2024年04月30日
5202 落ち着く
禅僧だが、今は退き、縁者の商家にいる。坊主から商人に衣替えしたわけではないが、僧衣は着ていない。百姓家の年取った親父に見えるが、顔の割りにはまだ若い。
禅寺では高僧に入った。それがある日、スッと辞めたのだ。上人になれる人が商人になったことになるが、商売をしているわけではない。母方の兄弟が店の主。その人はもう亡くなったので、その息子があとを継いでいる。
この元禅僧、ただの居候だが、客人扱い。遊んで暮らしているようなものだが、禅寺にいた頃も似たようなもの。
なぜそんな心境になったのかは本人しか分からない。ただ絵が好きなようで、本当は絵師になりたかった。
仏画などではなく、草花や鶏などを書いている。また似顔絵のようなものも書き、これが評判になる。
だから禅僧の部屋はアトリエかスタジオのようになってしまったため、別練を建ててもらい、そこで暮らしている。商売も上手く行っているのだろう。禅僧が引っ越してきてから蔵が一つ増えている。
ある日、似顔絵を描いてもらっている商人が「落ち着きとは何でしょうか」と聞いてきた。商人は元禅僧のことを知っており、直接教えを請うたのだろう。これは似顔絵代で買ったような質問券。
「己の真ん中にいることかな」
「真ん中」
「どちら側にも出ておらん」
「何が」
「気持ちがじゃ」
「ああ、前のめりになっているとき、確かにあります」
「均衡が取れておる時は落ち着けます」
「それは座禅で得たことですか」
「あれは不自然なことをやっておる。その気満々で気持ちも前に出すぎたり、後退しすぎたりでな。ずっと座っておれば、ぐらつくもの」
「しかし、心を静めるには座ってじっとしているのが良いのではありませんか」
「そんなことをせんでもいい」
「それで禅寺を飛び出したのですか」
「それが分かってしまったのでな。いても仕方あるまい」
「はあ、そういうものですか」
「この絵筆、その扱い方、使い方にも作法がある。それに集中するもよし、他のことで気を取られながら走らせるもよし。何も絵筆に限らず、動作の一つ一つがそれじゃ」
「それも禅なのではありませんか。聞いたことがあります」
「ただ、それを修行だと思いながらでは不自然。座禅と同じになる。そこなのじゃよ」
「あの、筆が止まっていますが」
「それはいけない。前のめりになり、真ん中を忘れていました。こういう話をすると落ち着かぬ。だから坊主を辞めた。わざとらしいのでな」
「また、筆が止まりましたが」
「まあ、そういう話はよしましょう。絵に集中する」
「はい、よろしくお願いします」
元禅僧の顔に落ち着きが戻った。
了
2024年04月29日
5201話 お大事に
「魔物の多くいる村ですか?」
「探しております」
「はて、魔物とは何を差すのでしょうか」
「妖しいもの」
「怪しいものならどの村にもいますが」
「ただの怪しさではない。人とは違うような在りよう」
「じゃ、獣の多い村ですかな。いくらでもそんな村はありますよ。まあ、村内にはいないでしょうが、裏山に入れば、それなりにいるかと」
「魔獣です」
「ただの獣ではないと」
「探しています」
「とんと噂は聞きませんなあ、狐狸の噂なら何処の村にもありますが、その魔獣に当てはまるかどうか」
「九尾の狐なら」
「それが、魔獣というやつですか。聞いたことはあります。八岐大蛇もその類でしょうなあ」
「いませんか」
「いたら大騒ぎでしょ。既に噂は広がり、あなたもご存じのはず」
「そうですねえ」
「残念ですが、思い当たるものがありません。私は人からものを聞かれるのが好きでしてね。知っていることならいくらでもお話ししますのに」
「人の姿をした術者ならご存じかも」
「ああ、村巫女のことですな。この村にもいますが、そんな術は使えません。皆知っていること」
「その巫女は普通の人ですか」
「はい、誰でもなれます。一人、そういう人が村には必要なのです」
「では、本人は妖しくないのですね」
「そんな力はないようです」
「ありがとうございました。参考になりました」
「ところで、あなた」
「はい、なんでしょうか」
「どうしてそんな、いないようなものを探しておられるのですかな」
「村内にはいないようです」
「おれば村では暮らせません。人の場合でも獣の場合でも」
「では、山とか海の果ての孤島にならいるとでも。できれば近場で」
「どうして探しておられるのですかな」
「弟子にしてもらい、そういう法力のようなものが覚えたいからです」
「それは邪の力。おやめさない」
「はい、それ以前に探しても見つかりませんので、弟子云々などないようなものです」
「それが分かっておられるのに、どうして探しているのかな」
「探している間に、いろいろと知らないことが分かるからです」
「あ、そう」
「では、他を探してみます」
「はい、お大事に」
了
2024年04月28日
5200話 感覚
田中は狩りをすることの方が楽しくなり、食べきれないほどになる。しかしその狩り、鳥や獣でなく保存が利く。
いくら狩っても置き場に困ることがないほど小さい。だからいくら狩っても大丈夫なのだが、それを整理するのが大変。何処に何を置いたのか分かりにくい。ただ狩った順に並んでいるので、奥の方にあるのは以前狩ったもの。もう何を狩ったのかは忘れているのもある。
それで奥の方を調べていくと、興味深いものが結構ある。それこそ食べないまま残しているのだが、実際には今は食べたくないのだろう。もう少し経ってからと。それが多くなり、食べる順番が大変。
そのうち食べきってしまうのだから、一生そのまま放置と言うことはない。だから順番なのだ。大事なのは。
そして、過去に狩ったものでほとんど食べていないものがある場合、それに近いものは狩らないようになる。
そうなってくると、以前は気に入って狩ったのだが、放置ではなく捨ててしまうこともある。今とは好みが違いすぎるためだろう。
また、似たようなものはその気になればいくらでも狩れる。だから捨ててもいい。おそらくそのタイプは一生狩らないかもしれないが。
これを繰り返すうちに田中は自分の好みが分かってきたりする。好ましいと思えるものでも、そうではなかったりする。
そして妙に引きつけられるものがあり、ついつい狩ってしまい、それを大事に残している。当然おいしいのでよく食べる。
田中の好き嫌いが徐々に分かってくる。これは実体験。
しかし、それが何かというのはまだはっきりとはしない。何らかの共通するものが含有されているためか、底に流れるものが一緒とか。
そして食べ飽きたものもあり、もうそのタイプは滅多に狩らない。
しかし、同じようタイプでも、流れというのがある。全体の流れと関係するようで、それ単独ではなく、意味や繋がりを感じるためだろう。
まあ、意味は感覚的なことではないが、意味を見出すのは感覚。結びつけたりするのだが、これは理屈に先立つ。
田中はそういう狩りをしていると、底に流れている流儀のようなものは、狩り以外でも通底しているのではないかと深読みした。
つまり、同じ感覚が連動している。他のことでも狩りの時の感覚を応用したり、また逆に狩りの時に他のことでの影響を使っているような。だから出所は同じだったりする。
ただ、その感覚も変化する。感覚が変われば意味も変わってくる。
つまりどう感じたのかがパロメーター。羅針盤。しかし、この感じというのはいい加減なもので、勘違いも多いが、何と勘違いしたのかを探ることもできる。
というようなことを田中は頭で考えてやっているわけではなく、自然とそんなカラクリを知る程度。あとで分かることだが、分からなくても問題はない。
感覚にも鋭い感覚と鈍い感覚がある。鈍い方が間違いは少ない。勘違いが。
しかし違えることも悪くはない。
了
2024年04月27日
5199話 無事帰還
島之内家の軍師はただの占い師で、戦いの前に家臣達も一緒に祈願する。そして即答で、勝利と出る。願いは叶うと。負けいくさなどいう罫はない。その中間も。全て必勝。空くじなし。必ず勝つと出る。
これは景気づけのようなもので、鼓舞用。
しかし勝つも負けるも戦ってみないと分からない。ただ、負ける戦はしないだろう。最初から。
だから勝てると踏んだいくさだけをする。だからまず勝つ。勝つ確率の方が高い。敵も、これは無理だ。負けると思い、いくさにならないこともある。もう降参している。戦わずに済めばこしたことはない。
しかし五分五分で勝敗が分からない場合、これは実際に戦うことが多いだろう。負けると決まったわけでもない。勝つとも決まっていないが、あとは運任せ。
しかし互角の場合、作戦的に勝利することがある。戦い方が上手い方が勝つ。その作戦を練るのが軍師だが。その時代、そのままでぶつかることが多かった。
下手に作戦を立て、失敗すれば、役に立たない。勢いで押す方がいい。余計な作戦で負ける可能性もある。余計なことをしなければ、勝てたか、引き分けで終わったか程度。
そのため、神官がそれをやる場合、ただの気合い入れになるのだが、勢いのある方が押しが強いので、それでよかったのかもしれない。
島之内家の軍師は寺社とは関係していない。島之内家お抱えの占い師。その風貌だけでも効きそうな形相で、何事も断定的にきっぱりと言うタイプ。
参謀役としては脳天気なほど。心配はないのかと思うほど勝てると言い切っている。ただ、それは神仏からのお告げだと誤魔化している。ただの軍師の話ではなく、天からのお声なので。
当然この占い師には、そんな能力はない。神の声を聞いたこともないし。啓示もない。聞こえたような気がしたとかもない。
しかし、戦いの朝、ほとんどの家来の前でその軍師は大活躍。そこが見せ場なのだ。
そして身分の低い足軽なども加わっている。かなりの人数だ。そのため、占いが執り行われる場所は広場になる。島之内家には城はなく、館がある程度。砦よりも弱い。籠城戦には向かない。
館の前に広場があり、出陣の時など、そこで勢揃いする。
戦は勝ちそうで島之内家に分がある。これはまともにいけば勝てるだろう。しかし、敵は受けて立ったのだから、それなりに勝算があるのだろう。
聞けばいくさ慣れした家臣を召し抱えたらしい。どうも本物の軍師らしいとの噂。だから妙手で来るかもしれないので、万が一のことがある。
それよりも足軽に至るまで、真剣に祈祷師のお告げを聞いている。それは絶対に勝てるので、大丈夫という程度のもの。天は島之内家に味方し云々と御託が続く。
実は勝敗よりも、無事に戻ってこられるかを心配しているのだ。戦いに負けてもいい。無事なら。また勝ってもそこで倒れたのなら、元も子もなくなる。
だから戦勝祈願よりも、帰還祈願なのだ。我が身が助かれば御の字。
だから足軽小者ほど、真剣に軍師の話を聞いている。そして占い軍師の勢いのある節回しが冴え渡り、鉦や太鼓も最大級に盛り上がった後、先発隊が動き出し戦場へと向かう。
足軽として引っ張り出された百姓達は、勝敗よりも無事帰還の方が大事だったのだろう。
了
2024年04月26日
5198話 ノイズ
最新テクノロリーでいろいろなことが分かってきたのだが、計測できるものは分かるが、そうでないものは間接的な計測になるらしい。
そのものは測れないが、それに影響されたものの動きなどは測れる。そういう動きが、あるかないかだけでも、測れないままよりも一歩進んだことになる。
しかし、そのもの自体は謎のまま。他に与えている影響で調べるしかない。
では昔の人はそんなことは知らなかったのかというとそうでもなさそうだ。別に計測器があったわけではなく、ただの想像だ。おそらくそれはこんなものだろうという概念的なこと。その概念もしっかりとしたものではなく、おそらくこうではないかと考えられた程度。
その古代人の答えと最新科学が捉えた世界とかが似ていたりする。逆に古代の人の方が早く答えを出していたりする。ただ、その筋道はあやしいのだが、差しているものは同じだったりする。
昔の人が思ったこと、考えたことが今も通用し、それが正解だった場合、今の人も、最新のてテクノロジーなど使わなくても、分かるのではないか。想像できるのではないか。
すると、普通の人も知っていたりする。特別な調査機材とか、データーとかを使わなくても、先にもう知っていたりする。それが普通の人だった場合、一寸痛快だ。
ただ、普通の人はそんな論文は書かない。だが、知っているのだ。
その根拠はない。ただただ、そう思う程度。その思いはどこから来ているのかは謎で、本人にも分からないが、ドンピシャと決まることがある。何かの偶然で駒が揃い、鍵が開くのかもしれない。
「竹田君、それは駄目だ」
「そうですねえ。それじゃ僕たち研究員は何だったのかという話になりますが、医者の不養生とかもありますしね。よく知っている専門家よりも門外漢の方が正解を知っていたりしますし」
「それを言っちゃあ、私たちの意味がなくなる」
「そうですねえ。仕事がなくなりますから」
「まあ、そういう話は多い。一般の普通の人でも知っていることでも、それを論文にすると厄介で説明できない。そこを何とか説明すれば、いい論文になる。誰もまだ語ったことのない論文だ。しかし普通の人は当たり前のように知っている。私も竹田君もね」
「それは知識ではなく、知恵でしょうか」
「そんな分け方などできんところで出てくるものだろうねえ。だから扱いにくい」
「分かりきったことを説明するのが結構難しいように思います」
「分からないことを説明する方が楽だね」
「妙ですねえ」
「真実は何処にあるのでしょうねえ」
「いきなり飛びすぎだ」
「一寸、室長に聞いてみたかったのです。個人的見解で構いませんから」
「ノイズだろう」
「ノイズの中に?」
「さあ、ただの感想なのでね」
「はい」
「竹田君、君はノイズの塊だ。期待しておりますよ」
「ノイズって雑念ですか」
「さあ」
了
2024年04月25日
5197話
冴えない日ほど
今日は天気も悪いし冴えない日なので、高田は大人しく、静かにしておこうと思った。
いつも、はしゃいでいるわけではないが、こんな日は動いてもろくなことはない。気持ちも落ちているし、低気圧で頭も痛い。まさにろくな日ではない。
では七の日があるわけではないが、ラッキーナンバーの七が来るかもしれない。しかし、ろくな日ではないので、その期待もない。
仕事も上手くいっておらず、何とかならないものかと日々考えているが、思うようにはいかない。世の中そんなもので、調子のいい日が続くことがおかしいほど。山あり谷ありと高田は諦めムードにはなっているが、たまには良いこともある。
その、たまが、そのあと来た。しかも二つも三つも。これはあり得ない話。いいことなどたまにあればいいほどで、あとは雑魚しか釣れないような日。
そんな雑魚の中でも上等な雑魚が釣れる程度。それでも少しは小ましなので、それで喜ぶしかない。しかし雑魚は雑魚。タイやラメではない。
松竹梅の松ばかり。山へ行けばそこら中にある。せめて竹が欲しいもの。梅までは望まないが。
しかしそう考えているとき、高田はその順序、間違っている気がしてきた。松が下で梅が上。間が竹。これで合っていたのだろうかと。
その梅、タイやヒラメに匹敵する事柄が二つも三つも入ってきた。これには高田も驚いたのだが、一つは誤報だった。違っていた。よく調べると嘘だったが、残りの二つは間違いなくタイ。
一つはタイで一つはヒラメだろうか。だから梅と竹を手に入れたことになる。こんなにまとまってて来るのは珍しい。たまにタイは来るが、一つだ。そのあとは雑魚。
天気も悪いし冴えない日。高田の調子も落ちているのに、この調子の良さは何だろう。
高田はすぐに元気を取り戻した。夢と希望が出てきたのだ。というよりもそれが実現したようなもの。待ちに待っていたものが来たのだから、これほど喜ばしいものはない。しかも高田はそれに関して、何もしていない。
釣りで言えば諦めずにずっと釣り糸を垂らしていただけ。どうせ釣れないと思いながらも、その行為を辞めなかった程度。何かを仕掛けたわけではない。
二つほど大物を釣り上げたので、そこで運を使い切り、その後さっぱりと言うこともある。
しかし、何だろう。調子の悪いはずの日なのにこんなにいいことが起こる。これはジンクスを書き換えないといけないかもしれない。
よく考えると天気とか、高田の調子とかに関係なく、それは来ているのだ。
だから、それは単なる偶然。よい偶然を高田は引き込んだわけではない。それらはそれらの事情で来ているのだ。高田とは無関係に。
こういういいことが起こったので、高田はこのあとどんな感じでやればいいのかと考えたが、地味に釣り続けるしかないのだろう。釣れても釣れなくても。
了
今日は天気も悪いし冴えない日なので、高田は大人しく、静かにしておこうと思った。
いつも、はしゃいでいるわけではないが、こんな日は動いてもろくなことはない。気持ちも落ちているし、低気圧で頭も痛い。まさにろくな日ではない。
では七の日があるわけではないが、ラッキーナンバーの七が来るかもしれない。しかし、ろくな日ではないので、その期待もない。
仕事も上手くいっておらず、何とかならないものかと日々考えているが、思うようにはいかない。世の中そんなもので、調子のいい日が続くことがおかしいほど。山あり谷ありと高田は諦めムードにはなっているが、たまには良いこともある。
その、たまが、そのあと来た。しかも二つも三つも。これはあり得ない話。いいことなどたまにあればいいほどで、あとは雑魚しか釣れないような日。
そんな雑魚の中でも上等な雑魚が釣れる程度。それでも少しは小ましなので、それで喜ぶしかない。しかし雑魚は雑魚。タイやラメではない。
松竹梅の松ばかり。山へ行けばそこら中にある。せめて竹が欲しいもの。梅までは望まないが。
しかしそう考えているとき、高田はその順序、間違っている気がしてきた。松が下で梅が上。間が竹。これで合っていたのだろうかと。
その梅、タイやヒラメに匹敵する事柄が二つも三つも入ってきた。これには高田も驚いたのだが、一つは誤報だった。違っていた。よく調べると嘘だったが、残りの二つは間違いなくタイ。
一つはタイで一つはヒラメだろうか。だから梅と竹を手に入れたことになる。こんなにまとまってて来るのは珍しい。たまにタイは来るが、一つだ。そのあとは雑魚。
天気も悪いし冴えない日。高田の調子も落ちているのに、この調子の良さは何だろう。
高田はすぐに元気を取り戻した。夢と希望が出てきたのだ。というよりもそれが実現したようなもの。待ちに待っていたものが来たのだから、これほど喜ばしいものはない。しかも高田はそれに関して、何もしていない。
釣りで言えば諦めずにずっと釣り糸を垂らしていただけ。どうせ釣れないと思いながらも、その行為を辞めなかった程度。何かを仕掛けたわけではない。
二つほど大物を釣り上げたので、そこで運を使い切り、その後さっぱりと言うこともある。
しかし、何だろう。調子の悪いはずの日なのにこんなにいいことが起こる。これはジンクスを書き換えないといけないかもしれない。
よく考えると天気とか、高田の調子とかに関係なく、それは来ているのだ。
だから、それは単なる偶然。よい偶然を高田は引き込んだわけではない。それらはそれらの事情で来ているのだ。高田とは無関係に。
こういういいことが起こったので、高田はこのあとどんな感じでやればいいのかと考えたが、地味に釣り続けるしかないのだろう。釣れても釣れなくても。
了
2024年04月24日
5196話 地味
「最近は地味好みですかな」
「ああ、そういうわけではありませんが、地味なものは落ち着けます」
「それは貴殿の好み、やりたいこととは違うような気がしますが、如何ですか」
「やりたいこと、好み過ぎたものは疲れます」
「でも、本当はそれを選びたいのではありませんか」
「そうなんですがね。気合いが入りすぎて疲れるのです」
「その疲労感が良いのではありませんか」
「程よい疲労感、疲れならいいのですが、それが強いと逆効果です。最近では避けているほど」
「それで平凡なものがいいと」
「平凡以下だと、もっとのんびりできます」
「それでは趣旨と合わないのではありませんか」
「私の趣旨ですか。そうですなあ。それはそうなんですが、最近変わってきました。趣旨替えかもしれません」
「でも平凡なものならゴロゴロそこら中にあるでしょ」
「平凡ならそれで何でもいいというわけではありません。やはりそこにも趣旨があります」
「好みですな」
「相性と申しますか、引きつけられるものがないと、いくら地味なものがいいといっても、それは問題外です。一番嫌なことに近いですのでな」
「それはまた微妙」
「私が本当にやりたいことはあるのですが、それはしばらくは遠ざけております。何かの機会でやるかもしれませんが、あえて選んでまでやりません。ただ、その気になれば別ですがね。何せ疲れますので」
「疲れるので、しないと」
「いや、疲れることが分かっていてもやるときはやりますよ。全く無視しているわけではありません。ただ、最近はその気にならないのです」
「難しい心境ですなあ」
「自然とそうなっていったのです。別にそうなるように仕掛けたわけではありません。落ち着いたものの良さが分かってきたのかも」
「それは新境地ですなあ」
「ごく、ありふれたものですよ。その良さに気付かなかった。これでは弱いとね」
「それは退化ですかな」
「そうかもしれませんが、退いてこそ分かることもあるのです。もし、もっと以前ならつまらないものだと思っていたはず。しかし、今はそうじゃない」
「地味なものがいいというのも、また地味な話ですなあ」
「良いというわけではありません。物足りなさはありますが、物足ったものがいいのかというと、そうでもないのです」
「貴殿のその境地。うらやましい限りじゃ」
「そんな華々しいものではありません。何せ地味なので」
「地味とは」
「地の味」
「そのままですなあ」
「はい、地味なだけに」
了
2024年04月23日
5195話 姫の人形
「筋者ならできると申すのじゃな」
「という噂でございます」
「姫の人形に呪いがかかっておるらしい。憑きもの落としに頼んだが、さっぱりじゃ。抜けん」
「三人ほどですか」
「ああ、三回やってもらったが、抜けん。やはり筋者でないと無理なのか」
「そのように伺っております」
「探し出して、来てもらえ」
「それがどこにいるのか、誰がそうなのかも分かりません」
「では、その方はどうして知っておる」
「我が領内に住む農婦です」
「その者に聞き出せ。何処におるのかと」
家老は農婦を訪ねたが、恐れ入ってしまい、悪いことでもしたのかと思い、明かさない。そんな心配はないので、筋者について話して欲しいと、褒美を先に与えた。
農婦は多能村の善助を教えた。
善助にも分からないのだが、それをずっと監視している家があり、そこの人が知っているはずだと教えた。
その人、隣村の庄屋だが、分家していた。
九内という姓もある。
「筋者に詳しいと伺ったが」
「香野様の血筋ですな」
「香野。女人か」
「その血筋の女人を記録するのが我が家の勤め」
「ほう」
「香野様とは巫女か」
「そのような者です」
「では香野様の娘でもいいのだな」
「香野様もその娘さんももう遠い昔の話。香野様の前は分かりません。古い話ですので。しかし香野様は筋者だと分かります。その娘さんも。そして嫁ぎ先で女の子が生まれ、その子も嫁に行き。別の家の者になりました。その血筋を私は記録しておる者です」
「うむ」
「血筋の娘が嫁ぎ先で婿養子をもらい、その家を継ぐこともあります。また子供が二人も三人も生まれ、いずれも何処かに嫁ぎます。その全記録がここにあります。今もそれは続いています」
「その血筋の者なら、誰でもいい。呼べる女人はおるか」
「その血を受け継いでも亡くなられたり、子が生まれず、そこで果ててしまった筋者もおりますが」
「説明はいいので、連れてきてくれぬか」
「はっきり分かっていますのは三人。なかでも喜代香という人はまだ若く、そして隣国の曙村にいます。すぐにでも呼べましょう。あとは遠方か、または年老いております」
早速喜代香が呼び出された。
喜代香は知っていたし、また母親からそれなりのことを習っていた。しかし、そんなものは使う機会などなかったが、ヘビが逃げないとか、鳥はかなり遠くにいても飛び立つ。
家老は姫の人形の呪いを解いてもらうことにした。
城内の奥深いところに上がるのだが、それにふさわしい着物など用意していない。そんな用などこれまでもなかったからだ。
「殿、筋者でございます。連れて参りました」
城で適当な白袴などを履く。城内では異彩を放った。また化粧もケバケバしく、これは奥女中がやり過ぎたのだろう。
姫の部屋に喜代香が入った瞬間、人形と一緒にいた姫は喜代香の目を見て魅入られてしまい、そのまま気を失った。化粧のせいもあるが、ヘビと目が合ったように感じたらしい。
その後、人形が異変を起こすことはなくなり、呪いが解けたように思われた。姫も三日ほど寝たあと元に戻った。
殿様は城下で住むよう引き留めたが、喜代香は隣国の百姓の娘に戻る方を選んだ。
喜代香を呼び出したあの庄屋の分家は、そのことをしっかりと記録に残した。
この喜代香が嫁ぎ先で産んだ女の子なども記録されているが、もうその頃は庄屋分家の息子の代になっていた。
この家は、血筋を追うための家だが、誰かに命じられたわけではない。それが勤めの家というだけ。
その後、今回の姫の人形のような件はなく、この血筋の女人が表に出るようなことはなかった。
了
2024年04月22日
5194話 変化
普段とは少し違うことがあると、その後の展開が変わってくるわけではないが、少しは変化する。ある変化がある変化をもたらすようなもの。
しかし、一寸した変化なら、しばらくすると普段通りになる。普段からやっていることの続きへ。
しかし、ある変化により、普段見えなかった断面のようなものが見えたりする。それは常にあったのだが、その方角から見ていなかったり、または気付かなかっり。
これも大したことではなく、池田に影響与えることではないが、少しは気になる。
池田が普段気にしていなかったこと、これは内も外もだが、それがインしてくる感じ。スッと扉が開き、中を垣間見ることができる。
この建物の裏側はこうなっていたのか程度のことで、特に問題が発生するわけではない。
しかし、通り一遍のものしか見ていなかったことを池田は感じる。必要だから見るというのもあるが、ほとんどの事柄は関係しなければ見ても見なくても同じこと。
ただ少しは知識にはなるかもしれないが、断片的な知識では、ただの印象で終わってしまう。しかも誤解やデマだったりもする。それ以上調べなければ。
池田が見えているものは風景を眺めている程度で、実際に遠くにある樹木の下まで行くわけではない。そういう木がある程度の知識。そして何の木なのかは知らないし、またどうしてそこにあるのかも知らない。
実際の現実にはそこにもいろいろと事情のようなものが込められているのだろう。当然そんな風景の中の一本の木など、それほど注目するほどのことではなく、あるという程度。
しかし、その日、池田はひょんな事で、その木に近づいていった。これは道が工事中で迂回しなければいけなかったため。変化と言えば変化だ。
普段の道から逸れるが右側の道に入ったのだが、その正面にあの木がある。少し近づいた感じだ。しかし左へ行く予定なので、まっすぐ行くと外れる。
迂回のため、一度右へ出て、すぐに左へ入らないと方角が九十度違ってしまう。普段ならその木は右に見えている。今は道を曲がったので、正面に見える。そして別の筋に入ればまた右側に見える。
しかし池田はその木が気になった。目的の方角とは違うので、遠回りと言うよりもただの寄り道。北へ行かないといけないのに東へ向かっている。
しかし、真正面に見えていた木だが、その道はすぐに終わり、左右に分かれる。そこまで来ると、もう木は建物に邪魔され、見えなくなる。
これで視界から消えたので、もう木のことなど忘れたかのように我に返り、分かれ道で北側を選んだ。南側を選ぶと、木に近づける道があるかもしれないが、南なら完全に戻ることになる。池田は南から北へ向かっているので。
それで長い迂回路になったが、いつもの道に戻ることができた。
何かの変化で、普段は気にも留めなかったものが気になりだしたりするのだろうか。
または池田は一寸した変化を楽しみたかったのかもしれない。
了
2024年04月21日
5193話 冴えない日
何となく冴えない天気の日だった。
曇っているためだろう。昨日までの暖かさがなくなり、少し肌寒い。昨日は暑いほどだったので過ごしやすい春の中頃。このまま初夏になり、暑くなるはずだが、今朝は気温の上昇は一休みで、逆に涼しい。
それはいいのだが、竹田も冴えない。いつも冴えているわけではないので、そんなものだろう。晴れておれば空元気も出るのだが、今日は大人しいというよりこれで平常のよう。
本来の竹田だ。背伸びしたり、あらぬ事をやろうとする竹田ではない。ただ、それは保守的で、守りの竹田。
では何を守っているのか。
それは竹田自身を竹田が守っている。しかしそんな敵はいないのだが、竹田自身が敵になることもある。敵を生産しているようなもの。それは竹田の外の存在のだと仮想敵となる。
それと竹田自身の中でも内乱が勃発する。元気な証拠かもしれない。
そうやって忙しいときは元気がある。冴えないときよりも活気があるが、その代わり余計なことをしてしまう。
だから、今日のように冴えない日が入ってもいい。逆に落ち着く。一寸休戦。しかし別に戦っているわけではない。
そして冴えないのは天気のため。日々やっていることが飽和状態になり、次の手が打ちにくくなっていることも関係する。
その次の手とは新たな展開とかだ。これがあるとやることができるので、活気が生まれ、一日も充実する。しかし、何もなければ酔生夢死ではないが、そのまま維持か後退。
ただ酔いもしないし夢見心地でもない。正気だ。この正気が曲者で、ごまかしがきかない。何かの錯覚で動いている方が元気がいい。
さて、それで今日は冴えないのだが、竹田はそれでもいいと考え直した。クールダウンし、冷静さが戻るのだろうか。
やや退屈だが、そんな日も必要。
了
2024年04月20日
5192話 常識
世の中の常識が覆されると痛快な気分になる件もある。ずっと信じていたものが、実は違うと。
しかし、本当に信じていたのだろうか。そう教えられ、それが普通になっているのだが、あまり実生活には関係のないことも多い。
たとえば歴史的な新発見で、定説が覆った場合も、実生活に影響を及ばすようなことではなく、ただの知識だっりする。
そして覆っており、定説が違っているのに、相変わらずそれを使っている人もいる。知らないのだ、覆ったことを、そして事実ではなかったことを。
しかし、それを知る機会など永遠にないかもしれない。そういう話題に触れない限り。
また、歴史的定説を覆した新説も、またいつかは違ってましたとなる可能性もある。仮説ではなく、事実だといってもその現場で見たわけではない。また動かぬ証拠が出たとしても、そのこと自体は興味深く、ミステリーの謎解きの鍵を得たような気になり、楽しめるのだが、それは常識が崩れることの痛快さがあるためだ。
ただし、本人に都合の悪いものは別だが、かなり昔の話だと、定説が間違いで、実際はこうだったと判明しても、それだけのことで終わる。
定説とはおそらくそうだろうと言うことで、違うのではないかという意見がないときだろう。つまり違見が。
だから定説崩しは、その中身ではなく、崩れるときの感じがいい。真犯人が見つかる時の話の下りや、その謎解きで見えてくる再配置や、塗り替えが。
トリックではないものの、これなら誰もが騙されるし、信用するだろうというのが崩されていく。ただ、本当に信用して信じているわけではなく、おそらく妥当という程度で、あくまでも説なのだ。
ただ、その定説が崩れると面倒なことになる人もいるだろう。前提がなくなり、根拠が偽になるため。
しかし、定説に慣れ親しみ、それが定着してしまうと、違うかもしれないとは思うものの、動かせないこともある。既成事実が積み上がりすぎ、もう変えられないのだ。
まあ、本人とは関わりないものなら、どっちでもいい話だが、見方が変わるのは痛快だ。実はそうだったのかという壊れ方がやはり愉快。
了
2024年04月19日
5191話 妙案
筋書き通りだといいのだが、なかなかそうはいかない。筋書きを書いたのはその手前、またはもっと以前かもしれないが、それほどの昔ではない。しかし何十年前に作った筋書きもある。それはさすがに通用しなかったりする。
最近書いた筋書きでも、それをやる場合、思わぬ伏兵が忍んでいたり、またその筋書きをやるのが億劫になることもある。書いたときと気持ちが変わり、状況も違うためだろう。
それでは筋書きなしで実行するのはどうだろうか。しかし、これもパターン化された筋を使うことが多い。書き手はいないが、妥当な筋が既にあるので、それに乗ることになり、決して行き当たりばったりではない。そちらの方が筋書を立てなくてもいいので、楽だし、余計なことを考えなくてもいい。
そして何処かで具合が悪くなればそのときはそのとき、選べる道があるのなら、そちらを通るだろう。これはライブ感覚で、その場に応じた動きとなるので、きっちりとした筋書き、つまりシナリオよりも融通が利く。
ただし妙案というのがあり、これは自動的な成り行きのレールではできないこと。自然に任せておけば、決まったような決まり方をするため。それを打開するため、自動運転では通らない道を想定し、強引にそこへ踏み込むような筋書き。
その筋書き通りにやれば、普段とは違う展開になるので、筋書き通り闇雲にやるのがいい。筋書きから外れると、最初の妙案が妙案ではなく、平凡なものになってしまう。
その種の妙案。作るだけで実行しないことも多い。それにやる前、躊躇しやすい。それは妙案だけに妙なことをするためだ。
ただ、その妙案と同じ事を、行き当たりばったりでやっているとき、偶然そうなってしまうこともある。ただ、成り行きによるアドリブなので、再現性がない。
妙案はいくらでも浮かぶが、本当に実行できるものは少ない。
ただ、その妙案で何が得たいのだろう。非常にいい解決案だった場合、解決が目的。何かを果たしたことになる。その妙案だからこそ果たせたとなる。
どんな方法であれ、目的が果たせたのなら、下手な筋書き通りでもいいし、適当でもいいし。妙案でもいい。どれも大した違いはないだろう。出所が本人なら。
了
2024年04月18日
5190話 完璧
「これぞまさにど真ん中、完璧だと思えるものがあるのですがね。完璧すぎて息が詰まります」
「完全に壁に囲まれているわけですからね」
「だから、窮屈に感じます」
「でも完璧というのは防御のことでしょ。その城内は安全とか」
「そうなんですか。私は完成度が高いもので、欠点のないものがそうだと思っています」
「何でもいいですよ」
「それで、続きなのですが、少しは欠点が欲しい」
「完璧すぎることが欠点でしょ」
「はい、壁の一部が破損しているとか、弱いところがあるとか」
「じゃ、完璧じゃありませんねえ」
「あ、そうですなあ。だから、完璧の手前程度が馴染みやすいです」
「馴染む?」
「親しめると言うことです。弱点がある方が」
「じゃ、完璧と言えないので、危ないですよ」
「もっと不完全なものはいくらであります。そこから考えればほぼ完璧」
「しかし、完璧すぎるとそれはそれでいけないと」
「愛想がありません」
「愛想?」
「はい」
「そんなものが必要ですか」
「息抜きなようなもの」
「息抜き?」
「はい」
「そんなものが必要ですか」
「その方が趣がある」
「趣?」
「はい」
「そんなものが必要ですか」
「まあ、なくてもいいのですがね。ある方が好ましい。ところが完璧なものはそれも埋めてしまう」
「趣もある完璧さじゃないのですね」
「それを入れると緩くなり、完璧ではなくなります」
「それはただの趣味の問題ですか」
「そうです。私の好みの問題です」
「じゃ、あなたにとって完璧なら、それでいいんじゃないですか」
「そうです。完璧さは緩みますが、趣が入る。これが私にとっての完璧です」
「はい、お好きなように」
「はい、そうします」
了
2024年04月17日
5189話 失敗と成功
失敗しそうなとき、これは失敗すると、そのイメージが来る。普通だろう。
また、これはどちらかが分かりにくいとき、どちらのイメージが来るだろうか。どちらでもないかもしれない。
失敗するかもしれないとは言い切れないし、成功するとも言い切れない。だから分からない。ただ半々だとすると失敗の確率の高さから、どうせ失敗するだろうと、思う方があとが楽。
最初から失敗すると思っていたので、その通りになっただけ。しかし確率が半々なら成功する可能性も半分ある。しかし半分では頼りない。
ただ成功する率は失敗する率と同じなのだから、二回に一回は成功するという計算になる。ただし平均しての半々なので、連続して失敗することもあれば、連続して成功することもある。
どちらにしても確実に成功するわけではないので、これは失敗に賭けた方がいい。失敗を望んでいるわけではないが、どうせ失敗するだろうと思っている方が楽。
その予測の影響で失敗になったとしてもいい。念じても念じなくても変わらないのだが、気持ちが違うので対し方が違う。これで緊張して普段通りに行かなくなり、失敗することもある。
だが失敗すると思っておれば、そんな緊張はないし、期待もない。ただ、暗に成功を狙っていたりするが、万が一の成功だろう。万に一つだ。実際には五分五分なので、確率は万に一つよりもかなり高い。高すぎるほど。
それとは別に失敗も成功にもとらわれなくなるといいのだが、そうはいかないだろう。失敗は避けたい。成功の方が望ましい。その下地下心は消えない。無理に消しても、やはり残る。
ただ、失敗しても成功しても大したことはない場合は別だ。失敗しても成功しても別に困らない。どちらでもいいような事柄なら軽く扱える。それに持ち込めば余裕があるので、成功失敗はどうでもよくなることになる。しかし、あまり価値のないことでの話だ。
良いものに対しての失敗は惜しい。良いものでの成功は好ましく、喜ばしい。これはやはりつきまとうもの。そうでないと喜怒哀楽がフラットになりすぎて、ぼんやりしているようなもの。
失敗の辛さがあるから、成功したときの喜びが大きい。だから失敗は効果のために必要なのかもしれない。
絶対に成功することなら、それほど喜びも嬉しさも感動もない。箸でご飯を食べるようなもの。これを成功だとは思わない。ただ、指や手を怪我で上手く使えない場合、少しは喜ばしい。普通に茶碗と箸を持てるのだから。
しかし、失敗ばかりで成功が一度もない場合、失敗は失敗のまま終わり、何の肥やしにも効果にもならないのだが、失敗慣れというこなし方を会得できる。失敗耐性が強くなり、恐れず挑めたりする。
さて、本当にそうなるのかどうかは、失敗を続けないと分からない。何処かで成功してしまうためだ。
了
2024年04月16日
5188話 日常の奥
日常の中に潜んでいる奥深いもの。そこまでは行く必要はないのだが、奥の奥が見えていることがある。
そんなものは見る必要はないので、普段は見ていない。もっと目の前のことや違うことを思い浮かべたり。
日常が崩れたとき、平常時でもチラチラと見えていたそれがもう隠されないで露骨に出てくる。日常とは皮一枚。紙一重というやつ。
この紙切れ一切れだけでも、十分目隠しになっている。そっと手で紙切れを外すと、それがあるのだが、そんな行為はやる必要がないし、やろうとも思わない。
ただ立ち止まって、じっと見ていると、気になりだす。当然、他にやることがなく、注意を引くようなものが周囲になければ、その紙一重の一重に注目する。これをめくれば何かあるはずだと。それだけの暇と余裕がなければできない。
しかし、紙一重の向こう側に何かがあることを知っている。その紙、風でたまに動いて、隙間からあちら側が見えることがある。
だからそういう穴のようなものが至る所にあることは知っている。それ以上進まないのは、だからどうだということではない。見ても仕方のないこと。そして日常には関係しない。
見えているようで見えていない。感じているようで感じていない。だから存在などしないのと同じだが、何となく、そういうものが潜んでいることが分かる。
これは何処で分かるのかは謎。かなり奥のシステムだろうか。認知できないが、それが五感の何処かに絡んで何となく分かる。
また、そういうことも錯覚の一つかもしれない。ただの思い違いとか、妄想とか。
火のないところから煙が立つようなもの。
本当にリアルなもの。それは間接的にしか分からなかったりする。だから想像だが、少しは火の気があり煙も出ているのだろう。
だが火の気とか煙とかも勘違いだったりする。だから幻想であり妄想。フィクション。ファンタジーでもいい。
実体はむしろ見る側にあるのかもしれない。そう見えてしまうと言うことだ。
ただ人によって見え方が全く違うのかというとそうでもない。やはり同じものを見ており、その感想も似たようなもの。
ただ、意味としての捉え方が全く違っていたりするが、それを加えなければ、それほどかけ離れた見え方はしていない。視力の差程度。
日常の中の一寸したものや、一寸したことにも実は何かが裏で動いているのかもしれないが、これも解釈の一つで、合っているのかどうかは分からない。
具体性はないが、そういうのがありげに感じられるようなはみ出した感覚外のものが見え隠れしている風に感じられる。
感じでは弱いが。
了
2024年04月15日
5187話 既にある
「最近はどうも釣れん」
「いつもよく釣っておられるじゃないですか」
「いいのが釣れん」
「しかし、釣らなくても既に持っておられるのではありませんか」
「釣るのが楽しい」
「でも十分、持っておられますが」
「それはいい。同じものでも良いものなら何度も釣りたい。そして持っておく」
「随分と溜まったのではありませんか。これ以上必要なのでしょうか」
「いや、だから釣るのが楽しい。たとえ雑魚であっても、何がかかったのかと分からないときは、釣り上げたときの楽しみとなる。雑魚でがっかりが多いがな。まあ、雑魚でも逃がさず、持ち帰ることもある。一寸風情のある雑魚だとな」
「でも最近は不漁とか」
「釣れることは釣れる。不漁ではないが、気に入ったものがなかなか釣れん。毎回良いのが釣れる方がおかしいのじゃがな。これは時期がある。良いのが続くときもあるが、ずっとではない」
「良いものとはどういうものでしょうか」
「人により違う。わしが雑魚だと思っているものでも他の者にとっては良いものじゃ。わしは釣り上げてもすぐに逃がすがな。それじゃないと」
「はい」
「それと誰が見ても良いものというのがある。不思議とな。好みの一致する御仁が多いのだろう」
「人気があるのですね」
「人が気に入る率が高いのじゃ」
「ご自身はさほどとは思っていなくても、その人気のあるものが釣れた場合、如何いたしますか」
「持ち帰る」
「はい」
「生け簀に入れて、そのままと言うことになるがな。たまには食べる。しかし、それほど気に入ったものではないので、滅多に食べぬがな」
「でも既にある良いもの数も多くなっているでしょ。既に持っておられるので、さらに増やしておられるのですから。それは食べておられるのですか」
「良いものは多く持っておる。しかし食べると、終わる。消える。だから良いものが切れぬように、溜めておるのじゃ」
「釣らなくても、既に持っておられる。理由はそういうことですか」
「そうじゃな。既に持っておるものも食べれば終わるでな」
「しかし、なぜか食べるより、釣る方がお好きなようですが、それは如何に」
「食べるために釣る。だから釣りも楽しい。釣らなければ食えんじゃろ」
「その通りですねえ」
「既にあるが、すぐになくなる。そういうことじゃ」
「あ、はい」
了
2024年04月14日
5186話 月一の圧
平田は月に一度だけの用事がある。同じ日に、二つのことをするのだが、どちらも圧、プレッシャー、バイオスのようなものがかかり、数日前からその影響下に入る。
まるで台風の圏内。しかし少し風が強い程度の強風圏。まだ暴風圏内ではないし、台風はその円の中を通るのだが、それなりに広いので、平田の真上を通るわけではない。それならストライクだ。
また、圏内に全く入っていなくても、月が変わると、今月もあれをしないといけないと思うだけで、その影響下に入るが、これは遠いので、さすがに身近に感じないが。
ところが今月は忘れていた。前日まで。
カレンダーを見て気付いたのだ。ああ、明日かと。実は月が変わったときは知っていたし、一週間ほどに近づいたときも知っていた。しかし前日まで気付かなかった。
これは逆にのんきでいい。日が近づいてきつつあることを知らなかったのだから、その間、憂いはない。しかし、心配するような怖いことが起こることではないが、その可能性はある。
そして悪いことではなく、実はいいことなのだが、どうも居心地が悪い。
しかし、今回は気付かなかったのだろう。その日が十日としよう。ただの十日が過ぎ、十一日なるだけ。
前日、その十日で気付いたのが幸いで、下手をすると十日になっていても、コロッと忘れていたかもしれない。
過ぎてから気付いても遅いわけではないが、それはやはり十日の日にやった方がいいし、またそのように決めている。その日は動かしたくない。翌日でもいいのだが、それはできない。
いつも通りがよく、そこは変更したくない。それで物事が変わるわけではなく、平田の心構えが変わるため。
決まり事を決まった日にやるという平田が決めただけの話。
それで前日に気付いたので、当日は難無きを得た。心配していたようなことは起こらず。予定通り。しかし、予想はそうでも、外れる可能性を秘めているので、もしものことがあるので、やはり心配。
そして何事もなく、簡単に終わり。もうそのことは当分考えなくてもいい。次はひと月後なので。
また、平田にのっぴきならぬことが起こり、この月一度のことができなくなる可能性もある。
世の中には完璧に安定したものはないのだが、ある範囲内では変わる可能性はないものもある。また変わっているのだが、表面では分からないこともある。
平田が受けている月一度のそのプレッシャーのようなもの。いずれ捉え方も変わるだろう。
了
2024年04月13日
5185話 無難
「無難なところをスーと行ってますなあ」
「すいません。つい安全運転で」
「それはいいのですが、これは車ではありません。安全運転が必ずしもいいとは限りません」
「そうなんですが、ついつい」
「安全地帯だからでしょ」
「たまには冒険もします。一寸ですが」
「一寸過ぎて分からない」
「その一寸でも冷や汗ものなんです。変なことをやり出したのではないかと思われますので」
「誰もそんなことは思っていませんよ。それに一寸では気付かない。今まで通りだと」
「それに一寸した冒険でも自分自身ではないような気持ちになります」
「では普通の冒険もできない。ましてや大胆な冒険などもってのほかって感じですなあ」
「僕にとっては普通の冒険でも大胆な冒険に匹敵します。ましてや大胆な冒険など僕がやっているとは思えない世界になります」
「冒険を楽しみたくないと」
「そんなことはありません。冒険は好きです」
「でも、それほどしない。どうしてなのですか」
「必要ですか」
「たまににはね。それで自分を揺すぶってみることになり、活性化に繋がります」
「いつも同じようなことを綿々とやっているのは駄目ですか」
「悪くはないが、君はそれでいいのかね」
「同じようなことをやっていますが、一寸違うのです。決して同じことを繰り返しているわけじゃありません」
「そう見えないがね。わずかな違いなので、気付かない」
「冒険せず無難なものの方が落ち着きます」
「難なしか」
「いえ、同じように持ち込むのが難しいこともあります。これは下手をすると冒険になりそうなので」
「じゃ、そのまま冒険に持ち込めばいいじゃないか」
「僕の領域ならいいのですが、そうでない場合、躊躇します。自分がやるべきことではないのではと」
「しかし、無難に持ち込むことに難儀するというのは面白いねえ。そのようには見えないが」
「難儀しても難儀していないように見せます。楽にやったような」
「しかし、表に出てこないのではねえ。内側のことまでは分からない。出てきたものしか見ていないからね。君が何処で難儀したのかは知りようがない」
「それは知らなくてもいいのです。分からなくても、ただの過程ですから」
「うむ」
「次からは、すんなりできます。やり方が分かったので、無難なものとなります」
「難を避けておるんだな」
「そうなんです」
了
2024年04月12日
5184話 わや
「ハレがケガレに変わる」
「昨夜の雨のためでしょう」
「満開の桜。まさにハレの場」
「それが散りましたねえ」
「花びらも下に落ち、泥水の中。いずれにその花びらも濁り汚れる。もう愛でる者なし」
「でも、まだ落ちていない花もありますし、葉が生き生きとしております」
「葉桜では詮無し」
「綺麗ですよ。まだ晴れ晴れしています。私はこの頃の桜が一番好きです。すがすがしさも感じられ、生命力にあふれておりますゆえ」
「ほう、そう見るか」
「でも葉桜の頃まで、花のない葉だけの桜になりますと、もう見ません」
「普通の桜の木か」
「そうです。その状態では見ません。ハレでもなくケガレでもない状態だと、目がいきません」
「それも含めて一瞬じゃ。来年の春まで長い間そんな絵にはならんからのう」
「でも年が来れば、また咲きます」
「そうか。わしはもう咲かん」
「盛んな頃もありました」
「今はもうないか」
「いえ」
「桜は年に一度。人は生涯に一度あるかないかじゃ」
「私も咲きましょうか」
「誰でも一度は咲くらしい。二度も三度も咲く者もおる。しかし最初の花が一番よい」
「咲くだけのことを成したのでしょ」
「いや、何も成さなくても咲くもの」
「その人にとってのそれが頂上ですか」
「低い山に一寸出っ張りがある程度の頂点もある。人に比べれば晴れ晴れしい姿じゃないがな。それでも精一杯の花」
「何も成さなくてもですね」
「成さぬから咲く花もあろう」
「私はどうなのでしょう」
「咲いているのに気付かぬうちに過ぎておる場合もある」
「はい」
「年老いてから、あれがそれだったのかと思い起こすもの」
「絶頂期があったのに、知らなかったのですね。過ぎたあとでで気付く」
「味わえずがな。しかしあとで味わえる。昔のことでもな。もう今ではないが、その気持ちは今じゃ。まるでその頃に戻ったかのようにな。こちらの方が喜ばしかったりする」
「急いで過ぎ去ってしまったことでも、あとで思い起こせばいいのですね」
「そんな暇があればな。これを感傷という」
「傷ですか」
「古傷のようなもの」
「でも一番いい時代が、傷なのですか」
「桜もハレからケガレへ落ちる」
「そのケガレが傷なのですね」
「さあ、そう思う程度。何とでも言える」
「はい」
「しかし、雨と風で、桜がわやじゃ」
「わ、わや?」
了
2024年04月11日
5183話 爬虫類型
「沼田さんなんですがねえ。何とかなりませんか」
「僕とは同期だ。彼の方が成績がいい。だから主任だ」
「主任補佐でしょ」
「実際には沼田君が仕切っているようなもの。それに主任はもう年ですからね。沼田君に任せているのでしょ。それで逆によくなった。うちの班はそれで伸びた。その沼田君を何とかしてくれとは何だね」
「どうも相性が悪いのです。嫌なんです。顔を見ただけで、声など聞くと、もう駄目です」
「それは悪口かね。それはやめた方がいい。ここだけにしてくれ」
「相談する相手が先輩しかいないので、どうなんでしょうねえと思ったのです」
「何がどうなんだ」
「沼田さんのあの態度。あの雰囲気。何か地獄の底から泥をかぶって出てきたような。そしてあのヘビのような目。怖いです。ぞっとします」
「君がそう思っているから、そう見えるんだ。君の問題だよ。沼田君の問題じゃない。いや、沼田さんかな、上司だし」
「僕の見え方で、そう映ってしまうので、僕の問題なのですか」
「沼田さんは仕事ができる。問題は何もない」
「僕だけがそう思っているのですか」
「いや、実は私もそう思っている」
「あ、ほっとしました。そうなんだ。やっぱり。僕だけじゃなかったんだ。僕の想像や、僕の取り越し苦労や、錯覚じゃなかったんだ」
「大きな声で言うんじゃない」
「はい。でも他にもそう思っている人が多いんでしょ。それなら紛れもない事実。フィルター越しに見た、色眼鏡じゃなく、他の人もそう見えるのなら」
「あの主任もそう言っていたねえ。なんだか怖くなってきて、補佐の沼田君に任せてしまったと」
「ヘビが入っているんだ」
「それは言いすぎだ。それにヘビに失礼ではないか。いや、そんなこともないか。普段からヘビに敬意を表していないしね」
「先輩とは同期でしたねえ。その頃はどうでした。まだ爬虫類化していなかったと思いますが」
「爬虫類や両生類に失礼だよ。いや、失礼じゃない。そうだね。普通だったが、なぜか仲良くなれなかったなあ。まあ、これは私の問題だがね」
「でも沼田さんと仲のいい人なんて知りませんよ。いつも一人です。孤立しています。やはりヘビだからですよ。薄気味悪いんですよ」
「言い過ぎだよ。それに沼田さんが仕切るようになって我が班の成績は上がっている」
「でも、やめた人も多いですよ。きっとあれが原因なのです」
「あれって何だね」
「だからぞっとするんですよ。沼田さんと接していると」
「沼田さんにはそんな悪意はない」
「でも悪意を感じます」
「人をそんな風に言うんじゃない」
「分かっています。でも僕の気持ちをどうしても誰かに話したくて」
「何人かいた。君と同じことを話していた」
「竹田さんや野口さんでしょ」
「他にもいた。全員やめた」
「じゃ、僕も、そろそろかも」
「私もね」
了