2023年12月31日

5082話 五谷の小岩


 正月そうそう乙夜の小岩というのがとある町家に訪ねてきた。
 正三は一人で寝ていた。主人だ。表戸を叩かれ、正三は叩き起こされたようなもの。
 まだ日の昇る前の元旦。この時間、普段と同じように正三は寝ていた。
 どなた様かと聞いたとき、四谷のお岩だと聞こえた。しかし、それは空耳で、そういう知っている名に吸収されたのだろう。
 四谷ではなく、五谷の小岩。妹かもしれない。しかし、小岩は合っているが、五谷ではなく、乙夜と書くらしい。
 戸を開け、土間に入れたが、顔とか姿を見られたくないのか、隅の方へ行ってしまった。丁度台所の方へ。
 どうかしましたか、とか、どういうことですか、と疑問はあるが、白っぽい着物で、寒いのに、一重。年の頃も分からない。顔は白っぽかったが、ずっと俯き加減なので、よく分からないが、唇が赤い。そこだけ化粧しているとは思えない。
 台所に入ってしまった乙夜の小岩。何の用かと正三は聞きたくなる。当然だろう。別に危害はないが、妙すぎる。
 乙夜の小岩は台所、これは炊事場で竈などのある土間。その陰に隠れてしまった。
 正三はどなた様ですか。また何のご用ですかと炊事場の入り口から尋ねる。
 乙夜の小岩は、このままにしておいてください。すぐに出ますから。
 何が出るのだ。ややこしいのは既に出ている。だから消え失せるという意味と正三は解釈した。
 しかし、あとで家族や店のものに説明するとき、夜中に女人を引き入れたと分かるとまずいので、正体を明かしてくれと、しつこく聞いた。
 すると世間では正月様と呼ばれているらしい。
 正三は農家出なので、竈にそういうのを供える習わしは知っていた。
 ああ、正月様か。初めて見たと、正三は感心した。その感心。何かよく分からない理解の仕方が、ああそうかと合点がいったような感じ。
 正月様とは年神様のようなもので、年をその家にもたらせると正三は聞き及んでいた。いい風に取っているのだ。貧乏神を招き入れるよりも随分とまし。
 しかし正月様を迎える準備、お供え物とかはしていなかった。ここは住む家ではなく、店舗、店屋なので。
 正三はそれを詫びた。せっかく来てもらったのにと。
 すると乙夜の小岩は、それはあってもなくてもいいことですと慰めてくれた。
 あまり会話を好まない神様のようなので、最後に一つだけ、聞くことにした。
 どうして乙夜の小岩なのですかと。四谷のお岩様と関係しますかと。
 乙夜の小石は関係しないし、また乙夜も小岩という名も何でもいいのですよと答えてくれた。
 正月様は私のご先祖様と関係しますか、さらに聞いてしまった。
 乙夜の小岩は薄暗い竈の陰で長く黙っていた。
 正三が目をこらして見ると、徐々に小岩は消えていった。
 これは何だったのかと不思議に思ったが、意外とすんなりと受け取っていた。
 そして寝床に戻ると、布団の中で誰かが寝ていた。
 
   了
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2023年12月30日

5081話 住めば都


 田中はもう駄目かと思っていたものが復活した。これは喜ばしいことだが、逆に困ったことになる。
 それはもう駄目なので、諦め掛け、違うやり方を考え、それを実行中だった。
 目的としていたものとは少し違うが、似たようなもの。ただ目的にかなり近く、これが代用品のようになり、日常化していた。
 流儀があるとすれば、それを変えたのだろう。これは成り行きでそうなるしかないので、不満だが、それを実行し続けた。
 そのうち慣れてきたのか、それがいつものやり方に近くなってきた。要するにスタンダード。
 しかし、その方法でもかなり奥までは行く。もう駄目になってそこから先へ進めないが、その手前でも何とかなった。
 しかし、あと一歩で本来の目的を果たせる位置にある。かなり詰め寄っているのだ。以前もそこで止まってしまったことがあるので、目的以前で終わることはよくある。
 しかし最近はそればかりなので、その手前までの過程が目的化していた。それは過程で途中であり目的地ではないのだが。
 しかし、ある日、その道が通った。いつも遮断されていたのが開いたようなもの。これで本来の目的が果たせたので喜んだのだが、果たしてこれは復活だろうか。凄い偶然の重なりで。たまたまだったのではないのか。
 田中はそれで少し考えてみた。目的を果たせなくても何とかやって行ける方法を見つけ、それで何とかなっていたのだ。目的地の手前までなら行ける。それなら簡単。
 だから最近は楽だった。目的を果たす最終段階での苦しさがない。そして道中も気楽。目的を果たそうと言う欲がないため、広がりができた。
 しかし、復活したのだ。諦めていたのに。
 だが、何処かでわずかながらも望みがあったのは確か。あと一歩のところまで行けたのだから、あと一押し。
 しかし、そういう努力がしんどくなってきたので、楽な方へ流れた。そして田中はそれでもいいと納得し掛かっていた。本当は果たした方がいい。しかし無理なら仕方がない。それだけの話だ。
 復活し、目的を果たせるようになると、これはしんどくなる。たまたま果たせただけだった場合、次回も偶然に左右される。これは無理だった場合不快になる。残念さ無念さがお土産になる。
 それでせっかく復活し、道が通ったのだが、素直に喜べない。しかし、狙っていなかったのに道が開けた。ここだろうと田中は考えた。
 果たせようが果たせまいが、それにこだわる必要はないのではないかと。
 目的が果たせないことで、新たに作ったスタイルのようなもの。これは副産物だ。これは目的を果たすことを狙っていない。だから気楽。
 たとえば行けなくなった喫茶店。代わりの店へ行くようになり、あまり良くないが、そのうち、以前の喫茶店よりもよく思えるようになることがある。住めば都。
 
   了
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2023年12月29日

5080話 楽


「村田さんは画家ですなあ」
「勤め人でしょ。幹部社員ですので、力がある人です」
「いや、北沢楽天ですな」
「今の人ですよ、村田さんは。それに画家でもないし」
「画家の話ではないのです」
「とおっしゃいますと」
「楽天です。北沢を抜いた。天も抜きます」
「では、楽」
「村田さんは楽をやろうとしている」
「楽ですか」
「楽がしたい。それだけでしょう」
「楽が好きなのですね」
「誰だってそうだ。楽な道を選びたい」
「しかし、村田さん、今度は厳しい選択をし、それに向かっているようですよ」
「それはカムフラージュ。楽なことしかしないと思われたくないからですな」
「でも結局は苦しいこともやらなけばならない。そういうことでしょ」
「今度の決定。村田さんは言っているだけで、本気でやらないでしょうな」
「どうしてですか」
「楽なことしかしない人で、苦しいことを避ける人ですから」
「いつもそれで気楽なんですね」
「そうそう。村田さんは気さく。受けもいいのです」
「それは楽しいことしかしないからですか」
「仕事なので、楽しくはないはずですがね。だからできるだけ楽な方法でやる程度です」
「よくそれで幹部になれましたねえ」
「楽だからですよ」
「いや、幹部になるには楽していてはなれませんよ。きっと見えないところでものすごい努力をされているのでは」
「それは微塵もありません」
「じゃ、なぜ出世できたのでしょうか」
「楽だからです。彼といると」
「そうですねえ。村田さんと接していると、気持ちが楽になります。嫌なことは言わないし。気楽な人ですから」
「それが効いているのです。凄い手だ」
「仕事の手ではなく?」
「まあ、そういう人柄の人もいるんでしょうねえ。屁の突っ張りにもなりませんが」
「楽ばかりやっているので、身につかないのでしょ」
「といわれていますがね。苦労して身につけたものでも、あっという間に用がなくなり、値打ちも下がる。苦労した割には報われなくなることもありますからねえ。村田さんにはそういうものがない」
「ムードメーカのようなものですね」
「それとは違う。村田さんは成果を上げている。だから違う」
「そうですねえ」
「しかし楽な仕事ばかりやって得た成果。難しい仕事はされていない」
「そうですねえ」
「だから、私が分析するところでは、早い者勝ち」
「仕事が早いと」
「いや、楽な仕事を選ぶのが早い。先に村田さんが取ってしまいます。そのスピードの速いこと早いこと」
「それがコツでしたか」
「それが幹部になってからばれそうになって、難しい仕事をやり出したのですよ。でもやらないでしょ」
「そうなんですか」
「やってるふりをしているだけですよ」
「はあ」
「どうせできない難しい仕事なので、努力するだけ無駄。そして失敗しても仕方なし。なぜなら無理な仕事ですから、誰がやってもしくじる。村田さん、いいのを見つけましたよ」
「難しく苦しい仕事も楽にやると言うことですね」
「そう、楽にね」
「僕も楽したいですよ。それよりも先輩はよく見ていますねえ。村田さんの様子を」
「同期だよ。私は頑張りすぎた。スカを引いたよ」
「真面目に努力するのも考え物ですねえ」
「それは言ってはいけない」
「あ、はい」
 
   了

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2023年12月28日

5079話 本物偽物


 すっかり騙されていた。偽物を掴まされたのだ。岸和田は迎え喜びとなるのだが、そのときの喜びや充実感、満足度は相当なもので、そんなことは多くはない。
 しかし、徐々に疑いを抱くようになる。それは本物だろうかと。そうでないと安心できない。何か雰囲気が違うというか、一寸印象が違う。
 それにそんな本物があること自体が奇跡のようなもので、それが簡単に手に入ったことがまずおかしい。もう少し苦労しないと手に入らないはず。
 しかし、そんなものが実在している可能性が最初からなければ、これも無駄なこと。だから岸和田は探そうとも思っていなかった。どうせないのだからと。これは手がかりのかけらさえないので。
 そして本物かどうかを調べてみたのだが、どちらかと言えば本物と思いたい。しかし、そこは何とか押さえて、具体的な合致点を調べたが、これは曖昧。
 似ていると言われれば似ているが、似たもので、それとは違う別物ならそれなりに存在し、それは見ている。これは違いが分かるので、判定しやすい。
 それに、本物だとは明示されていないので、本物偽物話ではない。
 だが、岸和田が掴まされたのは本物と明示されている。その証拠は何もないのだが。だから偽りの表示なら、これは偽物。
 偽っているかどうかの判定は岸和田に掛かっている。だからよく調べたのだが、分からない。
 本物と思えば本物に見えるが、偽物だと思えば偽物に見える。
 しかし、これまでにもそういうことがあり、本物だと思っていたのが偽物だったこともある。その間、ずっと本物のままで、何ら支障はなかった。それが偽物だと知ったとき、ガタンと落ちた。
 しかし、騙され続けていた方が良かったのではないかと、あとで思う。何の問題もなかったのだから。
 今回はどうか。疑惑が生まれたのは簡単に手に入る虫のいい話だったためもある。
 ただ、簡単だが、そんなものがあることを知らなかったので、探していなかっただけ。
 また、疑いの目で見ると、偽物臭いところが少しある。しかし、それぐらいの変化はあるだろう。
 さらに分かっている情報から推測することで辻褄が合うかどうかを調べた。これはギリギリだが合っている。その範囲内だ。
 そういうものはなくてもかまわないのだが、あればかなり凄いものを手に入れたことになる。そちらの方がいいに決まっているのだが、本物だとはまだ岸和田は納得していない。
 しかし、そのものは他に影響を与えたりするわけではなく、岸和田の中での問題。岸和田だけに関係する話。
 以前、偽物を本物だと頭から思い、偽物だという疑惑もなかったことがある。ただただ満足感を得ただけ。今も別のことで真っ赤な偽物を掴み続けているかもしれない。それで何の支障もなく、機能し続けているのもあるだろう。
 嘘はばれると言うが、岸和田が気付かなければばれない。そして多くの嘘がまかり通っているのかもしれない。本物はこれだと言われても、逆に偽物扱いにしそうだ。
 本物とは何だろう。
 
   了
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2023年12月27日

5078話 予想外の遭遇


 思わぬものと遭遇することがある。待ち望んでいたことではなく、その可能性などないに等しいので、待機していたわけではない。
 またそれと遭遇するような仕掛けもないし、準備もない。所謂想定外という想定内のことだが、場というのがある。その場におれば遭遇するかもしれない場、場所。
 田沼はいつもそのような場にいるのだが、予想していたものではない。こう言うのはどちらが驚きが大きいかだ。
 予想していたものは遭遇したとき、それは当然のようなことで、やはり来たかと言うこと。だからその場に出現するはずのものなので、希望通りになったので、満足を得られる。
 しかし、当てにしていなかったものが現れると、これはショックなようなもの。何だろうと最初は思う。こんなものがあるのかと。想像だにしていなかっただけに、特別な感慨になる。
 そして感慨にふける以前に、これはどうしたことなのかと、その原因を考えたりする。しかし、目の前にそれがいる。来ている。予定外、予想外。
 それだけに驚きも大きい。それが来る可能性など考えていなかったので、その効果も大きい。
 世の中にはそういうことがあるのだなと田沼は驚かずにはいられない。そこから感慨となる。これは心に深く来る。予想されたものが来たときよりも。
 そしてなぜそれが現れたのかと考えると、それなりの事情があったのだろう。二度と見ることはなく、またその後の展開は何もないはずで数年前に終わっているはず。
 その日はクリスマスイブ。まさかサンタからのプレゼントではあるまいが、年に一度あるかないかの出来事に近い。
 それは宝物のように大事にしまい込み、最高のものとして君臨していたような存在。それは田沼にとっては一番のもので田沼を象徴したようなものかもしれない。
 しかし、それは終わったこととしてしまい込んでいる。ただ気持ちの中ではよく思い出すので忘れ去ったものではなく、今も生きていた。ただ田沼の中だけに。
 それが姿を現した。それはびっくりするだろう。しかもイブの日に、夜ではなく昼のことだが。これは何かの巡り合わせかもしれないが、宝物が増え、その続きがまだあることで生き返ったようなもの。
 思っても見なかったものとの遭遇。これはたまにあることで、意外なことではないが、時期的な何かを示唆しているようなところもある。
 ただ、そう考えるだけで、田沼が勝手な筋書きを作っているだけ。それが田沼を成り立たせているのだろう。
 ただ、その筋書き、物語。つじつま合わせや強引な接続などは人に言えない。
 
   了
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2023年12月26日

5077話 年の暮れ


「今年も終わりますなあ」
「そうですねえ」
「今年はどうでした」
「相変わらずですよ。これといったこともなく、過ぎ去ろうとしていますよ」
「まだ少し日がありますから、まだ何が起こるか分かりませんよ」
「何が起こるのでしょうなあ」
「さあ、それは起きてみなければ分かりませんよ」
「ああ、これが来たか、というような」
「そうです。でも考えもしなかったこと、これはないだろうというのがあります」
「これまでの暮らしぶりが原因になっていないような?」
「あとで考えれば、原因はあるのかもしれませんが、それなら予測できる。思い当たる。しかし、そうではなく因果の外から来ているものもありますからねえ。そういうのは想像はできますが因果としては遠すぎるものです」
「天地異変とか」
「火災に巻き込まれるとか」
「災難ですなあ」
「想像はできますよね。それは」
「はい」
「そうではなく、もっと意表を突くようなのが来たりしますよ」
「思いがけないものですね」
「そうです。まあ誰だって、そういうのが来るのかもしれません。本人にとってですがね」
「病が出るとか」
「それもありますが。まあ、悪いことばかりじゃないでしょ。それこそ棚ぼたが来るかもしれませんしね」
「ぼた餅ですか」
「お好きですか」
「甘いのは好きですが、多いと駄目です。ほどよい量がいいです。巨大な紅白まんじゅうは駄目です。アレは飾り用で、食べるような饅頭ではないでしょ」
「切り分けて食べればいいのですよ。五人とかで割れば、小さくなりますよ」
「ああ、それなら適量」
「まだ今年は終わっていません。何も起こらない方がいいのでしょうがね」
「困った年になり、何とかならないものかと暮れていくとき、何とかなる話に出合ったとかならいいですね」
「何か困りごとでも」
「いえいえ、困りごとは多いですが、大したことじゃありません。そういうのは些細ごと。雑ごとですので」
「災いも幸いもない方が静かでいいと思いますよ。ざわつかないで年を終え。ざわつかないで新年を迎える。これが一番でしょ。現状は変わりませんがね」
「最近はクリスマスもお正月も楽しみではなくなりました。子供の頃に比べてですがね」
「大人になると、そんなものでしょ」
「プレゼントをもらったり、ケーキを食べたり、正月はお年玉をもらって。おもちゃを買いに行ったりと、これは楽しみでしたよ」
「早く来い来いお正月ですね」
「クリスマス、誰かに何かをプレゼントしますか」
「しません。そんな相手はいませんから」
「お年玉は」
「やる相手がいません」
「じゃ」
「はい、まだサンタからもらう方で、お年玉ももらう方です」
「あなた、何歳ですか」
「あ、はい」
 
   了
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2023年12月25日

5076話 失敗


 失敗を繰り返すと諦めることがある。
 何度も何度もしくじると、これは無理なのではないかと。
 いくらやっても土台無理。土台がそのようにできていないか、もう土台が劣化し、悪くなり、できなくなっているか。
 その場合、いくらやってもまさに無理。その無理を承知でやるとすれば、よほど欲しいものか、やらないといけないようなものか、または習慣的なことなのかは分からないが、その過程がいいのかもしれない。
 または一つの目的が消えるのが惜しいとかもある。結果はお粗末で、失敗だが、あるところまでは何とか行く場合、その途中まででもいいのではないか。このあたりだけでもそれなりに目的を果たしたような気になったりする。
 同じように失敗し、成し遂げらなかったにしても、程度というのがある。いいところまで行ったとか、そこまでは行かず、もっと早い時点で終わっていたとか。これはもう自己新記録が目的になるのかもしれない。
 同じ失敗でも満足度が違う。失敗には変わりがないのだが、よくやった場合、それなりの満足感はある。ただ、大きく見ると不満なのだが、その不満レベルが低い。
 そして毎回失敗していると、失敗慣れし、成功など考えていなかったりする。どうせまた失敗するのだからと。
 そして失敗の仕方にこだわったりする。少しましな失敗もあれば、手も足も出ない失敗もある。どちらにしてもそれなりに健闘し頑張れば同じ失敗でも違ってくる。ただし失敗には変わりはないのだから、受け取り方の問題だろう。
 失敗すると後遺症とか副作用のようなものが出ることがある。それの軽減策だろうか。成功するのが一番いいし、それ以外は本当は不満だろう。
 失敗に対するダメージ軽減策として、やり方がまずかったとか、目標が悪かったとか、いろいろといいわけができる。
 そのおかげで、絶好の条件に持ち込むような仕掛けを作ったりする。これも根本的に無理なことを成そうとしているのなら、無駄なこと。
 そうやってできることならいいのだが、無理を承知の場合は、これはもう別のことになる。
 別に失敗を楽しむわけではないが、成功しないことが分かっていれば安心だったりする。安心して失敗できる。失敗して当然なので。
 ただ、何処かで万が一があり、何かの拍子で成功する可能性もある。ゼロではない。
 それよりも、それをやっていることが好きなのかもしれない。結果を得るのが目的だが、それだけではない道中もある。
 
   了
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2023年12月24日

5075話 選択できない


「あなたはそれを選ばない」
「なかなかその気になれません」
「でも本当は選びたい。それを」
「はい、しかし躊躇します。それは良いもので、素晴らしいものなのですが緊張が先に立ち、できません」
「しかし、いつかは選択したいのでしょ。実行したいのでしょ」
「はい、最優先事項として」
「しかし、選ばない」
「はい、なかなか」
「それでどうなさるおつもりですか。一生放置ですか」
「そんなことはありません。方法はあるのです」
「ほほう、どんな」
「偶然です」
「偶然? 選択しないで、偶然に任せる?」
「他のものと混ぜてしまいます」
「いくつかの候補の中にですね」
「それらは容易く実行できます。安全です。緊張するほどのものじゃありません。しかしあまり良いものではありませんが、それ以下のものは候補の箱には入れていません」
「それは箱に入るのですか」
「たとえです。予定の箱があると仮定しての話です」
「その箱をどうするのですか」
「だから予定ですので、順番にやっていきます」
「そこにややこしいものも入っているのですね」
「ややこしくはありませんが、緊張するようなものが含まれています。混ざっています。でも順番はめちゃくちゃです。どれを選ぶのかは偶然で決まります。または目をつぶり、適当に選んだものです。何を選んだのかが分からない状態で」
「面倒くさいことをしますねえ。良いものがあるのでしょ。それをサッと選べばいいだけのことでしょ」
「ですが、緊張します。それに戸惑います。身構えます。それをしたくない」
「妙な人ですねえ。やりたい選択があるのに、そして決まっているのに、それをやらないとは」
「気楽なのが良いのです。その方が安全です」
「まあ、いいでしょ。それで本命を引いてしまったときはやるのですね。実行するのですね」
「気分にもよります。目の前にそれがあります。偶然選んでしまったわけですから、それをやることに決めているので、やらざるを得ないのです。しかし、その気が全くなく、今は避けたいと思えば、中止し、別のものをやります」
「その別のものは決まっているのですか」
「はい、偶然の並びで、次はこれ、その次はこれと決まっています。私が決めたわけではなく、偶然その並びに入っているのです」
「よく分かりません。あなたのやっていることが」
「忍ばせておくのです。そういう仕掛けです」
「本当に実行したいことをそっと忍ばせ、偶然次にやる番になったので、やる。ということですね」
「はい、回りくどいことをやっていますが、回ってくる確率の高い予定の箱に入れていますから、回る確率は非常に高い」
「性癖ですか」
「はい、臆病で怖がりなので」
「でも、怖いものを大事にしておられる。本当はそれが一番良いものなのでしょ」
「はい、そのタイプのものを宝物のように大事にしています」
「しかし、いざ実行するとなると、緊張が先立つのですね。そしてできないと。選べないのですね。その気が最初から薄い」
「できれば避けたいのです」
「しかし宝物」
「でも偶然出てきた賽の目状態でならできる可能性が高いのです」
「ご苦労なことですねえ」
「苦労しなくてもいいようなところでやっています」
「変わった人だ」
「はい、直球が苦手でして」
「意味が分からんが、まあいいでしょ」
「あ、はい」
 
   了
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2023年12月23日

5074話 神の秘


「次は妖怪ではなく、神秘的な分野でお願いしたいのですが」
 妖怪博士の担当編集者が路線変更のようなことを言い出した。
「それはかまわんが、妖怪も神秘も似たようなものでしょ」
「妖怪という形を取らないところが今の神秘事情です」
「神秘にも事情があるのかね」
「世相です。世の中の変化で妖怪の形を取りにくいのです」
「そうだろうなあ。神妙性がない。妖怪では。まあ、妖怪は神の妙でもあるのだがな」
「妖怪よりも今の神秘ごとは幅が広いのです。それが従来の神秘ごとに取って代わられています。大昔から神秘ごとはあったのですが、妖怪は昔ほど活躍していません」
「神秘とは神の秘と書くが、神レベルの話かもしれないねえ」
「そしてですねえ」
「まだ、あるのか」
「神秘ごとは神秘家がやってましたが、今は普通の人たちがやっています」
「そうなのか。昔も縁起を担いだり、迷信を信じておっただろ。これは普通の人で神秘家ではない」
「そしてですねえ」
「まだあるのか」
「科学では説明できないところに触れて来ています」
「まあ、科学などできたのは最近じゃろ」
「はい、さらに科学の最先端が意外と神秘的なところと接触しているようです」
「じゃ、全部が全部神秘じゃな」
「神の秘密を暴こうとしているのです」
「暴くのか。悪いことでもしておったのか」
「分からないことは神のみが知るです」
「遠い話じゃな。妖怪も正体が分からんし、なぜ妖怪が出現するのか、その出現の仕方も分からん。全て謎。原因はあるのかないのか、それも分からん。山に木が生えるように妖怪も沸く。しかし山とは何か木とは何かの根本までは分からん。木の根っこを掘り返してもな」
「そうですねえ。全てが神秘的だと言ってもいいようですねえ」
「いろいろと解釈はできるがな」
「それで分かった気になれるんですね」
「少しは安心する。神秘に蓋ができるのでな」
「その意味で妖怪とは何でしょ」
「どの意味でかは知らんが、妖怪とは化け物。これは常識を覆す存在。これが飛び出すとある意味爽快」
「路線変更で妖怪以外の神秘ごとをお願いしようと思ったのですが、妖怪でいいです」
「気が変わったのか」
「はい、妖怪からの切り口もあるのだと」
「万物、森羅万象、いずれもそれに関係する妖怪がおる。科学の最先端でも薄気味の悪いことが起こっておると聞くぞ」
「何でしょうねえ」
「神の隠し事じゃ」
「神の秘密ですねえ」
「だから、神秘。そのままじゃがな」
「はい、冗談で済ませられる路線でこれからもお願いします」
「それは冗談で言っておるのですな」
「いえ、本気です」
「ふむ」
 
   了
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2023年12月22日

5073話 近況


「最近どうですか」
「近況ですか」
「まあ、挨拶代わりに、お聞きするだけです」
「じゃ挨拶程度の近況でいいですね」
「はい」
「元気かもしれないが、そうでもない節もあるのだが、まあ元気だと言っておきましょう。挨拶程度ならそれでいいでしょ。これ以上展開はありませんから。もし元気でなければ、どうなさいましたかと話が長くなります。そちらの方がリアルなので、話も長引き、元気ではない箇所をいちいち話してしまいます」
「かなり長引いていますが」
「だから、そうならないために、元気だと言っております」
「お元気そうで何より」
「そうではないのですがね。まあ、それを言うと長くなるので、やめておきますが」
「それで最近なのですが」
「はい、元気です」
「どういう傾向でしょうか」
「仕事ですか? そちらはまずまず。これも細かいことを言い出すときりがありませんが、ほどほど、まあまあな状態でしょうか。しかし、元気と同じで、何も言っていないようなものですが」
「じゃ、おっしゃってください」
「そうですか。今はねえ、先が面倒なので、少し戻ったところでやってます。だから最新式じゃなく、一寸だけ古式ですが、それほど古くはありません。つい最近までやっていたことですからね。今もまだやっている人がいるでしょ。今ととそれほど変わっていませんが、以前のものはその時代の世相のようなものが反映しているようでして、当時の流行がまだ生きていたりします」
「丁寧なご説明ありがとうございます。それで、何でした」
「だから、一寸古めを注目しています」
「ああ、そうでしたね。どう言うところがいいのでしょうか」
「もう過ぎ去ったものは気楽です。最近のとんがったものに比べてね」
「でも今のは全体的には大人しくなっていませんか」
「いろいろと事情があるのでしょうねえ。以前ならできたことができなくなったとかでね」
「じゃ、どういうところでとんがっているのでしょう」
「はっきりしませんが、とがった洗練さですかね」
「そういうのは気に食わないわけですね」
「もうやることがないのでしょうねえ。だから同じことの繰り返し、しかし洗練された繰り返しなので、いいのですがね。でも退屈なので、一寸古めの方が気楽です」
「勢いのあった時代ですね。一寸一昔なら」
「さあ、今の方が勢いがあるかもしれませんが、その勢いの出し方が以前の方が派手だった。しかし、以前の話なので、可愛いものですがね」
「そうなんですか。どういうことを差しているのかよく分かりませんが」
「分からなくてもいいのです。雰囲気だけで」
「はい」
「一寸時代を落とすと落ち着くという程度です」
「クラシックとか」
「それは古すぎます」
「古典とか」
「それも古すぎて離れすぎです」
「じゃ、ついこの間まであったようなものが狙い目なのですね」
「意外と古いものの中に新味があったりします。その新味、その後の展開もないまま終わっていますがね。だから忘れられた新味です」
「新鮮と言うことですか」
「今もまだそう感じられるので、生きているのでしょうねえ」
「それが近況ですか」
「はい、最近の状態です。私だけですがね」
「はい。それで結構です」
「うむ」
「では本題に入ります」
「はい、どうぞ」
 
   了
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2023年12月21日

5072話 アレがいる


 家を出て少し自転車で走ったところでタバコを忘れていたことに高田は気付いた。たまにそういうことがある。
 そのため予備に一箱鞄に入れているし、ライターも鞄の中にある。だから問題はないのだが、鞄の中のタバコは使っていた。ライターはあるが、それだけでは仕方がない。
 忘れていることを思い出したのはポケットに手をつっこだとき。しかし寒いので手を入れたのではない。あきらかにタバコを忘れてはいまいかと確認のため。
 その確認は何処タイミングで発動したのだろう。よく忘れるので、確認することが多い。毎回ではない。
 家を出るとき、忘れ物はないかと、一応は考えるのだろう。習慣ではないが、もしかして、というのがある。
 しかし、そのきっかけが何処かであるはず。全くそんなことなど思わないで出先でタバコを忘れたとかもある。
 この場合、きっかけが何もなかったのだろう。
 どちらにしても、その日はすぐに気付いたので、すぐに引き返した。
 ほんの少しの距離。もう少し行き過ぎていると、取りに帰らないで、何処かで買うだろう。
 それで早く気付いたので、引き返す距離もわずか。ほとんど家の前から数軒先だったので。
 それで自転車を止め、鍵を開け、中に入ったが、何かおかしい。
 何かの気配。いや、気配以前の気配で、何か一寸違うと感じた程度。
 本来高田が家に戻るのは一時間以上後のこと。出た瞬間、戻っているようなもの。早く戻りすぎたのではなく、数分もかかっていない。一分以内かもしれない。
 高田が留守の間に何かがいて動き出す。そんな想像をこれまでもしたことがある。高田がいない時間。それをアレは知っている。アレたちと言ってもいい。
 だからまさか高田がすぐに引き返してくるとはアレは思わなかったのだろう。
 それで鍵の音やドアが開く音がしたので、慌てて隠れた。急なことだったので音を立ててしまった。
 廊下に服を掛かっている。釘にぶら下げているだけだが、それが揺れていたりすると確実だ。
 タバコは奥の居間のテーブルの上にある。出たときと同じ状態のはず。もし変化があるとすれば、アレがやったのだ。そして高田が戻るまでに元に戻す。
 それと高田の座る椅子。手で触ると生暖かったりする。アレは哺乳類なのだ。しかし、さっきまで座っていたので、自分の体温が残っていたのだろう。
 家のドアを開けっぱなしなので、高田はタバコとライターをポケットに入れ、ドアを閉め、鍵を掛けようとしたとき、気が変わった。
 高田がドアを閉めあと、すぐに開いて家の中の気配を伺った。アレは高田がいなくなるので、もう既に出始めているのかもしれない。
 しかし、そんな気配は分からなかった。それで、サッと中に入った。奇襲攻撃だ。
 当然アレなどはいない。最初からアレなどいないのだから、いなくて当然。しかし、高田はそうは思っていない。毎回毎回うまく隠れているだけで、きっといるのだと。
 
   了
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2023年12月20日

5071話 くつろぎ


 さっさと済ませばすぐに終わり、帰ることができる。そこでくつろいだりしなければいい。なぜならくつろぐ場所ではなく、仕事をする場所。
 しかし、佐々木はそこでもくつろぎたい。つまり一息ついたり、一寸違うこともしたい。仕事だけではなく。それだけでは味気ないため。
 実際には仕事だけをし、立ち去ることもあり、そのときは早い。時間が余るほど。しかし楽しいものではない。
 仕事なので楽しさは望んでいないのだが、仕事だけでは味気ないし、機能だけを果たすだけでは。
 用事をこなせばそれでいいだけの話で、それに集中すればいいし、それほど時間のかかることではない。
 別にスリをするのが仕事ではないのでそれほど早くは終わらないが、専念すれば早くできるので、早く戻れる。そして終わってからくつろげばいい。
 と考えているとき、くつろぐとは何だろうかと思った。これは感じただけで、まだ考えていない。思いを引き延ばせば考えている状態に近くなる。
 思いと考えの違いは分からないし、時間の問題ではないのかもしれない。考えている状態は理屈ぽい。論理的な展開がありそうな。
 思っている状態もその面もあるが、漠然としたものを思い浮かべたり、別のものを思い浮かべたり思い出したりする。
 この思い出しているものが思いのメインだろう。印象だけとか、何となくのイメージとかで、繋がりに脈略があるようでも論理的ではなかったりする。
 佐々木がくつろぎを欲しがっているのは仕事中にそういう思いを入れたいため。それが入っていると入っていないのとでは味が違う。しかし仕事に味が必要なのか。
 味のある仕事をする。というのもある。これは雑念や関連することを同時に思い浮かべながら、それらを含みながらやるため、いい味が出るのかもしれない。
 実際に仕事以外のことを横で思うのはノイズ。しかし無機的にさっさとやるとノイズはないが、味気ない。これは佐々木だけが味わえることかもしれず、仕事の結果には結びつかないが。
 しかし、その日はさっさと済ませて早く帰りたかったので、無機的にやってみた。
 それでもできるのだが、その時間、やはり無機的に過ぎた。早くできたが、やっている最中がどうも虚しい。これはロボットのようになるためだろうか。
 それしかできないロボット。余計な雑念やノイズのないロボット。
 くつろぐというのは雑念を沸かしたりすることだろうか。無念無想ではなく、いろいろと思い巡らせながらやる方がくつろげるが、これは本当は必要ではないのかもしれない。
 
   了
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2023年12月19日

5070話 心情の変化


「この方向もいいのだがね」
「そちらに決められたのでしょ」
「以前ね」
「だったら、その方針で行くのがいいかと思いますが」
「そうだね、そのために立てた方針。それに従うべきだろうねえ。しかしねえ、べきというのが気に食わない。自分で決めておきながらね」
「何か心情の変化でもありましたか」
「心情、そんな曖昧なことは持ち出したくない」
「そうですねえ。データー的には妥当な方針ですし、またその後のデーターも変わっていません。このままでいけます」
「それは分かっているんだが、何か腑に落ちない」
「全て落とし込んだはずです」
「それは知っている。納得できるように立てた方針だが、しばらくすると、一寸違ってくる」
「やはり心情ですか」
「そこへ持って行きたくない」
「はい。では何でしょうねえ。方針に従い、やり続けているからでしょうか」
「それはいいことじゃないか。踏み外さずに着実に」「しかし、慣れが加わります。変化があればそこではないでしょうか」
「それは心情だ。だからそれは持ち出したくない」
「気分のようなものでしょ」
「駄目だ。そういうのを言い出すのは」
「他に思い当たるものがありませんので」
「別に嫌がっているわけでも、方針を変えたがっているわけでもない。順調だ。しかし」
「そのしかしですね」
「いい方向なんだがねえ。これでいいのかと検討するのも必要じゃないか」
「不備があるからですか」
「ない」
「じゃ、原因はやはり心情でしょ」
「そんなことで左右されちゃ駄目だ。分かりきったこと」
「今の方針では気分が優れなくなっているということじゃないのですか」
「悪い気分じゃないよ。ただ」
「その、ただの先が問題です」
「何も問題はない」
「じゃ、なぜ、ただなのですか。そして、しかしなのですか」
「手厳しいじゃないか。どうかしたのかね」
「いえ、そこが核心かと思いまして」
「感じていると言うことかね」
「そうです。今の方針では本当はいけないと」
「まずは気持ちに出るか」
「はい」
「原因は分からない。ただ、そんな気がする。では話にならんだろ」
「その話、進めましょう。私も、今の方針、どうも納得できないところがありますので」
「何だろうねえ、これは」
「心情の変化です」
「そこに持ち込みたくないと言ってるだろ」
「はい」
 
   了
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2023年12月18日

5069話 村供養


「この先に渡鍋郷があると聞いたのですか」
「ああ、鍋郷ですか」
「ありますか?」
「ありません」
「やはり」
 この武士、このあたりを担当している。美咲村の向こう側に渡鍋郷があることは絵地図にも画かれている。数か村からなる渡鍋郷。千石はあるだろう。だから担当の武士はそこから年貢を取りたいのだが、ないのだから取りようがない。
 しかし、近くの美咲村の人は渡鍋郷を知っている。だが、美咲村の北側をかなり行ったところにあるのだが、そんな集落はない。
 では、なぜ村のある場所まで知っているのだろう。武士も絵図で知っているし、同僚や上役も知っていた。しかし、実際にはない。
「鍋郷についてですか。さあ、そんな村がこの先にあったと言うことですが、開けた場所などありませんから、田畑も難しいでしょうなあ」
「どうして鍋郷の噂が流れたのでしょうか」
「行った人がいるからですよ」
「会わせてもらえますか」
「この村の人じゃありません。よそから来た人です」
「旅人ですか」
「たまにいるんですよ。山を越えて他国へ出た方が早いといって、山道を行く人もいるのです」
「絵図で知っています。山の麓でしょ」
「そうです。何もありませんよ。そんなところに。でも旅人はそこに村があったと言うのです」
「一人ですか」
「何人かいますよ、その話をする人は。わしらが知っているのは、それらの人たちから聞いたものです」
「どんな村ですか」
「行かれてもありませんよ」
「どんな村ですか」
「ここと変わらないような村です」
「そこで、何かあるのですか」
「な、何かとは」
「様子の違う何かが」
「いえ、よくある村里で、恐ろしい目に遭ったとか、良い思いをしたとかの話は聞いていません。ただ」
「ただ?」
「ここの北にある村を通ってやってきましたとか、その程度です」
「じゃ、やはりあるんじゃないか」
「ありません」
「渡鍋郷というのは、旅人が付けたのですか」
「神社の名が渡鍋神社で、村の名も渡鍋だと旅人から聞いています。わしじゃなく、わしも又聞きですがな」
「最近はどうです。渡鍋の噂は」
「とんと聞きません」
「じゃ、やはりないのでしょうねえ」
「あ、お坊さんが何人かで行ったことがあるようです」
「やはりおかしな村のためですか」
「そうだと思います」
「調べに行ったのですね」
「村供養です」
「はあ?」
「成仏していない村だとか」
「しかし、元々村などそこにはないのでしょ」
「そうなんですがね」
「その後、現れなくなったわけですか」
「ああ、そういうことかもしれませんねえ」
「村供養か。そんなものがあるのだなあ」
「お役人様も行かれますか」
「いや、ないことが分かったので、行かない」
「それがよろしいかと」
「そうだな」
 
   了
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2023年12月17日

5068話 画家と画商


 田中にはいつも買い取ってくれる画商がいる。それがどんな絵であっても。
 きっとその画商、田中が将来有名になり、絵の値段も上がると見込んだのか、適当な投資なのかはよく分からない。
 しかし田中はそれで食いはぐれがない。絵を画いて暮らしていけるのだから、そうでない画家に比べ、恵まれていると言えるだろう。
 田中の絵と、あまり売れていない画家との違いはほとんどない。だから画商がなぜ田中を選んだのかは分からない。
 絵、以外のことかもしれないが、画家と画商との関係は全くない。またその後の関係からプライベート面での付き合いもない。田中が絵を持って行くか、画商が取りに来るか、どちらかで、世間話程度はするが、それ以上のものではない。
 田中の絵は他の若い画家と同じで、最初は勢いがあり、個性も強かった。しかし田中が特に目立っていたわけではない。
 そのうち田中は年を重ねるごとに絵も落ち着き、大人しくなっていった。もう何処にでもあるよくある絵になっている。
 そのことが心配になり、買い取りが終わるのではないかと田中は思い、画商に聞いてみた。
「よくあることですよ。そちらの方が長く画いていけるからよろしいかと」
「でもインパクトとかが」
「そんなものは邪魔だというお客さんもいます」
「そうなんですか」
「部屋に飾っていても出しゃばらない絵です」
「でも、進展があまりなくて、新味が」
「あってもなくても良いのです。だからこれまで通り田中さんの好きなように画いていってください。とんでもない絵になってもかまいませんし、もっと地味になってもかまいませんよ」
「しかし、あまり僕の絵は売れないと思うのですが」
「買う人がいます」
「はい」
「一枚につき、一人買う人がいれば、それで成立しますから。田中さんのこれまでの絵、完売です。だから心配なく書き続けてください」
「それを聞いて安心しました。でも絵の評判が心配です」
「買った人は悪い評判は立てません」
「でも、この前、個展を開いてもらったとき、あまり人気がないし、評判も今ひとつでした」
「それは気にしないで良いのです」
「安心しました」
「それでどうですか、最近の調子は」
 珍しく画商は、一歩踏み込んできた。
「画いていて疲れないものが良いです」
「それでいいでしょ」
「あまり情熱を傾けなくてもすらすらと画けるものが良いです」
「良いですねえ。そういうのも」
「大丈夫でしょうか」
「はいはい」
 田中はそんな画商が現れるのを夢見ていた。虫のいい話だ。
 
   了
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2023年12月16日

5067話 森へ


 深い森に分け入ったとき、そこに何かいると感じることがあるらしい。副島はそれを期待し、あまり人が入り込まない森へ行った。
 森と言っても山だ。しかしほとんどの山は人が入り込んでいるし、植林だったりするので、自然林が良い。
 これは山深いところに行くしかないが、それでも手つかずの森というのは狭い範囲になるだろう。無人島でならあるかもしれないが、行くにしても便がない。
 だからそこまで良い条件は無理なので、できるだけ自然林が多いところで、人が利用しようとは思わない場所。これは荒れ地に近いかもしれない。または一つの山ではなく、険しい谷間や湿地だ。
 そういうのを地図で見つけ、上空写真などを参考にして、そのタイプの森に入り込んだ。
 バス道からかなり離れた場所。川沿いの未舗装な道を進んだあたりに、それらしい風景になるが、まだ電柱は立っている。さらに遡ると、車は無理なような荒れた道になり、電柱もない。もうこの先には村はないのだろう。
 副島は最後に電柱のあった村落跡のような所に車を止め、奥へと向かった。
 道は少し高いところにあり、下は谷。木のてっぺんが見える。川の両岸に少し幅があり、膨らみがある。そこが森っぽく見えるが、横に長い。
 適当なところで荒れ道から下へと降りる。道などないが、それこそ深い森に分け入る感じ。分け下るのだが。
 しかし灌木が厳しく、すぐに行き止まりや、通れるが、下を見ればそれ以上降りられそうになかったりする。
 それに下まで一気に降りるのはもったいない。
 結局山の斜面を移動しているだけで、平和部の森ではないので四方には広がっていない。
 しかし、人の手が入っていないのか、入っていてもうんと昔だろうか。杉ばかりが立っている山ではなく、いろいろなのが繁っている。
 自然にそうなったような配置で、勝った木は残り、破れた木は枯れる。だから倒木や枯れ木もそれなりにある。
 これは人が作ったものではない。だからこそ何かいそうな雰囲気には丁度。
 副島は腰を下ろせそうな岩があるので、そこで座り、しばらくあたりの様子を観察した。いや、感じようとしたのだ。何かを。
 これは行者のようなものかもしれない。じっとしていると、本当に何かがいそうな気がしてくるはず。それは風とか木の揺れとか光線とか鳥かもしれない。
 そういう錯覚で、何かがいるように感じるのかもしれないが、それはそれでいい。実際に何かがいるのなら感じることもできない存在だろう。
 副島は少し座っているだけだったが、不安が襲ってきた。こんな所にいてはいけないと。
 やはり、ここは人が入り込んではいけない何かがいるのかもしれないが、不安という漠然とした気持ちが何がきっかけで起こったのかは分からない。
 それで、電柱が立っていた道まで戻る。村落部の入り口だろうが、廃村だと言うことは知っていた。
 だから村まで行かず、入り口の道沿いの空き地に車を止めていた。
 電柱は廃村まで続いているのだが、電気が通っているのかどうかは分からない。また、来た道には信号はなかった。
 何かいるような森よりも、廃村をうろうろした方が分かりやすかったかもしれない。やはり人の跡というのは理解しやすいためだろう。
 
   了
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2023年12月15日

5066話 目標へ


 合田は目的など持っていないのだが、気がつけば何らかの目的を持っている。持たされたのか、そうなっのかは分からないが、とりあえず目の前に何らかの目的があるので、それをやっている。
 これは目標ともなるが、それほど長くはかからない。ただ、与えられた目的は長期化し、目標レベルになっているが、そういうのは複数あり、結局は全部は果たせない。
 また与えられた目的なりは、その関係が切れてしまうと終わってしまう。ただ習慣化し、残っているものもあるが、他の習慣に切り替わったりする。
 要するに合田には自分で決めた目的や目標のようなものはないようだ。ただ、それに近いビジョンのようなものは持っているが、その実行方法はできていない。
 漠然とした夢だが、別にそうならなくてもいい程度なので、真から果たしたいことではない。
 合田の目的意識は低いのだが、目先のことでは素早く動く。これは単純なことが多いし短期で済むため。
 何らかの一本の筋が通ったような目的や目標はないので、目先の目的や後ろからの押し出しで、次の目的などが決まったりする。これも勝手に決まっていくようなもので、計画した順番ではない。
 常に目先の目先を追っているうちにできたストーリーのようなもの。ただ脈略が何となくある。ただ、最初からそうなるだろうという筋書きがあるわけではない。
 また、その脈略、途中で変わってしまったりする。違う山脈に入ってしまったのだろう。しかし、山は山だ。
 その場限りのいい加減な目先の目的。しかし、それをやるかどうかは合田はコントロールしている。いくら目の前に目的ができても、拒否することができる。これは目の前のものがいくら成り行きでも、それは違うのではないかと、思うためだろう。だから何処かで制御している。
 ただ、それが外れることもあり、不本意ながらやってしまうこともあるが、ここが一寸あやしいところだ。本来ではないと言うことで。
 しかし、意外とそれが良かったりすることもあるので、勝手な制御でブレーキをかけるのも善し悪し。
 合田のこのやり方は自然とできたもので、考えてやっている決め事ではない。そこには直感もあるが、外れることが多い。勘違いだ。
 しかし、しっかりと組み立てられた計画はやりたくない。これは計画を組むのが目的で、実際にはやらなくてもいいのなら楽しいだろう。
 なるようになるが、なるようにはならないこともある。それで当たり前だろう。そして紆余曲折で流れ流れてその先へ向かうという感じがリアルかもしれない。
 それは合田の場合であって、合田だけの話だろう。
 
   了
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2023年12月14日

5065話 一つのもの


「全ての物事は繋がっておる。と賢者は言うがな。わしには実感がない。しかし賢者の言葉じゃ、一応伝えておく」
「はい、よろしくお願いします」
「うむ」
「雲も私と繋がっているのでしょうか」
「糸でな」
「たこ糸のようなものですか」
「たこあげではない。雲は一つではない。空は糸でごちゃごちゃじゃ」
「では本当の糸ではなく」
「だから、本当の糸では絡んでしまうじゃろう」
「はい。私と師匠も繋がっておりますか」
「繋がっておる。虫もな」
「実感はありませんが」
「それは最初に言った」
「でも実感のないものでは」
「万物、森羅万象、実は一つなのじゃ」
「じゃ、その一つも別の一つのものと繋がっているのですね。一つのものなどないのではありませんか」
「踏み込んだな」
「土足で失礼します」
「たった一つものと万物は繋がっておる。そのたった一つのものは」
「だから、その一つのものも、別の一つのものに繋がっていないとおかしいですよ。そしてその一つのものも無数にあって」
「一つという言い方が悪いのかもしれん」
「師匠はどう思われているのですか」
「親類は繋がっておるが、その程度じゃろう」
「でも万物は全て繋がっているのなら、血縁とは関係はなく、他の人たちとも繋がっているんですね」
「答えにくいが、賢者はそういう」
「しかし、私と師匠とは違います。一緒じゃありません」
「当たり前じゃ。そこが壁でな」
「はあ、壁ですか」
「説明しておるわしがそもそも納得などしておらん」
「難しい話なのですね」
「平っつたい話ではないということじゃな」
「でも賢者のお言葉」
「万物はそういう仕掛けになっておると賢者が発見したのじゃ」
「どう掛け足したのでしょうねえ」
「わしにはよう分からんが、一応伝えたぞ」
「それ、役に立ちますか」
「話が遠すぎるので、役立つまい」
「もっと近い話が良いです。親戚縁者とどう付き合うかとか」
「虫は無理か」
「はい、無視です」
「そっちの話の方が良さそうじゃなあ」
「次はそちらでお願いします」
「うむ、有名な愚人がおってな。これは笑わせてくれるので、楽しみにな」
「はい、そちらの方が好きです」
「うむ。わしもそちらの方が得意じゃ」
「あ、はい」
 
   了
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2023年12月13日

5064話 面接試験


 四次まで行き、やっと面接となる。これで終わる。ここで最終決定。だから五次。六次はない。
 しかし敗者復活戦のようなのはあるかもしれないが、ただの面接。誰かと戦い、勝敗を決めるわけではない。ただ田村にとり、それは戦い。
 直接戦わないが、ライバルがいるはず。四次まで田村は勝ち続けたようなもの。ただ、トーナメント戦とは違い、一次の人たちの多くが四次まで来ている可能性もある。減っていなければ、面接が勝負。
 ここで勝負がつくのかもしれない。ただ、採用人数は知らされていないし、応募した人の数も知らない。
 もしかすると面接だけをやる仕事の会社かもしれない。面接が最大の業務で、年中面接をやっているとか。請負会社ではなく。
 それで面接をクリアし、受かっても、はい、そこまでよとなるかもしれない。採用しましたというのがフィニッシュで、その先はない。
 その後、仕事などなかったりしそうだが、あるとすれば、今度は面接官になることだ。ビルの前で案内人として立っている役とか。
 しかし、四次まであるのだが、ほとんど書類による審査。提出書類も結構あったし、アンケートもあったし、文章などもあった。そんな規模の会社だとは思えないのだが、大きな所と繋がっているのかもしれない。
 それで田村の面接が始まった。
 よくあるような質問ばかりで、形だけではないかと思えるほど。ただ、たまに妙な質問が入る。これは例題にはない。
 田村は面接での受け答え本を何冊か読んでいるので、大概のことは模範解答。よくあるような答え方になるが、無難なところだろう。
 そして最後の方で、自分自身について語ってくださいと来た。これも良くあるので、それなりに答えた。
 すると、もっと細かく説明してくださいと突っ込まれた。
 田村は私は人間です。などと言うところからさすがに説明していないが。どの程度の細かさで良いのかが分からない。
 それで、子供の頃のエピーソードを話した。実はこれも面接本にあるのだ。
 面接官は五人もいた。年寄りから若いのまで。この五人の合意で採用不採用が決まるのかもしれない。またはさらにその上の人がいて、五人の意見を参考に決めるのか。
 面接は一応型どおり終わった。
 面接官たちの表情を見ると、まずまず。しかし、その印象と実際とは違う。
 一週間後、通知が来た。
 不採用だった。
 田村はホッとした。実は会社に行きたくなかったのだ。
 
   了
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2023年12月12日

5063話 偶然必然


 思わぬものが思わず見つかる。探していないのに見つかる。あればいいとは思っていても、どうせないだろうという頭があり、探そうとはしない。
 または手がかりがないので、探しようがない。それと偶然出くわすことがある。探したいものだったので、これは助かる。
 探さなくても向こうから飛び込んできたようなもの。だが、最初から探す気のないものではなく、何かの拍子で現れるのかもしれないとは思っていた。だからアンテナはそれなりに張ってあったが、積極的ではない。あればいいのに程度。
 こう言うのは場所にもよるが時間にもよる。近い時間、一日とか二日でも良いし、一週間以内でも良い。もう忘れてしまうほど以前のことなら、アンテナも弱っているだろう。通り過ぎても気付かなかったりする。
 しかし、時間もそうだが、場というのも大事。その場にはなくても、近くにあったりする。そのものではなく、間接的だが、その手がかりになるようなものが。
 特に探しようがなかったものなら、これは助かる。手がかりの一部を得たわけだ。これで、探してみようという気になる。場が提供したようなもの。近くでも良いのだ。遠く離れた場では繋がりが分かりにくい。近いとか似ているとかがある。
 要するに似たような雰囲気の場をうろうろしていると出くわす可能性が高く、また探しているものではなく、それよりも良いものと遭遇することもある。
 果たしてこれは偶然か必然か。偶然でなければ、それは自動的にそうなる仕掛けになっていたのかもしれない。
 そういう動きに勝手になり、それを続けていると遭遇しやすい。遭遇すべくして遭遇したように。ただ、そんな予想は立たないが。
 偶然もよく考えると必然的にその流れになった結果かもしれない。その流れが曲者で、自分で操縦しているようで、そういう操縦の仕方にしかならないとか、それが妥当だと思い、勝手に梶棒が動いていたりする。
 ただ、それを途中でやめることもできるし、別のやり方に変えることもできる。そうしたのにもかかわらず、一度やめたのをまたやり出したり、変えたはずなのに、前のに戻していたりする。これも自動操縦の内だろうか。
 そういうメカニズムは分からないが、予想できなかったものと遭遇するのは、決まっていなかったと見る方が感動的だ。悪いことでは感動などしている場合ではないが。
 人には行動パターンがあるようだ。傾向のようなもの。好き嫌いとかも。だからその傾向に即して運転しているのだろう。
 本人がハンドルを握らなくても、適当なところで曲がったりする。まあ、それでは目的地には到着しないので、困るが。
 それがオートであってもマニュアルであっても、感じることは同じ。偶然だと捉えるか必然と捉えるかは問題ではないのかもしれない。
 なぜなら全部が偶然であり全部が必然なら。
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 13:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする