2016年09月16日

3022話 不帰の通路


 下田は雑居ビルのある勤め先から出て、地下鉄へと向かっていた。久しぶりに早く帰れる。定時だ。地下鉄の駅は繁華街のど真ん中にある。実はそちらより反対側にある駅の方が近い。しかし、そこは何もない。あることはあるが賑やかではない。仕事を終えたあとは賑やかなところを通って戻りたい。自由な娑婆の空気の中を。といって寄り道をするようなことは殆どないが、人と会うときはその限りではない。
 今夕は珍しく、賑やかではない側の駅へと向かった。あまり刺激を受けたくなかったのと、できるだけ早く帰りたいため。その差は数分違う程度だが、乗換駅で一本早く乗れる。
 反対側の駅へ向かうほど徐々に地味になってゆく。勤め先の雑居ビルもそのタイプだろう。それがさらにフェードアウトしていき、駅前だけ少しだけ明かりが多くなる。さらにその先の駅になると逆に賑やかになる。私鉄と交差しているためだろう。
 下田は俯き加減で、下ばかり見ながら歩いている。見るべきようなものがないためもあるが、下界の刺激をできるだけ避けたい。これは特別な理由があるわけではなく、自分の世界に入り込みたいため。その世界とは下田独自の何かではなく、ゲームの世界。この前からやっているゲームの続きが気になる。神聖アロパトス帝国の騎士として下田は四人の仲間と共にウルシバ共和国を倒しに行くのだ。その前に聖なる剣を手に入れる必要があるため、クロウドの谷に眠るドラゴンを倒し、聖剣を奪わないといけない。
 というようなことを下を向きながら考えているのだ。他にこれといったことがない。下田の日常は特記すべきようなことはなく、世間でよくあるようなこと程度。もの凄いことが起こったとしても、それもまたありふれたことだったりする。何人もの人が同じように体験したような。
 だからといってドラゴンから聖剣を奪うことが特記すべき事ではない。このゲームをやっている人なら、全員やっているだろう。
 独自性。自分らしい生き方。そういうものを探したこともあるが、大勢の人が既にやっていたりする。
 やがて駅に近付いて来た。もう見えているが、今歩いている場所が一番寂れている。あと数歩進むと盛り返し、明かりが多くなる。そして二歩ほど歩いたとき、自販機の横に細い通路。雑居ビルと工事中のビルとの間。
 これはクロウドの谷かもしれないぞと下田は思い、そこへ入り込んだ。
 その先は誰も体験したことのない特記すべき世界に入り込んだのだが、肝心の下田は不帰の人になったため、どんな世界だったのかは誰も知らない。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする