2024年02月29日

5141話 傀儡師


 木偶人形を操り、立体紙芝居。人形劇のようなものを見せ、子供に菓子を売るという傀儡師がいた。
 その傀儡師が二人。街道でばったり出会う。
「伊賀か」
「違う」
「甲賀か」
 と聞くのは、傀儡師に扮装した忍者が多かったため。何かの情報を得るため、うろうろしている。特に城下にいる傀儡師はあやしい。しかも長くそこにいるのは。だが、街道では、どちらかは分からない。
「では、何処だ」
「飛騨」
「飛騨者か」
「そっちは」
「甲斐だ」
「それは珍しい」
「少数派なのでな。飛騨も甲斐も」
「誰からじゃ」
「え」
「誰の使いじゃ」
「使い。そんな使いはもらっておらん」
「依頼主じゃ。ああ、それは言えぬな」
「ただの生業」
「まあ、いい」
「しかし、一寸頭を出してる、その童の木偶。見事だな」
「これは看板だ。物は良い。木地師が違う」
「いいのを持っておる」
「大事な商売道具」
「うらやましいのう。色目に艶がある」
「塗りも巧みなんだ」
「わしも欲しい」
「甲斐にもいるだろ。名人じゃなくても」
「古くなった。新しいのが欲しい。以前より飛騨ものがいいと聞いていた」
「売っておらん」
「飛騨まで行ってもか」
「来たなら売るだろう。作り置きもあるはず」
「いいことを聞いた。近いうちに飛騨へ行く」
「気をつけろ。飛騨は」
「山深いからか、しかし、意外と近江からも近いぞ」
「じゃ、傀儡師のなりでは行くな」
「怪しまれるか」
「そうじゃないが、飛騨にもややこしい傀儡師がいる」
「伊賀者のようにか」
「それとはまた違う」
「わしはただの傀儡師。甲斐が国元だが、出稼ぎなんだ」
「こっちもそうだ」
「よかった」
「しかし、その手の者のなら、正直には言わんだろう」
「尤もだ」
「たとえ筋者でも敵同士ではない」
「そうじゃな。わしらは敵対しておらん」
「やはり、そうか」
「違う違う。ただの百姓だ。その出稼ぎだ」
「その出稼ぎ、誰かに頼まれたんだな」
「そっちはどうじゃ」
「誰にも頼まれておらんわい。生業。食うためじゃ」
「正体は出せんなあ」
「それより、その木偶、もっと見せてくれ、頭だけじゃなく」
「糸がもつれるので、それはできん。それに商売道具なのでな」
「一寸触れるだけでいい」
「こらっ」
 触れた瞬間、頭を握り、木偶を箱から抜き出した。糸が引っかかるが、道中差しで切り、サッと懐に入れ、走り去った。
 強奪された傀儡師、立ったまま。
 傀儡師の人形に密書。という話を聞いていた。だからその木偶人形の中に密書が入っていると思っていたのだろう。上手く引っかかった。偽の密書を仕込んでいたのだ。
 傀儡人形を操る傀儡師、その傀儡師も操られている。
 
   了
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2024年02月28日

5140話 好き貧乏


 熱中している事柄からも、そのうち冷めてくるが、常に熱心にやっていることもある。
 飽きてやめるものもあれば、続いているのもある。長期政権だ。しかし、それだけをやっているわけではなく、熱中できるものは他にもあり、そちらは入れ替わり立ち替わり現れるので短期。
 それらの事柄の中でも大人しいものはあまり熱心ではなく、熱中し、我を忘れるわけではないので、それほど熱心にはやっていない。習慣になっていることや、日々の細かいことだろう。
 やらないといけないのでやっていたり、やりたいからやっていたり、また癖になっているので、ついついやっていたりとかも。
 やはりその中でも長期政権のずっとやっているものは貴重だ。そういうものがあるだけでも大したもので、そんな事柄が複数あれば、もうありすぎな感じ。
 それとは別に、時たま熱中する事柄もあるので、それだけでも十分だが、それは続かないことが多い。
 面白いのはもう意味など忘れるほど癖のようにやっている事柄だ。もう中身はないようなもの。しかしやっている。
 別に熱心でもなく、いやいやながらでも仕方なしでもなく、自然にやっている。熱中ではないが、そう思うほどの意識もない。ただただ動いていたり、思ったり、考えたりしている事柄。
 これは常駐しているようなものだが、それさえも気にならないほど自然。
 だから熱中していると思える事柄とは別に、そういった熱中を感じない事柄もある。
「また分かりにくいところを突いていますねえ竹田君」
「読まれましたか、僕の日報」
「日報でそんなことは書くのは落書きに等しい。ただの感想はいらないのです。あったことを書きなさい。今日は何処まで進んだとかね」
「その進展が、昨日の日報です」
「熱中の話かね。何だね、それは」
「熱中していることさえ感じない熱中です」
「だから、熱中しているから、そこに集中し、そんなことなど思えないほど熱心にやっているだけのことでしょ」
「でも熱中の種類が違うように思います。やっていても熱心さはなく、淡々とやるタイプとか」
「じゃ、熱中じゃないのですよ。いやいや、そんな話をしている場合じゃない。それが次の研究テーマなら別ですが、そうじゃないでしょ」
「なかなか今の研究に熱中できなくて、ついつい書いてしまいました」
「でも最初の頃は熱心にやっていたじゃないですか」
「だから短期タイプです」
「それで長期政権タイプが欲しいと言うことですかな」
「はい、そうなんです」
「しかし、それは研究とかでは無理ですよ」
「じゃ、どの方面ならいけますか」
「個人的なことでしょ。プライベートなことならいけますよ」
「あまりありません」
「あるでしょ」
「ありますが、短期政権ですし、すぐにネタが変わります」
「ネタかね」
「はい」
「じゃ、熱中の研究をすれば、熱中できるかもしれませんねえ。しかし、そんな研究、あまり奨められません。それなりにデーターが必要ですし、実験も必要でしょ。竹田君が扱える規模から出てしまいます」
「そうですねえ。それに既にやっているチームもあるでしょうねえ」
「この研究所でやるのは基礎的なことです」
「勉強のようなものですね」
「だからテーマは自由です。自由課題です」
「じゃ、熱中の研究もいけるんじゃないですか」
「そうですねえ。基本的なところまでなら」
「熱中したいから熱中の研究をするというのも一寸おかしいですねえ」
「気がつきましたか」
「はい」
「まあ、好きなら熱心に勝手にやるという程度ですよ」
「よほど好きなんでしょうねえ」
「そうですねえ。だから好きなテーマを選べば一番いいわけです」
「僕は何が好きかなあ」
「君は何でも好きそうですよ」
「好き貧乏ですね」
「そうだね。一つに絞れないのならね」
「いっそのこと嫌いなことをやろうかなあ」
「好きにしなさい」
 
   了
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2024年02月27日

5139話 雑念


「己を見ておる己がおる」
「私を見ている私ですか。それは誰ですか」
「本人じゃ」
「それはたまにあります、今、妙なことを考えていたなあと言うのを引いて見ている私がいますが、さらにそんなことを思っている私がさらに外側に。それが本当の私だと思っていても、そう思っている私がもう一枠向こうにいます。さらにその向こうにも。これは誰ですか」
「己じゃ」
「じゃ、全部私なのですね」
「そうじゃ」
「では私の外側はないのですか」
「だから、幾重にもあるので、ありすぎる程じゃ」
「それは最初の私を見ている私よりも凄いものですか。後ろへ行くほど」
「いや、同じじゃ」
「それは己を知ることに繋がり、修行になりますか」
「ならん」
「ならないんですか」
「ただの遊びじゃ。戯れよ」
「無限に同じことを繰り返しているようなものですか。回数が増えるだけで」
「その方法、気がおかしくなるので、やめておきなさい」
「でも、どうしてそれを私に教えるのですか」
「教えられなくても、やっておるじゃろ」
「はい、そんなに何重にも引きませんが」
「それで別に己がどんどん遠ざかるわけではない。最初の一度で十分」
「あ、今変なことを考えていたというのに気付くだけでいいのですね」
「しかし、その変なこととかを考えていたのは誰じゃろう」
「私です」
「しかし、勝手に思い浮かんだのではないか」
「そういうときもありますが、私が勝手に想像した方が多いです」
「それを雑念と言うが、まあ、人は雑念の塊。それでよろしい」
「ここへは修行のために来たのですから」
「だから何じゃ」
「もっと私が高まるような」
「では雑念を捨てろとでも聞きたいのかな」
「はい」
「それは雑念の凄さを知らぬからじゃ。そのおかげで生きていられる。修行も雑念からじゃ。修行なども雑念そのものじゃしな」
「それを聞いて安心しましたが、そんなことでよろしいのでしょうか」
「修行も雑念の中の一つ。雑念の規模はもっと大きく広い」
「雑多な思いがあるわけですね。それで、ここでは私はどんな修行をすればいいのでしょ」
「思う存分雑念を沸かし散らすのじゃ」
「こっ、こわー」
 
   了

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2024年02月26日

5138話 何と言うことはない


 何と言うことはない。これは何だろうと改めて言うほどのことではないと高峯は思った。何と言うほどではないと。何でもないことで、簡単だと。考えるほどのことでもなく、難しく思わなくても行けること。安易だとさえも思わないほど簡単なこと。
 高峯は本当はそうだとは思っていないが、それを押し隠している。押し込めている。それが出ないように。
 世の中には難しいものでも実は簡単だったりその逆もある。本当は難しいのに、簡単だとされていることもある。
 だから本人が簡単だと思えば、簡単なことになるのではないか、それが高峯の作戦。しかしこれは、ばれている。高峯自身に。
 しかし、それで、この難局にぶつかるしかない。だから難局だとは思わないこと。しかし、どう見ても手強さが来る。この作戦、自分にはばれているため。
 だが、難しく複雑で何ともならない問題だが、その一つ一つは大したことはない。それに気付いた。全体を見ると大物だが部分だけを取り出してみるとこなせる程度の小物。その小物だけがぽつんとあるのなら何と言うこともない相手。
 しかし、小物相手でも、実際は大物の一部分を占めているだけ。そのため大物の影がチラチラして、これは隠しきれない。だから高峯もそれに気付いている。だから、ばれている。誤魔化しても無駄。駄目。
 これは最初から高峯には無理な相手ではないか。そう考える方が正しいような気がする。手が出せる相手ではない。また手など出ないだろう。手も足も出ないまま終わるというやつ。
 しかし高峯は攻略したい。もし可能なら大手柄だ。それで、相手を簡単なものとして捉え直したのだが、先ほど思ったように高橋自身にばれているので、やはり弱い対象ではなく、強い対象なのだ。
 発想を変えると上手く行くというのは当てにならない。どだい無理という対象がある。小賢しい策など通じない。
 やはり相手にしないことが得策と、高橋はそれに決めることにした。それでホッとした。
 何だ、簡単だったと、高橋は思った。何でもない簡単なことだったのだと。
 
   了
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2024年02月25日

5137話 いつも通り


 竹田にはいつも行く店がある。何処にでもあるような店だが、馴染みのない店には行かない。それはいつもとは違うため。
 しかし、そこも毎日通うようになると、いつもの店になり、これまで行っていた店に取って代わる。そして行かなくなると、馴染みの店ではなくなるのか、よく知っているのだが、間隔を置くと感覚としては遠い存在になる。
 その日、いつもの店が休みなので、別の店へ行くことにした。滅多にないことだが、たまにある。いつもの店が閉まっていた場合の補欠選手のような店。しかし、何度かそういうことがあるので、いつもの店ではないが、それに準じる店。たまに来る客としてそれなりに成立している。これは竹田の勝手な思いにしか過ぎない。
 それで行くことにしたのだが、方角が悪い。占いでそう出たわけではない。そうではなく、数時間前に行ったところと同じ方角で、近いところにある。
 だから同じ道を通ることになる。別に支障はないのだが、違う方角、違う通りを行きたい。同じことを繰り返すことになるので芸がない。時間帯もそれほど変わらない。
 そこで今回は道を変えた。いつもは通らない通りを通る。いつも通りではなく。これなら別の道を行くようなもの。いつもの通り道でも一日一回ならいい。二回は飽きる。
 そして復路だけに利用している通りを逆走する。これは同じ道だが、向きが違う。すると風景も違う。違いすぎて曲がり角を間違えるほど。
 ここが見所で、少しの刺激。逆側から来ると、こんな感じになるのかと驚くほど。これはほとんどやったことがないため。
 だが何度かやるともう分かってしまい、記憶に残るので、新鮮さがない。一寸した驚きが。
 同じ道や同じ道筋を行くのかと思うとうんざりしていたのだが、そうではなかった。一寸捻ればよかった。
 それで気を良くしながら店の近くまで行くと、閉まっているのが分かった。数時間前、その近くを通った時は開いていたので今日は休みではないと思っていた。
 しかし、数時間後のその時間の手前で閉店したのだろう。置き看板が消えていた。つまり閉まるのが早い店だったのだ。そして、その時間、竹田は前を通ったことがないので、知らなかった。
 それで竹田は店での用事を諦めた。急ぎの用ではないし、入らなくてもいいのだ。しかし習慣になっているので、店屋に寄りたい。いつもの店が開いておれば問題は何もなく、いつも通りのことをいつも通りに執り行われるはず。
 しかし、あまり代わり映えはしないが。その意味で別の店に行くことは一寸した変化で、新鮮だった。
 それで戻り道、同じ道を通らないことだけを心がけ、できるだけ違う道、違う道へと入り込んだ。逆方向は無理だが、少し遠回りしても構わない。
 そのおかげで久しぶりに通る道に入り込み、迷いそうになるほど新鮮。いつもの通り道ではない通りを行く。そういうことができたのは開いているはずの店が閉まっていたおかげかもしれない。
 何かの偶然で横道に逸れる。普段ならそんな気は起こらない。いつもの通りをいつも通り行くので。
 
   了
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2024年02月24日

5136話 田村の雨舞


 田村は雨で足止めを食らった。食べたわけではないが、この足止め、食べてみる気になったのだ。
 その用事、別に急がないし、他に影響を与えるものではないので、やらなくてもいい用事。
 しかし田村は困る。それは日課だし、そこで果たした用事はそれなりに蓄積となり、先へ先へと続いている。難しい用ではないが、その気にならないとできない。だから日常の野暮用とは少し違う。
 しかし今日は雨で出かけにくい。いつもならそれぐらいの雨では行っている。台風や大雨でもない限り。
 または安静が必要なほど体調を崩してときとかも。
 今日の田村は悪い体調ではない。よいわけではないのは雨で気も身体も重い程度。だから普段なら行ける。
 ところがどうしたことかやめようかと思った。これは既に一度外出しているため。雨の中だ。
 田村の規則では二回続けて雨の中を行くのは避けている。これは守らないことが多いので、ただの推奨。田村が勝手に作ったルール。
 今、出かけようとしているのは、それに当てはまる。傘を差すので、ずぶ濡れにはならないが、雨に打たれることは確か。それなりに衣服は濡れ、靴も濡れる。打たれるほどの強さではないが。
 それで、田村は行くのをやめた。たまにはそういうことをしてもいいだろう。しないと言うことだが。
 時間的にも昼寝をしてもいい。これこそ何もしていないのと同じだが、身体も頭も休まる。雨の中、出掛けるよりも。
 そして布団の中に入った。昼寝をするのも久しぶり。雨で鬱陶しい日は寝ていた方がいい。それができる時間は田村にはあり、融通も利く。
 そして、うとっと仕掛けたときから夢が始まった。雨の中、出掛けている姿。いつもの見慣れた道や風景とは少し違うのは視界が悪いため。雨で軽い幕が掛かっているようなもの。
 出掛けなかったのだが、夢の中では出掛けている。夢の中の田村はそれに気付いていない。もし本当に出掛けていたとすれば、そんな風景だろう。
 現実と同じで田村の姿はない。田村の後方からの映像ではないため。
 身体の一部は見えるし、靴ぐらいは見えるが、夢の中の田村はもっと遠くを見ている。
 しかし漠然としており、何も見ていないようなもの。それに何かの像を捕らえているようには思えない。何処にもピントが合っていないのだ。
 だから何も見ていないのだが、前方を見ている。まさかカーテンのような雨を見ているわけではないだろう。一粒一粒の雨が見えるわけがない。
 背景と光線状態で線のようなものが走るのが分かる程度。それと水たまりができておれば、波紋が少しはあるだろう。その程度の波紋なので強い雨ではないはず。
 夢の中での田村には目的地がないようだ。確認しなくても分かっているのだろうか。そして雨でふわっとなった世界をひたすら進んでいる。
 夢はそこまでで、急に終わった。つまり昼寝から目が覚めた。
 雨で用事は果たせなかったが、雨の中、出掛けたような気になった。
 
   了
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2024年02月22日

5135話 蟹の斜め走り


「蟹田がか」
「入りました」
「あの大人しい蟹田がのう」
「珍しい動きなので、報告しました」
「父親も了解の上だろうなあ」
「許可を得たでしょ」
「まあ、親睦会じゃ、それだけのこと。何かを成すような集まりではない」
「若者には人気があります」
「蟹田の息子はそれまで何をしていた」
「え、そういった親睦会関係ですか」
「そうだ」
「何処にも入っていなかったようですが」
「じゃ、急にどうしたことなんだ。そこに志を見出したのか」
「そういう若者ではないようです。父親と同じで、大人しく、目だちません」
「だから報告してきたのだな。よし、では父親を調べろ。蟹田家の当主だ。指図したのは、父親かもしれん」
「なぜですか」
「息子がそんなところに入るなど許さんだろう。蟹田のこれまでのことからして、そんな目だったことはせんはず。息子を止めるはず。ということは父親も承知の上、むしろ息子に命じたのかもしれん」
「ややこしいですが、蟹田にそんな存在感はありませんよ。あるかないか分からないような家です」
 その後、この藩の評定会での動きが変わった。蟹田の息子の動きが反映したのだ。蟹田が動いたと。
 息子が動くということは蟹田家も動いたと言うこと。旗色をはっきりと示したようなもの。当然蟹田は評定に出られるほどの身分ではない。そのため大した影響力はない。
 蟹田家はこれまで、前後には動かず横に動いてきた。蟹歩きだ。しかし、今回は横ではなく、斜めに動いたのである。
 評定会の重臣たちは、それを問題にした。息子が親睦会に入っただけで、何も起こっていないし、その親睦会も何の力もない。
 評定会ではその親睦会が押そうとしているとある重臣を首座に据える決定をした。評定会の上にある長老も認めた。
 これで藩政が変わった。変えたのは蟹田と言うことになる。蟹田家当主と仲のいい僧侶との会話の中に、その真相がある。
 たまには一寸違うことをしたかったらしい。藩政改革の志などとは関係なかったようだ。
 
   了
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2024年02月21日

5134話 悟舎


 深山で悟った僧が、下界で舎を開いた。これは悟るための施設で、寺ではない。そのため、僧は僧職を捨てた。
 その前から妙な動きをしており、寺の勤めを忘れて、深山にこもってしまったのだ。さすがにこれは暮らしにくい。そのための苦行。
 しかし、少しでも楽にやるため、山裾にある寺に寄宿していた。だから通いの修行僧のようなもの。深山と言っているが、里から近いのだ。
 その寺には、その僧は属していないし、宗派も違う。しかし舎はその寺の寺領に建てられた。
 寺の協力があったので、これは幸いだった。悟った人がそこにいるだけでもいいのだろう。我が寺領にいると。
 その僧、悟っただけに無心。何の企みもない。欲もないが、そのままでは危ないので、舎で悟りを教える仕事を始めた。
 できれば多くの弟子がいる方がいいので、舎も大きく、また設備もいい。その設計にも僧は立ち合い、いろいろと知恵を出した。また、一人ではできないので、手伝いの者も雇った。そのため、いい人に手伝ってもらいたいので、面談もした。
 さらに無料というわけにはいかない。それでは運営できない。備品もいるし消耗品もいる。そこは寺に詳しい人がいるので、手伝ってもらう。
 そうしてすがすがしい風貌で山から下りてきたのだが、どんどん俗に染まってしまった。
 また山にこもっていたときはなかなか食べられなかった生魚、つまり刺身や、おいしいものを食べるようになる。これは修行中、雑念として食べたくて食べたくて仕方がなかったもの。それらが一気に爆発した。
 その僧、本当に悟ったのだろうか。これは事実らしい。無念無想。それでは死んでしまう。寺から通っていたとは言え、最終段階に入ったときは山にこもりっきりで食事もしていない。
 これは危ないと僧は感じたのだから、本当はまだ悟っていなかったのだろう。
 そして山ごもりする前よりも、その僧、俗っぽくなり、世間慣れし、和気藹々と舎を運営している。
 この僧の教えは、一瞬の悟りで、ずっとの悟りではない。だから安心して悟ってもいいとか。
 
   了
 
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2024年02月20日

5133話 磨かれた結界


 吉田は昼に入る喫茶店がある。習慣になっており、これは決まりごと。ずっとそこに通っているのだが、以前は別の店。
 そして昼といっても幅があり、以前はもっと早い目の昼頃だった。これはいろいろと出かける前の事情とか、起床時間も絡んでおり、そういうのを上手く満たしているのが、今の喫茶店。
 他にも選択はあるが、一番都合のいい場所や時間帯なので、そこに落ち着いた。もう、あえてそこを変更する気など起こらない。他にいい候補がないためだ。
 その日も喫茶店の前まで来ていた。そしてドアを開ける手前で、待てよ。と誰かがささやいた。他の人ではない吉田自身だ。
 試みというのがある。その試みの問いかけなのだ。それは、入らなくてもいいのではないか。ドアを開けなくてもいいのではないかという発想。これは普段、あまり沸かない発想だ。その必要がないため。
 入らなくていいのではないかという選択もある。その選択も吉田にはできる。簡単なことだ。ドアを開けなければいい。すると、どうなる。
 他の喫茶店へ行くことになるが、結構遠いし、長く入っていないので、行きたくない。では喫茶店そのものに入らず、別のことをすればいい。
 しかし昼食後の休憩が欲しい。缶コーヒーで済ませてもいいのだが、それでは落ち着かない。それに、入らなくてもいいという選択など必要だろうか。ただ、選択はできる。だから試しなのだ。
 試しにやってみてはどうかという問いかけのようなもの。そのあとのことは考えていない。吉田は当然その試みは却下した。
 しなくてもいい選択だし、入らなかったあとのことが何も決まっていないので、うろうろしないといけない。そのまま戻ればいいのだが、それなら、何のためにここまで来たのだ。
 だからトータルで考えると、入らない選択もあるが、やはり入った方がすんなりといく。
 以前、その店が臨時休業で、行き場を失い、うろうろしたことがある。これは習慣のようなものを変えようとしてのことではない。閉まっているので、入れないので。
 結局、かなり遠いところにある喫茶店へ向かったのだが、時間がそれで食われるし、久しぶりに顔を合わせる店の人との接触は気が重い。その店は以前よく行っていた頃との関係とは違うのだ。さらに、その日だけ行くようなもので、冷やかしのようなもの。そこまで気を回さなくてもいいのだが、回ってしまう。
 だから、試しの選択で、いつもの店に入らないことも選べるとしても、あまり意味はない。何かいいことが起こるとか、その方が得だとかもない。
 選択を変えられることだけが目的になり、後は野となれ山となれではないが、その行動に責任が持てない。
 その日、そんなことを考えたが、結局は喫茶店のドアを開けた。
 日常の結界、それなりに合理的にできており、スムーズに行くように張り巡らされたストーリーなのだ。ただ、その結界、ほころんだり破れたりするが。
 しかし、よく磨かれた結界と言えるだろう。
 
   了
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2024年02月19日

5132話 神仏の秘密


 田村の賢者が田村村にいる。元は武士。今も武士だが世を捨てている。そのため武家奉公はしていない。主君はいるが本人は仕えていない。
 これでは武士としての意味を成さないのだが、主君を変えることもよくあった。そのため田村の賢者など大人しいもので、引退した程度。家は息子が継いでいるので、気楽なもの。
 その田村の賢者に、こざかしい小坊主が尋ねてきた。凄い人物を回るのが趣味のようで、子供なら当然好奇心旺盛。実際に役立つような知恵を伝授してもらうのではなく、ただの好奇心。ある意味純粋だ。自分のためだけの話なので。
「神仏はどうして生まれたのでしょうか」
「さあ」
「分からないのですか」
「神が生まれるところなど見ておらんからなあ」
「想像で結構です」
「ならば何とでも言えるので、いい加減なもになるぞ」
「神仏を作った神仏もいるのですか」
「それなら切りがなかろう」
「そうですね」
「それに神仏などおるのかのう」
「え」
「見たか」
「いいえ。でも時たま感じることがあります」
「感じでは弱いのう」
「そうですねえ。どうとでも言えます。錯覚だったりしても」
「小坊主さん」
「はい」
「童の頃はそういうことを考えるもの」
「大人になれば考えませんか」
「考えても詮無きこと。あまり役に立たんし、いい加減なものなど信じるほど馬鹿じゃない」
「でも多くの大人は神仏を信じておりますが」
「何でもいいのじゃ、神でも仏でも、違うものでも。ただ神仏は使い回しがいいし、よく知られておるのでな。これなら不審がられん」
「じゃ、不審なものを信じている人もいるのですね」
「不審かどうかは分からんが、不思議なものなら、何かありそうじゃろ」
「神仏は心の中にあると聞きました」
「方々でそういうことを聞いて回っていると、そんなことを言う御仁もおられよう」
「私の中にも神仏がいるのでしょ」
「じゃ、それを拝めばいい」
「でも自分自身を自分で拝むなんて、おかしいですが」
「その案は採らぬか」
「おかしな人になってしまいます」
「そうじゃな、神仏だけがいるとは限らんからのう」
「頭で考えても神仏など分からないと聞きましたが」
「じゃ、何で考えるのかのう」
「感じ」
「勘違いもあるでよ」
「では田村の賢者様は何がよろしいとお思いですか」
「手法か」
「はい。是非ご伝授を」
「知ってしまうと面白うなくなる」
「そうなのですか」
「だからこそ神秘。神は秘密のもの。見ては駄目なのじゃ」
「秘されているからいいのでしょうか」
「少しは漏れておる。またチラチラと見えておる。そのものではなく、その境目のような箇所がな。だが誰も見た者はおらん。もし、いたとすれば、当たり前のものが当たり前のようにあるだけやもしれんのう。わしも見たことはないが、それこそ知らぬが仏」
「ご教授、ありがとうございました」
「理解したかな」
「いいえ」
「あ、そう」
 
   了

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2024年02月18日

5131話 傘道


 温かい雨が降っている。冬は終わったのだろうか。
 下柿は傘を差す。するとすぐに止む。しばらくすると、また降る。そのたびに傘のヒモを回し、留めないといけない。最後はパチンとボタンの音がする。
 それがなまっているときは角度が悪いのだろう。またテープ状のヒモを回していると、間違ってあっていないときがある。これはヒモをねじれば良いのだが、失敗したことには違いない。詰めが甘かったのだが、強引に詰めた感じ。
 物事は丁寧にやる方が気持ちがいい。凄い手柄を立てたとか、凄い成果を上げたわけではないが、気持ちの良さは得られる。
 面倒なことをしているときもそうだ。いらだってやるよりも、のんびりとやった方がいい。時間がかかっても、その間の気分が違う。
 下柿はそう心がけているのだが、無視することもある。ここは丁寧に、ということなど気付かないままやってしまうためだ。車と接触しそうになったとき、丁寧にゆっくりとは避けないだろう。身体が先に動いている。
 また、一息置けるタイミングがあっても、そのスイッチが入らないときもある。ただの心がけなので、余裕のあるときにしかできない。それでも面倒なときもある。急いでいるときなど。
 今朝の雨はどちらのタイミングだろうか。降ったりやんだりの繰り返し。それならずっと傘を差しっぱなしの方がいい。
 しかし降っていないのに傘を差すのは不細工。それに差していない人も多い。だが、降っていないのに差している人もいる。開けたり閉じたりが面道なのかもしれない。そしてどうせすぐにまた降り出す。
 下柿は丁寧路線をそこでやってみた。差すときはいいが。閉じたあとがテープ問題で面倒。それに傘に手を触れないといけない。小雨でも濡れている。
 だが、そこで水滴の温かさを感じた。温水ではない。指や手のひらが冷たくない。そのとき、冬は終わったと感じた。
 これはまだ速い判断だが、このあとまた寒い日が来たとしても、手は覚えている。そして記憶は当分あるだろう。十年は持たないが。
 だが、温かい雨の記憶は消えるが、極端に手が冷たかった時は長く覚えている。よほど印象に残ったのだろう。
 どちらにしても、その日、下柿は傘で丁寧ごっこをした。これは極めることができるかもしれない。刀の抜き差しや居合い切りの作法のように。武士が刀を扱うように、傘を扱う。
 そういう意味もあるが、丁寧にやっているときは気持ちも落ち着くようだ。これを得るだけでも十分だろう。収穫だ。
 そして、また雨が降り出した。下柿はスッと刀を抜いた。いや、開けた。
 
   了

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2024年02月17日

5130話 楽日


 今日は何もない日、と田中は思った。その日がないのではない。特にやる用事がない日。
 その日だけはやらないといけない用事。それがない。日々の用事はある。だから何もない日ではない。日々の用事は毎日なので慣れている。特に何も感じない。
 粛々とやっているだけで、昨日と同じことを今日も繰り返すだけ。だから平和なものだ。平穏と言うべきか。
 ただ、同じことの繰り返しでも上手くできる日と、できない日もあり、決して同じことをやっていない。同じ行為だが、感じ方が違う。昨日とそっくり同じというのは意外とない。わずかな違いなら同じにしてしまうのだろう。それに全体的には同じなので。
 ただ、できないこともある。これはあきらかにいつもとは違っている。やり直せばできることならいいのだが、できないまま終わると、一寸予定が狂う。ただ、翌日やればできたのなら、問題はない。いずれもよくあることがよく起こる程度。
 それとは別に、今日、やらないといけないこととか、今日やっていた方がいいことがある。これは毎日のことではなく、月に一度程度。毎週あったり、始終あったり、毎日あったり、さらにその日のうちにも複数あったりすると、もうそれがいつもの中に含まれてしまうような感じ。
 だから、たまにやってくる、やらないといけない用事は間隔を置いた方が目だつ。それが日々やっている用事よりも簡単で時間も掛からないことであっても、違うことをするので、一寸気になる。上手くできることが分かりきっていることでも。
 そして田中は今日は何もない日。こういう日の方が多いのだが、前日にたまにやる用事を済ませたところ。それが終わってホッとしたわけではないが、何もない日というのは和める。
 やはり何かある日はプレッシャーのようなものがかかるのかもしれない。簡単なことでも難しいことでも。
 しかし、いつもの用事とは違う用事は刺激がある。蓋を開けてみなければ分からない用事もある。これは心配だし楽しみでもある。くじを引くようなものだ。
 何もない日、田中はその日は別のことをするわけではなく、何もない日を楽しむ。
 しかし楽しめるようなものがあるわけではない。普段通りのことをやっているだけで、それは楽しいというわけではない。また楽しめるものでもない。
 だから、何もないと言うことを楽しんでいるのだ。これは今日は何もないので楽だという程度だが。
 
   了
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2024年02月16日

5129話 出来レース


 不思議と揃うものが揃い、そうなるように決まったいたかのようなことが起こると薄気味悪い。
 これは良いことでも悪いことでも。しかし、それが起こったとき、それまでのことを思い出し、アレがこうで、コレがそうでと、その繋がりが見えてくる。
 しかし、これは勝手に話を結びつけたのかもしれない。関連しそうなことを選び取り、辻褄が合うようにこしらえた。かなりの戯作家だったりする。
 そのため、関係しそうなエピソードは他でも使えたりする。今度は別の意味でのチャプターとして。
 上田はそう思うのだが、既にできあがっていた出来レースを見ているだけではないかと、そちらの方も考える。
 しかし、これは怖い話だろう。なぜなら、それが出来レースなのではないかと考えることも出来レースの中に含まれており、そう思うこともまた決まっており、決まっているのだと思うことも決まっていたりすると、切りがなくなるからだ。何処かで終わらないと。
 悪いことが起こったときも、それはいいことが起こるために必要なエピソードだったという考え方も知っているが、そう思うことで、苦しさも紛らす程度。
 認識の仕方で扱い方が違うようなものだが、起こった事実はそれほど違ったものではなく、そのままのことがそのまま起こっているだけ。
 そこに何か救いが欲しいとかで、そんなことを思いつく。その方が気が楽になるのなら、軽減策としてはいいだろう。
 しかし、予想できないようなことが突然起こり、その原因などが思いつかないとき、エピーソードだけが単独で来る。以前からの繋がりが見えない場合だ。これは何とか繋げたいので、探したりする。
 上田は過去に解決が難しく、何ともならないことがあった。それで頑張ったのだが、果たせなかった。これはかなり無理なことだったのだろう。
 しかし、あるところからサッと解決した。上田が仕掛けたり工夫したわけではない。その中身は簡単なことで不思議なことではない。しかし念願の宿題が終わっていたのだ。何もしなくても、勝手に。
 その方法が神秘的なのではない。普通の方法で、ありふれた話。
 無理なことでも粘っておれば、何とかなったようなものだが、上田の手柄ではない。自然にその時期が来て、それが起こり、間接的に上田の宿題を済ませてくれたようなもの。
 これは果たして出来レースだろうか。それにしては長いレースで、その間、苦しい思いをした。しかし、それまた一つのレースで、レースはまだ続いているのだ。しかもレースは一つではなく複数ある。
 出来レースであったのかどうかはまだ決めるわけにはいかない。続いていそうなので。
 そして出来レースよりも出来損ないの出来の悪いレースの方が気味悪さがなくていいのかもしれない。
 
   了
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2024年02月15日

5128話 巫女と行者


 狭い盆地。細長く、そこに骨の多い魚の身があるような土地。
 渓谷ほどには狭くはなく、周囲の山々も低い。村人が始終入り込む里山のようなもの。
 そこに神社があり、村の神社。そして木々に囲まれた神殿前で村人が願い事をしている。神社の主の娘が巫女姿で、神降ろしの最中。
 しかし、その巫女、そんな素質はなく、型どおり演じているだけ。これだけでも見栄えがあり、神事を行っているように見える。
 村に困りごとが起こり、何度もこれをやっている。今回こそ悪いものが消えてくれるようにと。
 しかし、これは効かないだろうと村人はもう諦めている。何もしないよりもやった方がまし程度。そのため、よそ見している村人もいる。
 その目に、行者が映る。境内に入り込んできた旅の行者だろうか。見かけない老人だ。
 そして行事が終わり、ざわつきだしたとき、行者が神殿前まで来た。巫女と神主がいる。
 村人たちは世間話をしている。これは疫病かどうかは分からないが、悪い病が村にはびこっている。その症状などを話しているのだ。誰かは回復したとか、誰かが新たに罹ったとか。
 行者は神主を見る。神主も行者を見る。
「何かお知恵でもありますか」神主が聞く。
「村神様では無理じゃ」
「ほう」
「土地の神様でないとな」
「はて、何処に祭られておるのでしょ」
「ここにはないようじゃな。土地神様、地神様、地主様じゃ」
「うちにはありません」
「村ができるまでいた神様じゃ」
「何処におわします」
「この一帯だろう。この盆地全体かもしれんなあ。山神様と接するあたりまで」
「では、その地主様にお願いすればいいのですね。この神社ではなく」
「しかし、場所が漠然としておる」
 村人も興味を示したようで、是非この行者様に頼んで、何とかしてもらった方がいいと、神主に頼んだ。
 神主は、おおよそのことは分かっていた。こうやって村人を騙す輩がいることを。
 行者がそれを察してか、礼はいらぬと先に言う。そして地神様と接触できる場所を探すのに日数がかかるので、しばらくここで滞在したいと。
 神主はその手に出たかとにやっとした。そして娘の巫女に耳打ちした。
 急に巫女の様子がおかしくなり、妙な動きを始め、奇声のようなものを発した。その才がないはずの巫女だが、何かの神様が降りてきたとしか思えない。村人は行者よりも、巫女を見に行った。
 行者はほったらかしにされ、相手がいなくなり、棒立ち状態で遠くから巫女を見ているだけ。
 そしてもう行者を注目する村人はいなくなったのを知り、境内から退散した。
 行者は巫女に降りてきたのは神様ではなく、得体の知れぬものが憑いただけだと言いたかった。それを退治してあげましょうとも考えたが、信じてもらえないだろうと諦めた。
 巫女はすぐに元に戻った。神託も何もない。そんなものなど降りてこなかったのだから。
 神主が巫女にそっと命じただけのことで、行者の目をそらすため。
 その後、流行病は治まった。村の神様が願いを聞いてくれたからではなく、自然と収まる時期になっていたのだろう。
 行者の扮装をしていたその物乞いは、他村へと向かった。
 神主の娘は、もう巫女の振りはしたくないので、今回限りにしてくれと頼んだ。
 
   了
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2024年02月14日

5127話 叔父の物言い


 叔父の源左衛門は厳格な人で、さらに大層な物言いをする。話が凄くなり、規模も大きくなる。そういう声をしているのか、荘厳に聞こえてくる。
 真二郎はこの叔父が苦手だが、源左衛門には子はなく、真二郎を我が子のようにかわいがっている。そのため、真二郎は叔父の源左衛門に育てられたわけではないが、実父は細かいことを言わない人なのではなく、叔父が引き受けているので、よけない口を挟まなくなっていた。
 真二郎それで成長した時、叔父の言い方が気に入らなくなってきた。それは他の大人たちや友垣を見ているうちに気付いたこと。
 それは叔父が悪いのではなく、叔父の言っていることが間違いではないのだが、言い方が気に食わないのだ。しゃべり方、語り方だ。
 平たく言えば簡単なことをさも凄いことのように難しい言葉を連ねてもったい深く語るのだ。
 友垣も似たようなことを言っているのだが、一言で済むようなこと。
 ではなぜ叔父は大層に言うのだろうかと考えてみた。それなりの理由があるはず。大人でも聞き取れないような言葉の羅列。子供の頃の真二郎はよく分からなかったが、何となく、こういうことを言っているのだと想像した。それは当たっていた。
 もったいぶった叔父の話し方。これは何処からきているのだろう。当然そんなことを叔父に聞くのは失礼だし、父親にも聞けない。
 しかし、母親よりも親しい乳母が教えてくれた。既に乳離れしているので、もう屋敷内にはいないが、その乳母の村へ寄った時、聞いてみたのだ。
 あの人は学がある。しかし、上手く行かなかったらしい。殿様の子弟の教育係のようなものがあり、その候補に挙がっていたのだが、落ちた。
 だから口調が難しくなるのは、その時用だった。
 そのお役が消えたので、せっかくだからと言うことで、甥の真二郎を構うようになったらしい。
 真二郎はそれを聞き、簡単なことを難しく言う叔父を理解したような気がした。かわいそうな人だったのだと。
 その叔父、かなり年を取ってから私塾を開いた。藩では無役のままなので、暇で仕方なかったのだろう。
 分かりやすく、平たく言ってしまうと値打ちがない。叔父はそこで思う存分ホラ貝でも吹くように、発散していたようだ。だから叔父は機嫌はいい。
 もういい年になり子供もいる真二郎にはさすがに、もう大層な物言いはしなくなっていた。吹く場ができたためだろう。
 
   了
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2024年02月13日

5126話 落ち着く


 何となく落ち着ける場のようなものがある。
 それがどのタイミングかは分からないが、固定していることもある。あれをやっている時は落ち着くと。
 それは固定しているのだが、タイミングが悪いと落ち着けない。だから落ち着ける場もそれほど確実なものではないのだが、こんな所で落ち着けるものかと思うのだが意外と落ち着いた気持ちになることがある。
 台風の目の中に入った時のような静けさ。しかし、決していい天気ではない。さっきまで嵐で、台風が真上を行けば、また嵐が戻るだろう。台風の吹き返しで。
 ホッとした瞬間、落ち着いた気持ちになる。それまで落ち着きを失っていたのが戻ってきた感じ。落ち着きを取り戻したと言うことだが、その戻り先、果たして何処だろう。
 我を忘れてとか、自分を忘れとかもある。そしてやっと自分らしさが戻ってきた。いつもの自分に戻れたと言うことだが、このいつもの自分とは何だろう。はいここですよという自分の家の表札があるわけではない。
 その戻ってきた自分。どこから何処へ行き、何処へ戻ってきたのか。我に返るというのがあるのだから、やはりあるのだろう。そういう場というか、普段通り、いつも通りの自分と言うことだが、普段からそれほど落ち着いていなかったりする。
 ただ、これも一瞬だが、落ち着いた気分になっていることがある。これは結構快い状態だろうが、常にそんな状態ではいられないので、ほんのわずかな瞬間だろう。
 あとはそれに近い状態程度で、落ち着くのはいいのだが、退屈してくる。無刺激では。
 落ち着いていない時よりも落ち着いている程度。これがリアルなところかもしれない。
 落ち着いてゆったりとしている時も、以前のことを考えたり、このあとのことを考えたりする。無念無想というわけにはいかない。
 意外と静かにしているよりも、何かをしている時の方が落ち着けたりする。
 やっていることは単純なことで、目先はそこにある。散歩なら足を動かし、歩いておれば目的は達成される。ただ、目は適当なものを見ていていい。また何かを思い巡らせてもいい。結構ざわつき、目もキョロキョロしているが、歩いているという目的は達成中。だからあとは付録。
 それならあまり落ち着いていないが、気持ちはフリースタイルで、特に考えることはないのなら、逍遙。
 一寸した自由さがある。だからゆとりがある。落ち着いた状態というのは、そういうニュートラルな状態かもしれないが、こう言うのはいくらでもやってくるのだが、来ない時もある。
 ここは放置していていいのだろう。無理に落ち着かなくても。
 これが落ちだったりする。
 
   了
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2024年02月12日

5125話 化ける


 平凡なものが繰り返されている。
 予想はしていたのだが、少しは期待していた。一寸した違いでいい何かを。これは目新しさだろう。
 ところがそうではなく、同じパターンの繰り返し。これは安定した世界としていいのだろうが、何か物足りなさを感じる。
 どうせそんなものだと思っているので、期待していたものが期待していた通りに来ただけ。それでもいい。
 ただ、少しはもう少し踏み込んだものとか、今までにないパターンになっていたとかが欲しい。それをすると、安定した世界から外れるが、いつもいつも同じようなものの繰り返しでは、飽きはしないが、一寸となる。
 安定した世界。何かが切り替わるような時期ではないのでドタバタしなくなった。いろいろな試みもなく、失敗した試みはその後なくなり、まずまずのものばかりが横並び。
 抜群の安定感だが、それが崩れていくのも見たいもの。急激ではなく、徐々に。そうすれば進展や、新展開があるので、そこに期待が生まれる。
 ただ、そういうことも何度か成されたのだろう。とどのつまりの落ち着くところに落ち着いた感じで、ドタバタしても詮無いと分かったのかもしれない。
 しかし、そんな平凡な横並びの中から突き出てくるものがある。その平凡さからは想像できないほどの進展。
 たまにそういうのが混ざっている。何かの弾みでそうなったのか、または違う展開への可能性も残していたのだろう。ごくわずかだが、それがある。
 そしてそれは特出しており、目だつようになり、横並びではなくなる。
 ベースは横並びで同じことの繰り返しなのだが、強さがある。やがてそれは別個のものとして道を開く。過去にもそういうのがあったことは確か。その過去の凄いものもほんのわずか。横並びではなく独自の世界だった。
 ほとんどそれは成り行きか偶然で変わったりする。変貌。化けるという感じだ。だから平凡な横並びの中からもその可能性はある。
 いつ化けるかだ。そして、これまで化けたものは、平々凡々だった。最初から特出した存在ではなかった。
 この平々凡々なものから化けるのが醍醐味なのかもしれない。
 
   了

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2024年02月11日

5124話 郷主


「斐伊郷が見えておられますが、いかがいたしましょう」
「いつもの挨拶だろ」
「はい」
「会うに決まっておる。謁見の間に通しておけ」
「武者を隠していますが」
「いつもおる。それがどうしたのじゃ」
「斐伊郷の斐伊殿は一人です」
「お供もいるだろ」
「御殿前です」
「下僕なら仕方あるまい」
「いかがなされます」
「いつも通りの挨拶できたのだろう。用意しておるのがあるはず、それを出してきなさい」
「下僕から荷も受け取っております」
「何だった」
「毛皮です」
「毎度のことじゃ。一寸違うものを貢げばいいのにな」
「いかがいたします。お一人です。武者隠しに伝えますか」
「そんな必要は何処にある」
「いい機会です」
「それは難しい。斐伊郷との仲は悪くはない。斐伊殿の婚礼の時も、わしも出ておる」
「お取りになりませんか」
「大きな声で」
「今ならできます」
「それはできん」
「では、家臣に」
「斐伊殿は断るだろう」
「では従属に」
「今がそんな状態だろ。家臣と同じ」
「しかし斐伊郷は肥えた土地。山も豊か」
「無理だな」
「先代もそう言われていましたが」
「治められん」
「斐伊一族を滅ぼせば」
「手強い。そうしてまで取るような土地ではない。白根郷を見よ。先代が吸収した。しかし、その恨みが残り、白根郷は荒れておる。年貢を取るにも苦労する。そして何時寝返るか分からん」
「分かりました」
「斐伊殿を待たせては悪い。すぐに行く」
「武者隠しは」
「まさか斐伊殿が狼藉を働くまい」
「では、そのままで」
「しかし」
「はい」
「恐ろしいことを考えるでない」
「殿にその気があれば、いつでもやれます」
「気は変わらぬ。面倒になるのでな」
「はい、かしこまりました」
「斐伊殿に馳走を」
「はい、用意させております」
「うむ、それでいい、それで」
「ぎょい」
 
   了
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2024年02月10日

5123話 隠されていた古文書


「古文書が出てきたのですが」
「いくらでもある」
「別のところから出てきました」
「何処じゃ」
「物入れの奥の羽目板の中からです。これは隠して置いたものに違いありません。手の込んだところにありますので」
「それは知らなかったが、古文書ならたくさんある。あまり役に立たん。それに昔のことなど、もういいではないか」
「では、この古文書もそうですか」
「読んだのか」
「いえ、先にお伝えしたからと思いまして。それに勝手に読んではいけませんし」
「見せてみよ」
「はい」
「ボロボロだな。風通しが悪かったのじゃ」
「何と書かれてありますか」
「まだ、読んでいない」
「はい」
 主はサッと目を通した。流し読み。何が書かれているのかをまず知りたいので。
「いかがでした」
「先代が書いたものじゃな。四代前の当主じゃ。若くして隠居したらしい。そういう人がいたことは知っておるが」
「何と書かれてありました」
「恨み節だな。これは」
「歌人だったのですか。それは風雅な」
「違う。早く当主から降りた。いや降ろされたらしい。その恨みがここに記されておる」
「その先代、その後どうなりました」
「長生きした方だな」
「はい」
「当家には古文書が多く残っておる。ほとんどが帳簿のようなものじゃ。日誌とかもあるがな」
「でも、この書き置きは違うでしょ」
「恨みを書き連ねておるのう」
「どういたしましょう」
「そんな先代がいて、そんな思いをした程度。今とは関係せん」
「でも、わざわざ隠したのですから、重大なことが書かれているはずです」
「この箇所がそうだろう」
 主は、そこを読み上げる。
「策略だったのですね」
「しかし当家は続いておるし、養子などもらってはおらん。また当家は安泰。ずっと安泰できておる」
「しかし早い目に隠居させられたのでしょ」
「それだけの理由があったのじゃろう」
「はあ」
「そんな昔のことなどほじくり返しても詮無いこと」
「何かお祓いでも」
「隠居で気楽に暮らし、長生きしたらしいので、祟りなどせんだろ。仏壇に位牌もあるしな」
「でも、あの隠し場所、妙です」
「見せるために隠したんだろ」
「え」
「書いたものを見せたかったのじゃ。誰かが探し当ててな」
「それが私ですか」
「そんな恨みの書があることなど、誰も知らなかったはず。だから探すも何もない」
「見つける時期が遅すぎたのですね」
「こう言うのを読んでも仕方がない。わしの祖父などと関係しているかもしれんが、知らぬでもいいこと」
「はい」
「元の場所へ戻してきなさい」
「はい、読み終えましたら」
「あ、読むのか」
「当家の昔のことが分かりますから」
「勝手にせい」
「はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 13:08| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月09日

5122話 ついでにやる


 何かのついでにやってしまうことがある。ついでなので、そして目に付いたり、思いついたので。
 これはそのときはメインではなかった。あることをやりに行き、別のことをしたのだが、当然メインをやったついでに違うものをしている。
 場合によってはメインよりも大事なことだと思い、メインを飛ばしてやることもある。そんな大事なことならメインとしてやるだろうが、放置していたのだろう。または、今ではないと。さらに面倒なので、その機会が来たら、とかで。
 本を探しに行き、そのタイトルとは別のタイトルが気になり、それを取り出すとかもある。メイン食いだ。ただ、そのときのメインはそれほど大したことではなかった。
 ついでなのでできることがある。それ一本に絞ると何かやる気がしない時など、ついでならできることがある。ただし、それを思い出したり、目に付かないと出てこないが。
 ちゃぶ台の茶碗を片付けようとしている時、その下に落ちているゴミが気になり、ついでにゴミを取り払ったとかなら日常的にあるだろう。
 目的は茶碗を片付けることでゴミではない。またそのゴミを取りに行くためだけに動くほどのことではない。掃除する時に一緒にそのゴミを捨てればいい。
 これも、ついでだからやったことで、別に不思議な行為ではない。目に付いたので。
 しかし、目に付いていてもゴミを拾わないこともある。
 どちらにしても何かのついでが便利。
 これは思いついたらすぐに実行するパターンで、少し考えると駄目。思いつきが冷めないうちにさっさと食べる感じだ。
 何かのついで。これは捉え方が軽い。だからやりやすい。
 また、ついでにやったおまけのようなことが、意外とよかったりする。メインよりも。
 吉岡はその「ついで作戦」が上手く行って気を良くしていた。何事もついでにやればサッとできそうだし、考える間もないので、楽。
 さらに深読みし、本当に大事なことはついでの中に含まれているような気もした。元々大きな案件だったのかもしれない。
 しかし、やる機会を逸していた。そのきっかけを作ってくれたのが、ついで。ついででならできるという軽い気持ち。
 しかし、ついでが成立するには、メインがいる。メインをやりに行き、とか、やっている時とかの目標がいる。向かうものだ。
 これは実は大したことではなかったりする。やれることなのでやりに行ったので。また、ネタは小さいが、緊急性を要するだけで中身はどうでもいいような野暮ったいものが多い。
 だからついでに大事なことをやるというパターンになるが、それを目論みすぎると、ついでを意識しすぎて逆効果。
 急に思い出したとか、思いついたとか、目に入ったとかの方がいい。だからついでだからいいというスタートの軽さは、目論んでいる時はできない。
 しかし、そんな作戦を立てなくても、大事なことならさっさとストレートにやればいいだけの話だが。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 13:23| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする