2024年07月31日
5283 蝉丸
「蝉丸」
「はっ」
「そちが死んでおるぞ」
「ほんに」
「この前、鳴き出したのに、もう落ちたか」
「ちと早うございますなあ」
「そちはどうじゃ」
「蝉丸ではございますが、蝉ではございません」
「なぜ、蝉丸なのじゃ」
「生まれたとき蝉が丁度鳴き出したとかで」
「それは風雅でいい」
「花鳥風月ですか。蝉は何でしょう。鳥ですか」
「虫じゃ」
「では私は虫なのですね」
「蠅の大きなのと変わらぬ」
「じゃ、便所バエよりも大きなのが蝉ですか」
「さあ、それは分からぬ。蠅はいつ生まれ、いつ消えていくのか見たことがない」
「その点、蝉は目立ちますねえ」
「忍びのものとしては目立っては拙いのだがな」
「私は陽動型なので」
「堂々と姿を現す忍びの者か」
「世を騙し忍んでおります」
「忍び切る方が蝉丸らしいぞ」
「いつもは僧侶姿です」
「今日は違うのう」
「逆に坊主姿ではここでは目立ちます」
「他にどんな姿をとる」
「琵琶法師」
「琵琶法師の蝉丸。なにかそのままじゃな」
「歌も作れます」
「そこまでできる忍びは希」
「しかし、元々は歌人なのです。それが本職。訳けあって間者をやっておるだけ」
「歌の家の出か」
「はい」
「では、都育ち」
「いえ、田舎育ちでございます」
「歌人の家が都落ちしたか」
「都では食っていけなくなりましたので」
「それにしては忍びとはまた落ちたものよ」
「この蝉のように早く落ちました」
「この仕事、終われば、わしに歌を教えてくれぬか」
「はい、喜んで」
了
2024年07月30日
5282 不機嫌
機嫌の良いときと不機嫌なときがある。また機嫌を感じないときもあるのだが、これが一番良いのかもしれない。
上機嫌ではないが、機嫌は悪くない感じ。だから機嫌としては良いのかもしれないが、ニュートラルに入っているのだろう。
しかし、どちらかに一寸ぐらいは傾いているが、それさえ感じない状態が好ましい。ただ、機嫌の良さを感じるときの方がいいに決まっている。
ただし、いつまでも続かないので、その良い機嫌が途切れると不機嫌になりかねない。機嫌が良すぎるときほど不機嫌を感じやすくなるのだろうか。愉快と不愉快のように。
宮田はその朝、寝起きから機嫌が良い。というより、このところ不機嫌だったので、それが抜けているので、機嫌が良いと思ったのだろうか。
機嫌の悪い日には理由がある。その前日は、それまでの影響で、その波を受けているためだ。それが何であるのかは知っている。あれがあれなのであれだと。
しかし、その朝は機嫌が直っていることの理由が分からない。同じような波をかぶっているのだが、あまり影響しない。
それで機嫌が悪くなったり、気を害したり、気になったり、心配したりとかが減っているのだ。消えたわけではないが、機嫌が悪くなほどのことではなくなっている。
何かが解決したわけでもない。懸案ならその問題はそのまま残っている。では何だろう。
これは体調ではないかと宮田は考えた。他に思い当たるものがない。今日は寝起きから体調が良い。元気だ。これが原因だとすれば、懸案とか、不機嫌とかはいい加減なものだ。身体の調子が良いと機嫌が良く、逆に調子が悪いと、いろいろと不機嫌なことが浮かび上がるのだろうか。
いや、それも言いすぎだろう。宮田は何処かでターニングポイントがあったように考える。何処かで不機嫌さを回避する方針なりを決めたためではないかと。
そういえば昨夜、今までやっていた妙な問題を解決していたのだ。これは完全ではない。ただ安全な方法。安定した方法に切り替えたのが大きい。
まあ、妥当な方法に戻しただけだが、それなりのリスクもある。これがあるのでなかなか切り替えられなかった。
妙な手ではなく、まっとうな手。これは安定感や安心感がある。不機嫌さも良くあるような不機嫌さで特別な、特殊な、例外的な不機嫌さではない。
だから不機嫌という風船が上がらなかったようなもの。不機嫌さは残るが、普通の不機嫌さ。これなら何とかなるので、むっつり顔になる必要はない。なったとしても眉間の皺は浅い。
しかし、そんな機嫌の良さとか悪さとかの喜怒哀楽はあった方がいい。
了
2024年07月29日
5281 神はサイコロを振らない
朝、あるものをチラッと見たのだが、ああ、これもあったかと思いつつ、そのままにしていた。
その後すぐに、またそのものが飛び出してきた。いろいろなものが無作為と思えるように出てくるのだが、朝見たものがそこにある。関連するものだ。
この出方には理由があるのだが、日下の意志とは関係なく、不規則に出る仕掛け。誰もコントロールしていない。
だから偶然とも言えるのが、サイコロを誰かが振っているわけではない。
繁華街での人の流れと同じようなもので、そこを通るには一人一人理由があるだろう。ただのエキストラではない。そのタイプも仕掛人はいない。
朝見たものが昼にも現れた。朝、見ていたので、すぐに分かった。
もし、朝見ていなければ、それほど注目しなかったはず。つまり偶然の連続性。最初の偶然は良くあるのだが、二回続くと、偶然に意味を感じたりするもの。たまたまの重なり、連続が起こる確率はそれなりにあり、そこに意味などないのかもしれないが。
ただ、日下が朝、それを見たとき、少しひっかかった。忘れていたようなもので、これもあったのかと意識はしている。
しかし、それ以上ではない。ところが昼にまた遭遇すると、その意識が強まった。これで夜、また偶然同じものを見たのなら、決定的だろう。三連続は流石に少ない。
これは早く気付けとのお告げではないかと錯覚してもいい。せっかくそんなサイコロの目を見せてくれたのだから。その労に報いたい。だが、それは誰の労だろう。つまりサイコロを振った人。
ただ、神はサイコロは振らないだろう。それに神はサイコロを持ち歩いているのか、またよく使っているのか。まあ、本物のサイコロではないが。
そして、それが出たのは連続しただけで、三連続はなかった。
その翌日。そのあるものが何だったのかを忘れてしまった。昨日の朝見たものだ。そして昼間もまた見たもの。それを忘れている。あれは何だったのかさえ。
ただ、連続したことだけは覚えている。それでは何が連続したのかまでは分からない。意味をすくい取ろうとしても掴むものがない。
神がせっかくヒントを投げかけてきてくれたのに、受け取り損ねたことになるが、それほど重要なことではなかったのだろう。
啓示、神託を忘れてしまった巫女は、作り話で誤魔化したりしそうだ。忘れたことを知られないように。
了
2024年07月28日
5280 錬金術
「何もないようなところから何かを見出す。これが極意でございます」
「ただの水から砂金が得られるか」
「そのようなことは起こりませぬ」
「では条件があるのだな」
「何もないと思われているところに何かがあります」
「それは先ほど聞いた」
「ないはずのところにある」
「条件付きでな」
「はい」
「ありふれたものの中にも凄いものがあるのか」
「ございます。それこそ、何でもないようなものの中に何かが入っているようなものです」
「何が」
「だから、何かが」
「その何かとは何だ」
「あなた様が求めているもの一般です」
「しかし、わしが求めているものは探さなくてもあるぞ。そんな曲がりくどいことをしなくても。ただし、手に入れるのは困難。たとえば人の持ち物だったりするのでな。求めておるものは見えておる。ありかも分かる」
「それを手に入れたときはどうなりますかな」
「良いものを手に入れたと喜ぶじゃろう。それだけだがな」
「それで終わりですかな」
「また違うものを手に入れればいい。ただ、もう見つからなければ無理だが、見つかるまで待つしか仕方があるまい。探しに行っても場所さえ分からん。それにあるかないかもはっきりせん」
「手に入れなくても、その喜びが得られたとすればどうでしょうか」
「え、何を言っておる」
「欲しいのは喜びでございましょう」
「それを実際に手にしたときの喜びじゃ」
「喜びだけを得られれば、苦労はいりませんよ」
「何もないのに喜べるか」
「そうですなあ」
「であろう」
「しかし、そういう気になることもあるでしょ」
「それは手に入れた時を想像して嬉しくなることもある。手には入れていないがな」
「それでよいのでは」
「よくない」
「はいはい」
「もういい、下がっておれ」
「何もないところから何かを見出す。この極意お忘れなく」
「話が繋がらん」
「是非お繋げくだされ」
「分かった分かった。もう下がってもいいぞ」
「ははー」
了
2024年07月27日
5279 鳥獣戯画
「今年も暑いですねえ」
「梅雨も明け、真夏ですからね」
「頭がボーとしますよ」
「気をつけてください。あまり気持ちがいいと危険ですよ。そのままいってしまいますからね」
「熱中症のようなものですか」
「まあ、身体に熱がこもり、ややこしくなるのでしょ」
「ボーとしているとき、あらぬものを見ます」
「あらぬとは」
「あり得ないようなものを」
「それは珍しい。幻想とか幻覚というやつですね」
「そんなものいないのですがね」
「何がいるのです」
「庭に出るのです」
「広い庭をお持ちだった」
「枯山水を模していたのですが、無理なので、草原にしています。一寸した岡がある程度」
「自然の野山のような」
「まあ、そんな感じです。草が伸びないようにしています。伸びる草は抜いています。まあ、芝生のようなのが一番いいのですがね」
「じゃ、ゴルフ場のような」
「まあ、石も置いてますから、これは岩山」
「ほう。それは一度見たいですね」
「その話じゃなく、そこで見たのですよ」
「それそれ、それをお聞きしたかった。何でしょう」
「カエルです」
「カエルなどいないでしょ。アマガエルさえ」
「そうです。水田や畦の川にはいたのですが、もう子供時代の話ですよ」
「そのカエルがいたと」
「そうなんです。それが走り回っているんです。蛙跳びじゃなく二本足で歩いたり走ったりと」
「鳥獣戯画ですな」
「高僧の袈裟を付けたカエルもいますよ。何やら他の裸のカエルに説法していたり」
「ウサギは」
「いません。寸法が違うでしょ。カエルに比べればウサギはモンスターですよ」
「じゃ、カエルだけの鳥獣戯画」
「いや、ブイブイとかの虫もいますよ。その辺は幻覚じゃなく、実物かもしれませんがね。カエルと戯れています。だからやはり、これも本物じゃない」
「じゃ、立体的な動く3Dジオラマ」
「そういうのを見たのですよ」
「じゃ、今、見に行けばいますか。見られますか」
「それは無理でしょ。ずっとカエルが走ったりはしゃいでいるわけじゃなく、そっと庭を見たとき、何やら動くものがある程度。始終じゃありません」
「良いものをご覧に」
「出るときと出ないときがありますよ。夏の終わり頃、盆頃からでは流石に暑気も引いて減りますなあ」
「じゃ、今が見頃」
「はい、その通り」
「まっ、御達者で」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
了
2024年07月26日
5278 袴とベンベン
古くて広い家。下田は親戚が住んでいたその家で一人暮らし。寝床は奥の部屋。玄関までは何部屋も通り抜けないといけない。部屋が繋がっているのだ。それらの仕切り、ふすまを開ければ大広間になる。
そこを通り抜けるとやっと廊下に出る。ここから他の部屋へ行けるのだが、かなり入り組んでいる。その先の中庭の手前に縁側があり、その先に便所がある。
だから夜中トイレに立つとき、結構遠い。
下田が見たのは袴で座っている人。ただ椅子にでも掛けているのか、一寸中腰。そして股を思いっきり開いている。そして三味線。
これが一人ではなく、何人もいる。同じスタイルで横に並び。また奥にもいるので、凄い数だ。
それらがベンベンと三味線を鳴らすのだが、音よりもビジュアルの方で驚く。
夜中に便所へ行くときに下田は見たのだが、そんなものは幻。いるわけがない。それで三味線部隊に突っ込むと、スッと通れる。
大広間を抜け、廊下のふすまを開けると、びっしりといる。さすがに並べないのか、行列で。
電車内でだらしなく大股を開いた学生を思い出す。確かに座っているように見えるのだが、椅子はない。そんなスタイルを良く維持できるものだと、下田はそちらの方で驚く。チラッと見れば野球の応援団のようにも見えるが、袴姿の男達は若くはない。そして怖い顔をし、一点を見ている。その視線の先は下田ではない。だから目が合わないのが幸い。では何処を見ているのだろう。
それも突っ込むと、スッと通れるが何人も何人も連なっている。これは便所までいるようだ。
あのスタイルで、三味線を弾いているのだが、下半身だけ見れば、便所で気張っているように見える。それを連想すると、怖い顔の正体も、これだったのかと思うほど。
顔は同じではない。しかし、見たことのない人たち。似たような中年の顔で髪型も多少は違うが、似たようなもの。しかしコピーではないことは分かる。
縁側に出ると、中庭にも並んであのスタイルで、三味線をベンベン。やはりこれは便々なのだ。
ただし下田は夜中に大はしない。
そして便所の戸を開けると、さすがにそこにはいない。あの広げすぎた足では空間が足りないようだ。
そして用を足し、戸を開けると、もういない。嘘のようにかき消えている。
了
2024年07月25日
5277 陳腐と珍奇
「なかなか珍しいものはありませんなあ」
「かなり、お持ちのようで」
「見たり聞いたり直接触れたり、珍しい行動もそれなりにやり倒しましたからな。今更探すとなるとかなり難しい。掘り起こしすぎた感じです」
「珍しいものがいいのですか」
「そうです」
「どう言うところが」
「驚きがあります。刺激や、わくわく感も。これはありがちなものでは弱い。まあそれでもいいのですがね」
「それでもいいと?」
「楽ですからね。緊張感もドキドキ感もありませんから」
「でも刺激はない」
「無刺激が欲しいときもあるのですよ」
「それは何処にでも転がっているようなものや事柄ですね」
「そうです。そちらが良いときと言いますか、そういう気分になることもあります」
「それはまた、なぜ」
「珍しいものは疲れますからね」
「そういうことですか。でも地味なものではすぐに退屈されるでしょ。物足りなくなり」
「それあるからこそ珍しいものの良さが光るのです」
「理屈は分かります」
「だから珍しいものを追いすぎると、珍しいものに麻痺してしまい珍しくも何ともなくなる」
「そういう理屈ですね」
「しかしです」
「まだ、他に理屈がありますか」
「私は別に理屈をこね回しているんじゃありません。感覚上の問題です」
「それこそ理屈ですね」
「そうですなあ」
「では、他の方法とは何でしょう」
「これも良くあります。ありふれた方法です」
「聞きたいです」
「見方を変えること、接し方を変えること」
「ああ、ありますねえ。ごく平凡に」
「相手ではなく自分を変えるという方法です。陳腐すぎるほど良くある手法です」
「珍しいものを探している人が逆に陳腐な方法を使うと」
「意外でしょ」
「しかしそれは陳腐で、ありふれたやり方ですねえ」
「しかし珍しいものを追い求めるよりも難しい」
「陳腐と珍奇は真逆でしょ」
「陳腐なものの中に珍奇を見出す。これです」
「じゃ、そういうことをやっておられるのですね」
「いいえ、やはり珍しいものを単純に追い求めていますよ」
「そうですねえ、捻ったやり方はややこしいですからねえ」
「まあ、多少は見方を変えたりはしますよ。相手ではなく自分を変える。この陳腐な方法、結構疲れます。芝居が過ぎるし、わざとらしいですからな」
「それで実際はどうなのです」
「感じは変わりやすい。それだけです」
「よく分かりませんでした」
「そういう感じです」
了
2024年07月24日
5276 何もしない夏
夏場厳しいので、何もしないで過ごそうかと竹田は考えたが、これは考えるだけ無駄。やることはそれなりにあるし、日々やらないといけないこともある。
それを少し減らし、涼しくなるまで放置してもいい。それでも一割程度減らせるだけで、これでは何もしないで過ごすというのにはほど遠い。
ご飯も食べないといけないし寝ないといけない。これは略せないだろう。暑いので睡眠は秋から、とかにはいかない。食事もそうだ。
しかし暑いので食欲が減り、食べる量が減ったのか、食べるのが早い。それで時間的余裕が生まれるわけではない。ちょっと休憩する時間が増えるだけ。確かにその休憩、何もしていないのに近いが。
また竹田は健康のため、散歩に出る。しかし、この暑さでは健康に悪い。本末転倒。逆効果だ。それならしない方がいい。プラスマイナスゼロになるかどうかは分からないが、散歩の時間、昼寝でもしておいた方がいいだろう。
それで略せるところを見つけ出し、余計な用事を省くと、二割とか三割ほど何もしない状態に近づく。
この二割ほどの日課外しは結構効く。別にやらなくてもいいことをやっていたので、見直す良い機会になる。
しかし入院患者のようにずっとベッドの上というのも苦しい。それほど寝られるものではないので、目だけは冴えているもののやることがない。まあ、適当にテレビとかを見ておれば良いのだが。
気に入ったものを見ているときは良いが、そうではないものをずっと見ているのは苦痛。それでテレビには目は行っているし耳からも入ってくるが、別のことを考えたり、思ったりする。
何かをしながら、別のことを思う。これは悪くはない。物思いだけにふける状態など希で、軽く思い出に浸ったり、先のことを思い巡らす程度。そんなに長い時間ではない。
何もしないで過ごすというのも、結構難しいものだと竹田は考えた。それなら何かをしている方が簡単で楽だと。
暑い思いをしながら終える一日。布団の上で寝転がったときの気持ちよさがある。暑いことは暑いが座っているよりもまし。それに電気を消すので。
ここの気持ちよさは、少し暑苦しいことをした日の方が効果がある。やっと寝れると。もう本当に何もしなくてもいい時間に来たと。
しかし、寝ることも何かをしていることには変わりはない。ただ寝てしまうと、それも忘れるが。
了
2024年07月23日
5275 順調
「順調ですかな」
「ほどほどに」
「それはよろしいなあ」
「すらすらと片付くことがあります。やる前までは腰が重くて、何度もやる前にやめています。やる気が起こらないのでしょう。これは面倒なことになる可能性がある場合ですが、サッとできることでもやり始められないことが多々あります」
「多々ですか」
「そうです。だから順調にできていることなどごく僅か。多くのことは多々の中に入っています。なかなか気が進まなくてねえ。やればサッとできるのですが」
「でも、順調に進んでいるとおっしゃってましたが」
「やりやすいこととか、緊急性のあるものだけですよ。多々はいっぱいあります」
「でもその多々の中の一部をやられているわけでしょ。それなりに順調に」
「やれば簡単なことだったりしますからね。誰がやってもできるようなことなので、順調にいって当然かもしれません」
「しかし順調に果たすことができれば良い感じでしょ」
「はい。気分が良いですが、次から次へといろいろとありまして」
「そんなにありますか」
「雑用ですがね。あまり効果はないような。まあ、メンテナンスのようなものです」
「それも大事でしょ。地味だけど充実するのでは」
「それはあります」
「どちらにしても順調に事が運び、達成できると、少しは嬉しいはず」
「はいはい。それはあります。しかし、後味の悪い達成もありますよ。こんなことしなければ良かった。やぶ蛇のようなね。余計な仕事を増やすような」
「パンドラの箱のように」
「そんな謎はありませんし、予想は付いているような嫌ごとですが」
「嫌ごとですか」
「嫌なことです」
「平穏に暮らしていると聞きましたが、いろいろとあるのですね」
「平凡な暮らしですが、それなりにいろいろと厄介なことがあるのですよ。ただ厄介ごとだと思う私にも問題がありますがね」
「やはり問題なのですね」
「問題と思うことが問題なのでしょうねえ」
「よく分かってらっしゃる」
「まあ、面倒さに付き合うのも悪くはないですよ」
「付き合っていますか?」
「いません。避け通しています」
「あ、はい」
了
2024年07月22日
5274 老婆心
「気のせいだと思いますが、何か異変が起こりそうな気がいたします」
「気のせいじゃ」
「しかし、それがしの勘は良く当たるのです」
「何か思い当たるところでもあるのか」
「ありません」
「火のないところに煙は立たぬ。火を付けぬ限りな」
「そうなのですが、少しだけ思い当たるところがあります」
「そこが火元か。では思い当たるところがあるのではないか」
「勘違いかもしれません」
「だから、気のせいじゃ。他言するようなことではない。ましてやわしの耳に入れると言うことは、何か頼みがあるのか」
「頼み事ではござりませんが、用心に越したことはありませんので」
「もったいぶらずに言ってみよ。何処でどんな異変が起きる」
「勘違い、気のせいだけなら良いのですが、吉岡家です」
「吉岡城のか」
「古くから仕える重臣ですが、どうも吉岡領での動きが怪しいと」
「そういえば、この前の評定には来ていなかったのう」
「もってのほかです。これは重臣としての義務」
「病んでいて出てこれないと言っていたぞ」
「仮病でしょう」
「それは気のせいではなく、ただの想像だ」
「あ、はい。それ以外にもいろいろと不審な点が」
「何だ」
「足軽を多く抱えているとか」
「吉岡領は豊かな地。雇えるゆとりもあるのだろう。それにいざ合戦となれば、心強いではないか」
「しかし兵が多すぎます」
「何が言いたいのじゃ。ただの憶測だろ」
「隣国の使者が何度も来ているとか」
「よく分かるのう。そんなことが」
「草からの報告です」
「間者か」
「これは反旗」
「謀反だと」
「はい」
「吉岡は当家の宿老。それはあるまい」
「そうであって欲しいのですが」
「しかし、そこまで調べれば気のせいではすまんだろ」
「決まったわけではございませんが、用心に越したことはないかと思い」
「隣国からの使いと言っても同盟国。吉岡も商売をやっているので、そのためだろう」
「そうなら良いのですが」
「煙を立てておるのはそちではないのか」
「滅相もございません。老婆心ながら、そっとお耳に」
「しかし、気のせいだと申していたはず」
「はい」
「だったら気のせいのままで良かろう」
「そうであって欲しいところです」
「まだ、申すか」
「もう、燃やしません」
了
2024年07月21日
5273 前評判
「予想とは違うことがある」
「ありますねえ。予想ですから」
「前評判もそうだ。噂なので、そんなものかもしれないが、かなり違っておる。現実はな」
「予想も予測もそうですか」
「予想ではなく、それを見た人の評判も現実とは違っていたりする」
「まあ、当てにならないと」
「目安にはなるが、それが大きく外れると信用ならん。当てにはできんが、おおよそのことは分かる程度」
「それでよろしいのでは」
「現実に接してみると予想も評判も関係しなかったりする」
「全く別のものだと」
「そこまでかけ離れてはおらんが」
「何でしょうねえ」
「本当のことを隠しているんだ。言わないだけかもしれない。または言いたくない。これは黙っていたいのだろうか」
「じゃ、あえて見当外れな事を」
「さあ、それはどうかな」
「何でしょう」
「言えない事象なのだろう」
「公言しにくいような」
「したいのだが、したくないような」
「何でしょう」
「君も考えなさい」
「いえ、何が問題になっているのか知りませんので」
「しかし良いものを見させてもらった。予想や噂では大したことはない低レベルなものとなっていたので、わしもその心づもりでいた。だから期待などしていなかった。そして蓋を開けると、その通りだった」
「じゃ、予想通り、予定通りですね」
「ところが違うのだ。かなり高レベルなのだ。低レベルのつもりでいたので高レベルに変わったときの驚き。これは値打ちがあった」
「え、何でしょう。何が起こったのですか」
「これを隠していたのか、これが言えなかったことなのか。言いたくても言えなかったことはこれかと分かった。これは言えなくて当然だと。言ってしまえばおしまい」
「状況がよく分かりませんが」
「低く見積もることで油断させていたんだ」
「では、予測、役に立ちましたねえ。その予測が効果的に効いたような感じでしょ」
「効いた」
「でも、それは結果的には良いものだったのでしょ。凄いものだったのでしょ」
「高レベルを越えるほどのな」
「では、そういう評価が既にあるはずでしょ」
「ない。本当の評価は言えないのだよ」
「世の中にはそういうこともあるのでしょうねえ」
「まあ、ありきたりなことだがな」
「あ、はい」
了
2024年07月20日
5272 起伏
「起伏がない」
「それは平坦でよろしいですなあ。見る限りの大平野。歩くのが楽です」
「大平原は飽きる。少しは起伏があってもいい」
「ありますよ。よく見ると」
「もう少し、見た目はっきりとした崖とかな。そういうのがあると、避けて通る」
「不便じゃないですか」
「危ない箇所がある。それだけでも刺激になる」
「平坦な道を行く方が気楽で良いと思いますがね」
「少し歯ごたえが欲しい。きついのは駄目だがな」
「起伏がないというのはどういうことですか」
「良いことも悪いこともないようなものかな」
「じゃ、ずっと良い状態では」
「それがずっとなら良いとは感じないがな」
「期待で胸膨らませ、結果、期待外れで落胆する。こう言うのが起伏じゃ」
「山あり谷ありですね」
「疲れるがな」
「じゃ、平坦な方がよろしいかと」
「まあ、平坦な大平原でも起伏があると先ほど言ったな」
「多少の高低差はあります。坂もそれなりにありますよ」
「その程度でいいか」
「そうですよ」
「喜怒哀楽の幅が小さい。一寸した善さ、一寸した哀しみでは頼りない」
「悪いことがあるので、良いことが光るのでしょ」
「どちらもなくすと平坦か。起伏がない」
「しかし、多少の高低差は」
「僅かな上り坂を凄い坂だと思うか」
「一寸した下り坂が、今度は崖に見えますよ」
「じゃ、どっちも同じか」
「やはり起伏はあります」
「うむ」
了
2024年07月19日
5271 零戦隼人
低気圧で辛いのか、湿気で辛いのか。蒸し暑さで辛いのか、平田は今日は零戦隼人で行こうと決め込んだ。正しくは零銭隼人。
ゼロ銭、つまり一円にもならない隼人。隼人とは人の名。これはそういう名の主人公の飛行機乗りの話が昔あった。
平田はそれを覚えている。ただし物語は忘れた。覚えているのは零戦隼人だけ。タイトルだけ。
だから正しくは零銭平田となり、一円の稼ぎもない平田ということだ。体調が悪いので、今日は坊主でいい。この坊主とは僧侶ではなく、釣り人が一匹も釣れたなかったとき、今日は坊主だったという意味。なぜ坊主なのかは分からない、毛がないから坊主とは思えない。剃っているだけで毛はあるのだ。
そのため、子供のことを坊主と呼ぶが、それに近いかもしれない。だが。ボウズと書けば、その語呂で何となくイメージされる。
要するに日銭を稼ぐ必要のある平田だが、サボっただけ、という話。その決断を下すとき、今日は零戦隼人で行こうとなった。勇ましい言葉だが、逆側だ。
こういう決断、提督の決断とも平田は呼んでいる。連合艦隊の司令長官のように。だから身分はかなり高い人。ただし、平田はただの水兵さんのような身分だが。
怠ける話だが、大層に、荘厳に。厳めしく。低い声でそうつぶやく、しかも喉を少し震わせながら。
サボったので零戦隼人になるが、身体にはいい。身体は得をした。だから決して一円の儲けにもならなかったわけではなく、休息することで身体は儲けている。増えはしないが、体調が戻るだろう。
これは益するのと同じ。だから有益。そのため、零戦隼人で行こうと決めるのは勇断であり、好ましい判断。
しかし、平田はそれほど疲れたり、体調が悪いわけではなく、蒸し暑いので、動くのが大層なのだ。それだけのことなので、多少後ろめたさがある。
梅雨時、平田はよくこの零戦隼人を発動させている。そして今日も梅雨空に飛び立つのだが、平田自身は寝転がっている。
了
2024年07月18日
5270 何かが来る
何かが来ている。何かが来る。藤原は直感した。しかし具体的なものは何もないし、思い当たるものもない。しかし何かが起こる。来ると言う迫り方。
そこまでは感じている。その感じから頭の中を回転させ、それに該当するものを探したが、そんなものは自然現象ぐらい。大災害なら突然やってくる。
だが、それではない。来ているのだ。何かが来ているという感じはそれではないし、自然現象とは少し違うように感じられる。もう少し小さく、そして藤原だけに関係することか、その周辺程度に起こること。これは直感で分かる。その範囲も。
さらに、その直感から、日常の中で起こるようだ。そこまで直感で分かるものかと思うのだが、そう感じたのだから仕方がない。
さらに何かが近づいてくると言う感じは、徐々にで急激ではない。だが、近づいて来ているのだが、それが分からない場合もあるはず。その場合はいきなり来たとなる。
日常の中で何かが忍び寄ってくる。その条件に合うようなのを藤原は探すが、思い当たらない。そして思い当たらないものが来ると言うところが何となく勘で分かる。
何かは分からないが、藤原が出した答えとは違うと言うことだけは分かる。それではない。これではないと。それなら何だと言うことまでは浮かばない。直感でも。
さらにそれがいつなのかも分からない。今日なのか、数時間後なのか。数分なのか。あるいは来週か。来月か、来年か。
来年はないだろうとさすがに藤原は考える。直感したことも一年後には忘れているだろう。
では何なのだ。
そして一日を終えようとしていた。今日ではなかったことは確かだが、かなり用心して過ごした。ずっと身構えていたようなもの。
別にこれと言うことも起こらず、昨日と似たような一日だった。天気が少し違うだけで雨が降りそうな空。違いといえばその程度。夕食で食べたものも違うが。
そういう日常の中、暮らしの中に、それがスッと現れるはず。直感ではそうなっている。
直感を藤原が弄ったわけではないが、何か得体のしれないものが現れるというポイントに絞ってきた。何かの現象とか異変とかではなく。人に近いものが訪れるような。何かが起こる。それは人による災いかもしれない。
これは藤原の最初に受けた直感とは変わっている。解釈を広げたものを入れたためだ。これは直感ではなくただの想像。
そして、日が変わる零時前、チャイムが鳴った。
これだな。戸藤原は覚悟を決め、ドアを開けた。
了
2024年07月17日
5269 落ち着く
岩城領の岩城氏は右翼の後方に陣していた。これは後詰めに近い。前軍や中軍が崩れたとき、それを回収するようなもの。だから詰めているだけでいい。参陣しているとは言え、後方で陣をしいているだけ。
野戦だ。それはすぐに始まり、あっという間に右翼の先鋒隊が崩され、押される。中軍は浮き足立ち、下がろうとする。
それを見ていた岩城隊は中軍までもう下がられたのでは総崩れになると思い、重臣と相談。
「まずは落ち着きを、殿」
「落ちるのか」
「それもありますが、判断を間違えると大変なことになります」
「よう分からんが負けそうなのだから、引くしかなかろう」
「後詰めが引くと、決定的になります。我らは右翼の後詰め。その役目があります」
「真ん中はどうじゃ」
「物見の報告では互角とか」
「左翼は」
「また戦いになっていません」
「では負けているのは我ら右翼隊だけか」
そこに物見が戻ってきた。
「敵主力が右翼、ここに襲いかかったようです」
「それで下がったのだな。勢いが違うので」
「どうする」
「殿、落ち着きを」
「座っておる」
「ご判断を」
「だから、その判断を聞いておるのではないか」
「それは殿が決めること。私では決められません」
「負けそうなので、引く。撤退する。これでいいな」
「問題はありますが。殿の仰せなら」
「じゃ、そういたそう」
「撤退先は」
「本領だ。決まっておろう」
「岩城領ですな」
「何か不満か」
「我が主君の居城、本拠地ではなく、いきなり戻るのですな。それでいいのですな」
「主君って誰だ。家来になった覚えはない」
「そうお考えなら結構。すぐさま岩城郷まで撤退し、砦の門を固く閉ざしましょうぞ」
こうして、岩城隊は撤退した。
右翼は総崩れになったが、中央の部隊は善戦し、さらに左翼隊が横から突っ込んだことで、敵は一瞬だけひるんだ。
しかし、右翼を突破した敵の主力は、中央隊と左翼の横っ腹を予定通り突いた。これで崩れた。
敵軍は数日後、岩城領まで来た。砦程度なので、守り切れるわけがない。援軍も来ないだろう。
そこに敵軍から使者が来て、降参するなら領地はそのまま、領主も兵も命は保証するという、いい条件。
「落ち着きなされ、殿」
「もう落ちた」
「どうなされます」
「もう決まっておるだろ」
「そうですなあ」
「従属先を変えるのは、これで三度目ですな」
「それしか生き残る方法はないだろ」
「ぎょい」
了
2024年07月16日
5268 自動他動
「その動き、自動ですか、他動ですか」
「え」
「誰かからの命ですか。それともあなたが決めたことですか」
「あなたと言われても、あなた」
「どちらですか」
「自分で決めました」
「そう決めさせられたのではないのですか」
「いいえ」
「じゃ、あなたが選択し、決めたのですね」
「ええ、そのあなたです。私です」
「人の意見を採用しませんでしたか」
「参考にはしましたが、その人に従ったわけじゃありません」
「他人に従うことはありますか」
「ああ、命じられれば従うこともありますよ、別に問題がなければ、普通に」
「あなたの意見はどうなのです」
「意見?」
「あなたの方針のようなもの」
「好き嫌いはありますが、それだけでは選べない事情もあるでしょ。だから意に反することでも、やりますが。まあ、やらないと大変なことになればやるでしょ。それが私の判断です。私が決めたのでしょうねえ」
「つまり、拒否しないと言うことを決めたのですね」
「賛同した場合は、賛同すると決めたんでしょうねえ」
「その賛成や賛同はどこから導かれるのですか」
「まあ、妥当だからでしょ」
「その妥当というのはどこから」
「さあ」
「あなたが決めているようで、人が決めているのではないのですか」
「人とか、事情で決めているのは確かですね。しかしそれで決めないと言うこともできますよ」
「話を戻します」
「え、何処が最初でした」
「自動か他動かです」
「ああ、その話でしたか」
「全てが他動だったりします」
「じゃ、他動の自動ですか」
「ややこしくしないでください。自動とは自発であり自主的なという意味です」
「じゃ、全て自動でしょ」
「え、じゃ、自発も自主性も自動的に」
「知らぬ間にそれを選び、知らぬ間に動いていたりしますよ。でも知ってますがね」
「何を知っているのですか」
「また、からくり人形がいつもの動きをしているとね」
「意味不明です。捉えどころがありません」
「そういうものでしょ」
「ややこしいものですねえ」
「あ、はい」
了
2024年07月15日
5267 何だこれは
何だこれは、というのがある。そういう受け取り方。何かよく分からないもので、当てはまりにくいもの。どう捉えていいのかが難しいもの。
そういう感じだが、あまり良いものではない場合が多い。下手をするとゴミのようなもの。そこまで悪いとすぐに捨てているだろう。これは分かりやすい判断。サッと捨てることが決まっているような。
しかし、何だこれは、というものは判断が難しい。もしかすると良いものかもしれない。それに何だこれはと思ったのだから、それだけの驚きは確かにあるのだ。良い悪いとは関係なく。
また意に反するもの。思っていたこととは違う場合、妙なのが来たので、何だこれは、となる。
正体が分からないので、これは何だろうと思うのではなく、何が来たのかは分かっているが、それではないので、何だこれはとなる場合もあるが、本当に何だこれはと謎めいたこともある。まだ解けていない。まだ分別できないタイプ。
よくあるものなら何だこれはにはならない。期待していたものとは違う場合のなかには、よくあるものも含まれているが。
そうではなく、本当に何だろうかと思うものに出合ったときの浮いた感じ、立ち止まった感じが一寸した刺激。
これは正体、得体が分かり、何でもないことに変わったりする。何だろうという疑問は解けている。
だが、何だこれはの中に、良いものが含まれているかもしれない。ただ、大半はややこしいもので、どうでもいいものだったりするが。
しかし、もしやというのがあるので、何だこれはと感じたものを少しは吟味した方がいい。
それなりに解釈するわけだが、最後まで分からず、何だこれはの状態のままで終わることもある。しかし、少しは気になる。できればつまらないものであった方が処理は早い。
また何だこれはの正体がずっと分からないままでもいい。いつまで経っても何だこれはとなったままのものには、やはり何かあるのだろう。解釈できないだけで。
何だこれは的なものは驚く場合もあるし、感動に近いのものを含むもしれないが、感動の元が分からない。だから何で感動しているのかも謎のまま。
こう言うのは曖昧なのだが、パターンが読めないだけに長持ちしたりする。最後まで訳が分からないものを追い求めるようなもの。これは裏のテーマだろう。なぜなら、それが何であるのかを説明できないため。
その何だこれはの力が消えたときが寿命で、もうその力は消えている。何だこれはと思えなくなったときだ。
いつまでも何だこれはと思い続けられるものこそ、本当の何だこれはだ。
了
2024年07月14日
5266 読み
「思うとおりにいかん」
「想像とは違うのですか」
「目論見がな」
「よくあることですよ」
「わしの勝手な想像だったのか。思いだったのか。独り合点だったのか」
「よくあることですよ」
「わしの狙いはほぼ当たる」
「しかし、先方がいることですし」
「その先方の動き、読めていたはずなのじゃがなあ」
「読み違えたと」
「そうでもないが、意外だった」
「だから思っていることと違う筋道だったのでしょ」
「思うように動いてくれると思っていたのだがな」
「だから相手も生き物ですから」
「人じゃ。人ならこう動くというのは読めるはず」
「そこが読めないのがいいのですよ」
「え」
「駄目だと読んでいたことが、そうではなかったとかもありますからね」
「意外とな」
「しかし期待していた動きを外されると問題だ」
「悪い側に出たのですよ」
「悪い側の意外か」
「はい」
「どうすればいい」
「思うようにならないのでしたら、別の方法を考えるとか、諦めるかです」
「そっちは無理ならこっちか」
「そうですね」
「島田は当てにならん。よし大村に頼ろう」
「そうですよ。駄目なら切り替えればいいのです」
「しかし、大村はふにゃふにゃしており当てにならんのだがな」
「でもやってくれますよ。頼めば」
「頼りないのだ大村では。だから島田に頼んだのだがな、やめるといいだした。わしの読みが外れた」
「島田様にも事情ができたのでしょ。何せ有能な方ですので」
「大村は無能だ」
「しかし、残るのは大村様だけですよ」
大村は嫌仕事を嫌々ながら引き受け、すらすらとこなしてくれた。これは意外だった。
「人は見かけにはよらん」
「読み通りですね」
「最初の読みは外した」
「そこからですよ。本番は」
「あの、なよなよなの大村がなあ」
「きっと人から頼られるようなことも少ないので、暇だったからでしょ」
「そういうことがあるのだなあ」
「ああ、はい」
了
2024年07月13日
5265 旧時代
「順調ですかな」
「一寸崩れましたが、復旧中です」
「順調に?」
「はい。順調に復旧作業を進めていますが」
「何か不備でも」
「以前と同じようには戻りません」
「問題はありますか」
「ありませんが、やり方を変えないといけないので、それが面倒です」
「じゃ、順調に復旧中じゃないのですね」
「いえ、順調です」
「でも完全には戻せない」
「そうですねえ。まあ、細かい問題なので」
「それぐらいはいいでしょ」
「そうです。以前できて、今回からできないと言うことではありませんから」
「しかし、何か不満そうですねえ」
「完全に戻したかったのですが、無理なので諦めました」
「それで、不満もないと」
「慣れないので、そこが少し不満ですが」
「慣れで解決すると」
「はい。だから細かい話なので、どっちでもいいようなことです。ただ慣れないだけです」
「よくあることだ。頑張りなさい。まだ復旧作業中なのでしょ」
「はい、順調です。心配いりません」
「それよりも、わしは元には戻れんようになった」
「え」
「この職を去ることになる」
「引退されるのですか」
「させられるのじゃ」
「でも希望退職でしょ」
「肩たたきにあった」
「凝っていたのですね」
「違う」
「あ、はい。それは残念です。先輩からいろいろと教えてもらいました。だからそのやり方を今もやっています」
「わしのやり方はもう古い。その頃は最新のやり方だったのだがね。今では旧時代のもの。わしもその旧時代の人間。肩を叩かれて当然かも」
「後は私が引き継ぎます。先輩のやり方で」
「いや、それが古い時代のものになっているんだ。そこがいけないところ。だから引き継ぐことはない」
「でも、今、復旧中で、それが直れば引き継げます」
「別の方法を考えなさい。そうしないと、君も肩を叩かれるよ」
「そんなものですか」
「慣れ親しんだものでやりたい。それだけのことだ」
「ではこの機会に、新しいものを取り込んでみます」
「そうしなさい」
「引き継ぎたかったのですがねえ」
「君のためじゃ」
「はい。そうします」
了
2024年07月12日
5264 探し物はそこにあった
探していたものがすぐそこに落ちていたりする。目に付きやすいところ。だから探すという行為ではない。探さなくても手に入る。または遭遇できる。
そういうことは結構よくあることだと田村は経験の中に入れようとしたが、これこそ当てにならないし、確実なものではない。
ただの偶然だ。田村が動いたのではなく。勝手にそういう動きがあっただけ。田村が仕掛けたものではない。だから同じ事を繰り返せない。仕掛けようがないのだから。
ただ、心がけることはできる。いつも目にするような所にあったとしても見過ごしたりすることもある。これは残念だが、見ていないので、残念もくそもないが。
労せずして入手。または遭遇。いい巡り合わせ。これは何だろうかと田村は考えた。それなら探しに行ったりしなくてもよくなる。
当然探したからこそ見つかったものも多い。だから探すのは無駄ではないし、その一寸した労も悪くはない。苦労して見つけたのだから、喜びも大きい。
探す場合は見当を付ける。この世に当然あるもの。しかし田村が知らないだけで、隠されたものや、知られていないもの。特殊なものもある。これらは探すのは難しい。
ところが今回田村が見つけたものは、こんなものがあったのかと思うような全く知らなかったもの。確かにそういう存在があること程度は分かっていたが、それが何かまでは分からなかった。
そのタイプのものを田村は簡単に見つけたのだ。探そうとしても手がかりの少ないもので、あるかないかも分からないものだったので、探さなかった。
しかし、目の前にそれがあった。最初は別物で対象外だと思った。そんなものが落ちているわけがないので、まさか探していたものだとは気付かない。しかし、どうも覚えがある。そしてまさかと思い調べると、まさにそれだった。
探しているもの。求めているものは向こうから勝手にやってくるというお伽噺もあるが、それはオカルトに近い。やはりそれなりの原因や理由などが関係しているはず。
それを見つけたとき、その筋道、どうしてこんな所にあったのかを田村は推測した。結果が先で、原因などはあとでくっつけたようなもの。
ただ、その偶然性や、同時性のようなものはあるようで、それが錯覚や思い込みであったとしても、その遭遇、偶然に驚いたことは確か。
常にそのことを思っていると、見つけやすいこともあるが、いきなりドンとくることがある。
ただただそれは起こっているだけのことでそれ以上でも以下でもないが、以上や以下を考えるものだ。
いずれにしても探していたものが簡単に見つかったので、それだけでいいだろう。解説などしなくても。
探しているものは勝手に向こうから来る。田村はそれを教訓にするつもりはなく、やはり探し物は根気よく探すのがメイン。たまにラッキーがある程度とした。
了