2016年09月28日

3034話 水の流れ


 志村がいつも止まる場所がある。道が交差し、そこを渡るにはしばらく待たないといけない。信号はない。左右に信号があり、それが赤なら渡れる。信号と信号に挟まれた交差点で、ここに付ける必要はないのだろう。だが左右の信号が青でも渡れることがある。車の流れが偶然切れているのだろう。志村はそれが気に入っており、ここから渡ることにしているのだが、今日はあいにく切れ目がない。左右の信号が変わるまで待たないといけない。すんなりと渡れる確率は少ないので、実際には待つことの方が多い。
 車の流れを確認するため、左右を見るのだが、よく見るのは右側だ。そちらの方が信号が近い。そのついでに下側を見ると小さな川があり、その横に田圃がある。農水路だろう。水量を調整する堰がある。詰め物のような。これは手作りだろうか。堰の隙間が広い目になっているためか、水の流れが多い。いつもより勢いがある。もしかすると堰が壊れたのかもしれない。一部決壊だ。しかし、堤防のように全て塞いでいるわけではない。
 その水は大きな川から取り込んでいる。流れの先もは大きな川で、やがて海へ。この動きは大昔から変わっていないが、水の通り道は結構変わる。ただの土を掘っただけの溝だったのだが、今ではコンクリートになっているとか。しかし水が流れていることには変わりはない。
 その農水路の先は、今は大きな排水溝に繋がり、やがて大きな川に流れ込む。取り込んだ川とは別の川へ行く。だから出発点の川から斜めに下り、別の川と合流するのだろう。その先は海。
 この農水路を辿れば川の源流まで出るだろうが、そこから湧き出す水だけではなく、雨が降ればその川に水が集まる。そしてその水の源は雨。空だ。
 そう考えると、海に帰った水が、再び雲となり、雨となり、戻ってくるのだが、同じ水ではない。
 というようなことを車の流れが切れる間、志村は考えていた。水が多いときもあるし、少ないときもある。濁り具合も違う。当然その水路の周辺も違う。今、横切ろうとしている道も、志村が子供の頃にはなかった。と、思った瞬間、凄いことを思い出した。まだこの農水路が草に囲まれた畦のドブ川だった頃、ここで蛙を大量虐殺したことを。
 今はそんなことなどできないのは、大人になったからではなく、蛙そのものがいなくなったため。
 水の流れと時の流れ、そして志村も流れて行く。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 09:21| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする