、また村まで続く道も来たときと同じで別世界とは思えない。しかし、そういう気で見ると、何やら違う道のように思える。
 そして振り返ると、老人の家がぽつりとある。消えていない。
 それは若者がそう思っているだけのことかもしれないが、あの老人が言うこの世のからくりを知ったとしても、知るだけで、実感はないのだろう。
 
   了
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2023年11月18日

5039話 足音の怪


 誰も近くに人がいない歩道。
 後ろから足音のようなものが聞こえる。吉田は聞き耳を立てていたわけではない。
 ひと気がないことを確認しないといけないようなことをしているわけではない。だから、普通にそういう音、気配のようなものを受ける。風が吹けば風を感じるようなもの。
 歩道に落ち葉。サクサクとそれを踏む音だろうか。吉田の足音を聞いているのかもしれない。その足音、足下から聞こえるはずだが、それにしてはもう少し後方から。
 振り向くと当然そんな人はいない。歩道の奥にも人影が見えないが、横切る自転車や車が遠目で見える程度。だから、後方は無人。
 前方は信号待ちをしている人影が見える。かなり距離があるので、先ほどの音とは無関係だろう。
 歩道の右に車道がある。車はたまに通る程度。その車からの音かもしれない。
 そう思いながら今度聞こえたときは車道を見ることにする。
 そして車が通過した。足音のような音は聞こえない。
 そしてしばらくすると、カサカサッとまた音がする。すぐに後ろを見たが車も人もいない。同じ音だ。左側は家が並んでいる。そこからの音だとしても、カサカサ音をすべての家から出ているわけではない。そんな音ではない。
 落ち葉を踏む音で、しかもすぐ後ろ側から。
 しかし、カサカサという音とは少し違う。だが、カサカサが一番近い。それは足音だと思うので、カサカサと聞こえるのだろう。
 コートの裾がズボンとかに触れているのかもしれない。つばのある帽子の端がフードや襟に触れて、こすれたような音がすることもある。そのときもカサカサだが、これは後頭部から聞こえるので、かなり近い。
 吉田が聞いている音はもう少し後ろで下の方から。だから後ろから来る人の足音が妥当なのだ。
 しかし、何度振り返ってもそんな人はいないない。当然犬が追いかけてきているわけではない。歩道のタイルと落ち葉が見えるだけ。
 何もないし、誰も後ろにいないのだから、もう仕方がない。きっと何かからの音だろうが、内面からの音も疑うが、それなら耳を塞いでも聞こえてくるだろう。実際にそれもやってみたが、幻聴ではない。
 また鼓膜周辺にゴミでもついているのかと、そこまで考えたが、もう十分だろう。考察のしすぎだ。
 そして、先ほど遠目で見ていた信号まで来て、道を渡ったあたりから、もうあの音は聞こえなくなった。
 そして吉田の後方から人が近づいてくるのが分かった。追い抜く気だ。歩道の落ち葉は先ほどと同じ状態。ここで確かめられる。
 後ろの人はサッと追い抜いた。近づいてくるとき、足音も気配もしなかった。
 それに吉田の横を追い越したのではなく、真後ろから来てそのまま吉田のすぐ前に背中を見せていた。
 
   了
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2023年11月17日

5038話 納屋


 引田は最近簡単に済まそうと思うことが多くなった。簡単というより簡潔に、できればしなくてもいいように。
 これは邪魔くさいとか面倒とかが先に立つためだろう。それをしなければさらに邪魔くさいことになるのなら別だが、それがかなり先で、可能性としては低い場合、やらない方を選ぶようだ。
 そして引田は最近引っ込み思案で、その名の通り引き気味。控えめではなく、手を引いてしまう。
 当然出不精になり、消極的。それだけ気力も体力も落ちたのだろう。
 これを良いように言うと落ち着いたことになるが、これは落とさないと着地できない。ただ、その地面が最下層かというとそうではなく、もっと下がある。
 そこまで行くと寝ているときの落ち着きと変わらないのだが。
 だが、寝ているときでも悪夢は見るし、喜怒哀楽もある。その夢の最中は決して落ち着いていない。
 その日は小春日和。引田は珍しく散歩に出かけた。普段はそんなことはしない。後で考えると、それは魔が差したような状態。
 引田にとっては積極的な行動。いつもとは違うことをしているので。
 隣近所から少し離れたところまで来たとき「落ち着いたか、落ち着いたか」と声が聞こえてくる。そんな声などするのだから、落ち着いている状態ではないが、素直にその声を引田は聞いている。雀がさえずっているのと同レベルの音として。
 よく考えると、そんな声など聞こえるのは異常現象。驚かないといけない。
 その声、音源には方向があり、右から聞こえてくる。丁度右へ曲がる道があるので、引田はその道に入り込んだ。
 これは意志的なのか、引き込まれたのかは分からない。気がつけば、入っていたのだ。
 しかし、その道、住宅街の生活道路で、よくある通り。どの家も新しいのは、この前まで田んぼだったため。
 そのため、昔からあるのは農具入れの納屋程度。しかしそれ消えているはず。
 そのはずだが、安っぽい一戸建ての建売住宅の並びに、その納屋があるではないか。
 そして「落ち着いたか」という声は、その納屋から出ているようだ。納屋の前を通り過ぎると、後ろから音が聞こえるので。
 納屋がなぜ「落ち着いたか」と言うのだろう。言うわけがない。納屋ではなく、その中に入っているものかもしれない。
 しかし、それ以前に田畑もないのに、納屋だけがあるのはおかしい。それに農家が田んぼを売ったとき、この納屋のあるところだけ売らなかったのか。
 納屋の周囲は塀で、その奥は児童公園になっている。だから納屋のある敷地は細長い。公園に出るための小道なのかもしれないが、納屋が邪魔をしている。納屋の横の余地のようなところをすり抜けないと、公園には出られない。
 引田は、そういうことよりも、音の正体を確かめるため、納屋を開けた。鍵はかかっていない。
 ぐっと横へその戸を引くと、開いた。
 中は農具類が入っているが、どれも錆び付いている。
 そして、大きい目の声で「落ち着いたか」と聞こえる。
 これが引田の見ている夢だとすれば、何を示唆しているのだろう。どういうメッセージだろう。
 引田は、意味が分からないので、納屋から出て戸を閉めた。
 そんな意味よりも、音の出場所が分かっただけでもいいだろう。
 そして、この納屋、翌日行ってみるとなかったりする。
 
   了
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2023年11月16日

5037話 謎のまま


「急にまた寒くなりましたなあ」
「秋が深まったのでしょ」
「今日などはすでに冬ですぞ」
「まだ、紅葉も始まりだしたばかりなのにね」
「木枯らしも吹いていません」
「一号とか二号ですね。一号は派手ですが、二号になるともう話題にならない」
「同じようなものですからね」
「しかし、この寒さ、すぐに収まるでしょう」
「この前までと違い十度ほど低い。これは体調に来ますよ」
「逆に私は背筋がシャキッとします。寒さに身構え、立ち向かう。その姿勢もいいものですよ。ずっとなら疲れますし、一寸気を抜けば、寒さが倍ほど来ますが」
「じゃ、普通に寒がっておればいいのですな。倍返しもないし」
「まあ、一寸寒いだけなので、大した問題じゃありませんが、体調を崩すと問題ですなあ。調子が悪くなるとか、持病が出るとか」
「まあ、毎年のことですから、慣れたことでしょ」
「そうですなあ。寝込むほどじゃない」
「しかし、ここへ出てこられるだけでもいいんじゃないのですか。なんやかんやといいながらも元気なんです」
「元気じゃないときもありますが、まあ、そういうことですねえ」
「でも、いつも思うのは、ここはどこなんでしょう」
「それを言っちゃ駄目だ。ここは夢の中だと思えばいい」
「じゃ、私もあなたも寝ているわけですか。じゃ、時間的には夜中だ」
「そうかもしれません」
「でも、どこなんでしょうねえ、ここは」
「毎日来ているので、気にはしていないのですが、そう言われれば、おかしな場所です」
「そうです。椅子もあるしテーブルもある。屋外ではなく屋内だ」
「これで特定できるでしょ」
「時代劇の世界じゃない。現代劇だ」
「そうですなあ。あなたの服装でも分かります。私の服もそうですが、こんな服、持っていたのでしょうかね」
「それは私も同じです。見覚えのない服です。いつもここでは服など見ていないので、こうして改めて見ると不思議です」
「さっきトイレへ寄ったのですがね。鏡がありました」
「写っていなかったと」
「写っていましたが、これが私の顔なのかと驚きました」
「写っていないだけ、ましでしょ」
「そうですねえ」
「しかし、ここはどこなんでしょう」
「きっと夢の世界ですよ」
「二人とも寝ていて同じ夢を見ているわけですか」
「いや、どちらかの夢でしょ」
「どちらですか。私ですか、あなたですか」
「それは分かりませんが、私だと思っている方の夢でしょうねえ」
「ああ、なるほど。これで氷解しました」
「根本的なところは謎のままですよ」
「そうですなあ」
 
   了

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2023年11月15日

5036話 本筋


 何が良いのかはその都度変わるが、それは細かな変化で、基本パターン、本筋、傾向からは大きく逸れていない。
 竹田はそう思っていたのが、徐々に変化することで、その先、その先へと進んでいくうちに、本筋から離れていることに気付いた。
 それが気付かないほど自然だった。ただ、薄々分かっていた。
 境界線のようなものがあり、それを超えるとき、抵抗があったが、かなり詰め寄っていたので、すんなりと渡れたのだろう。越せたといってもいい。それは今までの本筋の延長線上にあるものだとごまかしたためかもしれない。成り行き上そうなると。
 ではこれまでの竹田の本筋とは何だったのか。それほどはっきりとはしていなかったのかもしれない。簡単に別のところに飛んだわけではなく、変更したわけではない。成り行き上、そうなっただけ。
 これ何だろうかと竹田は室長に聞いてみた。
「また、余計なことをやっているねえ竹田君」
「ここは大事なところです。本筋を変えてしまうような状況です」
「大層な」
「でも、最初の方針とは違います」
「しかしだね、やってることは同じでしょ」
「まあ、そうですが、違うことをやっているようなものです」
「同じだと思いますよ。それに本筋がどうのとかは考えない方がよろしいですよ」
「はあ」
「本筋なんて最後の最後に分かるもの」
「え」
「今はそんなことなど考えないで、進めていくことです。紆余曲折、方向が定まっているようで、違う方向がその都度見えてくる。その過程が道筋。それが竹田君の本筋ということになります」
「でも僕だけの本筋になりますが」
「そういうものです。それに本筋なんて、あってないようなもの。振り返ればそういう筋があったと思う程度ですよ」
「筋違いもないのですか」
「違えたかどうかは先へ行ってみないと分かりませんよ」
「筋書き通りに行きたいのですが。それで筋書きとは違うところに出てしまい、本筋から外れました」
「じゃ、そこからまた筋書きを書けばいいのですよ」
「恐ろしいことを」
「何が恐ろしいのですか、竹田君」
「そんなのでいいのですか」
「適当でいいのですよ。思いつくままで、行ってみて駄目なら、別の道を行けばいい。なければ作ればいいし、嫌なら道なき道を進めばいい。それでは通れないのなら、通れそうなところまで回り込めばいい」
「まさに探求ですねえ」
「だから本筋にばかりこだわる必要はないのですよ」
「先生もそうですか」
「いや、私は怖いので、本筋にしがみついています。だからいくらたってもここの室長のまま」
「でも本当は怖いことも考えているのですね」
「何が怖いのかね、竹田君」
「いえ、別に」
 
   了
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2023年11月14日

5035話 満足を得る


 好貴寺の長老が真理を得たようだ。悟ったのだろうか。しかし呆けてはいない。表情にも喜怒哀楽があり、感情も露骨に出る方だ。これは悟っていないはずだが、得た真理とは何だろう。
 好貴寺近くの城主が興味があるのか、酔狂なのか、聞きに行った。
「真理とはどのようなものでございますかな。おそらく言葉で言い表せぬと思われますが、あえてお話下されまいか」
「満足」
「はあ」
「満足を得ること」
「ええ、それが真理でございますか。それはまた分かりやすい。そのままでございますなあ。私にも思いつきそうなことですが、そんな簡単なものではないと思い、見逃しておりました」
「お殿様はそういうことを思うのがお好きですか」
「はい、お好きです」
「では、満足を得るというのでは不足でしょ」
「しかし、思い当たることがつつありますので、そうかもしれませんなあ。それに面倒なことを思わなくてもいいし」
「不満なら満足を得るように動く。それだけでしょ」「人が生きていることとはそういうことなのですか」
「あなたも城を任されているだけではなく、持ち城が欲しいでしょ。一国一城の主になるのが望みでしょ」
「そうです。城主といってもただの家来。意のままにはなりません。それにいつ別の役目を仰せつかるか分かりません」
「不満ですか」
「いえいえ、城主になれたのですから、満足です」
「次の望みはないのですか」
「本当の城持ちになりたい」
「不満だからでしょ」
「一カ所で根付きたいのです。今はこの地にいて好貴寺にもすぐに行けますが、遠く離れた城にいつ行かされるか分かったものじゃない」
「やはり不満なのですね」
「大きな声では言えませんが。それに私が欲張りなだけ。今の地位でも十分ありがたいですし、満足しておりますが」
「しかし、少しは不満」
「それを言い出すときりがありませんからなあ」
「では、真理をお教えしたので、もういいでしょ」
「あ、長居しました」
「それほど長くはありませんが、これ以上話すことはありません」
「満足を得るということでしたね」
「童でも知っていることでしょ」
「はい」
「何が満足なのかは、人によりけり。つまらないことでも、損をすることでも満足を得たりするもの」
「はい、肝に銘じます」
「この真理、満足を得ましたか」
「いいえ」
「あ、そう」
 
   了

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2023年11月13日

5034話 心道


 城下外れの廃寺だったところが道場になっている。道の場、ここは心道の道場。精神修養の学校のようなものだが、私塾ではなく、道場と言い張っている。
 道場主は元僧侶で、その廃寺の本山と縁があるため、寺を借りている。廃寺といっても廃墟ではなく、寺を廃した無人の寺という程度。
 壊れたわけではない。寺はそのまま残っている。空き寺だが、檀家が減り、成り立たなくなったので閉めたようなもの。
 何を教えているのかは分からないが門弟は多い。一寸変わったところで、気楽さがある。堅苦しさがない。
 道場主は精神修養はできていないようで、落ち着きのない人で、徳も感じられない。かなり俗っぽい。
 弟子は武家の子息たちで、月謝も安いので、親も通わせている。別棟に寺子屋のようなのもあり、ここは百姓でも通えるが、別の人がやっている。この先生は若いが、道場主よりも人格があるようだ。真面目でしっかりとした人。心道の先生もこの人がやれば似合うのだが。
 さて、心道の教えとは何だろう。弟子たちもよく分からない。道場主も分からないらしい。それなら誰も分からない教えを語っていることになるのだが、実際は心の有り様を語っている。これが大部分だ。
 これは心のありがちなことを話しているだけで、だからどうすればいいのかというところへは持って行かない。また、持って行き場所がないのだろう。
 果たしてこれが精神修養になるのかどうかは分からない。優しい先生ではないが、厳しい先生ではない。心の有り様を綿々と語っているだけ。
 これは法話に近いのだが、道場主が作ったものがほとんど。実話もあるが、それでは足りないので、創作ものが多い。ことわざを勝手に作っているようなもの。
 その中には笑い話、滑稽談も多く含まれている。これは受けが良い。
 道場主は元僧侶。しかし嘘の多い人で、坊主としては一寸という感じで、還俗。俗の世界の俗人に戻ったわけだが、それで生き生きとし、心道の道場をを開いた。
 元々こういうインチキ臭いことが合っていたのだろう。
 心の道。そんなものはない。だから、いくらでも嘘がつける。ただそれは方便として通る。
 人はこうあるべきだという教えではなく、人の心とはこんなものだということだろう。そのため説教臭さがない。
 弟子たちは修養ではなく、息抜きで来ているようだ。
 
   了
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2023年11月12日

5033話 万が一


 これはどうせ駄目だろうと思うことを武田はやってみた。ダメモトではない。思ってもいない成果を得たのではなく、それは適当でいいことだった。
 本当はそこではない。その範囲内にはあるが、それではない。だから結果は駄目だった、でよい。
 そこでエネルギーを使うのは惜しい。時間的にも。それではないのだから。それにそれほどいいものだとは思えないので、本来ならキャンセル。
 しかし、もったいないので、武田はやってみた。こんなところで遊んでいる場合ではないと思いながら。結果的には駄目だった。これは覚悟していたことなので、ショックはない。ダメージも少ない。
 しかし、万が一というのがあった。あまり理想的なものではなかったが、こればかりはやってみないと分からない。だが失敗する方を期待していた。どうせ駄目だろうと。
 これは何だろうかと武田は考えた。
 理想的なもので失敗するとショックだ。しかしそうではないものなら気楽に失敗できる。だから失敗を恐れているだけで、失敗したときのいいわけをやる前に準備していたようなもの。
 ああやっぱりなあ、という。
 成るはずのものが成らないと嫌な感じだ。しかし成らないと思っているのと成らなくてもそれでいい。期待がないためだろう。
 そのため武田は失敗しそうなことばかりやっている。逆に絶対にうまくいくものほど怖い。確率が高くても、そちらにも万が一があり、うまくいかないときがあるからだ。
 それで安心して挑めるのが失敗するだろうと思われること。ただ、ある範囲内に入っていないと駄目。うまくいっても欲しくなかったものが手に入っても仕方がない。
 そのため、失敗の確率の高いものばかりやっていると、成功の確率が高いものをやったときは効果的。ほぼ成功するからだ。そのため、これまでの失敗が生きる。やっと事成ったと。
 しかし、ずいぶんと曲がりくどいことをするものだ。最初から成功率、達成率の高いものに挑めばいいのに。
 失敗と成功の分かれ目は盛り上がりだろうか。成功するものは最初から盛り上がっている。挑む前からすでに分かる。しかし、そういうことばかりだと意外性や驚きがない。いつもの道をいつも通り通っているだけ。
 そしてその安定感も完璧ではなく、意外と失敗することがある。それはいい驚きではなく、残念さだけ。
 こんなはずはなかったのに、となる。これが怖い。だから失敗して当然のようなものをやる方が気楽。
 しかし、武田がやっていることは成功しても失敗してもどうでもいいこと。だから余計なことをやっているのだ。その余計なことの中にも、良い余計と悪い余計があるだけ。だが、全体から見ると、それら全部が余計事。
 ただ、本来のものよりも、この余計なことの方が興味深い。
 
   了
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2023年11月11日

5032話 ついでに釣り上げた魚


 何かを探しているとき、思わぬものと遭遇することがある。実際には常日頃から思っていたもの、または忘れていたが、大事なもので、それを思い出すこともある。この場合、もう実際に探してない。
 最初、探していたものはそれほど大事なことではなく、一寸調べてみようという軽い感じ。
 別に探さなくてもいいような軽いもの。しかし、探している最中に、探していないがそれよりも大事なものと出合ったりする。
 本屋で目的の本を探しているとき、別の本が目に入り、それが気になったようなもの。目的の本よりも大事だったりする。これは儲けものだ。そういう偶然の機会が。
 そういうのはよくあることで、ついつい寄り道をしてしまうのは、本道よりもよさげなため。
 また、何かの用事をしていて、急に別の用事を思い出し、切り替えるとかもある。おそらくその最初の用事をやっていなければ気付かなかったようなこと。
 さて、探しているものではなく、そのとき見つけたものが興味深い。これも、それを探しているから遭遇したようなもので、思わぬところで突き当たったような感じ。
 これは犬も歩けばではない。そのときの犬は目的もなく、ただうろうろしているだけだろう。そうではなく、一応目的があり、それを探している。何でもよくはなく、あるものを探している。
 それだけに絞り込んでいる。場所とか場とかも。時間帯もそうかもしれない。だから似たようなものの出現率が高い。
 しかし、犬の棒と同じで、じっとしていたのでは棒にも当たらない。そして、うろうろすることでは似ている。これは確率が高くなるというより、視界に入る。
 いい場合は手の届くところにあったりする。先ほどの本のように。
 そういうことで、より大事なものと遭遇すると、それが柳の下になり、その方法で偶然の遭遇を狙ってうろうろすることになる。しかし、同じところにはドジョウはいない。しかし、確率は高い。一度見つけたところなので。
 では最初の目的だったものを探す気はないのかとなるが、これがないと探す行為そのものをしていないので、出合い頭や、偶然もない。
 一応は目的を持たないと探す旅には出られない。目的地がないのに、出かけられないようなもの。ただ、出発点へ戻るという方法もある。
 近所の散歩などもそうだろう。一周するだけ。ただ、近所のどこかへ行くという一応の目的があった方が分かりやすい。うろうろしているだけになるので。この場合はコース取り、うろうろのコースが決まっているのだろう。
 そのコース内で、思わぬものと遭遇したりする。いつものコースよりいいものと。
 偶然の遭遇が目的となると、ちょと下心臭くなり、わざとらしさが出る。意識しすぎるので。
 しかし、探しているものではないものとの遭遇。これは忘れていた事柄だと、いい気づきになる。ああ、あれもあったのかと。
 
   了
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