2016年12月02日

3098話 工房の女


 これもよくあることなのだが、滅多にない。似たようなことはあるが、殆どないこともある。それは遅れだ。
 岩本は遅れた。遅れることなど始終あるので、珍しくはないが、その日の遅れは今まで踏み込んだことのない時間帯になっていた。遅れる原因が重なった。二つなので、それほど多くはない。だが、大概は一つが多い。
 最初の遅れは起きるのを遅れたことで、これはよくある。しかも今回はそれほど遅れたわけではなく、よくあること。起きる時間は一定していないが、三十分程度の誤差がある程度。今回はそれをはみ出していたので、遅れたと感じる範囲には入っているが、もの凄く寝過ごしたわけではない。
 岩本は朝の散歩を日課にしており、小一時間で戻ってくる。多少出るのが遅れても、昨日と似たような風景で、出遅れたという感じはない。そういう日もたまにあるためだ。
 そして戻ってから朝食を作るのだが、これもいつもと似たような味噌汁だが、具が多い。一汁主義ではないが、雑煮のように色々と入れる。そのため、器は大きめだ。
 そして、ご飯や味噌汁ができるまで、新聞を読んだりテレビを見たり、ネットを見て過ごす。これが一時間ほど。遅れたことが分かるのはテレビ番組で分かるが、テレビは付けているだけで、殆ど見ていない。だから、見逃したとかの話はない。
 朝食後、ある趣味の集まりへ行く。木彫工房があり、初心者でも簡単な方法で仏像が彫れる教室だ。小さな人形のようなもので、岩本は金剛力士を選んだが、これが結構難しい。そういうキットがあるわけではないが、順番通り作っていけば、誰にでもできるらしい。板に絵が画かれているので、それを見ながら部品を掘り、填めたり、くっつけることにより、完成する。
 さて、ご飯も炊けた頃だと思い、台所へ行くと、炊飯器のランプが消えている。消したのではなく、炊飯のスイッチを入れ忘れたのだ。問題はここだ。炊けるまで一時間。早炊きにしても四十五分ほどだろうか。この遅れが効いた。ご飯を食べないで、味噌汁だけ吸って出ても問題はないし、おやつとして買っていた煎餅があるので、それをかじりながら味噌汁を飲んでもいい。それに、ただの汁ではなく、具がかなり入っているので腹が減ることはないだろう。しかし、白いご飯が食べたい。朝は炊きたてのご飯を食べないと、食べた気がしない。
 寝過ごした時間が三十分ほど、ご飯が炊けるまでの時間が一時間。都合一時間半ほどの遅れ。これは結構遅れている。今まで体験したことのない遅れだ。
 木像工房は夕方までやっているし、また岩本がそこにいる時間は二時間程度。そのため、この遅れはそれほど重要な遅れではない。人と会う約束でもしていれば別だが。
 そして一時間半遅れで岩本は自転車に乗り、山裾の工房まで走った。この時間、その道を走ることは先ずない。
 いつも閉まっている飲み屋も、昼前なのか開いている。定食でも出すのだろう。そのため、初めて開いている店を見たことになる。時間帯が少しだけ違うと、出合うものも少しだけ違う。
 そして工房前の坂道に差し掛かったとき、向こうから女性が降りてきた。きつい坂ではないので、自転車でそのまま上れるが、見覚えのある女性だ。顔まで見たわけではないが、雰囲気で分かる。知っている人だと。
 坂の途中ですれ違い様、その女性は軽く会釈した。岩本も軽く頭を下げた。
 工房で先生の指導を受けていても、上の空。誰だろうと岩本は気になって仕方がない。確かに知っている人なのだ。
 先生に聞くと、岩本と同じ生徒らしい。いつもは夕方前の遅い時間に来るのだが、今日は早い時間に来たとか。
 しかし、岩本は納得できない。もっと昔から知っている人なのだ。
 いつもよりかなり遅れたことで、そういう出合いがある。しかし、その後、その女性を見かけることは二度となかったようだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:30| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする